ANSWER
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:51
- 新垣さんメインでCPものです。
少し長くなるかも知れませんが、お付き合いくださるとうれしいです。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:52
-
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:52
- 立ち聞きする気は毛頭なかった。
けれど、自分の存在に気づいていない誰かが自分の名前を出せば、
そこはやはり、どんなことを話すのか気になって耳をそばだててしまうのが人間心理というもので。
スタッフと、リーダーとサブリーダーとしての打ち合わせが終わったあと、
まだ聞くことがあるから先に戻っててくれと愛に言われ、里沙は少し疲労を感じながらも後輩メンバーの待つ楽屋に向かった。
何も考えず、楽屋としてあてがわれた部屋のドアノブを握った瞬間、
ドアの向こうから里沙の名前が聞こえてきて、思わず動きが止まる。
「新垣さんのことで、前から聞きたかったことあるんですけど」
里沙の耳に最初に届いたのは愛佳の声だった。
おっとりした口調なので抑揚の薄い印象はあるが、特徴のある声だ。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:52
- 「うん?」
答えたのは小春。
こちらも普段の話声は特徴あるのだが、今はそうは感じない。
眠いか、携帯ゲームに夢中になっているのだろう。
「新垣さんのどういうとこを好きにならはったんですか?」
途端、里沙はドアノブを握った手を離した。
そのままその手で口元を隠す。
「んー。どこって言われても」
里沙にとっては愛佳の言葉は思いがけないものだったのに、
尋ねられた当の小春はさして驚いたふうもなく返事したことで、
すぐにこれは小春と愛佳にだけ通じる秘密の会話なのだと悟った。
聞いてはいけない。
続きの言葉を耳にいれてはいけない。
そう思うのに、カラダはそのまま何かの暗示にかかってしまったかのように動かなくなってしまった。
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:53
- 「最初は、ちょっとしたことでもすごい叱られるし、嫌われてるんだなあって思ったりもしてたんだけど」
「うん」
「けど、すごい真面目なだけで、小春のことを思って叱ってくれてるってわかって、
そしたら、なんか、優しいとこばっかり見えてきて、目が離せなくなって、気がついたら、好きになってたって感じ」
「告白とかは、せぇへんのですか?」
「そんなのできないよー」
「なんでですか?」
「だって、怖いじゃん。気持ち悪がられたりするかも知んないし」
「新垣さんは、そんな人と違うと思いますけど」
「…うん、わかってるけど。でも、やっぱり怖いよ」
小春の自分への気持ちを知って、里沙の心音がどんどん跳ね上がる。
子供だ子供だと思っていた小春が恋をしている。
それも、その相手がこの自分だなんて、何かの冗談だろう?
ここに里沙がいると知って、わざと驚かせようとしているんじゃないだろうか?
今の自分が置かれた状況を打ち消そうといろんな方向へ考えを巡らせるけれど、
聞こえてくるふたりの会話は真摯なもので、聞いてしまった言葉をなかったことにする術は見つからない。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:53
- 「でも、苦しいでしょ?」
「そりゃあ…」
「新垣さん、久住さんにはめっちゃ甘いやないですか。ひょっとしたら」
「新垣さんが優しいのは小春にだけじゃないよ、みっつぃにだって優しいじゃん」
愛佳が口を閉ざしたのか、会話が途切れた。
部屋に入るなら今かも知れない。
ちょうど会話が途切れたし、自分の名前も出ていない。
でも。
さすがにどんな顔をして入って行けばいいか里沙にはわからなかった。
何もなかったようにすることはできるだろう。
愛佳と小春以外のメンバーの気配は感じられないから、
いなくなってるメンバーの所在を聞いてみれば当たり障りのない会話が成立する。
けれど、今すぐには、小春の顔をまっすぐには見れそうにない。
小春の視線の意味を考えてしまう。
いつものように甘えた口調で自分に近づいてくる小春の気持ちが頭をよぎってしまう。
あまりにも突然だったから、気持ちの整理が必要だった。
なのに、だんだんと早鐘を打っていく自分の心臓とは裏腹に、里沙の思考とカラダはゆっくりと鈍っていく。
ここではないどこかで気持ちを落ち着かせるなり、先に行けと言った愛を迎えに行くなり、
とにかく今はこの場から離れるべきだ、と、ようやく里沙の考えがそこに及んだときだった。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:54
- 「ガキさん? なにしてるの?」
ドアの前で立ち尽くしていた里沙を背後から呼んだのは絵里だった。
びくっと文字通り飛び上がった里沙が振り向くと、
そこにはコンビニ袋を両手に提げた絵里とジュンジュンとリンリンがいて、
三人ともが揃って不思議そうに同じ方向に首を傾げていた。
「なんで入んないの?」
絵里に顎で指し示され、里沙はドアを見遣った。
部屋の中からはまだ会話は聞こえない。
今の絵里の声が部屋の中のふたりに届いた気がして、うまく声が出せなくなって、里沙は咄嗟にドアから一歩退く。
と、それを見計らったように中からドアが開き、愛佳が現れた。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:54
- 里沙と目が合った愛佳は、表情に困惑を顕著に乗せている。
その愛佳の向こうに、椅子に座ってはいるが、前のめりになりながら目を見開いている小春が見えて、
里沙の額にどっと汗が噴き出してきた。
小春を直視できず、咄嗟に目を逸らす。
逸らしてから自分のしたことの重大さに気づいたけれど、取り繕うにはもう遅かった。
「…さ、さゆみんと田中っちは?」
「あとからくるよー」
「そっか…。全員いるなら愛ちゃん呼んでくるよ」
「打ち合わせは終わったの?」
「うん。ちょっと行ってくるね」
「はーい」
まるで逃げ出すように里沙は愛のいる場所へと歩き出した。
急いでると言いたげに歩調を早めながら。
背中に感じる、小春の視線を痛いくらいに覚えながら。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:54
-
さっきまで打ち合わせ場所に使っていた会議室の手前まで戻ってくると、
ちょうど前から進行表らしき用紙を読みながら愛が歩いてきた。
里沙に気づいた愛は一度は表情をやわらげたが、すぐに不思議そうに首を傾げ、心配そうともとれる顔つきになった。
「どした?」
「…あ、えっと、愛ちゃんを迎えに来たの」
「わざわざ?」
「や、だってもうみんな揃ってるし…」
答えながら、里沙は自分の心臓の音がどんどんと早くなっているのを自覚していた。
今になってようやく、小春の言葉の意味を、自身の思考だけでなく全身にまで浸み渡る勢いで理解したからだ。
「…ガキさん、顔、真っ赤やけど」
「えっ?」
愛に言われて思わず両手で頬を隠すように撫でると、確かに手のひらに熱が伝わり、
自身の顔が他人の目には赤くなって映っていることにも思い至る。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:55
- 「ちょっとちょっと、マジでどうしたんや? なにがあったんよ?」
「だって、小春が…」
「小春?」
思わず声を出してしまったあとで里沙は慌てて口を噤む。
「小春になんかされたんか?」
「いやっ、違う違う。そうじゃないよ、なんでもない、なんでもないの」
「だって今、小春がって」
「いや、だから、その、あの、あれだよ、いつもの感じで小春がふざけてさ」
いくら相手が信頼のおける愛でも、小春が自分を好いているだなんて軽々しく言えることではない。
その場凌ぎにしかならないような適当な言い逃れしか出てこなかったけれど、
里沙がなんでもないと繰り返し言い続けたからか、心底から納得したとは思ってない顔で、それでも愛は頷いた。
「…ガキさんがそう言うなら」
「ホントになんでもないんだってば」
「わかったわかった。…じゃあ行こか」
「えっ、行くってどこ?」
「どこって、楽屋。迎えに来てくれたんやろ?」
「あ、ああ、そうだね! そうそう、そうだよ、迎えに来たのよ」
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:55
- 愛はまた訝しそうに里沙を眺めたけれど、少し長めに息を吐き出しただけで、ゆっくりと楽屋へと歩き出した。
愛と並んで歩きながら、愛が話しかけてこないのをいいことに、里沙は大急ぎで自身の中で乱れる心の波を鎮めた。
これから本番だ、というときに、いきなり心を乱されたことは過去に何度だってある。
誰かの訃報だったり、メンバーの突然の病欠だったり、心ない誹謗中傷だったり。
今までの経験から、突然起こった不測の事態をやり過ごす術を身につけてしまった里沙は、
今回も今までのように心を落ち着かせてなんでもないようすを装うことにした。
けれど、鎮めたはずの心の奥の波の揺らめきは、楽屋のドアを開けた瞬間、
視界に飛び込んできた小春の見たこともないくらいの真剣な眼差しによって打ち崩されることになる。
そしてそのあと、平静を取り繕うことすら忘れてしまった里沙がとった行動は、
小春との接触を避け、合うのが自然だった視線を合わせず、言葉すら交わさないといった、あまりにもあからさまな無視だった。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:55
-
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/10(月) 22:56
- 今日はここまでです。
- 14 名前:名無し 投稿日:2008/11/11(火) 03:51
- 期待してまーーーーーす♪♪
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/11(火) 10:31
- ガキコハやー!!
次の更新楽しみにしてますー
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:24
- 更新します。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:24
-
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:24
- その日の仕事が終わっても、愛と里沙にはまだ打ち合わせが残っていた。
仕事は好きだし、やりがいもあるが、今日ほど居残りを嬉しいと思ったことはない。
カメラがまわっているときやスタッフの目が届く間はそうでもなかったが、休憩中はどこにいても小春の視線を感じた。
最初に小春を無視した里沙に非があるのは歴然だったが、今更どう対処していいかわからず、
里沙にできたことといえば、小春の視線から逃げることと極力ひとりきりにならないことだけ。
身の危険を感じたわけではないが、ひとりきりになって、もしも小春に昼間のことを問われたら、
それに対して冷静で的確な答えを見つけられるとはとても思えなかったのだ。
「なあ、やっぱりなんかあったんやろ?」
はーっ、と、我ながら深い溜め息が出た、と思ったとき、隣にいた愛が心配そうに里沙の顔を覗き込んできた。
「えっ?」
「今日のガキさん、そういう溜め息ばっかりやで?」
「…そう?」
「自覚ないなんて、ほんまに珍しい」
呆れたような口調だが、心配させていることは明白だった。
でも、小春のことを言うのはどうしてもためらわれた。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:25
- 「小春になんかされた?」
「されてないよ」
「そのわりに今日は小春のこと完全無視やった」
やはり感づかれていたかと思うが、そこは曖昧に笑って誤魔化した。
「それより、愛ちゃんはもう荷物持ってきてるんだよね。あたし楽屋に置いたままだから、先帰っていいよ」
「なんで。待ってるよ、一緒に帰ろや」
「…ごめん、今日はひとりで考えたいことあるんだ。だから」
微妙に愛から目を逸らし、それでも口元だけで笑って見せると、
何か言いたげに上がった愛の手がゆるゆると落ちていくのが視界の端に見えた。
「…わかった、ガキさんがそう言うなら」
「ごめんね」
「遅くなるようなら家にも連絡しとけ」
「うん、わかってる。そこまで遅くならないように帰るから」
まだ少し帰ることに躊躇していた愛の背中を軽く押し出すように叩き、
その背中が名残惜しそうに何度も振り返っていくのを見送ってから、里沙はゆっくり楽屋のある部屋へと足を向けた。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:25
-
誰もいないと思ってノックもせずドアを開け、開けたそこにいた人間を見た瞬間、里沙は小さく悲鳴を上げた。
その声が意外にも響いたことで慌てて口を覆ったけれど、その相手と目が合った途端、自分の思慮が浅かったことを悟った。
部屋の中央に置かれたテーブル。
それに添えられるように置かれた簡易椅子のひとつに、相手はいた。
自らの荷物をテーブルに置き、椅子の背に自身の重心を置いていた相手は、里沙が現れたことで慌てて椅子から立ち上がった。
「新垣さん」
今日一日、里沙が一度も顔も見ず、話しかけることもせず、触れもしなかった相手、小春だった。
「なんで…帰ったんじゃ…」
「…新垣さんに、話があって」
特徴ある甲高い声ではなく、ずいぶんと感情を殺した声に里沙はぎくりとした。
小春がどういうつもりで残っていたのかが瞬時にわかって、背筋をすうっと冷たい何かが落ちる。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:25
- 「…あー、ごめん、明日にしてもらえる? さすがにちょっと今日は疲れててさ」
ドアを開け放したままだったことに気づき、里沙はそれを閉じながら必死に平静を装った。
小春の顔は見ないで帰り支度をする。
大きめのバッグの中に手帳やら化粧ポーチを入れながらも、その手が震えているのがわかる。
「……昼間の話、新垣さん、聞いてましたよね?」
何の前触れもなく核心に触れられ、里沙は咄嗟に知らないふりができず、
バッグを探る手を止めるという、目に見えてわかる動揺を見せてしまった。
「…なんのこと?」
声が上ずる。
心臓が早鐘を打ち始め、額に汗が滲んできたのもわかった。
「知らないふりするなら、もう少し上手にやってください」
あまり聞き慣れない怒気を含んだ声に里沙の肩が知らずに竦む。
「……あんなふうに無視されたら、いくら小春だって気づきます」
昼間の里沙の態度で気づくな、というほうが無理な話だ。
それほどあからさまだった。
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:26
- 返す言葉を見つけられず、だからと言って振り向くこともできず、里沙は黙り込んだまま俯いた。
どう答えるべきかに思考を巡らせたせいで、背後に近づく気配に気づくのが遅れた。
気づいたときにはもう、小春の腕の中だった。
抱き締められている、と理解したとき、里沙に生まれた最初の感情は畏怖だった。
今まで誰にも、こんなふうに抱きしめられたことはないぶん、その感情は一気に増幅する。
「こ、こはる…っ」
「聞いてたんなら、わかりますよね? 小春、新垣さんが」
言葉を発することで出来た隙を見つけて、里沙は必死でもがいた。
いくら身長の差はあると言っても腕力にはいうほど差はない。
それでも小春の腕の中から逃げだしたときはひどく息が上がっていた。
「新垣さん…」
小春に対して持ったことのない恐怖に似た感情で足元がふらつく。
それを耐えながら自分の荷物に手を伸ばし、出入り口に向かおうとしてドアの前に立ち塞がれた。
「…どいて」
「嫌です」
「小春! 怒るよ!」
「もう怒ってるじゃないですか」
自嘲気味に笑う小春が薄ら寒くて背筋が凍りつく。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:26
- 荷物を抱えた里沙に小春がゆっくりと手を伸ばしてくる。
寸前まで引き付けて身をかわしたけれど、身長差に比例して腕のリーチもやはり敵わず、
小春の大きな手が里沙の右手首を捕まえた。
強くひかれてバランスを崩した里沙の手からバッグが落ちる。
ファスナーを完全に閉めてなかったせいでバッグの中身が少し床に散らばったが、
そんなことお構いなしと言いたげに小春は里沙との距離を詰めてきた。
掴まれた手首を取り戻したいのにそのチカラは驚くほどびくともしない。
額に滲んだ汗が粒になってこめかみに流れたのがわかる。
里沙の手首を捕らえ、距離を詰めた小春がもう一方の里沙の手首も捕まえた。
そしてそのまま壁へと押し付ける。
「は、離して!」
「嫌です」
「こはる…っ」
「…新垣さん」
ゆっくり、小春の顔が里沙のほうへと近づいてきた。
何をしようとしているのかわからないほど里沙だって馬鹿ではない。
必死になってもがくが、普段の小春からは想像しがたいほどのチカラで押さえ込まれ、その手を振りほどけない。
「…やだっ! 小春…!」
顔を背けたら耳のそばで小春の息遣いが聞こえた。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:26
- そのとき、里沙の手首を掴む小春の手のチカラが不意に弱くなり、距離を詰められていたことで感じていた圧迫感が薄れた。
恐る恐る目を開けた里沙の目に、小春の背後から小春の肩を掴んでいた愛の姿が映り、
愛だと認めた途端、小春も里沙も違う意味でカラダが強張った。
愛はそのまま、掴んだ小春の肩を自分のほうへ強く引き寄せると、左手で小春の頬を勢いよくひっぱたいた。
皮膚を打つ乾いた音が室内に響き、小春がその場に尻もちをつく。
そして、静かに小春の前に腰を下ろした愛が、その胸倉を掴みあげた。
「…オマエ、自分のしたことわかってるか?」
抑揚の薄い声だったが、彼女を纏う空気はひどく尖っていて、小春の顔色が一気に蒼くなった。
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:27
- 「高橋さ…」
「何も言うな、今日はもう帰れ。そんで、帰ったらよーく頭冷やせ」
泣きそうな顔になった小春に、愛はゆっくり手をおろして立ち上がる。
「た、高橋さんっ、小春は…っ」
「…聞こえんかったか?」
その愛に縋ろうと立ち上がりかけた小春に再度振り向き、先ほどとはまた違った冷たい声色で愛は言った。
「帰れ」
短いのに鋭いその言葉の威力に圧倒されるように小春は口を噤み、ふらふらと立ち上がって自分の荷物に手を伸ばす。
そのあと里沙に視線を向け、ぺこりと一礼してから足早に部屋を出て行った。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:28
-
小春の駆けていく足音が遠のいて、里沙の膝からチカラが抜ける。
ずるずると壁伝いにしゃがみ込むと、里沙に振りかえった愛が慌てて歩み寄ってきた。
「大丈夫か?」
「愛、ちゃん…?」
「うん」
「帰ったんじゃ…」
「あー…やっぱり気になって」
申し訳なさそうに頭に手をやって、そのあとでそっと里沙の肩を撫でる。
「けど、戻ってきてよかった」
一気に緊張が解けて、安心した途端、里沙の手が震えだした。
「あ、は、はは、なんだろ、今頃震えてきちゃったよ…」
笑ってみせるが、自分を見る愛の目が困惑を浮かべていて、うまく笑えているとは到底思えなかった。
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:28
- 「……あい、ちゃ…」
「ん?」
「…っ、愛ちゃぁ…っ」
込み上げてきた安堵感が里沙の涙線を急激に弱くした。
その里沙を愛がゆっくり、静かに抱きよせる。
「大丈夫、もう大丈夫やで」
「…ぅ…、あ…、…愛、ちゃ…っ」
「よしよし、もう怖くない、もう大丈夫やから」
ぽんぽん、と、まるで子供をあやすように背中を撫でながら、愛は里沙が泣きやむまで、同じ言葉を繰り返し続けた。
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:30
-
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 00:30
- 本日はここまでです。
>>14-15
早速のレスありがとうございます。
がんばります。
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/17(月) 03:02
- 待ってましたよ〜例のお話ですね。
のっけから面白そうでかなり期待してます。
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:12
- 更新します。
- 32 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:12
-
- 33 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:13
- やがて落ち着いた里沙が愛から離れたのを見計らって、愛は楽屋を出て行った。
ひとりにされる不安が過ぎったが、愛はすぐにお茶のペットボトルを持って戻ってきた。
「泣いたら水分が必要やろ?」
少し意地悪そうに笑った愛に差し出されるまま、受け取ったペットボトルのキャップを開ける。
一口含み、喉を潤わせてから大きく息を吐いた。
「…どうする? このまま帰れる?」
「あー…」
「なんならウチ来てもええよ」
「…着替え持ってない」
「新しいヤツ予備あるし、そういう心配せんでも」
「…なんか、愛ちゃんの言い方、ちょっと、やらしい」
「そぉかあ?」
そういう声が既に半分ふざけていて、里沙の中でまだ少し残っていた緊張が薄れた。
はあっ、と息を吐き出して、キャップを閉じる。
- 34 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:13
- 「…ありがとね」
「ん?」
「それと、ごめんね、嘘ついて」
「……うん」
「ちゃんと話すから、聞いてくれる?」
「……言いたくなかったらええんよ?」
「ううん。愛ちゃんには、聞いてほしい」
本当に言いたくなければ愛は聞かないでいてくれるだろう。
けれど、さっきの自分と小春とのやりとりを見られてしまった以上、隠しておくことは愛を信用してないようにも思えた。
里沙の雰囲気から何かを悟ったように、床に腰を下ろしたままだった里沙の隣に愛も座った。
それを確認して大きく深呼吸した里沙は、今朝からの出来事をゆっくり話しはじめた。
- 35 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:14
-
話し終えて、もう一度深く息を吐き出す。
隣で愛は黙ったままだ。
「…小春が悪いんじゃない。あたしが無視とかしたからいけないの。それはわかってる」
「うん…」
「でも、ホント、びっくりしちゃってさ。まさかと思うじゃん。あたしなんて」
自嘲気味に笑って見せたら、愛は小さく息をついた。
「…それで、どうすんの」
「まずは謝らなきゃ。小春のほうがきっと傷ついてるし」
「やっぱ断るん?」
「…だって、小春のこと、そういうふうに見たことないし」
「そっか…」
愛を見ると、少しだけ切なそうに見えた。
- 36 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:14
- 「…ひとりで大丈夫か?」
「ん?」
「断るとき、一緒に行こか?」
「大丈夫だよ、ひとりで平気」
「そうか? またさっきみたいなことにならんって保証ないで?」
愛の言葉でさっきの出来事が里沙の脳裏に蘇る。
ふと視線を自分の手首に向けると、うっすらと痕が残っていて、少しだけ背筋が震えた。
しかし、そのすぐあとにこの部屋を出ていくときの小春の表情が浮かんだ。
後悔していると、反省していると、すぐに読み取れる表情をしていた。
何の気負いもなく笑う小春ではなく、大人の顔をした小春だった。
「…平気」
「ほんまに?」
「大丈夫、小春はもう、あんなことしないよ」
妙な確信があるのが自分でも不思議だったけれど。
- 37 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:14
- 愛はまだ何か思うところがあるようだったが、きっぱりと言い切った里沙に細く息を吐き出した。
そのまま静かに立ち上がり、里沙に振り向いてそっと手を差し出す。
「…わかった。里沙ちゃんがそう言うなら」
それは、自分の中での何かの決め事のように、里沙の言動を尊重するときの愛の口癖だ。
「明日、ちゃんと小春と話すよ」
小春が里沙の気持ちをどんなふうに受け入れてくれるかはまだわからなかったけれど、
伝えなくてはいけない言葉はたくさんある。
うまく伝わらないかも知れない。
傷つけてしまうだけかも知れない。
それでも。
小春の気持ちに対する答えはちゃんと出さなくてはいけないと里沙は思った。
愛の手を取りながら答えると、愛は静かに頷き、気持ちごと引き上げられるようにして里沙も立ち上がった。
- 38 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:15
-
◇◇◇
- 39 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:15
- 翌朝も同じ場所に同じ時間に集合だったが、打ち合わせがないぶん、入り時間には余裕があった。
それでも里沙は一番に楽屋入りした。
眠れなかったのも少しあるが、もともと里沙はあまり遅刻はしない。
それに、なんとなく、小春が早く来ている気がした。
けれどそれはただの予感でしかなく、次にやってきたのはさゆみだった。
その次に愛が続き、れいなと愛佳、ジュンジュンとリンリンがまだ眠そうな声でドアを開けた。
メンバーを迎えて定型文の挨拶を交わしてからも、里沙の意識は楽屋のドアに向けられたままで、
次こそ小春が来るだろうと思っていたのに、やってきたのは遅刻常習犯の絵里だった。
「今日は小春ちゃんが最後ですね」
「てか、集合時間過ぎとる」
愛のどこか呆れた口調より、さゆみの声がなぜか里沙の耳についた。
何気なく視線を巡らせると、どうやらこちらを見ていたらしい愛佳と目が合う。
何か言いたげに、けれどそれは言えないとわかる顔つきが里沙に少し苦い感じを与えたが、
曖昧にしてはいけないと思って微笑み返しても、愛佳の表情はかたいままだった。
- 40 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:15
- 「小春が遅刻とか、ちょっと珍しいよねえ」
絵里が時計を見ながら呟くように言ったとき、慌ただしく廊下を走ってくる音が聞こえた。
だんだん近づいてきた足音に楽屋内の空気が少し和み、小さな笑いがこぼれた瞬間、ドアが勢いよく開く。
「すいませんっ、遅刻しました!」
ドアを開けるなり被っていた帽子をとってぺこりと上半身を折る。
「寝坊したナ」
「おう、寝坊でぃ」
声をかけたのはジュンジュンだった。
その声に小春がおどけた調子で返す。
ひょっとしたら来ないつもりかと考えた自分を里沙は少し恥じた。
視界の端で小春に歩み寄ろうとした愛に気づき、その腕をそっと掴む。
驚いたよう振り向いた愛にゆっくり里沙が首を振ると、渋々、と言いたげに小さく頷いた。
- 41 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:16
- 「ま、許容範囲の遅刻だね」
里沙が諭すように言うと、小春の視線がハッとしたように里沙に向いた。
それに気づいて手を挙げようとしたのに、その手が動く前に、小春は里沙から目を逸らしてしまった。
けれど、その口元は笑っている。
笑いながら、さゆみやジュンジュンと話している。
すぐに違和感が里沙を包んだが、里沙はそれをすぐに拭った。
たまたま、里沙の手が挙がる前にさゆみやジュンジュンに意識が向いただけだ。
目を逸らされたと感じたのは気のせいだ。
しかしそのあと、小春と話す機会はおろか、一度も目が合うことなく時間は過ぎ、
結局、話しかける雰囲気すら持たせてもらえないまま、その日の仕事は終わってしまった。
- 42 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:16
-
明日はオフだという日の帰り支度は、いつも以上に早くなるメンバーと、その逆のメンバーがいる。
里沙はどちらかといえば後者だが、れいなや愛佳は前者だ。
小春も遅いほうだが、なぜか今日に限って一番に帰ってしまった。
そうされてますます、避けられていると実感した。
今日の里沙と小春は、昨日とまるで立場が逆転していた。
昨日の里沙が小春に向けた態度はあからさまではあっても、周囲が眉をひそめるほどではなかったと思う。
その証拠に、昨日は何も言わなかった絵里とさゆみが、今日は小春との接し方の不自然さを里沙に尋ねてきた。
それほど、小春の里沙に対する避け方が露骨だったということだ。
なんでもないと曖昧にかわしたけれど、ふたりの表情からは腑に落ちていないことが顕著に伝わってきて、
そのあとに続ける言葉に迷っていると、食い下がるふたりを愛がなだめてくれた。
- 43 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:16
- 適当に話を合わせて、3人がそろって楽屋を出ていく。
他のメンバーはすでに帰宅していたので、3人が出て行ってしまったあとは里沙ひとりが残された。
9人いれば狭いと感じる楽屋も、ひとりでいると広く、さびしく感じてしまう。
まして今日はそう感じてばかりの一日だった。
小春に避けられて傷つきながら、里沙は、その心の痛みを小春も感じていたのだと改めて思った。
いや、きっと小春のほうが、今日の里沙が感じた以上の痛みを受けただろう。
自分のしたことの軽率さが里沙をひどく落ち込ませる。
もっと方法はあったはずなのに、どうしてあんなふうに小春を傷つけることしかできなかったのか。
里沙にとっての小春はそういう対象ではないから、小春の気持ちに応えることはできない。
でも、それならば態度で示さず、言うべき言葉だってあったはずじゃないのか?
このままでいるのはもっと嫌だ、と里沙は強く思った。
自分が傷つくことだって嫌だけれど、自分のせいで誰かが傷つくのはもっと嫌だ。
深く息を吐き出すと、まだ途中だった帰り支度を手早く済ませ、生まれた決意を胸に、楽屋をあとにした。
- 44 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:16
-
- 45 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 00:18
- 本日はここまでです。
微妙な進み方ですいません。
>>30
ひょっとして私のことをご存じの方ですか?w
- 46 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/20(木) 01:13
- 30です。あっちも楽しく拝見させて頂いてます。
こっそりとこの話が始まるのを今か今かと待ちわびてましたw
これからも楽しみにしてますね。
- 47 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/22(土) 00:02
- あっちもこっちも見てるよ。
あの人かな?って思ってる人、多いんじゃね?w
- 48 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:30
- 更新します。
- 49 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:30
-
- 50 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:30
-
◇◇◇
- 51 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:30
- じっくり時間をかけてここまで来たのに、家の窓から見た朝日はまだ真上にも来ていない。
けれど、この時期の気温は陽気に反して低く、太陽光はあっても吐く息は白く霞む。
ひとつめの自動ドアを抜けながら、里沙は大きく深呼吸した。
じっくりと吐き出してから、ふたつめの自動ドアの手前にある操作盤で、目的の部屋の番号を入力して呼出ボタンを押した。
「はい」
さほど待つことなく通話口から聞こえてきた声は知らない声だったが、それは想定内だったので特には困らなかった。
「おはようございます、新垣里沙です」
「え? 新垣さん?」
「はい。突然来てしまってすいません」
「いえいえ」
応対に出たのは同居している姉だろう。
確か里沙とそんなに年は変わらなかったはずだが、里沙の口調につられるように彼女の声も接客用に聞こえた。
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:31
- 「…あの、小春ちゃん、いますか?」
「ええ、まだ部屋にいますけど、たぶん起きてます。…あ、鍵開けますね、そのままいらしてください」
「はい、ありがとうございます」
見えないとわかってても思わず頭を下げると同時に、ふたつめの自動ドアが開いた。
エレベーターに乗り込み、目的階のボタンを押してからもう一度深呼吸した。
きっと、彼女はまだ部屋にいる小春に里沙の来訪を知らせただろう。
それを聞いて、小春はどうするだろうか。
昨日のように里沙を避けることは容易ではない。
追い返すことも姉が里沙の来訪を許可した以上、できないだろう。
だからといって友好的に迎え入れられるとも思えない。
しかし、たとえどんな態度で迎えられたとしても、里沙の決意は変わらない。
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:31
- 大きく深呼吸してから玄関チャイムを鳴らすと、少しの間を置いてから内側のチェーンを外す音と施錠が解かれる音がした。
出かけるところだったのか、顔を出した小春の姉は身綺麗なスーツ姿で左腕には薄手のハーフコートを持っていた。
「こんにちは、突然すいません」
里沙が頭を下げると、彼女はやわらかく頷いて、里沙を招き入れた。
「あの、ひょっとして、お出かけに?」
「はい」
「あ、じゃあ、手短かに済ませますんで」
「いえいえ。小春しかいませんし、気にしないで上がってください」
今の口調から、同居しているはずのもうひとりの兄も出かけているとわかる。
里沙と入れ替わるように、彼女はブーツを履いた。
「小春ちゃんは、部屋ですか?」
「ええ、リビングの奥の部屋にいますよ。
起きてますけど、まだ寝起きなんじゃないかな、新垣さんが来てるって言ったらすごい慌ててたから」
少し恥ずかしそうに笑った彼女は、里沙に玄関の鍵を閉めておくよう頼むと、あっさりと出て行ってしまった。
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:31
- ドアの閉じた音がやけに響いて、その音は落ち着かせてきたはずの里沙の気持ちを少しだけ追い込んだ。
できればふたりだけで話したいと思っていたから兄も姉も出かけてくれたのは好都合ではあったが、
思った以上にあっさりしすぎていて、肩透かしを食らったような気分になる。
ふっ、と短めに息をついて足元を見ながら用意されたスリッパを履いたとき、部屋の奥に人の気配がした。
思わず頭をあげると、少し怒ったような顔をした小春が、部屋着とわかるジャージ姿で立っていた。
「おはよ」
いつものように挨拶を先にして、里沙はゆっくりと小春に向かって足を踏み出した。
しかし、小春のもとに近づくのを拒むように、リビングに通じるドアを閉じられる。
「何の用ですか」
里沙の行動をどう感じたのか、感情を押し殺したような静かな声で小春は言った。
半透明なドアを一枚隔てただけなので、表情は読み取りにくくなったが声は聞こえる。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:32
- 「…わかってるでしょ?」
「帰ってください」
「まだ何も言ってないじゃん」
「言われなくてもわかります。聞きたくないんで、帰ってください」
「じゃあ、これからも毎日このままってわけ? そういうわけにもいかないでしょ?
明日からも昨日みたいなままでいたら、みんなが変に思うでしょうが」
近づいてきた里沙から逃げるように小春はドアから離れた。
ドアを開けると、里沙が小春の姿を捕らえる前に、小春は自分の部屋に引っ込んでしまった。
「小春」
そっとドアに近づいてノックする。
もちろん返事は返ってこない。
ドアノブを握ってゆっくり回すと、どうやら内側から鍵は掛けられないらしい。
一瞬ためらったけれど、それでも里沙はドアを開けた。
「小春?」
そっと部屋の中を覗き込むと、小春はベッドの上で毛布を頭までかぶって全身を隠していた。
不用意に近づいても小春を追い込むだけな気がして、ドアのそばに立ったまま、里沙は大きく息を吸い込む。
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:32
- 「ね、ちゃんと顔見て話をしようよ」
「…小春は、何も言うことなんてないです」
「ホントに?」
ベッドの上の大きな塊が、里沙の問いかけに言葉を失ったように小さく揺れた。
「あたしはあるよ。小春に言うこと、言いたいこと、言っておきたいこと、いっぱいある。
あたしがこんなにあるんだから、小春にないわけがない」
ずいぶん自分本位な言い方をしたとは思ったが、事実そうなのだから、他に言葉を選べなかった。
「……じゃあ、新垣さんから話してください」
そう切り返されることは想定内だった。
会ってくれないとさえ思っていたから、こうやって顔を見ないまでも向きあえたことに、里沙は少なからずホッとする。
「いいよ」
里沙が答えたとき、ほんの少し、部屋の空気が張った気がした。
「…その前にさ、小春、なんで昨日、あたしを避けたの?」
ゆっくりとベッドに近づき、ベッドの端に腰をおろすと、小春を包んでいた毛布が目に見えて大きく揺らいだ。
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:32
- 「…て、聞くのはずるいか、あたしが先に小春を避けたんだもんね。
でも、でもさ、なんていうか、あんなふうに避けられて初めてわかったんだよね。
あたし、小春のこと、すごい傷つけちゃったんだなって」
話しながらも、すぐ脇で身を隠す小春のようすを見守る。
「あのとき、あたし、もっと違うことだって言えたんじゃないかって。
なんでもっと小春のこと、考えてあげられなかったんだろって…、昨夜ね、ずっと考えてた。
小春のこと、たぶん、初めて会ってから今までで一番考えた気がする」
少し迷ったけれど、そっと小春のほうに手を伸ばしてみた。
肩のあたりに見当をつけて撫でてみたが、拒絶らしい拒絶は受けなかった。
「小春はあたしのどこが好きなのか、とか、いつからなのか、とか、そういうのも考えてみたけど、
でも、そういうのは考えるの途中でやめた。だってあたし、どんなに考えても小春のこと、そんなふうには見れないもん」
撫でていた肩が大きく揺らいだ。
こく、と、そこで一度、息を飲む。
「…ひどいこと言ってるよね。でも、小春があたしのどこを好きになってくれたのかを知ったって、
あたしは小春のことをそういうふうには好きになれないから…」
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:32
- そこまで言ったとき、毛布に隠れていた小春がそれを払いよけて起き上がった。
驚いたようにカラダを引いた里沙の手を強引に掴んで引きよせ、
器用に態勢を変えながら里沙をベッドへと押し倒すと、2人分の体重でベッドが深く沈んだ。
「…逃げないんですね」
「うん」
「いいんですか? 小春、何するかわかりませんよ?」
自棄になった口調で小春は言い放ち、掴んだ里沙の手首にチカラを込める。
「お姉ちゃんたち出かけちゃったし、ここは防音設備もいいから、叫んでも誰も助けにきてくれませんよ?」
そんなふうに脅してみせても、里沙は顔色を変えなかった。
小春を見上げるその表情には、むしろ、淋しささえ浮かんで見える。
両手の自由を奪われ、逃げられないようにベッドに倒されたのにもかかわらず、里沙は怯えた表情すら見せなかった。
慌てたようすも見せないことから、小春は、自分がこういう態度に出ることを里沙が予想していたのだと気づく。
それは、ほんの少し、小春を傷つけたのだけれど。
- 59 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:33
- 「…こういうことになるって、思ってたんですね」
「思ってないよ」
「…ホントに?」
「うん。だって、小春はもう絶対、あたしを泣かせるようなことはしないもん」
言いきった里沙の声色の強さに、里沙への反抗心が急激に萎れた。
告げられた言葉はもちろんだが、声の強さも同じだけ、小春への信頼を意味すると気づいたからだ。
掴んでいた里沙の手を離し、ゆるゆると小春が身を起こす。
それに続くように起き上がってきた里沙と目が合うと、小春は表情を険しそうに歪めてから、ベッドの端まで下がって両膝を抱えた。
「……ごめん、なさい…」
「なんであやまるの?」
「…こないだ…、今日も少し…乱暴にしました…」
「ああ…、うん、大丈夫、そのことなら怒ってないよ」
顔を見られないように身を縮めているのもあったけれど、今の小春は里沙にはずいぶん小さく見えた。
そうしたくて里沙を押し倒したんじゃないことはすぐにわかった。
あの日のように怖がらせて、自分を遠ざけようとしただけだということも。
ではなぜ、怖がらせる必要があったのだろう。
「…怒ってないけど…、それより、避けられたほうがショックだったな」
- 60 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:33
- 小春の気持ちを知ったあの日。
今まで見たこともないような顔を見せた小春に確かに畏怖を感じた。
けれど、そのことよりも小春から目を逸らされたことのほうが里沙にはショックだった。
小春から避けられて初めて、小春の心の痛みに気づいたほどに。
「ね、小春?」
優しく呼びかけると小春の肩が僅かに揺れた。
「もう一回聞くけど…、小春はどうして、あたしを避けたの?」
そっと小春に近づき、俯かせた頭に手をのばす。
ゆっくり頭を撫でてやると、滅多にそんなことはしないせいか、弾かれたように頭を上げた。
目が合ってハッとする。
大きな目が、真っ赤に充血していた。
「小春…」
里沙の反応で泣き顔を見られたことに気づいたのか、小春は慌てて俯いた。
それでも里沙が頭を撫でるのを止めずにいると、すん、と弱く洟を啜ったあとで俯かせていた顔を少しだけ上げた。
- 61 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:33
- 「…き…、嫌われ、たく、なくて…」
「うん…?」
「嫌いって、言われるのが、怖くて…、そんなの、聞きたくなかったんです…」
「…だから、避けたの?」
「だって、あんなことしたもん。嫌われても仕方ないって思ったけど、でも、言われたくなかったもん…」
ぎゅ、と、着ていた部屋着の袖口を掴んだ小春。
唇を噛みながら、きっと今も、その言葉に怯えているのだろう。
「小春」
さっき呼びかけたときより少し声色を強くすると、小春も何かを察したように大きく肩を揺らした。
しばらくそのまま何も言わずにいると、やがて決心がついたかのように小春は深く息を吐いた。
里沙の視線から逃げるように俯かせていた頭も上げ、こくりと僅かに頷いて見せる。
「はっきり言うね?」
「…はい」
真一文字に引き結ばれた口元が凛々しく感じられて、不思議と胸が鳴った。
「あたしは、小春のことを、嫌いになったりしません」
- 62 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:34
- それは当然、小春には意外な言葉だったようで。
里沙の言葉がよく理解できなかった小春は、眉根を寄せながら里沙を見つめた。
思ったとおりの反応で、里沙は思わず苦笑する。
「…こういうのってたぶん…ううん、絶対卑怯だと思うんだけど…、
小春があたしのことを好きなようにあたしは小春を好きじゃないけど、でも、小春のこと、嫌いじゃないよ。
ていうか、嫌いになんてなれないよ」
まだよく掴めていないようすに、里沙は更に口元を緩める。
「小春とは恋人にはなれない。でも、妹みたいに、家族みたいに、小春のこと、好きだよ」
ようやく伝わったのか、赤く充血していた大きな目を更に大きく見開いた。
「…小春のこと…嫌いになったんじゃ、ないんですか?」
「うん」
「嫌いに…、ならない?」
「ならないよ。…たぶん、一生、嫌いになんかならないと思うな」
その言葉のあと、しばらく里沙の顔を呆然としたようすで見つめていた小春だったが、
不意に、その目尻からはらりと涙が一粒、零れ落ちた。
- 63 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:34
- 「えっ、ちょ、小春?」
泣かれることは予想していたが、こんなふうに涙を見せられるとは思わなくて、里沙は少し慌てた。
「ごめん…、やっぱ、こういうのじゃダメだよね。そういう好きじゃ、ダメだよね…」
小春の肩を抱き、頭を撫でながら、里沙は弱々しく告げた。
ここに来てから今が一番弱っているとわかるのに、
そんな里沙に、ここ数日ずっと吹き荒れるだけだった小春の胸の奥がゆっくりとあたたまる。
ふるりと首を左右に振り、里沙の手を掴んでその顔を見ると、ずいぶん情けない顔をしていて、なんだかおかしくなる。
笑いたくなるほど、気持ちが満たされていくのがわかる。
「ダメじゃないです…。うれしい…」
「小春?」
「…ホントは、小春と同じ『好き』に、なってほしいけど…でも…嫌われたんじゃないなら、それで…」
次々と零れ落ちてくる涙の意味を知って、里沙はためらいながらも、胸に抱きこむように小春の頭を抱き締めた。
- 64 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:34
- 「…ごめんね、ごめん…」
「いいんです、あやまらないでください。もう…それだけで、いいです…」
「小春のこと好きだよ、ホントに、ホントに、大好きだから」
でもそれは自分と同じ色をしていない、同じ音をしていない。
きっと、何があっても、自分の色や音と混ざりあうことはない。
けれど、小春は嬉しかった。
里沙が自分を好きだと言ってくれる、その色が、その音が嬉しかった。
嘘や虚飾で塗られていない、まぎれもない里沙の本心だとわかるから。
「…小春も、新垣さんが、大好きです」
届くことのない言葉を、精一杯の想いを乗せて紡ぐ。
里沙は何も答えなかったけれど、零れ続ける涙が枯れるまで、小春を抱き締め続けた。
- 65 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:34
-
- 66 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/24(月) 23:34
- 本日はここまでです。
次回で一区切りとなります。
>>46-47
>>あっち
シーーーッ!! それは言っちゃダメです!
…というか、やはり書き方でバレてしまうものなんでしょうか…
- 67 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/25(火) 23:47
- 毎回お話の中に引き込まれます…
うーん、気づく人は気づくんじゃないかとw
でも気にせず書いて頂けたら嬉しいなと思います
やっぱり作者さんのお話大好きなので…
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:46
- 更新します。
- 69 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:46
-
- 70 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:48
- 小春の涙が止まったあともしばらくそのままの態勢でいたふたりだったけれど、
不意に小春の腹が空腹を知らせ、お互い、顔を見合せて笑った。
さっきまで漂っていた緊張感は不思議と薄くなっていて、
里沙も小春も、完全とは言えなくても、すっきりした感覚に包まれていた。
- 71 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:48
- 朝食がまだだった小春に誘われ、里沙もダイニングテーブルの椅子に座った。
すると、それを計っていたかのように、バッグの中の携帯が着信を知らせて小刻みに震える。
履歴を見ると、母親からのメールだった。
何か急用だろうかとメールボックスを開き、そこにある内容を読んで少し驚いた。
けれど、状況を想像して、次第に口元が緩んでくる。
それを見ていた小春が不思議そうに首を傾げた。
「誰からですか?」
ミニサイズのクロワッサンを更に半分に千切って口の中に放り込んでから小春は尋ねる。
「あー、うん、ママから。…て、こら、口に入れたまま喋らないの」
「急用ですか?」
「ううん、そういうんじゃなくて…」
言いながら、ふと、何かが閃いた。
まさかと思うが、小春に断りをいれてリビングの向こうの窓に近づき、遮光カーテンをそろりと開けた。
そこからはマンションのエントランスの、更に外側が見える。
車両や人の行き違いはあまり見られないその場所に、ひとつの不審そうな影を見つけ、里沙は思わず脱力してしまった。
- 72 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:48
- 「新垣さん? どうしたんですか? …あ、」
里沙に歩み寄ってきた小春が、軽く背伸びして里沙の見ている先を同じように見た。
そして里沙と同じように、そこにいる人影を見つけたようだった。
無言のまま、里沙と小春は思わずお互いの顔を見合わせる。
どうしたものか、と息を漏らした里沙に、小春が先に笑った。
「もう帰ったほうがいいですよ」
「え?」
「だって、アレ、早くしないと職務質問受けちゃうかも知れないし」
窓の外を指差してニヤリと笑う小春に、その状況を想像した里沙が吹き出した。
「…それは困るねえ」
「困りますよねえ」
笑い合いながら、自然と以前のような空気が戻りつつあることに里沙はホッとしていた。
とはいえ、小春が無理をしていることぐらいはわかる。
それでもそう演じてくれているのなら、気付かないふりをするほうがいい気がした。
- 73 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:48
- 「じゃあ、あたし、帰るね」
「はい」
「またあしたね。明日は遅刻しないでよ?」
「しませんよ」
心外だと言いたげに唇を尖らせた小春にエレベーターホールまで見送ってもらう。
「あのね、新垣さん」
到着したエレベーターに乗り込み、目的階のボタンを押したところで不意に小春が切り出したので、
里沙は反射的に開くボタンに指を押し付けた。
「ん?」
「…今は無理でも、いつかまた、小春にも好きな人ができると思うんです」
「うん…?」
「でも、たぶんきっと、こういう気持ちになるのは新垣さんにだけだと思います」
「こは、る…?」
「…これで、ホントに最後にしますね」
そのときの小春の表情は、きっと一生忘れられない、と里沙は思った。
心臓が鳴ったと同時に、ボタンを押していた指も自然と離れる。
「たとえば将来、いつか会うことがなくなっても、小春は、新垣さんのことがずっと好きです」
「こは…」
小春の名前を告げる以外、何も言葉が見つからない。
それほど、小春のすべてが潔い凛々しさを漂わせていた。
- 74 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:49
- 「お疲れさまでした、またあした!」
小春らしい、少し高いキーの声で言われてすぐ、扉は閉まった。
もう一度開くボタンを押すことはできなかった。
小春の姿が見えなくなる瞬間、自分は笑えただろうか。
最後の最後でまた小春を傷つけた気がした。
けれど、里沙に残された道は明日からも今までどおりに小春と向き合うことだけだ。
小春の気持ちは無視できないが、それでも知らないふりで、気づかないふりで過ごすことだけ。
そしてそれは、小春も同じなのだ。
改めて自分の置かれた立場を思い知る。
小春に負わせた傷を思い知る。
でももう、これ以上は里沙にはどうすることもできない。
小春を大事に思うことはできても、小春を選ぶことはできないのだ。
- 75 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:49
- 階下に到着し、扉が開いて一歩を踏み出す。
エントランスの向こう、二重にある自動ドアの向こうに、
小春の部屋の窓から見た人影はまだそこにあり、何やら思案気に右へ左へとうろうろしていた。
それを見て、里沙は唇を噛む。
彼女にまで自分の弱さを背負わせてはならない。
自分の弱さは自分のものでしかなく、そしてそれは、自分で克服するしかないのだから。
このマンションに入ったときと同じ深呼吸をひとつしてから、里沙は自動ドアを抜けた。
マンションを出て、こちらにまだ気づかないでうろうろしている彼女に、里沙は深く深く息を吐き出す。
そのあとで、呆れていることを前面に押し出しながら呼びかけた。
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:49
- 「ちょっと、愛ちゃん?」
呼ばれた当人は、文字通り悲鳴を上げて飛び上がった。
「りっ、里沙ちゃん…っ?」
「何やってんの、こんなとこで」
「あ、いや、あの、たまたま、この近く通りがかっただけで、あの、別に、その…」
しどろもどろになっている愛を腕組みしながら不審そうに上から下まで舐めるように眺めると、
愛は観念したようにがくりと肩を落とし、大きく項垂れた。
「…バレてる?」
「バレバレです。てか、あたしの家に来たんだって?」
「えっ、なんで知って」
「ママからメールきたの。約束してたの愛ちゃんじゃなかったの?って聞かれちゃったじゃん」
あー、と、情けない声を出しながら愛はまた肩を落とす。
「なんか、あーし、カッコわる…」
「心配してきてくれたんだ?」
「……うん」
変に言い訳しても無駄だと悟ったのか、愛は素直に頷いた。
- 77 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:50
- 「そしたらもう出かけたって言われて…。小春のとこってすぐわかったけど、だからって乗り込むのもどうかと思ったし、
里沙ちゃんは里沙ちゃんで何か思うことあったから来たと思ったし…」
「…大丈夫だよ」
「えっ?」
「もう大丈夫。ちゃんと話し合ってきた。…しばらくはギクシャクしちゃうかもだけど」
「え、え? 小春、納得したんか?」
「うん」
それ以上は言う必要はないと思った。
愛は知りたそうだったが、言うべきではないと思ったし、2人だけの秘密にしておきたい気持ちもあった。
「だから愛ちゃんも、もう変に気を回したりしないでいいからね」
愛の顔は見ないまま、里沙は歩き出した。
その里沙を慌てて愛も追いかけてくる。
「あ、の、里沙ちゃん…」
「もう他には何も話すことなんてないよ? さっき言ったこと以外、ホントに何もなかったんだし」
「あ…、うん、わかった…」
深追いするなと言われた以上、愛はそれ以上はもう聞いてこないだろう。
少し申し訳なくも思ったけれど、小春のためにも、このことをいつまでも引きずってはいられない。
- 78 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:50
- しばらくそのまま、ふたり並んで歩きながらも無言でいたが、沈黙に耐えきれなくなったように愛がぽそりと口を開いた。
「…もう帰るんか?」
「ん?」
「あ、いや、なんもない」
聞き取れなかったと勘違いしたのか、愛は指先で軽く鼻の頭をかいた。
そのようすが、里沙に再び申し訳ない気持ちを生ませた。
「…ねえ、愛ちゃんはこのあと何か予定あるの?」
「へ?」
「なんか、おなか空いちゃったんだよねー。予定ないなら一緒に何か食べに行かない?」
「あっ、うんうん、ないない。めっちゃ暇や。おなかもすいてるし、行く行く」
里沙の提案にホッとしたように愛が笑う。
心配してくれてきてくれたことに、そのときになってようやく、里沙は愛への感謝の気持ちを持った。
けれど改めて口に出すのは恥ずかしさもあり、今更素直になれそうにもない。
だから、何にも言わずに愛の手を掴んだ。
言葉で言うより、そのほうが伝わる気がした。
- 79 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:50
- 「…里沙ちゃん?」
「あー。何食べよっかなー、やっぱ韓国料理かなー、辛いの食べたい」
愛の視線に気づかないフリをしたけど、きっと顔は赤くなっているだろう。
そして、そのことに愛はすぐに気が付くだろう。
なんだか余計に恥ずかしくなったけれど、愛は何も聞かずに里沙の手を掴み返してきた。
「ええよー、里沙ちゃんのオゴリな!」
「ええっ! なんでよ!」
「誘ったんはそっちやろー」
「愛ちゃん年上でしょーが!」
「同期に年の差は関係アリマセーン」
何気ない会話が里沙に日常をつれてくる。
明日からはまた、以前のような日々が戻ってくるだろう。
すぐには緊張は拭えないかも知れない。
それでも、いつもどおりに過ごすことが里沙が小春にしてやれる精一杯のことだと思った。
愛との意味をなさない会話を繰り返しながら、里沙は、心でそっと、小春へ頭を下げた。
- 80 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:50
-
- 81 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/28(金) 23:51
- 本日はここまでです。
今回で一区切りとなります。
次の更新は早くても12月後半になるかと思います、申し訳ありません。
>>67
レスありがとうございます。
やっぱり私のことをご存じの(ry
- 82 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/11/30(日) 20:29
- 久住をそうゆう対象で見れない新垣にもいつか恋に落ちる相手が出てくるのかこの先が気になってます
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/01(月) 09:48
- まだ続くんですね!
