TIME TO COLOR
1 名前:tsukise 投稿日:2007/10/14(日) 14:47

いくつかの作品を書かせていただいていた者です。
今回℃-uteさんやハロメンでいくつかの短編を書こうと思い、
スレ立てしました。
やじすずが中心となっていくかと思いますが、
どうぞ、よろしくお願いします。

2 名前:tsukise 投稿日:2007/10/14(日) 14:48

やじすずを1つ。

3 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:48

どうすればいいのか、わからなくなった。
欲しかった言葉なのに、それは欲しくなかった言葉になって。

ただ、どうしてかわからないけど…涙が溢れて弾けた。

4 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:48





5 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:49

「うひゃぁっ!」
「大丈夫だって、愛理」
「うぅ〜〜っ」

舞美ちゃんの声を聞きながら、私はまた身を縮こまらせる。
その原因は、窓の外でピカピカ光っては、落ちてくる大嫌いなもの。

そう………雷。

ツアーで各地を回っている私たちは、ホテルに泊まることも当たり前で。
今日もまさにそんな日で。
二人一組で部屋に泊まったりする事も多いんだけど
今日に限って、いつもパートナーになることが多い栞菜は
学校行事の関係でホテルに泊まらずに、自宅に帰ってしまったんだよね…。

当然だけど、こんな嵐の日に一人で部屋に泊まれない私は、
ほとほと困り果てながら、他のメンバーに声をかけて…。

6 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:49

そんな時に、舞美ちゃんが『一緒に寝る?』って言ってくれたんだ。

同室に決まっていたえりかちゃんの事を思うと、
素直に頷けなかったんだけど…一人で寝るのは怖くって。
舞美ちゃんが一緒なら…って、淡い期待を持っていたのも事実。

そんな私の気持ちを代弁してくれるみたいに
『えり、いいよね?』って笑って問いかけてる舞美ちゃんは、
全然なんにもわかってないような笑顔をしてて。

ううん、実際舞美ちゃんはなんにもわかってないんだと思う。
私のこととか…えりかちゃんのこととか。

だからかな…ちょっと困った顔をしながらも
複雑に笑いながらえりかちゃんはOKしてくれたんだ。
そんな舞美ちゃんだから、って…たぶん。
その笑顔に少しだけ、胸が痛んだ気がする。

そして今、舞美ちゃんのベッドの上に座り
シーツを手繰り寄せるようにして雷から逃げるように、小さくなってる。

7 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:50

「愛理って、ほんと雷ダメなんだね」
「うぅ…、だって…だって…」


ガシャ―――――ン!


「ひゃうっ!!」

もう、すがりつくみたいに舞美ちゃんに飛びついた。

どうやってもダメなものはダメなんだ。
音も、振動も、ビリビリも。

8 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:50

「ってか、えりー、さっきから何やってんのー?」
「探し物ー。おっかしいなぁ…、ここに入れておいたと思ったのになぁ…」
「なに探してんの?」
「アクセサリーなんだけど…、舞ちゃんに貸したっけなぁ…」

そういえば、雷の落ちるたびに
舞美ちゃんに飛びついてるから気づかなかったけど、
えりかちゃんは、ずっとそわそわしながら荷物をあさってた。

それほどに大事なものなのかな…。
それとも……。

「ちょっとウチ、舞ちゃんとこに行ってくる!」
「あ、ちょっと、えりっ、明日にしなよー!」
「気になるからー!舞美は愛理と一緒にいなー」

あ……。

9 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:50

部屋を出て行く瞬間、えりかちゃんと視線が交差する。

そのとき、私は確かに見たんだ。

えりかちゃんが…ほんの少し、顔を歪ませて笑っていたのを。


えりかちゃん…やっぱり…。


10 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:51

「そんな、今探しに行かなくてもいいのにねー」
「う、うん…」

無邪気すぎる舞美ちゃんの言葉に、曖昧に頷くしか出来ない。
舞美ちゃんは…ほんとにわかってないんだ。
いろんなものが、近すぎて…、きっと。

11 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:51

ゴロゴロ…


「また大きいの、来そうだね…」
「うぅ…っ」


ガシャ―――――ン!!


「うひゃっ!!」
「わっ、愛理っ」

今までで一番大きい雷の衝撃に、思わずシーツを頭からかぶった。
それが合図だったかのように、部屋の明かりが突然落ちる。

12 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:51

「て、停電…っ!? ま、舞美ちゃんっ!?」

真っ暗。
なんにも見えない。
見えるのは、ピカピカする窓の外の光だけ。

「ど、どこっ?」

泣きそうになる。
一人取り残された感じがして。
もう、必死に暗闇の中、手を伸ばした。
そしたら…

「ここ、愛理」

ふいに温かな感触が、力強く私の腕を引いた。

13 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:52

次いで重なり合う手のひら。
指先まで、しっかりと…。
舞美ちゃんが手のひら全体に感じ取れる…、恋人繋ぎだ…。

「大丈夫だって、近くにいるから」
「……うん…」

すぐそばで聞こえる落ち着いた声。
早口の舞美ちゃんが、たまに落とす柔らかい声。
私の好きな声だ…。
すごく、……安心する。

その声を聞きながら…そっと私は、舞美ちゃんに寄り添った。
舞美ちゃんも拒んだりせずに、引き寄せてくれて…。
心が、少しだけ温かくなったんだ。

14 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:52

「雨も降ってきたね…」

ふと顔を上げれば、雷の光の度に青白く光る舞美ちゃんの顔。
険しい表情をしてるけど、やさしく私の髪をなでる手は、
やっぱり…安心する。

そういえば…、私はこんなに間近で舞美ちゃんを見るのは
初めてかもしれない。
うん…、ふざけて顔をつきあわすことはあっても、
こうやって、じっと真剣な表情を見たのは。

15 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:52

皮膚の薄い肌は、とても透明感があって。
露になった綺麗な鎖骨に、少しだけ湿った髪が吸い付いてる。
ほっそりした肩とか…すらっとした腕とか…、
ため息が出そうなくらい…綺麗。

その腕の中に包まれている自分。
やさしく、壊れ物に触れるみたいに、
その手は私の手のひらに…髪に…。

16 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:53

気づいたら、なんか、恥ずかしくなった。
今更だけど、どきどきしてきて、顔が、かぁってしてきて。
まともに舞美ちゃんが見れなくなる。

誤魔化すみたいに、鼻先までシーツを下ろして顔を隠すけど、
舞美ちゃんの香りまでは消せなくて。
やっぱり、鼓動は早くなるだけだった。

でも。

17 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:53

「えり…大丈夫かな」

たった…、
たったその一つの呟きで、どきどきは、痛みに変わった。
針で刺すぐらいのものだけど、はっきりしたチクチクした痛みに。

私は知ってる。
えりかちゃんの特別な気持ち。
舞美ちゃんに向けられた、特別な気持ちを。

ふとしたときに、いつも舞美ちゃんに向けられている笑顔は
みんなに向けるものとは違う、とってもやさしい笑顔だから。
それに…舞美ちゃんが大変な目に遭ったとき、
まるで自分のことみたいに、不安そうにしてた。
舞美ちゃんも…、そんなえりかちゃんをすごく気にしてた。

18 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:53

もしかして…って。
いつも思ってた。
私や、ほかのメンバーが入れない空間を、
舞美ちゃんとえりかちゃんは時々作ってたし…。

やっぱり…中学生と高校生は…ぜんぜん違うもの?

舞美ちゃんは…

「舞美ちゃんは…えりかちゃんが好き?」

「………え?」

あ…っ。
慌てて、身をひく。
思わず口をついて出た言葉に、自分でも驚いて。

19 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:54

でも、もっと驚いたみたいに、目をパチパチしている舞美ちゃん。
脈絡もない言葉に、びっくりしたんだ、きっと。

そうだよね、こんな嵐の中に、ぜんぜん関係ないことだもんね。
きっと、あきれられた。
『なに言ってんのさー、愛理』とか、そんな風に笑って言われるんだ。
舞美ちゃんだもん。
そういう話、あんまりしないから。

「な、なんでもないっ、なんでもないよっ?」

自分を落ち込ませたくなくて、笑って両手を振った。
シーツでやっぱり顔を少し隠しながら。

20 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:54

「か、雷、はやく止まんないかなぁ〜?」

ちゃんと笑えたかな…?
自信ない。
ちょっと、鼻の頭がじんじんしてるし。
瞼が熱いもん。

「愛理」

呼ばれて、予想以上に身体が震えた。
びくん、って。
でも、もっと震えたのは、
シーツの隙間から舞美ちゃんを見た瞬間だった。

21 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:55

まっすぐ。
本当にまっすぐ私を見てた。
曇りのない澄んだ目で。

「舞美…ちゃん?」

呼びかけると揺れる瞳。
苦しげに。
どこか、辛そうに。

「あたし…」

やおら伸ばされた両手は、
しなやかな動きで、私の頭にかぶったシーツを肩に落としていく。

視界が開けると、またぶるっと身体が震えた。
正面から、舞美ちゃんに見つめられて…動けなくて…。

22 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:55

ひんやりした空気が頬を掠めていくのがわかる。
ううん、私と舞美ちゃんの間の空気が、ピンと張り詰めていたんだ。
まるで、ギリギリまでひっぱられた糸のように。

「あたし…、あたしは…」

雨音が強くなってる。
舞美ちゃんの声が聞き取りにくい。
不安定に、舞美ちゃんが一度視線をそらした瞬間、
ピカっとカーテンの向こう側が光って…―――

「愛理が――――」

23 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:56


ガシャ―――――ンッ!!


―――…近くで落ちた雷も気にならなかった。

―――…怯えてシーツにもう一度隠れる事もなかった。


「…………え…?」

雷にかき消される事なく、私に届けられた言葉。
舞美ちゃんの苦しげな、でも偽らないまっすぐな言葉。


『 好 き 』


暗闇の中の告白。

24 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:56

繋がっているのは、温かい腕。
そして、瞳。
そらせられない、まっすぐな舞美ちゃんの瞳。


………どうしたらいいんだろう。


答えを欲していたのは私の方なのに。
欲しい答えを、舞美ちゃんはくれたはずなのに。

なのに、胸が締め付けられるように苦しい。
心の自由がきかない。

25 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:56

私や舞美ちゃんを取り巻く、色んなもの。
目には見えない、色んなものが、
…色んな人の想いが、今頭の中を駆け巡って。

『舞美が一番可愛いよ!』

『彼女にするなら舞美ちゃん』

『舞美ちゃんはぁ、お姉ちゃんみたいで優しい』

えりかちゃんや舞…それに栞菜…。
ううん、他にもいろんな人が、舞美ちゃんの周りには…。

私だって…私だって…。
でも…あぁ…。

―――― どうしていいのか、わからなくなった。

張り詰めていた糸が、今、私の中でプツンと切れた。

26 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:57

いつのまにか、シーツは肩からも落ちて
肌に冷たい空気を伝えてる。
でも、動けなかった。
舞美ちゃんも、動かない。

ただ、こみ上げてきたのは、熱い涙。
どうしてなのかわからないけど、どんどん溢れて…頬を伝う。
酷く軋むのは胸の奥。
錆びた金属を擦り合わせたような、そんな音を立てて…。

「うぐ…っ、っく…っ、ひっく…っ」

思わず両手で口元を抑える。
それでも涙声は零れる。
それさえも抑えつけたくて、
固く瞼を閉じると背中を丸めてうずくまった。

27 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:57

「愛理…どうして泣くの? ヤだった…?」

違う。
全然違うよ?
凄く嬉しい。
嬉しいはずなのに…、ダメなんだ。
ダメなんだよ、舞美ちゃん…。

苦しい…、苦しいよぉ…。
どうして、こんなに…。

28 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:57

「ごめん…、愛理、ごめん」

ただ泣きじゃくる私をなだめるように、
舞美ちゃんは私の身体をまるごと抱きしめてくれた。

優しい人。
本当の人の痛みがわかる、とても優しい人。
だからこそ辛い。

きっと、私だけが独占しちゃいけない人だと思うから。

「ぐっ…舞美ちゃ…っく…ひっく」
「もう、いいから、ごめん、愛理、ごめんね…」

背中を優しく撫でるその手は…震えていた。
ううん、舞美ちゃんが何かを堪えるように…震えていたんだ。
そうさせているのは、私なのに…私のくせに…何も言えなかった。

29 名前:closeted yourself 投稿日:2007/10/14(日) 14:58




雨脚はどんどん強くなって、窓を激しく叩いていく。

明かりは、まだつかない。
えりかちゃんも…もどらない。

どうせなら、このまま暗闇の中に消えてしまえればいいのに。
私の想いも、舞美ちゃんの想いも…もっともっとたくさんの想いも。

何もかもをリセットして。
ぜんぶ、ぜんぶ。
そして、幼すぎた、あの時間に戻ってしまえれば…。

きっと、舞美ちゃんは私じゃない…誰かを…。
私だって、こんな苦しい想いなんて…きっと…きっと…。

ただ、そんな私たちを、おかしそうに…笑うように…、
雷は大きく鳴り響いていた。


30 名前:tsukise 投稿日:2007/10/14(日) 14:59
>>2-29
今回更新はここまでです。
このような形で進んでいくことかと。
………たまには、苦悩する矢島さん、鈴木さんも
書いてみると面白かったです、はい。
31 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/10/14(日) 15:56
tsukiseさんのやじすず待ってました!
ホントはバカじゃない舞美もいいですねw
次の更新も楽しみにしてます。
32 名前:雪ぐま 投稿日:2007/10/15(月) 21:55
tsukiseさんのやじすずと聞いて、すっ飛んできました。
初回から素晴らしいテンションですね。
胸がしめつけられる感じ…。
また楽しませていただきますm(__)m
33 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/10/23(火) 18:42
見つけた・・・

