ルームメイト -後藤真希と飯田圭織-
- 1 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:37
- インターフォンの音一つで目覚める。それはまさに奇跡だった。
まったく自慢にならないが、私は今まですっきりと目覚めた事が記憶がない。ホントに、全く、パーフェクトにない。
私は起こされかけると、攻撃をしかけるらしく、高校にあがってから5個目覚ましを壊した。
それまでは「ヒビが入る」レベルだったのに、高校生になってからは筋力が増したのだろうか、それともウィークポイントをピンポイントでつけるようになったのだろうか、とにかく「完全沈黙」レベルになった。
自分がそんな暴力的な女とは思えない、と母と弟にいったら、彼らは私が赤いデジタルの目覚まし時計を見事なかかと落としで粉砕する様子をわざわざビデオで撮影し、私に見せた。
間抜けな事に、その流れるような動きを見て、私は思わず拍手してしまったのだった。
5個目の目覚ましを壊した時点で、母親は機械細工に見切りをつけ、弟を目覚まし人形として使うようになった。
それから弟はたまに顔に青い痣をつくるようになった。彼はその度に「もう嫌だ、姉ちゃんを起こしていたらいつか死ぬ」と言ったが、母親はその度に「私はまだ死にたくない」と言って彼に目覚まし時計役を押し付けた。
私の家では母親がピラミッドの頂点なのだ。
4個目の痣を右目に作った日以来、弟は自分が傷つかなくてすむように、いろんな起こし方を開発した。
ある朝は洗面器を顔面に落とした。次の日は金タライを顔面に落とした。
ある朝は顔に水をぶちまけた。
次の日はホースを口に突っ込んで水をたれ流しにした。ある朝は真横で風船を割った。
次の日はパジャマの中に膨らんでいない風船を入れて、前日わざわざ買ってきたボンベを使ってバラエティよろしく割った。
それでも私はすぐには目覚めなかった。いつも寝ぼけ眼だった。
そういうわけで、日曜日の午前11時に鳴ったインターフォンの音程度で私が起きた事は奇跡なのだ。
- 2 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:40
- ベッドから抜け出して、ベッドサイドの子機を取る。どちらですか、と言っても返事は無い。
もしもーし、と言っても返事は無い。何だ悪戯か、と思って受話器を置いた。犯人は多分同じ階に住んでいる加護さんとこの亜依だ。ヤツはよく悪戯をする。
いつもならやりかけのゲームのセーブデータを消すとか、楽しみにとっておいたプリンを半分だけ食べて残りをぐちゃぐちゃにかき混ぜた状態で冷蔵庫に戻すとかするのだけれど、奇跡が起きた事に免じて牛乳を拭いた雑巾を匂わすぐらいにしてやろう。何だか気分が晴れ晴れしていた。
朝(といってももう昼近くだけど)すっきりと目覚めるとはこんな気持ちの良い事だったのだ。
またインターフォンが鳴った。また加護か、と思いながらも律儀に出る。
「はい、どちら様ですか?」
今まで聞いたことの無い女性の声がした。「あの、すいません…さっきピンポンならしたんですけど、ボーっとしちゃって…」
―――加護、あんたどうやら助かったみたいだよ。
ドアを開けるとそこには見たことも無い人が立っていた。
茶色のロングヘアーの中に隠れた小さな顔を、私は少し見上げなければならなかった。
私より背の高い女の人はあまり見た事は無いし、友達にはいなかった。
その端正な顔立ちに見覚えは無かった。彼女はその小さな顔にある小さな口を開いて、初めましてイイダカオリです、今日からお世話になります、と言った。
意味がわからなかった。
兎に角、彼女には何の悪意―例えば部屋に入った瞬間私を気絶させて金目の物を物色して去るとか気絶した私に18禁の桃色なアクションを起こすとか―も感じられなかったので、困惑しながらも部屋に入れた。
4月始めの風は春といってもやはり少し冷たかったし、マンションの14階となれば尚更だった。
やけに大きいボストンバッグを横においてソファに座った謎の女性(飯田さん。なぜ漢字がわかったかというと、バッグに『飯田圭織』と書いてあるキーホルダーをつけていたから)はリビングをキョロキョロ眺めている。
紅茶を入れながらその様子を見ていた私には、なんだか彼女が首を回す事しかプログラムされていないロボットのように見えた。
「で、あなたはどこの飯田さんで、お世話になるって何ですか」
「あの、何も知らないんですか?」
彼女は恐る恐る言った。私は頷いた。
「ホントに、全く、パーフェクトに知らない」
私がそう言った時、電話が鳴った。ちょっとすいません、と断って受話器を取る。聞こえてきたのは母親の声だった。
「元気?あのね、今日からそっちに私の友達の娘さんが住むようになったから」
それを聞いて私の頭の中のパズルは出来あがった。つまりソファに座っている彼女は母さんの友達の娘さんなわけだ。「そういう事はもっとはやく言っておいてよぉ」
「あら、あんまり驚かないのね。いい、よく聞きなさい。名前はね――」
「飯田圭織さん、でしょ。もう来てるし、ソファで紅茶を飲んでる」
「あ、そうなの。んじゃ大丈夫ね。こっちは私もユウキも元気だから。じゃ仲良くね」
「ちょ――」
何の説明もしないで電話を切りやがった。忙しいのはわかるけど、あの態度は無いんじゃないかと思う。
「どうかしたんですか?」
私がブツブツ文句を言っていたから、それが自分に向けられたものと勘違いしてしまったみたいだった。
「さっきの電話は母さんからだったんだけど、えっと、飯田さんは母さんの友達の娘さんで、ウチに泊まる事になった、って言って切っちゃった」
「それだけ?」
「それだけ」
飯田さんが何か言おうとしたその時、再び電話が鳴った。どうせ母さんが何か言い忘れたんだろう。
「はーいごとーでーす」
- 3 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:41
- 「もしもし、私飯田と申します。今日からお宅でお世話になる圭織の母です」
急激な緊張が体を支配した。「あ、はい、どうも、こちらこそ、お世話しますですはい」
私の声は少し上ずっていたし、意味不明な事を言っていた。
「もしかして、ママ?」
私は頷いて肯定した。飯田さんがすぐに電話出た。それからしばらくして、「ママが、真希ちゃんにかわれって」と受話器を渡された。
「あの、圭織の事よろしくお願いしますね」
判りました、と素直に返事して受話器をおいた。今までの緊張をほぐすため、大きく深呼吸する。し終わった所に、飯田さんが入って来た。
「あの、じゃあ自己紹介しますね。ええと、私は飯田圭織です。18歳独身。東京の美大に通うために北海道から上京してきました。好きな鮭は紅鮭。嫌いな鮭はマスノスケ」
「…マスノスケって何?」
「キングサーモンの事。何か嫌じゃない?キングぶってるのって。で、この家に来ることになった経緯は――」
別にマスノスケも好きでキングぶってるわけじゃないと思うけどなぁ。まあいいか。
話をまとめると、飯田さんは試しに受けた都内の美大に見事合格。けど、いい部屋が見つからずにどうしようかと思ってるところにうちの母が割り込んだ。
ウチ、部屋空いてますよ、と。問題の家に住んでいる私を抜きに話はポンポン進み、今に至るわけだ。
飯田さんは私も事情を知ってるとばかり思っていたらしい。当たり前だろう。ウチの母親の適当ぶりを知らないのだ。だから、私が何も知らないと言った時、ものすごく驚いたんだそうだ。
「んっと、後藤真希。15歳の、春から高校1年生。よろしく」
そうして私達は手を握り合った。きっと私達は仲良くなれる。そんな思いが胸の中を駆け回っていた。
- 4 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:43
-
「じゃあその飯田さんって人と暮らすの?」
「そうだよー」
私は途中で買ったクレープを一口かじって返事した。隣を歩いているよっすぃはバナナ、私はイチゴクレープだ。
「どんな人?」
「昨日来たばっかだからよくわかんない。でも悪い人には見えないなぁ。キレイだし。あ、後藤より背高いんだよ」
ふーん、とよっすぃは口をもごもごさせながら呟いた。夕焼けに照らされた顔は、驚くほど綺麗に見えた。大げさな表現をすれば、地上に舞い降りた女神みたいだった。
こりゃモテるわけだわ。
よっすぃこと吉澤ひとみは中学からの親友だ。その綺麗な顔立ちと、サバサバした男のコっぽい性格で学校中の人気を集めている。
女子校なので、宝塚的な雰囲気に惹かれるのだろうか。残念ながら私は彼女をそういう目では見れなかった。だから私達は親友になれたのかもしれない。
「でもまぁ、二人いればおばさんも安心するよね。ところで、おばさん元気なの」
そう言ってよっすぃは、クレープを包んでいた紙を丸めて少し離れたゴミ箱に向かって投げた。紙くずは綺麗な放物線を描いてゴミ箱へと吸い込まれていった。
ナイッシュー、とよっすぃが小さくガッツポーズをした。
「元気すぎだよ」
私は最後の一口を食べながら言った。「もうエジプトにも慣れたみたい」
- 5 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:44
- 私の両親はどちらも考古学者だ。そっちの世界ではなかなか有名で、世界中を飛びまわっていた。
しかし私が生まれてからは母は専業主婦として、父は大学の非常勤講師として日本で暮らすようになった。私が5歳の時、エジプトの遺跡発掘に狩り出された父は、そこで事故死した。
それ以来、母は女手一つで私と弟を育ててきた。
そして1ヶ月前、私が中学校を卒業した時に、「考古学者の血が騒ぐ」とか言ってエジプトへ行ってしまった。
男手がいたら楽と言って弟も連れていった。とんでもない母親だ。もともと勉強が得意でない弟は、抵抗せず、素直に従った。
友達と離れるのはヤだけど、外国ってのに魅力を感じた、と本人は言っていたが、多分少し脅されたんだと思う。
そういえば、もう姉ちゃんを起こさなくてすむと思うと天国にいった気分だよ、とも言ってたっけ。ホントの天国へ連れてってやろうかと思ったけど、2発殴る事で許した。
そういうわけで、私は1ヶ月前から一人暮しをしていた。
「今度ごっちんちに行くね。その飯田さんを見に」
「いつでも来てよ」
そういって私達は別れた。何気なく振り返るとよっすぃはまだこっちを見ていた。
よっすぃの後ろには赤く染まった太陽があって、そのせいでよっすぃの顔はよく見えなかったけど、なんとなく哀しそうな顔をしているように見えた。
私は手を振って帰り道を歩き出した。
- 6 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:45
