怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン
1 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:00
今晩12時、
『VERY BEAUTY』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
2 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:00
 ※ 注意事項 ※ 

・複数の作者で書きついでゆくリレー小説です。
・プロローグから第二話までは再掲載。三話から新作開始です。
・この物語はフィクションです。実在する場所、人物、団体名などとは一切関係ありません。
3 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:02


「またやられたぁ!」

鈴木愛理はすっとんきょうな声をあげると、手にしていた新聞をぐじゃっと丸めた。
朝日がまぶしい、いつもの通学路。
愛理と並んで歩いていた嗣永桃子は、ひょいと新聞紙を引っ張った。

『怪盗ピーチッチあらわる!』

特太のゴシック体で踊る見出しだけが、つぶれた紙の隙間から、かろうじて見える。
桃子はふーん、とつぶやいた。
「また出たんだ、泥棒さん」
愛理はむっとしたように、
「泥棒に『さん』なんかつけなくていいよ。ああ、悔しいなあ。あたしがいれば、
 絶対つかまえてやったのに」
愛理は片手を握りこむ。
4 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:03
「昨日はなんで捕物に参加しなかったの? 話題の少女探偵サンは」
「しってるくせに」
愛理はふくれた。桃子はくくっと笑う。
「そうそう、確かママとケンカして、しばらく探偵ごっこは禁止よ!って」
「ごっこじゃないよ。あたしは真剣なんだからね――っと」
にゅっと長い腕が伸びてきて、細身の二人を丸ごと抱きかかえる。
「おっはよー!」
眩しいくらいの笑顔で二人を交互にのぞきこんだのは、クラスメイトの矢島舞美。
「おっはよ、舞美」
「舞美ちゃん、朝から暑苦しいよ」
「あれ。愛理はなんだかご機嫌ナナメ?」
「ピーチッチにしてやられたから、おかんむりなの」
「だから、してやられてません」
愛理は、こそこそささやく桃子の頭を、ぶつまねをする。
「だーって、結局取られちゃったんでしょ? なんかまた宝石」
「へーえ、どれどれ」
5 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:04
愛理の手から新聞紙を取りあげると、舞美はきどって読みはじめる。

「エヘン。『怪盗ピーチッチあらわる! 昨晩未明、都内宝石商、寺田光男氏宅に、
 何者かが侵入。宝石を奪い取った。寺田氏は【怪盗ピーチッチ】を名乗るものから
 犯行予告状を受けとっており、当日は警視庁捜査一課が警備にあたっていた。
 奪われたのはダイヤモンド【VERY BEAUTY】。一億円相当の価値を持つと――
 い、一億円! すごっ。で、ええと、 『警備を依頼されながら、まんまと怪盗の
 侵入を許した警察の面目は丸つぶれ。担当の石川警視は――』」

「あ、石川さんだったんだ」
桃子がいうと、
「石川さんだから、よ。こんなチャチな手で、だし抜かれちゃうなんて」
「あ、またそうやって、愛理は石川さんバカにして。一生懸命で、かわいいじゃん」
「あはは、桃の憧れの人だもんねー。オッケ、つづき読むよ。『担当の石川警視は、
 まことに面目ないとしておきながらも、次こそはどんな手段を用いてでも、怪盗
 ピーチッチをほ、ほ……」
舞美は新聞紙に顔をつっこんだ。
6 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:05
「ほばく」
「ほばく? これ、ほばくって読むの? てか愛理、見てないのになんでわかるの?」
愛理は指先で前髪を分けながら、
「一回読んだら、だいたい覚えるよ。それに、前の文脈からしたら、そんなもんでしょ。
 新聞のボキャブラリーなんて限られてるもん。ちなみに意味は読んで字のごとし、
 捕らえて縛る。捕まえるってこと」
「おおっ、さすが名探偵!」
「よっ、美少女探偵アイリーン!」
「その呼び方、やめてよ」
愛理は顔をしかめた。

マスコミにつけられたこの愛称を、本人はどうやら気に入っていないらしい。
7 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:06
「なるほどねえ」
舞美は、がさがさと大きな音をたてて、新聞をたたんだ。
「おもしろいなあ。怪盗に名探偵だって。平成のこのご時世に、マンガみたい。
 ねね、次は愛理も捜査に加われるんでしょ?」
「ていうか、あたしはピーチッチの担当なんだって。これでも特別捜査顧問ってお役目
 もらってるんだからね。昨日は、たまたま、おかあさんがうるさかっただけで……」
「あはは、名探偵も、おかあさんのひと声でかたなしだ。次の予告状が来るまで、
 せいぜいおとなしくしないとだね」
舞美はからからと笑うと、腕を組んだ。
「しかしピーチッチすごいよねえ。今年に入ってもう3回だよ? 予告状どおり、
 狙ったものだけ盗ってってさ。カッコいいよねー」
目を輝かせる舞美に、愛理は冷たく言いはなつ。
「ぜんぜん格好良くなんかない。しょせん泥棒だよ。ものを盗むのは悪いことなんです。
 幼稚園で習わなかった?」
愛理の語気の強さに、舞美はひるむ。桃子の耳もとに、
「なんで愛理は、ピーチッチのことになると、ああムキになるわけ?」
「しらないよ」
桃子は、ちらりと愛理の横顔を盗み見た。「こっちが教えて欲しいくらい」
8 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:07
「まーいっかぁ」
さっぱりした気性の舞美は、すたたた、とゴミ箱に新聞紙を捨てに走った。
オーバーアクションで投げ入れると、同じ勢いで戻ってくる。
「ともかく! 楽しみだね。勝つのは美少女探偵アイリーンか、はたまた!
 神出鬼没の少女怪盗ピーチッチか!」
「もう! 舞美ちゃんはどっちの味方なのよ」
愛理が足を踏みならす。
うーん、と舞美は頭をかたむけた。
「あたしはどっちも好きだけど。おもしろいし。永世中立国って感じ?
 あ、でもやっぱ、アイリーン!」
舞美はひとり大きくうなずいた。
なんでなんで、と額を集めた二人に向かって、胸を張る。
「だってさ、アイリーンは友だちだけど、ピーチッチは友だちじゃないもん」
「なにそれぇ」
あきれ顔だけれど、愛理はまんざらでもなさそうだ。
9 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:07
「あははは」
急に吹きだした桃子に、舞美と愛理は怪訝そうな顔をする。
「なに?」
「なに笑ってんの? 桃」
「あははははは。なんでもないよー」
桃子は二人の頬を、ちょんちょんとつついた。
「ほら、走らなきゃ。遅刻しちゃうぞ!」
いうなり、二人を置いて走りだす。
「あ、待って桃」
「もう、わけわかんない」
いいながらも、桃子を追いかける二人。

誰かが走りだしたら、学校まで競争の合図だ。
風のように駆けぬける三人に、のんびり歩いている生徒たちが目をまるくする。
10 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:08
――ピーチッチも友だちだってわかったら、舞美はどっちの味方するかな?

春の風が気持ちいい。
セーラー服の裾をひるがえして駆ける桃子は、くすくす笑いが止まらなかった。
11 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:09
12 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:09
発見されたことさえ、奇跡に等しい。そう称される宝石がある。

日光の下ではあざやかな光沢を放つ緑色に見えて、月光の
下では輝きを閉ざし灰褐色の石に見える。
何千もの甲虫が一億年かけてじわじわ押し潰されて出来たとも
夜光虫と石灰岩が一億年かけて交じり合って出来たとも言われる。

太陽の出ている時間だけ輝きを放つその宝石の名は、誰が
名付けたか『21時までのシンデレラ』。
そして。
13 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:10
今夜12時、
『21時までのシンデレラ』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
14 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:10
 
怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン

 
第一話 「略奪された七人のシンデレラ」
15 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:11
「来ると思ってました」
鈴木愛理の言葉に携帯電話の向こうから「何が?」とくぐもった声がする。

「ピーチッチからの予告状と、石川さんからの電話です」
電話先の石川警視には解るまい。この鈴木愛理こと人呼んで
美少女探偵アイリーンが今どれだけ嬉しさを抑えた表情をしているか。

新聞でこの『21時までのシンデレラ』が日本に来ることを読んだとき、
愛理はぜったいピーチッチも動くと踏んでいた。そして読み通り、予告状が
届いたという訳である。
まだ中学生でありながら警察から対怪盗ピーチッチの特別顧問として
捜査の全権限を与えられた天才少女の、愛理はぐっとこぶしに力を込めた。

――VERY BEAUTYの恨み、はらしちゃうんだから!
16 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:14
「で、いつなの? ピーチッチが予告してきたのは」
「今日の真夜中。十二時よ」
翌朝登校中。あくびをしながら訊いてくる矢島舞美に鈴木愛理が視線を
前に向けたまま答える。

「夜なんだ」
そう呟くのはもうひとりの同級生、嗣永桃子。その言葉に舞美がきょとんと
しているのをよそに愛理が話し始めた。
「そこが不思議なのよ。夜は石ころにしか見えないってのに」
「あぁなるほど。なぜ輝いている昼間にしなかったのか、ね」
唇に指をあてて考える愛理。答えを待つように覗き込む桃子。だが口を
開いたのは舞美だった。
17 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:14
「明日から世間はゴールデンウィークだってのに、大変だね愛理は」
「違うよ舞美ちゃん。むしろ予告状が届いて嬉しいくらい」

天にこぶしを突き上げる愛理の後ろで舞美がひそひそ訊くと、
桃子もひそひそ答える。
「…愛理なんであんな燃えてんの?…」
「…ほら今愛理のパパってツアー中じゃん…お母さんも一緒に…」
「…そっか…あの豪邸に独りで居るのが嫌だからか…」
「…愛理見た通り淋しがり屋だから…」
「…意地張らずに泊まりに来てって言えばまたあたしとエリで行くのに…」

「もう! そんなんじゃなぁーい!!」
愛理の突然の大声に周りの生徒達まで振り返る。気づいて顔を
真っ赤にした愛理は、桃子と舞美の手首を掴み学校へと走り出した。
18 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:15
場所は代わって大使館の並ぶ高級オフィス街。その大使館の中の
ひとつで、愛理を見降ろすその顔はやや曇り気味だ。愛理は安心感を
与えるためその手を包み込む。
「アイリーンちゃん、私怖い。本当に大丈夫かしら?」
「友理奈さん。大丈夫ですよ。私も石川警視もついてます」
「明日からは? 明日からはどうなるの?」
割と背の高い愛理ですら見上げてしまう程の身長をした友理奈は、
親善大使としてゴールデンウィーク明けに『21時までのシンデレラ』を
身に着けてロシアへの飛行機に搭乗することになっている。
つまり今夜守り通しても明日以降も狙われる可能性がある。
ちなみに予告状が届いたとき石川は金庫での警備を進言したが
一蹴された。愛でるべきものを金庫に入れるのではなく、愛でられる
ままに警備を行ないたまえ、と。
「もちろん、つきっきりでお守りしますよ。……石川警視が」
「え、あたしだけ? 愛理ちゃんもじゃないの?」
「でも私ピーチッチに関して以外は権限ないから」
「じゃああたし偽の予告状出しとく! ピーチッチ騙って」
現場に笑い声が響いた。
19 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:15
――石川さん、おっかしぃ!

その会話を盗聴していた桃子も声を殺して笑っていた。くすくすと
笑いながら全身を黒ずくめの服で固め、ぎゅっと手袋をはめ最後に、
おでこに暗視スコープを乗せた。

――あ、ちなみにアイリーン。朝の質問の答えだけど。

普通の中学生、嗣永桃子は怪盗ピーチッチへと変身をとげると
白のスプリングコートとベレー帽をかぶって外へ出た。

――明日から「しすたぁ」忙しくなりそうなんだよね。だから今夜なの。
20 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:16
「で、どういう作戦なの?」
「まぁベタな手ですけど」
愛理はポケットからごろんごろんと、灰褐色のオーバル型の石ころを
取り出した。その数六つ。友理奈は自分の首にかかっていた宝石と
愛理が出したダミーを持ち上げて見比べてみる。
「あ、そっくり。重さも同じくらい」
「石ころなんで用意は楽でした。これらを目立つところに置きます」
「もっといっぱい用意して色んな人に持たせれば良いのに」
愛理がじと目になって、石川警視はちょっとひるむ。
「昔その手で宝石『白いTOKYO』あっさり盗まれましたよね」
石川が言葉に詰まる。多くダミーを増やしてながら結局本物の警備を
一番厚くしたために盗まれたことがあった。
「あれは、ほら……えっと……そうね。ダミーは六つがベストかもね」
口元を抑えて愛理はくすくすっと笑った。
21 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:16
「ちょっと失礼します」
「えっ?」
言うなり愛理は友理奈の首から宝石を外し、ダミーの
六つの中に混ぜた。石川と友理奈は呆然とする。ぱっと見
どれが本物でどれが偽者かさっぱり解らない。
「まず一つ目は石川さんの首に、二つ目はこの剥製の口の中に」
「ちょ、ちょっと」
石川の言葉を無視して愛理は続ける。
「三つ目は友理奈さんの髪留めに、四つ目は私の手首に」
「あ、はい」
「五つ目はマネキンの首に、六つ目は机の引き出しに、七つ目はここ」
と言って愛理は熱帯魚の水槽に落とした。ドボンと音が響く。
「愛理ちゃん、あの……」
「ご心配なく。私にはどれが本物か解ってますから」
「どれ? 私もう解んないんだけど」
「見分け方は秘密です。私しか知らないほうが安全でしょ?」
「そりゃそうだけど」
22 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:17
――そりゃそうだけど。

ピーチッチの呟きと石川警視の言葉がきれいに重なる。イヤホンから
流れる会話に眉をひそめながら桃子は自然な速さで現場へ向かっている。
七つのだいたいの場所は解った。
でも。

――これはちょっとなりふり構ってられないな。

予定時間通りに現場に着くと桃子は二つ隣のオフィスビルへ入った。
コートを脱ぎ捨て音を立てないように階段を屋上まで上がると送電線を
利用して目的の大使館へと移った。
そして万能バッグから取り出したニッパーで送電線を。

切った。
23 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:17
大使館内が停電になる。
「きゃあ!」
「落ち着いて! 発電機使ってください!」
叫びながら愛理は眉をひそめる。

――まだ十一時半。予定より三十分も早い?

周りを見ても何も解らない。発電機が予備電灯を回すのと目が慣れるのと
どっちが先かを待つ余裕はない。

「友理奈さん慌てないで!」
石川が闇に向かって叫ぶ。さすがにプロだけあって突然の危機への
態度に余裕が伺える。愛理は叫びたい気持ちをぐっとこらえる。本物を
守るように伝えてはいけない。

――ここで叫んで本物と偽者を見抜かれたら元も子もない。
24 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:18
記憶していた宝石の場所からひとつずつ奪いながら、ピーチッチは耳を
すます。けれどもアイリーンの声はしない。どれが本物か見極められない。
 
――やるね愛理。しょうがない。ごめんね!
 
ピーチッチはまた万能バッグへ手を伸ばすと、温かな何かを取り出した。
25 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:18
愛理も宝石を手首ごとつかむ。周りからはガラスの割れる音や水の
こぼれる音、何かの倒れる音がして騒然としている。

――もうちょっとで電気がつくはず。もうすぐ。もうすぐ!

そう思って待っていた愛理の耳元で「ゲコッ」と声がした。同時に首筋に
走るぬめっとした感触。これは……。

「きゃあああああああああああああああああ!」

先ほどの友理奈の数倍の声を出して愛理は、気を失なった。
26 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:19
愛理が警備の人に頬を叩かれて目を覚ましたとき、ちょうど時計が
十二時を告げた。部屋は散々な様で剥製は倒れ水槽は割れガラスの
破片が飛び散ってる。
愛理ははっ、となり自分の手首に手をやるが宝石はない。

――やられた。

ゲコッの声を思い出して一度ぶるっと震えた後で。
「石川さんと友理奈さんは!」
友理奈はぎゅっと瞳を閉じたまま壁によりかかり何やら念仏のような
ものを唱えている。石川はまだ気絶していてその側ではヒヨコが一匹
ピヨピヨ鳴いていた。
もうどこにもピーチッチの影は見られなかった。
27 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:19
確認の結果残された宝石は友理奈の髪止めについていたたった
ひとつだけで、愛理は大きく息を吐き出す。

「悔しいいいいいいいいいいいい!」

その愛理の叫びに石川の顔色が地黒から真っ青へ変わる。始末書、
左遷、減棒、美勇伝なんて文字が浮かぶ。
「…ってピーチッチは言うでしょうね。本物を置いてくなんて」
「えっ?」
「友理奈さんの頭の上のが本物よ。だってそこなら」
 愛理は勝利の笑いをこらえきれない。
「少女の怪盗さんじゃきっと背が届かないと思ったから置いたの」
28 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:20
――悔しいいいいいいいいいいいい!

すべてを風のような速さで終わらせた筈の帰り道、盗聴音源を
訊きながら桃子は声を出さず口だけをパクパクさせる。まさに愛理の
言う通りの理由で取るのを断念した宝石が本物だったなんて。素人の
子に持たせてたのが本物だったなんて。

ポケットの中から灰褐色の石ころを六つ取り出すと桃子は帰りがけ、
河原に向かってそれを投げ捨てた。肩を落とす。やるだけのことはした。
あとはもう予定通り「しすたぁ」のお手伝いにいそしむとしよう。

――ただもう絶対! 明日は新聞見ないんだから!
29 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:20
「やったじゃん!」

ゴールデンウィークが明けて最初の登校の日。真っ黒に日焼けした
舞美が愛理の背中をばしんと叩いた。
もう片方の手の新聞に大きく『お手柄!美少女探偵』の文字があると
いう事は五日前のをわざわざ持ってきたようだ。
「舞美ちゃん、痛い」
そう口を尖らせる愛理の声も、心なしか弾んでる。ただその様子を
見つめる桃子の口があひるのよう。
「どうしたの桃?」
「べっつにぃ。ほら遅刻するよ」
桃子が速歩きを始めた。その背中を追うように二人も小走りになる。
「え、まだ全然余裕あんじゃん」
「じゃあ一番先に学校着いた人が勝ちってことで」
言うなり桃子が走り出した。

「あっ桃ずるーい!」
同時に叫んだ舞美と愛理が駆け出して、またいつも通りの日常が
始まって行く。一瞬で壊れる脆さを裏に秘めながら。
30 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:21
第一話 終わり
31 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:22
32 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:24
「お、もーいっ!」

傘の柄を首に挟んで、道の真ん中で大声でわめく。
その両手には華奢な身体の半分はありそうな大きな買い物袋。
いったん休憩したいのはやまやまだけど、袋の中身は食料品。しかも雨。
地べたに下ろすわけにもいかない。
せめて楽な体勢を見つけようと一生懸命身をよじっていると、傘をひょいと抜き取られた。

「やっほー、なにくねくねしてんの?」

振り向いた先には傘を二刀流に持った屈託ない笑顔の矢島舞美。
やっほー、救世主。鈴木愛理は心から神さまに感謝した。
33 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:24
怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン


第二話 「呪われたピーチッチ? 真夏の夜の胸さわぎ」
34 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:25
「それにしてもすっごい荷物だねコレ」

右手に傘、左手に買い物袋の半分を持った舞美がその中身を覗き込む。
左手に傘、右手に買い物袋の半分を持った愛理がふてくされたように呟く。

「桃だよ」

夏休みの宿題を図書館で片付けていた帰り、愛理は商店街で嗣永桃子に出会った。
雨の降りしきる中、巨大な買い物袋を担いだまま道のど真ん中で往生している。
聞くと、居候しているカフェ「しすたぁ」のおつかいを頼まれたらしい。
宿題がはかどって気分がよかった。何よりほかならぬ友達の頼みだ。
「手伝って」というお願いを断る理由はなかった。愛理はそう語る。

ちなみに当の桃子は「他にも買うものがあるから先に行ってて」と
愛理に荷物を預けたっきり、今現在も行方不明だ。
簡単に言えば、逃げた、のだ。

「軽い気持ちで『いいよ』って言った私がバカだったわ」

桃はそういう子なのだ。長い付き合いの中でしっかりわかっていた筈なのに。
怒りを通り越してすっかり諦めモードの愛理に、舞美がケラケラと笑う。
震える肩に合わせて制服のスカーフがふわふわと揺れている。
35 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:26
「てか舞美ちゃん、何で制服なの? 雨なのに部活?」
「ううん、追試。こないだの期末、英語ボロボロでさ」
「えっ、みんなで答え合わせした時、結構よくなかったっけ?」
「それがねえ、わかんない問題飛ばしたの忘れててさ、
 ガーッて書いちゃったら解答欄全部ずれてんの。あははー」

残念な様子を微塵も見せず、声高らかに笑う舞美。
空元気? 気丈を装う? 顔で笑って心で泣いて? 否。何も考えていないのだ。
愛理は深いため息をついた。

「ん? どした?」
「……いや、私の周りってなんでこう変な子が多いのかなあって」
「えー、今どき怪盗と争う探偵なんかやってる愛理がいちばん変だよー」

舞美の言葉に愛理は複雑な表情をする。
――そう言われちゃうと身も蓋もないんだけど。
36 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:27
桃子が居候しているカフェ「しすたぁ」は街いちばんの商店街の
路地裏の裏の裏にある小さな小さなお店だ。
ピンクを基調とした、というよりは外観もピンク、内装もピンク、
あっちもピンク、こっちもピンクのある意味アグレッシブなカフェで
その前向きさが功を奏してか、地味な立地の割に噂を聞きつけた客で
そこそこやっていけているらしい。

「きゃー、アイリーンちゃんに舞美ちゃんじゃない。いらっしゃーい」

ドアの隙間から顔を覗かせた二人に気づいてせわしげにかけてきたのは
年下の桃子を差し置き「さゆみこそここの看板娘なの」と言い張る「しすたぁ」の
店長、道重さゆみ。譲り受けたカフェを全面桃色に染めた張本人である。
さゆみは買い物袋を受け取ると、桃ちゃんまたやったのねと訳知り顔で笑ってみせた。
二人もつられて苦笑する。

「よし! お礼にさゆみ、おいしい紅茶入れてあげちゃう! 座って座って」

そう言いながら半そでワンピースを無理やり腕まくりするさゆみに促され、
舞美と愛理はいつもの窓際の席に腰を下ろした。
やっとひと息。愛理は糸が切れたみたいにテーブルにクネクネと崩れ落ち、
舞美は薄っぺらの通学鞄を足元にどかっと下ろして「あー」と声を漏らす。
37 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:27
「そういや愛理、宿題してたんでしょ? カバンは?」
「んー、桃が持ってる。『手伝ってもらって悪いからぁ、持ってあげるぅ』って」
「なるほど。まず逃げられなくしたわけね、さすが」

そう呟いてしばらく人差し指で唇をなでていた舞美だったが、いきなり目をキラキラさせたかと思うと
「いいこと思いついた!」とくたびれきって突っ伏していた愛理をたたき起こした。

「桃をさ、アイリーンの助手にするってどう?」
「ええええ? なによ急に」
「ほらあの子機転が利くし、部活もやってないし」
「ちょっとー、部活感覚? 私は真剣なんだから――」
「なぁに勝手なこと言ってん、の」

独特の声色と「の」のタイミングで二人の間にどさっと置かれた愛理のカバン。
カバンに添えられた白い腕をたどった先には、噂の主、嗣永桃子が立っていた。
気づいた愛理がビシッと指を差す。

「ちょっと桃! いままで――」
「あっ! ありがとね愛理。ほーんと助かっちゃったぁ。はぁい、お礼の紅茶」

目の前に突き出された愛理の手を両手でガシッとつかんでブンブン振り回したあと
有無を言わさずかぐわしい香り漂うカップを二人の前に差し出す桃子。
すっかり勢いをそがれた。
しばらく何か言いたげに口をもごもごさせていた愛理だったが、
もはや観念したのかおとなしく淹れたて紅茶に口をつけた。桃子がうふふと笑う。
38 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:28
「てかさ桃、本気でどう? アイリーンの助手」

自分の名案が諦めきれないらしく舞美が今度は桃子に話を振る。
桃子はちゃっかり自分用にも淹れてもらった紅茶を一口すすった後、
面倒くさそうに口を開いた。

「やぁよ。ももは誰かさんみたいに泥棒さんのおしりばっかり追っかけるほど暇じゃないんですー」
「なんですってぇ? 悪いやつを捕まえるのは当然のことでしょ。それに泥棒に『さん』は無し!」
「まあまあまあ、二人とも。それよりさ、それよりさ」

自分が話を振ったのも忘れて、舞美がにらみ合う二人の間に割り込むように身を乗り出す。

「来るんでしょ? ピーチッチ」
39 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:28

次の日曜、夜12時
『胸さわぎスカーレット』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
40 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:29
胸さわぎスカーレット展示予定の美術館に予告状が届いたのは今から1週間ほど前のこと。
前回の『21時までのシンデレラ』の時とは違い、犯行日時までに余裕があったせいか
予告状のことがマスコミにかぎつけられてしまったようだ。
タブロイド紙をはじめ、テレビや全国紙でまで毎日のようにアイリーンのことが
取り上げられるのに愛理はいい加減辟易していた。
ある雑誌で「希代の困り顔」なんて称されていた顔が最近よりいっそう困っている。

「もう。私じゃなくてピーチッチを追いかけなさいってのに」
「ははは。いいじゃないか、平和で」

ため息交じりの愛理の肩を舞美がバシバシたたく。
桃子はまったくそ知らぬ顔で、窓を流れる雨を眺めながらのんびりと紅茶を飲んでいる。

「日曜日ってことは…金、土、あー、あさってか。もうすぐじゃん」
「そ、だから宿題早めに終わらせとこうと思って。明日も夜には実物見せてもらいに行く予定だし」
「美術館に?」

そっぽを向いていた桃子が不意に尋ねる。
41 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:29
「ううん、明日はまだ鉱物研究所の方」
「研究所って、あの、学校の近くの? なんでまた」
「もともと美術品として日本に持ち込んだんじゃないの。いわくつきらしいから。
 展示はあくまでついで」
「えっ。なになに、いわくって」

紅茶を飲み干した舞美が興味津々に愛理の顔を覗き込む。
愛理もカップをちびりとやってから、顔を近づけて少しだけ声を落とす。

「なんかあれ、呪いの宝石なんだって」

その瞬間、桃子のすっとんきょうな声が「しすたぁ」に響いた。

「ええっ!? 呪い!?」
42 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:30
「そう。これが呪いの宝石『胸さわぎスカーレット』正式には――え、と」

――なんか無理やり着せられてるみたい。
視線の先では大きな白衣をまとった後ろ姿が、資料を必死でめくっている。

「あった。ええと、ヘッ、トズ、ピ…」
「レッドスピネルですね」
「あっ、せいかーい。さすが名探偵、頭いいねえ。なっちびっくりだよ」

そう言ってなつみは幾分背の高い愛理にこぼれるような笑顔を向けた。
かわいい。確かにかわいい。
かわいいんだけど、ほんとにこの人を博士って呼んで大丈夫なんだろうか。
自らを「なっち」と呼ぶ愛くるしい鉱物博士は愛理の心配をよそに
呪いの宝石の説明を続ける。
43 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:31
『胸さわぎスカーレット』正式名はレッドスピネル。
血のような赤色が印象的な、ルビーによく似た宝石で、
これだけの大きさのものはむしろルビーよりも希少価値が高く
時価数億円とも言われている。
古くはある王朝の皇帝の王冠に掲げられていたらしいが
滅亡と略奪を繰り返した挙句に流れ流れて、現在も持ち主を転々としている、とのこと。

「あ、やっぱりほんとなんですか? 呪い」
「うーん。いろいろ噂はあるみたいね。持ち主が死んじゃったとか頭がナナメとか
 背伸びをしてるわけじゃないのに胸が痛いとかこんなに苦しいのが初恋ですかとか」

なつみは資料をパタンと閉じると、強化ガラスに守られた
『胸さわぎスカーレット』を慎重に取り出し愛理の前に差し出した。
キラキラ輝く赤色に愛理は目を奪われる。「うわぁ」と思わずため息。
ハート型に整えられた可愛らしいカットはそのままハートシェイプカットと呼ぶらしい。
光の筋が表面で散らされて波打つさまは、まるで本物の心臓みたいだ。
きれいだけど、なんとなく苦しい感じ。確かにちょっと、胸さわぎ、かもしれない。
44 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:31
「……ほんとだった」

イヤホンから流れる会話に、ピーチッチはいっきに顔色を失う。
情けない呟きに、さゆみはすっかり呆れ顔だ。

「ちゃんとよく調べてから予告状出せばよかったのに」
「だってぇ、夏休みの計画は早めに立てろって。それに」
「それに?」
「ハートかわいかったんだもん。つい、勢いで」
「あーわかる。かわいいのはね、しょうがないよね」

明かりの落とされた閉店後の「しすたぁ」に残された二つの影。
カウンター席にちょこんと腰掛けたピーチッチは文字通り頭を抱え、
カウンターの向こうではさゆみがお皿を拭きながらその様子を眺めている。
昨日散々降り続いた雨も今朝にはすっかり鳴りを潜め、夏らしい1日が戻ってきた。
エコにご執心の店長の方針で閉店後は冷房を切っているため
店内は決して寒いはずはないのだけど、世間を騒がす少女怪盗の顔はみごとに青白い。
45 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:32
「で、どうするの? アイリーンちゃん、はりきって待ってるよ」
「むぅ、逃げたって思われるのも悔しいし、でも呪われるのもやだし……
 だいたいなんか調子悪いんですよ、ほら」

ピーチッチは自分の耳からイヤホンを抜き取り、さゆみの耳に押し込む。
雑音の隙間からかろうじて聞こえていた愛理の会話はもうすっかり聞こえない。
流れるのはザラザラしたノイズ音だけ。

「ね、昨日の夜つけたばっかりですよ。それにこっちも」

ピーチッチはそう言ってイヤホンに繋がった小さな機械のダイヤルを回した。
一瞬だけプツッと音が途切れたが、結局はさっきよりもひどいノイズが聞こえるだけだ。

「これは美術館。ずっと前からつけてたやつなんですけど、最近急にダメになって。
 昨日愛理に荷物預けてる間に取り替えてきたばかりなのに、またおかしいし」

イヤホンを再度自分の耳につけてピーチッチは首をかしげる。
手元の機械をいろいろいじってはみるが、やっぱり結果は一緒だった。

「もう呪われてたりして」
「やぁめてくださいよぅ」

さゆみの冷やかしに、ピーチッチの顔がすっかりそこらの高校生のそれに戻る。
桃子はなにやら泣き言を呟きながら、カウンターにぐったりと突っ伏した。
46 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:32


「いよいよね、愛理ちゃん」
「いよいよですね、石川さん」

ついに迎えた決戦の日。
美術館の特別室、石川警視と愛理が同じように腕を組んで
運び込まれてきた『胸さわぎスカーレット』を見下ろしていた。
展示用のライトに照らされたその姿は昨日見た時よりも一層輝きを増している。
毒気に当てられたような雰囲気に、搬入を終えたなつみが自慢げに声を上げた。

「すごいでしょー。これだけのヘットズピカル、珍しいんだから」
「レッドスピネルですね」

愛理はつっこみもそこそこに、特別室を事細かに調べ始めた。
絨毯をめくり、壁をたたき、通気口を覗き込む。
目をらんらんとさせて動き回る愛理に、石川がポツリと呟いた。

「愛理ちゃん、なんか生き生きしてるね」
「石川さんはなんか顔色変ですよ」
47 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:32
神出鬼没のピーチッチを捕まえるのは彼女が犯行を行うときしかない。
つまりこれはチャンスなのだ。それは石川警視もわかっているはず。
なのに、微笑みさえ浮かべそうな愛理に対し、石川の表情は沈痛そのものだ。
様子のおかしい石川の背中を、なつみがぽんぽんとたたく。

「そりゃそうだよねー。梨華ちゃん、今度下手したら、びゆうで――」
「安倍さん! 搬入終わったなら後はあたし達に任せて! ほら、危ないですから!」

禁句を口にしようとするなつみを石川が慌ててさえぎった。
部屋から追い出そうとする石川になつみも「わかったわかった」と言いながら
しぶしぶ関係者通用口に続く強化ガラス製の扉へ向かう。
来館者の目を気にしての処置だろう。奥まった扉には薄手のロールカーテンが
目隠しとしてかけられていて、なつみは暖簾みたいにそれをくぐって扉の向こうへ消えた。
が、すぐにまた扉の開く音がしてカーテンの陰から顔を覗かせると、

「アイリーンちゃん、がんばってねー」

ひらひら手を振るなつみに愛理も軽く会釈を返した。
なつみが内情に詳しいのは、石川の上司がなつみと腐れ縁の付き合いだかららしい。
カーテン越しにぼんやりと映るなつみの後姿がスキップでもしそうな勢いで
去っていくのを石川はしばらく泣きそうな顔で見つめていた。
48 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:33
――今回、いつもより人数多い気がするなぁ。

闇の中そびえ立つビルの屋上で、ピーチッチは隣の美術館を見下ろしていた。
美術館の前にはマスコミを追い返す警官や美術館の警備スタッフが入り乱れている。
数が増えると、逆に警備体制は危なくなる。赤の他人が入り込みやすくなるからだ。
アイリーンがわかってないはずはない。どうせあせった石川警視の提案だろう。

――石川さんったら、ほんっと憎めない人。

ピーチッチはクスクス笑いながら、騒がしい美術館へと移動を始めた。
49 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:34
突然音もなく、特別室が闇に包まれる。

――きた!

「早く! 予備電源を!」

石川の鋭い声が響く。
今回はやたら警備の人数が多い。
暗闇の中立ちすくむ愛理のまわりでも数人がバタバタと駆け回る。

――ああ、もう! やっぱり、他の気配がわからないじゃない!

だから単純に警備を増やすのは反対だって言ったのに。
愛理は全神経を集中させて、周囲をうかがう。ふと目の端に明かりが映る。
予備電源? いや、違う。通用口の方は電気が落ちてないんだ。
そのとき、ほんの一瞬だけ明かりがはっきりしたかと思うと、
扉の動く音が愛理の耳に届いた。

――誰か外に出た? ……まさか!

「石川さん! 『胸さわぎスカーレット』お願いします!」

石川にそう言い残した愛理は、右往左往する人波をかき分けて
どうにかこうにか件の扉の前に立った。うっすらと抜ける明かりの下には
確かに人の気配がある。
観念なさい、ピーチッチ!
愛理はカーテンを勢いよく持ち上げるとガラス戸から飛び出す。
走るのは正直苦手。でも、追いかけるしかない。
しかし地面を蹴りながら眺めた廊下の先には、想像していたような走り去る後姿はなく
その代わりに美術館の警備スタッフがダストシュートに背中を預けてうなだれていた。
50 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:35
「ど、どうしました?」

愛理が慌てて駆け寄る。と、ふと地味な制服に似つかわしくない
鮮やかな色が愛理の目を奪った。一瞬動きが止まる。

血だ。こめかみ辺りから赤く細い筋が頬まで流れている。

「ひゃあっ!」「ひゃあっ!」

愛理の叫び声にかぶさって、甲高い声が背後から上がった。
振り向くと、血相を変えた石川が転びそうになりながら
絨毯敷きの廊下をかけて来るのが見える。
ぶつかりそうな勢いで愛理の元に駆け寄ると、同じように血相を変えている
名探偵の肩を掴んでぐらぐらと揺らした。

「愛理ちゃん! ない! む、胸スカが、ない!」
「石川さん! さ、さつ、殺人! 殺人事件!」

頭をがんがん揺らされながら、愛理も負けじと叫ぶ。
しばらくパニックに陥っていた二人だったが、2、3度の深呼吸ののち
一足先に落ち着いた石川がぐったりした警備員の様子を窺った。
石川が肩に触れたとたん、苦しそうな声が喉元から漏れゆっくりとその目が開かれた。
よかった生きてる。
だが安心感もつかの間、石川が厳しい顔で警備員に詰め寄った。

「誰にやられたんです!?」

警備員は青ざめた顔のまま、外への扉をすっと指差した。
それを見た愛理が石川のスーツの袖をしっかりとつかむ。
まさか、まさか。

「ピーチッチに……」
「ええええ!?」
51 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:35
「とうとう実力行使に出たわねピーチッチ! 絶対許さないんだから!」

医務室へ連れて行かれる警備員を見送りながら、石川がこぶしを振り上げた。
マイプリンの恨みがなんとかかんとかと、小さな声で呟いている。
その隣で愛理は複雑な顔で押し黙ったままだ。

ピーチッチが? ピーチッチに? 
正直実感がわかない。何かが違う。
何度もピーチッチと対峙してきた名探偵の勘がそう訴える。
でもいくら甘い石川警視でも、単なる勘で動いてくれるとは
愛理も思っていない。なにか、とっかかりを。

「石川さんお願い。あの警備員さんの話、詳しく聞かせて」
52 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:35
警備員のケガはそれほどひどくはなかったようだ。
今は医務室で安静にしているらしい。あまり急に押しかけるのはよくないということで
部下が取ってきてくれた証言を石川に読んでもらうことにした。
美術館の警備員待機室を借りて、机を挟んで愛理と石川が差し向かいに座る。
こほんと咳払いをした後、石川が調書を読み上げ始めた。

「えーまずは、通用口付近の見回りしてるときに特別室が騒がしいことに気づいて、
 あ、電気が切られたときね。それで、慌ててあの現場の廊下へ行ってみると
 ピーチッチに出くわした、と」
「えっ? ピーチッチの顔見たんですか?」

愛理が目を丸くする。

「ああ、いや。顔を見る前にガツンとやられちゃったみたい。えーと、ちょっと戻るけど
 あの廊下に着いたら特別室の電気が消えていて、こりゃおかしいと思った警備員さんが
 中を窺うと、逃げ出そうと向かってくるピーチッチの影が見えて」
「影?」
「そう。あそこガラス張りの扉だったでしょ、カーテンのかかった。だから見えたみたい」
「でもそれがピーチッチだなんてわからなくないですか? 影だけなんだし」
「あ、それはその後になるんだけど。で、飛び出してきた影にいきなりガツンとやられて
 あの場に倒れて、そのとき走り去る後姿を見ると、小さな女の子で、しかも手に
 胸スカを持っていた」
「ああ、なるほど。それで『ピーチッチだ』と」
「そ。でそのまま気を失って、愛理ちゃんに発見された、だって」
53 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:36
石川が調書をパタンと閉じて愛理の顔を窺った。
沈思黙考。愛理は頬杖をついたまま眉間に皺をきざんている。 
警備員が見たのはピーチッチの影と後姿だけ。別人という可能性がないこともない。
実際にあの少女怪盗を間近で見たことがある人なんていないのだ。とはいえ
状況や届いていた予告状から考えてピーチッチと考えるのがいちばん妥当だろう。

――やっぱりピーチッチが犯人……?
愛理は机に身体を預けて、窓の方を覗き見た。
外の様子は見えないが、おそらくピーチッチ包囲網が張り巡らされている最中なんだろう。
すでに次の日になって数時間経っている。すっかりくたびれた感じの愛理の顔が黒い鏡になった
窓ガラスに映りこんでいる。クマがひどい。正直、夏休みでよかった。



あ。

愛理がふと弾かれたように身体を起こす。
沈んでいた表情が一転、生き生きとした明るいものに変貌する。

「石川さん! やっぱり犯人はピーチッチじゃない!」

勢いよく立ち上がった愛理は石川の腕をつかむと、まっしぐらにかけていった。
54 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:36
「ちょ、ちょっと待って愛理ちゃん。犯人じゃないってどういうこと?」
「どういうことって、そういうことです。あの警備員さん、嘘ついてるんです」

やって来たのは警備員がピーチッチに殴られたという現場。
このあたりの現場検証はほとんど終わったのか、もう捜査員は特別室の中に数えるほどしかいない。
状況が把握できない石川はなにやら自信満々な愛理を不思議そうに眺めるばかりだ。

「嘘って?」
「もう、石川さん質問ばっかり。今から説明しますから」

愛理はそう言って石川の視線を特別室へと促した。

「あの警備員さんは見回り中に特別室の異変に気づき、ガラス越しに
 室内から逃げ出そうとするピーチッチの影を見た、と言ってました」

石川の頭にここを去るなつみの後姿が思い出される。
薄らぼんやりではあるが、扉を挟んで向こう側の様子はわからないことはない。
実際、今も特別室の中の捜査員の動きは見える。

「確かにここから中の様子はカーテン越しでおぼろげではありますがわかります。でも」

愛理が頭上を仰ぎ、蛍光灯を指差す。
55 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:37
「事件があったとき、こちらの電気はついていましたが、室内は真っ暗でした。
 ええと、夜に自分の部屋の窓から外を眺めたときを想像して下さい」

愛理はそう言って特別室の電気を消してもらう。
ガラス戸には鏡に映したように愛理と石川警視の姿がきれいに浮かび上がった。

「さらにあのカーテンにこっちの明かりが反射しちゃって、中なんて見えるはずないんです。
 警備員さん、いったい何を見たんでしょうか」

しばしの沈黙。
腕組みをして愛理の上で目線を泳がせていた石川だったが、突然ぽんと膝を打つと
あの警備員が眠っているはずの医務室へと走り去って行った。
56 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:37
よし、あっちは石川さんに任せておけば大丈夫だろう。
あとは肝心の『胸さわぎスカーレット』の場所だけ。
いま胸スカはそれこそ持ってけドロボー状態だ。ピーチッチが狙わないはずがない。
考えろアイリーン。自分ならどこに隠す?

自分のポケットに入れておく。
これはない。医務室行きも計画のうちだろう。検査なんかでうっかり見つかったら水の泡だ。
外に投げ捨てる。
これもない。愛理が向かうまで多少の時間はあったが、あの廊下を往復するのは無理だ。
通用口から仲間に渡す。
これも同じ理由で無理。走り去る人影もなかった。
と、なると。

「すいません! このダストシュート、どこに繋がってます!?」
57 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:37
――ああ、もう。ひっどい目にあった。

美術館裏手のごみ集積場。
そのそばの使われていないダストシュートの出口の前で、ピーチッチは
ぶつぶつと文句をこぼしていた。

今回は「別に盗ろうと思えば盗れるんだけど、今日はあんまり乗り気じゃないの」
みたいな手紙をアイリーンの目の前にでも落として手を引くつもりだった。
それなのに、天井裏に忍び込んで手紙を落とすタイミングをうかがってたら、
急に特別室の電気が落ちて、警備員の一人が胸スカを持って部屋から逃げて、
で、ダストシュートに胸スカを放り込んだと思ったらいきなり自分で頭殴って倒れて、
そしたらアイリーンが飛び出してきて石川さんもやって来て誰にやられたって聞いて、
なんて答えるのかと思ったら、なんとまあ。

――だいたいピーチッチを出し抜こうなんて百億万年早いわよ!
58 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:38
万能バッグから開錠セットを取り出して、ダストシュートの鍵を開ける。
金属製のふたを持ち上げて中を覗くと確かに『胸さわぎスカーレット』が
ハート型の怪しい輝きを放っている。
あー、やっぱりかわいいかも。
しばらくぼんやりと見とれていたピーチッチだったが、慌ててふるふると首を振ると
用意していた手紙を胸スカの隣に置こうとした。
が、ふと思い直すと万能バッグから小さな機械を取り出して、ちょこちょことキーを押す。

――まぁ、今回はアイリーンに感謝、ね。

機械の背後からピンク色の紙に書かれた新たな手紙が吐き出される。
ピーチッチはそれをダストシュートに放り込むともう一度ふたを閉めてようやく一息ついた。
よし、とりあえずこれで面目は保てた。
59 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:38
美術館の盗聴器はこの使われていないダストシュートの入り口に仕掛けてあった。
おそらくあの警備員に扮した泥棒は何度も練習をしていたんだろう。
そのたびに仕掛けた盗聴器は入り口の重いふたに押しつぶされて使えなくなっていた。
そういうことだ、うん。

そう自分に言い聞かせる。
おかしいのはわかってる。回収した盗聴器はそういう壊れ方はしていなかったし、
なにより鉱物研究所の方に仕掛けた盗聴器が使えなくなった理由は?

今までなんともなかった機械がこんなに一斉におかしくなることなんてあるんだろうか。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
どっちとも言えないけれど、深くは考えないことにした。もう忘れよう。
だって怖いから。

――早く帰って、道重さんに塩まいてもらおう。

ピーチッチはブルブルと身体を震わせると、そそくさと夜の闇へ消えていった。
60 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:39
「あったあ!」

そのほんの数分後。愛理はごみ集積場のそばで『胸スカ』を高々と掲げていた。
推理は見事的中。どさくさでピーチッチは捕まえられなかったけど、
真犯人は見つけたし、宝石も盗られなかったし、これなら及第点だ。
と、少し浮かれ調子の名探偵の足元にひらひらと一枚の紙片が舞い落ちる。
かわいらしい桃色の紙を拾い上げ、目を通す。
とたんに愛理の薄い肩がわなわなと震え出した。


シンアイナル アイリーン ヘ
ハンニンタイホ ゴクロウサマ コンカイハ ヒキワケッテコトニ シテアゲル
ナノデ 『ムナサワギスカーレット』ハ オカエシイタシマスネ

                  カイトウ ピーチッチ


「なんとなーく……悔しいいいいいいいいいいいい!」
61 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:39


「つまり、ピーチッチに便乗しようとした泥棒が失敗したって訳ね」

あの警備員に扮した泥棒は、医務室の窓から逃げようとしているところを
駆けつけた石川警視に取り押さえられたらしい。
また追試でもあったのか、今日も制服姿の舞美が持参の新聞に顔を突っ込んで
そう説明する。桃子がテーブルを拭く手を休め、その新聞を横から覗き込んだ。

「まぁ、よかったんじゃないの? ほらぁ、盗られはしなかったんだし」
「よくないわよ、まったく」

愛理はさゆみおすすめの新作「スペシャルブリリアントプリティパフェ」を待ちながら、
ふてくされた顔で目の前の新聞をにらみつけた。
新聞の見出しには『ピーチッチ対アイリーン、今回は引き分け』と書かれているのが見える。
けど愛理は知っている。舞美の手に隠れているが、その後に?マークがついていることを。
あのピーチッチの手紙がマスコミに漏れたのだ。
62 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:39
「結局さ」

舞美が突然新聞から顔を離した。

「愛理は最初からピーチッチを疑ってなかったってことでしょ? なんで?」
「……うーん、ピーチッチは、なんていうか、確かに人のものを盗む悪いやつだけど」

愛理はいったん言葉を切って、指先で前髪を分ける。
舞美が、そして桃子が気のないふりで続きを待つ。

「人を殴ってケガさせたりさ、ああいうひどいことはしないよ」
「おおおお! なんかいいね! 認め合うライバルって感じ!」
「そういうんじゃなーい! ピーチッチが泥棒なのに変わりはないんだから!」

そんなやり取りを背中で聞きながら桃子が出来上がったパフェを取りに向かうと、
カウンター向こうでさゆみがニヤニヤした顔で見つめているのに気づいた。
桃子は慌ててほころんでいた口元をへの字に返す。

「い、いい加減諦めりゃいいのに。ほんっとアイリーンって変な子!」
「ふふふ。今どき探偵と争う怪盗なんかやってる桃ちゃんがいちばん変なの」

さゆみの言葉に桃子は複雑な表情をする。
――そう言われちゃうと身も蓋もないんだけど。

ピーチッチはお礼代わりにアイリーンのパフェにパイナップルを一切れおまけすると、
いつもの桃子の顔に戻って二人の親友の元へときびすを返した。
63 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:40
第二話 おわり
64 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:40
65 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:42
名探偵アイリーンこと鈴木愛理は、うなだれていた。
授業終了のベルが鳴ったというのに、立ち上がる気力もない。
机の上も片づけないまま、ついた頬杖。でるのはため息ばかりなり。

愛理が、大きなため息をまたひとつ、机の上に落っことしたとき。

「こーら」
ひょい、と左手から、愉快そうな瞳がのぞきこんできた。
愛理は、黙って目をそらす。

「おーい」
と、今度は、反対側から。心配そうな瞳が、愛理の顔をのぞきこむ。
左右から挟みうちにされて、愛理は下を向いてしまった。

「あらら」
「そんなに落ちこむことないのに」

ねー、とそろった明るい声が、愛理のポニーテールの両側で、きれいにハモった。
66 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:43
怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン

第三話 「噴水広場でつかまえて」
67 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:43
口々のおなか減ったの声、教室のドアのあけたての音、椅子や机を移動させる響き。
昼休みのベルが鳴ったばかりの教室は、ざわめきに満ちている。
そろってランチタイムを過ごすため、いつものようにお弁当をぶらさげて愛理の机に
やってきた桃子と舞美は、机の主のめずらしいふくれっつらに、顔を見合わせた。

「最下位じゃなかっただけ、マシじゃん」
気を引き立てようと、愛理のほっぺをつついてくるのは、舞美。見下ろされた愛理は、
ぶすふくれたままである。
「トップの人にいわれたくない」
「陸上部なんだから、あれくらい当然だよ」
自分と桃子の椅子を用意しながらさらりという舞美に、桃子が抗議の声を上げた。
「跳び箱と走んの、カンケーなくない?」
「いやいやいや。助走するじゃん」
「にしたって、五段差でトップはありえないと思いまーす」
話しながら、愛理の机を囲むようにして、椅子に座る。

何はともあれランチタイム。食べながらでも、話はできる。
68 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:44
三時間目の体育の授業のことだった。

今日の体育は、跳び箱。
突如として、クラス全員による『ガチンコ勝ち残り跳び箱バトル』が開催された。
体育の先生が風邪ひきで、授業をするのが億劫だったらしい。
跳び箱って小学生じゃあるまいし――と最初は目を丸くした生徒たちだったが、
勝ち残り戦が始まると、がぜん燃えた。

激戦を制したのは、大方の予想通り、春のスポーツテストでも、秋のマラソン大会
でも、堂々の学年トップを記録した、陸上部期待の星、矢島舞美。
14段をかるがると跳躍して、クラスメイトの歓声を浴びた。
そして、見事、最下位にかがやいたのは――。
69 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:45
「ベベじゃないったって、あたしベベツーだよ? ブービーつまり下から二番目
 なんだよ?」
愛理はがっくし、と肩を落とした。桃子は、ピンク色のお弁当袋をほどきながら、
「下に一人いる、って思うと気が楽になんない?」
「そうそう。愛理がそんなに落ちこんでたら、エリ怒るよ」

舞美が『エリ』と呼ぶのは、クラスメイトの梅田えりか。
モデル並みのスタイルを誇る大人びた美人にして、壊滅的に運動神経が鈍い。
『ガチンコ勝ち残り跳び箱バトル』において、愛理を押さえてダントツの最下位を
手にしたのは、この人なのであった。

「えりかちゃんはっ!」
くわっ、と愛理は顔を上げた。その迫力に、二人はひるむ。
「おもしろかったじゃん」
「あ」
「たしかに」
パンの袋に指をかけた舞美が、ぶはははは、と笑う。桃子も目をかがやかせた。
「もぉ笑い死にするかと思ったんだけど! あの、落ちかたヤバくない?」
「なんであんな体勢になるのか、ほんっとわかんないよね。わざとかよっていう」
「でさ、でさ! 立ち上がったときのモデル歩きがまた――」
肩をたたきあって、きゃっきゃと思いだし笑いに興じた二人は、ほぼ同時に、はっと
笑いをとめた。
愛理がじっとりと、二人の顔をにらんでいるのに、気がついたからだ。
70 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:46
う、うん、と舞美が咳ばらいをした。桃子は何食わぬ顔で、持参ののりたまを、白い
ごはんのはしっこまで、ていねいにかける。
「あんな醜態見せといて、笑いも取れやしないとか――」
屈辱だ、と愛理はつぶやいた。どうでもいいけど、と桃子が静かにいう。
「愛理、お弁当食べないわけ? だったら食べるよ、舞美が」
「え、いいの?」
「た、食べるよっ」
本気の目になる舞美から、愛理はカッパのイラスト入りのお弁当箱をガードした。
どんなに落ちこんでいても、それと食欲とは別、なのだった。
71 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:47
「――あのね愛理。たかが体育の授業で恥かいたからって、そんな落ちこむような
 ことじゃないの。世の中、もっともーっとツラいことだらけなんだから。
 だいたいひとつくらい苦手があるほうが、女の子はかわいいってモンだよ?
 愛理みたいに、頭いいわ家お金持ちだわ桃の次くらいにかわいいわ名探偵だわ
 なんて、完璧すぎて。男の子が裸足で逃げだしちゃう」

