ハルカゼにのって
- 1 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/08(木) 15:28
- かれこれ○年、読み専でしたが、
妄想を形にしてみようと勇気をもって
スレたてました。
CPはいしよしです。
その他もろもろ、ちょこちょこ登場予定です。
- 2 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/08(木) 15:29
-
『ハルカゼにのって』
- 3 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/11/08(木) 15:30
-
少しあたたかい風が アタシの頬をなで始めると
きまって笑みがこぼれる
また巡って来たんだ この季節が――
ねぇ キミは今 何をしてるの?
- 4 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:32
-
「じゃ、アタシはこれで」
馴染みの小さな居酒屋を出た所で、吉澤ひとみは右手を上げて、
皆に帰る意思を示した。
「ダメ!今日こそ帰らせないんだから」
すぐ様、隣にいた保田圭が、ひとみが上げた右手をひっつかんで、
後ろ手にねじあげる。
「いででで、勘弁してよ、圭ちゃん。アタシ下戸なんだからさ」
「いーや、今日はダメ」
「二次会は飲める人だけで行ってよ」
「ほんとはちょっとくらい飲めるんでしょ?」
「ムリムリ。即効バタンキューだもん」
- 5 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:34
- 実はこの会話、この会社の飲み会の度に繰り返されている。
毎度毎度一言も違わずに交わされているのだからすごいもんだ。
ひとみが最初の一軒しか行かないって事を分かってるくせに、
圭は毎回こうして律儀にからんでくる。
今夜は、三年ぶりに入った新入社員のための歓迎会。
うちのような小さな会社は、ごく稀にしか新入りはとらない。
久々のフレッシュマンの登場に、今月はなんとなく会社の中が明るい。
- 6 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:35
- 都会の片隅にある、小さな清掃業者。
先代が一人から始めて、軌道に乗ってきたところで他界。
三十歳で跡を継いだ一人娘の女社長がなかなか敏腕で、現在従業員は四名。
その中でひとみは圭に次いで上から二番目。
その下に事務の子がいて、そして今日の主役、
新入りちゃんが入ったって訳だ。
更にはこの子、新卒採用ときたもんだ。
こんな小さな会社で、しかもこういう仕事で新卒をとるのは珍しい。
それだけ会社にも余裕が出てきたんだろう。
そしてこの新入りちゃん、見た目は頼りないけれど、
なかなか骨がありそうだ。この仕事もきっと続けていけるだろう。
だから頭の片隅で考えている自分がいる。
そろそろ引いてもいい頃かなと――
- 7 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:36
-
「今日だけ!今日だけ、ね?」
真っ赤な顔して、すがるような目つきで、足元もおぼつかない。
自分でねじ上げたはずの手がいつの間にか、
逆にひとみにぶら下がっていて、振りほどいてしまえば、
地面に尻餅をついてしまうだろう。
「まいったな、勘弁してよ」
ひとみは降参とばかりに掴まれていない左手をあげる。
そうすると社長が助けてくれるからだ。
「ほら、ケメ子!あたしがおるからええやろ!他の皆も行くで!」
そう言うと、社長の中澤裕子は圭を無理矢理引き剥がし、
ひとみに目配せをした。
(いつもすみません)
その意味を込めて、ひとみは軽く頭を下げると、
未だにひとみを見上げて、睨み付けている圭に小さく手を振った。
- 8 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:37
- 「次こそ、首に縄つけてでも二次会連れてくんだからねっ!」
すでに皆に背を向けて歩き出していたひとみの背中に向かって
ビシッと指差し、叫ぶ圭。
ひとみは振り向きもせず、背中を向けたまま
手をヒラヒラと振ってみせた。
皆が遠ざかっていく気配を背中に感じながら、
ひとみは一人微笑んだ。
(今度こそ本当に縄を持っておいでよ、圭ちゃん)
- 9 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:38
-
羽織っていた薄手のジャンパーのポケットに手を突っ込み、
ゆっくりと歩く。
少し寂びれた都会の街は、土曜日には嘘のように人がいなくなる。
平日の賑わいが真実なのか、
それとも土曜日の静けさが真実の姿なのかは分からない。
けれど、土曜日は街に特別な空気が流れている気がする。
日曜日とも違う独特の時間が流れている気がするのだ。
そして、ひとみにとって、この季節は特別な意味を持つ。
大切な人と出会った季節
大切な人と気持ちが通じた季節
そして、大切な人と別れた季節――
- 10 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:39
-
――夜風が心地いい。
昼間は体を暖かく包みこんで、来るべき春の到来をつげる風は、
夜になると少し意地悪くなって、
まだそこら辺に転がっている冬の寒さをかき集め、
味方にして吹き抜けていく。
その意地悪な風に吹かれて、サクラの花びらが舞い散る。
その幻想的な光景を見ると、我を忘れそうになる。
あの日彼女の肩にのっていた花びらと同じ色だから・・・
- 11 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:40
-
冷たい風が、ひとみの頬をすり抜けていった。
「サンキュ」
一人小さくつぶやいた。
こうしてサクラを見ていると、
どうしてもあの日を思い出してしまう。
そんな自分を、夜風は現実に引き戻してくれる。
多分それが、意地悪な夜風を好きな理由の一つだ。
そして、もう一つ。
彼女との思い出がつまった大切な大切な季節だから、
ただの風でさえもこんなに愛おしく感じてしまうのだろう。
(きっと明日も晴れる)
夜空を見上げて、そう確信した。
明日は、いつもより早起きしようか・・・
- 12 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:41
-
「何ニヤついてるんですか?」
突然、すぐそばで声がして驚いた。
そして、なぜかひとみの左腕にがっちり絡み付いている人が一名。
「亜弥ちゃん、どうしたの?」
「へへへっー」
満面の笑みだ。
「圭ちゃん、怒ったでしょ?」
「社長がうまくあしらってましたから、大丈夫ですよ」
大丈夫じゃないよ、こっちが。
あの真っ赤な顔が、目に浮かぶ。
これじゃ、あさっての月曜日は絞られちゃうな。
とんだとばっちりってやつだ。
- 13 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:42
- 「亜弥ちゃんが逃げたんじゃ、皆寂しがってるよ」
「社長がいるじゃないですか?」
「社長じゃ、癒しにならないからなぁ」
「あー、今の発言、チクっちゃいますよ」
「やー、それは勘弁」
絞られるのは、圭ちゃんだけで十分だ。
「ねぇ、亜弥ちゃん。それよりさ、腕離してよ」
「いやです。吉澤さん逃げちゃうから」
「よく分かってるね」
「今日は吉澤さんに相談があるんです」
少し驚いて、亜弥を見る。
前髪が風に揺れて、形のいい眉と大きな瞳が、
こちらを窺っているのが分かる。
いつもより真剣な眼差し。危険信号だ。
- 14 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:43
- 「アタシに相談しても無駄だよ。仕事のことなら社長へ。
生活のことなら社長へ。恋愛のことなら・・・社長じゃ無理かなぁ?」
「ほらまたぁ、社長が聞いたら本気で怒りますよ」
「冗談だって。まぁ、何の話にしたって、アタシじゃ無理だから」
そういって亜弥が絡めた腕を解きにかかる。
けど、逆に思いっきりしがみ付いてきた。
どうやら、今日は腕に難があるらしい。
「ダメです!吉澤さんじゃなきゃダメなんです!」
「だから無理だよ。アドバイスなんかできないから」
「アドバイスなんかいりません。話聞いてくれるだけでいいんです!」
「聞いたって解決しないよ」
「しなくてもいいんです!」
「なんだそれ?」
「いいから、今日だけ。今日だけお願いします・・・」
そう言って亜弥は俯いた。
「こんなにお願いしてもだめですか?」
遠慮がちに上目遣いで、ひとみを見つめる。
少し潤んだ瞳、真一文字に結んだ唇。
負けたよ・・・
- 15 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:43
-
「分かった。少しだけ、ね」
「ヤッターB」
打って変わって、また満面の笑み。
この子は表情がクルクル変わる。
見ていて飽きないなと思う。
そして、表情の通りに裏表のない気さくな人柄。
うちみたいな小さな会社にいるのは、もったいないくらいだ。
皆に愛され、可愛がられていた者だけが放つ、陽のオーラ。
だから、ひとみには眩しすぎる。
彼女を思い出してしまいそうになるから。
- 16 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:44
-
「あそこ行きましょう!」
そう言って亜弥が指差したのは、BAR。つまりバー。
「だから、飲めないって言ってんじゃん」
「うそだもん」
「うそじゃねーよ」
「じゃあ、なんで、ウイスキー入りのチョコ、
平気な顔して食べれるんですか?」
「そんなん食べてないし」
「一昨日のおやつ、ウイスキー入りのチョコでしたよ」
「えっ?」
そう言われてみればそうだったような・・・
- 17 名前:第1章 1 投稿日:2007/11/08(木) 15:45
- 「下戸の人って、そういうのとか、
奈良漬とかでも酔っ払っちゃうんですよね。
なのに吉澤さん、ぜーんぜん平気な顔してました。
ずっと観察してましたよ、私」
「いや、そう見せてたんだよ。また、馬鹿にされるから」
苦しい言い訳。
「少しして、余ったんですって、私が持ってたら、
うれしそうに、もう一個食べてましたよね?」
うわっ、思い出してきたぞ。
おいしかったんだ、あのチョコ。で、ついうっかり・・・
「さ、行きましょ!」
またまた、満面の笑み。吉澤ひとみ、今宵は松浦亜弥に完敗です。
- 18 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/08(木) 15:47
- 本日はここまでです。
そして、今しばらく、あのお方はでないという・・・
- 19 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/09(金) 00:23
- マイペースで頑張って下さい
- 20 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/09(金) 03:30
- ちょっとクールな吉澤さんに私も惚れそうな予感。
いしよし作者さん大歓迎です。見守っていくので頑張ってください。
- 21 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/09(金) 11:02
- いしよし大好きです。おもしろそう〜!
次回の更新もワクワクして待ってます。がんばってね!
- 22 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/09(金) 11:44
-
>>19:名無飼育さん様
ありがとうございます。頑張ります。
>>20:名無飼育さん様
ありがとうございます。是非惚れちゃって下さい。
>>21:名無飼育さん様
おもしろそうと言って頂けて、何よりです。
期待を裏切らないように頑張ります。
さて、調子にのって更新です。
- 23 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/11/09(金) 11:45
-
- 24 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:47
-
重い木製の扉を開けた。
薄暗い店内。聞こえるか聞こえないか程度に流れるクラシック。
けれど、寂しさなんか感じなくて、
逆に温かい空気が、全身を包みこむ。
この感じ――
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥で、黒いベストを着て
髪の毛を色とりどりに染めた人が優しく微笑む。
「マスターこんばんは。ね、いいお店でしょ?」
二人でカウンターに腰掛けると、
自慢げに亜弥が聞いてきた。
- 25 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:48
- ぐるりと店内を見渡す。
小さなカウンターと、テーブルが一つだけの本当に小さな店。
けれど、不思議に狭い感じがしない。
壁、天井、調度品、
ここにある一つ一つのものに手入れが行き届いていて、
なんだか心が落ち着いていく。
そんな不思議な空間。
「昼の春風だ」
「は?」
亜弥が不思議そうな顔をしている。
「最高の褒め言葉です」
マスターがにっこり微笑んだ。
「どういう意味?春風が褒め言葉なの?」
頭の上にハテナマークをいっぱい浮かべた亜弥に
ひとみは軽くデコピンした。
「大人の会話だから、君は分からなくてよろしい」
「ひどーい!私子供じゃないもん。
お酒だってちゃんと飲めるんだから!」
ふて腐れる亜弥の顔を、横目に見ながら、
ひとみはマスターに聞いた。
- 26 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:49
- 「さすがに土曜日じゃ、客も入りませんよね」
二人の他に客はいない。
週休二日制が横行してから、
観光場所もないこんな街の片隅にあるバーに来る客なんて、
そうそう居やしない。
うちみたいに、土曜もきっかり仕事という
会社に勤めている社員を除いては。
「いつも土曜日は閉めてますから」
「へっ?」
思わず、すっとんきょうな声が出た。
「プッ!吉澤さん変な声」
さっきは、除け者にされた亜弥が、大げさに笑った。
マスターも軽く笑っている。
同世代だろうか?
笑うと以外に若く感じる。
- 27 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:49
- 「昨日、マスターにお願いしたんです。
酒に恨み持ってる人連れてくるから、店開けて下さいって」
「恨みなんか持ってねぇって」
今度はこっちがふて腐れる番だ。
「じゃあ、何で飲めるのに飲まないんですか?」
「飲めない」
「うそつき」
「うそじゃない」
「マスター!このお店で一番強いお酒をストレートで二つ下さいっ!」
「アタシはペリエで」
「却下!」
「なんだよ。無理に飲ませんの?
知らないよ、どんな風になっても」
顔を近づけて、わざと低い声で言う。
亜弥がビクッとしたのが分かった。
- 28 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:50
- 「わたしは・・・構いません」
亜弥が俯いて赤くなった。
ごめん、そういうつもりはないんだ。
それに、本当はお酒強いから心配なんかいらないんだよ・・・
ひとみは話題を変えたくて、マスターに話しかけた。
「ね、マスター、こんなわがままな客の言うこと聞いて、
店開けちゃっていいんですか?」
「大事なお客様ですから」
最初の時から変わらず、
静かにやさしい微笑みをたたえながら答える。
落ち着いた物腰、この店の温かい雰囲気は、
この人から放たれているのかもしれない。
- 29 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:51
- 「亜弥ちゃん、常連さんなんだ?」
「ううん、昨日来て、二回目」
正直驚いた。
「そんなんで、わがまま聞くんですか?」
「真剣さに打たれました」
おどけたようにそう言って、
マスターはすばやくコースターを敷き、二人の前にグラスを置いた。
「さ、吉澤さん飲んでください。今日は私の奢りです!」
亜弥が期待の眼差しで見つめる――
- 30 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:51
-
そう、亜弥の言うとおり、飲めない訳じゃない。
飲まないんだ。
「これ、何ですか?」
ひとみはグラスをあげて、マスターに尋ねた。
「ウォッカです。スピリタス。世界最強のお酒です」
スピリタス。
聞いたことあるぞ。
確かアルコール度数九十六度の、超過激なお酒じゃなかったっけ・・・
- 31 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:52
- 「先に、亜弥ちゃんが飲みなよ」
「えー」
亜弥が不満げに口を尖らせる。
「亜弥ちゃんが、全部飲み干したら、アタシも飲むよ」
「本当に?」
「もちろん」
「本当に、本当?」
「うん、約束する」
大げさに言う。
飲みきれるはずないでしょ。こんな酒。
「じゃ、行きますっ!」
そして――
ひとみの目の前で、亜弥は見事に一気に飲み干した。
- 32 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:53
- 「なんでA」
「ウワッ!」
亜弥が口を押さえて、顔を真っ赤にしている。
「ばかっ!こんな酒、一気に飲むやつがいるか?」
「あっつーい!」
「大丈夫?倒れるよ。
マスター、水!水!おしぼり!タオル!」
マスターが、落ち着きはらった様子で、
ひとみが慌てて叫んだ所望品を用意していく。
「ほら、おしぼりで顔冷やしな。水も飲んだ方がいい」
ひとみは、亜弥の顔に冷たいおしぼりをあててやった。
その手を亜弥が掴む。
「吉澤さんの番です・・・」
「それより、ほら水飲みなよ」
「吉澤さん、約束・・・」
亜弥は、トロンとした目を向けて、
それでもしっかりひとみの目を見つめていた。
ひとみは大きくため息をついた。
「――分かったよ」
- 33 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:54
-
目の前のグラスを握り締める。
グラスのかいた汗と、手の平の汗が混ざり、
ひとみの熱が、冷たいグラスに吸収されていく――
大丈夫、きっと大丈夫。あれから3年。
もう随分笑えるようになった。
例えそれが彼女が嫌いな仮面だったとしても。
これを飲みきれば、きっと心から笑えるようになる。
そして何事もなければ、明日彼女に、
彼女が好きだと言ってくれた笑顔で報告しよう。
もう大丈夫だよって――
- 34 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:54
- ひとみは思い切ってグラスを持ち上げた。
「じゃあ、乾杯」
心配と期待が入り混じった顔の亜弥に向かって、
少しだけキザにそう言うと、ひとみはグラスを軽く上げて、
思いっきり一口目を口に含み、飲み込んだ――
- 35 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:55
-
「グェホッB」
「吉澤さんっ!」
「アチー、アチー、のど・・・が、舌が・・・ゲホ」
むせる。熱い。舌がしびれる。
液体が通った場所が焼ける。
慌てて水をカブ飲みして、氷で舌を冷やした。
「――マスター、やりすぎじゃない?」
「ちょっと荒療治すぎたかねぇ」
この瞬間、ひとみは悟った。
「・・・お前ら、騙したな」
半分涙目になりながら、亜弥とマスターを交互ににらみつける。
「ごめんなさいっ!」
亜弥がすごい勢いで頭を下げた。
「だって、こうでもしなきゃ
吉澤さん飲んでくれないと思ったから」
「どうせなら、強いお酒がいいと進言したのは私です」
マスターは悪びれもせず、
グラスを拭きながら、淡々と話す。
- 36 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:56
- 「亜弥さんの方は、アルコール度数数度程度のジン・トニック。
それを世界最強のお酒だと言って飲み干してみせたら、
きっと飲みますよって」
「それに対して、こっちには
正真正銘スピリタスだったって訳か」
「外観を似せるために、スピリタスにも、
少しトニックウォーターを入れました。
だから八十五度位にはなってたんじゃないですか?」
マスターは口の端をあげて、ニヤリと笑った。
「すぐ気づくと思ったんですけどね。
案外騙されやすいみたいですね」
マスターは飄々として、グラスを拭いている。
前言撤回。
こいつ見た目より、ずっと性格悪いぞ。
- 37 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:57
-
「ごめんなさい」
亜弥がもう一度頭を下げる。
「くっそー!
大体スピリタスの一気飲みなんて出来る訳ないんだよ。
ウー、騙された!」
ひとみは大げさに頭をかきむしった。
マスターが動かしている手を止めた。
「けど・・・お酒、おいしい、でしょ?」
見据えられた。
心の中を見透かされている気がした。
久々に飲んだアルコール。
前に飲んだのはいつだったろう?
それさえ、思い出せないほど昔の事。
味わうなんて余裕はなかったのに、
なぜか気分が爽快で、飲んだ瞬間に、
複雑に絡まっていた鎖が一つ緩んだような気がしてたんだ。
だから、騙されたと分かったのに、怒る気にならなかった。
ひとみは肩をすくめ、ため息をつくと言った。
「どうせなら、舌がしびれないやつ飲ませてよ」
- 38 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:57
-
「ヤッターB」
亜弥がマスターとハイタッチした。
「怒られなくてよかったですね」
「これでも昨日、いっぱい考えたんだよね、マスターと。
どうしたら飲んでくれるかなって」
「そんなに飲ませたい?」
「だって吉澤さん。本当はお酒好きそうな気がしたから。
好きなのに我慢してる気がして。
会社の飲み会の時も、いつもつらそうなんだもん」
「そんなにもの欲しそうにしてた?」
「ううん、寂しそうだった。
何か思いつめてる感じがして・・・
でもやっぱり、騙したりしてごめんなさい」
亜弥がまた頭を下げた。
「もしアル中だったら、取り返しのつかないことしたんだよ」
亜弥がますます俯く。
ひとみはその頭をやさしくポンポンと叩くと
「バーボンもらおうかな」と言った。
- 39 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:58
-
しばらく三人で他愛もない話をしていた。
会社のこと、最近のニュース、
マスターこと大谷さんの彼女、あゆみさんの話・・・
ちなみに彼女はかわいい顔して気が強いらしい。
毎日メロン味のおやつを買って帰らないと怒り出すそうだ。
- 40 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:59
-
いつの間にか亜弥は、カウンターに突っ伏して眠ってしまっていた。
ついさっきまで、人の腕をバシバシ叩きながら話していたのに・・・
まあ無理もないだろう。
ここでカクテルの一気飲みをしたし、
その前の一次会の居酒屋でも、彼女はそこそこ飲んでいるのだから。
「ありがとう」
ひとみはつぶやいた。
マスターに、亜弥に、かすかに聞こえるくらいに。
と言っても亜弥は寝ているのだから聞こえない。
けど、起きてるときに言うなんて、
照れくさくてきっと出来ないだろうから。
- 41 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 11:59
-
「忘れたいことがあってお酒を飲んだのに、
余計忘れられなかったんだ。だから、飲むのをやめたんです」
突然の話にも、マスターは動じず、黙ってグラスを拭き始めた。
「浴びるほど飲んで、全部忘れちゃいたかった。
飲んで、壊れて、消えてしまいたかったんだ・・・けれど――」
「私はお酒を薬だと思っています」
「え?」
「人生をよりよく生きるための薬。
陽気になったり、悲しくなったり・・・
お酒は色んな感情を引き出してくれます。
時には自分を縛っている鎖をゆるめてくれたりもします」
「薬・・・かぁ」
確かに一つ緩んだと思うよ。ただ・・・
「あの日以来、アタシにとっては毒薬になっちゃったんですよ」
「毒薬も、薬と書きます」
「ほんとだ」
二人で笑った。
- 42 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 12:00
- 「彼女、真剣でしたよ。お酒が好きなはずなのに、
なんであんなに頑なに飲まないんだろうって。
マスター、そういう人の気持ちってわかりますか?ってね」
ひとみは亜弥の寝顔を見た。
必死にお願いしてる姿が目に浮かぶ。
「でもって、その情熱に打たれて、
彼女のためだけに店を開けた訳です。
お酒に恨みを持ってる張本人にも会ってみたかったですしね」
マスターが微笑んだ。昼の春風を感じさせる微笑みだった。
「恨みはないんです。
ただ・・・自分が許せないのかもしれません」
ひとみはジャンパーを脱ぐと、
眠っている亜弥の肩にかけてやった。
紅色に染まった頬が愛らしい。
- 43 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 12:01
-
「あの日から、毎日のように悪夢を見るようになったんです。
というか眠ると蘇ってくるという方が正しいのかな?
それを脳から消しちゃいたくって、毎晩浴びるように飲んだんです。
けど、飲んだ晩の方がひどいんだ。
大切な人が苦しんでいるのにアタシは見ているだけで
助けることさえできない。
手も足も出せずにただじっと彼女を見ているだけなんだ。
何度もアタシに助けを請うのに」
「実際にあったことなんですね?」
ひとみは頷いた。
心がまた鈍い痛みを感じて悲鳴をあげ出す。
「今でもその夢を?」
「ううん、しばらく見てない。3年も前のことだから。」
「彼女はいい夢みてるようですね」
マスターは亜矢子を見ると微笑んだ。
- 44 名前:第1章 2 投稿日:2007/11/09(金) 12:02
-
「彼女の気持ち気づいてるんでしょう?」
ひとみは黙っていた。
気づいている。
亜弥が自分に好意を抱いていることを。
亜弥の視線、亜弥の振る舞い・・・
「・・・彼女を好きになれたら、楽なんだろうな」
ひとみはそう言って、グラスの中身を一気に呷った。
「そろそろ帰ります」
「今夜はいい夢見れるといいですね」
マスターは今日見た中で、一番優しい笑顔でそう言った。
「もし、今日いい夢が見られたら、またこの店に飲みに来ますよ」
「ええ。その時は、またスピリタスで乾杯しましょう」
- 45 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/09(金) 12:05
- 本日は以上です。
早速間違えた・・・
43 亜矢子 →亜弥です。
松浦さんファンの方、すみません。
そして、あの方の登場は、もうしばらくお待ち下さい。
- 46 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/10(土) 12:49
- 過去に何があったのか?
読んでて胸がチクチク痛かった。続きがたのしみだな〜!
- 47 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/10(土) 13:30
- とても初小説とは思えないですね。
続き期待してます。
- 48 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/11(日) 20:58
- 大人な亜弥ちゃんが見れるのかな?
- 49 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/14(水) 11:14
-
>>46:名無飼育さん様
ありがとうございます。楽しみにして頂けて何よりです。
>>47:名無飼育さん様
こんなんで大丈夫か心配です。期待を裏切らないように頑張ります。
>>48:名無飼育さん様
う〜ん、どうでしょうか・・・
なかなか難しいところですが、彼女はこの作品のキーパーソンになる予定です。
それでは、本日の更新です。
- 50 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/11/14(水) 11:15
-
- 51 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:17
-
本当は途中から起きていた。
マスターが私の気持ちに気づいてるだろうとか
吉澤さんに聞いている頃から。
いきなりそんな会話が聞こえてきたから、
起きていると言えなくなってしまった。
そして、聞こえてきた吉澤さんの声。
それが頭の中でさっきからずっとリピートしている――
『彼女を好きになれたら、楽なんだろうな』
- 52 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:18
-
うれしい反面、悲しかった。
そんなに吉澤さんを苦しめているものは、一体何だろう?
もっと知りたい、あなたのことを。
どんなあなたでも必ず受け止めてみせるから。
だから、ずっと側に居させてほしい・・・
「よいしょっと」
吉澤さんは私をおんぶしたまま、ポケットをさぐって、
家の鍵を取り出すのに一苦労している。
- 53 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:19
-
店を出てから、私はずっと酔ったフリをした。
タクシーに乗せられて、
家はどこ?って聞かれても、
『あっち』とか『こっち』とか適当に答えて、
吉澤さんを困らせた。
そして、吉澤さんは仕方なく、
自分のアパートに連れていくことに決めたみたいで――
タクシーの中では、私がどさくさに紛れて寄りかかっても、
窓の外ばっかり見て、肩も抱いてくれない意地悪な人――
だから、タクシー降りて、歩けないって座り込んでやったんだ。
そしたら、『ほらっ!』っておぶってくれて――
意地悪なのに、優しくて。
いつも笑ってるのに、時々悲しそうな瞳をして。
そんなあなたの一つ一つの行動が、仕種が、
私の心を余計に切なくさせる。
あなたの背中、広くてあったかい。
こうしてると、とめどもなく大好きがあふれてきちゃうんだ――
- 54 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:22
-
玄関をあけると、吉澤さんの匂いに包まれた。
大好きな人があふれている空間。
おぶったまま、器用に私の靴を脱がせてくれる。
ごめんなさい。でも、うれしい。
部屋の電気をつけて、1DKの一番奥においてあるベットの上に、
私は転がされた。
そう、本当に転がされた。
「イタッ」
「あ、悪い。どっかぶつけた?」
「壁で肘打ちました」
「そりゃ、ごめん」
吉澤さんはしゃがんで、ベットに寝転がされた私と目線を合わせると
「水飲む?」と言って立ち上がろうとした。
その右手を掴んで、思いっきり引っ張る。
吉澤さんがバランスを崩して、私の上に降ってきた。
- 55 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:23
- 目の前に整いすぎた吉澤さんの顔。
その距離五センチ。
とまどったように私を見つめる瞳。
ほんとにきれい・・・
私は思い切って、吉澤さんの頬に手を伸ばし、黙って目を閉じた。
心臓が壊れそうで怖い。
きっと頬に触れた手も震えている。
でもね、吉澤さん。
好きでなくてもいいから。私を利用してもいいから。
そんなに悲しい顔しないで。
その思いを触れている手のひらに込めた。
- 56 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:24
-
不意に額にやわらかい感触があった。
覚悟していた場所ではなかったことに戸惑う。
「おやすみ」
吉澤さんはそのまま体を起こした。
慌ててもう一度彼女の手を掴む。
「どうして」
「何が?」
「私じゃダメですか?」
吉澤さんは、大きなため息をつくと、
掴んでいる私の手にそっと反対の手を重ねた。
「酔ってる人を抱くほど飢えてないよ」
「酔ってません!」
「歩けないほど、酔ってんじゃないか」
「ほんとは歩け・・・・」
言ってしまってから、『しまった!』と思った。
案の定吉澤さんは、意地悪な笑みを浮かべている。
- 57 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:25
- 「やっぱり、企んだんだろ?」
何も言えない。
「コラッ」
そういって、吉澤さんは両手で私のほっぺをつねった。
「ごへんなはい」
これでも、謝ったつもりだ。
「ったく!そこで少し大人しくしてなよ。
もう少し酒が抜けたら、車で送っていってやるから」
吉澤さんはそう言って私の頬から手を離すと、
立ち上がって電気を消した。
「疲れたでしょ?亜弥ちゃんも少し眠りなよ」
布団をかけて、頭を撫でてくれた。
ねえ、分かってる?
その優しさが、私の胸を痛くしてるんだよ。
- 58 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:26
-
吉澤さんは窓辺に行くと、壁に寄りかかってタバコを吸い始めた。
月明かりだけが、彼女を照らしていて、
藍色の世界にタバコの赤い火と白い煙だけが浮かんで見えた。
口から吐き出されては、形を変えて消えていく白い煙が、
あまりにも儚げで、なぜだか吉澤さんとダブって見えた。
吉澤さんのすぐ近くには、小さなテーブルが一つとテレビが一台。
目立つものは何もなくて、あまりにも質素な部屋。
吉澤さんの匂いに包まれて、こんなに近くにいるのに、手が届かない。
あなたの心がずっと遠くにある何かを求めているように見えてしまって・・・
- 59 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:26
- これ以上、見つめているのが辛くて、私は寝返りを打った。
その時、目に飛び込んできた写真。
大事そうに額縁に入れて壁にかけてある、その横顔の写真――
思わず見とれた。
綺麗な人。
照れているんだろうか?
はにかんだ様に少し上がった口角が愛らしかった。
ヘッドボードに目をやると、写真立てがあり、
そこには一目で恋人同士と分かる写真が飾られていた。
寄り添いあい微笑む二人。
一人は紛れもなく吉澤さん。
学生時代だろうか?
今より少し前の写真だと思う。
そして、その隣には――
あの綺麗な人がいた。
正面から見ても、裏切られることなく、整った顔立ち。
三日月のような優しい瞳に、すっと伸びた鼻筋。
健康的な肌に映えるピンクの唇。
誰が見ても間違いなくキレイな部類にいれるだろう。
- 60 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:27
- この人がきっと吉澤さんを苦しめている人だと直感した。
瞬間、勝ち目はないと思った。
この人に比べたら、私は子供みたいだ。
私はこんなに優しく微笑めない。
それにしても――
何年前の写真なんだろう?
まだ付き合ってるって事はないよね?
だって、吉澤さんに恋人の影は見えないし、噂も聞かない。
第一まだ続いてたら、こんなに古い写真じゃなくて、
新しい写真を飾るよね。
今でも忘れられないんだろうな、きっと――
少し恨めしいな。
こんなにはじけるような表情で笑っている吉澤さんを、
私は見たことがない。
けれど、吉澤さんを悲しませるような人のことなんか、
早く忘れちゃえばいい。
私だったら、絶対悲しませたりしない。
- 61 名前:第1章 3 投稿日:2007/11/14(水) 11:28
- 写真たての左隣には、作りかけの木彫りの人形があった。
まだまともに形をなしていないけれど、
人を作ろうとしていたんだろうことだけは、何となく分かる。
それとも、こういう作品なんだろうか?
台座の所にローマ字が掘ってあった。
(RIKA)
――思考が迷宮入りしそうだ。
というより、酔った頭で考え事をするのは限界がある。
起きたら勇気を出して聞いてみよう。
出来るだけ明るく。
吉澤さんの秘密を見つけちゃったとでも言うように・・・
私は浮かんできた睡魔を捕まえて、しばし眠りにつくことにした。
- 62 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/14(水) 11:31
- 以上、松浦さん視点でした。
やっとこ名前だけ登場しました。
- 63 名前:ななし 投稿日:2007/11/15(木) 06:08
- 私の中の想像が違っていることを神様に祈りたい。
それにしても胸が痛いです…今はそっと二人を見守る事しか出来ない…
- 64 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/16(金) 18:07
- >>63:ななし様
すみません。痛いですよね・・・
作者は、甘々ないしよしを読むのが好きなんですが、
いざ自分が書いてみたら、なぜこのような??
と自分で自分が不思議なくらいです。
しばらくは痛々しいものが続きますが、二人には
必ず光がありますので・・・
では、本日の更新にまいります。
- 65 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/11/16(金) 18:08
-
- 66 名前:第1章 4 投稿日:2007/11/16(金) 18:08
-
「――め・・て・・・、――か・・・」
どこからか、うなり声が聞こえてきて、亜弥は目が覚めた。
見慣れない白い天井――
辺りを見回す。横顔の写真が目に入った。
そっか、あのまま眠っちゃったんだ・・・
気だるさを感じながらも、そろそろと上半身を起こす。
「アッタマいたい・・・」
亜弥は両手の人差し指で、こめかみを押さえた。
ズキンズキンと脈を打っている。
- 67 名前:第1章 4 投稿日:2007/11/16(金) 18:10
-
「――お・・ねがい・・・、もう・・・」
ハッとして、声のする方に目をやると、
ひとみが横になったまま、うなされていた。
布団を跳ね飛ばして、慌てて駆け寄る。
「吉澤さんっ!」
肩をゆすった。
亜弥が眠りにつくまでは、ここでタバコを吸っていたから、
その後そのまま横になったのだろうか?
すぐ傍のテーブルには、
灰皿と飲みかけのミネラルウォーターが置かれていた。
「やめてよ!頼むから!」
ひとみがはっきりと言った。
ものすごい汗の量と、閉じた瞼からあふれてくる涙。
「吉澤さん!ねえ、しっかりしてください!」
今度は強く肩を揺さぶった。
「やめて!頼むから!梨華っ!梨華!!」
亜弥はたまらず、ひとみを抱き起こした。
- 68 名前:第1章 4 投稿日:2007/11/16(金) 18:11
- 「吉澤さんっ!どうしたんですかAしっかりしてくださいっ!」
「やめてっ!やめてよ!それ以上・・・」
迷っている暇はなかった。
亜弥はテーブルの上のペットボトルを掴むと、
ひとみの顔に思い切ってぶっかけた。
ひとみの顔が突然の衝撃にゆがむ。
「しっかりしてください!」
その声に反応して、亜弥の腕に抱かれたまま、ひとみは目を開けた。
亜弥がニッコリと微笑む。
「よかったぁ」
刹那、ひとみが亜弥を力いっぱい抱きしめた。
「生きてたんだ、梨華ちゃん」
「え?ちょ、ちょっと・・・」
「よかった。生きててよかった。ほんとによかった」
そう言いながら、ひとみは抱きしめる力をどんどん強めてくる。
「ちょ、ちょっと待ってください。吉澤さん?」
はじかれたようにひとみが離れた。
亜弥の顔を見る。
驚愕の表情を浮かべ、やっと現実に戻って来たようで、
焦点が定まる。
明らかに落胆したことが分かった。
- 69 名前:第1章 4 投稿日:2007/11/16(金) 18:11
-
「ごめん・・・」
「吉澤さん?」
亜弥は窺うようにひとみを見た。
たった今、ひとみの表情から受けたショックは隠して。
「大丈夫?随分うなされてましたよ」
努めて明るく尋ねる。
「・・・大丈夫だよ」
消え入りそうな声で、ひとみが答えた。
びっしょり濡れた髪も顔も拭おうともせず、ただ下を向いて。
「タオル持ってきますね」
見ていられなくて、立ち上がろうとした途端、手首を掴まれた。
「大丈夫だから・・・」
「吉澤さん・・・どうしてそんなに辛そうな顔するんですか?
あの人が原因ですかA」
- 70 名前:第1章 4 投稿日:2007/11/16(金) 18:12
- 亜弥は、あの横顔の写真を指差した。
ひとみの座っている所から、
視線を上げると真っ直ぐに見えるあの写真――
その瞬間、どうしてひとみがこの場所に座ったのかが分かった。
ここがひとみの定位置。
彼女を真っ直ぐに見つめられる唯一の場所・・・
ひとみの視線を妨げたくて、
亜弥は中腰のまま、ひとみの頭を抱きしめた。
「一人で苦しまないでよ・・・」
涙があふれた。
ひとみの苦しみを少しでも取り除けたら。
少しでも傷を癒してあげることができるなら・・・
「ごめん、亜弥ちゃん」
ひとみが、亜弥から離れた。
「濡れちゃうよ?」
「構わないです」
「心配かけたね。でも、もう大丈夫だから」
- 71 名前:第1章 4 投稿日:2007/11/16(金) 18:13
- 儚げに微笑むひとみの顔は、
全然大丈夫な感じじゃなくて、亜弥は首を横に振った。
「亜弥ちゃんが泣いてどうするのさ」
「だって吉澤さんが悲しそうな顔をするから」
「ごめん」
そう言って、ひとみは手を伸ばして、亜弥の頭を撫でた。
けれど、その手はひどく震えていて、余計に痛々しく感じた。
「こんなんじゃ、亜弥ちゃんの事、送って行けなくなっちゃったね」
震えを止めようとするかのように、
ひとみは自らの両手の指と指をしっかり絡ませ、強く握り締めていた。
「悪いけどタクシー呼んで、帰ってくれないかな?」
「どうして・・・」
「アタシの財布、そこにあるから、勝手にお金持っていって」
「そんなのいらない!」
語尾が震えた。
自分はいっぱいいっぱいなくせに、無理に笑顔作って、
送って行けないからって帰りの心配して、バカみたい。
どうして、強がるの?
どうして、私じゃダメなの?
どうして、どうして、彼女じゃなきゃダメなの?
- 72 名前:第1章 4 投稿日:2007/11/16(金) 18:14
-
「こんな顔してる人のこと、ほっとける訳ないじゃない」
ひとみの顔が凍りついた。
けれど、一緒にいたい。
こんなにボロボロになった人を放っておけない。
「私、吉澤さんのことが・・・」
「帰って欲しいんだ。一人にして欲しい」
抑揚のない低い声でさえぎられた。
止まっていた涙が再び溢れ出す。
亜弥は、自分のバッグだけをひっつかむと、そのまま部屋を出て行った。
- 73 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:14
-
- 74 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:15
-
(ピンポーン)
(プルルルル)
(リーンリーン)
なんだ、この大合唱はA
- 75 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:15
- 中澤裕子は飛び起きた。
一斉に玄関のチャイム、家の電話、
それに携帯電話が鳴っている。
いや、正確に言うと、家の電話と携帯電話は交互に鳴っている。
「何やねん。この夜中に!」
圭に付き合って、三次会までやって、フラフラになりながら、
三十分ほど前にマンションに帰ってきた。
適当に化粧を落とし、やっと今眠りについた所だった。
正直勘弁して欲しい。
裕子は頭から、布団を引っかぶった。
(ピンポーン)
(プルルルル)(リーンリーン)
「しばいたるB」
裕子は勢いよく寝室を飛び出し、
右手で今鳴っている携帯を引っつかみ、
左手でインターフォンを引っつかんだ。
「誰っBふざけんのもたいがいにせえよ!」
怒鳴りつけながら、入り口に備え付けられているテレビカメラの画像を見る。
「社長〜」
そこには、泣きながら、インターフォンを押し、
電話を耳にあてた亜弥がいた。
「松浦、どうしたん?」
- 76 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:16
- 裕子は、エントランスのオートロックを解除すると、
玄関のドアを開けて廊下に出て、
亜弥があがって来るのを待っててやった。
エレベーターの扉が開き、裕子の姿を見ると、
亜弥は一目散に走ってきて裕子に抱きついた。
「ウェーン!しゃちょお〜」
「ちょっと待った。夜中だから、静かにしい。中入ろ」
抱きかかえたまま、部屋に入り、ソファに座らせると、
自分にはコーヒー、亜弥にはココアを入れてやった。
- 77 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:17
- 落ち着いてきた亜弥から、徐々に話を聞きだすと、
どうやら吉澤に振られてしまったらしい。
「それで、松浦はどうすんの?」
すっかり覚めてしまったコーヒーを淹れなおす為、
裕子はキッチンに向かった。
「どうするって?」
「よっさんのこと、あきらめる?」
「簡単にあきらめられれば、こんなに苦しみませんよぉ」
亜弥がため息混じりにつぶやいた。
「でも、あいつはなぁ・・・」
そう言いながら、テーブルに二人分のカップを置くと、
亜弥がすごい勢いで身を乗り出してきた。
「社長は無理だと思いますか?私じゃ吉澤さんとつりあいませんか?」
「い、いや、そんなことないよ」
「うそ、そう思ってます」
「だから、そんなことないって」
あっという間に、落ち込む亜弥。
「ヤダナ、こんなに好きになっちゃって」
「よっさんのこと?」
「社長は梨華さんて人と会ったことありますか?」
おい、人の質問は無視かい。
って言っても、返事は分かりきってて聞いてんねんけど。
だって、とても重要なことやし。
- 78 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:18
-
「吉澤さんの家に写真が飾ってあったんです。
すっごく綺麗な人でした。私も見とれちゃった位なんです。
同じくらいの年に見えるのに、すごく綺麗で優しそうで。
隣に写ってる吉澤さんも今じゃ想像できないくらい輝いてて。
きっと、あの梨華さんが忘れられないんです。
あんなに辛そうな顔するのに、なんで忘れられないんだろう。
私だったら、あんな顔、絶対させないのに」
「ねぇ、松浦」
裕子は声を落ち着かせて、諭すように言った。
「どんなよっさんでも、受け止める自信ある?」
「え?」
突然の質問に驚く亜弥。
「あたしはその梨華さんに会ったことはない。
でも知っとる。よっさんから聞いたから。
あたしがよっさんを拾った時、
今よりももっとずっとボロボロだったよっさんを拾った時にね、
一緒に食事に行った。当然お酒も飲んでね。
あの子飲みすぎて、潰れてしもうて、仕方なくうちに連れて来たのよ。
そしたら、あの子ひどくうなされてね。
多分、今日松浦が見たのと同じ感じだと思う。
それで、理由を聞いた」
固まっている亜弥に続けて言う。
「会社でも知っているのはあたしだけ。
あの子がなんでお酒を飲まないかを知っているのもあたしだけや。
だから、圭ちゃんに絡まれたら助けてやる。
どうする?
あきらめるなら今やで」
- 79 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:19
-
「社長は、吉澤さんのこと好きなんですか?」
おー、ストレートに聞くなぁ、コイツ。
ま、女の直感ってやつやね。
「あたしには手に負えない」
「社長?」
「何度かね、あの子の心をあたしに向けられたらと思った。
あの子を救ってやりたいとも思ったわ。けどね、無理やった。
あの子が梨華さんに向ける愛情は深すぎて、
あたしなんかじゃ太刀打ちできんかった。
それにもう大人になりすぎてたんやね。
そやから、自分が傷つくのもめっちゃ怖かった。
あの子の心の中があまりにも真っ暗で、
踏み入れたら、自分の方が飲み込まれて、
溺れてしまうと思ったんよ。だから逃げ出した」
亜弥は俯いて黙って聞いていた。
「あたしじゃ、あの子の心は埋めてあげられへん。
そやから、脇で少しだけ支えてあげることにした」
裕子は亜弥から視線を離さなかった。
中途半端な気持ちなら、亜弥が傷つくだけだと分かっているから。
- 80 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:20
-
「今でも吉澤さんのこと好きですか?」
顔を上げて、亜弥が尋ねた。
強い意志を持った澄んだ瞳。
「好きかと言われれば、好きやね。
でも今は恋愛の好きじゃない。社長として社員を愛する気持ち」
「なーんだ。一瞬、吉澤さんのことを引きずってて、
結婚しないのかと思ったんですけど」
「それはないよ。する機会があれば、いつだってするし」
「出来ないだけですか?」
亜弥がからかう様に聞いた。
「あんたも言いたいこと言うようになったな」
裕子は亜弥を睨み付けた。
だが次の瞬間、真剣な眼差しで言った。
「どうする?松浦」
亜弥の心はきっと決まっている。
けれど、あえて尋ねたのだ。
そして、亜弥は決意を湛えた眼差しを裕子に返すと、凛とした声で告げた。
「教えてください」
「本当にいいんやね」
亜弥が静かに頷いたのを見て、裕子は目を細めて優しく微笑むと
「あの子を、よっさんを救ってやって」と言った。
そして、真顔になると続けた。
「よっさんの彼女、梨華さんは3年前に殺されたんよ。
それも通り魔に。そして、それは自分のせいやとあの子は思っとる・・・」
- 81 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:20
-
- 82 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:21
-
また、あの夢を見た。
もう、ずっと見ていなかったのに。
何度も何度も刺されて、血まみれになっていく梨華。
それを見ているのに、なぜか動けなくて、
助けることさえ出来ぬ自分――
『助けて』『助けて』
何度も何度も自分を呼ぶ梨華。
なのに自分は、彼女がこと切れるその時まで、
ただ見ているだけ。
ただ、ずっと・・・
涙がこぼれた。
もう、枯れたと思っていたのに。
もう、大丈夫だと思ったのに。
もう、君に会えないと分かっているのに。
こんな夢を見た後は、愛しい気持ちがつのってしまう。
自分でも持て余してしまう、この思い。
会いたい、会いたい、会いたい――
- 83 名前:第1章 5 投稿日:2007/11/16(金) 18:22
- 窓の外に目をやると、濁った月がひとみを見下ろしていた。
日付を越えた今日は、3回目の彼女の命日。
太陽が出たら、彼女に会いに行く。
けれど、今年は笑顔でいられる自信がない。
タバコを一本取り出した。
今日はもう、眠る気がしない。
また、あの夢を見てしまいそうだから。
火をつけて、ゆっくり味わう。
『タバコは百害あって一利もないんだよ』
耳の奥に残る愛しい声が蘇る――
マスターの言う通り、酒に罪はない。
3年たった今でも、まだ自分の心は受け付けてくれないらしい。
「マスター、まだ当分乾杯はできそうにないよ」
- 84 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/16(金) 18:25
- 本日は以上です。
関東人の作者に、中澤ねえさんの関西弁がうまく
表現できたのか、非常に不安です。
関西の方、不快な思いをされたら申し訳ありません。
先に謝っておきます。
そして、梨華ちゃん。
本当にこんな扱いでごめんなさい。
でも、必ず光はありますので。
- 85 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/17(土) 06:11
- ため息のでるほど綺麗な文章ですね。
切ないけど作者さんの言葉を信じて静かにまちますわ。
- 86 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/17(土) 22:15
- 光があると言えど、いしよしの二人に未来が無いのは辛いっすね...
- 87 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/17(土) 22:54
- ホント切ないです。
色々な人たちの思いで泣いちゃいました。
- 88 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/22(木) 11:34
- >>85:名無飼育さん様
本当ですか?ありがとうございます!!
そう言って頂けるとほんとにうれしいですね。
とても励みになります。
>>86:名無飼育さん様
今はそう見えますよね。
あまり言うとネタバレしてしまいますので控えますが、
作者的には、いちおうCPをいしよしと謳った以上、
二人には未来があるようにしたいと考えています。
が、それはまだまだ先になりそうでして・・・
>>87:名無飼育さん様
泣かせてしまいましたか。すみません。
そして、今日の更新分はもっと辛いかもしれないです。
それでは、本日の更新にまいります。
- 89 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/11/22(木) 11:35
-
- 90 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:37
- 1年ぶりに袖を通した。
大学1年の秋に始めて買った礼服。
『もう制服がないんだから、礼服くらい一着持ってなくちゃ』
梨華はそう言った。
『そんなのいらないよ。誰かに借りればいいよ』
そう言うひとみの言葉を無視して、
彼女は半ば強引に礼服売り場に連れて行った。
『女の子なんだからスカートにしなさいよ』
『そんなスカスカするの、やだよ』
彼女が発する言葉一つ一つに反発して、
照れを隠して・・・
面倒くさそうに、悪態をつきながら、
梨華に従ってたけど、本当はちゃんと分かってたんだよ。
家族の元に戻れないひとみの自立心をいつも必死で促そうとしていたこと。
こんな些細な所にも、気を使ってくれてたこと。
本当に感謝してたんだよ。
でも、口から出てくるのは、ひねくれた言葉ばかり。
今更ながら、そんな自分にあきれてしまう。
- 91 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:38
- どこまでも梨華に甘えていた。
声にしなくても、きっと梨華ならわかってくれてるって
勝手に思い込んでいた。
けれど、今となっては後悔ばかりが胸をよぎる。
――どうして素直にならなかったんだろう。
せめて、優しい言葉を、感謝の言葉を口にしていれば良かった・・・
日々、胸に去来する叶わぬ思い。
『後悔先に立たず』
先人の言葉には重みがある。
けど、当てはまりすぎていて苦しい。
もし、時間が戻せるなら、
口に出来なかったたくさんの言葉たちを梨華に伝えたい・・・
皮肉なことに、この礼服が始めて必要になったのは、
彼女の葬式だった。
鏡の前に立つ。
大分ダブついた上着とズボン。
体重なんて量らないから、よく分からないけれど、
あの頃より痩せたのは明らかだ。
頬も心なしか去年よりこけた気がする。
今の自分を見たら、梨華は心配するだろうか――
- 92 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:38
-
- 93 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:39
-
梨華の葬式の日。
彼女に選んでもらった礼服を着て、ひとみは隅の方にいた。
一つは、とてもご両親に顔向けなんて出来ないという気持ちから。
そしてもう一つは、決して泣かないため――
- 94 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:40
- ひとみが三歳になったばかりの頃、実の父親が死んだ。
働きすぎだったらしい。
ほとんど家に居なかったから、ひとみには父親の記憶があまりない。
顔もうろ覚えで、唯一覚えているのは、
一度だけ肩車をしてもらって、やけに高いところから景色が見えて、
すごくワクワクしたこと。
その時見た一面の花畑は今でも色鮮やかに思い出せるのに、
父親の顔はモザイクがかかったように思い出せない。
そんな父の葬式で、ひとみは号泣した。
父が死んで悲しかったのかというと、そうではない。
その頃は人間が死ぬということの意味が分からなかった。
親戚や近所の人々が口々に
『こんな小さな子がいるのにねぇ、可愛そうに』
と言っているのを耳にする度、母が泣きそうな顔になったからだ。
いつも優しい、いつも笑っている母が、初めて見せた顔。
その顔に不安になった。
だから、どうしようもなく悲しくなって、ひとみは号泣した。
その姿を見て、参列した人々は、目頭を熱くしたようだけれど、
母だけはひとみの手をしっかりと握って、
ひとみの目の高さに合わせてしゃがむと静かな声で言った。
- 95 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:41
- 「ひとみ、泣き止みなさい」
母はハンカチでひとみの目を拭った。
「お葬式はね、死んだ人が次の人生へ出発するための大事なものなの。
その時に誰かが泣いてたらね、
せっかく新しい人生を楽しく迎えようって思ってるのに、
悲しくなって、次に進めなくなってしまうのよ。
だから、ひとみが泣いていたらお父さん、困っちゃうの。
こんなに悲しんでるひとみを置いていっちゃいけないって思って、
次に進めなくなっちゃう。お母さんの言ってること分かる?」
正直難しくてよく分からなかった。
けれど、母は強い眼差しでひとみの瞳を見つめたまま続けた。
「お父さんきっと、自分が居なくなっても、
泣かないで、楽しく生きて欲しいって思ってるよ。
大事な人が泣く顔なんて、誰でも見たくないって思うもの」
- 96 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:42
- 母さんはそこまで言うと、何かを我慢するように唇をかみしめた。
だから、ひとみも唇をかみしめた。
難しいけれど、今泣いてはいけないのだと言うことだけは、
よく分かったから。
だから、式の間中、ひとみはずっと唇をかみしめて、
二度と涙を流さなかった。
その三年後、今度は母が亡くなり、
やっぱり葬式があったけれど、ひとみは約束を守り通した。
- 97 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:43
-
そして、あの日――
式場の片隅で、唇をかみしめていたひとみのところに、
梨華の父がやって来た。彼はひとみの肩に手を置くと、
「来てくれてありがとう」と穏やかな優しい声で言った。
「申し訳ありません」
ひとみは下を向いたまま、消え入りそうな声で、
一言そう告げるのが精一杯だった。
「君には親族席に座ってもらいたいんだよ」
彼のその一言で、ひとみは顔を上げた。
「梨華もきっと、君に近くに居てもらいたいと思ってるだろうから」
そんな資格は自分にはない。
一生守っていくと約束したのに。
絶対に幸せにすると約束したのに――
ひとみは拳を握り締めて、肩を震わせた。
泣かない。泣くもんか。
梨華の出発にふさわしく笑顔で送り出してやらなきゃいけないんだ。
梨華だって、泣き顔なんて見たくないよって言うはずだから。
『ひーちゃんのその笑顔好きだよ』
梨華に出会って、初めて心から笑うことができた。
その笑顔を梨華は好きだと言ってくれた。
だから、今日はその笑顔で見送ってあげるんだ。
ひとみは歯を食いしばって、祭壇を見つめた。
そこには、やわらかく微笑む梨華がいた。
- 98 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:43
- 梨華の父が黙って、ひとみの背中を押して、親族席へと促す。
梨華の母親の両隣が空いている。
右側は喪主である父の席。
そして、その左側に案内された。
座ることを躊躇して、椅子を見つめて立ち尽くしているひとみを見て、
梨華の母がやさしく声をかけてきた。
「ひとみちゃん、座って」
梨華の母はこの何日かで、すっかりやつれてしまった。
大事な一人娘を失った悲しみが全身からあふれ出ている。
- 99 名前:第2章 1 投稿日:2007/11/22(木) 11:46
- ひとみは拳を握り締めたまま、黙って腰を下ろした。
手のひらに爪が食い込み、血が滲むほど強く握り締めた。
そうしていないと、理性が壊れる。
泣いて、叫んで、梨華の棺にすがり付いてしまう。
ひとみは必死で最後の理性を呼び起こしていた。
決して泣かない!
絶対に涙は見せるもんか!
その時、ひとみの拳に梨華とよく似た小さな手がそっと重ねられた。
「私たち、ひとみちゃんに本当に感謝してるのよ。
梨華を愛してくれてありがとう」
彼女の語尾が震えた。
その瞬間、ひとみの心にあった最後の石垣が崩れた。
我慢していたものが、堰を切ってあふれ出す。
どんなに唇をかんでも、どんなに拳を握り締めても、
もう止められなかった。
やがてそれは嗚咽となり、結局、出棺のその時まで、
ひとみの涙は止まらなかった――
- 100 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/22(木) 11:49
- 以上です。
過去の話が入ってきましたが、分かりますでしょうか?
それにしても本当にイタイですね。
- 101 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/22(木) 16:38
- あまりにもイタイ所でとめてしまったので、
もう少し更新します。
- 102 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:39
- 坂道を一歩一歩、自分の足でしっかり踏みしめていく。
もう何度も訪れたこの道。
一昨年はバイクで、最近は車で、この坂道を登った。
今日、初めて自分の二本の足でこの坂道を歩む。
思った以上にきつい傾斜。
けれど、足を踏み出す度に一歩一歩近づいているから、苦には感じない。
ゆっくりゆっくり近づいていくんだ。梨華の元に――
- 103 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:40
- 今まで気づかなかった、色んな景色が目に飛び込んでくる。
いつもは簡単に通り過ぎて、見逃していた。
歩かなければ、絶対に見つけられないような奇妙な看板や、
道路の小さな割れ目。
道沿いに色づきだした小さな草花が、優しい風にそよいでいく。
薄雲が太陽を隠してしまっているけれど、
空に顔を向ければ、それなりに眩しくて、
暖かな春の光に目を細めてしまう。
ひとみが今、暮らしている街から、一時間ほど電車に乗った駅が最寄り駅。
車を飛ばしてくれば、四十分くらいで着いてしまうが、
今日は電車と徒歩で来たから二時間近くかかってしまった。
けれど、今日はどうしても、自分の足で一歩一歩踏みしめて、
梨華の元に行きたかった。
- 104 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:41
- 三十分ほど歩くと、さすがに汗ばんできた。
上着を脱いで腕にかける。反対の腕には、
彼女の大好きな紅茶が入った魔法瓶と駅のコーヒーショップで買ったケーキの箱。
本当はコーヒー党だったのに、梨華に感化されて、
すっかり紅茶党になってしまった。
『ティーパックなんて邪道』
『ポットは温めて使うの』
『茶葉はしっかり蒸らすのよ』
こだわって淹れる梨華の紅茶は、この上なくおいしくて、
いつだってその味に近づきたいと必死で頑張るけれど、
なかなか同じ味にはなってくれない。
かなり近づいた気はするんだけどな。
- 105 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:44
- 目指す場所が視界に入ってきた。
まだ朝の八時すぎだから、当然門は開いていない。
けれど、いつものことだ。
これまではずっと平日だったから、夜遅く来て、
車を門の前に乗り付け、暗闇を懐中電灯で照らしながら入って行った。
夜中に墓苑にきて気持ち悪くないかと言われれば、
否定はできないが、もしかして梨華が幽霊になって、
出てきてくれないかなと淡い期待を抱いていたのもまた事実だ。
低い門に手をかけ、軽く飛び越える。
それだけのことなのに着地した瞬間、バランスを崩し、
危うく転びそうになった。
「とうとう運動不足が祟ったかな」
最近頓に体力が落ちてきた気がする。
仕事中もよく息切れがする。
清掃業だから、もちろん力仕事があるのだけれど、
機材を担いで階段を上がるのも、圭ちゃんより遅れてしまう。
「体力には自信あったのにな」
ひとみは一人で呟いて、また坂道を上がって行った。
- 106 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:46
-
眼前に広がる無数の墓石。
小高い丘のなだらかな傾斜を利用して作られていて、
一面に広がるグリーンの芝生が朝日に映えて眩しい。
ここには、世間で言うところの墓地独特の薄気味悪さは全くない。
グレーの墓石が芝生の上に規則正しく立ち並ぶ様は、
見事なコントラストを描き荘厳さすら感じる。
ひとみは桶置き場に行くと、置かれていた手桶を手に取り、
軽くゆすぎ、水を湛えた。
それを持って、今度は梨華の眠る場所へと足を向けた。
梨華の眠る場所から、山の斜面に沿って下を見下ろすと、
ちょうど小さな街並みが見渡せる。
それが梨華の故郷であり、
ひとみと梨華が通った高校のある街でもある。
ひとみが梨華を知ったのは、高校三年の春だった。
- 107 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:47
-
- 108 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:47
-
「三年I組かあ」
おもしろくもなさそうなクラス。それが第一印象だった。
高校に入って三回目のクラス替え。
ひとみは学校では、ちょっとした有名人だった。
スラッとした背に整った顔立ち。
サラサラの髪に飛びっきりの笑顔。
かと思えば平気で三枚目にもなる。
女子高にいて、これで人気が出ない方がおかしい。
世の中なんてチョロイものだ。
だから、友人にも、恋人にも不自由しない。
笑ってれば、人は寄ってくる。
明るく振舞っていれば、孤独になることもない。
ひとみが一番恐れていたのは『孤独』になること。
もう、二度と孤独になんかなりたくない。
独りぼっちになんかなりたくないんだ。
だから、ひとみは仮面をつける。
毎日毎日仮面をつけて、笑顔で居続ける。
その偽りの仮面が剥がれて、孤独になることが一番怖いから。
幼い時に、自然と身に着けた防衛本能。
最近では、本当の自分がどんな人間かさえ、分からなくなってしまった。
ただ、笑顔で。毎日笑顔でいれば、それでいい。
- 109 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:49
-
新学年が始まって、次の日から早速授業が始まる。
退屈な授業。
習ったって世の中の役に立つとは思えない数式。
ひとみの席は、一学期は大抵決まっている。
名字が『吉澤』だから、大体は一番窓側の一番後ろの席になる。
この時だけは、義理の親父に感謝でもしてやろうかという気になる。
窓の外に目をやるが、この学校は商店街のど真ん中にあって、
窓外の景色は芳しくない。
グラウンド側に窓があれば、少しは面白いのに、
ここから見えるのは、狭い駐輪場に雑然と置かれた無数の自転車と
金網越しに見える鄙びた商店街だけ。
しかも、三年生の教室は一階ときてるから、ますます面白くない。
仕方なくひとみは教室の中に目を戻した。
- 110 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:50
- 真剣に授業を受けているもの。
眠ってるもの。
全く授業とは関係のない内職をしてるもの。
色んな人がいるが、さすが三年にもなると、
大学受験を意識してか、真面目に授業を受けているものが多い。
一応進学校だから当たり前か。
けれど、ひとみは就職するつもりだ。
早く自立して、あんな家さっさと出て行ってやろうと思っているから。
- 111 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:51
- ボーッとクラスを見回していたけど、
ひとみはある一点で目が留まってしまった。
教室の端と端の自分と対角にすわる、その人の真剣な横顔。
顎のラインまである髪を耳にかけているその横顔。
正面からじゃ気づかないメガネの奥の真剣な眼差し。
スッと伸びた鼻筋とピンクの唇。
シャープな顎のラインに沿ってハラリと落ちた髪を、
そっと耳にかけるその仕草に思わず見とれてしまった。
「吉澤!どこ見てんだ?!」
数学教師の一言で我にかえる。
教室中の視線がひとみに集まる。
当然彼女も振り向いた。
視線が合う。
彼女は優しい眼差しで微笑んでくれた。
- 112 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:51
-
(そんな顔もするんだ)
射抜かれた。
その表現が一番ピッタリくる。
しばらくドキドキが止まらなかった。
こんな気持ち初めてだった。
いままで女には不自由しなかった。
自分が求めなくても勝手に寄ってきたから。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
告白されれば、付き合って、すぐ別れる。
その繰り返し。
その内、本気で好きになれるかなと思ってみても、
近づいてくるのは皆、自分の表面しか知らない。
仮面の下の本当の素顔は誰も知らないのだ。
孤独に怯えた本当の姿を知ったら、みんな逃げ出すでしょ?