-
ドアを開けるといい香りがした。 一瞬不思議に思ったけど、昨日からルームメイトができた事を思い出した。
飯田さんがご飯を作っているみたいだ。
「おかえりー」
リビングに入ると、エプロンをつけた飯田さんがキッチンに立っているのが見えた。
白い長袖Tシャツにジーパンというラフな格好にエプロンをつけた飯田さんは、何だかとても可愛かった。
「もうすぐご飯できるから。クリームシチューだけど、嫌いじゃないよね」
「大好きです。何か手伝いましょうか」
「あ、じゃあ深めのお皿出してくれます?まだどこに何があるかよくわかんなくて。料理する時もてんやわんやだったよ」
食器棚に近づくと料理の匂いが濃くなる。良い匂いが鼻を通り、お腹に入り、そして私のお腹が鳴った。なかなか大きかった。
飯田さんはクスクス笑いながらシチューを混ぜている。私は顔を真っ赤にしながら皿を二人分とってテーブルに並べた。二人分。
そう、私は久しぶりにこのテーブルで誰かと食事をするのだ。
「あ、おいしー」
そう言うと、私が食べるのをジーっと見ていた飯田さんはほっとした顔になり、食べ始めた。実際、シチューはとても美味しかった。
「圭織思うんだけどね、ルームメイトじゃん、ウチら。だから敬語とか使わないようにしようよ」
ソファに座った飯田さんは皿洗いをしている私にそう言った。作ったのが飯田さんだから私は後片付けをするのが筋だと言って皿洗いを始めると、飯田さんはそんなの悪いと言って手伝おうとした。けれど私は断った。
確かに、飯田さんはすっかりフランクな話し方になっていたけど、私はまだ少しぎこちなかった。 私ももっと普通に話したいと思うけど、何故か飯田さんを見ていると少し緊張してしまい、慣れない敬語になってしまうのだ。
「そうですよねー」
「ほらまたなんか丁寧になってる。あのね、圭織の事は圭織って呼んで。真希ちゃんはいっつも何て呼ばれてるの?」
真希ちゃんと呼ばれてドキっとした。平静を装いながら私は答えた。
「えーと、ごっちんとか、ごっつぁんとか、ごまとかかなー」
「ごっちん…ごっつぁん…ごまちゃん…」
飯田さ…カオリはお母さんに「ひとつだけ好きなお菓子を買ってあげる」と言われた子供のように、真剣に呼び方を選びだした。
私が食器を全て洗い終えた時、決めた、というカオリの声がした。
「いろいろ考えた結果、フィーリングに従いごっちんって呼ぶね」
「オッケー。じゃあカオリ、お風呂先入ってよ」
「オッケーごっちん」
オッケー。これで私達は、私とカオリは完璧なルームメイトだ。
- 7 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:47
-
私達の選択肢は少ない。中華、洋食、お好み焼き、でなければファーストフード。それくらいだ。
「今日は、オムライスって気分かな」
前髪をかきあげながらよっすぃが言う。まさに男前だった。土曜なので学校は昼で終わり、私はお昼ご飯をどこで食べようか、という事を歩きながらよっすぃと議論していた。
私も何となくオムライスが食べたいと思っていた。さすが親友、気が合う。お腹が空いてきたので私達は少し早足で目的地へ向かった。
洋食屋「SALA」は小さな店だ。大通りから少し中に入った所にあるせいか、あまり知られていない。固定の客、つまり常連ばかりが来る。
私達がそこを見つけたのは偶然だった。冒険心旺盛な私達(特によっすぃ)が、ある日街中の路地裏を探検した時に見つけたのだ。
その時以来、私達のお気に入りの店になった。
ドアを開けると、良い匂いが鼻をくすぐった。ドアに付けてある鈴が、私達の到来を知らせる。奥から「いらっしゃい」と言いながら、白いエプロンを付けたなっちが出てきた。
それを見ると、どんなに機嫌が悪い人だって一瞬にして上機嫌になってしまうのではないかと思うほどの笑顔だった。
なっちこと安倍なつみはこの「SALA」の、古臭い言い方だけども看板娘だ。
常連の人達はみんな、なっちの笑顔が目的で来てると思えるくらい、その笑顔は魅力的。
よっすぃなんてこの店に来るとその日はずっとにやけっぱなしだ。
「こんちわ、安倍さん」
よっすぃの挨拶に、こんにちわ、と律儀に返事しながらなっちは水を置いた。
「注文は?」
「んっとね、ウチは…特製オムライスセット」
「後藤も」
「ほい」
まいどー、と言ってなっちは厨房へ消えていった。水を一口飲んで、何気なく店内を見まわす。私達の他には客はいなかった。まあ普段からあまり客はいないから、そう不思議な事でもない。
ほのかに甘い香りが漂っている。リラックス効果のある香りらしい。アロマテラピー、というものなのだろうか。私にはよくわからない。
そう広くない店内は適度に明るく、観葉植物もあってとても雰囲気がいい。本当に、隠れた名店だ。
しばらくよっすぃと喋っていると、なっちがオムライスセットを持ってきた。
「ごゆっくりぃ」
なっちが行ったあと、私達はのんびりとオムライスを食べた。とろとろのタマゴが照明を反射して光っている。
このタマゴと、少しガーリックがきいたチキンライスと、特製ドミグラスソースが混ざって、言葉では表現できないほどの味のハーモニーを奏でる。まさに絶妙。
「いつ食べても美味しいよね」
幸せそうな顔でよっすぃが言う。口一杯にオムライスを頬張るその姿を見ると、いつもリスを連想してしまう。
もともと頬に特徴のある顔立ちなので、よりいっそう目立つのだ。いつも思う事なのに、今日、今この瞬間、よっすぃが森の中をリスのようにチョロチョロ動き回る姿が、何故だか私の笑いのツボに入ってしまった。
相槌をうちながら、実は笑いを押さえるのに必死だった。
- 8 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:48
- 「あ、桜だ」
食べ終わった後、ミルクティーを飲みながら話していると、一枚の桜の花びらが目に止まった。
「どこから来たんだろう」
「公園の桜だよ多分。結構飛ぶんだよ、花びらって」
よっすぃが答える。しばらくぼーっとしていたと思ったら、突然「そうだ!」と叫びだした。
突然叫ぶのは彼女のくせではあるけれど、もうすこし自制できないのかと思う。他に客がいなかったからいいものの…。
「花見しよう」
「はい?」
「お花見だよ、お花見。ウチと、ごっちんと、安倍さんと、あいぼんと―――飯田さんで」
「カオリ?」
「うん、みんなで親睦を深めようよ」
その意見はとても素敵な響きだったけど、その裏に込められた意図を、私は察した。「そんな事言って、よっすぃはなっちと深めたいだけでしょ」
「う…」
よっすぃはなっちに惚れている。初めてこの店に来た時、一目惚れしたのだ。
今では普通に話せる(でも本当は常にドキドキしていると言っていた)けど、通い始めた頃はまともに話せなかった。
「ご注文は?」
「オ、あ、えと、オム、オムライスに、玉子付けてつゆだく」
「へ?」
てな具合だ。ずいぶん進歩したもんだなぁ。
よっすぃはモテるくせに、いざ自分が惚れる側になると、とたんにダメになる。見ている方にとってはお腹がよじれるくらいに面白いんだけども。
そんな事を思い出しているうちに、花見の予定をよっすぃは決めていっていた。明日の昼12時から、朝比奈運動公園で。食べ物と飲み物は各自適当に。
なっちを呼んでその旨を伝えると、「花見なんて久しぶりだよー、いっぱいお弁当作るねー」との返事。よっすぃの顔が崩壊を起こしたのを、私は見逃さなかった。
- 9 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:49
- 「大丈夫かなぁ、カオリよっすぃに受け入れてもらえるかなぁ、ねぇごっちん大丈夫かなぁ」
家を出て、公園に行く途中。カオリは呟きながら私の隣を歩いている。その台詞言うの何回目だよ…。
昨夜、花見の件を告げると、飛びあがって喜んで「よっすぃってどんなコなんだろう楽しみだなー」なんて言っていたのに、いざ出かけるとなると急に弱気になってしまったのだ。
その声の調子がおかしかったので、私は公園に着く間ずっと、肩を小刻みに震わせながら、「だーいじょぶだぁ」などと、もはや縄文人のギャグとしか思えない言葉を吐いていた。
朝比奈運動公園は、ジョギングコース、テニスコート、グラウンド、アスレチック等々が備わったなかなか大きな公園だ。正面入り口を抜けると、桜並木になる。
桜が咲く季節になると、見事な景色になる。遠くからわざわざ身に来る人もいるくらいだ。そこはたくさんの花見客でにぎわっていた。
圭織はさっきまでの緊張はどこへ行ったのか、「凄い」と「綺麗」を連呼しながら私の後をついてくる。
しばらく歩いていると、見なれた姿を見つけた。よっすぃは一番大きな桜の下に陣取っていた。 大きなシートの上に大の字になって寝転がっている。
「場所取りご苦労様」
よっすぃは私の声に反応して体を起こしながら「正直、寂しかったっす」と言った。
「よっすぃ、この人が後藤のルームメイト、カオリだよ」
「こ、こんにちわ。飯田圭織です、はじめまして、よろしく…」
カチカチのカオリに対してよっすぃは満面の笑みを浮かべて、
「よっすぃこと吉澤ひとみです。こちらこそ、よろしくです。いやあ、ごっちんから聞いたとおり美人ですねぇ」
「へ?」
私はため息をつきながら声をかけた。「よっすぃ、口説いてどうする気?」
「ところでよっすぃ、なっちはまだ?」
「んー、まだ来ないねぇ」
時計を見る。12時を少し過ぎたところだった。私達が着いたのが11時50分くらいで、それから三人で他愛のない話をしていたのだ。学校の話や、家族の話とか、まあいろいろ。
「早く来てくれないと、よっすぃが餓死するね」
食べ物は持って来たには持って来たのけれど、スナックやチョコなどお菓子系ばかりだった。よっすぃも同じ。なっちがお弁当を作ると言ったので、二人とも持って来なかったのだ。
- 10 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:50
- 「なっち?」
と、カオリが首をかしげた。ああ、そうか。カオリはなっちを知らなかった。
「あ、なっちはね、後藤らがよく行くお店の人。今日の花見にも呼んだの」
「な…っち?」
「カオリ?」
首を捻りながら考え込み出したカオリに、声をかけようとしたら、遠くから名前を呼ばれた。
振り返ると、並木道を小走りで駆けてくるなっちの姿が目に入った。手には大きなバスケットを抱えている。
「ごめん、遅れたぁ」
なっちは息を切らせながら私達に謝ったが、突然キョトンとした表情になった。
見知らぬ人が自分をジーっと見つめていたら、誰だってそうなる。カオリはひたすらなっちを見つめていた。