妙な持ち方でお箸をふりまわしながら、とうとうと語る桃子に、
「そうそうそうそう」
『桃の次くらいにかわいい』に、つっこむことも忘れて、舞美も熱心に同意する。
「大事だよ、苦手があるって。だからこそ、がんばろって気になるじゃん」
「お、舞美いいこというね」
「まかして!」
72 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:48
「そういう問題じゃないんだなあ……」
お箸をくわえたまま、愛理はちいさくうなる。
舞美が身を乗りだした。
「どういう問題?」
「やっぱり運動音痴はネックだよ。前からわかってたことなんだけど、まあいっかで
 流してたから……。やっぱなんか対策しないとダメかなあって、思えてきた」
「え、意味わかんない」
「あ、そゆことか」
額のあたりに疑問符を浮かべる舞美と対照的に、桃子はなるほどね、といわん
ばかりに肩をすくめた。
「そういうこと」と、愛理。
舞美が、二人の顔を交互に見る。
「え、なに二人。テレパシー? あたしにも送ってよ!」
「もう、舞美。愛理がこんな気にすることなんて、ひとつっきゃないでしょ」
「ってなに」

「ピーチッチ」
73 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:49
その名前が出ただけで、愛理は、見なれた昼下がりの教室が、色を変える気がする。
背筋が伸びるような緊張と、なぜか気持ちいいドキドキ。

あ、なるほど、と舞美がうなずいた。
「日常では支障なくても、名探偵としては、運動音痴は大問題ってワケか。
 それで愛理、そんな気にしてんだ」
愛理は、『やかん係』のえりかがいれてくれたお茶を、ひとくち飲んだ。
「そ。今までだって、けっこう惜しい場面で逃げられたことあったんだよ。
 舞美ちゃんくらい身体能力が高かったら、捕まえられてたかもしれない」
「頭の中身が舞美だったら、そこまで追いつめられてないし。ていうかぁ」
二人の会話を一刀両断すると、桃子はタコさんウィンナーをつまんで、愛理の鼻先に
つきつけた。
「頭でつかまえなさいよ。それが探偵の仕事でしょ」
「む。基本そうだよ? だけどホームズはフェンシングにボクシングだし、明智小五郎
 だって柔道の達人、コナンくんだってサッカーで犯人やっつけるじゃん。頭脳労働の
 探偵だって、多少の心得は必要なんだよ」
「つったって、そんな一朝一夕に身につけられるようなモンでもないでしょ。今から
 弟子入りでもしようっての?」
「まさか。でも、そこは工夫次第で――」
お?と愛理は声を上げた。あ、お、お?と妙な声をだして、浮かんだ考えを整理する。
74 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:50
「いいこと思いついたかも」
「なになになに」
身を乗りだす桃子に、おっとっと、と愛理は自分の口を手でふさいだ。
「企業秘密。くふふふふふ」
「あー、なんか企んでるぅ」
「企むとかじゃないよ。計画を練ってるんだよ。ふっふっふっふっ」
「いっしょじゃん。ねぇ舞美」
「ね、頭の中身が舞美だったらとか、桃ひどくない?」
「え、今ごろ?」

とかなんとかいっちゃってるうちに、昼休みは終わってしまった。
すっかり元気になってお弁当を平らげた愛理に、桃子と舞美はあきれながらも、
ほっとした顔を見合わせるのだった。
75 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:50


――やっぱり緊張するなあ……。

放課後。

体操着姿の愛理は、秋風のなか、身をちぢこまらせるようにして、見なれない校舎の
間を歩いていた。
足の下で、たまった落ち葉が、さくさく割れる音がする。
家路につくもの、部活に向かうものたちが、行きかう中庭。
誰かが向こうからやってくるたびに、知った顔じゃないかと、どきりとしてしまう。

なにしろ、本当なら、十三歳の愛理はここ――中等部に通っているはずなのだから。
76 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:51
愛理の通う私立ベリ宮【きゅう】学園は、小学校にあたる初等部から、中等部、高等部、
最後の付属大学まで、エスカレーター式の女子高だ。
学園はじまって以来の秀才といわれた愛理は、この春、十二歳にして高等部に入学した。
中学まるまるすっ飛ばし。いわゆる飛び級である。

そんなわけで、本来入学するはずだった中等部は、知り合いだらけ。
なのに通ったことがない。なのでどうにも、なじめない。
中等部は、愛理にとっては鬼門なのだった。
そんな中等部を、わざわざ訪れているのには、ワケがある。
77 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:52
「おじゃましまーす」

ちいさな声とともに、体育館の重い扉を開けた。
外の曇り空より明るい電灯の光が目をさす。
卓球部にバスケ部にバレー部に――。活動中のクラブのなかに、知った顔を探す。
目的の人は、愛理が見つけるよりも早く、こちらに気づいた。

「おおあいりん、いらっしゃい」

舌っ足らずだけど落ちついた声。くりくりした瞳が、愛理をとらえてきゅっと細まる。
愛理に向かって片手をあげると、なっきぃこと中島早貴は、特徴的な声で笑った。
78 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:52
「それにしても、どういう風の吹きまわし?」
愛理の前を歩く早貴は、愉快そうな顔でふりかえった。
「なにが?」
「急に部活混ぜて欲しいなんて。新体操は捨てたんじゃなかったの?」
「捨てたとかやめてよ。探偵との両立はムリだって、何回もいったじゃん」
「冗談だって。こっち」
舞台の斜め下あたり、赤いラインテープで囲まれたスペースに、早貴は愛理を導いた。
新体操部の部員なのだろう。数人の少女たちが、愛理を見て、会釈をしたりささやき
交わしたりする。

「はい、しゅうごーう」
早貴が手をたたくと、部員たちは、慣れた様子で早貴のまわりに円陣をくんだ。
「ええと、今日からしばらく練習に参加する、鈴木愛理さん。まあ、時期はずれの体験
 入部くらいに思ってくれたらいいかな。経験者だから、特に気をつかわなくても大丈夫。
 ヘタしたら、あたしより素質あったんじゃない、ってくらいだったし」
へえ、という好奇心いっぱいの視線が、いっせいに向けられる。
「ちょ、それはいいすぎ――」
「じゃあ愛理、挨拶して」
「あ、うっと……こ、高等部一年、鈴木愛理です。よろしくお願いします」
ぺこり、と頭をさげる。
「名探偵の、アイリーンさん、ですよね?」
一人の生徒が、興味津々、といった顔で聞く。
「う、まあ……『名』がつくかは、わかんないけど」
「きゃあ、すごい。アイリーンがうちの部に!」
「新体操してたんですか?」
「部長とどんな関係?」
「ピーチッチ捕まりそう?」
一人が口火を切ると、みんなして、いっせいに質問責めにしてくる。
79 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:54
愛理が目を白黒させていると、
「こらこらこらー。練習には、探偵も泥棒も関係ないからね。みんな集中!」
「はーい」
鶴の一声。早貴の言葉に、部員たちはいっせいに姿勢を正した。
「じゃあ、二人一組で柔軟から。よろしくお願いします」
「お願いしまーす」
声をそろえると、部員たちは、てんでに距離を置いて柔軟体操をはじめる。
早貴がくるりと振り返った。
「じゃ、あいりんは、あたしとしよっか」
圧倒されていた愛理は、ぎこちなくうなずいた。
「すごい、なっきぃ。すっかり部長さんだね」
三年生が引退後、早貴が中等部の新体操部の部長になったことは、風の噂で知って
いた。が、こんなにも立派につとめあげているなんて。
早貴は首を振る。
「なりたてだから、ぜんぜんまだまだ。さ、じゃあ――」
「あ――っと。ごめんなっきぃ。ちょっと待って」
愛理は、早貴の言葉をとどめた。その目がきらりと光る。

「こら、そこの人!」

愛理は大きな声をだした。
体育館の鉄製のドア。ちょっぴり隙間があいている。その影だ。
80 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:55
しばしの沈黙のあと。

「へへ、みっかっちゃった」
なぜかピースサインをだしながら顔をのぞかせたのは。
「舞美ちゃーん!」
愛理は、脱力した。
さっきから感じていた視線と気配が、よもやこの人だったとは。
「なにやってんの、舞美ちゃんは」
早貴が怖い顔をした。けれど、その目は完全に笑っている。
「なっきぃ。元気かーい」
舞美は両手を振りながら、スニーカーを脱いで、体育館へと入ってくる。
部外者だというのに、臆する気配はまったくない。ハーフパンツにTシャツ、
そのうえに陸上部のジャージ、と完全に部活仕様の格好だ。
「舞美ちゃん、ほんっと何してんの、中等部でっ」
「アップ走りに校舎でたら、愛理が中等部はいってくの見えてさ。ついてきちゃった」
「ついてきちゃったじゃないでしょ。ついてきちゃダメ」
二人のやりとりに、早貴がくすくすと笑う。
「相変わらずだねえ、舞美ちゃんは」
「なっきぃも相変わらずしっかり者だね。さっき見てたよ。ちゃんと部長さんしてた
 じゃん」
「うそ。ホントに?」
「ホントホント。感心しちゃった」
「やった。リーダーがいうんなら本当だ」
早貴は、愛理に向かってVサインをだしてみせた。
さっきまでとは打って変わって、子どもっぽい表情になる。

愛理は懐かしい気分になった。まるで小学生に戻ったみたい。
三人は、小学生のとき、同じ新体操クラブに通っていたのだ。小学校三年生で愛理が
入会したとき、早貴は四年生。六年生の舞美は、チームリーダーをつとめていた。
81 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:56
「とかいって、二人ともやめちゃったし」と、早貴が冗談めかして二人をにらむ。
「舞美ちゃんが陸上にいってがっかりしてたら、愛理まで、探偵さんで休業でしょ。
 あたしだけじゃん、続けてんの」
「いやあ、走るの楽しくってさ。で、愛理はまた新体操すんの?」
「ち、ちがうよ。今日はちょっと――」
「あ、あれだ。特訓するんでしょ。体育のリベンジだ」
「体育? なに、なんかあったの?」
「いや、今日の体育の跳び箱で愛理ったら――」
「舞美ちゃん!」
愛理は両手を振り上げた。
「もう。練習あるんでしょ。さっさと行きなよ!」
舞美の背中をぎゅうぎゅうと押す。
「ちょっとくらい大丈夫だって」
「ダメ。邪魔になるから」
「なんで。愛理がいいんだったら、あたしもいいじゃん」
「舞美ちゃんはダメ。――ほらぁ」
愛理は、体育館の入り口を指さした。いつの間にか、そこには黒山の人だかり。
舞美と愛理の視線を受けて、黄色い声が、体育館にこだまする。
「舞美ちゃん目立つんだから。ちょっとは自覚してよ」
「……ははあ」
舞美は頭をかいた。
じゃあ帰るか、と素直にうなずくと、愛理の肩をぽんぽんとたたく。

「がんばれ、愛理」
82 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:57
「しょうがないな、舞美ちゃんは」
取り囲む女の子たちに不器用な愛想を振りまきながら去ってゆく舞美の後ろ姿に、
愛理はちいさくつぶやいた。
「わかってると思うけど」
腕組みした早貴が、ちらりと愛理を見上げる。
「舞美ちゃん、愛理のことすごく気にしてる」
「知ってるよ」
「今だって、愛理が中等部恋しくなっちゃったんじゃないかって、心配なってついて
 きたんだよ、きっと」
「わかってるって」
愛理はちょっとむくれた。

早貴にいわれるまでもなく、舞美の考えていることなんて、お見通しだ。
13歳にして高校生をやってる愛理のことを、世話焼きの舞美は、人一倍気にしている。
83 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:57
――愛理のこと心配してんのは、舞美だけじゃあないんだけどなぁ。

愛理と早貴が話している体育館の中二階。
古い卓球台や、過去の体育祭のオブジェなんかが所狭しと置かれているスペースで、
やぶけたマットに腹ばいになって、桃子は唇をとがらせていた。

放課後、中等部に向かう愛理のあとをこっそりつけると、行き先はすぐに知れた。
遅れて体育館に駆けこむ部員の一人に盗聴器をとりつけるなんてことは、ピーチッチ
には、お茶の子さいさい。まさかの舞美に吹きだしながらも、すばやく、ひと気のない
中二階に潜りこんだ。ちょうど死角になっていて、下からは、まず見つからない。
とはいえ、マイク越しに『こら、そこの人』なんていわれたときには、大慌てだったけれど。

――それにしても。

怪盗ピーチッチは、マットから飛びだしたスポンジをむしりながら、考えこむ。

愛理ったら、やけに思わせぶりだったから、何か秘策でもあるのかと思ったんだけど。
新体操の練習が、いったいなんの役に立つのだろうか。
愛理が小学校のとき、新体操クラブに所属していたことは知っていた。運動音痴を
標榜する愛理にしては、相当いい線いってたらしい、ということも。でも、昔とった杵柄
とはいえ、ちょっとやそっと練習したくらいじゃ、運動音痴の克服なんて、そう簡単に
いかないだろう。
だとしたら、たんなる体力づくり? 体ならし? それにしたって、気の長い話だ。

なにしろ次の犯行予告は、今週の土曜日。四日後なのである。
84 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:58


それから三日間。
愛理といっしょに、毎日中等部の体育館に通った桃子だったが(もちろん隠れて)、
練習が終わる前には、体育館をあとにしていた。
生徒たちが帰路につきだすと、見とがめられる可能性が高くなるし、18時までに
「しすたぁ」の店番を代わらないと、アニメが見られない、とさゆみがうるさいのだ。

だから、桃子は知らない。

新体操部の練習が完全に終わったあと、早貴と二人で、愛理が『あるもの』の特訓に、
いそしんでいたことを。
85 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 00:59
今週土曜、夜12時、
『告白の噴水広場』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
86 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:00
土曜日。

――右の道から逃げるとして、あの木の陰に仕掛けるべきね。何がいいかな。
   音させてもあんま意味ないから、ロープかなんか。で……。

立派な英国式の庭園を見おろす、豪奢なバルコニーの手すりにもたれて、名探偵
アイリーンは、考えにふけっていた。

「すごいよね、この庭。外国に来たみたい」
横に並んだのは、警視庁捜査一課の石川警視。
思考をストップして、愛理はうなずいた。
「昔のお金持ちってすることが派手。ほら、ここからだと、噴水よく見えますよ」
広々とした庭に、こじんまりとした噴水広場がある。3階の高さから見下ろしている
せいか、そのクラシックな造形のせいか、まるでおもちゃみたいだ。
「ほんとだね」
「石川さん、こっち」
愛理は石川をつれて、建物をぐるりと囲む、バルコニーの端に向かって歩いてゆく。

「いいお天気で良かったですね」
「って、遠足じゃないんだから愛理ちゃん」
「ちがいますよ。雨とか降ると、音も気配もまぎれるでしょ。そうなると断然、
 ピーチッチに有利なコンディションになっちゃいますから」
「なる。今回特に、ターゲットが屋外だもんね」
87 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:01
角を曲がると、また端まで。建物の裏手にでる。裏門に立っていた警官が、こちらに
気づいて敬礼する。石川が敬礼を返しながら、
「裏口の警備は2人か」
「すぐそこがもう、山じゃないですか。けっこう険しくて、地元の人でも入れない
 そうです。なら、あの人数で十分かな、と」
「なんか今回、警備すくないね」
愛理は、思わず石川をにらんだ。
「な、なに」
「前回、あれだけの人員を投入しながら、ピーチッチを取り逃がした、ってことで、
 警備の人数、大幅に削減されてるんですよ」
「あ、そ、そうだったっけ。そ、そういえば今日、愛理ちゃん、荷物多いね」
石川が、話をそらそうと、愛理の肩のスポーツバックを指さした。
今度はなぜか、愛理があわてる。
「そ、そうですか? いや、そのう、遠かったんで」
「そっかぁ」
二人は、なはははは、とごまかすように笑いあった。

話しながら、バルコニーを一周してしまった。
最初の位置に戻ると、愛理はふたたび、庭園を見下ろした。
濃い緑色の植えこみが、秋の日を浴びて鮮やかだ。明治時代の華族のお屋敷を改築して、
開放しているとか。季節ごとの色合いを見せる美しい庭園、クラシックな建物、そして
なにより観光の目玉は――。
88 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:03
「でね、石川さん。裏は使えないし、お屋敷じたい辺鄙なトコだから、まわりに建物は
 ひとつもなし。目標は噴水広場。今回、正面から来るしかないんですよ、ピーチッチ」
愛理は、バルコニーの手すりに両手をかけると、よっと、と自分の体を持ち上げた。
ツバメみたいな格好で庭を眺め回しながら、嬉しそうにいう。
「……ひょっとしたら、もう来てたりして」
「え、ど、どこにっ」
愛理は足をぶらぶらさせると、意味ありげな視線を、石川に向ける。
「これだけ侵入しにくいところなんだから、そういうことも考えられるかなって。
 屋敷のどこかに潜んでて、予定時刻に動きだす。ありえる話でしょ」
「だったら探そうよっ。捕まえられるチャンスかも」
「ダメです。宝石をしっかり守っていれば、ピーチッチは、そこにやってくる。
 ヘタに目を離したら、それこそ相手の思う壺だわ」
愛理は身軽にバルコニーに飛び降りた。

「さてと。最後にもう一度、確認しに行きましょうか」
89 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:04
植えこみで仕切られた、迷路のような煉瓦道を、右に左に曲がりくねって。
たどりついた噴水の広場は、夕日に照らされ、静かにたたずんでいた。
噴水を囲むようにして立つ彫像。道を迎えいれる薔薇のアーチに、花はない。
止まってからどれくらいたつのだろう。水音のない噴水は、どこかもの悲しい。

「これが『告白の噴水広場』……」

水盤につくられた石段の上に立って、愛理は首を伸ばした。
二重鍵をはずして、噴水の噴出孔ぜんたいを四角くおおうガラスケースを持ち上げる。
宝石は、噴出孔にぴったりとおさめられ、夕暮れ色の輝きをはなっていた。
親指の先くらいの大きさ。いっけん宝石とは思えない。たまった水が、夕日で光って
いるだけに見える。黄色のような茶色いような、あわいだいだいのような。
特定しがたい、ひかえめな美しさ。

「戦争で屋敷を追われる際、女主人が、噴水の穴のなかに隠した。彼女の没後、
 遺言状によって所在が判明。現在、屋敷は県のものとなっており、夕暮れどきに
 深い輝きを見せるこの宝石は、観光客の目を楽しませつづけている、だって」

石川が、噴水の横に立てられた案内板を読み上げている。
愛理があとをひきとった。

「なお、『告白の噴水広場』という通称は、女主人が生涯隠し通した宝石の在処を、
 死出の旅路にいたりようやく打ち明けたことから、後世のものが名づけた、でしょ」
「よっ、歩くガイドブック」
「からかわないでください」
90 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:06
愛理は白い手袋をつけた。指を伸ばして、宝石にふれる。つまむ。簡単に持ち上がる。
普段は観光客の出入りがあるので、広場自体に警備員が常駐している。
とはいえ、屋外での保管とは。物語ふくめた観光名所だから、仕方ないのかもしれない
けど、ぶっそうな話だ。

石川がつづける。
「エメラルド、アクアマリンと同じ緑柱石の黄色系統……正式名はヘリオドール。
 あんま聞いたことないよね。もちろん高価らしいけど、何億とかじゃないみたい。
 ピーチッチのターゲットにしちゃ、地味な気がするな」
「よくわかんないんですよ、ピーチッチの基準。すごいの狙ってくると思ったら、
 こういう、いわくはあれど、価値は微妙なのきたりして」
ケースの蓋を元に戻すと、問題なし、と愛理は地面に飛び降りた。

「行きますよ、石川さん」
「え。あたしたちも噴水広場につめとくんじゃないの?」
「いいえ。あたしと石川さんは、さっきのバルコニーから、噴水広場を監視します。
 見ての通り、植えこみのおかげで、ここは視界がききません。
 一度、取り逃がしたらアウト。あそこからなら、移動するピーチッチの姿を、
 追いつづけることができる」
「でもそれじゃあ、見つけたにしたって、捕まえられないよ」
「刑事さんを3人配置して、あたしのほうから指示を振っていきます。
 すでにトラップも仕掛けてあるし。逃げ道をひとつひとつふさいどけば、おのずと
 ピーチッチのルートは限られる。ほかにもまあ……」

愛理は、にんまり笑うと、肩の上のスポーツバッグを軽くゆすりあげた。

――見てなさい、ピーチッチ。今日が年貢の納めどきよ!
91 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:07
――どっから行ったもんかなあ。

屋敷内、床下の食料貯蔵庫。
浅い昼寝から目覚めたピーチッチは、懐中電灯で、手もとの見取り図を照らした。

愛理の予想通り、数時間前から、建物の敷地内に潜入していたピーチッチである。
家捜しされても、うまく動きまわれば、見つからない自信があったからなのだけど、
予定時刻まで30分をきった今になっても、あたりを調べまわる気配はない。
ちょっと拍子抜けしたものの、すぐに思いあたった。
今回は人員がすくない。それにくわえて屋敷の広さ。
警備のバランスを崩さないよう、というアイリーンの指示だろう。
ターゲットが噴水広場にある以上、ピーチッチがそこにあらわれるのは確実だから。

――噴水広場で待ち合わせ、なんて。

デートでもあるまいし、とピーチッチはひとりで笑う。

ピーチッチが音もなく地下貯蔵庫を出た一分後。
派手な爆発音が、屋敷に響いた。
92 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:08
「やっぱり。地下貯蔵庫だと思ってたんだ!」
バルコニーにいた愛理は、手すりにつかまりながらも、悔しそうな顔をした。
爆発音につづいて、足もとから地震のような地響きが響いてくる。
「石川さん、見てきてください!」
「がってん!」
走り去る石川を見送って、愛理は、インカムのマイクに向かってさけぶ。
「あとの人は、その場で待機。噴水広場の刑事さん! 宝石から目を離さないで!」
自身も、手すりから乗りださんばかりに、庭に目をこらす。
深夜にもかかわらず、庭の電灯は煌々とかがやいている。まるでナイター球場。
「宝石あります!」
刑事の声が耳に飛びこんできた。
「ありがとうございます。では、そのまま――」
ばつん、という音とともに、電気がいっせいに消えた。

――また!

ピーチッチが電源を落としたのだ。
まったく、ワンパターンなんだから。愛理は舌打ちする。
「照明つけてください!」
愛理の声を合図に、噴水広場が、浮き上がったように、オレンジ色の照明に包まれた。
予備のライト。これは、そう簡単には消せないはず。
「刑事さん、屋敷がわの道を――」
ぶつっ、という音がして、イヤホンからノイズが消えた。
まさか。愛理はインカムをはずす。異常なし。が。作動しない。
偶然? 電波障害? こんなときに!? っていうか、こんなときだから!
「もうっ」
愛理はインカムを投げ捨てた。まちがいない。ピーチッチだ。
ふたたび手すりに張りつくと、愛理は噴水広場に目をこらす。

黒い影が、視界を横切った。
93 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:09
中庭の警備に当たっている刑事にあて身を食らわせると、ピーチッチはすばやく
彫像の影に潜んだ。あとの二人は、ごっつんこでおねむ。アイリーンはバルコニー。
裏門の刑事たちは、愛理の指示なしには、やってこないだろう。それにしても――。
ピーチッチは目を細めた。

――明るすぎ。エコに悪いんじゃないの、アイリーン。

予備のライトに照らされて、噴水広場は、スポットライトを浴びたようだ。

――まあ、手早くやれば、大丈夫ね。

アイリーンに大サービスだ。
ピーチッチは、暗視スコープの下の目を、きらりとかがやかせた。

ふわり。

踏みきりもなしに、コートの裾をひるがえして跳躍した。一歩で噴水の水盤に着地。
その影に身をかがめると、手にした七つ道具で手際よく、ガラスケースの錠をはずす。
ケースを持ち上げ、宝石をつかむ。地面にまたふわり。ついた足で大地をけると、
今度は植えこみの影に飛びこんだ。その間わずか数十秒。
94 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:11
「10.0」

われながら鮮やかな手並み。体育の授業で見せられないのが、残念だけど。
手もとの宝石を確認する。ライトに照らされる、やさしいかがやき。たしかに本物。

――ちょっろぉい。

ぺろりと舌をだして、ピーチッチが振りかえろうとしたとき。

すさまじい気配を感じた。

全身が、びん、と嫌な予感にはじかれる。意識する間もなく、ピーチッチは地面に
身を伏せた。そのうえをかすめて、すごい勢いで、何かが飛んできた。
左右に揺れながら重量感たっぷりに『なにか』は、植えこみの枝を折った。
まだ勢いが死なない。向こうの木にぶちあたって、大きくバウンドする。
ピーチッチは、あんぐり口を開けた。
「なにあれ」
ふたたび嫌な気配。ピーチッチは、ひと飛びした。今度は彫像の陰に隠れる。
バルコニーのアイリーンを盗み見る。
95 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:11
両の手でクロスさせるように、どこかのアニメの主人公さながら。
アイリーンが、こちらに得物を向けていた。
一見、ドラムスティックのような。だけど、もっと長い。端が楕円形になっている。

――あれって。

見覚えがある。愛理を張っていた、新体操部の練習で見た。
新体操で使うクラブ(こん棒)だ。
アイリーンを見て、ばきばきに破壊された植えこみを見て、ピーチッチはぶるっと
身震いをした。

――何考えてんのよ、愛理ったら!

あんなモノぶつけられたら、ただではすまない。
ピーチッチは、必死で逃げ道を探った。
裏はダメ。こっちは? ふさがれてる。じゃあ、あっち――ダメ、なんか仕掛けてあるし。
しばらく頭をフル回転させたあと、はっと気がついた。

たった一つのルート――正面玄関に向かう道だけが、無傷で残されている。
愛理によるエスコートは、つまり罠。
飛びだした瞬間、さきのぶっそうな得物が飛んでくるのは確実だ。
96 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:12
噴水の広場に、自分の鼓動が響く気がした。

――まいったなあ。

ピーチッチは唇をなめた。
こうしてる間にも、他の刑事がやってくる。考えているヒマはない。とりあえず。

ピーチッチは、足もとに隠されていた、照明の予備電源をけとばした。
97 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:13
――消えた!

愛理は、鋭い緊張を覚えて、唇をかんだ。
噴水広場の照明が、いっせいに消えたのだ。

明るさに慣れた目では、広場はぼんやりとしか映らない。むしろ、強い照明を長い
こと見つめつづけていたせいで、目がちかちかする。視点が定まりづらい。

――だから、わざわざライトのなかで盗んだんだ。

バルコニーから動かないアイリーンに、不穏なものを感じていたのだろう。
大胆かと思えば、あきれるほど用心深い。敵ながらあっぱれ、なんて気持ちを押し
殺して、愛理は、意識を澄ませる。
闇のなかでも、ピーチッチの気配は感じる。
意識の向く方向。そこに向かって、投げるしかない。
愛理は、手のなかのクラブを、ぎゅっと握りしめた。なじんだ感触をかみしめながら、
そのときを待つ。ぜったい当ててみせる。特訓したんだから!

沈黙がつづく。薄い闇に目をこらす。
ピーチッチのタイミングを逃さない。ぜったい。

数分なのか数十分か、ひょっとしたら数十秒でしかなかったのかもしれない。
だけどアイリーンにとって、ピーチッチにとっては、永遠にも似た、長い、長い、
長い静寂のあと。

影が飛びだした。
98 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:13
早い。まるで道を横切る黒猫のよう。飛ぶように噴水の広場を抜け――。

「させない!」

愛理は振りかぶった。勢いをつけて、遠心力のままに、クラブを投げはなつ。
意志の通りに、正しい位置に、想定の速度で、飛びだした手ごたえ。

噴水広場で、鈍い音がした。
99 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:14
ピーチッチは、目をまん丸に開けていた。

正直、「死んだ」と思った。

石川警視が。
100 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:14
時間を30秒ほど、前にもどそう。

彫像の影から飛びだしたピーチッチは、低い体勢で全力疾走した。
ややジグザグに体を振って、飛んでくるクラブを、すぐにかわせるよう集中しながら。

上に意識をとられていたから、気づくのが遅かったのかもしれない。
突如、黒いモノが植えこみから飛び上がった。
ピーチッチは、ぎょっと立ちすくむ。
「りゃあっ!」
甲高い声とともに、にゅっと伸びてくる手。あっけにとられて、よけられなかった。
手のなかの『告白の噴水広場』が、あっという間にむしり取られる。
「ちょ、ちょ――」
「ピーチッチ、覚悟!」
ピーチッチが、目をらんらんと輝かせた石川警視の姿を認めたのと、ほぼ同時だった。
ぼごっとか、がごっとか、形容しづらい、鈍い打撃音が、石川の後頭部で鳴り響いたのは。
101 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:15
「い、石川さぁん」

ピーチッチは、おそるおそるしゃがみこんでみる。
足もとにぶっ倒れている石川警視は、完全に気を失っていた。白目をむいている。
その傍らで、くるくるまわっているのは愛理のクラブ。すごい音がした。
ピーチッチを狙って放たれたクラブが、命中したのだ。
頬をたたいてみる。口もとに手をかざす。良かった、息はある。そんでもって――。

「刑事さん、こっち!」
遠くから、愛理の声が聞こえてきた。
102 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:15


「ちょっとこれ、どういうこと?」

朝の教室に、舞美の大声が響きわたった。
目の前に、ずん、と新聞紙がつきつけられる。

『お手柄! 美人警視!!』

大きな見出しが踊る一面。ダブルピースの石川が、満面の笑みを浮かべている。

机にあごをのせたまま、愛理は、新聞紙をぐい、とずらした。
その向こうから、まだカバンもおろしていない舞美が、こちらをのぞきこんでいる。
愛理はその顔を、上目でにらんだ。
「舞美ちゃん、いっつも新聞持ってきちゃって、お母さんに怒られない?」
「怒られる。だから最近、コンビニで買ってる」
ほらほら、と左上をしめされる。確かにそこには『ハロスポ』の文字が。
なるほど、スポーツ新聞だ。アイリーンピーチッチの記事により、部数が飛躍的に
伸びたとかなんとかいう。
103 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:16
「舞美愛理おっは――」
「桃、これすごくない?」
「うわぁ」
やってきた桃子が、舞美に新聞を突きつけられて、のけぞる。
「すごいどアップ、石川さん」
舞美は、愛理に向きなおった。
「ね、どういうこと? 盗られなかったのはいいけどさ、なんで石川さんなの?」
「書いてある通りだよ」
愛理は体を起こした。
「今回、怪盗ピーチッチから、みごと宝石を守りきったのは、石川警視なワケ」
その表情は暗い。舞美と桃子は、顔を見合わせた。
愛理は、ふ、と笑みを浮かべた。
明朗活発な少女探偵に似つかわしくない、どこかすすけた表情である。
104 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:16
ピーチッチ逮捕の奥の手として、飛び道具を使ったこと。
あと一歩まで追いつめたところで、石川警視が飛びだしてきたこと。
みごとピーチッチから宝石を奪い返したのは良かったが、愛理の投げたクラブが
ぶちあたり、石川が目を回したこと。

そして――。
105 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:17
「石川さんは、倒れても宝石をはなしませんでした」

愛理は、まるで教科書を読み上げるような口調でいう。
「現場ついたとき、もうピーチッチは逃げちゃってたんだけど、石川さん、手に
『告白の噴水広場』にぎりしめたまま、気ぃ失ってんの。もう、死後硬直かって
 くらい、ガッチガチに握りこんでて。起きるまで、はがせなかったもん」
「はあ。ピーチッチも取り返せなかったってワケだ」
「石川さんかわいそー」
桃子が頬をおさえる。
舞美が頭をかいた。ちょっと口ごもりながら、
「でもでも、こういう言い方ナンなんだけどさ――」
愛理が、舞美のいいたいことを先取りする。
「まあ、石川さんに邪魔されなきゃ、ピーチッチにあてる自信はあったよ?
 宝石盗られないだけじゃなく、ちゃんと捕まえる。だけどねえ……ちょっと、
 猛反省中なの」
106 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:18
愛理は頭を抱えこんだ。

「石川さんの頭、すんごいたんこぶできちゃったの。その写真、超笑顔だけど、
 目、うるってるでしょ。そうとう痛かったみたい」
「ていうか、新体操のクラブなんて、よくたんこぶですんだね」
「そうだよ愛理。あんなぶっそうなモノ使っちゃって、ピーチッチ死んだら
 どーすんのっ!」
「て、なんで桃がムキになるの」
「い、いやべつに」
「大丈夫だよ。練習用のラバーのヤツなんだから。あたっても、しれてるの。
 いくらピーチッチが悪いヤツでも、そんな無茶はしないよ。でもさあ」
愛理はため息をつく。
「石川さんに、すんごい怒られちゃって」
「へえ。怒るんだ、石川さんが愛理を? 逆じゃなくて?」
「舞美、さすがに失礼だって」
「はじめてだったよ、あんな石川さん」
107 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:19
『あたしだったから良かったけど、誰か他の人にあたったらどうすんのっ。
 あたっても、たかがしれてるっていったって、そんなの絶対じゃないんでしょ。
 プロが道具を使うからには、道具に責任を持たなくちゃいけないの!』

ぜったいピーチッチを狙いうちできる、その自信があって使った飛び道具だけど、
結局はちがう人を傷つけてしまった。しかも、大切な石川警視を。
裏を返せば、愛理の指示を無視して噴水広場に飛びこんだ石川が悪い。
そう考えてもいいところなのだけど、芯から真面目な愛理は、そうは思わない。

たとえば石川さんじゃなくたって、どんなに警戒をしていたって、どこかから
誰かが飛びだしてくることはあるのだ。自分の絶対は、世界の絶対じゃない。
108 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:20
「なるほど。ひとつ学んだってワケだ」
舞美が感心したようにいい、桃子は「ほーんとマジメなんだから愛理は」と、
つまらなさそうな顔をする。
「じゃあもう、せっかくの飛び道具は禁じ手にしちゃう?」
「うん封印。運動音痴対策に、新体操部には、ちょこちょこ顔だすつもりだけど。
 クラブ投げるのは、もうバツ」
「確かに愛理、クラブ扱うの、うまかったもんね」と、舞美がいう。
「そうなんだ」
「うん。小学校んとき、練習終わったあと、みんなでこっそり投げて遊んでたんだ。
 コーン……だっけ、あの赤い三角の立てて。すごい音するからおもしろくってさ」
「そうそう、あてたらジュース一本とか」
「愛理、百発百中だったもんね」
へへへと笑いながらも、愛理の表情は、晴れない。

「で、石川さんのケガの具合は?」と、桃子が聞く。
「いちおう頭だから、今日、お仕事休まされたってさ。たんこぶアップの写メ送って
 きた。気にしないでっていうわりに、そゆことするんだもんなあ」
「ピーチッチも、さぞびっくりしただろうね、石川さん出てきたときは」
「結果的には、ピーチッチ守ってケガしてんだもん、石川さんったら」
「う」
なぜか桃子が、胸を手で押さえた。
「なによ桃」
「あっと。はい、提案ていあーん」
桃子が、手をあげると、ぶんぶんと振った。
109 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:21
「お見舞い、行かない?」
意外な提案に、愛理と舞美は、えー、と声を上げる。
「だってだって、石川さんの顔見たら、愛理の気も晴れるでしょ」
「あ、なるほど。あたしはいいよ。今日、部活ないから」
「よっしゃ。愛理は?」
愛理は、いつも困っているみたいといわれる眉を、さらに下げた。
「んー……。喜んでくれるかな」
桃子はぐっと親指をつきだす。
「もちろんだって。ね、舞美」
舞美も、自慢のロングヘアが乱れるくらい、ぶんぶんとうなずく。

「お花かなんか、買っていこうか」
「あ、『しすたぁ』のケーキ持ってこうよ」
「それ名案」
「おおケーキ」
「そういえば、道重さんが、新ケーキ開発したって」
「うわ、それ食べたーい。ケーキケーキ」
「あはは、愛理ほんと食べもの命なんだから」

落ちこんでいた愛理に、笑顔が戻ってくる。
そんな愛理を見ているうちに、桃子はついつい、しょうがないなあ、という顔に
なってしまっている自分に気づく。しょうがない、次がんばろ、なんて。
110 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:22
始業のベルが鳴った。

ほら舞美、と持ちっぱなしだった新聞を、桃子は舞美に手渡した。
新聞のなかの、石川の笑顔と目があう。
ピーチッチはこっそり、お手柄の石川警視にウィンクした。

――まあ、悪いのはアイリーンなんだけど――ごめんね、石川さん。

ケーキはとびきりおいしいのでって、道重さんに、いってあるから。
111 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:23
第三話 おわり
112 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:25
 
113 名前: 投稿日:2008/01/08(火) 01:25
 
114 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/08(火) 03:26
新作待ってました!序盤、無駄に長いかな、と思ってたんですが、そんなことなかったです。
ちゃんと意味があったんですね。読み応えありました。

二話に合わせて一話の「家族旅行」を「しすたぁ」に変えるあたり、芸が細かいですな。
でも、飛び級ですっ飛ばしたはずなのに「中学生」になってるところが残念ですw

ところで、元々二話、三話になっていたところを一話、二話に変更しているのは
プロローグ部分が元一話だったと考えていいですか?

どなたが書くか、わかりませんが第四話を期待してます。
115 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/09(水) 03:18
作者さん複数なんですね!全然違和感無いのがスゴイ!
まとめて下さった方ありがとうございます
又の対決楽しみにしております
116 名前: 投稿日:2008/01/29(火) 01:24
>>114
ご指摘ありがとうございます
何回も読んだのにまったく気がつかなくて、申し訳ないやら恥ずかしいやらで
大変でした。次から気をつけようとポジテブに受けとめます
話数に関しても、その通りです
事件が起こってなかったのでプロローグ扱いにしました

>>115
ありがとうございます
リレーなんで、自身も続きを楽しみにできて嬉しいです
117 名前:_ 投稿日:2008/03/31(月) 00:40
私立ベリ宮【きゅう】学園からちょっとはなれた繁華街。
割と名の知られた街で、10階を越すデパートも数店ある。
その中のひとつで明日から始まる『宝石フェア』を
特別に今日から見ている一行が居た。

「ピーチッチが狙うとしたら、やっぱりこれですよね」

もう飾りつけの済んでいる宝石群を見て警視庁捜査一課勤務、
石川梨華がそう呟いた。
黒のスーツと白いブラウスをきっちり着込んだその姿からは
性格の生真面目さが伺える。

「今回一番の目玉だものねぇ」

梨華の声に応えたのは鉱物博士にして宝石にも詳しく、
警視庁へも顔パスの安倍なつみ。
Aラインのワンピースを着ているからだろう。
一見梨華よりも年下に見えるが実際は梨華より年上である。

梨華が覗き込む強化ガラス製のケースの中には、大振りのダイヤ。
カットして輝きを出すよりも、カラットを大事にしたためだろう、
特徴的な2つの大きなでっぱりを翼に見立てたそれは
『恋するエンジェルハート』という名前で呼ばれていた。
118 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:41
「みんなもそう思うでしょ?」

梨華は振り返る。
けれど後ろに居ると思われた学校の制服姿の3人は居ない。
おや?と梨華があたりを見回せば3人は別の宝石を見ていた。

「何見てるの?」
「石川さん、この宝石。素敵じゃないですか?」
「どれどれ?」

制服姿のひとり、鈴木愛理の言葉に梨華となつみは近寄っていく。
愛理とその同級生の矢島舞美、そして嗣永桃子の3人が見ていた宝石は、
『恋するエンジェルハート』に比べるとだいぶカラットの小さな
サファイアの青とエメラルドの緑が組み合わさった、丸い宝石。

「まぁきれいだけどさぁ、こんな小さいのピーチッチが狙うかなぁ?」

本日の目的は、対怪盗ピーチッチ対策のための情報収集。
オープン前日にも関わらずこうして見ていられるのは警視庁という
伝家の宝刀のおかげである。

もともと梨華は対怪盗ピーチッチの最高権限を持つ名探偵アイリーンこと
鈴木愛理ととふたりだけで下見に来ようかと考えていた。
しかし愛理の母親は『探偵ごっこ』とあまり良い顔をしないので
どうしましょうかねぇ?となつみに相談したところ、
なにがどうなったのか、気がつけば5人で来ることになっていた。
119 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:41
「この宝石はさ、生まれるまでのストーリーがまた良いんだよね」
「へぇ〜。聞きたいです!」

なつみの思わせぶりな言葉に舞美が食いつく。
その様子を桃子が制服のリボンをいじりながら、梨華が腕を組みながら
不思議そうに見ていた。そんなふたりは目があって微かに頷きあう。

――あのふたり最近なんか仲良しさんですよね。
――ねぇ。不思議よね。10コも歳が離れてるのってのに。
――不思議ですねぇ。

「そお? 聞きたい、やじまん?」

――やじまん!?

桃子と梨華は目だけじゃなく顔まで見合わせてしまう。
そんなことは気にもかけずにエヘン、となつみは咳払いをひとつ。

「昔々、ひとりの恋する宝石技師がいました。
 彼は世界で一番彼女を愛してるということ、
 自分の愛の向き先が彼女の心たったひとつということを証明するため
 ありったけの財産でサファイアとエメラルドを買いました。
 その青と緑の宝石をパズルの破片のように削って組み合わせて
 地球の形をつくり上げました。
 それを婚約指輪にしてプロポーズした宝石技師は
 見事彼女の心を射止めたのです。
 貴女への愛は地球のごとくたったひとつでかけがえない、そう意味する
 この宝石はいつからか『As One』と呼ばれるようになりました」

口々に漏れる4つの「へぇ〜」の声と小さな拍手。
なつみは照れ笑いを浮かべながらぺこりと頭を下げた。
120 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:41
「素敵ですねぇ」と呟いたのは愛理。「私がピーチッチだったら、
価格の桁が違っても『恋するエンジェルハート』よりこっち狙うかも」

ガラスケースの中できらめく小さな地球を見つめて愛理はふぅと息をつく。
とても、きれい。……とても。

「こらこら」と梨華がつっこむ。「名探偵アイリーンともあろうものが
 『私がピーチッチだったら』なんて言っちゃダメでしょ」
愛理が「えへへ」と舌をのぞかせて、温かい笑いが起こったりする。

一通りの視察が終わって5人はその場をあとにしようとする。
ただ出て行く前に愛理だけが何度も振り返って、宝石を、見ていた。

何気なく発した自分の言葉が愛理の胸に小さな傷をつけていた。
ワタシガ、ピーチッチ、ダッタラ?
121 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/31(月) 00:42

怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン


   第四話 「怪盗アイリーン」
122 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:42
宝石フェアはピーチッチ効果で大盛況を見せていた。

「怪盗ピーチッチが盗みに来るかも知れない」
「もし本当に来たら前もって見ていたら話の種になるな」

なんて思いからか、フェアはかなりの盛り上がりで、
その客達が食事をしたり買い物をしたりしていくので
百貨店サイドとしてはピーチッチ様様という訳である。

そして愛理達の視察から1週間が過ぎて
宝石フェアも最終日までの折り返し地点を迎えたときに。

百貨店宛に例のアレが届いた。
123 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:43
 
次の金曜、夜12時
『As One』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
 
124 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:43
夜。愛理の携帯が鳴った。
液晶には "石川さん" の文字が浮かんでいる。

「はいもしもし」
「こんばんわ愛理ちゃん。今大丈夫?」
「あ、はい」

いつもと違う低めの声におやっ?と愛理は首をかしげる。

「石川さん、どうしたんです? 元気なくないですか?」
「予告状が来たの」

ますます愛理は首をかしげる。予告状が来たらいつもは
やる気出てきた!と頑張るポジテブ思考の人なのに。

「しかもターゲットは私達が視察に行った
 あのフェアの中の宝石。どれだと思う?」

もしかして。
125 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:43
「『恋するエンジェルハート』じゃなかったら落ち込んでます?」
「そうよ、あたり。ターゲットは『As One』だって」

梨華の声が一層どんよりと。

「『恋するエンジェルハート』は人気ないのかなぁ」
「そんな落ち込まないでくださいよー」
「まぁ、そんな訳で愛理ちゃん。明日学校終わったら警察寄ってってね」
「はい」

通話が終わって数秒後。愛理は両手で口を包みうふふと笑いをこぼす。
お気に入りの宝石が狙われなかったってだけであの落ち込みよう。

「石川さんってば、面白い!」
126 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:44


同時刻。
愛理邸からやや離れた喫茶店で、イヤフォンから聞こえる
ふたりの会話に同じようにうふふと笑いをこぼす少女がひとり。

「石川さんってば、面白い!」

愛理の声に重なるタイミングで、嗣永桃子も叫んでいた。
盗聴機のスイッチを切った桃子は、さてと、と呟くとこの数日の間に
立てた『As One』入手のプロットの再度の見直しを始める。

こたつの上にどさりと資料を置き、家主・道重さゆみが淹れてくれた
紅茶を飲みながら頭の中でのシミュレートを繰り返した。
特訓だけが自信に繋がる。念には念を入れなきゃね。
127 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:44


警察に寄って打ち合わせをした翌日。
今度はひとりで宝石フェアに行く愛理の姿があった。

かと思えば宝石はろくに見ず、お客様用入り口を何度も通ったり
業者用入り口をこっそり見に行ったりしている。
そしてノートにちょこまかとその様子をメモに取ったりしている。

さらに翌日、警視庁の石川梨華の机へ1通のカードが届いた。
何なの何よ?とカードを見た梨華は絶句してしまう。
その文面は――。
128 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:45
 
次の木曜、夜12時
『As One』を戴きに参ります。

怪盗アイリーン
 
129 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:45
木曜の深夜。
明かりも消えてすっかり人気のなくなったデパートの側に愛理は居た。
長めの髪をいわゆるツインテールにまとめ、上は黒のシャツ、
下は黒レザーのホットパンツに黒のニーソックスをあわせている。
大きなショーウィンドゥのガラスに映る自分を見て思う。
泥棒っぽくない。と言うか。

――これで緑のスカーフでもしたらまるでライダーね。

愛理はふーっと大きく息を吐く。
足音を出来るだけ殺すようにまた歩き出した。
デパートをくるっ、と一周。大して時間はかからない。
しかしその間に見かけた出入り口は通常のと非常用と搬入用で8つ。

――隙だらけだわ。

建物は避難しやすいようにか出入り口の多い作りだし、
入った後はデパートの開店時間まで隠れていればお客にまぎれて出て行ける。
中は商品がいっぱいで隠れるところにもことかかなさそう。

――あえて隣から行くとか?

愛理は隣接する同じくらいの高さの建物を見上げてしばし考え、
小さく首を振って否定した。危険は可能な限り避けていきたい。
130 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:46
デパートの中の階段を愛理は、静かにゆっくりめに登っていく。
やがてたどり着く目的のフロア。宝石フェア会場の入り口に着いた。
だだっぴろい会場に、大の大人の腰よりちょっと高いくらいの、
宝石を展示してあるケースが静かに並んでいた。

――結構ケースに高さがあるから、身を隠すのは簡単。

この先を整理しよう。えっと、と愛理は唇に人差し指をあてた。
まずインカムをノイズで邪魔する。それから電源ケーブルを切る、ね。
当たり前だけど暗くするのは一番後が効率いい。

その電源ケーブルだけど。
このデパートには本線と予備線がある、と聞いている。
しかも結構物理的に離れて引かれてる、とも聞いている。

愛理は置いてあった段ボールを重ねて足場を作り、
よっこいしょと登ると天井についた蓋に手をかけた。

かちゃり、と開く。
暗闇を懐中電灯で照らすと、黒いケーブルが1本だけ見える。
愛理はポケットから配線図を取り出す。

――あれは電源の本線、みたいね。

本線を切ればデパートは停電になるけれど、およそ3分で
予備電源に切り変わって明かりが戻ると公表されている。
131 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:46
作戦その1 その3分の間に『As ONE』を盗んじゃおう。
作戦その2 その3分の間に電源の予備線も切っちゃおう。
作戦その3 と言うより先に予備線を切っちゃおう。
作戦その4 いやいや、予備電源が点いてから予備線を切ろう。
132 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:46
作戦その3はねぇ、と愛理は難しい顔をする。
予備線だけが切れても電気は当然消えないんだけど
切れたって合図のメロディが流れるようになってるから切ったの
ばれちゃうんだよなぁ。

予備線を切る=その直後に本線を切ろうとしている、が
ばればれだから行動が見えちゃうから怖いなぁ。

作戦その4は、堅実だけど時間がかなりかかる。
居る時間が長いほど捕まる確率は上がるわけだし、
それに予告時間を大きく過ぎちゃうのはイヤ。

かと言って作戦その2を実行するには本線と予備線の距離が
離れ過ぎてる。本線の切れた暗闇の中、見つからないように
予備線を切りに行くくらいなら――。

「作戦その1が王道よね、やっぱり」
133 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:47
改めてフェア会場のケースの群れを見る。
宝石を守るガラスケースは中に水を置く都合から固定出来ないけど、
その代わりケースが開けられたら電池式のベルが鳴り始める仕組みだ。

――そしたら位置が特定されるけれど。

しかしケースを動かさずには、
ベルを鳴らさずには『As ONE』を含めすべての宝石が取り出せない。
そしてここから3分で『As ONE』を盗って往復は困難に見える。

――ひとりのほうが素早いし、技もある。

確実に行くべきかな。
愛理は目を閉じ、ふぅ、と息を吐いた。「よし」と呟く。
蛍光灯の薄明かりの下、アイリーンは『As One』へ向かって歩いていく。
いや。正確には『As One』の側で腕組みして立つ石川梨華へ向かって。

「こんばんわ泥棒さん。怪盗アイリーンって響き悪くないね」
「泥棒に『さん』付けしないでくださいよ」

梨華と愛理は見つめ合う。ふたりしてくすっ、と笑った。
134 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:47


金曜日の夜23時。
宝石展示フロアで鈴木愛理――こと、名探偵アイリーン――は
難しい顔をして唇に人差し指をあてていた。

「これで諦めてくれると嬉しいんですけど」

その言葉に「そうねえ」と返すのは石川梨華。
今回は宝石フェア、予告された『As One』以外にも宝石はごろごろしている。
それだけにこのフロアでは派手なことはしたくない。
だから名探偵アイリーンは『出入り禁止』を作戦のメインにすえた。

入り口の多さ、隠れる場所の多さを逆手に取る。
今回は人員増員を願い出て、昼間のうちから見張りを店内にあからさまに
巡回を行ない、閉店になるなり8つの出入り口すべてにも見張りをつけた。
排気ダクトや在庫の段ボールなんかにCAUTION!と印字されたテープを
貼り付けさせている。

攻められる側として見た場合に隙だらけな今回。
相手の気力を、くじきたい。

「でもさぁ」

梨華に微笑みかけられ、愛理は眉間の皺をほどいた。

「アイリーンから予告状が来たときは本当に驚いたわ」
「石川さん驚くだろうなぁと思って」と愛理は舌を出した。
135 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:48


話を巻き戻すこと数日前――、
突然の『怪盗アイリーン』からの予告状に梨華が目を丸くするシーンから。

「何よこれ?」

第三者のいたずら、ではなさそうね。
予告状の実物は警察関係者しか知らないはずなのに、細部まで酷似している。
本当に愛理ちゃんが出したの?