- 113 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:52
- そして、独占できる立場になったのに、
決して心を許そうとしないひとみに彼女らは苛立つ。
けれど、お前らに分かるのか?
この心の内にある暗闇の深さが。
だから、ひとみは別れ際に言い放つ。
『どうせアンタも見た目で好きになったんでしょ?』
『良かっただろ?カッコイイ恋人自慢できてさ』
『もう十分でしょ?この位で』
おかげで、タラシだのスケコマシだの言われた。
元カノ達はそろって
『あの人は見てるだけに限る』
と言って回っていた。
それで結構。
友達はそろって
『あんたほんと女ぐせ悪いよね』
って笑いながら言うけど、自分が悪いなんて思ったことは一度もない。
だって、それでも言い寄ってくる奴がたくさんいるから。
ほら見事なまでに、仮面を被れてる。
笑顔でいれば、どこでだって生きていけるんだ。
- 114 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:54
- 「この問題解いてみろ」
数学教師が意地悪く言ったけど、前に出てスラスラと答えを書いてやった。
今年この学校に赴任してきたコイツは、ひとみを知らない。
こういう種類の人間は頭が悪いと決め付けてただろ?
残念だったね。
あいにく、家に帰ったら、勉強くらいしかすることなくてね。
こう見えて頭いいんだよ。
ひとみはチョークを置いて、教師を一瞥すると席に戻った。
戻るときに教室中を見渡したけど、皆一様に感嘆の眼差しをひとみに向けていた。
ただ一人を除いては――
なぜか彼女だけが悲しそうにひとみを見ていた。
その視線に胸がチクリと痛んだ。
- 115 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:55
- その日以来、ひとみはよく授業中に彼女を観察していた。
彼女の名前は『石川梨華』
授業態度、生活態度ともに真面目。
少しウェーブのかかった黒髪が、その綺麗な輪郭を隠してしまっていて、
あの時気付かなかったら、彼女がこんなに綺麗だなんて分からなかった。
地味で目立つことはない。
だから皆も気付かないのだろうか?
眼鏡の奥の瞳が三日月みたいにやさしく笑うことも、
アゴが尖っているのに、なぜか愛らしいことも、誰も気付かないのだろうか?
たまりかねて、いつもつるんでいる友人に聞いたことがある。
「ねえ、石川さんてさ、結構綺麗な顔してない?」
「うーん・・・そうかなあ?色黒だしねえ。それに地味じゃない?」
休み時間もチョクチョク見ていたけど、あまり派手に動き回らない。
時々、目が合ったりもしたけど、スッと逸らされてしまう。
やっぱり世界が違うのかな?
アタシみたいな奴のこと、軽蔑してんだろうな。
結局一言も交わせずに一学期が終わった。
- 116 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:55
- 夏休みに入ってまもなく、普段ろくに話しもしない義父が
ひとみを部屋に呼んだ。
「何ですか?お父さん?」
ひとみは別の仮面をつけた。
大人に自分をよく見せるためのいい子の仮面。
「進路はどうするんだ?」
「就職して、この家を出ようと思います」
「この家には居たくないか?」
「そんなことないですよ。ここまで育ててもらって感謝してます」
「――すまない」
唐突に義父が頭を下げた。
「はい?」
ひとみにはその意味は分かっていた。
この人はあの日のことを悔いている。
- 117 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:56
- 「その・・・あの時は・・・」
ひとみの中で奥底にしまいこんでいるはずの
どす黒い感情が沸々とわき上がってくる。
「お父さん、アタシは血もつながっていないのに、
ここまで育ててもらって感謝してるんです。
だからアタシがここを出たら、アタシ自身のことも忘れてもらって結構です」
「何を言うんだ?」
「その方がお互いのためだと思いませんか?」
「お前・・・」
「高校を卒業して働いたら、今まで育ててもらった分の学費を
徐々にですがお返しします」
「そんな必要ない」
「あなたには必要なくても、アタシは嫌です!」
初めてこの人に感情をぶつけた。
仮面の下に隠していた思いが気を許すと浮上してきてしまう。
ひとみは自分の感情をねじふせるように、正座した足の上にのせた拳を握り締めた。
- 118 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:57
- 「――俺を恨んでいるんだな」
「恨んでなんかいません。感謝しています」
「ひとみ・・・」
「卒業したら、アタシはここを出て行きます」
ここはアタシの居場所じゃない。
いや、このアタシに居場所なんてどこにもないんだ。
「お前が決めたのなら、わたしは何も言わない。ただ――」
そう言って義父は立ち上がると、机の引き出しから通帳を取り出してきた。
それをひとみの前に差し出す。
「これは、君の母さんが残したものだ。
君が生まれたとき、君の亡くなった父さんと誓ったそうだよ。
君には何でもさせてあげたい。君の可能性を見出せるように、
興味を持ったことは何でもさせてあげたい。
もちろん大学も行かせてあげたいと」
ひとみは通帳を見つめた。
ひとみ名義になっている。
「君のお父さんが亡くなった時の保険金を残しておいたそうだ。
わたしと結婚するときに、その事を聞かされた」
- 119 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:58
-
初耳だった。
母さんが自分名義の通帳を作っていたなんて。
自分のために本当の父さんとのお金を残しておいてくれたなんて。
こんなお金があったなら、母さんもっと綺麗な格好できたじゃないか。
「母さんは君を大学に行かせたいと言っていた」
義父はその部分だけ重ねて言った。
「自分の人生だから、好きにしなさい。
けれど、まだやりたいことが定まってないのなら、
大学に行ってもいいんじゃないか?」
義父は通帳を手に取ると、ひとみに握らせた。
「これは君のお金だ。好きなようにしなさい。
それから、高校卒業までは、わたしに面倒を見させてほしい。
そうしなければ、あいつに顔向けできない」
ひとみは義父を見たが、彼は目を畳の上に落とし、
決して合わせようとはしなかった。
ひとみは唇をかみ締めた。
やはりこの人はズルイ。
「分かりました。進路は自分で考えます。
ただ、どちらにしろアタシは来年、この家を出て行きます。けれど――」
もう一度唇を噛み締めた。
今すぐにでも、飛び出してしまいたい。
母さん・・・
――ねえ、アタシはどうしたらいい?
一瞬目を閉じた。母さんの笑顔が浮かぶ。
- 120 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 16:59
-
「それまでは・・・お世話になります」
屈辱の瞬間だった。
義父はあきらかにホッとしていた。
ひとみは自分の部屋に帰ると、次第に震えが増していく体を
ベッドに投げ出した。
世界が歪んで見える。
いやという程の孤独感と無力感。
不意に無重力空間に投げ出されたような心もとなさを感じて、
自分自身を掻き抱いた。
見せ掛けだけの関係。
作られた笑顔。
作られた仮面。
もう何もかもうんざりだ。
ひとみは通帳を両手で挟むように閉じ込めた。
そこからかすかにでも母のぬくもりが感じられるような気がしたから。
けれど、その紙からは何のぬくもりも伝わってこなかった。
- 121 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 17:00
-
二学期に入って、ひとみは進路変更を希望した。
ひとみが進学すると聞いて、担任は喜んだ。
「やっとその気になったのか。お前なら良い所に行けるぞ」
けれどひとみが希望したのは、ここから新幹線で四時間下って、
更に二回乗り継ぎをしてやっと着くというほど田舎の大学。
学力はそこそこあるけれども、その程度なら東京には、たくさんある。
何もそんな田舎に引っ込んでまで、行くほどの大学でもない。
特別な学部がある訳でもない。
「何でそんな所に?お前ならこっちでいくらでもいい大学に行けるじゃないか?」
担任だけでなく、学年主任、進路指導の教諭、挙句には教頭にまで言われた。
けれど、ひとみの心は決まっていた。
自分のことを誰も知らない土地に行って、ありのままの自分を取り戻したい。
仮面を脱ぎ捨てて、楽になりたい。
そして、自分の居場所を作りたい――
- 122 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 17:01
-
年が明け、たった一つだけ受験したその大学に
ひとみは難なく合格した。
ところが、廊下に掲示された大学合格先一覧を見て驚いた。
自分だけが行くはずの大学に、もう一人受かっている人がいたのだ。
自分の名前の横に厳然と張り出されていたその名前は
『石川梨華』
学部こそ違えど、なぜこんな田舎に?
何の取り柄もないはずの大学。誰も希望するはずのない大学。
だからこそ、そこに決めたのに・・・
なぜだ?
けれど、他の大学の欄にも彼女の名前が載っていた。
気の迷いか?滑り止め?それとも・・・
- 123 名前:第2章 2 投稿日:2007/11/22(木) 17:02
- 何度も彼女に尋ねようと思ったのに出来なかった。
他の子には簡単に声をかけられるのに、彼女にだけは声をかけられない。
相変わらず、彼女の横顔を盗み見ているけれど、
目が合ったら、即座に逸らされてしまう。
その度に胸の奥が痛み出す。
やっぱり、気の迷いなのかな?
親戚が近くにいたから受けてみたとか?
色んな思いが交錯する。
そして、自分のような人間が彼女を汚してはいけないと言い聞かせる。
けれど本当は自分が傷つくのが怖いだけだ。
誰もいないところに行くと決めたのに、あの掲示を見てから、
どこかで期待をしている自分がいるから。
『ああ、あんなの気まぐれ』
その言葉を聞くことが何よりも怖くて。
結局ひとみは理由も聞けず、そして、クラスメイトだったのに、
やっぱり一言も話せないまま、高校を卒業してしまった――
- 124 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/22(木) 17:06
- 本日の更新は以上です。
痛さはあまり緩和されてないですね。
しばらくは、よっちゃんの現実と回想が続きそうです。
- 125 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/23(金) 00:27
- 引き込まれました。続きが楽しみです。
- 126 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/23(金) 06:38
- む、胸が、、
(時間がなくまだ最後まで読んでないので夜また来ます
(今日は感謝祭で因みに午後の一時三十七分。
- 127 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/23(金) 16:41
- 126です帰って来たよー
先ほど読み終えまた胸の痛みが…石川さんは…もう…
フウ〜〜イタイ〜イタイ〜
- 128 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/23(金) 20:05
- すごく引き込まれます!
めちゃくちゃ続きが気になりますo(^o^)o
石川さんの思惑は??
更新されるのが楽しみです!!(≧∀≦)
- 129 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/27(火) 17:26
-
>>125:名無飼育さん様
ありがとうございます。
そう言って頂けるととても励みになります。
>>126、127:名無飼育さん様
その時差、そしてその日に感謝祭ということは・・・
海の向こうから読んで頂いているなんてビックリです!
そして光栄です。
ここだけの話、石川さんはこのままでは終わりません。
>>128:名無飼育さん様
ありがとうございます。
楽しみにして頂けるなんて、うれしい限りです。
では、本日の更新にまいります。
- 130 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/11/27(火) 17:26
-
- 131 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:28
-
「ほんといい場所だよね」
墓石を磨きながら、ひとみは呟いた。
芝生の手入れも行き届いてるし、空気も清々しい。
心地よい風がひとみの頬をかすめて行った。
今年みたいに遅咲きの時には、風に揺られて園内の桜が舞い散る。
「親父さんたち、ほんといい場所選びましたよね」
墓石に語りかけた。
丁寧に磨きあげ、最後にもう一度水をかけると、
ひとみはしゃがんで手を合わせた。そのまま、胡坐をかいて座る。
「今日まで色んなことがあったよ、梨華ちゃん」
そう言ったまま、次の言葉が出てこなかった。
いつもなら、ここから心の中の会話が始まる。
思いがあふれて、言葉にならないから、心で会話するのだ。
それなのに――
昨日見た夢が浮かんできてしまう。
言葉を紡ごうとすると、梨華の苦しみに歪んだ顔が浮かんで、
涙が出そうになってしまう。
痛い、堪えきれないほどに胸が痛む。
- 132 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:28
- 仕方なくひとみはタバコを取り出した。
ここで吸ったら怒るかもな、と思いながら・・・
一口目を深く吸い込み、充分に味わってから、白い煙を吐き出す。
空に立ち上っていく煙を見ていると、
あの日火葬場の煙突から立ち上る白い煙を思い出す。
あの時、約束破ったんだよね――
- 133 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:29
-
- 134 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:29
- 梨華はタバコが嫌いだった。
やんちゃ心で高校の時から吸っていたタバコは梨華によって取り上げられた。
「タバコは百害あって一利もないんだよ!」
わざとからかいたくて、隠れて吸うと決まってこう言われた。
そして風邪をひいて、寝込んだ時にとうとう約束させられたのだ。
二度と吸わないと。
二日間高熱が続いたから、梨華は本当に心配して、
大学も休んでずっとそばについていてくれた。
それがうれしくて、またたまらなく愛しくて。
熱が下がったのを本気で喜んでくれたから、ひとみは素直に約束した。
- 135 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:30
- けれどあの日、空に立ち上っていく梨華の煙を見たら、駆け出していた。
自動販売機でタバコを買って、すぐに戻って火をつけた。
『この煙が届くんじゃないか』
純粋にそう思った。
梨華の煙と自分の吐き出す煙が一つになればいいのに。
ただ、そう願って――
けれど、ひとみの煙はどんなに頑張ってみても、
梨華とひとつになることはなかった。
- 136 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:30
-
- 137 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:31
-
ひとみはタバコをもみ消し、携帯灰皿にいれると、
墓石の前にケーキの箱を置いた。
「ちょっと早いけどさ、今年も一緒に祝ってよ、アタシの誕生日」
ひとみの誕生日は、梨華の年齢に追いつく特別な日。
中学3年の3学期に、心臓の手術をした梨華は、
そのまま一年入院して、ひとみ達と同じ時に高校に入学した。
『だから、なんとなく周りに馴染めなかったの』
付き合いだしてから、そう梨華が教えてくれた。
- 138 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:32
- 魔法瓶の蓋を開け、そこに琥珀色の液体を流し込んだ。
「随分淹れるのうまくなったでしょ?
今日はちゃんと時間かけて淹れて来たから、飛びきりおいしいはずだよ」
ケーキの横に紅茶を置いた。
琥珀色の液体を眺めていると不思議と心が落ち着いてくる。
梨華が紅茶を好きだった理由も
こんなところにあったのかもしれないな、などと思う。
そして、自然に想いが溢れ出してきた。
自分でも持て余すほどの梨華への想い。
ひとみは溢れる思いのままに、しばらく無言の会話を楽しむことにした。
- 139 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:33
- 『流れ星を見たんだよ。慌てて願い事をしようと思ったんだけどさ、
思った瞬間に消えちゃった。
だから願い事って叶えるのが難しいのかな?
あんなに早く願い事言える人なんて、この世の中にいないよね』
『もしね、魔法のランプがあったらさ、
アタシ三つも叶えてもらわなくていいんだ。
たった一つでいい。
たった一目でいいんだ。
梨華ちゃんに会いたいよ』
『アタシさ、そろそろ会社やめようかなって思ってる。
社長には感謝してるんだ。梨華ちゃんを失って、
生きる気力もなくなってた時に、人のためになることを一つでもしたかって、
せめてやってから死になさいよって言って拾ってくれたから。
梨華ちゃんはアタシにたくさんの事をしてくれたけど、
アタシはさ、誰にも何もしてないなって気付いたんだ。
そんなアタシが今死んでも、梨華ちゃんと釣り合わないって思ったし、
何だか梨華ちゃんにも会えないような気がしたからさ、
相応しい人間になろうって、今日まで頑張ってきたんだ。
けどさ、もうアタシ限界みたいだよ・・・』
- 140 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:33
-
「ねえ、アタシもそっちに行っていいかな?」
涙がこぼれた。
「梨華ちゃん、ダメだよアタシ。
梨華ちゃんがいないとこんなにもダメになっちゃうんだ。
3年経ってもダメなんだよ。
アタシもう頑張れないよ。
もういいよね、梨華ちゃん?」
風の音だけがして、
何の返事も返ってこない――
- 141 名前:第2章 3 投稿日:2007/11/27(火) 17:34
-
「お早いですね!ご苦労様です!」
遠くから声が聞こえた。
ここの管理の人らしい。
作業着を着て、帽子を脱いで思いっきり振っている。
ひとみは気付かれないように涙を拭って、立ち上がるとその人に頭を下げた。
「梨華ちゃん、今日は帰るよ」
墓石に向かって言った。
すっかり覚めた紅茶を一気に飲み干した。
じっくり時間をかけて淹れたのに、それが一向においしいと感じないのは、
梨華が隣にいないからだと改めて思った。
「ねえ、梨華ちゃん。アタシの遺骨はさ、ここに入れてもらえるかな?」
そう呟くと、ひとみはケーキの箱を持ち、
手早く片付けると、作業員の元に向かった。
- 142 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:34
-
- 143 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:35
-
すっかり様変わりしていた。
閑散としていた駅前には、コンビニができ、
ビデオショップができ、コーヒーショップができ、
ファミリーレストランが出来ていた。
いつまでもそこにとどまり、漂うことを許さないように、時は流れる――
墓苑を出て、ここに来ることを思い立った。
あれから一度も来ていなかったけれど、
彼女と過ごした時が確かにあった事を最後に感じたくて。
心の中を彼女で満たしたくて、気付けば切符を買っていた。
たった3年。
けれど、目の前の光景は、時が流れたことを実感させるのに充分だった。
何かが変わってしまった街。
あの頃のアタシ達を知らない街。
- 144 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:36
- 結局、あの日から一歩も進めていないひとみにとっては、
辛すぎる現実だった。
後ろから、人にぶつかられて、
自分が改札の出口で立ち尽くしていたことに気付く。
慌ててよけて、思い切って駅前の広場に出た。
辺りを見回しても、あの頃の面影はほとんどない。
けれどどこか懐かしい匂いがして少しだけ安心した。
ロータリーの隅にある、意味不明の彫刻。
何かを象ったものらしく、当時から意味不明だったけれど、
学生たちはよくあの彫刻の前で待ち合わせをした。
それは、少し色あせてしまったものの、
まぎれもなく当時のままのその姿で、そこにそびえていた。
「懐かしいな」
思わず口からこぼれた。けれど苦い思い出と共に蘇る記憶。
その彫刻の前に立って、赤い傘を差し、寂しげな笑みを浮かべ、
小さく手を振っていた梨華の姿を思い出す。
それがひとみが見た彼女の最後の姿・・・
- 145 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:37
-
『一緒に行っちゃダメかな?』
――あの時、彼女を連れて行っていれば・・・
『一回帰ってから、バイクで行けば?』
――あの時、彼女の言うとおりにしていれば・・・
『お願い、今日は一緒に帰って』
――あの時、彼女の直感に気付いてやっていれば・・・
遅すぎる後悔が、心を縛り付ける。
もしも、もしも、あの時――
もう何度も繰り返した自問自答。
けれどいつまでたっても無意味な自問自答。
いくら自分を責めてみても、彼女は戻って来ない。
いくら後悔してみても、彼女は帰って来ない。
そんなことは充分すぎるほど分かっている。
分かっているけど、抑えられない自責の念が心を支配する。
湧き上がる後悔の渦を止められない。
せめて最後に見た彼女が、とびっきりの笑顔でいてくれたなら・・・
- 146 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:38
- ひとみは彫刻の方を向いたまま、動けなかった。
駅を出てこのまま右手に行けば、彫刻がある。
その前を通って、まっすぐ行けば、
ひとみと梨華の住んでいた場所に行くことができる。
左手に行けば、二人が通った大学に行ける。
ひとみは迷わず彫刻に背を向けて歩き出した。
やはり、あの場所には行けそうもない。
- 147 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:41
-
駅前を離れても、時の移り変わりを感じた。
時代とはこんなに早く展開するものなのか。
変わるなんてあっという間だ。
街には商店街がなくなり、大手のスーパーと大型マンションが出来ていた。
梨華と二人でよく買い物をした八百屋や魚屋。
もうあの威勢のいい声は聞こえない。
『おまけしてやるよ』
『おじさん、いいんですか?』
『梨華ちゃん、かわいいからね。特別おまけ』
『ひーちゃん、おじさんまたおまけしてくれたよ!』
『二人とも美人さんなんだけどさ、ひーちゃんの方が
もうちょっと愛想が良かったらな、おじさん、これもつけちゃうんだけど』
『ほら、ひーちゃん!』
- 148 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:42
- 幸せだった日々が蘇る。手を繋いで、買い物袋を提げて・・・
あの頃は、永遠にこんな日々が続くと思ってたんだ。
こうしてずっと隣を歩けると思ってた。
あの小さな手を握り締めてさえいれば、一生一緒にいられると思ってたんだ。
なのに――
手を離したのは自分。
彼女の直感に気付いてやれずに、
自分の気持ちを押し付けるのに精一杯で・・・
ひとみはポケットの中のものを握り締めた。
- 149 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:42
- しばらく歩くと、並木道に出た。
二人並んで歩いた道。
暑い夏にはアイスをかじりながら歩いた道。
寒い冬には繋いだ手をひとみのジャンパーのポッケに突っ込んで歩いた道。
時には、バイクで突っ切ったこともあったっけ――
二人の思い出が溢れている場所。
ここが変わらないことにいくらかホッとした。
目を閉じれば溢れだしてくる記憶の数々。
胸に感じる甘い痛みが心地よい。
今日はこの痛みに抗わず、じっと浸ることにしよう。
- 150 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:44
- 大学の門前で立ち止まる。
日曜だから、静かだけれど、かすかに運動部の掛け声が聞こえてくる。
ここから始まった短い二人の物語。
ずっと紡いでいくはずが、あっという間に途切れてしまった。
懐かしさに足を踏み入れたい衝動にかられたけれど・・・
――足が竦んだ。
あまりにも大きな校舎が、今の自分を飲み込んでしまいそうな気がしたから。
苦し紛れに辺りを見回すと、見慣れた店が目に入った。
中から人が出てきて、暖簾に手をかける。
ひとみは心が命じるままに、その店に駆け寄った。
- 151 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:45
-
「すいません、まだいいですか?」
割烹着に三角巾をかぶった婦人が優しい目で答えてくれた。
「ええ、もちろん。アンター、いいよね?」
今度は店の中に呼びかけた。
婦人はニッコリ微笑むと暖簾を掛けなおした。
「いらっしゃい!」
ひとみが店内に入ると、少ししゃがれた威勢のいい声が出迎えてくれた。
あの頃と少しも変わらない店内。
古ぼけたメニューに年季の入ったテーブルとイス。
すべてあの頃のままだった。
唯一、少しだけ年を取った夫婦の姿が、時の流れを感じさせた。
「休憩時間ですよね?無理言ってすみません」
ひとみは謝ると、いつも梨華と座っていた、厨房に一番近い席に腰掛けた。
「いいのよ、大学の前なんかで商売してると、
営業時間なんてあってないようなものだから」
相変わらずだな、とひとみは思った。
お人好しなのも、笑った顔も。
- 152 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:47
- 昔から店を閉めてたって『食べたいよ』って言えば、店を開けてくれた。
一度だけ、それを試したくて、嫌がる梨華を連れて、
わざわざ休み時間にやってきた。
そして、気前よくこの夫婦は店を開けてくれて――
さすがに心が痛んで、いつか梨華と二人で、
温泉旅行をプレゼントしますからって謝った。
この様子じゃ、休みなんて取ったことがないだろうと思ったから。
その間は二人で店番しますからって言って。
そしたら、二人とも気にしなくていいよって、笑ってくれたけど、
その顔がとてもうれしそうで、絶対に実現させようねって、
梨華と二人で誓った。
――けれど結局、それも叶えられなかった。
どこまで言っても、アタシは本当に中途半端だ。
- 153 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:47
-
〈カタン〉
目の前に水が置かれて、我に返る。
「あのー」
婦人が遠慮がちにひとみに声をかけた。
「やっぱり・・・ひーちゃんよね?」
驚いて、見上げる。
「ほら、やっぱりひーちゃんだ!」
「ちょっとアンタ!ひーちゃんよ!」
厨房の奥から、白衣で手を拭きながらおじさんが出てきた。
「おー、ほんとだ!すっかりべっぴんさんになっちゃって!」
「なーに言ってんスか」
「よかったぁ!元気そうで」
おばさんもおじさんも飛びっきりの笑顔で喜んでくれた。
- 154 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:48
-
『あんなにやんちゃだったのが、こんなに大人になって』
『今は何してるの?』
『元気に暮らしてる?』
矢継ぎ早に繰り出される質問に圧倒されながら、
ひとみはやっとのことで尋ねた。
「よくアタシのこと覚えてましたね?
まさか覚えててもらえるなんて思ってなかったから、ビックリしちゃって」
「そりゃ、覚えてるわよ。だってあんなにお似合いの二人だったんですもの。
ここ数年、ひーちゃんと梨華ちゃんみたいな・・・」
「おいっ!お前」
おじさんがおばさんのわき腹をつついた。
「あっ、ごめんなさい」
「いいんですよ。アタシ達のこと、覚えててくれたってだけでうれしいですから」
これはうそ偽りない気持ち。
けれど、やはり寂しさが顔に出てしまっただろうか?
「ごめんな。こいつ、ひーちゃんが大学やめてから、
ずっと心配してたんだよ。ちゃんと生きてるかなって」
「アンタ!」
今度はおばさんがおじさんのわき腹をつついた。
その姿がなぜかおかしくて、ひとみは口元に拳をあててクスクス笑った。
- 155 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:49
-
「大丈夫ですよ。ちゃんと生きてます」
夫婦は目を細めて笑った。
梨華がいなくなって、店にも寄り付かなくなったひとみに、
二人はお好み焼きを持ってきてくれた。
それはひとみがいつも頼む定番のもので、
海鮮ミックスの上に枝豆をのせたものだった。
持ち帰り用のパックに入れたそれをわざわざ家まで届けてくれて、
『元気だしなよ』と二人して頭を撫でてくれた。
けれど、ひとみはその後すぐ、大学をやめ、この場所から消えた。
誰にも挨拶もせずに――
- 156 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:50
-
「いつものでいいかい?」
ひとみが頷くと、おじさんは厨房に引っ込んでいった。
たった一年ほどしか、ここに居なかったから、
誰も覚えてくれていないと思っていたのに、好みまで覚えててくれたなんて。
心の奥がポカポカ温まってくる。こんな感覚久しぶりだった。
「今日は仕事かい?」
「いえ、今日は彼女の命日なんです」
「あっ、そうか、そうだったねぇ」
語尾に気遣いを感じる。
「久しぶりに休みの日だったから、思い立ってここまで来ちゃいました。
でも、駅前なんか随分変わっちゃいましたね」
「そうなんだよ」
話しながら、おばさんも支度を始める。
鉄板に火をつけると、たちまち熱気に煽られた。
「寂しいもんだね。
あの頃は商店街の皆とワイワイやって、楽しかったんだけど」
「でも、ここがあってよかった」
「そう言ってもらえると、頑張ってるかいがあるよ」
きっと、ここにも開発の話はきているのかもしれない。
それでも、こうして二人で踏ん張って、頑張ってるんだろうな。
こう思うとき、やはり孤独を感じそうになる。
梨華がいたら――
考えてはいけないのに、日常に湧き出すこの問い。
けれど、導き出される答えはない。
- 157 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:51
-
「はい、これ。サービスだよ」
ビール瓶とコップが置かれていた。
「今日は怒られないでしょ?」
思い出すあの日々――
『おばちゃーん、ビール一本』
『ひーちゃん!ダメ!』
『何でだよ』
『昼間でしょ!』
『夜ならいいの?』
『ダメ!まだ未成年でしょ?』
『そっちだってコンパじゃ飲んでるじゃん』
『それは仕方なく・・・』
『いいじゃん。おばちゃーん!』
『もう!ひーちゃんてばっ!』
- 158 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:53
- 「よくひーちゃん怒られてたものね」
おばさんが微笑みながらビールの栓を抜く。
「もう未成年じゃないしね、昼間だけどいいでしょ?」
そんな些細なやり取りを覚えていてくれた事がうれしくて、
コップを握る手が震えた。
自分が飲みたいフリをして、ひとみは実は梨華に飲ませたかった。
すぐに赤くなる頬が見たくて
その頬を隠すように俯くと目立つ、長いまつげが綺麗で
上目遣いに見上げるその潤んだ瞳が愛おしくて――
コップにつがれたビールを躊躇なく一気に呷った。
「うー、うめぇ!」
「いい飲みっぷりだねぇ!」
そう言っておばさんは、もう一度コップを満たした。
今は悪夢のことなんか忘れて飲んでしまおう。
それに今夜は夢など見ないかもしれない。
もう二度と夢など見ないのかもしれないのだから。
- 159 名前:第3章 1 投稿日:2007/11/27(火) 17:54
-
結局、おじさんも一緒になって思い出話に花が咲いた。
久しぶりに腹を抱えて笑った。
二人にも伝わってしまったのだろう。
今でもまだ梨華を引きずっているのを。
だから、必要以上に二人は、ひとみを笑わせてくれた。
次の客が入ってきて、随分時が経っていたことに気付き、
ひとみは礼を言って、いとまを告げた。
「ひーちゃん、これ持って行きなよ」
おじさんが差し出してくれたのは、薄いピンクのタッパウェア。
「入れもんは返さなくていいからさ」
中を覗くと、梨華がいつも食後に注文していた白玉あんみつが入っていた。
おばさんが丁寧に紙袋に入れてくれる。
「また、おいでよね。いつでも待ってるから」
紙袋を受け取りながら、ひとみは無言で頭を下げた。
黙って手を振る。
また来ますとは言えなかった。
二つ目の嘘はつきたくなかったから――
- 160 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/27(火) 17:56
- 本日は以上です。
年内に何らかの兆しをと思っています。
なので、今後もう少し更新を早めるかもしれません。
- 161 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/28(水) 05:12
- TSURAIです今お昼休みで涙が出そうでャバイです
海外転勤一年目で娘紺にも行けなくャバイです(これが一番TSURAI
狼と飼育が心の支えなので玄米ちゃ様も宜しくお願いします。
私も毎日何かしらひとつは後悔してますよ…もしも、あの時…って 126127
- 162 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/28(水) 14:13
-
>>161:名無飼育さん様
海外転勤でしたか。
お仕事としては、素晴らしいことでしょうが、
現場に行けないのは、つらいですね。
少しでも161様の心の支えになれるように頑張ります。
連日となりますが、本日の更新です。
- 163 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/11/28(水) 14:14
-
- 164 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:15
-
白玉あんみつの入った袋を片手に、プラプラと歩く。
草の匂いが微かに鼻をくすぐり、湿気を帯びた風が頬を撫で始めれば、
目の前には川原が広がるはずだ・・・
――ほら、見えて来た。
この感覚が昔と全く変わっていないことを、ひとみは嬉しく感じた。
目に映る景色も、あの時のままで、何も変わらない。
穏やかに流れ行く川面を見ていると、
ひとみを少しずつあの頃に返してくれるようで、くすぐったくなった。
- 165 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:16
- 所定の位置である土手の中腹に腰を下ろしてみる。
ここから見る景色もまた変わらない。
右手にある大きな杉の木も。
向こう岸に見える桜の木々も。
その桜の花びらをゆるりと運びながらキラキラ光る川面も。
何もかもがあの頃のままだった。
――アタシ達はいつでもこの場所にいた。
この川原は、うちの学生が暇なとき、
または授業をサボる時に、よく使う場所だった。
ひとみの場合は後者が主で、教科書を枕にしてよくここに寝そべっていた。
すると授業を終えた梨華がやってくる。
- 166 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:17
-
『もうまたサボったの?』
『大丈夫。代返頼んだから』
『また?』
『そ、また』
『卒業できないよ?』
『どうにかなるよ』
『ひーちゃんの、そういうとこがダメなの』
『そういうとこって?』
『投げやり・いい加減・優柔不断』
『最後のは違くねぇ?』
『違くない、違くない』
『そういうの嫌い?』
『嫌い』
そう言いながら、梨華はひとみの頭を浮かして膝枕をしてくれる。
そして、ひとみの頬に手を当てて言うのだ。
『ひーちゃんは、ちょっと不器用なだけ』
『本当は優しいんだよ』
『どんなひーちゃんも好きだから』
いつでも梨華は、ひとみの心を潤していく。
枯渇した地面が水を求めるように、
ひとみもまた梨華を求める。
彼女が居なきゃ弱い自分は干からびてしまう。
彼女がそばにいてくれないと自分は歩くべき道を見失ってしまう。
だから、彼女を失った自分は・・・もうとっくに限界を迎えている――
- 167 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:18
-
今日は日曜日だから、学生の姿をあまり見かけない。
平日ならきっと、若くて明るい笑い声がたくさん響いていただろう。
段々と雲行きが怪しくなってきて、
家族連れや、散歩やジョギングをしていた人々もいつの間にか引き上げていた。
唯一、大学生らしき女の子二人組が川べりでなぜかお互いムキになって
石投げをしている。
「だから、絵里の方がぜったいガキさんよりうまいもん!」
「カメには無理でしょーが」
「出来るってば!」
「さっきから飛ばないでボッチャンボッチャン落ちてんじゃん」
「うるさい!まだやるの」
- 168 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:21
-
ひとみは微笑んだ。
梨華も石投げ出来なかったな。
何度コツを教えても出来なくて、ムキになって何度も何度も
川に投げ込んで、翌朝、筋肉痛になったんだっけ――
『ひーちゃんが止めてくれないから』
『何度も無理だって言っただろ』
『無理だって言われたらやりたくなるの!』
もしも――
梨華が生きていたなら、今頃まだあんな風に石投げなんかしてただろうか・・・
いたたまれなくなって、ひとみは二人から目を逸らした。
深呼吸をして、川を見つめる。
- 169 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:22
- ひとみは川が好きだ。ここだけは、気負いがないから。
山のような雄大さもないし、海のような壮大さもないけれど、
川には優雅さがある。
山と海をつなぐ優雅な流れ。
川の長い長い旅があってこそつながりゆく陸地と海の妙。
その妙なる流れをひとみは不思議に思う。
嵐の夜には濁流となって流れ行くのに、一夜明ければ、浄化される。
いつの間にか、いつもの綺麗な流れを取り戻し、
何事もなかったかのように澄ましている。
その神聖な流れを見ていると心が安らぐ。
洗われていく――
- 170 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:22
-
雨が降ってきた。
ぽつぽつと、流れる川面に波紋を作っていく。
「ほら、カメいい加減行くよ!」
「だって〜」
「だってじゃない!」
「待ってよ、ガキさん」
ガキさんと呼ばれた子が自然と手を伸ばす。
二人の手がつながれる――
(そっか、そういう仲か)
不思議なものだ。
世の中には、ちゃんと男と女が存在するのに、
そんなものを超えて、どうしても惹かれてしまう人がいる。
これは運命なんだろうか・・・
- 171 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:23
-
「あのー」
声のする方に振り返ると、土手をあがりきった所にさっきの二人がいた。
「雨降ってきましたよ?」
カメと呼ばれている子が、遠慮がちにひとみに問いかける。
「だね」
「傘持ってないんですか?」
今度はガキさん。
「持ってないよ」
「雨宿りした方がいいんじゃないですか?絵里いい場所知ってますよ。
この先をもうちょっと行くと、公園があって・・・」
「知ってる」
- 172 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:23
- 二人は手をつないだまま、顔を見合わせた。
ひとみは微笑むと言った。
「いいんだ。もう少しここに居たいから」
「でも・・・」
「二人とも早く行かないと、濡れちゃうよ」
「そうですけど・・・」
まだ何か言いたげなカメちゃんの手をガキさんが無言で引っ張る。
「だって、ガキさん」
ガキさんは黙って首を振ると、カメちゃんをもう一度引っ張った。
ひとみの姿に何かを感じてくれたのかもしれない。
ひとみは黙って前を向くと川面に目を戻した。
バタバタと足音がする。
そう、今は一人になりたいんだ。
だから・・・
- 173 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:24
-
「あのー」
突然、目の前にカメちゃん。
「なんだよ」
「見たことあるんです」
「はあ?」
「どっかで」
「ちょっとカメ!いきなり走り出さないでよ」
遅れてガキさん登場。
「ごめん。この子の言ってることが理解できないんだけど」
「すみません。カメ、ほら謝んなよ」
「違うの。どっかで見たことがあるの!」
「アタシを?」
「はい」
「人違いでしょ」
「絶対違います!あー、どこだろ・・・」
「ハアー、もういいからカメ」
ガキさんはおでこに左手をあてて、大きなため息をつく。
何かこの子達おもしれぇ。
- 174 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:25
- 「ほら、帰るよ」
ガキさんが右手を差し出す。
再びつながれる手と手。
「ほんとにすみませんでした」
ガキさんが深々と頭をさげる。
「いや、いいよ」
ガキさんが手を引っ張って歩き出そうとした途端
「わかった!!」
「わかった、わかった、ガキさんわかったよ!」
「何がわかったのよ?」
「ほら、この紙袋。おばちゃんとおじちゃんのとこのだよ。
あそこで見せてもらったじゃない。すごい綺麗な二人の写真。
でも、一人がかわいそうなことになっ・・・」
「カメっ!!」
カメちゃんが気まずそうに、ひとみを見る。
「あの夫婦、アタシらの写真を学生に見せてたのか・・・」
- 175 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:26
- 「違うんです!」
ガキさんが言った。
「本当にカメが失礼なことして、すみません。
でも、あたし達あの写真に勇気もらったんです。
やっぱ、その、女同士だし、何か罪悪感みたいのとかあって、
あの店で別れ話になっちゃったんです。
カメは泣き出しちゃうし、あたしもカメのこと好きなのに
ほんと、どうしていいかわかんなくなっちゃって・・・
そしたら、おばちゃんが、そっとあの写真を見せてくれたんです。
すごく大事そうに、小さなアルバムにしまってあって。
中を見てごらんって」
「絵里、すごい感動したんです!どの写真見ても、二人とも輝いてて。
おばちゃん、あなた達も頑張れば、こんな風になれるよって
言ってくれたんです。だから今こうしてガキさんと居られる」
そう言って、カメちゃんはつないだ手に力を込めた。
- 176 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:27
- 「そっか・・・」
「あの、その節はありがとうございました」
ガキさんがバカ丁寧に頭をさげる。
「フハハハ、アタシは何もしてないよ」
「でも、ほんとにあれがなかったらあたし達・・・」
「で、そのかわいそうなことになった話は聞いたの?」
「・・・はい」
ひとみは目を閉じた。
「じゃあさ、恩人に約束してよ。その手をお互いに離さないってさ」
こんな思いはこの子達にさせたくない。
「はい、約束します」
「ハイ、絵里も約束します」
ひとみは大きく息を吸うと、目を開けた。
「よろしい。二人とも幸せになるんだよ」
二人は顔を見合わせて、一緒に『はい』と言った。
- 177 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:27
-
「今日はさ、命日なんだよ。だからね、二人でよく来た
この川原にもう少しいたいんだ」
「邪魔してすいません。でもお会いできて良かった」
「絵里も」
二人は『失礼します』と言うと、また土手を上がって行った。
視線だけで、二人を見送る。
土手を上がりきった所で、カメちゃんが大声で叫んだ。
「また、お会いできますよねー!」
ひとみは微笑むと、無言のまま手を振った。
- 178 名前:第3章 2 投稿日:2007/11/28(水) 14:28
-
二人が見えなくなると、辺りは静まりかえり、
川原には、とうとう、ひとみ一人だけになった。
次第に強さを増す雨。しとしとと静かに、ひとみを濡らしていく。
春の雨は温かい。
なんとなく梨華の香りがして、梨華のぬくもりに包まれたような気分になった。
どうしようもない自分のために、梨華が泣いてくれているのだろうか?
ひとみはそのまま寝転がった。
そして、雨を、梨華の涙を全身で感じようと静かに目を閉じた。
- 179 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/28(水) 14:29
-
本日は以上です。
がきかめ登場の巻でした。
- 180 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/28(水) 22:58
- サラサラと砂時計の砂が堕ちていく光景が見えるようです。
よっすぃーに流れる時の流れがひどく切ない。
- 181 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/28(水) 23:41
- 連日更新疲れ様です。
もう・・号泣です。
梨華ちゃんへの思いが溢れかえっていて、どうしようもない悲しみが伝わってきて
涙が止まりません。
- 182 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/29(木) 05:32
- 早めの更新と聞いてまた今日もやって来ました
今日も涙腺がャバイです!フゥ〜!
(こんな時こそおーいお茶!がほしい!ってなんじゃこりゃ)
玄米ちゃ様あまりご無理をなさらぬように。でも、ありがとう!!!
- 183 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/30(金) 17:29
-
>>180:名無飼育さん様
とても詩的で素敵な表現をして頂き、うれしい限りです。
ありがとうございます。
>>181:名無飼育さん様
号泣しちゃいましたか。すみません。
作者も書いていて、胸がチクチク痛みます。
二人には早く幸せが訪れてほしいと願っています。
(ってか、早くそこにたどり着かせろ!って感じですよね・・・)
>>182:名無飼育さん様
いつもありがとうございます。
レスつけて頂けるととても励みになります。
では、本日の更新に参ります。
- 184 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/11/30(金) 17:29
-
- 185 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:31
- 大学の入学式で、ひとみは目を疑った。
遠くに見えた彼女、石川梨華の変わりように。
母親らしき人と話しながら歩くその横顔は、間違いなく彼女のものだ。
一年間ずっと見つめ続けた彼女の横顔を見間違える訳がない。
けれど――
今の彼女は、髪をショートにし、黒髪を少し茶色にして、
そして何よりあの三日月のように優しい
漆黒の瞳を隠していた眼鏡がなくなっていた。
あまりの神々しさに、しばし、見とれてしまった。
ふいに目が合った気がして、ひとみは慌てて目を逸らした。
今頃、心臓が早鐘を打っている。
彼女がこの大学を選んでくれたことを、
どうしようもなく喜んでいる自分がいた。
(一人になるつもりで来たのに)
そう思って、ひとみは一人苦笑した。
もう一度、そっと梨華をうかがうと、母親と談笑していた。
何だかとてもうれしくて、その日一日、ひとみは浮かれていた。
- 186 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:32
- 一週間後、とりあえず、ひとみはお遊びサークルの一つに入った。
そこは、四季それぞれの遊びを楽しむお気楽なもので、
他のものを掛け持ちしてもいいし、
出ても出なくてもいいという自由なサークルだった。
かなりしつこく女性の先輩に勧誘されたことも一つの理由だが、
人数も多いし、とりあえずこの学校を知るには都合がいい気がした。
数日後、当然のように新入生歓迎コンパというものがあって、
ひとみも参加した。
そこで驚いたのは、このサークルの人数の多さだけではなく、
その席に梨華もいたことだった。
- 187 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:33
- 席が離れているので、話すことは出来ないが、
梨華の周りには人が群がっている。
そして、なぜか別の宴席にいた野郎どもも、梨華に声をかけている。
そりゃ、そうだろう。
今の彼女には、輝きがある。
高校時代の彼女は、輝きを自分の内に秘めていたが、
今は表に出ているのだ。
その輝きに魅せられた野郎が群がるのは当然だろう。
だけど――
面白くない。
彼女の輝きを一番に見つけたのはアタシだ。
誰も気付かなかった、その輝きを自分は一年も見つめ続けてきたのだ。
それなのに・・・
同じ高校出身だからと言って、同じクラスだったからって、
話したこともないのだから、この苛立ちが筋違いなのは分かっている。
けれども、一番腹立たしいのは、彼女がうれしそうに微笑んでいることだ。
- 188 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:34
-
「君カッコイイのにさっきから、不機嫌な顔してる」
隣にいた女の先輩が、ひとみの頬をつまんだ。
「そんなことないですよ」
「ほら、不機嫌じゃない。ねぇ」
回りにいた人たちも相槌を打つ。
「もっとカオリの方見てよ」
両手で頬を挟まれて、カオリと名乗る先輩の方を向かされる。
今まで、梨華ばかりみていたから、気付かなかったが、
ひとみもいつの間にか囲まれていた。
こちらはなぜか女性ばかりだけども。
- 189 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:34
- 「飲もうよ」
カオリ先輩が言う。
ひとみは自分のグラスを掴み、中身を一気に煽った。
そして、得意の仮面をつける。
「先輩、飲み比べしましょう!」
笑顔でそう答えると、カオリは破顔した。
目には艶っぽい光が漂っている。
そら、皆この笑顔に騙される――
グラスに新たに酒を注いでもらいながら、
ふと梨華を見やると、彼女だけが悲しい瞳をしてひとみを見ていた。
高校の頃、数学教師を出し抜いた時と同じように――
- 190 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:35
-
一次会がお開きとなった。
二次会になだれ込むものもいれば、家路へ急ぐものもいる。
人数が多すぎるせいか、あまり干渉されないらしい。
が、気に入られた人間は別だ。
ひとみは、さっきからしきりに女性陣から二次会へと勧誘されていた。
そして、隣に座っていたカオリ先輩も、ひとみとの飲み比べで、
したたか酔って、必要以上にひとみに絡み付いている。
どうやら、今日は獲物にされたようだ。
チラリと梨華を見ると、梨華もまた男性陣の輪の中にいた。
そのうちの一人がやけに馴れ馴れしく梨華の方を抱いている。
- 191 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:36
- ひとみは腹の底から不快感が駆け上がってくるのを感じていた。
こんな気持ちは初めてだ。
ガードレールに腰を下ろして、ひとみが必死に平静を保っていると、
カオリも横に腰を下ろし、ひとみの顎を掴んで自分の方に向きなおさせた。
そして、ひとみの耳元に口を近づけると囁いた。
「二人で抜けない?」
それも悪くない。
この人結構美人だし。名前聞いたけど忘れちゃったな。
とりあえず先輩でごまかしときゃいいか。
来る者拒まずでしょ、やっぱり。
『いいですよ』
そう言おうと思って、先輩の耳元に近づこうとした時、
「送ってよ」
頭上で声がした。
- 192 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:37
- 顔を上げると、梨華がムッとした顔で見下ろしていた。
「家近所でしょ。送ってよ」
「アンタ何?」
先輩が立ち上がって、梨華を威嚇する。
ひとみは慌てて、二人の間に入ると言った。
「彼女、アタシの高校からのクラスメイトなんです。
家ほんと近いし、帰り送る約束してたから。
先輩、今日は飲みすぎてますから、今度ね、今度」
そう言って、ひとみは先輩の手を取ると、
さっきまで梨華を囲んでいた野郎集団に引き渡した。
「と言う事で、お疲れ様でした!」
そう言って、集団に背を向けると、
今度は梨華の手をとって、走り出した。
後ろから、色んな怒号が聞こえたが、そんなことどうでも良かった。
今こうして、彼女の手を取れた。
そのことだけで充分満足だった。
- 193 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:38
-
夜の静寂に、二人の荒い息だけが響くようになって、やっと立ち止まった。
離した手の平にスッと風が吹き抜けて寂しさを覚える。
「あーあ、これで、あのサークル、もう行けなく、なっちゃった」
梨華が大きく息をして呼吸を整えながら言った。
「ごめん」
ひとみは素直に謝った。
「意外と素直なんだ、吉澤さんて」
「勝手に連れ去っちゃったから」
「だって送ってって言ったの、私だよ」
「そういえば、そうだね」
顔を見合わせて笑った。
その笑顔が眩しくて、ひとみは目を逸らすと言った。
「おわびにそれ持ってくよ」
梨華の足元に置かれた紙袋を指す。
「ごめん、重いの持ってたのに走らせちゃった」
「大丈夫だよ。昨日買いそびれた教科書を少し買っただけだから、
そんなに重くないよ」
そう言って、梨華が持ち上げようとするのを制して、
ひとみは紙袋を持ち上げた。
「大丈夫。力はあるからさ」
「ありがとう」
- 194 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:41
- 「送ってくよ、家どの辺?」
「ほんと近いんじゃなかったっけ?」
梨華がいたずらっぽく微笑む。
「あれはさあ、ああでも言わないと・・・」
「ほんとに近いんだよ」
「え?」
「吉澤さんのアパートの向かいに五階建てのマンションあるでしょ?」
「うん」
通りを挟んだ向かい側に、綺麗なワンルームマンションがある。
大家さんがうちの女子学生が結構住んでるって言ってたっけ。
ってことは・・・
「その401号室なの」
「えっ!そうなの?」
「吉澤さんはお向かいのアパートの104号でしょ?」
「知ってたの?」
「だって、私が引越ししてきた時、
その部屋から吉澤さんが出てきたのが見えたから・・・」
言いながら、なぜか梨華は俯いてしまった。
- 195 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:43
- 「声かけてくれれば、よかったのに」
「だって、話したことないのに?」
上目遣いで、ひとみを見る。
その表情にまたひとみの心臓がトクンと跳ねる。
「自信なかったんだ。吉澤さん、私のことなんか知らないんじゃないかって」
「一年も同じクラスにいて、知らないわけないじゃん」
「でも、話したことなかったから」
「それでも、知ってるよ」
一年間、見続けてたとは言えなかった。
「アタシこそ、石川さんが知っててくれて光栄です」
ちょっと茶化した。
「こんな有名人、知らない方がおかしいよ」
そう言って、梨華は歩き出した。
ひとみも並んで歩く。
やっぱり有名って、女タラシとか、良からぬ評判で有名ってことだよね?
そういう目で見られてるよね、アタシ・・・
- 196 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:44
- それからは、高校時代の話に花が咲いた。
当たり障りのないこと。
やけに瞬きの多い国語の教師が授業中に何回瞬きをするか
数えたことがあるんだとか、バカ騒ぎをした友達の話や、
修学旅行の話など・・・
ひとみはやっと彼女と話せたことが嬉しくて浮かれていた。
ひとみの話に時々相槌を打って、笑っていた梨華が、
家まであと数メートルという所で、突然話を変えた。
「ねぇ、吉澤さんは何でこの大学に来たの?」
不意を付かれて、ひとみは一瞬言葉を失った。
が、慌てて笑顔を作って、彼女の顔を覗き込んだ。
「急にどうしたの?」
梨華は真剣な顔でひとみを見返している。
だから言った。
- 197 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:45
- 「学びたいことがあってさ――」
「嘘。だって、うちの大学って特別なものなんて何もないじゃない」
「・・・自然。そう、自然が売りでしょ」
「ねぇ・・・本当は変わりたいんじゃないの?」
遠慮がちに梨華が言った。
「変わる?」
平静を装ったつもりだったけど、語尾が上ずった。
――やめて、アタシの心に踏み込んできたりしないで。
「吉澤さん、素顔に戻りたくて、誰も行かない大学、
志望したんじゃないの?」
澄んだ漆黒の瞳が真剣にひとみを見つめている。
ひとみはたまらず目を逸らした。
何て言えばいい?
どの仮面をつけたら彼女を誤魔化せる?
- 198 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:45
- 「何言ってんの?」
カラカラと笑って言った。
こんな時はやっぱり笑顔の仮面でしょ?
「・・・吉澤さんの笑顔、見るの辛いよ」
上がった口角が引きつった。
それでも必死に言葉を紡ぐ。
「笑顔が辛いってどういうこと?」
「何か無理してる。私いつも思ってたの。
吉澤さんの笑顔見るたびに、すごく冷たい顔して笑ってるって。
でも、その後すぐ、すごく寂しそうになって・・・見てられなくなるの」
必死に訴える彼女の口を呆然と見つめていた。
――無理してるだって?
――冷たいだって?
――寂しそうだって?
目の奥がチカチカする。
待ってよ、いつだってうまく笑えてたでしょ?
何でそんな事言うの?
どうしてそんな哀れな目でアタシを見るの?
- 199 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:46
-
「ヤダ・・・なぁ。無理なんかしてないよ」
揺れる瞳を誤魔化すためにひとみは俯いた。
笑いをこらえている時にするように、ひとみは右の拳を口にあてて、
肩をすくめてみせた。
「勘違いだよ、石川さんの」
かすかに震える右手が忌々しくて、すぐに下ろして後ろに隠した。
「吉澤さん、多分皆気付いてたよ。
吉澤さんが本当に笑ってなんかいないってこと」
- 200 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:47
- 思いっきり、ハンマーで頭を殴られた気がした。
ドクドクと赤黒い血が流れ出す。
皆気付いてただと?
嘘でしょ?
だって皆、アタシのそばにいてくれたじゃないか?
笑顔でいたら、皆近寄ってきたじゃないか?
それは嘘だったの?
あまりにも哀れだったから?
「ごめんね、吉澤さん。でも、今日だって見てられなかった。
ここに来たの、変わりたいからじゃないかって思ってたのに、
また同じ顔するから・・・」
苦しい・・・
呼吸が出来ないよ。
ここだけ酸素がないの?
誰か助けてよ――
- 201 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:47
- 梨華が一歩前に出て、俯いてかすかに震えている
ひとみの頬に触れようとする。
「吉澤さん、わたし・・・」
「触るな!」
梨華の手がビクッとして、そのまま固まった。
「触らないで。アタシに触れないで・・・」
消え入りそうな声で呟いて、
ひとみはそのまま後ずさると、深呼吸をした。
粉々に砕け散った仮面をかき集める。
「またね」
うまく笑えた自信はない。
けれど今のひとみには精一杯。
- 202 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:49
-
お願い、これ以上アタシに踏み込んで来ないで――
梨華に背を向けると、ひとみはもつれそうになる足を、
必死で動かして、アパートまで走った。
ポケットから鍵を取り出すけど、手が震えていてうまく鍵穴に刺さらない。
冷や汗が背筋を伝う――
待って、もう少し。家の中に入るまで。
カノジョガミテイル
スガオハサラセナイ
鍵を開けて、部屋の中に滑り込んだ。
乱暴に靴を脱いで、ワンルームの部屋にあるありったけの電気をつける。
玄関、部屋、トイレ、風呂、テレビ・・・
全部、全部つけて、孤独を拭い去ろうとする。
大丈夫、大丈夫。アタシは一人じゃない。
その証拠にまだ笑えるでしょ?
けれど、窓ガラスに映った自分の顔は酷く歪んでいた。
- 203 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:49
- 急に体が激しく震えた。
足下から這い上がってくる暗闇がひとみを包もうとする。
あまりの恐怖にひとみは自分の体をかき抱いた。
――やめて、孤独はもう嫌だ!
部屋が酷く揺れている。
足元が沼地のようになって、どんなに踏ん張っても立っていられない。
とうとう膝から崩れ落ちた。
前のめりになって、もっと激しく自分をかき抱く。
底知れぬ恐怖がひとみに襲いかかってくる。
――やめて!怖いよ!怖くてたまらない。
――お願い、一人にしないで。
――もう、孤独はたくさんだ!
顎が震える。涙が溢れ出す。
床に頭をこすり付けて、幻想を振り払う。
――だめだよ、母さん。
――アタシを一人にしないで!
- 204 名前:第3章 3 投稿日:2007/11/30(金) 17:50
-
「母さんっB」
背中にぬくもりを感じた。
誰かがアタシを抱きしめてくれているの?
それともこれも幻想?
幻想でもいい。
今はこの震えを止めて欲しい。
この恐怖を拭って欲しい。
ひとみはその人にしがみついた。
そっと背中を撫でてくれる。
「大丈夫、大丈夫だよ。一人になんてしないから」
繰り返し、優しく囁いてくれる、その声を聞きながら、
ひとみは気を失った――
- 205 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/11/30(金) 17:51
-
本日は以上です。
- 206 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/01(土) 00:01
- 物語の中に引き込まれました。
これが初小説とはあっぱれです。
- 207 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/01(土) 05:47
-
ふぅ〜
梨華ちゃん吉のことたのんだよ!
- 208 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/01(土) 20:13
- こんなに早く続きが読みたいって思った小説は久しぶりだ
でも終わって欲しくない
何この矛盾w
- 209 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/04(火) 15:17
-
>>206:名無飼育さん様
うれしいお言葉ありがとうございます。
期待を裏切らないように頑張ります。
>>207:名無飼育さん様
あい分かりました。うちの梨華ちゃんに伝えておきます。
>>208:名無飼育さん様
こちらもうれしいお言葉ありがとうございます。
うれしいお言葉を頂くと俄然やる気が出てきます。
ということで、本日の更新にまいります。
- 210 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/12/04(火) 15:17
-
- 211 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:18
-
優しく髪をひいている心地よい感触に包まれたまま、
ひとみは目が覚めた。
薄く目を開けると、まるで赤子のように誰かの腕の中に抱かれていた。
まだ夢をみているのだろうか?
ならば、もう少しこのままでいたい――
「気が付いた?」
見上げると、あの漆黒の瞳が優しげに見つめていた。
弾かれたように身を起こす。
「石川さん!」
「ごめんね。勝手に上がり込んじゃった」
梨華がはにかんだ。
- 212 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:19
-
「・・・どうして?」
「アレだよ」
そう言って梨華は紙袋を指差した。
「だって吉澤さん、私の教科書持っていっちゃうんだもん」
そっか、アタシ、余裕がなくてそのまま持ってきちゃったんだ。
そして、そこで気付く。
とんでもない醜態を晒してしまったということに――
「ア、アタシ・・・」
顔に手をやる。指先に湿った感触。
やっぱり・・・彼女に素顔を見られた――
愕然として、壁にもたれかかった。
- 213 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:19
-
「そうだ。温かい紅茶いれよっか、落ち着くよ?」
梨華は一度うつむくと、
『ちょっと足しびれちゃった』とテレ笑いをしながら立ち上がり、
『お借りしまーす』と言って、小さな鍋を手に取った。
「今日友達にあげようと思ってたのに、忘れちゃってて。
丁度紅茶の葉持ってるんだ」
鍋を火にかけ、カバンから缶を取り出して、手際よく準備していく。
「牛乳ある?」
「・・・冷蔵庫」
梨華の明るい声とは対照的に、ひとみはぼそぼそと答えた。
掠れてしまってうまく声がでない。
――アタシのあんな姿を見て、軽蔑しないの?