でもこの先どうなっていくのかな?
更新楽しみにしてます!
- 84 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/08(月) 00:37
- いつか恋に落ちる相手が心配してくれるあの人であってほしい…
更新楽しみに待ってます!!
- 85 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/16(火) 18:43
- おんなじこと思う・・。
更新楽しみです!
- 86 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:52
- 更新します。
- 87 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:52
-
- 88 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:52
- 季節は少しずつ移り、暦のうえではもう春だというのに、吐く息は深い白のままだ。
目で見る景色が変わったからといっても、半年先まで詰まっている毎日のスケジュールに目立った変化はない。
今日は、来月末からスタートする春のコンサートツアーの販促用の撮影があり、そのあとにツアーの打ちあわせがある。
集合時間に合わせて、ひとり、またひとりとメンバーが集まってきて、楽屋も次第に賑やかになっていく。
携帯を触る者もいれば雑誌に夢中の者もいるし、昨夜見たテレビの内容や家族との会話で話題を広げている者もいる。
そして、今日も今日とて、メンバー1の元気印、小春は楽しそうに喋っている。
その声は時折甲高いものになり、楽屋に置かれている長机の端で今日の進行表を見ていた里沙の耳にも届いた。
- 89 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:52
- 「ちょっと小春、うるさいよー、静かにしてー」
「はーい、ごめんなさーい」
愛想のいい返事が返ってきたが、それはあまり意味のなさないものだというのは里沙も理解していた。
思ったとおり、すぐにまた小春のはしゃいだ声は里沙の耳につき、再度注意することになる。
しかし、里沙と小春との間に流れる空気は決して刺々しいものではなく、
他のメンバーにはそういったやりとりですら楽しんでいるようにとれる和やかさがあった。
他愛ないことが日常的に繰り返されることで、平和で穏やかな日々なのだと、誰もが思えた。
- 90 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:53
- 3度目の注意をした里沙が小さく息をついて進行表に目を戻すと、
いつ来たのか、机を挟んだ向かい側に絵里が座っていた。
「おー、おはよ、カメ」
「おはよー」
ニコニコした面持ちで自分を眺める絵里につられて里沙の口元も緩む。
後輩だけど同い年の絵里は、同期である愛とはまた違った安心感を持てる相手だった。
愛とは付き合いの長さもあるが、絵里の持つ独特な雰囲気は里沙の波長と合うようで、
いつだって自然体でいられる居心地のいい相手だ。
「どったの、ニヤニヤして」
「ニヤニヤって、ひどいな、ニコニコって言ってよ」
「カメの笑い方はなんか、やらしいんだよ」
「ひっどーい」
特に意味を持たないそんな会話が日々の安堵を連れてくる。
- 91 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:53
- 「なんかいいことでもあった?」
「んー、そういうわけでもないけど」
「なに?」
「ガキさんが、楽しそうだから」
「はあ?」
唐突に言われて、里沙の声が裏返る。
その声は小春の甲高いそれとは似ても似つかないが、それでも周囲の視線は向けられた。
いつものようにまた絵里が突拍子のない話をしたのだろうと思われたのか、すぐに注意は逸らされたけれど。
「変なこと言うねえ。毎日楽しいけど?」
「うん。でも、少し前までは、やっぱりちょっと、どっか無理してるみたいだったし」
どきりと小さく、里沙の胸が鳴った。
当たらずとも遠からず、絵里の言葉に里沙自身、身に覚えがあったせいだ。
- 92 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:53
- 「…そっかな」
「うん。ていうかね、はっきり言っちゃえば、小春と元通りになってくれて、安心したの。
小春もガキさんも、前みたいに楽しそうだから」
繕えたはずのポーカーフェイスは、的のど真ん中を射た絵里の指摘にあっさり崩れてしまった。
「…カメ? それは、どういう…」
周囲にいるメンバー、その中でも誰より当人でもある小春に動揺していることを悟られたくなくて声色を潜めてみたが、
絵里はそういった里沙の反応もどこか予測していたかのように笑うだけで。
「言葉のとおりだよ」
詳しくは言おうとしないけれど、
今より少し前に里沙と小春との間に起きた波風を、絵里が知っているのだということはわかった。
「…小春、に、聞いたの?」
「ううん」
笑顔のまま、絵里は首を振った。
- 93 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:54
- 「じゃ、なんで知って…」
そこまで言葉にしてから、当事者である自分たち以外にこのことを知っている人間の顔が浮かんだ。
「…まさか、愛ちゃんから聞いたの?」
里沙の口から出た名前に、絵里は笑顔を消して驚いたように目を開き、顎を引いた。
その反応が里沙の言葉を肯定したようにとれて、途端に里沙の顔が熱くなった。
こちらから口止めなどしなくたって、愛は何があっても言わないと信じていたのに。
「…愛ちゃん、カメに話したの?」
声色が変わったことに気づいた絵里は、すぐに口元を引き結んで首を振った。
「違うよ」
「…うそ」
「嘘じゃないってば。…てか、愛ちゃんも知ってたことのほうが絵里には驚きなんですけど」
少し不本意そうに唇の形をへの字にした絵里に、里沙は咄嗟に首を傾げた。
愛から聞いたわけではないとすれば、どうやって知ったのだろう?
自分たちの態度は、何が起きたか目に見えてわかるほどだったのだろうか?
- 94 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:54
- 困惑している里沙に気づいて、絵里は机の上に少し身を乗り出すようにして里沙に顔を近づけた。
「…なんで? って顔してるよ」
「だって」
「誰かに聞いたわけじゃないよ。でも、絵里にはわかるの」
「…超能力とかあるわけ?」
「うん、実は」
真顔で返されたが、茶化されている気分になった。
「カメ、真面目に…」
「結構真面目に話してるつもりなんだけどな」
絵里の口元が一瞬だけきつく結ばれた気がした。
けれどそんな気がしただけで、里沙が見つめる絵里の口元は見ている側を和ませる、ゆるんだものでしかなくて。
「…絵里ね、きっと、ガキさんに対してだけ、超能力が使える気がするんだ。
それってきっとね、ガキさんが絵里にとって特別な人だからなんだって思うんだ」
口は笑っているが、絵里の目はまっすぐ里沙の目を見ていた。
- 95 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:54
- 里沙の心臓が跳ねる。
その目の色には覚えがあった。
笑っているように見えても、真摯な眼差しが訴えるもの。
まっすぐ見つめられて感じ取れるもの。
それは、あの日の小春と同じ。
自分に向けられる好意に気づけないときの情けなさと相手への申し訳なさを味わった過去の経験が、
里沙自身の感情察知をその頃より少しだけ過敏にさせていた。
だから気づくことができた。
絵里の、自分への気持ちに。
いや、こんなふうに言われるまで気づかなかったのだから、過敏になったとは言えないのかも知れないけれど。
- 96 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:55
- 今度は小春のときのような失態を起こすことはなかった。
それは里沙が理性的な対応をとれたからではなく、ちょっとした悪戯が見つかったときのように絵里が笑ったからだ。
「なーんてね」
「え?」
軽い口調で言って、絵里はゆっくり里沙から離れるように椅子の背もたれに重心を戻した。
「んとね、愛ちゃんの名誉のために言うけど、絵里、愛ちゃんからは何も聞いてないから。
もちろん、小春にも聞いてないよ。ていうか、ふたりとも、そういうこと言うタイプじゃないじゃん。
誰に聞いたとか何でわかったかとか、そんなのどうでもいいじゃん。
絵里はさ、ガキさんと小春が前みたいに戻ってくれて、嬉しいだけだよ」
そう言って微笑む絵里の口元はとても穏やかだった。
作為的な企みは本当にないのだとわかる。
けれど。
気づいてしまった絵里の気持ちに知らないフリはできなかった。
絵里自身、さっきの言葉で本気で誤魔化せたとは思っていないようで、里沙に向ける視線もどこか思案気だ。
- 97 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:55
- 「あの、カメ…?」
どう切り出すべきか、と里沙が唇を舐めたとき、楽屋の扉が不意に開いてマネージャーが現れた。
大人数が一度に着替えるには空間が少々狭く、
たいていは集合場所からまた数人ずつ移動してその先で衣装替えをする。
個別の撮影時などは終了した者から楽屋に戻って着替えることもあり、
順序はその日その日で違っているので、マネージャーが指示したメンバーから部屋を出ていくことになっていた。
今日は里沙が早々に呼ばれてしまったので、聞きたいことも言いたいことも充分には話せずじまいになってしまった。
仕事が始まってしまえば、雑談はできても深刻な話はしづらい。
そもそも、肩のチカラを抜いて簡単に話せるような話題ではなかった。
部屋を出ていく直前、振り返ったそこにいた絵里が里沙に向けて手をヒラヒラと振って見せた。
それが、動揺させてしまった里沙に対する絵里なりの気遣いだとわからないほど里沙も鈍くない。
でも、何と言って声をかければいいか咄嗟に思い浮かばず、結局、無言で頷き返すことしかできなかった。
- 98 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:55
-
- 99 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/22(月) 22:56
- 本日はここまでです。
年内にもう一度更新予定です。
>>82-85
レスありがとうございます。
でもきっと、皆さんの期待を裏切った気がします。
あと、更新時にはageますので、
感想などのレスをいただける場合、sageでお願いいたします。
- 100 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/23(火) 20:58
- ちょっと意外・・!?
期待してます
- 101 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/23(火) 21:05
- 意外や意外!
でもこれはこれで良いのではないでしょうか?
続きを楽しみに待ってます!
- 102 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2008/12/23(火) 23:55
- おぉ、こう来ましたか…!
しかしまだまだ分からないので、続きどうなるか楽しみです
>>100さん
sageでお願いしますって書いてあるんですからsageましょうね
- 103 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/24(水) 00:50
- おお!これは自分的に好みな感じです・・・
続き、楽しみにしてますね
- 104 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/26(金) 08:02
- まさかこうくるとは!
ますます面白くなってきましたね
これからどうなっていくのか
続きが楽しみです
- 105 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:23
- 更新します。
- 106 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:24
-
- 107 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:24
- 思っていたより長引きそうな撮影になったせいで、打ち合わせは撮影の合間に個別に行われ、
最後のメンバーがソロショットを撮り終えた頃には、今日の日付が変わるまであと2時間もなかった。
18歳未満の小春、愛佳、リンリンの三人は早い段階で仕事を終えていて、
小春と愛佳は早々に帰宅したけれど、リンリンはジュンジュンを待って一緒に帰宅した。
れいなとさゆみはラジオ収録のため先にこの場から離れており、
愛は、麻琴と一緒に食事する約束をしていたらしく、さきほど楽屋を出て行ったところだ。
そして、里沙は。
楽屋の椅子に、今朝と同じその椅子に座って、最後になってしまった絵里を待っていた。
- 108 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:24
- 幾分疲れた面持ちで楽屋のドアを開けた絵里は、そこに里沙がいたことに少し驚いては見せたが、
きっと予想はしていたのだろう、見せた変化はそれだけで、すぐにいつもの笑顔になった。
「ひょっとして待っててくれた?」
他意の感じられない口調に里沙はなぜかほっとした。
「うん」
「嬉しいな、帰るときにひとりだと、やっぱ心細いもん」
へへ、と笑いながら、着替え始める絵里。
里沙はそれを見ないようにゆっくり視線をドアのほうへ向ける。
「マネージャーさんは?」
「今日のが変に狂っちゃったから、明日のスケジュール調整だって。
あとで連絡するから着替えたらもう帰ってもいいって言われたよ。鍵もそのまま置いといていいみたい」
「そっか」
答えて視線を戻すと、絵里はまだ着替えの途中だった。
可愛らしいデザインのインナーが見えて、思わず視線を外す。
- 109 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:25
- 「…あー、あのさ…」
「うん、朝のことだよね」
絵里のほうから切り出されて、里沙は咄嗟に絵里を見た。
淡いブルーのセーターを着込んだ絵里が笑いながら里沙を見ている。
「そのことなんだけど、その前に絵里の話、もうちょっとだけ聞いてくれる?」
無理している笑顔にはとても見えなくて、それが里沙の心臓を跳ねさせた。
「…うん」
「ありがと」
あとはコートを羽織るだけの格好になってから、絵里は里沙の隣に座った。
朝のように机を挟んだ正面ではなく、すぐ隣の椅子に。
距離が近づいても、不思議と焦る気持ちは生まれなかった。
けれど、なぜか心臓は早鐘を打つ。
- 110 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:25
- 「んと…」
薄いピンクのマニキュアの施された指で絵里は鼻の頭をかいた。
何を言われるのか少しだけ身構えた里沙に気づいたのか、絵里はまた小さく笑ってみせる。
「もう気づいてるだろうからはっきり言うけど、絵里、ガキさんが好きです」
飾りなどなにひとつないまっすぐな言葉で言われて、ますます里沙の心臓が跳ねた。
「でも、もしガキさんにとって絵里の気持ちが迷惑って言うなら、ちゃんとそう言ってね」
「カメ…?」
「迷惑って言うなら、もうガキさんには関わらないようにするから」
「そっ、そんなこと…!」
しなくていい、と言う前に、絵里はホッとしたように口元を和らげた。
- 111 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:25
- 「絵里ね、今、すごい幸せなんだ。
ガキさんと一緒に仕事したり、みんなとバカやったりできる毎日がすごい楽しいし、すごい嬉しいのね。
そりゃ、付き合いたくないって言ったらウソだけど、でもそういうの、なくてもいい。友達のままでもいい。
だからホントは、言わないつもりだったの、言わないでいられると思ってたの。…でも」
そこでいったん、絵里は言葉を切った。
視線を落としながら唇を舐めたことで、どう言おうか言葉を選んでいるのがわかる。
「…でも、小春とのこと、愛ちゃんも知ってたことが、ちょっとショックだったっていうか…」
「え、なんで…愛ちゃん…?」
「絵里には何も相談してくれなかったのに、愛ちゃんには相談したんだなー、って思ったの」
「それは別に…っ、カメに隠してたとかじゃなくて…」
「うん、わかってる。たまたまその場に愛ちゃんがいたとか、話を聞かれたとか、そういうのでしょ?」
ずばりと言い当てられて返す言葉をなくす。
やっぱり愛から聞いたんじゃないのか、と思ったとき、絵里は少しだけ淋しそうな顔になった。
- 112 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:26
- 「…ガキさんさ、たとえば人には言いにくいことが起きたら、絶対自分ひとりで抱え込むよね。
うちらが気づいたら相談してくれるけど、気づかないままだと、自分からは言おうとしないじゃん?
相手から言われるのを待ってたり、気づかれないようにしたりもするよね」
自身でもわかっている短所を言い当てられてますます里沙は言葉を紡げなくなる。
「こーゆーこと、あんま言いたくないけど、それってさ、信用されてないみたいで、ときどき切なくなる。
だから、愛ちゃんには話したんだなーって思ったら、なんか、悔しいって言うかちょっとムッときちゃって。
そんなの、ガキさんが言うわけないって、考えたらわかることなのにさ」
自嘲気味に笑って僅かに肩を竦めて見せる。
それでも言葉を返せない里沙に、絵里は笑顔とはまた違った優しい顔になった。
「だから、言っちゃいました。…以上っ、絵里の話、おわりっ」
軽い口調で言って、両手をパシン、と胸の前で合わせる。
しかし、なんでもないはずのそんな音にも、里沙は肩を揺らしてしまった。
- 113 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:26
- 「…あの」
「あっ、ごめん、あとひとつだけ」
里沙の言葉を遮り、絵里は人差し指で里沙の肩を軽く突いた。
「返事とか、別に欲しいわけじゃないからね。ガキさんが絵里のことをどう思ってるかぐらい、わかってるつもりだし」
そう言って、絵里はゆっくり立ち上がろうとした。
その動きを止めたくて、里沙は慌てて絵里の腕を掴む。
それに絵里は驚いたように振り返り、不思議そうに自分を見上げてくる里沙の顔を見た。
「…あたしの話、終わってないから」
どきどきと早鐘を打つ心臓の音。
それに混じって吐き出した自分の声は、里沙にはひどく震えているように聞こえた。
里沙の言葉に、絵里はまた少し淋しそうな顔になる。
その顔は、里沙はあまり好きではなかった。
- 114 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:26
- 腕を掴む里沙の手をそっとはずし、絵里が椅子に座りなおす。
口元を和らげながらもまっすぐ見つめられ、恥ずかしさが先に立って、里沙は思わず視線を落とした。
「あ…、あのっ」
変に声が裏返ってしまい、誤魔化すように咳払いすると、ふ、と絵里が笑ったのがわかって、恥ずかしさで頬が熱くなる。
「……正直言って、あたし、カメのこと、そういうふうに、見たことない」
「うん」
「でも、あの、別に、迷惑とか、嫌だとか、そういうことは、全然、思ってないから」
「うん」
「てかむしろ、その…、う、嬉しかった、って…、いうか…」
絵里の返答が聞こえなくて、里沙はそろりそろりと上目遣いで絵里の顔を見た。
するとそこに、意外そうに目を見開く絵里がいて。
- 115 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:27
- 「……嬉し、かった?」
感情の読めない表情で聞き返され、こくん、と小さく頷くと、絵里の頬にゆっくりと朱が差してきた。
「うわ、やば…うれし…」
独り言のように言って手で口元を覆い隠す。
その仕草がまた里沙の心音を跳ねさせた。
「や…、でもあの…、つ、付き合うとか、そういうのは…」
「あ、うんうん、大丈夫、わかってるよ。その言葉だけで充分…」
「じゃなくて…っ」
言葉の解釈を取り違えられたのがわかって、思わず声高になった里沙に絵里は首をかしげた。
「あ、いや、だからその、嬉しかったのはホントだし嫌だとももちろん思ってないし、
自分でも自分の気持ちがよくわかんないんだけど…」
- 116 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:27
- まとまりのないことを言っている自覚はあった。
絵里を待っている間、気持ちの整理はつけていたはずなのに。
「ただ、なんていうか……、カメがそういう対象にならないって、言い切れなくて…」
俯き加減で言葉を探しつつ言ったせいか、絵里からの反応がない。
呆れているか、逆に癇に障る言い方をしてしまっただろうかと、再び里沙が上目遣いになると、
頬に朱を差したまま、唇を引き結び、里沙の続きの言葉を絵里は今か今かと待っていた。
「…それは、つまり?」
本当は読めているはずの続きを促され、里沙はこくりと息を飲んだ。
この言葉はきちんと自分の声で伝えなくてはいけないことを、里沙もわかっていた。
「……身勝手な言い分ってわかってるし、図々しいのもわかってる」
「うん」
「でも、少し、時間をもらえないかな」
「時間…?」
「…もうちょっと、考えさせて、ほしい」
- 117 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:27
- 朝に絵里の気持ちを知り、今になっても気持ちが揺らいでいる。
1日中考えていたと言っても間違いじゃないのに、まだ答えの出ないことが里沙をひどく混乱させていた。
小春の気持ちを知ったときは、それに対しての答えはすぐに出た。
小春には悪いとは思うが、里沙にとって小春は妹のような存在でしかなかったからだ。
けれど絵里は違った。
一緒にいると自然体でいられることが多くあるという自覚があるぶん、
絵里に対して持っているこの好意が、絵里の自分に対するものと違うとは言い切れなかったのだ。
正直な話、里沙には恋愛経験がない。
まだ今よりずっと子供だったころに好きだと思った子は何人かいたが、
それは幼さゆえの独占欲のようなものだったと今なら思うし、
憧れとなる対象も男女ともに数多くいるが、それらもやはり、恋愛感情とはどこかカタチが違う気がする。
絵里の言葉に胸が鳴る。
嬉しいという気持ちが湧く。
これは恋愛感情なのか。
それとも安心感からくる好意なのか。
小春のときには生まれなかった感情は、里沙の気持ちをただただ惑わせた。
- 118 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:28
- 「…わかった」
絵里は静かにそう答えた。
その穏やかな声が落とし気味にしていた里沙の視線をあげさせる。
里沙と目が合った絵里は、穏やかな声と同じくらい優しく微笑んでいた。
「じゃあ絵里も、ガキさんの気持ちがはっきりするまで、このことはもう言わないね」
人差し指をたてて、そっと自分の口元に押し当てて。
何気ない仕草なのに、それは絵里の可愛らしさを引き立て、それまでとは違った鼓動が里沙の胸を打ち鳴らす。
「…ごめん」
「なんであやまるの? ガキさん、何も悪いことしてないじゃん」
「でも」
「はいはい、もうその話は終わりにしよ? ね?」
俯く里沙を下から覗きこんで、絵里がいつものように笑う。
それにつられるように里沙も口元をやわらげると、うん、と大きく頷かれた。
- 119 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:28
- 「じゃあ、途中まで一緒に帰ろ?」
そう言うとすぐにコートを着込み、何の迷いもなく里沙に手を差し出してきた。
差し出された手に意味があるような気がして思わず見つめてしまったけれど、
首を傾げる絵里を見たら、それまで耳障りに思えるくらいだった自分の鼓動の音も気にならなくなった。
「…うん」
頷き返しながら里沙もコートに腕を通し、差し出されたままの絵里の手をとる。
なんとなく照れくさくて絵里の顔は見れずにいたけれど、
へへ、と、少しだらしなく笑う絵里の声が聞こえて、少しずつ緊張がほどけていくのがわかった。
絵里の優しさに応えられるような答えを出せるといい。
絵里のこの優しい手を守れるような、そんな答えになればいい。
つないだ手から伝わる体温に、里沙は、ぼんやりとそんなことを思った。
- 120 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:28
-
- 121 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 22:29
- 本日はここまでです。
>>100-104
レスありがとうございます。
やはり皆様の期待を裏切っていたようで、個人的にはニヤリです(殴)
まだ(だらだらと)つづく予定ですので、お付き合いくださると嬉しいです。
前回も申し上げましたが、更新時にはageますので、
感想などのレスをいただける場合、メール欄にsageの記入をお願いいたします。
次回更新は新年の5日ごろに予定しています。
それでは皆様、よいお年を。
- 122 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/29(月) 23:42
- まじですかー!!!?
ガキさんの決断やいかに!?
えりりんの一途さに感銘されました!
期待して待ってます!
- 123 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2008/12/30(火) 13:02
- おぉ…
続きは、こーきましたか
今後もどうなって行くのかドキドキです
でも自分は…w
- 124 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/31(水) 15:48
- 亀ちゃんスマートだなあ
これからどうなるのか分からなくて、わくわくします
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/12/31(水) 17:11
- わくわくですね!
ガキさんがどんな決断をするのか!?
- 126 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/05(月) 07:16
- 亀ちゃんいいっ!!
- 127 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:50
- 更新します。
- 128 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:51
-
- 129 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:51
- 「ねー、ガキさん、今日、このあとって何か予定入ってます?」
その日の仕事が終わり、まだ何も決めていない明日のオフの予定をどうしようかと考えながら、
楽屋の鏡に向かってメイクを落としていた里沙に、さゆみが横から話しかけてきた。
「ないけど、なんで?」
「絵里とさゆみとれいなでごはん食べに行くつもりだったんですけど、絵里が用事できたらしくて」
親指でさゆみの向こう側に座っている絵里を差したさゆみに、
絵里が申し訳なさそうに眉尻を下げながら、顔の前で両手を合わせて何度も頭を下げている。
そのうしろでは、着替えを済ませたれいなが携帯を触りながら座っている。
どうやら絵里のドタキャンが不満らしい、唇が不服そうに尖っていた。
絵里からの突然の告白から1週間。
宣言どおり、絵里の態度は以前となにひとつ変わらなかった。
小春のときのようにあからさまな部分もなく、里沙本人があれは夢だったのではないかと思うほどで、
たぶんきっと、メンバーの誰も、里沙と絵里との間にあったことなんて気づいていないだろう。
- 130 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:51
- 「でもレストラン、3人で予約しちゃったんです。 美味しいって噂のお店だし、せっかくだから誰か行かないかと思って」
「おー、いいね、行く行く。料理の写メ撮って、カメに自慢メールしてやろうよ」
「あーん、なんでそんな意地悪言うのー! 絵里だってホントは行きたいんだってばあ」
「妹との約束のほうが大事っちゃろ」
申し訳ないやら悔しいやらの絵里の言葉をれいなが携帯から目を離すこともしないで一蹴する。
「…だって。今までにもう3回もドタキャンしてるし、さすがにこれ以上約束破ると家庭内不和が」
「そうだねえ、ホトケの顔も3度までって言うしねえ」
助け舟のようでいて、その舟から突き落としているようにも感じられるさゆみの言葉に里沙は思わず苦笑した。
会話から察するに、妹との先約が合ったにもかかわらず、同じ日にさゆみたちとの食事の予定をいれてしまったのだろう。
空いていたスケジュールに急遽、予定外の仕事がはいるのはそう珍しいことではないが、
家族との約束を3回も反故にしてしまうのは、里沙には少し信じられない。
- 131 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:52
- 「今回は妹ちゃん優先してやりな。レストランも料理もそうそう逃げたりしないよ」
「絵里の味方になってくれるの、ガキさんだけだよお」
「…ガキさんは絵里に甘いんだから」
ちらりと目線をくれたれいなの口調は冷たいが、尖らせた唇で拗ねているのが明白だ。
「いーじゃん、そのぶんうちらで絵里をイジめちゃえ」
「いいねー」
「やだやだ、ガキさぁん」
「こらー、そんなこと言わないで仲良くしなさいってー」
絵里が里沙のもとにすがって抱きついてくる。
その絵里を抱きとめながら里沙はさゆみとれいなを軽く戒める。
そんなやりとりを何度か繰り返しているうちに、絵里の母親が迎えにきたようだ。
名残惜しそうな出ていく絵里を見送って、里沙たちも楽屋をあとにした。
- 132 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:52
- ◇
さゆみがネットで見つけた、と言っていたそのレストランは、
味も接客も値段もリーズナブルで申し分なかったけれど、
想像していたよりは量が少なく、思ったよりも満腹感は得られなかった。
「ねーねー、ガキさん、まだ時間あると?」
三人ともが物足りない気分のまま店を出てタクシーを拾う直前、不意にれいなが切り出した。
「うん、平気だよ。さゆみんは?」
「さゆみはもともとれいなの家に泊まるつもりだったから全然大丈夫」
「あ、そーなんだ?」
それを聞いて、さゆみの荷物がいつものバッグより一回りほど大きなものだったことに対する疑問が解消される。
- 133 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:52
- 「なんか物足りんけん、ガキさんさえよかったら、れなの家来ん?」
「えっ、いいの?」
「もっちろん! どう? 来る? 来る? てか来て!」
常々、れいなは猫のようだと周囲からの話に聞いたりすることがあるが、
キラキラと期待に目を輝かせながら里沙の服を掴む仕草はまさに小動物のそれで、
知らずに口元が緩んだ里沙は、珍しいれいなからの誘いに逆らえず、思わず頷いてしまっていた。
「やった!」
小さくガッツポーズしたれいなが早速タクシーを停めようと車道に向かって勇ましそうに手を挙げる。
そんなれいなとは対照的に、さゆみは心配そうに眉尻を下げた。
- 134 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:53
- 「ガキさん、ホントにいいの? 大丈夫?」
「平気平気。遅くなるって電話してあるし」
「…でも、きっと泊まることになると思うよ…?」
「大丈夫だって。もしそうなっても泊まるのは田中っちの家だし、さゆみんもいるんだしさ」
「でも…」
何か思うことがあるのか、さゆみの表情が曇る。
「…あ、ひょっとして、あたしが行くと話せないようなことがあるとか?」
「違いますよっ! そうじゃなくて、れいなが」
さゆみの言葉が途中で切れたのは、
いつのまにかタクシーを捕まえて、さっさと乗り込んでいたれいながふたりを呼んだからだった。
車内から早く早くと手招かれ、慌ててふたりがれいなを追って乗り込むと、タクシーは滑らかに発進した。
- 135 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:53
- ◇
さゆみが泊まることはあらかじめ決まっていたからか、突然の訪問だったにも関わらず、
テーブルの上には三人では食べきれないほどのジュースやチョコレート、スナック類が次から次へと並べられた。
意外で、尚且つ少し驚かされたのは、
並べられた飲み物の中に、ジュースや炭酸飲料の他に数種類のアルコールがあったことだ。
「…田中っち、お酒飲むの?」
「うん。でも、ホント、たまにやけん」
咎めるつもりではなく純粋な疑問からだったのだが、
自分が未成年であることの後ろめたさからか、れいなの肩が申し訳なさそうに落ちる。
「でも、れいな、全然弱いよ。すぐ真っ赤になる」
「ば、バラさんでええやんっ」
「あははっ、それは楽しみー」
「ガキさんは? 結構飲むほう?」
「んー、甘いやつとかじゃないとまだダメ。強いのはさすがにね」
「そっかあ」
- 136 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:53
- 言いながられいながスナック菓子の袋を開けようとするが、手間取っているのかなかなか開けられない。
それを見たさゆみがさりげなく手を伸ばして受け取り、器用にパッケージの裏側の中央部分から開く。
それを見て、このふたりの微妙に噛みあった関係性に、
里沙は自分と愛とを重ね合わせて、胸の奥にくすぐったさを覚えた。
「でも、今日はせっかくだからいただいちゃおっかな」
にひひ、と、誰かの笑い方を真似るように肩を竦めて、
たくさん並んだ缶のひとつに手を伸ばしたら、れいなの表情がパッと華やいだ。
「うんうん、飲も飲も! 今日はれな、ガキさんにいろいろぶっちゃけるけん!」
「いいねー! あたしも田中っちにぶっちゃけるぞーっ」
妙に盛り上がるふたりとは対照的にさゆみは苦笑いをしていたが、その理由を里沙が知るのは数時間後のことだった。
- 137 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:54
- ◇
「やけんー、れなは言うてやったと。それは違うやろって」
「うんうん」
「でも、そいつ、全然、変わらんの。逆にれなが間違ってるとか言いだして、めっちゃムカツいてー」
「そっかー、ムカツいたかー」
アルコールのせいか、れいなはいつもより饒舌に語っていた。
里沙のほうも最初は親身に聞いて相槌を打っていたが、さすがにそろそろ眠くなってきた。
普段から早寝の多い里沙には日付をとうに過ぎた今の時間、起きていること自体が珍しい。
滅多に飲まないアルコールが当然のように睡魔を連れて来ていて、
れいなに気づかれないようにそっと欠伸を噛み殺したところを、さゆみに見られてしまった。
さゆみはと言えば、さっきからあまりれいなの話に乗ってくるようすも見せずテレビを眺めている。
そのわりに、こういうことには慣れているのかそれほど眠くはなさそうで、
里沙と目が合っても、特に訝しむこともなく、小さく笑い返してきた。
- 138 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:54
- おや、と思って里沙が顎を引くと、さゆみの視線がふっとれいなに向いた。
それにつられて里沙もれいなに目を戻すと、
さっきの話題はどうやら自己完結したのか、飲み干した缶を軽くへこませていた。
「れいな、そろそろ眠いんでしょ」
「そんなことない」
さゆみの問いかけに答えたれいなの声は、小さな子供がぐずるそれに似て聞こえた。
思わず口元が緩んだ里沙に気づいたれいなの唇が不服そうに尖り、慌てて里沙は自身の口を覆い隠す。
「田中っち、そろそろ寝たほうがよくない?」
「いやですぅ、まだ寝ませんー」
しかし、その瞼は今にも上下がくっつきそうだ。
さゆみを見ると、やれやれ、と言いたそうに肩を竦めている。
そのようすで、やはりさゆみはこの状況に慣れているのだと確信した。
- 139 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:54
- 「れなはぁ、ガキさんにどうしても聞きたいことがあると」
「え?」
眠そうに手の甲で目をこするその仕草はやっぱり猫のようだ、
と思った里沙が聞きとった言葉は、予想外の方向からきた。
「やけん、それ聞くまで寝らん」
「え、なになに」
ぐずる子供の口調でいながらも断固とした決意に感じ取れて、襲って来ていた睡魔が少し遠のく。
同時に、さゆみの眉がほんの少し困惑気に下がったのが里沙の視界に入った。
眠そうな、とろん、とした目が里沙に向けられる。
少し胸が鳴ったのを気取られないように装った里沙に、れいなが人差し指を向けた。
「ガキさん、絵里のこと、どう思っとるん?」
それはまさに予想外の変化球だった。
しかし、今の里沙にはど真ん中の直球ぐらいの威力を持つ言葉だった。
- 140 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:54
- 「どうって…?」
わざとらしく問い返してみると、れいなは今度は淋しそうに唇を尖らせた。
「気づいとらん? 絵里はガキさんのこと、好いとうよ」
答えに困って思わずさゆみを見たら、さゆみは呆れた顔で深くため息をついていた。
「好きって、そういう意味やん。わかるやろ?」
「…れいな、ガキさん困ってるよ」
軽くいなすように声を強めたさゆみにれいなも一瞬口を噤む。
けれど軽く唇を噛んだあと、里沙のほうへと身を乗り出してきた。
「…絵里はマジやけん。マジでガキさんのこと好いとるけん。絵里のこと、泣かさんとって」
「田中っち…?」
「れなは、絵里が泣くのが、いちばん、イヤやけん…、笑っとる絵里が…、いちばん…」
好き、と聞こえた気がしたとき、睡魔に襲われたれいなのほっそりとしたカラダが里沙のほうに倒れこんできた。
- 141 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:55
- 慌てて支えようとして抱きとめた里沙は、れいなの肩越しにさゆみと目が合った。
目が合ったことで苦笑いしながらも、れいなの肩を引いて里沙から離し、そっと床へと横たわらせる。
寝室と思われる部屋から毛布を持ってきてれいなに掛けると、れいなはすぐに静かな寝息をたてはじめた。
それを確認して細く息を吐いたさゆみが、対処に困って何もできずにいた里沙にゆっくり振りかえる。
「ガキさんももう寝ます?」
「あ…、えと、…さゆみんは?」
「さゆみはもうちょっと起きてます」
「じゃあ、あたしももうちょっと起きとく…」
ついさっきまで確かに自分のそばにあったはずの睡魔は跡形もなく消えていた。
あるのは、れいなに投げかけられた疑問。
『絵里のこと、どう思っとるん?』
頭の奥で鮮明な声で繰り返されて、そっとれいなの寝顔を盗み見たら、さゆみがぽつりと声を出した。
「れいなのことなら心配しなくて平気ですよ」
- 142 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:55
- 咄嗟にさゆみに振り向くと、さゆみはさっき見た苦笑いのままだった。
「さゆみん?」
「れいな、お酒飲むと、ちょっと絡むとこあるんですよ。でも、寝て起きたらだいたい忘れてます。
さゆみはもう慣れちゃったけど、ガキさんは初めてだから、きっと困ること言うだろうなって思ってた」
あのとき、れいながタクシーを拾おうとしていたあのとき、さゆみが言いかけたことはこのことだったのかと里沙は思った。
「…ねえ、さゆみん、田中っちはカメのこと…」
「うん。絵里のこと、好きなんだと思う。素面のときはあんまり認めないけど」
「そっか…」
「でも、れいなの言ったことはホントですよ」
「うん」
「…ってことは、ガキさん、絵里の気持ちに気付いてるの?」
「あー…、うん、実は」
告白された、と言うと、さゆみはその大きな目をまたさらに大きく見開いた。
- 143 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:55
- 「そうなの?」
「うん」
「そっか…、絵里、言ったんだ…」
その口調で、さゆみも絵里の気持ちを知っていたのだと気づく。
「返事はしたの?」
「ううん、まだ」
「まだ?」
「考えさせてって、言った。まだちょっと、自分で自分の気持ちがよく掴めてなくて」
居心地の良さから得られるただの好意なのか。
それとも絵里と同じ恋愛感情なのか。
「そう、ですか」
「うん…」
けれど、れいなの気持ちを知った今、気持ちが揺れたのは事実だった。
れいなが密かに絵里を想う気持ちと、自分の気持ちは同じものだろうか。
絵里に応えられるほどの気持ちに、自分は果たして追いつけるのだろうか。
- 144 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:55
- 「ガキさん」
次第に沈みそうになる里沙を引き上げるように、さゆみが里沙の肩を撫でた。
「れいなのことは気にしないで、ガキさんの気持ちで絵里に答えてあげてね」
「え…」
心を見透かされた気がして言葉を詰まらせると、さゆみの口元が引き締まった。
「ゆっくりでいいですから、だから、どういう答えになっても、ガキさんが出した答えを絵里にあげて」
「さゆみん?」
「でなきゃ、れいなも、絵里も、ガキさんも、…みんな、傷つくから」
さゆみの黒い瞳が里沙をまっすぐ捕らえる。
ともすれば逃げ出してしまいそうだった里沙を引きとめるように。
「…うん」
「あ…、えらそうなこと言ってごめんなさい…」
「ううん、そんな、そんなことない。…さゆみんがそう言ってくれてよかった…」
引きとめられたように感じたのも本当で、同時に背中を押された気分にもなった。
自分で自分の気持ちに確信や自信が持てるまで、決断は急がなくていいのだと。
- 145 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:56
- 「れいなのことなら気にしなくていいですよ。ホント、起きたら何言ったかなんて全部忘れてる」
恨めしそうに言って、さゆみはすやすや眠るれいなの頬を軽く突いた。
当のれいなはくすぐったそうに身をよじっただけで起きる気配は微塵もない。
「実感あるねえ」
「そりゃあ。今まで何回も約束忘れられてるし。でも証明する人いないから、今日はガキさんが証人です」
頬を突くのを繰り返しているうちに、れいながさゆみのその指を捕まえた。
起きたかと里沙は思ったが、れいなは少し唸っただけで、さゆみの指を捕まえたまままた眠りに落ちていき、
寝息が聞こえてくるのを待って、さゆみはそっと指を取り戻した。
「ね? 起きないでしょ」
「田中っちって、もっと眠りの浅い子じゃなかったっけ?」
「お酒飲んだときだけです、こうなるの」
「…それって、よっぽどさゆみんに甘えてるってことじゃない?」
「そうなのかなあ。…ママみたいに思ってるのかも」
「こりゃまたおっきな子供だねえ」
「ちゃんとした恋愛もしたことないのに、いきなり子持ちだなんてヤダなあ」
- 146 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:56
- 不服そうに唇を尖らせてさゆみはそう言ったけれど、さゆみのその言葉は里沙の気分を少しだけラクにした。
「さゆみん、好きな人いないの?」
「好きな人はいっぱいいますよー、でも恋人ってなると、これがなかなか」
腕組みしてみせながらさゆみがため息を漏らす。
年相応には見えないそれに、里沙は急におかしくなって笑ってしまった。
笑われたことに心外そうにさゆみは里沙を軽く睨んだが、すぐに一緒になって笑いだす。
「そろそろ寝ます?」
「うん。なんか、気が抜けてホッとしたら急に眠くなってきた」
「起きたられいなに一緒に文句言ってやりましょうね。やっと証明できる」
「うん。お詫びに朝ごはん作らせよう」
「それいい! 名案!」
ぱん、と両手を合わせて叩いたさゆみと顔を見合せて、里沙はまた笑った。
- 147 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:56
-
- 148 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/06(火) 00:58
- 本日はここまでです。
田中さんの話し方や方言などが違ってても、なにとぞご容赦ください。
>>122-126
レスありがとうございます。
そして、あけましておめでとうございます。
終わりまでまだまだ先は長いんですが、そろそろストックもヤバくなってきたので、
次回の更新は未定です、ごめんなさい。
繰り返し申し上げますが、更新時にはageますので、
感想などのレスをいただける場合、メール欄にsageの記入をお願いいたします。
- 149 名前:名無し読者 投稿日:2009/01/09(金) 09:44
- 5期もそうだけど6期もいい味だしてるな〜
まだまだ話が膨らみそうですね。次回交信を
楽しみに待ってます。
- 150 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/10(土) 22:52
- れいないいなー
更新待ってます
- 151 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/11(日) 02:57
- ガキさんと吉澤さんのお酒のエピソードって使えないですか?
- 152 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/11(日) 03:06
- おいおい苦笑
このスレなんかあるの?
毎回ageる人はいるし失礼なレスする人はいるし
もうちょっと考えてやってかないとその内作者さんに逃げられちゃうかもよ?
- 153 名前:名無し飼育 投稿日:2009/01/11(日) 13:31
- 他のCPのスレも見てるけど、
結構マナー違反の読者があちこちにいる気がする。
この作者さんの文章はいいから見てる人も多くて、
比例して失礼な読者も多いんじゃないかな。
作者さん、できたら飼育で読み続けたいんで、
どうか気にせずくじけずここで続きを書いてやってください。
- 154 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/12(月) 11:49
- こういうときは落としておくよ
- 155 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/28(水) 01:17
- 待ってますよー
- 156 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:03
- 今回は更新の前にレス返しを。
>>149
膨らませすぎて収拾つかなくならないようにしたいところです。
>>150
そろそろsageを覚えていただけるとありがたいです。
>>151
使えませんし使いませんし吉澤さんの登場予定もありません。
>>152
正直逃げ出したかったです…。
>>153
文章がいいとか、さらっと褒められると恥ずかしくて手が震えます…。
>>154
お気遣いありがとうございます。
>>155
お待たせしてしまってすいません。
- 157 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:04
- 更新します。
- 158 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:04
-
- 159 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:04
- 今日は、朝から目前に控えたコンサートツアーのリハーサルだった。
初めて歌う曲の振り付けの最中、小春の右目のコンタクトがずれて中断し、
ちょうどいいから、と、さっき昼食休憩になったところだ。
レッスン室の隣に設けられた休憩室に弁当とペットボトルの茶が置いてあり、それぞれ確保して適当に散らばる。
いつものように絵里とさゆみと一緒に食べていた里沙だったが、
自分たちからはやや離れたところで、愛佳とおかずの交換をしているれいなに気づいた。
不満そうに唇を尖らせ、弁当の器を持って里沙たちのもとにやってくる。
三人そろって首を傾げたら、箸でおかずを一品つまんで絵里のほうへわざとらしく置いた。
「それあげるからコレちょーだい」
「ちょ、れーなっ」
絵里の反論も聞かずに一品取り上げて、小走りに逃げていく。
もちろん絵里は頬を膨らませるが、本気で怒っているわけではなく、れいなが放り込んだおかずをさっさとたいらげた。
- 160 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:04
- 見慣れた光景のはずが、今の里沙の目には以前と違って優しい空気が漂って見えていた。
それもきっと、れいなの絵里に向けられた静かでいて熱い気持ちが里沙に沁み込んでくるからだろう。
れいなの気持ちを知ってから、里沙の心はそれまで以上に揺れ始めていた。
慌てなくていいと、ゆっくりでいいからとさゆみも言ってくれたが、それでもいつかは答えを出さなくてはならない。
さゆみが言ったとおり、あの夜、酔った勢いで口走ったことをれいな自身は覚えてはいなかったが、
里沙にしてみれば何も聞かなかったことにはできない。
しかし、さゆみに言われたから、というのもあるが、それを抜きにしても、
れいなに申し訳ないからと絵里の想いを断ることは、不思議と選択肢には入らなかった。
里沙の気持ちは空中で宙に浮いたまま、今もゆらりゆらりと定まらずに左右に揺れている。
- 161 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:05
- 「ガキさーん、おーい?」
不意に目の前にかざされた手を振られ、里沙はハッとして顔を上げた。
食事を終えてもまだ開始時間まではいくらか余裕があったので、
まだ食事途中の絵里とさゆみを置いて、里沙は洗面所で歯を磨いていた。
蛇口を捻ったままだったのを里沙の顔を覗き込みながら愛が締める。
「…あれ? 愛ちゃん?」
「さっきから呼んでるのに。聞こえてえんかった?」
「あ…、ああ、ごめん…」
「なん?」
「なんでもないよ、ぼんやりしてただけ」
誤魔化すように愛想笑いをしてみせたら、愛は不満を表すように唇のカタチをへの字に曲げた。
「…また何かひとりで抱えてるな?」
愛の言葉に知らずに里沙の肩が揺れた。
絵里に言われた同じような言葉を思い出したからだ。
「何言ってんの、そんなんじゃないよ。ホントにぼんやりしてただけだって」
- 162 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:05
- ぽんぽん、と愛の肩を撫でるように叩くと、
叩いたその肩にちらりと一瞬目をやってから、まだ少し納得できていない顔で唇を尖らせた。
「…最近のガキさん、そう言うの多くなったよな」
「? どういうこと?」
「なんでもないって。…前は、なんでも言うてくれたのに」
「え…」
どきりと、今度は違う意味で緊張した。
愛がなぜいきなりそんなことを言い出したのかはわからなかったが、
確かに愛の言うように、前ほど愛に何でもかんでも話さなくなった気が里沙にもしたからだ。
「そんなことは…」
ない、と言おうとして、愛に視線を外される。
俯かれて表情が見えなくなり、途端に里沙の気持ちが乱れた。
泣いているように見えたからだ。
「あ、あの、愛ちゃん?」
そっと目尻を拭う仕草にますます焦り、手を伸ばそうとして、けれどどう声を掛けていいかと言葉に詰まる。
- 163 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:05
- 「……ええんや、ガキさんももうハタチやしな。いつまでも子供のままでいてくれんことぐらいわかってる」
「…へ?」
「でも、ママ、なんか淋しいて」
「え? ママって…、愛ちゃん?」
「あんなにちっさかった子が立派になって…、そろそろ子離れせなアカンわなあ」
よよよ、と、声にも出されて、事態がいまいち読めず、里沙はポカンとなった。
と、泣いていたと思っていた愛が、顔を覆った両手の指の隙間からチラリと里沙を見た。
その上目遣いに愛の芝居をようやく悟る。
「! ちょっと! 愛ちゃんっ?」
「あははっ」
「ママって何っ、あたし、愛ちゃんに育てられた覚えないんだけどっ」
「そんなムキにならんでー」
ぽんぽん、と、さっき里沙が愛にしたように肩を叩かれても、
からかわれたその事実には里沙もすぐには気持ちがおさまらなかった。
- 164 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:06
- 「ごめんて。な?」
「…あたし、マジで考えちゃったじゃん、もーっ」
「ごめんごめん。でも、心配してるんはホンマやし」
私物の歯ブラシを化粧ポーチに片付けていた里沙は、さらりと言われて、またギクリとした。
「リーダーとサブになってからは、仕事の話はするけど、それ以外はあんまり話さんようになったなーと思ってさ」
「…そう?」
「んー、まあ、そういう気がするだけなんやろうけどな。毎日一緒にいるわけやし」
また里沙の背中を叩き、そのまま肩を抱くように凭れてきた愛の表情が少し曇って見えたのは気のせいだろうか。
「もともと、あーしのほうがガキさんに頼りっぱなしやし、こんなリーダー頼りないやろうけど」
「…ばか、頼りにしてるよ」
「マジでえ」
にひひ、と、照れたように笑う愛に、里沙は何故だか申し訳ない気分になる。
- 165 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:06
- 絵里のことは、誰にも話すべきではないと思っていた。
それは絵里に対してとても失礼なことになる気がしたからだ。
けれど、この里沙自身の判断が、絵里や愛の言う『ひとりで抱える』ことだと言うのなら、
自分で持て余している自身の気持ちを聞いてもらうのは、悪いことではないような気がした。
絵里に失礼だと思うのなら、匿名にすればいいだけの話だ。
「…ねえ愛ちゃん」
「ん?」
なんとなく肩を抱かれたままだったことを咎めずにいたけれど、
呼びかけたとき、愛の手がそれに気づいたように慌てて離れ、不意に遠のいた体温を淋しく感じた。
「どした?」
愛は優しい。
目に見えての優しさはもちろんだが、決してカタチには見えないような部分でもそれは顕著で、
今まで何度だってそんな愛に里沙は救われてきた。
その愛は、たとえば、どんなふうに人を好きになるのだろう。
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
- 166 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:06
- 知り合ってから今までずっと近くで過ごしてきたけれど、里沙にそういった関心が薄かったせいか、
愛からそれらしい話をされたことがほとんどなかったことに今更気づく。
愛には、里沙自身も幼いと思う部分をずっと見られてきた。
感情にしろ、判断力にしろ、愛に比べてずっと劣っている自覚はある。
ならば愛は、自分とはまるで異なる性格を持つ愛なら、
里沙が今現在揺れている気持ちをどう結論づけるだろうか、どんな答えを出すのだろう?