「んっ?」

くるっとひっくり返すと続きがあった。


 ……と言うのは嘘で『私がピーチッチだったら』みたいな感じで
 私が侵入する側だったら方法や経路、
 どのような点に気を配るかを模擬侵入して確認してみたいと
 思ったんですがこのアイディアどうでしょう?
                           おすず

「ちょっとも〜ぅ!」

梨華は手の平を顔にかぶせ、天を仰いだ。
136 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:48


「その結果がこの作戦ってわけね」
「はい」

自分が侵入するとしたら、宝石を奪うとしたらどのような方法を、
経路を選ぶかが参考にならないだろうか?
そんな思いでふと実行してみた昨日の模擬侵入実験。

梨華のような現職の警官には出来ない無謀な真似だが自分なら。
まだ13歳(高校生だけど)で名探偵で名の通った自分なら。
その思惑通り?警察もビルのオーナーも
意外な程すんなりオーケーを出してくれた。

捕まえるより盗まれない、なんて消極的な作戦!
いつの間かまた、アイリーンの眉間には皺が寄っていた。
137 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:49
――まったくもう。

同時刻。
全身を黒い服装で包んだ嗣永桃子――こと、怪盗ピーチッチ――は
暗闇の中に居た。

――隠れてようかと思ったら見回りいっぱいいるし。

ひんやりした鉄板の上にバッグを置き、その上に腰を下ろして
懐中電灯の小さな明かりを頼りにこの百貨店の図面を眺めている。

――じゃあ閉まってから入ろうとしたら入り口みんな見張られるし。

図面の端にはピーチッチ手書きと思われる、幾つものマルとそれを繋ぐ
矢印の絵。その中の何個かにはバツ印がつけられている。

――アイリーンってば今回はこんな作戦ってわけね。

そう言うピーチッチの口元には、笑みが浮かんでいる。
放っておいても足元の鉄板はターゲットの『As ONE』の待つフロアへ
運んでくれる。動く鉄板の正体はエレベーターの天井。

ピーチッチはもう、デパートの中へ潜入出来ていた。
138 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:49
宝石フェアのフロアを通り過ぎる直前、ピーチッチは立ち上がる。
そしてジャンプ。メンテナンス用の足場を上手に跳ね、音を立てず着地。

ピーチッチは一度体を離し、周りをきょろきょろ。
薄明かりの中で黒いケーブル郡を見つけるとその先を目で追う。

――あれが通常電源の線。ってことは。

さっきの図面を思い出す。
向かいのおよそ5m離れた壁に目を凝らすと黒く細いケーブルが見える。
エレベーター3基の行き来する空洞を挟んで向こう側のあのケーブル。

――あれが予備電源の線ね。

図面で見つけた本線と予備線が一番近くなる場所がここエレベーター裏。
それでも実際に見るとこんなにも離れてる。
ピーチッチはふぅ、と息をついた。
139 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:50
アイリーンは腕時計を見る。12時まであと10分。

「石川さん、そろそろ――」

横の石川に視線を移すタイミングで、電源が落ちた。
まったくの暗闇。アイリーンはちょっとショックを受ける。
ピーチッチ、入って来れたんだ。

「持ち場を離れ――」
アイリーンはインカムを耳から取っ払う。叫んだ。
「持ち場を離れないでください! ライトお願いします!」

持ち込んだバッテリー式スポットライト2個を点ける。
宝石のケースを照らすと『As ONE』は、ある。
1個のライトは『As ONE』に固定し、もう1個のライトでフェア会場の
あちこちを照らすと、
宝石のケースの影に寄り添うようにしている人の影が見えた。

――ピーチッチ!

アイリーンがそう思うのとほぼ同時に、ピーチッチはライトの
光から姿を消した。
140 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:50
ピーチッチはもう来ている。
そして予備電源が切れたときのアナウンスは流れなかった。
予備電源は生きている。

暗い中ライトの明かりだけで追うのは、
告白の噴水広場の時に大の大人さえ気絶させた、
当て身が得意(?)なピーチッチ向きじゃない。

3分後。
本線の電源から予備線の電源に切り替わり
電気が点いた明るい中、全員で追いつめよう。
141 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:53
辺りの様子に気を配りながら、
ライトの死角に入るように交わしながら『As ONE』のケースへ。
ここまでで1分半、とピーチッチのほぼ正確な体内時計が告げる。

――頑張ったけど、ぎりぎり3分超えちゃうな。

ライトの死角に体をひそめたまま、念のため左手で顔を隠しつつ
右手でガラスケースを持ち上げ『As ONE』を抜き取った。
ベルが鳴り響く中の、あっという間の早業。
しかしそれでも。

――ライトしか追ってこない。

宝石フェアだから『As ONE』以外にも気を配る必要があるはず。
きっと人をいっぱい配置してごちゃごちゃだろうから
暗い中で追っ手の刑事さんを少しずつ分散させて対応しようと
思ってたのに、ピーチッチにとって誤算。

――頭をゼロにしよう。

アイリーンはどう考えている?
今ここで追いかけなくても、最終的に捕まえれば良いと思っている。
その「最終的」はきっと3分後、予備電源の復活後を想定している。
それまではライトでの位置把握でその瞬間にそなえる。

――つまり3分を耐える……かな?

ピーチッチはライトの照らし元、さっきの声の元を見た。
毎度おなじみのバッテリー式スポットライト。
そこにいるよね、アイリーン? 明る過ぎて解らないけど。

――だったら!
142 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:53
ケースからケースへと、黒い影がライトから身をかわして滑っていく。
あれ?とアイリーンが気づいた。

――ピーチッチってば、出口に一直線に向かわない?

会場の中心へ中心へ。でもそこにあるのは……。
143 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:53
もうひとつベルが鳴り響く。
しかしそのケースは『As ONE』のものではなく、
『恋するエンジェルハート』。

「きゃあ!」と梨華のカン高い声が響く。
「さてはピーチッチ、『恋するエンジェルハート』に狙いを変えたわね」
「えぇ〜?」

なんだか嬉しそうにさえ聞こえる梨華に対し、
訝しげな視線を投げ返す愛理。まぁ、それはそれとして。

「ライトを『As ONE』から『恋するエンジェルハート』に移してください!」

ライトが照らした先、ベルの鳴る台座の上には
『恋するエンジェルハート』が何事もなく置かれていた。
盗られてない、とホッとするのも束の間。疑問が湧き上がる。
じゃあなんで鳴ったの? 偶然? 計算?

――もしかして。

ほぼ同時に、違う場所でベルが鳴り始めた。
鳴る。また鳴る。またまた鳴る。鳴り止まないベル。
あちらこちらでベルが鳴り、目覚まし時計の大合唱のようになった。
144 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:54
宝石の台座を駆け抜ける影が見えて、
宝石ケースにつけてベルがあちこちで鳴っている。

「石川さん、行きましょう!」
「えっ?」

石川が作戦と違うじゃない?という視線を向けると
愛理は焦った顔をしていた。

「電気消えてもう2分は経ってますよね」
「うん」
「もう『As ONE』は盗ったのに、逃げ出さずにかく乱してきてます」
「確かにそうね。時間の余裕なくなってきてるのに」

愛理はぶんぶんと首を振って否定する。

「時間の余裕がなくなってないんです」
「え? だってだって」
「予備電源、たぶんつきません。3分って縛りがきっとない」
「え、え、え?」

単なるかく乱ではなく、
予備電源が点かなくて私達が慌てている間に逃げるためのかく乱。

「行きましょう」
「わ、解んないけど行く!」

どうやって切ったかも気になるけれどそれどころじゃない!
このままだとライトのバッテリーが持たない。
開店時間まで隠れられて逃げられる。不利になりすぎる。
145 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:56
――もうすぐ3分。

ピーチッチはおなかをなでながら思う。
その体は逃げながら少しずつ『出口』へと近づいていた。

そろそろ切り替わらなかったことに気づいて慌ててるはず。
その隙に乗じて消えちゃおう。

――じゃあね、アイリーン。

ケースの影からライトに向かって余裕の投げキッスなんかした次の瞬間。
暗闇からピーチッチに向かって黒い手が伸びてきた。

「ちょ、ちょ――」

暗闇&黒のスーツ&黒い肌。まったく見えなかった。
当て身のはずが、いきなりだったため、狙いが大幅に狂った。
宝石フェア会場に、鈍い音が響いた。

正直、「殺したかも」とピーチッチは思った。
146 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:56


「まぁ、そんな時もあるよ」

月曜の朝、いつもの通学路。
土曜の新聞を片手に矢島舞美が訳知り顔で呟くと、
普段より一層眉尻を下げた鈴木愛理がため息をついた。

「あぁあ。ビルオーナーの引きとめとか無視してフェア最終日を
 中止して『As ONE』を金庫に閉まっちゃうべきだった」
「ほらほら愛理。すごい猫背になってるから」

舞美が愛理の右腕をつかみ、嗣永桃子が愛理の左腕をつかむ。
それっ、と持ち上げる。

「あう〜」
「それで? ピーチッチはどうやって入った解ったの?」

桃子の問いかけに愛理はぼんやりと前を見たまま。

「近くのマンホールから……だと思う。
 あとで解ったんだけど地下駐車場の排水用のパイプが
 直接下水道に流れてく仕組みなんだって。
 そして駐車場から宝石フェアのフロアまでの通路は
 エレベーターの外側をつたってったと思う」
「もうばれてるし」
「えっ?」
「いやいやいや、何でもない。こっちのこと」
147 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:57
「固定観念に捕らわれすぎちゃったなぁって思ったよ」
「愛理ぃ、元気出してよ」
「あのデパートは通常電源と予備電源があったのね。
 通常の電源が切れると3分で予備電源に切り替わるんだけど、
 予備電源だけが切れてもデパートの通常営業には何も問題ないから
 『予備電源が切れましたよ』って合図のメロディを流して
 折を見て管理会社の人が直すシステムだったんだけど」
「うん」

舞美と桃子が愛理の横顔を見ながらうなづくけれど
愛理はまだややうつむきがち。

「その放送がなかったから予備電源は切られてないと思ったのね。
 でも切られてたの。通常電源を先に切ってから予備電源を切ると
 メロディが鳴らないのよ」
「どうして?」
「メロディを鳴らすシステムが通常電源を使ってるから」
「あ、そっか」
148 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:57
「あー悔しい!」

愛理が突然声を張った。
舞美と桃子はびくっ!と姿勢をよくしてしまう。

「予備電源を先に切るのは簡単なんだよ。
 だって明るいところで切るんだもん。
 でも通常電源を先に切った真っ暗闇の中で予備電源のコードを
 切るのは簡単じゃないはずなの!時間たっぷりかかるはずなの!」

愛理はじろっと舞美の持っている新聞を睨む。
石川警視の瞳が潤んだ写真と、『As ONE』以外の宝石、とりわけ
『恋するエンジェルハート』を守り抜いた健闘が云々って記事が載っていた。
違うもん、と愛理は唇を尖らせる。他のは狙われなかったんだもん。

「はいはい、質問」
「どうぞ、嗣永君」

桃子が手を上げて、舞美が発言を促す。

「もし先に予備電源が切られてたら愛理はどうしたの?」
「そしたら次に通常電源も切られるって想像つくじゃない。
 だから出入り口とか見晴らせてる警官の方たち全員を呼んだよ」
149 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:58
予備電源を後から切るのは難しい。だから切っていない。
その固定観念が敗因だと愛理は思っている。自分のミス。
それだけにいつもより余計に悔しい。

「電源の本線と予備線が一番近いところで切られてたんだけど
 それでも5mは離れてるんだよ?
 しかも間にはエレベーターが上下してるんだよ?
 なのに停電になってすぐピーチッチが会場に現われたってことは
 おそらくほとんど同時に両方切ったんだよ?
 そこだけ解らない。どうやって暗闇であれ切ったんだろう?」

斜め上空を見上げ、ん〜、と考える仕種をした舞美は
やがて「高枝切りバサミを使った。とか言って」と笑った。
受けを狙って言った舞美に対してふたりは以外な反応を示した。

愛理は眉間に皺を作ったかと思うとぶつぶつ呟き始めた。

「愛理?」
「……可能性としてはアリかも……手許での遠隔操作が簡単なら……」

桃子は目をまん丸に開けたっきり絶句。口も半開き。

「桃?」
「あ、もうすぐ予鈴鳴るから! 走ろう、ほら舞美も――愛理も!」

桃子は愛理の手をぎゅっとにぎる。そしてそのままベリ宮学園へと
走り出した。まるで舞美の言葉が図星だったかのように。
150 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:58
舞美もスポーツ新聞をバッグにしまうとすぐに追いかけて来る。

「あ、ところでさ」と走りながら、桃子。「石川さんはどう?」
「たんこぶはひどいけどあまり落ち込んではなかったな」

「へぇ。何かあったのかな?」
「何でもね、ビュー…」
「ビュー?」
「びゆ…何とか制度がなくなるんだって」
「ふぅん。よくわかんないや」

3人は早足のスピードを落とすことなく校舎へと駆けていき、
過ぎ去った場所をまだ肌寒さを残した風が吹き抜けていった。


かくて『As ONE』は、ピーチッチの元へ。
151 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:58
第四話 おわり
152 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:58
153 名前: 投稿日:2008/03/31(月) 00:59
154 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:30



「きゃっ!」

すうっと軽快なスピードで足元を駆け抜けていった小さな気配に、
鈴木愛理は思わず飛び上がった。
花壇の草木に水をやっていたジョウロを片手に、愛理はくるりと振り返る。
ジョウロからぱっと散った水滴が、
柔らかそうな黒茶色の土にしみ込んでいく。

「やっほー」
「隙だらけですなぁ、美少女名探偵さん」

すらりとした長身から伸びた白い手にスコップを持っている矢島舞美。
黒くて四角い小箱のようなものを両手に持っている嗣永桃子。
愛理が振り返った先で、
二人の友人がニコニコと笑いながら愛理を見つめていた。
155 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:30

怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン


第五話 「突撃! ジンギスカン☆ライダー」
156 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:30
「もう!二人とも来るの遅い!」

愛理はジョウロを片手に大きな声で話しかける。
私立ベリ宮学園の中庭は人気もなく閑散としており、
微かな怒気を含んだ愛理の声はすっと淀みなく広がっていく。

人気がないのも当然で、今日は日曜日。
クラブ活動をしている一部の人間を除いて、学校には誰もいなかった。

「愛理は真面目だなあ。休みなんだし時間きっちりじゃなくてもねー」
舞美はスコップをひらひらとさせながら隣にいる桃子に語りかける。
「そうそう。先生が見てるわけでもないのにさー」
桃子は返事をしながら両手で持ったコントローラーを操る。
ウインウインと音を立てて小さな物体が再び愛理の足元に向かう。
157 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:31
「きゃっ!ちょっと!何よこれ!」
愛理の周りをくるくると旋回しているのは、ラジコンのバイクだった。

「つぐながモモチ号、目標はっけーん」
「あはははは。突撃しちゃえ」
「ちょっと!やめてってばぁ!」

愛理は、独特の愛嬌のある顔を、さらにゆがめて桃子に抗議する。
(なるほど。これが「希代の困り顔」ってやつですか)
などと愛理の顔をじっと見ながら桃子が考えていると―――
急旋回を切ったラジコンバイクは、バランスを崩して、あっけなく横に倒れた。
158 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:31
桃子と舞美は「遅れてきた罰」ということで
二人で花壇の土の移しかえをさせられることとなった。
その間に愛理は再びジョウロに水を入れてくる。
中庭の一番端にあるその花壇は、
一番近い蛇口からホースを引っ張っても、ギリギリ届かないところにあった。

ぶつくさ文句を言いながらも、桃子と舞美は土をさくさくと掘る。
本来なら係になっている子達が、部活の遠征で不在だったので、
学級委員であらせられる愛理様がその役目を引き受けたということらしかった。
桃子と舞美はそのお手伝い、というわけだった。
お手伝いなのに「罰」とはこれいかに。桃子は心の中でそうつぶやいた。

「はい、そこどいて。水やるから」
「おっけー」
「ねえ、愛理。これでお終い?」
「いえいえ。まだまだ仕事はありますから」
「ええええー」
「ええええー」
「二人とも来たばっかりじゃん!」
159 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:31
口をとがらせてぶーぶー言う桃子を、愛理はどうどうとなだめる。
わざわざ手伝いに来てもらっているのだから、あまり邪険には扱えない。

舞美の方はというと、結構ご機嫌な様子で花壇の土をがーっとかき出している。
体を動かすのが好きな性格なので、こういう作業には向いているのだろう。
凄まじい速さで掘り進んだ穴は、
「これって青函トンネル?」と言いたくなるほどの深さになっていた。

愛理は「桃がさぼるから」という名目で取り上げたコントローラーに手を触れる。
「ねえ、桃。これどうしたの?」
「ラジコン?ちょっとね。道重さんに買ってもらったの」

道重さんというのは、桃子が居候しているカフェ「しすたぁ」の
店長兼、自称看板娘の道重さゆみのことだった。
あれ?桃にラジコンバイクなんて趣味あったっけ?
と不思議に思いながら愛理はラジコンバイクを動かし始める。
バイクは1メートルほど進んで、ぽてっと横倒しにこけた。
160 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:31
「あれー?桃、これ壊れてる?」
「違うよ。愛理の動かし方が下手なだけ」
「そうなの?」
桃子は愛理からコントローラーを受け取ると、
バイクを元に戻し、スイッチを入れる。
バイクは何事もなかったかのように、再びすーっと走り出した。

「ええぇー、なんで?」
不思議そうな顔で見つめる愛理の視線をまぶしそうに受け取りながら、
桃子は得意満面といった笑顔で答える。
「テクニックです」

「愛理ー、それ意外と難しいのよ」
「舞美ちゃんもやってみたの?」
「うん。でも桃みたいに上手く走らせるのは無理みたい」

運動は苦手だけど手先の器用さには自信のある愛理。
器用さには欠けるけれど運動神経は抜群の舞美。
そのどちらも動かすことができなかったバイクを、桃子はすいすいと動かす。
ご機嫌になった桃子は軽く鼻歌を歌い始める。

へーらいだー ほーらいだー ないすっらいだー ごーらいだー
161 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:31
「でもさあ。桃にバイクって似合わないよねぇ」
「えー、なんでよ舞美」
「うんうん。確かに似合わない」
「ちょっとぉ。愛理まで何言い出すのよー」
「だってー。桃ってさ、あの、その」
「子供っぽいじゃん」

言いよどむ愛理をよそに舞美はずばっと切り込んだ。
「嗣永桃子を大人扱いするコト」
嗣永憲法24条違反である。

「なに言うのよー!」
桃子の目がカッと見開く。
くわっと開いた口からは鋭い犬歯がキラリと光る。
どたどたどたと足を交互に踏み鳴らして、悔しそうにじたんだを踏む。

もし愛理に「怪盗ピーチッチの正体は、桃ね!」と言われたとしても、
ここまで大きなリアクションは示さないかもしれない。
162 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:31
「うー!舞美ひどーい!桃は大人だもん!」
「そうかなー」
「もう16歳だもん!舞美と同じ16歳になったんだから!」
「16歳になったら大人なの?」
「そうだよ!バイクの免許も取れるし―――結婚だってできちゃうんだから!」
「結婚!?相手いるの?」
「うー」
「やっぱり桃にはバイクも結婚も似合わない!!」
「断言しないでよ!」
「だって似合わないんだもーん」
「似合うもん!」

そうやって言い合う桃子と舞美を、愛理は目をまんまるくして
テニスのラリーを見ているように交互に見ていた。
やっぱり舞美ちゃんの言うように桃子は子供だ。愛理はそう思う。
ぷりぷり怒っている桃子は、とても子供で、そしてとても可愛い。

「桃はどっちかっていうとー」
そんな桃子を見ていると、愛理はもっと彼女を怒らせたくなってしまう。
「バイクより三輪車っていう感じ?」
163 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:32
「あ、 い、 り !」

桃子が振り返るより早く、愛理は笑いながら逃げ出す。
桃子はコントローラーを操り、
バイクを愛理の足元へと飛ばすが、愛理は軽くジャンプしてかわす。

鋭くターンを切って、再び向かってきたバイクも、
愛理はスカートのすそを持ちながらジャンプして、
闘牛士のようにひらりとかわす。
もう一度逆方向に急旋回を切ろうとしたバイクは、
バランスを崩して、ぽてっと横倒しにこけた。

「あれれ?モモチ号はどうしちゃったのかな?」
「あいりー!!」
「走り続けろ!ほら!ヘナチョコライダー!」
「誰がヘナチョコだって!?」

コントローラーを舞美に押し付けると、桃子は愛理めがけて駆け出した。
164 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:32
桃子と愛理の笑い声が遠くなっていくのを、
道重さゆみはヘッドフォン越しに聞いていた。
ラジコンバイクに取り付けた盗聴器からは、
三人の会話が余すところなく聞こえていた。

「どうやらラジコンの操作の方は問題ないみたいね」

今回の仕事のために買い寄せたラジコンバイクだったが、
桃子とてすぐに扱えるようになったわけではない。
数週間の特訓を経て、ようやくきちんと動かせるようになったようだ。
普通の車のラジコンであればそんな手間は必要なかったが、
道重は「わざわざ」そのバイクのラジコンをセレクトしていた。

なぜならそのバイクの方が、明らかに「可愛かったから」。
可愛さを追求することにかけては道重に勝るとも劣らない桃子は、
特に文句を言うでもなくラジコンバイクの特訓に精を出していた。
165 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:32
「あとはメンテナンスをしておけばオッケーかな?」

ラジコンバイク。
発煙筒。
警察官の制服。
そして可愛らしいお人形。

今回の仕事に必要な物品は、いつものように全て道重が揃えていた。
あとは決行の日を待つだけだろう。

「それにしても―――」

ヘッドフォンからは相変わらず小犬のようにはしゃぎまわる、
桃子と愛理の笑い声が聞こえていた。

「あの子、遊びすぎて予告状を出すの忘れないでしょうね」
166 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:32

今週木曜、夜12時、
「ジンギスカン」を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
167 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:32
「これがピーチッチが狙っているジンギスカンよ」
石川警視が隣にいる愛理に向かってそう言った。

普段は私立ベリ宮学園に通う女子高生。
しかしながら怪盗ピーチッチからの予告状が届くや否や
「警視庁特別捜査顧問・ピーチッチ担当」の名探偵アイリーンとなる。
それが石川警視の隣でじっと紫の宝石を見つめている、鈴木愛理その人だった。

コツコツと拳骨でガラスケースを叩きながら、愛理は石川警視に尋ねる。
「これ、防犯ガラスじゃないですよね?」
愛理がいぶかしむのも無理はなかった。
ピーチッチが狙いを定めている世界最大級のアメジスト「ジンギスカン」は
その値段とは不釣合いなほど質素なケースで展示されていた。
168 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:32
「そうよ」
警視は歌うように軽く答える。
「ていうか警報装置とかもついていないのよね」

愛理は再び紫色をした大きな宝石に目をやる。
なんでも鎌倉時代の元寇の時にやってきた元の兵士の一人が、
キラキラ輝く御殿に住んでいた、九州の豪族の娘に
ひとめぼれしたときに、贈ったとか贈らなかったとか。

その後、その豪族の一族が繁栄を極めたことから―――
このジンギスカンを持つものは、かのチンギス・ハーンのように
あらゆる「黄金(こがね)をつかむのさ」という言い伝えがあるらしい。

もちろん、その伝説に見合うだけの値打ちのある、高価な宝石だ。
それにしては展示室の警備装置は、
明らかに貧弱なように愛理には思われた。
169 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:33
「天才美少女探偵さんならこの警備の意味はわかるわよね?」
石川は一点の曇りもない笑顔でそう言った。

「ええ、まあ。つまりこの美術館に侵入すること自体が―――」
「絶対不可能ってわけよ」
石川警視は明るい口調で愛理の言葉を継いだ。
愛理は石川警視の顔を見つめる。

石川は、湧き上がってくる笑いをこらえきれない、といった表情だった。
いつも必要以上に明るい石川だが、今回はとくに明るい。
「絶対不可能」という言葉に酔っているようにも思われた。
こんなに油断してて大丈夫かなあ。
そんな石川を見ていると、愛理はいつものように不安になる。
170 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:33
だが、石川の言う「絶対不可能」も、まんざら言い過ぎというわけでもなかった。
「ジンギスカン」が展示されているキューティークイーン美術館は、
大きな湖の上に浮かんだ島の上に建てられていた。
島から対岸までの距離は、一番短いところでも50mはあった。
そして島と対岸をつないでいるのは、一本の橋だけ。

「湖の周りでは100人の警官が巡回して警備しているわ」
バシャバシャと泳いで来るならともかく、潜水して湖を渡るのは無理だろう。
重い酸素ボンベを背負って敏速な動きができるわけがない。
ピーチッチが化け物並の肺活量でもしていない限り、潜水して来るのは無理だ。
つまり発見されずに湖を越えるのは不可能だ。

「空にはレーダー網を敷いて、ヘリも巡回させる予定よ」
厳密に言えば空からの侵入を阻むのは不可能だ。
グライダーなどでやってくれば打ち落とすのは難しい。
島にはたどり着かれるかもしれない―――だが。

「レーダーとサーチライトの中を、発見されずに空から来るのは不可能ね」
愛理はその言葉の意味をすぐさま理解する。
今回のポイントは「侵入を防ぐ」ではなく「発見する」だ。
171 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:33
「つまり最悪、島に辿りつかれても、発見してしまえば―――」
「そう」

石川警視は自信満々で答える。
今回ばかりは確実にピーチッチの犯行を阻止できる!
石川の顔にはそう書いてあった。

「発見してしまえば、たとえ島の内部に入り込まれても―――」
「脱出することはできない。というわけですか?」
「絶対不可能よ」

グライダーや気球、パラシュートなどを使えば空から侵入するのは可能だが、
そこから再び同じ方法を使って脱出するのは不可能だろう。
それは湖からジェットスキーなどで来た場合も同じだ。
ピーチッチが島に上がった瞬間に、湖を人海戦術で取り囲んでしまえばいい。
そこから再び衆人環視の中、湖を泳いで逃走することは―――
控えめな表現を使ったとしても―――

やはり「不可能」だろう。
172 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:33
「今回ばかりは人海戦術がものを言いそうね、愛理ちゃん」
「ええ。まあ」

愛理は石川警視が作成した警備配置図をじっと見つめる。
これなら脱出することが不可能という前に、侵入することすら不可能な気がした。
愛理がそこに付け加えることはほとんどないように思えた―――が。

「石川さん、ここの警備はどうするんですか?」
「ああ、そこの非常口はね、直接行ってそこで説明しよっか」

そう言いながら石川は愛理の手を引いて展示室を出て、廊下を進む。
愛理の手の中の平面図には、美術館の裏手にある非常口が書かれていた。
美術館の裏手は小さな森になっていて警備が難しそうだ。
万が一ここから侵入されたり脱出されたりしたら面倒だ。

もっともその森の先にも当然ながら湖があり、そこを越えなければ―――
やはり島から脱出することは不可能なのだが。
警視と愛理がしばらく行くと、そこには重そうな鉄格子が降りていた。
173 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:33
「この先は、備品や展示品なんかを搬入する出入り口なんだけど―――」
鉄格子の向こう側には20mほどの廊下が続いており、
その先には非常口を示す、緑のランプが点灯しているのが見えた。

「ここのパネルに10桁の暗証番号を入れないと鉄格子は上がらないの」
そう言いながら石川警視は片手でピコピコと暗証番号を打ち込む。

「 R H s a z a e h X w 」

鉄格子ががーっと上がり、二人はその先を進む。
鉄格子から出口までの間の、丁度真ん中らへんにたどり着くと―――

ウゥー ウゥー ウゥー

突然けたたましい警報が鳴り響き、廊下の両側から警官がなだれ込んできた。
両側の警官に軽く手を振りながら、
石川警視は「よーし。センサー及び警報の確認はオッケーね」と言った。
174 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:33
「20mあるこの廊下の10m地点にはね、赤外線センサーがあるの」
そう言いながら警視は愛理にゴーグルを手渡す。
それをかけた愛理の目には、
天井から足元まで縦横無尽に張り巡らされた赤外線の網が映った。

「この美術館の入り口は二つしかないの」
「この非常口と―――」
「警官が山ほど構えている正面玄関とね」
「でも石川さん、ピーチッチは―――」
「やってくる。必ずね」

やってきてくれないと困るわよ。逮捕できないんだからね。
などと言う石川の言葉を愛理は軽く聞き流していた。
当然、ピーチッチもこの島のことはわかっているはず。
それでもあえて予告状を送ってきたのだ。

一体彼女は、どういう手を使ってくるのだろう?
175 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:33
その頃、カフェ「しすたぁ」では怪盗ピーチッチこと嗣永桃子が、
準備した道具をいつもの万能バッグに押し込めていた。
一方の道重さゆみはスピーカーから聞こえる盗聴音源に耳を傾けている。

「どうしたの石川さん?すっごい張り切っちゃって!」
「何でもね、ビュー…」
「ビュー?」
「愛理が言うには、びゆ…何とか制度がなくなるんだって。それ以来元気なんだって」
「言葉の意味はわからないけれど、とにかく凄い自信ね」

道重が驚くのも無理はなかった。
スピーカーを通して聞こえてくる警備の様子は想像以上に強固だった。
空からの侵入にも、湖からの侵入にも、
対策に遺漏はないように思われた。

「案外、橋のことを忘れてたりして」
「石川さんもそこまでバカじゃないでしょ」
176 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:34
「へっくちゅ!」
「風邪ですか?石川さん」
「らいじょうぶ」

じゃあそろそろ戻りますという愛理を見送るために、
石川も一緒に美術館を出て、橋のたもとまでやってきていた。
「よーし!じゃあ下ろしていいよ!」
石川の合図で職員がスイッチを入れる。
ゴゴゴゴゴゴゴと地鳴りのような音がして―――橋が上から下りてきた。

美術館のある島と、対岸とをつなぐ唯一の橋は―――
100mほどの全長を持つ―――
跳開橋型の可動橋だった。
177 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:34
可動橋とはその名の通り、橋の一部が動く橋だった。
100mほどある橋の丁度真ん中、つまり50m地点で橋が割れる。
そして割れた二つの橋はゆっくりと橋桁の方へと引き上げられていき―――
橋が「ハ」の字型に跳ね上がる。
そうやって橋が跳ね上がることによって、その下を船が通過できるようになる。

つまり跳開橋とは、かつての東京の勝鬨橋や、
ロンドンのタワーブリッジなどと同じ仕組みを持った橋のことを言う。

なんでもこの美術館を建てた大富豪がお遊びで作ったものらしい。
橋を上げるのには30分ほどの時間がかかるそうだが、
下ろすのはもっと簡単で、ものの5分ほどで下ろせるらしい。

「これ、当日は上げた状態にしておくんですよね?」
「当然。そうやればピーチッチも侵入できないからね」
178 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:34
石川警視の計画では、橋を跳ね上げておき、
唯一の陸路からの侵入経路(および脱出経路)を断つ。

そしておそらくは空か湖からやってくるであろうピーチッチを、
島の内部に閉じ込める。
空からの脱出は警察のヘリが阻む。
湖からの脱出は、湖の周りに配置した100人の警官が阻む。
ポイントは「侵入されても、脱出させない」だ。

「美術館の内部にはさほど人員をさく必要はないわよね?」
「はい。この配置図で問題ないと思います」
かえって邪魔になるだけというのは、過去の失敗が物語っている。

「美術館内部は自家発電だから電源を切られる可能性も低い」
「ええ。島に侵入しない限り無理です」
過去のピーチッチの手口では、内部の電源を切ることが多かった。
館内にある電源装置が切られれば、照明も赤外線センサーも役に立たないが、
そもそも館内に入らない限り、電源装置にたどり着くことはできない。
179 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:34
「今の時点で、美術館に忍び込んでいる者はいなかったわ」
「予告時刻前に美術館に来ていないとは限りませんからね」

三階建ての美術館は、物置からトイレに至るまで、
隅から隅まで調査済みだった。
予告状が送られて来た日から、特別に美術館は休館となっていた。
身分証を携帯した警察官以外の人間が入り込むことはできない。

これってもしかして完璧なんじゃないの?
などと思っている愛理に向かって石川警視は、自戒するように話す。
「でも、油断は禁物よ。―――絶対にね!」

そんなことを言っていニヤニヤしている石川が、一番油断しているように見えた。
やっぱり明日も警視のことは全然当てにならないだろうなあ。
―――などと地味に失礼なことを思いながら、愛理は家路についた。
180 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:34
「ふーん。どうやら今回の石川警視は本気みたいね」
愛理のカバンにつけた盗聴器からの音源をプツッと切りながら桃子が言う。

「そうかなあ?警備が完璧だから逆に油断しているように見えるの」
「確かに!アイリーンも警視のことは全然当てにしてないと思う」
「あーら。あなた地味に失礼なこと言うのね」
「何だかんだ言っても石川さんだもんね」

そう言って笑いながら、桃子は手に持ったコントローラーを操作して、
店内にある椅子の間を縫うようにしてラジコンバイクを走らせる。
その操作技術はもはやプロの域に達していた。
急旋回を切っても、バイクのバランスが崩れることはない。

「これなら―――」
「なんとななりそうね」

二人は顔を見合わせてニコッと笑った。
181 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:34



予告当日の朝。
決戦を数時間後に控えながらも、学校の時間割には逆らえず、
美少女名探偵はすたすたと通学路を歩いていた。
そしてもちろん―――美少女怪盗の方も同じく。

「おっはよー!愛理!」
そう言いながら桃子はがしっと愛理に抱きつく。
どさくさに紛れながら愛理のカバンにつけた盗聴器を回収する。

本当は愛理のカバンに盗聴器をつけるなんていう無茶は
したくなかったけれど、事前に美術館に仕掛けていた盗聴機は、
全て石川警視の手によって発見されていた。

予告状を送った次の日から、キューティークイーン美術館は
警察関係者以外は立ち入り禁止となっていたので、
改めて仕掛ける機会がない。致し方なかった。
182 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:35
「おっはよー。ピーチッチの予告って今日だよね?」
二人に挨拶するやいなや舞美はスポーツ新聞を二人の前に取り出した。
「ハロスポ」の文字がでかでかと記されたその新聞には、
「ピーチッチ対アイリーン!今回は湖上の孤島で決戦!」と書かれていた。

「もー。またその新聞?」
どうやら美術館の関係者から情報が漏れたようだ。
先日、石川警視が苦々しい口調でそう教えてくれた。

「なになに「今回ばかりはピーチッチの苦戦が予想される―――」だって」
「そんなこと言われながら、いつもやられてるじゃん」
「いつもやられているわけじゃありません」
「えーっと「湖に囲まれた美術館に侵入すること自体難しく―――」」

「そんなことよりさぁ!」
舞美の持っていた新聞をばっとわしづかみにして桃子が話を遮る。
「今日は歌のテストだよ?課題曲覚えてきた?」
「もっちろーん」
桃子の問いかけに答える舞美の横で、愛理の顔色がさっと変わる。
捜査のことに夢中でどうやら完全に忘れていたらしい。
183 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:35
「すきだよ、おまえー! すきすきすーきなんだー!」
桃子がいきなり路上で歌い出す。
傍を歩いていた通行人が思わず振り返るほどの大きな声で。

「ちょっと桃。やめなよ」
たしなめる愛理を裏切るようにして、今度は舞美が歌い出す。
「じーたばーた あたしはいーきてーるぜ!」
「「気づけよ おーまえー! すきすきすーきなのにー」」

愛理の両側で噛み付くような仕草をしながら二人は歌う。
二人の声の大きさは半端ではない。
後ずさりしながら、思わず愛理がぽつりとつぶやく。

「二人とも声量がすごいよね」
184 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:35
「歌は得意だもんね」
自慢げに桃子がそう言うが、歌なら愛理も得意だった。
だが声量なら桃の方が上かもしれない。
どうしてこんなにたくさん声が出るんだろう?
不思議に思った愛理は、桃子のみぞおちのあたりをきゅっとつまむ。

「やん」

ぷにぷにして柔らかい。なんか手触りが良くて気持ちいい。
愛理はもっと触っていたかったが、
桃子はくすぐったそうにしながら身をよじって愛理の手を避けた。

「ちょっとぉ。いきなりどういうつもりよ愛理?」
「いや、すごい声量だなあと思って」
「えっへん。肺活量には自信があるのです」
「桃すごいよねー、肺活量だけならあたし以上だもん」
「舞美ちゃん以上?なんか化け物レベルだね」
「ちょっと愛理!」
「化け物って!」

サイボーグ並みの身体能力を誇る舞美ちゃんよりも凄いのかあ。
二人の抗議を軽く流しながら、愛理は桃子の能力に驚嘆する。
185 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:35
じーっと桃子の胸のあたりを見つめている愛理を見て、桃子が言う。
「あー、愛理が桃のことをいやらしい目で見てるー」
「え、あ、ちょっと。そんなんじゃないって」

「あらあら。愛理が桃のことを狙ってるなんてねー」
舞美も桃子の言葉に乗っかってくる。
こういうときの二人の連携というのは、
いつ打ち合わせしたの?というくらい速い。

「きゃー、愛理に襲われるー」
「逃げろー」
「ちょっと待ってよ!」

何はともかく、誰かが走りだしたら、学校まで競争の合図だ。
三人は校門までの道のりを駆けて行った。
ケラケラと笑いながら。
そして―――大声で歌いながら。

せいしゅんのー  こうやーをー  はーしーれー
186 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:35



愛理は午後9時に美術館前に到着した。
入念なボディチェックを経て橋を渡り、
ようやく美術館の入り口にたどり着くことができた。
その入り口でも再びボディチェックと身分照会を受けて、
ようやく愛理は石川警視の待つ展示室へと入室することができた。

「石川さん、館内の捜査は完了しましたか?」
「ええ。館内には潜入者はいないわ。これから橋を上げるから」

石川がトランシーバーから指示を送ると、
ゴゴゴゴゴゴゴと地鳴りのような音がして、橋がゆっくりと上がりだした。
これで約30分後には、橋は完全に両側に跳ね上がることになる。
美術館のあるこの島は、文字通り「孤島」となるわけだ。
187 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:35
愛理は廊下をこつこつと歩きながら時間を確認する。
犯行予告時間までもう少しだ。
愛理は再び、ピーチッチの侵入経路について考える。
何度考えても、侵入することは不可能のように思われた。

愛理は窓から外の景色を眺める。
美術館の庭には何本かの木が植えられていた。
裏庭にはもっとたくさんの木が森のように覆い茂っている。
愛理の視線は木の幹を伝って、根の生えている土に向けられる。

―――まさか、ね。

警備の事前報告では、湖の周りの森の中には怪しげな穴などなかったはず。
この島に地下から侵入するために―――
今から穴を、トンネルを掘るなんて―――
舞美ちゃんが100人いても無理よね?
188 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:35
そんなことをとりとめもなく考えている愛理の耳に、
「ピーチッチ、来ました!!」と叫ぶ警官の声が響いた。

愛理はダッシュで展示室に向かう。
走りながら腕時計に目をやる。
早い。まだ予告時刻まで30分以上はあった。
それにしても―――ピーチッチはどこにいるの?

愛理が展示室に入ると、石川警視が愛理に向かって双眼鏡を投げた。
「湖の周りよ。ピーチッチはバイクで走ってるわ」
受け取った双眼鏡で、湖の周りをぐるぐる回っている光の方を見てみる。
黒いヘルメットと黒いレザースーツを身にまとった小柄な人影が、
警察官の間を縫うようにして、大きなバイクを走らせていた。
189 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:36
「陽動作戦かもね。バイクと反対側の湖。そして空の警戒を怠るな!」
石川警視がトランシーバーで警備に指示を与える。
その言葉に愛理が反応した。

「陽動作戦?どういうことですか石川さん?」
「ピーチッチが『一人であるとは限らない』でしょ」
「!」

そんなバカなぁ。
ピーチッチはいつだって一人でやってきたじゃない。
そうだ。ピーチッチが誰かと一緒にやってくるなんてありえない!
名探偵アイリーンが一人なら、怪盗ピーチッチも一人。
そうじゃないと人数が合わないことないですか?

愛理はバイクにまたがっている人影がピーチッチだと信じていた。
そしてそれ以外の人間がこの美術館に侵入してくるなんてありえない―――
そう信じていた。
190 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:36
ピーチッチは逃げ惑う警察官を目を細めながら見つめていた。
何台か停められていたパトカーもすいすいと難なくかわしていく。
ピーチッチの行く手を遮るものなど何もないのだ!
そう考えるとたまらなく陽気な気分になってきた。

へーらいだー ほーらいだー ないすっらいだー ごーらいだー

軽く鼻歌を歌いながら、
ピーチッチは跳ね上がっている橋のたもとへとバイクを走らせる。
急旋回を切ってバイクを橋の正面へと向ける。

全くバランスを崩すことなく橋に正対したバイクは―――
猛烈にスピードを上げて橋の方へと向かっていく。
191 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:36
「ピーチッチが橋から来ます!!」

警察官の怒号が館内にこだまする。
アイリーンと石川警視は窓越しに橋の方へと目をやった。
双眼鏡を使う必要はなかった。

約45度に傾いている跳ね橋を、
猛烈なスピードで駆け上がっていったバイクは、
橋が割れているハの字の頂点の部分で大きくジャンプした。

夜空に光る月をバックに大飛行を演じたバイクは、
湖の上を軽々と飛び越えていった。
192 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:36

放物線を描いたバイクがゆっくりと美術館に近づいてくる。



まるで映画「E .T .」のワンシーンのような大飛行が、



歴史に残る大犯罪の幕開けとなった。
193 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:36






  
194 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:37
アイリーンと石川警視が見上げる中、バイクは敷地内をも越え、美術館に着地した。
ガラスの割れる派手な音が館内に響き渡る。

「三階です!バイクは三階の窓から侵入しました!」

庭にいた警察官からの報告を受けて、アイリーンと石川は階段へと向かう。
愛理は前を行く石川に指示を送る。

「石川さん、跳ね橋を下ろしてください!そしてパトカーを橋の上に並べて!」
「ええ!?愛理ちゃん、橋は下ろしちゃダメでしょ!?」

たとえ侵入されても、脱出させてはいけない。それが最重要課題だったはずだ。

「橋を跳ね上げたままだと、帰りもバイクでジャンプされちゃうかもしれない!」
「バイクさえ押さえれば……」
「島の中は生身の警察官だけですよ?バイクを押さえるのは難しいです」
「あ!なるほど……だからパトカーでバリケードを!」

たとえ橋を下ろしても、その橋の上にパトカーを並べれば、バイクで走ることはできない。
跳ねた状態なら傾斜を使ってジャンプができるが、下ろしてあればジャンプもできない。
アイリーンが即座に下した判断を、
石川はなんとか理解し、トランシーバーで部下に指示を送った。
195 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:37
二人は三階の奥にある一室になだれ込んだ。中には埃が舞い上がっている。
部屋に入ると同時に、アイリーンはある「違和感」を覚えた。何かがおかしい。

「……愛理ちゃん」
「おかしいですね。バイクのエンジン音がしない……」

確かに三階に上がってきたときからエンジンの音は全く聞こえなかった。
だが、あれだけの短い時間でバイクを階下に動かすことは考えられない。

二人が奥に進むと、そこにはバイクが横倒しになっていた。
覗き込んだ二人は同時に大きな声を上げた。

「あー!」
「えー!」

バイクの上には、黒いヘルメットをかぶった、
ピーチッチと等身大の可愛らしいお人形が乗っかっていた。
196 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:37
「ちょっとアイリーンちゃん! これはどういうこと?」

名探偵アイリーンの頭脳がフル回転を始める。
バイク…… バイク…… バイク……。
その脳裏に、数日前、ラジコンバイクを動かしていた友人の姿が映った。

「わかった石川さん!このバイクは一種のラジコンです!遠隔操作されていたんです!」
「……じゃあ本物のピーチッチは」
「下です!バイクは陽動作戦!下ろした橋から侵入してくるかもしれない!」
「やられた!んもう!」

三階の壊れた窓からは、丁度橋が下りきったところが見えた。
数台のパトカーが連なってゆっくりと橋の上に進もうとしている。

「石川さん!あの中に警察官に変装したピーチッチがいるかもしれません!」
「よしきた!」
197 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:37
二人は階段を駆け下り、正面玄関を抜けて橋の方へと走る。
石川警視はその途中、トランシーバーで部下に指示を与えていた。

パトカーに乗っている警察官は島の中に入らないこと。
館内にいる警察官は2名だけ「ジンギスカン」の前に残り、後は橋に来ること。
橋に来た警察官は、橋の上にいる外部の警察官の身分照会を行なうこと。

「いそいで!」と石川警視が叫ぶ。だが一歩間に合わなかったようだ。
二人が玄関を出たところ、橋からこちらに向かう一人の小柄な警察官が見えた。

愛理は「止まれ!」と叫んだ。石川警視はジャンプしてその警察官につかみかかる。
勢いよく飛び掛った石川警視は、その警察官と一緒にゴロゴロと地面を転がった。

「ごーん」

石川警視の頭が、大きな音をたてて橋の欄干に激突した。
198 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:38
ひくひくと痙攣している石川警視を無視して、アイリーンは小柄な警察官にのしかかる。

「ピーチッチ!御用!」
「ちょっと待ってくださいよ!いきなりなんですか!」
「あれ?」

アイリーンは小柄なおっさんの警察官の頬を引っ張る。
おっさんはいたたたたと言って顔をしかめる。変装ではないようだ。
じゃあこの後ろにいる警察官の中にピーチッチがいるのかな?

ウゥー ウゥー ウゥー

その時、館内にけたたましい警報が鳴り響く。

「この音はもしかして!」
愛理が勢いよく立ち上がると、むぎゅっとした感覚が足の裏から伝わった。
「ぎゃん!」と愛理に顎を踏まれた石川警視が、顔をしかめながら立ち上がる。

「ちょっと愛理ちゃん、ひどいんじゃ……」
「石川さんやられました!ピーチッチは非常口です!」
199 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:38
もう!一体どうなっているのよ!
名探偵の頭脳も、もはやパンク寸前だった。なにがなにやら全然わからない。
でもこういう時は推理よりも「事実」が大事なのだ。
今は警報が鳴っている。だからそこにピーチッチがいることは間違いない。

館内にはもうもうと煙が立っている。どうやらピーチッチは発煙筒を使ったらしい。

「や、やられましたあ」

警備に残っていた二人の警察官が石川警視に報告する。
愛理は二人の警察官の頬を代わる代わるつねる。ピーチッチの変装ではない。

一方石川警視は展示室のガラスケースの中を確認する。
そこからは「ジンギスカン」の姿が消えていた。

石川の顔色が地黒から真っ青へ変わる。
始末書、左遷、減棒、美勇伝再結成…なんて文字が浮かぶ。

「石川さん急いで!非常口です!」

石川はよろけながらも、二人の警察官とともに愛理の後に続いて走り出した。
角を曲がり、非常口へと続く廊下にたどり着く。
鉄格子の向こうには、もうピーチッチの影も見当たらなかった。
石川は大慌てで10桁の暗証番号を打ち込み、鉄格子を上げる。
200 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:38



石川警視が必死で10桁の暗証番号を打ち込んでいる、その20分ほど前に話は遡る。
アイリーンが「バイクは陽動作戦!」と叫んで石川とともに階下へと駆けていった後のこと。

倒れたバイクの後ろにある本棚の奥から、ピーチッチはひょっこりと姿を現した。

「美少女探偵さん、推理どうもありがとうです。えへへ」

ピーチッチはバイクに乗っかっている人形の首の後ろについてあるボタンを外す。
しゅーっと空気が抜けていき、人形はぺらぺらの状態になる。
ピーチッチは人形を手際よく折りたたんで万能バックにしまった。

「怪盗ピーチッチは『一人であるとは限らない』なーんてね」

バイクで橋を越えて美術館に侵入したのは、紛れもなく、ピーチッチその人だった。
美術館に到着するやいなや、ピーチッチは人形を膨らましてバイクに乗せた。
その可愛らしい人形こそ「もう一人のピーチッチ」というわけだ。
等身大の人形を膨らませるのに、そんなに時間はかからなかった。

「どうせ桃の肺活量は化け物レベルですよーだ」
201 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:38
ピーチッチはゆっくりと下りてくる橋をしめしめと見つめる。

ここまでは全て計算通りだった。
もしも橋を下ろしてもらえなかったら、再びバイクで飛び越えるつもりだった。
だができるなら手荒なことはしたくない。これなら最初の予定通りいきそうだ。

展示室に下りてみると、ガラスケースの前にはたった二人の警察官しかいなかった。

「楽勝ね」

ピーチッチは発煙筒をつけて、二人の警官に向けて投げつけた。
パニックに陥る警察官に当て身をくらわせて気絶させる。
警報機もついておらず、防弾ガラスでもないショーケースに入っているジンギスカンを奪うのは
簡単すぎて拍子抜けするほどだった。

「……問題はこれからだけどね」

ピーチッチは独り言をつぶやきながら非常口の方へと駆け出していった。
202 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:38
ピーチッチは鉄格子の前に立つ。横にはタッチパネルがあった。
ここに10桁の暗証番号を打ち込まないと、鉄格子は上がらない。

「結局、暗証番号はわからなかったんだよね」

ピーチッチは万能バッグからラジコンバイクを取り出す。
鉄格子の隙間からバイクを差し入れる。
ウイーンと音を立ててバイクは鉄格子の向こう側へと走り出していった。

ウゥー ウゥー ウゥー

バイクが真ん中らへんに到達すると、館内にけたたましい警報が鳴り響く。
ピーチッチはそこでバイクを旋回させる。
何度も練習した甲斐あって、バイクは倒れることなくピーチッチの下に戻ってきた。
ピーチッチはラジコンバイクを回収すると、廊下の手前にある一室に身を隠す。

しばらく待っていると、その部屋の前をアイリーンと石川警視が通過していった。
203 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:39
「そろそろいいかな?」

ピーチッチは頃合を見計らって部屋の外に出た。
部屋の中で、服はすでに警察官の制服に着替えていた。

どうやらアイリーンと石川警視は非常口を抜けて、美術館の裏手の森に向かったようだ。
ピーチッチは玄関を抜けて、橋の上に停まっているパトカーに声を上げる。

「おーい。石川警視が、ここは何台かだけ残して、パトカーを裏手に回せってさー」

その場にいた警察官たちは、疑うこともなくパトカーを橋の上から撤収させる。
今頃石川警視は必死で森の中を捜索しているだろう。
それにバイクは三階で倒れたままなので、パトカーのバリケードは必要がなくなった。
裏手にパトカーを回させるのは別に不自然なことではなかった。

引き上げていくパトカーと一緒に、警察官に変装したピーチッチは悠然と橋を渡っていった。
204 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:39



「結局ピーチッチは見つからなかったんだ」

カフェ「しすたぁ」のテーブルの上にハロスポを広げながら舞美はそう言った。
舞美が座るテーブルの向かい側には愛理と桃子が並んで座っている。
三人のテーブルの上に、さゆみがお冷を三つ並べた。

新聞によると、犯行現場にはかわいらしい桃色の紙が残されていた。
そこには「ジンギスカンは頂いた」という旨の文章が書かれていたそうだ。
ピーチッチのいつものやり方と同じようにして。

新聞には頭のてっぺんに大きなたんこぶを作った石川さんの写真もあった。
舞美は、涙目で会見している石川の写真を見ながらからからと笑う。

「石川さんっていっつも頭にたんこぶつけてるよね?」
「いや、それはたまたま…」
「新聞には「アイリーンが踏みつけた」って書いてあるよ?」
「違うよ!あたしが踏みつけたのは石川さんの顎で…」
205 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:39
愛理の言葉を聞くと、さゆみと桃子は顔を見合わせて、爆笑した。

「桃!笑い事じゃないよ!」
「ごめんごめん。でも」
「石川さんは頭にたんこぶつけてるくらいが可愛らしいと思うの」
「あたしもそう思う!たんこぶ込みで石川さんだよ」
「もーう。みんな他人事だと思って!」

愛理はそう言いながら、石川の記者会見の様子を思い出していた。
しどろもどろで受け答えをする石川は、
やっぱり頼りにならない、いつもの石川だった。
でも石川さんはあれでいいのかもしれない。

「今回のたんこぶが史上最大じゃない?」
「いやいや前回の方が」
「なんだかんだ言って愛理がこん棒をぶつけたときが一番…」

とか言って石川の話で盛り上がっている三人を見つめながら、愛理はそう思った。
206 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:39
「それでさ、結局ピーチッチはどこから逃げたんだろう?」

舞美は不思議そうにしていたが、愛理にはおおよその見当がついていた。
バイクはその後の調べで遠隔操作などできないことがわかっている。
ピーチッチは本当にバイクで橋を越えてきたのだろう。
そして歩いて橋の上を渡って逃げていったに違いない。

警報はたまたまその時に故障していたのかもしれない。
そんなに都合よく壊れるだろうかとはちょっと思ったが、
バイクが美術館にぶつかった衝撃で壊れてしまったのかもしれない。

だけど愛理はその推理をみんなに披露するつもりはなかった。
負けは負け。今更推理してみたって仕方ない。
次だ。次こそはきっと。

「やっぱり石川さんはたんこぶ作ってるくらいでいいのかもしれません」
「あらアイリーンちゃん。どうしたの急に」
「石川さんがダメでもあたしがいます」

愛理は桃子を後ろから抱きしめ、みぞおちのあたりをきゅっとつまみながら言った。

「怪盗ピーチッチは、あたしが捕まえちゃうんだから!」
207 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:39

愛理に捕らわれた桃子は、くすぐったさをこらえられずに、くすくすと笑う。



見事にハの字に曲がった「希代の困り顔」の眉毛を肩越しに見つめながら、



どうやってこの柔らかい手から逃れようかと、桃子は考えていた。
208 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:40
第五話 おわり
209 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:40
  
210 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 21:40
  
211 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/07(月) 02:43
楽しく読ませていただきました