めっちゃ探してしまいましたw
漢字じゃなかったんすね。
某グループのCP以来久しぶりに嵌ってしまいそうです。
34 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/23(火) 18:52
切ない感じのやじすず、大好きです(*´Д`)
35 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/24(水) 03:42
キッズカプもの初めて読み綺麗な文章に魅かれました。
これは嵌りそうです!がんばってください。
36 名前:tsukise 投稿日:2007/11/05(月) 12:12

再び、やじすずを。

37 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:12

ただそばにいるだけで、うれしい気持ちになって。
名前を呼ばれただけで、ドキドキする。
手を握られれば安心して。
笑いかけられると、とっても優しい気持ちになる。

こんな気持ちになるのは、きっとあなただから。

そしてきっと、これが私の『幸せのカタチ』

38 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:13





39 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:13

「今日は愛理と一緒か〜」
「うん」

イベントで各地を回る事が多い私たちは、ホテルに泊まる事も多くて。
場所によっては今日みたいに、2人1組で泊まったりするんだよね。
今晩はナッキーがシングルで、後は栞菜とえりかちゃん、
舞ちゃんと千聖、私と舞美ちゃんの部屋割り。

舞美ちゃんと一緒。
ただ、それだけなのに、実は私の胸は少し弾んで。
自然と笑顔になっちゃうんだ。

40 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:13

「どうしたの愛理?ニヤニヤしちゃって」
「してないよぉ〜」
「してるって〜。あ、さては夕飯のメニューで好きなもの出た?」
「違うよー、私そんなに食いしん坊じゃないし」
「うそばっか。超うれしそうにご飯食べてたし」
「うぅ〜、舞美ちゃんのいじわる」
「あははっ」

やっぱり舞美ちゃんは舞美ちゃんだ。
鈍感さんで、でも、やさしくって。
いつの間にかペースに引き込まれちゃう。

そのまま笑いながら、舞美ちゃんは『よいしょ』とベッドの脇に腰掛けた。
自然な仕草で長く艶やかな髪をかきあげたりなんかして…。

41 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:13

ちょっとドキっとした。

腕を上げるたびに、カーディガンがズレて白い肌を覗かせてる。
透き通るような綺麗な肌を。
ほっそりした腕とか肩とかは、それでもとてもしなやかで。
まだまだ幼い私と違って、どこかシャープな身体の輪郭。

それにふっと俯いた瞳は、いつもの凛とした表情を潜めて、
静かで穏やかな色を滲ませて。

なんだか…目が離せなくなっちゃう。

42 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:14

「うん?なに?」
「な、なんでもないよ?」

視線に気づいた舞美ちゃんは、ふわっと笑って私に振り返る。
はっと慌てて両手を振って顔を背けるけど、
くっきり浮かび上がった舞美ちゃんの身体の曲線が瞼から離れなかった。
ううん、水みたいに静かに揺れてる瞳が、印象強くて瞼に焼き付いたんだ。

あんな大人っぽい表情もするんだ…。
そんなことを考えてしまう。

だって、いつの間にか、舞美ちゃんはおっきくなってて。
いつの間にか、はっとするほど綺麗になって。
知らないうちに、どんどん大人っぽくなっていって。

だから、いつの間にか…、目で追いかけてしまうようになって…。
どこにいるのか、ずっと追いかけるようになって…。

43 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:14

なんとなく、意識してる事は、ずいぶん前に気づいてた。

舞美ちゃんを意識していることは…。

でも、時々戒めみたいに頭をよぎるのは、無視できない色んな人の想い。

舞美ちゃんの、それを感じていたのは私だけじゃないから。
どんどんオトナになっていくことを。
どんどん…魅力的になっていくことを…。

そう、いろんな人が、そんな舞美ちゃんのことを追いかけてたんだ。

私なんか敵わないぐらいかわいい子とか。
私にはできない、人を楽しませる事をサラっとやってのけちゃう子とか。

気づいたら、自分に自信が持てなくなって…。
ただ舞美ちゃんの隣で笑う事しかできなくて。
ううん、遠くで眺める事とかも多くなって。

44 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:14

ねぇ。
舞美ちゃんは…、
舞美ちゃんの視線の先には…誰がいる?

誰を…選ぶ?

そんなことが頭の中でグルグルしてくるんだ。

45 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:15

「あーいり」
「わっ」

ぼーっとしてたんだろうな、
私は近くに来てた舞美ちゃんに、ぜんぜん気づかなかった。
ううん、目の前で私の顔を覗き込んできている事にも。

途端に心臓が跳ね上がる。
ううん、身体もびくって。
でも、舞美ちゃんはそんな私を、ちょっとむくれたような顔でじっとみてる。

「『わっ』じゃないよ。ずっと呼んでたのに」
「ご、ごめん、な、なに?」
「だから、体調悪いの?って。なんかすっごい沈んだ顔してるし」

言うと眉が下がって、あからさまな心配顔。
ストレートに気持ちをあらわす舞美ちゃんだから、
キリっとした目元が、今は捨てられた子犬みたいになってる。

それを見て、頬が緩んでくるのが自分でもわかった。
なんだか自分が考えてる事がちっぽけなことに思えて。

46 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:15

誰が好きだってかまわないじゃない。
舞美ちゃんは舞美ちゃん。
こんなに素敵な人なんだから、みんなから好かれて当然なんだ。
それにもし、舞美ちゃんが私じゃない誰かを選んでも、
きっと応援しちゃうと思うんだ。
舞美ちゃんが選んだ人だからって、そうやって。

もちろん胸の奥では、私が隣にいたいって…、
誰よりも近くにいたいって思ってるけど。
でも、こんな舞美ちゃんをみてると、満たされた気持ちになるんだ
私のことを、真剣に思ってくれるちょっとの気持ちで、十分、満足。

47 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:16

「あ、今度は笑ってるし。なに、どうしたのさホント愛理」
「んーん、なんでもないよー」
「ヘンな愛理」

ぽん、っと頭をなでられる。
ただそれだけなのに、胸のもやもやは吹っ飛んでしまった。

やっぱり舞美ちゃんってすごい。
こうやって、いつも私に元気をくれる。
無意識の中の意識で、いつだって。

「ねぇ、私、先にお風呂入るね」
「うん、入っちゃいな。遊んで湯冷めしないようにね」

今度は私がむくれる番。
いつまでたっても、舞美ちゃんの中の私は子供。
もう中学生だよ?私。

48 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:16

「大丈夫だよぉ、子供じゃないもん」
「あはは。じゃあ、一緒に入んなくて大丈夫?」
「それだけは、ぜっっったいやめて」

切り替えして言われた言葉に即答してバスルームに入る。

栞菜や舞ちゃんとは違った意味で、舞美ちゃんとは入りづらい。
どっちにしても、体格的に二人で入るのは絶対無理な気がする。
昔と比べて、ずいぶん伸びた身長とか、お互いに。

でも、背ばっかり伸びて中身は変わらない私。
きっと、やっぱりまだまだ子供で、矛盾した心と身体なのが今。
熱い湯気の向こうにある鏡をみれば、ほら、まだまだ幼い私の姿。

49 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:16

けど、わかり始めてる。
オトナになることの意味。
ほんの少しだけど、わかり始めてる。

それは…きっと、

「舞美ちゃん、出たよー。 ……あれ? 舞美ちゃん?」

自分だけじゃなくって、ほかの誰かも大切に思うこと。
そして…、わがままじゃなくって、信じることをやめない事。

教えてくれたのは、

「寝ちゃったの…?」

………目の前のベッドで、無防備に眠る舞美ちゃん。

50 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:17

着替えもせずに、無防備に身体をベッドに投げ出して気持ちよさそうにしてる。

そういうところ見ると、どっちが年上なのかわかんないね。

おずおずとベッドによじ登って顔を覗き込んでみると、
規則正しい寝息が顔にかかる。

「可愛いなぁ」

笑みがこぼれちゃう。
だって、いつもはキリっとした表情も、今ばかりは穏やかに緩んでて。
あどけない感じ。

そんなめったに見れない舞美ちゃんを独占している優越感。
なんか、すごく幸せかも。

51 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:17

「へへ〜」

ぽすん、と横に寝転がってほっぺたに指先で触れてみる。
ふにっとした弾力と、柔らかさ。
そして、あたたかさ。

うん……とってもあったかい。
舞美ちゃんの優しい心に触れたみたい。

「んー……」
「あはっ、舞美ちゃん、ほんと可愛いねぇ」

ねぇ、舞美ちゃん?
私、こんなに幸せなんだよ?
舞美ちゃんがそばに居てくれるだけで、すごく。

ほかの誰かじゃダメなんだ。
舞美ちゃんじゃないと。

52 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:17

笑って、ふざけあって、一緒に泣いて、
楽しい事をいっぱい経験して。
そのはじめの一歩は、いつも舞美ちゃんでいてほしい。

こんなわがままを思う私は、まだまだ子供なんだろうけど。
でもね、舞美ちゃんだってまだまだ子供なんだよ。
オトナの人から見たら、そう、私たちはまだまだ子供。

だから、難しい事は考えないで。
今はただ…

ただ、幸せをいっぱい集めよう?

舞美ちゃんは舞美ちゃんの。
私は…私の。

53 名前:Happy time 投稿日:2007/11/05(月) 12:18

だからね、お願い、今は舞美ちゃんの隣で眠らせて。
私だけの舞美ちゃんを、少しの時間だけ。
それが、今の私の一番の幸せ。
舞美ちゃんの幸せにもなったらうれしいんだけどなぁ。

そっと寄り添いながら うとうとする頭の中で、
そんなことを考えていたんだけど、
それがカタチになるのは、別の未来のお話。

54 名前:tsukise 投稿日:2007/11/05(月) 12:19
>>36-53
今回更新はここまでです。
モテやじが結構作者の中ではデフォになりつつありますw

>>31 名無し飼育さん
嬉しいご感想をありがとうございます(平伏
えぇ、きっと実際の矢島さんはちょっと鈍感なだけかとw
どうぞ、続けて読んでくだされば幸いです。

>>32 雪ぐまさん
ややや、すっ飛んでくださったとはありがとうございます(平伏
最近のお気に入りだったりするので、雪ぐまさんのご感想
恐縮しつつも、大変嬉しく思います、ありがとうございますっ(平伏

>>33 名無し飼育さん
探していただいたとはっ、ありがたい限りです(平伏
ハマってしまいそうということで、作者としては
大変嬉しい感想で♪続けてお付き合いくだされば幸いです(平伏

55 名前:tsukise 投稿日:2007/11/05(月) 12:19

>>34 名無飼育さん
やじすずというと、どうしてもサッパリした矢島さんと
ちょっと乙女な鈴木さんが多いのですが、こんな感じの
二人も気に入っていただけたのなら嬉しい限りです♪

>>35 名無飼育さん
キッズカプもの、作者も新開拓なので手探りなのですが
気に入っていただけたのなら嬉しい限りです♪
どうぞ、今後の展開にもお付き合いくだされば幸いです(平伏

56 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/06(火) 09:57
ただ寝てるだけなのになにこの伝わる幸福感
57 名前:tsukise 投稿日:2007/11/12(月) 13:49

まいまいみを。

58 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:49
ひとつ欲しいものをもらえると、次から次へと欲しくなって。
どんどん我侭になっていく自分を自覚する。

でも、それでも、笑顔でいろんなものをくれるから…。
なんでもないって風に、あの人は私に惜しみなくすべてをくれるから…。
だから、一番欲しいものを、本当に欲しいものを言えなくなる。

59 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:50




「ねぇねぇ舞美ちゃん、から揚げとハンバーグ、交換して?」
「いいよー。こぼさないようにね」
「そんな子供じゃないよぉ」
「あははっ、ごめんごめん。はい、ハンバーグ」