「愛ちゃんはいま…好きな人って、いる?」
あまりにも唐突な質問を投げたせいか、愛がピタリと動きを止めた。
目線を落としつつ尋ねたので愛の表情が見えなかった里沙は、
動かなくなってしまった愛が気になって、そろりそろりと頭を上げてみた。
するとそこには、ほんのりと頬を赤くしている愛がいて。
「まさかガキさんから恋愛相談受けるなんて…」
ぽつりと漏れた声は、里沙の言葉があまりにも想定外だったと言いたそうだった。
同時に里沙の言葉を軽視しているようにも思えて、途端に不愉快になる。
- 167 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:07
- 「…ガキさんもそういうお年頃ってことか、大人になってもうたんやな…」
「……やっぱりもういい。もう愛ちゃんには言わない」
「うわっ、ウソウソ、ごめんって、冗談やんか」
愛を残して洗面所を出ようとした里沙の腕を慌てて愛が捕まえる。
「ちゃんと聞くから。真面目に聞くから、な? やから怒らんで」
顔の前で両手を合わせる愛の声と態度に不愉快な気分が薄れ、里沙は細く息を吐き出した。
けれどさっきの言葉以外には何も聞くことが見つからなかった里沙は、
ポーチを胸に抱えながら、化粧鏡に背を向けるように洗面台の端にそっともたれた。
「……いる?」
それだけ問うと、愛も里沙を真似るように洗面台にもたれる。
「いるよ」
「えっ、いるの?」
思っていた以上にあっさりと答えが返ってきて里沙のほうがたじろぐ。
ドキドキしながら愛を見ると、口元は穏やかに笑っていた。
- 168 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:07
- 「うん。…まあ、あえて言うことでもないから言わんかったけどな」
「どんな人? あたしの知ってる人?」
「それは秘密」
ふふ、と意味ありげに口元をゆるめて愛は笑った。
「秘密なんだ」
「うん、ごめんな」
「…あたしにも、言えない?」
「ごめんな、片思いやからコクるつもりもないんよ。だーれも知らん」
「見込みないの?」
「ないない、あーしなんか、そういう対象やないと思う」
あはは、と、愛はあっけらかんと笑った。
さほど悩んでないように見えて、里沙はなんだか肩透かしを食らう。
愛はもっと、恋愛に対しては真摯そうだと思っていたからだ。
- 169 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:08
- 「…そういう里沙ちゃんは、いるん?」
「え」
不意に矛先を変えられ里沙は言葉を詰まらせる。
「…あー、どうだろ」
「なん? 意味深やんか? どういうこと」
「…すごい身近な子に、好きって言われた、こないだ」
自分でも驚くほどするりと言葉になったが、なんとなく、愛の顔を見るのは恥ずかしかった。
「えっ? 付き合ってんのっ?」
聞き届けた愛が前傾姿勢になって里沙の顔を覗き込んでくる。
思った通りの反応に、里沙はほんの少し顎を引いた。
「ううん、そうじゃなくて、コクられただけ。でも、返事は待ってもらってる」
ちら、と目だけで愛を見ると、それも予想外だったようで、あんぐりと口を開けていた。
- 170 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:08
- 「…意外?」
「あ? …あー、そう、やな…。返事待たせてるってとこが、ちょっと」
「? なんで?」
「だって、待たせてるってことは、相手のこと、そう言う意味で少しは意識しとるんやろ?」
「……たぶん…、そう、なのかな」
「小春のときはすぐ結論出てたやんか」
小春の名前が出て里沙の気持ちがまた少し揺れる。
絵里と小春では持っている感情が違う。
それだけははっきりわかっていることだったから。
「…聞いてもええかな? 身近な子って…、メンバーか?」
特定されるような気はしたが、何故だか隠しておくことはできなくて、里沙は素直に頷いた。
「…だいたい見当はつくな」
まさかと思って愛を見ると、その口元はほんの少し意地悪く綻んでいた。
- 171 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:08
- 返答に困る里沙に気づいてか、人差し指で里沙の鼻の頭を撫でる。
「当てたろか? 絵里やろ?」
「なんでわか…っ」
そこまで口走ってから、里沙は愛の言葉を自分から認めたことに気づく。
愛の口元が少し誇らしげに緩んだ。
「…ほら当たり」
にやりと笑う口元が憎らしい。
なのに、愛に隠し事をしなくていいという安心からか、何故か里沙はホッとした。
「…で、里沙ちゃんは何を悩んでるん?」
「なに、って…だから、自分でもまだよくわかんないのよ」
「何が?」
「カメに対するこの気持ちが、恋愛感情なのかどうか…」
居心地がいい。
絵里に対しては自分を隠す必要性を少しも感じない。
無論、他のメンバーに対しても同じことを思うが、
絵里といるときに感じるあの穏やかな空気は、どの人間からも得られるものではない。
- 172 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:08
- 「一緒にいたいと思う?」
「え?」
「絵里と。ずーっと一緒にいたいって」
「…うん」
「誰とも比べられん?」
「当たり前じゃん。カメはカメだよ。でも、それを言うなら愛ちゃんや小春やみんなだって同じだよ。
出来るなら、あたしはみんなとずっと一緒にいたいよ」
「…そっか、そうやな」
愚問だったと自嘲気味に笑った愛が静かに一歩前へ足を踏み出した。
「…でもあーしは、好きな人のこと、そういうふうに好きや」
細身だけれどしゃんと伸びた愛の背中が里沙の目に頼もしく凛々しく映る。
「ずっと一緒にいたいって思うし、誰とも比べられん。その人だけが特別なんよ」
「愛ちゃん…」
くるりと振り向いた愛の口元が引き締まる。
- 173 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:09
- 「…里沙ちゃん」
「ん?」
「あんまり優しいのも、アカンで」
「え?」
意味がわからず首を傾げた里沙に愛がふわりと笑う。
それが何故だか儚く見えてどきりと心臓が跳ねあがった。
「里沙ちゃんは優しすぎる。もっと自分の思うように動いていい。
誰かを好きって思う気持ちは、誰かを好きになることは、怖いことでも、悪いことでもないよ」
ぽん、と、いつもと同じ、里沙の肩を撫でるように叩かれただけだというのに、
そう告げた愛の言葉には不思議と強い説得力を感じ、里沙の中にストン、と落ちてきた。
「何も怖いことなんてないから。やから、里沙ちゃんは自分の思う答えを出したらいいよ」
さゆみと同じ言葉を言われて思わず笑ってしまったけれど、口元を緩めた里沙に愛は気づくことはなかった。
- 174 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:09
- 「高橋さーん、新垣さーん、どこにいてはるんですかー、そろそろ時間ですよー」
ふたりの沈黙を待っていたように、休憩時間終了を知らせにきた愛佳の声がふたりの耳に届く。
「おー、今いくー!」
洗面所の入口から上半身だけを覗かせた愛が廊下の向こうに手を振ってから里沙に向き直る。
「ほら、行くで」
いつのまにやら、さまになったリーダーの顔で愛が手を差し出す。
声や雰囲気に比例して頼もしく感じられるその手を、里沙は迷うことなく掴まえた。
強くないチカラで引かれながら、里沙はさっきの愛の言葉を脳裏で反芻する。
『何も怖いことなんてないから』
自分でも気づかぬうちに、誰かに恋することを怖れていたのだろうか。
絵里の気持ちに応えることによって、何かが変わることを怖れていたのかも知れない。
愛のたった一言が、定まらなかった里沙の気持ちをゆっくりと固定していく。
空中で宙ぶらりんのまま左右に揺れることしかできなかった感情が、少しずつ前へと動き始めた気がした。
それと同時に里沙の中に生まれた小さな小さな感情の種が密やかに芽吹き始める。
しかし、里沙自身はまだ、そのことには気づかなかった。
- 175 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:09
-
- 176 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/29(木) 21:10
- 本日はここまでです。
進んでるようでなかなか進まなくてすいません。
次回の更新も未定です、ごめんなさい。
正直、逃げようかなーとも思いましたが、懲りずに書かせていただこうと思います。
でも、マナーは守ってもらいたい…なあ。
繰り返し申し上げますが、更新時にはageますので、
感想などのレスをいただける場合、メール欄にsageの記入をお願いいたします。
- 177 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/30(金) 00:45
- お待ちしておりました!
よかった…見捨てられていなくて…っ
この焦れったい感じ…たまりません!w
本当は愛ガキ好きな私ですが、亀ガキになるのかはたまた別の子なのか…あぁ気になる!
とにかく作者様を全力で応援させていただきます
- 178 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/30(金) 20:54
- 更新お疲れさまです!
愛ちゃんの相手が気になる〜
- 179 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/01(日) 10:42
- 更新待ってます
- 180 名前:153 投稿日:2009/02/01(日) 21:23
- ↑あなたのレスが作者さんを不快にして、
小説への意欲を失わせそうなことを、
そろそろ自覚なさったらどうですか?
再三の作者さんの要望にも関わらずsageもできないような方は、
レスをするべきではないですよ。
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/01(日) 23:48
- sageって何だよ知らねーよ
こっちはイライラしてんねん
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/02(月) 00:24
- こういう時は落とします
- 183 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/02(月) 01:34
- 作者さん!
めげずに頑張ってください!!
このスレの始まりからずっと読んで応援してます!!
次の更新を期待して待ってます!
- 184 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/02(月) 22:13
- >>181さん
何で逆切れなんでしょうか?読む側にもルールがあるんですよ?
ちゃんと案内を見てから読みましょう
作者様、続きお待ちしてました
ますます続きがどうなるか楽しみですね
色々あると思いますが頑張ってください!
- 185 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/02(月) 22:29
- 明らかに嫌がらせの為にわざとやってるんだろうから言っても無駄だと思うぞ
- 186 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/03(火) 14:44
- 更新おつかれさまです。
ここの高橋さんの年齢相応な感じがとても良い!好きです。
自分の推しCPとか取っ払って楽しく読めているのは作者さんの力量だなーと。
有難うございます、頑張ってください。
- 187 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:05
- 更新します。
- 188 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:05
-
- 189 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:05
- 過労と発熱で里沙が倒れたのは、全国13ヵ所全38公演のコンサートツアーも折り返しを過ぎ、
地方での2日間4公演のコンサートの1日目が終わった直後だった。
公演が始まる前からすでに微熱があったことは里沙もわかっていた。
それでも誰にも何も言わなかったのは、微熱程度なら多少無理すればやり遂げられるといった自己判断だ。
しかし、その考えはステージに上がって数曲後には間違いだったと気づいた。
一回目の公演は騙し騙しでなんとか持ちこたえたが、
二回目の公演でさらに悪化していると気づいてももう引くに引けず、
衣装替えの合間や次の自分の出番まではずっと袖で横になっていた。
無論、他のメンバーはそんな里沙のサポートにまわる。
観客にそうと気づかせず、且つ不自然でないように振る舞うのは簡単ではなかっただろう。
それでも、公演後のアンケートに里沙の不調に気付いたようすのコメントはなかった。
- 190 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:06
- 終了後、ほとんど意識のない里沙は近くの病院に運ばれた。
運ばれる途中で目は覚めたが、大事をとって点滴などの処置を受けてからホテルに戻った。
他のメンバーのことも考え、里沙の部屋は階違いのツインルームに移されることになり、当然、出入り禁止となる。
部屋にひとり残され、熱を含んだ呼吸を繰り返しながら、里沙は自身の軽率な行動をひどく悔やんでいた。
この仕事において、自身の体調管理は最低限のルールで、できて当然のことだ。
自分ひとりの小さな不調で周囲に迷惑がかかる仕事だという自覚もあったので、
不調の兆候が出たら、自分でも大げさだと思えるくらいに対処していた。
とはいえ、里沙だって人間だから、対策はしていても体調を崩したことはある。
それでもさほど迷惑をかけずに今までこれたのは、たまたま運が良かっただけにすぎない。
自分がまだ年少者だったり、自分より上に責任を問われる立場の人間がいたのもあるだろう。
だからこそ、まとめる立場になった今の自分の管理の甘さが、本当に情けなかった。
健康管理を怠ったのは、忙しさを理由にしたくなかった。
それならば自分よりもっと多忙のメンバーだっている。
不摂生をしたとはもちろん思わないが、油断していたことは否定できなかった。
- 191 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:06
- 不調を訴えなかった理由のひとつに、絵里のことがあった。
特に何かがあったわけでも、何かをされたわけでもない。
絵里は何も変わらなかった。
小春のように目に見えて避けることも、里沙の意思を無視するような行動に出ることもなかった。
でも、返事を待たせた以上、いつかは答えなくてはならないことは里沙に見えないプレッシャーを与え、
絵里が普段通りであればあるほど、里沙の心身は静かに、けれど確実に追い込まれていった。
小春のように、絵里もそういう対象になり得ない相手ならば、里沙もここまで悩まなかっただろう。
もしくは、自分がもっと恋愛経験に長けていたなら、
あのとき判断できかねた感情にももっと早く結論づけることもできただろうか。
れいなのことも、少なからず頭の中に染みついていた。
れいなに遠慮して、という気持ちがどこかにあるのは否めない。
けれどそれこそがれいなに対して失礼だともわかるから、余計に追い込みに拍車をかけた。
- 192 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:06
- 考えれば考えるだけ、熱が上がる気がした。
熱が体内から水分を奪っていくせいで、呼吸さえひどくもどかしい。
今ごろは、明日になっても回復しなかった場合の調整をしているのだろうか。
メンバーやマネージャーはもちろんだが、女性スタッフも誰ひとりとしてこの部屋には訪れてこない。
出入り禁止と言われている以上、誰もここには来ないことはわかっているのに、
申し訳ないと思うと同時に、ひどく淋しかった。
浅く繰り返す自身の呼吸が、里沙の思考を鈍らせる。
病院での処置は適切だったのだろうか。
一向に熱が下がる気配はなく、むしろ上昇している気さえする。
- 193 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:06
- あつい。
だるい。
浅い呼吸を繰り返すから唇も乾いて、口の中には唾液さえ溜まらない。
額に乗せられている濡れたタオルも、熱を吸収しきって本来の効力をほとんど失っているとわかる。
しかもそれは、固定されていないせいで額からずれていて里沙の視界を覆い隠している。
何か飲みたいのにカラダは鉛のように動かない。
誰かを呼ぼうにも声という音が出ない。
かろうじて手を伸ばすことはできるが、指先の感覚は鈍っていて、
見えないせいも重なって枕元にあるはずの水まで届かない。
- 194 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:07
- 水は諦めて、鈍る思考で明日のことを考える。
もし明日になってもこの熱が下がらなかったら仕事に穴をあけることになる。
自分一人でどうにかなる問題ならば全員に頭を下げてまわることだってできるが、そんなに簡単なことではない。
メンバーやスタッフに余計な迷惑がかかり、進行だって変わってしまう。
そうやって考えれば考えるほど気持ちは焦り、そしてそれはまた無駄に熱を上げる。
どうしたらいいのかわからず、上がる一方の熱のせいでマイナス思考にもなって、
このまま誰にも気づいてもらえず死んでしまうような錯覚さえ起こり、
言い表せない淋しさと不安に押し上げられるように涙が零れる。
涙が出てきて視界は更にぼやけ、里沙の不安をますます煽っていく。
「……ぅ…」
泣き叫びたいのに出来ない淋しさと苛立たしさの中、不意に、里沙の唇に冷たい何かが触れた。
- 195 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:07
- 「…っ」
驚きで声も出せず、更には高熱のせいで自由に動くこともままならない自身のカラダだったけれど、
唇に触れた何かにすーっと輪郭を辿られて、それが濡れた指だと気がついた。
熱のせいで潤いを失っていた唇がその指の水分でほんの少しだけ濡れる。
その僅かな水分さえ欲しくて、里沙は唇を薄く開いた。
すると、それを待っていたかのように唇に冷たい固形物が触れた。
痺れるような冷たさで、一瞬、全身に電気が走ったように感じた。
氷だとわかったのはその直後だった。
しかし、小さく削られていたせいか、はたまた里沙の唇が持つ熱が高すぎたのか、氷はすぐに形を崩し始めた。
その冷たさを逃したくなくて更に唇を開き、口の中へと取り込もうとしたら、
溶けかけた氷がゆっくりと口の中に入り込んできた。
固形は口の中でますます形を失い、乾ききっていた口の中に水分を広げながら徐々に溶けていく。
もっと欲しい、と、訴えるように里沙が舌を出すと、すぐにまた別の氷が里沙の口元に届けられ、
誰かがそばにいるとわかって、さっきまで里沙を覆っていた不安や淋しさが薄らいでいく。
- 196 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:07
- 「…だ、れ…?」
いくつかの氷を口の中に溶かしたあとで、それだけが声になる。
けれど相手は返事をしない。
しないかわりに、冷たいタオルが目の上に乗せられ、額からずれ落ちていた熱を含んだタオルが外される。
そしてまた、里沙の口元には氷が押し付けられた。
けれど今度はそれまでよりまた小さいもので、すぐに里沙は口の中に取り込もうと唇を開けた。
開けた瞬間、とてもやわらかなものに唇を塞がれ、
何が起きたのかと悟るより先に、生あたたかな水が喉の奥へと流しこまれた。
勢いのままにごくりと喉を鳴らして飲み込んだあと、なぜか口の中に慣れない苦い味が広がっていた。
- 197 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:07
- 何かと問うより先に、里沙の唇を塞いだ相手がぽつりと声を出す。
「…熱冷ましの薬。これで朝までよく眠れるよ」
知っている声だった。
けれど誰かはよくわからない。
「大丈夫、これも病院の薬だから」
唇や口内は潤ったけれど、耳鳴りにも似た頭痛が里沙の思考を鈍らせ、相手の特定ができない。
よく冷えたタオルで目も隠されているから、目で確認もできない。
- 198 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:08
- 「…カメ?」
絵里だという根拠はなかったが、呼びなれた名前が口をついて出た。
けれど反応はなく、しかし返事のないことで、絵里だという思いが強くなった。
「…めいわく…かけて、ごめん…」
「…余計なこと考えないで、今はとにかく熱を冷ますのが先だから」
汗で湿った前髪を撫で上げられたのがわかる。
ずいぶんと迷惑をかけてしまって申し訳ないと思うのに反応を返せない。
そんな里沙に気づいているのかいないのか、
相手はゆっくりと里沙の額を撫でたあとで首筋に浮かんでいた汗も拭ってくれた。
「何も考えなくていいから。だから今は、ぐっすり寝て」
優しく諭すように里沙の耳に届く声が心地よい。
薬の影響もあるのか、里沙の意識がゆるゆると沈み始める。
「おやすみ、…ガキさん」
まるで呪文のように、そのあとの里沙は睡魔の誘いに導かれるままに、眠りの底へと落ちて行った。
- 199 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:08
-
- 200 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:08
- ◇
足元のほうに軽い痺れのような感覚を覚えて、里沙はゆっくり瞼を上げた。
目覚めはすっきりとして、昨夜ベッドに運ばれた時のような不快感はなく、全身に感じただるさや熱も感じない。
ただ、ベッドの足元のほうに感じる重みが気になってゆっくり上体を起こすと、
そこには、床に座りながらも上半身はベッドに寄りかかって眠る絵里の姿があった。
おそらく、里沙のようすを見にきてそのまま寝てしまったのだろう、
安らかな寝息はたてているが、手にはタオルが握られている。
不意に、昨夜の出来事が思い起こされた。
里沙の唇に触れた氷の冷たさ、生ぬるい水と苦い味、そして、やわらかな、唇の感触。
熱で朦朧としていたとはいえ、それらは決して夢でなく、実際に里沙の身に起こったことだという確信があった。
誰かと問うても答えはなく、絵里の名前を出しても返事はなかった。
けれどこうして今、自分の目の前で眠る絵里の姿は、昨夜の人物が絵里だと証明している気がした。
- 201 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:08
- 絵里の告白がまた脳裏を過ぎる。
いつもはだらしないところも多々あるけれど、あの日の絵里の目には真摯さしかなかった。
以前、小春に告白されたときと同じように、自分に向けられる気持ちに嘘はないと語る目だった。
ずっとここにいたのだろうか。
眠る絵里の姿を見てそんなことを考える。
この部屋に来るのはメンバーならば禁止されていたはずなのに、それでも夜通しここにいてくれたのだろうか。
そう思うと、里沙の胸が静かに跳ねた。
マネージャーの言葉に従わなかった絵里のことはプロとしては許されることではなかったが、
それを無視してでも自分のそばにいてくれたその気持ちがただ嬉しかった。
- 202 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:09
- 絵里の肩に手を伸ばす。
そして、撫でるように、絵里の肩を揺らしてみた。
「カメ。…カメ、ねえ起きて、朝だよ」
肩に触れ、弱く揺り動かしただけなのに、絵里は弾かれるように飛び起きた。
いつもならこれぐらいで起きたりしないのに、と思いながらも、絵里の眠りが浅かったからだと思い至る。
「あ、ガキさん、どう? まだツラい?」
起きるなりのその言葉に里沙の目頭が熱くなった。
「へーき。もうだいぶ落ち着いたよ」
「ホント? よかったぁ…」
心底からほっとしたように口元を和らげ、ゆっくり立ち上がってベッドに腰掛けなおす。
ゆっくり里沙の顔に手を伸ばしてきた絵里に自ら前髪をあげて額を見せる。
触れた絵里の手は温かった。
- 203 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:09
- 「ホントだ、絵里の手とほとんど変わらないね」
「…ね、カメ」
「なあに?」
きょとん、と可愛らしく首を傾げたその仕草に里沙の口元が綻ぶ。
「ここに来ちゃいけないって言われなかったの?」
「言われたよ。けど、だって、心配だったもん」
「……ずっと、いてくれたの?」
ほんの一瞬、絵里が目を見開いた。
けれどそれは一瞬だけで、目を見開いたのも、里沙のようすに感づいたからだろう。
返事を待つ里沙に向かって、絵里はゆっくりと表情を柔らかくして、優しく微笑んだ。
「…ねえ、ガキさん。そういう顔されたら、絵里、期待しちゃうよ?」
「そういうって、どんな顔よ」
「キスしたくなる顔」
「な…」
何を、と言い返そうとしたら、目の前まで絵里が顔を近づけてきた。
何をしようとしているのかわかるが、それを嫌だと思わない自分に、正直驚きもしていたけれど。
- 204 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:09
- 「…ねえ、カメ、ホントのこと言いなよ?」
「なあに?」
「あたしが寝てるとき、したでしょ」
「うん、した」
悪びれるようすもなく答えた絵里に、里沙は大げさに溜め息をついた。
「…あ。やっぱ怒った?」
呆れて声が出なくなるが、里沙はゆっくり、絵里の肩に額を押し付けるようにしてもたれた。
「ガキさん?」
「…なんかもう、どうしようもないよね」
「あ…うん、ごめん。やっぱ嫌だったよね…、約束してたのに」
「じゃなくてさあ」
さっきと同じように大きく息を吐き出す。
静かに跳ねただけだった心音は、いつのまにかその大きさと間隔を変えている。
「嫌じゃないって、思ってる自分が」
- 205 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:09
- 一瞬の間を置いて、里沙の言葉の意味を把握した絵里が里沙から離れた。
そして、聞き間違いだろうかと言いたげにまじまじと里沙の顔を見つめてくる。
「…えと、ガキさん?」
「なーによ」
「ひょっとして、まだ熱ある?」
「ないよ、もう。ないってアンタだってさっきそう言ったでしょーが」
「言ったよ、言ったけどさ! でも、だって…、そんなの言われたら絵里、ホントにしちゃうよ? キスしちゃうよ?」
「てゆーか、もうしたんでしょ、あたしが寝てるとき」
「し、したけど…でも」
どちらかと言えば、普段の絵里は里沙に対して敬語は薄れないながらもいくらか強引な言動も多い。
世話を焼かせるのが上手で、焼いた側もそれを不快に思うことがない不思議な子だ。
だから今、おどおどとたじろぐ絵里はなんだか新鮮に見えた。
そのぶん焦れったくなって、里沙のほうから瞼を下ろす。
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:10
- 数秒の間を置いて、里沙の唇にやわらかな感触を感じた。
けれど一瞬でそれは離れ、里沙の反応を待っているのだと伝える。
しかし、目を開けようとして、その直前でいきなり抱き締められた。
「ガキさん…っ」
「カメ?」
「ごめん、あのとき言ったこと、訂正する」
「なに?」
「お願い、絵里と付き合って…!」
予想外の反応に里沙は絵里の腕の中でほんの僅かだけ、身じろいだ。
「ごめん、今になってこんなの言うのずるいってわかってるけど、でも、嫌じゃないって、そういう意味だよね?
絵里、ガキさんのこと一番大事にするよ。悲しませるようなこともしない。仕事だって今まで以上に頑張るから。
性格直せっていうなら、それもちゃんとするから、だから、だから、
今のキスが嫌じゃないって言うなら、絵里のことキライじゃないなら、もうこのまま、絵里と付き合おうよ」
- 207 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:10
- 切羽詰まったようにそこまで一気にまくしたてた絵里に、今の彼女の気持ちを推し量る。
先日、絵里の自分への気持ちを聞かされたとき、絵里はもっと余裕のある顔をしていた。
まるで他人の恋愛話を語るみたいな気軽さで言われたから、最初は告白された当人である里沙自身も信じられなかった。
それでもその目だけは真摯で真っすぐで、疑いの余地はなくて。
嬉しかった、というのが、そのときの素直な里沙の気持ちだった。
小春のときのような驚きもあったけれど、焦りや戸惑いは薄く、その気持ちが何よりも強く里沙の中にあった。
それはきっと絵里に好意を持っていたからだというのは理解できたけれど、
だからと言ってそれが果たして絵里と同じ好意だったのかどうかは判断出来なかった。
考えさせてほしい、と言った里沙に絵里はいつものように微笑んで、
それ以降、今朝に至るまで、本当に告白されたのかとさえ思うほどに、絵里は普段のままだった。
だから今、自分を抱きしめて気持ちをぶつけてくる彼女こそが本当で、
あの日や今までの彼女はただ、自分へ気持ちを抑えていただけに過ぎないのだと知る。
- 208 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:10
- 「カメ…」
愛しい、と、素直に里沙は思った。
それは、嬉しい、という気持ちを遥かに超えた胸の奥に温かい感情だった。
抱きしめてくる絵里の肩にもう一度額を押しつける。
気付かないでいる絵里に口元が緩んで、里沙はゆっくり、絵里の背中へと腕をのばした。
背中に里沙の手の感触を感じた絵里が慌てたように頭をあげる。
泣き出してしまいそうな顔で見つめてくる絵里に愛しさが増した。
言葉で答えが欲しいのがわかって、いざ声にしようとして途端に恥ずかしさが込み上げてきた。
再度絵里の肩に額を押し付け、今度は里沙のほうから少し強めに抱きついた。
「…ねえ、ガキさん、返事して?」
「返事してほしかったらもう一回言って」
「えー、何それー」
密着したカラダが不服そうに答えた絵里の振動を伝える。
きっと、里沙の心音だってもう絵里に伝わっているだろう。
- 209 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:11
- 「ガキさんって意外とツンデレだよね」
「…そんなこと言うなら返事しない」
「あっ、うそうそ、嘘です、言います言います」
えへへ、とはにかんだ笑いが里沙の耳元に届く。
その絵里の言葉を聞き逃さないように里沙は目を伏せた。
「…絵里は、ガキさんが好きです。大好きです」
知っていたはずの気持ちなのに、前に聞いたときより高く里沙の心臓が跳ねた。
「…ね、絵里と付き合お? ぜったいぜったい、幸せにするから」
どきどきしていた。
生まれたての感情が今まさに芽吹こうとしているのがわかって唇が乾く。
また熱が上がったのかも知れない。
その乾いた唇をそっと舐めてから、里沙は絵里の背中へと回した手で絵里の服の裾を掴んだ。
「……うん、付き合う…」
自分でも情けなくなるほど掠れた声になったのに、絵里は決して聞き逃すことなく、
確かに聞き届けたとわかるように頷いてから、里沙を強く強く、抱き締めた。
- 210 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:11
-
- 211 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 00:12
- 本日はここまでです。
ようやく一歩前進、といったところでしょうか。
でも、まだだらだら続く予定です。
なのに次回の更新は相変わらず未定です、ごめんなさい。
お気づきと思いますが、このお話は少しばかり未来のお話です。
食い違うこともでてくるとは思いますが、そこはフィクションってことで、ご理解ください。
さすがに、同じことを何度も打ち込むのもいい加減切なくなってきたんで、
今後はsage更新で行こうと思います。
ageちゃわないよう、なにとぞ、ご配慮をお願いいたします。
- 212 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 06:38
- めでたい!
今後どうなっていくのか楽しみです。
次の更新待ってます!
- 213 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 07:31
- お疲れさまです。
亀井さんが愛しい。
- 214 名前:名無し 投稿日:2009/02/12(木) 20:28
- カメがいいなぁ。
ガキカメに目覚めちまったよ。
でも、別の人とになっちまうのかなぁ・・・
- 215 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/12(木) 21:12
- ガキカメでもいいのかもしれない…
けれど返事をしなかった相手があの人であってほしい…
そう願わずにはいられません…!
- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/13(金) 03:22
- 更新お疲れ様です
あぁああ、どうなるのだー
カメも好きですが、密かにあっちじゃないかと期待…と書いてみる
- 217 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/14(土) 14:33
- 愛ちゃん ハァ━━━*´Д`*━━━ン!!!
- 218 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/14(土) 15:00
- とりあえず落としておきます
- 219 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/15(日) 22:19
- 亀井さんにグッときました
これで一安心・・・となるのでしょうか
それぞれの人物の想い、今後の展開が気になります
- 220 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/16(月) 02:27
- ガキカメいい!
ガキカメのまま幸せになって欲しいですが、作者様に全て任せます。
アメスタのガキカメ良かったです。
- 221 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/03/15(日) 15:19
- ガキカメも大好きだからこのままでいてほしいけど
やっぱりあの人になっちゃうのかなぁ…
カメ…(´;ω;`)
- 222 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/03/22(日) 11:50
- 頑張って余裕かましてたのだろう亀ちゃんが
いじらしいですねぇ
- 223 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/03/26(木) 05:26
- 落とします
- 224 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/03/26(木) 08:10
- >>223
女々しいねぇw
- 225 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/02(木) 23:37
- 待ってます
- 226 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 20:59
- 更新します。
- 227 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:00
-
- 228 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:00
- 2ヶ月に及ぶ春のツアーが終わったあとは、しばしの休息に入る。
絵里の気持ちに応えたのがツアーの真っ最中だったこともあり、
ツアーが終わるまで、特に目立った進展もなく、今まで通りで過ごした。
それでも時折、周囲の目を盗むように絵里がそっと手を握りしめてくることがあり、
そのたび、里沙は胸の奥をくすぐられるような気分になった。
もちろんそれは決して不愉快なものではなく、
くすぐったさと同時に、自分の中で絵里への気持ちがゆっくりと膨らむのも実感していた。
- 229 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:00
- ツアーを終える少し前に、絵里と付き合い始めたことを一番最初にさゆみに伝えた。
敢えてふたりで決めたことではなく、感づかれた、といったほうが正しい。
小春をはじめ、他のメンバーのことも刺激しないようにと、絵里のほうが誰にも気づかれないように配慮していた。
親友と豪語するさゆみにでさえ、秘密にしていてもいいと言ったほどだ。
けれど、そういった秘密は得てして隠し通せないことが多く、
ましてさゆみは絵里が里沙に想いを告げる前から絵里の気持ちを知っていたひとりでもあったので、
ふたりの普段のようすから、自然と伝わるカタチになってしまった。
さゆみが気づいた以上、れいなも気づいているだろう。
けれどそれをれいな本人に確かめることはできない。
彼女の気持ちを知っている里沙には、事実を知ったれいなの心情を思うだけで胸が痛んだ。
そんな里沙にさゆみも気づいてか、小さく苦笑いを浮かべられて申し訳ない気分を更に増幅させられたけれど、
今の里沙には、れいなの傷ついているであろう心中を思いやることより、
自分といることで絵里が見せる笑顔のほうが、思考の占有率が高かった。
誰かと付き合うということは、別の誰かを傷つけることにもなるのだと、改めて里沙は思う。
それでも、誰かを傷つけても、譲れないものもあるのだと。
- 230 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:00
- 普段より長めのオフを使って実家に戻る地方出身のメンバーと違い、
関東出身の里沙と絵里は、その休みを待っていたとばかりに、お互いの家を繰り返し行き来した。
とはいえ、付き合う前と特に大きく変化するようなこともなく、正直、里沙自身は拍子抜けしていた。
恋愛感情を持って誰かと付き合う、ということは初めての里沙だったが、
絵里の態度が付き合う前のそれと何も変わらなかったのが不思議で、少し不安になった。
恋人同士になったら、もっと何か大きく変わることがあるものと、なんとなくそう感じていたのだ。
絵里のことだ、もう少し大胆に迫られるか求められるかだと思っていたのに。
ひょっとして、自分は何か思い違いしているのだろうか?
絵里は、自分が思うような付き合い方を求めているのではないのだろうか?
「ガキさん?」
「は、はいっ?」
自分の考えが少し浅ましい方向へ向かい始めたときに不意に声を掛けられ、里沙は大きく肩を揺らした。
振り向いたそこに、きょとん、とした絵里がいて、それから小さく吹き出す。
「声、裏返った」
「う、うるさいな、考えごとしてたから、ちょっと驚いただけだよ」
「ふうん?」
意味ありげに口元を緩めながら、絵里がベッドに座っていた里沙の隣に座った。
- 231 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:01
- オフは明日で終わる。
明日は家族と過ごすほうを優先したが、その前に絵里と過ごしたくて、会いたいと、少しばかり無理を言った。
それでも絵里は嬉しそうな顔をして里沙を迎え入れてくれた。
「…今日、なんか静かじゃない? みんなは?」
「あ、今日はみんな留守」
「へ?」
「新しいショッピングモールができたから見てくるって。夕方には帰ってくるだろうけど」
「あ…、ごめん、あたし…」
家族水入らずの時間に割り込んだように思えて、
突然の自分のわがままを聞きいれてくれた絵里に対して途端に申し訳なさが募る。
「? なんでごめん?」
「だってなんか、なんかさ…」
「…ガーキさん」
どう言っていいかわからず俯いてしまった里沙の気持ちを察したのか、ひょい、と下から顔を覗きこまれた。
「家族より恋人を優先した、ってことだよ?」
直球で言われて、思わず心臓が跳ねた。
- 232 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:01
- 「バカ…」
「ふふ、照れてる、かーわいーい」
「…うるさいよ、もー」
顔が熱くなるのを感じて、赤くなっている顔を見られたくなくてカラダごと絵里に背を向ける。
「やーん、なんでそっち向くのー」
「アンタが恥ずかしいこと言うからでしょーが」
「だって可愛いんだもん」
ニコニコと口角を上げながら目を細めて絵里が言う。
しかし、ベッドに並んで腰かけているというのに、なぜか絵里は里沙と一定の距離を保ったままだ。
「…カメ」
「ん?」
呼びかけたはいいが、どう誘えばいいかわからない。
素直にもっとそばにきてと言えればいいのだが、性格上、どうしても恥ずかしさが先に立つ。
するとそんな里沙の心の声を聞いたように、絵里のほうから里沙にもたれかかってきた。
「…えへへ」
肩先で嬉しそうに笑われて里沙の胸の奥がまたくすぐったくなる。
- 233 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:01
- 「…あのさ」
「なあに?」
「前からちょっと、気になってたんだけど」
「うん?」
もたれていた里沙の肩から頭を上げ、不思議そうに首を傾げる。
「なんか、いまいちよく、わかんないんだけどね」
「? うん?」
「男と女だと、付き合い方にも違いってあるの?」
「はぃ?」
「だって、なんか、なんかさ…」
「…別に、女同士でも、付き合うことに特に大きな違いって、ないと思うけど…」
絵里が里沙の言葉を理解しかねているのは不審そうに揺れている黒目がちの瞳で読み取れた。
「……今更なこと聞くけど、あたしとカメ、付き合ってるんだよ、ね?」
「え、うん…」
投げかけた言葉は唐突過ぎたせいか、絵里が僅かに顎を引く。
「絵里のほうは、そのつもりだけど…」
「じゃあ、じゃあさ…」
「? ガキさん?」
「じゃあ、なんで何もしないの?」
- 234 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:02
- ずっと不思議に思っていた言葉が勢いのままに里沙の口をついて出た。
そしてそれは驚くほど見事にきれいに部屋の壁にぶつかって、淀むことなく里沙の耳に返ってきた。
淀みがなかったぶん、一瞬で空気のいろが変わった気がして全身を緊張が走る。
盗み見るように上目遣いで絵里を見ると、つい数秒前まで見せていた穏やかな笑顔などではなく、
見ただけで絵里の心情が推し量れるほど、真一文字に口元が引き結ばれていた。
告白されたときとはまた違った真剣な眼差しに里沙の心臓が大きく跳ねあがる。
じり、と、距離を詰められて、咄嗟に里沙はベッドの上に乗り上げて身を引いた。
その里沙を追うように絵里もベッドに乗り上げ、縮まった距離と同じだけ里沙は後退さる。
しかし、数度それを繰り返しただけで、すぐに里沙は壁際に追い込まれた。
「…か、カメ…?」
「ん?」
返ってくる声色はいつもの甘いトーン。
なのにその目のいろに、逃げ場をなくした里沙のカラダが強張る。
- 235 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:02
- 「なんか…、ちょっと、怖い、よ」
「そうかな」
「…うん…」
「絵里が何もしないって、ガキさんが文句言ったんじゃん」
「そう、だけど…」
それにしても急すぎるじゃないか、と里沙は思った。
ほんの一分前までいつものように締まりなく笑っていたくせに。
「…したくないわけないでしょ」
早くなる鼓動の合間を縫うように、目線を落とした里沙の耳にそんな言葉が届く。
どういうことか、と里沙が問い返そうと顔を上げたとき、
絵里の手は動きを封じるように里沙の両肩を掴み、その顔は里沙のすぐ目の前にあった。
「…っ」
なにをされるか悟る前に唇が押し付けられていた。
しかし、触れたと思ったすぐに絵里は里沙から離れる。
どきんどきん、と、高鳴る鼓動の音がうるさいくらいで息苦しくなってくる。
付き合いはじめてからはこれが初めてのキスだったのに、なんだか一方的に思えて里沙は悲しくなった。
- 236 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:02
- 「カ、メ…」
思わず漏れた里沙の声に絵里の口元がまた引き締まる。
そして、今度はゆっくりと顔を近づけてきた。
見動きを封じられたカラダを強張らせながら、絵里の唇が触れてくるのを待って、里沙はゆっくりと瞼を下ろす。
さっきのような一方的な雰囲気はなかったが、
それでもどうしてもお互いの気持ちが重なっているようには思えなくて、里沙のカラダから強張りが解けない。
弱く上唇を吸われて今度は肩が揺れた。
誘導されるままに薄く唇を開くと、上唇が絵里の唇に挟まれる。
唇の裏側に絵里の舌が触れたのがわかって、里沙のカラダがますます強張る。
と、絵里がそっと里沙の唇を離した。
解放されたのか、と思った里沙がそろりそろりと瞼を上げると、
絵里の顔は里沙の右頬に滑っていて、その吐息が里沙の耳にかかった。
「ぁ…」
「じっとして」
耳元で囁かれ、強張ったままのカラダが震える。
肩を掴んでいた絵里の右手が里沙の左腕を撫でながら降りて肘を掴んだ。
耳に届く絵里の息遣いに自身の呼吸も乱れるのがわかるが、里沙はそれを整える術を知らない。
- 237 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:02
- 右頬に触れていた絵里の唇がゆっくりと里沙の顔の輪郭を辿りながら顎へと落ちる。
それに逆らわずに喉をそらすと、生暖かな絵里の息が首筋に触れ、里沙のカラダはまた震えた。
「ガキさん…」
呼ばれたと思ったとき、絵里の舌がぺろりと、里沙の首筋を少しだけ舐めた。
ほんの僅かに触れただけなのに、その慣れない感触に、里沙の背筋に冷たい何かが流れ込んできたような気がした。
息苦しかった。
追い詰められるような切迫感が里沙を覆い尽くそうとしていた。
一番先に里沙の脳裏を掠めた感情は怖れだった。
それは、絵里に対して初めて持った感情でもあり、
そうと気づいて戸惑いはしたが、それでも今すぐこの状況から逃げ出したかった。
里沙が意識せずとも、きつく閉じられていた目尻に涙が浮かぶ。
それを見た絵里が、口元を薄く歪めながら、そうっと里沙から離れた。
- 238 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:03
- 肩や肘を掴んでいた手の熱が薄れ、密着感と圧迫感がなくなり、里沙は閉じていた瞼をゆっくり開けた。
「カメ…?」
「…平気?」
優しい微笑みを浮かべた絵里が、里沙の頬を撫でながら親指の腹で目尻の涙を拭う。
「怖かった?」
ぎくり、と、里沙の胸が鳴る。
自分の態度が絵里を傷つけたのは明白だった。
「ほらね? だからだよ」
「え…?」
「ガキさん、こういうの初めてでしょ? 勢いだけでそういうこと言っちゃダメ」
きゅ、と、心臓を掴まれた気がした。
「ガキさんの気持ちがまだ絵里に追いついてないことぐらいわかってるよ。
キスとか、それ以上のことも、したくないって言ったら絶対嘘だし、やろうと思えばできるけど、無理強いはしたくない」
- 239 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:03
- 顔が熱くなる。
何もかも、絵里は気づいていたということか。
「ガキさんが絵里に全部許してもいいって心から思えるようになるまで、絵里、待つから」
「カメ…」
「だから、焦んないでいいよ?」
ふわりと微笑まれて胸が詰まる。
絵里の想いに本当の意味で応えていないことに焦りを感じていたその気持ちさえ、見抜かれていたなんて。
さっきとは違った意味で目頭が熱くなって、でもなんだか見られるのが恥ずかしくて、
誤魔化すように絵里の肩に額を押し付けた。
「ガキさん?」
「…うん、ごめん。…ありがと…」
自分を包む空気が優しくて心地よくて、甘えるように絵里の肩先に頬をすり寄せて呟くように告げたら、
ほんの少し絵里のカラダが揺れたように感じた。
「あー、…あの、あのね、ガキさん」
「…なに?」
「やっぱごめん、これだけはちょっと我慢できそうにないから、許してね」
- 240 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:03
- 何を、と聞こうと顔を上げる前に、そうっと抱きしめられた。
「…さすがに、こんなにくっついてて何もしないでいられるほど、枯れてないからさ」
こつ、と、今度は里沙の肩先に絵里の額が押し付けられる。
長い髪が絵里の表情を隠すが、ほんのりと薄紅色に染まった耳と、
密着した部分から伝わってくる体温が絵里の心情を伝え、里沙の胸の奥をくすぐる。
絵里の気持ちと、日々、自分の中で膨らんでいく少し恥ずかしい感情に後押しされるように、
里沙はその耳にゆっくり唇を押し付けた。
それに気づいて驚いたように上体を起こした絵里が、戸惑いをその顔に乗せて里沙を見つめてきた。
「ガキさん…?」
「…カメのいうように、心の準備ができるまでは、まだ少し待ってほしいけど」
「え?」
「でもこれは、もっと、したい」
言いながら、耳と同じだけ染まっている絵里の頬に口づける。
すぐに離れて上目遣いのまま絵里を見ると、絵里の口元がだんだんと緩んでいくのがわかった。
- 241 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:03
- 額を合わせ、どちらからとなく微笑んで、お互いの綻ぶ口元と目を見ているうちに気持ちが落ち着いていく。
ゆっくり顔を近づけてきた絵里の睫毛を見ながら、里沙が先に瞼を下ろす。
重なる唇の熱に押されるように絵里の肩に置いた手にチカラが入ったけれど、
さっきのような切迫感や畏怖は、少しも感じなかった。
里沙の唇を離れた絵里の唇が今度は里沙の瞼に落ちる。
軽く押しつけるだけのキスを、まるでそこから気持ちを伝えるみたいに、優しく、何度も顔中に降らす。
里沙の中で、絵里に対する気持ちがゆっくりでも育とうとしているのがわかる。
焦らないでいいと言ってくれた絵里に早く応えられればいいと、そのとき里沙は確かに、心に決めたのだった。
- 242 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:04
-
- 243 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/08(水) 21:04
- 本日はここまでです。
焦れったい感じですいません。次回は少し動くかも知れません。「かも」ですが。
相変わらず次回の更新は未定です、ごめんなさい。
感想などのレスをいただける場合、メール欄にsageの記入をお願いいたします。
ではまた。
- 244 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/09(木) 08:08
- えりりん優しいしガキさんかわいい
どうなっていくのか楽しみです。
- 245 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/10(金) 00:58
- 更新ほんっとうにありがとうごさいます
二人がもうたまらなくかわいい〜!