マッタリ待ってます
212 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/12(土) 01:15
>>211
ありがとうございます。
作者の一人として御礼申し上げます。
213 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:12

「はぁっ、はぁっ」

全身を黒いスーツに包んだ少女は荒い息を吐いて走る。背後からは無数の足音が迫ってくる。

「油断、したかなぁ」

少女――怪盗ピーチッチはペロリと舌を出す。

『As ONE』『ジンギスカン』と宝石を立て続けに奪ったことで気が緩んでいたのかもしれない。
今回狙いをつけた『乙女COCORO』は、それほど高価な宝石ではなかった。
いつもどおりリサーチを重ね、いつもどおり忍び込み、いつもどおり頂戴する――はずだった。
だが、最後のところで罠にかかってしまった。
そう、アイリーンは負けず嫌い。だからうまくはいかなかった。

対怪盗ピーチッチの特別顧問として捜査の全権限を与えられた天才少女・鈴木愛理。
“名探偵アイリーン”の異名を持つ愛理は石川警視の反対を押し切り、
今回あえてピーチッチに、素直に宝石を盗ませるという作戦をとった。
その上で警備網を二重に敷き、ピーチッチが第一陣を突破するタイミングで別働隊を動かした。
結果、ピーチッチは知らぬ間に、あらかじめ愛理が設定していたルートに誘導されていたのだ。

懸命に逃げるピーチッチの目の前に、コンクリートの高い壁が現れた。
すぐ後ろには追っ手が迫っている。ピーチッチは壁を見上げると、唾を飲み込む。
迷っているヒマはない。急いで上れそうなポイントを探す。
しかしその表面は思いのほかツルツルしていて、なかなか手を掛けられそうにない。
そうしている間にも足音は近づいてくる。落ち着いているつもりでも、無意識に焦りが出る。

「しまった!」

腰のポケットに入れておいた『乙女COCORO』が地面に転がり落ちた。
慌てて拾おうとしゃがみ込んだところに目の眩むような光が投げかけられる。

「観念しなさい、ピーチッチ!」

石川警視の甲高い声が拡声器越しに響く。
ピーチッチは胸ポケットから紙切れを取り出すと、石川警視めがけて投げつける。
光の中をまっすぐに影が泳ぎ、石川警視の胸元にぶつかる。そして。

214 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:14
「キャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

真夜中の闇を切り裂くように石川警視の絶叫が炸裂し、現場は一気に大混乱に陥ってしまう。

「鳥の形に似せた紙飛行機がこんなに効くなんてね」

口元に笑みを浮かべて助走をつけると、ピーチッチは勢いよく壁を蹴り上げた。
何度かずり落ちそうになりながらもどうにか壁のてっぺんに手をかけると、反対側へと回り込む。

「今回は油断したけど……アイリーン、次はこうはいかないんだから!」

そう言い残してピーチッチはジャンプする。優雅な曲線を描き、華麗な着地を決めるはずだった。
が。

「あっ!」

地面があると思って飛び降りた場所は、川の中だった。
真っ黒い夜空とは好対照をなす、盛大な白い水しぶきがあがる。

「もうっ! 最低っ!」

ピーチッチは流されそうになりながらも、どうにか岸までたどり着くことができた。
全身びしょ濡れのまま、フラフラした足取りで「しすたぁ」への道を帰る。

「へくしゅっ!」

ツイてないときはとことんツイてない。このままじゃ風邪を引いてしまう。
まいったなあ、早く帰ってあったまらなくちゃ。
そう思いながらひと気のない住宅街に差し掛かったとき、
ある一軒の家の窓から光がゆらめきながら漏れているのが、ふと目に入った。

「あれって、ろうそくの光――?」

足を止めてしばし見入っていると、突然、その窓が開いた。

「あ。」

現れたのは、真っ白な肌をした、外国製の人形を思わせるほどに美しい女の子だった。
お互いに見つめあったまま動けないでいると、やがて彼女が沈黙を破った。

「あなた、もしかして……怪盗ピーチッチ?」

215 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:15




怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン


第六話 「怪盗がふたり? BERRY FRUITIES」



 
216 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:17

『美人警視! またしてもお手柄!!』

デカデカと躍る文字の横には、満面の笑みにダブルピースの石川が写っている。
コンビニで買ったスポーツ新聞『ハロスポ』から顔を上げると、矢島舞美は隣を歩く愛理に尋ねる。

「石川さん、ピーチッチからまた宝石を守ったんだ」

愛理はただでさえ「ハ」の字型の眉尻をさらに下げて答える。

「石川さんが『観念しなさい、ピーチッチ!』って叫んだら、ピーチッチが驚いて
 宝石落として逃げちゃったってことになってるみたい。でも本当は、
 ピーチッチが投げた紙飛行機を苦手な鳥と間違えて絶叫しただけ」
「なにそれ」
「でもまあ結果としては同じことだし、ここらで石川さんに華を持たせないと、またびゆうで――」
「舞美愛理おっは――」
「あ、桃おはよー。知ってる? ピーチッチの連勝、2でストップ」

舞美は桃子の目の前にハロスポの一面を広げてみせる。しかし桃子はすぐに視線をそらした。

「ふーん」
「なーんか気のない返事」
「そう? そんなことないけどぉ」

舞美は桃子がどことなく不機嫌なことを察知すると、素早く愛理の方に向き直る。

「今回は愛理の作戦、うまくいったんだね」
「まあね。結局逃げられちゃったけど、宝石を守ることができたからね」
「そうそう。アイリーンもピーチッチも、また次がんばればいいじゃないか!」
「もう! 舞美ちゃんはどっちの味方なのよ」
「あたしはどっちも好きだよ。おもしろいし」

豪快にからからと笑う舞美を先頭に、3人は私立ベリ宮学園の校門に差し掛かる。
そのとき、愛理が小さく声をあげた。ひとりの少女がじっとこちらを見つめているのに気づいたのだ。

「誰、あれ?」

舞美が尋ねる。つられて視線を移した桃子は、思わず息を呑み込む。

「りー…、中等部の菅谷梨沙子さん。ほら、初等部時代から学園始まって以来の美少女って有名な」

名探偵らしくスラスラ答える愛理に、舞美は感心しながら言う。

「あー、なるほどね。確かにカワイイ。でもなんでこんなところにいるの? こっちは高等部の校舎だよ?」
「さあ、誰かに用があるのかも…って、桃のこと見てない?」
「えっ!? 知らない! 知らないよ!」

桃子は小さな体を素早く舞美の背後にすべり込ませて隠れてしまう。

「なんだか、変なの」

3人は梨沙子の前を素通りし、そのまま昇降口へと向かう。
その間ずっと梨沙子は3人のことを見つめていて、桃子は舞美の陰に隠れて歩いた。
217 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:19

3人が教室に入るなり、近づいてくるモデル歩きの影。

「まいみ、愛理、桃ちゃん、おはよー!」

抜群のスタイルを誇る、クラスメイトの梅田えりかだ。
運動神経は壊滅的に鈍いのだが、それゆえか陸上部のエースである舞美のことが大のお気に入りである。

「えり、おはよっ!」
「えりかちゃん、おはよー」
「ねえねえ聞いて! うちね、スカウトされたんだ!」
「スカウトぉ!?」

3人の声が重なる。えりかは満足そうにウンウンとうなずくと、ことの詳細を話しはじめる。

「ファッションショーでモデルをやってみないかって誘われたの。来月あたまにホテルを借り切ってやるんだって。
 なんか、このためにドレスとか宝石とかいっぱい用意するんだって。ねえねえ、これってすごくない?」

落ち着いて考えればおかしな話ではない。いつもエキセントリックな行動が目立っているせいで損をしているが、
えりかは黙ってさえいれば、握手をしようと間近で見た人の記憶が飛んでしまうくらいに美人なのだ。

「えり、やったじゃん!」
「えへへ、ありがとまいみ」
「あ、そうだ! 宝石とかあるんなら、もしかしたらピーチッチが盗みに来ちゃうかも」
「え、ピーチッチ!? いいわねえ、テンション上がるわねぇ。よーし、き・め・た! うちがんばる!」

ふたりの勢いについていけない愛理をよそに、えりかと舞美は盛り上がる。
そして桃子はというと、ややこしいことになってきた…と、アイリーンに負けないほどの「ハ」の字眉になっていた。

218 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:21


「なんかもう、ワケわかんない…」

放課後、桃子は居候しているカフェ「しすたぁ」に着くなり、カウンター席にそのまま突っ伏した。
店長兼自称看板娘の道重さゆみは、お皿を拭き拭き、冷静に言い放つ。

「油断してたからこうなるの。自分で蒔いた種は自分で刈り取らなきゃ」
「そりゃそうですけどぉ」

力ない声で返事する桃子に対し、さゆみは続ける。

「まあ、しょうがないよね。おとなしく言うこと聞いてあげればいいの。……あ、ウワサをすればホラ」

カランカラーン、と軽やかなベルの音色がピンク一色に染め上げられた店内に響く。
桃子が視線を移した先には、不安そうにカバンを両手で前にさげ、おそるおそる中を覗き込む少女がいた。

「いらっしゃーい」

菅谷梨沙子だった。さゆみの声に小さくぺこりと頭を下げると、ゆっくりとした足取りでカウンター席へと近づく。

「きゃーかわいいっ! さゆみ、おいしい紅茶をサービスしちゃう! さ、さ、座って座って!」

かわいいものに目のないさゆみは素早くお皿をお冷に持ち替えると、梨沙子の前に置く。
梨沙子はその様子に圧倒されながらも丁寧におじぎをすると、桃子の隣に腰を下ろした。

「それじゃ桃子センパイ、お願いします」
「はい…」

桃子は往生際悪く、突っ伏したままでくぐもった声を返した。


219 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:22

昨晩、『乙女COCORO』を盗み出すのに失敗したピーチッチは、ずぶ濡れで「しすたぁ」への道を歩いていた。
そして偶然、菅谷梨沙子に姿を見られてしまった。ふだんならありえない失敗。
慌ててダッシュでその場を去ろうとしたとき、梨沙子は意外なことを口走った。

「待って、ピーチッチ! わたしを、わたしをあなたの弟子にしてください!」
「え?」

予想外の展開に硬直してしまうピーチッチに、梨沙子はさらに続ける。

「弟子がダメならテシタでもいいです! わたしをピーチッチのテシタに…」

いくら夜中とはいえ、大声で名前を連呼されてはたまったもんじゃない。
塀をつたって素早く梨沙子のいる窓まで駆け上がると、ピーチッチは慌ててその口をふさいだ。
ピーチッチは部屋の中を見渡す。キャンドル5個ほどが夜風にゆらめき、ふたりの姿を幻想的に照らし出す。

「もご、もご…」
「静かにして。お願いだから」

すると梨沙子はピーチッチの指の隙間からささやいた。

「弟子にしてくれないと大きな声でさけんじゃいますから」
「……じゃあ、あなたを弟子にしたら?」
「……今すぐ、うちのおふろに入ってもいいですよ」

ピーチッチの濡れた体を、部屋に吹き込む夜風が撫でつける。
――交渉成立。

220 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:23

湯気が天井に据えつけられたライトの光を拡散させ、ふんわりとしたミルク色に包まれる。
よりによって見知らぬ他人の家の中で、天下の怪盗ピーチッチがすっぽんぽんになってしまっている。

「……変なの」

つぶやいてみて、目を閉じる。全身が温められて、ゆっくりと緊張がほぐれていく。
こんなふうに体も心もリラックスした状態になったのは久しぶりだ。というか、覚えていない。
「しすたぁ」で居候をさせてもらってはいるが、基本的にはいつも独り。
誰にも頼ることなく、自分の腕だけを信じてやってきた。そしてそのことを誇りに思っている。
なのに、この気持ちはなんだろう。湯船の中で深呼吸をしていると、そんな自分のプライドが急に小さく思えてくる。

突然、風呂場の扉が開いた。ピーチッチは慌てて湯船に潜る。

「あ、気にしないでいいですよ。顔を見たりしませんから」

梨沙子だった。湯船のピーチッチに背を向けて、ちょこちょこと体を洗い出す。そして流し終えると今度は、

「あの、すいません。あたま洗ってくれませんか?」
「はい?」

髪の毛が長いと頭が洗いづらいのだと梨沙子は言う。
仕方なくピーチッチは梨沙子の頭を洗ってあげる。「キミ中学生でしょー」なんて悪態をつきながら。

221 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:24

風呂から上がると、ふたりは梨沙子の部屋に戻る。

「いつもこうしてるの?」

明かりを灯したキャンドルを指し、ピーチッチが尋ねる。梨沙子は静かにうなずいてみせる。

「変わった趣味だね」
「わたしが小さいころ、おばあちゃんがよくこうしていたんです」
「ふぅん」
「おばあちゃんはすごくやさしくて、わたし、いつかおばあちゃんをよろこばせてあげたいって。
 それでピーチッチさん、あなたの力をかりたいんです」
「なるほどね。で、何を盗めっていうの? 言っとくけど怪盗ピーチッチはつまんないものは盗まないよ」
「『BERRY FIELDS』」
「へえ。それが欲しいんだ――」

『BERRY FIELDS』。
粒状の真紅のガーネットが集まってできた宝石。
その姿がヨーロッパの草原に実る木いちごの果実に似ていることから名がついた。
かつてこの宝石を手にした者には、ある暗黙の「ルール」が課せられたという。
それは、去年よりも良い感じになれるように、明日はもっとずっと一緒にいられるように、
そう願いを込めて、将来を誓った相手にこの宝石を贈る、というものだった。

「それを知って、おじいちゃんはおばあちゃんに『BERRY FIELDS』をおくったんです。でも…」
「でも?」
「戦争のとき、軍隊にとられてそのまま行方不明になっちゃったってききました」

そう言って梨沙子はピーチッチに一枚の古い写真を手渡した。
セピア色にくすんだその写真には一組のカップルが寄り添う姿が写っていて、
その女性の胸元では、確かに『BERRY FIELDS』が淡い輝きを放っていた。

「ああ、そういえばこないだ、『BERRY FIELDS』が何十年ぶりかに発見されて、
 それを有名ファッションデザイナーが落札したってニュースを聞いたけど」
「はい、わたし、おばあちゃんのもとに返してあげたいんです」

222 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:27


「今回だけ、特別に今回だけなんだからね!……ってピーチッチが言ってた」
「はい!」
「弟子はとらない主義だけど、借りがあるから協力させてあげるんだからね!……ってピーチッチが言ってた」
「はい!」

さっきからずっとこの調子である。「しすたぁ」のカウンター席では、
桃子(にピーチッチが伝言をしておいた、ということになっている)と梨沙子が秘密の作戦会議を繰り広げている。

「二手に分かれて、りさこはこっちのルートを行くコト!……ってピーチッチが言ってた」
「はい!」

ホントにこんなんで大丈夫かしら、とさゆみは半ば呆れながらふたりの様子を見守るが、
なぜか梨沙子は桃子とピーチッチの関係を疑おうとしない。
ま、案外いいコンビなのかもね。
そう思っていると、入口でいつもの軽やかなベルの音がした。

「きゃー、アイリーンちゃんに舞美ちゃんにえりかちゃんじゃない。いらっしゃーい」

桃子は慌てて振り返る。いつもの窓際のテーブル席に腰を下ろす3人と目が合った。

「あれ、桃だ」

気づいた舞美が声をあげる。そして笑顔で桃子に手を振ろうとしたところで、その手が止まる。
桃子が視線の先を追うと、隣の梨沙子にぶつかった。愛理もえりかも微妙な表情でこちらを見つめている。

「えーとー…あたしアイスティーかな」
「じゃあ…あたしも」
「うちもー」

ピンクの店内が堅苦しい空気に包まれる。本人を目の前にしてヒソヒソ話をするわけにもいかず、
かといってほかに適当な話題が見つかるわけでもなく、3人は無言の時間が続く。
もう一方の桃子と梨沙子も打ち合わせを続けられるはずがない。無言のままふたり並んで過ごす。
店の端っこと端っこで、お互いが意識しながらも不自然に無視し合って時間をつぶす。

「まるで、『仲良しバトル』って感じなの」

さゆみは小さくつぶやいてツッコミを入れた。

223 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:28

「にしても意外だよね! いったいどこで仲良くなったんだろ?」

店を出たところで舞美が口を開いた。えりかがそれに続く。

「わかんない。でも桃ちゃんだって後輩の子からあこがれられてたって不思議じゃないよ。ねえ愛理」
「え…? うん」
「あれ? 元気ないね愛理。知らないうちに桃を取られちゃったみたいな気がして残念?」

こういうときに愛理は自分だけ歳が若いことを心の底から悔しく思う。
でも、まだそれを素直に表に出すことはできない。

「そんなんじゃないもん!」
「あはは、ごめんごめん。からかうつもりはなかったんだけどね」
「またうちらが泊まりに行ってあげるからさ、機嫌直してよ」

両側からふたりに抱きしめられて、愛理は目を閉じる。
――ありがと、舞美ちゃん、えりかちゃん。

そして、もうひとりの大切な友達の顔を思い浮かべる。
――桃…。

桃はあたしのことを嫌いになったわけじゃないよね?
あたしよりもりーちゃんの方がいいとか、そういうことじゃないよね?

  『あいりちゃんは、りさこといっしょにいたくないの?』
  『ごめんりーちゃん、そうじゃなくて。あたしはどうしても高等部で勉強してみたかったの』
  『りさこ、あいりちゃんといっしょにちゅうがくせいになるの、たのしみにしてたんだよ?』
  『ごめんね、ごめんね、りーちゃん』
  『いいよ、もう。あいりちゃんなんてもうしらないから!』
  『あ、待って! 待ってよ、りーちゃん! 待ってってば!』

「――愛理、愛理!」
「え…?」
「どうしたの、ぼーっとして?」
「ううん、なんでもない。大丈夫だよ。行こ」
「そう? なら、いいけど…」

224 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:29


それからもほぼ毎日、ベリ宮学園内では桃子にべったりとくっついている梨沙子の姿が見かけられた。
休み時間と放課後になるたび、ふたりは連れ立ってどこかへと消えてしまうのだ。
桃子と梨沙子が何をしているのかは誰にもよくわからない。
しかし、高等部と中等部という垣根を超えて逢瀬を重ねるふたりのことは、すぐに噂話の標的となった。

「なーんか桃、最近ちょっと変だよね」
「あたし知らないもん」
「もう、愛理ったらジェラシー?」

いたずらっぽく笑いかけてくる舞美に、愛理はくるりと背を向けてしまう。

「ちがうもん」

そして視線を落として、誰にも聞こえないようにそっとつぶやいた。

「桃とりーちゃんの、ばか」





――そして、月が替わって最初の週末。

225 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:30


今晩8時、
『BERRY FIELDS』を戴きに参ります。

怪盗フルーティーズ

 
226 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:31


「フルーティーズ? ピーチッチの間違いじゃないんですか?」

尋ねる愛理に石川警視は首を横に振る。

「確かに使ってる紙もペンも、ピーチッチのいつもの予告状と同じ。でもフルーティーズって名乗ってる」
「何かの罠かな? それとも愉快犯とか?」

言いながら愛理は予告状の匂いをそっと嗅いでみる。
間違いない、やっぱりいつもと同じように、桃の香りが薄く付けてあった。

「愛理ちゃん、『ジンギスカン』のときのこと、覚えてる?」
「え?」

石川警視は上目遣いになり、抑えた声で言う。

「ピーチッチが『一人であるとは限らない』。もしかしたらピーチッチ、今度こそ誰かと一緒にやってくるのかも」
「!」

名探偵アイリーンが一人なら、怪盗ピーチッチも一人。それが当たり前だと思っていた。
急に置いてけぼりを食った気分になる。愛理の眉毛はいっそう険しい「ハ」の字になる。
ふと、ここのところ関係がなんとなくギクシャクしている親友の顔が思い浮かんだ。

――あたし、桃だけじゃなくて、ピーチッチまで取られちゃったの?

いけないいけない、と慌てて首をブンブン横に振る。
ピーチッチを取られちゃうって、あたし何を考えてんだろ。相手は泥棒だよ、悪い人だよ?

「どうしたの愛理ちゃん?」

不思議そうに顔を覗き込んでくる石川警視に、愛理は力強く言い切った。

「大丈夫です石川さん、怪盗ピーチッチは、あたしが捕まえちゃうんだから!」

227 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:33

怪盗フルーティーズ、いやピーチッチの狙う宝石『BERRY FIELDS』は、
ホテルを借り切って開催されるファッションショーのアクセサリーとして使われる予定である。
警察はピーチッチと思われる人物から予告状が届いたことを告げてショーの延期を申し入れたものの、
宝石の持ち主であるデザイナーはそれを拒否した。
今やピーチッチからの予告状は、格好の宣伝材料となっているのだ。
結局、ショーは開催するものの、観客を大幅に制限するということで落ち着いた。

「事件は会議室じゃなくて現場で起きるもんなんだけどねえ」
「その現場がピリッとしないと、会議室はどんどん締めつけてきますよ」

愛理の言葉を聞き、石川警視の脳裏には紙飛行機で失神しそうになった前回の記憶が浮かんだ。

「またいつ復活ってことになるかわかりませんよ、びゆうで――」
「わ、わかってるわよもう!」

ムキになる石川警視の目の前に、愛理は人差し指をまっすぐ立てて言う。

「怪盗ピーチッチは、同じミスを繰り返さない。今度の勝負は、今まで以上の真剣勝負になります」



「用意はいい?」
「はい!」

片や、全身を真っ黒なウェットスーツに身を包んだピーチッチ。スコープとマスクでその表情は見えない。
そしてもう一方は、いかにも家族でお出かけに来た中学生らしいワンピースに身を包んだ菅谷梨沙子。
アンバランスな恰好のふたりは、ホテルにほど近いマンションの空き部屋のベランダで向かい合っている。

「それじゃ、時計」

ピーチッチの言葉に梨沙子は左腕を差し出す。ふたりは時計の時刻をぴったりと合わせた。
こんなことをするのは初めてだ。ピーチッチは今日の作戦がいつもの単独行動ではないことを実感する。
そう、失敗することは絶対に許されない。

「それじゃ、配置について。19時50分00秒、同時に仕掛けるから」

228 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:36


19時50分00秒――

大音量のフロアサウンドを掻き消すように、爆発音が響いた。

「きたっ!」

石川警視がトランシーバーで素早く情報収集を命じる。
ファッションショーの会場は、ガラス張りの低層の建物に囲まれた、ホテルの中庭だ。
緑の芝生には甘いハチミツの香りを漂わせる演出がなされていたが、
それはすぐに爆発の焦げ臭い匂いにとってかわられる。

「爆発は2箇所、プールと地下駐車場です!」

――やっぱりピーチッチ、ひとりじゃないんだ。
報告を聞き、愛理は自分が動揺していることに気づく。が、それをおくびにも出さず、警官隊に指示する。

「入口固めて! 観客の皆さんは1箇所に集めて動かないようにして!」

さあどっからでも来い、ピーチッチ。何人で来ようとぜったいに捕まえてやる!



「うまくやったみたい」

ピーチッチはつぶやくと、軽い身のこなしで中庭を見下ろせる位置まで来る。
ショーのステージを眺め、あらかじめ調べておいた電気系統のシステムと違いがないか確認する。

「オッケー、リサーチどおりっと」

そしてプールの水でぐっしょりと濡れた、大きめのタオルを取り出した。

「梨沙子、がんばってね」



地下駐車場で使った爆弾は、大量の煙を吐き出すタイプのものだ。
すぐに感知システムが作動してスプリンクラーがはたらくが、それ以上の勢いで煙を出し続けている。
見通しの利かない通路を、梨沙子は懸命に走る。
事前のトレーニングどおりに素早く従業員控え室に忍び込むと、そこで制服に着替えた。

『梨沙子は大人っぽいから大丈夫……ってピーチッチが言ってた』

桃子を通したピーチッチの伝言を思い出す。
鏡を見て髪を整える。なるほど、確かにホテルの従業員に見える。ワンピース中学生からの華麗なる変身。
ポケットからスコープを取り出した梨沙子は控え室を出て、中庭に向かって走り出す。
おばあちゃんの宝石まで、あと少し。もう少しで、『BERRY FIELDS』が手に入る。

229 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:38

愛理の指示の効果もあって、ショーの会場はそれほど混乱していなかった。
梨沙子が中庭の入口にたどり着いたときには、すでに警官隊がステージの周囲を固めていた。

「きた。」

ホテルの制服に身を包む梨沙子の姿を確認すると、ピーチッチは手にしているタオルをそっと放す。
たっぷりと水分を含んだタオルはまっすぐ地面に落ちていき、そのままケーブルの上に乗っかった。
瞬間、バチッ!と大きな音がして、すべての照明が消えた。

「ピーチッチだ!」

飛び交う悲鳴、逃げ惑う人々。
それまでまばゆいほどの光で照らし出されていた中庭は、一瞬にして闇の世界へと反転した。
明るさに慣れきっていたせいで、誰も何も見えない。
その中に、暗視スコープを付けたピーチッチと梨沙子は飛び込んでいった。

「えいっ!」

桃子(に伝言をしたピーチッチ)に習ったとおり、梨沙子は警官たちの足を払っていく。
光を失っている大人たちは、面白いようにその場に次々と転がった。

ステージの中央では、『BERRY FIELDS』を胸元に付けた梅田えりかが長い手足でオロオロしていた。
梨沙子はその前に立つと、『BERRY FIELDS』に手を伸ばす。
胸が高鳴る。
鼓動が聞こえる。
周りを包んでいる闇全体が、脈を打っているように感じる。

「おばあちゃん…」

もうあと15cmで手が届く。
おばあちゃんにこの宝石を渡したら、いったいどんな顔をするかな?
梨沙子は想像をしてみる。でも。

――おばあちゃん、笑ってない?

なぜか、笑っているところがどうしても思い浮かばなかった。
何度繰り返してみても、闇の中に浮かぶおばあちゃんの顔は、笑っていなかった。
どうすればいいのかわからなくなって、梨沙子はあばばばばと慌てる。

230 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:39

「ちょっとあーた、何すんの!?」

えりかの声に、梨沙子は我に返る。

「そちらはどちら? そちらはどちら?」

えりかは混乱しているようで、首をぶんぶん横に振りながら、同じフレーズを何度も繰り返している。
するとその後ろからにゅーっと手が伸びてきて、鮮やかに胸元の宝石をかすめ取っていった。

「ピーチッチ!」

息を呑む梨沙子の耳元で声がした。

「あなたも早く逃げて」

それだけ告げると、軽く梨沙子の背中を押した。
弾かれたように梨沙子は慌てて中庭から脱出すると、着ていた制服を脱ぎ捨てて逃げ去る。

「電源、回復しました!」

声がすると同時に、中庭に光が戻る。
情けなく横たわる警官隊の真ん中で茫然と立っているえりかの胸元に宝石は、ない。
そして中庭の奥へと疾走していく、小さな影。

「包囲! 急いで!」

石川警視が叫ぶ。警官隊がピーチッチの後を追って走り出す。

「ピーチッチ、待ちなさい!」

気がつけば愛理も走り出していた。走るのは苦手なのに、そんなことすっかり忘れて。

231 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:41

やがてピーチッチの目の前に、コンクリートの高い壁が現れた。ピーチッチの足が止まる。
ついこないだの苦い記憶が蘇る。あのときは油断していた。そして失敗した。

「怪盗ピーチッチは、同じミスを繰り返さない」

自分に言い聞かせるように言うと、ピーチッチはさっき拾い上げておいたタオルを握り締める。
まだタオルは十分に水分を含んでいる。いける、と確信した。

「観念しなさい、ピーチッチ!」

追いかけてくる石川警視の甲高い声が拡声器越しに響く。

「そうよピーチッチ、おとなしくあたしに捕まっちゃいなさい!」

アイリーンの叫び声も聞こえる。ピーチッチは使ったタオルごと右手を上げると、それをぐるぐると回しはじめる。

「もう一度言うわ。怪盗ピーチッチは、同じミスを繰り返さない」

口元に笑みを浮かべると、ピーチッチはゆっくりと助走をつける。
そして、使ったタオルをコンクリートの壁に叩きつけた。タオルはぺったり壁に貼りつき、小柄な少女の体重を支える。
ピーチッチはそのまま勢いよく壁を蹴り上げると、あっという間に壁のてっぺんに上ってみせた。

「まだまだ捕まるわけにはいかないの。…じゃあね、アイリーン」

そう言い残してピーチッチはジャンプする。今度はきちんと優雅な曲線を描き、壁の向こうで華麗な着地を決めた。

232 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:42

石川警視は壁にでっかく残されている湿った染みを眺め、地団駄を踏む。

「くやしいいいっ!」

愛理はそっと手元の時計を見る。20時4分。
わずか14分間の犯行。でもその間ずっと、なぜか現実感がなかった。
おぼろげな足取りで愛理はピーチッチの越えた壁へと歩み寄る。
そのとき、爪先でコツン、と何かを蹴った感触がした。

「あれ? これって…」

拾い上げてみて、愛理は思わず「きゃあっ!」と声をあげてしまう。

「どうしたの愛理ちゃん!」

慌てて走ってきた石川警視に、愛理は「ハ」の字の眉毛で、拾い上げたものを見せる。

「べ…『BERRY FIELDS』ぅ!?」

紛れもない、本物の『BERRY FIELDS』が落ちていたのだ。
石川警視と愛理は目を丸くして、互いに見つめ合う。

「アイリーンちゃん、怪盗ピーチッチは同じミスを繰り返さないんじゃなかったの?」
「そうだと思うん…ですけど…?」

すると、首を傾げるふたりの目の前を、ひらひらと一枚の紙切れが舞い降りていった。
愛理が手に取ってみると、それは一組のカップルが写った、セピア色にくすんだ古い写真だった。

「この女の人の胸元にあるのって……『BERRY FIELDS』!」



233 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:43

――盗めなかった…。

梨沙子は重い足取りで家へと戻ってきた。
おばあちゃんをよろこばせるために、怪盗ピーチッチに協力してもらって、『BERRY FIELDS』を手に入れようとした。
でも、盗めなかった。
『BERRY FIELDS』まであと15cmのところまで迫った瞬間、動けなくなった。
頭の中に浮かんだおばあちゃんは、笑っていなかった。

「盗むってことがどういうことか、わかった?」

不意に声がかけられる。振り向くと、ピーチッチが門の前に立っていた。

「あなたの気持ちはわかるけど、盗んだものをあげても、おばあちゃんはよろこばなかったと思うよ」

ピーチッチの言葉に、梨沙子はうつむく。

「あなたはふつうの女の子なんだから、泥棒さんになるとかそんなこと考えちゃダメ。
 繰り返すけど、ピーチッチは弟子はとらない主義なの」
「ごめんなさい…」

涙ぐむ梨沙子に、ピーチッチはハンカチを差し出す。

「泣かないの。キミ中学生でしょー」

梨沙子がハンカチを手に取ると、くしゃり、と妙な感触がした。ハンカチを広げてみると、そこには紙が挟んである。

「それじゃ、さよなら。もう会えないと思うけど、今夜のことは忘れないね」

そう言って、あっという間にピーチッチは消えた。
ひとり残された梨沙子は手元の紙を広げてみる。それは、セピア色にくすんだ古い手紙だった。
手紙には、桃の香りのするピンクのカードが添えられていた。

234 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:44



これ、『BERRY FIELDS』の宝石箱の中にあった、おじいちゃんとおばあちゃんの大切な手紙。
渡してあげてね。


怪盗ピーチッチ

 
235 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:45

「桃ちゃん、今日の分、高くつくわよぉ」

塀の陰からすうっと、「しすたぁ」店長兼自称看板娘である道重さゆみが現れた。

「そんなこと言わないでくださいよぉ、道重さん。桃、いいことしたんだし」
「ま、そうだけどね」

さゆみはキャンドルの明かりが漏れる梨沙子の部屋を見上げて言う。

「梨沙子ちゃんのアリバイづくりのために、まさかさゆみまで駆り出されるとはね。
 作戦が終わるまであの部屋の中でじーっと待ってるの、けっこうつらかったんだよ?」
「えーでもかわいい梨沙子ちゃんのためですもん、いいじゃないですかぁ」
「でもあくまで桃ちゃんの頼みだったわけだし、その辺はキチッとしとかなきゃ、ね」
「道重さんのケチぃ」
「…でも正直言って、ピーチッチも妹ができたみたいでうれしかったでしょ?」
「じぶんよりも背の高い妹なんていらないもん」
「素直じゃないの」
「素直ですよぉ。ひとりじゃないと心配ごとが多くってたいへんだもん。
 やっぱりじぶんの好きな宝石を好きなように盗むほうがいいな! 次、がんばろ!」

――ふたりは並んで「しすたぁ」への道を帰っていく。


236 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:46

「と、いうわけで!」

月曜日、登校途中でいつものように、舞美は『ハロスポ』を広げてみせる。

「怪盗フルーティーズを名乗る犯人――警視庁は正体が怪盗ピーチッチであると断定――は、
 盗んだ宝石『BERRY FIELDS』を、かつての所有者の写真とともに現場に残したまま逃走。
 その後、警視庁の捜査の結果、『BERRY FIELDS』は戦時中に軍により強奪されていたことが判明した。
 それを受けて、現在の所有者であるファッションデザイナー氏が寄付をするという形をとることにより、
 『BERRY FIELDS』はこのたび、無事にかつての所有者の手元に戻ることになった、と」

一度も息継ぎすることなく読み上げた舞美に、愛理は感嘆の声を漏らす。

「すごいね舞美ちゃん、よくスラスラと読めたね」
「へへ、家で練習してきた」
「なにそれー」

舞美は笑いながら『ハロスポ』をたたむと、青い空を眺めて言う。

「さっすがピーチッチ、やるねぇ!」
「うん…」

愛理は少しうつむき加減になる。その様子を見た舞美は、

「愛理はよくやったよ!」

とバンバン愛理の背中を叩く。力が強くて少し痛かったけど、悪い気はしなかった。

「でも舞美ちゃん、ひとつ気になることがあるの」
「なに?」
「どうしてピーチッチ、『フルーティーズ』なんて名前を名乗ったのかな?」
「そりゃあ…いいことするのが照れくさいから別の名前にしたんだよ。とか言って」
「もう、舞美ちゃんっていつもテキトーなんだから」
「はっはっは、あたしたち自慢の名探偵・アイリーンだからこそ、安心して宝石を置いていったんだよ」

その言葉に桃子はびくっと反応してしまう。舞美ちゃん、実はいちばん勘が鋭いのかもしれない。
そっと愛理の表情を探ったら、眉毛は「ハ」の字だったけど、唇はしっかり弧を描いていた。
このままじゃ照れくさくってしょうがないので、それとなく話題を変えるべく桃子は尋ねる。

「でもさ、えりかちゃんは大丈夫なのかな…?」
「えりなら昨日、『ピーチッチに触られちゃった! テンションあがるわねぇ』って電話で言ってたよ」
「そっか。なら安心だ」

237 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:47

3人並んでベリ宮学園の校門に差し掛かったとき、ひとりの少女がじっとこちらを見つめているのが目に入る。

「りーちゃん…」

愛理がそう言ったのを聞きつけて、その少女・菅谷梨沙子が近づいていた。

「愛理ちゃん、まだわたしのことを『りーちゃん』って呼んでくれてるんだね」
「そ、そりゃそうだよ!」
「ふふっ、安心した」

まるで外国製の人形のような華やかな笑みを浮かべると、梨沙子は桃子の方に向き直り、

「ありがとうございました、桃子センパイ!」

そう大声で言って、顔を赤らめて中等部の校舎へと走って消えていった。

「さっすが桃ちゃん、やるねぇ!」

舞美の声が青空に響く。

「え、ちょっ! まって、そのっ、知らないよ! 知らないってばあっ!」
「はっはっは、照れなくたっていいじゃないか!」

そうしていつもの喧騒に包まれて、また今日も新しい一日が始まる。

238 名前:  投稿日:2008/05/06(火) 23:48

第六話 おわり
239 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/05/06(火) 23:59
弟子入りは面白いアイデアですね!
240 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/05/07(水) 03:16
ネタ満載で解って読むと面白さ倍増!
ナマ梅さんwww
241 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/05/12(月) 19:32
初めて見つけましたが、面白くて一気に読んじゃいましたw
今後も楽しみにしています。頑張ってください。
242 名前:  投稿日:2008/05/17(土) 01:11
>>239
ありがとうございます。新キャラ増えたら楽しいだろうなってことで、
勝手に出しちゃいました。雰囲気壊してなければいいんですけど。

>>240
ありがとうございます。自分、小ネタを挟み込むくらいしか能がありませんで。
ピーチッチが使ったタオルを振り回すところを書きたくて、便乗しちゃいました。
生梅には自分もやられましたね。舞美との握手の記憶を返してよとゆいたいです。

>>241
ありがとうございます。この作品はどの話も本当に面白いですよね。
第六話が足を引っぱっていなければ幸い、というのが正直な気持ちです。
自分も今後の展開を楽しみにしています。次の作者さん、がんばってください!
243 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/06/26(木) 03:16
とにかく上手くまとまっていて凄いですね
ピーチッチとアイリーンの虜です
244 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:20
「文化の日・二夜連続企画」
245 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:21


「じゃ、あいりん、ここで待っててね」

なっきぃこと中島早貴はひらりと手を振ると、扉の向こうに消えていった。
見送った鈴木愛理は体をかえして、壁に背中をつける。

週一回、中学の新体操部の練習に混ぜてもらう日の暮れ方。
薄い色した曇り空は、そろそろ夜へと変わってゆこうというところ。
愛理はものめずらしく、あたりを見回している。
中等部の部室棟。
似たようなドアが延々とつづく、校舎よりそっけない建物。

『商店街のジュース屋さんで、期間限定フレーバーが出てるんだ。
「タピオカみかんタルタルMIX」。なんでオレンジじゃないんだろね』

練習中、愛理が何気なく口にした言葉に、早貴の目の色が変わった。
ような気がした。
ともあれ愛理は、練習のあと早貴を店に案内する約束を取り付けられ、
部室に荷物を取りに来た彼女を待っている、という寸法なのだった。

――いっつも桃と舞美ちゃんと三人だから、
  それ以外の子と寄り道なんて、ちょっと久しぶりかも。

愛理がぽやぽやと考えをめぐらせていると、

「愛理ちゃん、みーっけたあああああっ!!!」

とんでもないキンキン声が、部室棟に響き渡った。
何ごとかとふりかえれば、廊下の端に脚を踏ん張って、
こちらを指さしている、あの人は。
246 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:22
「石川さん」

愛理は、鞄を落っことしそうになる。
名探偵アイリーンの部下で上司、警視庁捜査一課の石川警視が、
ものすごい勢いでこっちに向かって駆けて来る。
と思ったら、あれよあれよと近づいて、目を白黒させている愛理の腕をつかんだ。
「え? え? なんで石川さん、どうして学校に」
「なんでじゃないっ。携帯どうしたの」
「ちゃんと持ってますよ、ここに……あ、充電切れてる」
「もうっ。何回電話したことか。とにかく行くよ! 愛理ちゃん」
この慌てっぷり。まさか――愛理の表情が一変する。
八重歯の癒し系女学生鈴木愛理から、鋭い眼差しで石川を見かえす、
名探偵アイリーンのものへと。
「ピーチッチですね」
「ちがう」
アイリーンはずっこけた。
「え、じゃあ、なんでそんなに慌てて――」
「会議なの。『怪盗ピーチッチ特別対策緊急会議』っ。
 偉いさん勢ぞろいで、愛理ちゃんも呼ぶようにって」
「あ、はあ、そういうことですか。なるほど」
にわかに興味を失った愛理だったが、
「じゃ、行くよっ」
石川に引っぱられて、たたらを踏む。
「と、と、待ってください。友だちと待ち合わせてるんです」
「そんなのあとあと」
「ダメですって、ちょと待っ――」
「お待たせ愛理ー」
247 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:23
ごん。

いきなり開いた扉に後ろ頭を打ち付けられて、石川警視がつんのめった。
「あ、ご、ごめんなさい」
つっかえたのが人だとわかって、扉を開いた張本人の早貴が、
口をぱくぱくさせて飛びだしてきた。
あいったぁ、としゃがみこんだ石川の傍に寄ると、心配そうにのぞきこむ。
「ほんとごめんなさい。だいじょぶですか」
「う、いたたたたた」
「ああ、ごめんなさいごめんなさい。どうしよ」
困った顔で、愛理を見上げてくる早貴。

そのひと石頭だから大丈夫だよ――なんて、さすがに本人の前では
いえなくて、愛理もまた、おなじみの困り顔で、二人を見比べる。
「だ、大丈夫だよ、これしき」
頭を押さえながら石川警視が顔を上げる。
涙目でのぞきこんでいる早貴と、目があった瞬間。
早貴の口が、ぽかりと開いた。
餌をもらうヒナみたいな顔のまま、ぴたりと動かなくなる。
「なっきぃ?」
不審に思った愛理が声をかけても、早貴は返事をしない。
「え、どしたの?」
石川も、自分の顔を食い入るように見つめたまま動きを止めた女子中学生に、
とまどった声をだす。

「チャーミーさん」
248 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:23
早貴がつぶやいた。
愛理が「は?」と聞きかえす。
「なんだって?」
「チャーミーさん、チャーミーさんですよねっ」
「チャーミー……」
愛理は首をかしげた。
はてさて、確か石川さんは、純粋日本人だったはず。
同じようにあっけにとられているかと、石川警視を見れば。

――あれれ。

警視は表情をこわばらせていた。今まで見たことないくらいに。
「人違いだよ」
冷たい声。
「え、だって――」
「チャーミーとか、しらない」
「そんなはずないですっ。だってあたし――」
「あたしたち、急いでるから。愛理ちゃん、車まわすから裏口に出といて」
「あ、ちょっと石川さんっ」
「チャーミーさん!」
249 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:24
二人をおいて、石川は走り去ってしまった。
脱兎のごとく、そんな言葉が、愛理の頭をよぎる。

脱兎……逃げた――って、何から?

愛理は、早貴を振りかえった。
「なっきぃ、『チャーミーさん』って?」
石川の背中を呆然と見送っていた早貴は、怪訝そうな顔になる。
「ね、チャーミーさんって何?」
「愛理、しらないの?」
「しらない。新手の都市伝説?」
「……ホントしらないんだ。チャーミーさん、チャーミーは……」
言いかけて唇をかむと、早貴は愛理の腕をつかんだ。
「おいで」
さっき出てきた新体操部の部室のドアを開ける。
早貴が指さした方に目をやった愛理は、息を呑んだ。

ちょうど扉の正面にあたる、部室の壁には、A4サイズのポスターが
貼られてあった。
よく見るとポスターではなく、スナップ写真を拡大したものらしい。
日焼けした写真のなか、満面の笑みでY字バランスを決めているのは。

警視庁捜査一課警視、名探偵アイリーンの部下であり上司の――。

石川梨華、その人だった。
250 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:25
怪盗ピーチッチVS名探偵アイリーン


第七話「ハートのピースがでてこない!(前編)」
251 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:26


「愛理ちゃん、知らなかったんだ。石川さんが卒業生だって」

道重さゆみは、さも当然のことのように、愛理に言ってのけた。
土曜日の放課後。
いつもの席で、愛理は、ランチが出てくるのを待っていた。
向かいの席には、これまたいつもの、矢島舞美。
早い時間のせいか、カフェ『しすたぁ』のお客は、愛理たちだけだ。

毎月第三土曜日は『しすたぁ』でランチと決めている。
そのまま、舞美は学校に戻って部活、愛理は店に残る。
お店が忙しくないときは、ランチタイムのあとにアルバイトの
嗣永桃子がまかないを食べたり、愛理はゆっくり宿題を片づけたり。
そしたら桃子がまた冷やかしにきたりと、月一回の、優雅な午後。

お客がいないのをいいことに、お盆片手に立ち話中の店長は、
感慨深そうに、頬に手をあてた。
「といってもあの学校、名前変わっちゃったんだよねぇ。
 石川さんの頃は『ハロプロ学園』。今のベリキューもアレだけど、
 昔っから、ヘンな名前だったんだよね」
「って、道重さんも知ってたんですか? 石川さんがOGだって」
「だって、さゆみも卒業生だし」
「え?」
「道重さんも?」
これも初耳。卒業生ってことは――愛理の頭に疑問符が浮かぶ。
「道重さんって、おいくつなんですか?」

――さすが舞美ちゃん。

愛理がためらったひと言を、何も考えずに口にする。
252 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:26
「ええー」
さゆみはお盆を抱きしめて体をくねらせると、ひとさし指を立てた。
「さゆみはぁ、永遠の17歳だからぁ。きゃは」
舞美が動きを止め、愛理の目がお地蔵さんみたいに細くなったのを
気にもとめず、
「あ、いらっしゃいませぇ」
さゆみは、入ってきたお客にサービスするため、いそいそと席を離れた。
なんつうか、誰かを思いださせるね、と舞美が笑い、愛理はうなずく。
「で、愛理。つづき。石川さんの話」
舞美が話をもどした。
「あ、はいはい。どこまで話したっけ」
陸上部の朝練でいっしょに登校しなかった舞美にせがまれて、
今朝、桃子にした話を、愛理はもう一度繰り返しているのだった。
そこに、お冷やを持ってきたさゆみが、口を挟んできたというわけだ。

「なんで石川さん、『チャーミー』なんて呼ばれてたの?」
253 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:27


夕暮れの新体操部の部室。

差し込んでくる夕日に目をきらきらさせながら早貴が語った話は、
愛理には、驚きのものだった。

『愛理、あたし新体操部に憧れの先輩がいるって言ったの、覚えてる?
 その人に近づきたくて、前よりずっと新体操がんばってるって』

『その憧れの人が、チャーミーさん』

『チャーミーさんは、新体操部のカリスマだった。
 技術だけじゃない、表情、演技、何もかもが、ほんっと魅力的で、
 努力家で、一生懸命で、飾らなくて。最後の大会、「ザ☆ピ〜ス」
 って曲にのせての渾身の演技――客席はみんな総立ち。
 大会はじまって以来の快挙だったって』

『見てきたように言うねって? へへ、ぜんぶ先輩の受け売り。
 だけどあたし、ビデオ何回も見た。同じ曲で演技もした。
 チャーミーさんのできたこと、自分も全部するって。
 あんな風になりたいって思った。今も思ってる。
 あの人みたいになりたい』

早貴は壁のポスターを見つめる。
その眼差しにこもる熱に、愛理は圧倒された。
物静かな早貴のなかにこんな情熱があったこと、そして――。
愛理もまた、写真を見つめた。

夕日に照らされた「チャーミーさん」は、見慣れたような、
だけどはじめて見るような顔で、愛理に笑いかけてくる。
254 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:28



「――もっと聞きたかったのに、石川さんったら、クラクション、
 プッププップ鳴らしてきてさ。車のってからも、『人違い』
 『あのこ勘違いしてる』の一点張り。とりつく島もないの」

はあ、と愛理はため息をついて、水をひとくち飲んだ。
ふんふんと聞いていた舞美は、首をかしげる。
「そこまでいうなら、ほんとになっきぃの勘違いだったりして。
 他人の空似とか」
「舞美ちゃん、あたしも写真見たんだよ。若かったけど、間違いなく
 石川さんだった。あと、部室にあったトロフィーのリボンに、
 『石川梨華』ってフルネーム書いてた。道重さんも言ってたでしょ、
 卒業生だって」
「そっか。そこまで来ると、間違いないっぽいね」
舞美は頭をかいた。
「愛理、知らなかったんだ」
「知らなかったよ」
胸の奥が、ちょっぴり痛んだ。

石川さんに、隠しごとをされた。嘘つかれた。
そりゃ、あたしと石川さんは、あくまで上司と部下。お仕事上でのお付き合い。
プライベートのことなんて、言いたくなかったら言う必要ない、
それはそうなんだけど、でも――。
255 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:29
わっかんないな、と舞美が首をひねった。
「なんで隠すんだろ。なんでそんな、すぐバレるような嘘つくの?
 問題児だったならともかく、新体操部のエースだったわけでしょ?
 隠す意味ないよね」
「そう、なんだよね」
「桃、なんつってた?」
「道重さんといっしょ。『愛理しらなかったんだ』って」
「桃も知ってたんだ。まぁ、あのこ情報通だもんね。それだけ?」
「あとは『ま、ワケアリなんじゃない?』くらい。時間なくて、
 くわしく話してないけど、案外そっけなかったな」
「意外。桃、石川さん大好きっ子なのに」
「そういうとこ、さめてんだ、桃は。あたしはダメみたい。
 なんか、ちょっとショック」
愛理がしょんぼりしていると、
「大人には、いろいろ事情があるんだよ」
斜め上から、香ばしい匂いを連れた声が降ってくる。
「お待たせいたしました〜」
両手にランチプレートをささげたさゆみが、にっこりと微笑んだ。
「「わーい」」
二人は声をそろえて、テーブルに置かれたハンバーグに視線をそそぐ。
いっただきまーす、とさっそく舞美は箸を割ったが、
愛理には、気になることがあった。
「道重さん、桃は?」
いつもなら、愛理と舞美の席にランチをサーブするのは、桃子だ。
まったくねー、とさゆみは頬をふくらませた。

「12時までに帰ってくるよう、あれほど言ったのに」
256 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:29



桃子は、川沿いの道を、急ぎ足で歩いていた。
ほんとは走りだしたいのだけど、肩から卵Mパック3つ入りのエコバッグを
さげているから、そうもいかない。

――やばーい。道重さん怒ってるだろうな。

今日の『しすたぁ』の日替わりランチは、『煮こみハンバーグ★小悪魔風』。
今朝は、モーニングセットが、いつもよりたくさん出た。
だもんで、ランチのハンバーグにのせる目玉焼きが、足りなくなってしまった。
卵を買ってくるようさゆみに仰せつかって、はりきって飛びだした桃子だったが。

――やんなっちゃうな、もう。なんだったのよ、あの犬。

桃子は、ぷりぷり怒りながら歩いていた。
怒りながらも、周囲にいそがしく視線を配る。
うまいことまいたつもりだけど、どこからかまた、現れないとも限らない。
257 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:31



おつかいに出た桃子は、近道をしようと、人通りの少ない路地裏伝いに
スーパーに向かった。職業柄、このあたりの路地は知りつくしている。

ところが。

角の空き地を通り抜けようしたときだった。
そこには、犬、犬、犬。
大小黒白茶色にぶちに、個性豊かな犬たちが、何匹もたむろしていた。
しかも、首輪をしていない。いわゆる野犬。
砂利を踏んだ桃子の足音に、野犬の群れは、いっせいにこちらを見た。
思わずかわいいポーズを取ってみる桃子。
犬たちは一瞬、きょとんと桃子を見たあと――。
一目散に、追ってきた。
桃子は逃げた。普段の冷静沈着をかなぐり捨てて。
天下無敵の怪盗ピーチッチだが、唯一の例外があるとしたら、それは犬。
ドラえもんのネズミ並みに、ピーチッチは大が犬の苦手――じゃなくて、
犬が、大の苦手なのであった。

あんな、でっかい犬を野放しにしてるなんて、警察は何やってんのよ。
帰ったらすぐ、匿名で通報してやる。

怪盗らしからぬことを考えながら、桃子は、エコバッグをかけ直した。
思わぬところで、時間を食ってしまった。
ランチのピークは、とっくに始まっているはずだ。

桃子は、さらに足を速めた。
河原は、ウォーキングする人、自転車の小学生、カップルなんかが、
くつろいでいて、気持ちのいい午後の陽気。
だけど、それどころじゃない。

勤労少女は、ちょこちょこと独特のはや歩きで、川べりの道を急ぐ。
258 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:33



「ごっちそうさまでしたぁ」

舞美が元気よくさけぶと、ぱん、と手を打ちあわせた。
そのランチプレートは、きれいに空になっている。
「はやっ」
愛理が目をむく。
猫舌の愛理は、初速から遅れをとっているうえに、
「で、今日は石川さんは?」
などと舞美が話しかけてくるから、余計にスピードが上がらない。
「非番だったと思うんだけど」
口いっぱいのライスを片頬に寄せた愛理の表情が曇ったのを、見逃す舞美ではない。
「どした?」と、のぞきこむ。愛理はもぐもぐと、
「んー、いや……ちょっと石川さん、昨日いろいろあって」
「なっきぃのこと?」
「実は、それだけじゃなくってね……」
愛理はフォークの先のハンバーグに、卵の黄身をまぶした。
「さっき言ってた会議。『怪盗ピーチッチ特別対策緊急会議』」
ぱくりとハンバーグを口に入れる。混じり合う、ライスとお肉との
絶妙のコンビネーションを楽しむんだあと、愛理は大きく息をついた。

「大変だったんだよね」
259 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:34
先日の『乙女COCORO事件』の時のこと。

スポーツ新聞『ハロスポ』に、石川警視の写真が、でかでかと掲載された。
美少女探偵アイリーンのパートナー、ピーチッチから宝石を守る敏腕警視の石川梨華クン!
てなノリで。

新聞に、石川の写真が載るのは、初めてではない。
『告白の噴水広場』『ジンギスカン』につづいてのことで、
愛理は、「またか」「石川さん、あたしより目立っちゃって」程度に
軽く考えていたのだけど、上層部は、そうはいかなかったらしい。

『怪盗ピーチッチ特別対策緊急会議』で、まずやり玉に挙がったのは、
この件だった。というより、会議は、この話に終始した。
いわく、闇に隠れて捜査を行う刑事が、検挙もしないうちから、
何を浮かれているのかと。

おっしゃる通りですけど、まあ石川さんですし、ていうか、会議の
タイトル間違ってません? 『石川警視マスコミ対策緊急会議』?
なんて、のんきに構えていた愛理だったが、どうも様子がおかしい。
会議室は、次第にエキサイトしていった。

『毎回、子どもだましの手に翻弄されて、恥ずかしいと思わんのか』
『どれだけの予算を無駄にしていると思っているんだ』
『こんな子どもまで巻きこんで、成果をあげられない』
『そんなことだから、びゆ……』
260 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:37
「結局、なんでも良かったんだよね」
愛理は、ため息をついた。
「締め上げる機会を待ってたってコト。石川さんの立場が弱いの知ってたけど、
まさか、あれほどとは。もう、大の大人が、寄ってたかってコテンパン」
舞美がどん、とテーブルをたたいた。
「なにそれ。愛理が捜査しだしてから、どんだけ――」
「ピーチッチの成功率の半減、アイリーン登場による警察の信頼回復、
 逮捕に繋がるデータの蓄積――石川さんも一生懸命説明するんだけど、
 聞く耳持たないの」
愛理は苦々しく、その光景を思いだす。
「きっと、相当たまってたんだよ。結局、石川さんじゃないの。
 子どものくせして、いっちょまえに捜査に加わってるあたしが、気に入らないの。
 でも、あたしに言うのは大人げないからって、石川さんたたく。やんなっちゃう」
「なんかやだ、そういうの」
今度は、悲しそうな顔になる舞美。
「石川さんと愛理が嫌な思いして――とかは、もちろんなんだけど、
 そういうやり方っていうか、うまく言えないけど……あたしすごいダメ」
「……ほんとにね」
愛理もすこし、しんとした気持ちになる。
「石川さん、落ちこんでなかった? 愛理にそんなとこ見られて」
「うん……」

『今日はごめんね、愛理ちゃん。嫌な思いさせちゃった』
ぜんぜん笑えてない笑顔。力ない声。
立ち去る石川警視の背中には、青黒いオーラが渦巻いていた。
打たれ強さが自慢の石川警視。あんな顔、はじめて見た。
261 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:38
「石川さん、ピーチッチの担当はずれたりしないよね?」
「させないよ、そんな」
思わず強い口調になりながら、愛理はナフキンで口元をぬぐう。
舞美が身を乗りだした。
「わかんないじゃないか。めっちゃ落ちこんでたんでしょ。
 刑事辞めようとか、思いつめてたりして」
「ちょっと! まさか石川さんに限ってそんな」
「石川さんと連絡とった?」
「昨日寝る前、メールしたけど……そういえば、返事、ない」
「ヤバくない?」
「待って、待ってよ。なんで舞美ちゃん、そんな悪いことばっか――」
「だって、なっきぃのこともあるし、石川さん思いつめるタイプだし、
 声たかいし」
「それ関係ないし」
と、突っこみつつも。
『あたし、愛理ちゃんに迷惑かけてばっかりだね』
そう言った、石川警視の暗い顔を思いだす。
追いうちをかけるように、舞美がささやいた。

「身投げとか、してないよね?」
262 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:38


桃子が、その人影を見つけたのは、土手の上だった。
『しすたぁ』までは、あと2分というところ。
川べりの道から、商店街に向けて、土手を降りようとしたとき、
視界の端に、桜色がチラリとうつったのだ。

ピンクの花柄ワンピース、三角座り、暗い顔。
こんな土曜日に一人、気合入ったカッコ――失恋、かな。

素早い観察は、怪盗の基本。
一瞬でキャッチした情報から、勝手なことを考えたあと。
桃子はぴたりと足を止めた。
とんとんとん、下りかけた石段をふたたび上がり、あらためて見る。
まちがいない。
ひらひらワンピの石川警視が、川原の斜面で、膝をかかえている。
 
――なんでこんなとこに。愛理に用かな?