- 214 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:20
- 「ほんとは、ティーポットでちゃんと淹れられればいいんだけど・・・」
そう言いながら、あちらこちらの引き出しを引っ張って、
やっとお目当てのものを探し出すと、器用に箸で茶葉を押さえて、
カップに注いでいく。
「はい」
壁にもたれて、膝を抱えていたひとみの前に、
湯気が立ち昇るカップが差し出された。
身動きしないひとみの片手を取ると、梨華はカップを握らせた。
「温かいよ?」
優しい瞳で、正面からひとみを覗き込む。
ひとみがカップを両手で握ると、
ほろ苦いような、それでいて甘い香りが鼻をくすぐった。
懐かしい香り。遠い昔に、
本当にまだ小さな頃に嗅いだ甘い甘い匂い・・・
- 215 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:21
-
ゆっくりと口に含んだ。
「――おいし」
自然と零れた言葉。
自分で言って驚いた。
こんなに素直な言葉が自分の口から出るなんて。
おいしいなんて言葉、もう何年も使っていない気がする。
「よかったぁ!」
梨華が破顔する。
一瞬にして、花が咲いたような、そんな表情。
思わず、ひとみの顔が綻んだ。
優しい気持ちが内側から湧き出してくる、そんな感じ。
「あっ、その顔!私が始めて会ったときの吉澤さんの顔だ」
梨華にいきなり言われて驚き、眉だけをひそめる。
- 216 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:22
-
「ごめん。私何かうれしくなっちゃって・・・
それに、酔った勢いでひどいこと言っちゃった」
俯いたまま梨華がつぶやく。
「隣、座ってもいいかな?」
遠慮がちに梨華が聞いたので、ひとみは黙って頷いた。
梨華は微妙な距離をとって、ひとみと同じように壁にもたれて座った。
そして、フレアのスカートの中で折りたたんだ膝を抱えて、
持て余すように小さくて華奢な指を交差させたり、はずしたりしていた。
ひとみは視線を落としたまま、彼女の指を見つめていた。
- 217 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:22
-
「あのね」
梨華の言葉に視線を上げた。
一年見つめ続けた横顔が、こんなに間近にある。
心なしか紅く染まった頬がまた優美で、見とれてしまいそうになって、
慌てて視線を戻した。
「私達、高校に入学したての頃、お話したことあるんだよ?」
彼女の思いがけない言葉に、また視線を上げた。
優しい眼差しとぶつかって、視線をそらす。
「やっぱり覚えてないかぁ」
明るくて、そして少し落胆した彼女の声・・・
そして、思い出すように目を細めると、また指いじりをしながら話し出した。
- 218 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:23
-
「あの日、家を出るときは、晴れてたのに、
学校ついた途端、雨が降り出しちゃって。
天気予報でちゃんと降るって言ってたみたいなんだけど、
朝寝坊しちゃったから、慌てて家飛び出したんだよね。
だから私傘持ってなくて、昇降口でじっと空見てたの。
入学したてだし、まだあまり友達出来てなかったし、
一緒に入れてとか何か言いづらくて、早く止まないかなって」
梨華は確認するように、一瞬ひとみに目をやると続けた。
「そしたらね、花柄の真っ赤な傘さした人が目の前を通り過ぎたの。
外見がボーイッシュだったから、意外だなぁって、私思わず
じぃっと見ちゃってたんだよね」
梨華は思い出すようにクスリと笑った。
「それがね、吉澤さんだったの」
- 219 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:24
-
『あれ?傘ないの?』
『えっ?あ、べ、別に大丈夫です』
『そんなにどもらなくてもいいじゃん。あ、赤い色で興奮しちゃうとか?』
『違います!』
『コレ、使いなよ』
『え?で、でも・・・』
『いいの、いいの、じゃ!』
「吉澤さん、そう言って、カバンを頭にのせて、
『春雨じゃ濡れてまいろーう!』とか言って、
私が止める間もなく走り出しちゃったんだよ。
そして、校門の所から大声で叫んだの」
「アタシが?」
「そう。『それ、電車で拾ったヤツだから返さなくていいよー!
もしどうしても返したかったら、駅に返しといてよ!』って」
梨華は両手を頭にのせて、当時のひとみを再現するかのように、
楽しそうに話した。
そして、ひとみをしっかり見つめて言った。
「その時のね、笑顔が、さっきみたいな優しい顔だったんだ・・・」
梨華は視線を前に戻すと、恥ずかしそうに続けた。
- 220 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:25
- 「その後ね、何度もお礼言おうと思って、近づこうとするんだけど、
吉澤さんの周りにはいっつも、たくさんの友達が居て。
恥ずかしいから、一人の時を狙って言いに行こうと思ったのに、
全然一人になってくれなくてさ」
梨華の頬が、少し赤く染まるのが分かった。
「だから、時ばっかりが過ぎちゃって、半年経って。
でもいつも吉澤さんの様子窺ってたの。
で、その内ね、気付いちゃったんだ。
吉澤さん、いつも本気で笑ってないって。
すごく楽しそうに振舞ってるのに、どこか空虚で、
まるで仮面を被ってるみたいって思ったんだ。
冷たい目をしてると思ったら、どこか悲しそうな瞳になって。
なんだか全然別人に見えてきちゃったの。
だから、人違いだって。
あの日雨降ってたし、ちゃんと顔見てなかったから見間違えたんだって、
お礼を言えない自分にちょっと言い訳したりしてね・・・
本当は覚えられてなかったりしたら、
ショック受けちゃいそうな気もあったからなんだけどね」
ひとみは梨華が話すのを、ただ黙って聞いていた。
- 221 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:25
- 「すごい観察眼でしょ?」
梨華がいたずらっぽく聞いた。
「その当時の私なら、観察日記つけられたよ、きっと」
矢継ぎ早に繰り出される梨華の言葉を、
ひとみは身動きもせず、ただ黙って聞いていた。
頭が真っ白で、どう反応したらいいのか分からない。
それを梨華は怒っていると勘違いしたのか
『ごめんね』と小さく言った。
「でもね、その数日後、あの日私に傘を貸してくれて、
優しく微笑んでくれたのは、やっぱり吉澤さんだったって、
確信できた出来事があったの」
ひとみは視線だけで問いかけた。
「学校に子犬が迷い込んできたの、覚えてる?」
ひとみのキョトンとした顔を見て、
梨華は『やっぱりこっちも覚えてないか』と小さく微笑むと続けた。
- 222 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:26
-
「私は、その日委員会で遅くなって、放課後残ってたんだけど、
吉澤さん、部活に入ってないのによく放課後残ってたじゃない?
教室に戻ろうと思って渡り廊下を通ったら、中庭から声が聞こえて。
なんとなく覗いたらね、吉澤さんが、
お世辞にもきれいとは言えない子犬を抱っこしてて。
制服が汚れちゃうのも構わないで、
『お前も一人なのか?』って言いながら優しくなでてあげてたの。
その笑顔がね、やっぱりすごく優しくて。
ああ、この人で間違いなかったんだって思ったんだよ」
梨華はひとみの反応を確認するように見ると、続けた。
「でね、今お礼を言おうって思って、近づこうって思ったら、
その子犬が吉澤さんの腕から飛び出して、現れた親犬の所に走っていったの。
それを見て吉澤さん、すごく優しい目で『よかったな』って言ったんだけど、
その後すごく寂しそうな瞳をしてた。
それ見たら、また出て行けなくなっちゃって・・・」
梨華が俯いた。
ひとみが横顔を盗み見ると、長い睫毛がかすかに揺れていた。
涙がこぼれそうなのだろうか?
- 223 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:27
- 「それからまた話しかけられなくなって、
せっかく三年生になってやっと、クラス一緒になったのに・・・
結局、一度も話しかけられなかったな」
そう言って笑った梨華の瞳は、少し潤んでいたけど、
とても優しい色をしていた。
「ありがとう、吉澤さん。それと・・・遅くなってごめんね」
ひとみの心の中でカタンと音がした。
『ありがとう』なんて、ありふれた言葉。
なのにどうしてアタシの心はこんなにも激しく揺さぶられているのだろう?
言葉なんてただの伝達手段だ。
信じるもんか。
人間が吐く言葉なんて信じるもんか。
なのにどうして。
彼女の言葉が、声が、アタシの心をかき乱す。
やめてよ!
ただ傘を貸しただけじゃないか。
なのになぜ、そんなに優しい声でアタシを揺るがすの?
息が苦しい。胸が痛い。
どうして、どうして君はアタシの心に触れようとするんだB
- 224 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:28
- 目を背けてしまい、何も言わないひとみを見ると、
梨華は悲しげな声色で言った。
「ごめんね。勝手に一人でしゃべって・・・」
なぜだかまた、ひとみの心から音がする。
「今日は帰るね」
そう言って、立ち上がろうとする梨華の右手を、ひとみは反射的に掴んだ。
驚いた顔の梨華と目が合う。
「――どうして・・・、どうして何も聞かないの?」
喉がカラカラしている。
ひとみは声を絞り出した。
「あんな姿を見て、なぜ何も聞かないの?」
きっと今の自分の目は何の感情も表していないはずだ。
軽蔑、哀れみ、蔑み・・・どんな視線にも耐えてみせる。
そして、笑ってみせる。
けれど、彼女が見せた目の色は、とても強い意志を含んでいるようだった。
- 225 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:29
-
「――好きだから。あなたが好きだから」
ひとみは、梨華の手を握ったまま、呆然とした。
「好きって・・・」
「あの日からあなたをずっと見てた。ずっと好きだったの。
この大学に来たのだって、あなたを諦められないからなのに・・・」
梨華の瞳がはじめて揺れた。
大きな涙が零れ落ちる。
「どぉして、気付かないかなぁ。
この髪型も、髪の色も、コンタクトに変えたのだって、
あなたに気付いてほしいから。
あなたの瞳に私を映してほしいから。
だから、私・・・
吉澤さんが付き合ってた中で、一番長く続いた彼女の真似したのに」
どぉして、気付かないかなぁ・・・
もう一度小さくつぶやいて梨華は両手で顔を覆った。
たまらず、ひとみは立ち上がって梨華を抱き寄せた。
- 226 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:29
- 「ごめん・・・」
「それって、私振られちゃったの?」
「ち、違うよ。今のは、その・・・何て言うか、
気付かなかったことと、アタシの無神経さをお詫びしたんだ」
「うん」
「それから・・・」
ひとみは深く息を吸い込んだ。
さっきの君みたいに自然には出来ないけれど、
もし言葉に思いを込めることができるのなら、
自分にも出来るかやってみたいんだ。
体を離して、梨華を見つめる。
濡れた頬を、指で拭ってあげる。
一度目を瞑った。
今自分の中にある感情を言葉にのせようとイメージする――
- 227 名前:第3章 4 投稿日:2007/12/04(火) 15:30
-
「ありがとう」
思ったより、すんなり言えた。
目の前の大きな瞳から、次から次に湧き出してくる涙――
アタシ、心込めて言えたみたいだね。
なんだ、難しいことなんて何もないや。
ただ素直になればいいだけだ。自分の心に素直に従えばいいんだ。
「ねぇ、石川さん。今度は、アタシの話、聞いてくれるかな?」
- 228 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/04(火) 15:30
-
本日は以上です。
- 229 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/06(木) 00:57
- 次回はよっちゃんのいろんな意味での告白かな?
楽しみにしてます。
- 230 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/06(木) 06:42
- ハジマッタ、フタリノモノガタリ。
- 231 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/07(金) 12:02
-
>>229:名無飼育さん様
予想された通りです。
>>230:名無飼育さん様
楽しんで頂ければ幸いですが、本日はまた痛くなりそうです。
それでは、本日の更新にまいります。
- 232 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/12/07(金) 12:02
-
- 233 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:03
- 梨華はもう一度紅茶を入れなおしてくれた。
今度は甘いミルクティーではなく、ストレートで。
ちょっと不思議な香りのする紅茶だった。
「アールグレイって言うの」
「ふーん」
「一番のお気に入りなんだ」
「そっか」
そのまま沈黙が続く――
二人が紅茶をすする音。カップを置く音。
再びカップを持ち上げる音。その繰り返しだった。
なかなか切り出せない。
彼女に話したところでどうなる?
――ずっと誰かに聞いてほしかった。
話したらきっと離れていくよ?
――でも、あんな姿を見ても彼女は逃げなかった
そんな心の葛藤をぶち破ってくれたのは、やはり彼女だった。
「いつまでも待ってるから大丈夫だよ。吉澤さんのペースでいいから」
- 234 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:04
-
一瞬の沈黙の後、ひとみはカップを置いて壁に寄りかかった。
天井を仰ぎ、目をつぶって、心を静める。
初めて人に話すことだから、正直どう話したらいいか分からない。
けれど、覚悟を決めた。
彼女の言うように、やっぱり変わりたくてここに来たのだから。
「・・・アタシね、今の家族と血のつながり、ないんだ」
ひとみが突然話し始めても、梨華は身動き一つしなかった。
「本当の父さんは、アタシが三歳になったばかりの頃死んだんだ。
そいでもって本当の母さんは、今の義父と再婚してすぐ死んだ。
小学校に上がる直前だった」
目を閉じたまま続ける。
決意が揺らがないように、のどの奥から言葉を絞り出す。
「母さんのこと・・・アタシが殺したようなもんなんだ」
声が震えた。
彼女の表情が怖くて見られない。
どんな顔をして、聞いているのだろうか?
自分を恐れているだろうか?
そしたら、言ってあげよう。
また仮面を被って、嘘だよって・・・
- 235 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:05
- 目を開けようとしたその時、優しく手を握られた。
本当に大事なものを包み込むように。
ひとみの左手を持ち上げて、両手で大事そうに抱えている彼女は、
静かに泣いていた。
「どう、して・・・泣くの?」
「吉澤さんが泣いているから」
えっ?
ひとみは右手で目の辺りに手をやった。
なんでアタシ泣いてるんだ?
- 236 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:06
-
「吉澤さんの苦しみ、少しでもいいから一緒に背負わせてほしいの」
梨華の瞳から、また一筋涙がこぼれた。
頬を伝わって、彼女が抱え込んだひとみの手の上にこぼれる。
やっと解き放たれた気がした。
何に解き放たれたのかは分からない。
けれど――
一人じゃない。そのことにものすごく安心した。
「あの日、アタシは新しい父さんに買ってもらった帽子を被って、
母さんと一緒に出かけたんだ」
- 237 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:07
-
その日のことよく覚えてるよ。
三月なのに少し汗ばむくらい暑くて。
でも、とっても風が強くて。
ビルの前にいくと、風が葉っぱを巻き込んで渦をまいていて、
アタシもその中心に立ったら、くるくる回れるのかなとか考えてた。
本当は、小学校に行くようになってから被りなさいと
言われてたんだけど、我慢できなかったんだ。
それは、昨日新しい父さんに初めて買ってもらったプレゼントで。
アタシの大好きなアニメのキャラクターの帽子で。
自分にだって、こんなの買ってくれる父さんがいるんだぞ!
って皆に自慢したくて。
うれしくて仕方なかったんだよね。
だから、風が強かったことなんて全く気にならなかった――
- 238 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:07
-
「風が強いから、ちゃんと深く被りなさいよ」
母が言った。
「分かってるよ」
後頭部にあるベルトを一番小さいサイズに調整しても、
その帽子は、まだひとみにはブカブカだった。
「少し大きいんじゃない?」
「大丈夫。大丈夫」
「今日は風強いわよ。飛んじゃったら困るでしょ?」
「飛びそうになったらちゃんと手で押さえるもん」
譲らないひとみを見て、母は微笑んだ。
「ねぇ、ひとみ。新しいお父さん、好き?」
「うん。大好きだよ」
- 239 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:08
- 一緒に暮らし始めて、一週間。
新しいお父さんは、本当に優しかった。
ボール遊びだってしてくれるし、肩車だってしてくれるし、
お馬さんにだってなってくれる。
そして何より、ずっと寂しかったひとみに母さんを返してくれた。
ひとみを育てるために一生懸命働いていた、母さん。
保育園に行って、その後は隣に住む、
一人暮らしの村田のおばあちゃんの所で過ごして、
ひとみが眠くなってきた頃、母さんは迎えにくる。
それでも、幸せだった。
寂しい日もいっぱいあったけど、その度におばあちゃんが教えてくれたから。
『ひとみちゃんは、幸せ者だねぇ。
ひとみちゃんのために働いてくれるお母さんがいる。
大事にしなきゃいけないよ』
『いい子にしてたらねぇ。その内、たくさん幸せが降ってくるよ』
きっと今が、そうなんだ。
ついこの間、村田のおばあちゃんは死んじゃったけど、
アタシもう寂しくないよ。
新しいお父さんが来てから、母さんはずっとアタシと一緒にいてくれる。
幸せが降ってくるってこういうことでしょ?おばあちゃん。
- 240 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:10
-
買い物が終わった帰り道、大通りで先週やめた会社の同僚に
ばったり出くわした母さんは、そのまま話し始めた。
最初は、
「まあ、この子が自慢のお嬢さん?」
とか言われて、頭を撫でたりしてくれてたけど、
今じゃ、ひとみのことなんかそっちのけで話し込んでる。
つまらなくなって、ひとみは歩道の隅を一生懸命歩いている
蟻んこで遊ぶことにした。
手に乗せてみたり、靴で行き先を邪魔してみたり・・・
「道路に出たらダメよ」
話しながら注意する母さんに
「ハーイ」と気のない返事をしながら、
蟻んこと遊んでいたら、突然頭から、帽子が吹き飛んだ。
「あっ!」
小さい悲鳴をあげた時には、その帽子はもう道路の上に落ちていて。
あれほど、手で押さえるからと言って、無理矢理被ってきたのに。
それに、新しい父さんに怒られるのも嫌だった。
昨日買ったばかりなのに、なんて悪い子だって嫌われたらどうしよう。
そうしたら、母さんまたアタシと一緒にいてくれなくなっちゃうのかな。
そんなことを考え出したら、いてもたってもいられなくなって、
ひとみは道路に向かって飛び出していた。
- 241 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:10
-
――あの時、あの帽子を被って行かなければ
――あの時、ちゃんと手で押さえていれば
――そしてあの時、道路に飛び出したりさえしなければ
- 242 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:11
-
「ひとみっB」
強く呼ばれて振り向くと、ものすごく怖い母さんの顔が
あっという間に近づいてきて。
必死で言い訳しようと帽子を前に突き出した。
けれど、次の瞬間、ひとみの体はすごい勢いで突き飛ばされて・・・
倒れたまま見上げた景色の中で、母さんは空を飛んでいて。
母さん、空飛べるんだ・・・って思った自分がいて――
次の瞬間、耳をつんざくようなすごい悲鳴が聞こえてきた。
- 243 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:11
-
「即死だったんだ。アタシを庇ってトラックにはねられて、
二十メートルふっとんで、血だらけになってた。
アタシのせいだよ。この世でたった一人の肉親をアタシが殺したんだ・・・」
「違うよっ!」
今まで黙ってひとみの話を聞いていた梨華が初めて口を開いた。
「違うよ、絶対違う」
そう言って、梨華はひとみの手を握りしめたまま、
ひとみの肩に寄りそった。
「でも、アタシね、はっきり言われたんだ。義父に――」
- 244 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:12
-
母さんの葬式は、あっという間に終わった。
あっという間に小さくなって、もう姿を見ることもできなくなってしまった。
それからは、新しい父さんとも、うまく話せなくなった。
今思えば、たった一週間如きの夫婦生活で、
血の繋がらない子供だけ残されたんじゃたまんないよね。
その時は、よく分からなかったけど、
何かとにかくいい子にしてなきゃと思って、わがままは一度も言わなかった。
あの人が、どんなに遅くなっても、
朝ごはんがなくても、夜ごはんがなくても、
一人の夜に母さんの死に際を思い出しても、
ずっといい子にしてた。
泣いて困らせたら、追い出されちゃうと思って。
だから、あの人の前では、いい子に笑って。
いつでも『はい。父さん。行ってらっしゃい』って、そう言ってた。
- 245 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:13
- あの日の夜は、やっぱりあの人の帰りが遅くて。
一人が怖くてベットで震えていたら、玄関で音がしたんだ。
だから、せめて顔だけでも見たいと思って、部屋を出たんだ。
そしたら、あの人、母さんの遺影の前に座って、ブツブツ言ってた。
とっても酒臭くて、近寄っちゃいけないって思ったから、
そのまま部屋に戻ろうとしたんだ。
そしたら、急にアタシの方を見て、こう言ったんだ。
『何でお前じゃなかったんだ。何でお前が死ななかったんだ。
お前が、お前だったら良かったのにっ!』
凍り付いて動けなくなった。
目を見開いて、固まったままのアタシにあの人は、重ねて言った。
『お前が、母さんを殺したんだ』
- 246 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:14
-
震えながら話すひとみの頭を、
梨華は抱え込むように横から抱きしめた。
「違うよ、そうじゃない。吉澤さんが悪いんじゃない」
ひとみの頭の上で、優しい声がする。
「いいんだ。はっきりそう言われて、何だか分かったんだ。
そっか、アタシが悪いのかって。
だから、父さんも、母さんも皆アタシの前から消えちゃうんだって」
「違うよ、違うったら」
ひとみの頭上にたくさんの雨が降ってくる。
なんて温かいんだろう――
自分のために泣いてくれる人がいるなんて、今の今まで思いもしなかった。
こんなに心が痛むのに、こんなに心が軋むのに、
見えない血が噴き出して、今にも自分がボロボロに壊れてしまいそうなのに、
彼女の胸に抱かれているだけで、なぜだか安心して話せる自分がいた。
- 247 名前:第3章 5 投稿日:2007/12/07(金) 12:15
-
「だからね、アタシは笑顔の仮面を被り、
いい子の仮面を被り続けて、自分から逃げ出した。
自分を通したりしたら、また何か大事なものを失いそうな気がしたから・・・」
梨華が優しく髪をなでてくれる。
だから、ひとみは思い切って言った。
「――孤独が・・・怖いんだ」
雨がより激しく降って来る。
「大丈夫。どんなあなたでも私は好きだよ」
- 248 名前:第3章 6 投稿日:2007/12/07(金) 12:16
-
- 249 名前:第3章 6 投稿日:2007/12/07(金) 12:17
-
梨華との思い出をこうして反芻するのは最後になるのだろうか?
ひとみは、両手を頭の後ろに組んで、川原で寝転び、
心の赴くままに身をゆだねていた。
とても温かくて、優しい風が心の中をそよいでいく。
たった一年だけだったけど、かけがえのない日々だった。
それまでモノクロだったひとみの人生は、
梨華とともにすごすようになってからすっかり変わった。
この世界には、たくさんの色があるということを梨華は教えてくれた。
キラキラ光る朝日や、それをうけて輝く木々や葉や川面の百面相。
空には星が光り、天空に散りばめられた数々の神話。
当たり前の事だと、頭で認識していた物に、
実際に色をつけて実感させてくれたのは、梨華だった。
自然がこんなにも美しい。
二人が暮らすこの町が、こんなにも輝いている。
それを教えてくれたのも梨華だ。
- 250 名前:第3章 6 投稿日:2007/12/07(金) 12:18
-
梨華と過ごしたいくつもの場所。
梨華と過ごした幾つもの時間。
それら全てが鮮やかに色づいている。
けれど、それは――
梨華が隣にいてくれたからなのだ。
梨華がいたからこそ何もかもが光り輝いて見えていたのだ。
その証拠に、今はもう、目に映る景色は、色あせてしまっていて、
古ぼけた写真を見ているようだ。
- 251 名前:第3章 6 投稿日:2007/12/07(金) 12:19
- ひとみはゆっくり目を開けた。
先ほどから雨は、小さく降ったり、やんだりを繰り返している。
灰色の低い雲が、空を覆いつくしていて、
やっぱりモノクロの世界に戻ったことを理解する。
もしも、仮に――
今も梨華が隣にいたのなら
やっぱり鮮やかに色づいているのだろう。
目に映る何もかもが、輝いて見えたことだろう。
そこまで思って、ひとみは自嘲気味に笑った。
アタシって、もしもだらけの人生だな。
もしも、あの時帽子を被っていかなかったら
もしも、彼女を一人にしなかったなら
もしも、今も彼女が隣にいたなら
- 252 名前:第3章 6 投稿日:2007/12/07(金) 12:19
- けれど、梨華に出会う前のことは、決して後悔していないんだ。
なぜなら、たった一つでも狂っていたら、
きっと梨華とひとみは思いが通じ合ったりしなかっただろうから。
きっと梨華はひとみを好きになってはくれなかっただろうから。
だから、梨華に出会うためにあった試練だったのなら、
そんなことどうってことない。
アタシ達の出会いは、偶然なんかじゃない。
必然だったんだ。
そうでなければ、こんなに惹かれる理由が分からない。
- 253 名前:第3章 6 投稿日:2007/12/07(金) 12:20
- ひとみは、右手で腕枕をしたまま、左手をポケットに突っ込んだ。
あの日から、行き場を無くしたコレも、やっと届けられる。
もし、持って行くことができればの話だけれど・・・
この人生でたった一つの後悔。
それは、あの日彼女を一人で帰らせてしまったこと。
この左手にあるものが、アタシ達を引き裂いたと言っても過言ではない。
けど、捨てることも出来ずにいるんだ。
彼女に、
どうしても彼女に渡したいものだったから・・・
- 254 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/07(金) 12:21
-
本日は以上です。
- 255 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/08(土) 02:44
- ダメ…
ダメだよ!…そんなこと考えないで…
玄米ちゃ様どうか吉澤さんを説得してください…お願いします。
- 256 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/08(土) 07:33
- 本当はそういうのはダメなんだろうけど
どこかでよっすぃーの望むようにして欲しいと思わなくもない。
- 257 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/11(火) 16:36
-
>>255:名無飼育さん様
説得、試みてみます。
>>256:名無飼育さん様
うちのよっすぃ〜は、どうなって行くんでしょうか・・・
お二方とも貴重なご意見ありがとうございます。
ちなみに作者はどちらかというと・・・
なんてことは、さておきまして。
今日の吉澤さんはまた、過去の回想を始めます。
そして、梨華ちゃんファンの方には、ちょっと辛いかもしれません・・・
では、本日の更新です。
- 258 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/12/11(火) 16:37
-
- 259 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:43
-
「どうしても行っちゃうの?」
「どうしたの?梨華ちゃんらしくないなぁ」
「だって、何だか今日は一人で帰りたくない」
「すぐ帰るからさ。先にアタシの部屋で待っててよ」
そう言ってひとみは、二人で入っていた赤い傘を梨華に渡し、
自分のビニール傘を広げた。
「そんな顔すんなって」
ひとみは人差し指の裏側で、梨華の頬をなでた。
けれど、未だに梨華は悲しそうで、
それでいて不安そうな目でひとみを見ていた。
どうしたんだろう?
本当にらしくない。
こんな風に駄々をこねたりしたことなど、今まで一度もなかったのに・・・
しかし、だからこそ、ひとみの目には梨華のこの反応が新鮮で、
それでいて余計に可愛く映ったのだった。
- 260 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:44
- 「すぐ戻るから」
そう言って、ひとみは梨華の頭をなでると、駅に向かって歩き出した。
しばらく行ってひとみが振り向くと、
赤い傘を差した梨華が寂しそうにこっちを見つめていた。
「待っててよ!」
大声でそう言って、ひとみは大きく手を振った。
梨華は不安そうな瞳のまま、かすかに微笑み、
ひとみが改札の中に消えるまで、小さく手を振り続けていた――
- 261 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:46
-
「ご確認ください」
キビキビした動作で渡されたその品物を見て、ひとみは微笑んだ。
《4.12 『Hitomi vows eternal love to Rika』》
明後日の日付。
『ひとみは永遠の愛を梨華に誓約します』
内側に刻み込まれたひとみの誓い。
梨華に追いついて二十歳を迎える日に約束したかった。
大人だと世間に認められる日にきちんと誓いたかった。
少し大げさかな?
けれど嘘偽りのない本当の気持ち。
指輪自体は、とてもシンプルなデザインだけど、
そこには小さな小さな石がついていて、
あの小さくて華奢な指にきっと似合うだろうなと容易に想像ができる。
立派なものはまだあげられないけれど、
ひとみが今出来る、精一杯の贈り物だ。
これを見たら、梨華はどんな顔をするだろう?
- 262 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:46
- 「こちらで宜しいですか?」
優しい顔をして、店員がたずねた。
大人で、とても綺麗なお姉さん。
胸の名札に『Ayaka』と刻まれていた。
「は、はい。間違いないです」
ひとみが慌てて言うと、アヤカは一層優しい顔で言った。
「彼女に、ですよね?」
「え?」
「何かわかるんだよね、私。そういうの」
「は、はあ・・・」
「永遠の愛を誓い合うのに性別なんて関係ないと思うわ」
「ほ、ほんとにそう思います?」
「うん」
輝くばかりの笑顔で言われた。
- 263 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:48
- 「彼女がうらやましいな」
「で、でも、安物です」
「一生懸命貯めたんでしょ?随分前から、店の中覗いてたじゃない」
「知ってたんですか?」
「いつも指折り数えて、覗き込んでたから。お金計算してるのかなって」
ひとみは顔が赤くなるのを感じた。
そのひとみの耳に、アヤカは顔を寄せると言った。
「そういうプレゼントが、女は一番うれしいものよ」
ほんのり香る香水が鼻をくすぐって、ひとみはやけに恥ずかしかった。
何だか身分不相応な買い物をしてしまったような気恥ずかしさ。
けれど、その包みを手にした時に感じた、この上ない喜び。
って、待てよ。
アタシも女なんだけど・・・
「ありがとうございました!」
アヤカが丁寧に頭を下げた。
そして、口の動きだけで、『頑張ってね』と言ってくれる。
ま、いっか。
何だか応援してくれてるみたいだし。
よし、やったろうぜ!
明後日、梨華はどんな顔をするだろう?
フワフワした気持ちのまま、ひとみはその店を後にした。
- 264 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:50
- 行きとは逆に、今度は二駅電車で下り、
いつもの見慣れた駅で降りた。
さっき、梨華が立っていた彫刻の前で、立ち止まる。
「明後日渡すんだから、ヘラヘラ笑ってちゃダメだよね。
普通の顔して、これはしっかり隠してと」
ひとみはジュエリーショップの名前の入った紙袋を
小さく丁寧に折りたたむと、ジーパンの後ろポケットに突っ込んだ。
そして中身は、ジャンパーのポッケに突っ込む。
緩んだ頬を一叩きして、家路を急いだ。
傘を左手に持ち、右手をポケットに突っ込み、そこにある存在を確認する。
そうすると、途端に頬が緩んでしまう。
右手をそっと抜き出して、頬を叩く。
また、右手をポケットに突っ込む――
そんな事をしばらく繰り返していた。
もうすぐアパートが見えるという所まで来て、
やけに人だかりが出来ていることに気付いた。
赤色灯が揺らめいている。
- 265 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:50
- ひとみは人だかりの一番後ろにくっつくと、背伸びして覗いてみた。
しかし、制服を着た警察官がチラホラ動いているのが見えるだけで、
あとはパトカーに邪魔されて何も見えない。
「かわいそうにねぇ」
「メッタ刺しだったんでしょう?」
ひとみの前の主婦達の会話が聞こえた。
「何があったんです?」
後ろからひとみが尋ねると、その主婦たちは顔をしかめながら、
それでいて興奮気味に話し出した。
――通り魔ですって
――後ろからイキナリだったらしいわよ
――叫ぶ間もなかったみたい
――駆けつけた時は、もう血だらけだったって
――怖いわね
――あのマンションに住んでる子だって
――赤い傘があそこに残って・・・
- 266 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:51
- ひとみは人ごみを掻き分けて駆け出した。
「ちょっとすいません!通して下さい!」
一番前まで来て、警官に抑えられた。
「通して下さいっ!」
「ダメだ!立ち入り禁止だ!」
「通せっ!」
無我夢中だった。
「離せよっ!」
頼む。違ってくれ。別人であってくれ!
「ひとみちゃんじゃないか!」
騒ぎを聞きつけて、パトカーの陰から初老の男が顔を出した。
「ご存知なんですか?」
隣に立っていた目つきの鋭い男が、ひとみを一瞥しながら尋ねた。
「彼女の友人ですよ。殺された梨華ちゃんの」
ひとみの体から力が抜けた。
- 267 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:52
-
「うそ・・・でしょ?」
「その子を車に」
目つきの鋭い男が制服に指示を出す。
「何だよ!梨華ちゃんはどこだよっ!梨華っ!梨華っ!」
ひとみは梨華のマンションの大家さんに向かって駆け出した。
胸倉をつかむ。
「大家さん、梨華ちゃんはどこ?
冗談言わないでよ。殺されたって何だよ?
何なんだよっ!ねぇ!」
「君!やめなさい!」
隣の男に腕を掴まれた。
「梨華はどこだって聞いてんだよっ!」
腕を後ろにねじ上げられ、パトカーに押し付けられた。
「落ち着いてっ!ちゃんと連れてってあげるから」
「ねぇ、無事なの?梨華ちゃんは無事なの?」
冷たいパトカーのひんやりした冷たさがひとみの不安を余計に煽った。
刑事は力を緩めると、ひとみを起こした。
そして、肩を二度ポンポンと叩くと、パトカーの中へと促した。
乗り込む瞬間、大家さんを見ると、彼はスッと目を逸らした。
- 268 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:54
-
警察署の廊下はやけに冷える。
この寒さが、余計にひとみの不安を煽っていく。
ここに連れてこられるまで、何度尋ねても、誰も何も答えてくれない。
『ともかく署についてから』
車に乗ってすぐ、今隣を歩く男がそう言って以来、何も教えてくれない。
「どうして下にいくんですか?」
階段を下りながらひとみは尋ねた。
さっきから嫌な予感が脳裏をよぎる。
けれど、信じたくない。
このまま無言でいられたら、気が狂いそうだ。
「答えろよ!いい加減!何があったのか教えろって言ってんだよ!」
隣の男の胸倉を掴み、壁に押し付けた。
「何するんだっ!」
もう一人追随していた制服警官がひとみを引き剥がそうとする。
けれど、胸倉を掴まれた男は、制服を制し、静かに言った。
「本当に亡くなったんだよ、石川梨華さんは。
背中から刺されて、ほぼ即死だった」
- 269 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:54
- その部屋の前まで、どう歩いたのか自分でもわからない。
ただ、突きつけられた話。
作り話に違いない。
何かの間違いだ。
それとも手の込んだドッキリか。
『三日前にも、隣町で通り魔事件が起きている。
おそらく同一犯人によるものだと思われる。
刺されたのは背後からの三箇所。
背中に小さな三角形を描くように刺し傷痕がある。
その内の一つが心臓を貫いていた。
きっとあまり苦しまなかっただろう』
そんな話、嘘だ。
耳から入ってきた言葉を体が拒否して駆け抜けていく。
けれど、やけに脳にこびり付いて離れない言葉――
嘘なら早く教えてよ!
夢なら早く覚めてよ!
目の前の扉がゆっくり開いて、刑事に背中を押された。
- 270 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:55
-
(ドラマでよくあるシーンみたい)
激しく動揺する心とともに、まるで他人事のように、
目の前の光景を見ている自分がいた。
白い布がゆっくりとはずされていく――
「うそ、でしょ・・・」
歪んだ笑いが出た。
「何だよ、冗談だろ・・・」
視界が滲んだ。
「こ、んなの、こんなの、うそだろっ!」
彼女に駆け寄った。
触れた頬は、驚くほど冷たくて。
髪が濡れて、額に張り付いていて――
健康的だった小麦色の肌が、蛍光灯の明かりに照らされて青白く光っていた。
- 271 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:56
-
「起きてよ、梨華ちゃん。何してんだよ。起きろってばぁ!」
彼女を必死で揺すった。
そうすれば目が覚めるような気がしたから。
傍にいた警官に、梨華から引き離された。
「離せよっB」
力いっぱい振り切って、梨華にすがった。
と同時に力なく、梨華の腕がベッドから落ちた。
「ねぇ、起きてよ。梨華ちゃん・・・」
握り締めた手は、氷のように冷たかった。
「何でこんなに冷たいんだよ・・・」
涙がとめどなく溢れた。
「頼むよ、起きて。ひとりに、ひとりに、しないで・・・」
- 272 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:57
-
梨華はとてもきれいな顔をしていた。
今にも『おはよう、ひーちゃん』と言って
起きだすんじゃないかと錯覚するくらいに。
けれど、握り締めた手の冷たさと、雨に濡れた髪と、
肩についたままのサクラの花びらが、
彼女がもう二度と目を覚まさないことを雄弁に語っていた。
ひとみは、梨華の手を握り締めたまま、ひざまずいていた。
どのくらい、そうしていたのかは分からない。
廊下で激しい足音が聞こえたと思ったら、ものすごい勢いで扉が開いた。
「梨華っB」
振り向くと、梨華の両親がいた。
ひとみは反射的に身を引いた。
「梨華!梨華!いやーっ!」
母親が駆け寄った。
激しく梨華の遺体を揺さぶる。
その肩を、父親が抱き、その手を制した。
- 273 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:58
-
「申し訳ありませんっB」
ひとみは土下座して、床に頭をこすり付けて謝った。
「申し訳ありませんっ!アタシが、アタシが・・・」
言葉にならない。次の句が出て来ない。
肩口をすごい力で掴まれて、引き起こされた。
ひとみは目を閉じて、歯を食いしばり、顔をあげた。
沈黙の後、深いため息が聞こえ、掴まれた肩が自由になった。
恐る恐る目を開ける。
そこには、肩を震わせ、嗚咽をこらえる、
梨華の父がいた。
「アタシが・・・アタシがそばにいたのに・・・」
「アタシが・・・アタシが守るって、幸せにするって誓ったのに・・・」
ひとみは膝立ちのまま、拳を握り締めた。
- 274 名前:第4章 1 投稿日:2007/12/11(火) 16:59
- 「君が悪いんじゃない」
梨華の父は、目を閉じて静かに涙を流した。
「君のせいじゃない」
もう一度言うと、ひとみに背を向けた。
大きな肩が震えている。
いたたまれなくなって、ひとみは霊安室を飛び出した。
冷たい廊下の壁に額をこすり付ける。
(誰かアタシを殺してよ、誰かアタシを罰してよ!)
何度も何度も握り締めた拳を壁にたたきつけた。
血が滲んでも拳は何の痛みも感じない。
梨華の痛みは、こんなもんじゃ足りないんだ!
警官に止められるまで、ひとみは壁を殴り続けた。
- 275 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/11(火) 17:00
-
本日は以上です。
痛い話のヤマは越えた気がします。
- 276 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/12(水) 00:22
- 痛いですね…。
息が詰まりそうでした。
次回も楽しみにしてます。
- 277 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/12(水) 05:58
- 何て言葉をかけていいのか…
悲惨な状況が眼に浮かんできて…TSURAI(泣
物語は辛く悲しいシーンですが更新されてると
テンション上がりまくりですみません(本音)
玄米ちゃ様 ありがとう。
- 278 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/13(木) 19:15
-
>>276:名無飼育さん様
楽しみにして頂けると、俄然やる気が出てきます。
>>277:名無飼育さん様
作者もレスをつけて頂けると、テンションあがりまくります。
こちらこそ、いつもありがとうございます。
では、本日の更新です。
- 279 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/12/13(木) 19:16
-
- 280 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:17
- その時の傷は、今でも手の甲に薄く残っている。
その傷を包み込むように、葬儀の日、
梨華の母はひとみの手を握ってくれた。
家族の絆を持たないひとみに、新たな家族の絆を作ってくれたのは梨華だ。
そして、家族の温かさを教えてくれた。
大学一年の夏休み、ひとみははじめて梨華の両親に会った。
『アタシはいいよ、待ってるよ』
『ダーメ!もうひーちゃんも行くって言っちゃったもん』
『やだよ。一人で行きなよ』
『だって、楽しみにしてるって、ママ言ってた。
たくさんご馳走作っとくって。
ひーちゃんの好物だって聞かれたんだから』
『勝手に言うなよ』
『もーう、行くったら行くんだから!ほら、支度してよ!』
- 281 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:18
-
その日は、とても暑かった。
結局、梨華のゆるぎない決意に圧倒されて、
強引にアパートから連れ出され、梨華の実家へ向かった。
アスファルトから透明な湯気が出ていて、気持ちを萎えさせる。
蝉がうるさいほど鳴いていて、ざわついた気持ちを余計にざわつかせる。
一歩一歩近づいて行く度に、重くなる足取り、心。
それは、クーラーの効いた電車に乗っても、変わらなかった。
- 282 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:19
- 「ほんとに行くの?」
「行くの」
「あー、腹痛くなってきた。頭痛くなってきた。
熱出てきたかも」
「往生際が悪い」
「だってさ、梨華ちゃんのお父さん、怖かったりしない?」
「パパが?」
「うん。だってさ、お母さんだけなんでしょ?歓迎モードは。
うちらが付き合ってんの、二人とも知ってんでしょ。
世間では、一人娘の恋人なんて言ったら、父親から嫌われるじゃん?
ましてや女だしさ。アタシ殴られたりとかしないかなぁ?」
「そんな心配してたの?」
「だって、殴られんのヤダよ。ドラマとかじゃ大概そうなるじゃん」
「・・・まあ、そう言われれば、うちもそうかもしれない」
「ほらぁ!アタシぜってー、行かない」
「だーかーらー。もう新幹線の中だよ」
「次で降りて、下りに乗り換える」
「ひーちゃん」
梨華は、ひとみのほうに体ごと向けると、真顔で言った。
- 283 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:19
- 「私は、ちゃんと紹介したいの、ひーちゃんの事。
私の好きな人の事、ちゃんと両親に知ってもらいたい。
心配しないでって。とっても素敵な人だから、安心してって言いたいの」
こんなにストレートに言われると、非常に困る。
梨華はいつもそうだ。
ストレートに言葉をぶつけてくる。
好きだって、大事だって、まっすぐ見つめて言ってくれる。
けれど、愛されることに不慣れなひとみはドギマギしてしまう。
視線を逸らして、何も言えなくなってしまう。
隣から小さいため息が聞こえた。
「ひーちゃんが、どうしても嫌ならいいよ。一人で行ってくる」
「いや・・・それは――」
「ひーちゃんの私に対する愛はその程度なんでしょ?」
「ち、ちが・・・」
「もういいよ。次で降りて」
- 284 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:20
- こんな風に、梨華に突き放されると、ひとみはめっぽう弱い。
「――い、いくよ」
「何?聞こえないよ?」
「行きゃいんだろ!行ってやるよ!土下座でもなんでもしてやるさ!」
途端に梨華が破顔した。
「ヤッター!ひーちゃん大好き」
梨華がひとみの手を握った。
指と指を絡ませる。
「でも・・・ほんとに殴られちゃったらごめんね。
パパ、若い頃ずっと空手やってたの。だから、結構痛いかも」
「・・・やっぱ、帰る」
「ダメー!もう逃げられないからね」
そう言って、梨華はつないだ手をぎゅっと握った。
照れくさくて窓の外に目をやる――
- 285 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:21
-
大丈夫、ちゃんと行くよ。
どっかで行かなきゃって思ってた。
ちゃんと挨拶しなきゃって。
とっても、大事な人だから。彼女以外考えられないから。
梨華ちゃんとずっと一緒にいさせて下さいって。
絶対幸せにしますって。
はっきり言える自信がついたら行こうと思ってたんだよ。
けれど、君はいつも先回りをする。
そのままのひーちゃんでいいよって、言ってくれちゃうんだ。
背伸びしないでって。
今のひーちゃんを全部受け止めるからって。
そのまま飛び込んでおいでよって両手を広げて待っていてくれる。
それって、かっこ悪いじゃん。
だから、すねてみる。
ガキだな、アタシ――
思わず、フッと笑いがもれた。
梨華が不思議そうに、ひとみの顔を覗き込む。
『行こう』
その意味を込めて、梨華に微笑み、握っていた手に力を込めた。
- 286 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:22
-
「あそこ」
梨華の指差した先にある一軒の家。
全くもって、何の変哲もない、住宅街にあるごく普通の一軒の家。
けれど、実際に目のあたりにすると、
とてつもなく大きな障害物に見えてくる・・・
当然向かう足取りも重くなる。
「大丈夫?ひーちゃん?」
「ハハ、大丈夫。みたい」
引きつった笑いが出た。
「何か新鮮」
「何が?」
「だって初めて見た。ひーちゃんが緊張してるの」
「そ、そうだっけ?」
「うん、いっつも余裕な態度で、ふてぶてしい」
「何だよ、それ。ケンカ売ってんの?」
「フフ、今なら勝てそう」
「お前なぁ」
からかう梨華の手を引き、向き合った。
- 287 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:23
- 「――かわいい」
梨華の口から漏れた言葉に、一瞬にして耳まで真っ赤になった。
怒りのやり場がない。
襲い掛かろうとして牙をむき出した野獣が、
たった一言で、しっぽを丸めちゃった――多分そんな図。
「行くぞ」
ひとみはきまりが悪くて、ぶっきらぼうにそう言うと、
梨華の手を引いて家までぐんぐん歩いていった。
(あれ?アタシまた梨華ちゃんにハメられた?)
そう気付いたら、余分な力が抜けた。
悔しいけど、こんな風にアタシを操れるのは、
世の中で、こいつしかいない。
握り締めた手から、思いが伝わればいいのに。
ひとみは強く握り締めた梨華の手を、
優しく、そしてしっかりと握り直した。
- 288 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:24
-
「いらっしゃい!」
玄関で梨華のお母さんが出迎えてくれた。
「遠いのに良く来たわね。さあ、どうぞ上がって」
言いながら、二人分のスリッパを並べてくれる。
「あ、あの。はじめまして、吉澤ひとみです。
そ、その梨華さんとは・・・」
「やあだ。堅苦しいことは抜きよ。
それに入学式でお会いっていうか見かけたもの。
『ママ、あの人がよっすぃ〜よ』ってうれしそうに言っちゃって・・・」
「ママっ!」
「あらあら、ごめんなさい。さあ、上がって」
「は、はい。おじゃまします・・・」
道中、考えていた挨拶がガタガタと崩れていく。
「ねえ、パパは?」
リビングに通されながら、梨華が母親へ問いかけるのを聞いて、我に返った。
そうだ、まだ強敵がいる。
「あ、お酒買いに行ったから、もう帰ってくるんじゃないかしら?」
『ただいまー』
「あ、ほら帰ってきた」
- 289 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:25
- まずい。手に汗かいてきたぞ。
いきなり土下座するのがいいのかな?
いや、まずは挨拶か。これが大事だな。
まず第一印象だ。
足音が近づいてくる――
「は、はじめまして」
父親が入ってきたと同時に、ひとみは深く頭を下げた。
「おじゃましてます。梨華さんとは・・・」
下げている手をいきなりつかまれた。
体が強張った。
見上げると、想像通りの大きな体に立派な髭。
これで殴られたら、顎の骨が折れるな・・・
- 290 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:26
-
「君が噂のよっすぃ〜か!」
迫力のあるデカイ声――
すごい力で握手された。
腕がブンブン上下に振られる。
が、おかしいぞ。目が好意的だ。
「すごいな、その辺の男よりカッコいいじゃないか!」
「ねえ、言ったでしょ。梨華の目に狂いはなかったわよって」
「話を聞くたびに君に会いたいと思ってたんだよ。
もう高一の時から、うちの中じゃよっすぃ〜の話ばかりだったからな。
そりゃあ、うるさいもんだよ。『よっすぃ〜』が一日何回も出てくるんだから。
大学行ったら行ったで、今度は電話がある度に『ひーちゃん』だもんな」
「ほんとにそうですよ。だからもう随分昔から知ってるみたいな感覚なのよ」
「は、はあ・・・」
- 291 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:27
-
「フフッ。ごめんね、ひーちゃん」
梨華が口に手をあてて笑っている。
「何だ、梨華?何がごめんなんだ?」
梨華の両親が、頭の上にハテナを浮かべている。
ひとみはガックリ肩を落とした。
ホッとした。
そして同時に――
「りーかーちゃーん。騙したな!」
「ハハハ!だからごめんてば」
「クッソーB」
ひとみは頭をかかえた。
- 292 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:27
-
それから、食卓を囲み、ここに来るまでに何があったのかを梨華が話した。
一応、空手をやっていたことは本当らしい。
けれど、小学生までだとか・・・
「この子ったら。それじゃ、緊張するわよね」
お母さんが、同情してくれた。
はずむ会話。
温かな料理。
娘を見つめる親たちの眼差しのなんと温かいことだろう・・・
家族というものは、こういうものなんだなとひとみは思った。
少しだけ、そう、ほんの少しだけど、梨華がうらやましいと思った。
帰る場所があるっていいな・・・
こんなに温かなぬくもりに包まれて。
無条件に深い愛を注がれて。
ひとみの心が鈍く痛んだ。
- 293 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:28
- その日は、そのまま梨華の家に泊まらせてもらった。
元からその予定だったらしい。
客間に通されて、なんだかくすぐったい気分になる。
「ひーちゃん、ごめんね」
見慣れないパジャマに身を包んだ梨華が言った。
「もう怒ってないよ。連れてきてもらって良かった。
おじさんも、おばさんもいい人だし」
「違うの。何ていうか・・・」
「何?」
「ううん。何でもない。おやすみ」
「おやすみ」
そう言って、梨華はひとみと鼻先を合わせた。
鼻先だけのキス。
寝る前、朝、落ち込んだとき、勇気が欲しいとき。
何かあるとこうして鼻先でキスをする。
いつからか始まった二人の間での決めごと。
口でするよりも、なんだかくすぐったくて。
こんな日でも、変わらずにしてくれる梨華を愛おしく思った。
梨華は、小さく手を振ると、部屋から出て行った。
- 294 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:29
-
次の日は、四人そろって出かけた。
というより、買い物につき合わされたというか。
梨華と梨華の母が意気揚々とショッピングに興じている間、
アタシと梨華の父は荷物持ちに徹して――
まるで旦那だな、アタシ。
その次の日は、梨華の父親の申し出で、
朝早くから一緒に釣りに行った。
ひとみはこの日初めて釣りをしたけど、
よく分からないうちに何だかたくさん釣れてしまった。
『パパより、上手じゃない?』
『そういうのは、ビギナーズラックって言うんだ』
梨華の冷やかしに、憮然として答える父親を、皆で笑った。
そして、この日の夜から、ひとみは梨華の父親を《親父さん》、
母親を《ママさん》と面と向かって呼ぶようになった。
- 295 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:30
- 今日の収穫をつつきながら、いきなりそう呼んだひとみに、
ママさんは『何かスナックの経営してるみたいで嫌だわ』
と目を細めて笑っていた。
親父さんは『何だか息子が出来たみたいでうれしいよ』と豪快に笑った。
ひとみは何だかくすぐったかったけれど、
心がポカポカと温まるのを感じていた。
本当に二人の子供になったような気分だった。
けれど、すぐにそれじゃ梨華と恋人にはなれないな、
と酔った頭で考えていた。
- 296 名前:第4章 2 投稿日:2007/12/13(木) 19:31
- 翌朝、ひとみが飲みすぎたせいで、ズキズキするこめかみを指で押さえ、
コーヒーをすすっていると、二階から降りてきた梨華が、
ダイニングへ入るなり、ママさんに愚痴をこぼした。
「全く!パパったら、頭がガンガンして起きられないですって。
大体、未成年にお酒なんか勧めるからバチが当たったのよ!ねえ、ひーちゃん」
やめて。
そのキンキンした声だけで、こめかみが疼く。
「ちょっと!ひーちゃんまでまさか!」
「い、いや、大丈夫。全然元気。ノープロブレム。OK牧場」
イッテー。顔が歪む。けど無理して笑う。
梨華の背後でママさんが笑いをかみ殺しているのが見えた。
「ひーちゃん、朝ごはん食べ終わったら、お出かけしよう?」
「ど、どこへ?」
「内緒」
「内緒って・・・」
「いいから、早く食べて着替えてね」
そう言って、梨華は颯爽とリビングを出て行った。
やっとのことで痛む頭を抱える。
よくやった。よく必死で耐えたぞ、自分。
「ひーちゃんはきっと尻に敷かれちゃうわねぇ、はいコレ」
楽しそうにそう言って、ママさんは二日酔いの薬をくれた。
- 297 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/13(木) 19:31
-
本日は以上です。
- 298 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/13(木) 23:47
- 家族の暖かさに触れて幸せそうですね。
何所に行くんだろう?
次回楽しみにしてます。
- 299 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/14(金) 00:53
- 梨華ちゃんの家族は温かくていいですね。
幸せそうな雰囲気に癒されました。
次回も楽しみにしてます。
- 300 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/14(金) 10:02
- りかっちのお父さんママさんが優しくて良かったねーひーちゃん。
(梨華ちゃんは一人娘だったんですね)
今日ランチタイムに覗いたら更新されてるので嬉しかったです
ですが、今日はものすごく忙しくて読む暇がなくようやく今
帰宅し即効で読みました。雨後の青空のように爽やかでしたよ。
- 301 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/16(日) 13:22
- 辛いね。
- 302 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/17(月) 16:17
-
>>298:名無飼育さん様
ありがとうございます。
よっすぃ〜にとっては、微妙な所に行くようです。
>>299:名無飼育さん様
癒されて頂けたなんて、うれしい限りです。
華やかな笑顔の持ち主である梨華ちゃんの家族は、きっと温かいんでは
ないかなと。
>>300:名無飼育さん様
ここでは一人娘の設定にしました。
そして、とても素敵なたとえをして頂き、ありがとうございます。
いつもこんな風なら、いいんですけども・・・
>>301:名無飼育さん様
ですね。
次回の更新あたりで、何かを起こせればいいなと思って
いたりします。
では、本日の更新です。
- 303 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/12/17(月) 16:17
-
- 304 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:18
-
遅めの朝食を終え、何だかんだと言い訳をしながらゆっくり準備をし、
二日酔いの薬が効いてくるのを待っていたら、お昼近くになっていた。
「暑いっ!」
「ひーちゃんがグズグズ準備するから、こんな時間になったんじゃない」
なかなか痛い所をついてくる。
「で、どこに行くんだよ」
「いいからほら」
最寄の駅まで行って、梨華は勝手に切符を買うと、ひとみに渡した。
二人で下りの電車に乗り込む。
中途半端な時間だから、車内にはチラホラとしか人が乗っていない。
七人がけのイスに、余裕をもって二人で腰掛ける。
ひとみは斜め気味に腰掛け、梨華のほうを向いた。
梨華は几帳面にまっすぐ座って、反対側の窓外を見ていた。
ひとみは、高校時代見続けていた大好きな横顔をじっと見つめた。
ねえ、どこまで行くの?
まさか高校に行っちゃうとか?
それならここから三駅だ。
- 305 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:19
- 「もしかしてさぁ、思い出、たどっちゃったりすんの?」
「さあ?どうでしょう?」
「なんだよ、いいじゃん。教えてよ」
「着けば分かるって」
こっちに視線を向けもしない梨華に、少し拗ねて、
自分の背後の窓を覗いた。
ちょうど一駅目に着き、扉が閉まる。
ギラギラと照りつける太陽をうけて、
キラキラ光る葉や、家々の屋根。店の看板。
久しぶりに見る景色。
やはり何となく懐かしさがこみ上げてくる。
電車の中も、どこか懐かしい匂いがする。
三駅目に着いた。
すっかり降りる気になっていたひとみは、腰を浮かそうとして、
梨華を見て少し驚いた。
全く降りる気配すら見せない。
ここで降りないの?
強い意思を湛えた瞳。
まさか――
- 306 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:20
- 発車のベルが鳴り、無情にも扉が閉まる。
ゆっくりと動き出す電車・・・
次の駅は、ひとみの実家のある駅。
窓外には、更に見慣れた景色が見えてくるはずだ。
二度と通ることも、来ることもないと思った場所。
思い出したくもない。
苦しい、辛いことしか思い出せない場所。
自然と全身が強張った。
シートの上に置いていた手を握り締めた。
車内はクーラーが効いているはずなのに、なぜか背筋に汗がつたった。
ふと握り締めた拳にぬくもりを感じた。
上から優しく、梨華が包んでくれている。
『大丈夫、私がいるでしょ?』
梨華の手の平から伝わってくる思い――
(まさか、ほんとに行く気なの?うちに?)
梨華の横顔に視線で問いかけた。
けれど、梨華は、瞳に強い意思を湛えたまま、身動き一つしなかった。
「着いたよ。行こう」
いつの間にか電車が止まっていた。
腰を浮かそうとしないひとみの手を優しく握り締め、
梨華はひとみを引っ張った。
やはりそこは、ひとみの実家のある駅だった。
- 307 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:21
-
電車を降りるとひとみは激しく抵抗した。
けれど、何も言わずに自分を見つめてくる瞳があまりにも真剣で、
ひとみは何も言えなくなってしまった。
手を引かれて、歩き出す。
ハタから見たら、どんなにか滑稽だろうか?
どうか誰にも会いませんように。
どうか誰もいませんように。
目的地が疑いようもない所まで来て、
往生際の悪いひとみは、梨華に聞いた。
「ねぇ、まさかアタシの家に行こうって言うんじゃないよね?」
「行っとくけどあそこは、アタシの実家なんかじゃない」
「帰るとこなんてアタシにはないんだよ!」
立て続けにまくし立てたひとみに、梨華は立ち止ると、
振り返って静かに言った。
- 308 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:22
- 「ひーちゃん逃げないで」
その声は、まるで自分が傷つけられているかのように痛々しくて、
けれど、なぜか強さを含んでいた。
まっすぐな瞳からひとみは目を逸らした。
「逃げてなんかいねーよ」
「ひーちゃんは変われるよ。
でも変わりたいなら、きちんとぶつかって。
目を背けないで、向き合ってよ」
「向き合ったところで何も変わらないよ」
「変わるよ!ひーちゃん、私たちと一緒にいる時、寂しそうな顔してた。
どうせアタシは他人だしって、諦めたみたいな顔してた。
これ以上踏み込むな、見せ付けないでって、心が叫んでたよ」
「そんなこと・・・」
なかったとは言えない。
本能的に防御していた。
傷つきたくないから。やっぱりお前は他人だろって、
お前なんか必要ないって言われるのを恐れていたから。
頭の片隅で所詮『家族ごっこ』って思っていたから。
- 309 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:23
- 「ひーちゃん、ここで心の砦を壊していっちゃおうよ。
それで、私と一から作り直そう」
顔を上げた。
梨華の真摯な瞳は、絶対にひとみを裏切ったりしないと誓っていた。
繋いでいた手を引っ張られて、ひとみは梨華に抱きしめられた。
まるで子供をあやすようにひとみの背中を撫で、
耳元で何度も囁いてくれる。
『ひーちゃんは幸せになれる。
ずっと苦しかった分、誰よりも幸せになれるよ』
梨華のこの言葉で、楽になった。
砦を囲んでいた茨がとれた気がした。
後は自分で砦を壊すだけだ。
ひとみが頷くと、梨華はそこの公園で待ってるね。
と言って、ひとみの鼻先に自分の鼻先をつけた。
「いってらっしゃい」
そう言って、ひとみが歩き出すのをずっと見守ってくれた。
- 310 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:23
-
何も変わっていない外観。
当然か。
四ヶ月半前はまだここで暮らしていたのだ。
毎日どす黒い心を抱えながら、十数年ここで暮らしたのだ。
懐かしさなんてものはない。
ただ見慣れているだけ。
なぜだかふるえる指を、忌々しく思いながらチャイムを鳴らした。
パタパタとスリッパの音がする――
「あら、早かったのね」
目の前の扉が開き、その人は凍りついた。
「お久しぶりです」
思ったより静かな声が出た。
それよりも、自分の家に帰って来たのに『ただいま』
と言えない自分をひどく滑稽に感じた。
- 311 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:24
- その人は、どう言葉を発していいのかを忘れてしまったかのように、
しばらく口をパクパクさせていたが、
やっとの事でかけるべき見当違いの言葉を思い出したようだった。
「ご、ごめんなさい。あの子が――
小春が塾から帰って来たのかと思って・・・
いつもならもう帰る頃だから・・・」
思わず冷笑が浮かびそうになった。
「いますか?」
「え?ああ、主人?」
「ええ」
「今日は出勤なの。お休みなのに今朝呼び出されて・・・」
不在か――
どこかでホッとしていた。
- 312 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:25
-
「あ、えっと・・・上がっていきます?」
自分の家に帰って来たのに上がって行くかだと?
ひとみは腹を抱えて笑いたくなった。
これでも戸籍上は母子だぜ?