「あ、なっち。この人はね――」
「あー!」
突然カオリが叫んだ。一瞬よっすぃかと思って見たけど、よっすぃも突然の大声に驚いていた。カオリは周りの視線を気にせず、こう言った。
「なっち―――安倍なつみでしょ?」
驚いた。私はまだなっちのフルネームを教えていない。なっちも驚いている。
それもそうだ。見知らぬ人に見つめられて、名前を当てられるなんて、めったにない経験だろう。
「へ?うん、そうだけど…あなたは」
「カオリだよ!ほら、小さい頃一緒に遊んだ!」
「カオリ……え!?カオ?飯田圭織?」
「そうだよ!凄い!こんなトコで会えるなんて」
いきなり抱きしめ合いだした二人を私とよっすぃはボーっと見つめるだけだった。
急展開に頭がついていかなかった。
とりあえずわかったのは、カオリとなっちが知り合いだったって事だけだった。
- 11 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:51
- 疎外感。
私とよっすぃが感じていたものは、まさにそれだった。私達が呆然としていると、カオリとなっちが二人の間柄を説明してくれた。
「なっちはね、ちっちゃい頃引越しばっかしてたんだ――」
父親の仕事の都合だった。それで小さい頃訪れた北海道で、カオリと仲良くなったのだとか。1年も経たずになっちは引っ越していった。
それでもお互いの心に深い友情は刻まれた。残念な事に、互いの連絡先を教える事を忘れていたので、連絡しようにもできなかったらしい。
…なんで忘れるかなぁ。でもまあ、この二人ならやりかねない。というか、実際にやっている。
そしてなっちはその後も各地を転々とし、父親が脱サラして店を始めたこの朝比奈町に定住する事になった。
一方、カオリは北海道で育ち、東京の美大に受かってこの朝比奈町に出てきたのだ。
そして二人は今さっき出会ったというわけだった。
説明が終わると、ふたりはまた思い出話に花を咲かせ始めた。
私達ふたりは手持ち無沙汰だった。弁当を食べる事しかする事がなかった。桜は綺麗だったけど、それもほとんどどうでもよかった。
「計画台無しだよ…」こつん、とよっすぃが肘で私をつついた。「なっちぃ…」
よっすぃは泣きそうな声で呟いた。それでもから揚げを箸でつまんで口に入れる。
そこがよっすぃのよっすぃたる所以だった。そしておにぎりを一齧り。「なっちぃ…」
「ごっちん何とかしてよ」
「何とかって言われても」
カオリとなっちは話に夢中で周りが目に入っていない。二人の周りには誰も近づけないオーラがあった。
あれを破る戦闘力は、私には無かった。フリーザ様でも無理だろう。
残念だけど、と言おうとした時、声がした。
- 12 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:51
- 「ごとーさん発見ー」
「よっすぃー先輩こんにちわ」
加護亜依と辻希美。ウチの学校の中等部の生徒だ。要するに後輩。よっすぃと辻はバレー部の先輩後輩でもある。
ちなみに加護は私と同じ階に住んでいる。悪戯好きで有名だ。そういえば花見に誘ったら辻も連れてくるとか言ってたっけ。
なっちとカオリは新たな参加者2名に気付き、話を中断した。よっすぃが小さくガッツポーズをしたのを私は見逃さなかった。
加護と辻にカオリを紹介し、お互い軽い挨拶を交わした。
それからカオリとなっちが知り合いだった事を話した。すると二人は目を輝かせて、
「何かカッコえーなー、そういう関係」
「うんうん、運命の二人だね」
辻の言葉に、よっすぃの肩が電気を流されたみたいにはねる。
「お似合いの二人やなー」
またはねる。
カオリとなっちは「えー、そうかなー」なんて言いながらもまんざらではないような顔つきだ。どちらもほのかに頬が赤い。
それを見たよっすぃが一層暗くなったのは言うまでも無い。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:52
- 「かんぱーい!」
乾杯の声が響いた。もちろん、全員オレンジジュース。この中で法的にアルコールを飲んでも良い人は一人もいない。
よっすぃはジュースを紙コップについで、みんなに配っていた。その中のたった一人に渡したいがために。なんていうか、その辺はオンナノコだな、と思う。
「安倍さんの料理はいつ食べても美味いのれす」
辻の声になっちは嬉しそうに微笑み、「コレも自信作なんだー」と言って辻に勧める。そして辻がますます重量級になっていくのだ。
みんなで会話をしていたので、カオリとなっちが二人の世界に入る事は無かったが、よっすぃとなっちが二人で話すことも無かった。
話の中心は加護で、それにみんなが加わっていた。そのうちによっすぃはすねてしまい、ひとりで飲み食いするようになった。
見かねて隣に座って話しかけようとした時、私達がふつう飲んではいけないモノの匂いがした。
「よ、よっすぃ。ソレって…」
「なーに、ごっちん」
「それってスクリュードライバー…だよね?」
ウォッカをオレンジジュースで割った、飲みやすい割りに酔いが早いお酒だ。
「違いますぅ。これは“高級オレンジジュース”ですぅ。高級だから身体が熱くなるのですぅ」
「なんだオレンジジュースか…ってんなわけないだろ!ばかよっすぃ!」
急に大声を出した私にみんなが驚いて、こっちを見た。が、その目つきがやたらとあやしい。とてもうつろなのだ。
「もしかしてよっすぃ、みんなのジュースに…?」
「はーい、入れましたー」
すでにできあがっていてへらへら笑って答えるよっすぃに手刀を一発叩きこんで、周りを見まわすと、よっすぃにスクリュードライバーを入れられたオレンジジュースを飲んで、みんなはおかしくなっていた。
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:53
- 「よっすぃ先輩、このジュースなんだかからだが熱くなるのれす」
などと、辻がある種の男が聞いたらその辺を転がりまわりそうな事を言えば、
「最近また胸大きくなってもーてん!」
と、これまた加護が涎もののセリフを吐き(少しイヤミったらしいが)、
「カオリは空に住むミソが好き」
「なっちはトコロテンのような人生を送りたいな」
カオリとなっちは気違いじみた会話をしていた。なんだよトコロテンみたいな人生って。
酔ってハイになったみんなを止められるはずもなく、それからは地獄絵図が続いた。
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:54
- 2,30分ほど前の事。私の周りで反省のオーラを出しながらみんながうなだれていた。そのほとんどがこめかみのあたりを指で押したり揉んだりしている。
時刻は午後5時30分を少し過ぎたあたりだった。要するに、彼女達は、4時間ほどバカ騒ぎをしていたことになる。
ひどかった。
辻と加護が、どこで覚えたのか桜の木を棒がわりにしてストリップ・ダンスをかまし始めたのを止めていると、少し離れたところでよっすぃが桜の木に登ってターザンの真似しだすし、圭織はその光景を「その構図もらったぁ!」とか叫びながら割り箸で虚空にスケッチしていた。
なっちはというと、なぜか自分が作ってきた弁当を周りの花見客に振舞っていた。周りの人達もなぜかありがたくなっちの手料理に舌鼓を打っていた。
みんな狂っていたのだ。
それがほんの一コマなのだ。お酒って怖いなと思った。こんなことになるんだったら私も飲んで酔っ払ってしまえばよかった。
でもそうなると、止める人がいないわけで…。想像する事をやめた。それこそサバトだ。
「ご…ごっちん」
「なぁに、アル中よっすぃ」
口調は優しく、でも目線は怖く。これが一番効くのだ。それを聞いた正座したよっすぃの体が、ひとまわり縮んだように見えた。
「いや、何でもないです…」
非は自分にあるのがわかっているので、誰も文句一つ言わずに私の説教を聞いていた。説教というより、愚痴だ。
だいたい私は説教をするような性質じゃないし、できるくらいの人間でもない。でもほんとうに立派な人間は説教をしないと思う。するのは自分が立派だと思っている人間だけだ。
周りの人にいちいち謝っただの桜の木を折ろうとする辻加護を止めただの他の酔っ払いと喧嘩し始めたよっすぃが途中で飽きて、「ちょっと桜の精と語り明かしてくる」とかほざきだして全速力で消えていったので仕方なく相手をしとめた事だのを愚痴っている中で、カオリだけが眠ったままだった。
最初は急性アル中かと思って慌てたけど、本当に単に寝ているだけだったので一安心。と思いきや、よく考えたら圭織は私と住んでるわけで、必然的に私が連れていく事になる。
そんなわけで、私はカオリを背負いながら家路についている。
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:55
- なんだかなぁ…。
呟きが夜の空気の中に溶けていった。規則正しい寝息が首筋にかかって少しくすぐったい。
満月が空に輝いていて、私達を照らしている。
なんだかロマンチックな設定だけど、いかんせん背負っているカオリが私には重くて、そんな気分に浸っている余裕は無い。
はっきりいってちょっとでも気を抜いたらカオリを落としそうなのだ。もちろん息はきれているし、汗はダラダラ、カオリの腰にまわした腕は痙攣直前だ。
もう少しだ。そう言い聞かせて足を進める。そのとき、背中のカオリが少し動いた。立ち止まって声をかける。
「カオリ?」返事は無い。もう一度声をだした。
「起きたの、カオリ」
もぞもぞと動いた後で「ここ、どこ」と呟く声がした。
「私の背中だよ〜」
「へ…ごっちん?」
顔を真っ赤にして、「降ろして降ろして」と言うカオリを背中から降ろして、何故このような状況に至るかを詳しく説明すると、カオリは泣きそうな顔になって、合わせた両手を私のほうに突き出しながら頭をさげた。
「ホント、ごめん」
「別にいいってば。悪いのはよっすぃなんだから。ガッコで会った時にオシオキしておくよ」
そういってにやりと笑った。そう、責任はよっすぃにある。どんなコトをしてやろうかなぁ。くくくく…。
あまりにも邪悪な顔をしていたのだろう、カオリがちょっとひいていた。
- 17 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:56
-
お風呂から上がってリビングに行くと、カオリはソファに座ってテレビを見ていた。今日行った朝比奈運動公園の桜の特集だった。
「綺麗だったなぁ」
「ま、あそこにいた時間の半分以上は酔っ払ってたから、実際あんま見てないけどね」
皮肉まじりの私の言葉に、カオリは「うぅ」とうめいてこっちを睨む。
…ちょっと可愛い。
「そ、そういえばさぁ」話題を変えた。