桃子は「石川さぁん」と明るく声をかけた。
どうせなら、いっしょに『しすたぁ』にお連れしようと思ったのだ。
石川は、びくっと振りかえった。その顔に、桃子はぎょっとする。
なんだか憔悴しきったような――顔色も悪ければ、表情もさえない。
むやみやたらと勢いのある、いつもの石川とは、まるで別人だ。
「え、石川さん、どうし――」
桃子が近寄ろうとすると、石川は立ち上がった。と、同時に背を向ける。
コンクリの斜面を一気に降りきると、河原を一目散に駆けてゆく。

逃げられた、ということを認識するまで、すこしかかった。

「え? え? え? なんで? なんで?」
桃子は、動揺した。
刑事が怪盗から逃げだすなんて。逆じゃない?
それにあの、ただならぬ様子。

「石川さん、待った!」

桃子は思わず駆けだしていた。
『しすたぁ』で桃子を待つ、さゆみのことを忘れて。
263 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:39


派手な落下音が、店内に響いた。
振りかえると、さゆみが、お盆を床から拾い上げているところだった。
ごめんなさい、お騒がせしましたぁ、と舌をだすさゆみに、
一瞬凍りついた店内の空気が、笑いとともにほどける。

愛理は、店内を見渡した。
「ね、舞美ちゃん」
いつの間にか、店は満席。
ほとんどのテーブルには、まだお冷やしか出ていない。そして――。
「桃、どしたんだろうね」
切り盛りしているのは、さゆみひとり。
愛理と舞美は、目を見交わすと、どちらからともなく立ち上がった。
カウンター越しに、厨房のさゆみに声をかける。
「道重さん、道重さん」
「なに?」
ハンバーグにソースをかける手を止めずに、さゆみが答える。
「桃は?」
「まだ」
からんとおたまをはなして、ブラックペッパーの瓶を取り上げる。
「買いだしに行ったっきり。もう、さゆみひとりでランチまわすとか、
 ありえないんだけど!」
ごりごりごりごり、勢いよく胡椒をひくさゆみは、すっかり怒っている。
パセリを細かくちぎりながら、
「携帯も持ってってないから連絡つかないし、ホント最悪」
「あちゃあ」
「それは……」
いくら小さな店とはいえ、さゆみがベテランとはいえ、
厨房とウェイトレスを一人でやってのけるのは、至難の業だろう。
愛理は満席の店内を見渡した。ほんの一瞬、考えこむ。そして――。

制服の袖をまくった。
264 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:40



「はい、どうぞ」
差しだされたプラスチックのカップを、石川は怪訝そうに見た。
「なにこれ」
「やだな。毒とか入ってません」
苦笑いする桃子。

さっきの河原。ただし先ほどより、数キロ離れた場所。
斜面に座っている石川の隣に腰をおろすと、
ほら、と桃子は、自分のぶんのストローに口をつけた。
飲みこむと、とろりとした甘ずっぱさと冷たさ、弾力のある粒。
おいしーい、と思わず頬がほころんでしまった。
そんな桃子を見て、石川もストローをくわえる。
おそるおそる、といった感じで喉を動かすと、その表情がやわらいだ。
「甘い……」
「でしょ。運動のあとは、甘いものがいちばん」
「ん」
石川は、頬をすぼめてジュースを飲む。子どもみたいだ、と桃子は思う。

一気に飲んで、石川は、ぷはあと大きな息をついた。
「桃ちゃん、走るの速いんだね」
感心した顔でつぶやく。
その表情からは、さっきまでの切迫感が消えていて、桃子はほっとする。
心をほぐすにも、やっぱり甘いものがいちばんなのだ。
265 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:42



秋の河原では、群生のコスモスが、そよそよと揺れていた。

道の端に咲く、濃き淡き、色とりどりの花の間を縫うようにして、
全力疾走する女の子二人。

追いかけられてる一人は、女の子と呼ぶには少しばかりトウが立っているが、
顔を真っ赤にして駆けるその姿は、どこか余裕を感じさせる表情の、
追う少女よりも、幼く見えた。

河原の人たちの目をまるくさせた突然の追いかけっこは、数十分で決着がついた。
体力切れで足をもつれさせた逃亡者に、追う子がタックル。

コスモスの群れのなかに折り重なって倒れこんだ二人に、
周囲の見物人から拍手が飛んだ。





へたりこんだ石川に立ち上がる気力がないのを見て取ると、
桃子は風のように消えた。
息たえだえだった石川が、ようやく平静を取り戻した頃。
見計らったように、両手にジュースのカップを持って、桃子は川原にあらわれた。
266 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:43



「ひとつ、石川さんに謝らなくちゃ」
桃子は、ストローでカップの中の氷をつつきながら、くすくす笑った。
石川が、怪訝そうな顔をする。
「なぁに」
「これ」
桃子は、フリフリのエプロンの裾をつまんだ。
「ごらんの通り――桃、『しすたぁ』の制服なんですよね」
「それがなによ」
桃子は、ますます笑顔になる。
「だからぁ――その、さっき、もぉが石川さん捕まえたとき、
見物してた人、誰も止めなかったでしょ。むしろ拍手してた。あれって――」
「ぐぁ」
石川は、踏みつぶされたカエルみたいな声をだした。
「食い逃げだって、思われてたと……」
「ザッツライト」
親指を出す桃子。石川警視は、頭をかかえる。
「最悪」
「石川さん、大丈夫大丈夫。刑事さんらしい人、いなかったですし」
「……いや」
おでこをひざ小僧にぐりぐりとこすりつけて、石川は、低い声をだした。
「それならそれで、ちょうどよかったかも……」
「え?」
「いっそ、クビになった方が早いのかも」
「ちょっと、石川さん」
石川警視は、ふふふふふふふふふふふふふふふふふと笑った。
長く短い笑い声が、実に不気味だと桃子が思っていると、石川警視は顔を上げた。

「あたし、刑事やめる」

ため息よりずっと重く低い声が、 桃子の胸にとどろいた。
267 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:45
268 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:47
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪通学ベクトルのイントロ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


州´・ v ・)<桃も石川さんも、いったい、どこに行っちゃってるの?
        石川さんは気になるし、『しすたぁ』はてんてこまいで、
        名探偵アイリーン、地味にピンチってます!

州´・ v ・)<次回、怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン
        第七話「ハートのピースがでてこない! 後編」
        お楽しみに。

州´・ v ・)<愛と理性で℃-uteに解決!
269 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:47
270 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/02(日) 23:52
>>243
ありがとうございます
みなさん、すごいですよね。カラーが統一されていて、感心します


と、いうわけで、続きは明日upします。
リアルタイムで読んでくださる人が一人でもいたら、嬉しいなあと思います。
271 名前:- 投稿日:2008/11/02(日) 23:52
272 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/03(月) 00:48
通学ベクトルのイントロを聴くたび、谷村新司の歌い出しを想像してしまいます。

それはさておき、『ピーチッチ』の新作、待ってました!
この話の舞台がさらに魅力的に広がっていく内容で、読んでいて楽しいです。
これからどのようにストーリーが展開していくのか?
ピーチッチとアイリーンの活躍は? 石川警視はどうなっちゃうの?
後編、とっても期待しています!
273 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/03(月) 01:33
楽しみにしていました
明日はリアルタイムで読めるかも!
274 名前:七話 投稿日:2008/11/03(月) 23:46
諸般の事情により、本日更新できなくなりました。
ごめんなさい。
わざわざお声かけておいてできないとか、こんな書き込みでスレの容量減らしたりとか、
ダメダメで、ほんとごめんなさい。明日更新します。
275 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:38
「お疲れさま」
軽やかな声とともに、カウンターに白いカップが置かれた。
「何番さんですか?」
スプーンを拭く手を止めて、新しいソーサーを出そうとする愛理に、
さゆみは笑って首を振る。
「愛理ちゃんのぶん。注文、全部でたから。休憩して」
さゆみは、店内をちょいちょいと指さした。

昼下がりの、カフェ『しすたぁ』。
さゆみの踏ん張りと、愛理の活躍で、ランチタイムの混乱はひと段落。
食後のデザートを楽しむ人、読書に没頭する人etc。
店内は、午後の雰囲気に変わりつつあった。
276 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:39
怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン


第七話「ハートのピースがでてこない!(後編)」
277 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:40
「わたし、お店手伝います。桃のいつも見てるから、大丈夫だと思う」

愛理の言葉に、カウンターの向こうのさゆみは、目を輝かせた。

ウェイトレスの嗣永桃子が、買い物に行ったっきり帰ってこない。
カフェ『しすたぁ』は、ただいま満席。
さゆみ一人で、てんてこ舞いの状況に、見かねた愛理は、手伝いを申し出たのだった。
接客以前に、アルバイトじたい未体験だけど、やるっきゃない。
決意をたたえて、うなずく愛理。
「あたしも、あたしも!」
元気よく、舞美が右手を挙げる。
その顔をたっぷり三秒見つめたあと、さゆみと愛理は、同時にほほえんだ。
「ありがとっ。だけど二人いれば大丈夫だよ」
「舞美ちゃんは部活あるもんね」
「えっ、でもっ――」
「気持ちだけ受けとるね。ホントにありがと」
「ホラホラ、遅刻しちゃうから」
揃ってにっこり押しだされて、ええ、とかうう、とか言いながら、舞美は店を出て行った。

戻ってきた愛理に、さゆみは親指を立てる。
「愛理ちゃん、グッジョブ」
放り投げられた、桃子の予備のエプロンを、愛理はすばやく身にまとう。
「しすたぁのお皿、なくなっちゃったら困りますから」
「そこまで?」
「それ以上かも」
本人悪気はないのだが、舞美の粗忽ぶりは、学校じゅう通り越して、
ご近所のおじいちゃんたちにまでに、知れ渡るほど。
校長室の大事な壷を壊して、大目玉を食ったのは、記憶に新しい。
278 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:41
愛理は、エプロンの紐をぎゅっと結んだ。
インスタントなウェイトレスの、できあがり。
ナポリタンの皿をカウンターにだしたさゆみが、悲鳴を上げる。
「きゃあ。アイリーンのエプロン姿とか、超レアなんだけど!」
カウンター越しに素早く手を洗いながら、
「道重さん、それどころじゃない」と愛理は声をひそめる。
店内いっぱいのお客さんが、お腹をすかせてお待ちかねだ。
「そうだった。キリキリ行こう」
さゆみの表情が引きしまる。
「テーブル番号は把握してる?」
「窓際奥から1、2、3。あとはカウンター左から順」
「オッケー。じゃあ3番さん上がり。粉チーズとタバスコは後ろの棚。
 お盆に全部のせて、左手で持って右手で出す。持ちきれなかったら
 無理しないで、二回に分けて」
「了解」
愛理はお盆を持ち上げると、3番テーブルへ。





スマートに。だけど笑顔も忘れずに。
とびきりキュートなウェイトレスの登場に、常連客もいちげんさんも大喜び。
その仕事ぶりたるや、さゆみが舌を巻くほどのものだった。
279 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:43


「ほら、冷めちゃうから」
さゆみの置いたカップからは、暖かそうな湯気がでている。
白い中味は、たぶんホットミルク。
愛理は、はにかんだ。
「ありがとうございます。それがあたし、猫舌で……熱いのすぐ飲めないんです」
「いいよね。そういうとこまでかわいいとか、ずるい」
さゆみはふふふと笑うと、自分のカップを取り上げた。
「愛理ちゃんいてくれて、助かっちゃった」
くつろいだ雰囲気に、愛理もほっとして、桃子の指定席に腰を下ろした。
座ると急に、足裏にじんじんした疲れを感じる。
愛理は壁の時計を見上げた。いつの間にか、もう1時半を過ぎている。
「桃、帰って来ませんね」
さゆみも時計を見た。
「こんな時間まで帰ってこないなんて、今までありました?」
「ない。ていうか、連絡なしに帰ってこないなんて、はじめて」
「やだな、大丈夫かな」
石川さんが行方不明だと思ったら、今度は桃まで。
「大丈夫だよ」
さゆみはどこ吹く風だ。
「ていうか、夕方までに帰ってこなかったら、クビよクビ」
「ええっ」
「あたりまえでしょ。職場放棄だなんて、お給料もらってる人間が
 していいと思ってんの、アイリーンちゃん」
「そ、そりゃそうですけど、桃はその、住みこみじゃないですか。
 クビってことは――」
「荷物まとめて出ていってもらいます。愛理ちゃんち豪邸なんでしょ。
 桃ちゃんの一人や二人、住む部屋あるんじゃない?
 あ、メイドかなんかで雇ってあげたら?」
「で、でもでもっ、桃は『しすたぁ』の看板娘で」
さゆみはだん、とカウンターに両手をついた。
「愛理ちゃん、勘違いしないでくれる? 桃ちゃんは『自称看板娘』。
 しすたぁの『真の看板娘』は、さゆみなの」
「う、あ、う、えっと――」
愛理は、あわあわと口を動かした。
その様子に、怒っていたはずのさゆみが噴きだした。
「ほんっと愛理ちゃん、かわいい」
「え、ええと」
「ほら、もうさめたから」
差しだされるカップ。

――ひょっとして、からかわれてる?

愛理は頬をふくらませると、温かいカップを両手で包みこんだ。
280 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:44


石川警視は、氷だけになったジュースのカップを、額に押しつけた。
きもちいー、と息をつく。
「それにしても、体力どんどん落ちてるわ。
 いっつもピーチッチ追いかけてるから、走るのは自信あったのに。
 現役高校生にはかなわないよねぇ。って、当たり前かぁ」
さっきの『刑事やめる』発言に桃子が黙りこんだのをどう取ったのか、
石川警視は、つとめて明るく振る舞っているように見えた。
話をそらそうとしてるなぁ、とは感じるものの、桃子は素知らぬ顔で、
「トシなんじゃないですかぁ」と、からかう。
わざとらしい笑い声つきでいったのに、
「そうかもね」
声のトーンが下がるから、あわてた。
「ちょっ、真に受けないでください」
「だって、桃ちゃんや愛理ちゃんに比べると、トシもトシだよ。
 ハタチすぎてからとか、早すぎてやんなっちゃう。
 ていうか、ハタチすぎてからのあたしって、なんなんだろ……」
また、風向きがあやしくなってきた。
言いたいのか言いたくないのか、どっち。
感情的に行ったり来たり、めんどくさいったらありゃしない。
そう、石川警視はめんどくさい人なのだ。そこがかわいくもあるんだけど。
桃子は地面にカップを置くと、石川警視を観察した。

暗い表情、眉間に寄せられたしわ。
端正な顔のせいで、必要以上に悩ましい風情になってしまっている。
281 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:45
――どう出たモンかなぁ。

桃子は思案する。
こちとら、天下の怪盗ピーチッチ。だいたいの事情は把握していた。
とはいえ、ここまで落ちこんでるなんて。はっきりいって予想外。
倒れても倒れても、どんどこ立ち上がる、起き上がり小法師みたいな人
だと思ってた。だから、愛理にいろいろ聞かれたときも、
余計な口出しはしなかった。しないつもりだったんだけど。
こんな顔をされては、さすがに放っておけない。

――まったく、アイリーンめ。
  なんで桃が、石川さんのフォローしなきゃなんないのよ。

ずずっ、と音を立てて、桃子はジュースをすすった。
しかし、アイリーンだけの問題じゃない。
こんな石川警視は、ピーチッチだって、ノーサンキューだ。

昼下がりの陽射し、きらきら光る川面。
お昼寝でもしたい午後の陽気のなか、ピーチッチは頭を悩ませる。
282 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:46
「そうだ、ジュース代!」
手をたたくと、石川は、肩からさげたベビーピンクのポーチを探った。
「あ、いいですよ。桃のオゴりです」
あとで愛理につけとこう、と桃子は思う。
「そんなわけにはいかないよ――」
「ホントいいです」
「ダメだって」
「ホントに」
「ダメだよ」
融通の利かない人だ。
桃子は、小銭を出しかけた石川警視の手をとった。
「そんなに嫌だったら――こういうの、どうですか?」
人さし指を立てる。
つられて小指も半分立って、なんのポーズかわからない。
「石川さんの打ち明け話が、ジュースのお代、てことで」
石川が、ぎくりとしたような顔になる。かまわずつづける。
「なんで新体操部のチャーミーさんを自分じゃないって言い張るのか、
 なんで桃から逃げたのか。どうして刑事やめるなんて言うのか、
 どうして、そんなに――」
桃子は指をおろした。石川警視を見つめる。

「辛そうな顔、してるのか」
283 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:49
「……愛理ちゃんから、なんか聞いた?」
石川の言葉に、桃子は慎重に答えた。
「だいたいは。あたしは、もともと石川さんが卒業生だって知ってましたし」
くわえて、ピーチッチ担当になると知った際、石川警視の身辺は、調べあげてある。
学生時代、誰といちばん親しかったか、学食のメニューで何がいちばん好きだったか、
なんてことさえも。
「そっか」
石川は、下を向いて笑った。
空になったジュースのカップを持ち上げると、太陽を、すかすように見る。
「あたしの過去は、この程度か。ちょっと安くない?」
桃子も、カップの向こうの太陽を見た。
ロゴにジグザグに隠されて、ゆがんで光る、ぼやけた太陽。
「人の過去なんて、本人以外には、ジュース一杯分の値打ちしかありませんよ。
ヘタしたら、それ以下かも」
愛理に払わせるつもりだし、ちがいない。
石川は一瞬、きつい眼差しで桃子をにらんだ。
が、すぐに表情をやわらげる。
「いうね、桃ちゃん」
話を軽くして、なんとか口を割らせたい、そんな桃子の腹はお見通しのようだ。
あーあ、と石川は、空に向かって、大きく息をはいた。
どことなくすっきりとした横顔。

「愛理ちゃん、お昼ごはん、何食べたんだろ」
284 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:51


石川警視に何度目かの留守電を入れたついでに、愛理は、店の前に立てっぱなし
だった、ランチメニューの黒板を回収してきた。もう三時前。
黒板消しで文字をぬぐいながら、ちいさなため息をつく。
「あんなこと、言わなきゃよかったな」
「あんなこと?」
ひとりごとを耳ざとく聞きつけて、さゆみがたずねる。
「昨日、会議があったんですね、対ピーチッチの」
答えながら、愛理は不思議だな、と思う。
さゆみとは、桃子と『しすたぁ』を介したお付き合いで、桃子や舞美なんかを
ふくめた、何人かで会話をしたことは、何度もあった。けれど、こんな風に、
二人きりで親密に話すのは、はじめてだ。なのにどうしてか、心やすく話せる。
話すのがうまい人はたくさんいるけど、この人はたぶん、話させるのが、すごくうまい。
ちょっと怖いくらいに。接客業の人って、みんな、こんななのかな。

愛理は、舞美にした話を、簡単に繰り返した。
石川警視の名誉のために、会議室の描写は、舞美に話したときより、ずっとソフトに
押さえつつ。愛理は、舞美に言っていなかった続きを、さゆみに話しだす。

「石川さん、みんなから、もうほんと延々と責められてて。
 ……余計なこと言っちゃダメだって、ずっと黙ってたんです、あたし。
 でも、どうしてもガマンできなくなっちゃって――」
285 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:53


『おっしゃりたいことは、それだけですか?』

警視庁捜査一課内特別会議室。

アイリーンは、居並ぶ刑事たちをにらみつけた。
それまで置物みたいに黙りこんでいた女の子が、突然発したひと言に、
大人たちが一瞬ひるむのがわかった。

机を思いきりたたいたせいで、手のひらがびりびりしてる。
立った衝動で、会議室の椅子が、後ろに倒れてしまっていた。
めずらしく、すっかり腹を立てていた。

アイリーンは、一人ひとりの顔を順に見すえると、息を吸いこんだ。

『必ず、怪盗ピーチッチを逮捕します。
 最後に勝つのは私。いま言えるのは、それだけです』



おお、とさゆみが拍手をするものだから、お客さんが、何ごとかとこっちを見た。
「やばい。愛理ちゃんカッコいい」
「いやあ……あ、っと。で、なくて」
一瞬、照れてしまった自分を戒めるように、愛理は顔をしかめる。
「あれ、きっとマズかったと思うんです。あたし、あとのこと、ぜんぜん考えてなかった。
 偉そうなこと言ったせいで、石川さんの立場、よけい悪くなっちゃったかもしれない」
「それはちがうな」
さゆみは、きっぱりと言った。
「たとえそうだとしても、マズくない。愛理ちゃんにそう言ってもらえて、
 石川さん、嬉しかったと思うよ」
286 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:55
「桃ちゃんさ、なんか夢ってある?」

すごいところから球が来た。
そんな発言が来るとは思っていなくて、桃子は、正直驚いてしまう。
しかし、石川警視の顔は大まじめ。これは、マジで答えなくちゃならない。
桃子は、河原の草をむしっていた手を止めた。
「夢って、夜寝るときのじゃないですよね?」
念のため、確認。
ぱらぱらと草を地面に落とすと、手をはらう。
「将来系」
指のしわに、うっすらと緑色がついてしまっている。桃子は顔をしかめた。
「そうですねぇ……まだ、これとは、決めていないかな?」
石川は、桃子のエプロンの裾をつまんだ。
「ウェイトレス、すごい似合ってるじゃん。本職にする気はないの?」
「喫茶店のお仕事は好きですけど……他にもなんか、もっとあるかもしれないし」
「『しすたぁ』から独立して『喫茶桃子』とか」
「『喫茶桃子』て」
桃子は思わず吹きだした。
おかしいことを言ったつもりのない石川が、なに笑ってんのと、あさく笑う。

「あたしはあったんだ、夢」
287 名前:- 投稿日:2008/11/04(火) 23:56
「あたし、中学高校大学と、新体操部でね。毎日、新体操に明け暮れてた。
 今日は明日よりも、明日は明後日よりもって、がむしゃらに頑張ってた。
 生活の中心は部活だったけど、それだけじゃなくて、友だちもたくさんいて、
 先生にも気に入られてて。あたしキラッキラしてた。自分で言うのはナンだけど、
 あの頃のあたし、無敵だった」

自慢のようにもとれる思い出話を、そうと感じさせないのは、石川の口調が、
異常に沈みこんでいるからだ。事実をそのまま語っている、そう感じさせるトーン。

桃子は、学生時代の石川警視を想像する。
生真面目で、努力家で、いつでも全力。そのくせドジで、憎めなくて。
側にいる人たちが笑顔になっちゃう、そんな高校生を。

「将来は、新体操の道に行くんだろうって、みんな思ってたし、あたし自身、疑いも
 しなかった。だけどね、大学生の時……おかしな人につけ回された時期があって」
石川の瞳に、暗い影がよぎった。
「あとつけられたり、待ち伏せされたり、隠し撮りされたり。一種のストーカーだね。
 そういう被害にあったんだ」
「ひどい」
桃子は顔をしかめた。
「でね、そのとき、すごく親身になって、助けてくれた刑事さんがいた。
 スーツ似合ってて、髪長くって、大人の女って感じで。
 あたしの話を一生懸命きいてくれた。休日返上して、張り込んで、調べてくれて――
 おかげで、犯人は捕まった。お礼に行ったら、その人、不思議そうな顔するの。
 私は仕事をしただけだよ、って。それがすごく、素敵に思えた」
石川の口ぶりに、明るさがまじる。
「それが、きっかけで……」
「そう、刑事になったの」
288 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:04


デザート目当ての第二のピークが訪れたあと、いっせいにお客さんがひいた。
店内はもう、誰もいない。さっきまで、息つく暇もなかったのに。
客商売って極端だなあ、なんて思いつつ、愛理は散らかったテーブルを
てきぱきと片付ける。さゆみは、山のような洗い物と格闘中。
食器でいっぱいのお盆を手に、愛理は、ふと、窓の外を見た。
まだ夕方と言うには早い。だけれど、秋の日暮れは、確実に近づいてきてる。

――桃、帰ってこない。

石川さんといい、桃といい、いったい、どうしたんだろう。
何も二人していなくならなくったって。

愛理は、カウンターの向こうで揺れている、さゆみのピンクの髪留めをながめる。
クビはまさか冗談だとは思うけど、ホントのところ、どうなんだろう。
お願いします、とカウンターごしに、お盆ごと洗い物を渡す。
片手で器用に受け取ったさゆみが、ね、いいこと思いついたんだけど、と言った。
ピークを乗りきったせいか、妙にテンションが上がっている。

「なんでしょう」
「石川さんと桃ちゃんのこと、心配なんでしょ」
「はあ」
「アイリーンちゃんは探偵でしょ」
「はい」
「だったらさ」
さゆみが、たっぷり泡のついたスポンジをつきだした。
ちいさなシャボンが宙に飛んで、愛理は思わず身を引く。
「推理してみたら? なんで石川さんが卒業生だってこと、隠してたのか。
 ばれたのに、まだしらばっくれてるのはどうしてか。
 愛理ちゃんには難しくても、アイリーンには簡単でしょ」
さゆみの指に握られて、ぶしゅぶしゅと泡が流し台にこぼれた。
289 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:05
挑発的、ともとれる言葉だと思う。
だけど、さゆみの瞳は、ケーキを切り分けてもらってる子どもみたいにきらきら
していて、そこにあるのは、むしろ期待。
愛理は、乾いたふきんを手に取った。
洗い終えた食器から、プレートを一枚取りだして拭くと、さゆみの顔をちらりと見る。
「道重さんって」
「なに」
「桃に似てる」
「え、ホントやめてほしいんだけど」
顔をしかめたさゆみだけど、愛理は内心、わかってるくせに、と思う。

同居してると似てくるのか、それとも、そもそも似たもの同士か。
圧倒的に女の子で、かわいいものと、ピンク色が大好きで。
本当の底の底は、きっとあんなじゃないだろう、そういうとこも、二人は似てる。

って、悪いくせ。友だちのことも、ときどき探偵の目で見てしまう。
愛理は、眉根を寄せた。
「なんか、嫌なんですよね。身近な人のこと、推理するの」
290 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:05
――今みたいに。

無意識で、探偵になっちゃう時がある。だからこそ、なおさらなのだ。
ふうん、とうなると、さゆみは洗い物を再開した。
食器のふれあう音に負けないようにか、大きな声で、
「学校での依頼を断ってるのも、おんなじ理由?」
「よく知ってますね」
「桃ちゃん情報」
「まあ……そうですね。すっきり物事を見渡すには、感情がじゃまだから。
 知ってる人が相手だと、どうしてもバイアスかかっちゃって」
静かに言う愛理に、さゆみはちょっと、目をすがめた。

食器の音が、止まる。

両手を止めたさゆみが、じっと自分を見ているのを、愛理は感じた。
不思議なまなざし。
何らかの感情がこもっているわけではない、語るではなく、問うような。
愛理は、店内に流れるBGMが止まったような、自分とさゆみ以外が世界から
切り離されたような、奇妙な感覚に襲われる。

「だけどアイリーン。今後も探偵をつづけて行くとしたら」
試すようにゆっくりと、
「そんな事態が起こらないとも限らない。そう、家族や、友だちや――あなたにとって、
 大切な人を探偵しなくちゃいけない、心の奥を見抜かなきゃいけない時が、
 くるかもしれない。そういう時がきたら――アイリーンは、どうするの?」
291 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:10


日が傾きかけた河原は、すこし肌寒くなってきた。
走ったせいでかいた汗は、すっかりひいてしまっていた。
あんまり長く外にいると、風邪をひいてしまいそうだと、桃子は思う。

夕日できらめく水面をバックに、石川警視の、話はつづく。

「念願の刑事になって、あたし、ものすごく張り切ってた。
 運良く、あの憧れの刑事さんの下に配属されてね。新体操がんばってたみたいに、
 がんばった。早く一人前になりたい。みんなの役に立ちたいって。だけど……」
石川警視は、膝をかかえた。
「おかしくなってきて」
そのあたりの事情は、知らないことでもない。
辛そうな声に胸が痛むけど、桃子は黙って聞く。
大丈夫ですか?とか、もういいですよ、とかは言っちゃいけない。

「何やっても、うまくいかなくて。学生の時、あんなにあたし、うまくやれてたのに。
 あたし自身は、何も変わってないのに、全部がうまくいかなくなった。
 努力だけじゃ、ダメだった。社会って、働くって、そうじゃないんだって、知った」
292 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:13
「そんなある日、辞令が出た。
 『対怪盗ピーチッチ捜査本部、特別顧問官の補佐にあたれ』ってね。
 クビか左遷だと思ってたから、驚いた。わくわくして現場に行った。
 そしたら、かわいらしい探偵さんが出てきて、よろしくお願いします、って」

そのときの驚きを思いだしたのか、ふふ、と石川が笑う。
と、急に桃子を見た。
「どうして落ちこぼれだったあたしが、愛理ちゃんのとこに配属されたか、わかる?」
ひとりごとみたいに話していた石川に、ふいに話しかけられて、桃子はとまどう。
ごまかしは、許されないように思えた。
「落ちこぼれだったから、ですか」
「大当たりー」
桃ちゃん、やっぱり頭いいね、と石川は言う。
その屈託のなさが、逆にいたいたしい。
「そう! ダメなあたしが愛理ちゃんと組まされたのは、とっても簡単な理由。
 アイリーンの足を引っ張って欲しかったからよ。
 愛理ちゃんが捜査に加わりだす前、ピーチッチ対策は完全に手詰まりだった。
 やられ放題の警察に、国民の不信感は募り、マスコミは、その無能さを罵った。
 こっからちょっと裏話だけど――実は当時、警察は、サジを投げちゃってたんだ。
 この人手不足に、ドロボーごときに、そうそう人員割いてられるかって。
 もっと凶悪な犯人を、ひとりでも多くブチこむのが、俺たちの仕事だ、なんて」
「凶悪じゃなくて悪かったね」
「え?」
「あ、いえいえ。なんでも」
「警察は、ピーチッチの検挙に本腰を入れる気を、完全になくしてた。
 だけど、あれだけマスコミに騒がれてる犯人をそのままにしてはおけない。
 沽券にかかわるからね。そんなところに飛びこんできたのが――」
「アイリーン」
桃子はかみしめるように、その名を口にした。
「そう」
石川がうなずく。
293 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:15
「アイリーン――愛理ちゃんが事件に関わりはじめて、上層部は焦ったわ。
 お嬢さんの道楽かと思いきや――次々上がる新しい証拠、明快で論理的な推理。
 ピーチッチの正体を、十三歳くらいの少女だと特定したのも――」
「愛理でしたね」

――これは、はずれ。ったく、小さくて悪かったね!

今度は聞きとがめられないよう、桃子は、口に出さずに悪態をつく。

「子どもにピーチッチを捕まえられたら、警察のメンツは丸つぶれ。かといって、
 今さら捜査を引き上げられない。愛理ちゃんを祭り上げて、特別顧問なんてお役目
 与えちゃったのは、ほかならぬ警察なんだから。そこで、なるべく足手まといに
 なりそうな、捜査一課の落ちこぼれ、石川梨華に白羽の矢が立ったってワケ。
 ――でも、上層部には、ひとつだけ誤算があった」
石川は、きらりと目を輝かせた。
「それはね、私が思ってたよりずうっと優秀な刑事(デカ)だってこと!
 思いだして! 私が捜査に参加してからの、愛理ちゃんの活躍ぶり!」

桃子は、思いだしていた。

今までの石川警視の、見当違い、早とちり、致命的なドジ、作ったたんこぶの数――
数々の輝かしい戦歴が、脳裏にフラッシュバックする。

ごめんなさい、石川さん。
桃子は唇をかんだ。

――上層部の目論見は、あたりすぎにあたっています!
294 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:17
「そんなこんなで、ピーチッチ担当になってからは、うまく行ってたんだ。
 愛理ちゃんは賢いしいい子だし、お仕事楽しくて。……だけど最近、ドジばっかりで」
最近?と突っこみたいのを、桃子はぐっと、我慢した。突っこんだら負けだ。
石川警視の顔が、また暗くなっている。まるで躁鬱病みたい。
「昨日、えらく怒られちゃって」
「らしいですね」

『怪盗ピーチッチ特別対策緊急会議』

刑事の一人に仕掛けた盗聴器から聞こえた会議の内容たるや、ひどいものだった。
閉店後の『しすたぁ』で、お掃除をしながら生中継を聞いていた桃子は、何度もふるふると
拳をふるわせたり、「ムーカーつーくー」とうなっては、さゆみを驚かせたりした。
いい加減腹に据えかねてきて、どうにかしてこの会議、終わらせてやろうと考え始めた
ところに、涼しい声が響いたのだった。

『おっしゃりたいことは、それだけですか?』と。
295 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:19
「なんか愛理、キレちゃったらしいですね」
「そうなの」
石川警視は、ほんのり笑った。
「愛理ちゃんがあんな風になるの、めずらしくって。びっくりしちゃった。
 だけど嬉しかったな。愛理ちゃん、顔真っ赤にして、あたしのために怒ってくれた。
 だけど、だけど、あたしは」
石川警視の目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「ちょ、石川さん――」
突然すぎて、桃子はあわてる。
「かばってもらえるような人間じゃなくて。ほんとダメで。情けなくて。
 昨日、愛理ちゃんの友だちに『チャーミーさん』て呼ばれた。あたしわかんなかった。
 そのチャーミーって、ほんとに今のあたしと、同じ人間なのかどうか。
 あたしみたいなチャーミーさん、この子もがっかりするんじゃないかって。
 今のあたし、憧れられるような人じゃない。そう思ったら、嘘ついてた。
 あの子ぽかんとしてた。最低だよもう……」
限界が来たらしかった。
だんだん細くなってきていた声が、ついに泣き声に変わる。

石川警視は、泣いていた。子どもみたいに、声をだして。

なすすべもなく、桃子はその背をさする。
「辛いことばっかりなんだもん。もう、辞めたい。刑事より自分辞めたいよ、むしろ」
「石川さん」
「そうだよ、その方が絶対、世のため人のためだもん。愛理ちゃんだって、喜ぶよ」
「石川さん」
「桃ちゃんだって、そう思うでしょ。こんな頼りない大人――」
「いし! かわ! さん!」
296 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:21
桃子の声のトーンが変わったことに気がついて、石川警視は、泣きぬれた顔を上げた。
目をぱちくりさせる。

「なにこれ」

桃子と石川を取り囲むように円を描く、犬、犬、犬。
宵闇の河原には、大小黒白茶色にぶちに、個性豊かな犬たちが、ずらりと並ぶ。

「野犬ですね」
桃子が答える。昼間、自分を追いかけてきたのと、同じ群れだ。
しかも、どうやら昼より、気が立っているらしい。
はっはっはっはっ、という短い息づかいが、切れ目なく聞こえてくる。
あたしのこと追ってきたのかな、もう、ピーチッチったらもてもてぇ、と桃子は、
危機感のないことを考えてみる。
ピンチは笑顔で切り抜けろ、それがピーチッチのモットーだからだ。

「まいったなぁ。暗くなってきてたし、話に夢中で、気づくの遅かった」
「野犬……」
石川はぼんやりしている。
これは、あてに出来ないな、と桃子は思う。バッグを肩にかけると、石川の手を取った。
「逃げますよ、石川さん。3、2、1で二手に分かれて、走りましょう。走れますか?」
「この近くに、警察とか――」
「ありません。ここまで来ちゃうと、家も少ないんですよね。住宅地なんかに逃げ込んだら、
 かえって迷惑かかっちゃうし、とりあえず、分散させてまきましょう」
「わかった」
犬が作る円が、じりじりと狭まってきている。
桃子は、石川の手を離した。すぐ飛び出せる体制を取る。
「行きますよ」
「うん」
「GO!」
低い叫び声にあわせて、二つの影が、左右に走った。
297 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:26
走りだしてすぐに、桃子は作戦の失敗に気がついた。足がまわらないのだ。
踏みこむそばから、がくんと力が抜ける感触。

――そっか。

桃子は、舌打ちした。
野犬に追いかけられて全力疾走、石川警視を追いかけて全力疾走。
一日に二度も無茶な駆け方をしたせいで、足がきかなくなっている。
それはきっと、石川警視も同じこと。いや、体力的には、あたし以上かもしれない。

桃子は、急停止した。
ぐるんと向きを変える。犬だらけ。ぞっとする。正直怖い。だけど。
恐怖を勢いに変えて、犬に向かって猛ダッシュ。
犬の間をすり抜けると、石川警視の姿を探す。
予想通り、石川は、がくがくと体勢を崩して走っている。今にも転びそう。
「石川さん、こっち!」
全速で駆けながら、桃子は叫んだ。




「まいったなあ」

川べりの、大きな木の上。
石川警視と並んで、太い枝に腰掛けた桃子は、地面を見下ろして顔をしかめる。
そこには、犬、犬、犬。
数十匹の野犬たちが、うろうろわんわん、木を取り囲んでいた。
298 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:31


目についた大木によじ登ったのはいいが、降りられなくなってしまった。
まるで日本昔ばなしみたい。
昔ばなしだとこういうとき、どうやって切り抜けるんだっけ。
思いだせないけど、昔ばなしにはない近代社会の利器が、あたしたちにはある。

桃子は、石川の腕をつかんだ。
「石川さん、ケータイケータイ。あたし、今日、忘れちゃって」
石川がすまなさそうな顔になる。
「あたしも、置いて来ちゃった」
「わぁ、奇遇ですねぇ」
二人は、顔を見合わせると、力なく笑った。
「まあ、登っては来られないだろうし。誰か助けに来てくれるのを待つ――か」
「待つのは、性に合わないんですよねえ」
桃子は、エコバッグから、空のカップを取りだした。
ジュースが入っていた、プラスチックの蓋付きカップ。
「まだ持ってたの」
「ゴミはお持ち帰りが、エコの第一歩ですよ。これ、なんか使えないかな。
 投げても痛くないだろうし……」
バッグの中味をのぞきこむように、石川が身を乗りだした。
「桃ちゃん、その中に入ってるの――」
「卵です。おつかい頼まれてて」
石川警視を追いかけたのが、はるか昔のことのようだ。
貸して、と石川は、バッグをのぞきこんだ。おや、というように眉を上げる。
「あんな走ったのに、意外と割れてないね。ヒビ入ったりは、してるけど」
「気をつけてましたもん」
「これ、いけるかも」
石川警視の目が、きらりと輝いたように見えた。
299 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:34
すっかり闇に落ちた河原。
野犬の群れは、うなり声を上げながら、木の周りを徘徊している。
と、そこへ。
枝の先から、するすると何かが降りてきた。地面から50センチほどの距離で止まる。
そろりと近づいた犬たちの鼻が、ひくひく動く。と。いっせいに、群がった。
鼻面をこすり合わせて、競い合うように匂いをかぎ、なめる。
そこに。
白いものが、空を切った。
群がる犬の鼻面を、直撃する。ぐじゃり、とつぶれる。犬が吠える。
様子のおかしい仲間に、犬たちが顔を上げる。
瞬間。
ひゅんひゅんひゅん、とまたしても白い物体が、枝のあいだから飛んできた。
犬の鼻面に、次々あたる。百発百中。
当てられた犬がぐるぐるまわる、当てられていない犬も、度を失う。
そこに、第三陣、空を切って飛ぶのは――白い卵。
犬たちは、蜘蛛の子を散らすように、逃げていった。

河原に降り立った二人は、ハイタッチを交わした。
桃子は、転がっている「何か」を拾い上げる。よだれだらけ、と顔をしかめた。
それは、生卵がいっぱいに入った、ジュースのプラカップ。
300 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:37
さっきの木の上で。
カップの蓋を開けた石川は、ここに卵を入れるよう、桃子に言った。
言われるがままに、卵を割り入れる桃子。
殻もいっしょに落としてしまうと、石川が、ぎゅっと蓋をした。
「一瞬だけなら、いけるかなぁ」
ここまで来ると、作戦が読めた。
桃子はエプロンのポケットから、小さなセロハンテープを取りだす。
「石川さん、これ」
石川が、驚いた顔になる。
「桃ちゃん、いっつもセロテープとか持ち歩いてんの」
「はい。便利ですよお。ちょっとなんか、はがれたりしてたらペタペタッと」

――あと、予告状が風で飛んじゃいそうな時とか。

石川は、セロテープでカップの蓋を、きっちりとめた。
中味がこぼれないようがっちり固めると、全面にも、ぐるぐると巻きつける。
これで、しばらくは持つだろう。

生卵の入ったカップを餌にして、野犬の動きを止める。
止まったところに、石川警視が卵でアタック。
単純な作戦だが、大当たりだった。

「警察学校で習ったんだ」
と、石川は、懐かしそうな顔をした。
「野良犬の撃退法。取りづらい物の中に食べものを入れて与えるとか……犬って、
 鼻面に神経が集中してるから、あそこに衝撃を与えたら、戦意喪失しちゃうって。
 こんな授業、なんの役に立つんだろうって、思ってたのに」
「にしても石川さん、百発百中」
「必死だったから。さ、早いとこ警察に届けなくちゃね」
301 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:43


公衆電話から通報を終えた頃には、もう六時を回っていた。
暗い通りから、コンビニエンスストアの時計を見上げた桃子は、あちゃあ、と呟く。
「どうしたの」
電話を切った石川が問う。桃子は、首を振った。
「なんでもありません。どうでした?」
「うん。すぐに手配してくれるって」
「よかったぁ」
桃子は、ほほえんだ。
また追いかけられては、たまったもんじゃない。
「石川さん、泥だらけ」
暗い河原では気づかなかったけど、石川警視のピンクのワンピースは、
そこらじゅうが、すれてほつれて、大きな泥染みまで出来ていた。
「桃ちゃんだって」
桃子の制服とエプロンも、同じような状態になっている。
桃子は、石川をまじまじと見た。
「そういえば石川さん、今日は乙女チックですね」
「あ、これは……」
石川は、恥ずかしそうに胸に手をあてた。
「高校生の時の服なんだ。一番お気に入りの」
いちばん輝いてたと言っていた、学生時代。
その頃の服を身にまとって、石川警視は、何を見つけようとしたんだろう。
それは、見つけられたんだろうか。

桃子には、わからなかった。けれど、わかることもある。
石川警視の表情は、さっきより、ずっと明るい。
302 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:45
「ね、石川さん」
桃子は、石川の顔を見上げた。
「石川さんが刑事さんじゃなかったら――今みたいに、桃のこと守れなかった」
「桃ちゃん……」
「あたしは、昔の石川さんを知りません。チャーミーさんは、素敵だったかもしれない。
 キラキラだったかもしれない。だけど――だからって、今の石川さんがダメだなんて
 言わせません。石川さん、眩しいもん。見てて恥ずかしくなるくらい、一生懸命で、
 格好悪くたって、転んだって、必死んなってピーチッチ追っかけてる」

そんな石川さんが、桃の憧れです――その言葉は、胸にしまっておく。

「今の石川さんとチャーミーと、別の人じゃない。チャーミーがあって、石川さんがある。
 つながってる、あたしは、そう思います。チャーミーさんに憧れてたその子も、きっと、
 今の石川さんのこと、好きになる。愛理もきっと」
桃子は、いたずらっぽく笑った。
「どんなにおっちょこちょいでも、石川さんじゃなきゃ、ダメです。石川さんが
 ドジしたとき、『しょうがないなあ』って言う愛理の顔、すごくかわいいんだから」
303 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:50


ちょっとした後始末を終えて、桃子がようよう『しすたぁ』に戻ったのは、七時すぎだった。
明かりの消えた店に、そうっと忍びこむ。と。
「いらっしゃいませぇ」
さゆみの声が、店内に響いた。さゆみが、すっくと厨房の中に仁王立ちになる。
電気がついていないから、黒い影は迫力だ。
「あ、う、道重さん……ただいまです」
「申し訳ありませんお客様。本日はもう、閉店でして」
「あ、その」
「明日の営業は、七時半よりとなっています」
「ううー」
言いわけをあきらめて、桃子は、思いきり頭を下げた。
「ごめんなさい!」
ぱちり。音とともに電気がつく。
桃子の格好を見て、さゆみがしぶい顔をした。
「泥だらけ」
「いろいろありまして」
「なんか犬くさいし」
さゆみは鼻をつまんだ。
「さっさとお風呂に入っといでよ。沸いてるから。卵は?」
「あ、えと……」
カウンター越しに、エコバッグをさゆみに渡しながら、桃子は首をかしげる。
「怒ってないんですか?」
「怒ってるよ」
さゆみは軽く答えると、エコバッグをシンクにおろす。
「うわ、数すくない。ヒビ入ってるし。桃ちゃんの晩ごはんは、殻入りオムレツね」
「そんなぁ」
「なにか言った?」
「なんでもありません」
304 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:53
あ、そうそう、とさゆみは手をたたいた。
「石川さん来たよ」
「え」
いつの間に。
きれいな卵をより分けながら、さゆみはくすくすと思い出し笑いをする。
「すごい勢いで駆けこんできて、愛理ちゃん連れてっちゃった。
 『今から怪盗ピーチッチ特別対策緊急会議を開催します! 出席者は、
 あたしと愛理ちゃん二人ねっ。打倒ピーチッチ!』なんて叫びながら。
 愛理ちゃん、迷惑そうだけど、嬉しそうで」
「そう、ですか」
桃子の心に、あたたかいものが広がる。
にまにまと唇の端を上げている桃子に、
「まったく、敵に塩送るようなコトしちゃって」と、さゆみ。
「ぎ、逆ですよ逆。石川さんには、せいぜいアイリーンの足を引っ張ってもらわないと
 いけませんから」
「じゃあ、そういうことにしときましょうか」
「道重さんのいじわるー」
単純な石川警視とは、大ちがいだ。桃子は唇をとがらせる。
「石川さんね、さゆみに、桃ちゃん叱らないでって言ってたよ。
 悪いのは全部自分だからって」
「そっか」
あんな風に泣きじゃくってたくせに、きっちりこういうとこ、フォローしてる。
大人な部分と子どもな部分、誰にでもあるのかもしれない。
305 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:54
「ほんと人騒がせな二人。おかげでさゆみは、愛理ちゃんと仲良くなれて、嬉しいけど」
ふふふふふふふ、とさゆみはわざとらしく笑う。
「ちょーっとさゆみ、愛理ちゃんに余計なこと言っちゃったかも、なーんて」
「え、なんですか、それ」
「ふふふふふふ。桃ちゃん、『しすたぁ』の看板娘の座、あやういかもよ」
「ちょ、なんですそれぇ。愛理がなんか――」
「とにかく、話はあと。早くお風呂入ってきなさい」
「……はぁい」
桃子はもう一度、ぺこりと頭を下げた。
「ほんと、ごめんなさい」
「いいよ、謝んなくて」
卵を三つ、右手で器用に持ったさゆみは、愉快そうな顔をした。
「泥棒のお仕事だったんだし。大目に見てあげる」
「え、今回なんにも……」
「盗んだじゃない」
さゆみは、軽快なリズムで卵を割った。

「石川さんの、憂鬱をね」
306 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:55
307 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 00:56
「ね、何話したら、いいんだろ」

石川警視の一件から数日後。放課後の中等部。
愛理、桃子、舞美、制服姿の三人と、石川警視が、並んで歩いていた。
「もう、石川さん、そればっかり」
桃子が呆れ声をだすと「愛理より年上だし、大丈夫ですよ」と舞美が請け合う。
「だってだってだって、愛理ちゃんとはピーチッチっていう共通の話題があるけど、
 中学生なんて、ほんと何話したらいいのか」
「とにかく謝って、あとはガーッと走って、帰ってくればいいんです」
「舞美、それヘンだって」
「共通の話題、ってことなら」
それまで黙っていた愛理が、口を挟んだ。
「新体操部の話があるじゃないですか。あとは、この学校の話。それと――」
ちょいちょい、と自分の鎖骨をたたいた。
「共通の知人の話なんかがあれば、十分です」
「あ、あたしもあたしも」
「そう、舞美ちゃんの話だけでも、ネタはつきないと思いますよ」
「いやあ」
「誉めてない」
「あ、あとひとつ!」
桃子は、石川警視の袖をひっぱった。ごしょごしょと耳打ちする。
ホントに? 絶対です、なんて声が漏れ聞こえてくるのに、愛理と舞美は、顔を見合わせる。
308 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 01:02
体育館はすぐそこ。開いたままのドアから、音楽が聞こえてきた。
心が浮き立つような、明るいメロディー。
桃子に耳打ちされていた石川が、はっとした顔をした。

「この曲……」
「どうしたんですか?」
「あたし、行ってくる!」

三人を置いて、石川警視は、体育館に駆けこんでしまった。
呆然と見送る、桃子と舞美。

「どしたの、石川さん」
「この音楽? どうかしたの?」
愛理だけが、涼しい顔できびすをかえした。
「『ザ☆ピ〜ス!』石川さんの得意だった曲。チャーミーさんに見てもらうって、
 なっきぃ、張り切ってたよ」
ははあ、と桃子と舞美は、顔を見合わせた。
「さっすが。名探偵は、抜け目ないねぇ」
三人連れだって、来た道を歩きだす。
309 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 01:03
「にしても、石川さんったら。やっぱりおもしろい!」と、桃子が笑いだす。
「あんな必死で走ってかなくても」
「そういえば、桃。さっきなに言ったの、石川さんに」
「ん? 共通の話題と言えば、期間限定フレーバーの話なんかどうですか、って」
「あ、タピオカみかん! 桃、飲んだの?」
「石川さんと?」
「まぁねぇ」
愛理の眉が、ほんのすこし下がった。

あの日のこと。
石川さんも、桃も、くわしくは教えてくれない。
いったい何が、あったんだろう。

「『しすたぁ』寄ってく?」
舞美が振りかえる。
「あ、そうだね。今日から秋のスイーツフェアなんだって」
「愛理、なんでそんなこと知ってんの」
「道重さんが。サービスするから、おいでって」
桃子の唇が、ほんのすこしへの字になった。

あの日のこと。
道重さんも、愛理も、くわしくは教えてくれない。
いったいどんな話、したんだろう。

ひとつだけ言えることは――。
310 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 01:05
「なんか愛理、最近道重さんと仲良さそうじゃん」
「桃こそ、石川さんと仲良さそうだね」
「あの日、そんな楽しいことあっちゃったりなんかしちゃったわけ?」
「桃こそ、石川さんと心通い合ったりなんかしちゃったりしたわけ?」
「べつにー」
「あたしだって、べつにー」
ぷーん、と顔を背け合う二人を見て、舞美が大笑いする。
「なに、二人とも。ジェラシー?」
愛理と桃子は、同時にふりかえった。
「ちがいます!!」
二人のハーモニーと舞美の笑い声が、秋の空高くひびいた。
311 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 01:06
第七話 終わり
312 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 01:08
文化の日スペシャルとか銘打っといて当日更新しないとか、
どういう了見なんでしょうね、ほんと。ごめんなさい

>>272
ワクワクするレス、ありがとうございます
後編がご期待に添える物だったら良いと祈っています

>>273
ごめんなさいごめんなさい。そして、ありがとうございます
呆れずにおつきあいいただけてたら幸いです
313 名前:- 投稿日:2008/11/05(水) 01:09
314 名前:273 投稿日:2008/11/05(水) 01:24
うゎっ!
ギリリアルタイムに間に合わんかったOTL

貴重なキャラの石川さんが退職しなくて良かった
315 名前:もここ 投稿日:2008/11/05(水) 05:54

いやぁ内容も深くて先を読み急ぎたくなるような感じで七話もじらす処がにくいですねぇ、特に今回は伏線が多々張られてる?ようで後味を引かれる思いでしたよぉ。

州`・ v ・)<次はピーチッチを捕まえてやるんだからぁ!
匪;’-’リ<もぉにもいつかアイリーンの魔の手(捜査)が?!