- 246 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/10(金) 06:30
- かわいいカップルだなぁ
そして気持ちの固まってる時の亀ちゃんはなんか凄いですね
- 247 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/11(土) 21:58
- 更新ありがとうございます。
ものすごくおもしろかったです。
次回も待ってます
- 248 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/20(月) 21:57
- 二人とも可愛くてもきゅもきゅしました
作者さんの心理描写がいちいちツボすぎて辛いですw
- 249 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 22:58
- 更新します。
- 250 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 22:58
-
- 251 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 22:58
- 室内にいるのに、その部屋の空気に雨を予感させる生暖かな湿度を含んだ匂いが混じり始め、
里沙はゆっくり、読みかけの文庫本から頭をあげて、朝からあまり思わしくなかった窓の外に目を向けた。
思ったとおり、外は朝より厚い雲に覆われていて薄暗く、それほど待たずに雨が降り出しそうな空色をしている。
そう言えば、昨日、全国的に梅雨入りしたらしいと母親から聞いたところだった。
ふと部屋の壁にかかっている時計に目をやって時間を確認すると、
自分がこの部屋に来てから20分が過ぎようとしていた。
そろそろ着替えと挨拶を終えた絵里が現れそうな気がして、しおりを挟んで文庫本を閉じる。
と、それをはかっていたように外側からノックされた。
「はーい」
間延びした声で答えると、里沙の思ったとおりの笑顔で絵里がドアを開けた。
- 252 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 22:59
- 「ごめん、おまたせ」
「ううん。もういいの?」
「うん。絵里はもともと、そんなに親しくない人達だから。今は愛ちゃんとさゆと喋ってる」
昨年に続いて今年も、愛、絵里、さゆみ、そしてれいなの4人での舞台が始まった。
現モーニング娘。での年長組、という枠の中で、
自分だけがこの舞台に参加していないことに里沙も最初は疎外感を感じていたけれど、
4人ともがそれぞれこの舞台を楽しんでいるようで、
今ではそんな感情はつまらないものだと思えるようになった。
ちょうどオフにもなった今日、みんなには事前に知らせないで舞台を観にきたのだが、
さすがに完全プライベートというわけにもいかず、始まる前に楽屋を訪れてみた。
するとどうやら今日は他にも舞台関係者や以前の仕事の共演者も来ていたらしく、
出演者は全員、舞台が終わったあとでお礼や挨拶に向かうことになり、
彼らとさほど面識のない里沙は、仕方なく、楽屋でみんなを待つことにした。
- 253 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 22:59
- 「田中っちは?」
「れいななら終わってすぐ帰っちゃった。なんか、用があるって」
それを聞き、里沙の気持ちが少しだけ軋む。
里沙が絵里と付き合い始めてから、
れいなはあまり自分たちと関わらなくなってしまったような気がしていたからだ。
気のせいだと思いたいが、思い当たることが多すぎてはっきり違うと言いきれない。
ひとりでいるときや他のメンバーと一緒のときはそうでもないが、
今日みたいに里沙と絵里がふたり揃うときは、たいてい、いつのまにか姿が見えなくなっている。
気を遣ってくれているのかも知れない、なんてポジティブな思考は浮かばない。
言葉にされないぶん、態度で傷ついていると示されているようで、
どうしてか、なんてわかっているだけに、里沙も強くは出られなかった。
- 254 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 22:59
- 「でも、ガキさんが見にきてくれたってわかって、絵里、すごい張り切っちゃった」
知らずに気持ちが降下したことに気づいたように絵里が嬉しそうな声色で言って、
椅子に座ったままの里沙の前に立った。
「なーに言ってんの」
「えー、だって、やっぱいいとこ見せたいしー」
「…ばぁか」
見上げていた里沙が恥ずかしさを隠すように俯くととほぼ同時に里沙の肩に絵里の手が乗せられる。
なんだと思いながら顔を上げたら、口元を緩ませた絵里が僅かに首を傾げて里沙を見つめていた。
その表情に胸が鳴って、つられるように緩んだであろう自分の口元を自覚する。
それがなんだかカッコ悪くて、誤魔化すように里沙は肩を竦めて見せた。
「…おいで」
両手を広げて見せたら、途端に絵里の表情が明るくなって、椅子に座ったままの里沙の膝に横向きに腰を下ろす。
そうするとまだ見上げる態勢ではあってもさっきより顔の位置は近くなって、
絵里の嬉しそうに緩んだ口元に目がいく。
「えへへ」
表情に比例した、少しだらしない笑い方で笑った絵里がそっと里沙を抱きしめた。
その、どこか頼りない感じがする腕の強さは、いつも、里沙にとって少しだけ息苦しくて、その何百倍も心地好い。
- 255 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 22:59
- 絵里の髪が里沙の鼻先をくすぐり、そっと瞼を下ろして、背中へ腕をまわす。
そんなふうに密着することで届く絵里の鼓動が里沙をより安心へと導く。
すると不意に、絵里がカラダを起こして里沙を見つめてきた。
穏やかに綻んではいたけれど、纏っている雰囲気で絵里の気持ちを察する。
そっと目を閉じ、顎を上げると、少しだけ間を置いて鼻先に唇が触れた。
思わず肩を竦めて見せたら、今度は閉じた瞼に触れて、額に滑る。
目を閉じたままでも、そのときの絵里の嬉しそうな顔が瞼の裏に浮かぶ。
「…くすぐったいよ」
「あ、ごめん」
「嘘だよ。…気持ちいい」
思ったことをそのまま声にしたら、息を詰まらせたように声をひきつらせ、
なにかと思って里沙が目を開けるよりも早く、里沙の肩に額を押し付けてきた。
- 256 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:00
- 「カメ?」
「…気持ちいいとか、ガキさんのえっち…」
「なぁんでよ」
「…嘘、そんなこと思ってないよ」
「じゃあなに?」
「…嬉しくて死にそう…」
時々、こんなふうに言われるたびに、次の段階に進む気持ちがまた固まる。
絵里が嬉しいと感じることをもっとしてあげたいと思うたび、里沙自身の気持ちも絵里に近づいている気がする。
返す言葉に困っていると、そっと顔を上げた絵里が僅かに頬を染めながら里沙を見つめてきた。
「…もっとしていい?」
「うん…」
そっと包み込むように里沙の頬に絵里の手が添えられるのを待って、再び目を閉じる。
絵里の手の熱を感じとる前に、柔らかな感触が里沙の唇を塞ぐ。
- 257 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:00
- まだ、一度も深い関係にはなっていない。
里沙の心の準備が整うまでは待つと言ってくれたとおり、
こんなふうに抱きあって唇を重ねるときでさえ、絵里は必ず里沙に許可を請う。
それを少し焦れったく思っていることを、どのタイミングで言えばいいのか里沙にはわからない。
だからただ、反論も抵抗もせず、受け入れるだけだ。
絵里に抱きしめられるとホッとする。
このままでいられるならずっとこのままでいたいと思う。
これが人を好きになって得られる感情だというなら、もっと早く知りたかった。
唇を離した絵里が名残惜しそうに里沙の肩に頬ずりをする。
子供じみたその仕草が泣きたくなるほど愛しく思えて、
里沙自身も絵里の体温に身を任せようと、背中にまわしていた腕のチカラを強めようとしたときだった。
何気なく目を開けて、ドア付近に人の足を見た。
ハッとして顔を上げると、そこに、言葉を発することも忘れたように、見慣れた人がひとり、目を丸くして立っていた。
- 258 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:00
- 「愛ちゃん…?」
驚いてカラダを揺らすより先に里沙の口から名前が零れる。
「えっ?」
その声が音となって自分の耳に届くより早く、先に聞き届けた絵里が弾かれたように里沙から離れて立ち上がった。
「あ、愛ちゃん…、あの、これは…」
絵里が口を開こうとするが、咄嗟にもっともらしい言い訳は見つからず、視線を泳がせて手で口を覆う。
里沙も、愛が納得できて、尚且つこの状況を言い逃れられる説明ができるような言葉はなにひとつ浮かんでこない。
いつからいたのだろう。
どこから見られていたのだろう。
愛にはまだ話していなかったけれど、隠しておくつもりではなかった。
いずれは言わなければいけないと思っていた。
けれど、まさかこんなふうに知られることになるなんて。
表情を凍らせ、きつく結ばれている愛の唇が動き出すのを、里沙も、そして絵里も、じっと待った。
- 259 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:01
- ぴん、と糸が張っていたような空気が切れたのは、愛を追ってか、愛の背後にさゆみが現れたからだった。
「どうかしたの?」
背中から声を掛けられた愛のカラダが一瞬だけ大きく揺れる。
けれどすぐ、ドアのそばに立ちつくしていただけの態勢から一歩踏み出した。
途端、里沙にも絵里にも、背中を悪寒に似た緊張が走った。
「…邪魔してごめん。荷物、取りにきただけなんよ」
「あ、あの」
「ホンマ、ごめんな。すぐ行くから」
絵里の言葉を遮るように謝って、里沙が座っていた椅子のそばにあったロッカーに向かう。
中から見慣れたバッグと帽子を取り出すと、ゆっくり閉じて、細く息を吐いた。
何故だかそれがひどく、里沙の気持ちを揺さぶった。
- 260 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:01
- 「…みんな、知ってるんか?」
閉じた姿勢のまま、愛はぽそりと尋ねた。
無闇に近づけない雰囲気を纏っていて、里沙の鼓動が焦りから速くなる。
「…ううん、みんなは知らない、と思う。さゆと…、たぶん、れいなだけ」
里沙に代わって答えた絵里の答えに、里沙自身が驚く。
さゆみは自分たちから伝えたのだからわかるとして、どうしてれいなも気づいていると知っているのか。
ひょっとして絵里は、れいなの気持ちに気づいて?
絵里の答えを聞いた愛がドアのそばに立つさゆみをちらりと見遣ると、
見られたさゆみは気まずそうに眉根を寄せながら肩を竦めて俯いた。
それを見てから、愛はまた溜め息をついた。
今度は、さっきより深く、長く。
「……そぉか。わかった。秘密なんやな」
「…ごめん」
「なんで謝る? 悪いことしてるんか?」
「してないよ、マジだよ」
「なら、謝らんでええやろ」
軽くロッカーを叩くように撫でて、愛が振り向いた。
- 261 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:01
- 「けどまあ、秘密にしときたいんなら、もうちょっとまわりにも気ぃ遣え」
「…わかった」
「じゃ、あーしはもう帰るわ」
「あ、うん」
「また明日な」
ひょい、と、バッグを持ってないほうの手を挙げて踵を返すと、
ドアのそばにいたさゆみの肩を軽く叩いてから出ていった。
その背中を見送っていたさゆみがハッとしたように中に入ってきて、
いつものようにじっくりと身支度を整えることもしないで、さっさと自分の荷物を持った。
「あたしも帰るね」
「え?」
「またね」
「あ、うん。またあした」
ぱたん、と閉じられたドアに、慌ただしく出て行ったさゆみと、
何ごともなかったように出て行った愛の残像がブレながらも重なる。
愛の気配がなくなって、声も聞こえなくなって、ようやく、里沙のカラダが震えだす。
- 262 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:01
- 「…どう、しよう…」
「え?」
「どうしよう…、ねえ、あたし、どうしたら…?」
「え? ちょ、ガキさん? なに? どうしたの?」
呆然と、ただ見ているだけしかできなかった。
一度も里沙の顔も見ず、里沙に声をかけず、里沙のほうに振り返らず、愛は、行ってしまった。
こんなことは初めてだった。
血の気が引いていく感覚がして、震えそうになる自身のカラダを無意識に抱き締める。
「ガキさん…」
そんな里沙を見かねたように絵里が抱き締めたけれど、
いつもなら伝わってくるだけで気持ちまで温かくなる体温がひどく遠くに感じられた。
「…大丈夫だよ、愛ちゃん、怒ってないって、言ってたじゃん…」
里沙のようすを不審に思ってか、絵里の声もどこか弱々しい。
けれど里沙は、絵里の慰めの言葉とは違うことを考えていた。
- 263 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:02
- 以前、まだ絵里に対する気持ちが不確かだったころ、愛に励まされたことがある。
言われた言葉はありふれていたとも思えるのに不思議と気持ちが晴れて、
たぶん、そのことがあったから、今、絵里と付き合っているのだとも思える。
自分で思う答えでいいと愛は言った。
人を好きになるのは怖いことじゃない、と。
あの言葉に、確かに里沙は背中を押された。
里沙が出す答えを、あのとき愛はもう、感づいていたのかも知れない。
それとも実際はその逆で、里沙は絵里の気持ちに応えないと思っていたのだろうか。
だからさっき、あんなふうに無表情の顔で自分たちを見つめたのだろうか。
愛は、怒ってないとは言ってない。
悪いことをしてないなら謝らなくていいと言い、秘密にしておきたいなら周囲に気を遣えと言っただけだ。
それは決して、怒ってない、という意味ではない。
むしろ、謝ったことで怒らせたような気分だった。
- 264 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:02
- 愛がこちらを一度も見なかったせいで、次に会うときどんな顔をすればいいのか、いきなりわからなくなった。
今までどんなふうに愛と向き合っていたのかさえ思い出せない。
ひょっとしたら怒ってないのは絵里のことだけで、自分に対しては何か怒りを覚えたのではないだろうか。
気づかないところで愛の気持ちを逆撫でるような言動を起こしてしまったんじゃないだろうか。
絵里と抱き合っていたのを見た愛がどう感じたのかと思うだけでまた震えが起こる。
そして唐突に、込み上げてくる感情が『不安』だと気づく。
軽蔑されたかも知れない不安。
怒らせてしまったかも知れない不安。
これからは今までどおりではいられないかも知れないという、予感にも似た不安。
考えれば考えるだけ、それは黒い渦のように里沙に襲いかかってきた。
一度迷ったら逃げ出せない思考のループ。
絵里の腕の中にいても、里沙のカラダはしばらく小刻みに震え続け、
そんな里沙を抱きしめながら、絵里もまた、苦しげに目を閉じ、唇を噛んだ。
- 265 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:02
-
- 266 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/23(木) 23:02
- 本日はここまでです。
今回は思ったより早く書き溜められたのですが、
まだだらだら続くかと思うと自分で書いてる話なのに眩暈がしました。
自分で今後の展開をバラしてしまいそうなので個々への返レスは省かせてもらいますね、すいません。
それでも感想などのレスをいただける場合、メール欄にsageの記入をお願いいたします。
ではまた。
- 267 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/24(金) 07:25
- 最初から読み直したのですが>>73の小春と>>173の高橋さんがかっこよすぎる。
そして何気ない「だらだら続く」発言にガッツポーズです。
更新おつかれさまでした。
- 268 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/24(金) 07:26
- 更新お疲れさまです。
やっぱりあの人が・・・
この先どうなっていくのか楽しみです。
- 269 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/24(金) 17:32
- 更新お疲れ様です
こうきましたかぁ〜
…続きがどうなっていくのか気になりながらお待ちしています
- 270 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/24(金) 18:44
- 更新ありがとうございます
おおっ〜。急展開ですね
どっちに進むのかドキドキです
- 271 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/25(土) 09:22
- 愛ちゃん…(´;ω;`)
めちゃくちゃせつないです
みんなに幸せになってほしい
- 272 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:52
- 更新します。
- 273 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:52
-
- 274 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:52
- 舞台の千秋楽を明日に控えた夜。
足を運ぶべきか、やっぱりやめておくべきか、里沙は自分の部屋のベッドの上でずっと迷っていた。
あの日以来、会場へは足を運んでいない。
気まずさもあったし、絵里からも、出来れば来ないでほしいと言われたせいもあった。
来るなと言われたことは少なからずショックではあったが、
愛と毎日顔を合わせる絵里のほうが里沙以上に気まずいのはわかっていたし、
まして舞台やライブはステージに上がってしまえば失敗は許されない。
自分のせいで周囲に迷惑はかけたくなかったし、
たとえ小さなものでも負担は背負わせたくなかったので、何も反論はしなかった。
そのかわりか、いつもならメールしても翌朝まで返信を寄越さないこともある絵里が毎日のように電話をくれたし、
さゆみも、あの日の翌日、心配することや気にすることは何もないとメールをくれた。
そのおかげで里沙自身が戸惑うほどだったあの日感じた不安が薄らいだのは事実だった。
- 275 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:52
- しかし、だからといって不安がなくなるわけではなかった。
愛からは何も言ってこないことが薄くなったはずのそれを濃くしたし、
逆に、愛が自分たちのことに対してあのとき尋ねたこと以上は関心がなさそうなことに薄れることもあった。
愛がどう思ったのか、なんて、本人に聞くのが一番いいことぐらいわかっていた。
けれど、あの日、自分を見なかった愛の態度を思い返すたび里沙の行動力や決心は鈍った。
千秋楽なんだから行こうと決めて支度をはじめては、やっぱりやめようと手が止まる。
夕方からずっとその繰り返しでいたせいで、珍しく里沙のベッドのまわりは洋服や小物が散らばっていた。
ちらりと手元の携帯に目をやる。
絵里から電話がかかってきたのは、今から30分ほど前だ。
ふざけたようなだらしない口調でいながらも里沙を気遣っているのがわかる声に、
嬉しくて、ありがたくて、同じだけ自分が情けなくなって、涙が出そうだった。
いつものように他愛ない話を少しして、
おやすみ、と先に切り出したのは絵里だったが、明日は見にきて、とは言わなかった。
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:53
- 通話終了のボタンを押して、無音になってからしばらくたつのに、
里沙はまだ心のどこかで、その携帯が聞きなれた音で鳴らないかと期待していた。
待ち受け画面のデジタル時計をたっぷり5分見つめて、自嘲気味に笑う。
そしてそのまま腕で片膝をかかえ、そこに額を押し付けた。
自分はなんて甘えた人間だろう。
たとえば愛が本当に怒っていたとして、どうして愛から電話がかかってくる?
逆に、本当に無関心でいるなら、電話を寄越す理由なんて何もないじゃないか。
どんなに待ったって電話は鳴らない。
自分から動かない以上は、愛の気持ちを知ることなんてできない。
- 277 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:53
- 頭を上げ、細く息を吐き出し、里沙は携帯を閉じてベッドを降りた。
散らばる小物たちを片付け、いくつかの洋服を拾い上げる。
やっぱり行くのはよそう。
絵里は何も言わなかった。
なら、行かなくても何も言わないだろう。
明日行かなくたって、3日後にはイヤでも新曲イベントの打ち合わせで顔を合わせることになる。
それまでに、せめて平静を装えるようにならなくては。
愛との接し方に迷うだけでこんなにも揺らぐ自分を他のメンバーに悟られてはいけない。
もちろん絵里にも、そして、愛自身にも。
深く息を吐いて、最近お気に入りのスカートをクローゼットの中に片付けたとき、
まるでそれを見ていたように里沙の背後でいきなり携帯が鳴った。
その着信音に里沙は慌てて振り返り、ベッドに飛び乗るように駆け寄った。
小さな振動と一緒に鳴り響く携帯を覚束ない手で掴み、
サブディスプレイに光る相手の名前を見て里沙の心臓が大きく跳ねあがる。
愛だった。
- 278 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:53
- 確かに愛から連絡が来るのを待っていた。
諦めたふりで、でもやっぱりどこかで待っていた。
だけど本当に愛のほうからかかってくるなんて。
緊張と期待と不安と困惑がいっぺんに里沙の中に生まれて、しかし後先考えずに通話ボタンを押した。
「も、もしもし…っ」
『うお、びっくりした。…早いな』
里沙が思う以上に、小さな機械を通して聞こえてくる愛の声は普段通りだった。
「あ…、うん。すぐ、近くにいたから…」
『ふうん…。あ、もしかして寝てた?』
「ううん、起きてたよ」
『そっか…』
そのまま、愛は黙ってしまった。
里沙の心臓がどきどきと早鐘を打つ。
少し沈黙が続き、里沙は携帯を持ち直した。
- 279 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:53
- 「…あの」
『明日』
けれど愛は里沙の言葉を遮るように少し大きめに声を出した。
「え?」
『明日、見にくるやろ?』
「…あし、た?」
『うん。舞台。千秋楽』
ぶっきらぼうに単語だけを紡ぎだす。
けれどその言葉が里沙の胸の奥にジワリと染み込んできた。
「……行っても、いいの?」
『いいも何も』
「いいの? ホントに?」
『ええよ。てか、来てや。みんな待っとるで』
愛の微かな笑い声が届く。
胸に染み込んできたものが、そのまま里沙の涙線を刺激した。
「…お、怒ってるかと…思ってた…」
『は? 怒ってるって、あーしが? なんで?』
「だって、だってぇ…」
『…うおっ、ちょ、待って待って。…な、泣くな、あほぅ』
自分でもわかるほど涙声になったら、さすがに愛も気づいたようで声に焦りが混じった。
- 280 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:54
- 「……アホじゃないもん」
『ああ、うん、ごめんごめん』
呆れたような、でも宥めるだけではない優しい声色。
『怒ってえんよ』
「ホントに?」
『うん。てか、なんでそう思ったんさ?』
「…だって、こないだ…」
『なん?』
「…愛ちゃん、こっち見てくれなかった」
それこそ、アホか、と言われるかと思ったのに、予想外に愛は言葉を詰まらせた。
それは同時に、愛自身に思い当たる節があることを里沙に伝える。
「…やっぱり、怒ってたんじゃん…」
『えっ、いやいや、違う違う。怒ってえんて』
「じゃ、なんで?」
『あー、えーと、それはあ…』
声しか届かないけれど、今の愛がどんな顔で、どんなふうに言葉を探しているか、里沙には難なく想像出来た。
きっと、誰もいないのに周囲をきょろきょろして、頭をかきながら迷っているだろう。
- 281 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:54
- 『…そのー、つまりな』
「うん」
『…なんか、なんていうか』
「うん」
『…怒らん?』
「? あたしが怒るような理由なの?」
『……もしかしたら』
「余計に気になる、教えてよ」
いつのまにか里沙のよく知る愛がそこにいて、知らずに言葉づかいが普段通りになる。
『……なんか、なんかな、ガキさんが、オトナになった気がしたんや』
「へ?」
『やからぁ…、…なんか急に、あーしの知らんガキさんになった気がして』
「…気がして?」
『…その、は…、恥ずかしくなった、ってゆーか…』
そのあと、愛はもごもごと声を濁らせてきちんと聞き取れる言葉を発しなくなった。
けれどそこまで聞き取れれば充分だった。
- 282 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:54
- 里沙の肩から一気にチカラが抜けて脱力する。
そのまま勢いに任せてベッドに突っ伏した。
自分が悩んだこの数日間はなんだったというのだ。
「なによそれ…」
『だって8年…、いや、もう9年か? オーディションの時なんて、ガキさんまだ中学上がったばっかやったやろ』
「…そうだけどさ…」
『恋愛のれの字も知らんような、キスとかそんなん、テレビの中だけの出来事みたいに思ってたやろが』
「そりゃ、あの頃はまだ全然子供だったし…」
愛の言うことは確かにそのとおりで、当時の自分はテレビで見るラブシーンはもちろん、
メンバー同士の些細な、けれど少し行き過ぎたスキンシップを見ただけでも顔を赤くして、
先輩メンバーにいいようにからかわれて笑われていたような気がする。
『そんだけちっさいころからあーしはガキさんのこと知ってるし、
そのガキさんがあーしの知らんようなオトナの顔して誰かと抱き合ってるとか、焦りもするわ』
少し溜め息混じりの愛の声。
抱きあう、という言葉に咄嗟に里沙のカラダは反応して震えたが、
愛のその声色には、里沙の気持ちを沈ませる要素は何ひとつ感じられなかった。
- 283 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:55
- 『…やから、怒ってるとかやないよ』
しかし、申し訳なさそうに届く愛の声が次第に憎らしくなってくる。
『…そらまあ、さゆは知ってるのにあーしは知らんかった、っていうのも、ショックはショックやったけどな』
なのに不意に出された別の答え。
それが、里沙ももしかしたらと考えた理由のひとつだったことに、
不安の渦が消え去ったはずの里沙に、意識しなければ痛みを感じることすら気付かない細い針を刺す。
「…それは、その、隠してたとかじゃなくて」
『うん。わかっとる、絵里にも聞いた』
愛の口から出た絵里の名前に里沙の背中がなぜかほんの少し寒くなった。
『小春のことも、あるしな』
「…ぅん」
なんとなく、そのあとの言葉が続かなくなって里沙は口を閉ざした。
- 284 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:55
- 『…な? 怖いことなんてないやろ?』
「え?」
『誰かを好きになると、嬉しいこといっぱいやろ』
愛に背中を押されたあの日のことが思い出された。
愛はやはり、あのときすでにこうなることを予想していたということだろうか。
『だらしないように見えて、絵里は中身めっちゃ誠実やしな』
「うん…」
『なんて、今更あーしが言わんでもガキさんはもう知ってるか』
「別にそんな…」
他にどう答えていいかわからない。
自分が今どんな顔をしているかも気になって、電話でよかったと、少しほっとした。
そんな里沙に気づいたのか、愛の声がまた優しくなる。
- 285 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:55
- 『…最近のガキさん、幸せそうやったからさ、理由わかって、あーしも嬉しかった』
取り繕ったものではないとちゃんとわかる、愛の気持ちだった。
それは紛れもなく、ここ数日、里沙が知りたかったものだ。
「……愛ちゃん」
『ん?』
「ごめんね、黙ってて」
『もうええよ、そのことは。それより明日、来るやろ? てか来てほしい』
するりと話題を変えて尋ねる声には、里沙が思っていたような雰囲気は感じられなかった。
それに、珍しくお願いされたような気がして、なんだか嬉しさが込み上げる。
「そんなに言うなら…」
『あはは、うん、お願い。見にきて。ガキさん来てくれたら絵里も喜ぶし』
ちくり、と、また細い針が里沙の心の奥に刺さる。
けれど里沙には、それが何の意味を示す痛みなのかがわからなかった。
- 286 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:55
- 「…うん、行くよ。見に行く」
『おう』
ほんの少しテレたような声が聞こえて、里沙の口元も知らずに緩む。
『じゃあ、そろそろ寝るわ』
「あ、うん、わかった」
『おやすみ、また明日な』
「おやすみ…、ありがとう」
聞こえたはずなのに、愛は何も言わずに通話を切った。
それは愛らしい気遣いでもあるが、答えてくれないことは里沙には少し淋しくも感じた。
けれど、いつのまにか消えていた不安の渦がそれも洗い流していくようで。
この数日間、ずっと頭の片隅や心のどこかにあった不安は里沙の中からすっかり消え去っていた。
でも、すっきり晴れ渡った気分になれないのはどうしてだろう。
さっき感じた小さな痛みの理由が里沙にはわからない。
わからない、ということが今度は違う不安を連れてきたようだった。
- 287 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:56
- ふと、閉じた携帯を見つめる。
見にきて、と言わなかった絵里に黙って行くのは何となく気が引けて、里沙は再び携帯を開いてメールを作成した。
最初は愛から電話があったことや、あの日のことが自分の勘違いだったみたいだと綴っていたけれど、
それらはなんとなくメールで伝えるべきではない気がして、
少し考えてから長々作ったメールを削除すると、簡潔に伝えられる必要最低限の言葉だけを送った。
―――― 明日の千秋楽、見に行くね。
そんなに遅い時間ではなかったように思うが、送信したあと10分待っても絵里からの返信はなかった。
ここ最近はそうでもなかったけれど、
それでも絵里の返信が遅いのは今に始まったことではないのでたいして気にせず、
里沙は片付けたばかりのクローゼットから明日着ていく洋服を選び出すと、
そのまま就寝準備を済ませて、久々にぐっすりと眠った。
絵里からのメールの返事は、翌朝になっても届いてはいなかった。
- 288 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:56
-
- 289 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 08:56
- 本日はここまでです。
自分で書いてるのになかなか進まなくてイライラしますw
自分で今後の展開をバラしてしまいそうなので個々への返レスは省かせてもらいますね、ごめんなさい。
それでも感想などのレスをいただける場合、メール欄にsageの記入をお願いいたします。
ではまた。
- 290 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 20:27
- 更新ありがとうございます!
波乱の予感ですね
次回の更新がもう待ち遠しいです
- 291 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/06(水) 21:40
- 更新お疲れさまです!
先が読めなくてもどかしいです。
次の更新待ってます。
- 292 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/07(木) 00:28
- この先どうなっていくのかすごく気になる
次回の更新楽しみにしています
- 293 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/07(木) 01:56
- 前のほうにも似たような表現あったけど
高橋さんの新垣さんに対する「オトナになった気がした」ってのがなんか好きだなあ。
お疲れさまでしたー。
- 294 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/11(月) 18:14
- 高橋さん切ないですね。
展開が気になりますが、気長に待ちますので
更新よろしくお願いします。
- 295 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:18
- 更新します。
- 296 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:19
-
- 297 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:19
- 最終公演の始まる一時間前。
楽屋を訪れた里沙に最初に気づいたのはさゆみだった。
「ガキさん! 見に来てくれたんですね!」
「うん、来ちゃった」
両手を広げて出迎えたさゆみの肩越しに、絵里とれいなの姿が見えた。
里沙と目が合って、絵里が笑いながら手を挙げる。
いつもどおりの仕草に、里沙は少しほっとした。
今朝になってもメールの返事が来なかったことが気にかかっていたけれど、
今見たようすだと、単に返し忘れていただけのようだ。
ぐるりと楽屋内を見渡して、愛の姿が見えないことに里沙は首を傾げた。
「…愛ちゃんは?」
「手に汗かいたから洗ってくるって出て行ったよ」
「そっか」
さゆみの答えを聞いて絵里を見ると、笑顔のまま里沙に向けて手招きしていた。
手招かれるままに足を進め、絵里の隣に座る。
それを追ってさゆみもれいなの隣に座った。
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:19
- 里沙と目が合ったれいなが笑いながらも細く溜め息を吐く。
なんだか久しぶりに見るれいなは、気のせいか少し疲れているように見えた。
「…田中っち、なんか疲れてるみたいだね、平気?」
「んー、寝不足。緊張しとうみたい」
苦笑いするれいなの目の下がほんの少し落ち窪んでいる。
言葉のとおり、あまり眠れなかったのが窺えた。
「お、ガキさん、来てくれたんか」
呼ばれて振り向くと、ハンドタオルで手を拭いながら愛が楽屋に入ってきたところだった。
れいなよりは前回会ってからの間隔は短いはずだが、それでも久しぶりに会う気がして里沙は少し緊張した。
けれど向けられた笑顔が見慣れたそれで、緊張や気まずさや戸惑いが一気に吹き飛ぶ。
- 299 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:20
- 「うん。来た」
その里沙の背後で、絵里が戸惑っている雰囲気が伝わってきた。
振り向くと怪訝そうに里沙を眺めていて、知らずに焦りが生じる。
なんで? と問いたそうにしているのに、絵里は尋ねなかった。
代わりに里沙の服の裾を掴む。
絵里の感じた戸惑いを察してその手をそっと包むように掴み返すと、
困惑を浮かべていた絵里の顔色に僅かに安心が宿る。
「…ね、昨夜、メールしたんだけど、届いた?」
「あっ、うん、見た見た。ごめんね、返事…」
「なに、また返事しないで寝たの?」
「ちがっ、返そうと思ったの、思ったけど!」
さゆみの茶化すような言葉に絵里が慌てて首を振った。
そのさゆみの背後に愛が歩みよる。
「結局寝たんやな」
呆れた口調の愛の言葉が図星だっただけに、さすがに反論できず肩を落とす絵里。
- 300 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:20
- 「だってぇ…」
「でも、そんなたいした内容じゃなかったし」
愛とさゆみに責められている絵里に助け舟を出すと、横かられいなが不思議そうにした。
「内容はなんやったと?」
「今日行くねって、それだけ。だから別に返事来なくてもいい内容だったのよ」
「……それでも、なんていうか、ガキさんは絵里に甘いっちゃよ」
呆れ口調のれいなが言うのを聞いて、絵里がますます肩を落とす。
三人から責められてか、絵里は助けを求めるように里沙の腕にしがみつき、恨めしそうに里沙以外の三人を見遣る。
苦笑いしつつ、そんな絵里の肩を撫でていたら、ぽつりと絵里が呟いた。
「……ねえガキさん、ジュース買いに行くの付き合って」
「あ、逃げる気だ」
「ちがーう」
「まあまあ。いいよ、行こ」
誘われるまま立ち上がり、せっかくだから、と、里沙が差し入れ替わりに全員分を買うことにした。
各々の希望を聞いたあとで楽屋を出て、自動販売機のある場所まで絵里と並んで歩きながら向かう。
- 301 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:20
- 愛の希望は果汁100%のオレンジ。
れいなはコーラで、さゆみはウーロン茶だった。
どれもペットボトルで販売していたので、片手にまとめて持ちながら続けてコインを投入する。
「カメは何飲む?」
顔も見ずに聞いたせいか返事が聞き取れなかった。
聞き返そうと振り向いて絵里の顔を見たとき、里沙の胸がぎくりと鳴った。
「どうしたの、そんな顔して」
「…どんな顔してる?」
泣きだすんじゃないかと思える表情に比例した悲しそうな声色に、今度は違う意味を持ってどきりとする。
「どんな、って」
「……いつのまに愛ちゃんと元通りになったの?」
「え?」
「昨夜の電話のとき、ガキさん、何も言わなかったじゃん。
それとも、絵里が知らなかっただけで、とっくに仲直りしてたの?」
絵里の言いたいことはすぐに理解できたけれど、強く腕を掴まれて、持っていたペットボトルを落としそうになる。
- 302 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:21
- 「ちょ、ちょっと待って、落ちちゃう」
「愛ちゃんのこと怒らせたって、あの日は泣きそうだったのに、
絵里が毎日電話してもあの日からずっと不安そうだったのに、
なんでもう今までどおりにしてるの? ねえ、なんで? 絵里の知らないうちに何があったの?」
腕を掴む手のチカラが強くなる。
痛いと思うほどではなかったけれど、身じろぐには充分な強さで、堪え切れずに持っていたペットボトルが床に落ちた。
ごん、ごん、という連続した鈍い音に周囲にいたスタッフの何人かが振り返ったけれど、
落としたペットボトルを拾いながら里沙は愛想笑いを浮かべ、なんでもないことをアピールする。
「…ダメじゃん、炭酸も持ってるのに」
「…ごめん…」
下唇を噛みながら俯いた絵里に里沙は小さく息を吐く。
絵里が抱いた疑問と態度は、里沙が想像していた通りのものだった。
「…いつものオレンジでいい?」
返事も聞かずに購入可を示す緑色のランプが点いたボタンを押す。
ゴトン、と音をたてながら落ちてきたそれを取り、今度は自分の分を買うために再度コインを投入する。
- 303 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:21
- 「…昨夜ね、カメが電話切ったあと、愛ちゃんから電話かかってきたの」
「え?」
「そのとき、今日見に来る?って聞かれてさ。咄嗟に怒ってないのって聞いたら、怒ってないって」
話しながら、どれにしようか迷うふりで人差し指をいくつかのボタンの前で行き来させる。
紅茶のボタンを押してそれを取ってから、5本を両手で抱えるようにして絵里に向き直った。
そこにいる、戸惑いを表情に浮かべた絵里がじっと里沙を見つめている。
里沙が次に吐き出す言葉を待っているようだった。
「…愛ちゃんだけ知らなかったことが、少しショックだったって、言ってた。
あたし、前に愛ちゃんに相談に乗ってもらったことあったし…。
でも、あたしたちのことを怒ってるとは言わなかったし、これでよかったって、思ってくれてるみたい」
絵里のどこか強張った表情が次第にほどけていく。
「…ホントは昨日、そのことをメールしようと思ったんだけど、メールよりちゃんと話したほうがいいかなと思って。
でも、やっぱり先にちゃんと話しておくべきだったね、ごめん」
里沙の説明を受けた絵里の肩からもだんだんとチカラが抜けていくのが見て取れた。
そのまま近くにあった安物のベンチに誘導して座らせると、深い深い溜め息と一緒に両手で顔を覆った。
- 304 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:21
- 「カメ?」
「……ごめん、なんか、すごいイヤな聞き方したよね」
「ううん。あたしも昨日のうちにちゃんと話しておけばよかったのよ。
カメが心配してくれてること、あたし…、ちゃんとわかってたのに…」
だんだんと小さくなっていく里沙の声にゆっくりと絵里が頭を上げる。
目が合うと、まだどこか困惑を孕みながらも、小さく口角が上がったのが見えた。
「…心配かけて、ごめん」
ペットボトルを持っているせいであまり見動き出来ない里沙に気づいたように、
里沙の腕の中からコーラとオレンジジュースとウーロン茶を自身のほうへ引き受ける。
それらを片腕に持ち替え、空いたほうの手でそっと里沙の手を掴む。
手のひらの熱がじんわり伝わってきて、それは絵里の気持ちをそのまま伝えられたようで、里沙の心が愛しさに震えた。
同時に、こんな衆人環視の中で手を掴まれていることに恥ずかしさも込み上げてきたけれど、
絵里の優しげな目のいろや穏やかにゆるむ口元がそれらを少しずつ払拭して、自然と里沙の口元もゆるんでいく。
- 305 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:21
- 「…よかった」
「え?」
「ガキさんが、ちゃんと笑えるようになって」
「…ごめん」
「ううん、絵里こそ」
するりと指を絡ませて、親指の腹で指先を撫でられる。
なんだかそれは秘密の合図のようで、心の中の浅い部分に何かがじわりと染み込んだようだった。
「…戻ろっか。さすがにそろそろ、準備しなくちゃ」
「うん…」
絵里が先に立ち上がり、そっと手を差し出す。
その手を取って、引き上げられるように里沙も立ち上がり、どちらからとなく再び手を繋ぐ。
楽屋までの短い道のりを無言で歩いていたけれど、楽屋まであと数歩、というところで、
里沙の手を掴む絵里の手のチカラがやけに強くなった気がした
- 306 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:22
- 「…? カメ?」
呼びかけと同時に絵里の足が止まる。
顔を見ると、ほんの少し表情に険しさが窺えた。
「どうしたの?」
「……愛ちゃん、なんでガキさんに電話しようと思ったのかな」
「えっ?」
唐突に、けれど里沙にその答えを要求するような問いかけでもなく、まるで呟くように絵里は言った。
「なんで、って…」
言われて気づいたが、里沙も愛からの突然の電話の理由に、もっともらしい理由をすぐには見つけられなかった。
「…今日の舞台を見に来てって、言ってたけど」
昨夜の電話で愛が最初に告げたのはそれだった。
ならば用件は今日の観劇の勧誘だったと考えるのが自然ではないだろうか。
でも。
それならば、なぜわざわざ?
- 307 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:22
- なんとなく心細そうに聞こえる里沙の声に絵里が振り向く。
里沙の顔を見て、一瞬の間を置いて、納得したように大きく頷いた。
「…そっか、そうだったっけ」
ふわりと笑って、うんうん、と何度も頷き、再び歩き出す。
前を向いて歩く絵里の横顔からは、
穏やかそうな口元は見えても、今、絵里が何を考えているのかまで窺い知れない。
手を繋いでいるのに。
こんなに近くを歩いているのに、なぜだか急に、絵里のことがわからなくなった。
ただ、繋いだ手のぬくもりはさっきまで感じていた胸に染み入るものではなくなっていて、
まるで隠した気持ちを追い立てられそうな、居心地の悪い汗が滲み出てるような熱を持っていた。
- 308 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:22
- 楽屋のドアを開けると、一番にさゆみの背中が目に入った。
さきほど絵里が座っていたところに今度は愛が座っていて、その隣のれいなが少し不満そうに唇を尖らせている。
「遅い」
「ごめーん」
「何しとるっちゃ。そろそろ準備せんと!」
「だからごめんって。ハイ、れいなはコーラだっけ」
絵里がれいなとさゆみにペットボトルを渡すのを見て、里沙も持っていたそれを愛に渡す。
「ごめん、遅くなって」
「どうした?」
「別に…。ちょっと、喋ってて」
「ふうん?」
受け取ったペットボトルを軽く上下に数回振って、小気味いい音をたてながらキャップを外す。
- 309 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:23
- いい音がしたな、と、思いながら愛がペットボトルに口をつけるのをぼんやり眺めていたら、
その里沙の背後で、愛のペットボトルのキャップよりも更に小気味のいい、そのうえ勢いのある音がした。
そしてその直後、れいなの悲鳴に似た怒鳴り声が楽屋に響く。
「ちょっ、絵里! これ炭酸やのに振ったやろ!」
「振ってないよぉ、落ちてくるときの振動じゃないのぉ?」
「嘘つけ!」
ぎゃあぎゃあとれいなが文句を言い、それに絵里がとぼけたことで途端に楽屋が賑やかになる。
聞き取れた言葉だけでは不穏そうだけれど、それらは日常の光景と大差ない。
さゆみが宥め、愛が仲裁に入って、もともとの元凶でもある里沙はどうするべきかちょっと迷って、
結局何もしないで苦笑いのまま、輪の外でその光景を眺めた。
ただ、そのとき里沙の耳の奥では、さっきの絵里の言葉がなぜか薄れないまま、しっかりとこびりついていた。
―――― なんでガキさんに電話しようと思ったのかな。
- 310 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:23
-
- 311 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/17(日) 22:23
- 本日はここまでです。
更新頻度が少しずつ上がってるなー、と我ながら思いますが、たぶん今だけです。
目指せ月3回更新。
自分で今後の展開をバラしてしまいそうなので個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
それでも感想などのレスをいただける場合、メール欄にsageの記入をお願いいたします。
ではまた。
- 312 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/18(月) 00:15
- 更新お疲れ様です。
今後が本当どうなっていくのかドキドキです。
ゆっくりでもお待ちしていますので、完結頑張ってください。
- 313 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/18(月) 06:26
- この先どうなって行くのかさっぱり読めないので不安です。
みんなに幸せになって欲しいなー。
続き待ってます。
- 314 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/21(木) 02:24
- 続きが気になります。
カメちゃんとくっついて欲しいけど...
次回の更新も楽しみにしています。
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/23(土) 16:12
- 愛ちゃんどうなのかな・・
更新待ってます
- 316 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:02
- 更新します。
- 317 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:02
-
- 318 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:02
- 夏の合同コンサートのリハーサルが始まった。
今日はダンスレッスンの日だったが、集合まではまだ少し時間があるせいか、
柔軟を始めているのは愛とジュンジュン、リンリン、そして里沙とさゆみだけで、
残りのメンバーはまだレッスン着に着替えているか、別の仕事からこちらへ向かっている最中のようだ。
喋りながらもストレッチを続けている里沙の視界に不意に愛が映る。
真剣な顔つきでジュンジュンたちと向かい合いながら話しているのはわかるが、会話までは聞き取れない。
しかし、それらはすべて日常の風景でもあった。
絵里と付き合っていることを愛にも知られたからといって、
以前のような付き合い方ができなくなる、というようなことは全くなく、
あの日、里沙の心を覆い尽くした不安はすべてといっていいくらい、なくなっていた。
知られてしまった以上は、全部が全部、以前のように元通り、ということもなかったけれど、
それでも里沙が恐れたような日々ではなかった。
ただ、愛たちの舞台の千秋楽の日、何気なく絵里が発したあの言葉が、
ときどき思い出すように脳裏に浮かんでは、里沙の気持ちを落ち着かなくしたけれど。
- 319 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:03
- 一通りのストレッチが終わるころ、絵里と愛佳がやってきた。
里沙とさゆみの姿を見つけた絵里は、ぱっと表情を明るくして小さく手を振りながら里沙たちの元までやってきたが、
愛佳は小さく笑って会釈したあと、ゆっくりと愛たちのほうへ向かった。
おや? と思った直後、マネージャーがやってきて、愛と里沙の名を呼ぶ。
打ち合わせするから、と指示を出され、返事をして立ち上がると、
里沙の隣に座ろうとした絵里の唇が小さく尖ったのが見えた。
つまらなさそうにした絵里の反応はわかりやすくて、思わずその頭を軽く撫でたけれど、
頭を上げた絵里と目が合う前に愛に振り向こうとしたら、そっと手を掴まれた。
「…ガキさん」
「ん?」
「今日、一緒に帰ってもいい?」
「? いいけど…」
いつも一緒なのに、改めてどうしたのか、と言いかけたが、
ホッとしたように笑った絵里に、何故だかそれは言うべき言葉ではない気がした。
代わりにもう一度絵里の頭を軽く叩くように撫でて、入口で待っていた愛と一緒にレッスン室を出た。
- 320 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:03
- ◇
打ち合わせと言っても簡単なものだったのでそれ自体はすぐに終わった。
マネージャーの話ではもうメンバーが揃っているらしいので、15分後にはレッスン開始ということだった。
「…そういえば」
進行表を手にレッスン室に戻る途中、不意に隣を歩く愛が切り出した。
「ん?」
「小春は、まだ知らんの?」
「え?」
「絵里のこと」
ぎく、と、里沙の心音が跳ね、思わず足が止まる。
愛を見ると、同じように足を止めながら、でもどこか感情の読みにくい表情で里沙を見ていて、
そのわりに里沙の気持ちを見透かすようなまっすぐな目で、里沙のほうが先に視線を外した。
「…たぶん。…さすがにこういうのは軽く話せないから…」
「話さんつもり?」
「……わかん、ない…。いずれは、話さないとって、思ってるけど…」
「ふうん」
里沙の背中をイヤな汗が滑れ落ちる。
愛の抑揚のない声色が逆に居心地を悪くしているようだった。
- 321 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:03
- 「…まあ、あたしが口出しすることじゃないってわかってるけど、なんか、気になって」
里沙の心中を察したらしく、声色が少し柔らかくなった。
「小春を傷つけたくないって気持ちも、わからんわけじゃないし」
「…うん」
「でも、家族より一緒におる時間長いんやし、バレるのは時間の問題やと思うで」
「わかってる…」
愛の言うように、黙ったままでいられないことはわかっていた。
それは里沙だけでなく、敢えて口にはしないけれど、きっと絵里も同じだろう。
このまま付き合っていくつもりなら、いつかは話さないといけない。
それは小春にだけでなく、他のメンバーに対してもだ。
おそらくもう気づいているだろうれいなにも。
どんなふうに思われるかはわからない。
軽蔑だってされるかも知れない。
今まで隠していたことで、誰かを傷つけるかも知れない。
それが話すことへの躊躇でもあり、不安でもあり、また、怖れでもあった。
- 322 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:04
- 絵里を好きなれいなが傷ついてないわけがなかった。
里沙を好きだと言った小春が自分たちのことを知って傷つかない保証だってない。
もしかしたら小春はもう自分のことなんて好きじゃないかも知れない。
告白されてからはもう半年以上過ぎているし、
その間にもっと別の、もっと小春の心を癒してあげられるような誰かに出会っているかも知れない。
でも、そんなふうに思っても、あの日聞いた小春の声がそのたびに蘇ってきた。
―――― 小春は、新垣さんのことがずっと好きです。
小春が今でも自分を好きだなんて自惚れすぎているという自覚もある。
それでも、里沙の気持ちにブレーキをかけるほど、あの言葉はとても強い言葉でもあったのだ。
誰も傷つけずにいられるなんてきっとできない。
誰も傷つかずにいられる恋なんて、きっとどこにもないのだと、今なら思う。
人を好きになることは嬉しくて楽しくて、怖いことなんてない。
でも、たぶんきっと、それだけじゃない。
それだけじゃない何かも、背負うことになる。
- 323 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:04
- 「……わかってる、けど…」
でも。
できることなら、このまま、今のまま。
誰かが傷つくのを見ることを少しでも先延ばしにしたい。
「……黙ったまま、隠したままが悪いって言うてるんじゃないで。
そらそういうのも傷つくやろけど、でも、いつか本人じゃない口から聞かされるのが一番傷つく」
そう言った愛の声はどこか真実味を帯びていて、ひょっとしたら愛は、そういう経験をしたのだろうかという気がした。
そろりそろりと頭を上げて、窺うように自分を見ている愛に申し訳なさが募る。
「ひょっとしたら、今知っとる子らの他にも気づいとる子がいてるかも知れん。
もし、そういう子から聞かされたら、あたしやったらそっちのほうがイヤやな」
愛の表情はさっき見たような感情が読めないものではなくなっていて、
視線の穏やかさからも、里沙たちのことを気遣ってくれての助言なのだと受け止めることができた。
- 324 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:04
- 「ごめん…」
咄嗟に出た言葉に愛が小さく笑った。
「あたしに謝っても」
「でも、なんかいつも愛ちゃんにはこういうことばっかり聞いてもらってる気がするから」
「……おせっかいなだけや」
ぽん、と、里沙の頭を愛の手が軽く撫でた。
自分の子供っぽい小さな手とは違った綺麗な手の指の感触が、髪を通してやんわりと地肌に触れる。
不意に、こんなふうに愛に頭を撫でられるのは久しぶりだと感じた。
実際、こんなふうにふたりきりになることさえ、ここしばらくはなかった気がする。
そう思うと不思議な気分だった。
今まで意識したことなどなかったけれど、里沙が思う以上に、愛は自分の近くにいたということだろうか。
そしていま、自分の頭を撫でた手を久しぶりだと思うほど、自分たちは離れていたということだろうか。
里沙の心の奥にゆっくりと靄がかかっていく。
何か言葉にできるようなものが生まれた気がするのに、それに名前をつけられない。
そもそも、里沙自身がその感情にうまく辿り着けない。
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:04
- 「…愛ちゃん」
思わず声が漏れた。
意図せず呼んでしまって、慌てて里沙は自身の口を覆う。
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
「ん?」
ぽんぽん、と、慣れたようにまた里沙の頭を軽く叩いて下から覗きこんでくる。
不思議そうに見つめられ、でも言葉は見つからず、ちらりと上目遣いに愛を見ると、
目が合った愛は小さく笑って、けれどすぐに何かに弾かれたかのように、僅かに顎を引いた。
何だろうと思った里沙からそっと目を逸らし、上体を起こす愛を追って里沙も顔をあげると、
それとほぼ同時に、愛は里沙の頭を撫でていた手を下ろした。
そしてそのままその手を着ていたジャージのポケットに突っ込む。
「…愛ちゃん?」
「…ま、ちょっとは悩め。いっつも幸せそうな顔されててもなんかムカつくしな」
「えー、なによそれぇ」
「色ボケすんなってこと」
「いっ、色ボケとかしてないからっ」
あはは、と、愛が軽く笑い声を起てる。
その声は普段と変わらない聞き慣れたもので、一瞬よぎった違和感を里沙はすぐ放り出した。
- 326 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:05
- 「早よ戻ろ。そろそろ先生来る」
「あ、うん」
答えて里沙が愛を見ると、愛はすでに歩き出していた。
左手に進行表、右手はポケット。
愛の後ろ姿なんて今まで何度だって見てきた。
前を歩く愛の背中を眺めることなんてしょっちゅうだ。
けれどなぜか、里沙を言いようのない違和感が包んだ。
なのにその違和感の正体がわからない。
しばらくその違和感が拭えないまま立ち尽くしていた里沙だったが、
どんどん小さくなる愛が廊下の曲がり角に差し掛かって見えなくなりかけてようやく、ハッと我に返る。
「愛ちゃん、待ってよ」
小走りに追いかけながら背中に呼びかけると、曲がり角で一旦立ち止まった愛が顔だけで振り向いた。
「早よ来ーい」
歯を見せて笑った愛に追いつき、そのまま並んでレッスン室に戻ったけれど、
里沙を包んだ違和感は、なぜかまだ消えないままだった。
- 327 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:05
- レッスン室に戻ると、部屋の右隅のほうに絵里とさゆみとれいなが、
ストレッチ後、そのままでいたとすぐにわかる格好で床に座っていた。
里沙の姿を認めた三人が同時に手を挙げる。
愛はさっき自分がいた場所へと向かい、里沙は呼ばれるままに三人のもとへ向かった。
「おかえりー」
「あと10分くらいで始まるみたいですよ」
「うん」
「ガキさん? どうかしたと?」
れいなが不思議そうに首を傾げながら立ち上がる。
そのままさゆみに手を伸ばし、さゆみもその手を取り、れいなに引っ張りあげてもらいながら立ちあがった。
それを真似するように目前に立った里沙に絵里も手を伸ばす。
苦笑いしながら手を差し出した里沙だったが、絵里がその手を掴もうとしたのを見てハッとした。
さっき感じた違和感。
あれは。
あのとき感じたあの違和感の理由は。
- 328 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:05
- 絵里が里沙の手を掴む。
そこから慣れた体温が伝わる。
けれど、気持ちがそこに動かない。
「ガキさん?」
手を掴んでも一向に引っ張りあげない里沙に絵里が不思議そうに声を出すと、
それに気づいた里沙は慌てて絵里の手を引っ張った。
「…えへへ」
嬉しそうに、勢いづけた絵里が里沙に抱きつく。
そのときふわりと、里沙の鼻先で絵里の髪が揺れた。
いつもだったらこんなふう抱きつかれても嬉しさと恥ずかしさでごっちゃになって、
テレ隠しやら周囲の目が気になるやらで慌てて絵里を引きはがす里沙だったが、
そのときはそれすらできず、理解したばかりの違和感に戸惑いながら、半ば呆然と立ち尽くしていた。
- 329 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:05
- 「…ガキさん?」
反応のない里沙に気づいた絵里がカラダを離すと、ハッとして絵里のその肩を押し返した。
それから手で顔を覆い、誰にも見られないように、そっと下を向く。
どきどきと、自分でも息苦しいほど心臓が早く脈打っているのがわかる。
けれどそれを悟られるわけにはいかなかった。
絵里だけでなく、この場にいる誰にも。
「どうしたの?」
「ごめ…、なんか、ちょっと目にゴミ入ったみたい。…洗ってくるね」
「えっ、大丈夫? ついてこうか?」
「へーきへーき、すぐ戻るから」
手のひらを見せてついてこないよう牽制して、里沙はレッスン室の隣にある洗面所に駆け込んだ。
- 330 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:06
- センサー付き蛇口に片手をかざし、水音を聞きながらそっと顔を覆った手を下ろして目前の鏡を見る。
そこに映る、誰が見てもわかるほど真っ赤になった自分の顔のいろに、恥ずかしさと情けなさが一気に込み上げてくる。
さっき感じた違和感。
その理由がわかって、里沙は自身の感情の底にある言葉にならない靄を自覚する。
無意識だった。
意識したことなんてなかった。
それほど自然で、当然だったからだ。
当然なのだと、思っていたのだ。
普段は滅多にポケットに手を入れない愛の、らしくないあの姿勢。
振り返った愛が見せた白い歯。
里沙は呼んだ。
確かにその名を。
愛は振り向いた。
いつものように笑いながら。
……けれど愛は、里沙に、手を差し出さなかった。
- 331 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:06
- それだけだ。
たったそれだけのことだ。
けれど、たったそれだけのことが里沙に違和感を覚えさせた。
何かが違うと感じるほど、今までそれは自然に、当たり前にあった、ということだ。
「…なん、で……」
訳がわからなかった。
どうしてたったそれだけのことにこんなにも動揺しているのか。
そして、たったそれだけのことを、どうして愛はしなかったのか。
心音が速くなる。
初めてといってもいいほどの動揺が、言葉にも答えもならない感情を更に追い詰める。
里沙自身、わからなかった。
何故こんなにも動揺しているのか。
何故愛はあんな不自然なことをしたのか。
わかっていたのは、愛が前のように里沙に手を差し出さなかったということ。
そしてそれを、『淋しい』と感じた自分がいたことだけ、だった。
- 332 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:06
- 深呼吸を繰り返し、動揺を押し隠す。
嘘をつくのは上手ではないが、動揺を隠すのは過去の経験から慣れている。
気持ちの切り替えの早さも、この仕事を続ける上では必須条件だ。
そのおかげでレッスンの開始時間にはギリギリ間に合った。
普段遅刻などしないおかげで、目にゴミが入ったというありふれた理由でも誰もが信じたし、
瞼を濡らしながら戻ったことで信用度も高く思われたようだった。
それでも、レッスンが始まってからしばらくは愛のほうを見ることはできなかったけれど。
- 333 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:06
-
- 334 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/25(月) 23:06
- 本日はここまでです。
そろそろ動き始め…たかな?