ひとみは体の奥深くから久しぶりに黒い感情が浮かび上がってくるのを感じた。
この人、上がるって言ったら、どんな顔するかな?
「ええ」
ひとみが笑顔で言うと、そいつは目を見開き、
みるみる顔を強張らせた。
それを尻目に、ひとみは横をすり抜け、家の中へ足を踏み入れた。
そして、わざと後ろに聞こえるように
「ただいま」と言った。
- 313 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:26
-
たった四ヶ月の間に、こんなに変わるのか?
表とは裏腹に、家の中は明らかに変わっていた。
まるでひとみがいたことなど、なかったことにしたいかのように、
配置が変わり、色彩が変わり、間取りまでもが変わっていた――
「ごめんなさい。お祖母ちゃんを引き取って、
危なくないように間取りを変えたんです」
お茶を出しながら、遠慮がちに言う。
ひとみの中で沸々と湧き上がってくる感情――
ここは・・・
ここは元々、アタシとアタシをこの世に授けてくれた両親の家じゃないか!
それをどういうことなんだ!
「――ちょっと失礼します」
そいつは慌ててリビングを出て行った。
ひとみの怒りを感じたのだろう。
フン。
まさか帰ってくるとは思わなかったって訳か――
- 314 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:27
- かすかに話し声が聞こえて、耳を澄ませた。
廊下で話し声がする。
そっと立ち上がり、静かにリビングの扉を少しだけ開けた。
『――そうよ、いきなり来たのよ』
『――いやよ、とっても気まずい空気なの』
『――だって、絶対怒ってる』
『――急いでよ。早くね』
旦那に助けを求めてるって訳か。
「お客さんかい?」
「ちょっと、お祖母ちゃん。そっちはダメ・・・
ごめんなさい、いったん電話切るわ」
「何だよ。お客さんなら挨拶しなきゃだろ」
「いいのよ。今日の人は・・・」
- 315 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:28
- 「こんにちは。おばあちゃん」
ひとみはリビングの扉を開けて顔を出した。
アタシがいなくなって、自分の母親を家に迎えたってわけか。
婆さんだって、アタシの顔くらい覚えてんだろ。
妹の小春が生まれる時だって、この家に来て、さんざん面倒みてくれたんだ。
『この子は子供のくせに大人びた顔してるねえ』
――ほっとけ。そう思った。
『あらあら、冷たい目だよ』
――お前らのせいだろ。そう言いたかった。
けれど・・・
小春が生まれて、それを見せられたとき、
『ひとみちゃんの本当のお父さんもお母さんもこんな風に喜んだんだよ。
無事に生まれてきてくれてありがとうって』
そう言って、頭を撫でてくれた。
『それを忘れちゃいけないよ。
ひとみちゃんは望まれてこの世に生まれて来たんだ』
そう言って、肩を抱き寄せてくれた。
アタシはひどくひねくれた子供だったけど、
この時のばあちゃんの笑顔だけはずっと忘れられなかった。
- 316 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:29
-
「あら、えらいハンサムな人だねぇ。家の改修の相談かい?」
ひとみの顔から笑みが消えた。
「あら、違うのかい。あっ、そうか、小春の家庭教師かい?」
「お祖母ちゃん!」
「なんだよ。すみませんねぇ。この子ったら、よそ様の前で大きな声出して」
ひとみの足下が沼地に変わる。
ここはどこだ?
アタシの家じゃ・・・ないのか?
「ごめんなさい。お祖母ちゃん、お部屋に戻ってて。
後でおやつ持って行きますから」
「そうかい。じゃ、そうするよ。ゆっくりしてって下さいね」
優しい笑顔で婆さんは頭を下げた。
その笑顔は、ひとみの記憶に残っている笑顔と同じだった。
- 317 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:30
- 「――お祖母ちゃん、ボケちゃってて。覚えてないんです。
今日の事でも忘れちゃったり、一緒に暮らしてるのに、
二、三日いないだけで、小春の事も分からなくなってしまうんです。
だから・・・ごめんなさい」
「おばあさんの部屋は、アタシの部屋ですか?」
「・・・ごめんなさい」
もう、アタシはいないものと言うことか――
「別に怒ってません。もういないんだから、有効に使ってください」
「・・・すみません」
この人は、何回謝れば気がすむんだ?
仮にも、自分の子供にここまで恐縮するなんてさ。
ここに来たときからずっとそうだった。
いつもアタシに気を使って。
腫れ物に触るように接していた。
『お母さんって呼んでもらえるように努力するから』
いつの日だか、そんなこと言われたっけ・・・
結局アタシは、この人のことを
一度も『お母さん』て呼んだことなかったな。
ねえ、今でもそう呼んでほしいって思ってますか?
- 318 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:30
-
目の前でうな垂れている頭に向かって、ひとみは掠れた声でつぶやいた。
「――お、母さん・・・」
その人は、ハッとして顔をあげた。
そして、次の瞬間、体を二つに折るようにして、
深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。ひとみさんのお母さんの遺影は、処分してしまったの。
お祖母ちゃんが、お祖父ちゃんの二号だ!って、割ってしまって・・・
ボケてしまってほんとに何も分からないみたいなんです。
だから、目に付くものは全部処分してしまって・・・」
ハハ・・・ハハハハハ・・・
もう、乾いた笑いしかでないよ。
ここは、もう踏み入れちゃいけない所だったんだよ。
ねえ、母さん。
母さんも、もう追い出されちゃったって。
戻るべき場所なんてないんだよ――
- 319 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:31
- ひとみは、大きく息を吸うと、
「帰ります」
と言った。
「えっ、でも主人が帰ってくるって」
「いや、結構です」
「小春ももう戻ると思うの」
「お二人に宜しくお伝えください」
そう言って、踵を返し、玄関に向かった。
「あっ、でもちょっと待って」
慌てて追いかけてくる。
ひとみは靴を履くと、振り返らずに言った。
「安心してください。もう二度とこの家には来ませんから」
そして、そのまま扉を開けると、後ろで何かを言っているのを遮るように、
ドアを閉めた。
門を出で、家を振り返る。
何も変わらない外観――
けれどここは帰るべき場所じゃない。
空を見上げた。
青々と澄んだ空と照りつける太陽がまぶしい。
「さようなら」
一言つぶやいた時、なぜかすっきりとした気がした。
- 320 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:32
-
公園に足を踏み入れると、梨華は木陰のベンチに腰掛け、
両腿の脇に手をつき、俯いてじっと地面を眺めていた。
少し離れた遊具では、近所の子供達が元気よく飛び回っている。
周囲の喧騒を感じさせない、彼女の周囲だけを切り抜いたような、
そこだけが神聖とも感じられる空間。
彼女の周辺を取り巻く高貴な空気――
高校の時は、よくこうして見つめていた。
あの横顔を気付かれないように見つめて、ただただ想いをつのらせていた。
届かない想い。
見つめているだけで、ただ眺めているだけで、
荒んだ自分の心が洗われていくと感じてたんだ・・・
- 321 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:33
- 視線に気付いたのか、梨華が顔を上げて、こちらを見た。
「ひーちゃん」
梨華の瞳が揺れた。
やはり隠せなかったか・・・
ひとみはゆっくりと梨華の元へと近づいていった。
立ち上がって迎えてくれた梨華と向かい合うように立つ。
「おかえり、ひーちゃん」
優しい笑顔で梨華は言った。
ああ、どうして。
彼女はアタシの一番欲しい言葉を一番欲しいときにくれるのだろうか・・・
引き寄せて梨華を抱きしめた。
涙がこぼれないように天を仰いだ。
空は相変わらず、青々と輝いていて、日差しが眩しかった。
新たな出発に相応しい天気だ。
そして、今この腕の中にかけがえのない人がいる――
「ただいま」
抱きしめたまま、ひとみが言うと、
梨華も背中に手を回し、抱きしめ返してくれた。
(この人を決して離さない)
ひとみは心の中で、青空に誓った。
- 322 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:34
-
その日は、そのまま二人でひとみの母が眠る墓へ向かった。
今日の報告をし、自分の大事な人だと母に紹介した。
隣で手を合わせていた梨華が驚いていた。
「また来ようね」
帰り道、梨華が言った。
「もう、言わないよ」
「どうして?」
「どうしても」
「つまんなーい」
そう言って梨華は小石を蹴飛ばした。
「滅多に言ってくれないから、うれしかったのにな」
「母さんには、ちゃんと紹介したかったからさ・・・」
ひとみが口ごもりながら言うと、
梨華はニコニコ笑いながら繋いでいる手をブンブン振った。
「ヘラヘラすんな!」
「いいじゃん、うれしいんだもん!」
「もう言わねえから!」
「いいよ」
肩透かしをくらった。
- 323 名前:第4章 3 投稿日:2007/12/17(月) 16:35
- 「ひーちゃんの気持ち、ちゃんと伝わってるから。
言ってくれなくてもいいから、またお母さんの所に行こう?
二人の幸せを報告しに行こうよ」
いつの間にか一番高いところにあった太陽が地平線に隠れ、
藍色の世界へと変わって行こうとしていた。
きっと、今日一日の出来事をひとみは一生忘れないだろう。
そして、その隣にずっと梨華がいてくれたことを。
ひとみは斜め下から見上げている梨華に微笑むと素直に頷いた。
――この年の初秋、梨華に勧められて、ひとみは礼服を新調した。
- 324 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/17(月) 16:37
-
本日は以上です。
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/17(月) 23:20
- 今日の回でまた、よっすぃにとって本当に梨華ちゃんがすべてだったんだと思い知りました。
本当はいけない事だけど、現在のよっすぃの望みを叶えてあげたくなりました。(泣
- 326 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/18(火) 05:09
- ふぅー。
不幸が多すぎる…本当に可哀そうな吉
私も↑の人の意見に頷きつつ…しかし、どうにか救って欲しいと…。
- 327 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/20(木) 13:53
-
>>325:名無飼育さん様
やさしいご意見、ありがとうございます。
ここのよっすぃ〜の心の中は、梨華ちゃんへの愛情で
埋め尽くされてます。
>>326:名無飼育さん様
『その願い、かなえよう』という今日の更新になれば良いの
ですが・・・
では、本日の更新です。
- 328 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2007/12/20(木) 13:53
-
- 329 名前:第4章 4 投稿日:2007/12/20(木) 13:54
- あの夏の日以来、梨華の両親は、
たびたび梨華のマンションを訪れるようになった。
自然とひとみとも触れ合う機会が増えていく。
そして、年の瀬にひとみは再び石川家に招かれた。
『お正月を一緒に過ごしましょう』
ママさんから直接、ひとみの所に電話があり、
行かざるを得ない状況を作ってくれた。
これも全部、梨華が両親に働きかけてくれていることは、よく分かっていた。
帰る場所のない、故郷のないひとみに、
自分の実家を故郷と、実家と思ってくれていいと
無言で訴えているのを肌で感じていた。
- 330 名前:第4章 4 投稿日:2007/12/20(木) 13:55
- けれど、ひとみには、やはり遠慮がある。
所詮は他人――
梨華の両親は、二人とも気さくで大好きだけれども、血は通っていない。
三人を見ていると、血がつながっているって凄いなと思うこともあったし、
自分には、この世の中に、血が通った家族がいないと
思い知らされてしまうこともしばしばあった。
しかし、それはひとみの心が壁を作っていたからだと気付かされる。
その壁を壊してくれたのは、親父さんだった――
- 331 名前:第4章 4 投稿日:2007/12/20(木) 13:56
-
「新年あけましておめでとう」
親父さんの凛とした声が響いた。
「あけましておめでとうございます」
他の皆が続く。
日付が12月31日から1月1日へと変わったその時、
石川家ではお屠蘇を前に新年の挨拶が交わされていた。
ひとみには、このような儀式めいたものは初めてだったから、
いささか緊張していた。
軽く談笑しながら、お酒も進み、
そのうち話はひとみと梨華の未来へ及んだ。
- 332 名前:第4章 4 投稿日:2007/12/20(木) 13:57
-
『そうだ!将来はどっか外国に行って結婚したらいいんじゃないか』
『私たちも一緒に移住しちゃいましょうよ』
『同居しよう、同居。でっかい家建てよう!どこがいいかな?』
話は止め処もなく飛躍していく。
式はどこがいいだとか、引き出物は云々――
そもそも外国って言っといて、どんだけ人を呼ぶ気なんだ?
たまりかねた梨華が話に割って入る。
「記念にさ、皆で写真取ろうよ」
うまく話を逸らした。
- 333 名前:第4章 4 投稿日:2007/12/20(木) 13:57
- カメラを持ってきた梨華が、まずは赤い顔の両親を撮る。
次いで、梨華とひとみがカメラに納まる。
彼女の親に撮影してもらうというのも、なかなか緊張するものだ。
酔って浮かれ気味の親父さんが野次をとばす。
「もっとくっつけ〜!」
「チューしてもいいぞォ」
とても父親の発言とは思えない。
最後は皆で撮ろうということになった。
「あ、アタシ撮りますよ。
せっかくだから、家族水入らずで写ったらどうですか?」
ひとみは何の気なしに言った。
本当に自然にそう思ったのだ。
せっかく梨華が帰省してきたのだから、三人で写ったらどうかと――
- 334 名前:第4章 4 投稿日:2007/12/20(木) 13:58
-
「家族水入らずならお前も一緒だ」
静かな声で、しかしはっきりと親父さんが言った。
ひとみはカメラへと手を伸ばしたまま固まった。
「もう、家族じゃないか」
伸ばした手が震えだす。
「お前は、私達の大事な家族だ」
親父さんがひとみに近づいてくる。
「梨華の大切な人は、私達にとっても大切なんだよ」
親父さんがひとみの前に立った。
「家族に遠慮はいらないんだよ」
親父さんがひとみの頭を抱きしめた。
- 335 名前:第4章 4 投稿日:2007/12/20(木) 13:59
- 「君はもう、私達の大事な家族なんだよ」
ひとみの胸に熱いものがこみ上げ、目から零れ落ちた。
「・・・父さ、ん。お父さん!」
ひとみはこの時、生まれて初めて、
心をこめて『お父さん』という言葉を口にした。
- 336 名前:第4章 5 投稿日:2007/12/20(木) 13:59
-
- 337 名前:第4章 5 投稿日:2007/12/20(木) 14:00
-
ふいに、現実に引き戻すかのように、
川原で寝転んでいたひとみの頬に冷たい何かが張り付いた。
明らかに雨とは違う感触に、手を触れた。
指でつまみ、目の前まで持ち上げる。
淡いピンク色のサクラの花びら――
どこから来たのだろう?
向こう岸にはずらりと桜の木が並んでいるが、こちら側の岸には一本もない。
風が向こう岸から運んできてくれたのだろうか?
この花びらを見ると、どうしてもあの光景が蘇る――
- 338 名前:第4章 5 投稿日:2007/12/20(木) 14:01
- 梨華と過ごした幸せな日々は、自らの手で引き裂いた。
梨華の両親が教えてくれた家族の絆も、自らの手でブチ壊した。
こんなアタシに一体何が残るというのだ・・・
突然強い風が吹き、ひとみの指先から花びらを取り上げた。
風に舞い上がることもなく、雨にうたれ、
すぐ近くに舞い落ち、また風に吹かれて飛んでいく。
川面に目をやると、何事もないかのように、
静かにその表面に波紋をつくりながら流れ続けていく。
これが現実なんだ。
世の中はここにとどまることを許さない。
川の流れのように
このサクラの花びらのように
決してとどまり続けることはないのだ。
だとしたら――
アタシはどこへ行くのだろう――
時の流れに心が追いついていかないアタシはどうしたらいいの?
いっそのこと、自分自身を捨ててしまえば解決するのだろうか?
この身を捨て去ってしまえば、それでいいのだろうか?
- 339 名前:第4章 5 投稿日:2007/12/20(木) 14:02
-
優しい雨に打たれながら、もう一度目を閉じた。
もう考えることも面倒くさい。
ここでこのまま、梨華との思い出を反芻して過ごせたら、
どんなにいいだろう。
この梨華の涙のような優しい雨にずっと打たれながら、
この場所に佇んでいられるならどんなにいいだろう――
雨は相変わらず、しとしとと降り注ぎ、
静かにひとみを濡らしていく。
こうして目を閉じていると、聴覚が研ぎ澄まされていくのを感じる・・・
川の流れる音。
木々のこすれあう音。
雨が地面をたたく音。
風が流れていく音。
どれも止まってはいない。
だからこの雨もいつかは止むだろう。
けれど今はもう少しこのままで・・・
このままでいさせてほしいんだ――
- 340 名前:第4章 5 投稿日:2007/12/20(木) 14:03
- すぐ近くで風が動いた。
同時に、ひとみの儚い願いもむなしく、雨が止んだ。
もうひとみの上に降り注いではくれない――
が・・・
なぜか雨音がする。
足にも雨が降り注ぐ感触がある。
自分の上半身だけがバリアができたかのように雨を避ける。
そして、そのバリアに雨がぶつかる音がする――
誰かがこんな所で雨にうたれたまま寝転んでいるひとみを心配して、
傘を差しかけてくれたのだろう。
「お気になさらないで下さい」
目を閉じたままひとみは答えた。
すぐ傍で、しゃがみこむ気配がした。
近づいたことで、瞼の裏に赤色が写った。
赤い傘、差してるのか・・・女性かな?
- 341 名前:第4章 5 投稿日:2007/12/20(木) 14:03
-
「もうじき行きますから、安心してください。
今はもう少し、この優しい雨に包まれたいんです」
動く気配がない。
声も発してくれない。
夢なのだろうか?
ひとみが目を開けて確かめようとした瞬間、
世界で一番素敵な音が、ひとみの耳に響いた。
「ただいま、ひーちゃん」
- 342 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/20(木) 14:06
-
本日は以上です。
やっと、ここまで来れた・・・
長い道のりでした。
- 343 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/20(木) 21:10
- エエエ〜!!!♪
なんかなんか夢みたい!
つづきが気になって今夜は眠れないかも
- 344 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/20(木) 21:18
- どうなっとんじゃあぁぁ
- 345 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/20(木) 23:54
- うわぁ〜メッチャいい所で、続き楽しみにしてます。
- 346 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/22(土) 15:07
-
>>343:名無飼育さん様
喜んで頂けたようで何よりです。
睡眠不足になってませんか?
>>344:名無飼育さん様
取り乱して頂けたようで。
さて、二人は、どうなって行くんでしょうか・・・
>>345:名無飼育さん様
楽しみにしててください。
と、言いつつ、実は本編があまりにも時期はずれなので
クリスマスだし、短編でも・・・
と思い、並行して書いておりました。
決して、続きをもったいぶるつもりでは全くない
のですが、クリスマス短編のつもりが、いつの間にかキャラが
暴走しだしまして、中編になってしまいました・・・
ここで載せるかどうか、悩みましたが、思い切ってのせます。
クリスマスにいしよしでも読むかと
思う方がいらっしゃいましたら、お付き合い頂ければと
思います。
3回に分けて更新予定です。
本編は、その後更新いたします。
クリスマス中編のCPは、こちらも
いしよし。
その他、柴田さん、大谷さん、里田さん、藤本さん
あたりが登場予定です。
本編とは、テイストが全く違いますのであしからず。
それでは、どうぞ。
3回ほどに
- 347 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:10
-
- 348 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:11
-
♪ ジングルベ〜ル ジングルベ〜ル 鈴がぁ鳴る〜 ♪
♪ 真っ赤なお鼻の〜 トナカイさんは〜 ♪
♪ き〜よし〜 こぉの夜〜 ♪
- 349 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:11
-
「あー、もう!この学食うるさいっ!!」
「ちょっと梨華ちゃん。BGMにやつあたりしないでよ」
「だってさぁ、この時とばかりにクリスマスソング流し続けること
ないじゃない!」
「いいじゃん。クリスマスの雰囲気がプンプンして
私なんかワクワクしちゃうよ」
「それは、柴ちゃんが店長さんと晴れて恋人になれたからでしょ!」
「ピンポーン、大正解!梨華ちゃん冴えてるねぇ。
恋にもそれくらい冴えてるといいんだけどねぇ」
「柴ちゃんっ!!」
柴ちゃんはペロッと舌をだしておどけてみせた。
あ〜あ・・・
その幸せオーラ、わたしの前で出さないでよ。
「しんぐるべ〜る、しんぐるべ〜る」
「ムカツクっ」
- 350 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:11
-
ついこの間、それまで付き合っていた彼にフラれた。
これで何回目だろう?
いっつも相手から告白されてお付き合いするのに、
なぜか、フラれるのは必ずわたしの方。
『なんか、想像してたのと違う』
最後に言われる言葉も、いつも同じ。
わたしって、そんなに見た目と中身の違いがある?
そりゃ、お片付けは苦手だし、お料理もうまくないし、
口うるさいとこもあるし・・・
柴ちゃんに言わせれば、見た目チョーかわいい女の子で
中身はオヤジって――
あーもう、どんどんネガティブになっていく。
でも、仕方ないじゃん。これがわたしなんだもん。
勝手に好きになっといて、こっちがもりあがって来た所で
サヨナラされちゃうんだもん。
ほんとの恋、したいなぁ・・・
自分から好きになりたいなぁ・・・
- 351 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:12
-
「梨華ちゃん、そんな風に学食のテーブルに突っ伏してないでさ。
ほら、顔あげなよ。いくらランチタイムじゃないっていっても、結構人いるよ」
「別にいいもん。女子大だし」
突っ伏したまま、答える。
わたしと柴ちゃんは、入学してからできたお友達。
入学式でたまたま隣に座って、意気投合して。
今ではなんでも話せる大事な大事な親友。
けど、時々毒を吐くんだなぁ、これが。
傷に塩を塗りこむんだよねぇ・・・
でも、そのおかげでウジウジしないで、早く立ち直れたりするんだけどね。
- 352 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:12
-
<♪♪♪>
「あっ、マサオからメールだ!」
ハァー
いいなあ、柴ちゃん・・・
「梨華ちゃん、ため息ばっかりついてると幸せ逃げるよ」
「とっくに幸せじゃないからいい」
「出た!幸うす子!」
「べつにいいもーん」
「ほら、ふてくされてないで、いい加減、顔あげなよ」
柴ちゃんの声が優しくなったから、素直に顔をあげた。
<カシャ>
- 353 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:13
-
「何?今の」
「ん?写メ取った」
「わたしの?」
「そう。よし、これで送信っと」
「ちょっと、どこに送ってんのよ」
「え?マサオのとこ。簡易履歴書みたいなもん?」
「はあ?」
「いや、しんぐるべるな方にね、最適の場所があるんだって」
「それって・・・」
「多分ピンポーン!今日の梨華ちゃん冴えてるね」
「わたしにケーキ売れって?」
「さっきマサオからメールが来て、短期バイトの子が怪我しちゃって
戦力にならないんだって。で、彼女の私に救いを求めて来たわけよ」
「やだよ」
「いいじゃん。クリスマスの予定がこれで埋まった!」
「だって〜、柴ちゃんとマサオさん、仕事中にいちゃいちゃするんでしょ?」
「しないってば!」
<♪♪♪>
「ほら、採用決定!」
そう言って柴ちゃんが見せてくれた画面には、
<キミに決定!! マサオ店長より>
と表示されていた。
- 354 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:13
-
その週の日曜日から、わたしは柴ちゃんが、入学以来
ずっとバイトをしているケーキ屋さんで働くことになった。
今日は、もう23日だから、たった3日間だけの
チョー短期だけど。
でも、気持ちがまぎれるのは正直とってもうれしい。
柴ちゃんがほんとは心配してくれてるのも、ちゃんと分かってるんだ。
柴ちゃんは、つい1ヶ月前、このお店の店長、マサオさんに告白された。
『ケーキが完売したら、一緒に聖夜を過ごそう』って・・・
わたしからしたら、ビミョーな告白なんだけど、
店長に密かに思いをよせていた柴ちゃんは、それはもう大喜びで。
ずっと柴ちゃんの気持ちを聞いていたわたしも一緒に喜んだ。
『二人とも楽しいクリスマスになるといいね』って・・・
だって、こんなことになる前だったし。
何かね、彼が好きだったから落ち込んでる訳じゃないんだ。
ただ純粋に人を好きになりたいなぁって。
その人とクリスマスを過ごせたらどんなにいいだろうって。
そんな事を想像して、勝手に落ち込んでるの。
- 355 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:14
-
昨日、柴ちゃんは
『うちのお店、超イケメンがいるんだよ。絶対梨華ちゃんのタイプど真ん中。
その人、恋人いないっぽいから、梨華ちゃん狙っちゃえば』
なーんて言ってたけど、どうだろ?
正直、しばらくは恋はいいやって思ってる。
じっくりいい人見つけて、じっくり好きになりたい。
今度こそ、ちゃんと自分が好きになってからお付き合い
したいんだもん。
- 356 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:14
-
バイト先の最寄駅で、柴ちゃんと待ち合わせをした。
ここから歩いて15分くらい。
歩きながら、柴ちゃんがお店の様子を教えてくれる。
「多分、今日は色々教わるだけで終わっちゃうと思うよ。
本番は、明日からだから」
「大丈夫かなぁ」
やっぱり、ちょっと不安になる。
だって、あのお店は、小さいけれどとってもオシャレで、
その場でケーキ食べながらお茶も出来て、
雑誌にのっちゃうような素敵なケーキ屋さんだから。
「大丈夫だよ。梨華ちゃんが微笑みかければ、バンバン売れるよ」
「そうかな?」
「うん。明日とあさっては、外で売ってもらうと思うんだけどね・・・」
「えー!寒いじゃん」
「大丈夫、大丈夫。防寒対策はバッチリ考えてくれてると思う」
わたしは唇をとがらせた。
まあ、そうだろうとは予想してたけどさ。
寒いの、ヤダな・・・
- 357 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:15
-
「うちのイケメンが温めてくれるかもよ?」
柴ちゃんはニシシと笑う。
「ねえ、わたし何度か柴ちゃんのお店に行ったけど、イケメンなんて
いなかったじゃん」
「だってよっすぃ〜は、パティシエだもん。
厨房からはあんまり出てこないよ」
「ふ〜ん」
「あ、梨華ちゃん、信じてないでしょ?ほんっとうにイケメンだよ。
イタリアのサッカー少年みたいな顔してる」
「その表現わかりにくい」
「そう?じゃあ、王子様みたい。少女マンガに出てくるような王子様!
色白だし、ほんと綺麗な顔してる」
「やだ、柴ちゃん、そんな人いるわけないじゃん。
それに色白って、ひ弱な感じ」
「梨華ちゃんが黒いからね〜」
柴ちゃんの肩を思いっきり叩いた。
「イタタ・・・でもね、びっくりするよ。ほんとに少女マンガ
から飛び出してきたみたいだから。ただ、まあ性格はアレだけど・・・」
「性格悪いの?!ヤダ、そんな人」
「いやいや、悪くはないと思うよ。性格っていうより、口が悪いんだな」
「えー、王子様なのに?」
「うん。しゃべらなきゃ王子様。
腕もいいし。マサオもよっすぃ〜には期待してるんだ」
「へぇ〜」
- 358 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:15
-
とりあえず、ちょっとだけ興味はあるかな。
柴ちゃんが力説する王子様に。
会ってみたいとか、話してみたいとか
そういうんじゃなくて、見てみたい、かな?
お店が見えてきて、わたしは気合を入れなおした。
<カラン、カラン>
「いらっしゃいませ」
「おはよう、まいちん」
「なーんだ。柴ちゃんか。店長なら事務所にいるよ」
「うん。あ、この子、今日から3日間ピンチヒッターで
バイトしてくれる石川梨華ちゃん」
「石川です。宜しくお願いします」
「里田まいです。あたしも柴ちゃんと一緒で、無駄にここでの
バイト歴が長いです」
そう言って、アハハと笑う。
よかった。いい人そう。
- 359 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:16
- 「ねえ、よっすぃ〜は?」
「ああ、店長と一緒に事務所にいるんじゃないかな?
明日の準備するとか言ってたから」
「そっか。じゃあ、梨華ちゃん紹介したら、私こっちに来るね」
「はいよー。いってらっしゃい」
里田さんが手を振ってくれる。
軽くお辞儀して、お店の奥を目指して、柴ちゃんにくっついていく。
「里田さん、いい人そうでよかった」
「いい子だよ。ただ時々っていうか、チョー天然で真剣にボケるけど」
「そうなの?」
「そう見えないだろうけど、かなり重症」
意外だな。
綺麗でしっかり者なイメージなのに・・・
<コンコン>
いつの間にか柴ちゃんが、扉をノックしていた。
「柴田でーす。入りまーす」
「どーぞー」
扉を開けて、柴ちゃんがあたしを先に入れてくれる。
お辞儀をして、挨拶しようと顔をあげたら
狭い事務所の中に唯一見えた真っ茶色な背中――
- 360 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:16
-
「よっすぃ〜!何やってんの?!」
後から入った柴ちゃんが言う。
「何って?トナカイやってんだけど」
振り向いた顔には、真っ赤なお鼻がついていて、
ゴムで耳にかけてるから、ほっぺがつぶれちゃってる。
「あ、キミが石川さん?」
トナカイの影から、顔がのぞいた。
あ、マサオさん・・・
そっかマサオさんが、椅子に座ってて、机をはさんでトナカイが
立ってたのね。だから見えなかったんだ・・・
って、待って!
柴ちゃん今、この赤鼻のトナカイをよっすぃ〜って呼ばなかった?!
- 361 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:16
- 「失礼しました」
トナカイがあたし達の横をすり抜けて部屋から出て行く。
ちょっと、ちょっと柴ちゃん。
どこがイケメンで、
どこが王子様だって?
柴ちゃんをにらみつけようと思ったら、
柴ちゃんたら、もうマサオさんの所に――
もう!
いちゃいちゃしないって言ったじゃん!
すっかり恋人なんだな、二人・・・
いいなあ――
「あ、マサオ。これが梨華ちゃん」
これがって言うな。
「きちんとお会いするのは、初めてですね。
でも、噂は彼女からたくさん聞いてますよ」
何話してんのよ、柴ちゃん。
「突然、お願いしてすみません」
「いいの、梨華ちゃんヒマだから」
「柴ちゃん!」
- 362 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:17
-
それから一通り、説明を受けた。
マサオさんは、とっても丁寧にやさしく教えてくれて
柴ちゃんが惚れちゃうのもわかる気がする。
大人で、気遣いができて・・・
案外、年上の人もいいのかな?
「とりあえず、予備の制服があるから、今日はそれを着てもらえるかな?
明日は申し訳ないけど、外に出てケーキ販売してもらっていいかな?
サンタ衣装を用意するから」
マサオさんに、そう言われて部屋を出た。
女子更衣室に向かって歩きだす。
なんとか、やってけそうかな?
角をまがったところで、何かにぶつかった。
「イテッ!」
- 363 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:17
-
目の前が真っ白・・・
じゃなくて、白い服の人にぶつかったんだ。
「ごめんなさい」
慌ててあやまる。
「ちゃんと前見て歩けよ」
俯いていた顔をあげると――
あ、よっすぃ〜・・・
柴ちゃんの言ってたこと、ほんとだ――
真っ白なコックコートを着て、目の前にいる人は
本当に少女マンガから抜け出てきた王子様みたい・・・
ちょっとだけ鼓動が早くなる。
ほんとに、キレイな顔――
でも、ほっぺに薄くゴムのあとがついちゃってる・・・
- 364 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:18
- 「ねえ、何か顔についてる?」
「え?」
「さっきから人のカオみて、なに固まってんの?」
「あ、ごめんなさい」
「アンタがピンチヒッター?」
「え?」
「3日間の助っ人かって聞いてんの」
「そ、そうです」
「ふ〜ん」
よっすぃ〜は、わたしを上から下まで値踏みするように眺める。
冷たい瞳。
なんだか、このまま凍ってしまいそうなほど・・・
「ま、頑張ってよ」
そう言い残して、去って行く。
なに?なに?なによ!
今の態度!!
人を小バカにしたよね?
しかも鼻でフンって笑ったよね?
チョームカツク!!
一瞬でもときめいたわたしがバカだ!
頑張れって言われなくたって、頑張りますよーだ。
今に見てなさいよ!
ギャフンって言わせてやる。
サイッテー、あんな人。
- 365 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:18
-
「ねえねえ、柴ちゃん。梨華ちゃんてさ、無駄にチカラ入りすぎちゃう系」
「さっすが、まいちん。わかっちゃう?」
「さっきから非常に空回ってる気がする」
「あれね、いつものことなのよ」
「ゲッ!マジ?!」
「まあ、あれだ。アノ空回りかたは、おそらく、誰かに
刺激されちゃったね。今に見てろよってオーラが出まくってる」
「その刺激しちゃったヤツってさ――」
- 366 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:19
-
「ハーックション!!」
「よっすぃ〜、大丈夫?ケーキん中に菌入れんなよ」
「すんません」
「店長、2番にスペシャルお願いします」
「はいよ。石川さん、板についてきたね」
「そうですか?ありがとうございます」
どうだ!!
とばかりにわたしは、よっすぃ〜を見る。
当のよっすぃ〜は、そんなこと聞こえないとでもいうように
自分の世界に入ってる。
厨房では、マサオさんが、来店中のお客さんの注文品を作っていて、
よっすぃ〜は、明日から販売するクリスマスケーキを
ひたすら作り続けている。
わたしはというと、明日からの接客になれるため、店内の接客。
柴ちゃんとまいちゃんは店頭商品の販売。
- 367 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:19
-
さっきから、注文をとる度にカウンター越しに厨房に声をかけるんだけど、
ほんとよっすぃ〜は一心不乱にケーキを作ってる。
その横顔は本当に王子様みたいで、なんだかひき付けられてしまう。
白くて長い指が、まるで芸術品を作りあげていくように
なめらかに動いて、ケーキをデコレーションしていくの。
そして、その真剣な眼差しは、さっきの冷たい瞳なんかじゃなくて、
とても情熱的で――
あんな瞳で見つめられてみたい・・・
って、わたし何考えてんの?!
ブンブン頭を振る。
「――かわ、さん」
ない、ない。ありえない。
「――し、かわ、さん」
わたしは冷たい人が一番キライなの!!
- 368 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:20
-
「アンタ、さっきから店長に呼ばれてるよ」
「え?」
あ、冷たい瞳に戻っちゃった。
「あ、石川さん。やっと気付いた。ごめんけど、冷蔵庫から
卵とってくれるかな?そこに入ってるだけ全部」
「は、はい」
わたしは慌てて厨房に入った。
チラリと横目でみると、よっすぃ〜は、片方だけ唇をあげて
意地悪く笑っていた。
なによ!もう!!
ムカツクー!!
またバカにした。もうアッタマ来たんだから。
わたしは、冷蔵庫の前に行って力任せに冷蔵庫を開けた。
卵って結構いっぱいあるな。
よし、一回で全部もっていってやる!
右手で、卵を取り出し、左の腕いっぱいに抱えて、
更に上にのせていく。
もうちょっと、もうちょっと――
あっ!!
- 369 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:20
-
『バシャッ! バシャ、バシャ』
「おめー、何してんだよっ!!」
左腕に積んでいた卵が床に落ちて、無残に割れている。
「あらららら、派手にやっちゃったね」
物音を聞きつけた柴ちゃんが、厨房を覗いて言った。
「ごめんなさい!!」
「バーカ!そんなに腕にのっけたら、落っことすって
小学生でもわかんだろ!どうすんだよ!卵がなきゃケーキ
作れないんだぞ!」
よっすぃ〜が真っ赤になって怒ってる。
どうしよう・・・
わたし、とんでもないことしちゃった――
「とりあえずいいから、腕に残ってる分の卵ちょうだい」
フライパンを握ったまま、マサオさんが言った。
よっすぃ〜が、わたしの腕から奪い取るように卵をとって渡す。
- 370 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:20
- 「ほんとに、ごめんなさい・・・」
「割っちゃったもんは仕方ないから、大急ぎで厨房掃除して。
それから、Fマートに行って卵仕入れてきてくれないかな。
あゆみ、石川さんに場所教えてあげて」
「わかった」
手早く柴ちゃんとよっすぃ〜が掃除道具を用意する。
よっすぃ〜の雑巾をもらって自分が掃除しようと手を伸ばした。
こんな忙しい時に、よっすぃ〜の手をわずらわせちゃいけないって・・・
「さわんなっ」
ごめんなさい・・・
もう、つぶやきにしかならなかった。
「ちょっとよっすぃ〜、言い過ぎ」
「言い過ぎじゃねえよ、本心だよ」
「よっすぃ〜、あんたねえ」
「いいの、柴ちゃん」
柴ちゃんの肩に触れて制した。
「いいの、本当に。ごめんなさい」
柴ちゃんがベタベタになったわたしの足と靴を拭いてくれた。
- 371 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:21
-
「事務所にサンダルあっから、Fマート行くならそれで行きな」
床を拭きながら、よっすぃが低い声で言う。
「ベトベトの靴なんかで出歩かれたんじゃ、店の迷惑なんだよ」
「――ほんとにごめんなさい」
下唇を噛み締めた。
柴ちゃんに促されて厨房を出た。
言われた通り、事務所に行って、サンダルに履きかえる。
これ、結構お気に入りのスニーカーだったのにな・・・
なんだか、所々濡れて、乾いた所はカピカピになっちゃってる。
とりあえず、隅のほうにおいて、邪魔にならないようにした。
「じゃあ、行ってきます」
店頭にいる柴ちゃんと里田さんに声をかけて、外に出た。
- 372 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:21
-
**********
- 373 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:21
-
「あーあ、かわいそうな梨華ちゃん・・・」
「ドSのよっすぃ〜が久々に発動したんです、里田隊長!」
「詳細報告をせよ!柴田隊員」
「それが、かわいい子。いや、自分の好みの女の子がやってくると
すぐああやっていじめる悪い怪獣が、また出没したよ・・・」
「「イテッ!!」」
「あほか、お前ら。しっかり仕事しろ」
「仕事の最中に遊んでるだけじゃん」
「遊ぶな、バカ」
「ドSにバカとは言われたくない」
「Sじゃねえって」
「ズバリ、よしこ、梨華ちゃんタイプでしょ?」
「ま、まいちん、何、い、言っちゃってんの?」
「うわー、キョドってるぅ。かわいいよしこちゃ〜ん」
「お前ら、殺す――」
- 374 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:22
-
**********
- 375 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:22
-
柴ちゃんに書いてもらった地図を片手に『Fマート』を探す。
何だかどんどん住宅街に入っちゃって、お店らしきものが
見当たらない。
方向音痴の梨華ちゃんでも多分わかると思うとは
言ってくれたけど・・・
どう見ても、ここなんだよなぁ――
そこは、古ぼけた一軒家で。
とっても昭和な香りがする看板があって・・・
って、あった。
牛乳瓶のマークの下に小さく『Fマート』って、しかも手書きで書いてある。
その横に○が書いてあって、その更に横にまだら模様の生き物が書いてあるけど
シマウマ?トラ?
まさか『牛』じゃないよね・・・?
- 376 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:22
-
「ごめんください」
一応、店の入り口らしき引き戸を開けて、中に入った。
お店の中も、これまた驚くほど、乱雑で。
このお菓子なんか賞味期限きれてそう・・・
それにこんな洗剤見たことない。
っていうか今時、まだ売ってんの?って銘柄だし・・・
「誰?あんた」
声のする方をみると、するどい目つきの女性が
こっちを見てる。
「あ、あのー」
「なに?」
ジャージに半てん。
あり得ない。こんなとこに卵があるなんて・・・
きっとあっても、ひよこがかえる卵に違いない。
- 377 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:23
-
「あんた、マサオの店の?」
「え、分かるんですか?」
「その制服」
その人は目つきをゆるめることもなく、制服を指差す。
「で、牛乳?卵?どっち」
たまご、あるんだ・・・
もしかして、看板の○印が卵で、まだら模様の生き物は
やっぱり牛なのか!
「どっちだって聞いてんの」
一人で納得してたら、苛立った声が聞こえた。
「あ、すみません。た、卵を下さい」
「ちょうど、たくさん仕入といたんだ。この時期はどうせ
マサオの店が買い占めてくれるだろうと思ったからさ。
ちょっと待ってて」
その人は奥に行くと、大きなカゴいっぱいに卵を持ってきた。
「はい」
ズッシリ重い。
「こ、こんなにですか?」
「ん?おまけ。代金はもらうけど」
おまけじゃないじゃん。
- 378 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:23
-
「お金はツケだから、カゴごとマサオに渡して」
「は、はい」
なんだかジッと見られてる。
こ、こわい・・・
背中に冷や汗がつたった。
「ねー、あんたさ」
「は、はい」
声が裏返った。
「よっちゃんにいじめられたでしょ?」
え?
よっちゃんって、・・・だれ?
- 379 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:23
-
「あっれー、おかしいな。美貴の勘、当たんなかったことないんだけどな」
「あ、あのー。よっちゃんてどなたですか?」
「あー、よっちゃんじゃ分かんない?
あの店にチョー無駄にイケメンがいたでしょ?
あいつねー、かわいい子には口悪くなって、いじわるしちゃうんだよね。
特に、自分のタイプだったりするとさ。
なのにさりげなーく、優しくしちゃったりすんだよね。
それも気付きにくい気の使い方っていうかさ。
で、まだされてない?」
わたしは俯いた。
アレって、いじわるなのかな?
わたしが、悪いことしちゃっただけだし。
それにさりげない優しさなんてまだ無いし・・・
「ま、楽しませてもらおうっと」
美貴さんはそういうと、「毎度あり〜」と手を振って見送ってくれた。
- 380 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:24
-
**********
- 381 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:24
-
(トゥルルルル・・・・)
「はい、ケーキショップ、マーシーです」
「いつ聞いても、イケテナイ名前だよね」
「おー、Fマートのミキティ」
「その声はまいちん?」
「ピンポーン」
「ねー、ねー、よっちゃんのドS発動したでしょ?」
「やっぱ分かった?」
「ひと目みて、美貴ピーンと来たね」
「うまく行くと思う?あの二人」
「美貴はうまくいく方に焼肉2日分」
「えー、じゃあ私はいかない方に3日分。柴ちゃんは・・・?」
「私はもちろん――」
- 382 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:25
-
**********
- 383 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:25
-
お店に戻ってきた。
言われた通り、カゴごと厨房にいるマサオさんに渡す。
「お疲れ様、ありがとう。もう今日は、店終わりだからあがっていいよ
明日もよろしくね」
マサオさんに優しい笑顔でそう言われて、ホッとしたと同時に
涙が出そうになった。
よっすぃ〜を見ると、相変わらず一心不乱にケーキを作ってる。
声をかける勇気が出なくて、心の中で謝った。
- 384 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:25
-
ゆっくり更衣室で着替えてから、事務所に行く。
いつまでもサンダルを借りてる訳にいかないし、あの靴履いて帰らなきゃ。
で、今日はきれいに靴を洗って、今日の失敗も水に流して――
よっすぃ〜が怒った顔が浮かんだ。
ハアー
水に流せるわけ、ないよね・・・
事務所に行くと、柴ちゃんがいた。
「今日は、ごめんね。柴ちゃん」
「なにがー?」
「だって、せっかく紹介してくれたのに、失敗しちゃった」
「そんなの気にしなーい。気にしなーい」
「でも・・・」
「ポジティブでしょ?梨華ちゃん」
「うん・・・」
「――あれ?」
「どしたの?」
「わたし汚れた靴ここに置いてたんだけど・・・」
「あー、あれ。そこ」
柴ちゃんが指差した先には――
針金のハンガーが器用に靴の形に合わせて折り曲げてあって、
そこにわたしの靴がぶら下がってる・・・
- 385 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:26
-
「よっすぃ〜だよ。洗ってくれたの。
それから、履いて帰れるようにドライヤーで乾かしてたよ」
「う、そ・・・」
「うそじゃないよ。ドライヤー貸してって私に言いに来てさ。
何に使うのって聞いたら、別にって。で、覗きに来たらソレ、
乾かしてたの」
「だって・・・」
「手先は器用なくせに、感情表現は不器用なんだよね、アイツ」
そう言いながら、柴ちゃんは靴を取って、私に渡した。
「どう?」
「綺麗になって、乾いてる――」
「良かったね、梨華ちゃん。よっすぃ〜、怒ってなんかないよ」
「わたし、ちゃんと謝って、お礼言わなきゃ――」
- 386 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:26
-
<ガチャ>
「あゆみ、お待たせ。あれ、石川さんまだいたの?」
「マサオ、お疲れ様。よっすぃ〜は?」
「ああ、ケーキ作ってるよ」
「まだ?」
「アイツ、休憩長く取った分、まだ終わってないんだ」
もしかして、それって・・・
わたしのせい――
「まあ、もうじき終わると思うよ。って、何か石川さん、黒いオーラが・・・」
柴ちゃんがマサオさんのお腹を肘鉄した。
「ねー、マサオ。まだ事務処理あるでしょ?
私と梨華ちゃん、ここで待ってていいかな?
梨華ちゃん、よっすぃ〜に言いたい事あるみたいだし」
「事務処理?別に――」
柴ちゃんが素早く耳打ちする。
- 387 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:26
- 「おーおー、事務処理、あるある。遠慮なくここで待っててよ。
そうだ。よっすぃ〜がきたら明日からのケーキ完売祈願ってことで
乾杯しようよ」
「いいねー、それ名案」
「で、でも、わたし・・・」
「石川さんの歓迎も兼ねてね。あゆみ、倉庫からシャンパン持っておいでよ」
「ラジャー!」
事務所を出て行こうとした柴ちゃんが突然立ち止まる。
「そう言えば、この間、白百合伯爵夫人から超高級ワインが
お歳暮で届いてたよね?」
「ゲッ・・・」
「たしか――」
そう言いながら、柴ちゃんは事務所の棚を覗く。
「ほら!あったー!!『オーホッホ』ボイス付メッセージカードは
その辺に置いてあったのに、ワインどこ行っちゃったのかなぁって
思ってたんだよね」
「や、あゆみ、それはさ。もうちょっと味わって飲みたいな、みたいな」
「まさか、マサオ一人で飲む気だったんじゃ・・・」
「違う違う。めっそうもないけど、ワインの味が分かる人が飲まないと
もったいないと言うか、なんと言うか・・・」
「つべこべ言わない!!」
柴ちゃんに一喝されて、マサオさんがシュンとした。
結構いいコンビみたい、この二人。
- 388 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:27
- 「おっ、石川さん。いいよ、その笑顔。
明日もそれで頼むよ」
「はい!」
「あっ、よっすぃ〜、終わったみたい」
柴ちゃんのその言葉で耳を澄ます。
ちょっと引きずるような足音が聞こえた。
鼓動が少し早くなる――
<コンコン>
「吉澤、入りまーす」
<カチャ>
扉が開いた。
- 389 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:27
- 「あれ、何かここ、人口密度多くない?」
「よっすぃ〜を待ってたんだよ」
「はあ?」
「コレ飲もうよ」
柴ちゃんが、ワインをかざす。
「おー、すげぇ。それ飲んじゃっていいの?」
「いや、ほんとは・・・」
柴ちゃんがマサオさんをにらむ。
「明日の完売祈願と、梨華ちゃんの歓迎祝だよ、ね、マサオ」
「う、うん。それに二人の世紀の瞬間が見れるかもしれないし――
イテッ、あゆみ足踏むなよ」
「マサオが余計なこと言うからでしょ、そういうのは
周りがアオッちゃダメなの」
「・・・やっぱ、やめとく。嫌な予感がする――」
「よっすぃ〜!!」
「店長命令。オマエ、ノンデ、カエレ」
「何でカタコトなんすか?」
「いいから、よっすぃ〜、早く着替えてきてよ。グラス準備しとくから」
「マジかよ・・・」
- 390 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:27
-
チッ――
よっすぃ〜は小さく舌打ちすると出て行った。
やっぱり、わたしがいると嫌なのかな?
めいわく、なのかな?
「りーかちゃん。はい、ここに座る」
「でも、柴ちゃん・・・」
「いいから、ほら」
柴ちゃんに背中を押されて、ソファーに腰掛ける。
小さなテーブルを挟んで、二人がけのソファーの
奥側にマサオさん、手前に柴ちゃんが座る。
マサオさんの向かい側の一人掛けのソファーには、わたし。
「この応接セット、リサイクルショップで買ったんだよ。
ほんとはね、一人掛けのソファー、もう一つ欲しいんだけどさ。
この事務所狭いし、ま、いっかって」
「マサオがケチるからでしょ」
「仕方ないだろ」
- 391 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:28
-
<コンコン>
「入りますよ」
扉が開いて、よっすぃ〜が入ってきた。
わ、カッコいい――
色あせたジーパンに黒のダウンジャケットを羽織って、
さっきの真っ白なコックコート姿とは、正反対・・・
「あらあら、梨華ちゃんの目がハートになってる」
「な、なってないよ」
ほら、また冷たい目。
わたし、やっぱり嫌われてる・・・
- 392 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:28
-
「座るとこ、ないんだけど」
ほんとだ。そうだよね。
よっすぃ〜が座る場所がない。
わたしがどかなきゃ。
立ち上がろうとしたら、マサオさんが言った。
「お前は、そこのパイプイス持ってこい」
「えー、何で自分だけパイプイスなんすか?」
「美女達と最高のワインが飲めるだけで、ありがたいと思え」
「美女なんてどこにいんの?」
よっすぃ〜が、わざとらしくキョロキョロする。
すかさず、柴ちゃんが座ったまま蹴飛ばした。
「おめー、足くせ悪いんだよ」
「いいから早く椅子とって来い!」
「へいへい。わかりやした。
ったく、店長もこんな凶暴女のどこに惚れたんだか・・・」
「何か言った?」
「言ってましぇ〜ん」
- 393 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:28
-
クスッ
意外だな。
よっすぃ〜って、こんなにおどけた顔もするんだ――
「アンタ、笑ってる方がかわいいよ」
よっすぃ〜が、パイプイスを持ってきて、わたしの隣に座りながら言った。
えっ?
い、いま何て言った?
か、かわいい・・・って聞こえた気がする。
呆気にとられたわたしは、よっすぃ〜の方を向いて固まったまま。
そして、よっすぃ〜は、何事もなかったかのように
馴れた手つきで、ワインの栓を抜いて、グラスに注いでる――
- 394 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:29
-
「ちょっと、マサオ。今の発言聞いた?」
「聞いた、聞いた。かわいいっつったよな」
よっすぃ〜の横顔がみるみるうちに真っ赤になる。
「こりゃ、ほんとに世紀の瞬間が見れるかも・・・」
ウッシッシ。
柴ちゃんとマサオさんは、二人してうれしそう。
「あー、あちぃ。上着脱ぐの忘れてた」
隣でよっすぃ〜が、ダウンジャケットを脱ぐ。
脱ぐ時に見えた首筋は、真っ赤に染まっていた。
もしかして、テレてるの・・・?
わたしの心臓がトクンと鳴った。
- 395 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:29
-
「早く乾杯しましょうよ」
よっすぃ〜の一言で、我にかえる。
「よし、じゃあ、明日から二日間よろしく。
それから、石川さん、ようこそケーキショップ、マーシーへ
ということで、カンパーイ」
カンパーイ!!
うめえ。
こりゃ、まいちんにバレたら、殺されるな。
隣からそう聞こえて、ちょっと、口をつけてみる。
ほんとだ、おいしい――
正直、ワインってあまり好きじゃないんだけど、
これはとても飲みやすくて、おいしい。
「あ、つまみ作ってきましょうか?」
よっすぃ〜が言う。
「いいよ。その辺にあるクラッカーでもつまんどこ」
「でも、何かあった方がいいっしょ?」
「いいから、よっすぃ〜は座って」
腰を浮かしかけたよっすぃ〜に、柴ちゃんが声をかける。
てか、柴ちゃん、ペース早くない?
もうグラスの中身がカラになっている。
しかも、マサオさんと腕なんか組んじゃって・・・
- 396 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:30
-
「りーか、ちゃん。よっすぃ〜に言いたい事、あるんでしょ?」
「え、うん。まあ・・・」
「なに?」
よっすぃ〜は、片眉だけあげて、わたしに聞く。
吸い込まれてしまいそうな瞳――
「あ、あ、あのね」
「うん」
「えーっとね」
「うん」
「って何で、柴ちゃんが返事してんだよ」
「だって、よっすぃ〜が無言だから、代わりに返事してあげてんでしょ?」
「ばっかじゃねえ」
「バカじゃないもん。ねー、マサオ」
「うん。あゆみはかわいい」
そう言って、マサオさんは柴ちゃんの頭をなでなでする。
「何だ、このバカップル。付き合ってらんねえ」
あー、だから・・・
「これ、ありがとう」
わたしは座ったまま、深々と頭を下げた。
- 397 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:30
-
「えっ?今のタイミングで、言っちゃうの?」
「あゆみ、石川さんはKYか?」
プッ
隣でよっすぃ〜が噴き出した。
「アハハ、アンタおもしれえ」
そ、そうかな?
ちゃんとお礼言ったつもりなのに・・・
「別にいいよ。ヒマだったから、やっただけだし。
アンタ不器用そうだしね。それに柴ちゃんのドライヤーも
たまには使ってやんないとさ――」
<パカッ>
「いってえ。おたまで殴んなよ」
「私は毎日、ドライヤー使ってます!」
「その髪で?」
「マサオー、あのバカ、ムカツクぅ〜、自分がサラサラだからってさ」
「よしよし、ほんとだから仕方ないよ・・・イテッ!
だから、足踏まないでよ・・・」
- 398 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:30
-
もう一度、明日の商品のチェックをすると言い出した二人を残して、
わたしと柴ちゃんは先に失礼させてもらった。
「初日の感想は〜」
ほろ酔い加減の柴ちゃんが、ご機嫌に聞いてくる。
「うーん、山あり、谷ありだったけど、楽しかったよ」
「そっか。よかった」
柴ちゃんは、上を向いて星を見ながら歩いてる。
「ちょっと柴ちゃん、危ないよ」
「へーき、へーき」
わたしの少し先を歩いて、両手を広げて深呼吸なんかしてる。
「でもさ、柴ちゃんの言ってたこと、本当だった」
「ん?」
「王子様がいるって」
「フフ、でしょ?」
「うん。最初にトナカイを見たときは、柴ちゃんのうそつきって思ったけど」
「ハハハ。梨華ちゃん、厨房いくたんび見とれてたよね、よっすぃ〜に」
「見とれてないよ〜」
「見とれてたじゃん。マサオも気付いてたよ?」
- 399 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:31
-
だって、何かひき付けられちゃったんだもん・・・
「それにいいヤツでしょ?アイツ」
「うん。それにしても柴ちゃん、よっすぃ〜とすごく仲いいんだね」
「妬いちゃう?」
「な、なんでわたしが?」
そ、そりゃ、ちょっとだけ、うらやましかったりするけど・・・
「よっすぃ〜にはね、色々助けてもらったから・・・」
「マサオさんのこと?」
「うん、まあね・・・」
そうなんだ・・・
柴ちゃんの背中が、遠く感じた。
「で、でもさ。わたし、びっくりしちゃった」
「なにがー?」
間延びした柴ちゃんの声。
「世の中にはいるもんなんだねー。
あんなに綺麗な顔した、男の人って」
柴ちゃんが立ち止まった。
- 400 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:31
-
「ほんとにさー、少女マンガから抜け出てきたみたい。
芸能人にもさ、いないよね。あんな男のひ――」
「梨華ちゃん」
柴ちゃんが振り向いた。
「よっすぃ〜はね、女の子だよ」
「えっ?」
う、そ、でしょ?
柴ちゃんは、わたしから目をそらさなかった。
「ついでに言うとね。あの店の従業員は全員、女」
「・・・て、ことは――」
「そう。マサオもれっきとした女。だって店の更衣室、女子しか
なかったでしょ?」
頭の中が混乱していた。
マサオさんも、よっすぃ〜も女の子――
ということは・・・
- 401 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:31
- 「私、女の人と付き合ってるの」
柴ちゃんが目を伏せた。
「今まで、黙っててごめん。でも、梨華ちゃんには怖くて言えなかった。
女の人を本気で好きになっちゃったなんて・・・
だって、気持ち悪いって思われたらって、嫌われちゃったらどうしようって。
私にとって、梨華ちゃんは大切な友達だから、失いたくなかった――」
「柴ちゃん・・・」
「初めてなの。女の人をこんなに好きになって。
今まではちゃんと男の人が好きで。
なのにどうしてって。私、自分がおかしくなっちゃったのかなって――」
「その時にね、よっすぃ〜が気付いてくれた。
私の苦しい気持ちに気付いてくれてね。
自分の気持ちに正直になれよって言ってくれた。
人間には男と女しかいなくて、ついてるもんが違うとかいうけど、
心は一緒だって。人間は人間の心じゃんって。
心にナニがついてるとか、ついてないとか、そんな区別ないだろってさ。
よっすぃ〜らしい例えだよね・・・」
柴ちゃんは小さく笑うと続けた。
- 402 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:32
- 「でもね、救われたの、私。
自分の気持ち大事にしろって言われて、はじめて救われた気がした。
そのまま、号泣してよっすぃ〜に抱きしめてもらった。
頑張れって、応援してやるから頑張れって、背中をなでながら
ずっと励ましてくれた。あ、マサオには内緒、だよ?」
柴ちゃんは、そう言って顔をあげた。
わたしは何て言ったらいいのかわからなくて、
突然のことにどうしたらいいのかわからなくて・・・
「軽蔑・・・する?」
思い切り頭を振った。
軽蔑なんてしない。
だって、二人ともとてもお似合いだったもの。
でも、それはマサオさんのこと、男の人だと思ってたから、なのかな・・・
- 403 名前:Cake 投稿日:2007/12/22(土) 15:32
-
「梨華ちゃんにはね、ちゃんと話そうと思ってた」
「・・・うん」
「恋愛ってさ、頭の中でするものじゃなくてさ、
心でするもんなんだよ」
だから――
「梨華ちゃんも自分の心に正直になって欲しい。
自分はこうだから、この人の方がいいとか、そういうんじゃなくて
自分の心のままに、感じるままに恋して欲しいなって――」
柴ちゃんは・・・
ずっとわたしを見てきてくれた。
わたしが本気で恋してないのを心配してくれてる。
「ハアー
やっぱカミングアウトって結構勇気がいるね」
柴ちゃんは大きなため息を一つついて
そう言って笑った。
その顔は、わたしが知っている柴ちゃんの顔の中で、
一番綺麗で、一番大人な顔だった。
- 404 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/22(土) 15:33
-
本日は以上です。
このお話は、あと2回続きます。
- 405 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/22(土) 21:39
- クリスマスいいよね
- 406 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/23(日) 02:18
- 「心にナニがついてるとか、ついてないとか、そんな区別ないだろっ」
この言葉のたとえ好きです。
- 407 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/23(日) 11:41
-
>>405:名無飼育さん様
いいですよね〜
街に独特の雰囲気が流れて。
その雰囲気におされて、書いてしまいました。
>>406:名無飼育さん様
ありがとうございます。
ときどき、色んな小説を読んでて、そう思うことがあるんです。
では、お話の続きにまいります。
- 408 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:42
-
- 409 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:42
-
「クリスマスケーキはいかがですかぁー」
「かぁー」
「マーシー特製クリスマスケーキです」
「です」
「おいしいですよ〜」
「YO!」
「ちょっと、よっすぃ〜、売る気あんの?」
「だって、なにが楽しくてパティシエがトナカイになって
自分が作ったケーキ売らなきゃなんないんだよ」
「そんなの昨日から決まってたじゃない」
「けど、ヤダ」
「店長命令なんだから、仕方な・・・ハックション」
「アンタ、かぜひくぞ。そんな短いスカートはいて一日中、
外なんかいたら、間違いなくね」
「だって仕方ないじゃない。朝来たらコレが置いてあったんだもん」
「文句いえよ」
「言えるわけないじゃない」
- 410 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:43
- 「せめてタイツ履くとかさ、少しは考えろよ。
生足で、おじさん見てくださ〜い、みたいな」
「柴ちゃんが防寒対策は考えてくれてるって言ってたんだもん」
「アンタ親友なら、あいつがどんだけ、いい加減か分かってんだろ?」
親友・・・で、いいんだよね?