スタジオ収録の合間に、お弁当が配られて。
私たちはスタジオの隅でいつだって、メンバー同士でおかずを交換するんだ。
いくつかお弁当にも種類があって、好きなものばっかりってわけじゃないから。

でも、私にとっては、それは一つの口実で。
そう、大好きな舞美ちゃんと一緒にお弁当を食べるための。
だって、ちょっとの時間でも一緒にいたいもん。

60 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:50

「あ、舞、ちゃんと野菜も食べなよ?」
「食べてるよぉ」
「食べてないじゃんー、ほら、それ残しちゃダメだぞ」
「も〜、舞美ちゃん細かすぎ」

しぶしぶ、野菜に手をつける。
あ、舞美ちゃん、私が食べるの見てる。

もう、なんかそうやって大人ぶったりしちゃってさ。
私だってもうあとちょっとすれば、中学生だよ?
愛理や千聖と一緒だよ?
なのにいつだって私は子ども扱い。
ちょっとムっとしちゃうんだ。

61 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:50

「あっ、舞美ちゃんのお弁当おいしそう!」
「栞菜。なんかいる?」
「あ、じゃーじゃーから揚げ!おいしそう」

突然にゅっと現れた栞菜にぎょっとする。
えっ、それ今私が舞美ちゃんと交換したばっかだよ栞菜。

「いいよ〜」

えっ、しかもあげちゃうの!?
いや、たしかにもう交換したものだから、
舞美ちゃんの自由だけど…もう少しなんか…なんか…。

「いい?舞」

や、あげるって言った後に確認されても…。

62 名前:I want you to notice I 投稿日:2007/11/12(月) 13:51

はぁ…でも舞美ちゃんってこういう人だよね。
わかってるつもりだったけど、ここまでくると拍手ものだよ。

「うん、いいよ。ぜんぜん」
「ありがと」

そんな風にうれしそうに笑われたら、なんにもいえないじゃん。
そう、この笑顔の前じゃなんにもいえなくなっちゃう。
だって大好きな舞美ちゃんの大好きな笑顔だから。

63 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:51

「あ、それ美味しそう♪舞美ちゃん、私にもちょーだい♪」
「いいよー」

ひょこっと、この輪の中に入ってきたのは今度は愛理。
美味しいものに目がないから、この時間はいつも目がキラキラしてる。
今も、舞美ちゃんっていうよりも、お弁当の中身に夢中だし。

「あっ、それいいなぁー、エビふりゃー」
「食べる?」
「うんっ!」
「しょうがないなぁ、愛理は」

えっ、ちょっと待って?
じっと事の成り行きを見ていたけど、思わず目がテンになってしまう。

64 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:51

だって、だって、舞美ちゃんの横にちょこんとしゃがむ愛理。
その愛理に、舞美ちゃんはちょん、とお箸でエビフライをつかむと、
そのまま、愛理の口に向かって…。

ぱかっと開く愛理の口。
そこに、エビフライが…。

「んーーーっ、おいひぃ〜〜♪」
「あははっ、愛理、幸せそー」
「だって、おいしいんだもん〜」

笑いあう二人。

でも、それを見て、なんだか…なんだか…。

65 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:52

すっごく頭の後ろが熱くなってるのがわかる。
瞬きを忘れてしまっていたから、目が乾いてジンジンしてるし。
それになにより、胸の奥が…モヤモヤしてる。
ううん、なんか、ドクドク血が沸騰しそうなぐらい熱くなって、
全身に駆け巡っていく感じがする。

ダメだ。
なんか、このまま見てると、ひどい事いっちゃう。
舞美ちゃんに、すごくひどい事いっちゃう。

愛理にそんなことしないでって。
私とだけお弁当食べてって。
すっごい我侭、きっといっちゃう。

パっと顔をそむける。
このまま見ていたくなくて。

66 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:52

「あれ? 舞ちゃん、どうしたの?」
「千聖…」

視線の先にいたのは千聖。
突然振り返るみたいにした私に、きょとんとした目で見てる。

「…なんでもないよ」
「でも、なんか辛そうだし。おなかでも痛いの?」

それが限界だった。
こらえにこらえていた、色んな何かが、
千聖の、今の私には能天気にしか聞こえない一言で、見事に爆発する。

67 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:52

「そんなワケないじゃん! バッカじゃないの千聖!」
「ご、ごめん…」

言って気づく、自分の声の大きさ。
スタジオ中に響き渡るぐらい。

もちろん、みんなが振り返った。
笑いあってた愛理の舞美ちゃんも、何事かとこっちを見るぐらい。

その視線が、今はすっごく辛かった。

「あっ、舞!」

もう、なんか、頭がぐちゃぐちゃで、
千聖に心の中で謝って、スタジオを飛び出した。
舞美ちゃんの呼び止める声を後ろで聞きながら。

68 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:53





ロビーの待合室。
いつもは色んな人がいたりするけど、
たまたまなのか、誰もその場には居なくて。
全力疾走してきた身体を休めたくて、近くのソファーに腰掛けた。
そしてうなだれる。

こんなつもりじゃなかったのに。
舞美ちゃんと仲良くお弁当食べて、午後からもがんばろうって、
そんな風に笑顔で一日を過ごすつもりだったのに。

69 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:53

制御がきかなくなってる。
舞美ちゃんのことになると。

だって、舞美ちゃんが愛理にあんなことするから…。
みんなに優しくするから…。
私と一緒にご飯食べてたのに、余所見ばっかりするから…。

わかってる。
こんなの本当に、ただの我侭。
でも…、でも頭でわかっていても、気持ちはそうはいかないんだ。
大好きな人が、自分じゃない人に優しくする、それを目の当たりにすると。

70 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:53

「あ〜あ…」

千聖にホント悪い事した。
ううん、スタッフさんだってビックリしてるはず。
それよりなにより、舞美ちゃんの驚いた顔が頭から離れない。

嫌われたかな?
あきれられた?
どっちにしても、いい印象じゃない。

泣きそうになる。

でも、そのとき。

71 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:54

「舞ー」

舞美ちゃん?

パタパタと足音を響かせて、こっちに向かってきてる。

どうしよう? 怒られる?
いっそ隠れちゃおうか?
でも、どうせ、あとで嫌でも会うことになる。
はぁ…。

「ここだよ、舞美ちゃん」
「あぁ、こんなところに。探しちゃったじゃん」
「なに? どうしたの?」

わかってるくせに。
舞美ちゃんがどうして来たのかわかってるクセに、
ここぞとばかりに、子供じみた自分が姿を現す。

72 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:54

しょうがない。
だって子供だもん。
なんだかんだ言っても、みんなより子供だもん。

だんだん卑屈になっていくのがわかる。
でも、

「舞が心配で」

舞美ちゃんは怒るどころか、満面の笑顔で隣に座ってきたんだ。

舞美ちゃんの笑顔。
なんの含みもなくって、ただ優しさだけをにじませて。
人柄が出るような、そんな笑顔に…また少し泣きそうになった。

73 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:54

「どうしたの舞、なんか、ヤなことでもあった?」
「それは…」

舞美ちゃんにしては、鋭い指摘。
いつも鈍感で周りに疎いのに、どうして今はこんなに…。
どうせなら、さっき気づいて欲しかった。

ヤなことならあったよ?
目の前で、大好きな人が私以外の人にすっごい笑顔を向けたりして。
私なんて、いないみたいにふるまわれて。

74 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:55

ねぇ、舞美ちゃん。
愛理に優しくしないで?
そりゃあ、二人が仲いいの知ってる。
休日に、映画見たりとか遊びに行ったりとか、
そういうことしてるの知ってる。
それに愛理は舞美ちゃんのこと…。
それも知ってる。

でも、私といるときは私だけを見てよ。

……言いたいけど言えない気持ち。
こんな我侭を言ったら本気で困るの、知ってるもん。

だから…。

75 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:55

「なんでもないよ。千聖が変なこと言ってきたからちょっとイラったとしたの」
「ホントに?」
「ほんと」

千聖、ほんとごめん。
もう一度心の中で謝る。
でも、こうでも言わないと舞美ちゃんは納得しない気がするから。

「そっか。でもあんな風に言っちゃダメだよ。スタッフさんもビックリするから」
「ごめんなさい」
「うん、よろしい。あとで千聖にも謝んなよね?」
「うん」

くしゃっと頭をなでられる。
この大きな手のひらが好き。
褒めてくれるときとか、舞美ちゃんはこうやってくれて。
とっても幸せな気持ちになるんだ。
さっきまでのイライラが嘘みたいに。

76 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:55

「そうだ、なんかねーイライラってビタミンを取るといいらしいよ?」
「ビタミン?」
「そう。だからレモンジュースとかいいかも」
「えっ、奢ってくれるの?」
「あ、現金〜」

でも、舞美ちゃんは初めからそのつもりだったんだろうな。
その手に、お財布を持っていたの、気づいてたもん。
そのさりげない優しさがうれしい。
私だけに向けられた、その優しさが。

「よし、じゃー行くぞ」
「うんっ」

立ち上がる舞美ちゃんの手を自然に取って歩き出す。
舞美ちゃんも拒まない。
ううん、それどころか私に笑顔を向けてくれた。
私が欲しかった、笑顔を。

77 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:56

「ねえ、舞美ちゃん?」
「うん?」

私のことどう思ってる?
聞いてみたい胸の内。
でも、きっと舞美ちゃんのことだ。
『好きだよー』なんて、何も考えずにいっちゃうんだ。

その好きはどんな好き?
愛理とおんなじ好き?
それとも…?

「ううん、なんでもないよ」
「なによー」

ううん、聞くのはやめた。
どうせ、答えなんてすぐにはわからない。

78 名前:I want you to notice 投稿日:2007/11/12(月) 13:56

だから、自分を磨く努力をしよう。
私をちゃんと見てもらえるように。
子ども扱いなんてできないぐらい、すっごい成長して。

当面の目標は、打倒愛理。
だって、突然愛理ってば身長が伸びて、
大人っぽくなって、舞美ちゃんを独占して。

でも。
舞美ちゃんも愛理も天然だから、つけいる隙は十分。

見ててね、舞美ちゃん。
いつか、愛理なんて視界に入らないぐらい大人になるから。

そんな事を思いながら、一度だけ舞美ちゃんの手を強く握り返したんだ。
もちろん舞美ちゃんは、ぜんぜん気づいていなかったみたいだけど。
79 名前:tsukise 投稿日:2007/11/12(月) 13:59
>>57-78
今回更新はここまでです。
萩原さんは、意外と色々機転が利く分
苦労するんじゃないかと、勝手に見解w

>>56 名無飼育さん
ありがとうございます(平伏
幸せの中にいる二人を楽しんでいただけたのなら幸いです(平伏

80 名前:名無し 投稿日:2007/11/13(火) 08:48
突っ込みのまいまい、いいですねw
モテやじで楽しいです、次回も楽しみにしてます。

81 名前:tsukise 投稿日:2007/11/17(土) 09:09

やじうめを。

82 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:09

激しい感情に揺さぶられて、すべてを壊したくなった。
なにもかもをグチャグチャに。
今まで築いてきた信頼とか、友情とか、そういうの全部。

それほどまでに、あたしは、好きだった。

でも、本当に望むのは…望むのは…。

83 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:09





84 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:10

「ま、待って、なんで、ちょっと」

なんでだって?
わかってたことでしょ?
そう、もう随分昔から、気づいていたはず。
あたしの気持ち。

なのに気づかない振りして、ずっと無関心を装って。
でも、もうダメ。
逃がさない。

離れかけた身体を寄せるように、壁際に追い込んでいく。
それだけで、困ったような、泣きそうな目で両手を押し出してくる。
でも、そんな抵抗、今のあたしにはもう通じない。

85 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:10

「えり…っ」

まっすぐ目を見つめられると、怯む自分がいるけれど。
でも、止まらない、止まれない。

「舞美、わかってるんでしょ?」
「え?」
「あたしの気持ち」
「えりの気持ちって…」

逸らされた瞳が答え。
ほら、わかってたんじゃん。
なのにどうして応えてくれない?
今まで、色んな信号を送っていたのに、どうして?