これ以上拗ねられても困るからだ(拗ねさせたのは私だけど)。
「あそこって、夜桜も綺麗なんだよ」
「夜桜?」
「うん。ライトアップされてね、すんごい幻想的なんだ」
それまで死んだ魚のようだったカオリの目がキラキラ輝き出した。まずい。これはまずい兆候だ。おそらく次に口にする言葉は…
「見に行こうよ」
やっぱり。せっかくお風呂入ったのに…。そんな私の気持ちには全く気付かず、カオリは私を引きずるように外に飛び出した。
夜の桜は昼間のそれとはまた違って見える。とても幻想的で、静かで、それから、少し淫靡だ。
うーん、なんでだろ。わからない。
なんていうのか、透明な感じのえっちさ。そういうものが漂っている。
「これはもう、反則だよね」
カオリが呟いた。
人口の光が下から桜を照らしている。ライトアップされている夜桜はとても綺麗なのだけど、私は月明かりに照らされた桜の方が好きだ。
その事をカオリに言うと、実はカオリもそうなんだ、と少し舌を出して言った。設計者もそうだったのか、この公園にはライトアップされない場所があった。
少し歩くけど、それでも見たいとカオリが言うので、ふたりでのんびり歩いていった。
満月の光を受けて薄く光る桜は想像以上の美しさだった。私は、生まれて初めて「言葉を失う」という経験をすることになった。
それは隣のカオリも同じようだった。しばらくの間、私達は無言で光る桜を見つづけていた。
どれくらい経ったんだろう。5分?10分?でもよく考えたらそれはどうでもいい事に気づいた。この問題に関しては、量じゃなく、質なのだ。
私はなんとなく空を見上げながら歩き出した。しばらく歩いて振りかえると、カオリはまだ桜を見つめていた。まるで魔法がかかったみたいだった。
そのとき、一陣の風が吹いて、地面に落ちた桜の花を舞い上げた。
それが魔法を解いたのか、カオリが私を見た。
桜吹雪の中、私を見て、微笑んだ。
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:56
-
その笑顔を見たのがいけなかった。
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:57
-
まさか一日で二回もの「言葉を失う」という経験をするとは思わなかった。
心臓が早鐘を打ち、顔が熱くなっていく。
頭が真っ白になり、私はただカオリを見つめる事しかできなかった。
月光の中の桜がカオリに魔法をかけたように、桜吹雪の中のカオリが、私に魔法をかけたのだ。
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:57
-
※
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:58
- 「は、半魚人!?」 教室のドアを開けた親友に対する第一声がこれか。
私は憮然として自分の席につき、髪や服についた水滴をタオルで拭いもせずに机に突っ伏した。猛烈に眠いのだ。
「ご、ごとーさん?」
無視して目を閉じ続ける。
「ぶらじゃー、透けてますよ」
猛烈な勢いでカバンからジャージを出して羽織った。女子高だけど、教師には男もいるだし、何より目の前のよっすぃがおっさんみたいな目つきで見てくるから恥ずかしい。
きょうは豪雨で、傘でカバーしきれなかったのだろう。濡れているとはわかっていたけど、そんなに透けているとは思わなかった。
それにしても―――「早く言え!ばかよっすぃ!」
- 22 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 00:59
-
心が震えた桜の季節は過ぎ去り、夏の通過儀礼である梅雨に入っていた。
必然、雨の日の割合が多くなり、だからといって学校を休むわけにはいかない状態は、徐々に私を憂鬱にしていった。
残念ながら、憂さ晴らしに使える弟はもはや国外に逃亡しており、私はもっぱらゲームをその代替物として使っていた。
朝までゲームをやり、眠い目をこすって雨の中高校へ行き、という負のライフサイクルだ。クマやむくみで私はますますダボハゼ顔になっていたと思う。
半魚人ていうのは、あながち間違いではないのかもしれない。が、癪に障ることに変わりは無い。きょう一日は、よっすぃは無視だな。ばーかばーか。
濡れたシャツが肌に張り付く感覚が気持ち悪いので、保健室でドライヤーを借りることにした。
ドアを開けたら誰もいなかったけど、そこは勝手知ったるなんとやら。机の引き出しに隠されたドライヤーのコンセントを挿し、脱いだシャツを机の上に置いて、手際よく乾かした。
ほのかに温かいシャツを再び着ると、何だか眠気が大きくなった気がした。
顔を横に向けるとベッドがある。
それは抗いがたい誘惑だった。
「ライオンよ、何故肉を食べたのか?」
「そこに肉があったから」
こんな感じ。だから、起きたらお昼休みだったことは、不思議なことではないのだ。
ということを、呆れ顔で私を起こした保健の平家先生に言ったら「アホか」とゲンコツをくらった。何故だろう。
- 23 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:00
- 放課後になっても雨の勢いは収まらず、むしろ増していた。傘を打つ雨音はデスメタルのドラムのようだった。
早く帰ってお風呂に入ってベッドに埋もれたい。そんな欲望が頭をよぎったが、それはできなかった。
私は校門ではなく、体育館へ足を運んだ。平家先生に「仮病ってことにしてやるかわりに私が顧問しているバレー部の手伝いをしろ」と言われたのだ。
―――そんなの、頷くしかないじゃん。
少し重たい扉を開けると、湿気と熱気が混じった空気の奔流と、練習していたバレー部の面々の視線が私に向かってきた。
「お、マネージャのごっつぁんじゃーん」
汗で濡れた前髪をおでこに貼り付けたよっすぃが右手人差し指でボールを回しながら近づいてくる。
何であんたはいちいち男前なんだよ…。
ちなみにもうめんどくさいから無視するのは止めている。
「臨時だから。り・ん・じ」
「はいはいー」
ウチのバレー部は、全国大会レベルのくせにマネージャがいない。
普段はいなくても何とかなる(らしい)のだけれど、大会が近づくと忙しくなるので、部員の知り合いや平家先生に拉致された生徒が臨時マネとしてかりだされるのだ。
私は前者の経験もあるし後者の経験もあるレアな人材なわけだ。
更衣室で体操服に着替えた私は、平家先生にこき使われ、よっすぃにこき使われ、もちろん他のメンバーにもこき使われた。
おかげで、練習が終わったときには体力の限界にまできていた。着替えすら難しい。
しかし圧倒的に私より多く動いていたメンバーはけろっとした顔で着替えをすませ、身支度を整えながら帰宅途中の買い食いメニューについて話している。
もはや化け物にしかみえない。
- 24 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:01
- 「ねえ、ごっちんは何食べたい?」
化け物の長が話しかけてきた。もちろん疲れた身体には甘いものがいいに決まっている。だけど私の答えは違っていた。
「ごめん、きょうは晩御飯当番だから」
「そっかー。じゃ、きょうは帰るのべつべつだね」
よっすぃがそう言った瞬間、他のメンバーがニヤリと笑ったようにみえた。
彼女達からすれば、私はよっすぃをたぶらかす悪魔なのだろうか。
―――なんてことを考えながら、「お先に失礼します」と言って体育館を出た。雨はやんでいなかった。
「飯田さんによろしくね」
背中によっすぃの声が降りかかる。きっとにやついているに違いない。
- 25 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:02
-
あれから、カオリとの間に何かがあったということはない。二人とも、それまでと同じようにしている。
もちろん、私は意識していたのだけれど。急に態度が変わったらカオリも不審に思うだろうし、もしかしたら気持ちを知られるかもしれない。―――それは怖かった。
私たちはルームメイトなのだ。もし、もし仮に。二人がうまくいったとしたら、とても幸せだ。
好きな人と、同じ家で住めるのだから。朝起きて、夜眠るまで、生活のすべてに幸せを感じるだろう。
でも。上手くいかなかったら?
気まずいままで同じ屋根の下過ごすことになったら?
そうなったら、本当に最悪だ。やまない雨のように憂鬱を永遠に生み出すだろう。
「気まずいからルームメイトやめます」なんて、親に言う理由にならない。しかしむしろ、私はその可能性の方が大きいと思っている。
私は意外に楽観的じゃないのだ。
―――今のままでいい。今のところは、今のままがいい。
及び腰になのはわかっている。でも私は―――
足を運ぶたびに、湿り気を帯びた生温かい空気が襲い掛かってくる。じっとりと汗をかく感覚が、気持ち悪い。
頭を切り替えて、晩御飯のメニューを何にするかを考えることにした。
- 26 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:02
- 肉?魚?パン?ご飯?前は何を作ったっけ?
食事中のカオリの顔を思い出しながら献立を考える。その幸せそうな顔に思わず自分もニヤついてしまう。
カオリは、ほんとうに、幸せそうに食べてくれるのだ。スーパーへ向かう足は、少しずつ速くなっていった。さっきまでの憂鬱がウソのようだった。
財布の中身・スーパーの状況などから、豚の角煮に決めた。
帰って作ったら、カオリの帰宅時間あたりに出来上がるはずだ。
次の日もおいしいし、我ながらグッドチョイスだ。しかも玉子と大根も入れてしまおう。
具沢山だ。
- 27 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:03
-
スーパーと家の中間にある公園に差し掛かろうとしていたときだった。
「きょうはウチ泊まってってよー」
「うーん」
なっちとカオリだ。この公園は、遊具も少なく面積も小さい典型的な街中の公園だけど、珍しい構造をしている。
一段高いところにあるのだ。ちょうど私の身長くらいの高さがある。だから、おそらく二人から私は見えていない。
私は息を殺して壁にへばりついた。スネークばりだ。
傘の雨音が重くなった気がした。
「お父さんもお母さんもカオリに会いたがってたよ」
「そうなの?」
「うん」
「しかも、カオリの好きなオムライス作るっしょー」
断って、と願った。
だってカオリは私がご飯作ること知っているし私のご飯美味しいって言ってくれたしきょうはご飯の後でこの間買った紅茶飲もうねって言ったじゃん!