まだ続きます、私のイライラと眩暈も一緒にw
自分で今後の展開をバラしてしまいそうなので個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
それでも感想などのレスをいただける場合、メール欄にsageの記入をお願いいたします。
ではまた。
- 335 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/26(火) 00:54
- 更新ありがとうございます。
ガキさん、揺れまくりですね
愛ちゃんやカメちゃんのどちらの視点で見ても、せつない感じ
- 336 名前:名無し 投稿日:2009/05/26(火) 02:23
- いてぇーーー(><。)w
これからも楽しみにお待ちしてますv
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/05/29(金) 22:13
- よかったです。
ガキさんの心音が速くなったとこで
私もどきどきしてしまいました。
これはやられましたね。素晴らしいです。
次回も待ってます。
- 338 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:52
- 更新します。
- 339 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:52
-
- 340 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:52
- 日が暮れたころにレッスンが終わり、挨拶を済ませて帰途につく。
レッスン前に一緒に帰ろうと言った絵里は今、里沙の隣を歩いていた。
「このあとどうする?」
「…え?」
建物の階段を降りながら不意に切り出され、それまで別のことを考えていた里沙の声が上ずった。
目が合った絵里が不思議そうに首を傾げたのを見て、咄嗟に苦笑いする。
「ごめん、ボーッとしてた」
「もー」
「ごめんごめん。なに?」
「このあとどうする? なにか食べて帰る?」
「あー、うん、そうだね、どうしよっか」
曖昧に返しながらも、里沙の脳裏には昼間の疑問がまた浮かぶ。
あのとき感じた動揺はもうずいぶん薄れた。
けれど冷静になったぶん、どうして、という疑問ばかりが浮かんできた。
無論、考えたところで答えなんて出ないのだけれど。
- 341 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:53
- 「…今日のガキさん、なんか変だ」
「そうかな…?」
「うん。レッスン中も、なんかいつもと違ってた」
絵里の指摘にどきりとする。
のんびりとだらしなくしているようで、ふとしたときに発揮される絵里の観察眼には、里沙もときどき焦ることがある。
そしてそれはいつだって、的を射ている。
「そういうカメだって、今日はちょっと変だよ。いつも一緒に帰ってるのに、一緒に帰ろうとか、わざわざ言うしさ」
話をすり替えるように 、言われたときから気になっていたことを聞いてみた。
するとそれは予想外の方向からの指摘だったのか、絵里は反論もせずに口を噤んでしまった。
「…カメ?」
隣を歩いていた絵里の足が止まる。
それに合わせて里沙も立ち止まると、絵里の唇が真一文字に引き結ばれていることに気がついた。
また里沙の胸が鳴る。
けれど今度は焦りからではなく、絵里の真剣な眼差しが、茶化したり誤魔化しの効かないいろをしていたからだった。
「どうしたの」
里沙の問いかけに答えないまま立ち止まった絵里がそっと俯く。
隣にいるはずなのに、俯かれたことで表情が隠される。
- 342 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:53
- 「……ガキさんにあやまらないといけないこと、あるの」
「なに?」
言葉通りに漂う申し訳なさそうな雰囲気に、少なからず里沙は戸惑っていた。
自分にあやまらなければならないようなことなんて、いったい何をしたというのか。
「…言ってみ?」
俯いたまま里沙と目を合わせようとしない絵里の肩にそっと手を置くと、
ぴくりと小さく肩が揺れて、そろりそろりと、頭が上がる。
里沙と目が合うと、絵里はそっと唇を噛み、また俯いた。
「カメ」
肩を撫でた手に知らずにチカラが入ったとき、その手に絵里の手が重ねられた。
撫でるように触れて、ゆっくりと掴まれて。
その手から伝わる熱が、絵里自身が感じているためらいを伝えてくるようだった。
「…今日、みっつぃにね」
「ん?」
「ガキさんと、付き合ってるのか、って、聞かれたの」
「えっ」
予想外の言葉が返ってきて、里沙の声が上ずった。
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:53
- 「突然だったから何も言えなくて、咄嗟に嘘もつけなくて…。
それで、そのまま答えられずにいたら、今度は小春は知ってるかって聞かれて」
昼間、里沙が愛に言われた言葉そのままを愛佳が絵里に尋ねていたことに、里沙は戸惑いを隠せなくなる。
同時に、レッスン室に2人が現れた時の愛佳の態度にも得心がいく。
おそらく、愛佳が絵里にそれを尋ねたのはあの直前だったのだろう。
偶然かも知れない。
愛佳はもともと小春の気持ちを知っていた唯一の人間だったし、
里沙と小春の間にあったことも、薄々は感じ取っていたはずだ。
小春の気持ちを受け入れられないと告げてから半年以上、絵里と付き合い始めてからはそろそろ3ケ月になる。
その間、たとえそれがほんの少しだったとしても、ある程度の事情を知っているであろう愛佳が、
自分たちを見ていて何も感じとっていない、と言いきるのは、さすがに軽率な思考かも知れない。
迂闊だった、と里沙は思う。
当人のことしか考えておらず、周囲が自分たちのことに感づいているとは考えもしなかった。
まさかこんなに早く、愛の言葉を実感することになるなんて。
- 344 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:53
- 「それで、なんて答えたの?」
「……付き合ってるって…言った。小春は、たぶんまだ知らないって」
「そっか」
「でもっ、誰にも言わないでって言ったから。みっつぃも、言わないって約束してくれたから、だから」
縋るように里沙を見た絵里が里沙の手を掴む。
掴んでくるその強さが、絵里の感じていた不安を伝える。
「いいよ、大丈夫。あやまらなくていいよ、カメは悪くないよ」
掴まえられた手でそのまま絵里の手を握りしめると、
それまで強張っていた絵里の表情がゆるゆるとほどけていくのがわかった。
「…それに、あたしも、同じようなこと思ってたから」
偶然というにはあまりにもタイミングが重なり過ぎていて、
この事態に何かしらの作為を感じもしたけれど、これをきっかけにするのもいい機会のような気がした。
里沙の答えに絵里の顔つきがまた強張る。
「小春に、話そうと思う」
絵里の目が大きく見開かれたのを確認して、里沙は微笑んだ。
- 345 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:54
- 「約束してくれたなら、光井はホントに黙っててくれるだろうけど、
でもやっぱり、小春にはちゃんと話しておかなくちゃいけない気がする」
「ガキさん…」
「カメと、付き合ってるって」
驚いたように里沙を見つめていた絵里の唇のカタチが次第にへの字に歪んでいく。
それから、何かを堪えるように唇を噛んで、拗ねるみたいに俯いた。
それは里沙には予想外の反応で、
何か機嫌を損ねることを言ってしまっただろうかと下から顔を覗き込もうとして、
いきなり、両手を広げた絵里の腕の中に抱きとめられた。
「か、カメ…っ?」
突然のことで上ずった声が階段の上に響いた。
その音に自分で驚いて慌てて口を噤んだが、少し迷ってから、
自分を抱き締めた絵里の顔をもう一度覗き込むことを試みた。
しかし、しっかりと抱きとめられているせいと、絵里がまだ少し俯き加減なせいで表情が見えない。
- 346 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:54
- 「カメ? どうしたの?」
声色を落としながら尋ねると、里沙を抱きしめる腕の強さが少しだけ弱くなった。
「ん?」
「…ホントに、いいの?」
「え?」
「ホントに、絵里と付き合ってるって、小春に知られてもいいの?」
絵里の声の弱さが、逆に今までの気遣いを思い知らせる。
自分たちが付き合っていることを黙っていよう、と最初に言ったのは絵里だった。
それはきっと、小春を思ってのことで、そして同時に、里沙への配慮でもあった。
でも、それが絵里の本心からの希望だったか、と言われたら、おそらく違っただろう。
誰にも秘密でいる付き合いなんて、きっと誰も望まない。望んだりしない。
- 347 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:54
- 「うん、いいよ」
「ホントに?」
「うん。だって、うちら、ホントに付き合ってるじゃん」
するりと口から出た里沙の言葉に絵里が勢いよく頭を上げた。
里沙と目が合うと、頬が次第に赤く染まっていくのがわかった。
あまり見かけることのない絵里の目に見えての動揺に愛しさが込み上げてくる。
「そうでしょ?」
絵里の顔を下から覗きこむように言うと、堪え切れない、と言いたげに、また強く抱き締められた。
しかし、勢いづいたせいで里沙の腰が階段の手すりに当たった。
さほど痛くはなかったけれど、ぶつかった振動は思ったより強く、その衝撃に気づいた絵里が慌てて里沙から手を離す。
その手が自分から完全に離れてしまう前に、里沙のほうから手を伸ばした。
気づいた絵里がその手をとり、軽く周囲を見回す。
誰もいないことを確かめてから、階段を降りてすぐのフロアの1部屋に一緒になって忍び込んだ。
- 348 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:54
- ぱたん、と、ドアの閉じる音より早く、里沙の唇は絵里のそれによって塞がれていた。
唇だけでなく頬を額や鼻先や瞼にまでキスの嵐が降ってきて、
それに応じるかのように、じわりじわりと里沙の心の奥が刺激される。
やがて、軽く触れていただけの唇が次第に深く求めてきて、絵里の舌先が里沙の唇の輪郭を滑った。
誘われるように薄く開くと、待っていたように歯列を舐められ、
上唇の裏側にもぬるりとした質感を感じ取って思わず肩が揺れる。
まだ深く探ろうとしている絵里の舌が、閉じていた歯を強引に割って、更に奥へと入り込んできた。
狭い口内では逃げ場なんてもちろんなくて、あっさり見つかって絡め取られる。
緊張と戸惑いから、絵里の肩を掴む里沙の手にはチカラが入るが、
反対に膝にチカラが入らなくなって、里沙は壁に重心を移しながらしゃがみ込んだ。
そしてそれに倣うように絵里もゆっくりと膝を落とし、床に跪く。
- 349 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:54
- 「……ふ…」
里沙の口の端から、含みきれなかった唾液が吐息と一緒に零れおちた。
それすら逃したくなさそうに、里沙の唇を離れた絵里の舌先がその唾液を舐めとる。
そのままゆっくり里沙の顎をなぞり、里沙の肩を撫でさすっていた右手は二の腕に滑らせていく。
「…カメ…」
吐息と一緒に里沙の口から声が漏れる。
その熱っぽい声に里沙も自分に戸惑ったが、絵里は逆に火をつけられたようだった。
里沙の顎をなぞっていた唇が素早く耳元まで移動して、その小さな耳にそっと息を吹き込む。
熱をもった吐息が耳の奥をくすぐり、里沙は思わず身を捩った。
生暖かな質感の舌に耳を甘噛みされて、知らずにびくりと大きくカラダが揺らぐ。
けれど里沙の二の腕を掴む絵里の手はその動きすら封じるように強力で、里沙のカラダが強張っていく。
- 350 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:55
- 「ガキさん…」
吐息の混じった切なげな声が里沙の耳の奥をまた刺激する。
呼吸が乱れていくのもわかって、浅く繰り返しながら絵里を見上げたら、絵里が少し息を飲むのがわかった。
「…さわって、いい?」
震える声で問われて、何を、と問い返すより前に、絵里の手が里沙の胸を撫でた。
「…ア…ッ」
突然のことで声を抑制できず、里沙は慌てて両手で口を覆った。
「…すごい、やらしい声だ…」
「ば…、何言っ…、ン…ッ」
「…もっと聞かせて? ガキさんのそんな声、誰も知らないよね?」
里沙の耳元で囁く絵里の声は熱っぽくて、そのまま耳朶を唇に挟まれ、里沙のカラダが自然と震えだした。
- 351 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:55
- 「…や、だ…、も…」
「さわりたい…。ねえ、もっとガキさんにさわらせて…?」
里沙の胸元を優しく撫でさする絵里の手がそろそろと腰まで降りていく。
今まで感じたこともない感覚が里沙の肌の上を滑っていて、呼吸と心臓の音だけが早くなる。
「ガキさん…」
腰のあたりを撫でていた絵里の手が、するりと、里沙が着ていたTシャツの裾から中へと入り込んできた。
蒸し暑さのせいで汗ばむ肌に絵里の手が直接触れて、その手の持つ熱が里沙のカラダをまた震わせた。
「…ちょ…っ、どこ、さわっ…」
絵里の指先が里沙の脇からブラの隙間に入り込み、上へとずらすように持ち上げる。
抵抗しようにも、もう一方の手が里沙の腰を撫でていて思うようにチカラが入らず、
絵里の肩を押し返すのが精いっぱいだった。
- 352 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:55
- 「待って…、ね、ちょっと待ってよ…」
言葉でしか抵抗できず、里沙は縋るように絵里を見た。
けれど絵里は何も答えず、自身の肩を押す里沙の手にゆっくり唇を押し付ける。
「…好きだよ、ガキさん」
まっすぐ見つめられて言葉を見失う。
ひゅ、と咄嗟に息を飲んだその隙をつくように、脇から背中へと滑った絵里の手が器用にブラのホックをはずす。
それと同時に胸元にあった圧迫感が薄れ、恥ずかしさが込み上げてきた。
「や…、やだ、カメ…」
素肌を這う絵里の手が里沙の胸の膨らみを撫で上げる。
その手を止めたいのに、里沙のカラダは強張っていくだけで抵抗らしい抵抗にならない。
- 353 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:55
- 里沙の頬に唇を寄せてきた絵里の息遣いが熱い。
耳にも浅い呼吸の息が触れて、里沙はまたカラダを揺らした。
腰を撫でていた絵里のもう一方の手がゆっくり上へと上がってきて、竦んでしまった里沙の肩を掴む。
そのまま手のひらで顔の輪郭を辿りながら耳たぶに触れ、頭の後ろへとまわして髪の中に指を差し込む。
「…好き……」
耳のすぐそばで絵里の声が響く。
と同時に、髪に差し込まれた絵里の指先が地肌に触れてぞくりとした。
まるでそれが合図だったみたいに、里沙の脳裏に愛の指の感触が蘇ってきた。
子供扱いするみたいに里沙の頭を撫でて、そのまま笑いながらその手を差し出す、愛の手の熱が。
その瞬間、自分の肌を撫でている絵里の手に嫌悪感が湧いた。
さっきは熱っぽいと感じた吐息が、今は嫌悪と一緒に恐怖さえつれてくる。
脳裏に、愛の困ったように笑う顔が浮かんだ。
そのままゆっくりと背を向けて歩きだす後ろ姿になり、遠のいていくその影。
昼間のままの光景に胸の奥が軋んだ音を起てる。
その軋む音が意味するものの名前に、里沙は唐突に思い至った。
- 354 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:56
-
これは。
この感情は。
『孤独感』だ――――。
- 355 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:56
- 嫌悪感とその感情に押し上げられるまま、里沙はそのとき出せる最大限のチカラで絵里を突き飛ばした。
油断していたらしい絵里のカラダが勢いよく後方へ倒される。
想定外だったと言いたげに大きく見開かれた絵里の目が里沙を見つめ、
それからハッとしたように態勢を整えて里沙のもとに近づいてきた。
「ご、ごめんっ」
咄嗟に身構えた里沙に気づき、伸ばしかけた手を止める。
両腕で守るように自身の二の腕をそれぞれ掴み、里沙は絵里から目を逸らした。
「…ごめん…」
涙が浮かんでいるとわかる自分の耳に、絵里の掠れた声だけが届く。
「…やだ、って…言ったのに…」
「うん…」
「……待つって…言ったくせに…」
「うん、ごめん」
- 356 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:56
- 身を縮めるようにして部屋の隅に逃げる里沙に絵里も深追いはしない。
一定の距離を保って、ただ、申し訳なさそうに里沙を見つめる。
その視線からも逃げるように、里沙は抱えた膝の頭に額を押し付けた。
その里沙を、薄くなった恐怖心と嫌悪感、そしてそれらの倍くらいの戸惑いが包みこむ。
いつもの絵里じゃないように感じて怖くなった。
けれど咄嗟に思い浮かんだ愛のことで、絵里に対して嫌悪感を感じた自分が信じられなかった。
そろりと頭を上げて絵里を見ると、目が合っただけで絵里はホッとしたようだった。
「…ごめん」
殊勝な顔つきで肩を落とす絵里にまた恐怖心と嫌悪感が薄れる。
- 357 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:57
- ゆるりと首を振って上体を起こしかけて、背中に滑った開放感に里沙は顔を赤くした。
そのまま絵里に背を向けたが、向けてから失敗だったと気づいた。
「…留めようか?」
里沙の心情に気づいたように声をかけてきた絵里の言葉に里沙は大きく肩を揺らす。
即座に断ろうとして、この態勢のままでは自分で留めるほうが容易でないことに気づく。
少し間を置いてからコクリと頷いたら、空気の流れる感じがして、絵里が近づいてきたのだとわかった。
「…なるべくさわらないようにするから、ちょっとだけ、我慢してね」
Tシャツの裾から絵里の手が入ってくるのがわかる。
けれど里沙が思う以上に、絵里の手は里沙の肌には触れなかった。
胸が圧迫されると同時に絵里の手が引かれる。
けれど振り向くのは恥ずかしくて、そのままの態勢で「ありがと…」と呟いた。
- 358 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:57
- そのまま、振り返るタイミングを見つけられず、里沙は黙り込んだ。
気まずさは漂うが、絵里が先に何か声をかけてくれたら、何もなかったみたいに笑ってやろうと思っていた。
なのに。
「…もう、一緒に帰るの、やめる?」
たっぷり5分待ってから聞こえた声は、里沙の考えとはまるで違っていて、笑うことなんてできなかった。
振り返った里沙の目に、困ったように笑う絵里が映る。
反省している、というよりも、もっと別の何かを考えているようにも思えて、思わず里沙は絵里の腕を捕まえていた。
腕を掴まれて、大きくカラダを揺らして絵里が目を見開く。
「…なんで?」
里沙の問いかけに絵里の表情が崩れる。
おそるおそる、絵里の手を掴んだ里沙の手に自分の手を重ね、それから大きく溜め息をついた。
「カメ?」
溜め息と一緒に、手の甲に額を押し付ける。
- 359 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:57
- 「……許してもらえないかと、思った」
「そんな、これぐらいで…」
「だって、怖がらせたでしょ? …待つっていう約束も破ったし」
何か言おうとして、里沙は口を閉ざした。
絵里を恐れたのは確かだし、自分の気持ちを無視されたようで淋しく思ったのも事実だからだ。
「だから、最悪のこと、考えたんだよ」
「…最悪って?」
どう言うことかわからず首を傾げると、絵里がゆっくり頭を上げて里沙を見つめた。
「ふられるかなーって」
思いもしなかったことに、里沙は大きく目を見開いた。
そんな里沙を見て絵里はまたホッとしたように笑う。
「…よかった、そんなこと考えてもないって顔してる」
「あ、当たり前じゃない。こんなことぐらいで…。そ、そりゃ、怖かったけど…」
「うん…、ごめんね」
笑っているのになぜか里沙には悲しそうに見えて、胸の奥のほうが締め付けられたみたいになる。
たまらなくなって、掴んだ絵里の手を自分のほうに引き寄せると、絵里の頭を胸に抱きこむように抱き締めた。
- 360 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:57
- 「え…、あの…?」
「…バカなこと言わないでよ、もう」
「だって」
「バカ。もうホント、バカなんだから」
「そんな何回もバカって言わなくても…」
「ホントにバカなんだから何回も言うわよ、バカ」
「ひどい…」
落ちこんだように答えながらも、存在を確かめるように絵里の手がそっと里沙の背にまわる。
背を撫でることも服を掴むこともしない控えめなその強さと体温が、里沙の胸の奥を優しく震わせる。
そしてそれは、さっき感じた嫌悪感がまるで嘘みたいに、胸の奥に染み入るような愛しさに変える。
おそるおそる、上体を起こして絵里を見つめた。
目が合って、少し照れたように笑う絵里にまた気持ちが揺さぶられ、
込み上げてくる感情が次への行動を後押しするようで、それに逆らわないまま、里沙は絵里の額に唇を押し付けた。
- 361 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:58
- 唇を離して絵里を見ると、目を見開いたままだった絵里が里沙を呆然と眺めていた。
けれど、やがて堪え切れないと言いたそうに小さく声を出して笑いだす。
「…なんで笑うかな」
「だって、ガキさん、顔真っ赤…」
「うるさいな、そんなの言うならもうしないから」
「あ、嘘、嘘です、もう言いません」
お互い顔を見合わせて、どちらからとなく吹き出した。
前にもこんなやりとりがあったことを思い出したからだ。
それから口元を緩めた絵里がそっと里沙のほうに顔を近づけてくる。
伏せた睫毛の長さが綺麗だと、絵里の頭のうしろに回した手でポロシャツの襟首を握りしめたとき、
絵里の唇が今日いちばん優しく、里沙のそれに触れた。
- 362 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:58
-
- 363 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/05(金) 23:58
- 本日はここまでです。
今回まではわりとさくさくこれましたが、次回更新は未定です。
でも頑張ります。
自分でネタばれしそうなので、個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
ではまた。
- 364 名前:名無し飼育さん 投稿日:2009/06/06(土) 02:43
- あぁー…このまま進むのかと思ってドキドキしてたのに。
焦れったいし切ないしで胸が苦しいw
- 365 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/06(土) 03:13
- うーんどうなっていくんですかー
えりりんが切なすぎる…
更新お疲れさまです!
- 366 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/06(土) 09:23
- 切ないな〜。みんな幸せになればいいな。
- 367 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/06(土) 23:05
- うわー…展開が良いのか悪いのかw
二人は結局どうなるんでしょうね…
この切なさ、すっごい好きですww
- 368 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/07(日) 11:14
- 切ない・・
なんなんでしょう、このもどかしさは。
なんか愛ちゃんが心配でなりません・・。
次回も待ってます。
- 369 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:55
- 更新します。
- 370 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:55
-
- 371 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:55
- レッスンも一段落つき、明日は久しぶりに丸一日のオフになっていた。
帰り支度を整えながら、誰もが明日はゆっくりカラダを休めたい思っている中、
それとなく周囲を見回していた里沙は、身支度を済ませたらしい小春が、
部屋の隅のほうで携帯を触りながら家族の迎えを待っているのを見つける。
ひとりきりでいるのを幸いと、小春のほうに爪先を向けたとき、ぽん、と、軽く肩を叩かれた。
振り向くとそこには絵里がいて、里沙の考えていることを読み取ったかのように小さく頷く。
「今日は先に帰るね」
「あ、うん、お疲れ」
軽く手を振って微笑んだ絵里の後ろ姿を見送り、その足で小春に歩み寄った。
- 372 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:56
- 「小春」
呼ばれた小春が頭を上げ、里沙だと認めて口元を緩める。
リラックスしているとわかる口元の柔らかさに、里沙の口も自然と綻んだ。
「なんですか?」
「あのさ、明日って、何か用事ある?」
「いや、今のとこ別にないです。お姉ちゃんも仕事だし、家でボーっとしようかなーって」
「じゃあさ、一緒に買い物にでも行かない?」
「えっ? 小春とですか?」
「うん。いろいろ話したいこともあるし」
そのとき、少しだけ小春の顔が強張った気がして、里沙はどきりとした。
けれどすぐにいつもの笑顔になって、ほんの少し上目遣いに里沙を見る。
「えっと…、ひょっとして個別にお説教ですか?」
「違うわよ、なんでそうなるの」
「やー。なんか、新垣さんから改まって誘われると、それしか思い浮かばなくて」
そんなに普段の自分は小春に対して叱ってばかりなのだろうか。
そう思ったのが顔に出たのか、上目遣いに里沙を見ていた小春の表情がふにゃりと崩れた。
- 373 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:56
- 「じょーだんですよ、じょーだん。そんなマジにとらないでくださいって」
いつもの笑い方に強張りかけた気持ちと肩に入ったチカラがほぐれる。
無意識にホッと息をついた里沙に、小春はにこにこと口元を綻ばせた。
「ところで買い物って、新垣さん、何か欲しいものとか、行きたいとことか決まってるんですか?」
「え? いや、特には」
「じゃあ、小春、行きたいとこあるんですけど、連れてってくれます?」
「うん、全然いいよ、どこ行きたい?」
里沙の返事を聞いて、一呼吸置き、小春は言った。
「いいビル」
単語、というには局地的にしか伝わらない特徴のある言葉だったが、
答えた当の小春は嬉しそうな笑顔で、それは、内面では緊張を抱えていた里沙を少しだけ和ませてくれた。
- 374 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:56
-
◇◇◇
- 375 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:56
- 最寄りの駅前で待ち合わせ、小春の希望するままに目的地に移動する。
平日だが、梅雨明けしたばかりのせいか街中は想像より人の波に溢れていて、それだけで賑やかな雰囲気が漂う。
特にこれといった変装などしないで、普段通りのラフな格好で通い慣れた街を歩き、
目についたものを手に取ったり、見比べたり、ひやかしたりしているうちに、小春が疲れたような声を出した。
「にーがきさーん、小春、おなかすきましたー」
「ふはっ」
腹のあたりを撫でながら、肩まで落とした小春に笑いがこみ上げる。
「なぁんで笑うんですかー」
「いやいや。そだね、どっかでお茶でもしよっか」
そう提案した里沙に小春が不思議そうに首を傾げた。
「ん? 何か食べたいものとかあるなら、店探すけど」
「いや、これといってないんで、なんでもいいですけど…」
そうは言うものの、大きな瞳は無言で問いかけてくる。
- 376 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:57
- 「小春?」
「新垣さんの話したいことって、なんなのかなーと思って」
どき、と、心音が跳ねた。
「いろいろ話してくれてますけど、なんかどれも本題ぽくないなと思って」
本当は、待ち合わせ場所に小春が現れたときからどうやって切り出そうか考えていた。
けれど、いざ話すにも軽い口調で話せる内容ではないし、
だからといって急に深刻になるのも楽しそうにしているところに水を差すようで、
うまくタイミングが掴めず、不自然にならないきっかけを探していたところだったのだ。
「…参ったな」
「? 新垣さん?」
「小春のほうからそれ言われちゃうとは思わなかった」
「え、だって」
「うん、そうだよね、あたしが昨日そう言ったんだもんね」
言葉を遮った里沙を、小春は感情の読めない表情で見つめた。
黒目がちの大きな瞳は里沙の戸惑いや緊張をすべて見透かしているようで、直視出来ずにそっと目線を下へ落とす。
- 377 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:57
- 「……新垣さん、このへん、カラオケあります?」
里沙が視線を落とすとほぼ同時に、キョロキョロと周囲を見まわしながら小春が言った。
思わず頭を上げた里沙に小春の表情が和らぐ。
「あそこなら個室だし、食べるものもいっぱいあるだろうし」
そしてまた、一呼吸置く。
「人には聞かれたくない話も、できると思います」
笑ったように見えた小春の口元は、里沙の目には意思を持ったように力強く映った。
そして、小春がすでに、里沙の口からどんな話が出るかを予測していることもわかった。
自分で思う以上の小春の態度に戸惑いは隠せないながらも、他にこの状況を打破する案は里沙には浮かばない。
異論も反論も見つからず、小春の提案に同意するように小さく頷いたあとで、
そこからさほど歩くことなく見つかったカラオケ店に入った。
- 378 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:57
-
適当にオーダーを済ませ、店員が部屋にやってきたときに不自然さがないように何曲か入力する。
けれど小春も里沙も、マイクを持つことはなかった。
オーダーしたものがすべて揃って、曲も途切れて無音になっても、切り出すタイミングを里沙は見つけられずにいた。
ふと空気が動いた気がして頭を上げると、
運ばれてきていたウーロン茶に小春が手を伸ばしたところで、
里沙と目が合うと、小さく小首を傾げた。
「言いにくい話ですか?」
「…ちょっと、ね」
グラスを持って一口含むと、小春は大きく息を吐いた。
「…あのね、新垣さん」
「うん」
「言いにくいのは、小春に関係あるからですよね?」
そう言われて里沙は答えに困った。
それに気づいたようすもなく、小春は続ける。
「悲しい話ですか? それともムカツク話?」
「……悲しい話…かな」
「いいですよ、話してください」
「小春?」
「傷つくかも、とか、悲しませるかも、とか、そうやって黙ってられるほうが小春はイヤです」
- 379 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:57
- 里沙がこんなに躊躇するのは、小春の傷ついた顔も悲しむ顔も知っているからだ。
できればあんな顔はもう見たくなかった。
でも、黙っていることのほうが小春に申し訳なく思えてきた。
それは小春に対してだけでなく、絵里に対しても。
「たとえば本当に小春には悲しい話でも、新垣さんが話したいって思うなら、小春は知りたいです」
強い口調にすら感じられる潔さで小春は言いきった。
なんだか急に小春が大人びた感じがした。
まるで自分のほうがずっとずっと子供みたいに思えるほどだ。
濁りのない真っ直ぐな目は迷い続ける里沙の気持ちを揺さぶり、自然と里沙は頷いていた。
今の小春なら、何を言っても動じないと思えた。
言葉を紡ごうとして口の中が乾いていることに気づき、グラスに手を伸ばして一口含んだあとで大きく深呼吸する。
「…あの、ね」
「はい」
返事の声さえ凛々しく届く。
喉の奥で一瞬言葉を詰まらせそうになったが、言葉を吐きだそうとした勢いに乗せた。
- 380 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:57
- 「……今、あたし、付き合ってる人が、いるの…」
それでも、そのあとの小春の顔を見るのがどうしても出来なくて、告げてすぐに里沙は俯いてしまっていた。
「……それは誰か、聞いてもいいんですか?」
里沙が思っていたものとは裏腹に、返ってきた小春の声は抑揚がなかったけれど、
相手を聞かれることは当然覚悟していたので、こくりと小さく頷き返す。
「…亀井絵里、だよ」
里沙の声が無音の室内に響いた直後、何かが涼しげに小さく音を起てた。
それがグラスの氷が溶けた音だと理解したすぐあとで、小春が細く息を吐いたのもわかった。
ぼすん、と、音がして頭を上げると、ソファの背凭れに重心を移した小春が里沙を見ていた。
けれどまた感情が読めない無表情で、里沙の背筋を一筋の汗が滑り落ちる。
でも、今度は目を逸らすことはしなかった。
今だけでも、小春から目をそらしてはいけない気がした。
里沙と見つめあってしばらくして、小春はゆっくりと目を伏せながら天井を向いた。
「……亀井さんかぁ…」
「うん…」
- 381 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:58
- しばらく天井を見ていた小春がゆっくりと上体を戻す。
それから戸惑い気味の里沙に向かって小さく笑って見せた。
「わかりました」
「小春…」
「悲しくないって言ったらウソですけど、でも、ちゃんと話してくれてよかったです」
強がっているふうに見えなくもなかったけれど、それには気づかないフリをした。
「このこと、他にも知ってる人っているんですか?」
「あ…、えっと、たぶん、ジュンジュンとリンリン以外は…」
ちゃんと確認したわけじゃないけれど、れいなはきっと気づいているだろう。
けれど、ジュンジュンとリンリンにもまだ知らせていないことに今更思い至る。
しかし、今はまだそのタイミングではない気がした。
もちろん、いつかは話さなくてはならないとは思ってはいるけれど。
- 382 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:58
- 「え…、じゃあ、みっつぃも知ってるんですか?」
「うん…。あ、でも他のみんなは偶然バレたってだけで、小春を後回しにしたとかじゃないから」
実際そうやって言葉にして、さゆみはともかく、愛も愛佳も自分たちから伝えたわけではないことに気づいた。
「そう言う意味では、こうやって向き合ってちゃんと話したのは、小春が初めてだよ」
そう言うと、不満そうに唇のカタチを歪めて里沙を見ていた小春の、拗ねたような表情が少しだけ崩れた。
それから小さく照れたように笑う。
「…小春には、ちゃんと自分の口から話しておきたいって、思ったの」
きっかけは愛の一言だったけれど、こうして今、笑ってくれた小春を見て、話してよかったと素直に思えた。
- 383 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:58
- 照れ隠しのようにグラスを持って勢いよく飲む小春。
それを真似るように里沙もグラスを持ったが、ストローに口をつける前に小春と目が合った。
まだ何か言い足りなさそうにしている小春の口元がなんだか引っかかる。
「ん? どうかした?」
「えっ、いやいやいや、なんでもないですよ」
不自然そうに笑った小春がまた一口含む。
それが小春の喉を伝っていくのを待って里沙も喉を潤したが、歯切れの悪い小春の態度が気になった。
「なんなの?」
「え?」
「なんかまだ言いたそうに見えるんだけど…?」
すると小春は少し目を見開き、それから何かを誤魔化すように持っていたグラスをテーブルに置いた。
- 384 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:59
- 「…みっつぃにもよく言われるんですけど」
「ん?」
「小春って、そんなに顔に出ちゃいます?」
「そうだね、わりとわかりやすいほうかな」
普段の飽きっぽい性格に振り回されているひとりである以上、変に取り繕うことはできない。
思ったとおりに答えると、溜め息混じりに肩を竦めて唇を尖らせた。
「…なーんか小春、損な役だなあ」
「損とか得とかないから。てか、なに、やっぱまだ何か…」
続きを促そうとする里沙を小春はチラリと上目遣いに見た。
里沙のようすをうかがっている眼差しに少しだけ不快感が働く。
「小春、はっきり言いなさい」
ついいつもの説教口調になってしまったけれど、
小春自身はそれに慣れてしまっているのか、特に委縮することもなく。
「……意外だったなあと思って」
「意外…? ってなにが?」
「亀井さんだったことが」
「は?」
- 385 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:59
- 要点だけを話されているせいか、いまいち話の核心が見えない。
もう少し詳しく、と言いかけて、ふと、意外、という言葉が引っかかった。
絵里だったことが意外、というのは、メンバー内で付き合う相手がいた、ということに対してだろうか。
今までに知られた人物は自分に対しての好意は恋愛のそれではないという思いからあまり気に留めなかったが、
メンバー同士で付き合うというのは、本来ならばとてもデリケートなことだ。
その危うさはそれなりに周囲に影響することもあるだろう。
恋愛と仕事をちゃんと区別して、そしてそれを感じさせないことがプロ意識にも繋がるわけだが、
おそらく気づいているであろうれいなに、今まで何の影響も及ぼさなかったとは決して言いきれない。
そもそも、小春がそれを割り切れるかというのも難しそうだ。
さっきの態度を見れば、小春は少なからず里沙にまだ好意を持っているようだし、
そんな小春を前にした自分が、今までどおり何もなかったように過ごせるかと問われれば、里沙自身にも予測がつかない。
隠さないでいいという安心と同時に、自分はまたしても小春の気持ちを無視して追いつめてしまったのではないだろうか。
- 386 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:59
- 「…あ。なんか、変なふうに考えてません?」
気持ちが沈みそうになった里沙を小春の明るい声が引き上げる。
「え?」
「亀井さんが意外っていうのは、付き合ってる相手がメンバーだったからじゃないですよ?」
心を見透かされたようで思わず声を詰まらせると、小春はくすりと小さく笑って両手を組んだ。
そしてそれを大きく前に伸ばして、再び深くソファに凭れる。
ふー、と深めに息を吐き出してから手を下ろし、戸惑い気味に見ている里沙に向かって少しだけ首を傾ける。
「…大丈夫ですから」
笑顔だったにもかかわらず、何が、と問わせない雰囲気を漂わせながら小春は言った。
何が、なんて、里沙が一番わかっていた。
どきりとしたけれど、里沙は小春の意思に添って言葉を飲み込んだ。
それを待って、小春がゆっくりと自分の膝を抱きかかえる。
「…なんとなくね」
「うん?」
「新垣さんがいつか誰かを好きになったら、それは高橋さんのような気がしてたんです」
「えっ?」
考えたこともなかったことを言われて里沙の声が裏返る。
- 387 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:59
- 「な…、なんで愛ちゃん? あたしたちは別にそんなんじゃ…」
「や、だから、なんとなくですってば」
里沙が動揺することを見越していたように小春が笑う。
「高橋さんも新垣さんも、なんか、どっちも大切に思い合ってるって感じで…。
そばにいてもいなくても気持ちが通じ合ってるっていうか、わかり合えてるっていうか。
だから、亀井さんだって聞いて、意外だったな、って」
小春の言うことは別に間違っているわけでもなかった。
言われるまでもなく里沙は愛のことを大事に思っているし、
愛のほうも、あえて言葉にされたりしたことはないにしても、それを感じ取れるだけの付き合いは自負している。
無論、そう思う相手は愛だけでなく、自分に関わるすべての人に対して思っていることで、
想いの強さやカタチは違うにしても、小春に対して持っている感情もまた、大事な人へのそれだと思っている。
けれど小春の雰囲気からは、里沙も愛も、まるで恋愛感情であるかのようで、
それは本来、里沙が絵里に対して持っているはずのものなのに、なんだか別次元の話をされているようにも聞こえた。
そして唐突に愛の名前が出たことで、
それまで無意識のうちに思考の底へ沈めていた感情が、里沙のなかで誇示しはじめた。
- 388 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 22:59
- あの日自覚した初めての感情。
どうしてそう感じたのか理由も何もわからない、置いて行かれるという『孤独感』。
あの日の愛がそれまでの愛とは違うと言いきれるだけの確信はあるのに、
里沙の目に映る愛に変化がないことで、その理由も真意も確証も、何ひとつわからない漠然とした焦燥。
些細な、けれど里沙にはそう捉えられなかった愛の変化を淋しいと感じた自分。
この動揺はなんなのか。
この焦りはなんなのか。
この心細さはなんなのか。
考えても答えは出ない。
出ないから考えることはやめた。
でなければ、四六時中そのことが頭を離れなくなるからだ。
- 389 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 23:00
- 「新垣さん?」
黙り込んでしまった里沙を小春が怪訝そうに覗きこんできた。
「…だいじょぶ、ちゃんと聞いてるよ」
いつのまにか俯いてしまっていた顔を上げて笑うと、小春はホッとしたように口元をゆるめた。
「愛ちゃんは…」
あの日を境に、愛は変わってしまった気がした。
でも実際に里沙の目に映る愛には何も変わったところはない。
変わったように見えるのは自分だけで、愛は何も変わっていないのかも知れない。
たぶんきっと。
こんなふうに理由もわからない淋しさを抱えてるなんて、自分だけだ。
- 390 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 23:00
- 「…愛ちゃんとあたしは、そういうのじゃないよ」
「そうですか?」
「うん。なんかもう、考えてることとか、付き合いが長過ぎてわかりすぎちゃうっていうかさ」
ちくり、と、細い針が胸を刺す。
前までなら自信を持って言えたことが、自分の言葉なのに違う響きを持っているように聞こえた。
「もちろん、大事にも思ってるよ。でもそれは小春にも他のみんなにも同じように思ってることだから」
小春の目を見つめながら言った里沙に、小春は少し照れたように、けれど誇らしげに微笑んだ。
「そっかあ…。そっかそっか」
今にも鼻歌が聞こえてきそうなくらいの嬉しげな声が里沙の気持ちを少しだけ軋ませる。
「そうだよ、愛ちゃんとあたしは、そういうのじゃないよ。…それに」
もう一度同じ言葉を言った。
まるで自分で自分に確認をとっているようだった。
「…それに、あたしは、カメと付き合ってるんだから」
誰に向けて言うでもなく言った言葉は、目の前にいるはずの小春に向かったあとで、
里沙のところに居心地の悪い空々しさをつれて戻ってきた。
- 391 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 23:01
-
- 392 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/23(火) 23:01
- 本日はここまでです。
自分で今後のネタばれしそうなので、個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
で。
お知らせと言うか、お詫びと言うか。
次回の更新は早めに、とは思っておりますが、ストックが次回分までしかないのと、
別件での書きものがあって、なかなか書き溜めができなくなりそうなので、
次の更新後はしばらく放置することになるかと思います。
できるだけ早く更新できるよう心がけますので、広い心で気長にお待ちいただけると幸いです。
ではまた。
- 393 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/24(水) 02:31
- なんだかなー!と言いたくなる素晴らしいむず痒さですw
正座してマッタリ待ちます。お疲れさまです。
- 394 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/25(木) 10:03
- 更新お疲れ様です.
どうなっていっても誰かが泣くことになるのかな...
続き待ってます.
- 395 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/26(金) 23:41
- 待ってます。
- 396 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/26(金) 23:47
- とりあえず落とします
- 397 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/06/27(土) 22:10
- こんなにも切なくなるなんて…
皆が笑顔になれるように!!