86 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:10

ぐっと手首をつかむと、苦悶の表情で俯く舞美。
その表情に、一瞬ドキっとした。
彼女らしからぬ顔に。

伏せられる瞳からは、いつもの活発さは微塵もなく。
長い睫毛が、頼りなく揺れて印象的。
流れるように顔にかかる漆黒の髪が、あまりにも艶やかでため息が出そう。
それが今、あたしの手の中にいるんだ。
あたしの。

87 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:11

「あたし、舞美が好きだよ?」


――――言った。


言ってしまった。


いつまでも、伝える事はないだろうと思っていた言葉を。

88 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:11

はっとしたのは舞美。
伏せていた顔をパっとあげて、あたしをまたあのまっすぐすぎる瞳で見て。
もどかしげに一度開いた唇だけど、そこから言葉がつむがれる事はなく、
またきゅっとつぐまれる。

なに?
言って?
言わなきゃわかんないよ。

苛立ちが、掴んだ手首に伝わって。
いつもからは考えられないあたしの力に、舞美は顔をしかめた。
でも離さない。

だって、離したら逃げるでしょ?
曖昧にはぐらかして、笑って、「もー冗談ばっかりー」とか言って。

89 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:12

「あたしも好きだぞ」とか、そんなその場限りの言葉はもういらない。
そんなの、やだ。
もうやだから。

「舞美は?」
「あたし、は…」

退路をすべて奪ってやる。
どっちにしても、ここはホテルの一室。
今逃げて、他のメンバーの部屋に行ってもまた戻ってこなきゃなんない。
しかも時間は、ゆうに0時を越えている。
意外と常識派な舞美なら、こんな時間に他のメンバーを起こすような
そんなことはしないでしょ?

さぁ、言って。

90 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:12

「あたし…」

強い眼差しで、舞美の瞳の奥を覗き込む。

頼りない色。
戸惑いの色。
そして………悲しみの色。
色んな色が見え隠れしていた。
いつもの舞美からは想像もできない色たちが。

そして、

「えりぃ…、やだよぉ…」

舞美からは想像もできない事も。

91 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:12

歪み落とされる顔。
噛み締められる唇。
その隙間をこぼれる嗚咽。
溢れたのは涙。

「舞美…」

舞美は…泣いていた。

「やだ…こんなのやだよ…あたし、そんな、えりのこと…」
「きらい?」

即座に首が左右に振られる。
思いっきり、首がはずれるんじゃないかってぐらい。
じゃあ、どうして?

92 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:13

「ちがうけど、なんか、じゃなくて…」

舞美は、とりとめもない言葉を落としていく。
まるで、自問自答しているみたいに。

何が舞美を押しとどめてしまっている?
決定的な拒絶はなくて、でも受け入れるでもなくて。
そんなんじゃ、あたしは納得できない。
他の子たちに向けるような、そんな曖昧な優しさなんていらない。

あ……。

そこまで考えて…。
はた、と止まる。
自分のことで、頭がいっぱいになっていたから…見落としていた。

93 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:13

もし…
もし舞美に、誰か好きな人がいたなら?
それがもし……あたしじゃないメンバーの誰かとかだったら…?

舞美だって女の子だ。
そういう感情がないわけない。
いつも、鈍感で、まっすぐで、子供みたいに笑うから、
だから…そういうこと、ぜんぜん思いつかなかった。

舞美を見つめる。
自由の利く右手の甲で、子供みたいに流れる涙をごしごしと必死にぬぐってる。
への字につぐまれた唇からは、止まらない嗚咽。
髪は、少し乱れてしまっていて…。

つかんだ手首が、少し痣になってる。
握力のないはずのあたしなのに。
でも、そこには自分の狂気にも似た強さの跡。
隠れた激情が牙を剥いた結果。

そう…、あたしが、舞美を、傷つけた。

94 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:14


あたしは…―――


あたしは、いったい、何をしてるんだろう―――?

95 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:14

掴んだ手も離れる。
眩暈にも似た感覚が、突然襲い掛かってくる。
それを、ぐっと足に力を入れて堪えた。
そして…搾り出すように問いかける。

「他に…好きな人でもいるの?」

即答して欲しかった。
さっきみたいに。

でも、舞美は、一瞬考えるみたいに止まって。
それからゆっくり首を振ったんだ。
弱々しく…本当に弱々しく。

96 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:14

「舞美…?」
「わかんない…、ごめん、えり、なんか、ちょっとわかんなくて…」
「………そっか」
「時間、欲しい。あたし、やっぱり、まだそういうの、よくわかってない…」
「うん」

きっと…。
きっと、舞美は、あたし以外にも言われたことがあるんだろう。
こんな風に。
『やっぱり』なんて言葉を聞けば、あたしにだってすぐわかる。

97 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:15

心当たりのある相手。
その子も多分、こんな風に苦しんだんじゃないかと思う。
でも、舞美だから。

こんな風に、ぐしゃぐしゃになりながらも、
ちゃんと向き合おうとしてくれてる舞美だから、
その子もきっと、追い詰めるような事は出来なくて。

だからあたしも。
あたしも待つのが礼儀。
その子に対する礼儀。
どういう結果になるかはわからなくても、せめて今は。

98 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:15

「ごめん、ちゃんと考えるから、だから、ごめん」
「うん…、うん…」

まだ泣きじゃくってる舞美。
その背を、今度は優しく抱きしめて震えを止めてやる。

小刻みに震える華奢な身体。
折れてしまいそうな腕。
それを申し訳なさそうに折りたたんで、小さくなってる。

本当は、腕に好きな人を感じて、自分を慰めているだけだったんだけど、
こんなにも弱々しい舞美に、これ以上情けない姿は見せられないから。
だから、泣いたりなんかしなかった。

たまにはあたしが支えたいから。
いつも支えられているあたしが、今だけそっと。
いつか、その支えを受け入れてくれる事を信じながら。

99 名前:A true wish 投稿日:2007/11/17(土) 09:15




それほどまでに、好きになったあなた。
いっぱい泣いたら、今度はあたしに笑顔を見せて。
あたしだけに…。

それこそが『今の』あたしの本当の望み。

100 名前:tsukise 投稿日:2007/11/17(土) 09:16
>>81-99
今回更新はここまでです。
やじうめは…なんとなく梅田さんが苦労しそうなイメージですw

>>80 名無しさん
ありがとうございます(平伏
萩原さん、結構機転がきく感じですよね。
矢島さんはいつもみんなの気持ちに気づかないようですw
どうぞ、またお付き合いくだされば幸いです(平伏
101 名前:名無し読者 投稿日:2007/11/17(土) 16:17
痛いですね…。
梅さんの辛いのとか舞美の苦しいのが
凄い伝わる感じで切なくなりました。
次回も楽しみにしてます。
102 名前:名無し飼育 投稿日:2007/11/17(土) 17:14
更新お疲れ様です。
矢島さんの仕草とかリアルですね。
作者さんの、やじうめは大人な感じで好きです。
103 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/18(日) 16:29
やじうめ好物です!
舞美可愛いですね、梅さん大人っぽいですし!
次回も期待してます!
104 名前:tsukise 投稿日:2007/11/22(木) 13:04

紺野さんと後藤さんを。

105 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:04

自信に満ちたその背中をずっと追いかけていた。
これからだって、ずっとそうだと思ってた。

思わぬ転機。

それでも、あなたは、私の…。

106 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:05





107 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:05

「連絡してんの?」

不意に訊かれて、私は曖昧に笑ってかわそうとした。
でも、その人はそれを許さなかった。

「自然消滅?」
「そ…っ」

思わず声が出る。
もうそれだけで相手のペース。
きっと、この質問も計算のうちだったんだ。
じゃなきゃ、フットサルの練習が終わった直後に呼び止めたりしない。

108 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:06

「なに、ごっちんのこと、重くなった?」

なんて刺さる言葉を言うんだろう。
整った顔立ちのうえ、目力の強いこの人に言われると怯んでしまう。
でも、その言葉だけは訂正したかった。

「そんなことないです。後藤さんは後藤さんですもん」

なにがあっても、それだけは変わらない事実。
私の中の後藤さんは後藤さん。

109 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:06

面白半分に囃し立てる人にはわかんない、
後藤さんの本当の姿を私は知ってる。
誰も知らない、陰でどれだけがんばっているかとか、
努力嫌いなんていいながら、人一倍努力していることとか。

…どれだけ苦しい思いや、悲しい気持ちを抱きしめてきて
それをどれだけ笑顔の裏に隠してきたかとか…。

泣き虫で、頑固で、でも優しい、本当の芯の部分は揺るがない人。

110 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:06

「そ。それはよかった」

私の表情に何かを読み取ったその人…吉澤さんは、
やっと突き放すかのような色を解いて唇の端を上げて笑った。

「はい」
「え?」

差し出されたのは、小さな紙袋。
これ…銘菓…、チョコレート?

「ごっちんが。生チョコだって」
「後藤さん?」
「うん、運動したら甘いもの欲しくなるでしょって、紺野、好きだしって」

後藤さん…。
直接渡してくれればいいのに。

111 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:07

「ほら、今、アレだし」

気を遣って、吉澤さんはそんな風に言う。
ポリポリと頭をかきながら、なんでもない風に。
だから、私は笑えた。
しょうがないって、ちょっと深いため息を混じらせてしまいながらも。

112 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:07

そういう人だから。
後藤さんは、そういう人だからしょうがない。

どれだけ大変な目にあっても、ギリギリまで助けを呼ばない。
体調が悪くても、ギリギリまでステージに立つ。
それが逆にいらない気遣いだって、わかってるくせに。
素直に人に甘える事が出来ないんだ、きっと。

そして、こうやって、本当にダメになりそうな時だけちょっとした信号を送って。
自分が辛いときほど、人に何かをしたがる。
矛盾してるけど、きっと、今後藤さんを支えているのは、
誰かの中に存在してる自分を確認すること。
自分が、誰かに必要とされてるんだって…誰かのためになってるって…
そんな確信が欲しいんだ。

それは限られた人間に。
心許された人間だけに届けられる信号。

113 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:08

それほどまでに弱った心。
じゃあ、私は。

「ありがとうございます」
「行くの?」
「はい」
「そっか」

少し目を細めて、柔らかく笑ってくれる吉澤さん。

114 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:08

吉澤さんだって、苦しさを知らないわけじゃない。
だからこそ、…どん底の気持ちを知ってるからこそ、あえて深く介入はしない。

ただ、流れる時間に、ほんの少しだけ立ち止まって周りを見渡すだけ。
その中で見つけた立ち止まろうとするものに、パンと両手を打って合図して。

それだけ。
そこから先は見ない。
また、自分は歩き出すだけ。
どうなるかは、その人次第。

そのちょっとした合図が、今の私には心地よい。

115 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:08

「ま、なんつーか…、うん、がんばれ」
「はい」

でも、やっぱり吉澤さんは吉澤さんで。
クールに最後までキメられない。
こうやって、人情味を最後にこぼしてくれる。
こんな人だから、みんなが頼りにする。
私も、頼りにする。

紙袋をきゅっと握ると、駆け出す。
甘くて優しいチョコの匂い。
それを届けてくれた、あの人のところに。
本当に甘く優しいものを欲している、…後藤さんのところに。

116 名前:A trifling signal 投稿日:2007/11/22(木) 13:09




いつだって前を走っていたあなた。
今は立ち止まっていても、それでもあなたは私の前に。
きっと追い抜く事はないと確信を持っていえる。

だって、ほら、今もあなたを追いかけてる。
こんな風に、必死に、息を切らせて。
それに決めてるんだ。

私が、あなたの、背中を見守るって。
ただ一人だけになったとしても、変わらず、ずっと。

さあ、あなたにあったら、まずなにをしよう?
うん、とりあえず…甘いチョコを一緒に食べよう。
二人で一緒においしいものを。
ほんの少しだけでも、ゆっくりした時間を二人で感じるために。
117 名前:tsukise 投稿日:2007/11/22(木) 13:09

>>104-116
今回更新はここまでです。
作者の中では、いつまでも後藤さんは走っているイメージで、
紺野さんはいつまでも目標を見失わないイメージですね(ぉ

>>101 名無し読者さん
梅田さん、そうですね…ちょっと苦労人かもですね(ニガ
高校生の二人だけに、いろいろ考えなきゃならないこともあって
大変なのかもですよね、レスありがとうございます(平伏

>>102 名無し飼育さん
ちょっとヘタレっぽい矢島さんでしたが、
ご感想、大変嬉しいです(平伏
そうですね、比較的やじうめはオトナにイメージがしますよね♪

>>103 名無飼育さん
好物ということで、作者としては大変嬉しいです♪
大人っぽい梅田さんが今回ちょっと主導権を握ってる感じでしたが
たまには、そうですね可愛い矢島さんに迫る感じも新鮮ですよね♪

118 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/23(金) 06:08
紺野さんが目標を見失わないって分かるなぁ
後藤さんがいじらしくてよかったです
119 名前:tsukise 投稿日:2007/11/24(土) 13:28

やじすずを。

120 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:29

泣きたくなる日があった。
ただ、ぽっかり浮かんだ月を、四角い窓から見上げただけで。
それだけなのに、なぜか。

そんな私を温めてくれたのは、優しい人だった。

121 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:29





122 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:29

ふと目が覚めて、起き上がるとシーツを引き寄せる。
まだ覚醒しきってない頭は、ぼんやりとあたりを見渡して。

オレンジ色のベッドライトが二つ。
ひとつは私のベッド。
そしてもうひとつは、
もうぐっすり眠って今日の疲れを癒そうとしてる舞美ちゃんのベッドのもの。

123 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:30

イベントが始まって。
また私たちは、忙しい日常に。
途切れる事のない、忙しい日常に。

辛いわけじゃない。
このお仕事は多分私に合っている。
歌っているととっても楽しいし、胸がドキドキするし。

ただ…。

そうやって楽しい時間がたくさんありすぎるから。
こうやって一人になると、時々心がからっぽになるんだ。

空洞。
本当に何も無い。
その何も無いという『自由』に、戸惑う自分がいる。
自分さえ、嘘のものなんじゃないかって思うぐらい。

124 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:30

まるで、私だけが…世界から切り離されたような。
どうしようもなく、寂しい気持ちになって。

四角い窓の外を見上げれば、青い月。
漆黒の空に、ただひとつ煌々としているその姿。

優しい光のはずなのに…なぜか今は突き刺すようで…苦しくなる。
胸がざわめいてくる。

私は…本当に、存在してる?