昨日の件があって、どこか柴ちゃんと話しづらい。
柴ちゃんとマサオさんに抵抗がある訳じゃないの。
ほんとの恋をしてる柴ちゃんが、とても大人に見えて・・・
自分のことがとても幼く感じて。
こんな自分が嫌になりつつある・・・
「にしても、さみーなー。アタシ先に休憩とるわ」
- 411 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:43
-
えっ?
「ちょ、ちょっと待ってよ」
看板を持った、目つきの悪いトナカイににらまれる。
「一人でちゃんと売っとけよ」
もう!なに、ナニ、何よ!何なのよ!
ほんっとにふてぶてしいんだから!
分かったわよ。
戻ってきてびっくりするくらい売ってやるんだから!!
小さく拳を振り上げて、自分に渇を入れる。
その途端なぜか、頭の隅で声が聞こえた。
『アンタ、笑ってる方がかわいいよ』
何で?
何で、今出てくるのよ?!
わたしは、頭をブンブン振ると、笑顔で呼び込みを再開した。
- 412 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:44
-
「お先―」
「お、おか、えり」
「すげー、気合入ってんな。結構売れたじゃん」
「エヘン」
わたしは腕組みをして、威張ってみせた。
「どーでもいいから、早く休憩行って来いよ」
「言われなくてもいきますよーだ」
「それから、事務所にあるコーヒー。ちょうど落ちてる頃だろうから
勝手に飲め」
「ふーんだ」
わたしはよっすぃ〜に気付かれないように、あっかんべえをすると
事務所に向かった。
- 413 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:44
-
「失礼しまーす」
遠慮がちに事務所の扉を開けたけど、誰もいなかった。
「あー、あったかい!」
今日はほんとに寒くて、雪が降るんじゃないかっていうくらい。
ホワイトクリスマスなんてあこがれちゃうけど、
ケーキを売ってる間だけは、勘弁して欲しい。
昨日、ワインを飲んだテーブルに、よっすぃ〜が言ったとおり、
コーヒーメーカーが置いてあって、たっぷりコーヒーが落ちていた。
そばにあった紙コップに注いで、手を温めてから
一口飲む。
「おいし」
生き返る。
寒さでカチンコチンに固まってた体が、ほぐれてくる。
- 414 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:44
-
<コンコン>
「失礼しまーす。おお、梨華ちゃん」
「あ、里田さん。お先に失礼してます」
「なーに、かしこまっちゃって。まいって呼んでいいよ」
「じゃ、じゃあ、まいちゃん」
「そうそう。いい感じ。今日は外寒いっしょ?
かわいそうにねー。しかもそんな短いスカートで」
「でも、結構楽しいよ」
「なら、良かった。おっと何飲んでんの?
お、これ。倉庫にあったコーヒーメーカーじゃん。
こんなもん、わざわざ誰が運んだの」
「え?これっていつもある訳じゃないの?」
「いつもはこんなもん、置いてないよ。
それにこのストーブも倉庫にあったやつじゃん。
どうりでえらいあったかいなあと思ったんだよね」
『自分のタイプだったりするとさ。
さりげなーく、優しくしちゃったりすんだよね。
それも気付きにくい気の使い方っていうかさ』
美貴さんの言葉が浮かんだ。
- 415 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:45
- 「よしこだな」
「へ?」
「あ、よっすぃ〜のこと。あいつ本気で梨華ちゃんに惚れたな」
「ホ、ホレ、ホレ・・・」
声が裏返った。
「よしこはさ、優しいんだよ。
憎まれ口ばっか、叩くけどさ。ほんとはすごく優しい。
きっと、梨華ちゃんのそのカッコみてさ、
少しでもあったまれたらって思ったんだろうね。
でもさ、その優しさが気付かれないことも多いわけ。
本人が別に気付いてもらおうなんて思っちゃいないからさ。
もうちょっとアピールすりゃいいのにって、
私なんかいつも思うんだよね。
梨華ちゃんだって、私が来なかったら気付かなかったっしょ?」
「うん」
「そういう奴なんだな、よしこって奴は」
胸がしめつけられるようにキュンと鳴った。
はじめて感じる、感覚・・・
心の奥底から、あったかくなった――
- 416 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:45
-
「おかえり」
よっすい〜は目を合わせてくれない。
「ケーキ、売れた?」
「まさか」
「もしかして、看板持って、ずっと突っ立てたの?」
「ぴったしカンカン」
まったく・・・
わたしは聞こえるように大きくため息をついた。
けど――
「ありがと」
よっすぃ〜は、何が?というように片眉だけをあげて
わたしと目を合わせた。
だから――
あなたがかわいいと言ってくれた笑顔で
お部屋をあたためておいてくれたことを
コーヒーをわざわざ淹れてくれたことを
「ありがとう」
もう一度言ったら、よっすぃ〜は、そっぽを向いて
「別に」って。
でも、その頬は、つけている鼻に負けないくらい真っ赤で――
わたしはとても幸せな気持ちになった。
- 417 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:46
-
それからも、張り切って売ったら、結構売れ行きがよくて。
辺りを夕日が照らす頃には、今日の分をほとんど売ってしまって。
慌てたマサオさんが、よっすぃ〜を呼んだ。
「役立たずのトナカイ。ケーキ、もう少し作りたすから
手伝え」
そう言われて、大喜びで店の中に入っていった。
「あーあ、一人ぼっちで外は、やっぱさみしいなあ・・・」
なんてつぶやいていたら、コックコートに着替えたよっすぃ〜が
やってきた。
ほっぺには赤鼻をつけていた名残でゴムの後がついているけど、
やはりその服を着ているあなたはとても素敵で。
「ほら」
そう言って、差し出されたのは、よっすぃ〜の黒のダウンジャケットで。
「これからもっと冷えるから、着とけ」
「でも・・・」
「店長には許可もらったから」
そうぶっきらぼうに言って、わたしにダウンを押し付けた。
「いいから、着ろ」
- 418 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:46
- 言われた通りに、袖を通す。
「あったかい・・・」
思わず言った一言に。
うれしそうに微笑んで、よっすぃ〜は憎まれ口をたたいた。
「全部黒くて、夜は見えねぇな」
「ひっどーい!」
そう言ってよっすぃ〜の腕を叩いたけれど、
あなたに触れたことに、またときめいてしまって。
――あなたに恋してしまったことに気付いた。
どんどん、辺りは暗くなって、グッと寒くなったけれど
あなたの優しさに、あなたの甘い香りに包まれているようで
はじめて心から幸せを感じた。
- 419 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:47
-
一日中立っていたから、さすがに足がパンパンにむくんでる。
今日は、お風呂でよくもみほぐそう・・・
「失礼します」
更衣室の扉を開けると、柴ちゃんがいた。
もう、里田さんも柴ちゃんも帰ったと思っていたのに――
「おつかれ」
「お疲れ様」
ちょっとした沈黙が流れる・・・
「・・・いやー、梨華ちゃんすごいね。今年はすごい売れ行きだって、
マサオ喜んでたよ」
「ありがと」
わたしね、柴ちゃんに報告したいことがあるの。
昨日、勇気を振り絞って話してくれたあなたに
わたしの大事な親友に一番に報告したいことがあるんだ――
- 420 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:47
-
「柴ちゃん」
「昨日、急にごめんね。梨華ちゃんびっくりしたよね〜
なんてゆーかさ――」
「柴ちゃん」
わたしは柴ちゃんの言葉を遮った。
「昨日はね、正直言うと、びっくりした。
でもね、嬉しかったの。柴ちゃんが本当のこと教えてくれたこと。
そして、本気でわたしのこと心配してくれてること」
柴ちゃんに近づく。
「柴ちゃん、ありがとう」
柴ちゃんの肩が震えた。
「それとね、わたし柴ちゃんに一番に報告したいことがあるの」
柴ちゃんが顔をあげた。
「恋、したよ」
柴ちゃんが目を見開いた。
- 421 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:48
-
「はじめて自信を持って、心から好きだって思える人ができたの」
「それって、もしかして・・・」
「うん。わたし、よっすぃ〜のことが好き」
梨華ちゃ〜ん
そう言って、柴ちゃんは抱きついてきた。
良かったねぇ。良かったねぇ。
ほんとに良かった。
涙を流しながら、繰り返し言ってくれる。
それから、今日の出来事を全部、柴ちゃんに話した。
自分が感じた胸の高鳴りも、痛みも、全部。
「それは、間違いなく恋だよ、梨華ちゃん」
おめでとう。
柴ちゃんは、わたしの頭を撫でて、また抱きしめてくれた。
- 422 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:48
- 「失礼しまーす」
扉を開けたのは、よっすぃ〜だった。
「・・・柴ちゃん。浮気?」
「はあ?」
「いや、ほら。抱きしめ合っちゃってるし・・・」
「これは、親友同士の抱擁なの!」
「ほー、そうでしたか」
「何、その不満そうなカオ」
「別に」
「さては、よっすぃ〜も梨華ちゃんに抱きしめてもらいたいんだ?」
「ば、ばか!ちげーよ」
「あら、赤くなっちゃってぇ。じゃ、私に抱きしめてもらいた――」
「ある訳ねーだろ!」
「何でそこだけツッコミが早いわけ?
ま、いいや。ところで、マサオは?」
「もう少しかかるって」
「そっか・・・」
柴ちゃんは、ちょっと腕組みして考えこむと
よっすぃ〜に向かって言った。
- 423 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:48
- 「よっすぃ〜、梨華ちゃんのこと送って行ってよ」
「し、柴ちゃん?」
「はあ??何でアタシが?」
「いいじゃない。駅まで送るくらい、いいでしょ」
「いいって、わたしは大丈夫だよ」
「イブの日の夜に、こんなかわいい子が一人で
歩いてたら、危ないでしょ?」
「大丈夫だろ。黒くて見えないよ」
「よっすぃ〜!!」
ここだけは、一番にツッコませてもらった。
「いやー、私がね。梨華ちゃんと駅まで行ければ問題ないんだけどさ・・・」
柴ちゃんは、思わせぶりに言う。
よっすぃ〜は、『アッ』と納得したような顔をして
「そっか、はじめてのイブだもんな」
って、とても優しい眼差しをして、柴ちゃんに『了解』と言った。
そんな顔もするんだ・・・
またトクンと、わたしの心臓がはねた。
- 424 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:49
-
「アンタ、もう少し待てる時間ある?
やりかけの仕事終わらせたら、すぐ来るから」
柴ちゃんが、後ろからわたしの頭を押して無理矢理
頷かせる。
「待ってて」
そう言って、よっすぃ〜が更衣室から出て行くと
わたしはその場にヘナヘナと座り込んだ。
どうしよう・・・
二人きり、なんて――
「梨華ちゃーん。生きてる〜?」
「ちょっと、柴ちゃん。わざとでしょ?」
「いやー、他人に関してだけは、察しのいいよっすぃ〜だからね。
ああ言えば、絶対私とマサオに気を使うだろうなあって」
「どうしよう。二人きりなんて心の準備できてないよ」
「いいじゃん。昼だって、二人きりみたいなもんだったし」
「全然、違うよ。だって、何話したらいいか・・・」
「そのままの梨華ちゃんをさ、知ってもらいなよ。
恋した人にさ・・・」
- 425 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:49
-
駅までの15分の道のりが、近いようで遠くて。
自転車を押しながら、隣を歩いているよっすぃ〜に
わたしは、さっきからドキドキしっぱなしで。
自分の気持ちを認めてしまったら、隣を歩くことさえ、
こんなに大きな出来事になるんだって、はじめて知った。
「やっぱ、さみーな」
「うん」
あなたの隣を歩いていたら、寒さなんてちっとも感じない。
「今晩、雪降りそうだな」
「うん」
ずっと、こうして隣を歩いていたいなんて、わがままかな?
「♪雨はよふけす〜ぎに〜♪てかっ」
「フフ、てかって何よ」
「おー、やっと笑った」
「えっ?」
「いや、何かずっと下向いてたからさ。何かあったのかな?って・・・」
何か。
あったよ。あなたへの気持ちに気付いちゃったんだもん。
- 426 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:50
-
「やっぱさ、アンタ笑ってる方がかわいいよ」
そんなこと言われたら、もう・・・
「駅から近いの?」
「え?」
「だから、電車おりたら、自宅は近いのかって」
「あ、ううん。ちょっと歩くかな」
「じゃ、彼氏に迎えに来てもらえ」
か、彼氏・・・?
「イブだし、明日の朝はちょっとくらい遅れても、
アタシがフォローしといてやっから。
クリスマスなのに、バイト頼まれて、会えなくて、ケンカでもしたんだろ?
今から会いに行きなよ。もうすぐ、駅だからさ。
駅着いたら、電話して。そこまでは送ってってやっから――」
「・・・ない、もん」
「ん?」
よっすぃ〜は片眉だけをあげて、わたしに問いかける。
どうして、どうして、
そんなこと言うのよ!!
- 427 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:50
-
「いないもん!彼氏なんかいないもん!!」
「だって・・・」
「ついこの間、別れたもん!フラレたんだもんっ!!」
「マ、マジで・・・?」
「よっすぃ〜のバカ!!」
涙が溢れてきて、わたしは駆け出した。
でもすぐに、自転車を投げ出して、わたしを追いかけてきたよっすぃ〜に
右手を捕まえられた。
「離してっ!」
「ごめん」
「離してったら!」
「ヤダ」
よっすぃ〜に引っ張られた。
向かい合ったよっすぃ〜の胸を両手で叩く。
「どうして、どうして、そういうこと言うのよ!」
「ごめん」
あなたが好きなのに。
こんなにあなたでいっぱいになってるのに、
そんなこと言わないでよ。
「ごめん」
よっすぃ〜は、そう言うと、わたしを抱きしめた。
今日、ずっと包まれていた、あなたの甘い香り・・・
「家まで、アタシが送ってくから。
今から、一緒にイルミネーション見に行こうか?」
耳元で、ささやかれた。
- 428 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:51
-
この近くに、チョー綺麗なイルミネーションができたって
まいちんに聞いたんだけど、一人じゃ行けないじゃん?
そう言いながら、あなたが連れてきてくれた場所は、
本当に幻想的で、綺麗で。
キラメク輝きの中に、あなたと一緒にいられる事が
うれしくて仕方なかった。
でも、あなたは、すっかりわたしが失恋して落ち込んでるものとばかり思っていて。
だから、教えてあげた。
今まで、自分から好きになったことがないって。
いつも『想像してたのと違う』って言われてフラレちゃうってこと。
素敵なクリスマスを過ごしてみたいってこと――
隣で、わたしの言葉、一つ一つに丁寧に頷いてくれて。
きちんと目を合わせて話しを聞いてくれて。
そんなに優しい瞳で、見つめられたら、
なんだか吸い込まれてしまいそうで、
わたしの方が恥ずかしくなってしまって、何度も目をそらした。
- 429 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:51
-
好き・・・
その一言を伝えたら、よっすぃ〜は受け止めてくれるのかな?
それとも――
やっぱり、まだ怖い。
かわいらしいサンタの置物があって、
思わず右手を伸ばして、それに触れようとしたら
思いがけず、よっすぃ〜と手が触れ合ってしまった。
「あ、ごめんなさい」
慌てて引っ込めようとした手を握られた。
「――手、冷たいね」
「・・・う、うん。手先がすぐ冷たくなっちゃうの」
「手袋は?」
「この前無くしちゃった」
アハハ
よっすぃ〜は軽く笑って。
- 430 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:52
-
「じゃあ、こうしなよ」
そう言って、わたしの右手を握りしめたまま、
自分のダウンの右ポケットに突っ込んだ。
再び、向かい合ったあなたに。
今度は思い切って。
「左手、どうすればいい――?」
そう聞いたら、わたしの瞳を見つめたまま、
左手で、わたしの左手をたぐって。
ギュッと握り締めると、そのまま引き寄せて、
今度は左のポケットに突っ込んだ。
両手をポケットの中で、ギュッとつないだまま、
あなたに体を預けた。
もう心臓は壊れそうなほど、早鐘を打っていて。
つないだ手は、燃えそうなほどに熱い。
よっすぃ〜は、わたしに覆いかぶさるように
髪にキスを落とすと、わたしの耳元に唇を寄せて、ささやいた。
「アンタ、すげーいい女だよ・・・」
- 431 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:53
-
次の日の朝、外をのぞいたら、雪が積もっていて。
ほんとにホワイトクリスマスになっていた。
昨日の夜、あれからよっすぃ〜は家まで送ってくれた。
住所を言ったら、それなら電車なんかより、自転車で
中道通った方が近いじゃんって言って、後ろに乗せてくれた。
そして、家に着くと、今度は部屋の中に入るまで、
ずっと見守ってくれて。
ますます、彼女を好きになっていく自分に気付いた。
じっくりとしか恋愛できないと思っていた自分が
こんなに一瞬にして、恋に落ちるなんて・・・
昨日一日で、何度よっすぃ〜にぴったり出来たんだろう?
あまりにもドキドキが激しくて、絶対寿命が縮まった
なんて思っちゃう。
- 432 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:53
-
そんな甘い気持ちを抱えて、
『雪が降ろうと、槍が降ろうと、今日だってバンバン
ケーキ売っちゃうんだから』
と気合充分でお店に行くと、
なぜかサンタの衣装が消えていて、初日に着たお店の
制服が用意されていた。
「柴ちゃん?わたしのサンタ衣装知らない?」
「えー、知らないよ?マサオに聞いてみれば」
そう言われて、事務所に行くと、
なぜかサンタ衣装を着たよっすぃ〜がいた。
「そ、それ・・・」
昨日のことを思い出して、頬が熱くなる。
「ああ、これ。今日はさ、アタシ一人で外やるから」
「な、なんで?」
「おー、よっすぃ〜サンタじゃん」
後から事務所に入ってきた柴ちゃんが言う。
「てかさ、よっすぃ〜、その上着にジーパンはどうなのよ」
更に遅れて入ってきたまいちゃんが言う。
- 433 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:54
- 「う、うるせー。スカスカすんのは、やなんだよ」
「じゃあ、何でサンタさんやるの〜?」
「そ、それはさ・・・」
「愛しの梨華ちゃんが〜、こんな雪の日に〜
寒さに震えて、ケーキを売って〜
風邪でもひいたら困る〜ってヤツでしょ?」
まいちゃんの言葉に一気に顔が火照った。
「おめー、その言い方、ムカツクっ!!」
「おーっと、よしこちゃん図星だ!お顔が真っ赤っか」
「う、うるせー!トナカイの衣装を着たくねえだけだよ」
「またまた〜」
コノコノ。色男。
そう言いながら、まいちゃんはよっすぃ〜を肘でつつく。
そのやり取りをじっと聞いていた柴ちゃんが、突然ニヤリと笑って言った。
「ねー、まいちん。この二人、なーんか昨日と雰囲気違くない?」
- 434 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:54
-
どれどれ〜
二人して、わたしとよっすぃ〜を交互に眺める。
「ア、アタシ、ちゅ、厨房、い、行ってくる」
慌てふためいて、よっすぃ〜が出て行った。
「わ、わたしも、き、着替えて来ないと・・・」
「りーか、ちゃん」
素早い動きで、まいちゃんにドアを塞がれた。
柴ちゃんが背後から、首に腕を回して、わたしを捕らえる。
「ちょっと、お話聞こうかー。梨華ちゃん」
- 435 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:54
-
開店準備をしながら、昨日のことを洗いざらい吐かされた。
二人はニヤニヤしながら、聞いていたけど
別に好きだと伝えたわけでも、伝えられたわけでもないと言うと、
『なーんかもどかしいなあ
普通、そこまで言ったら、キスの一つや二つ、するでしょ?
いやー、送り狼もアリよ』
なんて言われて。
――そう、なのかな?
もしかして、私だけがドキドキしてるのかな?
よっすぃ〜にとっては、なんてこと、ないことなのかな?
不安顔になったわたしを見て、柴ちゃんが
「よっすぃ〜がヘタレなだけだよ」
そう言ってくれたけど、
お店の外で、ケーキを売っているあなたの姿を
窓越しに見て、とても不安になった。
- 436 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:55
-
髪の長い綺麗な人が、よっすぃ〜と楽しそうに話している。
わたしの視線に気付いた柴ちゃんが、わたしの視線の先を追う。
「ちょっと、よっすぃ〜サボってやがる」
その声に、まいちゃんも外を見た。
「あれって、ごっちんじゃん」
「ごっちんて誰?」
「ああ、よしこの前カノ。柴ちゃんが来る少し前まで
ここで働いてたんだけどね」
聞きたくない、そんな話――
「あ、でも梨華ちゃん、心配しないで。
もう随分前に別れたんだよ。ほんとに、だから気にしちゃダメだって」
スタイル、いいなあ・・・
ストレートの髪が風になびいて、とっても色っぽい。
わたしには、ないものを
彼女はたくさん持っている――
そんな気がした。
- 437 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:55
-
「石川さん、コレ、よっすぃ〜に渡してくれる?」
特注のケーキ。
彼女のものかな・・・
「あ、マサオ、私行くよ」
「いや、あゆみは、ちょっとこっち手伝って欲しいんだ」
「いらっしゃいませ」
まいちゃんが、来客の対応をする。
わたしが、行かなきゃ。
心配そうな目で見ている、柴ちゃんとまいちゃんに
微笑みかけると、わたしは外に出た。
- 438 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:55
-
「よっすぃ〜」
とっても華やかな笑顔のよっすぃ〜が振り向く。
胸がチクリと痛む。
「いらっしゃいませ」
営業用のスマイルなら、負けない。
「あら、これまた、かわいい子が入ったんだねえ。
よっすぃ〜、手出しちゃダメだよ」
「バ、バカ。んなことしねーよ」
「ハハッ、相変わらずからかいがいがあるよね〜」
「これ、店長がよっすぃ〜に渡してって」
「おう」
よっすぃ〜は、わたしからその袋を受け取ると、
彼女に差し出した。
やっぱりね・・・
こういう勘だけは、いつも当たっちゃうの。
「おめーは、細かい注文つけすぎなんだよ。
コレ作んの、大変だったんだぞ」
昨日、厨房をのぞいた時に、ひときわ大きなケーキを
作っていたよっすぃ〜を思い出す――
- 439 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:56
-
「感謝してるってば」
「ほんとかよ」
「感謝、カンゲキ、雨あられ――じゃなくて、今日は雪か」
「ばーか」
アハッ
「あ、そうだ。よっすぃ〜、近い内にあの子に会いに来てよ。今晩来れば?」
あの、子・・・?
「今夜は無理だよ。完売したら、ケーキ完売祝いの打上げがある」
「そっか、そうだったね。じゃあ、ほんとに近い内に来てよ」
「ああ」
「じゃ、約束」
そう言って、彼女はよっすぃ〜の小指をとって、
自分の小指を絡めた。
「ゆーびきり、げんまん。うっそ、ついたら――」
それ以上、見ていられなくて、わたしはお店の中に入った。
- 440 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:56
-
梨華ちゃん、休憩しておいで。
まいちゃんが、戻ってきたわたしを見て言ってくれた。
正直、もう涙が限界。
更衣室に駆け込む。
中に入った途端に、もう止められなくて、泣き崩れた。
今朝までの、幸せだった気持ちは夢のようにどこか遠くにふっとんでしまった。
やっぱり、わたしだけの思い込み。
浮かれていたのは、わたしだけ。
やっと恋できたと思ったのに、たった一日で
失恋しちゃうなんて・・・
「入っていい?」
よっすぃ〜の声だ。
「や、やだ・・・」
「泣いてるの?」
「泣いで、なんが。いだいぼん・・・」
「泣いてんじゃん」
「泣いでだい・・・」
- 441 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:57
-
「入るよ」
よっすぃ〜が扉を開ける音がして、
わたしはとっさに背中を向けた。
「ねー。どうしたの?」
「べづに。よっすぃ〜、には、関係、ない」
ゴクリッ
唾を飲み込む音が聞こえた。
そっと、よっすぃ〜が近づいてくる。
「さわらないで!」
ふれられる前に言ったのに
よっすぃ〜は、後ろからわたしを抱きしめた。
- 442 名前:Cake 投稿日:2007/12/23(日) 11:57
-
「何で泣いてるの?」
あなたが、とっても優しい声で聞くから
思わずカッと、頭に血がのぼって
「気安く触んないでよっ!」
一言、言ってしまったら、もう止まらなくて
力まかせに、あなたを振りほどくと言葉にしてしまった。
「誰にでもそうやって、思わせぶりにするんでしょ?
わたしをその辺の人と一緒にしないで!!」
よっすぃ〜の瞳の色が、濃くなった。
「ふざけんなっ!!誰にでも、だと?
人の気もしらねーで、言いたいこと言ってんじゃねえよ」
「出て行ってよ!大っキライ、よっすぃ〜なんて!!」
思わず、そう言ってしまった後に、
シマッタと思ったけれど・・・
よっすぃ〜は、一瞬、苦しそうに顔を歪めると
とても冷めた目をして、黙って出て行った――
- 443 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/23(日) 11:59
-
本日はここまでです。
後藤さんがちょっとだけ登場しました。
このお話は、あと1回です。
- 444 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/23(日) 23:53
- うんうん。ついつい思っても無いことを言っちゃうんだよね〜
ホント恋って難しいですよね。
- 445 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/24(月) 07:44
- ネガチャミかわゆいなぁ
- 446 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/24(月) 15:19
- 臨時のアルバイトもあと1日か。
残りの更新楽しみにしてます。
- 447 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/24(月) 17:19
-
>>444:名無飼育さん様
ほんと難しいですよね。
>>445:名無飼育さん様
作者もこういう石川さん、結構好きです。
>>446:名無飼育さん様
楽しみにして頂きありがとうございます。
何とか間に合いました。
では、ラストです。
続きをどうぞ。
- 448 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:19
-
- 449 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:20
-
その後は、なんとか仕事をこなしていたけれど、
目に浮かぶのはあなたの傷ついた顔で。
何度も謝りに行きたかった。
あなたを傷つけたこと。
心にもないことを言ってしまったこと。
それ以来、あなたは休憩さえとらずに、ずっと外にいて。
辺りも暗くなって、ケーキが完売して、閉店する時間になって
やっと店の中に入ってきた。
「よっすぃ〜、お疲れ〜、あれ?顔真っ赤だな?」
そんなマサオさんの言葉に
「雪焼けでもしたんじゃないすか?」
小さくそう言って、更衣室に入っていった。
- 450 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:21
-
「ようし!おかげ様で、去年よりも多く、そして早く完売!!」
おー
皆が、感嘆の声と共に拍手をする。
よっすぃ〜は、事務所の隅で、壁に寄りかかって下を向いたまま、
黙って拍手をしていた。
「ということで、恒例の完売祝いの打上げと行こうじゃないか!!」
マサオさんの号令に、
まいちゃんと柴ちゃんは、元気よく拳をあげて
『オーッ!!』と返事をした。
打上げで、謝るチャンスつかまえよう。
ううん。チャンスなんか、無くたって、ちゃんと謝って
自分の気持ち伝えよう。
だって、よっすぃ〜と会えるのは、もう今日だけなんだもん。
どんな結果になったってこのままで、
さようなら、なんて嫌だ。
- 451 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:21
-
「すんません。アタシ、用事できたんで、ここで失礼します」
え?
うそ、でしょ?
「なーに言ってんだよ。これは会社行事。抜けることは許さない」
そーだ、そーだ
マサオさんに二人も加勢する。
「いや、マジで。どうしても。すんません」
よっすぃ〜の口調が、何を言ってもダメだと言う強さを含んでいたから、
皆もそれ以上、何も言えなくなってしまった。
「アタシの予約分、代打で美貴でも呼んで下さい。
それに最後、アタシ締めて出るんで、皆行っちゃって下さい」
- 452 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:21
-
わかった。
あと、頼むな。
マサオさんは、そう言うと、皆をうながして事務所を出た。
出た途端に、柴ちゃんが噛み付く。
「ちょっと、マサオ。どうして、よっすぃ〜の首に
縄をつけてでも連れて来ないのよ!!」
「いや、あいつがあんな風に言うなんて、そーとーの事だよ。
あれだけ、人付き合いを大事にするヤツがさ、自分のわがまま
通すなんてさ。今までだって、一度もなかった
だから、よっぽどの事があるんだろ?」
――あの子に会いに来てよ
そっか。
会いに行くことにしたのかな?
だったら、やっぱり、わたしは・・・
- 453 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:22
-
カバンの中を探った。
今のうちに、昨日教えてもらった、よっすぃ〜の
携帯番号、消しちゃおう。
決意が揺るがないように
今、すぐに――
「あれ?」
「どしたの?梨華ちゃん」
「ケータイ忘れてきちゃった」
「どこに?」
「事務所でさっき、カバンの中整理したから、多分事務所・・・」
「今行けば、まだよっすぃ〜いるんじゃない?」
まいちゃんの言葉にビクッとなる。
「行っといで、梨華ちゃん」
柴ちゃんが言う。
「柴ちゃん、一緒に来て」
「ダメ、一人で行きなさい。それで、ちゃんとスッキリしといで
せっかく自力でつかんだ恋、なんでしょ?」
- 454 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:22
-
「・・・分かった」
柴ちゃんに背中を押されて、お店に向かった。
泣きたかったら、今夜付き合ってあげるから、ね。
そう言ってくれた。
ごめんね、柴ちゃん。
マサオさんに聖夜を過ごそうって言われてたのに――
重い足取りで、お店に向かった。
まいちゃんの言う通り、まだ中によっすぃ〜はいるみたいで、
明かりがついている。
- 455 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:22
-
静かに入って、事務所の扉の前で大きく深呼吸した。
思い切って、ノックをしようと右手をあげた。
<ガタンッ!!>
何かがぶつかる音がして、うめき声が聞こえた。
「よっすぃ〜?!」
慌てて、扉を開けると、
よっすぃ〜が床に倒れていた。
「ど、どうしたの?」
よっすぃ〜に駆け寄って、肩に触れて、顔を覗き込むと
彼女は、真っ赤な顔をして、苦しそうに肩で息をしていた。
- 456 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:23
-
「まさか・・・」
彼女の額に手の平をのせる。
「すごい熱っ!」
慌てて彼女を抱き起こした。
「・・・ダ、ダイ、ジョブだって」
よっすぃ〜がわたしから離れようとする。
「ダ、イジョブ、だから。行けよ。
み、んなと、楽し、んで、おいで・・・」
「いやよ。こんなよっすぃ〜、置いて行けない」
「ほんと、に。ダイ、ジョブ。ちょっと、やす、めば、
治る、からさ」
そう言って立ち上がろうとして、よろける。
あわてて、抱きとめた。
「ヤベー、カッコ、わりいな、アタシ・・・」
- 457 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:23
-
「さっき、までは、さ。カン、ペキ、だったん、だけど、な・・・」
「もしかして、よっすぃ〜、打上げ行かないって言ったのって――」
「みんな、さ。打上げ、たのしみ、にしてるし、それに、
昨日、アンタ、素敵、なクリス、マス、過ごして、みたいって
言って、たし」
熱い息を吐き出しながら、よっすぃ〜が続ける。
「アタシ、も、そこに、いれたら、よかった、けど
立ってん、ので、もう、限界、だった、から」
「アンタ、にさ。いい、クリスマス、の思い出、作って、ほしく、て・・・」
ゲホッ、ゲホッ
わたしの胸に抱かれたまま、大きく咳き込んで
「カゼ、うつる。だか、ら、早く、行けよ・・・」
「やだよ。よっすぃ〜がいなきゃ、素敵なクリスマスになんか、ならないよ」
涙がこぼれた。
- 458 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:24
-
よっすぃ〜が目を見開いた。
熱で潤んだ瞳が、とても危うくて、色っぽくて・・・
よっすぃ〜は、震える手を、わたしの頬に伸ばして
その長い真っ白な指で、涙を拭ってくれた。
「泣か、ない、で・・・」
触れられた指がとても熱くて・・・
「よっすぃ〜、病院行こう?」
「ダイ、ジョブ」
「ダメだよ。今、柴ちゃんに電話するから」
わたしは、忘れていった携帯を目で探した。
テーブルの上に置かれた携帯を見つけて、よっすぃ〜を抱えたまま
体を少しずらして、そこに手を伸ばそうとした。
「待、って」
よっすぃ〜は伸ばしかけたわたしの右手をつかむと言った。
「その前、にさ、一言、だけ、言わせて・・・」
- 459 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:24
-
潤んだ瞳で、身も心も捕まえられる。
「アタシ、誰に、でも、やさしく、なんか、しない。
ましてや、抱き、しめたり、なんか、しない。
なに、吹き込まれた、か、知んない、けど。
ごっちん、とだって、もう、終わって、る」
「なん、とも、思って、ない、人に、こんなに、
触れ、たい、なんて、思わない」
「なん、とも、思って、ない、人に、こんなに、
ドキドキ、したり、しない・・・」
そう言って、握り締めたわたしの右手を
自分の胸に引き寄せると
「アタシさ、アンタの、こと、が――」
- 460 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:24
-
<ガチャッ>
「梨華ちゃん、大丈夫?」
背後から、柴ちゃんの声が聞こえた。
「ちょっと、よっすぃ〜、どうしたの?!」
ゲホッ、ゲホッ
「もしかして、その顔、熱あんの?」
そう言って、固まったわたしの背後からよっすぃ〜の額に手を伸ばすと
こりゃ、大変!!
そう言って、マサオさんに電話した。
「今、マサオが車まわして、すぐ来るって言ってたから、
しっかりしなよ、よっすぃ〜!」
心配そうに声をかけた柴ちゃんに
指をクイクイッてやって、自分の近くまで呼ぶと
「柴ちゃん、ばーか」
そう言って、よっすぃ〜は、わたしの腕の中で脱力した。
- 461 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:25
-
そのまま、近くの病院まで運ぼうとしたけど、
夜だし、開いてないし、救急車呼ぶかって話も出たけど。
マサオさんが突然ひらめいたように
「そうだ!中澤先生呼ぼう」
って言い出して。
「あの人、絶対今日ヒマだろ」
「中澤先生ってだれ?」
柴ちゃんが聞くと
「ヤブ医者、じゃなかった。闇医者みたいなもん」
なぜか、ここにいる美貴さんが答えて
って、よっすぃ〜の代打なんだっけ。
でも、その美貴さんがすぐに、その中澤先生と連絡とってくれた。
- 462 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:25
-
「近くの誰かの家で寝かせとけって、そこに来てくれるって
てか、美貴に迎えに来いってさ」
わたしとよっすぃ〜以外の全員が
美貴さんを一斉に見る。
「待って、待って。美貴ん家は無理!絶対無理」
「だって、あんたの家が一番近いじゃん」
「いや、でもあそこは衛生上よくないかも・・・」
まいちゃんとマサオさんがそう話していると、
突然、柴ちゃんが声を上げた。
「そうだ!梨華ちゃん家が近いよ!!」
え?
ちょ、ちょっと待って・・・
うちもあまり衛生上、良くないかもしれない・・・
全員の視線が集まる。
- 463 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:25
-
「住所言って」
「え?」
美貴さんに睨まれる。
「早く言え」
「は、はい」
「美貴、中澤さん拾って、向かうから。
まいちゃん、ついでに来て」
「ついでかよ!」
そう言いながら、二人は去っていった。
「よし、じゃ、石川さん。家まで案内して」
「は、はい」
マサオさんと一緒によっすぃ〜を抱えて、車に乗り込む。
さっきよりも荒い息。
また、熱、上がっちゃったのかも・・・
- 464 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:26
-
「こいつ、今日ずっと無理してやがったな」
ハンドルを握ったマサオさんが言う。
「全く、梨華ちゃんにいいとこ見せようとして、カッコつけすぎなんだよ」
助手席の柴ちゃんが言った。
後部座席で隣に座るよっすぃ〜は、本当に苦しそうで・・・
暗くても、顔が真っ赤に染まっているのがわかる。
吐き出す息は、ビックリするくらい熱くて・・・
わたしのせいだ・・・
「梨華ちゃんのせいじゃないよ」
「そーそー、今朝、サンタは自分がやりますから、
彼女は中で仕事させてあげて下さい。寒いの苦手みたいでって
こいつから言ってきたんだから」
『手、冷たいね』
『じゃあ、こうしなよ』
よっすぃ〜、ごめんなさい・・・
わたしは、よっすぃ〜が少しでも楽になればと
彼女の腰に手を回して、体を支えた。
冷たい手の平を、彼女の額にのせる。
少しでも、この熱をあなたから奪ってあげたい・・・
「き、もち、いい・・・あり、がと」
そう言って、よっすぃ〜が小さく微笑むから、また涙がこぼれた。
- 465 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:26
-
「こんなん、デッカイ注射バーンと打ったら、すぐようなるわ」
うちに到着するなり、中澤先生は、ぶっとい注射器を出して、
よっすぃ〜の腕をまくった。
「先生、診察とかは・・・」
「あー、いらん。いらん。こんな寒い日に、あんなカッコで
休みもとらんと、ずーっと突っ立っとったら、バカでも風邪ひくわ」
「見てたの?」
「だからヒマだっつったろ」
最後の言葉を言ったマサオさんをひと睨み。
「常連無くすと、痛いで」
すいません。
マサオさんは深々と頭を下げた。
どうやら、中澤先生は、本当に闇医者で、
自由気ままに、金次第で、ヤバイ仕事を引き受ける。
仕事が終わると必ず、店に特注でケーキを頼むそうで――
今まで、柴ちゃんだけが、なぜかその場面に遭遇したことがなくて
知らなかったらしい・・・
「これで、あんたらも仲間やな」
そう言われて、柴ちゃんとわたしは凍りついた。
- 466 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:27
-
「よし。まあ、大丈夫やろ。今夜はまだ熱が上がったり下がったり
するやろうから、本人の状態見て、寒そうやったらあっためて、
汗かいたら拭いたって」
「はい」
「氷まくらもすぐ溶けてまうから、こまめに換えたってな」
「はい」
「ほな、行こか?」
「じゃ、送りますよ」
マサオさんが車のキーをつかむと
「なにいうとんねん。この姉ちゃんだけ置いてみんな行くんやで」
「「「「はい??」」」」
「こんな、キッタナイ部屋にいつまでもおられるかい!」
「そりゃ、そうだ」
「確かに、まいの部屋より汚い」
「美貴も負けたね」
ひ、ひどい。みんな・・・
「それに、よっさんの代打はミキティやろ?
じゃあ、この子の代打はあたしが務めるっちゅうこっちゃ」
「「「「飲みたいだけじゃんっ!」」」」
「なんや?文句あっか?」
「「「「ありません・・・」」」」
- 467 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:27
-
「ということで、ごめんね。梨華ちゃん」
「ううん、大丈夫」
予約していたお店の時間を、中澤先生の力で少しずらしてもらって
みんなは部屋を出て行った。
最後に、もう一度、よっすぃ〜の容体を見てくれた中澤先生の顔は
やっぱりお医者さんなんだなと実感した。
「ま、大丈夫やとは思うけど、明け方になっても熱が下がらんかったら
電話しい。そん時はすぐ駆けつけるから」
そう言って、名刺を渡してくれた。
『医師 中澤裕子』
文字はそれと、電話番号だけなのに、
金で縁取りされていて、なぜか背景に薄墨仕様の龍が描かれていて
異様な存在感を放っていた。
- 468 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:27
-
ベッドのそばに行くと、相変わらずよっすぃ〜は苦しそうで、
代わってあげたいと何度も思った。
先生に言われたとおり
よっすぃ〜が震えだしたら、電気毛布であたためてあげて
汗をかいたら、すぐに拭いて。
氷まくらも、額のタオルも何度も取り替えた。
何回、繰り返しただろう?
鳥のさえずりが聞こえ出した頃、ようやくよっすぃ〜の呼吸が
安定してきて。
熱が37度まで、下がったのを見たら、心からホッとして。
ベッドのすぐ横で、床に座って、よっすぃ〜の安らかな寝顔を見ながら、
彼女の手を握って少しだけ泣いた。
- 469 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:28
-
んんっ・・・
「ごめん、起こしちゃった?」
頭の上から、少しかすれた声が聞こえて、飛び起きた。
「よっすぃ〜!!」
「ちょっと前に目が覚めてさ、起こさないように体勢を変えようと
思ったんだけど――
アンタ、アタシの手握って、離さないからさ」
「ご、ごめん」
慌てて、手を離した。
明け方、安心して、よっすぃ〜の手を握ったまま、
ベッドにうつ伏せて寝ちゃったんだ・・・
よっすぃ〜は、上半身だけ起こすと
わたしの髪をなでた。
- 470 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:28
-
「ずっと、ついててくれたんでしょ?ありがと」
とっても優しい眼差しで、そう言うから。
もう、苦しそうな色がどこにも見当たらないから、
だから――
また、うれしくなって。
安心して。
彼女に風邪をひかせてしまった自分に腹が立って・・・
色んな感情が一気に溢れ出してきて
涙と共に流れ出した。
「わわわわ、泣かないでよ」
「だって、怖がっだんだもん。よっすぃ〜、すごく、
苦じそうで、このまま、起ぎながったら、どうじようって思って
わたしの、せいだから。よっすぃ〜、カゼひいたの。
わたしの、せい・・・」
「ああ、もう!」
そう言って、よっすぃ〜は、わたしを抱き寄せた。
- 471 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:28
-
「そんな風にされたらさ、もう、我慢できないよ」
イブの夜と同じように、あなたはわたしの髪にキスを一つ落とすと
また、耳元でささやいた。
「好きなんだ。アンタが・・・」
その声に、言葉に心が震えた。
「好きなんだ・・・」
もう一度、耳元で言われたら、また涙が溢れ出して・・・
「ずっと、もうずっと前から、アンタが好きだった・・・」
うれしい・・・
って、ちょっと待って!
『ずっと』って、わたし達、まだ会って今日で4日目じゃない?!
驚いて、よっすぃ〜から離れたら、
今度はよっすぃ〜の方が、ビックリした顔をして
次の瞬間、『ああ』って、納得したようにつぶやいてから、
テレたように頭を掻きながら教えてくれた。
- 472 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:29
-
アンタ、うちの店に何度か来たことあるだろ?
最初はさ、店から、明るい笑い声が聞こえてきてさ、
へー、柴ちゃんの友達が来たんだ、としか思わなかったんだ。
1度目も2度目もそうだったんだけどさ。
アンタ、いつもアタシが作ったケーキを頼むんだよ。
ケーキの種類なんてたくさんあるのにさ、
店長の方が、見た目も味もやっぱりいいのにさ。
アンタ必ず、アタシのを注文するんだよ。
3度目もやっぱり、アンタがアタシが作った新作を注文して
気になって、オーダー入れた、柴ちゃんに聞いたんだ。
柴ちゃんがアタシに気を使って、友達に頼ませてんのか?って。
その頃、ちょっと自分の腕に自信がなくなっててさ。
自分の何が悪いんだって、ずっと悩んでた。
そしたら、柴ちゃん、そんなことされんの、よっすぃ〜が一番キライでしょ?
あの子、自分で選んで、色々聞いて、いつも注文してるんだよって。
だからさ、ちょっと興味が出てさ、厨房からひそかに
覗いたんだ――
- 473 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:29
-
「そしたら、アンタ、すげー幸せそうに、アタシが作ったケーキを
食っててさ。その笑顔がほんとに眩しくてさ。一目、ボレ、した・・・」
「そ、そうなの・・・?」
「うん。それからはさ、あんな笑顔で、またアンタに食べて欲しいなって。
そう思いながら、ケーキ作ってたらさ、店長に『やっとケーキ作るのに
一番大事なことに気付いたか?』って言われてさ、客からも腕上げたなって
言ってもらえるようになった」
よっすぃ〜が、ケーキを作っている横顔を思い出した。
白くて長い指が、なめらかに動いて。
その真剣な眼差しは、とっても情熱的で――
その先に、わたしを見ていてくれたの?
「アンタのこと知りたくて、柴ちゃんに聞いたらさ、
梨華ちゃんは今、彼氏いるからダメだよって言われて。
そんなんじゃねえよって言ったんだけど、実は結構ショックでさ。
見たこともない、アンタの彼氏にちょっと嫉妬したりしてさ。
だから――」
「だか、ら・・・?」
- 474 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:30
-
「アンタがあの日、彼と別れたって言ったとき、
心の奥底で、チャンスかもしんないって思って、
なんかもう、気持ち、止めらんなくなっちゃって・・・」
『アンタ、すげーいい女だよ・・・』
よっすぃ〜が、あの日、ささやいてくれた言葉を思い出す――
「アンタを家に送った後さ、次の日、クリスマスだし、
アンタ素敵なクリスマス過ごしてみたいって言ってたし、
ちょっと頑張っちゃおうかなってさ。
打上げでみんなで騒いだ後、アンタ誘ってさ、プレゼントとか渡して、
告ったりしちゃおうかなって、自分なりに描いてさ。
あれから、あちこち回ったんだ――」
「あの時間から?」
「バッカだよね、ほんと。あの時間に開いてる店なんか、
ほんとたいしたもん売ってなくて、プレゼントになんか出来ないよなって
ものばっかで。結局4軒回ってさ。そのうち、雪降ってきて、
もう1軒だけ行こうと思って。したら、その店入ってる内に、本格的に降ってきて。
そのまま、チャリすっとばしたんだけど、結構体冷え切っちゃっててさ。
一応、買ったんだけど、やっぱ納得できなくて――」
あの夜、そんな風にしてくれてたなんて
考えもしなかった・・・
- 475 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:30
-
「だったら、アンタに最高のケーキ食わしてやろうって。
自分の一番誇れるもので、勝負しようって、朝一で店行って
アンタのこと考えながら、ケーキを焼いた」
『人の気もしらねーで、言いたいこと言ってんじゃねえよ』
わたし、ひどいこと言っちゃった・・・
「まあ、だから、アンタに代わって、ずっと外にいたから
カゼひいた訳じゃなくてさ。その前の日、アタシが
バカやったからって言うか・・・」
「ごめんなさい・・・」
「いや、だから、アンタのせいじゃないんだってば」
「でも・・・やっぱり、わたしのせいだもん。
それに、お昼間、わたしひどいこと言っちゃった――」
「ま、あ、あれはさ、確かにひでーと思ったけど、
やっぱさ、ほら・・・」
「ほら・・・何?」
だからさ・・・
よっすぃ〜は顔を真っ赤にして、ボソッとつぶやいた。
「何言われたって、アンタへの気持ちが変わるわけじゃねえから」
- 476 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:30
-
「よっすぃ〜!」
うれしくて、わたしから思いっきり抱きついた。
受け止めきれずによっすぃ〜が、わたしを抱えたままベッドに倒れこむ。
「――なんか夢みてぇ」
そんなことを言うから、体を起こして、上からあなたを覗きこんだ。
「ヤバいって、この角度」
「どうして?」
「だって、アンタすげーいい女じゃん」
「アンタじゃないもん・・・」
ちゃんと呼んで、よっすぃ〜
あなたのその優しい声で。
「――梨華。好きだよ」
ちゃんと目を見て言ってくれたから、わたしは微笑んで
あなたの唇に自分のそれを重ねた。
- 477 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:31
-
それから、わたし達は、よっすぃ〜が昨日
わたしのために作ってくれたケーキを目指して、お店に向かった。
タクシーでお店まで来たけど、その車中でも、今でもずっと
よっすぃ〜は、わたしの手を握って離さない。
道中、昨日のことを思い出して、
ごっちんて子が言っていた、あの子って誰なのかを
思い切って尋ねた。
そしたら――
「ああ、アタシが前に飼ってた犬のこと。
今のアパートに引っ越したら、ペットだめでさ。
ごっちんに預かってもらってんだ」
なーんだ。
落ち込んで、損しちゃった。
- 478 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:31
-
定休日のお店の中は、もちろんガランとしていた。
わたしを店内の客席に座らせると、よっすぃ〜は初めて手を離した。
「ちょっと待ってて。用意してくる」
「わたしも手伝う」
「いいから、待っててよ」
そう言って、厨房に入っていった。
なんか、不思議・・・
4日前、ここに来た時は、こんな風に恋が出来るなんて
思わなかった。
泣いたり、笑ったり、
怒ったり、ドキドキしたり――
自分の心なのに、コントロールできなくて
苦しくなったりしたけど、あなたに会えてよかった。
あなたに恋して、本当に良かった・・・
- 479 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:31
-
「お待たせ」
よっすぃ〜がトレーに箱とカップをのせてきた。
「まずは、コーヒー」
すごく、いい香り。
最初の日、あなたがわたしのために落としてくれた、あの香り――
「次は、これね」
小さな箱が置かれた。
「開けていい?」
「どうぞ」
「それがさ、夜中に走り回って買ったやつなんだ」
薄いピンクの手袋。
手首のところにファーがついていて、すごくかわいい。
これを雪の中、探し回ってくれたのかと思うと胸が熱くなった。
「ありがとう」
「次がメインだからさ」
そう言って、目の前に白い箱を置かれる。
「開けるよ」
よっすぃ〜が、白い箱を開けて、中身を取り出した。
- 480 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:32
-
「ブッシュ ド ノエルだあ」
「うん。さんざん迷ったんだけどさ、クリスマスはやっぱ
ノエルかなって」
かわいい――
チョコクリームがベースで
クリスマスらしいデコレーションが細かくほどこされていて
一つ一つがすごく凝って作られているって、一目見ただけでわかる・・・
「食べてみてよ」
「切るのもったいない」
「じゃあ、そのままかぶりつく?」
そう言いながら、よっすぃ〜は笑って、ケーキにナイフを入れた。
- 481 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:32
-
「あーあ、ツリーが崩れちゃった・・・」
「毎年作ってやるって」
え?
何気にいま、すごいこと言ったよね。
よっすぃ〜を見ると、やっぱり耳まで真っ赤。
もう、そうやって、いきなりかわいくなるんだから。
「毎年作ってくれるんだぁ〜」
「お、おう」
「わたしだけに?」
「あ、あたりめえじゃん」
フフッ。
どもるから、思わず笑っちゃった。
- 482 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:33
-
「ほ、ほら、食え」
乱暴にお皿を置いたけど、目がとても優しい色をしていたから
からかうのは、もうやめにしよう。
フォークを手にとって、小さく切ってのせた。
よっすぃ〜は、わたしの脇にしゃがみこんで
テーブルにのせた腕の上に、その整った顔をのせて
頬を上気させて、わたしを見上げていた。
何か、しっぽを振って、おすわりしてる犬みたい。
その仕草がかわいくて、もう少し見ていたくて、
ちょっとだけ時間をかけて、フォークを口に運んだ。
- 483 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:34
-
「――おいしい!」
「ほんと?」
「うん」
大きく頷いて、二口目を運ぶ。
おいしい・・・
「その顔なんだ」
「ん?」
「アタシが一目ぼれしたの」
潤んだ瞳で見上げられて、途端に頬が赤くなる。
「こんな間近で見られると思わなかった・・・」
よっすぃ〜が、わたしの髪に手を伸ばす。
やさしく触れながら、髪を耳にかけてくれる。
- 484 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:34
-
「すげー、色っぽい・・・」
愛おしそうに髪をひいてくれるあなたの指に、声に、
眼差しにゾクッとしてしまう。
「――キス、していい?」
白くて長い指が、唇を優しくなぞる。
「・・・聞かないで――」
静かに目を閉じると、あなたの温度を感じた。
触れるだけのやさしいキス。
それだけでも、クラクラするのに
あなたは立ち上がると、わたしの手をひいて立たせて
強く抱きしめた。
- 485 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:34
-
「今年はクリスマス、一日ずれちゃったけど、
来年も、再来年も、これからずっと、そばにいてよ。
そしたら、毎年、最高のクリスマスを過ごさせてやっから」
胸がいっぱいで、言葉にならないから
あなたの胸の中で頷いた。
「それから、一緒にいるときは、いつだってこうして温めてあげる」
そう言って、よっすぃ〜は、少し体を離すと、わたしの手を捕まえた。
「梨華、好きだよ。愛してる」
あの情熱的な瞳で、見つめられた。
「梨華の返事を、聞かせて・・・」
「わたしも、一緒にいたい。ずっとよっすぃ〜のそばにいたい・・・」
そう答えると、よっすぃ〜は、うれしそうに微笑んで
また、聞いた。
- 486 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:35
-
「キス、していい?」
「もう、いちいち聞かないでよ・・・」
答えた途端、よっすぃ〜は、わたしの顎を軽く持ち上げると
唇を重ねた。
慈しむように、わたしの上唇と下唇を交互に挟むと
やさしくノックをするように、舌を差し込んできた。
今までは・・・
キスの経験は、そりゃ、あるけど。
こんなに愛情を注がれたことなんかなくて。
舌をあわせることが、気持ち悪いとさえ、思うときもあったのに
あなたの舌に触れた途端、腰が砕けるかと思うほど
体中に電流が走った。
んっ、ん・・・・
思わず、声が出てしまって。
でも、あなたの舌がわたしを求めてやまないから
ますます感じてしまう――
- 487 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:35
-
角度を変えて、何度も何度も、
よっすぃ〜は、わたしを求めてくれた。
舌をからませながら、あなたの手は、わたしの手を求め、
そして、背中を撫でて。
もう、とろけてしまいそう・・・
そう思ったら、よっすぃ〜の手が、
服の中に滑り込んできた。
ん、んん・・・はぁ・・・・
直にあなたの手の平の温度を感じたら
もう、我慢出来なくて、しがみついた。
「かわいい、梨華・・・」
唇を離したと思ったら、そう、耳元でささやいて
耳をくわえたと思ったら、首筋におりてきた。
はぁ・・・・、んやぁ、ふぅぅ・・・
- 488 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:36
-
「そんな声聞いたら、止めらんない・・・」
そう言って、よっすぃ〜はブラジャーの隙間から
長い指をすべりこませた。
ああっ・・・
も、う、何も考えられなくなりそう――
ん、んふぅ、はぁぁ・・・
「梨華・・・このまま、シテもいい・・・?」
いいよ・・・
あなたに全てアゲる。
身も心も、全部――
だから、もう一度言って・・・
「愛してる、梨華・・・」
- 489 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:36
-
<ガッシャンッ!!>
店の奥で、ものすごい音がして、わたし達は振り向いた。
『バカッ!まいちん、何やってんだよ』
『だって、見えないんだもん』
『そうだよ。ミキティとマサオだけ、見てんだもん』
『青少年に見せられるシーンじゃ・・・』
「小声で話したって、全部聞こえてるよ」
よっすぃ〜が店の奥に続く扉を開けた。
一瞬にして固まる4名。
「い、いやー。吉澤くん、おはよう」
わざとらしく、マサオさんが言って、店に入ってくる。
「梨華ちゃん、おはよう」
柴ちゃんが、気まずそうに後に続く。
「よっすい〜、元気になってよかったね」
まいちゃんも後に続く。
- 490 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:36
-
「元気になりすぎて、店ん中でいきなりエッチするとは思わなかっ――」
「「「美貴!!」」」
美貴さんは、ペロッと舌を出すとよっすぃ〜の背中を叩いた。
「やるねえ、ヘタレのくせに」
「イッテーな!大体、お前ら、いつからいたんだよ」
「よっちゃんが、『キスしていい?』って聞いた辺りから」
「はあ??」
「しかも、一回目!」
よっすぃ〜の顔が、真っ赤に染まる。
「――お前ら、趣味悪すぎ・・・」
「大体さ、よっすぃ〜のことが心配で、二人のケータイ鳴らしたって
出ないしさ」
まいちゃんが言う。
「心配で、梨華ちゃん家、行ったら、誰もいないしさ」
柴ちゃんが言う。
「そしたら、マサオ店長が思い出した訳」
美貴さんが言う。
- 491 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:37
-
「昨日、あいつ朝っぱらから何か作ってたぞ」
マサオさんが、自分のセリフを再現。
「よし、じゃ、レッツゴーで、
4人そろって来てみたら」
「なーんと」
「二人がいい感じになっちゃってて」
「のぞいちゃえー、みたいな。
が、店でエッチは禁止だあー!店長として許さん」
ハアー
なんなんだ。この連携プレーは・・・
よっすぃ〜は、そう言いながら、大きくため息をついた。
そして、ニヤリと笑うと言った。
- 492 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:37
-
「じゃあ、事務所だったらいいんすか?」
「へ?」
「いやー、参ったな。店長がまさか、従業員と――」
マサオさんと柴ちゃんが、あわててよっすぃ〜の口をふさぐ。
「いや、シテないぞ。断じてシテない」
「そ、そーよ。よっすぃ〜、なんかの勘違いじゃないかな〜」
アハ、アハ、ハハ・・・
二人の焦りをよそに
「じゃ、これ以上言わないんで。
明日からもずっと、彼女をここで働かせてください」
え?
よ、よっすぃ〜
- 493 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:37
-
「お安い御用」
こうしてわたしは、明日からもここでバイトをすることになった。
また、あのコックコート姿のよっすぃ〜を見ていられる。
「まいちんに、マサオさ〜ん。約束の焼肉!!」
「くっそー」
「だから、私は、二人はくっつくよって言ったのに
マサオが聞かないから」
「だって、あの石川さんが、こんなヤツに・・・」
「あのさー」
よっすぃ〜が声をかける。
「お前ら、アタシ達で賭けただろ?」
「か、かけてない」
「うそつけ」
「うそです」
プッ。
素直に言うから、思わず笑ってしまった。
「まあ、よっすぃ〜も治ったし、二人の邪魔しちゃったし、
昨日の続きということで、みんなで焼肉行くか!」
「「さんせーいっ!」」
「マサオ、ふとっぱら!」
- 494 名前:Cake 投稿日:2007/12/24(月) 17:38
-
みんなが、店を出て行く。
笑いながら、続こうとしたら、よっすぃ〜に腕をつかまれた。
引き寄せて、耳元に唇を寄せる。
ささやくように小声で言われた。
「食事終わったらさ。今日はうちにおいでよ。
続き、しよ・・・」
カアーっと、体中に熱がともる。
手をつないで、一緒に外に出た。
「おー、おあついねえ。お二人さん」
みんながはやし立てたら、途端に真っ赤になって。
テレ屋さんなのか、大胆なのか、
まだまだ、分からないあなたが、たくさんいるけど。
今夜はきっと。
もっと、もっと、あなたを好きになる。
そんな予感がした――
了
- 495 名前:玄米ちゃ 投稿日:2007/12/24(月) 17:42
-
以上で『Cake』は終わりです。
本当は、細かい所をもう少し書きたかったんですが、
何だかキャラが暴走して、終わらせるのがやっと・・・
何とか時期に間に合って良かったと、ひとまずホッと
しております。
ほんの少しでも、読んでくださった方が
ほっこりして頂けたら、幸いです。
次回の更新から本編に戻ります。
- 496 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/24(月) 23:35
- 素敵なクリスマスプレゼントをありがとうございました。
心があったかくなりました。
本編も楽しみにしてます。
- 497 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/24(月) 23:44
- メリークリスマス!梨華ちゃん&よっちゃん♪
- 498 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/25(火) 00:32
- とてもよかったです。
ありがとうございました。
- 499 名前:t-born 投稿日:2007/12/25(火) 03:32
- は〜。素敵なお話をありがとうございました!
やっぱり、この二人には、こういうロマンティックで、甘い感じ
が似合いますねぇ。
胸がとっても締め付けられました〜。
作者さんも、素敵なクリスマスをお過ごしください!