そんな願いが届くこともなく、カオリは承諾した。
オムライスに惹かれたのではなく、なっちの両親に申し訳ないからだと思いたい。
思うことにした。
「ごっちんに連絡しておかないと」
カオリがそう言った瞬間に携帯をマナーモードにして、来た道を駆け足で戻った。
スーパーの近くバス停のベンチに座って息をつく。
雨が染み込んだ靴下が、気持ち悪い。
何やってんだろ…
ポケットで携帯がずっと震えていたけど、知らないふりをした。
- 28 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:06
-
買い物袋を床に放り投げ、制服を床に脱ぎ散らかしてソファに身を沈めた。
買ったものを冷蔵庫に移すこともめんどくさい。
足を投げ出し、目線を天井に向け、考える。
別におかしいことじゃない。だってカオリは私のことを年下のルームメイトとしか思っていないし、ましてや私の気持ちなんて知るわけがない。
だから彼女に期待すること自体が間違っている。なっちだって、久しぶりに会えた友達と仲良くしたいのは当たり前だ。
純粋な友情なんだ。
そうに決まっている。
なっちが誰かと付き合っているとか、そういう話を聞いたことはないけど、でも多分カオリは大丈夫なんだ。
そうに決まっている。
そう言い聞かせるけど、完璧には納得できない自分がいる。感情とはそういうものなんだから。
きっと、好きとか嫌いとか嫉妬とかが久しぶりのことだから、私は戸惑っているのだろう。
そういうの、めんどくさいから避けてきたんだけどな…
- 29 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:06
-
豚肉なんかを冷蔵庫にしまって、カオリにメールを送った。
カオリは携帯と家の両方に留守電を入れ、おまけに携帯にメールを送っていた。
無視したことを、今さら後悔する。カオリは何も悪くないんだから。
雨に濡れた身体が冷えてきたのでシャワーを浴びた。いつもより少し熱めのお湯が心地よかった。
少し気分がすっきりした私は、当初の予定通り角煮を作ることにした。
豚バラブロックをゆでたり、大根を切ったりしていると、徐々に気分は晴れていった。
いや、集中したおかげで、余計なことを考えずに済んだと言うべきか。料理は便利な逃げ道だった。
だから、弱火で煮込む段階になると憂鬱になった。あとは何もすることがないというのは、あまりにもむなしい。
自分はこんなにも弱かったのか、と思う。
一緒にご飯を食べたりお風呂上りにアイスを食べながら雑談したりする時間が、いつの間にか私にとって重要になっていたのだ。
今やカオリは、よっすぃに並んで私に一番近い人間だった。いや、よっすぃと同じ地表にはいない。
よっすぃはあくまでも友人であり、恋愛の対象になることは―――とりあえず今のところはなかった。今は、カオリだけが、その地表にいる。
今までも、カオリと一緒にご飯を食べないときはあった。でもそのときは、前もって話してくれていて、当日いきなりキャンセルするなんてことはなかった。
カオリにとって私との夕食は大事なのだ、と私は思っていた。そう思っていたのは、私だけだったのだ。
だから、こんなにショックを受けている。
よし、分析終わり。
火を止めて、蓋をした。
部屋に戻ってベッドに倒れ込む。窓を打つ雨はまだ勢いを収めてはおらず、そのリズムが何処か心地良かった。
カオリのこと、
よっすぃのこと、
弟のこと、
宿題のこと、
かつて好きだった人のこと、
父親のこと…
いろんなことが頭に浮かんでは消えていき、そのうちに私の意識は落ちていった―――
- 30 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:06
-
※
- 31 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:07
-
橙色から生まれる紫煙が、青空へと吸い込まれていく。私の目に映っているのは雲なのか、煙なのか。
境界は曖昧だった。
目を瞑って、太陽の光が身体に降り注いでいるのを感じる。少しずつ肌を焼く感覚と涼しい風が心地よかった。
と、突然光が遮られ、私の隣に誰かが腰を下ろす気配がした。
「不良少女め」
「なんだ、また来たの」
目を開けると、市井沙耶香がそこにいた。手を後ろについて、顔を空に向けていた。
「屋上の給水タンクの上は、後藤の指定席なのかな?」
「別に…」
フィルター近くまで吸ったタバコを床でもみ消し、携帯灰皿に入れる。
不良なんだか真面目なんだか…と市井ちゃんが苦笑を浮かべてつぶやく。
少し眉をひそめながら、唇の右端をニヒルに持ち上げる。
私は、その表情が、好きだった。
- 32 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:07
-
※
- 33 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:09
-
カツカレーを貪りながら加護は午前中あったことをナイアガラのような勢いで喋る。
一体どうやって口にモノを入れるのと口から言葉を出すのを両立させているのだろう。
「―――で、結局ゾンビはブードゥーなわけやん」
「ああ、そうだねー」
あからさまに適当な返事をよっすぃは返す。ラーメンがのびない内に食べようと必死だ。
私はといえば、食堂の窓の向こうにある中庭を見ながら、サラダうどんを啜っていた。
食欲が無いから軽いものを、と思ったけど、味気の無いものを一口含んだ瞬間に一層食欲が失せた。最早機械的に口に入れているだけだ。
誰も話は聞いていないが、加護は話し続ける。話題はブードゥーの話からケインズ経済学の問題点に変わっていた。
ケインズ経済学が何かはわからない。兎に角彼女は新しく学んだことを言葉に変換して口から出すことが目的なのだった。
結局あのまま朝まで眠ってしまって、起きたら10時だった。びっくりした。
急いでいったところで遅刻に変わりは無いという思いが、私を逆に落ち着かせた。
のんびりとシャワーを浴びて、ワイドショーとかを見て、ちょうど昼休みになるころ着くように出発した。
「社長、うどんが全然減ってませんぜ」
よっすぃが下卑た口調で言ってくる。食べる?と聞いたら満面の笑みで食いはじめた。餓鬼か…。
「きょうは何やごとーさんおとなしいなー」
カレーを食べ終わった加護が尋ねてきた。態度に出てたのだろうか。
「そう?別にふつーだと思うけど」
加護は「ふーん」、と納得したようなしてないような答えを返し、同じくカツ丼セットを食べ終わった辻とお喋りを始めた。
よっすいは、うどんを食べながら、私を見つめていた。
―――私は気づかないふりをしていた。
授業中も、よっすぃは何度も私の方を見た。何度か目が合い、その度に私は誤魔化し笑顔をふりまいた。
授業が終わり、いつものようによっすぃと二人で帰って、いつものように別れた。バイバイ、と手を振って、私は一人で歩き出した。
- 34 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:09
-
「私はごまかせないよ」
背中によっすぃの声が投げかけられた。足が止まる。
「何のこと?」
「少し―――タバコの匂いがする」
やっぱり誤魔化せないか。
「ごめん…」背中を向けたまま、つぶやく。
「ま、言いたくなったらおねいさんに言いなさい」
そう言って、よっすぃは私の頭をくしゃっとする。子ども扱いされてるみたいで恥ずかしいし悔しいけれど、すごく、落ち着く。
「ありがと…よっすぃ」
そう言って振り返ると、彼女は「うん」と微笑んだ。
- 35 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:10
-
リビングの窓の近くに絵がかかったイーゼルがあった。その前に置かれた椅子には誰もいない。
トイレかな?
私はコップに注いだミネラルウォーターを飲みながら、何となく絵を覗きこんだ。
てっきりカオリは風景画を描いているものだと思っていた。
その予想に反して、カンバスに浮かんでいたのは、木炭で描かれた人物だった。
もっといえば―――私だった。
絵の中の私は、机に肘をついて、ぼんやりと窓の外を見ていた。教室だろうか。それとも、自分の部屋だろうか。それはわからない。
絵を見ている人間に背を向けているので私の表情はわからない。窓にかすかに映っているものの、詳細はわからない。
ここで筆が止まっているのだ。
なんとなく、つまらないそうな顔をしているように、私には思えて―――
「あ…」
振り返ると、タンクトップとホットパンツという何とも悩ましい姿のカオリが立っていた。
暑いのはわかるけど、目のやり場に困る…。
「ごめん、勝手に見ちゃった」
カオリは、いいよー、と言いながら、手を振った。
「ちょっと恥ずかしいけど…でも、ごめんね、勝手にごっちん描いちゃって」
「ん…いや、それはいいんだけど。何か意外で。ごとーなんか描いても楽しくないでしょ?ていうか、何でごとー?」
カオリは急に動揺しだして、これは課題で、学園祭に出すやつで、風景にしようか迷ったんだけど、といろんなことを言い出した。
それから急に口ごもって、私を見上げて、何かを言おうとしているんだけど、上手く言葉に変換できない外国人のような表情を浮かべた。
まずいこと聞いちゃったのかな…
私より目の位置が低くなって、カオリが私を見上げる形。いつもは私が見上げているから、この状況に戸惑う。
上目遣いで戸惑ったようなカオリが、カオリには悪いんだけど、可愛すぎた。
- 36 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:11
- 「あの」声が少し上ずってしまった。「向こうのソファで、カオリが描いてるとこ、見てていいかな?邪魔なら部屋に行くけど」
カオリは少し驚いた顔をして、それからにっこり笑った。
「いいよ。ちょっと恥ずかしいけど。誰かに見られてると思うと、手は抜けないね」
最初はこっちを気にしていたカオリだったけど、だんだんと描くことに集中しだして、最終的には周囲のすべてが目に入らなくなった。
ほとんどまばたきをしていないようで、人を殺すような目でカンバスを射抜くカオリの横顔は、少し怖いけど、すごく美しいと思った。
そこで疑問に思った。カオリは私を描いている。だけど、今ここにいる私を見てはいない。参考とか、そういうのもいらないのかな。
「ねえカオリ」と呼びかけた。
返事はない。ずっとカンバスを見ながら手を動かしている。
なんか釈然としないので、こっそり後ろに忍び寄って、耳元で囁いてみた。
囁こうとした。
- 37 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:11
-
カンバスの中、窓に映った私は。
微かな笑みをうかべて。
まるで、母親みたいに。
そう。
大げさだけど、聖母みたいに、
あらゆることを受け入れるように、
微笑んでいて。
とても―――
- 38 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:11
-
気持ち悪かった。
- 39 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:11
-
※
- 40 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:15
-
5年も前、しかも更新を途中で途絶えさせてしまった作品(旧花板)ですが、きっちり完結させます。
今のメンバーは誰一人として出てないですし、久しぶりに彼女たちを想像するので、違和感があると思いますが、よろしくお願いします。
- 41 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/19(火) 01:29
- 案内板で言ってた人か!