- 398 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:42
- 更新します。
- 399 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:42
-
- 400 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:42
- 新曲のレコーディングの日は、昼過ぎから雨が降り出していた。
夏ももう終わろうとしていると伝えるかのように、
深夜に近いこの時間帯では雨粒も冷たく、肌に触れた冷気は体温を少しだけ下げる。
控え室で窓から手を出し、ぼんやりしながら手のひらに雨を打たせていた里沙は、
ふと時計に目をやって、自分の順番の予定時刻が近づいていることに気づく。
すでにほとんどのメンバーはレコーディングを終えていて、
今現在、この建物に残っているメンバーは里沙の他には愛とさゆみだけだった。
いつもなら里沙を待って一緒に帰宅する絵里も、今日は別件で仕事が入っていて早々にスタジオをあとにしている。
手のひらの滴を振って落とし、もう一度時間を確認してゆっくりと窓を閉めて立ち上がり、
ウォークマンで音程を確認しているさゆみに軽く合図して、里沙はレコーディングの行われているブースに向かった。
- 401 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:42
- ブースの中にはまだ愛がいた。
ドア越しでは中の状態はわからなかったが、うっすら漏れ聞こえてくる音でまだ終わっていないことがわかる。
隣には休憩室があるので、控え室には戻らずそちらへ向かおうとしたら、
里沙の行動を見ていたようにブースに続くドアが開いた。
と、同時に、中からプロデューサーの珍しい怒声が飛んできた。
「しゃんとせえ!」
声の大きさに里沙もびくりと肩を竦ませる。
派手そうな外見と軽薄そうな雰囲気に反し、彼は仕事に対してはとても真面目だ。
真面目なぶん、きつい一言で落ち込まされることもある。
けれど、今までこんなふうに怒鳴ることは一度だってなかった。
そしてその相手が愛だったことに、里沙は驚きを隠せない。
「すいませんでした」
深くお辞儀をして出てきた愛は、ドアを閉めてから疲れたように肩で息をした。
それから里沙がいることに気づいたように、小さく苦笑いする。
- 402 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:43
- 「…怒られてもーたわ」
「珍しいね…」
「んー、まあ、しゃーないよ。自分でも今のはアカンなって思うし」
ははっ、と乾いた声で笑って、そのまま深く深く息を吐いた。
歌うことに対して弱気な愛もまた珍しい。
「頭冷やしてこいって言われたから、ちょっと顔洗ってくるわ」
しかし、そう言った愛の顔色が優れないことに気づいて、
目を合わせないように擦れ違おうとした愛の腕を、里沙は咄嗟に掴まえていた。
掴まれて、愛のカラダが大きく揺れる。
「…なん?」
「なんか、顔色悪いよ、大丈夫?」
「…気のせいや。ここ、照明暗いし」
苦笑いで言いながらも里沙と目を合わせない。
そのままやんわりと里沙の手を離させると、その腕を軽く撫でるように叩く。
- 403 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:43
- 「次、ガキさんやろ。頑張ってな」
「愛ちゃん」
一歩退いた愛に手を伸ばそうとして、ブースの中からスタッフが現れる。
そこに里沙がいたことに、呼びに行く手間が省けたと言いたそうに手招きをした。
「ほら、呼んではるし。行っといで」
スタッフと愛とを交互に見ていた里沙の肩を愛が強く押し出す。
「ほらほら。ガキさんまで怒られるで」
愛の態度も顔色も気になったが、今は確かにゆっくりしている時間ではない。
あとにはまださゆみも控えているし、下手すれば後回しになった愛の順番は日付が変わってしまうだろう。
いってらっしゃい、と手を振る愛に頷いて見せ、里沙は後ろ髪を引かれる思いでブースに入った。
- 404 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:43
- ◇
里沙のレコーディングは滞りなく終了し、終了予定時間より少し早くにOKサインが出た。
始まる前は少し不機嫌だったプロデューサーも、里沙がブースを出るときには笑顔を見せていて、
今回の自分の出来が彼にとって満足のいくものだったらしいことにまた自信が湧く。
次はさゆみの順番だが、予定時間より少し早目に終わったせいか、
ブースを出たところの休憩室にはまださゆみの姿は見えなかった。
おそらくまだ控え室で待っているのだろう。
里沙と入れ替わりに戻ってきた愛と喋っていて、時間の経過を忘れている可能性もある。
さっきの愛のようすを思えば明るい雰囲気は想像できないが、
変に遅刻してまたプロデューサーの機嫌を損ねるわけにもいかない。
少し早足気味にふたりが待つ控え室へ向かった里沙だったけれど、戻った部屋には誰の姿もなかった。
- 405 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:43
- 「あれ?」
部屋の冷気は少し弱くなって里沙の肌を撫でる。
人がいたと思わせない空気の流れのなさと淀みのなさに、
この部屋が無人になって少し時間が過ぎていることがうかがえた。
「ジュースでも買いに行ったかな?」
独り言のように呟いて、自動販売機コーナーがある階下のフロアを思い浮かべる。
部屋を出て行ったのなら予定時刻までには戻ってくるだろう。
プロデューサーもスタッフも、次のさゆみを呼んで来いとは言わなかったからここで待っていてもよかったが、
なんとなく、呼びに行かなくてはならない使命感のようなものが里沙の足を進ませていた。
- 406 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:44
- エレベーターは使わず階段を選ぶ。
自動販売機のある場所はこの階段を降り切った裏側にあり、
商品を購入したその場で座って休憩できるように長椅子も何脚か並んでいる。
時間帯のせいか人の気配が昼間ほど感じられず心細くなったが、
階段を降りながら、途切れ途切れながらも聞こえてくる声が聞きなれたものだったことに、里沙の足取りも少し軽くなる。
あと数段で降りきる、というとき、少し離れた場所から愛の声が聞こえてきた。
「あい…」
しかし、声を掛けようとして聞こえてきた愛の声に、里沙は自身の身動きを封じられる。
そしてそのまま、出そうとした声は、まるで何かに吸い取られるように消えた。
- 407 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:44
- 「…やっぱ疲れるな、嘘つき続けんのも」
溜め息と一緒に吐き出すように出てきた『嘘』という言葉に里沙は戸惑いを感じた。
それが何を指してのことかはわからなかったが、その言葉自体が負の要素を感じさせてますます足が固まる。
「…嘘は、確かに疲れるよね」
「なんや、さゆもそう思うんや?」
ははっ、と、さっき里沙も聞いたような乾いた笑い声。
さゆみを責めるようにも聞こえる言葉だったが、でもどこか羨んでいるようにも感じられた。
「さゆみの嘘は自分のためだもん。愛ちゃんみたいに誰かを思っての嘘じゃないもの」
愛の声が途切れる。
けれど溜め息をついたのは雰囲気が伝えた。
「…しょーじき、さゆのこと、ちょっと恨んでるよ」
「うん、わかってる」
- 408 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:44
- 恨む、という愛に不釣り合いな言葉にも驚いたが、それを自覚しているさゆみにはもっと驚いた。
まるでそう思われていることなんてなんとも思っていないような響きにさえ聞こえた。
「…なんであんな嘘ついたんかな…。ホントは…あんなん思ってもなかったのに」
「愛ちゃん、優しいから」
「自分のことをよく思われたいだけやで。そんなんただの偽善やろ?」
「偽善でもなんでも、愛ちゃんは優しいよ。でなきゃ、さゆみが頼んだだけであんな嘘つけないでしょう?」
ふたりの会話の核心は里沙にはよく見えなかった。
けれど、愛が何かに対して自分を偽り、そしてそれを求めたのがさゆみだということはわかった。
「…でも、もうそろそろ、キツイよ。…全部、吐き出したくなる…」
「だったらさゆみに甘えてよ。さゆみが愛ちゃんに嘘をつかせた犯人なんだから」
さゆみの口調と言葉にぎくりとする。
けれど愛はまた小さく乾いた笑い声を洩らしただけだった。
- 409 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:44
- しばらく沈黙が続く。
空気の流れで自分の位置を気取られそうで、里沙はますます動けなくなった。
無闇に近づけない雰囲気と、
おそらく聞いてはいけないことを聞いてしまったという後ろめたさが里沙の行動を制限する。
どうして自分は、こんなところにいるんだろう。
きっと愛もさゆみも、里沙に知られたくなくてこんなところで話しているはずなのに。
「……さゆは、あたしのこと、好きなんか?」
不意に愛が言った言葉に、どきん、と心臓が跳ね上がる。
それは、今まで聞いたことのないような、切なげな声だった。
「うん、好きだよ」
そしてそれに応えたさゆみにも驚かされる。
淀みのない返答が、さゆみの持つ本心をそのまま表しているようだった。
- 410 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:45
- 「ていうか、ずっとそう言ってるよね?」
「…物好きやな」
「面喰いって言ってほしいなあ」
茶化すような声ではあったが、離れた場所で盗み聞いている里沙にも、その声の持つ真摯さは伝わってくる。
「…ホントに? マジであたしが好きか?」
「うん。さゆみ、結構嘘つきだけど、これはホントだよ」
「好き?」
「うん、好き。愛ちゃんが好きだよ」
言いきる言葉の強さに圧倒される。
そしてそれを感じ取ったかのように、愛からは途切れ途切れに苦しそうな声が漏れてくる。
「……じゃあ、そばにいて」
弱気な掠れた声が涙声になる。
そしてそれはますます、里沙の足を凍りつかせた。
「ずっといて。ずっとあたしのそばにいて。…でないともう…、…崩れそうや…」
どきんどきん、と、動かないカラダとは裏腹に鼓動は早まっていく。
今、自分が聞いた愛の声は、まるで別世界につれてこられたような響きをしていた。
- 411 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:45
- 愛は負けず嫌いだ。
感情を抑えきれずに泣くことは多いが、そのぶん弱音を吐くのは珍しい。
長い付き合いである里沙にも、それは滅多に向けられないことだった。
けれど今、さゆみ対して向けている言葉はすべてが愛の弱音だった。
そしてきっと、里沙には知られたくない弱音だった。
さっき里沙と入れ替わりに出ていった愛のようすは確かにいつもと違っていた。
そして里沙は確かにそれに気づき指摘した。
なのに愛は笑っただけだった。
笑って何もないと言っただけだった。
あのときは愛のために時間を割いてやれる状況ではなかったかも知れない。
でも、それでも、あんなふうにさゆみに救いを求めるまで、どうして自分にはそれを気付かせなかったのか。
崩れそうだと自覚するまで、どうして自分には何も話してくれなかったのか。
自分では頼りなかったのか。
それとも何か他に別の理由があったのか。
- 412 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:45
- けれど、たとえそれを愛本人に聞いても、愛が答えないことだけはわかった。
そばにいたのに。
そばにいてほしいというなら、いつだってそばにいてやるのに。
愛が助けを求めたのは自分ではなかった。
誰よりも付き合いが長く、誰よりもそばにいたはずの自分などではなかった。
出会ったころから愛には心を許していた。
愛だって自分に心を許してくれていると思っていた。
でもそれらはすべて、里沙の思い上がりだったのか。
…いや。
こんなふうに誰かに泣いて縋るまで弱ってしまった愛の変化に気付かなかった自分なんかでは、きっとダメなんだ。
里沙では、ダメなのだ。
- 413 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:45
- 「そばに、いて…」
「うん」
「…お願い…、お願いや…さゆ…」
「泣かないで」
さゆみの声に里沙の心が揺れる。
柔らかな響きが里沙の心を揺さぶる。
「愛ちゃんが望むだけ、こうして抱きしめててあげるから、だから、泣かないで…」
愛を抱きとめたであろうさゆみのその声は、愛の抱えるものも文字どおり包んだようだった。
落ち着きを取り戻したように愛の声が途切れて、里沙はハッとした。
踏ん張らなければ膝からチカラが抜けて座り込んでしまいそうなのを堪え、足音をたてないように階段を昇る。
階段の下からは見えない場所まで移動して壁に凭れて重心を預け、
どきどきと早まるだけの鼓動を深呼吸して落ち着かせ、
水分をなくして潤いのない唇のまま、できるだけ小さく発声してみる。
ちゃんと音が出ていることを自分の耳で確認して、少しだけ息を吸い込んだ。
- 414 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:46
- 「…さゆみん」
里沙が思ったより、その声は響かなかった。
もう一度、今度はさっきより多く息を吸い込む。
「さゆみーんっ」
里沙の声は人の気配の少なくなったフロアに綺麗に響いた。
「はーい!」
慌てたようなさゆみの声が階下から届く。
里沙はもう一度息を吸い込んだ。
「どこー?」
「し、下です、自販機のとこー!」
「愛ちゃんもいるー?」
「え…」
さゆみの声が一瞬だけ途切れる。
おそらく愛のようすを確認したのだろう。
- 415 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:46
- 「愛ちゃんもいますよー」
愛からの返事がないということは、まだ声を出せる状況ではないということだろうか。
「あたし終わったからもう帰るけどー、次、さゆみんだよねー?」
「はーい、すぐ行きまーす!」
「愛ちゃんもそこにいるなら、控え室の照明とかエアコンとか、点けっぱでもいいー?」
「いいですよー」
「じゃあ帰るねー、お疲れさまー」
「お疲れ様でーす」
「…おっつかれー」
さゆみの声のあと、まだ少し涙声にも聞こえる愛の掠れた声が聞こえた。
無理して出した声だと、すぐにわかった。
今すぐ駆け寄って、涙の理由を問いたかった。
けれど里沙はギュッと目を閉じて頭を占拠しようとする愛の声を振り払う。
「…愛ちゃんも頑張ってねー」
少しだけ声が震えてしまったけれど、愛もさゆみも、それには気づくことはないだろう。
大きく息を吐き出して、里沙は控え室まで走って戻った。
- 416 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:46
-
荷物を持って大急ぎで建物をあとにする。
建物の裏手では送迎用のタクシーが待っているはずだが、そこまで走る気力は里沙にはもうなかった。
息をとめていたわけじゃないのに息苦しい。
膝がガクガクと震えだして、思わずそのまましゃがみ込んだ。
それとほぼ同時に鞄の中から聞きなれた音が聞こえ、
それが絵里からの電話を知らせる着信だと理解するより早く、里沙は鞄の中から携帯を取り出していた。
『もっしー、ガキさーん?』
「…カメ…」
『レコーディング終わったー? 絵里もねー、今さっき終わったとこなんだけどー』
耳の奥に響く、絵里の甘えた声が里沙の涙線を刺激する。
『今ね、タクシーの中なんだけどね、もうすぐそのへん通りそうなんだー。
まだスタジオにいる? いるならそっち向かってもらうからさ、一緒に帰ろうよー』
里沙を無条件に安心に導く優しい声色に応えたいのに、刺激された涙線が里沙の言葉を紡ぐチカラを奪う。
- 417 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:46
- 『おおーい、ちょっとー、聞いてますかー?』
「カ、メ…」
『ガキさん?』
「…っ、…カメぇ…」
ぼろぼろと涙が零れだす。
自分でも情けないくらいみっともない声が出た。
『えっ、ちょ、ガキさん? どうしたの、泣いてるの?』
焦った声の問いかけに答えることができない。
『今どこ? まだスタジオ?』
「…っく…、……う、裏の…」
『裏? 裏手のとこ? まだタクシー乗ってないんだね?』
「…うん…いる…。そこにいる…っ」
『わかった、すぐ行くから! そこで待ってて!』
そこで通話が途切れ、とたんに静寂が里沙を襲ってくる。
焦燥感と寂寥感とが綯い交ぜになって、感情のブレーキも引けずに涙だけが次々と溢れ出す。
愛のこと、さゆみのこと、絵里のこと、自分のこと。
それらは言葉にもカタチにもならず、一方的に里沙の感情の襞を逆撫でた。
絵里が現れたのは電話を切ってから5分もたっていなかったが、
その5分間は、里沙の知る感情のすべてが里沙の心を乱し続けた。
- 418 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:47
- 「ガキさん!」
声がして振り向くと、駆け寄ってくる絵里の姿が見えた。
「…か…」
止まらなかった涙は里沙の体内から水分を奪い、声を出すことも困難にしていたようで、
しゃがみこんだまま動けない里沙は、震えながら手を伸ばすことしかできなかった。
里沙の前まで来た絵里がその手を掴み、呼吸を整えることもせず強く里沙を抱きしめる。
「どうしたの? 何があったの?」
滅多に涙を見せない里沙が言葉をなくすほど泣いた理由を絵里が知りたがるのは当然だった。
けれど里沙は言えなかった。
声を出せなかったせいもあるが、涙の理由は誰にも言えないことだとわかっていた。
どうして言えるだろう。
こんなに自分のことを考えてくれて、こんなに優しく自分を抱きしめてくれて、
きっと誰よりも自分のことを好きでいてくれる絵里に、涙の本当の理由なんて言えるわけがない。
絵里が来てくれたことで訪れたはずの安心感を、里沙を取り巻くさまざまな感情の波が切り崩しにかかる。
知らずに里沙のカラダが震えだす。
一度味わったあのときの孤独感が増幅して再び里沙を襲いにくる。
- 419 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:47
- 「ガキさん…」
「……そばに…」
「え?」
「…いて、くれる…? ねえ、カメ…。ずっと、あたしのそばにいてくれる?」
絵里の背中に腕をまわし、その服をきつく握りしめる。
それに応えるように、里沙を抱きしめる絵里の腕のチカラもまた少し強くなった。
「…いるよ。ずっといる。ガキさんが望むだけ、こうしててあげるよ」
絵里の答えに里沙はハッとした。
けれどそれを隠してこくりと小さく頷いた。
絵里の唇が里沙の耳に触れる。
髪に触れ、額にも滑る。
唇の熱が離れて里沙が瞼を上げると、
物言いたげに、けれど決して無理強いはしないと語る目で、絵里は里沙を見つめていた。
そっと目尻の涙を拭われる。
それを合図にするように里沙が再び瞼を下ろすと、柔らかな感触が里沙の唇に触れた。
優しい熱だった。
愛しい熱だった。
なのにそのときの里沙の脳裏では、さっきの自分の言葉と愛の声が歪みながらもブレて重なろうとしていた。
- 420 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:47
-
―――― そばにいて。ずっといて…。
―――― 愛ちゃんが望むだけ、こうして抱きしめててあげるから。
- 421 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:48
- 自分の言った言葉は愛と同じで、絵里の答えはさゆみと同じだった。
そして唐突に思い至る。
自分たちはもう、同じ場所を歩いてはいないのだと。
いつから?
いつから自分と愛は違うところを歩き始めていたのだろう。
自分が気づかなかっただけで、実際にはもうずっと前から愛とは違うところを歩いていたのだろうか。
それとも最初から同じところなどを歩いていなかったのだろうか。
わからなかった。
それもまた、考えたところで答えの出るものではなかった。
わかっていたのは、自分たちはもう、手の届く近さにいない、ということだけだ。
近くにいると思っていた存在が、遠いところに行ってしまった、ということだけだった。
絵里の指が拭った涙が、また一筋、里沙の目尻から零れ落ちる。
けれどそれは、誰も見ていなかった。
- 422 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:48
-
- 423 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/16(木) 23:48
- 本日はここまでです。
自分で今後のネタばれしそうなので、個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
前回更新の時にもお知らせしましたが、今回更新分でストックがなくなってしまいました。
別件の書きものもまだ目処がたっておりません。
しばらく放置することになるかと思いますが、 ストックができればまた書き込みにまいります。
できるだけ早く更新できるよう心がけますので、広い心で気長にお待ちいただけると幸いです。
ではまた。
- 424 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/17(金) 00:22
- 待つのにはなれてる。
良いものを書いてくれたら嬉しい。
作者の文力に敬意をこめて脱帽。
- 425 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/17(金) 20:54
- 切ないです・・。
気長に待ってますんで、更新よろしくお願いします。
- 426 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/18(土) 00:14
- 切なすぎる二人の想い…
今後どうなっていくのか期待しています
広い心でお待ちしております
- 427 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/25(土) 01:54
- 皆どうなるんだろう。
読み返しつつ待っています。
お疲れさまです。
- 428 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/12(土) 20:39
-
待ってます。
- 429 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/12(土) 21:04
- コラ!コラ!コラ!
あがってると思って喜んじゃっただろーが!
勝手にあげんじゃないよ
- 430 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/12(土) 22:10
- とりあえず落とします
- 431 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/17(木) 23:43
- 更新待ってます
- 432 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 09:20
- 待っています。
- 433 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:32
- 更新します。
- 434 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:32
-
- 435 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:33
- 秋のコンサートツアーが始まった。
コンサートはだいたいが毎週末だけれど、ツアー中に起きた反省点の改善や修正だったり、
新曲の発売に合わせたイベントの打ち合わせや、それに伴っての取材も増えたりと、
平日にもそれぞれ仕事はあるので、いうほど自由にできる時間は少ない。
それでも、その数少ない時間に都合をつけて、絵里は里沙のそばにいてくれるようになった。
あの日から。
あの雨の日から既に数週間が過ぎている。
けれどまだ絵里は知らない。
知らぬ間に出来ていた愛との見えない距離に、里沙が傷ついたことを。
もちろん、泣いた理由は何度も問われたけれど、里沙は言葉を濁すだけで、本当のことは何も話さなかった。
いや、話せなかった。
尋ねられても答えられない。
里沙自身が己の感情を明確に説明できなかったせいもあるが、
何より、涙の理由に愛とさゆみが絡んでいると、どうしても絵里には話せなかった。
- 436 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:33
- あのとき咄嗟に隠してしまった疚しさで生まれた感情から、答えたくない気持ちがあったのも確かだった。
戸惑いと苛立ちばかりが里沙の感情を包み込み、あれ以来、日常的な判断力も鈍ったようにさえ感じられた。
そしてそんな自分の心の変化を、里沙自身が認められない。認めたくない。
尋ねられるたびに言葉を紡げず黙り込む里沙に、やがて絵里も追及することをやめ、
そのかわりのように里沙のそばから離れなくなった。
物理的な意味でのそれは里沙に安心感を与えると同時に、絵里への依存心も強くした。
今まで以上に行動を共にする機会の増えたふたりのようすは周囲にも気づかれるほどだったが、
いつもだったら茶化してくるさゆみが近づいてくることは滅多になかった。
その理由があの雨の日の愛の懇願にあることは里沙だけが知っていることだ。
愛とさゆみの間に何があったのかを知るのは自分だけということが、
ますます絵里に対して秘密を増やした気分にさせて、絵里への申し訳なさと一緒に依存も強くする。
愛が自分でなくさゆみに救いを求めた事実をいまだ受け入れられない里沙にとって、
絵里は、恋人という対象以上に、なくてはならない存在になっていった。
- 437 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:33
- それでも。
日常は特に目立った変化もなく過ぎていく。
今までの経験で、本心では受け入れられない現実も笑って過ごす術が身に染み付いている。
メンバーにはそんな取り繕った表情なんて必要ないはずだったのに、
里沙の日常はまるで台本のようで、表面上で動くだけの感情の起伏は、
愛に対してだけでなく、絵里以外のすべての人間に対して同等になろうとしていた。
…しかし。
意図的に圧縮された感情は、やがて発散を必要としはじめる。
- 438 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:34
- 「…あれ? カメは?」
昼公演が始まる前。
販促用のライブ衣装の写真撮影を終えて楽屋に戻ると、待っている、といったはずの絵里の姿がなかった。
「あ、なんか、マネージャーさんに呼ばれてどっか行かはりましたよ」
「…いつ?」
「ついさっきです。すぐ戻るって言うてはりました」
「そう…」
愛佳に人懐こい笑顔で告げられ、里沙も作り笑いで返す。
と、愛佳のむこうにいた愛と目が合って、里沙は途端に息苦しくなった。
別に何か深い意味を含めて見つめられていたわけではない。
幾つかの簡易椅子を並べて輪になるようにして、愛と小春と愛佳の3人で話していたようで、
たまたま話が切れたことで里沙に視線が向いただけだ。
同様に小春も里沙を見ていたので、その考えは間違いではないはずだった。
けれど、不意の愛の視線は、ここ最近は仕事以外で愛に近づくことを避けていた里沙にとって、
静まっていた感情を波立たせるのに理屈や疑問などを必要としなかった。
- 439 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:34
- 里沙が笑ったのを見て、愛佳はまた話の続きに戻ったようだ。
愛佳が向き直ったことで愛の視線も小春の姿勢も愛佳のほうに向く。
さゆみとれいなも席を外しているのか、部屋の中に姿は見えず、
ジュンジュンとリンリンは、鏡に向かってメイク直しに余念がない。
メイク直しの邪魔はしたくないので、話し相手の見つけられない今、
愛佳たちの会話の輪にはいるのが自然の流れだが、里沙はそうせず、ゆっくりとリンリンの隣の椅子に腰を下ろした。
何をするでもなくひとりでいる里沙に、
里沙自身が無意識に醸し出している緊張を感じ取っているのか、誰も話しかけてこない。
それが余計に里沙の思考をひとつのことに研ぎ澄ましていく。
- 440 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:34
- 近いようで遠くに愛の声が聞こえる。
あの日聞いた涙声が嘘みたいな楽しげな笑い声だ。
愛の声が聞こえる。
愛の声だけが里沙の耳に届く。
まるでそこにいるのが愛だけみたいに。
まるでこの空間にいるのが自分と愛だけみたいに。
愛に必要とされなかった淋しさが煽られる。
揺らいだ感情が更に大きく波立つ。
そう感じたことが、里沙をまた息苦しくさせる。
息苦しさは同時に鼓動も早くした。
心臓の高鳴る音が鼓膜の奥に響いて頭痛がした。
- 441 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:35
- 絵里がいないと落ち着かない。
絵里がいないだけで、当たり前にできることができなくなる。
呼吸の仕方を忘れそうになる。
言葉の紡ぎ方を忘れそうになる。
愛の声だけが聞こえる。
愛の呼吸の音さえも聞こえてくる錯覚がする。
絵里がいないと落ち着かない。
普段ならば当然できる冷静な判断力が鈍っていく。
早くなる鼓動が耳の奥で響く。
息苦しさが焦りを呼ぶ。
絵里がいないと落ち着かない。
絵里がいないと眠れない。
絵里がいないと何も食べたくない。
絵里がいないと。
絵里が、いないと…。
- 442 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:35
-
頭の中が、愛のことでいっぱいになる。
- 443 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:35
- それまで不明瞭でしかなかった感情が、明確な言葉として里沙の頭の中に浮かび上がる。
不意に浮き彫りになった自身の感情の真実に、里沙自身が信じられなかった。
戸惑いが先行する。
淋しさが生まれ、それを覆い隠すように苛立ちが続く。
淋しいと感じて、それを責める権利は自分にはない。
愛に必要とされなかった自分には。
乱れた心を鎮めようと深呼吸してみるが、行き着いた答えが怖くて、信じられなくて、
心臓はますます高鳴り、耳の奥では耳鳴りがして、里沙の周囲から酸素を奪っていく。
息苦しさはマイナス思考を呼び、すぐにいろんな感情が里沙の全身を渦巻く。
- 444 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:36
- 苦しい。
息苦しい。
こんなに苦しいのに。
愛の涙を思ってこんなにもこころが痛いのに。
なのに、どうして愛は笑えるのだろう。
どうして自分のいないところで泣くのだろう。
どうして自分を必要としてくれなかったんだろう。
どうして自分ではダメだったんだろう。
どうして。
どうして。
どうして…?
自分は、いったい、何を、望んでいるのか。
- 445 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:36
- かあっ、と、顔の真ん中に熱が集まる。
それが相乗効果となってますます息苦しくなる。
鼓動がうるさい。
息苦しい。
顔が熱い。
愛の声がする。
でも愛は自分を必要としていない。
うるさい。
鼓動がうるさい。
鎮まれ。
鎮まれ。
帰ってきて。
早く帰ってきて。
うるさい。
うるさい。
絵里がいない。
絵里がそばにいないから落ち着かない。
愛の声がする。
愛の笑い声がする。
黙れ。
黙れ。
愛の声だけが聞こえる。
楽しそうな響きをしている。
それは、里沙自身がそうされるまえに愛と距離をとったせいで、今はもう、ほとんど近くで聞くことのなくなった声色だ。
- 446 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:37
- 「……さ…」
呼吸の合間に声が漏れる。
しかし、掠れたその声は、誰にも届かなかった。
声が音になっていることは里沙も気づいていなかった。
鼓動は鎮まることを忘れたように、これ以上は無理だと思える早さで脈打っている。
愛の声がする。
愛の声だけが聞こえる。
まるでもう、世界にそれだけのように。
息苦しさが限界にくる。
早まる鼓動と熱を吐き出したくて、それらをすべて自分の外へ投げ出したくて。
里沙は、それらすべてを追い払うように、全身にチカラをこめた。
そのとき、何故か、愛の声ではない声が聞こえた。
親しそうに『愛ちゃん』と呼んだのが里沙の耳に届いた。
それが愛佳の声だと認識したそのとき、里沙の中で何かが弾けた気がした。
- 447 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:37
- 「…みつい! うるさいっ!」
ばん! と鏡台を叩くように手をついて、里沙は立ち上がった。
立ち上がったのも鏡台を叩いたのも無意識だった。
けれど、途端に訪れた静寂と全身を刺すような幾つかの視線を感じて、里沙はハッとして自身の口を覆った。
発した言葉を理解するまで少し時間がかかった。
そのあとで口を覆いながら視線だけで怒鳴った名前の本人を見ると、ひどく驚いたように里沙を見上げていた。
自分でもどうして怒鳴ってしまったのか理解不能だった。
言い放った怒声が見当違いの自覚もあった。
けれど周囲から一斉に向けられる視線が謝るタイミングを逃す。
「……考えごとしてるから、静かにして」
- 448 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:37
- 里沙の言葉を聞いた愛佳の表情はすぐに怯えを含んで曇り出し、人懐こい笑顔が消えていく。
ゆっくりと項垂れ、里沙に辛うじて聞こえるような掠れた声を出す。
「……すい、ません…」
目に見えて落ち込みを表現するように下がっていく肩が里沙の罪悪感を刺激する。
しかし、今更謝る言葉を見つけられない。
気まずさを隠すように里沙は愛佳から目を逸らしたが
逸らした先ではジュンジュンとリンリンも驚いたように目を丸くして里沙を見上げていて、気まずさが増幅する。
この場に居づらくなって出て行こうとカラダを出入口に向けたとき。
「待てや」
この部屋の中で唯一、驚きとは別の感情を表す低い声がした。
声の主は確かめなくても明白だった。
- 449 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:37
- ゆっくり振り向いた里沙の目に、椅子に座ったまま、少し前傾姿勢の愛が映る。
「…なに」
「愛佳に謝れ」
「な…」
「何をイラついてんのか知らんが、今のは八つ当たりやろ」
まっすぐ射抜くような目が里沙の心の底まで見透かしているようで、顔の真ん中にまた熱が集まっていく感じがした。
「…な、にを…」
「愛佳の声はそんなにうるさくない。うるさいって言うなら、あたしや小春のほうがうるさい声しとる」
「それは…」
「違うか? 違わんやろ。今のは八つ当たりや。愛佳は悪くない。やから愛佳に謝れ」
確かに愛の言う通りで、反論の余地は何もない。
けれど、何もかも見透かしたような口調は、逆に、感情の襞が剥き出しになっている今の里沙の癪に触った。
「…なによ、それ…。あたし、別に、イラついてなんか」
「自分でも八つ当たりってわかっとるんやろ」
「違うわよっ」
「ムキになってるで、図星やろ」
- 450 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:38
- 声は低くても、愛はあくまで冷静な対応だった。
それがますます里沙の気持ちを逆撫でる。
「違うって言ってるでしょ!」
「いちいち怒鳴るな。それも八つ当たりや」
「…っ、うるさい!」
もう一度怒鳴ってしまった里沙に、愛は少しだけ肩を揺らした。
怒りの沸点が低くなっている自覚はある。
普段だったら盛り上がりすぎて声が大きくなっても、笑って注意するだけで済むことだった。
けれど今は。
愛の自分に向けられる視線の冷静さと、自分が愛に向ける感情の強さの温度差を痛感してしまう。
あの日の愛の涙を知る里沙には、目の前で自分をきつい視線で見つめる愛が別人のように見えた。
「……何も、知らないくせに」
「なん?」
「あたしのことなんて、何も知らないくせに!」
勢いのまま。
気づいたときにはもう、言葉になったあとだった。
- 451 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:38
- 楽屋にまた、耳に痛い静寂が訪れる。
それまでまっすぐ自分を見つめていた愛の瞳の奥に、たとえ一瞬でも確かに翳りが見えて、
言い放ったその言葉こそ、今日一番の失言だったことに気づく。
けれどもう言いなおすことはできなかった。
ゆっくりと視線を外した愛が重心を椅子の背凭れに移す動作を、里沙はただ眺めるしかできなかった。
「…ガキさんがそう言うなら、そうなんやろ」
静かに言葉を紡いだ愛の横顔には、言い訳の余地も謝罪させる隙もなかった。
その愛の横顔を見ていられず、
自分たちのやりとりを口を挟むこともできずに見守っていたメンバーの視線と空気にも耐えきれず、
里沙は逃げるように楽屋のドアを開けた。
そんな里沙の背中に、少しだけ柔らかくなった愛の声が届く。
「…まだ少し時間あるから、頭冷やしてこい」
全身に染みいるように愛の声が響いたけれど、それには答えず、里沙は楽屋を飛び出した。
- 452 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:38
-
愛の言ったとおり、開演までまだ少し時間に余裕がある。
誰の目にもつかない場所にひとりでいれば、
波立った感情も、揺さぶられた現実も、気付かされた真実も、受け止めることができる気がした。
多くのスタッフが行き交う廊下から少し離れた場所に非常階段を見つけ、里沙はそこの段差に腰を下ろした。
窓のない薄暗いそこでは階下から流れてくる冷たい空気が肌を撫でる。
けれどその冷たさは里沙の高ぶった感情を鎮めるのに効果的でもあった。
我ながらみっともないことをしてしまったと、里沙は自身の言動を振り返って溜め息をついた。
冷静になれば、自分のしたことが如何に道理にかなっていないかがわかる。
愛の言うように、愛佳を怒鳴ったのはただの八つ当たりだった。
あとで改めてきちんと謝罪しなければならない。
愛にも愛佳にも、何ひとつ非はないのだから。
- 453 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:38
- 自分でも持て余してしまう苛立ちの原因が何かも、薄々はわかっていた。
でもそれは、自分には必要ないはずの感情だった。
あってはならないはずの感情でもあった。
認められない。
認めたくない。
信じられない。
信じたくない。
愛に必要とされたいと願っているなんて。
そしてそれが、愛がさゆみに求めたような救いの感情よりも強い何かを含んでいるなんて。
それは友情ではない感情だった。
友情や親愛のような、言葉では言い表せられない、ただの身勝手な独占欲だった。
そっと息を吐く。
この気持ちは今の自分には必要なものではない
この欲求はあってはならない。
何故なら。
- 454 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:39
- こつん、と、背後で控えめな足音がした。
少し前から、近くに人の気配はしていた。
それが誰なのかわかっていたから里沙は何も言わなかった。
「…ガキさん」
呼びかける声は無条件に安心を呼ぶ。
愛しさも込み上げる。
同時に、これ以上ないと思えるくらい、その存在に寄りかかっているとも自覚する。
頼っているなんて優しいものじゃない。
そんな綺麗な言葉の依存じゃない。
呼ばれたほうへ振り向こうとして、その前に背中からそっと抱きしめられた。
「…そばにいなくて、ごめん」
もう嗅ぎ慣れた絵里の匂いに、高ぶっていた感情がゆっくりと鎮まっていくのがわかる。
「……なんでここにいるってわかったの?」
「…楽屋戻ったら、愛ちゃんが教えてくれた。たぶん、どっかひとりになれるところにいるって。
でも、もうすぐ始まるし、絶対そんなに遠いところじゃないって」
知らずに笑いが漏れる。
自分のことを何も知らないなんて、よく言えたものだ。
誰よりわかってくれているじゃないか。
里沙ではダメなくせに。
その支えになれないくせに。
- 455 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:39
- 「……あたし、カメがいないと、ダメみたい」
「ガキさん?」
「カメがいないと落ち着かない。そばにいないってだけで、すごく、不安になる。
そばにいてくれないと、今まで当たり前にできてたはずのことが、できなくなる」
実際そうであったのに、声にしながら自分で自分に言い聞かせているような気分だった。
自分で自分に確かめているような気分だった。
「あたしがあたしじゃないみたい」
前を向いて吐き出した言葉が、薄暗くヒヤリとした階下へと落ちていく。
まるで、そのまま里沙の揺らいでいる心ごと冷たい場所に連れていくように。
里沙の言葉のあと、抱きしめる絵里の腕のチカラが強くなる。
その手をゆっくりほどいて振り向くと、絵里はどこか困ったように里沙を見つめていた。
言いたい言葉を飲み込んだようにも見えた絵里が逆に里沙を饒舌にする。
「…なんでかな…、あたし、こんなに弱かったかな…。いつからこんなに弱い人間になったんだろ…」
絵里の眉尻が、答える言葉に迷いを見せて僅かに下がる。
「それとも、カメが、あたしをこんなふうにしちゃったの?」
- 456 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:39
- 自分でも突き放す声色はしていなかったと思う。
それは絵里も感じ取っていたはずだけれど。
「…そうかも知れない」
つらそうに微笑まれて、里沙の胸の奥が痛む。
そんな顔をさせたくて言ったわけではなかった。
たまらなくなって、絵里の唇に指でそっと触れると、絵里の口元はますます苦笑に歪んだ。
「…たぶん絵里は、どんどんガキさんを弱くすると思う。でも、そうなればいいって、思ってる。
ガキさんがもっと弱くなればいい。絵里がいないと何もできなくなるくらいに」
意外な答えが返ってきたと思ったとき、唇に触れた指先をそっと舐められた。
「もういっそ、ガキさんのこと、誰にも見られないように、どっかに閉じ込めておきたいよ」
たぶんきっと。
絵里は里沙が自分でも認められない心の揺らぎに気づき始めている。
「……ガキさんが望むだけそばにいるって言ったけど、
でも、でもホントは、絵里のほうが、ずっとずっと、ガキさんにそばにいてほしいって思ってる…」
そしてそれが、あの雨の夜からだということも。
- 457 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:39
- 訴えるように切なげに震えた声に里沙の心が騒ぎ出す。
カラダの芯がゆっくりと熱を灯していくのもわかった。
抱きしめたくなった。
もっともっと、絵里と近づきたいと思った。
今までよりも。
今まで以上に。
そう自覚して、その時期が来た気がした。
絵里に自分のすべてを許すときが。
心だけでなく、このカラダごと絵里のものになるときが。
キスをされた指を取り返すと、里沙を見つめる絵里の目の色が僅かに淋しさを含んだ。
それを取り除きたくて、涙の浮かびそうな目尻に親指で触れると、ほんの少しだけ絵里のカラダが震えた気がした。
- 458 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:40
- 「…カメ」
呼びかけながら顔を近づける。
親指で触れた目尻に唇を押し付け、舌先を押し当てると、また絵里のカラダが揺れた。
里沙の行動に戸惑いつつも、少しだけ上体を起こした里沙の腰に絵里の手がまわる。
「…今日、ライブが終わったら、カメの部屋、行っていいかな?」
「え?」
里沙の言葉を把握しかねたようすの絵里の声が逆に里沙の胸の奥をくすぐる。
目尻を撫でた指で絵里の髪を撫で、その髪で隠れていた耳を探り当てて耳の淵を撫でた。
「ガキ、さ…?」
「もっと…カメのことしか、考えられないように、してよ」
吐息を吹き込むようにその耳に囁いた。
意味を理解したらしい絵里のカラダが大きく揺れたが、
それを阻むように絵里の頭を胸に抱きこむと、里沙の腰にまわされた腕のチカラがまた強くなった。
「…いいの?」
抱きこんだ胸の中で絵里の上ずった声が尋ねる。
答える代わりに、里沙は腕のチカラを強めた。
そのとき、まるで里沙の決意を咎めるかのように愛の顔が過ぎったけれど、
心の奥でひっそりと、しかし確かに息吹いた愛に対する感情の芽を、里沙は自らの意思で摘み取ったのだった。
- 459 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:40
-
- 460 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/21(月) 23:41
- 本日はここまでです。
長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
とはいえ、次回分のストックはまだない状態なので、
次回更新までまたお待たせすることになると思います、すいません。
自分で今後のネタばれしそうなので、個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
小春の卒業発表にとても動揺しています。
この話に何の影響もないというわけではありませんし、展開の変更も少し考えましたが、最初に考えていたままに進めて行こうと思います。
このお話は現実世界に似た世界の人たちの、少しばかり未来のお話です。
現実とは食い違うこともありますが、フィクションということで、ご理解ください。
ではまた。
- 461 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/22(火) 01:53
- キタキタキター!!
ずっと待ってました!
更新お疲れ様です。
小春の件、心中お察しします。
焦ることなく、自分のペースで書いて下さい。
- 462 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/22(火) 16:59
- 段々と奥深い底へ引きずられていくような感覚です
最後に二人はどうなるのか期待して待っています
- 463 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/22(火) 21:49
- 待ってましたーー!!
なんにも分かってないくせに・・のところで
なぜか涙があふれました。
次回まで気長にお待ちしております。
- 464 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/09/24(木) 11:22
-
本当にどんどん引き込まれます。
さゆみんとあいちゃんも・・・
大丈夫かな・・・・
- 465 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/20(火) 00:21
-
もお終わりなのかなあ・・・・
- 466 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/11/01(日) 02:36
- ここのガキカメでガキカメはまったんだよなぁ
本当に感情を摘み取ってしまえたのだろうか
- 467 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/11/03(火) 22:22
-
さゆみんゎ・・・
どおなってるんだろ。
- 468 名前:sage 投稿日:2009/11/04(水) 23:58
- どんなってるんだろ…
- 469 名前:名無し読者 投稿日:2009/11/04(水) 23:59
- お待ちしてます
- 470 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/11/18(水) 01:49
- 何度も読み返して、お待ちしております。
むしろお慕いしております
- 471 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/11/26(木) 00:38
- ずーっと待ちます。
- 472 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/12/21(月) 10:05
- 生存報告でもいいので一言お願いします。
- 473 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/01/01(金) 23:56
- もお終わりかな・・
- 474 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/01/02(土) 00:49
- ochi
- 475 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/01/05(火) 23:30
- そんなに凹まなくてもw
上でもストックがなくなってると書かれてますし
ゆっくり待ちましょう
- 476 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/01/26(火) 16:14
- ぅぅ・・・
待ってます(泣)
- 477 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:38
- 更新します。
- 478 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:38
-
- 479 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:39
- 自分のことなのに、ままならない感情の起伏に物理面が伴なってなかったのか、
ここ数日、確かになかなか眠れない日が続いていた。
体調も、他人は気付けなくても自分ではわかるくらいには芳しくなかった。
それでも無理をおしてライブに出たからか、騙し騙しで誰にも言わずにいたことへの戒めか、
ライブが終わってホテルに戻り、絵里の待つ部屋のドアをノックしたときには、カラダのだるさは極限に近付いていた。
顔だけでなくカラダ中が熱いことは里沙自身にも自覚はあったが、自分から誘っておいて今更撤回するのも嫌だったし、
発熱していると感じるのも、きっとこの後に待ち受けていることへの期待と不安と羞恥からだと思うようにもしていた。
しかし、そんな里沙の訪問に対してドアを開けた絵里の顔が、
里沙を見た途端、緊張を孕んでいたものから驚きへと一瞬で変わってしまうくらいには、
里沙の体調が尋常でないことは顕著だったらしい。
- 480 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:39
- 「ちょ、ガキさん、熱あるでしょ!」
「え…、やっぱりそうなのかな」
「そうなのかな、って…!」
眉を潜めて絵里が里沙の額に手をかざす。
「うわ…」
呆れたような声を漏らした絵里がそのまま里沙の両肩を掴んでゆっくりと廻れ右させる。
そして背後からその肩を押し出すようにしながら、里沙に割り当てられた隣の部屋へと戻った。
「え…、カメ?」
「すごい熱あるし、今日はもう薬飲んで早く寝たほうがいいよ」
「でも」
里沙の言おうとしたことを察したのか、言葉を紡ごうと振り向く前に、肩を掴む絵里の手のチカラが強くなった。
「…いいから」
- 481 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:39
- ドアを開けて、里沙のカラダを支えるようにしながらベッドまで誘導して、
腰を下ろすのを確認したあとでもう一度里沙の額に手を当てる。
「何か薬は持ってる? 冷えピタとか」
「あ…うん、冷えピタなら、鞄の、いつものポーチの中にある」
里沙が視線で示した先を見た絵里が、その鞄の中から里沙が愛用している化粧ポーチを取り出した。
目的の物だけを取り出すと、封をきってゆっくりと里沙の額に貼り付ける。
「マネージャーさんから薬もらってくるから、ガキさんは寝てて」
「うん…」
覇気なく頷いて視線を落とすと、絵里がそっと里沙の頭を撫でた。
「大丈夫。薬飲んだらすぐ治るよ」
不安そうな顔色をしてしまったのだろう、そう言って微笑んだ絵里の笑顔は、里沙の気持ちを静かに落ち着けた。
- 482 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:39
- 熱があるとわかった途端にだるくなったカラダをのそのそとベッドに潜り込ませ、
横になって一息つくと同時に絵里が戻ってきた。
一度は落ち着けたカラダを起こし、マネージャーからもらってきたという解熱剤を飲んで再び横になる。
熱っぽいと自分でもわかる息を吐き出したら、ベッドの縁に絵里が腰を下ろした。
「大丈夫?」
「うん…」
「ガキさん、ツアー中に一回は熱出すよね? 自己管理がなってませんよ?」
「…その通りなんだけど、カメに言われるとなんかへこむ」
黙って聞き流せずに目を伏せて言うと、額にかかった前髪を払われたのがわかった。
伏せたばかりの目を開けて絵里を見上げると、少し面白そうに口元を綻ばせている。
「…なんで笑ってるのよ」
「いやー、弱ってるガキさんも可愛いなあと思って」
だるさのせいでいつものように強気であしらえない。
反論が見つけられず言葉を詰まらせると、ますます不敵そうな笑いを浮かべた。
「…ま、お預けには慣れてるからさ」
おどけた口調だったが、それがどういう意味かは里沙にもすぐにわかった。
もちろん、熱のせいもあるだろうが、
本来なら今ごろ自分のカラダに起きていた出来事を思い出して羞恥心が湧いたのもあって、顔が火照る。
- 483 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:40
- 「……ごめん」
謝罪するのはなんだか違うような気もしたが、咄嗟に浮かんだ言葉はそれしかなかった。
「いいよ。明日もライブだから、変に無理して悪化しちゃうほうがダメじゃん?」
「でも…」
「具合がよくなったら、もう遠慮しないから」
言葉は軽快だったが、その声色に含まれた気持ちの強さは里沙のカラダの熱をまた更に上げた気がした。
「…次はもう、我慢しないからね?」
言いながら絵里が里沙の前髪をまた撫で上げ、ゆっくりと顔を近づけてきた。
何をされるかなどわかりきっていたから、里沙も応えるように目を閉じる。
たまに強引に思うこともあるキスが、このときはやはりどこか控え目で、
体調を気遣われていることが逆に里沙を申し訳ない気持ちにさせたけれど。
- 484 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:40
- 静かに離れた絵里がそっと里沙の手を握り締め、里沙も弱いながらも掴み返す。
「…ついててあげよっか?」
「ううん、平気…。たぶん、朝までには熱も下がると思うし、カメが具合悪くしてもダメだし」
「そう? でも、もうちょっとだけ、ここにいるね?」
絵里の穏やかな声が里沙の胸の奥を震わせる。
愛しいと思う気持ちが膨らんで、里沙は絵里の手を掴んで自分の頬に触れさせた。
「…ほっぺも熱いね」
「カメの手が冷たいんだよ」
「じゃあちょうどいいね」
絵里の少し冷たい手が心地良くて、里沙はうっとりしながら瞼を下ろした。
「…なんか、あのときのこと、思い出す」
「ん?」
「あたし…、春にも熱出したじゃん…?」
「あー、うん。てか、あのときはよく最後までやれたよね。終わった途端に倒れてさ、プロだなあって思ったよ、ホント」
あの日の翌朝が里沙が絵里の気持ちを受け入れた日だ。
里沙がそうであるように、きっと絵里も忘れられない日だろう。
「…あの日もさ、こうやって、カメがあたしにずっとついててくれたんだよね」
「え?」
「あのときは今よりひどくて、ほとんど意識なくて朦朧としてて、ちょっと記憶曖昧だけど」
「…うん」
「でも、薬飲ませてくれたり汗とか拭いてくれたりしたのは、ちゃんと覚えてるよ」
- 485 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:41
- 不意に、里沙の手を握り締めていた絵里のチカラが強くなった。
「あたし、結構、カメに頼ってるよね…」
普段、素面なときなら絶対言えないような素直な気持ちを言葉にしたのに、絵里からは何の反応も返ってこなかった。
てっきり茶化されるか照れるかのどちらかだと思っていたのに、無反応だったことは少しだけ里沙を不安にさせる。
閉じていた瞼をゆっくり持ち上げると、
視線の先にいる絵里は里沙から目を逸らして、何か迷っているように唇を弱く噛んでいた。
「カメ…?」
絵里の手のチカラがまた少し強くなる。
応えるように里沙もチカラを込めると、気付いた絵里の視線が戻ってきた。
それから、困ったように眉尻を下げて、細く息を吐く。
「…なんとなく、フェアじゃないって思うから、正直に言うね?」
「え…?」
かぼそく漏れた里沙の吐息に絵里の眉尻がますます下がる。
「…それ、絵里じゃない」
咄嗟に里沙は顔をしかめた。
絵里が何を指してそう言ったのか、すぐにはわからなかった。
- 486 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:41
- 「…あの日、絵里がガキさんの部屋に入ったときには、ガキさんはもうぐっすり眠ってたよ。
おでこのタオルは替えたりしたけど、薬飲ませたり汗拭いたりは、絵里は、してない」
穏やかな口調ではあったが、それは里沙にとっては衝撃を受けるものだった。
「え…? うそ…」
「ホント」
「じゃ、じゃあ、誰があたしに…」
思わずカラダを起こしたが、いきなり起き上がったせいで上体がふらついた。
その里沙を、絵里は両腕を伸ばして支えるように抱きとめる。
「ダメだよ、急に起き上がったら」
「でも…だって」
絵里が細く息を吐き、里沙の両肩を掴んでそっとチカラをこめるようにしてベッドへと倒す。
「…愛ちゃんだと思う」
「え…?」
里沙のカラダが完全に横たわってから、絵里がぽつりと吐き出す。
「たぶん」
「…どういう、こと?」
「あの日、愛ちゃんが絵里を呼びに来たの。ガキさんが絵里を呼んでるって。みんなには秘密にしとくから、行ってあげてって」
高熱で朦朧としていたが、あのとき確かに里沙のそばには誰かがいた。
誰なのかが特定できず、思わず呼び慣れてしまっていた絵里の名前を口にしたが、返事はなかった。
それでも次に気がついたとき、そばで絵里が眠っていたことで、ずっと絵里がついていてくれたものだと思っていたのに。
- 487 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:41
- 「あい、ちゃん…?」
熱やだるさからくるカラダの不調とはまったく別のところで、里沙のカラダが緊張した。
「確認したわけじゃないけど、でも、そう言うってことは、ガキさんのそばにいたことになるよね」
「まさ、か…」
「愛ちゃんもあれ以来そのことは言わないし、絵里もガキさんに言われるまで特には気にしてなかった。
でも、ガキさんは、あのとき、絵里がガキさんのところに行く前に誰かがいたこと、覚えてるんだよね…」
口元は穏やかに微笑みを浮かべていたが、語る声や目の奥に見えた淋しげないろに里沙は言葉をなくす。
絵里だと思っていた。
そう信じていた。
あのこともあったから、翌朝自分のそばにいた絵里に愛しさを感じたし、絵里への気持ちも加速したのだ。
なのに、あれは絵里ではなかった。
本人がそう言うのだ、嘘なんかじゃない。
- 488 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:41
- あの日の出来事を思い返しながら、里沙は、自分のカラダが自分の気持ちに関係なく熱を帯びていくのを感じていた。
絵里がしたことだと思っていた。
視界を覆うように濡れたタオルを目の上に乗せたのも。
溶けかけた氷で水分を補ってくれたのも。
口移しで、薬を飲ませてくれたのも。
思い出した里沙のカラダが更に熱くなる。
しかしそれと同時に、あのとき返事をしなかった愛に対してひどく疑問が湧いた。
あの日の朝。
迷惑かけてしまったことをメンバー全員に謝罪したときも愛の態度は何も変わらなかった。
少しだけ苦笑いして、落ち着いて良かったと、そう言ってくれただけだった。
何故あのとき、何も答えてくれなかったのか。
何故、今まで何も話してくれなかったのか。
呼んで、何も答えなかったのは本人じゃないという意思表示だったのだろうか。
それとも答えたくなかった理由が他にあるということだろうか。
もしかして、これが愛の言う「嘘」なのだろうか。
だとしたら。
- 489 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:42
- そこまで考えて今度は顔に熱が集まる。
胸の鼓動も、自分ではどうしようもないくらいに高鳴っていた。
愛に対して息吹いた感情の芽は、絵里に身も心もすべて許そうと決意したときに摘み取ったはずだった。
それは許されないことでもあると思ったからだ。
けれど、そう思えば思うほど反動もあったのか、摘み取ったはずの芽は里沙が思う以上に強く根を張っていて、
そうだと自覚せざるを得ないくらいにまで、その感情は大きく育ち始めていた。
しかし、そんな里沙の期待と動揺の混じった心情はそばにいた絵里には容易く伝わったようで、
無防備に投げ出されていた腕をそっと撫でるように掴まれ、里沙はハッとしてカラダを震わせた。
「…いま、何考えた?」
穏やかでいて静かな声色。
けれど重みがあって、里沙も今度はぎくりとする。
「なに、って…べつに…。愛ちゃんだったのかな、って…」
里沙の腕を掴んだ手が少し離れ、今度は手を掴む。
ゆっくりと指を絡めながら、その手を、絵里は掴んだ里沙の手ごと自分の口元に引き寄せた。
- 490 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:42
- 「…あ…」
指先に絵里の唇の感触。
そこで唇の熱を感じるのは今が初めてではないのに、まるで知らない熱に思えて里沙のカラダが冷える。
「…やっぱり、言わなきゃよかった…」
絞り出すようにして呟いた絵里が目を伏せる。
突然事実を知らされた里沙の目に見えての動揺から何を感じ取ったのか、
起き上がって表情を確かめたかったけれど、顔ごと俯かれてしまったことでそれは叶わなかった。
しかし、絵里が顔を隠すように俯いたのはほんの数秒だけで、すぐに頭をあげて柔らかな微笑みを返してきた。
「…カメ…、あの…」
「あのね」
里沙の言葉尻を奪うように、絵里が明るめの声を出す。
しかし、声の明るさに反して、絵里から漂う空気はちっとも穏やかではなかった。
掴まれていた里沙の手にチカラが込められた気がして里沙のカラダも緊張する。
次に紡がれる言葉を聞くのが急に怖くなった。
「絵里からは、言わないからね」
「えっ?」
- 491 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:42
- 今度ははっきりと伝わる強さで里沙の手を握り締める絵里。
そして空いたほうの手で里沙の胸元を指差した。
「いま、ガキさんのここに、絵里、いないよね」
「…っ」
思わず言葉を詰まらせたが、絵里は淋しげな笑顔を崩さない。
それが余計に痛々しくて胸が締め付けられた。
「でも、絵里からは言わない。ガキさんが言うまで、絵里からは別れてなんてあげない」
最後まで言い切る前に絵里が上体を倒してくる。
熱があると言っても、動けないほどではなかった。
何をされるか予測できたのに、
そしてその行為にはきっと一方的で無益な感情しかないとも理解できたのに、里沙は、少しの身動きもできなかった。
ただ、半ば呆然としながら、絵里の、らしくない口づけを受けていた。
さっきは控えめで労わりさえ感じられたのに、そのキスは今まで受けてきたどのキスよりも、
気持ちだけでなくカラダごと冷やす、愛情の欠片さえ感じられないものだった。
- 492 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:42
- 応えることはおろか、抵抗すらしない里沙に絵里はせつなげな目を向けながら静かに離れる。
握り締められていた手は名残惜しそうに離され、ぱたりとチカラなくベッドに落ちた。
「…絵里、部屋に戻るね」
「あ、の、あたし…」
「ちゃんと寝てね」
言いながら里沙とは目を合わせないでゆっくりと立ち上がる。
それを追おうとした里沙だったが、急に起こした上体を支えられずに眩暈に襲われ、そのままベッドに顔から突っ伏した。
立ち上がったはずなのに、絵里は里沙を支えなかった。
それは決して拒絶からでなく、絵里自身の抱えた悲しみと淋しさと痛みなのだと、里沙に伝えた。
「…カメ…、待って、あたし…、あたし…っ」
「無理しないで…」
ココロか。
カラダか。
それはどちらに対しての気遣いだったのだろう。
「無理、なんかじゃ…ないよ…っ、あたし、カメのこと、ちゃんと好きだよ…っ」
- 493 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:43
- このまま帰してしまうのが嫌で、縋るように里沙は言った。
ここにいてほしかった。
不安定な気持ちを抱えたまま、愛に対して揺れている気持ちを持ったまま、ひとりで過ごす夜がとても怖かった。
しかし、すでにドアのほうに足が向いていた絵里は振り返らなかった。
振り返らないまま、小さく首を振った。
「カメ…」
「今の、さ…」
「え…?」
「今の、言葉…、あの人の前でも言える?」
敢えて誰かと明確にはしなかったことで、傷ついている絵里の心情が読み取れた気がした。
そしその問いかけに即座に返事できなかった自分の動揺の深さにも、気付かされる。
声を引き攣らせた里沙に絵里が苦笑いして肩越しに振り向いた。
「…おやすみ」
掠れた声が聞こえてすぐ、里沙の返事も聞かないままで絵里は部屋を出て行った。
- 494 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:43
- 自分以外の人の気配が消えて、部屋の中が急に静まり返った気がした。
室温は適温。
ベッドの中も里沙のカラダが発していた熱であたたまっている。
なのに、里沙の肌を撫でる部屋の空気は、刺すように冷たく感じられた。
その冷たさは絵里を傷つけたことを改めて思い知らせるようで、
熱があるはずの里沙のカラダからどんどんと体温を奪っていく錯覚がした。
絵里はきっと気付いただろう。
里沙が愛に対して持っている感情に。
そしてそれを認めるのが怖くて絵里の優しさに逃げようとしたことに。
絵里と付き合うようになって、誰も傷つかずにいられる恋愛なんてないのだと知った。
でもそれは周囲の人間のことで、
こんなふうに、自分のことを誰よりも想ってくれているひとを傷つけてしまうとは考えもしなかった。
追いかけたほうがいいのはわかっていた。
でもそれは里沙には出来なかった。
カラダがだるくて思うように動かせなかったのももちろんあったけれど、
たとえば無理をしてあとを追いかけ、傷ついた顔をした絵里を前にして、
さっきと同じ言葉を絵里の目を見て言える自信が、どうしても持てなかったからだ。
- 495 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:43
- 大きく息を吐き出して、里沙はベッドにその身を沈めた。
天井を見上げて熱を孕んだ息を吐くと、無性に悲しくなって涙がこぼれた。
けれどその涙がどんな意味を持ってこぼれたのかが、里沙にはわからなかった。
絵里を傷つけたからなのか。
愛に対して持っている息苦しいほどの歯痒さのせいか。
それとも、自分自身の不甲斐なさか。
苛立ちとせつなさと不安と淋しさと。
それらが里沙を襲うように思考を支配する。
眠りたくないのに、昼間に無理をしたせいで起こっている極度の疲労と、
さっき飲んだ解熱剤のせいで睡魔が里沙をゆっくりと覆い始める。
涙を堪えるように目を閉じると、部屋を出て行く直前の絵里の顔が思い出されて胸の奥が軋む。
けれど里沙はその痛みには耐えねばならない。
絵里が受けた痛みに比べれば、里沙の心が負っている痛みや傷など比べ物にならないはずだから。
もう一度、熱の増した長めの息を吐き出したとき、
ゆっくりと覆うように里沙に纏わりついていた睡魔が里沙の意識を闇へと引き込み、
その誘引力に逆らえないままに、里沙は眠りに落ちて行った。
- 496 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:43
-
- 497 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/04(木) 22:44
-
今回更新分は、ここまでです。
前回更新から四か月以上もお待たせしてしまって申し訳ありません。
ですが、キリのいいところまで書きあげて、ほとんどそのまま投稿しているので、やっぱり次回分のストックはまだない状態です…。
次もまたお待たせすることになると思います、すいません。
自分で今後のネタばれしそうなので、個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
ではまた。
- 498 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/05(金) 01:39
- ありがとうございました。
待ってました。
胸が痛む…
切ないよぉ…
- 499 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/02/05(金) 16:17
- 待ってました!