- 500 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/05(土) 17:39
-
あけましておめでとうございます。
新年早々、早速謝罪。
『Cake』の430、よっすぃ〜の右と左が逆でしたね・・・
本当にすみません。
正しくは
3行目「左ポケット」
8行目「右手で、わたしの左手をたぐって」
10行目「右のポケット」
でした。
手がクロスしてるとか・・・
皆様、脳内変換して頂いたようで、ありがとうございます。
やはり急いでのせるのはいけませんね。
以後、気をつけます。
- 501 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/05(土) 18:00
-
>>496:名無飼育さん様
喜んで頂けたようでなによりです。
また、このメンバーで書けたらなあ
などと、ちょっとだけ思ってたりします。
>>497:名無飼育さん様
この二人は幸せな姿が一番ですね。
>>498:名無飼育さん様
こちらこそ読んで頂き、ありがとうございます。
レスつけて頂けると、本当に励みになります。
>>499:t-born様
温かいお言葉、ありがとうございます。
このお話は、書いていてとっても楽しかったです。
さて、本日から本編に戻ります。
それでは続きをどうぞ。
- 502 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/01/05(土) 18:00
-
- 503 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:02
-
「ただいま、ひーちゃん」
耳の奥に残る愛しい声とリンクする――
ハッとして、目を開けようとして思いとどまった。
夢かもしれない。
意識はハッキリしている。
けれど、夢と現実の狭間で漂っているだけなのかもしれない。
ああ・・・もしも、夢ならもう少し聞かせて欲しい・・・
この優しい雨がもたらしてくれた奇跡ならば、
もう一言、聞かせて下さい。
- 504 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:03
-
「カゼひくよ、ひーちゃん」
閉じた目のふちから、熱いものが流れた。
なんてことだ・・・
幻聴でも、夢でも、今、彼女がアタシのそばにいる。
そう思うだけで、こんなにも胸が痛みだす。
息が詰まるほど、心が高ぶる――
「ほんとに寝ちゃったの?」
絶対に目など開けるものか。
開けたらきっと幻は消えてしまう。
夢は終わってしまう。
ならば、続いている限り、このままで。ずっとこのままで・・・
「もう、カゼひくって言ってるのに」
そう言って、何かで顔を拭ってくれている。
不用意に目が開いたりしないよう、ぎゅっと瞑る。
- 505 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:03
-
「起きてるんなら、目開けてよ」
ヤダ。開けるもんか!
今開けたら、きっとそこらの犬がアタシの顔を舐めていたりするんだ。
「もう、ひーちゃんたら!」
肩を揺すられる。
「開けるもんか!」
「なんでよ」
「このままがいい」
「どうして」
「だって消えちゃうから」
「何が」
「夢。幻」
「何言ってんの」
「いいから。絶対開けない」
クスッ。
隣で小さな笑い声が聞こえた。
- 506 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:04
-
「ひーちゃん、変わってないなあ。
3年も経ったから、少しは大人になってると思ったのに」
「幻がケンカ売るのか」
「幻じゃないのに」
「じゃあ、夢だ」
「夢でもないよ」
「じゃあ、何だよ」
「だから、帰ってきたの。ただいまって、さっき言ったでしょ?」
「帰ってきた?そんな訳ないでしょ」
「もう、疑り深いなあ」
そう言って、横で動く気配がした。
と同時に鼻先に感じる感触。
体中に電流が駆け抜けたかのように衝撃が走った。
これは――
- 507 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:05
-
「――梨、華?」
かすれる声でひとみはつぶやいた。
「ただいま、ひーちゃん」
まさか?
本当にそうなの?
本当に帰ってきたの?
目を開けても消えたりしないの?
――期待しても、いいの?
「目、開けて?」
優しい声が聞こえた。
ゆっくりと瞼を持ち上げようとする。
恐怖と期待が入り混じってうまくいかない。
「大丈夫だよ」
その声に促されて思い切って、ゆっくり目を開いた。
そこには、あの頃と全く変わらない梨華がひとみを覗き込んでいた。
驚いて、飛び起きる。
- 508 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:07
-
「やだ、ひーちゃん。そんなに勢いよく起きたら、
ぶつかっちゃうじゃない」
ひとみの目から熱いものが流れ出す。
もっとちゃんと見たいのに。
涙が溢れて、視界が歪む。
梨華が歪んでしまう。
消えたりしないように、まばたきだってしたくない。
それなのに・・・
涙は止め処もなく溢れ出て、ひとみの頬を濡らしていく。
「――怖い?」
梨華の顔が曇った。
慌てて首を振る。
そうじゃない。そうじゃないんだ。
嬉しすぎてどうしたらいいか分からないんだよ。
急に願いが叶って、目の前に一番欲しいものが現れて、
どうしたらいいのか分からないんだよ。
ひとみは一度唾を飲み込むと、喉の奥から、声を絞り出した。
- 509 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:07
-
「――ほん、とうに・・・り、か、ちゃんなの?」
「ただいま、ひーちゃん」
もう一度梨華が言った。
ひとみの大好きな、優しい声で――
ひとみの大好きな、優しい瞳で――
本当にそこにいるのかを確かめたくて、
ひとみは思わず右手を伸ばそうとした。
が、慌てて逆の手で押さえる。
「大丈夫。幻じゃないよ」
「触っても消えたり、しない?」
「うん。消えない」
「ほんとに?」
梨華がうなずいた。恐る恐る手を伸ばす。
- 510 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:08
-
ああ、どうして、アタシはこんなに欲張りなんだろう。
一目会えればいいと思っていたのに――
こうして目の前にすると触れたいという欲望が自分を突き動かす。
震えた指先が、梨華の頬に触れた。
手に感触がある・・・
幻なんかじゃない!
頬に触れたひとみの手を梨華が上から握る。
「ね、消えないでしょ?」
たまらず、ひとみは梨華を抱き寄せた。
「梨華、梨華、梨華・・・」
壊れた機械のように梨華の名を呼び続けた。
- 511 名前:第5章 1 投稿日:2008/01/05(土) 18:09
-
懐かしい感触。
懐かしい甘い香り。
再び涙がとめどなくあふれ出す。
梨華が静かにひとみの背中に手を回し、
あやすように優しく撫でてくれる。
しばらくして、落ち着いたひとみは、梨華から離れると、
肩に手を置き、しっかりと見つめて言った。
「おかえりなさい、梨華ちゃん・・・」
語尾が震えた。
- 512 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/05(土) 18:10
-
ちょっと短めですが、本日は以上です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
- 513 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/05(土) 21:49
- あけましておめでとうございます。
何やら驚きの展開。
どうなっていくのか楽しみにしています♪
- 514 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/06(日) 00:17
- ん?どうなってるんだ・・。
ひーちゃんの思いが奇跡を起こしたのかな・・・
- 515 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/06(日) 13:46
- これはファンタジーなのかホラーなのか。w
冗談はさておき、話がどう推移していくのか楽しみに見守っています。
- 516 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/11(金) 11:44
-
>>513:名無飼育さん様
ありがとうございます。
予想外の展開でしたでしょうか?
楽しみにして頂けるとうれしいです!
>>514:名無飼育さん様
今回で一応、謎はとけると思われます。
というか、謎というほどのものでもないかも・・・
>>515:名無飼育さん様
ホラーではないことは確かです。
というか、作者がホラーは苦手でして。
きっと書きながら、後ろを振り返りすぎて
一向に進まない・・・
では、本日の更新にまいります。
- 517 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/01/11(金) 11:44
-
- 518 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:45
-
帰りの電車の中で、ひとみはしゃべり続けた。
まだ、夢の中にいるような気がする。
あんなに願った梨華が隣にいる。
それだけでも世界に色が付く。
『バラ色になる』って表現はあながち嘘じゃない。
雨に濡れた服では座席に座ることも出来ず、
ドアの前に二人で立った。
ひとみは梨華だけでも座るように促したが、
梨華は頑として聞かなかった。
ハイテンションで話し続けるひとみを、周囲の乗客は奇異な目で見て、
関わりを避けるかのように二人から離れていく。
梨華も周囲の目を気にしながら、困ったように眉を寄せている。
- 519 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:46
-
「ひーちゃん、お家に帰ってから話そう?」
「どうして?」
「だって、皆が見てるよ」
「いいよ。構うもんか」
誰にどんな目で見られようと、そんなことどうでもいい。
今目の前に梨華がいるーー
それだけで、アタシは無敵になれる。
他には何もいらない。
ただ、この時間を大切にしたいんだ。
- 520 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:46
-
梨華の話を聞いて分かったことは――
もうじき彼女が生まれ変わるんだということ。
生まれ変わる前に、一人だけ今世で関わった人と会えるんだということ。
その相手にひとみを選んでくれたということ。
そして――
期間は一週間だということ・・・
- 521 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:47
-
あの後、ひとみと梨華は、お好み焼き屋のおじさんが
持たせてくれたあんみつを川原で食べた。
『懐かしいな』
梨華がもらした言葉に、ひとみは二人で店に行こうと提案した。
しかし、驚いちゃうからダメだよと寂しそうに言う梨華に納得した。
そして突きつけられる現実――
梨華が死んでいるということ・・・
こうして隣にいると、錯覚してしまう。
あの頃に戻ったような気になるんだ。
けれど、自分は確かに年を重ねていて、梨華はあの日のままで・・・
- 522 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:48
-
ふとひとみの中に、この場所から連れ去ってしまえば
いいんじゃないかという淡い期待が生まれた。
誰も梨華を知らない場所へ連れて行ってしまえば、
もしかしたらやり直せるんじゃないだろうか?
もしかして、また新たに始められるんじゃないだろうか?
だって、目の前の梨華は、あの頃から何も変わらないんだ。
触れる事だって出来る。
話しだって出来る。
一緒に笑うことも出来るし、食べることだって出来るんだ。
何が違うと言うの?
一週間なんて期限、誰が決めたんだよ?
- 523 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:48
-
「ひーちゃん?」
梨華が不思議そうにひとみを見た。
目だけで返事をする。
「考え事?」
「いや。次で乗換えだよ。新幹線に乗るんだよ」
ひとみは梨華の手をもう一度握り締めた。
ほら、こうして握り締めることだって出来るじゃないか・・・
- 524 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:49
-
新幹線の座席に落ち着くと、梨華は明らかにホッとしていた。
遅い時間の上り列車ということもあって、乗客もまばらにしかいない。
しばらくすると、車掌の検札の声が聞こえてきた。
窓際に座っていた梨華が立ち上がる。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね。切符代わりに見せておいて」
そう言って、ひとみに切符を渡した。
ひとみは慌てて梨華の手を掴むと言った。
「アタシも行く」
「何言ってんのよ、一緒に入れないでしょ?」
梨華が苦笑しながら言う。
「帰ってくるよね?」
「もちろんだよ」
ひとみの真顔に笑顔で答え、梨華は少し離れた場所にいる
車掌をチラリと見た。
「大丈夫。必ず帰ってくるから」
そう言って、梨華はひとみの手を優しくはずすと、
車掌がいない方へと歩いていった。
- 525 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:50
-
死んでてもトイレって行きたくなるんだな・・・
などと思いながら、梨華をみていると、
客が少ないせいか、車掌がすぐにやってきた。
「乗車券を拝見します」
「あ、隣は今トイレに行ってるんで」
そう言いながら、ひとみは二人分の券を出す。
何事もなく、検札が終わり、車掌が去っていく。
不安になり、辺りを見渡す。
車掌が一礼をしてこの車両から出て行く。
まさかこのまま帰って来ないなんて事ないよね・・・
ひとみが立ち上がって、見に行こうとしたのと同時に、
扉が開き、梨華が入ってきた。
- 526 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:57
-
「どうしたの?」
梨華が戻ってくるなり聞く。
「いや。別に」
そのまま座席に腰を下ろす。
梨華も隣に腰を下ろす。
「ちゃんと帰ってきたでしょ?」
梨華がひとみの手に、自分の手を重ねた。
「心配だった?」
上目遣いで覗き込まれる。
悔しいけれど素直に頷いた。
「大丈夫だよ。いきなりいなくなったりしないから」
なぜだか涙が溢れそうになって、ひとみは目を閉じた。
梨華がひとみの肩に頭を乗せる。
幸せなのに――
こんなに幸せなのに、言葉に出来ないほど苦しくなるのはなぜだろう?
涙がこぼれそうになるのはなぜなんだろう?
- 527 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:58
-
「ねえ、梨華ちゃん。このまま二人でどこかに行こうか?」
「アタシたちの事を誰も知らない所に行かない?」
「そうしたら、もしかしてさ・・・」
ひーちゃん。
梨華がひとみの言葉を遮った。
「私、ひーちゃんのお家に行きたい。
生まれ変わる前に、自分の中をひーちゃんでいっぱいにしておきたいの」
ひとみはそのままずっと黙って、
隣から伝わる温もりをじっと噛み締めていた――
- 528 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:58
-
- 529 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 11:59
-
「どうぞ」
ドアを大きく開いて、梨華を促し、先に部屋に入れた。
「おじゃまします」
梨華は様子を窺うように見回している。
「前とあまり変わってないでしょ?」
「うーん。でも、ちょっと広くなったみたい」
「Dが付いたから。1Kから1DKに格上げ」
「でも、相変わらず何にもないなあ」
「うるへー。いいから早く上がって!荷物が重い」
ごめん。ごめん。
そう言いながら梨華は部屋に上がった。
「ひーちゃん買いすぎなんだよ」
家に何もないから、食事して行こうと言ったのに、
梨華は早く家に行きたいと言った。
仕方なく近所のスーパーで出来合いものを買ってきたけど、
ひとみは嬉しさのあまり、少々買いすぎてしまった。
あれも一緒に食べたい、これも一緒に食べたい。
これも梨華に教えてあげたい。
あれも梨華に教えてあげたい。
数え上げればきりがない。
- 530 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 12:00
-
「あっ、紅茶セット!」
いち早く見つけて、目的の棚に駆け寄っていく。
こうして後ろ姿を見るだけでも、愛しさがこみ上げてくる。
こんな気持ち、久しぶりすぎて、胸が苦しいよ。
梨華が物色している間に、食卓を整えようと準備をする。
「ひーちゃん」
不意に呼ばれて振り返った。
梨華がひとみのいつもの定位置に腰掛けている。
「何だか恥ずかしいな」
写真と同じ横顔が話している。
「これって、春休みに二人でスキーに行った時の写真でしょ?」
眩しそうに眺める三日月の瞳。
「楽しかったなぁ。二人とも初めてだから、初日はいっぱい転んじゃって。
でも、ひーちゃん運動神経いいから、二日目にはすごい滑れるようになって、
私のこと置いていっちゃうんだもん」
微笑む口元。
「でも、ひーちゃんカッコよかっ・・・・」
たまらず、この腕に閉じ込めた。
逃げてしまわないように。もうどこにも行かないように。
- 531 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 12:01
- 「ひーちゃん・・・」
胸元からくぐもった声が聞こえる。
「――恋人・・・いないの?」
「いないよ。そんなの」
喉がカラカラに渇いていて、声が掠れる。
「あれからずっと?」
「ずっとだよ」
「好きな人は?」
「いない」
「今までずっと?」
「梨華ちゃん以外好きになんかなれない」
体を離して、梨華を見つめる。少しウェーブがかかった髪に指を通す。
「梨華ちゃんしかいらない」
- 532 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 12:02
-
うれしい――
梨華の口からこぼれた言葉。
同時に目の前の瞳から涙がこぼれた。
親指で拭ってあげる。
「うれしいんだけどね。ちょっと複雑・・・」
「どうして?」
「3年もひーちゃんの事、縛っちゃった」
また一つ大きな涙がこぼれた。
「ごめんね、ひーちゃん」
次々と溢れる涙。
ねえ泣かないで。謝ったりしないでよ。
ひとみはそっと梨華の鼻先に自分のそれを合わせた。
そのまますぐに唇を重ねる。
触れ合うだけの優しいキス。
「梨華ちゃんの淹れた紅茶が飲みたいよ」
- 533 名前:第5章 2 投稿日:2008/01/11(金) 12:03
-
3年の歳月を埋めるのは難しいかもしれない。
けれど、また新しい二人の思い出を作ろう?
たった一週間かもしれないけど、二人だけの歴史を残そう?
君が行きたい所はどこへだって連れて行ってあげる。
君が食べたいものなら何だって食べさせてあげる。
君がしたいことをしようよ。
君の望むことなら何だってしてあげる。
アタシを選んでくれた。
それだけでもう充分なんだ。
だから――
アタシの全てを梨華ちゃんに捧げるよ・・・
- 534 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/11(金) 12:03
-
本日は以上です。
- 535 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/12(土) 23:42
- 今まで読んだ小説で一番好きなお話です。そして一番泣けます(T〜T)
早く続きが読みたいけど、終わってほしくない・・・。
作者さま、がんばってください。
- 536 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/13(日) 00:27
- ↑さんと同意見です。
- 537 名前:t-born 投稿日:2008/01/13(日) 02:23
- ああ〜、せつないですねぇ。
これからどうなるのか、ドキドキします。
- 538 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/22(火) 15:25
-
>>535:名無飼育さん様
うわっー!!
最上級にうれしいお言葉ありがとうございます!
一番なんて言って頂けたら調子にのってしまいそうです。
>>536:名無飼育さん様
これまた、うれしいご意見、本当にありがとうございます。
>>537:t-born様
本日もせつない&ドキドキして頂けたらと思います。
それでは、本日の更新にまいります。
- 539 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/01/22(火) 15:26
-
- 540 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:31
-
潮風が鼻をくすぐる。
寄せては返す波の音。
目の前に広がる海――
「ハーックション!うー、さみぃ!」
「もうひーちゃんたら、ムードも何もないんだから!」
そんな事言ったって、時は春。
しかももう、夕方だよ?
意地悪な春の夜風が吹く頃ですよ。
梨華は無邪気に裸足になって、砂浜を歩き出す。
- 541 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:32
-
昨日はあまり眠れなかった――
眠ってしまったら、梨華がいなくなるんじゃないか、とか。
起きたらやっぱり夢でした、とか・・・
どんなに梨華が大丈夫と言ってくれても、やはり心配で仕方がなかった。
だから、ずっと手を繋いでいた。
狭いベッドで、隣にしっかり抱き寄せて、
指を絡めて、固く手を繋いでいた。
そして、知らない内にうつらうつらしていたひとみが、
明け方慌てて目を覚ましたら、隣で梨華がとても困った顔をしていた。
『ひーちゃん、手を離してくれないから、朝ごはんの支度が出来ないよ・・・』
それから、梨華は朝食の支度をしてくれた。
- 542 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:36
- 不器用ながらも一生懸命作る懐かしい後ろ姿を、目を細めて眺めていたら
『そんなにじろじろ見ないでよ』
と言われてしまった。
だから、今度は盗み見るようにチラチラ見ていたのに
『ひーちゃん、なんかイヤラシイ目してる』
と言われた。
そりゃ、後ろから抱きしめてしまいたいとか、
ずっと触れていたいとか、色んな欲望が自分の中で渦巻いていたけど、
何となく頭の片隅でちゃんと自制してるんだ。
少しふてくされたひとみに、梨華は笑いながら、
豪華な朝食を食べさせてくれた。
- 543 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:37
-
二人で後片づけをして、買い物にも出かけた。
梨華は特に何もいらないって言ったけど、
ひとみが無理矢理連れ出して、一通り梨華の身の回り品を購入した。
だけど――
なぜだか梨華は人がいない所へ行きたがる。
お店にしても、あまり人がいない店に入りたがる。
あっちの方がかわいいのがありそうだよ?
そう言っても、こっちがいいと言って人気の無い方へ行く。
人と接するのが疲れるのだろうか?
何か余計な力を使うのだろうか?
生きていた時は、決して人嫌いなんかではなく、
逆に人に関わるのを好んでいたように思うから、余計に心配になってしまう。
この海に来たのだってそうだ。
『誰もいない海とか行きたいな』
そう言ったから、ここに連れてきたんだ――
- 544 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:38
-
「ひーちゃーん!こっちおいでよー!」
無邪気に波打ち際で波とおっかけっこなんてしている。
幾度となく、夢見た光景。
君がいる景色。
沈みかけた夕日が、彼女の小麦色の肌を、赤く染めていた。
「よーし!」
ひとみはジーンズの裾をまくって、ジャンパーを脱ぎ捨てると
梨華の元に駆けて行った。
わざと大げさに足を突っ込んで、波を蹴っ飛ばす。
「ヤダ。濡れちゃうよ」
梨華が逃げ出す。
「もっと行くぞぉ、ほらっ!」
大きく波を蹴り上げながら、ひとみが追いかける。
「やめてよー」
梨華の大きな笑い声と、ひとみのはしゃぐ声が誰もいない場所に響く。
- 545 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:40
-
二人だけの時。
二人だけの空間。
このまま日が沈まないでくれと願わずにはいられない。
このままここだけが切り取られて、一枚の絵のように、
この瞬間を永遠にすることが出来たらどんなにいいだろう――
砂浜へと逃げ出した梨華を両手で捕まえて閉じ込めた。
「何かドラマみたいだね」
息をはずませながら梨華が言った。
「こういうのやってみたかったの」
そのまま二人で砂浜に腰を下ろす。
- 546 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:41
-
「ひーちゃん、寒くない?」
「こうすれば大丈夫」
梨華のことを後ろから抱きしめた。
「ほんとに誰もいないね」
夕日も沈みきってしまい、濃紺の世界へと変わっていく。
「梨華ちゃんが誰もいないとこがいいって言ったんでしょ?」
「だって、こうやっていちゃいちゃできるもん」
「人がいたってするよ」
「うそ!ひーちゃん絶対してくれなかったもん」
「今ならする」
梨華が少しだけ寂しそうに笑った。
生きてる時にもっと自分の気持ちに素直になれば良かった。
恥ずかしさを盾にして、逃げてばかりいたんだ。
もっと梨華が喜ぶことをしてあげれば良かった・・・
- 547 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:42
- 「ここ・・・良く来るの?」
「いい穴場でしょ?時々一人でくる」
「一人で?」
「うん。海見たくなったらここに来るんだ」
「そっか・・・」
「どうしたの?」
「帰ってきて良かった」
小さな肩が震えている。
二人で海に行ったことなかったでしょ?
一度来たかったの
夏だったら、もっと良かったかな?
「ひーちゃんとの思い出がまた一つ増えたよ、ありがとう・・・」
思い出が増えるたびに、過ごす時間が減っていく――
胸が引き裂かれそうだよ、梨華ちゃん・・・
時の流れって残酷だよ・・・
- 548 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:49
-
すっかり会社へ連絡するのを忘れていた。
しかも、昨日梨華が帰ってきてから、
邪魔されたくなくて携帯の電源を切ってしまっていた。
電源を入れると案の定、凄まじい数の留守番電話――
隣で梨華が、携帯電話ってこんなに機能が増えたんだ!
とか言って感心している。
仕方なく、海からの帰り道に、中澤社長の携帯に電話をした。
が、時刻はすでに午後九時をまわっている。
発信した瞬間に、通話状態になり、怒鳴り上げられた。
『あんた何してんねんっ!』
『無断欠勤!』
『自覚なさすぎやっ!』
『今日の仕事、めっちゃ大変やったんやでっ!』
『家電にも、携帯にもでないで、どこほっつき歩いとんねんっ!』
どの言葉にもとにかく謝った。
悪いとはもちろん思っている。
が、今は非常事態だ。
- 549 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:50
- 再び怒鳴られることを覚悟で、一週間の休暇を願い出た。
しかし、予想に反し、社長の声音は優しかった。
『何かあったん?』
『あんたが連絡もしないなんて始めてやろ』
『何か困ってるなら言いなさい』
『私に出来ることなら手伝うから』
詳しくは言えないんです。
そして、本気で心配してくれている社長に、心から謝った。
それ以上、社長は踏み込んでこようとはしなかった。
だけど――
亜弥ちゃんには電話をしなさい。
今日、ひとみの事を心配して、あの子アンタの家までいったんよ。
声を聞かせて、安心させてあげなさい――
ひとみは分かりましたと言って、もう一度謝り、電話を切ろうとした。
慌てて、社長の声がひとみを追いかける。
『変な気、起こしちゃアカンよ・・・』
さすが鋭いな
でも、あと六日は誓ってそんなことはしません――
- 550 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:52
-
真夜中、家に帰るとドアノブに何かがかかっていた。
手にとって見ると、コンビニの袋の中に、
ヨーグルトが二つと、栄養ドリンクが一つ、それにスポーツドリンク――
横から梨華も一緒に覗き込んだ。
「アタシが熱出して寝込んでいるとでも思ったんだろうね」
軽い口調で言ったつもりだったのに、梨華は何も答えてくれなかった。
家の中に入り、机の上に荷物を置く。
なんとなく体に潮の香りが残っている――
「――ひーちゃんの事、本気で心配してくれてるんだね」
梨華がポツリと言った。
「そんなんじゃないよ」
ジャンパーを脱ぎ、ベッドの上に放り投げる。
「もう、ひーちゃん!ちゃんとハンガーにかけなきゃダメでしょ!」
梨華がひとみのジャンパーを拾い上げ、自分の上着とともにハンガーにかけた。
- 551 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:54
-
「――手紙、入ってるみたいだよ」
背中を向けたまま梨華が言った。
「どうでもいいよ」
「良くない!」
梨華はスタスタとひとみの前を通り過ぎると、
袋の中から二つに折りたたんだメモを取り出し、
指に挟んでひとみの目の前に突き出した。
「読んでいいよ」
「ダメでしょ。ひーちゃん宛てなんだから」
「別にいいじゃん」
「早く読んであげなよ」
梨華に促されて、しぶしぶそのメモを手に取った。
- 552 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:54
-
[心配して来てみたけど損しました!
明日はちゃんと来てくださいよ!ベエーだ!
亜弥より]
思わず笑みがこぼれた。
ほんとにあっかんべえーって、舌を出してる姿が目に浮かぶ。
「ほら」
お湯を沸かして、紅茶を淹れる準備を始めた梨華にメモを開いて見せた。
「ベエーだってさ」
梨華はメモを一読すると、笑顔で言った。
「優しい顔してるね、ひーちゃん」
「妹みたいなもんだよ」
「そっか」
梨華はそれ以上聞いてこなかった。
また背を向け、紅茶の準備を始める。
なんでだろう?
何だか後ろめたいような気がしてくる。
もっと聞いてくれればいいのに――
- 553 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:55
- 「会社の後輩だよ。憎まれ口ばっか叩くんだ」
「生意気だよ。社長と一緒になって、アタシのことからかうし」
「あ、社長も女性なんだけどさ、なんか二人とも強いっていうかなんというか・・・」
情けない・・・
別に弁解する必要なんてないのに、何でこんなに必死になってんだろ?
なぜか梨華にだけは知られたくなかったというか、
一瞬こんな時に来るなよって思った自分がいる。
「はい、お待たせ」
梨華が目の前にカップを置いてくれる。
立ち上る湯気――
鼻をくすぐる甘い香り――
昨日から自分の中に感覚というものが戻ってきたようだ。
おいしいと感じる味覚。
いい香りと感じる嗅覚。
素敵な声を感じる聴覚。
存在を感じる触覚。
美しいと感じる視覚――
五感がきちんと機能しているんだ。
梨華が傍にいるだけで、こんなにも全身で、感じ取ることができる・・・
- 554 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:58
-
「――でも、彼女、ひーちゃんのこと好きなんじゃないかな?」
一気に夢から覚める。
視線だけを梨華に向けた。
「ひーちゃんの悪いくせだよ」
「何が?」
「逃げてるでしょ?彼女から・・・」
図星だった。
「彼女の気持ち、分かってて気付かないフリしてる」
梨華はカップを両手で持つと、その中に視線を注いだまま言った。
「ちゃんと受け止めてあげなきゃ。逃げても何も変わらないよ」
「その子、ひーちゃんに振り向いてもらいたくて、
ひーちゃんの瞳の中に入りたくて、必死なんだと思う」
「私はあと少しで、もう本当にいなくなっちゃうから、
ひーちゃんは自分の道をちゃんと歩いていい・・・」
「止めろよ!」
俯いたまま話し続ける梨華に怒鳴りつけた。
- 555 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 15:59
-
「アタシの道は梨華ちゃんと一緒じゃなきゃ、ダメなんだよ!」
自分の道なんかどうでもいい
いなくなるなんて言わないでよ!ずっと一緒にいたいんだよ!
このまま二人でどっかに行ってしまおう・・・
「アタシが守るから・・・きっと守るから・・・」
一気にまくし立てて顔を覆った。
涙が指の隙間からも零れ落ちて、嗚咽が漏れる――
自分でも情けないよ。
どうして、守れない。
どうして、守れなかった!
「ひーちゃん」
あの始まりの日と同じように、優しい声がひとみの頭上でした。
ひとみの髪を撫でながら、頭を胸に抱き寄せてくれる。
- 556 名前:第5章 3 投稿日:2008/01/22(火) 16:00
-
「ごめんね、ひーちゃん」
「な、んで・・・あやまるん、だよ」
「好きだよ、ひーちゃん・・・」
再び涙が溢れ出す。
「どんなひーちゃんも好きよ」
梨華にしかかけられない魔法の言葉。
梨華の胸の中で小さく頷いた。
「ひーちゃん、明日行きたい所があるの」
「どこ?」
顔をあげた。
梨華はひとみを見下ろしたまま、
優しい笑顔で、優しい声で答える。
「私が死んだ場所に行きたい」
- 557 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/22(火) 16:00
-
本日は以上です。
- 558 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/23(水) 07:40
- 更新待ってました♪
彼女と過ごす時間、これから向かおうとするその場所にどんな意味があるのか。。。
静かに胸打つ鼓動が少しずつ早まるような感覚に陥っています。
更新は楽しみだけどなんだか不安を抱えながら待っています。
- 559 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/29(火) 07:24
- もう涙が止まりません。
どうか二人が幸せになりますように・・。
- 560 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/29(火) 19:00
-
>>558:名無飼育さん様
更新を楽しみにして頂き、ありがとうございます。
本当に励みになります!
>>559:名無飼育さん様
今日も泣かせてしまうでしょうか・・・
作者も二人の幸せを願ってやみません。
それでは、本日の更新に参ります。
- 561 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/01/29(火) 19:00
-
- 562 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:01
-
あの日と同じように雨が降っていた。
車の中で二人はずっと押し黙ったままで、
ひとみは何度も『やめよう』と切り出そうと思った。
けれど、時々盗み見る横顔は毅然としていて、
引き結んだ唇と前を見据える瞳は強い意思を湛えていて。
結局、切り出すことは出来なかった。
目的の場所の少し手前で車を止める。
ワイパーを止めると、静寂が車内を包みこんだ。
- 563 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:03
-
あまり変わっていない風景――
通り沿いに桜の木が立ち並び、真っ直ぐに続く舗装された道。
左手前方には梨華の住んでいた5階建てのマンションがある。
当時は、結構新しくて綺麗だったけど、さすがに古ぼけてきたようだ。
そして、この通りを挟んで、向かい側にはひとみが暮らしていたアパート。
あの頃よりも、更にボロくなっていて、何とか崩れずに済んでいる――そんな感じだ。
窺うように隣に視線を送る。
表情は固いままだ。
どうしてまた、自分の最後の場所になんか、来たがったのだろう?
恐怖、苦痛、未練――
色んなものがここにはあるだろうに。
アタシだってこんな所、来たくない。
いや二度と来ないと思っていた。
嫌でもあの日の光景を思い出してしまうから・・・
- 564 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:03
-
路傍に落ちた赤い傘――
冷たい雨に流されていく深紅の血液――
モノクロの世界に揺らめく赤色灯――
記憶が音をたてながら、ひとみの脳裏に迫ってくる。
こめかみが疼きだす。心が思い出すことを拒否する。
「行こう」
隣から小さい声が聞こえた。
助手席を見ると、梨華はもうドアを開けて、車を降りようとしていた。
慌てて、ひとみもドアを開けて、外に出る。
梨華が空に向けた傘が透明なビニール傘で少しだけ安心した。
- 565 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:05
-
同じ透明のビニール傘を差して、梨華の少し後ろを歩く。
平日の午後。昼間と夕方の境い目。人通りはほとんどない。
あの日と同じ。
人通りがもう少しあれば、あの事件は起きなかったかもしれない――
「懐かしいね」
懐かしくなんかない。
ここは呪縛の場所。
思い出よりも先走る、悔恨渦巻く地――
「手を繋いでよくここ歩いたね」
――あの日に限って、一人にした
「ひーちゃんがいつもさりげなく車道側を歩いてくれてたの、
ちゃんと気付いてたよ」
――あの日に限って、どうして・・・
「守られてるって思った」
大事なときに守ってやれなかったら、意味がないじゃないか!
- 566 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:05
-
ひとみは立ち止まった。
「――ごめん・・・」
責められている訳じゃない。そんなことはよく分かっている。
けれど、謝らずにはいられなかった。
あの日手を繋いでいたら・・・
アタシがそばにいれば・・・
一人にしたりしなければ・・・
- 567 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:06
-
「私ね、幸せだった」
そう言って、梨華は振り向いた。
とびっきりの笑顔で。
ひとみの大好きな優しい瞳で。
「本当に幸せだったの」
毎日、ひーちゃんと一緒にいれて
毎日、ひーちゃんを感じて
「あの日もね、苦しんだりしてないんだよ」
涙が溢れて止まらない。
ああ、この身を滅ぼしてしまいたい。
この身を捧げて、罪が浄化するならば、今すぐこの身を投げ出してしまいたい――
- 568 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:07
-
「ほんとなんだよ、ひーちゃん」
そう言って、梨華はひとみの頬に手をあて、涙を指で拭った。
「私ね、気付いてた。ひーちゃんが自分の誕生日なのに
私に何かをしてくれようとしてたこと。
すごくうれしくて、この道だって、スキップするくらい
浮かれて歩いてたんだよ」
梨華がひとみの手を握って歩き出す。
それにつられて、ひとみも足を運ぶ。
「この辺でね、傘をくるくる回したり、鼻歌歌ったりしてたんだ。
誰もいないし、いいやって」
梨華は再現する。
あの日の光景をそのままに――
- 569 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:08
-
「ずっと三年間見てただけの人が、今自分のために
特別な何かを考えてくれてる。
私、こんなに幸せでいいのかなって思ってたの。
夢心地っていうのかな?
そんな気分で、明後日はどんな風になるのかなぁって
想像して微笑んだりして・・・」
梨華が繋いでいる手をギュッと握った。
「ほんとに幸せだったの・・・」
静寂の中で、雨が二人に降りそそぐ。
繋いだ手を濡らしていく。
「・・・今日は寒いから、お部屋暖かくして待っててあげよう。
そう思ってたら、背中に誰かがぶつかったの」
寒さのせいではなく、雨の冷たさでもなく、
繋いでいるひとみの手が震えだす。
「思わずビックリしてごめんなさいって言おうとしたら、
今度は何かが背中に刺さる感触がして・・・」
- 570 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:08
-
何度も夢に見た光景が脳裏に浮かぶ。
『ひーちゃん、助けて』
そう叫ぶ梨華が、血まみれになっていく――
「足に力が入らなくなって、その場にしゃがみこんだの。
誰かが走り去っていくのが見えて、よく分からないけど、
漠然と私刺されちゃったのかなぁって思ったの覚えてる。
案外痛くないなとか考えてたんだ。
地面に手をついたけど、やっぱり力が入らなくて、そのまま倒れちゃった」
聞きたくない。
逃げ出してしまいたい。
けれど、梨華はひとみの手をしっかり握って離さない。
- 571 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:09
-
「倒れた時にね、目に映ったの、ひーちゃんの家だった。
ひーちゃんの家を見ながら、大好きな大好きなひーちゃんと過ごした
たくさんの時間が、本当に走馬灯のようにあっという間に私の中を流れていったの。
そしたらね、本当に幸せで、怖くなんて全然なくて。
今、肌にあたっているアスファルトは冷たいはずなのに、
何だかポカポカ暖かくて、真綿にくるまれているみたいで・・・」
あの日、梨華が倒れていたその場所で、
その短い生涯を終えた場所で、
梨華はひとみに向かい合って言った。
「本当に幸せだったの。本当に苦しんだりしてないの」
だからひーちゃん――
「自分を責めたりしないで・・・」
- 572 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:10
-
傘を捨てた。
空に顔を向ける。
自分に向かってくる雨粒。空から降り注ぐ雨の剣。
そうだ。どんどん傷つければいい。
冷たい雨がひとみを濡らしていく――
こんな冷たい雨に打たれて、暖かい訳がないじゃないか!
幸せだった訳がないじゃないかっ!!
「ひーちゃん」
梨華も傘を捨てて、ひとみを抱きしめる。
「ありがとう、ひーちゃん。私を愛してくれて」
- 573 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:11
-
「ありがとう」
ひとみの胸に顔をうずめて、もう一度梨華が言った。
震える肩から、泣いているのが分かる。
ひとみは下ろしていた手をゆっくり上げ、梨華を力いっぱい抱きしめた。
もう雨は冷たくない。
春雨は全てを洗い流す。
深く背負った罪を洗い流していってくれる――
- 574 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:12
-
「ビショビショになっちゃったね」
泣いて鼻の頭を真っ赤にした梨華がテレ笑いをしながら言った。
雨に濡れたまま、腕に梨華を閉じ込めて、ひとみは微笑んだ。
何も言わずに鼻先でキスをする。
「ねぇ、ひーちゃん」
「ん?」
「ずっと笑ってて?」
眉を上げて問いかけた。
「ひーちゃんの笑顔を覚えていくから。
その笑顔をたよりにひーちゃんを必ず探し出すから。
だから・・・ずっと笑ってて?」
唇を噛み締めた。
突きつけられる現実――あと五日間。
- 575 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:12
-
「ほら、私の一番好きな、ひーちゃんの顔、して?」
優しい瞳に見つめられる。
頬の筋肉を持ち上げた。
うまく笑えたかなんて分からない。
けれど、覚えていて欲しくて。
生まれ変わったら、一番にアタシを見つけて欲しい――
「好きだよ、ひーちゃん」
「――うん」
「絶対に忘れない」
「――うん」
「ひーちゃんと過ごした時間。ひーちゃんの温もり。
ひーちゃんの笑顔――全部絶対に忘れない」
「――うん」
「絶対に探し出すから」
「――うん」
「絶対に見つけてみせるから」
「――うん」
「だから、私の一番好きな笑顔でいて。それで、私のこと待ってて」
「――うん」
「約束だよ」
「・・・約束する」
- 576 名前:第6章 1 投稿日:2008/01/29(火) 19:13
-
「ひーちゃん、愛してる」
「――愛してる、梨華」
もしも、梨華が探し出せなくたって、アタシが必ず探し出す。
必ずアタシが見つけ出してみせる。
そしたら、絶対に離さない。
もう二度と離すもんか!
その誓いを込めて、ひとみは唇を重ねた。
- 577 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/01/29(火) 19:13
-
本日は以上です。
- 578 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/30(水) 00:10
- もう、涙でボロボロです。
梨華ちゃんの最期の時を語ってる所なんてもう・・・(泣
二人の願いが叶いますように。
- 579 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/04(月) 12:54
-
>>578:名無飼育さん様
そんなにお泣きになられて、次の日お顔が腫れませんでしたか?
二人の願い、作者も叶えてあげたいです・・・
さて、本編の途中ですが、1/31の放送により、
作者の妄想が暴走しまして、しばらく間を置いたものの
やはり止まらなかったので、書くことに致しました。
初のリアルで、短編です。
お口に合わなかったら、すみません。
それでは、どうぞ。
- 580 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/04(月) 12:54
-
『生放送』
- 581 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:55
-
「はい、カットォー!!」
「お疲れ様でした〜」
「ありがとうございました〜」
「それにしても、同期のキズナは、すごいね。
最後のポーズ、ぴったしだったもん」
「だから言ったじゃないッスか。いしよしコンビはヤバいって
ねー、梨華ちゃん」
「・・・うん」
あれ?
さっきまでのテンション、どっか行っちゃった・・・
どうしたんだろ?
- 582 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:56
-
放送中は、どっちかって言うと、梨華ちゃんの方がテンション高くて、
ベタベタベタベタ触ってきたくせに、
カットがかかった途端に、ため息を一つついた。
ヤベ。
アタシ、何かやらかしたかな?
とりあえず、二人で控室に向かう。
廊下ですれ違うスタッフさんに、次々声をかけられる。
『ラブラブ加減出てたよ、最高!』とか
『こりゃまた、ネットで騒がれちゃうね』とか
『やっぱり、ほんとに恋人同士だったりして』とか・・・
- 583 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:56
-
ほんとに恋人同士なんだけどさ。
真相は闇の中にって、あくまでもグレーゾーンのままなって
事務所からきつく言われてるからね。
これぞアイドルって笑顔で、受け流して、言葉を交わしていく。
少し前を歩く梨華ちゃんも、笑顔で受け答えしてるけど
どこか、いつもと違う。
これはきっとアタシにしか分からない。
プロ意識高いから、周りに気付かせないように振舞っているけど
アタシには分かるんだ。
もうずっと、何年も、一番近くであなたを見ているから――
- 584 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:57
-
控室に入ると、梨華ちゃんはもう一度、ため息をついた。
さっきより肩が下がる。
何をそんなに、肩肘張ってたの?
ねぇ、何を考えてるの?
こっちに背を向けて、鏡の前に梨華ちゃんが座ったのを見届けて
声をかける。
「どうした?」
鏡の中の梨華ちゃんを見つめて言う。
鏡の前にいるのに、下向いちゃってさ。
「アタシ、何かした?」
小さく首を振る。
「放送中、何かあった?」
また首を振る。
- 585 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:57
-
「じゃあ、何でそんなに落ちてんの?
放送前も、放送中もあんなにはしゃいでたじゃん」
梨華ちゃんは俯いたまま。
こりゃ、重症だな。
ネガティブモード全開。部屋ごと黒ーいオーラに包まれちゃった。
「眠いの?」
「ううん」
「お腹すいた?」
「ううん」
「キショイって言ったから?」
「そんなのいつもだもん」
「豆ぶつけたから?」
「痛かったけど、違う」
「アタシのMCがグダグダだったから?」
「確かにグダグダだった」
ムカッ!
- 586 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:58
-
「だって、梨華ちゃんいるから安心してたんだよ!」
「それはうれしいよ。でも・・・」
「でも、なに?」
また俯いたまま、黙りこむ。
「ねぇ、ほんとどうしたの?
昨日の夜は、歌ドキ見ながら、最近一緒のお仕事が多くてうれしいって
言って、はしゃいでたじゃん」
「――ひとみちゃんは、平気なの?」
「なにが?」
「あんな風に騒がれて」
「あんな風って?」
「だから、ラブラブとかさ、付き合ってるって・・・」
「だって事実じゃん」
「事実だよ、事実だけど・・・」
事実だけどさ。
もう一度、そうつぶやいて、梨華ちゃんは振り向いた。
そして何かを言おうとしたけど、言葉を飲み込んだ。
- 587 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:58
-
「何だよ、言いたい事あるなら言いなよ」
思わず、尖った言い方になる。
こんなの何年ぶりだろ?
一時期は、しょっちゅうすれ違って、けんかして・・・
言いたい事を飲み込むのはいつも、アタシの方だった。
梨華ちゃんの卒業とともに、事務所からOKが出て、
少しずつ、一緒にいられるようになって。
アタシの卒業とともに、公私共に一緒にいていいって
許可が出て。
そして、それを公の場でちらつかせろと言われた。
純粋なアタシ達の気持ちを、商売に使われるのはすごく抵抗があったけれど、
アタシは何よりも梨華ちゃんの側にいられることが、
二人で一緒にいていいと許可されたことがうれしかった。
- 588 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:58
-
「やっぱ、バレるのが、ヤなの?」
こんな話、ずっと前にさんざん話し合ったじゃん。
もし、バレたって自分たちが認めなきゃいいって。
だって、ミキティとあややなんて、公衆の面前でチューしたんだぞ。
それに比べたら、アタシ達なんて子供みたいなもんだって。
まあ、夜はその・・・、すごい事しちゃってる訳だけども・・・
「・・・なんで、黙ってんだよ。
バレんのが嫌なら、なんで調子に乗って、ひとみとか呼ぶんだよ。
最後だって、同じポーズしてたって分かった瞬間、抱きついて来たのは
そっちじゃん。アタシが手で止めなかったら、思いっきり来てただろ?」
「だって本当に嬉しかったんだもん。
それに私、バレたって構わないもん」
「じゃあ、何なの?」
- 589 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 12:59
-
「・・・ひとみちゃんは、何も思わないの?」
「何って、何を?」
「だから、二人でこうして、お仕事することが多くなって、
ずっと一緒にいられるようになって、でも何か段々エスカレートしてきて・・・」
「楽しいし、最高じゃん」
なぜか梨華ちゃんは、悲しげに微笑んだ。
「私は無邪気に喜べない」
「なんで?!何が不満なの?」
<コンコン>
『石川さ〜ん、来週の打ち合わせしますんで、お願いしま〜す』
「はーい」
扉に向かって返事をすると、梨華ちゃんは立ち上がった。
「ちょっと待って。まだ話終わってな・・・」
「ひとみちゃんには・・・分からないよ」
そう言い残して、部屋を出て行った。
- 590 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:00
-
「カアーッ!!
なんだよ、なんなんだよ。
アタシ何かしたか?何でアタシには分からないんだよ!」
ソファに乱暴に座った。
頭を抱える。
おかしい。
だって、昨日まではホント全く、梨華ちゃんの様子に変わりはなくて、
GET WILDを一緒に見た時も『ひとみちゃんニヤけすぎ』って
ほっぺたつねられて、そのままチューして、そのままシちゃって。
『もう、11時間後には生放送始まるのに』って
甘い声でささやかれて。
もっと火がついて、愛し合ったのに。
朝だって、一番にチューしたし、
今日の本番前だって、密かに抱きしめたし。
本番中なんか、ノリノリだったのは、梨華ちゃんの方だ。
- 591 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:00
-
「あー、わかんねぇ」
ソファに思いっきり寄っかかって、天井を仰ぐ。
「やっぱ、生放送中に、アタシなんかしちゃったんだろうなあ・・・」
<ピコーン!!>
頭の中で音がした。
ほんとはしてないんだろうけど、アタシには確かに聞こえた。
「そうだ!いい事考えた!」
携帯を握り締める。
プルルルルル・・・
- 592 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:00
-
『もしもし』
「おー、やっぱ出た」
『やっぱって何よ』
「いやいや、出てくれて助かった。今ちょっといい?」
『美貴、忙しいんだから、ちょっとだけならね』
「忙しい・・・の?まあ、いいや。さっき、生が終わったんだけどさ」
『あー、見た見た。相変わらず見せつけるよね。
あれ、カメラ回ってなかったら、絶対チューしただろ。
すごい!あたし達ってやっぱ結ばれてるよねっとか言って』
「・・・すげぇ。タイムリーで見てたんじゃん。忙しいんじゃなかったの?」
『イ、イヤ。たまたまよ、たまたま』
「ほー、たまたま、ね」
『そう、たまたま』
- 593 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:01
-
「まあ、見てたんなら話早いや。ねえ、アタシ変じゃなかった?」
『変?そんなの、当たり前じゃん。しょっぱなから変だったよ。アホ丸出し』
「ひっでぇ〜」
『だって、豆食べるわ。枡ごと投げるわ。やりたい放題だったじゃん
美貴思うけど、ケガは生き物ではないと思うよ』
「生き物だよ」
『んなの聞いたことないし』
「アタシの辞書には載ってんだよ」
『よっちゃんの辞書ってどこにあんの?』
「ん?右脳?」
『バッカじゃないの!
ブワッハッハッハッハ』
「ねえ、笑ってないでさ。真剣なのよ。生放送終わったらさ
梨華ちゃん、機嫌悪いんだよ」
『昨日、お相手してあげなかったんじゃないの?』
「バーカ。したよ、したした。チョー奉仕しましたよ。
歌ドキ見た後さ、ちゃんと愛し合いましたよ」
『やっぱね。美貴、よっちゃんニヤけすぎって電話しようと思ったんだよね。
でも、最中に電話しちゃまずいなって、自粛したんだよねー。正解、正解』
- 594 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:01
-
「もしかして、タイムリーに見てたの?」
『見てた、見てた』
「やっぱ、ヒマなん・・・」
『ヒマじゃねえよ』
「怒んないでよ。何で梨華ちゃんが不機嫌なのか、ほんとに分かんないんだって」
『アッ』
「なに?」
『いい方法がある』
「教えて!」
『教えてあげるかわりにさ、条件がある』
「代償は、わたしの魂か!」
『ハーッハハ、オマエの魂など誰が欲しがるか。わたしが欲しいのは・・・って
もう、大臣と魔女ゴッコはいいよ』
「結構、好きなんだけどなあ。最近じゃミキティしか乗ってくれないんだもん」
『よっちゃんがやりすぎだからでしょ。で、条件飲むの?飲まないの?』
「飲む飲む」
- 595 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:02
-
『わたしが欲しいのはただ一つ』
「うん」
『成功報酬』
「ん?セーコーホーシュー??」
『そう、無事解決したらさ、成功報酬頂戴よ』
「分かった。セーコーホーシューね」
『美貴への成功報酬って言ったら、アレしかないでしょ?分かってる?』
「もちろん!吉澤、四字熟語得意だから。苺一円より高くつくなあ・・・」
『たっかいよ、そりゃ。極上、期待してるから』
「で、いい方法って?」
『――柴ちゃんに電話しな』
「柴ちゃんに?」
『だって、梨華ちゃんの親友だし、最近の梨華ちゃんに
何かあれば知ってるだろうし、梨華ちゃんから何か聞いてるかもしれ・・」
「分かった、サンキュー」
<ブチッ>
『ちょっとー、もしもし。もしもーし!
ったく、ハワイの再現かよ!』
- 596 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:02
-
プル・・・
『もしもし』
「おー、出るの、はやっ」
『早いって、今切ったばっかでしょ。まだ携帯、手に持ってたんだよ』
「柴ちゃん出ない・・・」
『だからって、何でまた美貴にかける訳?』
「だって、ヒ・・・」
『ヒマじゃねえって言ってんだろ!』
「だってぇ・・・」
『もうさ、よっちゃん。そのギャップで色んな人が落ちてるけどさ、
美貴は落ちないから』
「美貴様のいじわるぅ・・・」
『いいから柴ちゃんにかけ直せ!!』
<ブチッ>
- 597 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:03
-
あーあ、先に切られちゃった。結構楽しかったのにな・・・
<♪♪♪>
「おっ、柴ちゃんからだ。やっぱ、柴ちゃん良い人!」
「もしもーし」
『あ、よしこ。電話もらったよね?出られなくてごめん』
「いーよ、いーよ。柴ちゃんは、ミキティと違って
忙しいもん」
『は?』
「いやいや。こっちの話。
ところで柴ちゃん、最近梨華ちゃん変じゃない?」
『え?いつもだけど』
「いや、そうなんだけどさ。ってそうじゃなくて、
えーっと、ミキティがね、柴ちゃんに電話してみろって」
『ちょっと待って、よっすぃ〜。
ちゃんとした日本語話してくれないかな?』
「失礼な。日本語、話してるYO!」
『あー、やっぱ梨華ちゃんが、よっすぃ〜を怖いって言う気持ち
分かるわぁ』
「もしかして、柴ちゃんも見てたの?」
『ああ、さっきの生放送?見てたよ。仲睦まじき二人を』
前言撤回。こっちもヒマだったんだな。
- 598 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:03
-
プルルルルル・・・
『もう!何だよっ!先に言っとくけど、美貴はヒマじゃないかんね』
「柴ちゃんもヒマだったよ」
『殺すゥ』
「オウムさん、そんなこと言わないで」
『もう、遊ぶんだったら切るよ』
「あー、切らないで!柴ちゃんに聞いたけど、梨華ちゃんからは
のろけ話しか聞いてないって。『ひとみちゃんはカッコイイ』とか
『やさしい』とか、『すごい上手なんだ』って。照れるな、こりゃ・・・」
『・・・あのさ、ほんと切っていい』
「待って、待って!!ほんとにどうしていいか困ってんだって。
ねぇ、ミキティ。どうしたらいいかな?」
『ハアー。原因は、その生放送なんでしょ?
だったら、もう一回自分で見てみれば、何か分かるんじゃない?」
「すげー、ミキティ頭いい!!」
『まあね。アレって19時から、見れるようになるから、家帰って
じっくり見てみれば?』
「サンキュー!!ミキティ!!セーコーホーシュー待っててね!」
<ブチッ>
『また、切りやがった。それより成功報酬の発音が違う気がするけど
気のせいかな・・・』
- 599 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:04
-
<ピ、ピ、ピ、ポーン>
「ポチッとな」
「あれ?始まってねぇじゃん。何だよ19時からって言ったじゃん。
ずっと時報聞きながら待ってたってのに」
ミキティに抗議してやるっ
って待てよ。
人に文句言う前に、もう一度試してみよう。
ダメだったら、今度こそ抗議しよう。
そう、『石橋を叩き壊したら、渡れないからもう1回試そう』だ。
すげー、アタシ天才。ことわざ知ってるよ。
梨華ちゃん帰って来たら、自慢しよ。
もう一回
ポチっと
「よし!UPされてる!」
思わず、ガッツポーズした。
うん、やっぱガッツポーズは片手だな。
- 600 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:04
-
- 601 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:04
-
「ただいまー、遅くなってごめんね」
「・・・お、がえり」
「ひとみちゃん、机に突っ伏しちゃってどうしたの?」
「コレ、見てた」
ひとみちゃんは、パソコンの画面を指差す。
「今、5回見終わったとこ。
けど、わっかんない。やっぱ梨華ちゃんの言う通り、アタシには分かんない。
でもね、絶対見つけんの。きっとアタシが、何かやっちゃったんだ。
梨華ちゃんが悲しむのは、もうヤダもん」
起き上がって、メガネをかけて、もう一度見ようとマウスを動かす。
ごめんね、違うの・・・
座っているひとみちゃんを、横から抱きしめた。
- 602 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:05
-
「ひとみちゃん、違うの。私が勝手に考えすぎて、落ち込んでただけなの。
ひとみちゃんは、何も悪くないの」
「だって、どう考えても、生放送で何かあったとしか思えない。
もう、梨華ちゃんと離れたくないから。離されんのもヤダ。
だからね、ちゃんと答え見つける。
答え見つけて、アタシが悪いなら直すし、違う原因ならアタシが梨華ちゃんを守る。
梨華ちゃんだけは、失いたくない」
再び、動かそうとしたひとみちゃんの右手を捕まえた。
「・・・ひとみちゃん」
名前を呼んだら、涙が溢れてきちゃって、続く言葉が出てこない。
ひとみちゃんは、オロオロして、下から私の顔を見上げて
涙を拭いていいものか、手を伸ばしかけては、引っ込めてを繰り返してる。
「アタシじゃ・・・だめなのかな?
アタシちょっと、調子に乗りすぎてたかな?
何か梨華ちゃんとの事、公に認めてもらったみたいな気に
なってたかもしれない。
世間的には、やっぱ公表できないし・・・
梨華ちゃん・・・重荷になっちゃたの・・・?」
「バカっ!」
ひとみちゃんの手を引いて、立ち上がらせた。
悲しそうな瞳で、今度は見下ろされる。
- 603 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:05
-
「ダメなんて、言わないで・・・」
ひとみちゃんの胸に顔をうずめた。
ひとみちゃんの香りがする。
この場所を。私だけの、この胸を失いたくなかったの。
だから――
「急に不安になったの・・・」
「え?」
ひとみちゃんは、直立不動のまま。
抱きしめていいのかなって、迷ってる。
私ね、不安だったんだよ。
「この世界に入ったばかりの頃、私たちいつも一緒にいたでしょ?
なのに突然、『なるべく一緒にいるな』って言われて・・・
あの頃の私たち、どんどん引き離されて・・・
やっと今、こうして一緒にいられるようになった。
でもね、周りがどんどんエスカレートしてきて、何か煽られすぎてる気がしたの。
だから・・・
このまま、突っ走ったら、私たちあの時みたいに
また引き離されちゃうんじゃないかって・・・
私、もう無理だもん。引き離されたら、もう生きていけないもん。
ひとみちゃんが、側にいてくれなくなるのなんて、もう嫌なんだもん!!」
「――梨華ちゃん・・・」
- 604 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:06
-
すごい力で抱きしめられた。
ひとみちゃんの腰に腕を回す。
離れたくないよ・・・
こんなに好きなんだもん。もう引き離されるのはイヤなんだもん。
「・・・梨華」
耳元でひとみちゃんがささやく。
「絶対大丈夫。アタシが離さないから・・・
誰に何言われたって、もうアタシが離さない。
ぜってー、引き離させない。こうやって、全力で守ってみせるから」
優しいアルトの声が耳に響く。
嬉しくて、涙が止まらない。
「あの頃のアタシは、大事なもの守れなかったけど、
今はもう随分強くなったんだ。
頼りないときもあるけど、こんなんでキャプテンだけど
梨華ちゃんだけは、何に代えても守るから。
もう絶対、ここから離したりしないから。
だから・・・」
- 605 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:06
-
「ずっと側にいてよ・・・」
ひとみちゃんは、腕の力を緩めて、体を離すと優しい瞳で、
でも、とっても力強い瞳で、私を見つめた。
昼間とは全く違う顔。
眼差しの強さ・・・
どんなあなたでも、心を揺さぶられるのに、
こんな瞳で見つめられるのは、いつまで経っても慣れない。
心臓が破裂してしまいそうになる。
「梨華。アタシが命をかけてでも守るから。
だから、安心して。
それから、不安になったら、ちゃんと言って。
なんでも二人で乗り越えよう。
いしよしコンビなら、全部ヒョイヒョイって乗り越えられるよ」
最後は、いたずらっぽくニカッて笑って。
危なっかしいとこもあるけど、この人になら、私の全てをゆだねられる。
ねぇ、私たちってやっぱり繋がってるよね。
- 606 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:07
-
少し背伸びして、ひとみちゃんにキスした。
「おっ、反則」
「だって、大好きなんだもん。チューしたかったんだもん」
「いいよ。もっとしなよ」
ひとみちゃんの首に腕を回した。
ひとみちゃんが私の腰を支えてくれる。
至近距離で見つめあった。
「好き。ひとみちゃんが好き」
「フフ、知ってるって」
「さっきは動揺してたくせに」
「でも信じてた。梨華ちゃんがアタシのこと嫌いになる訳ない」
「すごい自信」
でも、当たってるよ。
「だってさ、アタシ上手なんでしょ?」
そう言って、ひとみちゃんは私にキスした。
上唇と下唇を交互に挟むようについばんだかと思うと
舌でなぞって、またついばんで。
優しく口の中に入ってきたと思ったら、激しく舌を絡ませる。
私も応える。
- 607 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:08
-
ひとみちゃんの唇が、首筋に下りてきて、また上がって耳を甘噛みされる。
ひざに力が入らなくなってきて、ひとみちゃんにしがみつく。
「フフ、かわいい」
ひとみちゃんの手が動き出す。
「・・・ん、ハァ・・・、ベッド、行こ」
「――分かった」
ひとみちゃんは、私の服の中に潜り込ませていた手を抜くと
もう一度キスをした。
「もっと自慢できるように頑張るから」
えっ??
ちょっと待って!
自慢できるってどういうこと?
そう言えば、さっきも『上手なんでしょ?』とか言ったよね??
- 608 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:08
-
ひとみちゃんに尋ねると、全く問題ないというように
今日の出来事を話してくれた。
ってことは・・・
間違いなく、今夜のこと、柴ちゃんと美貴ちゃんに問い詰められるよね?
で、ひとみちゃんは、それがさあ・・・
なんて言いながら、自慢したりするよね?
前もそれで問い詰められて、思わずひとみちゃんは上手って
言っちゃたんだよ?
わかってる?
手を引かれて、ベッドまで行くと、あっという間に押し倒される。
待って、待って。
その前に。
私の服を脱がせようと、手をかけたひとみちゃんの右手を掴む。
- 609 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:09
-
「キスがいい?」
うん・・・
じゃなくて、ちょぉーっと、待っててば!