少しあいりもも(たまにりしゃももとか)な香りが素敵ですよね。
316 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/01/13(火) 00:12
今日、K-20見てきたけど、かつての怪人20面相も現代だとピーチッチになるのかな?

あの右手のワイヤーは、ピーチッチにも使えそう。
317 名前: 投稿日:2009/02/07(土) 00:48
>>314
書く側としても読む側としても良い味出してるキャラなので
素直に嬉しかったです。

>>315
徐々に世界が広がってくるのってわくわくしますよね。
これからも友情、純情、青春でいっぱいな話が読みたいです。

>>316
映画評判良いみたいですね。かなりエンターテイメントのようで。
レイトショーでも見に行こうかしら。
318 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/07(土) 00:48
        ◇
319 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:49
憧れのチャーミーさんに演技を見てもらったことで俄然気持ちの
盛り上がったなっきぃこと中島早貴の情熱もまだ冷めやらぬ頃、
ベリ宮学園は文化祭を迎えようとしていた。

「これどこに置くんだっけー?」
「いちばん端っこー」

土日の本番に備えて今日、金曜日は一日文化祭の準備に
使って良いという学園の粋な計らいで、どの学年もどのクラスも
午前中からわいわいがやがやとしていた。

「あ、あれ持って来なきゃ」
「ハイハイハイ! あたし取って来る!」

ぴっ、と笑顔で上げた手を下ろすや否や、矢島舞美は教室を
カーッと飛び出して行った。上下を真っ黒のジャージで固め、
長い黒髪をひとつにまとめたポニーテールを風になびかせながら。
そして後には呆然とした沈黙が残る。

「舞美ちゃん……アレが何だか解ったのかな?」
「舞美だからねぇ。何持って帰って来るつもりなんだか」

顔を見合わせふぅ、と息をつく制服姿の少女がふたり。
ばっちり前髪の決まったショートカットに猫を思わせる釣り目の
嗣永桃子と、両サイドでまとめたツインテールの先をくるんと
丸めて整えている垂れ目がちの鈴木愛理。

天才的頭脳で中学をスキップして高校に入学していながら
名探偵アイリーンとしてちょっとしたお茶の間の有名人の愛理も、
ここしばらくは怪盗ピーチッチがなりを潜めていた事もあって
学生生活を最高級にエンジョイする普通のGIRLSを堪能していた。
320 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:49
――あっはははは!ところでさぁ、何持ってくるんだっけ?

そう言って笑いながら帰って来ると思った舞美はちっとも
戻ってくる気配がない。開きっ放しのドアを見つめてるふたり。

「時間なくなっちゃうね」
「うん……」

今日は頭から通してリハーサルしようか、というスケジュールを
予定していることもあり、主役クラスの桃子が抜け出すよりは
裏方役の愛理が取りに行ったほうがいい。

「ちょっとあたし、取りに行ってくるね」

と、出て行こうとする愛理を桃子が止める。

「愛理……念のため聞くけどアレが何か、解ってるよね?」
「もっちろん!」

手でピストルを作った愛理が、桃子をバーンッ!って撃ちながら
にっこり笑う。片目をつぶり八重歯を覗かせる愛理が、
桃子にはなんだか、すごく頼りがいがあるように見えた。
321 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:50
文化祭の準備でどこの教室も騒がしいというのに愛理はなんとなく
普段のように、廊下を走らず、まるで競歩のように駆けていく。

――理科室、理科室。

からからっとドアを開ける。あったあった。そして舞美ちゃんはいないと。
かすかに漂うピーチの香り。桃子がステージに居る間、その横に
置いておく桃の鉢植え。理科の先生の私物(!)なため、
文化祭の前日に借りますとは伝えてあった。けれど、先生は居ない。

――うわっ。

話は通してあるから黙って持っていってもいいよね。後で改めて
言いにこればいいや。愛理が細い枝にピンクの花をたっぷりつけたそれを
持ち上げようと腰をかがめた時、近づけた顔の前にむわっと、
むせかえるほどの桃の香りがした。

――近くに寄ると結構ツンとくるかも。

くらっ、と来た。昨日遅くまで起きてた訳じゃない。勿論おなかが
いっぱいな訳でもない。なのに。

――この鉢植え、あんまり桃の側に置かないようにしなくちゃ。

そう思う愛理を襲う強い眠気。ほら教室に戻らなきゃ。
でも、眠い。すっごく眠い。
だけど桃が……。
桃を……桃の………桃……………も……も…………。

きゅ〜……
322 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:50
        ◇

「おーい。起きてくださぁーい」

愛理の体が揺さぶられる。ぼやんぼやんしていた視界が
だんだんとはっきりしてくるにつれ、一人の姿を意識する。
見慣れた顔。

「桃……?」

愛理は自分が完全に寝てしまっていたと気づく。
目の前の桃子はもう着物に着替え終わってて、
なかなか帰らない自分を探しに来たというところか。

「ごめん桃!あたし眠っちゃった!あーやばい。今何時?」

愛理の前で着物姿の子がびっくりしたまま固まっている。

「信じられない」
「えっ?」
「教える前から桃の名前が解るなんてやっぱりあなたが、
 噂のヨリキさんなんですね!?」
「……えっ?」

愛理はぱちぱちと瞬きする。
ヨリキ? よりき? 寄り木………与力!?
323 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:50
そして気づいた。周りの景色が理科室ではないことに。
桃子の服が着物なのは文化祭用の衣装だからじゃない。
あんなに嫌がってたおでこも出しちゃってるし、
家も、道も、周りを行きかう人も、まるでテレビのワンシーン。

そっか、解った。これ夢だ。ほっぺをつねるとほら――痛ぁい!
嘘でしょう。だって、そんな、理科室で倒れて起きれば時代劇なんて、
ありえない。けれども、けれ、どもども。実際にこうして、ほら、
あたしまで着物だし髪型も変!

不審な動きを繰り返す愛理を、桃と呼ばれた少女が呆然と
見ていた。視線に気づいた愛理は咳払いをひとつ。
冷静に。冷静に、あたし。

「あのすみません。今日は何年何月何日でしょうか?」

その言葉を聞いて今度は桃がぱちぱちと瞬きする。

「何を言ってるの与力さん? 今日は――」
「えぇ――――――――!!」
324 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:50
 
怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン
 
 
         第八話 「時を駆ける少女探偵」
 
325 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:51
「与力さん、どうぞ」
「あ、いただきます」

もう、慌て疲れて落ち着いてさえきていた。差し出されたおまんじゅうと
熱いお茶が騒ぎまくった全身へおいしく染み渡る感覚。

さてと、と愛理は眉間に皺を寄せる。痛みと疲れ。さっきの日付。
口の中に広がる甘味。基本に忠実に、既成概念にとらわれず
与えられた事実からのみ推測するとしたら。

――過去に来たって事かしら?

タイムリープなんて言葉が愛理の頭をよぎる。昔その言葉が
出てくる小説を読んだわ。アイドルの子が、同じグループに属する
メンバーの卒業を止めようとする話。その子はそのために過去に
来たように思っていた気がする。……じゃあ私は?

「お茶のお代わり、いかがですか?」

呼ばれてはっとする。見上げた声の先には口元のほくろが
色っぽい店長さんの笑顔がある。愛理はふっと口にする。

「……道重さん?」

店内が一瞬静かになり、その後で波のように驚きが店内に広がった。
本物、さすが、なんて声があちこちから聞こえる。

「桃子さんも、ここで働いてらっしゃるんですよね?」
「どーして解っちゃうの!?」

桃子が目を丸くする。愛理はもらったお茶を一口すすった。

「その着物が前だけ汚れてなく生地が傷んでないのは
 普段は前掛けをしてるからですよね? それにさっき、
 店長さんが桃子さんをお客様扱いしなかったでしょう?」

まぁ、それだけじゃないんだけど……。
326 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:51
さてと、と愛理は情報を整理し始める。
与力のあたしはこのお店に初めて来たみたい。与力ってことは
警察みたいな仕事をしてたんだろうけど。
ちら、と周りに目を配ればこのお店はそこそこに賑わっている。
こんな賑わってるお店に初めて来たってことは、もしかして
この町に来たのも初めてだったのかな。

一人で来て、食べもせずに眠って、そして起こされたらなぜか
中身は21世紀の愛理、つまりあたしになっていたと。
食べてなかったってことは誰かを待ってた? まぁそれはさておき
元の世界に戻るには……やっぱりまた眠るのが一番良さそうね。

「桃子さん」
「はい?」
「おやすみなさい」
「ちょ、ちょっと!」

何か不思議なものを見るように瞳をきらきらさせた桃子をよそに
愛理が眠ろうと組んだ手に今にも頭を乗せようとした瞬間。

「号外、ごーがぁーい!」

大声とともにガーッと扉が開き、びくっと愛理は顔を上げる。
またしても、と思った。またしても知った顔がこの時代に合った
格好で愛理の前に現われた。ささやかな眠気は吹っ飛ばしてしまう。

「舞美ちゃん……」
「あれ? 初めて会うよね? 何で私の名前知ってるの?」

やっぱり新聞なんだ。苦笑いするしかない愛理を、さらなる
尊敬のまなざしで見つめる桃子の姿があった。
327 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:52
「舞美、号外ってやっぱり……?」
「そのまさかだよ」
「いや『まさか』とは言ってないけどさぁ」
「あ、そっか」

照れる舞美を横目に号外を机に広げる桃子。愛理も覗き込むが
その内容に、言葉に目が点になった。

『稀代の盗人"ぴいちっち"、寺田屋から「蝉」を奪う!』

――えっ?

「ちょ、ちょっと与力さん」

腰を浮かし身を乗り出して号外の文面を追う愛理。
声は出さないが唇は微かに動いている。

またしても盗人"ぴいちっち"現る!小鳥のさえずりにのせて
予告通りに寺田屋へ現われるや、まんまと火付盗賊改方の
追っ手を逃れてその価値およそ時価にして数千両と言われる
唐伝来の宝石細工『蝉』を…………。
328 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:52
愛理の体に、静かに、電気が走った。目の前が軽くショートする。

トキヲ、コエテ。

与力の役割は、火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)のお手伝い。
目の前の桃のそっくりちゃんは、あたしを噂の与力と呼んだ。
あたしが今ここに居ることに意味があるとしたら、それはきっと
間違いなくこれだ。この"ぴいちっち"を捕らえるため――!

愛理ははっ、と顔を上げる。目の前の桃子とやけに顔が近いけれど、
そんなことお構いなしに思ったことを口にする。

「もしかしてこの町の火付盗賊改方の人って
 美人だけど……色黒な方じゃないですか?」

桃子はただただ目を丸くするばかり。
329 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:53
        ◇

それからちょっとだけ後。
愛理の目の前には桃子ではなく、その後にこの茶屋に来た、
紺色の着物できちっと身なりを固めた色黒の火付盗賊改方が座っていた。
愛理の予想通りに石川警視とそっくり同じ顔をしていたその人と、
話してだいぶ状況が掴めてきた。

やはり自分はこの町に初めて来た。それは町を騒がす盗人
"ぴいちっち"を捕らえるために火付盗賊改方に力を貸すため。
そしてこの茶屋でその火付盗賊改方に会う約束をしていた、と。

鳥のさえずりとともに現われることからその盗人についた
通り名が"ぴいちっち"。盗みを予告した宝石を、必ず盗み、去って行く。

――ほんとそっくり。でもそれにしても。

愛理の頭の中には別の驚きがあった。

――石川さん、表情が暗い。

愛理の知る石川梨華は、警視庁捜査一課警視で、いつでも
ポジティブポジティブを合言葉に頑張っている人なのだが、
今目の前に居る石川梨華のそっくりさんはうつむいて
もじもじしている。

愛理は珍しそうに観察する。昔の石川さんって、ネガティブなのね。
330 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:54
「愛理ちゃんよろしくね」

梨華がぎゅっ、と愛理の手をつかむ。愛理は「はい」と
その手を掴み返した。その麗しき助け合いに水を差す声。

「与力さん本当によろしくね。石川さんはあてにしないでね」
「ちょっと桃ちゃん、それひどい……」
「だって石川さんってば鳥が苦手で、"ぴいちっち"が現われる時の
 小鳥のさえずりで足がすくんで動けなくなっちゃうんでしょ?」

「あっ」と言葉をつまらせる梨華と見つめる愛理。
やっぱり鳥はダメなんだ……。
しょんぼりとうなだれる梨華の手をもう一度ぎゅっと愛理が掴む。

「次のときにはあたし、力になりますから!」

言いながら愛理の胸にちくりとささる疑問。
次っていつ? それまでに眠っちゃったらあたしはどうなるの?
帰っちゃうの? それとも帰れないの?

そんな疑問は吹き飛ばされる。
つむじ風のように茶屋へ戻って来た号外瓦版配り・舞美によって。

「また"ふみ"来たよ!」

その手には先ほど寺田屋へ届いた文の書き写し。
331 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:54
 
 今宵 子の刻、
 『涙の色』を戴きに参ります。
 
332 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:55
        ◇

夜。予告の子の刻まであと半時。
寺田屋には昨日までの火付盗賊改方と同心が多数の他に
期待の与力、鈴木愛理がつめている。

梨華も愛理も着物の裾をちょいと上げてふくらはぎを覗かせて
動きやすい姿になっていた。
梨華に至ってはそれプラスたすきがけという気合の入れよう。

寺田屋の前で愛理はふいに振り返り屋敷を見上げる。
時代柄しょうがないんだろうけど、と小さく息をつく。
玄関前と裏口に置いた大きな篝火は煌々としているものの
同心達が持つ松明の光はやや心もとない。
月明かりは都会とは比べ物にならないほどに美しいけれど、
もし今夜が雨降りだったらどうなってたんだろう?

「では皆さん、作戦通りにお願いします」

愛理の声を合図に、家の周りに二人一組で同心たちが配置につく。
衣装棚が数個とと大きな姿見が置かれた屋敷の中で一番大きな部屋の、
肝心の涙の色の前には梨華と愛理、そして寺田屋の主人がいる。

とは言え南蛮渡来の瑠璃細工『涙の色』は木箱の中にしまわれて
その姿を見せていない。

見てることを出来ないものを守るのか。愛理は先ほど見た青の濃い
雫型の輝きを思い出しながら、驚くよりも素直に感心してしまう。
時代が違えばいろいろ変わるのね。
333 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:55
「あとは石川さん、明かりを消されないようにしてましょう」
「そうね」

愛理は灯篭の側で片膝をつく。停電にはならない代わりに
明かりが消えてしまったらもうつけられない。
しかしちらと姿見に映った自分が、思った以上に脚が見えていて
愛理はあわてて両膝ともにつき直した。

昨日に『蝉』を奪われたこともあり、作戦指揮は新顔の愛理が
務めている。お昼の千里眼騒ぎがもう伝わっているからか、
梨華はもちろん同心達まで文句を言うことがない。

しぃん、と時間が過ぎる。ただ寺田屋の主人だけが「なんで
俺ばかり」と小声で呟く言葉だけが響く。

「あっ」

最初に気づいたのは梨華だった。

「子の刻を過ぎちゃってる」

愛理が梨華の指差す先を見る。うすく香り漂うそれが、燃えた
位置で時を示す、この時代の時計なのだろうということは解る。
解るが、今が何刻かは見てもさっぱり解らない。花の香りだけが
部屋をゆっくり満たしていく。

「そうなんですか?」
「過ぎてるわ、ほら。香り時計を見てみて」

そう言われて見てもやっぱり解らない。
334 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:55
「今まで来ないなんてことなかったのに……」

呟く梨華。表情に安堵と希望を浮かべつつある寺田屋主人。

「ちょっと見てくる」
「あ、石川さん」

絶対来るわ。だって、だからあたしが『来た』んだもの。
愛理には確信があった。そしてその確信の通り。

ぴよぴよぴよぴよ……ぴよぴよぴよ……。

梨華が部屋を出て間も無く、鳥のさえずりがした。
――やっぱり。

「あ、あわわわわ……」
「寺田屋さん!絶対に箱に触らないでください!」

愛理の叫びに寺田屋主人がびくっ、と伸ばしかけていた手を止めた。
そのままで居るとそぉっと扉が開き、腰を抜かしたのか這いながら
梨華が戻ってきた。目がかすかに潤んでいる。

「ほら絶対来ると思ってた〜」
「……だったら、動かないで見張り続けててください」

愛理の口調も、瞳も、まだ八重歯の癒し系女学生のものではない。
鋭く尖った名探偵アイリーンのそれである。
335 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:56
梨華は天井や障子、部屋の隅にきょろきょろと目を配っている。
愛理は灯篭に手を添えたまま、じっと『涙の色』の入った
木箱のあたり、一点を見続けている。寺田屋も箱を見つめたきり、
だたその体は小刻みに震えている。

やがて。

「親分、怪しい奴が屋敷の前を歩いてました!」

同心の声が表玄関から響いた。
それを聞いて最初に走ったのは寺田屋だった。
次いで梨華が追おうとした……が、まだ腰を抜かしたのが効いてるようで
動きがもたもたしている。

「まだ足ががくがくしてる。
 愛理ちゃん、先行ってていいわよ。すぐ追いかけるから」

でも愛理は立ち上がらない。

「……行かないの?」

きょとんとした顔の梨華の顔から、愛理は顔をそらした。
『涙の色』の入った木箱を見つめたまま、そっと左手を添える。
梨華は動きを止めた。真顔になる。

「愛理ちゃん、まさか――あなたが?」
「窃盗の本来の担当は捜査三課なんです」
「えっ?」

意味不明な言葉に梨華は黙ってしまうが、愛理はなおも続ける。

「それを捜査一課の石川さんが担当してるのは
 総被害額の大きいからと、世間の関心が高いから」
「あたし……?」
「本来捜査一課が扱うべき凶悪犯罪を扱わず
 捜査三課の業務を扱っている石川さんのことを
 『刑事部捜査三課。に石川梨華(捜査一課。)』なんて
 陰口を叩く人も居ます」
336 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:56
「あたしのこと……じゃないよね」
「それを知ってるかは知らないけど、でも負けませんでした」
「愛理ちゃん?」
「芯の強い人なんです!」
「ねぇ何の話?」

きっ、と愛理が顔を上げた。

「石川さん」

梨華の視線に真っ向から視線をぶつける。
入り口の喧騒がはるか遠くに感じる。灯篭の中の炎が、風も
ないのに、揺らいだ。

「隠した筈の鳥笛が見えてますよ」

本当にほんの一瞬。梨華の目が姿見へと泳ぐ。
そして愛理もそれを見逃さない。

「嘘です。見えてません」
「……どうして」
「石川さんが居なくなってすぐに」

鳥が苦手で。鳥のさえずり。火付盗賊改方。"必ず盗み、去って行く"。
そうね、火付盗賊改方なら予告状がある家に上がってもおかしくないもの。
そして予告状に時間まで書いてあれば、野次馬のひとりくらい来るでしょうね。

「鳥のさえずりがして」

嫌だった。身近な人のこと、推理したくなかった。

「あぁ『やっぱり』って……」

頭では解っている。この人は私の好きな石川さんじゃないって。
ドジでおっちょこちょいで、真面目で一生懸命な石川さんじゃないって。
お願い。その顔で、その瞳で、その高い声で、こんな卑怯なことしないで。
337 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:57
沈黙が訪れる。

続けざまに出したのは『蝉』を盗みに来た時に『涙の色』を発見したから?
それともこんな子供の協力者をさっそく出し抜こうと思ったから?
あの握手も嘘だったの? ねぇ、火付盗賊改方になったときの初心は?
忘れちゃった? それともこのために火付盗賊改方になったの?
いつから続けてるの? いつまで続けるの? いつまでも続けるの?

言葉がぐるぐるぐちゃぐちゃと愛理の頭の中に浮かんではすぐ消える。
言葉となって口からは出て来ない。ただ梨華を睨むだけ。

愛理の独白を受けて、うつむき、視線をそらし、じっとしていた梨華が
顔を上げる。今にも壊れそうな、泣き出しそうな笑顔を浮かべていた。

くるっと梨華は踵を返すと、何も言わずに襖を開け出て行った。
『涙の色』は入ってる箱ごと愛理の手の下に置かれたまま。

あぁ。愛理の体から力が抜ける。これで、きっともう。
潤んだ瞳を袖でぬぐう。軽い、眩暈。ぐらりと体が揺れて、ゆっくり
床に倒れこむ。瞳を閉じた。激しい動悸と、香り時計から流れてくる
かすかな、そうだ。これって、桃の、香り。

桃の………ももの…………。

きゅ〜……。
338 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:57
        ◇

愛理の頬にぺちぺちと何かがあたる。

「愛理! ねぇ愛理ってば!」

愛理が目を覚ます。昼間のような明るさの中、着物姿の桃子が
自分を覗き込んでいた。膝枕されているとちょっとしてから気づく。

「……桃子さん」
「んっ?」

愛理は手のひらで顔を覆い、続ける。

「ごめんなさい。多分、もうきっと、二度と石川さんに会えない」
「何でぇ!? 石川さん警察辞めちゃうの?」
「きっと火付盗賊……」

――警察?

がばっ、と愛理は上半身を起こす。桃子がうわぁとのけぞるが
愛理はお構いなしにツインテールを揺らしながら桃子に顔を寄せた。

「ケイサツ?」
「辞めちゃうってこと、石川さん?」
「けいさつ?」
「それでショックで気絶でもしたの、愛理?」
「警察……」
「ちょっとぉ。もしかして寝ぼけてるだけ?」
「もしかして桃? 桃子さんじゃなくて桃? 桃なの?」

疲れがたまってるのかしら?おーよちよちと頭を撫でてくる桃子の手に
構うことなく、愛理は周りを見る。桃子こそ着物を着ているものの
なんか地味目な感じだし、周囲には窓、黒板、薬品棚と風景は
理科室のそれで、傍らには桃の鉢植えもある。

……戻って来た?

愛理は桃子の顔に視線を戻す。

「ねぇ。今日は何年何月何日?
 あたしが桃と分かれて教室出てからどれくらい経った?」
339 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:58
「何月何日もなにも、分かれてから30分経ってないくらいだよ」

けろりと桃が言う。桃子が言うには着物に着替え終わっても
愛理も舞美も帰ってこないから迎えに来てみたところ、愛理が
理科室の床で眠っていたということらしい。

「あ、途中で舞美に会ったよ。理科室にも理科準備室にも先生が
 居なかったら職員室に行って許可もらってきたって言ってた。
 まさか舞美がばっちりアレを当ててるとは思わなかったぁ」
「うん……」
「で舞美も、一緒に理科室行くって言ってたんだけど
 先に教室戻って通しリハ先やっててもらうように言っといた」
「うん……」

鉢植えをかかえて歩く桃子の後ろを、ぼんやりした顔で愛理が追う。
夢だったのかな? あの世界にいるときは絶対現実だと思ってたのに、
時間が経つほどに違ったのかな?って気になってくる。
いや……もしかして夢にしてしまいたいだけかも知れない。

「愛理だいじょうぶ? 疲れてるなら保健室で眠ってく?」

一瞬迷った。頭の中を整理しようか。でも。

「やめとく。眠ったらこっちの世界が夢になりそうで嫌だもん」
「何それ、芝浜?」
「あ、そう言えばそうだね」
ふたりは顔をあわせくすっと笑った。

教室まで続く廊下を並んで歩く。通り過ぎたどの教室も明日からの
文化祭の準備で盛り上がっている。愛理は考える。
"ぴいちっち"が昔にも居て、その正体は石川さんだったなんて
話したらどうなるだろうか?
しかもその時代に桃も舞美ちゃんも道重さんも居ただなんて!
……笑われるだけね、きっと。
340 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:58
通しのリハーサルはやはりもう始まっていたため、ふたりはそおっと
ドアを開けて入る。

「……いや、やめとこう。こっちの暮らしが夢になったら困る」

高座の上でそう言った梅田えりかが深々と頭を下げたところだった。
クラスメイト達は「すごーい」「えりじょうずー」などと
賛辞と拍手を送っている。

「うわぁ。ぎりぎりセーフ」

えりかが引っ込んだ後、その隙をついて桃子が、高座の横に
持ってきた桃の鉢植えを置く。「桃おそいー」なんて笑いを含んだ
からかうような声に「ごめんごめん」と桃子スマイルで答えたり。

文化祭の出し物の喫茶店やお化け屋敷はありふれてる!
その言葉から始まってすったもんだ話し合ったあげく、なぜか
舞美、桃子、愛理のクラスは落語を発表することになった。

桃子が戻ってきたのを確認した舞美が、全身黒ずくめのジャージ姿で
高座の脇から現われる。
あまりにカミカミクイーンなため裏方仕事に回された舞美が、
高座の座布団をひっくり返し、めくりを次のものにすると
『春風亭小梅 "芝浜"』が隠れて『立川もも姫 "孝行糖"』が現われる。

やがてお囃子が流れ出し、着物姿に扇子を持った桃子が現われる。
高座に座り頭を下げると拍手が響いた。
341 名前:- 投稿日:2009/02/07(土) 00:59
第八話 終わり
342 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/02/14(土) 05:22
>『刑事部捜査三課。に石川梨華(捜査一課。)』
「管理課」ならぬ「経理課」ですね、とかいってw
ほんと落語みたいにテンポがよくて面白かったです♪
343 名前:  投稿日:2009/04/05(日) 22:16
怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン


  第九話 「れでぃぱんさぁ気をつけて」


――Coming soon!(アイリーンの誕生日に間に合うといいなぁ…)
344 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/04/06(月) 00:48
期待して待ってます
345 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:07

   ☆ノハヽ
    ル ’ー’リ <こんにちは! 怪盗ピーチッチですぅ!
    ∪  )
     し J


   ☆ノハヽ
    ル*’ー’リ <読者の方からメールをいただいているのでさっそく読みますね!
    ∪  )つ¶
     し J


   ☆ノハヽ
    ル ’ー’リ <「最近のピーチッチはあんまり怪盗らしいことをしていません」
    ∪  )つ¶
     し J


   ☆ノハヽ
    ル;’ー’リ <「いくらなんでも本業をさぼりすぎだと思います」
    ∪  )つ¶
     し J


   ☆ノハヽ
    ル;’Д’リ <「もうタイトルを、『さぼりんBouno!』に変えちゃってもいいんじゃないでしょうか」
    ∪  )つ¶
     し J


    ☆ノ_, ._ヽ
     ル*’ー’リ <……わかりました! 怪盗ピーチッチ、今回は本気出しちゃいますよぉ!
     m9  )
      し J


346 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:08



あたし、夏焼雅!
ベリ宮学園に通ってる、ごくふつうの女の子。
まわりからは「オシャレ担当」って言われてるくらい、流行に敏感なのが自慢なんだ!

そんなあたしが今いちばん気になってるのは、こないだデパートで偶然見かけたコスメポーチ。
有名ブランド製で、赤がベースのタータンチェックがすっごくかわいいの!
まさに、気付いたらもうトリコ。絶対にいつか手に入れてやるって決めたんだ!
でも……すっごくかわいいだけあって値段もすっごく高い。
来月のおこづかいをのんびり待ってたら、ほかの誰かにとられちゃうかも。
ああーもぉどうしよー! あのポーチのことが気になって何も手につかないよぉー!



『バイト急募! 今週末の金・土・日で荒稼ぎ!(エプロンの似合うかわいい女の子限定♪)』



そんな文字が目に飛び込んできた瞬間、気がついたらそのチラシの貼ってある扉を開けていた。
そしたら、そこは……












―――部屋一面がピンク色の喫茶店だった。


347 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:09


怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン


  第九話 「れでぃぱんさぁ気をつけて」

 
348 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:10

「みーやん!」
「あれ? 桃? ……ってことは、ここはもしかして」
「もしかしなくても、『しすたぁ』」

雅の表情が一瞬で曇る。
あからさまに、面倒くさいことに関わっちゃったなーと言わんばかりである。
それを見た嗣永桃子はさらに甲高い声で食ってかかる。

「ちょっとなによぉ、みーやんその顔! 『しすたぁ』には看板娘の桃がいるに決まってんでしょ!」
「あーもうわかったからツグさん、そんなに顔近づけないで」
「なんでよぉ、この最高にかわいい笑顔、みーやんにもおすそ分けしてあげてんだから」
「だからそんなにひっついてこなくたっていいってば。はいどいてどいて」
「ちょっと、ふたりとも!」

いつになく迫力のこもった声がピンク色の部屋の中に響く。
雅と桃子が慌てて振り向くと、にっこりとした優しい笑み。
でもその目の奥は、鋭い光をたたえている。

「『しすたぁ』の真の看板娘は、桃ちゃんじゃなくて、さ・ゆ・み! わかった?」

腰に手を当て胸を張り、店長のさゆみがふたりの前に立ちはだかる。

349 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:10

そのいつにない迫力に、呆気にとられて固まっていると、さゆみの後ろから別の声が聞こえてきた。

「みや、いったいどうしたの? 『しすたぁ』に来るなんて、けっこう久しぶりだよね」

見ると、エプロンを身につけている鈴木愛理。
愛理は常連客ではあるものの、店員ではない。たった一度、店を手伝ったことがあるだけだ。
でも、そんな愛理が超レアなはずのウェイトレス姿で、興味深げに尋ねてきた。

「え? 愛理もいるの? ……しかもなに、そのカッコ?」
「これはね、道重さんに頼まれて今週末だけお店のお手伝いをすることになったんだ」

愛理の言葉に雅は重要なことを思い出す。
そうなのだ。
この金・土・日で荒稼ぎしないと、お気に入りのポーチが誰かの手に渡ってしまうかもしれないのだ。

雅は不思議そうに見つめてくる桃子・さゆみ・愛理をもう一度ぐるりと見回す。
そして目を閉じ、覚悟を決めて深く息を吸い込むと、高らかに宣言した。

「夏焼雅、このお店のアルバイトに応募します!」

350 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:11

入口のドアノブに「休憩中」の札が掛けられているため、店内には4人だけ。
しかもその4人は、ひとつの小さなテーブルを囲んでお互いに向き合う格好になっている。
通い慣れている『しすたぁ』が妙に広く感じられて、愛理にはひどく新鮮に思えた。

「夏焼雅さんね。……オッケー、かわいいから採用なの」

面接の結果は2秒で合格だった。さゆみのお眼鏡にかなった雅はさっそくエプロンを身につける。
そしてすぐにミーティングと称した雑談タイムが始まる。

「雅ちゃんは、桃ちゃんとも愛理ちゃんとも知り合いなんだね」
「愛理のことは……あたしの幼馴染と親友だから、それで知ってます」
「親友?」
「みやは、りーちゃんの幼馴染なんですよ」

愛理が言うと、さゆみは手を叩いて顔をほころばせる。

「菅谷梨沙子ちゃんね! かわいいよねぇ、あの子」
「ええ。梨沙子つながりで愛理とは小さい頃からよく遊んでました」

さゆみは「そっかーふむふむ」なんて具合にひとりつぶやいて天井を見上げる。
またひとつ『さゆみ脳内・美少女相関図』が最新型に更新されたようで、口元から笑みがこぼれている。

351 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:11

「じゃあ、桃ちゃんとはどんな関係なの?」
「腐れ縁」
「ひっどぉい! みーやん、桃とふたりでデートしたこともある仲じゃない!」
「まあ、遊びに行ったことはあるよね」
「夏焼雅と嗣永桃子でラブラブデートしたでしょ!?」
「ほかの子もいたけど」
「はじめだけね!」
「……はいはい、だいたいわかったの」

きりがないので、さゆみがふたりを制す。いいかげん本題に入らないと時間がもったいない。

「今回、アルバイトを募集したのにはわけがあります。
 今週末に行われる『Stockholm Expo』に、わが『しすたぁ』も参加することになりました!」

ぱちぱちぱち、と拍手して盛り上がるさゆみに、目をぱちくりさせてそれを見つめる桃子・雅・愛理。
突然のことに事情がつかめない3人をよそに、さゆみは続ける。

「でも、だからって、こっちのお店を休むわけにいかないのね。
 そこで、アルバイト諸君に臨時の出店の方に行ってもらいたいの」
「桃はー?」
「桃ちゃんもそっち。いちおうリーダーってことでふたりをフォローしてあげてね」
「はぁーい。じゃあリーダーの権限で、店名は『喫茶桃子』がいいと思いまーす」
「却下桃子。……もう店名は決まってるの」

3人の視線を一身に受けて、さゆみは立ち上がる。
そして人差し指を自分のほっぺたに当てて、その名を告げた。

「『Cafe Buono!』」

352 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:12



翌朝の通学路。いつものように桃子と愛理、そして矢島舞美はベリ宮学園への道を歩いていく。

「そっか、『しすたぁ』がお店を出すんだ」

前に『しすたぁ』で仕事を手伝いそこねた舞美は、話を聞いてうらやましさを隠さない。
対照的に、愛理は今からすでに緊張気味である。
この話題になってから、心なしか歩き方が少々ぎこちない。

「よりによって『Stockholm Expo』なんだもん。なんかいきなり海外デビューって感じ」
「いいじゃん愛理、世界中に『Cafe Buono!』の存在を知らしめてやろうよ!」
「桃はリーダーに指名されてやる気満々だね」
「やるよぉー。桃、がんばっちゃうよぉー」

腕まくりをする仕草で無邪気にやる気をアピールしてみせる桃子に、舞美も愛理も相好を崩す。

『Stockholm Expo』は、日本とスウェーデンの友好を記念して開催されるイベントである。
今週金曜夜の前夜祭を皮切りに、土日にわたってさまざまな企画が準備されている。
その中のひとつに、中央公園を舞台にしたフードコートがあり、
『しすたぁ』はそこに『Cafe Buono!』として桃子たち3人を送り込むことになっているというわけだ。

353 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:13

「でもさ、気になるのはやっぱコレでしょ」

そう言って舞美がカバンから何かを取り出した。
舞美の手に握られているのは、いつものスポーツ新聞『ハロスポ』だった。

「読んだ。報道っていうよりは願望に近いけど、十分ありうると思う」

とたんに愛理の声がトーンを下げた落ち着いたものへと変わる。
八重歯の癒し系女学生・鈴木愛理から名探偵アイリーンへの華麗なる変貌である。
桃子は横からこっそりその様子をチェックしながら、舞美の持つ新聞の一面を見る。

「なになに……『怪盗ピーチッチ、ダイヤ強奪を計画中』って、なにこれ?」
「桃、落ち着いてほら見てここ」
「『か?』」

愛理が新聞の折ってあった部分を広げると、そこには「か?」と小さく付け加えられていた。
――怪盗ピーチッチ、ダイヤ強奪を計画中か?

『ハロスポ』の本日の目玉記事は、『Stockholm Expo』でお披露目されるダイヤについて。
今回、美術館に展示されるスウェーデン王室所有のダイヤモンドを、
怪盗ピーチッチが狙っている……いや正確に記事の内容を要約すれば、
怪盗ピーチッチが狙っていてほしいなあ、といったニュアンスになっていた。

354 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:13

「もう、相手はスウェーデンの王様だよ? こんな書き方じゃ、国際問題になっちゃうよ」
「いよいよピーチッチも海外デビューってことになるわけかぁ」
「舞美ちゃん、不謹慎だよ!」
「あはは、ごめんごめん」

眉毛を「ハ」の字にして愛理は怒ってみせる。
いかにも名探偵らしい正義感を見せつけられた舞美は、いたずらっぽく返す。

「でももうアイリーンのことだから、対策はしっかり練ってるんでしょ?」
「いちおうね。頭の中では何度かシミュレーションをしてる、かな」
「さっすがぁ!」

へえ……そうなんだ。
桃子は心の中でひそかに笑った。
言われなくても、ちゃあんと盗むつもりでしたよ、王様のダイヤモンド。
美術館についてもすでに下調べは済んでいるし、準備は着々と進めている。
怪盗ピーチッチと名探偵アイリーンのガチンコ対決、どうやら久しぶりに楽しめそうね。

355 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:13



放課後になり、桃子・雅・愛理の3人が『しすたぁ』に集合する。
今日から本番まで、喫茶店の接客業務を現場で研修するというわけである。
が、「いつも笑顔でキリキリ動けば問題ないから。あと大切なのは、ミスしても慌てないこと!」
とだけ言って、さゆみはにこにこしながら新米ウェイトレスたちの姿を眺めている。

「ちょっとぉ道重さん、なんで桃は厨房専門なのぉ?」

カウンター席の向こう側で桃子が唇を尖らせる。
雅や愛理は客の注文を受け、店内を忙しく動き回っている。
しかし対照的に桃子は、あらかじめ仕込んでおいた素材を手早く料理していく役回りである。

「桃ちゃんはふたりよりベテランなんだから、今度は料理の方の腕をしっかり上げてかないとね」

涼しい顔で答えるさゆみに、桃子は地団駄を踏んでみせる。

「やだやだやだ、ひとりだけ後ろでドラムたたいてるみたいなこういうの、やだぁー」

とはいえ、口では文句を言いながらも、その手元はつねに何かしら動いている。
愛理はそれを目にして、白い歯を小さく見せて笑った。
初めてのアルバイト。本番はたった3日間だけど、きっと忘れられない思い出になる。

356 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:14

夕方のピークが過ぎて、店の外もだいぶ暗くなってきた。
がんばっている3人のために軽く何かつくってあげようかなと思い、
さゆみがそっと厨房に入ったところで、突然、騒々しく店の扉が開いた。
カランカラーン、と軽やかに鳴り響くはずのベルは、扉にぶつかりガチャンガチャンと鈍い音を立てる。
店内にいた全員がいっせいに振り向くと、そこには髪を振り乱したひとりの女性が立ち尽くしていた。
全速力でここまで走ってきたようで、荒い呼吸が店の中にまで聞こえてくる。

「石川……さん?」

数秒の沈黙の末、おそるおそる愛理が声をかける。
入口に立っている女性は、名探偵アイリーンの部下で上司、警視庁捜査一課の石川梨華警視。
石川警視は顔を上げると、鋭い目つきで愛理のことを見据える。
するとみるみるうちに、その目から涙がこぼれ出す。
やがて涙以外にもさまざまな液体が顔じゅうから垂れてきて、石川警視の表情はくしゃくしゃになる。
そして、

「ア゛ィリーンちゃぁーん!」

と叫び、愛理めがけてまっすぐ突っ込んでいくが、途中でテーブル席の椅子の脚につまずいた。
そのままジャンプして空を飛ぶと、目を丸くして突っ立っている愛理にタックル。
双手刈り、一本。

357 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:14

感情が高ぶっていたうえにドタバタを巻き起こしたおかげで、石川警視はしばらく混乱していた。
さゆみが水の入ったコップを渡して飲ませても、まだ気が動転していて話ができない状態だった。

「はい、バケツの水」

桃子が掃除道具のバケツに水を張って渡したら、慌ててそれに口をつけようとしたくらいだ。
その場にいた全員が力ずくでそれを止めたところで、石川警視はようやく落ち着きを取り戻した。
幸い、タックルを受けた愛理は大事に至らなかった。

とりあえず、まずは冷静に石川警視の話を聞くことになった。
愛理は石川警視が話しやすいように合いの手を入れる。

「どこから話そっか……」
「こういうときは、結論から話すほうがいいですよ」
「うん……。えっと、あたしね、あのね……ピーチッチ担当を解任されちゃった」
「ええっ!?」

突然の告白に、『しすたぁ』店内は素っ頓狂な大声に包まれた。

「だってその件は、アイリーンちゃんが会議に出て解決したんじゃないの?」

さゆみの言葉に石川警視はうなずいて、弱々しい口調で言う。

358 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:15

「でも、今朝のスポーツ新聞の記事がまた問題になって。
 もしピーチッチがスウェーデン王室のダイヤを狙ってたらどうするんだって本庁は大騒ぎ。
 それで『Stockholm Expo』の期間中だけ、あたしはピーチッチ担当からはずれることになったの。
 落ちこぼれの刑事に任せて国際問題にするわけにはいかないって、はっきり言われちゃった。
 これじゃあたし、またびゆうで……」
「石川さんが担当からはずれるんなら、あたしも特別顧問を降りる!」

石川警視を慰める役だったはずの愛理は、気づけば立ち上がって叫んでいた。

「ちょっと、アイリーンちゃん」
「いいの! 決めた! ぜったいに協力なんかしてやんないんだから!」

あの温厚な愛理が、顔を真っ赤にして大声を出している。
桃子は平静を装うが、内心では驚いていた。
ちらりとさゆみに視線を移すと、さゆみも桃子に向けてかすかにうなずいてみせた。

「じゃあ、ふたりともピーチッチのことはあきらめちゃうわけ?」

少し離れた位置から眺めていた雅が尋ねる。
愛理はすぐに首を横に振り、力強く言い切った。

「それだけはありえない。怪盗ピーチッチは、あたしが捕まえちゃうんだから!」
「それじゃいったい、どうするの?」
「決まってるよ」

すっかり冷静さを取り戻して、愛理は涼しげな目をして言った。

「本庁の“優秀な”刑事さんたちよりも先に、石川さんとふたりでピーチッチを捕まえればいい」

359 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:15

高らかな愛理の宣言に、石川警視は胸の前で両手をそろえて笑顔になる。
さっきまでのネガティブ全開の表情はすっかり影を潜め、まるで別人のようだ。

「でもさ、愛理。ピーチッチってさ、きっといい人だよ」

雅が静かな口調で言った。ゆっくりと愛理の方へと歩み寄りながら続ける。

「確かにいろんな宝石を盗んでるけど、あたしはピーチッチっていい人だと思う。
 愛理も、おばあちゃんの宝石を取り戻してもらった梨沙子がどれだけ喜んでるか知ってるでしょ?」
「そりゃ、知ってるけど……でも、泥棒は立派な犯罪だから」
「少しぐらい大目に見てあげたらいいじゃん」
「ピーチッチの犯罪はぜんぜん『少し』じゃないよ、みや」
「ん〜、でもなんかさ、ピーチッチのこと、応援したくなっちゃうんだよね。
 もちろん愛理のこともすごいなって思ってるよ?
 でも、大人相手に予告状を出して、たった一人で宝石を盗んじゃうのって、ちょっとかっこいい」

雅はわずかにうつむいて、口元を緩める。

「もしかしたらあたし、ピーチッチにあこがれてるのかも」

360 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:15

雅・愛理・石川警視が帰った閉店後の『しすたぁ』。
洗い物をしているさゆみが、モップを手にちょろちょろ動き回っている桃子に声をかける。

「怪盗ピーチッチ、モテモテだねえ」

その言葉に、桃子はぴたりと動きを止めた。
さゆみの方を振り向くが、いつものおどけた表情はすっかり影を潜めている。

「やめてくださいよ、道重さん」
「どうして? 雅ちゃん、『あこがれてるかも』って言ってたよ?」
「みーやんは……ううん、みーやんだけじゃない。みんな、ピーチッチのこと勘違いしてる」
「勘違い?」
「あたしが欲しいのは、人気じゃなくってかわいい宝石。
 なのにみんな、あたしのことをどこか正義の味方みたいに思ってる」

桃子は再びモップがけをはじめる。さっきよりも少し力を込めて、床を磨く。
その様子を見て、さゆみが言う。

「でもここんとこのピーチッチの活躍は、すっかり正義の味方って感じじゃない」
「イイコじゃないって言ってるでしょ」

ぴしゃりと桃子は言い放った。

「道重さん。今度のピーチッチは、国際問題を巻き起こすくらい暴れちゃいますから。
 怪盗ピーチッチが本気になったときの怖さを、みんなに教えちゃいますから」

361 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:16



それから毎日、『しすたぁ』での研修を終えると、愛理は石川警視の運転する車に乗って帰った。
もちろんただのドライブのはずがない。ふたりきりの作戦会議をする、貴重な時間である。

「石川さん、まず今回のターゲットから整理しましょう」
「オッケー、アイリーンちゃん。今回ピーチッチが狙っていると思われるのは、ダイヤモンド。
 それもただのダイヤモンドじゃないのね。スウェーデン王室が所有する、貴重なダイヤなの」
「全体的にうっすらとピンク色をしているんですよね。そしてそのダイヤには小さな傷がついていて、
 角度によってそれがセクシーな豹のように見えることから、『れでぃぱんさぁ』って名づけられた」
「そう。それをピーチッチが狙っているってもっぱらのウワサなの」
「警備の方はどうなっているんですか?」
「『れでぃぱんさぁ』は『Stockholm Expo』の期間中、駅に近いデパート内の美術館に展示されるわ。
 最上階は展望レストランなんだけど、その下の1フロア分が美術館になっているってわけ」
「このデパートって、『Cafe Buono!』が出店する中央公園に面しているんですよね」
「そのとおりよ、アイリーンちゃん。目の前に広がる緑と街の景色が展望レストランの売りなの」

362 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:16

「美術館へ行くにはエレベーター、エスカレーター、あとは非常階段のどれかを使うことになりますね」
「うん、だから本庁では人員をたっぷり配置してピーチッチを食い止めるつもりみたい」
「じゃあ、警備スタッフにまぎれ込む可能性もある……」
「本庁でもそれは想定していて、各階に配置された人員は自分の階から動かないようにするようね」
「なるほど。美術館までのすべての階で、いちいち警備を突破していかなくちゃいけなくなるんだ」
「アイリーンちゃん、どう思う? ピーチッチ、今度はどんな作戦で来るかなあ?」
「そうですねぇ……でも石川さん、それを今ここで言っちゃったら、
 きっと盗聴しているピーチッチに筒抜けになっちゃうから、やめときましょうか」

イヤホンから聞こえてくる声に注意深く耳を傾けていた桃子は、唇を噛んだ。
さすがは名探偵アイリーン。やっぱりそう簡単に引っかかってはくれない。
お互いに手の内はすでに知り尽くしている、と言っていい関係にある。
そのうえで、相手の裏をかかなくちゃいけない。
やってやろうじゃん。『れでぃぱんさぁ』、絶対に手に入れてやる!