ガキさんの痛みも辛いけど
あいちゃんも苦しいんだろーなあ
- 500 名前:名無飼育 投稿日:2010/02/09(火) 15:52
- 一気に読んじゃいました
ワクワク?いやハラハラです
- 501 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/16(水) 11:31
- ずーっと待ちます。
- 502 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/08/22(日) 06:34
- なんか涙が出てきました。続編お待ちしております
- 503 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/08/23(月) 00:42
- >>502
上げないで
- 504 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/08/23(月) 04:17
- お待ちしております
- 505 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:19
- 更新します。
- 506 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:19
-
- 507 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:19
- 秋のコンサートツアーは、特に大きな変化も怪我人もなく大成功のままに最終日を終えたけれど、
日常が戻ってきたというには、里沙の心境はとてもそんなふうには言えなかった。
何も知らずに、気づかずにいた以前のようには、もう戻れない。
自分の気持ちだけでなく、絵里に対しての気持ちもあやふやままで、何もなかったみたいにはできない。
それは里沙もわかっていて、きっと絵里だってわかっているはずだった。
話をしなければならない。
なのに、何から話せばいいのかわからない。
自分自身でさえうまく把握しきれていないこの感情を、どうやって言葉にすればいいのかわからない。
自分が起こす行動がきっと絵里を傷つけることになるとわかっているから、余計に強く踏み出せなかった。
- 508 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:20
- そんな里沙の気持ちにも気付いているのか、それとも絵里自身がその事態を避けているのか、
あの日以来、絵里は里沙と二人きりになる時間を目に見えて避けるようになった。
自分からは言わないと絵里は言った。
つまりそれは、絵里のほうではこの関係を終わらせるつもりがないことを意味していて、
同時に、里沙の絵里に対する気持ちが、絵里の里沙に対するそれとは異なると知っていることも意味する。
絵里と別れるなどとは、絵里がそれを口にするまで考えたこともなかった。
けれど、自分自身の気持ちが揺れ動いていることを悟られている以上、
そしてその動揺が絵里を傷つけるだけでしかないとわかっている以上、
今までのように、何もなかったみたいに絵里のことだけを想っていられるとも思えなかった。
- 509 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:20
-
「ガーキさん」
朝から物販用のスチール撮影のはずが業者側の手違いで備品が足らずに時間が押してしまい、
いつもより多くとられた休憩時間、控室としてあてがわれた部屋には戻らず、
撮影スタジオの隅のほうで、里沙は半ば隠れるみたいにぼんやりと座っていた。
そんな里沙のもとに、さゆみが紙コップをふたつ持ってやってきた。
「なんでこんなとこいるのー。ちょっと探しましたよ」
「あー、ごめん、なんか、寝不足でさ、楽屋だと賑やかだし」
差しだされた紙コップを受け取りながら言うと、さゆみが申し訳なさそうに肩をすくめる。
「あ、じゃあ、寝ます? さゆみ、ここにいないほうがいいよね」
「ううん、いいよいいよ、平気平気」
言いながら自分の隣を少し空けると、戸惑いを見せながらもさゆみは腰を下ろした。
- 510 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:20
- 「寝不足なの?」
「んー、寝不足っていうか、ぐっすり眠れてないっていうか…、ハタチ超えるとだめだねぇ、疲れが後引くっていうか」
あはは、と軽く笑って見せたが、さゆみは心配そうに里沙の顔を覗き込んできた。
そのまっすぐな黒い瞳は里沙の動揺を見抜いてしまいそうで、見つめ返せずに里沙は苦笑いと一緒に視線を落とす。
「……ちょっと、疲れが残ってるだけだと思うけどね」
「…最近、きちんとしたお休みってないですもんね」
ツアーを終えても、数日後には年明け恒例のハロー全体のコンサートのリハーサルも始まるため、
体力的に疲労があったとしても長期の休暇はとれない。
年始のコンサートはただでさえ人数が増えるので覚えることはいつもの倍以上になるし、
それに加えて自分たちは年長者でもあるので、迂闊に気を緩めることもできないのだ。
そういった言葉にはできない窮屈さが知らずに開放感を欲していたのだろうか、
それとも一向に自分との時間をつくってくれそうにない絵里に苛立ちも起きていたのか、
その日は自分でも溜め息の数が増えている自覚はあったのだけれど。
- 511 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:21
- 「…そういえば、さゆみん、あたしのこと探してたって言った?」
「や、別に何も用はないんですけど、楽屋にいなかったからどこ行ったのかなと思って」
おそらく、楽屋では絵里がひとりでいるのだろう。
そこに自分がいないことに違和感を感じたのだろうと里沙は思った。
ひょっとしたら仮眠をとっているのかも知れない。
そのせいでさゆみに話し相手がおらず、ここに来たとも考えられる。
同時に、今現在、里沙の心をかき乱す存在が、さゆみの一番身近にいるはずだということにも思い至った。
「…あの…さ」
「はい?」
「その…、なんか、言ってた?」
ちらりと上目遣いで聞くと、さゆみがキョトンと目を丸くした。
そうされてようやく、言葉が足らなかったことに思い至る。
「あ、いや、ごめん、えっと…」
誰が、と明確にしようとして咄嗟に口を噤んだ。
その名前を口にする流れなど、今の自分たちの間にはなかったからだ。
- 512 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:21
- 「ああ、楽屋にいるみんなですか?」
言葉を詰まらせた里沙の続きを拾い上げるようにさゆみが続け、
思わず安堵の息と一緒に頷いたら、さゆみの口元がほんの僅かに歪んだように見えた。
「どこ行ったんだろうね、って、それぐらいでしたよ。
撮影の準備もまだかかるみたいだし、みんなのんびりしてました…、て、
なんか、今の言い方嫌な感じですよね、ごめんなさい、そんなんじゃないですからね?」
「あはは、わかってるよ、大丈夫」
笑いながら、ぽん、と軽くさゆみの背中を叩き、受け取った紙コップの中身を飲み干す。
「……ホントは、愛ちゃんがガキさん見てきて、って言ったんだけど」
飲み干したと同時に告げられ、その名前こそが聞いてみたかった名前で、里沙の肩が大きく揺れる。
態度から予測したのか、それともそれが伝わってしまうくらい顕著な不安を見せていたのかはわからない。
けれど里沙は、気にしていないフリで曖昧に頷き、ゆっくりと手の中で紙コップを潰した。
「…やっぱリーダーだよね。そーゆーとこ、ほんと、敵わないな」
嫌味でも何でもなく、本心から里沙はそう思って口にした。
- 513 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:21
- ここ最近は愛とはあまり一緒に行動することがない。
自分が避けているのもあるし、おそらく愛自身も、里沙のプライベートにまで踏み込まないようにしているのかも知れない。
それでも、こういったときの愛の心配りは完璧に近い。
本来ならサブである自分ももっと周囲に目を向けていなければならないのに。
「情けないなあ…。偉そうなこと言ってても、実際のとこ、あたしなんて全然頼りないっていうかさ」
「そんなことないよ。さゆみ、ガキさんにもすごく頼ってるもん」
「ありがと」
「ホントだよ。こんなときにお世辞とか言わないし」
「…うん」
声の勢いからも、さゆみがこの場凌ぎで答えてるわけじゃないことはわかっていた。
それでも、一度言葉にしたせいで弱気な部分がどっと溢れ出してしまいそうになる。
- 514 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:21
- 「…ねえ、さゆみん」
「はい?」
「たとえば…、たとえばね」
「うん」
自分でも何を言おうとしているんだと、引き留める感情はあった。
それを口にしてしまったら、思う以上に敏いさゆみには気づかれてしまう気もした。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「すごく、すごくすごく…、家族とか恋人とか、そういうのじゃないけど、でも、大切に思ってる人がいたとして。
それで、相手もたぶん、自分のことを少しくらいは大事に思ってくれてるとして」
昔のように、ではなくなったとしても。
それでも、姿が見えなくなった自分を気遣ってくれるくらいには。
「その人が、もし嘘をついてたら、嘘ついてたって知ったら…さゆみんなら、どうする?」
そろりとさゆみに振り向くと、里沙の言葉を聞き届けたさゆみは不思議そうに里沙を見下ろしていて。
- 515 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:22
- 無言のまま里沙を見つめる、そのさゆみの黒い瞳が揺れて見える。
けれど里沙のほうはそのまま見つめ続けることはできなくて、ゆっくり視線を床へと落としながら、潰した紙コップの底を指の腹で撫でた。
「嘘かあ…」
困ったような声と溜め息が隣から聞こえる。
「それは…こっちがその嘘に気づいてるって、相手は知らない?」
「うん」
「だったら、気づいてないフリするかなあ」
即答に近い返事だったことに、里沙は少なからず驚いていた。
思わず見上げた先で、さゆみが里沙を見ながら小さく笑っている。
「気づかないフリって、でも、だって、こっちは嘘ついてることもう知ってるんだよ?」
「うん。でも、嘘つくってことは、そういうことなんじゃないかなって」
「…? どういう…?」
「んーと、だから…」
何かを考える仕草のように、さゆみが指で自身の唇を撫でるように軽く叩く。
- 516 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:22
- 「嘘つくってことは、それって知られたくないから、って、さゆみは思うのね。
知られたくないってことは、相手を悲しませるか困らせるか、たぶんそのどっちかで、
そんなふうにさせたくないから、だから嘘つくんじゃないかなって。
それなら、気づかないフリでいてあげたほうがいいんじゃないかなあって」
さゆみの言いたいことがわからないわけではない。
おそらく、愛が自分についた『嘘』も、さゆみのいうような理由からだろう。
でも、俄かにそれを受け入れるには、今の里沙には容易なことではなかった。
たとえば本当に自分を気遣ってくれての嘘だとしても、その嘘ひとつで、別の関係が崩れようとしているのだ。
「でも、こっちが怒るような嘘はダメかなあ。とっといたお菓子食べたくせに知らんフリとか」
里沙の気持ちが揺れているのを感じ取ったのか、おどけた口調でさゆみがそう付け加える。
落とした視線をさゆみに戻すと柔らかく微笑んださゆみと目が合った。
その視線は、やはり里沙が何を知りたいと思ったか、その本来の理由を気づかせたのだと知れて、
答えの言葉が浮かばないまま、里沙は視線を落とすしかできなくなる。
- 517 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:22
- 「…絵里って、嘘つくこと、あんまりないはずなんだけどな」
ぎくり、と、心臓が跳ねる。
いきなり核心をつかれて追いこまれた気がした。
「それとも、別の、『大切』な人?」
言葉にも声にも、意味深な音色を感じたのに、何の反応も返せない。
返せなくても、さゆみは気づいている。
きっともう、その頭には、その姿と名前が思い返されている。
「……あのとき、やっぱりガキさんいたんだ?」
不意に話題を逸らされた気がしてドキリとしたけれど、
さゆみのいう『あのとき』が、あの雨の日のことだということはすぐにわかった。
今まで聞いたこともないくらい弱弱しく縋る声でさゆみに救いを求めた愛に、
どうして自分ではダメだったのかと、絵里の腕の中にいながら孤独にも似た淋しさを感じたあの日。
- 518 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:22
- 「…気づいて…たの…?」
落とした視線と一緒に思わず身構えるようにさゆみに向き直った里沙に、さゆみはまた少し、困ったような顔をして緩く首を振った。
「ううん…。ごめんなさい、適当に言いました、今」
聞き間違いかと、一瞬思った。
さゆみが浮かべる困惑顔の理由と事態を把握した里沙の顔に一気に熱が集まる。
それを隠そうと慌てて手で顔を覆ったが、それこそしてはいけない行動だった。
適当に言った、と答えたさゆみの言葉を認めたことになり、そしてあの日、自分も嘘をついたことになると知られることにもなったからだ。
今すぐ逃げだしてしまいたかった。
けれどそれは叶うことではなく、半ば頭を抱えるように髪の中に手を差しこんで身を縮める。
何をどう言い繕えばいいのかさえ思い浮かばず、聞こえてくるさゆみの呼吸の音さえ、脅威に感じられた。
- 519 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:23
- 「ごめんなさい」
やわらかく、さゆみの声が里沙の肩先に届く。
「あの、ホントに、意地悪するつもりとか、驚かせるつもりとかは全然なくて…」
気まずそうに続けるさゆみからは、言葉のとおりに申し訳なさそうな雰囲気が感じられたが、
さすがにすぐには何でもないように顔を上げることはできない。
「…でも、まるっきり適当って、わけでもないの。
あとから思ったら、急に近くから声が聞こえた気はしてたし、あのとき以来、なんだかガキさん、危うくなったなって、感じてたし、
だから、もしかして、って、思ってて…」
気遣うような声色からは申し訳なさは感じ取れても悪意は感じなくて、里沙の強張った四肢がゆっくりと緊張をほどいていく。
そろりと手を下ろし、細く息を吐き出したら、隣からもホッとしたような溜め息が聞こえた。
- 520 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:23
- 「……ごめんなさい」
もう一度謝罪されて、言葉は出ないながらも、里沙は頭を振ってそれに応えた。
それから今度は自分自身の気持ちを落ち着けるために深めに息を吐く。
「あのね、ガキさん…」
「…うん?」
「誤解しないでほしいんだけど」
「……なに?」
「さゆみと愛ちゃん、付き合ってるとかじゃ、ないからね」
「えっ?」
思いがけない答えに咄嗟に振り向くと、さっき見せた困惑を更に色濃くその表情に乗せたさゆみがじっと里沙を見つめていた。
反応してしまったことで、自分がふたりをどういうふうに見ていたかも知らせたことに気づいたけれど、
発せられた言葉の内容は俄かには信じがたいことでもあって、自分の態度には構っていられなくなる。
- 521 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:23
- 「…さゆみは、別に、二番目でも誰かの代わりでも構わないんだけど、でも愛ちゃんがそれを許してくれないから」
自嘲気味に笑って告げたさゆみに里沙はやはり、返す言葉を見つけられなかった。
「確かに、今はさゆみが一番、愛ちゃんの近くにいると思う。…でもそれは物理的な意味でだけ」
顔は笑ってるのに話している内容はひどく自虐的で、里沙は思わず首を振った。
それを見たさゆみが、また小さく笑い返した。
「いいんですよ。さゆみ、それでもすごく嬉しかったから」
勢いづけて立ちあがったさゆみが、後ろ手に手を組んで里沙の前に立つ。
「さゆみって嘘つきだから、神様も、なかなか一番はくれないんですよねえ」
「そん、なことは…」
「自分が嘘つくだけでも最悪なのに、好きなひとにも嘘つかせたし」
言葉の意味が気になって目だけでそれを訴えると、里沙の視線に気づいたさゆみが苦笑いを浮かべた。
「…愛ちゃんは、そのことを今でも少し、後悔してるみたいです。
さゆみはただ、ガキさんとも絵里とも、ギクシャクしてほしくなかっただけなんだけど」
なんのことかと更に眉を潜めた里沙に応えるように、諭すように、さゆみの口元は柔らかくなっていく。
- 522 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:24
- 「覚えてます? 六期と愛ちゃんの舞台のこと」
「も、もちろん。あたし、観に行ったじゃん」
「あのときですよね、ガキさんと絵里が付き合ってること、愛ちゃんにもバレたの」
言われて思いだして、同時にぎくりとした。
「あのあと、ガキさんは千秋楽まで来なかったから知らなくて当然だけど、本当はすごく大変だったんです。
絵里も愛ちゃんも、表面上はすごく和やかに接してるわりには、愛ちゃんはずっとピリピリしてて。
れいなもすごく困ってたし、でもだからって喧嘩してるわけでもないのに仲良くしてって言うのも変だし。
だから、さゆみ、愛ちゃんにお願いしたの。ガキさんのこと、千秋楽に誘ってあげてって。
黙ってたこととか、怒ってたのも知ってたけど、それは言わないであげてって」
さゆみの言うとおり、千秋楽の前日の夜、
唐突に愛から電話がかかってきたことがあったのを里沙は思いだした。
- 523 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:24
- 「…あれ、さゆみんが…?」
「最初は、なんでこっちが折れなアカンのって、全然聞いてくれなかったけど、
リーダーとサブがギクシャクしてたら他のメンバーもついてこないって言ったら、渋々だけど納得してくれて」
ならば、あのときの電話で愛が話してくれたのは、本心からの言葉ではなかったということだろうか。
本当は納得などしていなくて、里沙に対しても絵里に対しても、わだかまりはあったということだろうか。
しかし、千秋楽の日に、愛が里沙に対していつもどおりの態度だったことに絵里が不思議そうにしていたことが、
それまでの態度と違っていたらからだと考えれば辻褄も合う気がした。
「理解はできても、納得できないことってあるから…。
愛ちゃんは今もあのときのこと、さゆみがそういうふうにしてって言ったこと、気にしてるみたい」
くるりとカラダを半転したさゆみがゆっくりと背伸びする。
「好きなひとにそこまでさせて、それを今でも後悔させてるんだもん、一番に想われなくても当然でしょ?」
「…そんな、言い方しないで…。さゆみんは、優しいだけじゃん…」
自虐的に自分を蔑むさゆみを気遣っての言葉などではなく、心からそう思っての言葉だったが、
不意に知らされた事実に感情が追いつかなくて、気持ちがうまく声に乗らず、掠れ声になってしまった。
- 524 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:24
- その掠れ声を背中で聞いたさゆみがくるりと軽やかに振り向き、里沙を見下ろしながら嬉しそうに微笑む。
それを痛々しく思わずにいることは、里沙には困難なことだった。
何か言うべきだと感じて、なのに何一つ言葉を見つけられずにただ見上げることしかできずにいると、
そんな里沙の心中を察したように、ゆっくりとまた里沙の隣へと腰を下ろす。
「あとね、気づいたんですけど。さゆみ、愛ちゃんのこと好きだけど、すごくすごく好きだけど、
でも、ガキさんといるときの愛ちゃんが一番好きだなあって。だって、本当に優しくて可愛い顔するから」
それこそ嘘じゃないのかと言いそうになる。
好きなひとには自分だけを見ていてほしいと思うのが普通だ。
自分じゃない誰かといる姿を見ているほうが幸せだなんて、里沙なら思えそうにない。
けれどそれは告げてはいけないことだった。
おそらくさゆみの、精一杯の虚勢だろうから。
- 525 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:24
- 目には見えないさゆみの気遣いが、全身に染みわたる気分だった。
「ごめん…。ごめんね、さゆみん…。ごめん…」
さゆみは自分を嘘つきだという。
だけど、こんなにも自分以外の誰かを想った優しい嘘つきが、どこの世界にいるだろう。
「なんでガキさんが謝るんですか。ガキさんは何も悪くないでしょ?」
気遣う声色でそんなふうに言ってはくれるけれど、何度謝罪しても足りない気がした。
自分の煮え切らない態度が、自分で思う以上に誰かを傷つけていることに気づけなかった。
そんな自分の身勝手さがひどく腹立たしかった。
何もかも、自分が何もしないせいだと思った。
見たくないことから目を逸らし、起きてほしくない現実からも逃げようとした自分の弱さのせいだと。
- 526 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:25
- 「……カメと、話すよ…」
変わってしまうことが怖くて、だけど今のままでいられないことも承知していて。
自分が動かなければいいほうへも悪いほうへも動きださないと知っていながら、傷つくことも傷つけることも出来なくて逃げていた。
何もしないままでいれば自分は傷つかない。
だけどそうやって逃げているだけでは、絵里のことを、いや、絵里だけでなく、
さゆみや愛のことも、見えない凶器で傷つける時間を、だだ長引かせるだけでしかないのだ。
「…ちゃんと、話す。ちゃんと向き合って、カメと、話してみるよ…」
声にしたことでその決意はまた少し強くなり、握り締めた里沙の手を見たさゆみはようやく、ホッとしたような微笑みを浮かべた。
- 527 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:25
-
さゆみと一緒に楽屋に戻ると、ちょうど準備が整ったらしく、スタッフの動きが慌ただしくなっていた。
既に何人かは撮影場所へと移動していたらしく、戻ってきたふたりに気づいた愛佳とリンリンが、早く早くとドアのところで手招いている。
小走りにそちらに向かいながら、楽屋にはまだ絵里の姿があったことに、決意したばかりの里沙の気持ちが加速づく。
「…遅いよ、ガキさん。絵里、先に行くね」
里沙と目が合った絵里が気まずそうに視線を逸らしていつもの口調で言った。
しかし、目を合わせないまま自分の前を過ぎようとするのを、その腕を捕まえることで引き留める。
びくりと絵里のカラダが大きく揺らぎ、その動揺が顕著に里沙に伝わってきて、固めたはずの気持ちが崩れそうになったけれど、
里沙のうしろにいたさゆみが、擦れ違うようにして里沙の背中を軽く押しだして行ったことで、揺らいだ決意が再び固まった。
「先行ってるねー」
里沙の背中を押した手でそのまま絵里の肩を叩いてさゆみが歩いていく。
それを追おうとした絵里の動きを更に阻むように腕にチカラを込めると、怯えた視線を向けられて里沙の胸が痛んだ。
- 528 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:25
- 「…今日、終わってから、話がしたいの。…時間、作ってくれないかな」
「え…」
「今日がダメなら明日でもいいよ。でも、これ以上長引かせたってダメだってことは、カメも、わかってるよね?」
責めるわけでなく、けれどノーとは言わせない口調に絵里は戸惑ったように少し顎を引いたけれど、
まっすぐ見つめる里沙に、肩からチカラを抜きながらゆっくりと天を仰いだ。
「……わかった。…終わったら、待ってる」
その答えを聞いてから、里沙はゆっくり、掴んだ絵里の腕を離した。
「ありがと」
その言葉を紡いだあと、沈黙がふたりを包んだ。
向かい合ったまま、目も合わせないまま、どちらもが身動きが出来ない。
- 529 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:25
- 撮影はもうすぐ始まろうとしている。
いつまでもここに立ち止まってはいられない。
けれど、お互いがお互いに、行こう、と切り出すタイミングが測れずにいた。
そのまま立ちつくしそうになったとき、俯いていた里沙の頭のすぐ上で小さく笑う声が聞こえた。
何かと思って思わず顔を上げると、微笑む絵里が里沙を見下ろしていて、里沙が頭を上げると同時に、さっき離した里沙の手を捕まえた。
「行こ。遅れたら怒られちゃう」
前までと変わらない笑顔の絵里がそこにいて、里沙の心の奥が急激に痛みだす。
目頭が熱くなったけれど、涙を見せることだけはしてはいけない気がして、唇を噛んで堪えた。
手を引かれて歩きながら、繋いだこの手の熱を、絵里の、優しいこの体温を、里沙は決して忘れない、と、思った。
- 530 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:26
-
- 531 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/05(日) 21:27
-
今回更新分は、ここまでです。
久しぶりですので、ageておきます。
更新の間隔が大きくて本当に申し訳ありません。
相変わらずストックはないので、次もまたお待たせすることになると思いますが、
いよいよ終わりも(私の中で、ですが)見えてきたので、少しでもお待たせする時間が短くなるよう頑張ります。
自分で今後のネタばれしそうなので、個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
ではまた。
- 532 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2010/09/05(日) 23:58
- まってました〜。
…さゆみん。。。
- 533 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/06(月) 20:49
- きてたー
皆良い奴なのにこんなに報われないなんて…
皆幸せになってほしいね
- 534 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/09/07(火) 14:27
- 更新来てた!
さゆのセリフにはちょっと泣きそうになってしまった・・・。
続き待ってます!!
- 535 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:29
- 更新します。
- 536 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:29
-
- 537 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:29
- 「お疲れさまでしたー」
本来なら午前中の撮影だけで午後には解放されるはずが、準備が遅れたこともあって、すべての撮影が終わったのは夕刻だった。
トータルで計算すると、全員分の撮影時間より待ち時間が長かったことになる。
このあとも別の仕事が控えているメンバーが優先され、結果的に撮影順が最後になった里沙は、
恐縮しきりのスタッフへの挨拶に平静を装いつつ応えながらも、このあと向かう場所のことを思って自然と緊張を高まらせていた。
速まっていく心音を整えるように幾度か深呼吸を繰り返し、控室となっているドアの前まで来て、少し強く、唇を結ぶ。
この部屋の中で里沙を待っているだろう絵里には足音ですでに気づかせているだろう。
それでも僅かな間をおいて、一度だけ軽めのノックをして、返事は待たずにゆっくりとドアを開けた。
部屋の中央に設置されているテーブル。
いくつか並んだ椅子の一つに座って、頬杖をつきながら雑誌を開いていた絵里が里沙を見て少しだけ上体を起こした。
「お疲れー」
なんでもないようすを装い、小さく笑ってくれる、その気遣いが里沙の心を軋ませる。
- 538 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:30
- 「ごめん、待たせた」
里沙の前に撮影を済ませていた絵里が待っていた時間はそれほど長くはないはずだが、
この部屋に絵里以外の姿がないことで、時間の経過は里沙が思う以上ではなかっただろうかと思ってそう言うと、
ゆっくり雑誌を閉じた絵里が僅かに苦笑いしたのが見えた。
「……全然、待ってないよ」
呟くような小さな声が聞こえてハッとする。
きちんと向き合って話をしなければいけないことはお互いが思っていたことだ。
けれど、それを『急いで』いるのは里沙だけで、絵里にとっては望まない事態であることに今更気づく。
思わず振り返ると、目が合った絵里が更に色濃くなった苦笑いをその表情に載せた。
「…ごめん」
もう一度言うと、ゆっくりと頭を振ったのが空気の流れで伝わり、同時に室内の空気には緊張が孕んだ。
すると、それを嫌ったみたいに絵里が自身の鞄を持って立ち上がった。
「このあとどうしよっか? どこか静かそうなレストランにでも寄る?」
- 539 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:30
- 自分の撮影までの待ち時間に、里沙もすでに帰宅準備は済ませてあった。
少しでも絵里を待たせてしまう時間を少なくしたかったからだが、それらも絵里には違う解釈として受け止められたかも知れない。
そう思うと、自分がこれから絵里に話そうとしていることがどれほど残酷なことなのかを改めて理解した。
しかし、気を張らないと俯きがちになってしまう視線を持ち上げ、里沙はしっかりした動作で首を振って見せた。
「…ここでも、いいかな」
里沙の視線の強さに絵里が僅かに怯んだようすを見せて顎を引いた。
けれどそれはほんの一瞬だけで、いいよ、と小さく笑うと、立ちあがったばかりの椅子に再び腰を下ろす。
それを確認して里沙も大きく息を吸うと、同じだけの量で息を吐き出し、絵里の座る正面の椅子を引いた。
しかしそれに深く腰を落ち着けるようなことはせず、目の前のテーブルに鞄を置いた状態で座ってから、ゆっくりと顔を上げた。
目が合った絵里の口元は、いつものような穏やかな微笑みを浮かべてはいなかった。
このあと里沙が話す言葉のすべてを聞きとる姿勢でいるという気持ちの表れを見ているようで、
改めて、絵里がどれほど自分と真摯に付き合ってくれていたのかを肌で感じ取った。
無論、里沙にとっても、絵里への気持ちに不真面目なものなど一切なかったけれど。
- 540 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:30
- しかし、いざ向き合っても、すぐには言葉が見つからなかった。
言う言葉は決めていたはずなのに、そのどれもが喉の奥まで出かかっているのに声にならない。
無意識に躊躇してしまうのは、言葉にしなければならないものすべてが、絵里を傷つけるとわかっているからだ。
悪意などなくても自分の言葉で人を傷つける、その事態を招くことを、心のどこかで避けたがっているからだ。
そのまま、沈黙が室内に響く。
長引かせてもダメだと言ったのは自分のほうなのに、唇が凍ってしまったみたいだった。
知らずに視線が落ちてしまったとき、不意に、視界の端で影が動いた。
咄嗟に頭を上げると、さっきこの部屋のドアを開けたときのように絵里が頬杖をついていて、
けれどその視線の先は少し離れた窓の外へと向けられている。
「…まだこんな時間なのに、もう真っ暗だねえ」
のんびりした口調に、里沙の肩に乗っていた重いものがスッと下ろされた気がした。
言われるままに絵里の視線の先を追って窓の外を見ると、夏ならまだ明るい時間帯でも、
12月も後半に差しかかる今では、外ももう、夜の帳が下り始めている。
- 541 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:31
- 窓の外に目線を向けたままの絵里の横顔に見とれていた自分に気づいて、里沙は慌てて視線の行方を変えた。
それからそっと息を吐いて、乾いてしまっていた唇を舐めてから、その横顔に呼びかけようと息を吸い込んだ。
しかし、里沙が言葉を声に乗せるより一瞬だけ早く、横を向いたまま、絵里が呟いた。
「…夢なら、いいのになあ」
やわらかな声なのに、それはまっすぐ、里沙の揺れる気持ちを射抜いた。
「なんで、こうなっちゃったんだろうなあ」
息を飲む以外の動作ができなくなる寸前、里沙に振り向いた絵里が申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「…ごめん、嫌な言い方しちゃった」
絵里が謝ることではない、と言いたくても声にはならず、首を振ることで意思表示する。
けれど絵里の顔を見続けることは困難になって、決して自分からは目を逸らすまいと思っていたのに、
部屋中に充満する緊張感に耐えきれなくなって、項垂れるように里沙は頭を下げた。
- 542 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:31
- 「……ごめん」
俯いたまま、掠れそうな声で里沙は告げた。
その短い言葉がどんな意味を孕み、どれほどの威力で絵里を傷つけるか想像するだけで胸が痛んだけれど、
今の里沙に、それ以外の言葉を発することは容易ではなかった。
「…うん」
同様に短く返事した絵里の声色は抑揚が薄く、膝の上に置いた里沙の手にはチカラがこもる。
「カメのこと好きだけど…、すごくすごく、大事だし、好きだけど…」
胸が痛い。
けれど、それを里沙が言葉にすることは許されない。
カラダが震えそうになるのを深呼吸を繰り返すことで落ち着ける。
里沙の心中を思ってか、絵里も何も言わず、じっと里沙の言葉の続きを待っているようだった。
「……あたしの『好き』は、カメと同じじゃない。カメの『好き』に追いつくこと、できない。…だからもう、今までみたいには付き合えない」
途中、掠れ声になりながらもそこまで一気に言うと、更に息を吸い込んだ。
「…あたしと、別れて、ください」
- 543 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:31
- 里沙の声が静かな室内に響く。
シンと静まり返る室内は、里沙の言葉がさっきまでの緊張感とはまた別の何かを連れてきたようで。
顔を上げられないままどれくらいそうしていたのか。
しばらくの沈黙のあと、絵里が細く息を吐き出したのが里沙の耳にも届いた。
そっと顔を上げると、それを待っていたみたいに見つめられてドキリとする。
「…あーあ。やっぱりあのとき、ホントのこと話すんじゃなかったなあ」
重い空気を吹き飛ばすようにどこかおどけたように言って、椅子の背もたれに重心を移す。
僅かに開いた距離は、里沙にすこしだけ淋しさを植え付けた。
「違うよ、あの話を聞いたからじゃない…」
「でも、きっかけにはなったでしょ?」
反論できずに言葉を詰まらせると、絵里が小さく笑い声を漏らした。
「そういうとこだけは、嘘つけないんだから」
呆れたような口調なのに労りを感じて里沙のカラダが震えた。
傷つけた人間に、こんなふうに優しく扱われたり微笑まれることなど考えもしなかった。
- 544 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:31
- 「……愛ちゃんのこと、好き?」
何も言えないまま絵里を見つめていると、微笑みを苦笑いに変えた絵里が小さく呟くように問うた。
不意に核心をつかれ、思わず顎を引いて俯いてしまったけれど、
答えを待たれていることがわかって、里沙も、さっきの絵里のように細く息を吐き出した。
「……ホント言うと、自分でもよく、わかんない」
「え?」
「この気持ちが恋愛感情なのか、友情を越えた独占欲なのか」
ぽつりと漏らして、自分自身でもその言葉に納得した。
愛に対して抱いてる感情に名前を見つけられない。
愛とは初めて出会ったころからずっと一緒だった。
家族よりも多くの時間をそばで一緒に過ごしてきた。
隣にいるのが当たり前だと思っていたし、将来、そのカタチは違ってしまったとしても、
これからもきっと、目には見えなくても、自分のそばには愛の存在を感じられるのだと、漠然とそう思っていた。
けれどそれは独りよがりな思いあがりだったのだと知らされて、
思っていた以上に愛の存在が里沙にとって大きな存在だったのだと気づかされた。
誰よりも愛しく思えた絵里の存在すら、霞むほどに。
- 545 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:32
- 単純に「好き」か「嫌い」かと問われたら答えは決まっているけれど、
それだけではない何かが気持ちを支配していて、そしてそれにぴたりと当てはまる言葉を、里沙はまだ見つけられないでいる。
「カメのことはホントに、本当に、心から愛しいって思ってたし、今もそう思ってる。
一緒にいて安心できるし、楽しいことしか思い出せないくらい、カメからもらったもの、言葉にできないぐらいたくさんある」
「うん…」
「…でも、でも愛ちゃんは…、愛ちゃんのことは、なんていうか、そういうのとは違ってて…」
そこで言葉を切ると、絵里は不思議そうに眉尻を下げて、それを見た里沙はそっと口元を緩めた。
「…気がつくと目で追いかけてる。最近はもうあんまり話さなくなったからかも知れないけど、声を探してるっていうか…。
今何してるんだろう、とか、こういうとき愛ちゃんならどう言うのかな、とか、そういうこと考えちゃうんだ」
自分の知らない愛がいる、というだけで思考を支配される。
ずっとそばにいたいわけではなくて、だからといって離れてしまうことも嫌で。
「なんか、自分でもすごく子供っぽいな、って思うんだけど、これって恋愛感情とかじゃなくて、
一緒にいる時間が減って、それが思ったより淋しくて、ただ愛ちゃんに構ってほしいだけなのかなって…」
- 546 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:32
- それまで黙って聞いていた絵里がそっと息を吸い込んだのが伝わった。
絵里を見ると、困ったようにも悲しそうにも見える顔をしていて、
言うべきではないことを言ってしまったかも知れないと思った里沙が知らずに喉を引きつらせたとき、
その口元は、まるで里沙の気持ちをきちんと汲み取ったと伝えるかのようにゆっくりと綻んだ。
「…あのね、ガキさん」
「な、なに?」
知らずにうわずってしまった声に、絵里の口元がまた少し優しくなった気がした。
「ガキさんは自分の気持ちがよくわからないって言うけど、絵里、わかるよ」
「え…」
「知ってる、わかる」
戸惑いを見せて言葉を繋げられない里沙に、絵里はゆっくりと、言葉を選ぶようにしながら口を開いた。
「それね、その気持ちって…、『恋しい』、って、言うんだよ」
- 547 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:32
- 言い諭すような穏やかな声音が、何からも妨げを受けることなく、すうっと耳の奥まで届いて、
そしてそのまま、優しく里沙の全身を滑るように撫でていく。
いやらしさや不快感などはもちろんなく、まるで、
乾いていた場所が潤っていくように、静かに染み渡っていくように、絵里の言葉は里沙の中におさまった。
思わず、里沙は両手で自身の口元を覆った。
大きな声を出しそうになったからでも、気分が悪くなったからでもない。
ただ、そうしないと、ようやく見つけられた答えを零してしまいそうになる気がした。
「ガキさん?」
言葉を詰まらせてしまった里沙に絵里が心配そうに声をかけてくる。
頭の少し上で聞こえてきたその声に対し、ゆっくりと息を吐き出すことで応えて、口を覆った手で前髪をかきあげた。
「うん…。そう、だね…。カメの、言うとおりだよ」
ずっと自分の中で渦巻く感情に名前を見つけられなかった。
けれどやっとわかった。
絵里が教えてくれた、その名前。その気持ちの持つ意味。
「あたし、愛ちゃんに、恋してるんだ…」
- 548 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:33
- 絵里のことは誰よりも愛しいと思った。
誰といるより安心できる存在で、初めて自分のすべてを許してもいいと思えた。
愛されることでどれほど心が満たされるかを教えられ、抱えきれないくらいの喜びと幸せをもたらしてくれた。
絵里といることが穏やかな幸せを得られる何よりの近道だとわかっていた。
それでももう、自分の気持ちに気づいてしまった今、絵里を選ぶことは、できない。
「…なんかもうホント、情けないね、あたし…」
自嘲気味に笑って言うと、視線の先の絵里は小さく首を振った。
「そんな肝心なこともわかってなかったなんてさ…。カメのほうがあたしなんかよりずっとずっとオトナだよ」
「違うよ、そんなことない。絵里、ガキさんにいっぱい助けてもらってるよ?」
それは間違いなく絵里自身の本音だろうけれど、里沙は否定を示すように緩く首を振った。
「違わないよ。カメがあたしに助けられたって思う以上に、あたしのほうがもっとカメに助けられてる。
今だってそうじゃん。カメが、あたしの気持ち、気づかせてくれたじゃん」
- 549 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:33
- 頼られているようで頼っていて。
支えているようで支えられていて。
守っているようで、誰よりも優しく強く、守られていた。
「…あたし、今までずっと、カメに守られてきたんだよね…。でも…もう、そういうの、ダメだよ…」
絵里の顔を見ながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「たぶん、愛ちゃん以外の誰かをこんなふうに想うことできないくらい、愛ちゃんが、好きなの…」
絵里の瞳の奥が微かに揺れたのがわかる。
それでもそこで怯むわけにはいかなかった。
「だから、あたしと、別れて欲しい」
小さく息を吸い込んだ絵里が、里沙の視線から初めて逃げるように目線を落とした。
揺れている睫毛が泣いているようで里沙の心を軋ませるけれど、見届けるのが里沙の義務である気がした。
- 550 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:33
- しばらく沈黙が続いて、やがて、細く細く息を吐き出した絵里がゆるりと頭を上げて里沙を見た。
思わずドキリとした里沙に、絵里は表情を引きしめるように唇を結ぶと、はっきりとした声色で「わかった」と告げた。
「…もう、絵里がどんなに泣いてお願いしても、無理なんだよね」
そう呟くように言って自嘲気味に笑った絵里の口角はいつものように少し上がっていたけれど、
それを笑顔だと受け取るには困難なほど、伝わる空気が里沙の胸の奥を痛ませる。
「ごめん…」
「ううん。ガキさんの今の気持ち、最後にちゃんと聞けてよかった」
慰めでも強がりでもなく、おそらくそれは絵里の素直な気持ちなのだろう。
里沙を見る目の穏やかさに、強張って軋んでいた里沙の心が解されていく。
けれど、そのあとに続ける言葉を里沙は見つけられない。
これ以上話すことはなくて、だからといって立ちあがることは躊躇われて。
- 551 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:33
- 向かい合って座りながらお互いが無言のまま、どれくらいそうしていただろう。
沈黙の続いていた空間に、テーブルに置いていた鞄が緩く振動して空気が流れ、思わず里沙は大きく肩を揺らした。
慌てながら鞄の中を探り、振動を繰り返す自身の携帯を手に取る。
「…電話?」
「ううん、メール…」
「見ていいよ。もしかしたら大事な内容かも知れないし」
送り主も見ずに鞄に戻しかけたが、絵里に言われるまま、受信ボックスを開いた。
「ママからだ…」
「なんて?」
「パパと一緒にこの近くにいるみたい。仕事まだなら、待ってるから終わったら連絡してって」
それは特に珍しいことではなく、都合が合いそうならば一緒に帰って外食することもあるし、
メールを送信してから1時間待っても返信しないときは待たずに先に帰ってもらうように言ってある。
- 552 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:34
- 「なら、ちょうどよかったね」
いつもの口調で言った絵里に、里沙は咄嗟に頭を上げた。
「あ、じゃ、カメも一緒に…」
帰ろう、と言いかけて、視線の先の絵里の表情が曇ったことに気づいてギクリとした。
口元をゆるめながらも、里沙の言葉に絵里はゆっくり首を振る。
「…それは、ダメだよ」
「あ…」
「今日は…、ううん、とうぶんは…ちょっと無理、かな」
何故、と問うまでもない作り笑いが里沙の胸に痛い。
「ごめん…」
「…ううん」
また言葉が途切れたけれど、今度はすぐに絵里が口を開いた。
「ほら、待たせちゃうよ、行って?」
「でも、カメ…」
「絵里のことはいいから」
そうは言われても、このまま帰ってしまうことに躊躇して動けないままでいると、
そんな里沙の心中を読み取ったように、静かに、けれどどこか突き放す声色で絵里が作り笑いを濃くした。
- 553 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:34
- 「ガキさん、わかって…。絵里、これ以上ガキさんといるの、ちょっともう、キツイ…」
口調は優しいけれど、心情を露わにするその言葉に、どん、と肩を押し返された気分になった。
呼吸が喉の奥で引きつる。
かけるべき言葉を見つけられないまま、里沙はただ、俯き、小さく頷くしかなかった。
足取り重く腰を上げると、絵里が視線だけで追いかけてくる。
「…えっと…じゃあ…、行くね…」
「うん」
いつものように、またねと言っていいのかさえわからず、顔が見れないまま、ドアに向かう。
後ろ髪をひかれながらもドアノブを握ったとき、
「……ガキさん」
呼び止められるとは思わず、里沙は当然のようにびくりと肩を揺らした。
「あ、そのまま、振り向かないで、そのままで聞いて?」
振り向くことにためらった肩越しに絵里の声が届き、聞こえていることを伝えるようにこくりと頷いた。
- 554 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:34
- 「……絵里ね、ガキさんの優しくて残酷なところ、すごく好きだよ」
何を言われたのか一瞬わからず、残酷、という部分だけが強調されて聞こえた。
それを責める言葉としか認識していない里沙には、強く胸を刺す嫌悪的な言葉で、絵里のいう「好き」に結びつかない。
「もうすぐ絵里の誕生日なのに、その日を一緒に過ごしてから、って考えないところが好きだよ。
絵里が自分の誕生日にさみしい思い出を残さないようにしてくれるところ、ホントに、かなわないって思うくらい」
振り向けず、言葉の意味を尋ねられずに混乱する里沙に気づいてか、わかりやすいたとえを出されてようやく腑に落ちる。
そんなつもりで決断の日に今日を選んだわけではなかったけれど、絵里がそう受け止めるのならば反論はできないと思った。
「絵里のこと、愛しいって思ってくれて嬉しかった。好きって言ってもらえて幸せだった。
…でも、でもね、できることなら、絵里に、恋してほしかったよ」
せつなさを纏った甘い声での告白は、肌を削ぎ落とされるような痛みへと変わって里沙を襲う。
その痛みを受け入れることも里沙の義務だった。
涙が出そうになって、唇を噛むことで堪える。
里沙に許されているのは、ただ、絵里から投げられるどんな言葉も甘受することだけだ。
- 555 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:35
- 「……明日から、もう困らせること言わないよ。だから、最後にもう一度だけ、言わせてね」
直後の一瞬、お互いの肌を撫でていった空気の流れ。
引き返すことのできない、おそらく今までの人生で最良に幸福だった日々。
「好きだよ、ガキさん」
幾度となくもらった言葉。
何度となく囁かれた告白。
なのに、まっすぐ自分に向けられる好意が、こんなにも胸に刺さるものだと知る日が来るなんて。
「…ばいばい、またあした」
少し鼻にかかった甘い声。
里沙の好きな絵里の話し方。
声を出すことが困難で、ゆっくりと大きく頷き返すことしかできなくて。
後ろ手に手を振りながら、震えているのを悟られないように勢いよくドアを開ける。
けれど、このまま何も言葉をかわさずに別れてしまうことはしたくなくて、すうっと深く、息を吸い込んだ。
「ばいばい、またあした! だいすきだったよ!」
いま、絵里に向けて言える精一杯の言葉だったけれど、まっすぐ届いてくれるだろうか。
- 556 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:35
- ドアを閉めて楽屋を出ても、里沙の足は動かない。
気配で、まだ里沙がここにいることを絵里は感づいているだろう。
そばにいて愛されることを選ばず、いまさら祈るしかできない自分を許さなくていい。
それでいい。
だからどうか。
絵里に、悲しい出来事がこれ以上起こりませんように。
あの優しい穏やかな微笑みが、悲しみで曇る日が少なくありますように。
爪先にチカラを込めて深呼吸をひとつ。
一歩目を踏み出しながら強く願い、里沙は、その場から足早に離れた。
- 557 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:35
-
- 558 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/10(日) 23:36
-
今回更新分は、ここまでです。
またしても久しぶりですので、今回もageておきます。
更新の間隔が大きくて本当に申し訳ありません。
相変わらずストックはないのでますが、 次回更新分が最終更新になると思います。
高橋さんの卒業までには、なんとか完結させたいです…。
自分で今後のネタばれしそうなので、個々への返レスは省かせていただいてます、ごめんなさい。
ではまた。
- 559 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/11(月) 03:20
- 更新ありがとうございます。
ついに来るべき時がきちゃいましたね。
ラスト更新待ってます。
- 560 名前:I 投稿日:2011/04/11(月) 11:05
- 更新ありがとうございます。
とても引き込まれました。
次回更新、お待ちしております。
- 561 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/04/18(月) 14:50
- 更新ありがとうございます。
とうとう終わってしまうんですね……淋しいなぁ…。
- 562 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/06/25(土) 14:11
- えりりんが切なすぎる…でもガキさんには頑張ってほしいです。
次回更新楽しみにしてますっ
- 563 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/07/04(月) 00:43
- 作者さんが描かれる愛ガキがすごく好きです
更新お待ちしております
- 564 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/07/07(木) 12:53
- 一気に読ませて頂きました。
一人一人の気持ちが痛いくらいに伝わってくる作者さんの文章が大好きです。
更新気長にお待ちしております。
- 565 名前:雪月花 投稿日:2011/09/15(木) 21:18
- 初めまして。別の場所で書かせてもらっています雪月花です。
最近この小説に出会い、一気に読ませていただきました。
ガキさんの気持ち、愛ちゃんの気持ち、そして絵里の気持ち…
丁寧な描写と痛く切ない心情が伝わり思わず泣いてしまいました。
ご自分のペースで頑張ってください。更新を楽しみにしています!