期待してます、頑張ってください
- 42 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/20(水) 05:29
- 凄い!一揆に引き込まれた。
久々に娘小説に出会えた気分です。
- 43 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/08/20(水) 10:40
- 面白いです。楽しみにしてます。
- 44 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/22(月) 08:43
- うわ、1ヶ月経ってしまった…
なかなか更新できずすいません。
明日更新します。
>>41
ありがとうございます
期待にこたえられたらいいのですが…
>>42
ありがとうございます
なんかもう半分ノスタルジー感じながら書いてます
>>43
ありがとうございます
- 45 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:41
- 通知表授与という嫌がらせに近い儀式を済ませ、明日から夏休みの喜びに満ちた生徒たちが校門から吐き出されていく。
屋上の給水タンクの上からは、その様子が良く見えた。きょうは部活動を行うところも少ないので、校舎やグラウンドに残っている生徒は少ない。屋上ならばなおさらだった。
私は担任が「ほんならまた夏休み明けにな。宿題忘れたら『年増』って呼ぶ」と今学期の終了宣言をした後、靴箱に向かわずに屋上の給水タンクに向かった。
特に理由はない。強いていうなら、何となく、空が見たくなったのだ。
- 46 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:42
- 「ラブマ」に火をつけて、仰向けになった。いつも思うけど、変な名前のタバコだ。まあ、美味しいからいいんだけど。
煙で輪っかを作って飛ばす。丸く切り取られた空が、煙が拡散していくにつれて元に戻る。私の力では数秒しか切り取れない。
市井ちゃんは、もっと長かった。
もっと長い間、空を自分のものにしていれた。
- 47 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:42
-
※
- 48 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:43
- 市井沙耶香は転校生だった。私が中学2年生のとき、彼女は高校1年生。誰とでも笑顔で接し、真面目だけれど愛嬌もあって、そして凛々しい顔つきをしていることから、すぐに人気者になった。
その噂は中等部にまで聞こえてきて、私も存在だけは知っていた。中には高等部まで見に行って、嬌声をあげているのもいたけど、私はそんな気にはなれなかった。
その当時、恥ずかしい話だけれども、私はちょっとやさぐれていた。髪の毛は金髪だった。授業なんかほとんど出なかったし、出ても寝ていた。
でも似たようなのとつるんで喧嘩したり、万引きしたりとかには興味なかった。私は誰かに迷惑をかけたいのではなく、一人でいたかったのだ。
誰とも接せず、誰からも構われない。そんな状態を欲していた。もちろん、周りは望みどおり私を放っておいてくれたし、私はそれに満足していた。
屋上の給水タンクの上が、私の指定席だった。もともと屋上は立ち入り禁止になっているし(不思議なことに、鍵は開いているんだけど)、その上にわざわざ登ってくる奇特な奴なんていないのだ。
そして市井ちゃんは奇特な奴だった。
- 49 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:43
- 「あれ、先客かー」
「誰、あんた?」
私は昼食後の昼寝を邪魔されて不機嫌に答えた。ちょうど太陽を背にしているから、彼女の顔かたちはわからなかった。彼女は敬礼しながら
「高等部1年の市井と申します」
むかつく。
あれ?
でも、「いちい」って確か―――
「市井って、市井沙耶香?」
「あれ、何で知ってんの」
それには答えず、彼女に背を向けて昼寝を再開した。
「ねえ」と背中に声が投げかけられる。「邪魔じゃなければ、ここにいていい?」
もちろん邪魔だったけど、何言ってもここにいるんだろうなと思ったので、好きにすれば、と呟いて目を閉じた。
彼女は「ありがとー」と少し笑った。
- 50 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:44
- 目が覚めたら、空が丸かった。
半円形の影から輪がぷかぷか出ていて、空はその形に切り取られていた。私は丸い空をぼんやり見ていた。
その半円形の影が、市井沙耶香の顔を下から見たところということに気づくのにしばらくかかった。
霞がかる意識の中、それらの情報と、頭の下の柔らかい感触が結合して、彼女に膝枕されていることがわかった。
「ちょ!何やってんのさ」
慌てて身体を起こして詰め寄る。
「ん?膝枕」
いやそれはわかるけど。
「何で?」
「そりゃ寝顔が可愛かったからに決まってるじゃん」
顔が赤くなるのがわかる。何だこのストレートな物言い。
そのとき、彼女の口に挟まっているものを見た。
「それってタバコ?」
「ああ、うん。そうだよ」
「市井…さんって、不良?」
瞬間、彼女は噴き出した。その後しばらく耐えようとしたけれど無理だったようで、笑い続けた。最後の方は涙が出ていた。
そんなにおかしいことを言っただろうか。何となく釈然としなくて、
「何がそんなに面白いの?」と尋ねたら、市井沙耶香は涙を拭いながら言った。
「だって、授業サボって昼寝してる金髪の中学生に、『不良?』って聞かれるとは思わなくて」
あ。
私もそれに気づいて、彼女はまたそれがツボに入ったらしく、二人でひとしきり笑った。
- 51 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:44
-
※
- 52 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:45
- しばらく寝てしまったようだった。空が夕焼けに染まっていて幻想的だ。
「起きた?」
声がした方に顔を向けると、太陽を背にして誰かがいた。
「い…よっすぃ?」
「いえす」
ゆっくりと身体を起こし、首を回す。筋肉が少しほぐれる感じがして心地良い。
「どしたの?」
私は素直に疑問をぶつけた。よっすぃはクラブのミーティングがあるとかで、私は先に帰る予定だったのだ。
「そんなのはすぐ終わったよ。まだごっちんの靴があったから、どこかなーと思って」
ふーん、と呟きともとれる答えを返し、
「とりあえず帰ろっか」
そういって立ち上がろうとした。しかしその瞬間袖を掴まれ、再び座ることになった。
「待って」
いつになく真剣なよっすぃの声と顔。
「ねえごっちん」
よっすぃは言葉を紡ぐのを躊躇しているようだった。私は次の言葉を聞くのが怖くて、
「は、早く帰らないと…きょうはご飯当番なんだよー」
「タバコ、また吸い出したの?」
勿論よっすぃはそんなことが言いたいのではなくて。
その言葉の本当の意味は―――
「大丈夫だよ」
何が大丈夫なのかわからないが、とりあえずこの場から離れたくて、よっすぃから逃げたくて、適当に誤魔化した。
「まだ、言えないってか」
両手を広げ、首をすくめて少しおどけた感じでよっすぃはいう。もうこれ以上は聞くことはできないと踏んだんだろう、よっすぃは真剣さをどこかへ捨て去って、帰り道の買い食いのことを話題にした。しかし何処かぎこちなく、それは私も同様だった。分かれ道まで、ぎこちなさは消えなかった。一人で帰っているときも、何だか歩き方が不自然だった気がする。
- 53 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:45
-
※
- 54 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:45
- 「大丈夫?気分は?飲みものいる?」
まるで過保護な親だった。
玄関を開けるなり、カオリは私をパジャマに着替えさせ、ベッドに押し込んだ。
きのう、カオリの絵を見て気分が悪くなり、部屋に引っ込んだ。カオリは原因が自分の絵だということには気づいていないようだった。
もしかしたら気づいていて隠していたのかもしれないけど、私には単純に急に気分が優れなくなった私を滅茶苦茶心配しているように見えた。
最近ちょっと寝不足で、寝たら治るから。カオリは絵描かないとダメでしょ、といってカオリの看病を断りベッドにダイブした。
だけど私は眠れなかった。カオリの絵が、あの笑顔が瞼の裏に張り付いていて眠れなかった。
何度も寝返りを打ち、それをどこかへ追いやろうとした。しかし、そうすればするほど、笑顔は私に迫ってきて、私の心を抉っていった。泣きそうだったけど、涙は出なかった。余計辛かった。
私の忠言にも関わらず、カオリは何度も私の部屋をこっそりと覗き、私が寝ているところを確認していた。
「ごっちん、大丈夫?寝てる?」
もちろん私は寝ていなかったが、カオリの呼びかけには答えなかった。カオリが来たときは、タオルケットを抱きしめて耐えていた。
カオリは来るたびに、私の頭を撫でたり、布団を整えたり、肩をぽんぽんってしてくれた。とても幸せで嬉しかったけど、カオリはあの笑顔の私にそうしているのだと思うと、とても苦しかった。
日付が変わるくらいになって、カオリが来なくなり、さびしかったけど、少しほっとした。
- 55 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:46
- 結局朝まで起きている羽目になった。ぼろぼろの顔でリビングに現れた私を見てカオリが「うわ…」と呟いた。次の瞬間、
「どうしたの!きのうちゃんと寝てたの?寝たふりだったの?」
ものすごい剣幕で、私の頭や顔や首や肩を触って異常が無いか確かめながら聞いてきた。私は戸惑いながら答えた。
「いや、夜中に何度か目が覚めてさー、眠りが浅かったのかな。4時くらいに起きてからは眠れなくて、ケータイでゲームしてた」
それから、あははーと笑った。
カオリは完全には納得しなかったけど、学校へ行く時間だったので
「きょうは終業式でしょ?早く帰ってきて寝るんだよ。ご飯はカオリが作るから」と言い残して玄関から出て行った。
そういうわけで、私はカオリの子どもになっているわけだ。
カオリは今、朝の宣言どおり、晩ご飯を作っている。うどんらしい。
ああ、何だか、キッチンでカオリがぱたぱた動く音が心地よい…
- 56 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:46
- これは夢だ、と分かった。私はどこかの砂浜に居て、隣には市井ちゃんが居た。私たちは二人で波打ち際を歩いた。何かを話ながら、笑いながら。
風が心地よかった。向こうにかすかに見える防波堤に、よっすぃやなっちや加護がいる。
気づいた。カオリがいない。
「ねえ後藤」
市井ちゃんが話しかける。
「後藤はさっきから誰を見てるの?」
「え?」
隣を向くと、市井ちゃんは身体を海に沈め、顔だけ出した状態で浮かんでいた。
「水着着てる?」
私は何をいっているのだろう。私は市井ちゃんを追って水に入っていく。市井ちゃんはどんどん沖へ行く。空は暗くなってくる。堤防でよっすぃ達が何か叫んでいる。私はよっすぃ達の方を向く。
「後藤は本当に私が好きなの」
突然の言葉。
振り向けない。
首が固まったように動かない。
身体も動かない。
太ももを波が叩く感覚だけがリアル。
夢。
よっすぃ達の声は水の中にいるときのようにこもっている。
何を言っているかわからない。
空は赤い。黒い。
海も赤い。黒い。
- 57 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:47
- 「わたしが、すき、なの」
背中に声がぶつかる。
私は。
海が動き出した。
違う。海面に、髪の毛が。
黒い髪の毛に覆われた海面。
足にまとわりついて。
振り向けない。
身体は動く。
恐怖で動けない。
振り向くのが怖い。
そこにいるのは。
「ねえ後藤…ねえ…」
後ろから何かに顔をつかまれ、無理やり振りかえさせられた。
市井ちゃんは死体みたいに浮かんでいて、身体の前面だけが海水から出ていた。
そして、
お腹から、
カオリの顔が生えていて、
口をぱくぱく動かしていた。
―――何で裏切ったの。
- 58 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:49
-
※
- 59 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/23(火) 17:49
-
投稿してみると、思ったより分量が少なくてビビりました。
少なくてごめんなさい。
- 60 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/29(月) 00:19
- 大好きな飯田さんの小説が更新されてる!屋上でモラトリアムな後藤さんいいですね、煙草のわっか描写も素敵。この貴重な小説、楽しみにしてます!