それさえ、わかんなくなる。

125 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:30

「眠れないの?」

ひっ、と思わず声が出た。
口元を押さえて振り返れば、
いつから起きていたんだろう、凛とした舞美ちゃんの瞳と交差する。

「あ…起こしちゃった?」
「ううん、大丈夫」

謝る前に舞美ちゃんは手を振りながら起き上がった。
顔にかかる髪を気にするように耳にかけながら、
それでも私を見つめてる。

126 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:30

「どうしたの? なんか悩み事とか?」
「う……ん…」

悩み事…なのかなぁ…。
よくわかんない。
ただ、胸が苦しくなって、泣きそうになって…。
ただ、それだけで…。

「言ってみな? 言ったら楽になるかも」

そう?
でも、わかんないんだよ?
どう言っていいのかも。
並ぶのは、とりとめのない言葉ばかりで、
きっと舞美ちゃんを困らせる。

127 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:31

「愛理」

呼ばれて見つめると、舞美ちゃんは…笑ってくれた。
苛立つわけでもなく、呆れるわけでもなく、優しく。

それだけで…何かがはずれた。
心の奥底にあった何かが、溢れかえってきた。

「よくわかんない…、なんか、ちょっと泣きそうになって」
「うん…」
「すっごい寂しくて…みんながいつもいるのに、寂しくて…
でも、ちょっと、辛くなったりして、なんか、おかしいの…」

うつむくと…、もうダメだった。
今までどうやって笑っていたかわからなくなった。
どうやって喋るのが自分なのかも。
そして…自分が何をやってきたかも。

128 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:31

「愛理」

それでも保っていられたのは、私の名前を呼んでくれる人がいたから。

「たぶん今ちょっと疲れてるんだよ、いろんなことに」
「え…?」
「最近、いろいろあったじゃん?」
「うん…」
「愛理、がんばり屋だから、なんかさ、いっぱいになっちゃったんだよ」
「いっぱい…」

言われて、確かに疲れているのを自覚する。
いろんなことがありすぎた。
私の周りも、私自身も。

129 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:31

去年では想像もつかなかった今の自分。
たくさんの事が起こって、いろいろ変わって、
新しい事を受け入れて、悲しい事を流れる季節に落としてきて。

振り返ったら、自分のやってることがわかんなくなったんだ。

そんな私を、舞美ちゃんは見抜いていた。

130 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:32

「あたしだって、疲れてるな〜って時あったもん」
「舞美ちゃんも…?」
「うん、去年の今頃なんてボロボロだったかも。
なにやってんのか、わかんなくなったりしたし」

そこで、困ったみたいに一度笑う。

ボロボロ…?
舞美ちゃんが?
そんな姿、ぜんぜんわかんなかった。
自分のことでいっぱいになってたから…?
よくわかんない。

でも、きっと、言うならば、そのころの私は『幼すぎた』。
いろんなことを敏感に感じる事ができないぐらい。
たぶん、そういうこと。

131 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:32

話の先を聞きたくて、じっと見つめるけれど、
結局舞美ちゃんは、そのボロボロの続きを言う事はなかった。

「あんま気にすんな? 誰でもあることだし、それに…」
「それに…?」

そこで区切られた言葉。
でも、次の瞬間、舞美ちゃんは満面の笑みを向けてくれたんだ。
寝起きで、飾りのない、でも、ありのままの屈託の無い笑みを。

「これからすっごい楽しい事がまだまだあるんだし」

舞美ちゃんらしい台詞。
でも、その素のままの言葉が今の私には心地よくて…、
胸の中が、ほんわかとあったかくなった。

「だからさ、辛い事もさ、過去になっていくんだよ、うん」

うんうん頷く姿は、どこか自分にも言い聞かせてるみたいに見えた。

132 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:32

「おいで、愛理」
「え?」
「寂しかったら、一緒に寝よ?」
「えぇ…っ」

舞美ちゃん…。
私、そんな子供じゃないんだけどぉ…?
なんか、舞美ちゃんの中の私って、まだ小学生ぐらいなんだね…。

133 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:33

「い、いいよぉ〜」
「なんでー、ちょっと前までは一緒に寝てたじゃん」
「でも、私もう中学生だもん」
「関係ないって」
「で、でも、ほら、ベッドから落ちちゃう」
「愛理、そんな寝相悪かったっけ? …あ、だった、かも?」

む。
確かに、寝相はいいほうじゃないけど、そういわれるとなんだか…。

もぞもぞとベッドから降りると、枕を胸に抱いて
すすすっと、すり足で舞美ちゃんに寄っていく。
まるで来る事がわかってたみたいに、
舞美ちゃんは笑いながらシーツをめくりあげて、私を招き入れてくれたっけ。

134 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:33

「可愛いなぁ、愛理は」

むむ。
さっきの今じゃ、なんだか素直に喜べない。

でも、心とは裏腹に頬はどんどん緩んできて。
目の前で笑う舞美ちゃんと同じくらい、きっと私も笑ってると思う。
だって、舞美ちゃんに可愛いって言われると、
なんだかすっごく嬉しい気持ちになって、
もっともっとかまって欲しい気持ちになるんだもん。

135 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:33

「少しは元気になった?」
「え?」
「なんか愛理、ここんととずっと上の空っぽかったから」

やっぱり、見抜かれてたんだ…。
舞美ちゃんって凄い。

「もう大丈夫」
「そう?」
「うん、だって…」

これから楽しい事、いっぱいあるんだもんね?
舞美ちゃんが嘘ついた事、ほとんどないもん。
それに、

136 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:33

「舞美ちゃんが一緒にいるもん」

うん、舞美ちゃんが一緒にいてくれる。
それだけで、とても嬉しい気持ちになるんだ。
とっても…楽しい気持ちになるんだ。

だから、もう大丈夫。
また、明日からがんばれる。
楽しい事を…いっぱい探していける。

きゅっと、舞美ちゃんのパジャマを握って笑ってみせる。
そしたら舞美ちゃんはまた『可愛いなぁ』なんていいながら、
くしゃっと私の頭を撫でてくれたんだ。

それから包み込むように抱きしめてくれて。
暖かい体温を全身に感じて、幸せな気持ちになったんだ。

137 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:33

「舞美ちゃん?」
「うん?」
「あったかい」
「あたしも」
「でも、恥ずかしい」
「あははっ、あたしもー。でも、なんか安心しない?」
「うん、…する」
「じゃあいいじゃん、今日はこれで寝よ?」
「…んー…、うん…」

なんかいろいろ言いたい事はあったけど、
舞美ちゃんのあったかい体温と、
髪の隙間から香る優しい匂いに、
だんだん瞼が重くなってきて…、
結局私は、そのまま舞美ちゃんの腕の中で意識を手放したんだ。

138 名前:Guidepost 投稿日:2007/11/24(土) 13:34

悲しい夢は見ずに、ただ、楽しい夢だけを見て。
その中には、舞美ちゃんがいて、みんながいて…
とても幸せを感じている私がいた気がする。

それが未来につながっていくのは、すぐ先のお話。
139 名前:tsukise 投稿日:2007/11/24(土) 13:34

>>119-138
今回更新はここまでです。
去年の今頃は作者もorzでした(ニガ

>>118 名無飼育さん
作者のイメージする紺野さんがそんな感じなので
そういっていただけると、大変嬉しいです♪
後藤さんのいじらしさ…今の彼女だからこそ
こういうイメージが浮かびますよね。
140 名前:名無し読者 投稿日:2007/11/24(土) 17:20
更新お疲れ様です。
舞美の素直な優しさがいいですね。
なんか、こっちもほんわかしました。
次回もお待ちしてます。
141 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/25(日) 05:33
愛理可愛いですね〜
やじすず好きなので、このスレはお気に入りです
作者さん、頑張ってください
142 名前:tsukise 投稿日:2007/11/27(火) 14:45

みやあいりを。

143 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:46

好きだから、自分だけを見て欲しいとか…余所見なんてしないでとか、
誰の手にも触れられない場所に、閉じ込めてしまいたくなったりする。

でも、それが出来ないのは…あの子がまっすぐすぎるから。

そして…やっぱり、好きだから。

144 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:46





145 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:46

「ねぇねぇ、みやー」
「んー?」

楽屋の椅子から振り返ると、この上なく嬉しそうに笑っている愛理。
その手に何かラッピングされた小さな箱を持って、ぱたぱた駆け寄ってきて。
くねくねする足元が、なんか危うい。

「愛理、走ったら転ぶよ」
「だいじょうぶだよぉ」

いや、大丈夫じゃないって。
ほら、今も軽く躓いたよね。
でも、なんでもないみたいに『へへっ』なんて笑って、

「あのね、ケーキ作ったの。で、みやにあげようと思って」

その手に持った箱を差し出された。
え? 待って。

146 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:47

「ケーキ?」
「うん。前にみや、誕生日だったでしょ?
そのとき、なんにもプレゼントを用意できなかったから」
「そんなの…」

ぜんぜん気にしなくていいのに…。
だって、愛理は色々大変なんだし。

ユニットが一緒になってからわかった忙しさ。

愛理はイベントとか、ツアーとか企画参加とか…、
自由な時間があるのかってぐらいスケジュールが詰まってて。
それなのに、なんでもないって風に笑ってて。

尊敬しちゃう、年下なのに。
そう…、
そうなんだよね…
愛理って、まだ中学生になったばかりなんだよね…。
急に大人びてきたり身長が伸びたりしたから、
見落としてしまいがちだけど。

147 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:47

「うん? なにー? みやー?」
「なんでもないよ」

じっと見つめると
ちょこんと首をかしげるみたいにして目の奥を覗き込まれる。
それがちょっと面白くて、頬が緩む。

なんか、可愛いなぁ。
キョロキョロする目が、好奇心旺盛にキラキラしてて。
きっと、理想の女の子像。
同性の私からしても、なんか愛理って可愛いって思うもん。

ぽんぽんって頭をなでると、
『ふにゃ?』なんて首をすくめながら目を細めて笑う愛理。
それがどこか、母親に甘える子猫を連想してしまって、
胸がトクン、と一度鳴った。

148 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:47

「愛理、可愛いねー」
「えー? そんなことないよぉー、それにみやみたいに大人っぽくなりたい」
「あたしみたいに?」
「うん、みやってボーノの三人の中で、すっごい大人だもん」
「ももが聞いたら怒るよ?」

『確かにー』なんて、てへへっと笑う愛理だけど、
全然悪びれた感じも無くって、ものすごく無邪気。

それを見て、また胸がとくん、と鳴った。

一緒に行動するようになって、
いろんなことを一緒にして…、
ベリーズの子たちにはない、新しい一面を愛理に垣間見て…。
もっともっと、愛理のこと、知りたくなって。
でも、そんなの、口に出したりなんかできるわけもなくって…。

149 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:48

なんとなく…。

なんとなく、℃-uteのメンバーに嫉妬した。

いつだって、愛理と一緒にいれるメンバーに。
新しい愛理をどんどん知っていくメンバーに。
そして、何より…

〜♪〜♪〜♪〜

「あ、私の携帯。この音、舞美ちゃんだ」

こうやって、愛理の意識を一瞬でかっさらってしまう人に嫉妬した。

150 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:48

気づいてしまえば簡単。
あたしは、愛理に特別な感情を持ってしまっていたんだ。
でも。
気づいてしまえば…とても苦しい。
どうやっても通じないだろう気持ちだから。

今だって、嬉しそうにカバンの携帯に駆け寄ってって返信してる愛理。
私なんか、全然視界に入ってなくて、
さっきのケーキも、無造作に私の膝に乗せられたまま。

この距離を埋めるにはどうすればいい?
私だけを見てって、言ってみたら変わる?
それとも…、今手を伸ばして
愛理を腕の中に閉じ込めてみたら何かが変わる?