363 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:17



無数の建物たちが描くスカイラインは、太陽が最後に残したオレンジに縁どられ、輝いている。
そして深い海の色にも似た夕闇がゆっくりと天から降りてきて、それを包み込もうとしている。
すると突然、白い光がまっすぐに下から上へと突き上げて走り、空に大輪の花を咲かせた。
金曜日、夕暮れの街いっぱいに響く重低音とともに、『Stockholm Expo』の前夜祭が幕を開けた。

「すっごぉい……」

花火はいくつも重なって空を明るく照らしだす。
その光景に見とれている雅に向けて、愛理の声が飛んでくる。

「みや、注文!」
「あ、はい……いらっしゃいませ!」

すでに中央公園のフードコートは大にぎわい。花火は戦闘開始の合図でもあるのだ。
さまざまな出店が並ぶ中、かわいらしいウェイトレスをそろえた『Cafe Buono!』は早くも、
押し寄せる客の波がごった返す状態になってしまっている。

3人は『しすたぁ』での研修の日々を思い出しながら、夢中で動きまわる。
華麗に踊るように注文をこなしていくその姿に魅せられて、客足が絶えることはなかった。

364 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:17

「ちゃお〜」

後ろから突然声をかけられて、愛理は思わず「きゃあっ!」と叫んでしまう。
驚いて振り返ると、そこには猫の着ぐるみが立っていた。
警察の誇るマスコットキャラクター、『けいさつケイちゃん』だ。アゴのホクロがポイントだと評判だ。

「がんばってるね、アイリーンちゃん」

くぐもった声で、ケイちゃんの中の人が言う。なんだか、聞き覚えのある声だ。

「わかんない? あたしよ、あ・た・し!」

着ぐるみが自分の頭部を取りはずす。そこに現れたのはタオルを頭に巻いた石川警視だった。
ぽかんと口を開けて見つめる愛理に、石川警視はウィンクしてみせる。

「いえ、あの、石川さん。人前で頭を取っちゃうのはダメだと思うんですけど……」

愛理の言葉が終わらないうちに、「石川、コラー!」と怒鳴り声が聞こえてきた。
石川警視は慌てて後ろ前に着ぐるみの頭部をかぶり直すと、そのまま風のように走り去る。
公園内のあちこちで子どもの悲鳴があがり、それはだんだん遠くへと消えていった。

「石川さん、なんだかんだでたくましく仕事してるなぁ……」

365 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:17


今夜12時、
『れでぃぱんさぁ』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ


 
366 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:18



土曜日。
怪盗ピーチッチからの予告状がデパート内の美術館宛に届いたことで、
朝から『Stockholm Expo』の会場は騒然となった。
ただでさえお祭り騒ぎになっているところに、ピーチッチ目的の野次馬も集まってきている。
おまけに今回は名探偵アイリーンが捜査からはずれてウェイトレスをやっているのだ。
美術館・中央公園ともに午前中から入場規制が敷かれるほどの盛況ぶりとなった。

「愛理、新聞見たよ!」

体力にまかせてガーッと人ごみをかき分けてきた舞美が愛理に声をかける。
もちろんその手には今朝の『ハロスポ』がしっかりと握られている。

「『ピーチッチ、アイリーン抜きの警察と真っ向勝負!』だって!
 愛理、本当に捜査に参加しなくてもいいの?」

心配そうに眉をひそめて尋ねてくる舞美。
しかし愛理は落ち着き払った態度で答えてみせる。

「大丈夫だよ、舞美ちゃん。石川さんとは連絡をとりあってるし、心配いらないよ」
「そうなの? ……ならいいけど」

367 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:18

そう言うと舞美はエプロン姿の愛理を見つめる。頭のてっぺんから足の先まで見つめる。
じっと眺めているうちにムクムクともたげてきた思いがあったようで、舞美は愛理の耳元で言う。

「ねえ、忙しそうだから、あたしも手伝おっか? もしエプロンあまってたら、あたしにも貸し――」
「お客様、ご注文は?」

ぬっ!と桃子が現れ、ふたりの間に割って入った。
とびきりのスマイルを浮かべると、舞美にもう一度尋ねる。

「お客様、ご注文はいかがなさいますか?
 『ハイブリッド☆フルーツパンチソーダ』、オススメですよぉ〜おいしいですよぉ〜」
「……わかったよ、桃」

舞美は観念してにっこりと微笑み、優しい口調で言う。

「ここまで一生懸命やってきたから、このまま今の3人で最後までがんばりたいってことだよね。
 じゃあそのオススメやつ、ちょうだい! いちばん大きいサイズでね!」

雅がつくった『ハイブリッド☆フルーツパンチソーダ』を受け取ると、
舞美は「がんばってねー!」と大きく手を振ってその場を去る。
そして公園の入口で振り返ると、『Cafe Buono!』の方を眺めてつぶやいた。

「あーあ、いつかあたしもフリフリのエプロンで接客してみたいなぁ……」

368 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:18



夜になると『Cafe Buono!』は周りの出店より早めに店じまい。
片付けと明日の準備を終えて解散すると、愛理はひとり、その場に残る。
公園内を歩きまわりながら、目の前にそびえ立つデパートを眺める。

今夜、ここにピーチッチが現れる。
いつもは現場の真ん中からあれこれ指示を出しているけど、今回はすっかり蚊帳の外。
でも油断なんてこれっぽっちもしていない。いつでもピーチッチを捕まえる心構えはできている。
ぎゅっと右手を握り締めると、後ろからハイトーンのささやき声が聞こえてきた。

「燃えていますね、お嬢さん」
「あたしはいつだって燃えてますよ、石川さん」

振り向かないままで答える。
ささやき声の主は愛理の隣にそっと立つ。
デパートや公園の明かりを浴びて、『けいさつケイちゃん』の姿がぼんやりと浮かびあがる。
すべての出店が営業を終えたあと、公園内は警察によって立入禁止の措置がとられている。
辺りにひと気はなく、喧騒が遠い。そこにたたずむ名探偵と着ぐるみ、現実感のないツーショットだ。

「そうそう、アイリーンちゃんにお土産持ってきたんだ」
「おみやげ?」
「ピザーラ、お届けっ!」

369 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:19

そう言ってケイちゃんの着ぐるみは宅配ピザの箱を愛理の目の前に差し出した。
箱はまだ熱いままで、隙間からはトマトとチーズの香りが漂い、鼻をくすぐる。

「石川さん、それあたしのセリフ」
「いいじゃない減るもんじゃないし。お腹は減っているけどね」

着ぐるみの頭部を取ると、タオルを頭に巻いた石川警視が現れる。
汗に濡れた顔でめいっぱい微笑んで、「アイリーンちゃん、おいしい?」と尋ねてくる。
愛理はとろ〜りと伸びるチーズと格闘しながら、その笑顔を眺め、思う。
そうだ、石川さんと一緒にピーチッチを捕まえなきゃ、意味がないんだ。
ピーチッチとの勝負だけじゃない。
この人の笑顔のためにも、あたしはがんばらなくちゃいけないんだ。

「すっごくおいしいですよ、石川さん」
「そう? よかっ――」

突然、石川警視は絶句して体を強張らせる。一点を見つめたまま動かない。
不思議に思い愛理がその視線の先を追うと、三日月を浮かべた黒い空を、
翼の形をした影がすーっと泳いでいった。

「鳥……?」

つぶやく愛理をあざ笑うかのように、影はまっすぐデパートの方向へと飛んでいく。
やがてデパートの真上でその影は止まり、そのまま動かなくなった。

「石川さん! あれ、ピーチッチです! ピーチッチが現れたんです!」

370 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:19



その頃、本庁のピーチッチ対策本部は大騒ぎになっていた。
ピーチッチがデパート内部に侵入したという報告がどこからもないのに、
建物内のエレベーター6基すべてが一斉に動き出したのだ。

モニターでエレベーター内部の様子を見てみると、
6基すべての中で、清掃作業員の恰好をした女性が映しだされた。
しかしその顔は、帽子の陰に隠れていてよく見えない。
女性は着ている作業服をおもむろに脱ぎだすと、
あっという間に黒いスーツを全身にまとった侵入者に変身した。

対策本部は混乱した。エレベーターに乗っているのは、まちがいなくピーチッチだろう。
しかし6基あるエレベーターのすべてに、ピーチッチの姿が映り込んでいる。
ピーチッチは6人いる……? いや、どの映像もまったく同じであることを考えると、
本物が乗っているのはこの中のどれか1つ、ということになるだろう。確率、6分の1。
でも幸い、今回は警備の人員をたっぷりと用意してある。
6基のエレベーターをすべて押さえてしまえばまったく問題ない。
そのような判断により、各エレベーター前を固めるように無線で指示が飛ぶ。

美術館の階に到達した6つのエレベーターのドアが、ベルの音とともに一斉に開く。
それぞれのドアの前で固唾を呑んで待ち構えていた警官たちが目にしたものは……

「い、いないっ!」

無人の小さな空間だった。

371 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:19

「正解は、『ピーチッチはエレベーターに乗っていない』でしたぁー」

ハンググライダーでデパートの屋上に現れたピーチッチは、ボウガンを発射する。
放たれた矢にはワイヤーがついており、屋上の柵にしっかりと引っかかったことを確かめると、
器用にワイヤーを滑り降りてピーチッチはデパートに着地する。

ピーチッチはさらにもう1本のワイヤーを取り出し、片方の端をやはり屋上の柵に結びつけ、
もう片方を自分の体に固定する。そうして命綱の準備ができると、そのまま屋上から飛び降りた。
事前の計算どおり、レストランになっている最上階の下、美術館のフロアの高さで体が止まる。
そして、レーザーを最大出力にして頑丈なデパートの窓ガラスに丸い穴を開けた。

「警備がエレベーターの方に分散しているから、
 泥棒さんは無事に展示室の窓から入れちゃうんですよぉ」

いたずらっぽく笑うと、もう使う必要のなくなった、
エレベーター内のダミー映像を発信する機械の電源を切った。

372 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:19

ピーチッチは開けたばかりの穴をくぐり、『れでぃぱんさぁ』の展示室に侵入する。
間髪入れずに背負っていたボウガンを再び取り出し、ワイヤーを結んだ矢を発射した。
矢は『れでぃぱんさぁ』のケースを突き飛ばすと、そのまま壁に刺さる。
『れでぃぱんさぁ』は剥き出しになり、その上にはまっすぐな一本の線が引かれた。
赤外線センサーをすり抜ける架け橋が、わずか5秒でできあがった。

窓ガラスを蹴ったピーチッチはまるで空中を泳ぐように、ワイヤーを滑ってつたっていく。
そして真上に来たところで鮮やかに『れでぃぱんさぁ』をかすめ取る。
そのまま矢の刺さっている反対側の壁までたどり着くと、
オリンピックの水泳選手のような鮮やかなターンを決めて、向きを変えた。
復路では、さっきまで宝石を載せていた台座に、「P」と刺繍された手袋をタイミングよく落とす。

「これはおまけのプレゼント」

そう言っているうちに、侵入してきた窓ガラスのところまであっという間に戻ってくる。
ピーチッチは黒いスーツの胸元を開け、『れでぃぱんさぁ』をその中に納めた。
しっかりと宝石が固定されたことを確かめると、命綱のワイヤーを巻き取って屋上へ出る。

373 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:20

ピーチッチは柵を乗り越え、置いておいたハンググライダーを探す。
しかし、見当たらない。風で飛ばされないように慎重に作業したはずなのに、なくなっている。

「どういうこと?」

気に入らない。周到に練った完璧な計画が、ここに来て狂った。
そして、こういう予測のできない事態をもたらす人物は、ただひとり。

「こういうこと」

荒い呼吸混じりの声がした。聞き慣れた声、よく知っている声。
見ると、汗びっしょりになった名探偵アイリーンがハンググライダーを手にして立っていた。
デパートの非常階段を全力で駆け上がってきたようで、肩がまだ上下している。

「……ホントだったんだ。怪盗少女」

怪盗ピーチッチの正体が12〜3歳の少女と特定したのはアイリーン自身だったが、
ここまで近づいたのは初めてだ。暗くてよく見えないが、いま、目の前にピーチッチがいる。

「もう逃げ場はないわ。おとなしくあたしに捕まっちゃいなさい!」

ピーチッチを指差し、アイリーンが叫ぶ。

374 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:20

しかしピーチッチは余裕たっぷりにアイリーンに向き直ると、
胸元にしまっておいた『れでぃぱんさぁ』を取り出し、これ見よがしにちらつかせた。
『れでぃぱんさぁ』は夜のわずかな光に反応し、ピンク色にきらめく。
そしてピーチッチは指先で軽く弾いて弄んでから、もう一度、胸元にそれを納めた。
まるでアイリーンにしっかりと見せつけるかのように、
『れでぃぱんさぁ』を自分の胸の谷間にしまい込んでみせる。

「あなたにはできない芸当よね」
「なっ……」

ピーチッチの声にはエフェクトがかけられており、本当の声はわからない。
挑発的な言葉を投げかけられてアイリーンはわずかに動揺するが、
心理戦に引き込まれるわけにはいかない。すぐに落ち着きを取り戻し、
奥歯をぎゅっと噛み締めてピーチッチと向き合う。
瞬間、ピーチッチが何かを自分の足元に投げつけた。
立ちのぼった煙が辺り一面を包み込む。煙幕だ。

「久しぶりね、アイリーン。挨拶が遅れちゃってごめんなさいね」

煙の向こうからエフェクトのかかった声が聞こえてくる。
アイリーンは思わず身構えるが、ピーチッチはなおも優雅な口調で続ける。

375 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:20

「言っとくけどサインはお断りだから。握手ならぎゅーっとしてあげるけど」
「ふざけないで!」
「ふざけてなんかいないわ。アイリーン、あなたって私のことが大好きみたいなんだもん。
 『Stockholm Expo』だけに、ストックホルム症候群になっちゃったのかしら?」

ストックホルム症候群。
犯罪の被害者が、犯人に対して好意的な感情を抱いてしまう状態――。

「バカなこと言わないで!」
「ふふ、照れ屋さんね、アイリーン」

天才的な頭脳を持った名探偵アイリーンが、いいようにあしらわれている。
まるで仲の良い少し年上のお姉さんにからかわれているような、奇妙な感覚に襲われる。
わずかな沈黙の後、ピーチッチは突然尋ねてきた。

「ねえ、アイリーン。ひとつ聞いていい?
 あなたは宝石を守りたくてここに来たの? それとも、私を捕まえたくてここに来たの?」
「そんなの、両方に決まってるでしょ!」
「はっきり答えを聞きたいな。私と宝石、どっちの方があなたにとって大切?」

タイセツ。あたしが、ピーチッチのことを、タイセツに思っている――?
ピーチッチの突然の問いかけに、頭脳明晰なはずのアイリーンは混乱して動けなくなる。

376 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:21

屋上に吹く風は、ゆっくりと渦を巻くようにして煙幕のヴェールを解いていく。
小さな黒い人影が、うっすらとだが、再びアイリーンの視界に現れる。
ピーチッチは続ける。

「私はね、かわいい宝石が大好き。でもね、アイリーン。
 あなたと石川警視から盗まないとね……かわいくないの。どんな宝石も、かわいくないの。
 だからあなたがここに来てくれて、正直、私はほっとしてる」

言い終わるのとほぼ同時に、煙幕が晴れた。
ピーチッチの姿を見ようとアイリーンが目を凝らした次の瞬間、

「きゃあっ!」

アイリーンの視界いっぱいに閃光が広がり、思わず目を閉じる。
そのあまりに強い光のせいで、再び目を開けても何も見えなくなってしまっていた。

「ピーチッチは電源を落とすばっかりじゃないんだよ」

不測の事態に備え、ピーチッチは『Stockholm Expo』のフィナーレで使われる花火に細工をしていた。
万が一、デパートの屋上から脱出するのに時間がかかったとき、目くらましに使うつもりでいたのだ。

「また会いましょうね、私のかわいい名探偵さん」

言い残して、ピーチッチは非常階段へと走る。
そのまま勢いよく駆け下りていき、まっすぐに地上を目指す。

「石川さん、急いでアレを準備してください!」

何も見えない状態のまま、アイリーンは無線機に叫ぶ。
このままピーチッチを逃すわけにはいかない。なんとかして手を打たないと!

377 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:21



非常階段の手すりを滑って、ピーチッチはどんどん下のフロアへと移動していく。
捕まえようとやって来る警官の足音が多くなってくると、非常口の扉を開けてフロアに出る。
そして素早く女子トイレに滑り込むと、あらかじめ隠しておいた警官の制服に着替えて戻る。
あとはピーチッチを追いかけるふりをしながら1階に下り、さっさとおさらばするだけだ。

「さすがはアイリーン。今回はちょっと焦ったかな」

デパートの1階は化粧品や女性用の小物売り場になっている。
出入りする警官たちの中にうまいタイミングで紛れ込もうと外の様子を眺めていると、
顔から下だけ着ぐるみ姿でデパートのエントランスを見つめる石川警視が目に入った。

「さっき屋上で、アイリーンが石川さんに何か指示を出してたっけ……」

アイリーンが絡むとなると油断はできない。
ごくりと唾を飲み込んで、ピーチッチは慎重に辺りの様子を探る。
すると、エントランスに大掛かりな機械が置いてあることに気がついた。
そこには大きな文字で、「最新型ダイヤモンド探知機」と書かれている。

ピーチッチは頭脳をフル回転させる。
さっきアイリーンが無線で石川警視に指示したのは、この機械のことだろう。
ピーチッチは盗んだダイヤモンドを持っているから、
それを探知できれば、いくら警官に変装していても見破ることができる。

378 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:21

だが、冷静になってみるとおかしい。
ダイヤモンドはX線を透過するから、ふつうの探知機では持っているかどうかなんてわからない。
「最新型ダイヤモンド探知機」なんてわざわざこれ見よがしに書いてあるのも怪しい。
でもアイリーンが噛んでいるとなると、慎重に動いた方がいい。
どっち? どっちなの?

「やってくれるわね、アイリーン」

じりじりとした緊張感がピーチッチの全身を包む。
のんびりしている暇はない。目を閉じて焦る心をできるだけ落ち着かせ、決めた。

ピーチッチはしゃがみ込むと、素早く移動しながらあちこちの売り場を探っていく。
なかなかうまくダイヤモンドを隠せる場所はなかったが、小物売り場でちょうどいい物を見つけた。
手ごろな大きさに、目印になる派手でかわいい柄。
何より、値段が高いから簡単に売れてしまいそうにないのがいい。
その中に、迷うことなく『れでぃぱんさぁ』を放り込んだ。

「また明日、取りに来ればいいもんね」

無事にダイヤモンドを隠したピーチッチは、すんなりとデパートのエントランスを通り抜けた。
そのまま夜の闇に紛れて『しすたぁ』への帰り道を歩いていく。

379 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:22



ダイヤモンドが行方不明になって迎えた『Stockholm Expo』の最終日だったが、
どの会場も相変わらずの盛況ぶりとなっていた。中央公園のフードコートはもちろん、
被害に遭ったデパート内の美術館でさえも、ピーチッチの犯行現場見たさに
人があふれかえっている状態だった。ピーチッチ人気、まったくもって健在である。

「いらっしゃいませぇっ!」

真夜中の大捕物に参加した愛理も、夜更かししてしまったという桃子も、
少しも眠そうな表情を見せることなく『Cafe Buono!』で忙しく動きまわる。
でも、いちばん元気な姿で笑顔を振りまいていたのは、雅だった。
今はとにかく、仕事をするのがすごく楽しい。
お給料も大切だけど、もっと大切なことが見つかったように思っている。

「ありがとうございましたぁっ!」

――楽しい時間はすぐに過ぎ去る。
やがて今日も周りの出店より早めに『Cafe Buono!』は営業を終える。
片付けを済ませると、リーダーの桃子が封筒に入ったお給料をふたりに渡す。
中にはさゆみの字で「がんばったごほうびなの」とメモがあり、少し多めにお札が入っていた。
3人それぞれに固く握手すると、解散となる。

380 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:22



あたし、夏焼雅!
『Cafe Buono!』でのアルバイトが終わったばかりで、今のあたしはかなりリッチ。
でも、このお金の使いみちはもう決まってる。あこがれのコスメポーチを手に入れるんだ!

バイトが終わって一度家に帰ってから買いに行こうかとも思ったんだけど、
少しでも早くあのポーチを自分のものにしたくってたまらないから、
中央公園からそのままデパートへまっすぐ向かうことにした。
今まで集めたお気に入りのメイクグッズが、最高にかわいいあのポーチの中に入るの。
あーもぉ、想像しただけでもワクワクしてたまんないよぉー!

軽やかな足取りでレンガ敷きの歩道を抜けて、デパートの中へ。
化粧品売り場の奥、小物売り場の一角に、目的のショップがある。
柔らかな照明を浴びたガラスの棚の上、赤いタータンチェックが目に飛び込んできた。

「あの……これ、ください」

すずしげな顔をして、実はアセってる。ドキドキしてる。
店員さんはコスメポーチを指して、あたしに尋ねてきた。

「こちら、現品限りとなりますが、よろしいですか?」

ギリギリセーフ! あたし、めっちゃツイてる!
「はい!」と勢いよく返事すると、店員さんはにっこり微笑んだ。
ついについに、このコスメポーチがあたしのものになる日が来たんだ!

381 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:22

店員さんはポーチを包もうと手に取ったところで、動きを止めた。
不審そうにちょっと首をひねって、ポーチを軽く上下に揺さぶる。
するとあたしの耳にも、ポーチの中で何かがゴツゴツと音を立てているのがわかった。

「ちょっと、失礼しますね」

そう言って店員さんがポーチを開けると、中から何かが出てきた。
それはうっすらとピンク色に輝くダイヤモンド、『れでぃぱんさぁ』だった。

「あれ? これってまさか……ええーっ!?」

突然のことにわけがわかんなくなって立ち尽くしてたら、後ろから大きな足音が聞こえてきた。
慌てて振り返ると、必死の形相をした警察官の石川さんが、こっちに向かって宙を飛んでいた。

「ピーチッチ、覚悟ぉー!」
「いやーっ!」

とっさにその場でしゃがみ込んだら、石川さんはあたしの頭上を越えていき、
そのままお店の壁へと突っ込んでいった。
ものすごい音がして、頭に大きなたんこぶをつくった石川さんがその場に倒れる。

「なんなの!? いったいなんなのぉっ!?」

涙声で叫んでいるあたしを、背の高い人たちが素早く取り囲んだ。
後でわかったことだけど、デパートの中では私服の警察官がいっぱい張り込んでいたんだそうだ。

「事情を聞きたいので、署までご同行ください」

そしてあたしは、生まれて初めてパトカーに乗った。

382 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:23



「みや、災難だったね」

『しすたぁ』のテーブル席に腰を下ろして、愛理が言った。
向かいに座った雅は口を真一文字に結んだ無表情のまま、何も言わずに弱々しくうなずく。

一夜明けて月曜日の放課後。
捜査で迷惑をかけたお詫びということで、愛理は雅を誘って『しすたぁ』に来ていた。
カウンター席の向こう側では、さゆみと桃子がいそいそと働いている。
まるで「あたしたちは関係ないですよー」と言わんばかりである。

「あ、いたいた愛理」

軽やかなベルの音とともに舞美が現れる。
もちろんその手に握られているのは『ハロスポ』だ。
「『れでぃぱんさぁ』無事防衛! ピーチッチ宝石強奪に失敗!」と書かれた見出しが目に入り、
桃子はぷいっとお尻を愛理たちのテーブルに向ける。それを見たさゆみはこっそり苦笑い。

「今回の事件の詳しいことを教えてよ。あたしどうも、納得いかない部分があるんだよね」

舞美はそう言うと、雅に挨拶をしてから愛理の隣の席に腰を下ろした。
愛理は元気のない雅のことを気にしつつも、舞美に尋ねる。

「なぁに舞美ちゃん、納得いかない部分ってどこ?」
「『最新型ダイヤモンド探知機』って、なんなの? 愛理ってそんなすごいモノ発明しちゃったの?」
「ううん。あれは、ウソ。ただの張りぼてだよ」

背を向けながらも愛理の言葉に耳をそばだてていた桃子が、拭いていたカップを落としそうになる。

383 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:23

「イチかバチかの賭けだったんだけど、うまくいってくれてよかった。
 ダイヤが探知できるってことになれば、ピーチッチはとりあえずダイヤを置いていくと思ったの。
 それで、いずれピーチッチがダイヤを持ち出そうとするところを捕まえればいいってわけね。
 デパートの外からダイヤが出ないでいるうちは、見つけて取り返すチャンスがいくらでもあるわけだし」

名探偵アイリーンみずからの説明に舞美は「なるほどねー」とうなずき、次の質問に移る。

「でもさ、今回警察はピーチッチと間違えて無実の少女・Aさん(仮名)を捕まえちゃったんでしょ?」

舞美の言葉に雅はがっくりうなだれ、そのままゴンとおでこをテーブルにぶつけた。
店内の客が一斉にこちらを振り向くほどの大きな音が『しすたぁ』店内に鳴り響く。

「どうして警察は、そのAさん(仮名)をピーチッチじゃないって断定できたの?」
「それはね、舞美ちゃん……」

そこまで言ったところでアイリーンは口ごもってしまう。
舞美は好奇心いっぱいの目でアイリーンの顔を覗き込み、言葉の続きを待つ。

「ねえ、どうしてなの愛理?」
「あのね、胸が……」
「胸が?」
「胸がなかったのーっ!」

店内にはアイリーンの絶叫と同時に、もう一度雅が頭をテーブルにぶつける音が響いた。

384 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:23

「ピーチッチは『れでぃぱんさぁ』を自分の胸の谷間に挟んで逃げたけど、
 みや……じゃなかった、Aさん(仮名)にはそれができなかったのね」
「ふぅん、そうなんだ……」

舞美が力なく答えると、3人ともそのまま黙り込んでしまう。
発育途上の3人が座るテーブル席は、まるでお通夜のような雰囲気である。

「あのー、これ」

真っ白な灰になっている3人に、桃子が声をかける。
桃子の持っているトレイには、グラスに入った飲み物が3つ並んでいる。

「桃が考えた新メニューなんだけどぉ、サービスしてあげる」
「いらない」

即答する雅に対し、桃子はほっぺたを膨らませる。

「なんでよぉ、みーやん! これを飲んだら桃みたいなぷりっぷりのナイスバディになれるかもよ?」
「へー、ツグさんみたいな筋肉質になれるのね」
「ちょっとぉ!」

385 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:23

雅はいつもどおりに桃子をひととおりからかうと、

「ありがと桃、少し元気出た」

そう言って桃子のトレイからグラスを取り、ストローに口をつけた。
舞美と愛理もグラスを手に取り、一口飲んでみる。

「あ、意外といける」
「ホントだ。これおいしいよ、桃」
「うん、おいしいね」

3人からお褒めの言葉をもらい、桃子はすっかりご満悦である。

「ところでこの新メニュー、なんて名前なの?」

愛理の質問に桃子はフフンと鼻を鳴らして答える。

「『ぷりぷりプリンセスシェイク』。かわいい名前でしょ」
「はぁ……」
「なによぅ。いま3人とも心の中で桃のことバカにしたでしょ」
「してないしてない」
「桃らしいなあって思っただけ」
「そうそう」
「ホントにぃ?」
「ホントホント」

いつしか、テーブル席はいつもの雰囲気に戻っていた。

386 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:24

おしゃべりが一段落つくと、雅はお気に入りのコスメポーチをカバンから取り出した。

「あ、それって」
「うん」

雅は愛理にうなずいてみせる。
3日間の努力の結晶であり、世間を騒がす怪盗との接点となったポーチ。
この中に詰まっている強烈な思い出が甦ってきて、雅は目を閉じる。

その様子を目にして、愛理はふとピーチッチの口にした言葉を思い出した。
ストックホルム症候群……? まさか、ね。
あたしもみやも、泥棒なんかに惹かれてるなんてこと、ないよね。

「ねえ、みや。もしかして今もピーチッチにあこがれてたりする?」

愛理が問いかける。
雅は人差し指をほっぺたに当てていったん「Buono!」のポーズをとると、
そこから指を目に移し、思いっきりあっかんべーをしてみせた。

「怪盗ピーチッチなんて、だーいっ嫌い!」

387 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:24

第九話 おわり

388 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:26
>>342
統一感があるだけでなく、さまざまな趣向が凝らされてますよね。
本当に、読んでいて楽しくなってくる作品だと思います。
389 名前:  投稿日:2009/04/12(日) 00:28
>>344
ご期待に添えましたでしょうか?
私も次回の更新、期待して待たせていただきます。
390 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:00



目覚めた時にはすでに『リゾナントブルー』は盗まれていた。

「起きてください石川警視!鈴木探偵!」

誰かに激しく揺り起こされた鈴木愛理は、眉をひそめて険しい表情をしながら、
目の前いた警察官を見る。彼は顔面蒼白になっており、愛理は弾かれたように
バッと身を起こす。

「ピッ、ピーチッチは?!」
「それが…」
391 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:00
美術館の屋上では、警視庁のヘリコプターが今にも飛び立ちそうな状態で駐機されていた。
目覚めたばかりでもうろうとする意識の中、愛理は石川警視とともに急いでそのヘリに乗り込む。

「まさかこんなことになるなんて…」

石川警視は何が何だか、信じられない様子で呟いた。
愛理は窓を覗きこみ、真っ暗闇の夜空を眺める。
そして、遠ざかってゆく美術館の、屋上でゆらゆら揺れているアドバルーンを見つめる。
今回の宝石展示会を宣伝するアドバルーン。まさかあれを使うだなんて。

愛理たちの異常に気づき、他の警官たちはすぐに駆けつけたが、屋上への階段を
目にも留まらぬ速さで駆け上るピーチッチを追いかけるのが精一杯だった。
彼らが屋上にたどり着いたときにはもう、ピーチッチは屋上にいくつかあったアドバルーンのうちの1つを
繋いでいた綱を切り、それに掴まって夜空へと飛び去ったそうだ。

まんまと催眠ガスで眠らされ、簡単に宝石を盗まれ、挙句にみすみすと逃がしてしまう。
こんな間抜けな展開、許せない。名探偵のプライドが、絶対に許さないんだから!
392 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:00
「あっ!いた!」

ヘリコプターからのライトに照らされた、宝石展示会のアドバルーンとピーチッチの姿を発見し、
石川警視が甲高い声で叫んだ。
ピーチッチは全身黒ずくめの衣装で、頭から大げさなマスクを被っていた。

「このまま追いかけていけば、絶対ピーチッチを捕まえられるわ」

『れでぃぱんさぁ』の一件で無事ピーチッチ担当に戻った石川警視が自信満々言った。
愛理は一瞬うなずきかけるが、ふとある疑問が浮かぶ。

空飛ぶアドバルーンに掴まって逃げるだなんて、下手したら命まで失いかねない危険な手を、
ピーチッチが安易に使うのだろうか。
100%逃げ切れるっていう確信があるから、あんな手段を使って―――。
393 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:01
「あああっ!!!!」

思考回路をフルパワーで働かせていたそのときだった。

愛理たちの目の前で、ピーチッチがアドバルーンから落下した。

「ピーチッチが落下!ピーチッチが落下!」

ヘリコプター内が一気に慌しくなる中、愛理はハッとする。
そういえばここは、海の上だ。

「ウソ…」

愛理は窓に張り付いて、ピーチッチが真っ逆さまに落ちて行った先を見つめた。
今夜盗まれた『リゾナントブルー』とよく似た色をした真夜中の海が、一面に広がっていた。

394 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:01

怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン

第10話 「大泥棒のTHE美学」

395 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:02

『怪盗ピーチッチ死す?!』

翌日の「ハロスポ」の一面では、ゆうべの事件が大きく扱われていた。
結局、アドバルーンから海へ落下したピーチッチの姿は、まだ見つかっていない。
新聞や石川警視の話によれば、今も警視庁による懸命な捜索が続けられている、らしい。

「ピーチッチが死んじゃったなんて、なんか、信じられないよね」

矢島舞美がピーチッチの記事を眺めながらぽつりと呟く。
神出鬼没の大泥棒と、天才女子高生探偵のガチンコ勝負が、
まさかこんな結末を迎えてしまうだなんて、本当に信じられなかった。
しかし、そう感じているのは舞美だけではない。
ピーチッチと戦ってきた張本人である愛理は舞美以上にショックを受けていた。
396 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:02
――あなたって私のことが大好きみたいなんだもん。

このあいだ、あの大泥棒と対峙したときに、言われたセリフを思い出す。
ピーチッチが死んでしまったなんて信じられないし、そんなの信じたくない。
愛理は新聞記事をにらみつけながら、
「どうしてピーチッチはあんな危険な方法で逃げたんだろう」
「んー、屋上に追いつめられてそうするしかなかった、とか?」
「いや、ピーチッチは迷わず屋上に移動したらしくって。
たぶん、最初からあのアドバルーンを使って逃げるつもりだったんだと思う。
でも、どうして。あんなリスクの高いことを…」
あごを手で持ちながら、愛理は難しい顔をする。
親友思いの舞美は一緒になって考えてあげようとしたが、ふと思い出す。
397 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:02
「ていうかさ、桃は?来るの遅くない?」

いつもの通学路、いつもならすでに並んで歩いている時間だ。
しかし、嗣永桃子はまだ現れない。愛理と舞美の2人きりだ。

「ホントだ。どうしたんだろ」
「土日で風邪でもひいたのかな」

桃子が学校を休むだなんて珍しいこともあるもんだ。
と舞美が感心したときのことだった。

「おっはー!」

愛理と舞美は顔を見合わせて、そして後ろを振り返った。
変な走り方で、桃子がぶんぶん手を振りながら近づいてくる。
愛理たちの心配をよそに、彼女はまったくいつもと変わらない様子だった。
398 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:03
「桃!遅いよ!」
「ごめーん。道重さんが目覚ましのアラームOFFにしちゃってて、
いつもの時間に起きれなかったんだよ」
「なんだ。風邪でもひいたのかと思って、心配してたのに」
「そうだよ。愛理なんて、ピーチッチの心配で大変なのにさー」
「え?」

とぼけた顔をした桃子の目の前に、舞美は「ハロスポ」の一面を突き出す。
『ピーチッチ死す?!』の大きな見出しを見て、桃子がわざとらしいくらい
大げさに目を丸くする。

「ピーチッチ、行方不明になっちゃったみたいだよ」
「えぇ?!あの泥棒さん、死んじゃったってこと?」
「…桃、泥棒に『さん』なんかつけないでいいよ」
ピーチッチの行方不明がよほどショックだったのか、愛理の口調にはいつもの切れ味がない。

――ストックホルム症候群はまだ治ってないみたいだね。

桃子は誰にも気づかれないように、ほんの少しだけ唇の端を上げた。

399 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:03



今晩12時、
『こころのたまご』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ


400 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:04



その犯行予告が届けられたのは、ピーチッチ行方不明のニュースからわずか1週間後のことだった。
今度のターゲットである『こころのたまご』は、ある美術館のオーナーが3ヶ月前にオークションにて
約10億円で落札した、インペリアル・イースター・エッグと呼ばれる工芸美術品だ。
インペリアル・イースター・エッグとは、1917年のロシア革命でロマノフ朝が崩壊した際に世界中に
散らばったとされ、オークションでは必ず高値で取引きされているという代物であった。

「いったい、どういうことなの」

予告状が届いた美術館。
石川警視はピーチッチからの予告状をまじまじと見つめて呟いた。
『リゾナントブルー』を盗んだ1週間前の夜、ピーチッチは行方不明になったはず。
しかし、そのピーチッチからの犯行予告が今、目の前にある。

「これが送られてきたということはつまり、ピーチッチはまだ生きている、ということでしょうね」

石川警視の手から予告状を奪った愛理が真剣な表情で言う。

「じゃあ、あのとき私たちの目の前で海に落ちたのはまったくの別人だったってこと?」
「…そうでなければ、この予告状はピーチッチの名前を騙ったニセモノが送りつけてきた
ということになりますね」

ただいまの時刻は午後3時過ぎ。
本物かニセモノかわからないが、ピーチッチが指定してきた時間まであと約9時間だ。
401 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:04
今回狙われた美術館では、ちょうど今日から各国の貴重な宝石や美術品を集めた展覧会が
催されることになっていた。しかし、ピーチッチからの予告状が届いたために、
残念ながら展覧会は急遽中止となってしまった。

「館長さん、『こころのたまご』を拝見する前に、ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」

愛理はすっと手を挙げて、この美術館の館長である年配のご婦人に向かって言った。
彼女は上品な微笑を浮かべ「なんでしょう」と答える。

「今日、美術館の屋上に出ているアドバルーンは、館長さんがご用意したものなんですか?」
「アドバルーン?あぁ、はい。せっかくの大きな展示会でしたからね」
唐突な質問に館長は戸惑いながらも正直に答えた。
「そうですか」愛理はあごを持って、真剣な顔になる。

――今度の現場にもアドバルーンがあるなんて、ただの偶然?それとも。

402 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:04



愛理たちは今回の展覧会の目玉でもあった『こころのたまご』を見せてもらう。

「これが『こころのたまご』…」

だだっ広い展示室のど真ん中で、愛理はまじまじとガラスケースの中を見つめた。
ケースの中では、普通の卵よりも少し大きめのサイズのたまごがキラキラと輝いている。
その眩しすぎるほどの輝きは、たまごの表面に散りばめられたダイヤモンドによるもの。
実際この目で見てしまえば、10億円という価値も納得せざるをえない。

「ロシア語では何と言うのかよくわかりませんが、英語では『HEART'S EGG』と呼ばれております」
「だから『こころのたまご』なんですね」
ええ、と微笑とともにうなずいた館長は、その場にいた副館長に合図をする。
すると副館長が懐から鍵を取り出して、ガラスケースの側面にあった鍵穴に差し込んだ。

「この特殊な鍵がなければ、このケースは開けられないようになっております」
「その鍵を管理されているのは」
「私です」
403 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:05
短く答えた副館長がケースを開け、手袋をはめる。
そして『こころのたまご』を手に取り、愛理たちの前に持ってくる。

「これが『こころのたまご』と呼ばれるのにはワケがありまして」

まさにたまごを割るように、彼は『こころのたまご』の中身を見せた。

「あっ」

半分になったたまごの中には、ハートを狙うキューピッドの人形。
すべて金で作られた、かなり精巧なものだった。

――これは、ピーチッチが欲しくなる気持ちもわかるわ。

愛理はたまごの中の可愛らしい人形を見つめながらそう思った。

404 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:05

広い美術館内を一通り見てまわったあと、ふたたび展覧会会場に戻った愛理たちは、
テーブルの上に館内の見取り図を広げ、警備作戦を練り始める。

「ピーチッチ、今夜はどこから現れるんだろう」
「それは私にもわかりませんけど、いずれにしてもピーチッチは必ずここへやってきます。
そして必ずこのたまごを盗むために私たちの前に現れるんです。
とにかく、ピーチッチをこの美術館から逃がさないようにしましょう」
「これはどうする?念のため使う?」

警視は頑丈そうなガスマスクを持っていた。
また催眠ガスを使われたら、1週間前の二の舞であるからだ。

「心配なら使ってもいいですよ」
「愛理ちゃんは使わないの?」
「はい」
「なんで」
「ただの個人的な希望です。ピーチッチが、毎回同じ手を使うような
芸の無い泥棒であって欲しくないっていう…」

405 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:06



ピーチッチの予告時間は刻一刻と迫りつつあった。
今回のターゲットは10億円というたいへん高価な美術品であるため、
美術館の周辺では多数の警察官が警備にあたり、上空では警視庁の
ヘリコプターが飛びまわっていた。
その厳重な警戒態勢は、外部から館内へまさに人っ子一人侵入して
これないんじゃないかという錯覚にも陥りそうになるくらいだった。

12時が近づいてくるにつれ、副館長が落ち着かない様子でソワソワとし始める。
「本当に大丈夫なんでしょうな」
彼は愛理たちを疑いの目で見ながら言った。
「今回の展示会が中止になったということだけでも大きな損害だというのに、
さらにたまごが盗まれるようなことがあったら、どれだけ大きな損害となるか」

「まあまあ佐々木さん」と館長は副館長をなだめるように言う。
威圧的な態度の副館長とは対照的に、館長はとても穏やかな様子だった。
いつもニコニコしているやさしいおばあちゃん、という感じだった。

それから館長は「あ、そうだ」と可愛らしく手を叩いて、愛理たちを見る。
「ずっと立ちっぱなしで疲れたでしょう。少し休憩しましょうか。
私が紅茶をお淹れいたしますよ」
406 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:06
いったん部下たちに警備を任せ、愛理たちは館長の部屋にいた。

「いい香りですね。ダージリンですか?」
「ええ」

愛理はずらりと並んである紅茶の缶を眺めて目を細めた。

「紅茶、お好きなんですね」
「年をとるとね、楽しみがこんなことくらいしかないのよ」

ご婦人はそう言って笑いながら紅茶を淹れている。
4つのティーカップに、それぞれ紅茶が注がれてゆく。

「あぁ、おいしい」

まず最初に石川警視が一口飲んで、その味に目を細める。
副館長は無言でごくごく飲んでいる。

「さぁ、探偵さんもどうぞ」
「あ、はい。いただきます…」

カップを差し出されて、愛理はニッコリ微笑む館長を見つめる。
そういえば、今日初めて会った時からずっと、彼女の手には
白い手袋がはめられていた。

――職業柄なのか、ただの潔癖症なのか…

そんなことを考えながら、愛理はゆっくりと紅茶に口をつけた。
407 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:07
4人は再び『こころのたまご』がある1階の広い展示室に戻った。
下手に警備の人数を増やしてピーチッチが紛れることがないよう、
この場に残るのは最小限、警視と愛理、館長と副館長の4人だけだった。

「まだ、異常はないようですね」

無線から流れてくる内容を聞いて、石川警視は呟く。

「さぁ、ピーチッチ。どっからでもかかってきなさい」

そして、こぶしを力強く握りしめ、意気込んだ。

――今日こそつかまえてやるんだから!

同じく意気込む愛理だが、頭の中にはまだちょっとだけ疑問があった。

あの夜、アドバルーンから落下したピーチッチの姿が今でも目に焼きついているのだ。
本当にピーチッチは生きているのか。今夜、本当に現れるのか。

しかし、その疑問はほどなくして解決する。

408 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:07



「あれ…なんか…」
「どうしたんですか石川さん」

いつの間にか眠そうな顔になっていた石川警視が、大きなあくびをした。
するとそれに続いて副館長も眠気を訴えてくる。

「なにこれ…あぁ…」

あっという間に警視と副館長が床に倒れ込み、すっかり眠りに落ちてしまった。

「ふぁああ…」

なんと、愛理まであくびをしてしまう。
それから間もなく、名探偵も夢の中へと旅立ってしまったようだった。
409 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:08

「……」

すやすやと眠っている3人を見下ろすのは、この美術館の館長であるご婦人。
突然の異常事態に慌てることもなく、誰かに助けを求めたりすることもない。

手袋をはめた彼女はニコニコと笑いながら副館長へと近づいたかと思ったら、
彼の懐を探ってガラスケースの鍵を取り出した。
それから、『こころのたまご』へと静かに近づいて行き、
そのガラスケースをこれまた静かに開ける。
そっとたまごを手にとって、彼女はニヤリとした。
410 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:08

「そのたまご、どうするんですか?」
「?!」

背後から突然聞こえてきた声に、館長は目を丸くして驚いた。
振り返ると、眠ったはずの愛理がそこにしっかり立っていた。
名探偵と呼ばれるだけあって、愛理は用心深かった。
館長からすすめられたあの紅茶を、実は飲んではいなかったのだ。

「どうしたんですか?探偵さん」

静まり返った館内で、館長と愛理はじっとにらみ合う。

「館長さん、どうして石川さんたちは眠ってしまったんでしょうか」

館長は黙ったまま愛理をただ見ている。
411 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:08

「あの紅茶に、睡眠薬が入っていたんじゃありませんか?」

愛理の質問に、館長は答えない。
その代わりずっとニコニコ笑っていて、少し不気味だった。

「あのとき、休憩をしようと提案したのはあなたでしたよね。
それから、あの紅茶を淹れたのもあなた。そうですよね?」

脳みその中では、いくつもの可能性がぐるぐると駆け巡っている。

――何がなんだか、わけわかんなくなっちゃいそう。

少女探偵は、感情の読めないご婦人の瞳を、じいっと見つめる。

どうして、彼女は紅茶に睡眠薬を入れたのだろう。
今思えばあのとき、彼女も紅茶を飲んでいなかった気がする。
それは紅茶の中に睡眠薬が入っているのを知っていたから、
つまり、彼女が睡眠薬を入れたからだ。
412 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:09

彼女は愛理たちを眠らせたかった。
でも、どうして眠らせたかったのだろう。
その理由は、たった一つしか思い浮かばない。

「探偵さんは、何が言いたいのかしら」
「あなたは私たちを眠らせてたまごを盗もうとしていました。
でも、そのたまごは、あなた自身が10億円もの大金をつぎ込んでやっと手に入れた
ものなんですよね?自分のものなのに”盗む”なんておかしくありませんか?
…自分のものじゃないから”盗む”んですよね?」

愛理の鋭い指摘にもなお、館長は微笑を浮かべていた。
まるで、間近で見る名探偵の推理をすっかり楽しんでいるようだった。

「あなたはこの美術館の館長なんかじゃない」

名探偵アイリーンはまっすぐ腕を伸ばして、館長を指さす。

「あなたは…」

413 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:09

その瞬間、館内のどこかで大きな爆発音がした。
同時に、部屋の照明が落ちて、辺りが一瞬で真っ暗になる。

――しまった!

「館長になりすましたピーチッチがたまごを持って逃走しました!」

叫んだ愛理は慌てて出入り口の方へ向かって猛ダッシュする。
懐中電灯を持った警察官たちが現れ、無我夢中で駆け寄る。

「ピーチッチは?!」
「おそらく屋上です!」
「屋上?!」

愛理は非常階段を必死になって駆け上がる。
その途中で、屋上にピーチッチらしき人影を発見したという報告が無線から聞こえてくる。
先ほどの爆発からまだ1分も経ってないのに、なんという早業だ。

『アドバルーンです!アドバルーンで逃げる模様です!』

――芸が無いわよ!ピーチッチ!

階段を上りきった愛理が屋上へたどり着いた時、すでにそのアドバルーンは夜空に浮かんでいた。
それはゆらゆらと揺れながら、美術館からゆっくりと遠ざかってゆく。1週間前とまったく同じ光景だった。
414 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:10
今回こそは逃がすまいと、愛理は眠りこけていた石川警視をたたき起こして
警視庁のヘリコプターの中に押し込んだ。

「いったい、どういうことなの?」
「あの館長がピーチッチだったんですよ。ピーチッチが館長に変装してたんです」
「マ…マジで?」
「ずっと手袋してたからおかしいなと思ってたんですよ。たぶん、直接物に触れて
指紋をつけたくなかったんでしょう」
「そんな」

石川警視の顔が嫌な感じに引きつった。

『美術館3階の倉庫で本物の館長を保護しました!特に怪我も無いようです!』

そんな無線連絡が聞こえてきて、愛理は警視を見る。
警視はポカーンと口を開けている。

「開いた口が塞がらないって、まさにこういう状況のことを言うんですね」

415 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:10



所変わって、無事発見された美術館館長の自宅があるマンション前。
ここまで彼女を送り届けた石川警視の部下は、深々と頭を下げた。

「この度は本当に申し訳ありませんでした」
「そんな、起こってしまったことはもうどうしようもありませんから」

ひどく疲れた様子の館長は、弱々しく微笑んだ。

「それでは失礼いたします」

最後にもう一度お辞儀した後、刑事は敬礼してパトカーに乗り込んだ。
館長は頭を下げ、それを見送る。

車が完全に見えなくなってから、彼女はゆっくりと顔を上げる。
その表情はなぜか、先ほどとは打って変わって妙に明るかった。

彼女はなぜかマンションの中へ向かわずに、駐車場の方へと歩き出す。
駐車場の片隅には1台のバイクが停められていて、彼女はヘルメットを被り、
それにまたがって颯爽と走り去って行った。
416 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:11

そのバイクが停まったのは、喫茶店『しすたぁ』の前だった。

「いらっしゃいませぇ」

店長の道重さゆみは、閉店後だというのにも関わらず、
可愛い笑顔で彼女を招き入れた。

「やりましたよ、道重さん」

老女の格好をした彼女の口から、まだ若い少女の声が出てきた。
彼女はあれよあれよと変装をといて、ピーチッチ本来の姿に戻った。
本物の美術館館長だと思われていた人物は、なんとピーチッチだったのだ。
そうなると、アドバルーンに掴まって今もなお逃げ続けているピーチッチは一体――?

「じゃじゃーん」

高々と『こころのたまご』を掲げて、ピーチッチは自慢する。

「とりあえず、2連勝おめでと」
「エヘヘ。ありがとうございますぅ」

さゆみの祝福に、ピーチッチはピースサインで応えた。

――今度は海に落ちませんように。


417 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:12



ピーチッチを乗せ夜空を浮かんでいたアドバルーンは、ゆっくりと高度を下げ、
明け方に隣県の大きな公園にて着陸した。

「逮捕よ!逮捕!」

石川警視が手錠を振り回しながら急いでアドバルーンへと駆けつける。
愛理も(あまり足が速くないけれども)一生懸命走る。

「ちょっと!これ!」

ピーチッチだとばかり思っていた人物はなんとよくできたマネキン人形だった。
呆然とそれを見下ろす石川警視。
愛理は、人形に張り付いていた、見覚えのあるピンク色のカードを手に取る。

「…開いた口は、塞がりそうにありませんね」


   シンアイ ナル アイリーン ヘ

 レディパンサァ ノ オカエシ ダイセイコウ
 ツギハ ネムラサレナイヨウニ キヲ ツケテネ
 ッテ イシカワサン ニ ツタエテオイテ

   アナタ ノ カイトウ ピーチッチ ヨリ


――誰が”あなたの怪盗ピーチッチ”よ!調子に乗って!