- 61 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/29(月) 00:50
-
- 62 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/20(月) 23:59
- ごっちん&カオリンはなかなかないので楽しみです♪
- 63 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/10/30(木) 04:16
- ほす
- 64 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:04
- 呼ぶ声がする。その声は遠くて近く。
「―――っちん!」
まるで本当に呼びかけられているような。
「ごっちん!」
んあ?
「ごっちんってば!」
大声に、突然目が覚めた。
眼前にはカオリの整った顔。
「うええ!?」
「わ、何々?」
「いや、近かったから…」
カオリは心配そうな顔をして、
「すごいうなされてて、汗とかすごいかいてたからびっくりして、とにかく心配だったの」といった。
私はその心遣いに笑みを浮かべ、大丈夫、ちょっと怖い夢を見ただけだから、と応えた。
本当は凄い怖かった。
体中の毛穴から汗が噴き出していた。心臓が早鐘を打っている。
夢の内容ははっきりと覚えていた。
暗い世界で、市井ちゃんが私を責めて、いつの間にか市井ちゃんはカオリになっていた。
市井ちゃんが怖い―――いや、そんなことはない。
この恐怖は、外部からの圧迫じゃなくて、内部からの破壊だ。
―――私の破戒だ。
- 65 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:04
- どうして市井ちゃんがカオリになったかはわからない。
わからないけど、ここにいるカオリは、いつものカオリだ。
私が好きなカオリだ。あのカオリじゃ、ない。
「ご飯できたけど、食べる?」
「食べる食べる!」
急激にお腹が空いてきた。食欲は何にも勝るのかもしれない。
今はそうあって欲しいと思う。
カオリは私の返事にとりあえず安心したようで、笑顔を浮かべてご飯の支度をしにリビングへ行った。
テーブルにはお椀が二つ。卵と牛肉の時雨煮が入ったうどんだ。
ほこほこと浮かぶ湯気と、ほのかに漂う出汁の香りが相まって私の食欲中枢を刺激する。
ああ、ここは温かいんだなあ。あの夢の世界とは段違いだ。
「さ、食べようか」
勿論うどんは美味しかった。今の私にとっては、世界でいちばんのごちそうだ。
途中で涙が少し流れてしまったけど、カオリには気づかれなかった。
- 66 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:04
-
※
- 67 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:05
- 突き刺さるような陽射しを浴びながら歩く道のりは、たどり着いた時の喜びを増すための苦行だ。
「あぢー」
犬のように舌を出してよっすぃが呟く。
「うるさいな苦行の邪魔すんな」
「あまりの暑さにごっちんが過去の口調を取り戻したよ…」
「プールに行こうっていったのはよっすぃなのに、一番文句をいってるからイラっとする」
「あまりの暑さにごっちんが冷静だよ…」
私だって暑いのだ。加護だって辻だって暑いのだ。
と思ったら、後ろの方でうんこうんこ騒いでる。何だあの体力…
私はといえば、淡いブルーのタンクトップにデニムのミニスカート、おまけに髪はポニーテールという最涼使用なのに、ひたすら汗が出るので身体を動かすのも面倒くさい状況。これが年ってやつか。
よっすぃはゆったりしたTシャツに7分丈のデニム。髪の毛は寝癖だらけ。目元には目やに。
「どうせ水に入るんだし」とはよっすぃの言い訳。男らしいっていうか、もうダメ人間の領域に踏み込んでいると思う。
暑い。アスファルトからの照り返しも相当だ。汗が噴き出す。まだ午前中だというのに、もう一日中走り回ったくらいの汗はかいた。だけれども、決して不快ではない熱気。
―――あの冷たい世界からは程遠い。
よっすぃと辻加護の騒ぐ声。太陽の光。青空。夜が来なければいいのに。
「おいボケっとしてないで行くぞてめえら!オアシスは目の前じゃ!」
よっすぃが走り出し、辻と加護がイエスマイロード!と応えてついていく。
きょうはいい日になりそうだ。
- 68 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:05
- 加護の胸の成長っぷりやよっすぃのムキムキっぷり、辻の妊娠っぷりを確かめながら着替えを済ませ、プールサイドに立つ。見回してみると、夏休みということもあって、学生のような若者が多い。見知った顔はないけれど、これだけの人数がいるのだから、どこかにいる可能性は高い。
この『鯉乃ダンスサイト』は、プールと遊園地が一体となったレジャー施設だ。プールの種類も豊富で、流れるプール、波の出るプールという定番だけでなく、渦巻きがランダムで発生するプール、ドクターフィッシュ入りプール、プールのような温泉などがあり、飽きがきにくいようにしてある。今年の初めに完成したばかりなので、今の時期はとても人が多い。
「おらあああ!」
「ぬわあ!」
そんなことをプールサイドで考えていたら、いきなり後ろから突き飛ばされた。そしてそのまま水中にダイブ。
「あンた、背中が煤けてるぜ…」
むせながら顔をあげると、よっすぃが手を顔の前にかかげながら意味不明なことをいう。
「足許がお留守です―――」
だから私はよっすぃの両足を掴んで、
「よ!」
思い切り引っ張った。
「ぬわあ!」
- 69 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:06
- 「飯田さんも来れたらよかったのにねえ」
浮き輪につかまりながら、流れるプールに身を任せたよっすぃがいう。
「いま、追い込みらしいからねえ」
カオリは学園祭に出すあの絵を仕上げるのに、ここ最近ずっと描いている。一応息抜きを名目にきょうのプールに誘ってはみたけれど、返事は「ごめんね」だった。浮き輪の逆側につかまって目を閉じ、カオリの申し訳なさそうな顔を思い出す。まったくもって可愛い。
突然、水柱があがった。続けて水中から辻の顔がせり上がる。
「お腹すいた!」
餓鬼現る。
「海辺のカレーほど美味いものはないねんで」
どこからわいたのか、2匹目登場。
「いや海じゃないしね。プールだし。ちょっとでかいプールだし」
「ごっちんはあ、ロマンがねえなあ」
顔中から力を抜いた表情で水にたゆたいながらよっすぃがいう。
何だかむしょうに腹がたつぞ…
殴ろうと思ったけど、もうすでに3人は水から上がり、売店へ向かっていた。なんという食欲から成る行動力。私も慌てて後を追う。
カレーは、確かに美味しかった。
- 70 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:06
- 「次はどうするよ」
満腹になった私達は、プールサイドのチェアで休憩中。
「しばらくのんびりしようよ」
パラソルごしに見える空はひたすら青い。その青に太陽の光が筋のように突き刺さっている。ところどころに入道雲がそびえていて、いつもの平面的な空ではなく、高さがあるように感じる。まるで落ちてきそうだった。この今にも落ちてきそうな空を、私は眺めていたかった。
「スライダー!」
「おう!スライダーや!」
でも子ども2人は元気が有り余っているらしく、輝いた目で遠くに聳え立つスライダーを指差した。困ったもんだねえ、とよっすぃを見ると、よっすぃも同じ目をしていた。そうだ、こいつ同レベルだった。ま、お目付け役になるよね。なるよな?うん…なるはず…。
「行っておいでよー」
全速力で駆けていく3人を横目に、私は空を見ていた。
とても綺麗な空だ。でも隣にカオリがいたら、もっと綺麗なはずだ。
「会いたいなあ」
言葉にすると、もっと会いたくなってくる。
でも会いたくはない。
最近はずっとこのジレンマに囚われている。
カオリと向き合うと、あの夢が頭にちらついてしまうのだ。
―――市井ちゃんを、思い出してしまうのだ。
市井ちゃんとカオリは似ている。
コレといった決め手はない。
髪の毛が黒いところ?
細くしなやかなところ?
マイペースなところ?
子どもみたいな笑顔?
青い空を反射した水のような声?
やさしく頭を撫でてくれるてのひら?