大人だという愛理には悪いけど、私はとっても子供で。
ただ、欲しいものを欲しいといえずに、我慢をしているだけなんだ。
本当の自分は、すっごい我侭で、自分の思い通りにいかないことに
イライラしたりもするんだ。

151 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:48

「みやー…?」

はっと思考をとめると、いつのまにか戻ってきた愛理が
すぐそばでちょこんとしゃがみこんで、不安げに私を見上げていた。

胸のうちを覗かれたみたいで、心臓が嫌な具合に一度鳴った。
気づかれた?
ううん、そんなヘマ、あたしはしない。
愛理だって、そんな風に私が思ってるなんて微塵も気づかない、きっと。

背中に変な汗が流れるのを感じながら、それでもぎこちなく笑顔を向けた。
このままじゃ、きっと酷い自分が出てきそうだったから。

152 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:48

「え、 あ、なに?」

でも、愛理の表情は変わらない。
それどころか、もっと眉をハの字に下げるようにして、

「なんか、怖い顔してるよ?」

心を見抜いたように、そんなことを言う。
その表情はどんどん曇ってきていて…、なんだか泣き出しそう。

「私、何か悪い事、した…?」

あぁ…、なんてことを…。
全然そんなことないのに。
私が勝手にスネただけで、愛理は悪くない。

153 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:49

「そんなことないよ? 愛理はなんにも悪い事してない」
「でも、みや…」

ダメだ。
愛理って変なところで鋭いから…、
下手な言い訳はかえって傷つける。

でも、きっと今気持ちを伝えても、混乱するだけ。
だったら…。

「ただ、このケーキ、まだ食べちゃいけないのかなぁ〜って」
「え?」

精一杯演じる。
ただのピエロでも、心引きずるよりはマシ。
愛理が、心引きずるよりは、全然。

154 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:49

「だって、愛理、携帯に飛びついちゃって、ちゃんとあたしにくれてないもん」

ちょっと、唇を尖らせて。
催促するみたいに笑って見せると、やっと愛理は笑ってくれた。
あの特徴的な八重歯を、ちらっと見せて。

この笑顔が好きだから…

「みやの食いしん坊〜」
「あははっ、愛理ほどじゃないしー」
「ひどーい。じゃあお詫びに私が食べさせてあげるよー」
「それは謹んで遠慮します」
「えー?」

少しぐらい我慢できる。
なんて恋をしてしまったんだろうって、複雑になるけれど。

155 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:50

その手にある開かれたままの携帯に目が行けば、胸が痛む自分を感じる。
でも、今はこれで十分。
愛理のことを、近くで見る事が出来るだけで、十分。

だからいつか、愛理がもう少しいろんなことに気づくことが出来たなら
そのときに、打ち明けよう。

私、全然愛理が思ってるような大人じゃないんだよって。
普通の女の子。
愛理とおんなじように、一喜一憂する。
わがままも、欲求だって普通にある。
時には、酷いことだって考えたりするんだって。
そして…今のこの気持ちも。

156 名前:When you grow up 投稿日:2007/11/27(火) 14:50

打ち明けたそのときの愛理の反応を思うと、今から苦しくなるけれど。
いつか伝えるんだ。
それまでは、愛理の前でもう少しだけオトナの私でいよう。
愛理が私に追いつくその日まで。

157 名前:tsukise 投稿日:2007/11/27(火) 14:50
>>142-156
今回更新はここまでです。
まだあんまりベリ工はわかりませんが、
色んなタイプの子がいて、楽しそうですよね。

>>140 名無し読者さん
ほんわかしていただけたということで大変嬉しいです。
矢島さんのまっすぐな優しさって、気持ち好いぐらいですよね♪
また続けて読んでくだされば幸いです(平伏

>>141 名無飼育さん
鈴木さん、悩める少女になっちゃってましたが、
楽しんでくださったのなら嬉しい限りです♪
やじすず、最近の作者の好物だったりするので
レス、大変嬉しいです♪
158 名前:通りすがり読者 投稿日:2007/11/27(火) 18:05
作者さんのみやあいりが見れて嬉しいです!
みーやん。。。辛い所ですね。。。
大人なみーやん楽しみました!
159 名前:tsukise 投稿日:2007/12/04(火) 12:00
やじすず長編、始めます。

タイトルはスレと同じく『TIME TO COLOR』、学園物で。
スレ汚しにならぬよう努めますので、よろしくお願いします(平伏

160 名前:tsukise 投稿日:2007/12/04(火) 12:01


――― TIME TO COLOR ―――

161 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:01

新しい制服、新しい鞄、新しい学校―――。

新しい土地、新しい家、そして…新しい家族―――。

私の新しい生活が明日から始まる。
この日本という場所で…。

162 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:02





「愛理、片付けたのか?」


不躾に部屋に入ってきたのはお父さん。
何もかもを1人で決めつけて、私を振り回す だいきらいな人。

昔はこんな人じゃなかった。
昔は、もっと…。

「愛理、返事しなさい」

「もうすぐ終わるよ」

それだけ言い放って、開けてないダンボールのテープを
乱暴にひっぱって開ける。

163 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:02

中にはアメリカでの思い出がいっぱい。
この日本には馴染まない、たくさんの思い出が。
こんな形で、日本へ引っ越してくるだなんて思わなかった。

生まれたのは日本だけど、すぐにアメリカに移住していて、
日本を知らない日本人、まさにそれだった。
でも、お父さんが突然日本で仕事が決まった、なんて言い出して。
大好きなお母さんの方のおばあちゃん、おじいちゃんと離れて今、ここに。

お父さんの仕事なんてだいっきらい。
人を助ける仕事のはずなのに、お父さんは…お父さんは…。

164 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:02

「終わったらリビングに来なさい、お母さんを手伝うんだ」

それだけ言うと、お父さんは部屋を出て行った。

自分勝手なお父さん。
お母さんを手伝えだなんて。

私がお母さんが嫌いなの知ってるくせに。

私のお母さんじゃないもん。
本当のお母さんじゃないんだもん。
本当のお母さんは3年前に…。

ぜんぶ…。
ぜんぶお父さんのせいだ。
お父さんがお母さんをちゃんと見てくれてなかったから。

165 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:02

きゅっと唇をかむ。
嫌なドロドロした感情を少しでもとめたくて。

ガサガサと。
次々とダンボールから荷物を取り出す。
出てきたのは写真の数々。

アメリカで仲良しだった友達。
ジュニアハイスクールの先生。
おじいちゃん、おばあちゃん。
そして、お母さん。

その全てが懐かしくて…今が辛くて。

166 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:03

「――――…っ!!」

ガタン!!

気がついたら、中身を放り出して部屋を飛び出してたんだ。

「愛理!!」

何事かと振り返るお父さんを押しのけて。
その奥で、目を丸くしているお母さんも無視して。
大きな扉を押し開けた。

一刻も早く、この家の空気から逃げ出したかった。

みんなから、逃げたかった。

167 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:03





夏の始まりを告げるような、うだる暑さの中走る。
目的の場所なんてない。
今、どこを走ってるかさえわかんない。
でも、もっと遠くに行かなきゃって、ただそれだけで。
私を捕まえて離さない、黒い何かから逃げなきゃって。

168 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:03

「はぁっ、はぁ…っ」

ようやく止めた足。
汗が額からポタポタと焦げたアスファルトに落ちていく。
それをじっと膝を押さえて眺めてた。

なんでこんな所にいるんだろって。
泣きたくなるのを我慢して。

知らない場所で。
一人で。
誰も助けてくれないのに。

なに、やってんだろう? 私。

169 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:03


「あと一周ー!」


…?
遠くから聞こえたのは、そんな声。

次いで、パタパタっと、駆けて行く足音。

どこから…?

その音を探すように顔をあげて…見つけた。


170 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:03


「30秒切れるよー! 舞美がんばれー!」


最初に目に飛び込んできたのは、綺麗なフォーム。
そして、風を切るアップにされた漆黒の髪。

すらっと伸びた手足は、リズムよく振り出されてて。
その目はずっとずっと先のゴールを見つめてる。
真剣な眼差しは、それでも楽しさを滲ませるように輝いてて。

みとれた。
ただただ、綺麗な人に。
息も出来ない。

171 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:04


「舞美! 29秒58!新記録だよ!!」
「やったぁー!!」


はっ、とした。

ゴールしたことにも気づかないぐらい、その人に見とれてたから。

ふらっと歩み寄って、止められる。
大きく隔たりを示す、学校の校門に。

172 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:04

ただ、固い鉄格子を両手で握って、もう一度その人を見た。

まるでヒマワリのように、弾けるような笑顔を向けて、
友達と嬉しそうに飛び跳ねてる。
噴出す汗も、すごく輝いてて。
その人のいる空間だけ、全然違ってたんだ。

「舞美…さん」

名前をそっと呟く。

それから仰ぎ見た校舎は、見覚えのある建物だった。

173 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:04

そっか…ここ。
私が通う学校だ。
じゃあ…私は。

あの人と同じ空間に立てるかもしれない。

ただそれだけなのに。
まだ、そうなるなんて決まってないのに。
さっきまでの憂鬱な気持ちが吹き飛んだんだ。

174 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:04

そっと鉄格子から手を離して、舞美さんをもう一度見る。
友達と飛び跳ねてた彼女は、タオルで汗を拭い…、
ふいに、こちらに一度振り返った。

―――…視線が交差する。

フォームと一緒で、とても真っ直ぐな凛とした瞳。
それが私をとらえて、少しだけ見開かれて。
汗を拭うその手も止まってた。

きっとその時、私は笑顔だったんだと思う。
だって、見つけたんだもん。

初めて、ここにきて、惹かれるものに。
本能的に、追いかけたくなる人に。

175 名前:プロローグ 投稿日:2007/12/04(火) 12:05

「またね、舞美さん」

そっと口元だけで呟いて、踵を返した。
最後まで、私を追いかける視線を感じながら。

新しい生活が始まる。

辛いことばかり圧し掛かってきてるけど、
それでも、ほんの一瞬感じたあの幸福感、
それをこれからも感じれるだろう期待を持ちながら、
私はまた、鳥籠へと足を向けていったんだ。

打ち破る第一歩を、すぐそこに感じて。

176 名前:tsukise 投稿日:2007/12/04(火) 12:06
>>159-175
短くはありますが、今回更新はここまでです。

これから長編Upとなりますが、
どうぞ、お付き合いくだされば幸いです(平伏

>>158 通りすがり読者さん
初めて触れたCPだったのですが、
ご感想大変嬉しく思います(平伏
無邪気な相手だと、みんな大変ですよねw
大人な夏焼さんもよいものですよね♪
177 名前:名無し飼育さん 投稿日:2007/12/04(火) 21:46
長編キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!!
この甘酸っぱさ、ドキドキします。
178 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:41

気の早いセミの声が聞こえる。
風の音と一緒に。
夏の匂いが、新緑の芽吹きと共に感じられる。
全身で。

「ハッ、ハッ」

学校に続く最後の道には、いわゆる『心臓破りの坂』がある。
大抵の人が自転車通学をしているから、
この坂に差し掛かるころには、みんな自転車から降りて、
自分の足で登っていくことになっている。

重い自転車を押しながら、毒つく人が多い中、
私はそれを横目に見つつ、坂を駆け上がっていく。
その手には何も持たずに。

登校時間がピークにさしかかっているけど、
陸上部の私の登校時間は、今よりもずいぶん前だったから。

179 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:41

「おはよーまいみー、今日もがんばるねー」
「おはよー! もうすぐ関東大会なのー!」
「そうなんだ?また応援行くからねー」
「ありがとー!」

流れるように走る中、友達が何人か声をかけてくれる。
もちろん立ち止まることはしないで、
息を入れながら、一言二言だけ交わして駆け抜けていく。

「舞美、おはよー」
「おはよー!」
「矢島先輩、がんばってくださーい!」
「ありがと!」

坂を上りきってから校門までの桜並木に差し掛かるころには、
先輩も後輩も、いろんな人が声をかけてくれる。
ラストスパートをかける前に、この声援はいつもながら嬉しい。
額から流れる汗もまったく気にならないぐらい。

180 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:41

でも。

「遅いー! 舞美、今日は10秒オーバーだよ!」

グラウンドに戻ってきた瞬間、かけられた声は怒気を含んでて。
その声の主はトラックの内側に立ち、手の中にあるタイムウォッチを
苛立たしげに揺らしたりして、すかさず私にタイムをつげてきた。

彼女はえり、梅田えりか。
私の、というか、私の所属する陸上部のマネージャー。

そのえりの声に、びっくり。

「うそっ!」

おかしいなぁ。
ちゃんとペース配分してきたのに…。

181 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:42

「ホント。内周で取り戻せー!」
「うん!」

前を横切る瞬間、ぽんっと背を叩かれた。
えりなりの激の飛ばし方。
それに笑顔で応えて、一度だけ深呼吸。

すかさずギアチェンジ。
重心を低く、胸を突き出すように腕は強く後ろへ。
踏み込む一歩は、間隔を大きく。
息の入りも、一気に加速。

よし。
あと2周で遅れを取り戻す。
じゃなきゃ、大会前のこの時期にペースダウンは辛すぎる。

182 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:42

タンッ、タンッ、タンッ。

リズムよく。
無理なアクセントはしない。
ラストの直線での伸びを欠くのは自分が良く知ってる。
だから、ためて。

コーナーを枠線ギリギリに走る。
身体は内側へ。

「舞美! あと一周! いけるよー!」

えりの声を遠くに聞きながら、ラストスパート。
ロングスパートができる私は、この1周がすべて。
1回こっきりのギアチェンジしかできない私の、最大の武器。

183 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:42

タンッ、タンッ、タンッ。

長く息を入れる。
苦しさはない。
感じるのは、満たされるような胸いっぱいの熱された空気。

辛くないわけじゃない。
でもそれ以上に、頭がからっぽになるぐらい
『今』だけに夢中になっていく自分を感じる心地よさ。

さぁ、前に、前に。

この瞬間が大好き。
たぶん、一番私が私らしい瞬間。

184 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:42

「スパーーーーーー!!」

直線で、えりが声を張り上げる。
それを合図に、着火。
全身がニトロのように爆発する。
最後に残しておいた一瞬のキレを、ラストに。

スタンッ!!