418 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:13



翌朝。

『名探偵アイリーン/ピーチッチに完敗!』

「死んだフリとか、館長に変装とか、ピーチッチもよくやるよね」

舞美は新聞の一面と愛理の横顔を交互に見ながら歩いていた。

――べつに死んだフリなんてしてないけど。

とぼとぼ歩く愛理の隣で、桃子はルンルン気分で歩いていた。

1週間前、アドバルーンに掴まっていたのも、ピーチッチと見せかけてただの人形だった。
『リゾナントブルー』を盗み、屋上に逃げたピーチッチは、そこにこっそり隠していた
人形を素早くアドバルーンにくくりつけ、綱を切った。
そして追っ手が駆けつける前に屋上の隅に身を潜めただけなのだ。

本当ならアドバルーンがしぼんでどこか地上へ落下したときに全て明らかになる予定だった。
しかし、どうも結び目が甘かったのか、あの人形が途中で落ちてしまった。
それもよりによって海の中に。せっかく作った種明かしのカードも、全部パアになった。
419 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:13

苦労して準備したものが無駄になり、完璧主義のピーチッチは悔しくなってリベンジを決意した。
すぐにターゲットを『こころのたまご』に定めて、前と同じ方法で逃げようと画策した。
そのために、あの美術館の館長の姿かたちや声、仕草までわざわざ徹底的に調査して、
彼女になりすましたのだ。

犯行当日、本物の館長にも眠ってもらった。
彼女はもちろん、副館長や石川警視を眠らせるのも、簡単だった。
愛理が罠にかかるかかからないかは、単純な賭けだった。
かかれば楽勝。かからなかったら、直接対決だと覚悟していた。
420 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:14

「ピーチッチ、私の目の前に居たの。つかまえようと思えばつかまえられたの」

はぁ。重いため息をついて背中を丸める愛理の肩を、舞美が抱く。

「今回は負けたかもしれないけど、また次がんばればいいんだよ。
ここからが負けず嫌いの腕の見せ所じゃん?がんばろうよ」

明るく舞美が励ますが、愛理はずっとうつむいたままで凹んでいる。

421 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:14

「そうだよそうだよ。今回の反省をいかして、次がんばりなよ」

――桃みたいにね。

それは愛理の親友・桃子として、そしてアイリーンの天敵・怪盗ピーチッチとして、
両方の意味を持つ励ましだった。

「ねっ!」

有頂天の大泥棒はとびきりの明るい笑顔で、名探偵の肩を軽く叩いたとさ。


422 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:15

第10話 おわり


423 名前: 投稿日:2009/04/12(日) 03:18

ル ’ー’リ<ハッピーバースデイ愛理
从・ゥ・从<15歳おめでとう
洲´・ v ・)<でもこのスレの中では永遠の14歳…

424 名前:にーじー 投稿日:2009/04/12(日) 05:20
二話ともめちゃめちゃ面白かったです!!
これから二人の関係がどうなっていくのだろう…と楽しみにしつつ、
たまに登場する脇役も魅力的で、次に誰が出てくるのかも楽しみです。
425 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:01
 
426 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:02
夏、の朝。
陽射しを上品にさえぎる緑の木々と、そこから聞こえる鳥の声。色鮮やかな鯉の
泳ぐ池を庭に持つ、まさに『和』のイメージを全面に押し出した高級旅館。
その一室、障子のわざわざ木の部分を叩いてノックをするひとりの女性がいた。

「おはようございます。姫様、起きてらっしゃいますか?」

待つ間、すぅ、と鼻から息を吸うと、緑の香りが広がる。うん、いい。
高層のホテルではなく、いかにも日本を思わせる建物に泊まりたいと
言ってくれて、今なら良かったと言える。突然の滞在場所変更に夜中に
電話をかけまくって場所探しした苦労も忘れてあげられるわ。
って、あれ?
女性はふと意識を戻す。返事がないわ。

「……姫様?」
返事はない。眉根が寄る。もう一度、ちょっと乱暴にノック。やっぱり返事はない。

「失礼します」と障子を開け部屋を見渡す。誰も居ない。
代わりに目に入るのは開けっ放しの窓と、そこからの木々と池による緑と青に景観、
そして窓の柵に結ばれた、まるで脱出ロープのような白いシーツ。

女性はうつむくと額に手を添えた。
やがて喉からくすくすと声が漏れ、次第に大きな笑い声へと変わる。
「やってくれたわね、気まぐれプリンセス!」
427 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:03
◇◆◇

夏、の午前。
道路の上に陽炎が見えるほどの熱を持った空気の中を、ふたりの女の子が
並んで歩いてる。蝉の声を受けながらふたりとも背中を丸め気味にして、
ふたりとも目がやや虚ろんでいる。

「暑いね」
「暑いね。もうむしろ熱いくらい」
「いいなぁ愛理は。家族で台北かぁ」
「あぁ昨日写メ来てたね。自転車乗ってるの」

背中まで伸びた黒髪が美しい、美少女と言って過言じゃない少女。
矢島舞美の頬をつつっ、と流れた汗は顎の先からぽたっ、と地面へ垂れた。
見れば尋常じゃないほどの汗が玉になっておでこに浮いている。

もうひとりの少女、短く抑えた黒髪が童顔を一層際立たせている少女、
嗣永桃子も汗は掻いているが垂れるほどではなかった。
前髪に至ってはびしっと整えられており、ちょっとの風じゃ揺るがないほど。

夏休み。

部活がお休みの舞美と喫茶店「しすたぁ」のお手伝いおやすみの桃子は
暇を持て余し、ふたりふらふらしていた。
428 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:03
「さぁ、どこ行きたい舞美?」
「映画は? 今『冬の怪談』ってのやっててさぁ主演の子が美人で――」
「却下。なんで怪談なんて見なきゃなんないのよぅ。しかも冬の、って」
「怪談は夏にこそ見なきゃだよ」
「とーにーかーく! 桃は怪談苦手なの!断然エスカレーター!」

ぷっくり頬を膨らませる桃子にうぅ〜んと眉間に皺を寄せる舞美が
ふと足を止める。
それでも隣に舞美がいると思ってぶつぶつ呟いてた桃子が居ないことに気づいて
慌てて立ち止まった。

「舞美ぃ!」
「ねぇ桃、あれ」

舞美が指差す先には、真夏の光線を遮るためだろうか、中近東を思わせる
頭から布を被った姿の女性が自動販売機の前でまごまごしていた。

「困ってるみたいだね」

そう言う舞美を桃子がじと目で見る。また始まった、舞美の困ってる人
ほっとけない病。膝丈のスカートでたったっと駆けていく舞美のあとを、
ハーフパンツの桃子がちょこまかと追いかけて行った。
429 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:04
「何かお困りですか?」

振り返った姿は、舞美の予想と違っていた。もっと外国人っぽい見た目を
想像していたのに、長い黒髪、黒い瞳。その姿は日本人に近い。
イアリングとペンダントが揺れていた。

「あの、飲み物を買いたくて……」

イントネーションがやや違う。やっぱり日本人じゃないみたいね、と桃子は
心の中だけで呟いた。えりかちゃんと同じ中近東あたりからの出身かな?
ちらと桃子が舞美を見ると、きりっと真剣な顔をしていた。
もうすぐ舞美と桃子と愛理のクラスメイト・梅田えりかは交換留学の時期が
切れるため祖国アラビアへと帰るのだが、それを知った舞美は目が腫れるほど
泣いた。舞美は今心から思っている。きっとこの人、えりと同じ辺りから
来た人だわ。絶対!お役に立たないと!えりのためにも!
430 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/05(月) 22:04
「これ……」

手に持っていたコインを貨幣投入口に入れようとするも入らないみたい。
どれどれ見せてと受け取った舞美は、ん?と眉間に皺を寄せた。重いしそれに
黄金色だけど、500円硬貨とも違う。くるっ、とひっくり返しその文字を読んだ。

「えっと。にほん、こく……ござい、い、ろくじゅうねん……すて、まんえん……?」

きょとんとしてる少女、目を見開いて硬貨を見つめる桃子、笑い出す舞美。

「きっとからかわれたんだね。これおもちゃのお金だから、これじゃ買えないよ」

そっとそれを握ると、舞美はぶんと腕を奮い、投げた。一直線に飛んでいくそれを
桃子の視線が追うも、きらりと陽の光を反射して、空へ解けた。
舞美は100円玉と10円玉2枚を少女に渡し、にっこり微笑む。
「はい。これが本物のお金」
431 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:05
こくこくと缶コーヒーを飲む少女を、舞美はにこにこと見つめていた。年齢も近そうね。
「日本は初めて?」
「はい。私、初めて日本に来ました。ずっと憧れてて」
「一人で来たの?」と、桃子。
「えっと…………はい」

なんか今の沈黙、気にならない?
桃子は視線にそう意味を込めて舞美を見る。しかし視線の受け取り人は、
瞳に炎を宿していた。役に立たなきゃ!
舞美はいきなり、少女の両手を包むように、自慢の握力で、汗でしめった手で、
ぎゅぎゅっ!と握った。

「ね、もう観光ってした?」
「えっ?」
「はっ?」
「私達がいろいろ案内してあげる!」
432 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:05
言葉を待たずそのままスキップするように駆け出す舞美。手をひかれたまま
ついていく少女と、私達?と急な展開に慌てながらも小走りでついていく桃子。
ふたりに比べてやや背丈の低い桃子は、ちょっと必死気味。

「あ、名前聞いていい? 私は矢島舞美。こっちは嗣永桃子」と指で指しながら。
「エリナです。エリナ・マノと言います」
「じゃー、マノちゃんって呼ぶね!マノちゃん、よろしく。私のことはまいみーでいいよ」
「そんな呼び方誰もしてないじゃん」
「はい。えっと……まいみー……さん」

最初は何々?と慌て驚き顔だった少女も、だんだんと舞美のペースに乗せられてか
顔に笑みを浮かべ始めていた。桃子も両の手の平を上に向けてお手上げの
ジェスチャーを器用に走りながら。こうなった舞美を止めることなんてできないや。

三人の少女の駆けて行った後には、蝉の声と強い陽射しが残されていた。
433 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:06
 
※※ この物語は間違いなく「怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン」です。 ※※
 
434 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:06
 
 
怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン
 
 
  第11話 「はじめての経験!?夏、夏、夏、王女の休日」
 
 
435 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:07
◇◆◇

高級旅館のロビーで、中近東を思わせる衣装に身を包んだひとりの女性が
籐の椅子に腰掛けている。ゆっくりと脚を組み替えた。

ちら、と時計を見ると、もうすぐ10時半を過ぎようとしている。
そろそろ、あのお姫様も根をあげる頃かしらね。

日本のお金は希望通り与えてあるけど、そこらじゃ使えないような記念硬貨だし、
――だから嘘にはならないわよね――
何よりいかにも外国の者ですと言わんばかりの衣装じゃ目立ちまくりで
見つけるのも簡単よね。気が強いから泣いたりなんかしてないと思うけど、
落ち込んだりしてたらちょっと可哀想かな。

「マネティ様……エリナ姫様を探しに行かなくていいんですか?」

お付の者が恐る恐る声をかけた。か細い声。マネティと呼ばれた女性がちらと
そちらを見るとその声の持ち主はびくっ、と体をちぢこませる。
マネティはちょっとひるむ。そ、そんなに恐れなくてもいいのに……。

「そろそろ行こうと思ってたところよ。さ、一緒に行きましょう」
436 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:07
◇◆◇

「ありがとうございましたー」

店員の声に送られてひとりの少女がドアから飛び出した。首につけたペンダントだけ
そのままに、白いポロシャツにブルーのフレアスカートを着て、ポニーテールを
風になびかせてながら。

「どうです? 似合ってます?」

くるっ、と回るとスカートもふわり、と浮く。
桃子は「バッチリ!」と親指を立てた。

「でもいいんですか? 服なんて買ってもらってしまって」
「あの格好じゃ目立つしね。それに何より」

桃子は横の舞美をじと目で見ながら続ける。

「せっかくの桃のおごりでのお出かけが、
 怪談映画になるくらいならマノちゃんの服になるほうが100倍マシ」

今日のお出かけは桃子のおごり、ということになっていた。
437 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:07
予告状を送りつけ、警察を出し抜いて、見事に目的――主に宝石――を
盗み出す(ことが多い)、お茶の間の知名度も名探偵アイリーンと並んで高い、
ご存知怪盗ピーチッチこと嗣永桃子。
最近大して興味がわかなかったものの、居候先の主人・道重さゆみが
惚れ込んだため、盗むはめになった蒼き宝石・リゾナントブルー。

――桃ちゃん、これ!これどう!?さゆみすっごい欲しいの!

――えぇ〜。桃はそれほど興味ないですけど。

――さゆみの心には共鳴しまくり!決めた!さゆみ予告状出すから!

――え!?ちょ、ちょっと!みっちげさぁん!

頑張って風邪までひきかけた代償か、いつも「しすたぁ」のお手伝いで貰う
お駄賃が、ほんのちょっと多めにもらえたという訳である。

「カイダン……?」
「怖い話のこと」
「私、カイダンよりエスカレーターのほうが好きです」
「だよねぇ!怪談が好きだなんて舞美くらいだよ!」

ねー、と意気投合する桃子とエリナに、舞美がぷくっと頬を膨らませる。
「ほら観光行くよ! まずは電車に乗ろう、さぁ!」
438 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:08
「あ、あのマネティ様……エリナ姫様はどこ行かれたんでしょうね」
「お金も無いし服だって目立つはずなのに……」

腕時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。
マネティはぐっ、と拳をにぎった。
 
「こうなったら手段を選んでられないわね。
 絶対見つけださなきゃ。アレを持ってることもあるし」
439 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:09
◇◆◇

「あ、あのマネティ様……エリナ姫様はどこ行かれたんでしょうね」
「お金も無いし服だって目立つはずなのに……」

腕時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。
マネティはぐっ、と拳をにぎった。
 
「こうなったら手段を選んでられないわね。
 絶対見つけださなきゃ。アレを持ってることもあるし」
440 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:10
◇◆◇

古いお寺の説明を読む。顔の部分がくりぬかれた看板で写真を撮る。
電車の移動中にはノートを使ってお絵描き大会を開いたりする。
名物と言われるどこまでも伸びるお餅を両側からくわえて引っ張ってみる。
おみくじを引いて木の枝に結びつける。安物のサングラス売り場で即席
ファッションショーを始めてみる。いっぱいの荷物を持ったお婆ちゃんを
3人で助けて横断歩道を渡る。餌をまこうとして鳩が膝の上まで上がってくる。
そんな慌てた姿に他のふたりが笑い転げる。顔を真っ赤にしながらふたりに
向かって餌を投げるとふたりの姿も鳩にまみれてしまう。陽が傾きかける。
3人とも、ずっと笑ってた。

くたくたに疲れた足を休ませるべく、3人はピザで有名なシェー×ーズ、
……の隣の流行っていないおでん喫茶・恩あだ姉ちゃんにてぐったり休んでいた。

「なんでさぁ、声かけられるのが舞美とマノちゃんだけなわけ!?」
「あー。それは桃だからだよ」
「桃のプライド、ずたずたなんですけど!」
「ツグナガさんすっごい可愛いですよ」
「マノちゃん桃のこと大好きだもんねー。うふふっ♪さ、食べて食べて」

夏の暑さの中、エリナは大根をふぅふぅしてぱくり。
店の主人は奥のほうで椅子に座っており、お店には3人とテレビからの声しか
しない。そのテレビから――。
441 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:11
「ところで、先ほど入った情報ですが、日本にお忍びでプリンセスが
 来日されているらしいですね」
「はい。マノエリ公国の第一公王位継承者で、若干18歳のお嬢様」

その説明とともに映し出された写真は、今まさに桃子と舞美のとなりで
ちくわぶをほおばってる少女。

「あれ、マノちゃんだよね……」

そう舞美の指差す先を見て、ほっぺたをふくらませたまま、エリナは黙る。
目を伏せることしばし、口の中のものを飲み込むと、少しずつ語り始めた。
3人だけの世界が出来て、テレビの音はもう届かない。

我が国では代々公王位継承者がマノエリの名前を引き継ぐこと。
曾々祖母が若い頃に日本人に親切にされて以来、公王位継承前に一度は
日本に行くことが義務付けられていること。
そのため小さい頃から母国語と日本語の両方を習うこと。

「だから日本語が上手なんだぁ」と舞美。

そして、友達がいないこと。
442 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/05(月) 22:12
「昔はフットサルとかスポーツをしていて友達や仲間も多かったんだけど、
 公王位の継承権一位になってから、誰とも遊べなくなっちゃって」
「ひどい……」
「でも私は公国を治めるために学ぶことがいっぱいで時間もないから」

エリナはにこりとする。

「だって友達が作れないなんて!
 ……ねぇ。その公王位継承権とやらを失くすことはできないの?」
「えっ?」
「マノちゃんが継がない方法はないの?」
「ちょ、ちょっと舞美!」

エリナはちょっと考えて口にする。
「私の身に何かあって――」
「怖い怖い!そういうの無し!怪談禁止!」桃子が両手で耳をふさぐ。

やがてふと思いついたようにはっ、とエリナは「……ラキオラ」と呟いた。
443 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/05(月) 22:13
「私の国の言葉で『やさしい風よ』とか『不思議な光』という意味です」

エリナはきょろきょろと周りに他に誰も居ないことを確認してから、
ずっと首から外さなかったペンダントを開ける。
中には石から削り出したようなごつごつした形の、真っ白く輝く宝石があった。
確かに綺麗だけど、と桃子は平静な顔で見つめる。桃の好みじゃあないな。

「公王位継承者はこのラキオラを肌身離さず持つことを義務付けられています」
「これを失くしたらどうなるの?」
「……考えたこともないけど、継承権を失うのかも」
「この国にはね」と舞美が胸を張り気味に、一呼吸おいて続けた。

「予告状通りに活躍しちゃう、すっごい泥棒さんが居るんだから!」
桃子が飲みかけのおでん汁をこぼしそうになる。舞美なに言ってんの!?
泥棒に『さん』までつけて。愛理がいたら怒られるどころじゃないわよ。
444 名前: 投稿日:2009/10/05(月) 22:14
「矢島さん、ありがとう。
 でも私、自分の国が大好きで、みんなの役に立ちたいの。本当よ」

桃子はエリナの瞳を覗き込む。嘘を言ってるようには、見えない。

「でもマノちゃん、友達も作れないなんて……」
「友達なら」
エリナが左手で舞美の手を、右手で桃子の手をつかんで重ねた。
「もうふたりも、こんな簡単に出来たわ」

手を離したエリナは、ふたりの視線をよそに残りのおでん汁をずずっと
飲み干した。

「さ、そろそろ帰らなきゃ。付き人のマネティもきっと心配してるわ」
そう言うとエリナは両手を頭の後ろに回す。ぱさり、とポニーテールをほどく。
抑えつけられていた黒髪がふわっと広がっていくのが、舞美の瞳には
なんだかスローモーションに映って見えた。
445 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/05(月) 22:15
◇◆◇

「……と言うわけ」
「へぇぇ。そんなことがあったんだぁ」

国際電話の向こう側で鈴木愛理が驚きを込めて言った。

「そうそう。帰ってきたら詳しく聞かせてあげるから、早く戻っといで」
「ん。わかった。舞美ちゃんお土産なにがいい?」
「愛理の笑顔かな。とか言って」
自分で言いながら舞美は照れ隠しに笑う。

「えー。あ、うん。でも嬉しいかも、なんか」
愛理の声も上ずっていた。
446 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/05(月) 22:16
◇◆◇

夏、の夜。
クーラーの効いた応接間で、桃子がぽーっとつけっぱなしのテレビを見ていたところ、
突然エリナがテレビに映った。えっえっと慌てて舞美舞美と携帯でメールを
打とうとどこに置いたか探してて――。

「ところでお忍びで観光されたそうですが、どこが印象に残りました?」
「印象……」

そう言ったきり黙ったエリナに横に立っていた美女――この人がマネティさんかな、と
桃子が思った――がそっと囁きかける。
「どの場所も大変素晴らしくすべてが印象に残りました、とお言いください」

それを受けてエリナは続けた。
「どの場所も大変……楽しかったです」
「楽しかった、ですか」
「姫様!」
「日本を観光していた間、ずっとふたりの親友と一緒でした。
 3人で見た、聞いたすべてが宝物です。」

エリナの笑顔。
携帯で今にもメールを作ろうとしていた手を止めた。桃子も微笑む。しょうがないなぁ。
ねぇマノちゃん。あのラキオラ、桃の好みじゃなかったけど、もし。
もしマノちゃんが望むなら、遥か遠くの国だって、ピーチッチが盗みにいったげるから。

桃子の手の中の携帯が鳴る。見るまでもない。きっと舞美からのメールだわ。
447 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/05(月) 22:16
 
第11話 おわり
 
448 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/06(火) 00:59
シェー○ーズ キターーー!
続き楽しみにしています
449 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/08(木) 22:09
ちょ、梅さん、祖国w
450 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/09(金) 00:28
ココは閉鎖の噂がありますけど
この作品はどこか他でも見れますか?
451 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/10/13(火) 00:32
これは良いピーチッチ
452 名前: 投稿日:2009/12/06(日) 01:42
>>448
シェー△ーズ活躍のため名探偵にはお休みして
もらいましたが怒られなくて良かったです。

>>449
今頃は祖国でゆっくりお休み中でしょうかね。

>>450
怪盗と名探偵なんて、夢の中だけの存在かも。

>>451
それでもピーチッチは『怪盗』ですよ?
453 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/12/21(月) 16:06
最近飼育に来た者で、このスレを初めから読まさせていただきました。

ネタがw随所にネタが散りばめられていて、思わずクスリとする場面が多かったです。
お話自体も面白くて続きが楽しみです!

作者さんが複数いらっしゃるのに違和感があまりなく世界観がとても好きな感じでした。

それでは次の更新をお待ちしております。
454 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:41
 
455 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:41
私立ベリ宮学園――初等部から付属大学までを包括する巨大な女子校学園。
その高等部舎の自慢のひとつでもある、木漏れ日の通りをショートカットの女学生がひとり、
胸に教科書とノートを一冊ずつ抱えて歩いていた。ぱっちり開かれた瞳と、すっと通った鼻筋の、
ベリ宮学園高等部に数いる美人の中でもトップクラスと囁かれて、後輩少女達の憧れを
集めてやまない女性――矢島舞美が歩いていた。
456 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:42
この4月からベリ宮学園の最高学年となった(※1)矢島舞美は、前から歩いてくる人物を見て
「おぉ」とその美貌に似合わぬ言葉を漏らした。中等部の制服を着た少女。ゆるくウェイブした髪、
黒目がちでいつでも濡れている印象の瞳、やや突き出したアヒル口。あの子、知ってる。
たしか――。

「菅谷さん!」
「……あ!」

一瞬の間があってから、菅谷と呼ばれた少女――菅谷梨沙子はぺこりと頭を下げた後、
小走りに舞美の元へ近づいてきた。

「矢島先輩、髪切ったんですね。一瞬誰だか解りませんでした」

にこりとした笑顔が可愛く、舞美はちょっと照れる。左斜め上の、真っ直ぐ伸びた柏の木に
視線を一瞬移すことでその呪縛から逃れた。一端息をつき、それから視線を梨沙子に戻した。



(※1)そういう時間軸だとご理解ください。
457 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:42
「高等部舎に来たってことは、愛理に会いに来たの?」
「あ、違います」
「あれ、じゃあ桃?」
「それも違います」
「もしかしてあたし?……とか言って」

あはははっ、と舞美の笑い声は梨沙子からの予想外の回答でぶつっと斬られた。

「ママに」
「えっ?」
「ママに会いに来たんでーす。では矢島先輩、ごきげんよう」

ひらひらっと手を振りながら今自分が来たほうへ歩いていくその後姿を、
舞美は「えっ?」と聞いた仕草のまま、見送るはめになった。
木漏れ日の通りを、美しく遠ざかるその後姿を。
458 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:43
 
怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン



第十二話 「行くぜっ!怪盗少女」
 
459 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:43


「もーあたしすっごい驚いちゃってさ、動き止まっちゃった」

放課後、学校からの帰り道。舞美が高等部舎で梨沙子に出会った一連の話を
伝えたくてしょうがないという勢いで話しているが、それを聞いている舞美より
頭ひとつ分くらい背の低い少女――嗣永桃子ははりついたような笑顔を浮かべ、
髪の跳ねを手で直しながら抑揚のない声で「へぇー……」とつぶやいた。
跳ねを抑えるための、その右手の小指だけがぴん!と活き活きしている。

「もしかして菅谷さんのお母さんって、高等部の先生なのかなーとか」
「ふぅーん……」
「あでも菅谷って先生は確かいなかったよなーとか」
「ほぇー……」
「もしかして複雑な事情がーとか考えちゃてさ」
「ふぇー……」
「…………ちょっと桃、あたしの話マジメに聞いてないでしょ」

ちょっとむーっとしたような舞美の言葉に、桃子はそれまでの微動だにしなかった
笑顔を崩すと、どんよりした目で見つめ返し、そして呟いた。

「だってもうとっくにオチ解ってるんだもん」
「えっ?」
460 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:44
「梨沙子がさぁ、とある生徒のことを『ママ』って呼んでるんでしょ?」
「うっ」

舞美が胸を抑える。眉を下げて眉間にやや皺なんか寄せて。

「舞美には悪いけど、桃けっこう梨沙子と仲良しなんだから」

下の名前で呼び捨てしちゃえるくらいに。

「たぶん愛理もかなり仲良しだから知ってるし、これ読んでる人みんな知ってる」
「読んでる人?」
「まぁ、その辺はいいとして。だから舞美が『誰のことだろう?』とかってさ
 勿体つけて盛り上がってるのが微笑ましいなぁーって聞いてたの」

自分より背の高い舞美の頭に手を伸ばす。
よしよしまいみたんかわいいねーと頭を撫で撫で。
さらにむすーっとしながらも、意外と心地よく舞美はされるままになっていた。
461 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:45


さてさて。読者の皆様は不思議に思っておられるかも知れません。
菅谷梨沙子と同い年でありながら、飛び級によって矢島舞美、嗣永桃子と
一緒の高等部に通う天才少女、鈴木愛理はどうしたのかと。
鈴木愛理はこのふたりより一足先に帰り、警察署に居ました。
警察官の制服やスーツ姿の中に、ぽつんと浮いてる制服姿の少女。
ポニーテールをゆらゆら揺らしながら、渡されたカードをじっくり見つめていた。
462 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:45
 
次の金曜、夜12時
『ハピネス』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
 
463 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:46
「久々ね」

愛理の横顔にやや上ずった声で話しかけるのは、警視庁捜査一課の美人と誉高い
石川梨華警視。そして鈴木愛理のまたの名は、名探偵アイリーン。
怪盗ピーチッチ捜査の全権を握るコンビが、久々に顔を合わせている。

「……とか言いつつ、『しすたぁ』でたまに会ったりしてたんで、
 警視庁で会うのが久々ってことなんですけどね」
「どうしたの、急にそんなこと補足して?」
「あ、いえいえ」

今朝この予告状が届いたのは、寺田光男が経営する都内宝石店。
前に『VERY BEAUTY』がピーチッチに盗まれた、あの宝石商の店舗である。

「名誉挽回のチャンスね、愛理ちゃん!」

梨華がぐぐっとこぶしを握りながら言う。
その熱気に押されてか、愛理も力強く「はい!」と答えていた。

――VERY BEAUTYの恨みはらして、ピーチッチ捕まえちゃうんだから!

愛理がすっと息を吸う。予告状からかすかに桃の香りがした。
464 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:48


「よいしょ」

声にあわせてテーブルに紅茶を置いた。イスに座る。
テーブルにどさりと積まれたコピー用紙を丹念に見ていく。どこかの
家の見取り図のようだった。その紙の右上隅に書かれている言葉は――。

『寺田宝石商 警備装置図 2010/05/17版』

嗣永桃子こと、予告状の出し主こと、怪盗ピーチッチはその図面を
赤いボールペンで丸く囲ったり、さらさらっと文章を書いたり、
桃をモチーフにしたキャラクターを描いたり(※2)と事前対策に余念がなかった。
VERY BEAUTY盗難後に導入された装置は、かなり大掛かりに見えるから、
きっと相当自信持ってるはず。この装置を活かしといて直前で裏をかくか、
最初から無効にさせて相手の気力をそいてしまうか……。
と、そこで桃子の前にある装置がピカピカと光を放ち始める。
桃子は慌てず騒がずその装置のボリュームを上げた。
聞こえてくる、電話の呼び出し音。やがて――。



(※2)息抜き。
465 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:48
『もしもし? 愛理です』
『あ、愛理ちゃん。今日はありがとね。学校終わるなり警視庁まで来てくれて』
『いえいえ。久々のピーチッチからの予告状ですから』
『でね、あの。予告状にあった宝石。ハピネスなんだけど』
『はい』
『売れちゃったんだって』

『はいぃ?』
「はいぃ?」

声がぴたりとかぶった。
466 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:49
『あの寺田宝石ってば、欲しそうなお客が居たからって』
『はぁ』
『これ幸いに売っちゃったらしいわよ』
『はぁ』

愛理も桃子も呆然としている。何、この結末?
というか。愛理は唇を尖らせる。なに、警察はそんなにあてにされてないの?

桃子はテーブルの上の図面に視線を落とす。目星をつけかけてたこの
侵入&脱出のルートは無意味になっちゃうってわけ?

『買った相手は解ってるんですか?もしかしたらピーチッチ、そっちに行くかも』
『こっちもそう思って調べたわ。ハピネスとかみたいな
 一点ものの宝石の売買なんて一日にそんなに行われないなからすぐ解った』
467 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:49
ハピネス。
遥か昔どこかの国王が、恋人の涙に胸の中をしめつけられた時に、
幸福になって欲しいと贈ったという噂のある、10月の紅葉のように真っ赤なルビー。

「誰だれ? どこの誰?」
『誰だれ? どこの誰です?』

『もしかしたら愛理ちゃん知ってるかも。
 その人の娘さん、ベリ宮学園の高等部に通ってるんですって』
『えっ?』
『須藤さんって子、知ってる?』

すどうさん。

『知ってるも何も――』

「隣のクラスですけど……」
468 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:50
桃子の脳裏に浮かぶ須藤さんの姿は、
真っ黒のストレート、吸い込まれそうな瞳、優しい微笑み、ふっくらした唇。
そんなに親しく話したことはないけれど、
同学年でありながら見た目も考え方も桃や舞美よりずっと大人って印象がある。

「桃ちゃんの学校って、ほんとお嬢様が多いわよねぇ」
「うわぁ!」

気配もさせずに突然後ろから響いた声に、桃子は飛び上がりそうになる。

「みみみみみみっしげさぁん!」

漆黒の髪をツインテールにし、かわいらしさ全開の衣装に身をまとめた、
喫茶「しすたぁ」の店長の道重さゆみが桃子の後ろに立っていた。
「しすたぁ」の閉店準備を終えた直後のようで、まだエプロンをつけている。
……ぶっちゃけ、須藤さんのほうが大人っぽく見える。
469 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:51
『でね、須藤さんのお家にはピーチッチの予告状が来たこと伝えなきゃなって』
『そうですね。あ、石川さん、伝えるときに……』
『解ってる。買ったのと入れ違いで予告状が来たって言って、でしょ?』
『さすが石川さん』
『愛理ちゃんなら、寺田宝石の評判を思いやるだろうなって思ってね』

確かに、とさゆみはうなづく。
狙われてることを隠して売りつけたことがばれたら、この先やってけないかも。

『明日朝イチでちょっとお邪魔して直接伝えてくるわ。
 寺田宝石にハピネスがないことも口止めしとかなきゃだし』
『須藤さん家にハピネスがあることが広まったら大変ですもんね』
『今後どうするかは明日また考えるとして、
 金曜日の夜のスケジュールは空けたままにしておいてよ?』
『はい』
『じゃ、愛理ちゃんおやすみー』
『おやすみなさい、石川さん』

そこで通話は終わった。桃子もボリュームをまた小さく戻した。
470 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:51


「しっかし、ベリ宮おそるべしね。
 親御さんがプロゴルファーの子がいて、ロシアの親善大使に選ばれた子がいて、
 ファッションモデルになる子がいて、BERRY FIELDSを買う家系の子がいて、
 ハピネスを買っちゃう家の子までいると」

ハピネスは、VERY BEAUTYやジンギスカンに比べれば市場価値は低いが、
だからと言っても一点もの。決して軽く買えるような安い宝石ではない。

「まぁ、逆に桃や舞美やみーやんみたいな普通の子も多くいますけどね」
「ハピネスは諦めよっか。
 同じ宝石にもう一度予告状を出しちゃうと、狙う理由がばれちゃうかもだし」
「うん……」
「何より『ジュエル』はそれこそ他にいっぱいあるもの」

さゆみがそっと視線を向けると、
桃子は親指の爪を唇にあてて軽く噛むような仕種をしていた。
……迷っている?

桃子は机の上の写真――今回の標的――を手に取った。
満月を思わせる真円の、表面に細く刻まれた Happiness の文字。
とろん。桃子の細い目がいっそう細くなった。可愛い。ハピネス可愛い!

目を潤ませる桃子を、さゆみはじと目で睨んだ。この……マテリアル・ガール!
471 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:52


私立ベリ宮学園高等部舎の自慢のひとつ、
木漏れ日の通りをショートカットの女学生がひとり、
胸に教科書とノートを一冊ずつ抱えて歩いていた。矢島舞美が今日も歩いていた。
472 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:52
矢島舞美は、前から歩いてくる人物を見て「おぉ」とその美貌に似合わぬ言葉を漏らす。

「菅谷さん!」
「……あ!」

一瞬の間があってから、菅谷と呼ばれた少女――菅谷梨沙子はぺこりと頭を下げた後、
小走りに舞美の元へ近づいてきた。

「矢島先輩、髪切ったんですね。一瞬誰だか解りませんでした」
「え、いや、それ昨日の言ったよね」
「そうでしたっけ?」

こめかみに人差し指をあてる梨沙子の姿に、舞美の頭を、天然、という言葉がよぎった。
473 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:55
「ところで、今日もママに用事?」
「……あ、違います!」

思い出したように梨沙子が叫んだ(※3)。

「桃子先輩に用があるんでした!矢島先輩、ごきげんよう!」
「ごきげんょぅ…(※4)」

舞美が返事を言い終わるまで待たずに慌てて走り出す後姿を見て舞美は思っていた。
あたしも下の名前で呼ばれたいな……。



(※3)実際忘れていた。一歩歩いて赤ちゃん。
(※4)返事を言い終わるまで待たなかったことの視覚的効果
474 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:55
勢い良く桃子達の教室までやってきた梨沙子は、
その勢いのままドアを開けた――とみせかけてできるだけ音を立てないようゆっくりドアを開けた。
そして身をかがめて桃子の席に近づくと、
席に座って落書きをしている桃子の右斜め後ろからそおっと囁いた。

「桃子先輩……」
「うわぁ!!!」

びくっと背筋を伸ばしながら、おびえた目で振り返ると、そこには美少女の姿。

「……梨沙子?」
「はい!」

そう答えるなり、梨沙子は桃子の手をひっぱって教室を出て行った。
呆然と見送る桃子のクラスメイト達。そして、その中には愛理の姿もあった。
475 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:56


中等部体育館の裏。陽も射さず少し肌寒く、誰も来そうにないそこに、
桃子と梨沙子は来ていた。

「どうしたの? こんなところまで連れてきて」
「ピーチッチが……」
「ピーチッチ?」
「ママの、須藤茉麻ちゃんのお家の宝石を狙ってるって聞きました」

眉を八の字にした困り顔で梨沙子が言う。桃子の心臓がとくんと音を刻む。
そっか、こういうことが起こる可能性もあったんだ。
476 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:56
「桃子先輩とピーチッチって、亜夢ちゃんとしゅごキャラみたいな間柄なんですよね?」
「え? あの、全然伝わってこないんだけど?」
「もしくは、きらりちゃんとなーさんみたいな関係なんですよね?」
「そのふた組は梨沙子の中で同じような扱いなの?」
「あたしはずっとそう思ってたんですけど……違うんですか?」
「違うとかあってるとかどこで判断したらいいのか……。
 ちなみに梨沙子の中ではどっちがなーさん?」
「お願い! ママの家の宝石を盗らないようにピーチッチに伝えて!」

じわり。梨沙子の目には涙が浮かぶ。
が、それはさておき、あれ? と桃子は首をかしげた。
石川さん朝イチで連絡と口止めに行ったんじゃないの?
これどう見ても須藤さんから梨沙子に漏れたっぽいよね……?
なるほど……。

「桃子先輩、お願いします。あ、人が来たらまずいからあたし帰ります!」

言い終わるか終わらないかのうちに、梨沙子は走って行った。
その後ろ姿を見ながら桃子は思う。桃の質問、全部無視されたなー……。
477 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:57


『でね、あたし思うんだけど』
『はい』
『ピーチッチは寺田宝石商のところにあらわれる。
 でもハピネスはどこにも見つからない。その後どうすると思う、愛理ちゃん?』
『ピーチッチって狙ったものしか盗らないから、たぶん何も盗らずに帰――』
『いや違うね!
 寺田宝石にはね、もう1個おっきな赤いルビーがあんのよ』
『石川さん、赤いからルビーです……』
『あ、そうなの? まいいや。
 そのルビーはね、価格がおおよそハピネスの3倍くらいなんですって!』

ふたりの会話を盗聴していた桃子は、この言葉で「はぁ」とため息をついた。
石川さん……ピーチッチのことまだ解ってない。

『その名も「赤いフリージア」! これだね。これを守らなきゃだね』

それ『ジュエル』じゃないし、そもそも桃の好みの造形じゃないし、
って言うか寺田宝石に「赤いフリージア」があるのって超有名だし!
VERY BEAUTYの頃から置いてあるけど今日までずっと無視してきたし!
478 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:58


金曜の夜。
制服姿の警察を引き連れて寺田宝石へ向かう石川警視を横目に、
愛理だけ別行動で須藤家に向かった。
途中で二度三度とため息をつく。
石川さん……ピーチッチのことまだ解ってない。

「アイリーンちゃん、いらっしゃい」
「夜分遅く失礼します」

愛理を出迎えてくれたのは、隣のクラスで顔はもちろん知っているが
そんなに親しく話したことのない少女、須藤茉麻だった。
いや、少女というか……大人の女性かも。
背中までの長い黒髪。高く広い背。落ち着いた態度と微笑み。
少なくとも、と愛理は心の中で思う。石川さんと同じくらいかちょっと上に見えるわ。

「どうぞこちらへ。明日も学校あるのに、わざわざありがとね」
「こちらこそ。ピーチッチが来ない可能性のほうが高いのにおじゃましちゃって」

そう。ここにハピネスがあることは極秘の情報のはず。
茉麻は愛理の言葉を聞いたあと、
照れたように軽くはなの頭を掻きながら
「明日が休みなら梨沙子も呼んだんだけどね」と笑った。
479 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:58
「ハピネスはどちらに置いてあるんですか?」
「その角の先に父の書斎があって、その金庫の中だよ」

書斎には茉麻の両親と妹が居て、須道家の人間が勢揃いしていた。
愛理が丁寧にお辞儀をして、テレビに出たりする子なのにその落ち着いた態度で
印象を改めたりしている。

「今日はよろしくお願いします。ハピネスはこちらに置いてあります」

言うなり茉麻の父は愛理に背を向け、
ボタンを隠すような姿勢を取りながら数字の入力をはじめた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。……カチャ。
音を数えていた愛理が眉間に皺を寄せる。
4回入力で開くタイプのか。ピーチッチこういうの得意そうだなぁ。

「……おや?」

ハピネスを収めたケースの上に、カードが乗っていた。
見慣れたピンク色の、かすかに桃の香ただようカード。愛理の動きが固まる。
480 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 22:59
 
テシタ ニ メンジテ ハピネス ハ ミノガシテ シンゼヨウ

                             カイトウ ピーチッチ
 
481 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 23:00


この瞬間よりおよそ3時間前。

「ただいま」
「あれ、桃ちゃん? もう帰ったの? 早過ぎじゃない?」

帽子を取り、暗視ゴーグルを取り、コートを脱ぎ、スカートを取り、
黒いボディスーツも脱いで、桃子はおなじみの部屋着に着替える。

「防犯対策は一般レベル。金庫はどこにでも売ってるタイプで
 4桁のパスワードは予想の2個目で開いた。何もかも意外性なし」

さゆみの淹れた紅茶に角砂糖を3個溶かすと、
桃子はふぅふぅ冷ましてから飲み始める。

「んー。みっしげさんのお茶、美味しぃ♪」
482 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 23:00


翌、ベリ宮学園へと向かう通学路を3人の制服の少女が歩いている。
晴れやかな顔でハロスポを持つ舞美とは裏腹に、
愛理の顔は落ち込み、桃子は笑いを堪え平静を装っていた。

『ピーチッチ現われず!石川警視の警護に恐れをなしたか!?』

「って書いてあるけど……?」
「まぁ、寺田宝石店に現われなかったのと、盗まなかったのは本当だから、
 あながち大間違いでもないから……いいのかもしれないけど……」

愛理の顔はますます曇る。

「ピーチッチは須藤さんの家に『ハピネス』があることを知ってた訳だから、
 警察の負けと言っていいわ。情報統制大失敗」
「失敗って?」

舞美の問いに、はぁ、とため息をついてから愛理は続ける。

「石川さんね、須藤さんの家に行って『ハピネス』を買ったことは秘密に。
 ピーチッチが奪いにお宅まで来るかもってお家の方に伝えたんだって」
483 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 23:01
「石川さんは『ハピネス』の持ち主と思われる
 須藤さん家の奥様に伝えたつもりだったんだけどぉ……」

ぽん!と桃子が手を打つ。

「隣のクラスの超大人っぽい須藤さんに伝えちゃった!」
「その通り。ピーチッチが来るかも!ってことを知った須藤さんが
 抑えられずついつい周りにちょこっと漏らしちゃったんだって。で、そこから」
「広がってしまったと」
「あー。須藤さん大人っぽいからねぇ。なんたってあだ名がママだもんね」
「そしてそんなうっかりをしてしまった石川さんはぁ……」
「石川さんは…?」
「自分のことを『梨華のばか!ばかばか!』って責めながらぁ……」

そこで愛理はくすくすふき出す。

「自分で自分を叩いてたんこぶ作ってた!」
「しょーもない……」

舞美と桃子もくすくす笑う。憎めない人だなぁ。
484 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 23:02
ふと、桃子は空を見上げる。
『ハピネス』を買ったのが知っている人でなかったら、どうしただろう?
やっぱり「狙い」が定められるのが嫌で諦めただろうか?
浮かんできた疑問を、ぶんぶんと頭を振る仕草で追い払う。
よそう。
たらればは考えない。
もしも、を想定するのは、盗み出す方法だけ。そう決めたじゃないか。
485 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 23:02
第十二話 終わり
486 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 23:03
 
487 名前: 投稿日:2010/06/05(土) 23:03
 
488 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/06(日) 01:39
更新乙です
そうかリアルでは大学の年かぁ〜
489 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/07(月) 00:49
おお、新作!
ママは・・・石川さんだけを責められないけど、ねw
490 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/07(月) 12:59
まさかのももクロw
491 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:46


涼しい風が心地よくて、いつもよりちょっと足を伸ばすことにした。
ついこないだまでの暑さは嘘のように引いている。
夜のジョギング。舞美はもっと汗を掻きたいと思っていた。
この時間帯は車通りのほとんどない交差点。
いつもなら左に曲がるはずを右へ。愛理の家のほうへと折れていった。
492 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:47
次第に家一軒あたりの間隔が広くなっていく。
つまりそれは一軒あたりの土地が広くなっているって事だ。
そしてこの通りの遥か先に愛理の家はある。
493 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:47
この時間にはもう静まった住宅街で、ダン!ダン!と音が響いてきて
舞美は思わず立ち止まった。
音のほうへ近づいてみるとそこは金網に囲まれたバスケットコートで、
一人の男の子がサッカーボールのリフティングをしていた。
舞美はなんとなく邪魔をしてはいけないような気がして、金網の外から
その姿をじっと見ていた。
494 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:48
何度かのリフティングでリズムを計った後、少年はボールを高く蹴り上げる。
そのままゆっくり落ちてくるボールを右足でダイレクトに蹴ると、
吸い込まれるようにバスケットのゴールに決まった。

その美しいシュートと。
グッと小さく決めたガッツポーズと。
星明かりに照らされた爽やかな笑顔に。

舞美は恋をした。
495 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:48

怪盗ピーチッチvs名探偵アイリーン


第13話 「舞美にめぐる恋の季節! 誰にも見えない宝石と少年」
496 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:49


「…嘘でしょう?」

頬を赤らめながら昨夜の出来事を語る舞美に、愛理はお弁当のおかずを
運ぶ箸を止めた。
目をぱちぱちさせながら、思わずそう言ってしまう。
桃子に至っては箸を咥えたまま動きを止めていた。

「どういう意味?」

舞美が口を尖らせるのを横目に、愛理と桃子は顔を見合わせ頷き合う。

「舞美が関心を持つこと言えば食べることと」
「体を動かすこと」

今度は舞美が箸を咥えたまま目をぱちぱちさせていた。
あ、あたしのパブリックイメージってそんななの?
497 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:49
「で、その子を見たのが愛理ん家の近くの公園で」
「あー。あのバスケットゴールのあるところだ?」
「そうそうそう…でね」

舞美はにこにこっと笑顔を愛理に向ける。
愛理はなんか嫌な予感がした。

「名探偵アイリーンにお願いなんだけどぉ…」
「その男子について調べてほしいと」
「そうそうそう! 桃の言う通り!」
「げっ」

そう言いつつも愛理の顔はにやにやしていた。
友達のコイバナはやっぱり協力したいし、わくわくするものなのだから。
498 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:50


「ねぇ舞美、昨日の夜も行ったんでしょ? 会えたの?」
「会えなかった」

お昼ごはんの合間に聞く桃子に、舞美は元気なく首を振って答えた。

「結構長い時間その辺をうろうろしてたんだけど」
「いや捕まっちゃうよ、それ」
499 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:52
「えー…そんな舞美ちゃんに悲しいお知らせがあります」

ごはんを食べ終わった愛理は、お箸を丁寧に置き、おおきなあくびを
ひとつした後で切り出し始めた。

「昨日あの公園の管理人さんに聞いてみたんだけど」
「うん」
「おととい利用を申請してた男の子はいなんだって」
「えっ?」

舞美が怪訝な顔をする。
さらに追い討ちをかけるように愛理は続けた。

「よく夜にそこに行く私の友達にも聞いてみたんだけど」
「うん」
「男の子なんて全然見たことないって」
500 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:52
「あの公園ってほら、色がパステル系に塗られてるからか、男の人の利用って
全然ないんだって。利用料も市の施設に比べても高めの設定みたいだし」
「だ、だってだって」
「こっそり忍び込んだんじゃない?」

口をもぐもぐさせながら聞く桃子に、首を振って答える愛理。
眠たげな目から昨日の調査に頑張った様子が伺える。

「高い金網が張ってあるから、忍び込むなんて到底無理。結論。男の子なんて
誰も知らない、見ていないのよ」
「ってことはまさか」

ごくりと誰かの唾を飲む音。
501 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:53
「これ?」

舞美は胸の前に腕を寄せ手をだらりと垂らす。恨めしやのポーズだ。

「やだやだやだ! 昼間っからそんな話禁止ぃ!」
「でね、もういっこ残念なお知らせがあって」

愛理の普段から申し訳なさそうな顔がさらに申し訳なさそうな顔になる。

「調査の続きはちょっとおあずけになります」

舞美がきょとんとした顔をする横で、桃子には話の先が読めていた。
愛理は舞美と桃子の顔を交互に見る。

「実はピーチッチから予告状が届いたのよ」
502 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:54


今夜12時、
『ワープ』を戴きに参ります。

怪盗ピーチッチ
503 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:56


キューティーサーキット科学博物館に保存されている高透明度水晶、ワープ。
あまりの透明度にすべての光線が透過するため、特殊な光をあてないとその存在が
視認できません。
発見当初は神出鬼没な宝石と思われていたためにその名前がついたとされています。
504 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:56


説明書きを読んだ梨華がそっと指先を伸ばす。
何もない空中で確かに硬い何かに触れた。

「本当にあるのね。見えないのに、なんか不思議」
「ここに来るの久しぶりです。もぐもぐ」

愛理がワープを知ったのは小学校の社会科見学だった。
理屈では解ってもやはり見えないものに触れられることに感動したことを
覚えている。

「愛理ちゃん、なんか食べてる?」
「ガムです」

愛理はポケットに手を入れると眠気覚まし効果のあるガムを取り出して見せた。
505 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:57
「昨日ちょっと夜更かししちゃって」
「あら。なんかあったの?」
「実は舞美ちゃんがですね、恋しちゃったらしくって」
「えーなになにそれ!? ちょっと梨華お姉さんに話してご覧なさい!」

梨華が目をキラキラさせて愛理につめよった。なんか鼻息も荒い。

「近い近い。石川さん近いです」
「なによ教えなさいよぉ。いやしかしあの食べることと体を動かすことしか
興味なさそうだった舞美ちゃんがねえ」

警察官達はすでに警備配置に就いており、ここには梨華と愛理しかいない。
思わず愛理は胸を撫で下ろす。
こんな女学生みたいな石川さんの姿、部下の人達に見せないほうがいい気がする。
506 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:58
たくさんの子供達が遊びながら学ぶことを想定したここは、展示物と展示物の
間が広く設定してある。
よく言えばピーチッチが身を隠すスペースは少ないが、悪く言えばピーチッチの
動きを制限する障害物がない。梨華は考える。
宝石まで近づくのは難しいけれど、もし宝石を盗られてしまったら、たぶん
止められずそのまま逃げられてしまうだろう。
507 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 00:59
梨華が時計を見ると丁度23:29から23:30に変わったところだった。
愛理はワープの傍で目を凝らしながらガムをまだ噛み続けている。
あくびをかみ殺す梨華。

「ねぇ愛理ちゃん、あたしにも眠気覚ましの、ガムちょうだい」
「なんで?」

間髪入れずに返ってきた愛理の言葉に梨華が怯む。
しかし愛理はぺろっと舌を出した。ポケットからガムを出しながら。

「なぁーんて。嘘です。はいどうぞ」
508 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:00
愛理には勝算があった。
すでにワープを視認させるための特殊ライトは修復不可にして停止している。
そしてワープを照らすためのライトも準備万端だ。
対象物が『見えない』だけでも宝石を護れる確率はぐんと上がるはず。

「石川さん。たぶんもうすぐ電気消されます」
「えっ…どうして?」
「あたしならそうするからです。どうせ対象物が見えないならいっそ」

愛理がそこまで口にした時、建物内のすべての明かりが消えた。
消された。
509 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:00
ピーチッチは暗闇の中で息を潜めていた。
焦らず騒がず耳をすまし指先足先の神経を尖らせる。

もし私がアイリーンなら、まずワープを視認させない。
そしてきっと私が電気を消してくると思ってるだろうから、護るのと消すのを
両立させるために明かりを。

桃子がそこまで考えた時、一条の強い光がワープの台座を照らした。
510 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:01
「うわぁ! 何もない! もう盗られちゃった!?」
「石川さん、元から見えませんから!」

いきなりの強い明かりが点いて誰もの目が眩むが、ピーチッチはこの台座周りだけを
照らす展開を読んでいた。
この一瞬に宝石まで距離を詰める準備をしていて、その通りに実行する。
音は多少たててしまってもいい。石川さんが絶対悲鳴とか声とか上げるはずだもの。
511 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:04
ワープの周りをガラスで囲ってはいないみたいね。

ピーチッチは胸に手を差し込むと、拳銃を取り出した。
先端には吸盤がついている。
ワープのあるべき位置に向かってトリガーを引く。
ワープを視認させるためのそれは音もなく飛び出すと、ワープのあるべき位置を
通過してその後ろの壁に張り付いた。

ずらしたのね。

ピーチッチは顔をしかめる。
ワープはその性能こそ興味を惹くものの、価格として大したことがないことと
警備の数の少なさからピーチッチはワープを動かしていないと考えていた。
すぐに見失いがちのワープは、ずらしてしまえば警備がままならない。
512 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:05
「石川さん、今なんか虫みたいの飛んでませんでした?」
「虫? そんなのいた?」

ピーチッチは作戦を変えた。脱出を確実にする。
館内の電気ももうすぐ修理が完了してしまうかもしれない。

ピーチッチは拳銃を胸にしまうと、そのまま今度はピンポン玉ほどの黒く丸い玉を
取り出した。
台座までの位置を頭の中に置き、行動をシミュレートする。
それからぴょっと飛び出た紐を引き抜くと、床に転がした。

「えっ?」
513 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:05
爆発と見紛うほどの光に、アイリーンと梨華と入り口付近の警備員の目が眩む。
ピーチッチは台座へ向かって飛び出し念のため台座の中を一度手でさらう。
ワープはやっぱりなかった。
もうひと玉、光らせる。
ピーチッチは排気ダクトを開けると、そこには入らず男子トイレを飛び込み
屋根裏へつたった。
来る時に張った蛍光テープの目印を剥がしつつ素早く無事に外へ出てそのまま、
闇に溶けて消えた。
514 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:06


「ワープ、盗られちゃった?」

静まった館内で梨華がしょんぼりとつぶやく。

「確かめてきます」

愛理はもうピーチッチは逃げたと確信しつつも、注意深く台座へと近寄る。
手を伸ばして台座の床をさらいワープがないことを確認すると、その手を壁つたいに
這わせ始めた。
515 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:07
「愛理ちゃん? なんで壁を触ってるの?」
「無事です。ありました!」

愛理は親指と人さし指の間に、見えない何かをはさんで持ち上げた。
えへへーと八重歯を覗かせて笑う。

「ガムの粘着力で壁にくっつけておいたんです」
516 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:07
とりあえずワープを守り抜いて笑顔の梨華が、開きっ放しの排気ダクトの調査を
部下に依頼している傍で、愛理は胸を撫で下ろす。

あの発光の中で無事逃げ出すなんて、この障害物の少ないここならではの
脱出方法ね。
正確に逃げ道を把握してたみたいだから、もしワープが台座にあったままなら
きっと盗られていた。
台座の傍にはあったのに、見えなかったから。

愛理の頭をふと何かがかすめた。

待って。もしかして。
もう答えはそこにあったのに、私達に見えなかっただけじゃないの?
517 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:08


空気が澄んで感じる。
街路樹の影に入るとなんとなく肌寒ささえ覚える朝に。

『ピーチッチ敗走? アイリーン大勝利!』

舞美が高らかに新聞を読み上げる声が響いていた。
518 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:09
まるで自分が活躍したかのように嬉しそうな舞美と、まさに自分が敗走したかの
ように唇を尖らせる桃子。
そしてやや思いつめたような顔の愛理。

「なに愛理。大活躍だったってのに浮かない顔じゃん」
「ねぇ舞美ちゃん」

桃子の言葉に答えず愛理は舞美へ向き直る。

「なに? あたし?」
「桃もさ、今日のお昼、裏庭に来てもらっていいかな」
519 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:12


「ここでご飯食べようってことー?」

桃子が腕を組み、両の二の腕をさすりながら言う。
気温が下がってきた今、この場所は日もささず肌寒い。

「舞美ちゃんが好きになった男の子のこと、解ったかも」
「えっ」

舞美がぽっと頬を染める。
桃子も驚きを隠さない。
昨日はピーチッチの件もあったってのに、あの後から調べたっていうの?
520 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:12
「舞美ちゃんが好きになった子は、幽霊なんかじゃない。本当に居たと思う」
「でも、誰も男の子なんて見てなくて、知らないって」

愛理はちらと右後方を見る。遠く時計塔が12:15を指しているのが見えた。
まだかな?

「昨日も行ったんでしょ? で、会えなかったんでしょ?」
「うん」

愛理は少しずつ想像を確信に変えていく。

「私の友達がよく行くって言ったじゃん。だいたい週に2回、使って3回って
言ってたの」
「どういうこと?」
「答えはそこにあったの。ただ私達に見えてなかったのよ」
521 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:13
「え。ねぇ、ちょっと愛理。もうちょっと解るように説明して」
「えー…そんな舞美ちゃんに悲しいお知らせがあります」

愛理は舞美と桃子の背中の遥か向こう、やや駆け足でスカートをはためかせ近づいてくる
中等部の制服の少女を見つめていた。
愛理の傍で少女は立ち止まる。弾む胸を抑えつけながら言った。

「ごめん愛理、ちょっと遅れちゃった」
「こっちこそお昼時間に呼び出してごめんね、ちっさー」

桃子にはさっぱり解らない。
横に立つ舞美に聞いてみようとふと横を見て、桃子は動きを止める。
舞美が能面のような顔で、微動だにせず立ち尽くしていた。
522 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:14
「紹介するね。えっと、あたしとりーちゃんと同い年の、ちっさーです」
「あ、ども。岡井千聖です」
「で、こっちが今あたしと同じクラスの桃と舞美ちゃん」
「どうも。嗣永桃子です」

人懐っこい笑顔で笑う日焼けしてショートカットのボーイッシュなその少女を
前にして、舞美は胸に手を当てたまま言葉を発せないでいる。
そしてさすがに舞美が固まった理由が解った桃子も、無理にしゃべらせようとは
させなかった。
523 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:15
「ちっさーは昔っから男の子っぽいって言われてて、岡井少年なんてあだ名が
ついてたりしたの」
「ちょっと愛理、初めて会う人の前でそんなこと言わないでよ」

そんなきゃいきゃいしたやり取りは、舞美と桃子には届かなかった。
愛理には解らなかった。
でも桃子には解っていた。

失恋のショックってだけじゃない。
舞美の視線はこの岡井ちゃんの顔というより顔に似合わぬ大きな胸に固定されていて、
岡井ちゃんより3つ年上の舞美の右手は自身の顔に似合わぬ控えめな胸に置かれた
ままなのだから。
524 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/11(月) 01:15

第13話 おわり
525 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/12(火) 00:34
更新乙です
楽しく読ませていただきました
526 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/10/14(木) 00:24
>>525
ありがたいお言葉。
世界観を崩さないよう気をつけたつもりなので楽しくの言葉が嬉しいです。

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