- 566 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:31
- 更新します。
- 567 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:31
-
- 568 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:31
- 絵里と別れてから幾日かが過ぎた。
時間は毎日、同じ速度で進んでいるはずなのに、
年明けにある恒例のコンサートや、その後に控えている新曲のダンスレッスンやジャケット撮影などの忙しさもあって、
過ごした日々への感傷に心を痛めている余裕はないに等しく、
リハーサルの合間にお互いを労うようすを見ているだけでは、おそらく誰も、ふたりの関係が以前と違っていることに気づかなかっただろう。
年が明けて、里沙が髪を切るまでは。
- 569 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:31
- それらしい素振りや前もって予告しなかったこともあって、
突然髪を、それもずっと長かったものを肩より短く切って現れた里沙には誰もが驚いたし、同じぐらい、誰もが里沙にその理由を問うた。
前からやってみたかったから、と前向きな意味を含めて笑って答えた里沙に、
むしろ後ろ向きな解釈をしたメンバーもいたとは思うが、それを直接里沙に尋ねた人間は誰もいなかった。
気分を変えたかった、というのも、理由としてはあった。
今までと違う自分になりたかった。
守られてばかりいる自分ではなく、せめて大切なひとを守れるくらいには、強くありたい。
そのための決意の表れのひとつが、髪を切る、という行為だった。
- 570 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:32
- 髪を切った里沙と愛が会ったのはメンバーのなかでは比較的あとのほうだったが、
一番最初に里沙を認めたときの愛が驚きで目を丸くしたのを、里沙は少し複雑な気持ちで受けとめた。
愛もまた、里沙の決意を後ろ向きな考えに捉えたような気がしたからだ。
作り笑いとわかる笑顔で「似合うよ」と言ったくせに、何故切ったのかを尋ねてこなかったのも、そんな気分を増長させた。
だから、正月恒例のコンサートの最後の全体リハーサルが終わったあと、
ついでがあるから迎えに行くという両親を楽屋で待っているときに、すでに里沙を除いたメンバーは全員いなくなったというのに、
打ち合わせが長引きでもしたのか、まだレッスン着のままの愛が楽屋に戻ってきて、
疲れたようすで着替えはじめる姿を横目で見ながら焦れたような気分になったのも、仕方ないことだったのかもしれない。
一番付き合いが長いはずなのに、最近は一緒に過ごす時間はずいぶん減ってしまった。
こんなふうに楽屋で少しの時間にふたりで過ごすことが珍しい、と思うほどには、それは顕著だったんだろうと里沙は思う。
話しかければ答えはしてくれるし、あからさまに避けられることはないけれど、
物理的には近いようでも、心の距離はもう昔のようには近くないのだと実感するくらいには、
愛とふたりきりになったときの自分が緊張していることに気づかされる。
そしてその緊張が、愛を意識しているせいだということにも。
- 571 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:32
- 「そういえば昨日さー」
「んー?」
漂う沈黙が居心地悪くて、適当に、どうでもいいような他愛ない話を里沙のほうから持ちかける。
相槌を打ち、会話はしつつも里沙と顔を合わせようとしない愛は着替えももうひと段落していて、鞄の中身を改めて確認している。
「ガキさんはまだ帰らんの?」
「うん、パパたちと待ち合わせ。渋滞に巻き込まれちゃったみたいだから、もうちょっとかかるかな」
「ふーん…」
荷物の中身を確認し終えたらしい愛が、ちらりと里沙に目線を寄こした。
咄嗟に首を傾げると、何も言わずに里沙が座っていたメイク台の隣に、鏡に背を向けるようにして座った。
「愛ちゃん?」
「……迎え来るまでな」
「へ?」
「ひとりで待つん、淋しいやろ?」
- 572 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:32
- いひひ、と、肩を竦めて悪戯っぽく笑って見せた愛に、里沙の心音がとくんと跳ねた。
好きだと意識した途端、こんな些細なことさえ胸を鳴らすのかと思ったら、声が詰まった。
「…えー、なにそれー」
嬉しいのに、素直になれなくてそんなふうにしか言えなかった。
「……ガキさんがひとりで待ちたいなら帰るけど?」
「あ、ウソウソ、いてください、お願いします」
里沙の心中に気づいたか、素っ気なく言って立ち上がろうとする愛の腕を慌てて掴んで言うと、愛は小さく吹き出した。
久しぶりに見る、里沙のよく知る、里沙が見慣れた、愛の笑顔だった。
- 573 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:33
- 細く息を吐いて座り直す愛を見ながら、愛ともう少し話せることを嬉しく思ったのに、
改めて実感したら緊張度が増した気がして、何を話せばいいのか急にわからなくなった。
愛といてそんなふうに考えたことなど一度もなかっただけに、それほど意識しているのだと感じてまた鼓動が早くなった気がした。
視線を落として自分の靴の先を眺めながら、当たり障りのない話題を探していたら視線を感じて、
何気なく頭を上げて、愛と目が合って、条件反射のように顎を引いたら、愛がそっと手を伸ばしてきた。
「…ずいぶん、思い切ったよなあ」
言いながら、短くなった里沙の髪を確かめるように、愛の手が優しく里沙の頭を撫でた。
「短くしてみたい、ってのは聞いたことあったけど、いきなりでびっくりした。みんなにも内緒にしてたんやな」
「うん、まあ…いろいろ思うことあってさ」
他の誰に聞かれてもそんなふうには答えなかったのに、苦笑いを浮かべながら里沙は素直に本心を告げた。
「へえ…」
意味ありげに言ったと思うのに、愛はそれ以上は何も聞かず、里沙の頭を撫でていた手もゆっくりと下ろしてしまった。
直接肌に触れられたわけでもないのに、離れていく愛の手を名残惜しく思う。
- 574 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:33
- 「…愛ちゃんは、なんで、って聞かないんだね」
何も思ってないわけがないのに何も聞いてこないことが里沙を苛立たせた。
里沙に振り向いた愛の目の奥にほんの僅かな動揺を見た気がして、その苛立ちが加速する。
「聞いてほしいんなら、聞くけど」
上ずったように聞こえたのは自惚れだったのかも知れない。
けれど、知りたいとは思ってないと言いたげな態度と口調は、少なくとも里沙の気持ちを逆撫でた。
「聞いてほしいよ。誰よりも、愛ちゃんには」
「なん…、なんか、あたしのせいで切ったみたいな言い方や」
里沙から目を逸らした愛が、自嘲気味に口の端を上げる。
急に空気が重くなったと感じたのは里沙だけではないだろう。
でも、里沙が今、どんな気持ちで愛を見つめているのかを、愛に知ってほしいと思った。
「愛ちゃんのせいとか、そういうんじゃないけどさ。でも、聞いてほしいことは、ある」
もう一度里沙に振り向いた愛が心なしか身構えたのがわかる。
何気なく聞くべきことじゃないと、漂う空気が伝えているようだった。
- 575 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:33
- 「…さっきから意味深な言い方するやんか。ひょっとして説教されるん?」
「茶化さないで」
少し強めに言うと、愛が小さく肩を竦ませたのがわかった。
けれどそれを悟られないようにしてか、愛の視線がまた里沙から外される。
「……カメと、別れた」
愛の視線が床に落ちるのを待ってからそれだけを告げた。
もちろん、それ以上の説明は必要ないほどわかりやすい言葉だっただろうことは、
床に目線を落としたときの数倍の早さで頭を上げて里沙を見た愛が、大きな目を更に大きく丸くしたことで窺い知れた。
「いつ…」
「3週間ぐらい前になるかな」
こく、と、愛の喉が鳴った気がした。
唇を舐めて、何か言おうとして、けれどどう尋ねていいのかを迷っているのが伝わる。
「…なんで、って、聞いても…?」
「いいよ。じゃなきゃ自分から話さないし」
- 576 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:34
- 愛が、里沙と絵里との関係について口出ししないようにしていたことは、里沙も薄々は感じていた。
実際そういうふうに言われたこともあったし、さゆみの言っていた『嘘』が、そうさせていたのかも知れない。
「嫌いになったとかじゃないけど、でも、お互いの気持ちにズレがあったっていうか」
「ズレ…?」
「カメの気持ちに追いつけなかったの。カメがあたしを想ってくれるみたいには、カメのこと、愛せなかった」
里沙の言葉を聞きながら噛み砕いているのか、複雑そうな顔で愛が頷く。
「……て、カッコイイ言い方してるけど、要はあたしが、カメより好きな人が出来た、って、ことなんだけど、さ…」
遠回しな言い方をしてしまったことに、あとになって里沙は後悔するのだけれど、
このときはこれで愛が気づいてくれたら、と、少しの期待と願望と一緒にそう言葉にした。
しかし、里沙の唐突とも言える言葉に、それまで複雑そうに聞いていた愛の顔からすうっと表情が消えた。
表情がなくなったことで、愛が今考えていることが読めなくなる。
言葉を選び間違えたのだと思ったけれど、そのまま俯かれたことで、自分が発した言葉を弁解することも叶わなくなった。
- 577 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:34
- 「…それで?」
俯きながら、かぼそい声で続きを促される。
「あ、えーと、だから…。前にも、こういうこと、あったなあと思って…。
その…、カメに好きだって言われて迷ってたとき、愛ちゃんが、背中押してくれたなあって」
「…なん、また迷ってるんか」
「そういうんじゃなくて。…なんか、そういうときって、いつも愛ちゃんがいてくれたなあって思ってさ」
「……そんで? その、絵里より好きな人にはもう言うたんか」
「まだ、だけど…」
愛の口調に棘があることは感じていた。
けれど、どうしてそんなふうに突き放した言い方をされるかが里沙にはわからなかった。
これから自分は、どうやって愛に本当の気持ちを告げようかと、そればかりを考えているのに。
「…じゃあ、なに? なんで今そんなことあたしに言うん? それともまたあたしに背中押してくれってこと?」
「えっ?」
その一瞬、確かに空気が凍った。
「………もう、うんざりや…」
突き放すような、ではなく、拒絶としか受けとめられない愛の言葉に、ざあっ、と、自分の全身から血の気が引いた気がした。
- 578 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:34
- 深く深く溜め息をつき、両手で顔を覆った愛がそのまま前のめりに上体を倒す。
「もう嫌や…」
感情を抑え込んだようなくぐもった声が里沙の心音を早くする。
さっきまでの緊張とはまるで違う、焦りにも似た緊張が里沙の全身を覆い始めているのがわかる。
「なんであたしじゃないんよ…」
ゆるゆると顔を上げた愛が里沙に振り向く。
真っ赤に充血した瞳がまっすぐ里沙を捕らえただけなのに、動きだけでなく声を発することすら封じられた気がした。
「なんであたしが里沙ちゃんの背中押してあげなアカンの? 同期やから? 年上やから?」
愛が、さほど距離のない隣に座っていた里沙の手首を掴まえる。
掴まれたと自覚したと同時に引っ張られたことで不意を突かれ、
バランスを崩して椅子から滑り落ちた里沙が掴まれていないほうの手を床についたときには、愛も床に膝をついていた。
愛を見上げようとして、床についたもう一方の手も奪われて、そのまま押し倒される。
「あたしだってずっとずっと里沙ちゃんのそばにおったのに!」
- 579 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:35
- 急な事態に理解が追いつかずほとんど抵抗できないままでいると、叫ぶようにそう言って愛は里沙のカラダに馬乗りになった。
「ま、待ってよ、愛ちゃん、あたしの話を聞いて…!」
「聞かん! これ以上里沙ちゃんの口からあたし以外の誰かの話なんてもう聞きたくない!」
掴んだ里沙の手を床へと押し付け、ゆっくりと上体を倒す愛。
「…里沙ちゃん、気づかんかったやろ? あたし、あたしな…、あたし、ずっと里沙ちゃんが」
「や…、こ、こんなの…こんなのじゃなくて…、ね、お願いだから、愛ちゃん、あたしの話を」
そう言いながら弱いながらも抵抗を示したとき、里沙を見下ろす愛の表情に確かに陰りが見えて、
里沙は今の自分の言動が、愛の気持ちに対する拒絶になったことに気がついた。
「ちが…! 待って、今のは…っ」
「…もうええよ。もうわかった。…でももう、どうもできん」
自嘲気味に笑う愛が里沙の目に痛々しく映るのに、その誤解を解く術がいまこの瞬間に見つけられない。
- 580 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:35
- 顔を近づけてくる愛が何をしようとしているのかはすぐにわかった。
愛が好きだと自覚し、それを拒む理由なんてないはずなのに、
突然ぶつけられた愛が持つ自分への気持ちの激しさが里沙に怖さを覚えさせたのも事実で。
付き合いの長さから何度も言い合いや喧嘩はしてきた。
感情的になって、泣きながらお互いを罵ったことだってある。
だけど、余裕なく見つめられたり、見てとれるほどの感情をそのままぶつけられたことは皆無に等しく、
今更ながら、愛がどれほどの言えない想いを抱えてきたのかを、思い知らされた。
「…里沙ちゃん」
最近はもうそんな風に呼ばなくなっていたくせに。
おそらく意図的にそうしていたくせに、こんなときになって懐かしい呼び方で呼ぶなんて。
- 581 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:35
- 上から押さえつけられているせいもあって抵抗がままならない。
このままなし崩しに奪われたとしても、それを嫌とは思えそうにない自分があさましくも思えたけれど、
切なげに瞳を揺らして、きっと罪悪感に包まれながら里沙を組み敷いている愛の気持ちを考えたら、
言葉よりも早く、愛の行為を受けとめることが大事なことのような気がした。
「…お願いやから…、あたしのことも、見てや…」
息が届くまで近づかれて、里沙はそっと瞼を下ろした。
まだこちらの気持ちを知られないまま触れ合うことに躊躇がなかったわけではない。
それでも、自身に芽生えている欲求が薄っぺらい理性を上回る。
望まなかったことではない。
こうなりたいと、願っていたことだ。
どうなってもいい。
愛となら。
- 582 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:36
-
しかし、愛の吐息が里沙の上唇に触れたときだった。
「失礼しまーす!」
甲高い声とともに楽屋の扉が勢いよく開かれたと思ったら、慌てたようすの小春が鞄を抱えながら入ってきた。
「……え…?」
すぐには事態を把握できなかったであろう小春が息を飲んだのがわかった。
小春と目が合ったらしい愛が弾かれたように慌てて身を起こす。
「…っ、ご、ごめんなさい! 忘れ物したんですけど、あとにします!」
「こはる! 待て!」
何が起きているか、小春がどう解釈したのかはわからない。
けれど気まずそうに謝って扉を閉めようとした小春を呼びとめたのは愛だった。
呼びとめられたことで扉を閉めようとした小春の手が止まる。
そして、おずおずともう一度、今度はゆっくり、閉じようとしていた扉を開いて姿を現した。
- 583 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:36
- 「……誤解せんでな、未遂やから」
「…え…?」
問い返す小春に愛は苦笑いを浮かべながらゆっくり里沙から離れた。
倒れこむ里沙の手を掴んで引っ張り起こし、肩先についた埃を軽く撫で叩いて払い除ける。
「……ごめん」
里沙の顔は見ないまま、口元を歪めた愛がそっと呟く。
「ごめんな、…あたし、もう帰るわ」
「えっ、ちょ、待って」
「…なかったことに、って言うんは無理やろうけど、でも、忘れて…」
「待ってってば! あたしの話も聞いてよ!」
「ごめん、いまは余裕ない」
「愛ちゃん!」
- 584 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:36
- 里沙の上体を起こしただけで愛はさっさと立ち上がって荷物を抱え、誰の顔もロクに見ないで出口へ向かう。
「小春…」
「はいっ?」
びくん!と肩を揺らして縮こまった小春に視線は合わせないまま愛が小さく笑って見せる。
「ガキさんのこと、頼むな」
「愛ちゃん!」
ぽん、と小春の肩を撫で叩き、里沙がどんなに呼んでも振り返らずに、愛はその部屋から駆けだして行った。
唐突なことで里沙も実際には少し腰が抜けていて、愛を追いかけることは叶わなかった。
遠ざかっていく愛の足音を、口惜しく思いながら耳で追うことしかできなかった。
- 585 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:36
- 悔しさと苛立ちが入り混じって里沙は唇を噛んだ。
そしてその気持ちの勢いのままに床を強めに叩くと、扉のそばに立ったままだった小春がそっと近づいてきた。
「あの、新垣さん…、大丈夫…ですか?」
「……もうやだ…」
言いたいことだけ一方的に告げて、里沙に何も言わせないまま出て行ってしまった愛がたまらなく憎らしかった。
「なんでこうなっちゃうの…」
誰に言うともなく呟いたら涙が零れそうになって、それを隠すようにぎゅっと両腕で両膝を抱えた。
「…こっちの話、何にも聞かないで勝手に一人で納得しちゃってさ…。…あのバカたれ…」
「…あの、今の、未遂って…?」
おずおずとした感じの声が頭上でして、里沙は洟をすすりながらもそっと頭を上げた。
小春が目線を合わせるように膝をつくのを待って、大きく息を吐き出す。
- 586 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:37
- 「未遂だよ。愛ちゃん、あたしのこと押し倒しといて、何にもしないで出てった」
「えっ?」
「あたし、愛ちゃんに好きだって言うつもりだったのに、勝手に早とちりして」
「ええっ?」
大きな目を更に大きくした小春が事態を飲み込めないようすで里沙の顔を覗き込んでくる。
何か言いたそうな顔に里沙は口元を歪ませながらも笑って見せた。
「…カメとは、別れたんだ」
こくり、と、小春が喉を鳴らしたことで、聞きたかった言葉を飲み込んだのがわかる。
「……小春の、言うとおりだったね」
「え?」
「ほら、前にさ、カメと付き合ってるって話したら、あたしが好きになるのは愛ちゃんだと思ってたって言ったじゃん」
申し訳なさそうに眉尻を下げた小春がゆるゆると首を振る。
「…でも、なんかダメっぽい。愛ちゃん、あたしの話なんて全然聞こうとしてくれないし…。
てか、ごめんね、変なとこ見せちゃって。びっくりさせちゃったよね」
「や、確かにびっくりしましたけど…、けど、だったら小春、逆に大事なとこの邪魔したことになるんじゃないですか?」
- 587 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:37
- 恐縮する小春に里沙は肩を揺らして笑った。
「邪魔っていうか、あれ、あのままなし崩しにどうにかなってたら、明日からもっと悲惨だった気がする」
答えて、里沙はもう一度自身の膝を抱えた。
「……あーあ、なんでこうなっちゃうのかな。あたしと愛ちゃん、そういう相性、悪いのかな…」
「そんなこと…」
「でもさ、なんかもう、このさきに待ってることって、いいことなんて全然ない気がするよ」
「そんなのわかんないじゃないですか。弱気にならないでくださいよ」
「…弱気、かあ…。…弱気にもなっちゃうよ、こんなに相手に気持ちが伝わらないんじゃ」
「でも、だって、……好き、なんでしょ?」
確認するような小春の問いかけを、自身の中で改めて自問してみる。
無論、答えは決まり切っているのだけれど。
「……あたし、なんで愛ちゃんのこと、好きになっちゃったんだろ…。
こっちの話とかロクに聞かないし、デリカシーないし、怒ったら口きかないとかコドモかよ、って感じだし、
意地っ張りで、頑固で、変なとこ真面目でさ…、さゆは愛ちゃんは優しいってよく言うけど、どこがって思っちゃうよね」
思いつく限りのことを一気に吐き出して、けれど頭で思うより愛が優しいことは改めて考えなくても熟知していて。
深く深く溜め息をつくと、ためらいがちに小春が里沙の頭を撫でたのがわかった。
その手の優しさが心地よくて、知らずに安堵の息が漏れる。
- 588 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:37
- 「…小春はこんなに優しいのにね」
撫でる手の優しさに気持ちを委ねながらぽそりと弱気な言葉を漏らすと、
それまで髪を撫でていただけの小春が里沙の前髪を撫で上げて、まっすぐ正面から見つめてきた。
「……だったら、小春にしときます?」
冗談とはとても思えないまっすぐな瞳が里沙を見つめる。
その言葉の意味をすぐには理解できずにいた里沙も、その眼差しのまっすぐさに思わず息を飲んだ。
「小春、新垣さんのこと、幸せにしますよ、幸せにする自信もあります。優しくします。泣かせたりしません」
「こはる…」
「困らせることは、あるかもしれないけど…でも、大事に、します」
手を下ろし、真面目な顔付きで小春は言った。
唐突なようで、けれど、その言葉には取り繕った嘘は見えなくて咄嗟に言葉をなくす。
小春が今もまだ、自分を好きでいるのだと思ったら途端に申し訳ない気持ちがしたけれど、
同じぐらい、相変わらず相手の気持ちを思いやれない自分の身勝手さに自己嫌悪が生まれて、里沙は思わず身構えてしまった。
- 589 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:38
- その態度をどう解釈したか、小春が困ったように口元を緩める。
それを見て、里沙は情けなく眉尻を下げながら自分で自分の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「…ごめん、ちょっと、予想外だった」
「ですよね。…でも、小春は二番目でも全然いいです」
普段の聞きなれたものとは違うだけに、小春の落ち着いた声色はその言葉の重みと本気さを里沙に伝えていて、
決してそれがいま思いついた言葉ではないのだと教える。
きっと、小春は自分の言った言葉をちゃんと守るだろう。
里沙に悲しい思いをさせたりせず、優しく、大事に、幸せにしてくれるだろう。
そしてそれは里沙にとって居心地の良い場所になるに違いない。
でも。
でもそれなら絵里と同じだ。
何のために、ただ優しく包むように守ってくれた絵里を傷つけてまで別れたのか。
- 590 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:38
- 「新垣さん?」
それまで困ったように小春を見つめていた里沙の顔付きがフッとほぐれる。
何かの決意が見てとれて、小春は僅かに顎を引いた。
「…ダメ」
「え…」
「ダメだよ。小春じゃ、ダメなの」
「にーがきさん…」
「あ、違う。小春だからダメなんじゃない。相手が誰でもダメなの。だって、あたしが好きなのは愛ちゃんだから」
本人以外に何度この言葉を口にしたかと思う。
けれど口にするたび、その気持ちは確かに里沙のなかで強い気持ちとなって育まれている。
「…だから、ごめん」
そっと目を伏せて言うと、いくらか下げていた頭の上で小春が細い息を吐いた。
「よかった…」
「え?」
「これでもし小春がいいって言われたりしたら、新垣さんに幻滅するとこでした」
- 591 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:38
- 一瞬、小春が何を言ったのか理解できなかったけれど、そのあとでニヤリと口元を綻ばせた小春を見て試されたのだとわかる。
途端、それまで知らずに強張っていた里沙の肩から一気にチカラが抜けた。
「…な、によもう…。びっくりしたじゃんかー…」
「ごめんなさい」
謝りはするが、里沙を見ている小春はどこか誇らしげにも見えて、どっちが年上だかわからなくなる。
「…年上の人間騙すとか、ダメだよ、よくないよ」
「だってなんか新垣さん、気弱なこと言うから」
「………バーカ」
気持ちを見透かされていたことがなんだかカッコ悪くて、それを隠すように思わず小春の頭を小突いたら、
その部分を撫でながらも小春は不敵そうに笑って。
「そうですか? 小春、自分ではそんなにバカでもないと思うんですけど」
「うっわ、アンタ生意気」
今度は額を指で弾いたら、弾かれた額を押さえて見つめてくる小春と目が合った。
そのまま数秒見つめあって、どちらからとなく吹き出す。
- 592 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:38
- 「……うそ、ごめん。…ていうか、ありがとね」
里沙が素直に謝意を述べたら、小春は笑いながらも首を振った。
小春がそんなふうに笑ってくれたことが里沙の気持ちを少なからず軽くした。
いまいちすっきりしなかった心の靄が少しずつ晴れて行くようで、気持ちが前向きになるのを自覚する。
「…あたしさ、愛ちゃんにまだなにも伝えられてないんだよね。好きって一言すら言えてない。
それなのに今から弱気になってたらダメだよね」
この部屋を出て行くときの愛の辛そうな顔が浮かんで里沙の胸が痛む。
愛のことだ、きっと明日からは目に見えて里沙を避けるに違いない。
今まで以上に物理的な距離をとられそうな気はしたけれど、それでも、伝えなければいけない気持ちがある。
里沙が気づかないまま里沙の心に根付き、ひっそりと芽吹いては成長していた愛への気持ちはずっと静かに、
そして今現在も、天井を知らないくらいに育ち続けているのだ。
「だから、ちゃんと、伝えるね」
- 593 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:39
- 誰に言うともなく、いやむしろ自分自身に向けて言った決意の言葉に小春も大きく頷く。
と同時に、里沙の鞄の中に入っていた携帯が、緩い振動と一緒にメールの着信を知らせた。
「…あー、あっちもやっと終わったんだ」
「家族のひとですか?」
「うん。待ち合わせしてたの。そろそろ迎えに来てもらえそう。あたしも一緒に出るよ」
「じゃあ、そこまで一緒に」
「て、小春、忘れ物したんじゃなかったっけ?」
「あっ、そうだ、そうだった」
里沙に言われて思い出したらしい小春が慌てて自分の使っていた鏡台に駆け寄る。
化粧ポーチらしいそれを鞄に入れるのを待って里沙が促すと、小春が先に部屋を出た。
それを追って里沙も部屋を出たけれど、部屋の照明を落とすとき、くるりと室内を見回した。
「…新垣さん?」
「……うん、今行く」
先に出ていた小春の心配そうな呼びかけに答えながら里沙はゆっくり照明を消して扉を閉じる。
この部屋にもどこにも、愛への気持ちを残していかないように、置いていかないようにと思いながら。
- 594 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:39
-
◇◇◇
- 595 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:40
- コンサート初日は何事もなく幕を開けた。
もちろん、表面上は。
里沙の考えた通り、ステージ上と舞台袖の愛の態度の違いはひどいものだった。
物理的に近寄らないのはもとより、話しかけようとすれば今は忙しいからと相手にしてくれない。
無論、忙しさは里沙も愛とおなじぐらいだったし、ハロー全体のコンサートとなると年長者である愛と里沙とで分担することも多く、
初日に関しては組まれている段取りを目安に進めることが必須だ。
公演合間の準備時間も思うほど余裕はないから、終わってから時間を作ってもらおうと思うのだが、
視線で追っても愛はずっと里沙に背中を向けていて、忙しいと理由をつけては楽屋にいる時間も少なく、
声をかけるタイミングすら与えてはくれず、里沙の思うようにはいかない。
そんな目に見えてのあからさまな拒絶には周囲の誰もが怪訝な顔をしたし、
ふたりの間に何かがあったと思わせる雰囲気に、疑問や心配の声をかけられることだって多くあった。
最初はそれらも適当に受け流し続けていた里沙だったけれど、
ただでさえ高揚感と疲労感の高い初日公演が終わるころには、心身ともに疲れきってしまった。
初日公演後は、簡単な反省会や明日以降の変更点などの連絡事項があるが、
それが全体に行き渡ると愛は挨拶もそこそこに帰ってしまい、今日はこれが最後と思っていたタイミングも早々に消えてなくなり、
結局今日は愛とは会話らしい会話を何ひとつできなかった。
- 596 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:40
- 今日がダメなら明日、それでもダメならその次の日。
そんなふうに諦めずに辛抱強く愛と話す機会を窺っていた里沙だけれど、
初日公演を終えて数日たっても事態が改善しないことに、次第に苛立ちが濃くなっていた。
メンバーはともかく、グループ外の後輩たちからは厳しい先輩だと言われていることは知っていたが、
話しかけてくる後輩たちがいつも以上に少ないことに、自身の苛立ちが表面化しているせいだと思う。
そろそろ限界かなあ、と、里沙は自嘲気味に溜め息をついたけれど、
正月恒例のコンサートが最終日を迎えても、事態が好転する気配は微塵も感じられなかった。
- 597 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:40
-
コンサートが終わってからもあまり多くのオフはないままで、
決定事項以外の予定のものも含めたら、スケジュールは半年先まで詰まっている。
今日は新曲のダンスレッスンがあり、朝からずっとこのスタジオに詰めていた。
日が暮れてようやくカタチとして見られるようになって、やっと終了の声がかかる。
と同時に、疲労感も露わに倒れこむように腰を下ろすメンバーたち。
けれどまだ納得いかないのか、愛と絵里が先生のそばまでフリの確認をしに行くのが里沙の視界の端にも見えた。
「…張り切ってるなー」
まだ乱れた息が整わないのか、床に座り込んでいる里沙の元まで呼吸を荒くしたさゆみが四つ足でやってきた。
「あーゆーとこはホント感心しちゃう」
「そうだね」
思わず苦笑いしたら、里沙に振り向いたさゆみが小さく笑った。
- 598 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:41
- 「ところでガキさん、今日このあと何か予定ある?」
「ん? ないけど」
「よかった、じゃ、ゴハン行きません? ちょっと聞いてほしい話あるんです」
「? ここじゃ言えないような話?」
「んー、ていうか、みんなには秘密の話なんです。絵里にもまだ言ってなくて」
何かあるとまず一番に絵里に報告、というのがさゆみの通例だったので、
絵里よりも先に里沙に話したいというからには、おそらく、みんなに、というよりは絵里に秘密の話ということだろう。
それ以外にも、愛に絡んだ話があるだろうことも予測がついて、ほんの僅かだけれど身構えてしまった。
敏いさゆみのことだ、さゆみの思惑に里沙が気づいたことをさゆみも承知しているだろう。
里沙を安心させようとして微笑んでいるその口元の優しさに労りを感じて、里沙は快くその誘いに応じた。
- 599 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:41
-
帰り支度を終え、さゆみと一緒に楽屋を出ようとしたときには、まだ愛も絵里も残っていた。
着替えながらも何やら熱心に話しこんでいたようだが、挨拶をしたときにはこちらに振り向いて「お疲れー」と返してくれた。
それを見遣ってから楽屋を出てしばらくして、さゆみが何か思い出したように「あっ」と短く声を漏らす。
立ちどまり、持っていたバッグの中身を探りながら細い溜め息をついた。
「忘れ物?」
「はい…、明日提出の書き物なんですけど…たぶん楽屋に」
「いいよ、取りに戻ろ」
「ううん、大丈夫、さゆみひとりで行ってきます。ガキさんはここで…、あっ、ちょうどいいや、この部屋で待ってて」
通りかかった部屋の前には【空室】の札が掛けられていて、そのドアを開けて里沙を中へ誘導する。
「オッケー。じゃあ待ってる」
「はぁい」
「慌てなくていいからねー」
- 600 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:41
- ドアを閉めて早足で歩いていく足音を聞いてから、くるりと室内を見回して、なるべくドアに近い椅子に腰かける。
ふー、と、知らずに深い溜め息が出た。
さゆみからどんな話を聞かれるのかだいたい予想はできていたし、
さゆみだって最近の愛と里沙のようすから、事態があまり良くないことは察しているだろう。
年が明けてからもうずいぶん時間は過ぎたというのに、いまだに愛とはロクな会話ができていない。
諦めたつもりはもちろんないけれど、勢いづいていた気持ちが下降していることは否めなかった。
でも、さゆみに話すことで、愛に伝えられないもどかしさや溜めこんだストレスを発散できるような気もして、
里沙の心境を察して声をかけてくれたさゆみには素直に感謝していた。
あの日から数週間。
相変わらず愛の態度は里沙を拒絶しているが、里沙の気持ちは薄らぐことも落ち着くこともなかった。
もちろん、愛の本当の気持ちを知ってもいるから、というのもあるし、
自分自身がそれに応えられるのに伝えきれていないから、というのもある。
けれど、愛を近くに感じなくなってからのほうが、自分がどれほど愛を求めているのかを実感することができたのも事実で。
- 601 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:41
- こんなふうに誰かを想うことができるのは、きっともう愛しかいないんだろう、と思うと、
伝えられないもどかしさからの苛立ちは確かにあるけれど、悔しいとか悲しいという感情は不思議と薄く、
『高橋愛』に恋をしている自分を痛いくらいに実感しているようでもあった。
「…あいちゃん」
誰もいないのをいいことに、ぽつりと呟いてみた。
ここしばらく、呼んでも振り向いてもらえたことはほとんどないけれど、
目の前にいるわけでもないの、声にしてみただけで胸の奥がジワリとせつなくなる名前であることは違いなくて。
目頭が熱くなる。
いつのまにこんなに好きになっていたのかと考えただけで。
その姿を瞼の裏に思い返すだけで。
零れそうになった涙をグッと堪えたら、部屋のドアノブがかちゃりと動いた。
- 602 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:42
- 思うより早くさゆみが戻ってきて、泣いていたと思われるのはなんだか恥ずかしくて、里沙は慌てて目を擦る。
「おかえり、早かっ…」
キィ、と少し軋んだ音と一緒に開いたドアのほうに向きなおった里沙の声が中途で切れたのは、
そこにいたのがさゆみではなく、絶対ここに来るはずのない人間だったからだ。
「え…」
相手もまた、ここに里沙がいるとは思いもしなかったのだろう、お互いに目を合わせたまま、動きが止まった。
しかし、里沙より早く事態を理解したらしい相手がハッとしたように大きく肩を揺らす。
顔つきを険しくして肩越しにうしろへ振り返ったけれど、その口が文句の言葉を吐き出す前に、
相手のカラダがドアの外から突き飛ばされて部屋の中へと倒れこんできた。
「いてえ!」
悲鳴には思えない乱暴な文句の声が室内に響いたと同時に外側からドアが閉じられ、
直後にドアの外で数人の声とともにガタガタと大きな物音がして、ドアにぶつかる音がする。
- 603 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:42
- 倒れた相手、愛は、すぐに起き上がってドアノブを握ったが、
幸か不幸か、この楽屋のドアは外開きになっていて、外側から押さえつけられたら押し返そうとしても愛ひとりのチカラではビクともしない。
「おい! 絵里!? 話あるって言うたん嘘か!」
ガチャガチャとドアを動かす愛に、外側から絵里の声がした。
「こうでもしないと愛ちゃん絶対ガキさんと話し合うってことしないじゃん!」
「…っ、絵里には関係ないやろ!」
「大アリだから!」
返ってきたのはさゆみの声だ。
「さ、さゆにも関係ない!」
さゆみもいるとは思わなかったのか、愛の声がほんの少し上ずる。
「関係ないわけない! 愛ちゃんとガキさんはうちらのリーダーとサブリーダーやん!」
さゆみの声に続けてれいなの声がして、今度は愛だけでなく里沙も大きく目を見開いた。
「もういい加減、見てらんないんですよ!」
さらに小春の声まで聞こえてくる。
人の気配が多いことから、どうやら部屋の外には愛と里沙以外の7人が揃っているようだった。
- 604 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:42
- 「あ、それそれ、それも持ってきちゃって」
絵里が何やら指示する声がして、部屋の前でまたガタガタと音がする。
おそらく、何か大きめの机や椅子を運んできてバリケードのようにドアの前を塞いでいるのだろう。
「ちょ…、何しとんじゃ…」
「お仕置きです」
「はあっ?」
「ふたりがちゃんと話し合って仲直りするまで、愛ちゃんとガキさんはこの部屋から出られません」
「な…っ、ふざけんな!」
「ふざけてなんかないです!」
落ち着いた声で説明する絵里の声を追って聞こえてきたのは愛佳の声だった。
「ふざけてなんてないですよ、めっちゃ真剣です。
……いま、楽屋とかめっちゃ空気悪いの、気づいてますか?」
身に覚えがあるだけに、愛も里沙も反論できない。
後輩から諭されている、ということも、ふたりの口を噤ませるには効果的でもあった。
- 605 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:43
- 「…高橋さん、いつも言うてはるやないですか。アットホームなモーニング娘。にしたいって…」
「ダケド、いまのモーニング娘。、全然、アットホームじゃナイ」
「愛ちゃんもガキさんも、全然カッコよくないし可愛くナイだから。ジュンジュンは、いまのふたり、好きくナイ」
ドア越しに返ってくる言葉はどれも的を得ていて、そしてどれも、心の底から愛と里沙を心配しての言葉だとわかる。
わかるからこそ愛も何も言えず、ただただ、項垂れるだけで。
「…わかった?」
さっきの少し冷たく感じる声とは違う、思い遣るような穏やかな絵里の声がした。
「騙したのはごめん。でも、絵里たちももう黙って見てることってできない。
愛ちゃんもガキさんも好きだから、大事に思うから、だから、ちゃんと仲直りしてほしいの」
「聞かれたくない話とかあるだろうから、さゆみたちはここから離れるから、ちゃんと話し合って。
あ、あと、ガキさんも、何も知らなかったからね、そこは疑わないであげてね」
「……お願いします」
愛佳の声を最後に、部屋の前から静かに人の気配が薄らいでいく。
- 606 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:43
- 部屋の前から人の気配が完全になくなったころ、愛は深く深く溜め息をついてそのまま床に手をついた。
がくりとチカラなく腰を下ろし、膝を抱えて小さくなる後ろ姿に里沙の胸がぎゅっとなる。
「…イタイとこ、つかれちゃったね」
ぽつりと言うと、小さくなった愛の肩がぴくりと揺れた。
「年下の子らにまで気を遣わせて、うちら、何やってんだろね」
自嘲気味に笑って言ったが、愛は何も答えない。
「……あいちゃん」
膝を抱え、その膝に額を押しつけたまま、愛がゆるく頭を振る。
それを見て、里沙はそっと愛のもとまで歩み寄った。
そばまで近づき、愛を真似て里沙も座り込んで膝を抱えた。
「……あたしの話、聞いてくれる…?」
言うと、愛の肩がまた震えて、里沙から顔を背けるのが見えた。
けれど逃げることは叶わないと悟っているのか、それとも愛佳の言葉が効いているのか、
顔は背けられたけれど、今までのような強い拒絶は感じられなかった。
- 607 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:43
- 「…愛ちゃん、前にさ、人を好きになるのは怖いことじゃないって言ってくれたの、覚えてる?」
絵里の気持ちを受け入れる前、そして絵里と付き合っていることを愛に知られたあと、
そんなふうに愛は言って、まだ複雑に揺れていた里沙の気持ちをわかりやすくしてくれた。
「愛ちゃんの言うとおり、誰かを好きになるのって、すごく幸せなことだって思ったよ。知ることができた。
でも、でもね、あたし、やっぱり怖いことも、あると思うんだ」
カラダは動かないでいても、里沙の言葉に耳を傾けてくれていることは伝わる。
今までのことを思うと伝えたい言葉はいろいろあったけれど、いま、目の前に愛がいてくれることが里沙にはただ、嬉しくて。
「…あたし、いま、すごく好きな人がいるんだけどさ」
愛のカラダが一際大きく揺れた。
まだ里沙の気持ちを伝える前にそう言えば、愛がどんな気持ちになるかを考えなかったわけではない。
前回のように逃げられるかも知れないとも思ったけれど、愛は僅かにカラダを硬くしただけで、それ以外の大きな変化を見せなかった。
- 608 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:43
- 「…ずっとずっと近くにいたのに、その存在の大きさにずっと気づけなかった。
だって、隣にいるのが当たり前だったから、大事に思う気持ちそのものが、あって当然の感情だったんだよね」
カラダを硬くしている愛が、それまでとは違う緊張を孕んだのがわかる。
「だけどさ、あるときから、その人を近くに感じられなくなったの。
あたしのそばからいなくなるかも知れないってこと、初めて身近に感じたっていうか」
自分ではない誰かに弱音を吐いている声を聞いてしまったあの日。
聞いたこともないような弱弱しい声でさゆみに縋った愛に、自分ではダメなのだと思い知らされたあの夜。
押し寄せてきた寂寥感をすぐには理解できなくて。
「その人がいなくなるとか、考えもしなかったんだよね。だって、本当に、隣にいるのが当たり前だったから。
だけど…さ、だけど、やっぱりどんなに考えても、あたし、その人のいない未来なんて想像つかないの。
いなくなる可能性のほうがずっとずっとあるはずなのに、その人がいない未来を考えられないの」
いつか、という未来に、自分の隣にいる人間が他に思い当たらない。
- 609 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:44
- 「そうなって初めて気づくなんて遅いって自分でもホントにそう思うけど、でも、やっとわかったの。
あたしが、その人にどんなに恋してるかってこと」
ゆっくり、俯いたままの愛の頭に手を伸ばす。
そっとそっと、その髪に触れると、愛のカラダが弾かれたに揺れて、ゆっくりと頭をあげて里沙を見つめてきた。
涙を堪えているのか、真っ赤に充血した瞳で見上げられて思わず里沙の口元がゆるむ。
「あたしが想像する未来にはさ、いつも愛ちゃんが隣にいるんだよ。愛ちゃんのいない未来なんて考えられない。
愛ちゃんを失うなんて考えられないし、考えたくない」
「……里沙、ちゃ…」
「愛ちゃんは?」
「え……」
「愛ちゃんの想像する未来に、あたしは、いるのかな…?
あたしが思うようには、愛ちゃんの隣に、あたしは、いないのかな?」
里沙の問いかけを聞いた愛の目から大粒の涙が零れ落ちる。
ふるふると頭を左右に振ったことで、その涙は頬に伝わることなく床へと落ちた。
- 610 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:44
- 「……嘘やぁ…」
涙声で、それだけ言葉にするのが精いっぱいのようで。
愛の髪を撫でた手で次々と零れ落ちてくる涙を拭いながら、里沙は思わず吹き出してしまった。
「ぜったい、そう言われると思った」
笑われたことが不服そうに愛の唇があっという間にへの字に歪む。
それを認めたあとで、里沙は両腕を伸ばして愛を抱きしめた。
「でも、嘘なんかじゃないから」
抱きしめたことで近づいた愛の耳に囁くように告げると、ほんの少しだけカラダを強張らせたあと、
ゆっくりとその身を里沙へと委ねてくるのがわかって、里沙もまた、抱きしめる腕のチカラを少しだけ強めた。
愛を抱きしめながら、改めてその細さを実感する。
こんなにも頼りなさげな華奢な肩と腕で守られてきたのかと思うだけで胸が熱くなった。
「…ここまでくるのに、すごく、すごくすごく、時間かかっちゃったけどさ、でも、だからこそ、胸張って言えるよ」
- 611 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:45
- そっと愛から離れて顔を覗きこむ。
里沙が映る濡れた瞳は里沙の次の言葉を待っているようにも、引き延ばしたいようにも見えたけれど、
不安そうに小刻みに震えている薄い唇が熱をもった息を吐き出したように思えて、里沙は自分の心音が跳ねたことを自覚した。
「愛ちゃんが…、愛ちゃんのことが、好きです」
たったこれだけを告げるために、どれほどの時間をかけて、どれほどの人たちを傷つけてきたのだろうと里沙は思う。
自分の弱さを認められないまま、誰かに縋ることで本当の気持ちから逃げて、
大切な人を失う怖さを、悪意なく人を傷つける痛みを、身をもって知ることになって。
それでも失えない、なくせない想いがあることを、思い知らされて。
里沙にとっての愛が、里沙が思う以上に大きく失えない存在であることだけが、揺るぎない現実だと知った。
たくさんの人に支えられて、導いてもらってやっと見つけられた答えは、もう誰にも譲ることはできないし隠すこともできない。
ただまっすぐに、その人へ伝えるだけだ。
- 612 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:46
- 一度は止まったはずの涙がまた大粒になって愛の目から次々と溢れては零れ落ちていく。
泣かれることは予想していて、咎めることも窘めることもしないで、そっと親指の腹でその雫を拭い続ける。
「…愛ちゃんは?」
しゃくりあげて泣いていた愛が少しずつ落ち着いてきたのを待って、里沙は穏やかに尋ねた。
「愛ちゃんは、あたしのこと、好き?」
答えなどとっくに知っていて、それでも聞いていると愛だってわかっているだろう。
意地悪く聞こえたかも知れないけれど、まだちゃんと、愛の口からその言葉が出ていないことも、愛は気づいているはずだった。
涙で濡れた睫毛を震わせた愛が、ゆっくりと二度瞬きをしたあと、
里沙のよく知る、いつまでも幼さの残るくしゃくしゃの笑顔で里沙に飛びついて言った。
「…だいすきじゃ、あほぅ!」
涙混じりに届けられた告白。
ようやく届いたお互いの気持ち。
出会ったころからずっと里沙の隣にあった聞き慣れたその声は、きっとこれからも、里沙の胸を甘くかき鳴らす、愛しく、恋しい声になる。
- 613 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:46
-
- 614 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:46
-
END
- 615 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:46
-
- 616 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:47
-
以上で、ANSWER、完結です。
更新間隔を大きく開けてしまって、何度もお待たせしてしまってすいませんでした。
高橋さんの卒業にギリギリ間に合って、心底ほっとしています。
書きあげてすぐの投稿なので誤字脱字も目立つやも知れませんが、広い心で見逃してやってください。
放置期間も含めて連載開始から3年弱、長らくのお付き合い、本当にありがとうございました。
- 617 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 02:49
- 完結したので、ageておきます
- 618 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/29(木) 04:42
- ずっと見てたけど、ラストはなんかほっこりした。
ほかのメンも合わせてその後も気になるところw
完結お疲れ様でした。
- 619 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/10/01(土) 06:32
- 完結と聞いて思わず初めから読み直してしまいました
最終更新分の展開は予想外の方向からいろいろ来て、驚いたり笑ったり、感情移入して泣いてしまったり…
本当、この作品を書いてくださってありがとうございました
(追伸:私もその後が気になりますw)
- 620 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/10/02(日) 07:11
- 完結お疲れ様です。
何度も何度も読みましたが、また最初から読み返してしまいました。
ガキカメも大好きでしたが、最後に愛ちゃんとガキさんが幸せになれる選択をしてくれて良かったです。
メンバー一人一人が温かくて優しくて、特に作者さんの書かれる小春とさゆが大好きです。
素敵なお話をありがとうございました。
またどこかで作者さんのお話が読めると嬉しいなぁ。
- 621 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/10/03(月) 22:19
- 素敵なお話でした。
カメが「うれしくて死にそう」と言った一瞬がキラキラしすぎて。
結果としていい答えが出てよかったです。
ありがとうございました
- 622 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/10/05(水) 01:49
- とても素敵なお話をありがとうございます。
完結お疲れ様でした。
最後はどうなるんだろうと思いながらも想いが通じ合った二人が微笑ましかったです。
誰もが幸せになることはできないけれど、それでも自分の気持ちに正直になった二人に感動しました。
文体も綺麗で毎回小説を書く度に参考にしたいと思ってしています。
改めて、素敵なお話をありがとうございます。
また作者さんの書くお話が読めたらいいなと思っています!
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