―――― ゴール。

真っ白の頭。
何も考えられないぐらい本当に真っ白。

185 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:43

そして…。

「お疲れ、舞美」

肩にぽすんとかけられるタオルで、意識がゆっくり落ちてくる。
そのとき、いつも私は空を見上げてる。
真っ青な空を。

「そら、きれー」
「舞美、いつもそれ言うね」
「うん」

くすくす笑うえりは、手に持ったボードにタイムを書き込んでいってる。
運動音痴のえりだけど、私の大切な専属マネージャーなんだ。

186 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:43

無理に誘った私に、マネージャーならと、しぶしぶながら付き合ってくれて。
今では、陸上部随一の敏腕マネージャー。
機転がきくから、みんなが落ち込んでるときとかも、
場を和ましてくれたりして後輩からの人望も厚いんだ。
私も何度えりの人柄に助けられたか。

「はい、今日のタイム」
「ありがと」

手渡されたボードを覗き込む。
いつもの確認だけど、一番ドキドキする瞬間。
成長がてき面に出るから。
その逆も。

187 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:43

「今日はラストで挽回したって感じだね」
「うーん…」

確かに。
いつもと同じように走ったつもりなのに。
内周に帰ってきて、えりの声を聞いてからペースアップさせた気がする。

「なんか考え事とかしてたの?」
「そういうわけじゃないんだけどなぁ…」
「舞美のことだから、お昼ごはんのこととか考えてたんじゃないの〜?」
「えりぃ〜」

もう。
またそうやって茶化したりして。
ぐっと腕で小突くみたいに押してやる。

188 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:43

笑うえりだけど、急にフっと真剣な顔にかわって。

「大会まで日もないし、集中していこうね」
「…………うん」

締めるところは締める。
えりのこういう所は好き。
私のモチベーションを一番わかってくれてる気がするから。

189 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:44

「てか舞美、今日、日直じゃなかったっけ?」

思い出したようにいわれて驚く。
校舎の時計を仰ぎ見ると、8時10分。

「あっ! 忘れてた!」

30分には、日誌と出席簿を持っていかないと怒られる…っ。
いつも部活してるとこうやって時間の感覚がズレて大変だ。

「後片付けしとくし、先にいきなよ」
「いいの?」
「今日、一時間目斉藤先生でしょ? 怒ると怖いよ〜?」
「うわっ、ごめんっ、えり、頼む!」

ひらひら手を振りながら笑うえりに
両手を、ぱしんとあわせて感謝する。

190 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:44

「ほんっと、ごめんえり! 埋め合わせはいつかするからっ!」
「じゃあ回らないお寿司が食べたい」
「え゛…」
「うそうそー、ほら、さっさと汗を乾かさないと間に合わないよ?」

確かに…。
ほかの部員と違って、私の場合汗の量が半端じゃない。
だから、乾かすだけでも時間がかかって。
なのに、こんな日に限って日直なんて…っ。
出席簿を職員室に取りに行かなきゃ…っ。

191 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:44

「うんっ!じゃあっ!」

ぶんぶん手を振りながらバタバタと部室に駆け込んで、
自分のロッカーを開ける。
それから、さっと、ユニフォームを脱ごうとして…

「ま〜い〜み〜ちゃん♪」
「あいたっ!」

どすんっ、という衝撃と一緒に、背中にかかる重量。
その不意打ちに、開いたロッカーの扉に頭をぶつけてしまった。
こんなことするのは、この陸上部に一人だけだ。

192 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:44

「か、栞菜…っ」
「ん〜? 今日は舞美ちゃん、もう終わりなの?」
「ちょっ、とりあえず離れて…っ」
「え〜、いい匂いなのにぃ〜」
「そーゆー問題じゃないからっ」

でも、栞菜は首に巻きついて離れない。

あぁ…もう、どうしてこの子はいつも…。
大体、私に飛びついてくるのも『汗の匂いがいい』とかって
意味わかんない理由だし。
中学生部員の中でも、ちょっと変わった部類の子なんだよね。

193 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:45

そう、私たちの学校は中高一貫校だから、
この学校では部活も中高一緒で。
高校1年の私と、中学2年の栞菜が一緒にいてもおかしくないんだ。

大抵、高校生部員が、中学生部員を指導したりして、
部の躍進にも大きく貢献していたり。
私たちが所属する、この陸上部もそうやっていくつかの賞を取ってたりする。

でも、栞菜のこれはその範囲外。
スキンシップというには…なんか、度が過ぎてる気がするし。

194 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:45

「ねぇ、なんでもう終わり?」
「今日は日直なの。だから急いでるんだってば」
「日直の舞美ちゃんもカッコいいかも…」

遠い目してるし…。

「だから栞菜、早く行かなきゃいけないんだって」
「しょうがないなぁ…、許してあげよう」

巻きつけていた腕を離す栞菜。
体格差があったりするし、締め付けられてて苦しかったぁ…。
ちょっと首を左右に振って、酸素を吸い込む。

195 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:45

そういえば…。

「ねぇ、栞菜」
「なに?」
「言葉遣い、気をつけなよ?」

言うとキョトンとした顔で振り返る。
わかってないのか…まったく。

「だからぁ、私だからいいものの、
他の先輩とかには敬語つかいなってこと」

そう。
栞菜ってば、敬語という敬語を使った試しがないんだ。

196 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:45

私は…、私と栞菜は昔から一緒に遊んでたりしたし、
割り切っていたりするんだけど、
やっぱり、学校の中ではそうはいかない。
変なことに巻き込まれたりしたらって考えたら、ちょっと心配で。

なのに。

「だーいじょうぶだって〜、舞美ちゃん心配性〜」

へへん、っと笑って伸びなんかしてる。
もう。
栞菜のことを思っていってるのに。

197 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:46

「栞…」
「それに」

私の言葉を遮るようにして、栞菜はちょっと強い口調で振り返った。
それから、トン、トン、っとその場で2度はねて、
鼻先までずずいっと近づいてきた。

ちょっとのけぞり加減に後退する。
なにか企んでそうな、不思議な笑みに嫌な予感がして。
でも、そこまでわかっていたのに、

「アタシ、舞美ちゃんの前でだけだも〜ん」

…………遅かった。

198 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:46

ちゅ、と。
一歩踏み出すと同時に、頬に唇を押し付けられた。

「〜〜〜〜っ! か、か、か…っ」
「ご馳走様〜♪」

頬を押さえて抗議する前に、脱兎のごとく部室を逃げ出す栞菜。
扉が閉まる瞬間には、投げキッスのおまけつき。

「〜〜〜〜っ!もうっ!!」

一度大きく声を上げて、ロッカーの扉を閉める。
そこに額をつけて、溜息ひとつ。

199 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:46

あぁ…頭が痛い。

いつもいつも栞菜は、あんなイタズラをしてくる。
突然抱きついてきたり、突然キスするフリしてみたり。
そういうのは、本当に好きな人が出来たときのために
とっておいたほうがいいって言ってるのに…。

……………はっ! いけないっ!
早く行かなきゃっ!

がばっと頭を起こして、がしがしタオルで汗をふき取ると
バタバタと着替えはじめる。

200 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:46

斉藤先生は怒ったときほど満面の笑みをする。
その笑顔の裏側に隠されているものを考えるとゾっとしなくもなくて。
遅れようものなら、どんな仕打ちがくるか…考えただけで身震いしてしまう。

「ダッシュ!!」

髪を結うのは後回し。
半渇きの髪もそのままに一切合財をカバンに詰め込んで、
ロッカーの鍵を閉めると部室を駆け出す。
次に開けるのは放課後。
さぁ、急いで職員室にいかなきゃ…っ。

201 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:46





「失礼しましたー」
「あ、矢島ー?」

職員室で出席簿をもらって駆け出そうとした瞬間、呼び止められた。
振り返ると、…保田先生?

202 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:47

「がんばるわね。今日も朝練?」
「はい、もうすぐ大会なんで」
「まぁ、なんでも頑張るのはいいけど、身体壊さないようにね」
「ありがとうございます」

結構、保田先生は人気がある中等部の先生で、悪い噂なんて聞かない。
担当してる英語の授業も楽しくって、サボる人なんて滅多にいないほど。
時々妙なイントネーションの英語で笑わせてくれるし。
突然趣味のフルートを持ち出して悦に入って、
授業がすっとぶこともしばしばあるけど。

203 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:47

私も、嫌いじゃない。
去年まで中等部だった私の担任だったし、
高等部に上がるときに、陸上の事でいろいろアドバイスもくれたりもした。
それだけが理由じゃないけど、安心して話せる先生なんだ。

最近年下の恋人が出来たって専ら噂なんだけど、
真意は定かじゃないんだよね。
なんか、保田先生って、ぜんっぜんそんな感じしないし…。
なんて口に出したら、怒られそう。

204 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:47

「うん? アタシの顔に何かついてる?」
「い、いえっ、なんにも」

ぎょろっとする目は、誰でも萎縮しちゃうのは内緒。
目力があるってことなんだけど。
なんか、ちょっと、食べられそうなイメージがぬぐえないんだ。
なんて…これも口に出したら激怒されそう。

205 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:47

「それより日直なの?」
「あ、はい」
「だったら早く行ったほうがいいわよ?」
「え?」

そこで保田先生は、腕時計を差し出してくれた。

「あっ」

8時20分。

わっ。
もうこんな時間だったんだ!?
あと5分だし…!

206 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:47

きっと栞菜に捕まっちゃってたからだ。
自分の汗を乾かしていたからってのは、計算除外。
もともと、それも含めての時間を考えていたんだから。

まったく…栞菜ってば。
しょうがない。
ごちったところで、時間は戻らない。

207 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:48

「わっわっ、ありがとうございますっ、急ぎます!」
「あー、廊下は走っちゃダメよ。ただでさえ矢島ってば
危なっかしいんだから、人にぶつかったりしたら相手が大変」

う…っ、痛いところをつくなぁ…。
確かに昔、自転車でバス停に突っ込んだことはあるけど。

「は、はいっ」

わたわたと頭を下げて、教室へ…。

208 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:48


―――― と。


すれ違いざまに、人影を見つけた。
さっきまで、保田先生のインパクトが強すぎて気づかなかったけど、
後ろ、女の子がいる。

意外と背は高い。
私とそんなに変わらないぐらい。
後頭部で、ちょん、と結われた髪が特徴的で。
女の子らしい、くりっとした目が涼しげな印象。

209 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:48

けど、驚いたのはその後。

「え……?」

視線が交差した瞬間、弧を描くようにスっと薄い唇が開かれて。
覗いたのは、その子にぴったり似合うような八重歯。

そう、笑いかけてきたんだ。
その子は。
私の顔を見て、ゆっくり瞬きを1度して。

時間にして、本当に一瞬だったと思う。
でも、確かにその子はじっと私を確認して笑った。

210 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:48

「あ…っ」

思わず声がでるけど、その子はそれきりで、
スっと笑みを消すと前を向き、
先生について歩いていってしまった。

その背中が、妙に颯爽としていて…瞼に焼きついた。
細身なのに、大きく見せるようにしゃんと伸びた迷いのない背中。

でも、どこか…
どこか、ほんの少しだけ…冷たさを感じるような…
そんな背中が。

211 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:49

誰…だろう…?
転校生…?
タイの色が赤で先っぽに黄色の斜線が1本だったから…
中等部で…1年生だ…。
高等部だったら緑に白のをつけるもん。

中等部に知ってる子なんて、部活以外でほとんどいないんだけど…。

でも。

212 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:49

でも、私、知ってる。
あの子の事、知ってる気がするんだ。
どこかで会った。
それも最近。

思い出せない…。
こんなときに限って、物忘れの激しさが災いしてしまう。

もう一度、背中を追いかけるように振り返る。
そこにはもう姿はなかったけれど。

そのぐらいなぜか引っかかったんだ。
その子の事が。

213 名前:スタートライン 投稿日:2007/12/05(水) 05:50

キーンコーン…

「あ゛っ!! にっちょくーーー!!」

結局、保田先生の忠告を無視して走り出す私。
もちろんというか、この後、斉藤先生の満面の笑顔に会ったのは
いうまでもない。




後に、意外な形で気になるその子と再会することになるけど、
この時の私は、ただただ斉藤先生の前で頭を下げるだけで
知る由もなかった。

214 名前:tsukise 投稿日:2007/12/05(水) 05:50

>>178-213
今回更新はここまでです。
矢島さんというとスポーツ少女って感じですね(ぉ

>>177 名無し飼育さん
レス、ありがとうございます、励みになりますっ。
甘酸っぱい学園系のお話、どうぞまた食してくだされば幸いです♪

215 名前:名無飼育 投稿日:2007/12/05(水) 10:28
更新お疲れさまです。
長編スタートしたと知り早速きました。
これからやじすずがどうなっていくのか
楽しみにしてます。
216 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/05(水) 17:13
楽しみ〜楽しみ〜!!
217 名前:名無し読者 投稿日:2007/12/05(水) 17:15
長編待ってました!
愛理、不思議な感じですね。
今後の展開に期待してます!
218 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:51