キスに夢中のひとみちゃんの背中を叩く。
「アタシが先に脱げって?」
違うって。
そうじゃなくて。
さっさと脱ごうとしたひとみちゃんの手を止める。
「もう、梨華ちゃんったら、今日はじらしちゃう系?」
「そうじゃなくて。今夜のこと、柴ちゃんと美貴ちゃんに
事細かに説明しなくていいからね」
「何で?」
「何でって・・・」
そんな屈託ない顔で言われても・・・
どんな体位かとか、あの二人、事細かに聞いて来るんだよ。
- 610 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:09
-
「アッ、忘れてた!」
「な、なに?」
「セーコーホーシュー」
「セーコーホーシュー??」
「うん。アタシ達が仲直りしたら、ミキティがくれって」
「そうなの?」
「ま、一応相談乗ってくれたし、あげとかないと」
「で、何あげるの?」
「何って、だからセーコーホーシュー」
「だから成功報酬に、何をあげるのかを聞いてるの」
「だからセーコーホーシューだって」
「だから成功報酬に、何をあげるの?」
「だからセーコーホーシューだって言ってんじゃん」
だめだこりゃ。
美貴ちゃん、期待しない方がいいよ。
- 611 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:10
-
「ねぇ、ひとみちゃん。ひとみちゃんの言うセーコーホーシューって
どんなものかな?」
「だから、背が高めの包まれたシュークリームでしょ?」
「はあ??」
「略して、背(セー)高(コー)包(ホー)シュー。四字熟語カッケー!!」
開いた口がふさがらないというのは、この事だ。
しかも、四字熟語に程遠い。
美貴ちゃん、ご愁傷様。チーン・・・
「いやー、前にアタシが、番組でシュークリームあてたっしょ。
だから、ミキティはそれを見てて、食べたくなったんだな、うん」
こういう時の、ひとみちゃんは私にも手に負えない。
そして、時々、あなたの脳を覗いて見たくなるときがある。
きっと、普通の人とは違う形をしている気がする・・・
- 612 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:10
-
「とりあえず、背高包シューは明日でいいな」
一言つぶやいて、ひとみちゃんは、また私に覆いかぶさる。
キスをされたら、たちまちとろけてしまいそう。
「・・・梨華」
右手で服を脱がせて、左手と舌で、どんどん私を熱くする。
あー、もう今日から、あなたの言う通り
『成功報酬』は『背高包シュー』でいいよ。
どんなに長くいたって――
ちゃんと言葉にしないと伝わらない。
どんなに体を重ねたって、言葉にして伝えなきゃ伝わらないこともある。
ずっと、ずっと側にいたいから。
こうしてあなたに、いつまでも愛してもらいたいから。
心を込めて伝えよう。
「ひとみ、愛してる」
- 613 名前:生放送 投稿日:2008/02/04(月) 13:11
-
終わり
- 614 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/04(月) 13:15
-
こんな感じになっちゃいました。
藤本さん、柴田さんファンの皆様、読まれていたら
こんな扱い方で申し訳ありません。
お願いですから、石は投げないで下さい・・・
作者は、お二人の事もとても好きなんです。
愛情の裏返し、みたいなものです。
次回は、巨大な爆弾が投下されない限り、本編の更新を致します。
- 615 名前:t-born 投稿日:2008/02/04(月) 13:41
- いやぁ、生放送いい感じでしたね。
二人、すごく仲がいいし。
でも、ほんと、”いしよし”って二人が言ったのは、
ちょっとびっくりしました。
- 616 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/04(月) 20:58
- きゃー、短編も最高です!
私の大好きな、あのシーンまで再現されちゃった!
やっぱり最高です。玄米ちゃ様。
本編も待ってます。
- 617 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/08(金) 16:47
-
>>615:t-born様
作者もびっくりしました。
よ、よっちゃんの、あ、あの、お口から〜!!と。
>>616:名無飼育さん様
喜んで頂けたようで何よりです。
大好きなシーンて、やっぱりあそこですよね?
ツボが同じようで、うれしいです。
では、本編の更新にまいります。
- 618 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/02/08(金) 16:48
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- 619 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:49
-
車に乗り込むと、梨華はもう一箇所行きたい所があると言った。
カゼを引かないようにと、途中でタオルと簡単な着替えを買い込んだ。
梨華にタオルを先に渡すと『私はカゼなんてひかないよ』と言って、
ひとみの頭を拭いてくれた。
そっか・・・
死人が今更カゼなんてひかないか・・・。
高速を走り、一般道に出る。
さっきとは打って変わった明るい車内。
あの頃に戻ったようでうれしくなる。
心では分かっている期限――
刻一刻と非情に時を刻んでいく世界が恨めしい。
けれど今は、梨華と共に過ごせる時間を精一杯生きたい――
- 620 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:50
-
もう辺りは暗闇に包まれていて、車のヘッドライトと
時折現れる街灯で景色を判別する。
随分変わってしまった街並み――
開発途中の街に点在する家々。
建設途中のビルが暗闇に浮かび上がっていて気味が悪い。
「結構、変わっちゃたな」
隣から寂しげな声が聞こえた。
「新しい駅を造るんだって。便はよくなるよ」
「そうだね」
それっきり黙って梨華は景色を眺めた。
梨華の生まれ育った町。
すぐそばに商店街があり、賑わい活気づいている町。
家を出て、どの方向に進んでも、友達の家にぶつかり、誰もが知り合いな町。
そんな小さいながらもどこか風情のある町は今、
大規模なニュータウンとして生まれ変わろうとしている。
- 621 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:51
-
静かに梨華の実家のあった辺りに車を止めた。
エンジンも止める。
静寂が二人を包み込む。
空は綺麗に晴れて、星が出ている。
「なーんにも無くなっちゃったんだね」
声に寂しさを滲ませながら、梨華が明るく言った。
「そうだね」
「やっぱり月日が経ってるんだね」
「そうだね」
梨華がひとみの方を向いた。
「でも、ひーちゃん全然変わってない」
「そう?」
「あ、でも昔はプクプクしてたよね。お腹とか二の腕とか
触り心地良かったもん」
「触り心地いいってなんだよ」
「だって、ほんとだもーん」
「言ったな!」
「フフフ。ごめん、ごめん」
ひとみは梨華を少しでも笑顔に出来た事にホッとした。
- 622 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:51
-
「・・・やっぱり寂しい?」
「そうだね。でも、仕方ないかな。時は流れてるもの。
その時に合わせて、一番いい形になっていけばいいんじゃないかな?」
梨華が助手席のドアを開けて表に出る。
ひとみも続いて外に出る。
梨華が大きく伸びをした。
「ちょっと見栄張っちゃった・・・」
車越しに梨華を見る。
「やっぱり寂しい。こんな風に跡形もなくなっちゃってるとね」
梨華は車に寄りかかって、かつて自分の生家があった場所を見つめていた。
- 623 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:52
-
昨年、この辺り一帯も区画整理をすると風の噂で聞いた。
すでに無人になっていた石川家は、比較的初期の頃に取り壊された。
しかし、人気があるのは反対側の区画で、こちら側はあまり買い手がつかないのか、
所々更地が点在している。
梨華の生家の後も不動産屋の看板が一つ、ポツリと立っているだけで、
後は何もない。
新しい家屋と、古い家屋が混在する中で、この空間だけが
どちらの時代からも弾き飛ばされてしまったようで、余計に物悲しく見えた。
- 624 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:52
-
「パパもママも寂しがるかな?」
「かもね」
ひとみも梨華の右隣に行って、同じように車に寄りかかった。
「でも、知らないまま二人とも死んだんでしょ?」
「うん」
「なら、いっか。思い出はいっぱいここにあるから」
そう言って、梨華は自分の胸に手をあてた。
「――ねぇ、ひーちゃんのベッドのそばに飾ってある彫刻ってさ、
パパが作ったの?」
「そうだよ」
「台座にね、(RIKA)って彫ってあった。
パパ、学生の頃、彫刻やってたって言ってたから・・・」
梨華が夜空を見上げる。つられて、ひとみも空を見上げた。
満点の星。
大宇宙の壮大さを感じる瞬間。
数年前の光が降り注ぐ不思議な現実。
この中には、きっと――
梨華も、親父さんも、ママさんも、全員が楽しく暮らしていた
あの日から放たれた光があるのだろう・・・
- 625 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:53
-
「パパも、ママも幸せだったかな?」
「幸せだったよ」
「だといいな」
君には言えない。
親父さんが君を殺した相手にナイフを突きつけようとしたことなんて――
- 626 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:53
-
- 627 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:53
-
容疑者立会いの現場検証で親父さんは、全く反省のそぶりも見せない犯人に
ナイフを突きつけようとした。
その現場にひとみもいた。
なぜなら、親父さんと同じことをしようと思っていたから・・・
精神鑑定にかけられ、罪に問われないかもしれないという報道が続いていて、
我慢出来なかった。
いっそこの手で――
何度もそう思った。
そいつがあの場所に来る。
そう聞いたとき、今しかないと思った。
『あの場所で同じ痛みを負わせてやる!』
そう決意して、忍ばせたナイフに手を伸ばそうとした瞬間、
怒号が走り、数人に抱えられ、そいつはパトカーの中に押し込まれた。
そして、少し離れた所で、地面に押さえつけられ、顔を歪めて、
何人もの警官に取り押さえられていたのは、親父さんだった・・・
- 628 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:54
- 思わず駆け寄った。
けれど、手前でひとみも取り押さえられた。
その時、視界の隅で捉えたそいつの顔は、口を歪めて笑っていた。
体中の血液が沸騰したかのように全身を駆け巡った。
今、コイツをこの手で!!
渾身の力で警官を振り切り、そいつのいるパトカーに駆け寄ろうとした。
「やめなさい!」
親父さんの声が聞こえて、一瞬立ち止まった瞬間、再び取り押さえられた。
そしてそのまま、親父さんもひとみも警察に連行された。
- 629 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:55
-
『なぜナイフを持っていた?』
そう言われて、正直に答えたら、一昼夜留置場に入れられた。
知らせを聞きつけたママさんが、会いに来てくれた時に涙が流れた。
その時のママさんが折れそうにやせ細って、あまりにも小さくなっていたから・・・
そして、ひとみが釈放された数日後に親父さんも釈放された。
その日以来、ひとみは石川家から遠ざかった。
あまり笑わなくなった親父さんを見るのも、
これ以上ママさんが小さくなっていくのを見るのも、嫌だった。
そして何より、無力な自分が恨めしかった。
この憎しみをどうしたらいいか分からない。
この悲しみをどう昇華したらいいのか分からない。
ねえ、誰か教えてよ。
どうか、アタシに答えを下さい――
- 630 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:55
-
どんなに足掻いて、叫んでも、答えなんて見つからない。
だったら、いっそ、心をカラにしてしまおう。
何も見ない。何も聞かない。
全ての世界から自分を閉ざしてしまえ!
思考を止めてしまえ!
人であることを止めてしまえばいい――
けれど・・・
そんな事出来るはずがなかった。
生きている以上、全てを遮断することなど、いくら願ったって
出来なかった。
一人の晩に蘇る記憶
ふとよぎる後悔
いつも胸の奥に眠る深い愛情
全てを持て余して生きていくのは残酷だ。
だから、ひとみは酒に走った。
溺れて、落ちて、深く深く、深海まで潜ってしまえばいい。
- 631 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:56
-
そんな時、出会ったのが中澤社長だった。
ボロボロのひとみを拾って、人間に戻ることを許してくれた。
そして、少し人間らしい生活を取り戻したひとみの所に、
ある日、親父さんが亡くなったとママさんが知らせに来た。
初七日も終わり、少し落ち着いたからと疎遠になっていた
ひとみの元をわざわざ訪ねてきてくれた。
何度電話をしても繋がらなかったからと・・・
「どうしてもあなたに渡したいものがあって・・・」
ママさんはそう言って、紙袋から取り出した。
それが未完成の木彫りの人形。
台座に(RIKA)と刻印してある。
- 632 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:56
-
『あの日からあの人は一心にこれを彫ってたの』
『同じ刃物を持つならこっちの方がいいって』
『梨華の一番輝いていた姿を彫るんだって、一心不乱に彫ってたの』
『憎しみを浄化させたかったのかも知れない』
愛おしそうにその未完成品を撫でながら、ママさんは言った。
『最後にこれをあなたにあげてくれって言ったの。
それがあの人の最後の言葉・・・』
しばらく、ママさんと話をしたような気がするけど、覚えていない。
そのほとんど未完成な、まだ梨華の形を成してもいない木のカケラを見て、
ひとみは泣いた。一晩中泣き続けた。
そして、その数ヶ月後、後を追うようにママさんが亡くなったと
誰かから聞いた――
- 633 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:57
-
- 634 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:57
-
「寒い?」
ふと左手を握られた。
「震えてるよ?」
知らず知らずの内に手が震えていた。
寒さからなのか、それとも過去の反芻によるものなのか・・・
「私は寒さ、感じないから・・・」
両手で抱え込むようにして温めてくれる。
そっか。だから海でも平気だったのか・・・
「今度は右手」
ひとみの左手を離し、両手を差し出して待っててくれる。
その両手の上にひとみは自分の右手を乗せた。
「それでも温めてあげることは出来るよ」
そう言って、両手で抱え込み、ひとみの手に息を吹きかけてくれる。
段々と熱をもってくる手。
先に温めてもらった左手で梨華の髪をなでる。
- 635 名前:第6章 2 投稿日:2008/02/08(金) 16:58
-
君には言えない――
親父さんのことも、ママさんのことも。
そして、君も何も聞かない。
「――きっと」
ひとみの声に、息を吹きかけながら、梨華は上目遣いで問いかけた。
「――幸せだったと思う。親父さんも、ママさんも。
こんなにかわいい娘がいてさ」
いたずらっぽく言う。
「もう!」
はにかんで、ひとみの手を軽く叩く。
君には言えない――
本当の事は。
けれどやっぱり――
君を授かって、二人とも幸せだったと思うんだ。
- 636 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 16:58
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- 637 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 16:59
-
帰る途中でケーキを買った。
シャッターを閉めようとしているのを見かけて、慌てて車を止め、
滑り込みでケーキ屋に走りこんだ。
「もう、いらっしゃらないと思ってました」
そう言いながら、店主は奥に行くと、にこやかに注文品を手渡してくれた。
間に合って良かった――
こんなに遅くなるつもりはなかったから、内心ヒヤヒヤしていたのだ。
ケーキの箱を右手に提げて、車に戻ると、梨華の顔が一気に華やいだ。
- 638 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 16:59
-
「ケーキだあ!」
「一緒に祝ってもらおうと思ってさ。昨日予約しといたんだ」
「本当はあの日、手作りケーキを計画してたのにな・・・」
梨華が寂しそうに言った。
「――腹こわすのヤだから、これでいいよ」
今買ったケーキの箱を掲げてみせる。
「もう、いじわるっ」
梨華に笑顔が戻った。
そう、その笑顔で祝ってよ。
その顔を見ただけで、アタシは幸せになれる。
3年越しになったけど、二人だけでお祝いしよう。
あの日、叶わなかった、アタシの二十歳のバースデー。
少しだけお酒も買い込んでさ。
君が喜ぶことなら何でもしてあげる。
君が笑顔になるなら何でも言ってあげる。
今日を特別な日にしよう。
今日を二人の永遠の記念日にしようよ――
- 639 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 16:59
-
家に着くと、さっそく準備にとりかかった。
3年越しに渡す、誓いの証である指輪が入っているジャンパーを
今日は自分で大事にハンガーにかけておく。
そっと振り返ると、梨華がお湯を沸かしていた。
後ろ姿だけで、梨華の気持ちもはずんでいるのが分かる。
あの日を――
3年前の今日を二人とも心から楽しみにしていた。
きっとね。
梨華ちゃんはあの日、アタシが何を言いたかったのか、分かってたんじゃないかな?
今でもその気持ちは変わらない。
君が死んでしまった今でも、その気持ちは変わらないんだ。
だからさ。
あの日言いたかった言葉を、今日言ってもいいかな?
- 640 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 17:00
-
ひとみはそっと梨華の背後に近づくと、腰に手を回し、後ろから抱きしめた。
「ひーちゃん、危ないよ」
鍋に茶葉を浮かせて、今夜はいつもよりも本格的な紅茶を淹れるつもりらしい。
梨華の右肩にあごをのせる。
「いい香り」
「でしょ?もうちょっとだから待ってて」
食器棚へと伸ばそうとした梨華の右手を掴む。
「ちょっとひーちゃん!」
怒って見上げた梨華にキスをした。
軽く肩口を叩かれ抵抗される。
唇を離して、梨華の耳元で囁く。
思った以上に声が掠れていた。
「早くお祝いしようよ」
梨華は視線をはずして、頬を赤く染めた。
その姿がどうしようもなく色っぽくて、ひとみの中で何かがこみ上げていく。
けれど、迷いがある。
頭の片隅で、かすかに鳴る警鐘――
- 641 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 17:00
-
〈ジュワッ〉
鍋から湯が噴きこぼれ、梨華が慌てて止める。
「もう、ひーちゃんが変なことするから!」
照れ隠しなのか、梨華が強い口調で言った。
「おとなしく座ってなさい!」
「ハイ・・・」
ひとみは小さくうなだれて、梨華から離れ、言われた通りに席に着いた。
どこかでホッとしている自分がいる。
何にホッとしているんだ?
自分の感情なのに理解できない。
何に怯えてる?
梨華に欲情することが怖いのか?
梨華が既にこの世の人ではないから?
それはないと断言できる。
梨華は梨華だ。
ではなぜ・・・?
- 642 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 17:01
-
ボーッと考えていると目の前にカップがおかれた。
ほのかに甘い香りがする。
白茶色の液体が小さく揺れている。
向かい合わせに梨華が座ったのを確認して、
ひとみはケーキを箱から取り出した。
「ひとみちゃんのプレートないんだ?」
「あんなのハズい」
「なんでー」
「いいじゃん。ほら、ろうそく立てるの手伝え」
「あれ?20本しかないよ?」
「いいんだよ。今日は、二十歳の誕生日だから」
「――フフ、ありがとう」
梨華の満面の笑み。
もう一度、二人であの日に帰ろう。
現実の事なんか、期限のことなんか忘れて。
アタシ、ちゃんと誓うから。
約束通り、笑顔で。
永遠を誓うから――
- 643 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 17:01
-
「火、つけるよ」
梨華が火を灯すのを見届けて、部屋の電気を消す。
テーブルに戻って、もう一度梨華に向かい合って座った。
「ハッピーバースデー、ひとみちゃん」
そう言ってから、梨華が歌い出す。
少しくらい音程がはずれてたって、心地よいのはなぜだろう・・・
梨華の声が聞こえるだけで、胸が熱くなる。
心が震える。
目を閉じて、耳を澄ます。
梨華の声が震えている。
3年越しの想いが声から溢れ出ていて、思わず涙がこぼれそうになる。
やっと――
やっと二人で迎えられたね、梨華ちゃん・・・
- 644 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 17:02
-
「ありがとう」
閉じていた目を開けて、歌い終わった梨華をみると、案の定、涙を流していた。
頼りなくゆらゆら揺れる灯りの中で、涙の筋を残したまま笑う彼女の顔は
いっそう神々しく見えた。
一気にろうそくを吹き消す。
「おめでとう!」
手を叩いて、お祝いしてくれる梨華の頬へ手を伸ばして
鼻先にキスをした。
「二十歳の誕生日、おめでとう・・・」
梨華がもう一度言った。
涙が溢れ出しそうになって、慌てて立ち上がり、
部屋の電気をつけに行った。
そのまま冷蔵庫に足を運ぶ。
「ワインも飲もうよ」
そう言って、勝手に支度をする。
- 645 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 17:02
-
背を向けたまま準備をして、ひそかに袖口で涙を拭った。
ひとみの様子に気付かないフリをして、梨華はケーキを切り始めた。
色白だから、泣いたらすぐバレちゃうんだよ。
けど、笑顔でいるって約束したからさ。
ワイングラスを二人の前に置いて、ソムリエの真似事なんかをしてみる。
ワインのことなんて全く分かんないけど、分かった風に説明なぞしてみる。
梨華がクスクス笑っている。
「笑うなよ」
「だって、ひーちゃん。『このワインは赤いお酒です』って
見れば分かるよ」
「いいの。こんなの雰囲気、雰囲気」
「ハハハ、おかしい」
三日月の目をして笑う。
よし、とりあえず誤魔化し成功としよう。
グラスのなかほどまで、赤紫色の液体を注いだ。
- 646 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 17:03
-
『乾杯』
二人同時に言って、一口含んだ。
「お、うめぇ」
「うん、おいしい」
そう言って、梨華はもう一口含んだ。
3年前と変わらずにすぐに赤くなる頬。
その頬を隠すように俯くと目立つ、長い睫毛。
そして、上目遣いに見上げるその潤んだ瞳――
なに一つ変わらない梨華の表情がひとみに勇気をくれた。
- 647 名前:第7章 1 投稿日:2008/02/08(金) 17:03
-
「あのね、梨華ちゃんに渡したいものがあるんだ」
3年越しのプレゼント――
あの日突然行き場をなくした贈り物。
それでもこの手の中にしまい続けた大切な大切な誓いの証――
ひとみは立ち上がると、今日はきちんとハンガーにかけてある
ジャンパーへと向かった。
〈ピンポーン〉
突然、玄関のチャイムが鳴った。
「誰か来たよ?」
梨華の問いに、上げかけた手を下ろし、玄関に向かう。
「ちょっと待ってて」
梨華に一声かけて、玄関の鍵を開ける。
「どなたですか?」
扉を開けた。
そこには、俯いた亜弥が立っていた・・・
- 648 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/08(金) 17:04
-
本日は以上です。
- 649 名前:& ◆pZ3FeuC62M 投稿日:2008/02/08(金) 20:24
- うわああああああああああああああああっ!!!?
その人の存在わすれてたあああああああああああああっ!!!!w
- 650 名前:t-born 投稿日:2008/02/08(金) 23:10
- ああ、良い所で…。
お願いだから、二人の邪魔をしないで欲しい…。
- 651 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/09(土) 15:19
- 続きがとても気になります…。
- 652 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/10(日) 06:38
- 玄米ちゃ様
遅くなりましたがメリクリ。あけおめ!
300.326です。願いを叶えてくれてありがとう。
短編で切ない想いを癒せてくださる作者さまの
思いやりにも泣けますねー。いつも応援してるよ頑張って!
- 653 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/15(金) 17:35
-
>>649様
野球の隠し玉みたいな驚きでしたでしょうか?
>>650:t-born様
そうですよね。
この二人はどうなっていくのやら・・・
>>651:名無飼育さん様
本日分はちょっと短めですが、続きを読んで頂けたら
うれしいです。
>>652:名無飼育さん様
いつもありがとうございます。
本編がこんななので、どうしても別のを書きたくなるようです。
それでは、本日の更新にまいります。
- 654 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/02/15(金) 17:36
-
- 655 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:38
-
「夜分にすみません」
そう言って、亜弥は頭を下げた。
手にはスーパーで買いこんできたのか、重そうな袋をぶら下げている。
「亜弥ちゃん、どうしたの?」
「だって、吉澤さんが急に一週間休むって言うから。
社長にはそっとしておけって言われたんだけど、やっぱり心配で・・・。
今まで一度も、こんなことなかったじゃないですか。
昨日、様子見に来てもいないし、何かあったのかなとか、
やっぱり病気なんじゃないかとか、考え出したらきりがなくて・・・」
思いつめた目をして、一気にまくしたてる。
「――ごめん」
「でも、元気ならいいんです・・・」
消え入りそうに言うと、また俯いて、亜弥は自分の手元を見た。
荷物を右手から左手に持ちかえる。
きっと重いんだろうな。
「あ、その・・・。昨日もありがとう」
亜弥は俯いたまま首を振った。
- 656 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:39
-
「今、客が来ててさ」
ひとみが窺うように後ろを向くと、梨華が心配そうにこっちを見つめていた。
「友達・・・ですか?」
遠慮がちに亜弥が聞く。
「うーん・・・友達と言うか・・・」
亜弥が中を窺うように顔をあげた。
「あっ、じゃあ良かったら、これ召し上がって下さい」
袋をひとみに向かって突き出す。
「いや、悪いよ」
「だって、私が持って帰っても、一人じゃ食べきれないですもん」
「いや、ほんとに・・・」
「これ、一緒に召し上がってください!」
亜弥が伸び上がって、ひとみの肩越しを見つめ、奥に向かって声をかける――
- 657 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:39
-
「・・・あれ?」
亜弥の表情がヘンだ。
「お友達、お風呂ですか?」
「え?」
「おでかけ?」
「いや、そこにいるよ」
「どこに?」
「そこのテーブルに座ってる」
「ヤダ!吉澤さん!」
亜弥がふき出した。
「騙すならもっといいウソ、ついて下さい」
亜弥はそう言って、ひとみの脇をすり抜けて、家に上がろうとする。
- 658 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:42
-
「ちょ、ちょっと待って」
慌てて亜弥の腕を掴んだ。
「困るんだ。帰ってよ」
「どうせロクなもん食べてないんでしょ?ご飯だけでも用意したら帰ります。
それに吉澤さん、今日誕生日じゃないですか。そんな日に一人で閉じこもってちゃ
余計に具合悪くなりますよ」
「やめろって」
亜弥の手を強く引いた。
「痛いな、吉澤さん。大体、吉澤さんが悪いんですよ。
急に休んで皆に迷惑かけて。どんだけ保田さんとか、社長が
大変な思いしてるか分かりますか?
私だって、昨日今日と大変だったんですから!
理由ぐらい聞く権利、私にもあると思います!」
掴んでいた力が抜けた。
- 659 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:43
-
亜弥はひとみに掴まれた腕を振りほどくと、ツカツカと上がっていく。
梨華には見向きもしない。
すぐそばにいるのに。
ほら手を伸ばせば、触れられる距離にいるのに・・・
「あれ?何でケーキがあるんですか?それも二つずつグラスもあるし・・・
やっぱり、私が来るって分かってたとか?
そうだったら、うれし――」
「やめろよ!」
嫌な汗が背中をつたう――
まさか・・・まさか、そんなこと。
認めたくない。
- 660 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:44
-
「帰れっ!」
亜弥のそばに行き、もう一度、亜弥の腕を掴む。
「邪魔なんだ!今日は大事な日なんだよ!
これから二人でお祝いするんだ!
梨華ちゃんと二人で二十歳の誕生日を祝うんだよ!」
『梨華』と言った瞬間、亜弥の体がビクッと動いた。
「吉澤さん!しっかりして下さい!」
澄んだ大きな瞳が強い意思を含んで、ひとみを真っ直ぐに見つめる。
頭の奥で警鐘が鳴り響く。
逃げろ!ごまかせ!目をそらせ!
「もう過去ばかり追わないで下さい」
「過去じゃない!!今、目の前に梨華ちゃんがいるんだよ」
「どこにいるんですか?!」
「そこにいるだろ!よく見てみろよ!」
梨華のいる場所を指差した。意地になっていた。
- 661 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:45
-
「私には見えません!
一人でケーキ食べて、一人でグラス傾けてバカみたいっ!!」
思わず右手を振り上げた。
亜弥が身を固くして目を閉じる。
誰かが、ひとみの右手を掴んだ。
「ひーちゃん、ダメ」
「梨華ちゃん・・・」
亜弥が顔をあげる。
そして、驚愕の表情を浮かべる・・・
「あなた・・・誰?どこ、から、来たの・・・」
目を見開いて後ずさりした。
壁に邪魔されて、そのまま立ち尽くす。
そしてそのまま崩れるように座り込む。
- 662 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:46
-
「見えるの?亜弥ちゃん!梨華ちゃんが見えるの?!」
「――あ、あなたが・・・梨華、さん?」
梨華が静かに頷いた。
「う、そ・・・どうして?
だって、死んだ、はず・・・でしょ?」
「帰ってきたんだ!帰ってきたんだよ、梨華ちゃんは!」
「うそよ!そんなことある訳ない!」
「うそじゃないよ!ほらよく見てよ!」
亜弥はイヤイヤをするように頭を振り、耳をふさぐと玄関へ走った。
「うそじゃない!ほんとなんだ!」
ひとみは亜弥を追いかけた。
亜弥は振り向きもせず、そのまま走り去って行く。
玄関の戸を握り締めたまま、しばし立ち尽くした。
「ほんとなんだよ。梨華ちゃんは帰ってきたんだ・・・」
- 663 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:46
-
さっきとは打って変わって、部屋の中に重苦しい空気が流れていた。
「――ひーちゃん」
梨華が優しく声をかけてくる。
「ごめんね」
「何で梨華ちゃんが謝るんだよ」
「隠してたから。皆には見えないこと」
「でも、亜弥ちゃんには見えた」
「見せたの。私の姿を」
「どうして?」
「ひーちゃんがあの子を叩こうとしたから。
ひーちゃんがあの子に、ヘンだと思われちゃうから」
今日までのことがよぎる。
電車の中の視線。
人気のある所に行きたがらなかった梨華。
アタシがヘンに思われるから、行きたがらなかったのか・・・
- 664 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:47
-
「見せたら・・・イケナイの?」
「うん」
梨華が小さく頷いた。
その先を聞きたい。けど、聞けない。
――してはいけないことをしてしまったら、どうなるの?
「ひーちゃん・・・」
梨華がひとみのそばに来る。
ひとみと向かい合う。
ひとみの胸に顔をうずめる。
「お願い、抱いて・・・」
それが意味するもの――
ひとみの中に鳴り響き続けた警鐘。
どこかで感じ取っていたこと。
二晩も一緒にいて、一緒に寝てて、出来なかった・・・
抱いてしまったら、ここからいなくなってしまうんじゃないかって。
それが最後の合図で、梨華ちゃんが消えてしまうんじゃないかって・・・
そんな漠然とした不安が心の奥にあったんだ・・・
だから抱けなかった。
だから、だから――
- 665 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:48
-
「お願い、ひーちゃん」
「ヤダよ」
梨華が顔をあげる。
「私が怖い?」
首を振る。
「死人を抱くなんて気持ち悪い?」
もっと大きく首を振る。
「梨華ちゃんは梨華ちゃんだよ・・・」
「じゃあ、どうして?」
「――いなく、なり、そうで・・・」
喉が詰まる。
「抱いたら、最後な気がする。梨華ちゃん、いなくなっちゃう・・・」
「ひーちゃん・・・」
「なんと、なくだけど・・・何か良く分からないけど不安なんだ。
どうしようもなく不安なんだ・・・」
- 666 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:49
-
梨華がひとみの頬に手を添えた。
背伸びして、唇を合わせる。
逃げようとするひとみの首に手を回すと引き寄せた。
段々深くなる口づけ・・・
ひとみの頭の奥で警鐘が鳴り響く――
ダメダ。ダメダ。ダメダ。
心と体がバラバラになりそうだ。
ダメだよ。いなくなるんでしょ?
これが最後になるんでしょ?
だから、梨華ちゃん・・・
梨華の手が、ひとみのわき腹を、背中をなぞる。
嫌だよ、置いていかないでよ。
一人にしないでよ。
ダメだって・・・
梨華の舌がひとみの舌に絡みつく。
逃げようとするひとみの舌を捕らえ、首筋に手を這わす。
- 667 名前:第7章 2 投稿日:2008/02/15(金) 17:50
-
もう、失いたくない――
けれど、心が体に引きずられていく。
体が素直に梨華を求めている。
梨華に触れたいと、勝手に手が動き出す。
勝手に唇が求めだす・・・
――違う。そうじゃない。
本当は、心の底から欲している。
梨華を欲している!
梨華をもっと愛したい。
全身で、梨華の奥深くまで、
自分の全てをかけて愛したいと、心の底から望んでいる!
ひとみは梨華を強く抱きしめると、手を引いてベッドに向かった。
- 668 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/15(金) 17:51
-
本日は以上です。
- 669 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 17:35
- よっすぃーにはよっすぃーが望む結末を迎えさせてあげたい...
- 670 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 23:55
- 言えなかったのはきっと梨華ちゃんもひーちゃんと居る時は忘れたかったんだろうな。
亜弥ちゃんは中澤さんの所に行ったのかな。
残り少ない時間を邪魔しないであげてほしいな・・・時待たずして消えちゃわないよね。
- 671 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/18(月) 23:11
- あぁ、なんて儚い二人の想いなんだ...
- 672 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/20(水) 18:27
-
>>669:名無飼育さん様
ですよね。ここのよっすぃーは不幸が多すぎるので・・・
って作者のせいですが。
すみません。
>>670:名無飼育さん様
す、するどい・・・
>>671:名無飼育さん様
なんだか作者も書いていて胸が痛いです。
では、本日の更新にまいります。
本日分は、前半にエロが入りますので、ご注意を。
- 673 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/02/20(水) 18:29
-
- 674 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:30
-
3年ぶりに重ねた肌――
胸の奥から、痛いくらいの愛おしさがこみ上げてくる。
あの頃は・・・
ただ、ただ、梨華に触れたくて。
自分だけしか、触れることができない場所に触れられることがうれしくて。
自分だけに全てを捧げてくれる梨華が愛おしくて。
悦びの声をあげる梨華を、もっと悦ばせたくて、がむしゃらに愛して・・・
触れ合う度に幸せだった。
ずっと、ずっと、こんな風に愛し合えるって、信じて疑わなかった。
「んんっ、ひー、ちゃん・・・」
あの頃と変わらない甘い声。
首筋に舌を這わせれば、ほら・・・
「ああっ、はあ・・・」
わき腹に手を這わせて、やさしく撫で上げて
ゆるく胸を揉む。
「ハア、んっ・・・」
右手で胸を掴んだまま、顔を上げて、梨華を見下ろした。
上気した頬、妖艶な唇、潤んだ瞳――
- 675 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:31
-
「・・・どう、したの?」
梨華が心配そうに聞く。
「ひーちゃん・・・」
梨華がアタシの頬に手を伸ばす。
「泣かないで・・・」
苦しいんだ、梨華ちゃん。
あの頃と同じように、ただ、ただ、あなたに触れたい。
がむしゃらに愛したい。
けど・・・
触れる度に、胸が張り裂けそうなんだよ。
これが最後だって思うと。
もう二度と、本当に二度とあなたに触れられないって思うと・・・
- 676 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:31
-
「ひーちゃん・・・」
梨華がひとみの背中に手を回す。
ひとみの背中をそっと撫でる。
「キス、して」
言われた通り、唇を重ねる。
梨華の舌がひとみを誘う。
誘いにのれば、勢いを増す。絡めて、吸って、また絡めて・・・
次第に手も動き出す。
胸にのせていた手を動かして、主張し始めた先端を指でつまむ。
んんっ
口付けたままの唇から漏れる声。
構わず、指を動かす。
ハア・・・うぅ、ああ・・・
溢れ出る声だって、逃さない。
梨華がひとみの髪をかき回す。
- 677 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:32
-
分かってるよ、梨華ちゃん。
あなたの全てを愛すから。
全部、アタシの中に刻み込むからさ。
この体に、この心に、梨華ちゃんの全てを、ちゃんと刻みこむから――
唇を離して、梨華を見つめる。
その優しいまなじりにキスした。
続けてかわいらしい鼻に。
その少し尖ったアゴに。
そのまま、もう一度首筋に舌を這わせた。
「ああ、んっ!」
少し下がって、胸の先端を口に含む。
尖ったそこを舌でころがした。
「やあ!あっ、ふぅん」
何も変わらない梨華のカラダ・・・
あの頃、毎日のように触れた小麦色の肌。
『ひーちゃん、白くていいな』
『そうか?黒い方がエロいよ』
『もう、エッチ!!』
『梨華ちゃんにしか、こんな気持ちにならないって』
『ほんとう?』
『約束する』
- 678 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:33
-
優しく撫でながら、下腹部に手を這わせた。
ゆるゆると、熱くなっているソコに近づく。
中指で軽く触れた。
「ああん!!」
そのままゆっくり指を動かすと、梨華が悦ぶ。
この時の梨華は、本当にエロい。
『もう、ひーちゃん、エロいって言いすぎ』
『だって、ほんとだもん』
『自分では分からないもん・・・』
『アタシだけが知ってればいい』
そうだよ、アタシだけが知ってればいい。
「ひー、ちゃ、ん」
「どうした?」
「わ、たし、今も、エロ、い・・・?」
「すげぇ、エロい」
もう!
そう言って、梨華は微笑んだ。
もう、昔を反芻するのは止めよう。
今だけの、梨華を。
今、ここに、アタシの前に帰って来てくれた梨華を愛そう。
- 679 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:34
-
指の動きを早くしたと同時に、ソコに顔を埋めた。
次から次に溢れてくるソレを、舌ですくって、吸い上げて飲み干す。
梨華の声が、より高くなる。
ああ、その声が、アタシの心を震わす。
砂漠で水を求めるように、ソコにむしゃぶりついた。
「やあっ!あぅ!!あんっ」
梨華の呼吸が荒くなる。
シーツを握り締めている梨華の手を解いて、自分の指を絡ませた。
「・・・んぁ、ひー、ちゃん・・・うぅ、と、いっしょ、が、いい」
「分かった」
指をほどいて、梨華のソコにあてがう。
ぎゅっと背中にしがみついた梨華にキスをした。
- 680 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:35
-
「・・・梨華」
「うっぐぅぅ・・・ひ、とみ。ああっ!」
「愛してる」
「はあ、わ、たしも。やあぁ!」
「ハア、うう、つめ、たてて。あと、残して、よ」
「ダ、め。うぅ・・・」
「いい、から。ふぁ・・・の、こして」
梨華を刻ましてよ。
梨華が今いる証を刻んでよ。
梨華の爪が背中に食い込む。
もっと。もっと、深く・・・
「っぐ!はあ、り、か・・・」
「ひと、み。うぅ、ああん。んっ!」
「あ、いして、る。ふぅぅ、くっ、あああ!」
「ひと、みだけ。あああっ!ず、っと、あい、してる。んあああっ!!」
- 681 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:35
-
- 682 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:36
-
「ひーちゃん、寝ていいよ」
ひとみの右腕に頭をのせ、上目遣いに見上げて話しかけてくる。
あの頃と変わらないことが余計に胸を痛めつける。
「寝ないよ」
「だってこの二日間、まともに寝てないじゃない」
「大丈夫」
「今だって、随分運動したよ?」
「言うな!」
「フフッ、かわいい」
- 683 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:37
-
梨華は目を細めて、ひとみの唇のふちを指でなぞる。
そうして、ひとみは次第に眠りに落ちていく。
梨華を腕に抱いて、梨華の声を聞きながら――
肌と肌を合わせ、梨華の香りを胸いっぱいに吸い込み、
ぬくもりを感じながら眠りに落ちていくのだ。
この上ない幸せを感じる瞬間――
かつてはそうだった。
けれど、今は違う。
この後にはきっと、別れが待っている。
- 684 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:37
-
ひとみは梨華の指を捕まえると言った。
「寝ないよ」
掴んだ手に力を込める。
「もう離さない、離れたくない」
梨華の目をじっと見つめた。
「愛してる」
――全ての思いを言葉にして。
「ずっと愛してる」
――もうごまかさない。
「何年経っても、何十年経っても。梨華だけを愛してる」
梨華の瞳から涙がこぼれた。
ひとみの腕に流れていく。
次第に嗚咽に変わっていく梨華の頭をそのまま抱きしめた。
「もう一人になりたくないんだ」
ひとみの声も掠れていく。
「アタシも一緒に、梨華ちゃんと一緒に行きたい。
このままずっと。ずっと一緒にいたいんだ・・・」
ひとみの目からも涙が溢れた。
心が引き裂かれる。
胸が切り刻まれる。
こんな思い、もうたくさんだ!
- 685 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:38
-
「――ずっと・・・一緒にいるよ?」
顎の下からくぐもった声が聞こえた。
ひとみの胸の上に頬をあて、梨華はその小さな手をひとみの心臓の上に置いた。
「ずっと一緒にいるよ。ひーちゃんが私を覚えていてくれる限り、
ずっとここにいる」
「心だけじゃ足りないよ・・・」
「心だけじゃないよ。私の全部がここにいる。
ひーちゃんの胸の中で、私はずっと生きられる」
「そんなの・・・」
「聞いて、ひーちゃん」
梨華がひとみの唇に人差し指をあてた。そのまま優しく唇のふちをなぞる。
「私、生まれ変わるの」
「うん」
「新しい人生が始まるの」
「うん」
「それって素晴らしいことじゃない?」
「そこには・・・そこにはアタシはいらないの?」
「いてほしいよ。必ずそばにいてほしい」
「じゃあ、どうして?」
身を起こした。
梨華に覆いかぶさるようにして問いただす。
「このままでいいじゃないか。このまま二人でいられる方法を探そう?」
梨華が静かに首を振った。
- 686 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:39
-
「ひーちゃん、私ね。皆には見えないこと、ひーちゃんには隠しておきたかったの。
ひーちゃんとは違うんだってこと、やっぱりもう死んでるんだってこと、
忘れてしまいたかった」
「梨華ちゃん・・・」
「でも、やっぱり私はもう違う」
「そんなことない。だってこうしてここにいる」
「でも他人には見えないの。そしてやっぱり私は3年前に死んでるの」
「関係ない。関係ないよ・・・」
ひとみの目から涙が溢れた。
下から見上げる梨華の頬を濡らしていく。
梨華はひとみの涙を拭いながら、駄々っ子を諭すようにやさしく言った。
「だから・・・ちゃんと生まれ変わって、またひーちゃんに会いたい」
歯を食いしばる。嗚咽がもれないように。
「必ず見つけ出すから」
胸が切り裂かれるように痛む。
「覚えていくよ、絶対に」
何も言えない。涙しか流せない自分は無力だ・・・
「ねぇ、ひーちゃん」
- 687 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:40
-
分かってる。
分かってるよ。どんなことがあっても、何があっても、
一秒一秒、間違いなく時が刻まれていくのと同じように、
このままであり続けるなんて無理なんだ。常に進まなきゃいけないんだ。
でも、この3年、それが出来なかった。
アタシはあの日から進んでない。
あの日からずっと、立ち止まったままなんだよ。
「笑ってよ・・・」
「わ、らえ、ない、よ・・・」
切れ切れに漏れる声。苦しいよ、梨華ちゃん――
「ひーちゃんには笑ってて欲しい。私の一番好きな笑顔でいて欲しい。
そうしないと見つけられないよ」
「一緒に、行く。見つけなくて、いいように、一緒に、梨華ちゃんと一緒に・・・」
「ダメ」
「ヤダ」
「ひーちゃん、お願い。ちゃんと生きて」
「無理だよ。梨華ちゃんがいない人生なんて、ありえない」
- 688 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:41
-
「ひーちゃん」
梨華の凛とした声が響く。
「頑張ってるひーちゃんじゃなきゃ、好きになれない」
どんなアタシでも好きだって言ってくれたじゃないか!
声に出せない思いが渦巻く。
「ひーちゃんは、いつも前向いてたよ。
投げやりに見えた時だって、自分のこと本当に投げ出したりしてなかった」
頬をやさしく撫でられる。
「ひーちゃん、好き。どんなひーちゃんでも好きだよ。愛してる」
「じゃ、じゃあ、どうして・・・一人にするの?」
ああ、どうしてアタシはこんなことしか言えない。
ちゃんと生きて待ってるって、自分の人生に向き合って生きて待ってるって、
どうして言えないんだ!
「好きだから・・・誰よりも大切な人だから、逃げたりしないで欲しい」
梨華の胸に顔をうずめた。
もう涙が止まらない。髪を梳かれる。
- 689 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:42
-
「生きて、ひーちゃん」
「ひーちゃんにしか出来ない何かが必ずあるから」
「投げ出したりしないで生き抜いて」
顔をあげた。梨華も泣いていた。
けれど、それはとても綺麗な涙で、ひとみの心を潤していく。
「ひーちゃん。ひーちゃんの笑顔、覚えていくね」
最高の笑顔を君に見せてあげるよ。
決して忘れないように。
もう一度ここに、この腕に帰ってこれるように――
- 690 名前:第7章 3 投稿日:2008/02/20(水) 18:42
-
「梨華、愛してる」
ひとみはそう言うと笑った。
梨華に出会えたこと。
梨華と過ごせたこと。
梨華と愛し合えたこと。
全てに感謝を込めて・・・
ひとみはそのまま梨華に口付けた。
指を絡ませるようにつなぐ。
笑顔だけじゃなく、全てを覚えて行ってよ。
待ってるから。必ず待ってるから。
だから、ここに戻っておいで、梨華――
- 691 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/20(水) 18:43
-
アイタタタ・・・
本日は以上です。
- 692 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/23(土) 07:52
- 二人の世界の果てやいかに...
- 693 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/26(火) 15:52
-
>>692:名無飼育さん
レスありがとうございます。
いかになりますことやら・・・
それでは、本日の更新です。
- 694 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/02/26(火) 15:53
-
- 695 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:54
-
梨華はペンを置くと、それを持って静かにひとみのそばまで行った。
ベッドの横に膝をついて、眠っているひとみの頬をそっと撫でる。
「ひーちゃん、ごめんね」
もう消えかけている私・・・
そろそろ限界なのかな?
大分透けてきている。
撫でているひとみの頬が、自分の手を通り抜けて見えている。
一週間という期限は、あくまでも掟を破らないことが原則。
その人と交わってはいけない。
その人以外に姿を見せてはいけない。
そして、掟を破れば、すぐに帰って、相応の償いをしなければならない。
だから私はもうThe end。
あと少しで本当に消えてしまう私。
ひーちゃんにも見えなくなってしまう私。
やっぱり死んでいる私・・・
- 696 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:54
-
このまま一緒にいられたら――
私だってそう思う。
けれど、ひーちゃん。
あなたは生きている。
こうして息をしている。
そして、ひーちゃんは気付いてないけれど、よく周りを見て。
あなたを必要としている人は、たくさんいるんだよ。
- 697 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:55
-
必死に襲ってくる睡魔と戦っているひとみに嘘をついた。
――大丈夫、まだいるよ。
――ひーちゃんが起きるまで隣にいるから・・・
「ごめんね、ひーちゃん」
ひとみが目を覚ましてしまったら、決意がゆるんでしまうかもしれない。
やっぱり一緒にいたいと思ってしまう。
そんなこと出来ないと分かってるのに、あなたにすがり付いてしまう。
笑顔で別れる自信がないの。
ひーちゃん。
あなたにはずっと笑顔でいて欲しい。
そして――
私の笑顔を覚えていてほしいの。
だから・・・
――ごめんね。
せめて、消える最後のその時まで、あなたのそばに。
こうしてあなたの隣にいたい・・・
- 698 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:55
-
- 699 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:56
-
頬に何かが落ちてきて、目が覚めた。
とても心地よい眠りだった。
こんなに満たされて起きるのは、何年ぶりだろうか?
感触が残る頬に手をやる。
指先にふれた水滴と頬に残るぬくもり。
自分の目じりに指を運ぶ。
自分が泣いていた訳ではないらしい・・・
「・・・り、か?」
次第に脳が覚醒してきて、梨華がいたことを思い出す。
けれど・・・
本当に梨華はいたの?
深い眠りの後の混濁。
夢をみていたのか?
- 700 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:57
-
この二日間を思い起こした。
あの川原で再会した。
二人で海に行った。
二人であの場所に行った。
そして――
どれも鮮明に思い出せる!
慌てて身を起こす。
傍らにキチンとたたまれた洋服が、何かを物語る。
適当に身に纏いながら、部屋中を探す。
「梨華ちゃん?」
トイレへ。バスルームへ。キッチンへ・・・
片付けられたテーブルが雄弁に事実を物語る。
昨日食べなかったはずのケーキは、そこにない。
昨日、飲みきらなかったはずのワインも、ここにない。
- 701 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:57
-
――慣れないことすんなよ・・・
消えてしまうのが分かっていたから、眠りたくなかった。
最後のその瞬間まで、その横顔を見つめていたかった・・・
ひとみはいつもの場所に腰を下ろした。
梨華の横顔が見える定位置。
「梨華・・・」
こらえきれない思いが、涙と共に溢れ出る。
そして再び残された贈り物。
それをあげることも出来ないまま、梨華は行ってしまった・・・
「起きるまでいるって言っただろ・・・」
うめきに近い、つぶやき。
「バカヤロ・・・、最後くらいカッコつけさせろよ・・・」
笑顔で送り出してやったのに。
梨華の好きな笑顔で送り出してやるつもりだったのに――
- 702 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:58
-
「梨華・・・」
涙を拭った。
写真から視線を下ろすと、ベッドのヘッドボードに
何かが置いてあることに気付いた。
慌てて駆け寄る。
木彫りの人形の横に置いてあったのは、かつての梨華の日記帳。
ママさんが、梨華の形見として、ひとみにくれた。
中にはひとみちゃんのことばかり書いてあるからと。
高校入学から始めたらしいその日記は、最初の頃こそ自分の事ばかりだが、
ひとみと出会ったあの雨の日からは、ママさんの言う通り、
ほぼ毎日のように、ひとみが登場する。
- 703 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:58
-
[今日もお礼を言えなかった]
[今日もたくさんの人に囲まれていた]
[でもどうして、あんなに寂しい顔をするんだろう?]
[ほんとは優しい人なんだ。友達をかばってあげてたもん]
[話せないな。どうしたら話せるようになるんだろう?]
そして、付き合い始めてからも二人の思い出が、歴史が、事細かに綴られていく。
梨華の不安や期待も、全てがここに綴られている・・・
- 704 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 15:59
-
[ひーちゃんが本当においしそうに食べてくれたもの。
白玉だけかなぁ?
他は、何作っても、一瞬眉間にシワを寄せる。
おいしい?って聞くと、おいしいよって、言ってくれちゃうんだよね。
ほんとにおいしいのかなあ?
今度、ママに食べてもらって採点してもらおうっと]
[ひーちゃん、言葉にして言ってくれないからなあ。
たまにはちゃんと言葉にして、好きって言われたいのにな。
しょーがない!頑張って言わせちゃおう!]
[どうしたら、ひーちゃんの心の闇を晴らせるのかなあ?]
[ひーちゃんを傷つける全てのものから守ってあげたい・・・]
5年分が綴れるようになっているその日記は、あと1年分を残して、
あの日の前日で終わっている――
- 705 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 16:00
-
[4月9日
ひーちゃん、何をしてくれるのかな?
今日もバイトに行っちゃった・・・
無理しなくていいのに。ひーちゃんの体が心配だよ。
モノよりも何よりも、ひーちゃんが隣にいてくれるだけでいいのに。
ひーちゃんのそばにいたいな。ずっとずっとそばにいたい・・・]
何度この箇所を読んだだろう・・・
そして、何度自分を責めただろう・・・
その日を境に、主を失ったその日記は、あれからずっと白紙のまま、
引き出しの奥に眠っていたはずなのに。
今ここに、こうして置いてあるのはどうして?
いつの間に見つけたの、梨華ちゃん?
- 706 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 16:00
-
4月10日
まさか続きが書けるなんて思ってなかったなあ。
すぐ見つけちゃったもんね。
ひーちゃんの大事なものをしまう場所なんて分かっちゃうもん。
家が変わったって、ひーちゃんのクセは分かっちゃうんだから!
でも、良かった。
ひーちゃんが大事にしてくれてて。ちょっとうれしい。
ううん、すごくうれしい!
一週間、ひーちゃんに見つからないように書いて、ビックリさせちゃおう!
それにしても、ひーちゃん――
随分痩せちゃったな。大丈夫なのかな?体・・・
明日から少しの間だけど、いっぱいおいしいもの食べさせてあげよう!
そうそう、川原で帰って来た事をなかなか信じてくれなくて、思わず笑っちゃった。
しまいには「ケンカ売るのか」って。
変わってないな、ひーちゃん。
好きだよ、ひーちゃん。
- 707 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 16:01
-
4月11日
やっと海に行けた!
夢だったんだよね、二人で海に行くの。
ロマンティックでしょ、海って。
思い出を増やしたかったの。
ひーちゃんとの歴史をもっと増やしたいんだ。
でも、ひーちゃん――
あの日の事で今も苦しんでる。私が死んだことに責任感じすぎだよ。
だから、明日はあの場所に行こう?
そこで、教えてあげる。
ひーちゃんが苦しむことないんだって、責任、感じなくていいんだって。
苦しみや、悲しみは、あの場所に全部置いてこようよ。
- 708 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 16:02
-
4月12日
ハッピーバースデー、ひーちゃん!
ありがとう、ひーちゃん。
本当は、23歳なのに、もう一度20歳の誕生日やろうって
言ってくれて、うれしかった。
本当に戻って来れたんだなって。
恋人になって、はじめてのひーちゃんの誕生日。
一緒にお祝い出来てほんとに良かった。
ケーキ、少しだけ頂いて、冷蔵庫にしまってます。
たくさん食べて、少しは太りなさい!
ごめんね、ひーちゃん。
黙って行っちゃうこと。
でも、ちゃんと覚えたよ。ひーちゃんの笑顔。
命に焼き付けたよ。
絶対忘れない。
だから、その笑顔で待ってて。
必ず探し出すから。
ちゃんと生きて。
強く生きて、ひーちゃんらしく輝いてて。
そしたらすぐに見つけられるから。
私が迷子になったりしないように、輝いて私を導いてよ。
約束だよ、ひーちゃん。
- 709 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 16:02
-
あとね。ひーちゃんに謝りたいことがあるの。
夏休みにひーちゃんの実家に無理矢理連れて行ったでしょ?
それで私、余計なことしちゃったなって、ずっと後悔してた。
ひーちゃんにまた重たいもの背負わせちゃったかなって。
あの時は、ああするのが一番いいと思ってたの。
でも、逆効果だったね。
ごめんなさい。
今思えば、見ないことも大事だったのかもしれないって。
本当にごめんなさい。
あー、まだまだ、いっぱい伝えたいことあるのにな。
もう時間がないみたい・・・
最後にね、ひーちゃん。
あなたと出会ってよかった。
あなたを好きになってよかった。
あなたを愛してよかった。
そして、あなたに愛されて本当に幸せだった。
ありがとう、ひーちゃん。
また会おうね、ひーちゃん。
- 710 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 16:03
-
文字がかすんで、読むのに苦労した。
書いたばかりの筆跡が零れ落ちた涙で少し滲んだ。
まるっこい、懐かしい字を人差し指でなぞる。
まだ、ぬくもりを感じる気がする。
そのままその手を左胸にあてた。
梨華の心がここにある。
梨華の全てがここにある。
そうでしょ?梨華ちゃん。
その時、ふと左肩にぬくもりを感じた。
誰かが手を置いているようなぬくもり――
「梨華ちゃんっ!」
振り返った。
けれど、そこには誰もいなかった。
それでも感じるぬくもり――
そこにいるんだね?梨華ちゃん・・・
- 711 名前:第7章 4 投稿日:2008/02/26(火) 16:04
-
ひとみは自分の左肩に、胸に当てていた右手をそっと置いた。
感じる感触はないけれど、きっとここに梨華はいる。
「大丈夫だよ、梨華ちゃん。アタシ、ちゃんと生きて、笑顔で待って――」
突然の痛みが、ひとみを襲った。
日記が床に落ち、大きな音を立てる。
強烈な痛みを腹部に感じて体を折り曲げた。
そのまま倒れこむ。
薄れゆく意識の中で、ひとみはつぶやいた。
「梨華ちゃん・・・待ってるから。生きて、必ず待ってる・・・」
- 712 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:04
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- 713 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:05
-
「もうさあ、アッタマくると思わない?」
「何がよ?」
「だ〜か〜ら〜」
そう言って、亜弥は隣に座っている藤本美貴の腕を引っ張った。
「何よ。こんな遅くに突然呼び出したかと思ったら、絡み酒?」
「親友でしょ?それくらいいいじゃない」
「ハイハイ、分かりました。仕方ないから付き合ってあげるよ」
「ヤッター!だから、みきたんってサイコー!」
今度は派手に抱きつく。
「その代わり、全部奢りだかんね」
「えーっ!!」
亜弥はもともと大きな瞳を更に見開くと、大げさに驚いてみせた。
「で、何?あんたをそんなに地震の直前逃げ出すねずみのカラゲンキみたい
にさせてる理由って?」
「何か長いセリフだけど、さすがみきたん、するどいねえ――」
「当たり前でしょ。何年友達やってると思ってんのよ」
「うん。・・・あのさ、幽霊って信じる?」
- 714 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:05
-
ブッー!!
派手な音と共に、美貴は飲みかけたサワーを豪快に噴き出した。
「ちょっとぉー。汚いよ、みきたんっ!」
「あんたが変なこと言うからでしょ!すいませーん。おしぼり下さーい!」
居酒屋のカウンターに座って、アルコールを噴き出す若い女性は珍しい。
板場とは高い仕切りがあるが、その中にいる板さんは、
明らかに見なかったフリをしている。が、わずかに肩が震えている。
「あんたのせいだからね!」
美貴はそう言いながら、丁寧に痕跡を拭いた。
「ごめんって。ね、で、どうかな?見たことある?」
「それ本気の質問なの?」
「本気も本気。マジです!」
亜弥が右手を額にあてて敬礼してみせる。
こういう時は、亜弥が本気で悩んでいるのだという事を
美貴は長い付き合いから知っている。
茶化してみせて、本当は真剣なのだ。
- 715 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:06
-
「で、見たわけだ。亜弥ちゃんは」
「うーん・・・、見たんだろうな・・・」
途端に亜弥の声のトーンが落ちた。
「その様子だと、愛しの吉澤さんガラミ?」
「うん・・・」
「ハアー、何だかなあ。すっきり、はっきり言っちゃいなよ。
一体どうしたわけ?」
「それがね・・・」
(――お願い)
「ハ?みきたん、何よ。お願いって」
「ハイ?そっちこそ何よ?亜弥ちゃんがしゃべるの待ってるんじゃない」
「今お願いって言わなかった?」
「言ってない」
「そう・・・。ま、いいや。それでね・・・」
- 716 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:06
-
(――助けて)
「だから、何よ!私が話そうとすると、何でみきたんがしゃべるのよ!」
「何も言ってないって」
「今助けてって言ったじゃ・・・」
(――お願い、助けて下さい)
「誰?」
亜弥が後ろを振り向く。
店内では誰もこの二人を気にしているものなどいない。
「どうしたの?亜弥ちゃん?」
ただならぬ様子の亜弥に、美貴も心配になってきた。
(――あなたにしかお願いできないんです)
「誰かが・・・しゃべってるの・・・」
「亜弥ちゃん、大丈夫?」
「何だろ。直接脳に話しかけられてるみたい・・・」
「ヤダ。悪い冗談やめてよ」
「冗談じゃないよ!みきたんには聞こえないの?」
- 717 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:07
-
(――お願いだから、あの人を助けて)
「ほら、今!『あの人を助けて』って!本当に聞こえないの?!」
「何も聞こえないよ。この店の賑わいくらいよ、聞こえるのは」
(――亜弥さんだけが頼りなんです)
「私?・・・」
(――お願い。ひーちゃんを助けて)
「・・・もしかして――。梨華、さん?」
(――ひーちゃんの所へ行ってあげて。あなたにしか助けられない)
「どうして?あなたがいるじゃない?」
(――私はもう、いてあげられない。亜弥さん、お願い。
ひーちゃんの所へ。早く、早く行って・・・)
- 718 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:07
-
「梨華さん!ちょっと梨華さんっ!」
「ねえ、どうしたのよ!亜弥ちゃんしっかりしてよ!
何一人でしゃべってんの?!」
「ごめん、みきたん。詳しい話は後で!」
亜弥はコートを引っつかむと、店を飛び出した。
「ちょっとー!亜弥ちゃーんっ!!」
背後から美貴の呼ぶ声が聞こえてきたが、それどころではない。
大通りに出てタクシーを捕まえて、行き先を告げる。
あれはやっぱり、真実の出来事だったんだ――
- 719 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:08
-
さんざん、運転手をせかしたおかげで早く着いた。
おつりはいらないと言って、ひとみのアパートの階段を駆け上がり、
ひとみの部屋の前まで行く。
乱暴にインターフォンを鳴らした。
「吉澤さん!開けてください。松浦です。吉澤さんっ!」
扉を叩いても何の反応もない。
静まり返ったままだ。
もう一度呼びかけながらドアノブを回した。
開いてる!