それは全部正しいと思う。
でも正解じゃない。何が2人をだぶらせているか、私にはまだ分からない。分かろうとしていない。分かりたくない。
分かってしまうと、壊れてしまいそうだから。
はあ、と息を吐く。それは夏の空気に溶け込まず、ゆっくりと空へ昇っていくように思えた。
私が思考の海に溺れている間、よっすぃ達はスライダーに3回乗っていた。
満足げに帰ってきて、開口一番に「お腹すいた」と辻は言った。さっき昼ご飯食べたばっかなのに。まさに餓鬼。
- 71 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:06
- 帰るころには日が暮れかけていて、オレンジの空を見ながら私たちは駅へと歩いていた。中学生組はもう寝そうなくらい疲れたらしい。一言もしゃべらず、ただ私たちを追尾する出来損ないロボットと化している。水泳は全身運動だから意外と疲れるものだけど、2人の疲れ具合は飛びぬけている。まあ、食べてはしゃいで泳いで食べて追いかけてすべって食べてをすれば、そうなるか。
しかし体力の化け物・よっすぃはけろっとしている。2人と同じ行動をしていたにも関わらず、だ。鼻歌をうたいながら小気味よく足を動かしている。てくてく、というより、ひょいひょい、という感じだ。
私は特に疲れていない。そんなにはしゃいでないし、食べてもないからだ。しかし足取りは重かった。カオリに会うのが、少し億劫だから。もちろん同じ家に住んでいるから毎日会っているわけだけど、プールでなんとなく考えたことが頭から離れなくて、私をそんな気分にさせる。
私はカオリのどこが好きなんだろう。
黙ったまま歩き続ける私を、オレンジを反射したよっすぃの瞳が見ていた。
「きょうはもう帰るの?」
「んー、そうだね。きょうはカオリ遅いから、ご飯食べてく?」
「じゃあ、『SALA』行こう。オムライス食いてえ」
あんだけ食べといて…少しは太れこのやろう…。
と思いながらも、外にいる時間が増えて少しほっとする。
「いいよー。加護たちはどうする?」
「きょうは帰る…めっさ疲れた」
「辻も…」
巨星堕つ…か。
- 72 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:07
- 適度に冷えた店内で、適度に冷えた水を飲み、極上の笑顔を見て、よっすぃはにやけている。
私たち以外に客の姿はなく、これ幸いとなっちは私たちのテーブルに座り、いかにきょう暇だったかを語っている。私たちを含めて両手で数えるくらいだったらしい。
「太陽が眩しいからでしょうかねえ」と鹿爪らしい顔で個人的な分析結果を述べる。よっすぃが「いやなっちの方が眩しい」とどうでもいいフォロー。まんざらでもないなっち。迫りくるコックことなっちのお父さん。手にはオムライス。振り返るなっち。凍りつく笑顔。
引きずられていくウェイトレスを見ながら手を振る。よっすぃは寂しそうな顔をしながらも心は食べ物に向きかけており、程なくして私たちは食べ始めた。変わらない味だ。たまねぎの甘み、鶏肉のコク、ケチャップの酸味、それを包む卵の優しさ、全てをひとつにするバターの風味。変わらずに極上だ。
食後のコーヒーを飲んでいたら、なっちがやってきた。
「もういいの?」
よっすぃの問いかけに、苦笑いしてなっちは答える。
「きょうはお客来そうにないから閉めるって。あー疲れた…」
よっすぃはここぞとばかりになっちと話す。なっちもにこにこして答えていた。
幸せそうだなあ…
何となく、肩肘をつきながら二人を見つめる。
もちろん、頭の中で、私とカオリに置き換えて。
―――ん
―――っちん
呼びかけに気づいて、意識を戻した。
「どしたの。ボーっとして」
「いやちょっと考え事」
ふーん、と呟くよっすぃ。
- 73 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:07
- 「ねえ、カオリ元気かな」
急になっちがいう。
「え?」
「カオリ。最近遊びに行ってもボーっとしててさ。今のごっつぁんみたいに」
―――え?
「公園行った時も、動物園行った時も、水族館行った時も、プラネタリウム行った時も。なーんか心ここにあらずって感じで」
「そう…なんだ」
「あれ?でも飯田さんって絵で忙しいんじゃなかったっけ?」
よっすぃが私の疑問を代弁する。
そう。カオリは学園祭で展示する絵を描くのに忙しい。
私が息抜きに何処かへ行こうといっても断られた。
公園に散歩しに行かない?
―――ごめーん、今度ね。
よっすぃ達とプール行かない?
―――いま追い込みなの!ホントごめんね!
「やー、そうみたいだけど、何か必要なこととか言ってたなあ」
- 74 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:07
- 「何が!」
あれ?これ誰の声?
よっすぃとなっちが私を驚いた顔で見ている。
いつの間にか立ち上がっていた。
「何が必要なの!?」
「ちょっとごっちん…」
「私とは行かないでなっちとは行くの!?」
言葉が止まらない。思いが止まらない。なっちとカオリは仲良し。泊まっていた。両親とも顔見知り。
「落ち着いてよ!」
よっすぃが肩を抑えてなだめようとするのを振り払い、私は店を飛び出した。
目に付いた道を走り抜ける。
周りの人たちが異様なものを見る視線を向けてくる。
でも私は走る走る走る。
通り過ぎる景色。ぶれていく。
何だコレ?
ドラマみたいなうそ臭さ。
走りながら考える。
視界がにじんでいるのは、汗…
違う。
きっと目が悪くなったんだ。
くそ!
何で何で何で…
- 75 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:07
-
※
- 76 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:08
-
あの、なんていうか、ホントすいません。
落ちなくてよかった…
もっとコンスタントにできるよう努力します。
- 77 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/10(火) 15:20
- >>60
まあ、自分はタバコ吸わないんですけどw
吸ってる姿はカッコイイと思います
>>62
自分の中ではベスト・カップルです!
- 78 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/03/01(日) 01:13
- うわっ
更新してあってめちゃくちゃ嬉しいです。
カオリとごっちんの今後が気になっちゃいました。
無理しないペースで待ってます。
- 79 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/24(金) 15:50
- 面白い!
後藤さんに昔何があったのか気になります
- 80 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/02(木) 02:14
- 「ああ…やっちゃったよ…」
呟きは夕立の音に消された。
公園の樹の下。雨にかき回される生温かい空気がキモチワルイ。
「ちくしょー…やっちまったなあ…恥ずかしい…」
頭に五寸釘を打ち込みたいくらいの自己嫌悪。止まらない止まらない。
エア五寸釘が刺さった頭を木肌に押し付けて目を閉じる。
雨音が私の耳に届く。続いて樹に流れる何かの音。そして私の心臓の音。
嫉妬の上かんしゃくを起こして逃亡。はいアウチ。高校生としてダメだろちくしょー。
濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪い。とりあえず止むまでここにいよう。服も少しは乾くだろう。
「みっけた」
後ろから声。いま一番会いたくて、一番会いたくない人。
「みっかった」
濡れた前髪をかきあげる、男前の親友がそこにいた。
「とりあえず、身体をあたために行くぜ」
そういってよっすぃは私の手を引き、雨の中を歩き出した。
- 81 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/02(木) 02:15
- 温かなシャワーが、身体を徐々に包み込んでいく。気持ち良い。生き返るようだ。いや。生まれ変わるようだ。
雨に奪われた体温が戻っていく感覚は、まるで細胞が入れ替わるようだった。
よっすぃは雨の中、私を学校へ引っ張っていった。盲点だった。夏休みはクラブの生徒しかいないし、この時間はシャワールームは空白の時間だった。私とよっすぃのふたりだけ。
部屋に入ってから会話はなく、隣り合ったシャワーの音だけが響いている。よっすぃが備え付けのリンスインシャンプーで髪を洗い出した。鼻歌が聞こえてくる。
私はといえば、身体を洗うでもなく、ただお湯を身体に流れるままにしている。
―――あんなので洗ったら逆に髪の毛ぱっさぱさになるのにな
ぼんやりとそんなことを考えた。だんだんと身体が温まってくる感覚がする。だけどそれは、薄皮一枚を隔てたような、どこか本当ではない気がする。
おかしい。私はありえないほど動揺している。
だから嫌なんだ、人を好きになるのって!
- 82 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/02(木) 02:16
- 「あのさあ」
また涙がにじみそうになった瞬間を見計らったかのようなよっすぃの声。
「ん?」
「ちゃんとさあ、飯田さんに聞いたら?」
「…」
正論だ。これ以上ないってくらいの正論だ。
「うん…」
「怖いのはわかるよ。でもさ、人づてに聞いた話ってその人の考えとか見方とか、そういうのが入っちゃうからさ、やっぱりどこか違ってくるんだと思う」
何この人ホントによっすぃ?
「だから、怖くても、勇気を出さなきゃ。好きなら、なおさらね」
「好き―――」
「好きなんでしょ?飯田さんのこと」
答えられない。
「ごっちん?」
よっすぃがついたての向こうからこっちを覗く。私は視界が歪んでいる。
「どしたの?」
「分かんない…」涙が溢れてきた。シャワーと混じって身体を包んでいく。
「好き―――だと思う。でも好きになっちゃいけないと思う。でも一緒にいたい。でも怖い。でもご飯一緒に食べたい。でも怖い。怖いの!」
「ごっちん…」
「好きになったらまたどこかに行っちゃうかもしれない。市井ちゃんみたいに。カオリ似てるんだもん。きっとそうだよ。いや、ていうか、市井ちゃんをほってごとーだけ幸せな感じになれない。なっちゃいけない。好きになるべきじゃないんだよやっぱ。ほんとは好きじゃないんだよ。カオリのことなんか。うん。そうだよ」
涙と鼻水を垂れ流しながら私は声を搾り出す。
「さっきのは何か仲間はずれにされたかなーみたいなほんとは別に気にしてないしそもそもオムライス好きだし―――」
「ごっちん」
包まれた。いつの間にかよっすぃは私の後ろに来ていて、そして私を抱きしめた。筋肉質な身体は、でも柔らかくて温かくて、優しくて。手のひらが、私の髪を撫でて、もうひとつの手はおなかをぎゅっとしてくれて。
「たすけ―――」
重ねられた唇は熱くて、甘くて、
―――とけてしまいそう。
- 83 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/02(木) 02:16
-
※
- 84 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/02(木) 02:17
- 「泣いてる女の子は抱きしめないとね」
ベッドに横なったよっすぃがからからと笑う。「あやうくいろいろするとこだったよ」
ナチュラルに赤面するようなことをいう女だよ…。
久しぶりのよっすぃの部屋。一人暮らしのワンルームで、無駄なものがないシンプルな部屋。
Tシャツに短パンのよっすぃと私。
麦茶が入ったコップの氷が溶けて音を立てる。
「でも、ありがと。よっすぃ」
あれから。
どうにか落ち着いた私は、雨上がりの蒸し風呂のような夜道をよっすぃに連れられて歩いた。道中は無言。カオリにはよっすぃが気を利かせて連絡してくれた。
さすがに今は顔を合わせられない。カオリはなっちから話を聞いていないらしい。なっちも気を使ってくれたようだ。ごめんねってメールがきていた。
なっちは何も悪くないのに。ごめんね。
- 85 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/02(木) 02:17
- 「ねえよっすぃ」
「ん?」
「タバコ、吸っていい?」
よっすぃは無言で立ち上がって、机の引き出しの奥から青い灰皿を取り出してテーブルに置いた。スポーツカーの形をした珍しい灰皿だ。
「あ、コレ…とってたんだ」
「一応ね」
「懐かしいね」
「懐かしいっていっても、そんな経ってないよ」
「そか」灰皿を引き寄せる。
「うん」よっすぃはベッドに座る。
「なんか、すっごい昔のように感じるなあ」
「うん」
奇跡的に雨の被害にあわなかった「ラブマ」に火をつけて吸い込む。
「市井ちゃんが死んでから…もう十年くらい経ったみたい」
- 86 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/02(木) 02:17
-
※
- 87 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/02(木) 02:21
-
コンスタントっていう単語の意味は知りません。
知らないです!
>>78
ありがとうございます。
無理しないペースがこれっていうのはもうすいません。
>>79
ありがとうございます。
ごとーさんには何があったのか。書いててもわかりません。
どんどん変わるのです。だから遅ry
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