「吉澤さん!」
急いで中に入る。
見える位置には、何もない。
さっき来たときに見た、ケーキやワイングラスも綺麗になくなっていて、
夢でも見たのではないかとさえ思えてくる。
一応「おじゃまします」と一声かけて、部屋にあがった。
- 720 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:08
-
「――吉澤さん?」
恐る恐るキッチンまで進むと、右手奥にあるベッドの横に
ひとみが倒れているのが見えた。
「吉澤さんっ!!」
慌てて、駆け寄る。
真っ青になっていて、すでに意識がない。
肩を揺すり、必死に耳元で名前を呼ぶが全く反応がない。
かすかに上下する胸が、呼吸が止まっていないことを教えてくれた。
「どうしたらいいのよ・・・」
「梨華さん!いるなら出てきてよ!どうしたらいいか分からないよっ!」
「このままじゃ・・・、このままじゃ吉澤さんが死んじゃう!
お願い起きてよ。目を開けてよぉ!」
泣き叫んで、必死にひとみを抱き起こした。
その時、背後で大きな音がした。
ビクッとして振り向くと、受話器がはずれ、床に落ちている――
- 721 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:09
-
「そっか!救急車だ!!」
亜弥は、そっとひとみを寝かすと、落ちた受話器に飛びついた。
すぐに119番をプッシュする。
しどろもどろになりながらも状況を説明し、電話を切った。
人ってパニックになると、本当にどうしていいか分からなくなるもんだと
改めて実感する。
ひとみの元に行き、再び呼吸を確かめる。
少し弱弱しいけれど、心臓はちゃんと動いている。
とにかく名前を呼び続けよう。
意識が戻るように。
そうだ!
梨華さんのように呼んだ方が、気が付くかもしれない。
「ひーちゃん、起きて」
「しっかりして」
何度も呼んでいるうちに、遠くで救急車のサイレンが聞こえてきた。
- 722 名前:第7章 5 投稿日:2008/02/26(火) 16:09
-
もう少しだよ、吉澤さん!
もう一度、ひとみに呼びかけようとした時、
頭上からかすかな声が聞こえた。
(――ひーちゃんを、お願いします)
「・・・梨華、さん?」
天井を見上げた。
「いるのね?いるんでしょ?」
「いるなら出てきて。吉澤さんに声を、声をかけてあげて下さい!」
何度呼びかけても、それっきりその声は聞こえなかった――
- 723 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/02/26(火) 16:11
-
本日は以上です。
- 724 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/26(火) 20:42
- うぅ〜(T〜T)
りかちゃん、よっすぃ〜、つらすぎるよ・・・
- 725 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/27(水) 04:23
- あぁ・・・悲しいですね。
吉澤さん大丈夫なんでしょうか?
音楽ガッタス出てきましたね。
おっ!って思いましたw
- 726 名前:t-born 投稿日:2008/02/28(木) 02:10
- すごく感動して泣いてしまいました。
死んで生まれ変わること、なんだかすごくジーンときました。
日本時間の21日に初めての子供が産まれ、命の神秘を感じました。
それにしても、二人の愛は美しいですねぇ。
すごく良かったです!
- 727 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 19:42
- 横レス失礼します。
>>726さん
まだ終わってませんよ?w
感想も「日本時間の21日に初めての子供が産まれ…」とか、なにか意味が分からないので恐らくレスをつけるスレを間違えてませんか?
>作者様
よっすぃがどうなるのか心配ですが梨華ちゃんの愛がよっすぃの魂を救ってくれると信じてます!
- 728 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/01(土) 20:15
- >>727
子供云々は>>726さんの個人的なことなんじゃないの?
- 729 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/02(日) 23:17
- 何度もルール違反をしてしまった、梨華ちゃんの償いが軽いものでありますように。
- 730 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/03/04(火) 19:09
-
>>724:名無飼育さん様
痛い話しで、ほんとにすみません。
>>725:名無飼育さん様
あのフレーズ、思わず使ってしまいました。
はじめて聞いた言葉なのに、なぜか耳に残るもので・・・
>>726:t-born様
おめでとうございますっ!
すくすくと元気に育つことをお祈りいたします。
この物語の『生まれ変わる』という事から、お子様の誕生を
より感慨深く感じられたのなら、ありがたいことです。
>>727:名無飼育さん様
お気遣い、ありがとうございます!
二人の愛の深さは、はかりしれないので、きっと救いがあるのではないかと・・・
>>728:名無飼育さん様
ありがとうございます。
>>729:名無飼育さん様
その辺の心配は、大丈夫そうです。
多分・・・
では、本日の更新です。
- 731 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/03/04(火) 19:09
-
- 732 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:10
-
「吉澤さん、また彫ってたでしょ?」
「あれ?バレちゃった?」
「だって、布団に木屑が落ちてますよ」
「おっかしいなあ。ちゃんと証拠隠滅したのに」
「ダメですよ。あんまり無理しちゃ」
「大丈夫。もう出来上がったから」
「えっ!!」
「そんなに驚かないでよ」
「だって、まだまだだって、一昨日まで言ってたじゃないですか?!」
「そうだっけ?」
「もう!やっぱ無理したんじゃないんですか?」
「してないよ。調子いい時しかやってないから」
「ほんとにー?」
「ほんとに、ほんと」
- 733 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:11
-
吉澤さんは満面の笑みで答える。
つられて、私も微笑んでしまう。
以前はこっちまで、心が痛むような表情をすることが
しばしばあったけど、今は違う。
吉澤さんは病を得てから、本当に変わった。
他人までつられて微笑んでしまうような、
そんな温かな、優しい笑顔をすることが多くなった。
痛々しい、影のある表情はもうどこにも見当たらない。
「ほんとに無理しないで下さいよ」
花瓶の花を入れ替えながら、ちょっと強めに言う。
「だからしてないって」
笑みを絶やさずに言う吉澤さん。
きっと・・・
彼女の病状を知らない人が見たら、もうすぐ退院かな?って思うだろう。
それくらい突き抜けた顔してるんだ。
だから、余計に泣きたくなる。
でも、涙を流すなんてしてはいけないから、
こうして唇を噛み締めて、感情を押さえつける――
- 734 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:12
-
「亜弥ちゃん?」
「はい?」
視線を花に向けたまま答える。
「キレイだね」
びっくりして、吉澤さんを見た。
相変わらず、微笑んだまま。
けれど、目がいたずらっぽく光ってる。
「花がね」
「もう!すぐそうやって、からかうんだから!」
「ハハハ。ごめん、ごめん」
吉澤さんはすごく敏感で。
ふとした瞬間に、こうしてちょっと唇を噛み締めただけで、笑わせようとする。
まるで悲しみを吸い取ろうとするかのように、心を軽くしてくれる。
これじゃあ、看病してる意味がないじゃない・・・
- 735 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:14
-
「でも・・・、本当にキレイだよ。亜弥ちゃんは」
「へっ?」
「『へ』じゃないだろ」
「だって、急に言うから」
「急でもないよ。いつも思ってたし」
「うそだあ。またそうやってからかう!」
「ほんとだよ。キレイだよ、亜弥ちゃんは」
「洋服がとか、爪が、とか言うんじゃないでしょうね」
「全部」
ボッ≠ニいう音が聞こえたかと思うくらい、一気に顔が赤くなった。
「ほんとだよ。顔も性格も。体は見てないから分かんないけど・・・」
「吉澤さんっ!」
耳まで赤くなる。
「素敵な女性だよ。亜弥ちゃんは」
まっすぐ見つめられて言われる。
これ以上言われたら、ユデダコになっちゃう・・・
- 736 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:15
-
「あ、あの・・・。そうだ。さっきの出来上がったっていう作品、見せて下さいよ」
「逃げたな?」
「いいんです!見せて下さい!」
「何でキレんだよ?」
ニコニコしてる吉澤さん。
「もう・・・そんなにいじめないで下さいよ・・・」
「面白いね、亜弥ちゃんて」
「もういいですから、作品!」
「ダメ。見せてあげない」
「どうして?」
「皆と一緒に見てよ。ううん、一緒の時に見て欲しいんだ」
「それじゃあ、明日、保田さんが出張から帰ってくるから、
全員集合かけましょうか?」
「あした、ね・・・」
「明日はダメですか?」
「ん?いや、ダメじゃないよ。明日皆で見てよ」
「分かりました!じゃ、早速連絡してきます!」
- 737 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:16
-
赤い顔を隠すようにして、廊下に出た。
ひんやりした病室の廊下は、火照った頬を冷ますのにちょうどいい。
日中で、外は晴れているというのに、
病院の廊下というのは、なぜだかいつも寒々しい。
春夏秋冬、四季を問わずにひんやりと冷たい空気が流れている。
会社へ電話をすると、中澤社長が出た。
うちのような小さな会社では、たった一人でも欠けると痛手が大きい。
だから、吉澤さんが倒れてからこの1年、社内は大混乱だった。
皆、毎日飛び回っている。残業だって当たり前。
なのに、社長は決して人員を補充しようとしない。
それに加え、亜弥は残業もせず毎日病院に通っている。
社長は『従業員の監視を命じる』と言って、
仕事と称して、亜弥を病院へと送り出してくれる。
- 738 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:17
-
更に亜弥は、週に一度はこうして午後の業務を休んで、病院へ来ているのだ。
そんなことをしたら、もっと痛手を被るのは社長なのにだ。
そして社長同様、大きな余波を受けて大変な思いをしている
保田さんだって、新入り君だって、一言も文句を言わない。
そう、誰もが待っている――
口に出しては言わないけれど、吉澤ひとみの帰る場所はここなんだぞって、
誰もが思ってるんだ。
そして、奇跡が起きるのをひたすら願っているんだ・・・
- 739 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:18
-
病室に戻ると、吉澤さんは窓の外を眺めていた。
「明日、皆来るって。社長が楽しみにしてるって言ってました」
「そっか」
吉澤さんは目を細めて、外を眺めたまま返事をする。
「ねぇ、亜弥ちゃん。圭ちゃんは禁酒してどの位になった?」
「えっと・・・今年の新年に社長に約束して始めたから・・・、
八十日位にはなりますかね?」
「結構頑張ったね」
「吉澤さんと飲むまで、一滴だって飲まないって、誓ってましたもん」
「あんなに酒好きなのに・・・根性あるなぁ」
「ですね。私たちもまさかここまで続くって、思ってなかったんですよ」
新年会で保田さん、一滴も飲まなかったんだ。
いつもは浴びるほど飲んで、吉澤さんに絡むのに。
今年は正座なんかしちゃって、何言い出すかと思ったら
『今度、よっすぃ〜が戻ってくるまで、あたし飲まないから』
『一種の願掛けなんだ。一番好きなものを断てば、
一番の願いが叶うような気がする』って。
それから、会社の皆は、密かに一番好きなものをそれぞれかけてるんだよ。
中澤社長は、タバコ。新入り君は、甘いもの。
そして私は――
- 740 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:19
-
「圭ちゃん・・・会いたいなあ」
「明日会えるじゃないですか」
「そうだね・・・」
なぜだろう?
外を見つめたままの横顔が、始めて寂しそうに見えた。
「亜弥ちゃん、外ってあったかい?」
「え?ああ、暖かいですよ。もうほんとに春なんだなって感じるくらい」
「そう」
吉澤さんがのぞいている窓の外を一緒に眺めた。
陽の光が眩しいほどに、キラキラ輝いている。
- 741 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:20
-
「昨日は肌寒かったけど、今日は風もないし、ほんとに気持ちがいいです。
窓開けますか?」
「いや。亜弥ちゃん、外行こうか?」
「え?」
「今日は気分もいいし、少し外に出たいなって」
「じゃあ、車椅子とってきますね」
「いいよ。歩いていく」
「でも・・・」
「大丈夫。少しだけ、肩貸してくれるかな?」
「え?肩、ですか?」
「ダメかな?」
「そんなことはないんですけど・・・」
「自分の足で歩きたいんだ。手伝ってくれる?」
「はい・・・」
- 742 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:20
-
吉澤さんがベッドから出るのを手伝った。
あの快活な姿からは想像できないほどのスローなテンポ。
吉澤さんの左肩の下に入り込んで、腰に腕を回し、しっかりと支える。
本当に――
ああ、本当に痩せてしまって・・・
涙が出そうになる。
「何かプロレス技を亜弥ちゃんにかけられてるみてー」
そう言って笑う吉澤さん。
またそうやって涙を吸い取ろうとする。
どうしてなの?
あなたの方が苦しいはずなのに。
この一年、苦しかったでしょ?
- 743 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:21
-
もう二回も入退院を繰り返した。
放射線治療にだって耐えたし、薬の副作用だってひどかった時もたくさんあった。
退院して仕事に戻ったって、体力勝負の仕事をキツイなんて一言も言わずに
黙々とこなして・・・。
今回の入院なんか、もう三ヶ月になる。
日に日に体力だって落ちてるし、
夜中だって痛みでうなされてることもあるんでしょ?
なのに、どうして?
看護師さんにだって、お医者さんにだって弱音を吐かない。
もっとわがまま言っていいって言われてるのに、
ニコニコ笑って、平気ですって言うの。
どうしてなの?
- 744 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:22
-
「吉澤さん・・・」
「どした?」
「どうして、言ってくれないんですか?」
「ん?何を?」
「ほんとは・・・ほんとは痛いんですよね。苦しいんですよね?
どうして言ってくれないんですか?
辛いときは辛いってちゃんと言ってください。我慢しないで下さい」
「我慢なんてしてないよ」
唇を噛み締めた。
私じゃダメなんだ・・・
やっぱり私じゃ、代わりにはなれない。
- 745 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:23
-
「優しいね、亜弥ちゃんは」
「優しくなんて・・・ないです。あなたの・・・力になりたいんです。
少しだけでもいいから・・・」
「我慢してないって言ったら嘘になるかなあ?」
吉澤さんは優しく微笑むと続けた。
「確かに痛いし、苦しい時もある。でもね、それ以上に今は幸せなんだよ」
一歩一歩ゆっくりと踏み出す足。
小さな歩幅に合わせて慎重に歩く。
「この間、隣の病室のおじさんが、アタシのところに来てね――」
『あんたいつもうれしそうだな』
『そうですね』
『もうすぐ退院か?』
『いえ』
『まだかかるのか?』
『多分、もう生きては出られないかもしれませんね』
- 746 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:33
-
「ちょっと待って!」
「どした?」
「生きて出られないって・・・」
「ああ、きっとそうかなって」
まるで明日の天気を答えるみたいに。
ああ、明日はきっと晴れるよって。
そんな風に、何てことないって感じで言う吉澤さん・・・
どうして?
「何言ってるんですか?皆待ってるんですよ?」
語尾が震えてしまった。
吉澤さんには、本当のことは言ってないのに。
- 747 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:34
-
お医者さんは、ここまで持ったのが不思議な位だって。
最初に倒れた時に、もうダメだって言われたのに、生き返って。
三ヶ月持つか分からないって言われたのに、
それから二回も退院して、職場に復帰した。
今回だって、まだ大丈夫って言ってたのを強制的に入院させて。
一人になんてしておけないじゃない。
楽にしてあげたかったのに、敢えて過酷な治療を選ぶ。
一番治る見込みのある治療をして下さいって言って、お医者さんを困らせて。
周りがどんなになだめても、頑として聞かなかった。
でも、もう無理だって、そんな治療無駄なんだって、言えなかった。
あなたはもうダメなんだって、どうしても言えなかった。
でも・・・やっぱり感づいてたんだね、吉澤さん――
- 748 名前:第8章 1 投稿日:2008/03/04(火) 19:35
-
「ねぇ、亜弥ちゃん、アタシそんなに重い?」
「えっ?」
「眉間にシワよってる」
そう言って、吉澤さんは人差し指で眉間をつついた。
そのまま目じりを拭われる。
「悪いねえ、重くて」
「そうですよ。早く一人で歩けるようになって下さい!」
吉澤さんは優しく微笑んだ。
「ごめんね」
もう!また涙止まらなくなるじゃない。
流れる涙を俯いてごまかした。
吉澤さんはそれっきり、何も言わないでいてくれた。
- 749 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/03/04(火) 19:36
-
本日は以上です。
あと2回で完結する予定です。
- 750 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 00:55
- 吉澤さん…。
一体どうなってしまうのか、目が離せませんね。
- 751 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/05(水) 23:02
- ひーちゃんは梨華ちゃんとの約束をちゃんと守ってるようですね。
あと2回ですか・・寂しいです。
- 752 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/03/20(木) 18:37
-
>>750:名無飼育さん様
最後まで、お付き合い頂ければ幸いです。
>>751:名無飼育さん様
はい。ひーちゃん、懸命に生きてます。
ラストまで、あと少し。楽しんで頂ければと思います。
それでは、本日の更新です。
- 753 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/03/20(木) 18:37
-
- 754 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:40
-
外に出ると穏やかな日差しが迎えてくれた。
けれど、吉澤さんは眩しいのか、目の上に手をかざす。
「大丈夫ですか?」
「うん」
「やっぱり気持ちいいね」
そう言って深呼吸をする。
健康な人間から見たら、ちょっと息を吸い込んだくらいにしか見えないけれど。
「うん。空気がおいしい」
「ベンチに座りますか?」
「いや、あのサクラの木の下に行きたい」
あそこまでは結構距離がある。
体力的にはもうきついんじゃないだろうか?
息が少しあがっている。
「休んでからにしましょう?」
「いや、行こう。アタシなら大丈夫だから」
先に立って歩き出すから、慌てて左腕を持って体を支える。
- 755 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:41
-
「さっきの続きね」
「さっき?」
「うん。病室に来たおじさんの話」
「ああ」
「言われたんだ。あんたを見てたら、頑張ろうって気になったって」
一歩一歩、地面を踏みしめながら、話を続ける。
「おじさん、会社で配置転換されたんだって。
今まで会社のために働いてきて、倒れたら、どうでもいい部署に切り捨てられたって。
何のために二十年も働いてきたんだろうって。
俺の人生返せって、毎日恨み言言ってたらしい」
『そんな時、あんたを見たんだ』
『いつもニコニコしてて、最初はこいつ、何も考えてないお気楽野郎だって思った』
『でもよく観察してたら、目の奥に強い意思が光ってて』
『病院のアイドルなんだろ?小児病棟の子達とよく遊んでるじゃないか?』
『不思議なのはさあ、あんたと別れた後に皆笑顔で帰っていくんだ』
- 756 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:42
-
「何でだろう?って思ったんだって」
一気に話し続ける吉澤さん。お願いだから無理しないで・・・
「それからね、アタシのことずっと観察してたらしい。
それでね、発見したんだって」
「何をですか?」
「病気になるとね。誰でも気弱になる。そして、人のせいにしたくなってくる。
自分ばかりが何でって言いたくなる。けれど、アタシにはそれがないって。
毎日見てたら、こいつと話してみたいって思ったって」
「それで、そのおじさん、吉澤さんのところに来たんだ」
「うん。随分過大評価だよなあ」
「そんなことないです。吉澤さんは本当にすごい・・・」
「すごくなんてないよ。結局おじさんとはそれから二時間位しゃべって、
看護師さんに怒られちゃったけどね」
「そうですよ、ほんとに自分の体のこと考えないんだから」
「まあ、そう怒んないでよ。おじさん元気になってくれたしさ。
もう一度前向いて頑張ってみるって言ってくれたし」
そう言う彼女は、他人事なのに本当にうれしそうだった。
- 757 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:43
-
「おじさん、昨日退院してね。一から何か勉強するって言ってたなあ」
「良かったですね、そのおじさん。吉澤さんに出会えて」
「少しは役に立てたよね?」
「少しどころか、おじさんの人生変えてあげたんじゃないですか」
「それならうれしいなあ・・・」
そう言って、吉澤さんは空を見上げた。
「昔社長に言われたんだ。人の役にたってから死ねってさ。良かった・・・」
そう言う彼女の横顔は本当に綺麗で、何も言えなくなってしまった。
「亜弥ちゃん」
「はい?」
「アタシね、川のようになりたいんだ」
「川、ですか?」
「そう。三本川の川」
そう言って右手を三本指にする。
「川ってすごいでしょ?山のような雄大さもないし、
海のような壮大さもないけれど、山と海をつなぐ優雅な流れがある。
川の長い長い旅によってつながりゆく陸地と海の妙。
そこには、気負いなんてもの存在しない。
それにさ、嵐の夜には濁流なのに、一夜明ければ、キレイな元の流れに戻ってるんだ。不思議だと思わない?」
「思います」
- 758 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:44
-
「アタシも昔は不思議だった。でも、そんな川が好きでよく眺めてたんだ」
遠い目をしてる。きっと今、あなたの大きな瞳の奥には、
大好きな、どこか遠くの川の流れが見えてるんだろうな。
「病気になってね。ひとりの時間が増えて、色々考えた。
今までのこと、これからの事、全部ひっくるめて」
やさしい陽の光がふり注いで、私たちを包んでくれる。
「その内に分かったんだよ。川は常に前進してるからだって。
どんなに澱んでも、決して逆戻りしたりしない。
常に大海原に向かって、前進し続けていくんだ。だから、キレイになるんだ。
どんなに汚れたって、躓いたって、進み続ける限り、
再びキレイな流れになって、必ず大海原にたどり着けるんだ・・・」
もうすぐあの桜にたどりつく。
きっと、吉澤さんも大海原にたどり着けるよ。
ううん、絶対にたどり着く――
- 759 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:45
-
「ありがとう」
支えている手をやんわりとはずして、桜の幹に近づく吉澤さん。
まだ花をつけていない桜の幹に手を伸ばして、そっと触れる。
どの姿も一枚の絵画のように美しい。
「あったかいな」
桜の幹を愛おしそうになでる。
「咲くのはもうすぐだね」
「来週には開花するみたいです」
「そっか・・・亜弥ちゃん、見てごらん」
そう言って、吉澤さんは幹に背中を預けて寄りかかるとこちらを見て、
そのまま上を見上げた。
つられて自分も見上げる。
小さな枝が青い空を突き上げるようにして、天に向かっていっぱいに伸びていた。
それぞれが、思い思いに手を伸ばして光を浴びている。
先端が紅色に色づいていて、生誕の瞬間を今か今かと待ち望んでいるように見える。
「きれい・・・」
思わずこぼれた。
「でしょ?」
そう言って、吉澤さんは自慢げに微笑んだ。
- 760 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:46
-
「と言っても、アタシも初めてなんだよ。
花開く前の桜をこうして見るの。
きっとキレイなんだろうなって、窓から見て思ってた」
「何だろ・・・不思議な美しさっていうか・・・言葉でうまく表現出来ないです」
「うん。やっぱりさ。誕生するってすごい事なんだなって改めて思うよ。
秘められた美しさみたいなものがある」
吉澤さんは幹に背を預けたまま、目を閉じた。
「今度の病室はさ、窓から覗くと、この桜の木がよく見えてね。
毎日毎日ずっとこの桜の木を見てたんだ。
アタシが今回入院した頃、この桜の木、真っ黒でさ。
こいつの季節がとっくに終わったからだなって、ボーッと考えてた。
ある時、庭を散歩しててさ、ふと思い立って、ここに来たんだ。
そして、今みたいにこうして幹の下に来て、そっと手を触れたんだ」
遠くで聞こえる喧騒も全く気にならない。
彼女の声だけがクリアに耳に届いてくる。
- 761 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:47
-
「そしたらね。あたたかいんだよ、この幹が。
その瞬間分かったんだ。ああ、黒いのは次の誕生を迎えるためかって。
春にキレイな花を咲かせるために、今真っ黒になって、
必死に身を守って準備をしてるのかって」
ここだけが別世界のように、静かな時間が過ぎていく――
「それからよくここに来てたんだ。こいつに触れると、頑張れるんだ。
こいつ今日も戦ってるって、寒さに耐えて、必死に戦ってるって感じられるから。
そしたらね、不思議とアタシも頑張れた。
苦しくたって、必ず春になれば花が咲くんだって。
そのために今自分が出来ることを精一杯頑張ろうって・・・」
木漏れ日が彼女の頬に描くモザイク模様。
「こいつにはたくさん勇気をもらったんだ・・・」
ありがとう。
よく聞いていないと聞こえないくらいの声で彼女は言うと、
一筋だけ涙を流した。
胸に熱いものがこみ上げてきて、亜弥も涙が出そうになって、慌てて上を向いた。
- 762 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:47
-
「最近来れなかったから、ここに来れてよかった。
段々黒い幹がこげ茶色に変化して来たから、そろそろ咲くかなって思ってたんだ。
こいつが咲き誇る姿を見届けたかったなぁ・・・」
「何言ってるんですか!一緒に見ましょうよ!
満開になったら、ここに一緒に来ましょうよ!」
「そうだね」
吉澤さんはとても穏やかな顔をしていた。
気弱で言った訳ではないと、誰が見てもわかるほど、
本当にただただ、穏やかとしか言いようのない笑みを浮かべていた。
その日が近づいているのを実感する瞬間。
私なんかより本人の方が辛いはずなのに――
いたたまれなくなって亜弥は目を逸らした。
ふと二十メートルほど離れた所に、じっとこちらを見ている人がいるのに気付いた。
こんな花もまだついてない桜を気にする人なんていないし・・・誰だろ?
亜弥の様子に気付いたひとみが、背後を振り返った。
「――父さん・・・?」
え?
お父さんて、もしかして――
- 763 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:48
-
少し前に吉澤さんの妹の小春ちゃんから、彼女の生い立ちを聞いた。
吉澤さんが倒れてすぐ、社長が御実家に連絡したけど、
一度目の入院では誰もお見舞いに来なかった。
なんとなくだけど、実家とうまくいってないのかな?とは社長とも話してた。
だけど、どうしても本人に直接聞けなくて、
吉澤さんの検査中にお見舞いに来た、小春ちゃんに思い切って尋ねてみたのだ。
小春ちゃんは当初、お姉さんが入院したことを教えてもらえなかったと言っていた。
三度目の入院の連絡を社長から受けたのは、小春ちゃんだったそうで、
そこで初めて、吉澤さんの容態を知ったということだった。
小春ちゃんにとって、吉澤さんは血が繋がっていないけど、
とても優しくて自慢のお姉さんだったらしい。
けれど、高校卒業と共に吉澤さんが家を出て、音信不通になってしまって、
まだ小学生だった小春ちゃんは、自分も嫌われてしまったんだと
ずっと思っていたと言っていた。
だからその後、検査を終えて吉澤さんが戻ってきた時、
一目見て『小春?』と吉澤さんが優しい声で呼んだ時には、
小春ちゃんは心底喜んでいた。
- 764 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:49
-
『大きくなったなあ』
『お姉ちゃんが急にいなくなるから、いけないんじゃない』
『ごめんごめん』
『嫌われたと思ったんだから』
『元気だった?』
『お見舞い、ずっと来れなくてごめんね』
『ありがとう、うれしいよ』
頭を撫でながら、優しい瞳を向ける吉澤さんはとてもうれしそうだった。
そして、小春ちゃんも泣きながら、吉澤さんに甘えていた。
夕食の時間になって、小春ちゃんが帰ろうとすると、吉澤さんが言った。
「またおいでよ」
「いいの?」
「あたりまえだろ」
本当にうれしそうに「うん」と頷く小春ちゃんを見て、
吉澤さんは目を細めて笑っていた。
けれど、小春ちゃんの次の言葉に、彼女の笑顔が強張った。
- 765 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:50
-
『今度、お父さんも連れてくるね』
そして、小春ちゃんを見送りに行った時に聞いた
吉澤さんとお父さんとの関係――
結局それ以降も、小春ちゃんだけが何度か来ただけで、
他の家族は誰もお見舞いに来ることはなかった。
- 766 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:50
-
- 767 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:51
-
「すまない!!」
突然、体を二つに折り曲げて彼が謝った。
「本当に申し訳ない。お前にはどうしてもあの日のことをきちんと謝りたかった。
でも出来なかったんだ」
肩を震わせながら、頭をたれて言葉を吐き出す。
「お前が出て行って、次の夏にいきなり帰ってきた時も、
仕事を放り投げてすぐに家に帰ったんだ。
どうしても、どうしてもお前の前で、手をついてきちんと謝りたかった。
けれど、帰って行ったお前の様子を聞いて、もうダメだと思ったんだ」
後ろ姿しか見えないから、吉澤さんがどんな表情で、
彼の話を聞いているのかが分からない。
さっきのような穏やかな顔は、もうしていないのだろうか?
- 768 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:52
-
「お前から目を背け続けて、生きて行けばいいじゃないかと
何度も自分に言い聞かせた。
このまま逃げて生きていってもいいじゃないかって、思おうとした。
けれど――あの子に、小春に言われたんだ。
今、お姉ちゃんに会いに行かなきゃ一生後悔するって。
それでも怖気づいてた。
この門を幾度かくぐって。でもどうしても会いに行けなくて。
今日もここまで来て、やはり中に入れなくて・・・」
彼は拳を握り締めて、絞り出すように、苦しみを吐き出していく。
「帰ろうとして、ふと見たら、お前がいた。
今行かなきゃ、今謝らなきゃダメだって思ったんだ・・・」
今更現れて謝って済むことなの?
「許して欲しいなんて言わない。謝っても許されないことをしたと思ってる。
けれど、けれど――」
(やめて!)
亜弥は心の中で叫んだ。
お願いだから、これ以上、吉澤さんを痛めつけないで欲しい。
- 769 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:53
-
「母さんの、お前の母さんの遺影だって処分してなんかいない。
ちゃんととってある。ほんとなんだ!信じて欲しい」
初めて、ひとみの肩が震えた。
亜弥は我慢できなくなって、一歩前に出ようとした。
けれどその瞬間、とても穏やかで、そして凛とした声が辺りに響いた。
「頭を上げて下さい、父さん」
父親が静かに頭を上げる。
「父さん、老けましたね。信じられないくらい小さな体だ・・・」
語尾が少し震えていた。
ひとみは一度大きく息を吸い込むと、
まっすぐに彼を見つめてゆっくりと話し始めた。
「父さん、アタシは」
再び凛とした声。
もうじき死期を迎える人のものとは思えないほど、しっかりとした声。
- 770 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:53
-
「感謝してるんです、父さんに。嫌味ではなく本心です。
確かに嫌味で言ったことはあります。
でも、今では本当に感謝してるんです」
「でも俺は、幼いお前を傷つけた――」
「確かにあの時、アタシは傷ついた。
どうしようもなく悲しくて、苦しくて、あなたを恨んだ」
ひとみが拳を握り締めた。
「ずっと暗闇の中にいるようでした。孤独で、寂しくて、
心の中ではいつも震えていました」
父がうなだれていく。
「けれど・・・」
ひとみが桜の幹に手を触れた。
「――母さんが亡くなった時、あなたはアタシを捨てる事だってできたはずだ」
愛おしそうに幹を撫でる。
「でも、あなたは育ててくれた。そして、母さんの遺志を尊重して、
お金を残しておいてくれた」
「だけど俺は・・・」
ひとみが小さく首を振った。
- 771 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:54
-
「あなたのおかげで、アタシは最高の人生が過ごせた。
もし今までのアタシの人生の、たった一つでも変わっていたなら、今のアタシはない」
父親はがっくりと膝を突き、両手で顔を覆った。
「お前に・・・ひとみに何もしてやれなかった――」
奥歯を噛み締めて、父親が声を絞り出す。
「父さん、来てくれてありがとう」
覆った両手から彼の嗚咽がもれる。
「それから、父さん。どうか長生きして下さい。アタシや母さんの分まで」
彼はそのまま地面にひれ伏して、声をあげて泣き始めた。
亜弥の目からも、我慢できずに涙が流れた。
そして亜弥の方に振り返ったひとみは、
とても清々しい爽やかな顔をしていた。
「亜弥ちゃん、行こう」
ゆっくりとこちらに向かってくる。
慌てて、ひとみの体を支えた。
歩きながら振り返ると、父親はまだひれ伏したまま、泣き続けていた。
- 772 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:55
-
「これでアイツも安心するかな?」
「梨華さんのことですか?」
「あれ?よく分かるね」
「吉澤さんが『アイツ』っていうの、梨華さんしかいませんから」
「そっか」
病院の建物に向かって、再びひとみの体を支えて一緒に歩く。
「梨華さん、吉澤さんとお父さんのこと、心配してたんですか?」
「うん。それにしても不思議だよ。ほんとに許せるなんて思ってなかった。
アタシね、ずっと父さんを恨んでた。殺したいって思ったことだって、何度もある」
亜弥は隣を歩く、ひとみの顔を見上げた。
言葉とは裏腹に、眩しいほど輝く横顔だった。
「だからね、自信なかったんだ。何年も恨み続けてきた人だからね。
やっぱり実際に顔を見たら、黒い感情が噴き出してくるんじゃないかって・・・」
今までどれだけ苦しんできたんだろう。
今日に至るまで、どれだけの葛藤があっただろう。
「でも、良かった・・・。本当に許せたよ。そして、感謝できた。
そんな自分がうれしい・・・」
そう言って、ひとみは一筋の涙を流した。
多分それは、亜弥が見た中で一番キレイな涙だったと思う。
- 773 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:56
-
「あの桜に感謝しなきゃね。またアタシに勇気をくれた」
「そうですよ。だから、一緒にあの桜が咲き誇る姿を見に行きましょう!」
震える声を振り絞って、亜弥は強く言った。
涙が止まらない。
どうか叶いますように。
どうか一緒に満開の桜を見ることが出来ますように――
そびえたつ目の前の建物に、雲の切れ間から光がふりそそぐ。
全てのものを包み込み、春は必ず来ると、教えてくれるような力強い太陽の光。
隣のひとみも眩しげに、それを見つめている。
「亜弥ちゃん」
「はい?」
「今までありがとう」
そう言うと、ひとみは亜弥を抱きしめた。
- 774 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:57
-
「ちょっ、やめてください」
――ダメ。吉澤さん、ダメなの。
「ちゃんとお礼を言っときたかったんだ」
力を入れて、ひとみから離れようとする。
けれど、病人なのに、力が強くて。離れられない・・・
「願掛け」
「えっ!」
「破らせちゃったね」
「知ってたの?」
驚いて顔をあげた。
いたずらっぽく、ひとみが微笑む。
「何となく、ね」
「どうして・・・」
「だって、亜弥ちゃん、急に絡まなくなったし、必要な時以外、
アタシに触れなくなったし、さっきも肩貸してって言ったら困った顔してたから。
やっぱり亜弥ちゃんの願掛けは、これだったかってね」
- 775 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:58
-
そう。私の願掛けは、吉澤さんに触れないこと。
どうしたら、何をかけたらいいんだろうって、ずっと悩んで。
でも、私の一番大好きなものって言ったら、あなたしかないから・・・
でも、会わないなんて出来ない。
社長から監視命令だって出てるし。
その中で出来ること――
『彼女に触れない』
自分の欲望で、好きな感情で、あなたに絶対に触れない。
どうしても看病する上で必要な事は仕方ない。
でも、極力避けたのに。
今日まで、頑張ったのに。
うまくごまかしてこの一月半頑張ってきたのに・・・
- 776 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:58
-
「本当に今までありがとね。
亜弥ちゃんがそばにいてくれたから、ここまで頑張れた」
「やめ、て、下さい。
そんな言い方、いなくなるような、言い方しないで・・・」
亜弥はひとみにしがみついた。
居なくならないように。
どこかに消えてしまわないように。
「あとね、亜弥ちゃんの気持ちに応えてあげられなくてごめん」
亜弥はひとみにしがみついたまま首を振った。
「分かっていながら、曖昧にしてた。ほんとごめん」
「分かってます。吉澤さんには梨華さんだけって、
充分すぎるほど知ってますから」
ひとみが亜弥の頭を撫でてくれた。
- 777 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 18:59
-
「ごめんね」
「謝られても困ります」
「ハハ、ごめん」
「また〜」
顔を見合わせて笑った。
亜弥の方は、泣き笑いにしかならなかったが。
「亜弥ちゃんには、きっと素敵な人が、
亜弥ちゃんを一番大事にしてくれる人が、必ず現れるよ」
ひとみが優しい眼差しで、亜弥の頬に手をあてて、涙を拭ってくれる。
「まあ、アタシ以上の人を見つけるのは難しいだろうけど」
そう言っておどけてみせる。
「簡単ですよ。この病院、いっぱい素敵なお医者さんいるんですよ。
ほら、あそこにもカッコイイ人いますもん」
亜弥が前を指差した。
その指の先を、ひとみが追って振り返る。
- 778 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 19:00
-
「バカが見る〜」
「何だよ!古典的なことすんなよ」
ひとみが亜弥の頬を軽くつねった。
そうだよ。吉澤さんはバカだよ。
そんな人、すぐに見つかる訳ないじゃない。
「大丈夫ですよ。ちゃーんといい人見つけますから。
そんでもって、吉澤さんに自慢してやるんだから。
だから、だからちゃんと・・・、生きて待っててください」
涙声になった。
「分かった。諦めないから。最後の瞬間まであらがうつもりだから」
「吉澤さん・・・」
きっとあなたは・・・
もうすぐいなくなることが分かってて、
私が我慢してるのを知ってて、こうして無理矢理破ってみせたんだ――
- 779 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 19:01
-
「吉澤さん」
「何?」
「願掛けを破らせた罰として、一つお願いしてもいいですか?」
「いいよ。全力疾走とかさせないでよ、寿命が縮むから」
「そんなこと言いませんよ」
「じゃあ、何?」
「それ、下さい・・・」
「ん?」
「いつも首から下げてるネックレス・・・」
「ああ、これ?」
そう言って、ひとみは首からそれを取り出した。
「いいよ」
「うそっ!」
「何だよ。自分がくれって言ったんだろ」
「だって・・・」
「こんなんでいいの?チェーンに指輪がぶら下がってるだけだよ?」
「でも、大事なものなんでしょ?
いつも、どんな時だってそれをかけてるじゃないですか?」
「そうだけど、いいよ」
ひとみは亜弥から離れると、首からさげているそれをはずした。
- 780 名前:第8章 2 投稿日:2008/03/20(木) 19:02
-
「昔、渡しそびれたプレゼントなんだ」
すっかり細くなってしまったひとみの手の平の上に、それが置かれる。
「4年前に買ったものだから、ちょっと汚いよ」
そのまま指で持ち上げて目の前にかざす。
「それって、梨華さんへの・・・」
「そう」
屈託なく笑う彼女。
そんなのダメだよ。大事なものじゃない。
私なんかがもらっちゃ、ダメだよ。
「はい、どーぞ」
亜弥の手をとって、その手の平にひとみはそれをのせた。
「ダメですよ。そんな大事なもの、もらえない」
「いいんだ。亜弥ちゃんがよければもらって欲しい」
「でも・・・」
「亜矢ちゃんのために買った訳じゃないのが申し訳ないけど。
今、他にあげられそうなものもないし・・・」
「だって梨華さんの・・・」
「いいんだ。アタシ達は繋がってるから」
ひとみが空を見上げた。
その顔はとても精悍で――
亜弥は手の平の宝物を握り締め、この瞬間を、
今のひとみの全てを、目に焼き付けておこうと思った。
- 781 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/03/20(木) 19:04
-
本日は以上です。
次回の更新で『ハルカゼにのって』は完結します。
- 782 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/22(土) 08:27
- 次回完結ですか。今までお疲れ様でした。そして、ラスト1回、頑張って下さい。
季節感が溢れてすごく綺麗な文章でした。
どのような結末になるのか、楽しみにまってます。
- 783 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/23(日) 20:10
- どんな結末になるか。
静かに見守りたいと思います。
- 784 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/03/26(水) 18:20
-
>>782:名無飼育さん様
ありがとうございます。
ラスト、楽しんで頂けたらと思います。
>>783:名無飼育さん様
あたたかく見守って頂き、ありがとうございます。
さて、いよいよラストとなりました。
それでは、どうぞ。
- 785 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/03/26(水) 18:21
-
- 786 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:22
-
アタシにも一つだけお願いがあるんだ。
産婦人科へ行きたい。
そう言ったら、亜弥は驚いた。
「違うんだ、赤ちゃんが見たいんだよ」
「誰だってびっくりしますよ。いきなり産婦人科だなんて・・・」
「いいでしょ?ちょっとだけ」
「ダメです。もう病室に帰らなきゃ」
「少しだけ、ね?」
両手を顔の前で合わせて、亜弥にお願いする。
今日じゃなきゃ、意味がないんだ。
今、行きたいんだよ。
「――分かりました。ほんとに少しだけですよ」
そう言いながら、亜弥は大きなため息をついた。
「ただでさえ、今日は無理しすぎなんですから。
ほんとに大丈夫ですか?」
「うん。行こう」
- 787 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:23
-
歩き出したひとみを、仕方ないといった顔をして、
亜弥が慌てて支えてくれる。
「ありがとう」
この一言に色々な意味を込めた。
体を支えてくれて、ありがとう。
お願いを聞いてくれて、ありがとう。
そばにいてくれて、ありがとう。
今まで本当に、ありがとう――
亜弥が俯いた。
アタシの気持ち、伝わったかな?
言葉に思いを込めること。梨華ちゃんが教えてくれたね。
あの時も『ありがとう』って言ったんだ。
それまで、こんなに素敵な言葉だとは思わなかったんだよ。
今は心から感謝してる。
色んな人に。
色んなものに――
- 788 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:23
-
- 789 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:24
-
「吉澤さん、大丈夫ですか?」
「うん、だ、い、じょうぶ」
亜弥の支えだけでは足りなくて、廊下の手摺につかまる。
こんなフラフラの病人が、産婦人科病棟にくるなんて・・・
そんな目で見ている人もいる。
ごめんなさい。変な菌は持ってませんから。
もう少し。もう少し、ここにいさせて下さい。
産婦人科病棟の廊下を、ゆっくりゆっくり歩く。
隣の亜弥はもう泣きそうだ。
けれど、何も言わないで支えてくれてる。
もう少しだからさ。
そんな顔しないでよ。
もう、言葉を出す力がない。
早くあそこに行きたい。
もうすぐ、もうすぐ着くから――
- 790 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:25
-
「・・・分娩室に行くんですか?」
小さく頷いた。
だから、そんな顔しないでって。
最後まで頑張ったアタシの姿、ちゃんと見ておいてよ。
亜弥がひとみを引き寄せて、今までよりも、もっと力強く支えてくれる。
顔は涙でグシャグシャじゃないか。
「か、わ、いい・・・カオ・・・だい、な、し」
「吉澤さんのせいです」
あーあ、鼻水までたれちゃって。
抱えられている方の腕を伸ばして、袖で鼻を拭いてやった。
重いだろ。ごめんな。そして
「――アリ、ガ、ト」
もう一度言っとくよ。
もう二度と言えそうにないからね。
- 791 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:25
-
――まずい。
目が霞んできた。
あと少しなんだ。
もう少しでいいから、もってくれ。
まだ、逝くわけにはいかないんだよ。
あの日、約束したんだ。
だから、見届けるんだ、絶対に・・・
「吉澤さんっ!!」
手摺を掴みそこなった。
亜弥が必死に支えてくれる。
大丈夫だよ。
その思いを込めてかすかに微笑んだ。
亜弥から強い眼差しが返ってくる。
その目の輝きなら、大丈夫だね。
亜弥ちゃんは幸せになれるよ。
- 792 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:26
-
温かな雰囲気の中に慌ただしさが漂う。
他の病棟にはない力強さ。
ここだけにある独特の世界。
一人の人間として、スタートする特別な場所――
(オギャーッ! オギャーッ!)
聞こえた・・・
聞こえたよ、確かに。
膝から崩れ落ちた。
「吉澤さんっ!!」
亜弥が悲鳴にも近い声をあげて、抱き起こす。
その声で、今まで落ち着きなく分娩室の前をウロウロしていた紳士が
こちらを向いた。
(なんだ。親父さんに良く似てるじゃないか)
心配そうにこちらを窺う。
分娩室の扉が開くと、紳士に声がかけられた。
- 793 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:27
-
「元気な女の子さんですよ」
紳士が分娩室に飛び込んでいく。
「誰かきてっ!」
亜弥が泣き叫ぶ。
(良かった。間に合った・・・)
(アタシ、今度は男に生まれた方がいいのかなあ?)
(また年下かあ・・・)
「早く!!誰かっ!お願い!吉澤さんを助けて!!」
亜弥の悲鳴に近い叫び声に、周囲が慌ただしく動き出した。
- 794 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:28
-
もう何も見えないや。
けれど聞こえる。
生まれたての君の声が・・・
桜の花が散る頃に、アタシのもとを去ったあなたは
今度は桜の花が咲く頃に生まれてきたんだね。
あの日、約束したから――
頑張って生きて待ってるって。
けれど、今度はアタシが逝かなくちゃいけないから。
だから――
必ず見つけるよ。アタシが必ず見つける。
君の声を、その世界一素敵な音を覚えていくから・・・
だから、少しの間、先に待っててよ。
誕生日おめでとう。梨華ちゃん――
- 795 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:28
-
- 796 名前:第8章 3 投稿日:2008/03/26(水) 18:29
-
ハルカゼのように あなたはアタシの前に現れて
ハルカゼのように あなたはアタシの心をさらっていった
今度こそ
あなたを離さないから
もう二度と
その手を離したりしないから
だからお願い
やさしいハルカゼよ
今度はその風に、アタシをのせて
もう一度出会わせて下さい。
きっと捕まえて見せるから
必ず、見つけ出して見せるから
その時がくるまで――
『Hitomi vows eternal love to Rika』
- 797 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:30
-
- 798 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:31
-
「何だこりゃ?」
「何が彫ってあるんですかねぇ?」
「分からんなぁ」
「あー、もう皆、芸術を分かってない!」
「そう言う亜弥ちゃんは、これが何か分かる訳?」
「え?いや、それは・・・」
「ほら、分かんないんじゃない」
「いいの!ハイ、吉澤さんのメモ通りにやってみる!」
- 799 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:33
-
会社の会議室の机に、吉澤さんからもらったそれを置いて眺めている私たち。
吉澤さんが皆で一緒に見て欲しいと言っていた作品。
結局、皆が集まるはずだった日は、彼女のお通夜になってしまい、
一週間が経った今、こうして皆で集まって、彼女の作品を見ている。
葬儀は決して大きくはなかったけれど、喪主はお父様が務められた。
取引先の人や、病院で知り合った人々・・・
たくさんの人たちが、どこかから吉澤さんの事を聞きつけて参列してくれた。
誰もが彼女を心から慕っていたのがわかる、とてもいいお葬式だった――
- 800 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:44
-
「全く何だってこんな、夏休みの宿題みたいな事しなきゃいけないのよ?」
憎まれ口を叩く保田さん。
「ハイ、つべこべ言わんとサッサとやる!」
テキパキと指示を出す中澤社長。
「これ塗っちゃいますよ」
着実にこなしていく新入り君こと、是ちゃん。
ねぇ、吉澤さん。
あなたの作品を皆で仕上げますから。
あなたがちゃんと満足するような出来栄えにしますからね。
- 801 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:47
-
「いい?かぶせるよ」
真っ白な和紙を両端で、社長と保田さんが握り、慎重に上からかぶせる。
是ちゃんは、次の工程待ち。
そして私は、吉澤さんのメモ書きとにらめっこ――
[この道具一式、入院中に密かに抜け出して買いに行ったんだ]
[全部自分で選んで、初心者でもできるものにしたから安心しろ]
[書いてある通りにやれば、あの圭ちゃんでもキレイに出来る]
なんて、余計なことまで書いてあって・・・
「わたし、もうこすっていいですかね」
バレンを握った是ちゃんが言った。
「うん。[最初は軽く全体を回してこすって、それから力を入れろ]だって」
「はい」
言われた通りに作業する、是ちゃんの手を皆で見つめる。
- 802 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:47
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「何か皆が見つめると、怖いんですけど・・・」
「失敗したらお前のせいだぞ」
「そうやで。減給な」
「そんなぁ・・・」
「あっ、ちゃんと手元見なよ!」
「もう!保田さんも社長も黙ってて下さい!」
「はーい」
私に一喝されてシュンとなる二人。
「よし!」
「これで、はがせばいいわけね?」
「ハイ。メモにもそう書いてあります。[後はじっくりご覧下さい]って」
「じゃあ、はがしましょう」
再び、社長と保田さんが両端を持つ。
「いくで?」
社長の問いかけに全員が頷いた。
ゴクリとつばを飲み込む。
ピンと張り詰めた空気が流れる。
目の前の和紙がゆっくりと版木からはがされていく・・・
吉澤さん、見てますか?
もうすぐ出来上がりますよ、あなたが心を込めた作品が――
- 803 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:48
-
皆が息を呑んだ。
しばしの沈黙の後、最初に静寂を破ったのは是ちゃんだった。
「・・・あのー、何でわたしが、保田さんを肩車してるんですか?」
社長と保田さんの手に握られている一枚の和紙。
なんてあたたかいんだろう?
心の奥にポッと明かりが灯るような、そんな作品。
その中には満開の笑顔の私たちがいた――
「何だよ。今頃、あたしの酒を飲もうって言うの」
そう言った保田さんの声が震えていた。
「ドレス着てタバコなんか吸わへんよ・・・」
そう言った社長の声も震えていた。
そこに描かれていたもの――
是ちゃんはケーキを片手に、保田さんを肩車している。
肩車された保田さんは、頭に鉢巻をして、一升瓶を持って、
上から吉澤さんの杯にお酒を注いでいる。
その保田さんの隣で社長は、ウェディングドレスを着てタバコを吸っている。
私はと言うと、その社長の前側に描かれていて、吉澤さんに肩を抱かれている。
吉澤さんは左手で私の肩を抱き、右手で杯を持って、保田さんのお酌を受けている。
そして――
あの桜の木が満開の花を咲かせ、全面に花びらが舞っていた――
- 804 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:49
-
「大体、何で知ってるんよ・・・」
社長がつぶやく。
そう。どれも私たちが願掛けして、自分に禁じていたもの。
誰も言ってないのに。
私と保田さんのは知ってても、社長と是ちゃんのは誰も言ってない。
皆がしてると知ったら、吉澤さんに負担をかけると思ったから、
誰も言わなかった。
私だって最後の日にバレたとばかり思ってたのに・・・
全部気付いてたの?
「全くアイツは大バカ野郎よっ!」
保田さんはそう言いながら鼻をすすった。
「こんなの見てられないわ!トイレ行ってくる」
保田さんが乱暴にドアを開け閉めして、部屋を出て行った。
皆分かってる。
保田さんが泣いてるって。
だって、この作品は本当に心の奥に響いてくる。
黒一色なのに、どうしてこんなにあたたかいんだろう?
一つ一つが繊細で、私たちが愛されていたと実感できる。
版画でこんなに感動するなんて。
ううん、何かの作品を見て、こんなに心を揺さぶられたことなんてない。
- 805 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:50
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「よっさんって、才能あったんやね」
社長がハンカチで目元を拭いながら言った。
「小さい頃、一人の時間に良くやってたって。
下書きもしないで彫ってただけだったから、
こんな風に仕上がるなんて気付かなかった」
「わたし、初めてです。版画見て涙が出たの」
「私も。皆そうやない?芸術に疎いんやし」
「ちょっと、社長と一緒にしないで下さいよ」
「何や、亜弥ちゃん。自分は違うって?」
「違いませんけど?」
三人で顔を見合わせて笑った。
「これ、額に入れて飾りましょうよ」
「さんせーい!」
「賛成!」
「じゃあ、是。トイレで号泣しとる、恐ろしい怪獣を連れてこい」
「えー、わたしが?何か返り討ちにあいそうです」
「保田さんの泣き顔なんてそうそう見れないよ〜」
「じゃ、行ってきます!」
是ちゃんは仰々しく敬礼すると、部屋を出て行った。
- 806 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:54
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- 807 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:54
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ハルカゼが気持ちいい――
額に飾られた版画をしばし眺めた後、亜弥は屋上に来た。
いつだったか、ひとみを無理矢理バーに連れ込んだ時、
その店を、昼間のハルカゼのようだって言ってたけど、
こうして風に吹かれていると、ちょっとだけわかった気がする――
眼下を見渡すと、花を開かせた桜が風になびいている。
「見たかったなあ、吉澤さんと・・・」
涙が溢れてきた。
さっきまで我慢してたのに。
溢れ出したら止まらない。
首からかけているネックレスを胸元から取り出す。
その先端についている指輪を自分の指にはめてみる。
サイズが合わないから途中で止まってしまうけれど、無性に恋しくて、
ひとみのぬくもりを感じることが出来そうで、
亜弥はそれに唇でそっとふれた。
嗚咽に変わっていく。
「吉澤さん・・・」
ふと肩を抱かれた。
- 808 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:55
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「ああ、泣け。泣け。好きなだけ泣いたらええやん」
「しゃちょお〜」
亜弥は抱きつくと、顔を埋めた。
「吉澤さんはバカです」
「そうだ、あいつはバカだ」
「こんなにかわいい後輩がいるのに」
「こんなにキレイな上司がおるのに」
「・・・それはどうでしょう?」
「亜弥ちゃん、人の胸借りといて随分やない?」
亜弥は顔をあげた。
優しい微笑みが迎えてくれた。
つられて亜弥も笑う。
「鼻水つけちゃいました」
「あー!このスーツ高かったんやで!」
ハンカチを出して社長が大げさに拭き出す。
「うそですよ」
「コラっ!」
「フフフ」
「良かった。笑えるやん」
二人で柵に手をかけて眼下を眺めた。
- 809 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:55
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「――桜、もう一度見たいって言ってたんです」
「見てるよ、きっと」
視界が歪む。
一緒に見たかったんだ。
あの、あなたの大事な桜の木が満開になった姿を
隣で一緒に見たかったんだ。
「明日、病院行こか?」
「え?」
「よっさんの桜、見に行こう」
「ハイ!」
心地よい風が二人の間を抜けていく。
「ねえ、社長?」
「何?」
「吉澤さんより素敵な人、見つかるかなあ?」
「見つかるやろ」
「あっさり言いますね」
「亜弥ちゃんには、亜弥ちゃんを一番大事にしてくれる人が、必ず見つかるやろ」
「吉澤さんもそう言ってたけど、ほんとにそうかなあ」
「そりゃ、見つかるよ。私にだって、そろそろ見つかるやろ」
「諦めてないんですか?」
「失礼な!見つかるに決まっとる。自分に相応しい大切な人が!」
「そうですよね」
「そうそう」
「よーし!」
亜弥は上半身を柵から乗り出して思いっきり叫んだ。
「絶対いい人見つけてやるからーっ!!」
- 810 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:56
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ドサッ!
「何?今の?」
背後を振り向いた。
屋上の入り口で、是ちゃんが保田さんの下敷きになって倒れている。
「保田さんが押すからですよ〜」
「まさか!アンタ達、立ち聞きしとったんか?!」
「してない!してない!」
保田さんが、ブンブン首を振る。
「保田さ〜ん。早くどいて下さいよ〜」
「保田さん!」
亜弥が凄む。
「ごめん、ごめん。いやちょっと亜弥ちゃんの様子が気になってさ、
ねぇ、是ちゃん」
「ええ、心配でつい・・・」
「つい?」
「ごめんなさい」
二人揃って頭を下げた。
- 811 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:57
-
「亜弥ちゃん、こういう人達はやめとき」
「はーい!」
「なんで?」
「ダメダメ。無条件でダメ」
「どうして?心配してなんだからさ」
「立ち聞きするようなヤツにロクなのはおらん」
「そんなこと言わないでよ」
「あーうるさい。うるさい。もう、今日は仕事終わりや!」
社長の一声に一同が固まった。
「終わりって?」
「これにて終了。これから飲みにいくでー!」
社長が右手を高く掲げた。
「ほんとに?」
保田さんが目を輝かせる。
「特別におごってやる。よっさんの分まで、皆で飲もう!!」
「ヤッター!!」
「ほら、行くよ!」
社長の後を、保田さんと是ちゃんが踊るようについていく。
- 812 名前:第9章 投稿日:2008/03/26(水) 18:58
-
吉澤さん。
満開の桜、見えていますか?
あなたの大事な桜、明日見に行ってきます。
きっとあなたが描いたように、とても立派に咲き誇ってますよ。
それとね、吉澤さん。
今、私思ったんです。
私も川になりたいって。
前を向いてしっかり自分の道を歩いていこうって思います。
何かに躓いてもきっと大丈夫。
こんなに素敵な仲間がいるし、何よりあなたが教えてくれた勇気がここにあるから。
だから・・・
あなたに出会えて本当に良かった。
――ありがとう、吉澤さん。
- 813 名前:ハルカゼにのって 投稿日:2008/03/26(水) 18:58
-
終わり
- 814 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/03/26(水) 18:59
-
ハルカゼにのって
無事、完結することが出来ました。
今まで、本当にありがとうございました。
レスをつけて下さった方々。
本当にありがとうございます。
あたたかいコメントの数々を頂き、終了することができました。
最後は、登場人物全員が前を向いて終われたらなぁと思ったので
こんな結末になりました。
初作品ゆえ、どこまでお目にかなったかわかりませんが・・・
ともかく、ここまでお付き合い下さった皆様に感謝します。
本当にありがとうございました。
- 815 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/03/26(水) 19:04
-
さて、今後ですが・・・
すっかり書くことが楽しくなってしまったのと
現実のいしよしが、あまりにも色んな爆弾を投下してくれるおかげで
新作を書き始めております。
そのうち、どこかで始められたらと思いますので、
その時はこちらでご報告させて頂きます。
まだ、お付き合い頂けるようでしたら、是非。
今日まで、本当にありがとうございました。
- 816 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/27(木) 00:33
- 完結おめでとうございます&お疲れ様でした。
初作品とは思えないほど、感動感動の連発でした。
心がとっても温かくなりましたこんな素敵な作品に出会えて幸せです。
本当にありがとうございました。
新作、楽しみにしてます。
- 817 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/27(木) 00:47
- 素晴らしい作品に出会うことができました。
最初から読ませていただいてましたが、
とてもとても美しい文章に酔いしれておりました。
超大作の本編はもちろん、タイムリーな短編も最高です。
本当にありがとうございました。
- 818 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/29(土) 00:02
- 作者さん、いい作品をありがとうございました。
ぶっちゃけいしよしヲタでもない自分が久しぶりに楽しめた作品で、本当に処女作?
と疑いたくなるようないい作品ですね。いしよしもそうですが、別のCPのやりとりでの
部分もキャラが生かされていて違和感なく読めました。(第3章2とか)
改めて最初から読んだのですが、途中から涙なくして読めないですね。文章での
表現が綺麗です。
自分も>>816さん同様新作楽しみにしています。
- 819 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/04/02(水) 14:37
- 玄米ちゃ様
完結お疲れさまでした。こんなに泣いた小説は久しぶりです。
もうランチタイムにこのスレ覗く事もなくなり寂しいですねー
(でも嬉しいことにごっちんが同じ街にいるし偶然遇えたらいいなと祈りつつ…)
新作のほうも書き始めてるとのことで凄く楽しみにしています 玄米ちゃ様ありがとう。
- 820 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/04/26(土) 19:06
-
お久しぶりです。
皆様、丁寧なご感想ありがとうございました。
本当にうれしい限りです。
>>816:名無飼育さん様
素敵な作品と言って頂けて、こちらこそ幸せです。
痛い話の連続の中で、最後は温かくなるようなものを
目指しておりましたので、心が温かくなったと言って下さり、
本当にうれしく思います。
>>817:名無飼育さん様
美しい文章なんてお褒めの言葉を頂き、こそばゆい感じです。
でも、うれしいですね〜
最初から読んで下さってたとのこと、本当にありがとうございます。
>>818:名無飼育さん様
改めて読み直して下さったそうで!
うれしい限りです。
しかも、いしよしヲタでない方に楽しめたなんて言って頂けて
ほんとヤッター!って感じでした。
ありがとうございます。
>>819:名無飼育さん様
こちらこそ読んで頂いてありがとうございます。
寂しいと思って頂けるなんて、書き手にとっては
うれしいお言葉ですね。
本当にありがとうございました。
- 821 名前:玄米ちゃ 投稿日:2008/04/26(土) 19:08
-
さて、同じ夢板に新スレたてさせて頂きました。
『花に願いを』です。
もしよろしかったら、のぞいてみて下さい。
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