うーん、うーん…。

もう昼休みも間近になった4時間目の中、朝の事が頭の中をぐるぐるする。
なんか授業内容なんて入ってこない。
ちょっとだけ見た、あの子が気になって。

うーん、うーん…。

どこかで会った。
物忘れが激しいあたしでも、会ったということは覚えてるんだし。
きっと印象深い出会いをした。
しゃべった記憶はない。 …たぶん。

あの子誰だろう…。
その言葉だけが、リピートされていく感じ。

219 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:52

「うーん、うーん」
「なにやってんの、舞美」
「んえっ?」

顔を上げれば、呆れた顔で隣に立ってるえり。
って、えり、授業中……、

「授業、終わってるし」
「えっ!?てか、えりって心が読める超能力者!?」
「何言ってんだか…、今口に出していってたし」
「うそっ」
「ほんと」

うわー…、なんか恥ずかしい。
いっぱい色々考えすぎると、
思ってることが口から出ちゃうんだよね、あたしってば。

220 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:52

「で? 誰? 『あの子』って?」
「はいっ!? え? あたし、そんなことまで言ってた!?」
「うん、もうホラー映画バリに、『あの子…あの子…あの子…』とかって」

両手をぶら下げるようにして、お化けみたく言ってみせるえり。
や、怖いから。
なんでも本格的にやっちゃうえりは、女の人が井戸から出てきて
睨みつける某映画みたく目をむき出してるし。
ハーフっぽい顔立ちだから、余計怖い。

「やめてよーもー」
「あはっ、でも、ホント誰? 気になってる子?」
「っていうか…」
「否定しないんだ? うん? 舞美に春が来た?」
「そういうんじゃなくてさ、なんかさ、なんかこー…、
初めて会ったんだと思うけど、昔どこかであったような気がする子っているじゃん?
でも思い出せなくって、気になるーみたいな」
「舞美、ぜんっぜんわかんない」
「や、あたしもわかんないんだけどさ」

なにそれー、なんてえりは また呆れ顔。
でも、ホント、そういう言い方しか出来ない。

221 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:52

気になってる。
間違いなく。
授業も頭に入ってこないくらい。

でも、恋をするっていうのとはちょっと違ってて。
言うならば、芸能人で惹かれる人を見つけた、そんな感じの。
うーん、うまく表現できないなぁ。

「なんかでも、舞美が気になる子ってちょっと興味あるかも」
「えー?」

うんうん唸るあたしに、えりはキラキラした目で顔を覗きこんでくる。
こういう話が好きな女の子独特の興味津々って目で。

222 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:53

「だって舞美、今まで特別に気にかける子とかいなかったじゃん?」
「そうかなぁ? 後輩とかちゃんと面倒みてるつもりだけど」
「そういうんじゃなくて」
「えりも、気になるもん」
「え…っ?」
「どうやったらえりみたいにギャグとかできるのかなぁって」
「あ…そういう『気になる』か…」

途端に肩を落としてるえり。
え? なんか傷つけた?
もしかして、今のギャクには納得してないとか?
すごいなぁ…やっぱりそこは形はどうあれ、尊敬するところかも。
でも、納得できてないギャグとかって、えりはどこまで上昇志向なんだ。

首をひねれば、ますますえりは頭を斜めにしてうなだれている。
なんでよ。

223 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:53

「はぁ…舞美にそーゆーのを期待するのが早すぎたね、うん」
「なによそれ」
「いーのいーの、それでこそ舞美って思うし、安心したから」
「ヘンなえりー」

安心って、なんかちょっと意味わかんないし。
しかも子ども扱いされた気もするし。
でも、嫌な感じがいないのは、えりの人徳なのかも。

基本的にえりは人をからかったりとか、そういうことあんまりしない。
自分がされて嫌な事は人にもしないって、いつか聞いた気がする。
きっとお父さんが厳格な人だから、えりもしっかりしてるんじゃないかな。
だからあたしも、えりには色んな相談を安心して話せたりして、
とっても頼りになるんだよね。
というか、結構頼りっぱなしだったりするのかも。

224 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:54

「それより舞美、次の授業移動教室だよ。教室の鍵取ってこないと」
「え、うそ、マジ?」
「マジもマジ、音楽だから」

こんな風に教えてくれたりするのにも感謝。
あたし、えりがいなくなったらヤバいんじゃないかなーなんて思っちゃう。

「ホントだっ、ちょっと鍵取りに行ってくるね」

いってらっしゃーい、なんて手を振るえりに見送られて教室を出た。
外に出る瞬間、待ってるよーって感じであたしの机から教科書とかを
用意してくれる姿が見えてちょっとありがたかったっけ。

225 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:54




職員室への廊下を歩きながらため息ひとつ。

なんというか…今日一日ずっとぼーっとしそうかも、なんて。
ダメだなぁ…もう…。
気になることがあるとすぐ意識がそっちにいっちゃうから…。
いやいや、いけないいけない、ちゃんと頭切り替えないと。
日直の時に限って、失敗とか多い気がするし。

でも、ふとした瞬間に考えるのは、…どうしても離れない意識。
ぱっと、フラッシュバックみたいに、映像が断片的に流れるんだ。

226 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:54

あたしをまっすぐ見つめた目。
女の子らしい澄んだ目だったのに、どこか温もりの欠けた目…。
向けられた笑顔は、中学生には見えないぐらい大人びたもので…。
印象深かったのは、やっぱり去っていった時の背中。

しゃんとしていた。
何者も寄せ付けない雰囲気を放ちながら。
でも、細く華奢な身体の線は、繊細な女の子そのもの。

そのすべての仕草とかが、脳裏から離れない。

なんとなく…。

なんとなくだけど、そこまで思って、
もう一度会いたいって、思ってる自分がいるのは自覚してたんだ。

227 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:55

でも、中等部の子に、ほいほい会いにいけるわけでもないし。
第一、どこのクラスの子なのかわかってない。
名前さえもわからないのが一番困ったところ。
せめて名前さえわかっていたなら、考えようもあったのに…。

って、何考えてんだあたしは。
きっと相手には迷惑そのものだし。
気になるから会いにきました、とかって、なんだそれ。
おかしいにも程がある。
会って、何話していいのかだったわかんないんだし。

んー、危ない危ない。
とりあえず、少し落ち着こう。
なにをするにも、本末転倒もいいとこじゃん。

ダメだなぁ、あたしってば。
後先考えずに行動しがちだから、
いつだって行動を起こしてから後悔しまくってる。

228 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:55

うーん…どうしたものか…うーん…

「舞美ちゃん」

うーん…うーん…うーん…

「舞美ちゃんってば! ぶつかるよ?」
「え? わっ」

顔を上げれば、目の前に壁。
思わず飛びのいて驚く。

危ない危ない…っ、職員室への階段を下りようとしてたのに
ぼーっとしてたせいで、廊下の端まで通り過ぎてたみたい。
……てか、10m近く行き過ぎるって、どんだけボケてるんだあたしは。

229 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:56

あれ?
でも、誰かが呼びかけてくれた?

ぱっと振り返る。


そこに――――


「あ…!」

「こんにちは」


――――― あの子がいた。


230 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:56

きょろっとした目。
笑うと薄い唇の端に見える八重歯。
皮膚は薄く、透き通るような白い肌が特徴的。
ちょん、と頭のてっぺんでくくった髪が印象深い。

そう、あの子だ。
ずっと記憶にひっかかってたあの子。

もっと以前、点滅する記憶の奥に、きっといる。
でも、今は目の前に。
会いたかった子が、目の前に。

231 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:57

「あ…、えっと…、こんにちは」

あまりのことに間抜けにオウム返しするしかできない。
突然の驚きに、誰もがそうするように。

だって。
今の今まで考えてた人が目の前に立ってる。
噂をすればなんとやら、とはいうけれど、
こんな偶然って、そうそうあるもんじゃない。

心の準備も何もなく、こんな風に会うと、
いざ出る言葉なんて、そうそうないものなんだ。

「あははっ、舞美ちゃん、すっごい顔してるよー」

はっと、我に返ったのは、
その子の後ろで馴染み深い顔をみつけたから。

232 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:58

「栞菜?」
「へっへー、来ちゃった。ってか舞美ちゃん、もう少しで壁にぶつかってたよ?」
「や、それは…。っていうか、来ちゃったって…」

冷静に考えて苦笑する。

あまりの衝撃に忘れていたけど、ここは高等部の館、旧館で、
ほいほいと中等部の生徒がこれるような場所じゃない。
ちらりと横目で見れば、タイの違う場違いな二人を訝しそうに一瞥しながら
歩いていく人たちばっかり。
なのに、栞菜ってばまるっきり悪びれた感じもなくって

「いーの。舞美ちゃんに会いたかったから」

そんな事を言う。

233 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:58

まったく…、そんな風に言われたら無下にできない。
計算していってんだか、どうなんだか…。
でも、いつもの栞菜だったから、あたしもやっと平常心に戻れたんだ。
自然な具合で、栞菜の顔を覗きこむ。

「で? どうした? なんか部活の相談事とか?」
「ううん、今日はね舞美ちゃんに紹介したい子がいて」

それが…、この子?
目が合えば、やっぱりどこか不思議な色をした瞳で静かに笑ってる。

「うちのクラスの転校生!帰国子女なんだよ? 愛理は」
「帰国子女? あいり?」
「愛理です、鈴木愛理」

訊き返せば、栞菜が反応するより早く凛とした声が届く。

234 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:59

意外とトーンの低い声。
けれど、少し言葉を巻き込む発音。
それは外見と違って、どこか幼いイメージ。
でも、曇ることなく、耳にしっかり届く。

こんな声、してたんだ…。
なんだか妙に感動している自分がいた。
初めて触れた音楽のような、そんなふうに。

「あ…、えっと、鈴木さん?」
「愛理でいいです、矢島先輩」
「や、でも」
「みんなそう呼びます」

や、そりゃ、同級生とかは、そう呼ぶでしょ。
なんか、年齢に似合わず大人びた態度に戸惑うなぁ。
235 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 13:59

初めて逢った時もそうだった。
たった一瞬、すれ違っただけだけど、
なんか、つかめなくて、不思議な雰囲気を持ってて。
何を考えてるのかよくわかんない笑顔。

帰国子女って聞けば、なんとなくわかる日本人離れしたような感覚。
栞菜とは違った意味で、まったく周りの目にも動じなくって、
まっすぐ、あたしの目を見つめてて。
こっちの方がホント戸惑ってしまう感じ。

いったい…この子って…どんな子なの…?

236 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 14:00

「いいんだよ、舞美ちゃんっ」
「栞菜?」

ぴょこん、と目の前の女の子に両肩に手を当てて
顔を覗かせてきたのは栞菜。
その子と笑いあったりして…、人見知りの激しい栞菜にしては珍しい。

「愛理がいいって言ってるんだから、愛理って呼ぶの」
「なんかムチャクチャ…」
「あ、そーだ、愛理も舞美ちゃんって呼びなよ」
「えっ?」

突然何を。
私、まだこの子のことなんにも知らないんだよ?
なのに、そんな軽く…。

多分、おんなじことを思ったんだろうな。
目の前のその子も、一度だけハの字に眉を下げて。
でも、それも一瞬、またあの笑顔。
よん読み取れない不透明な笑顔。

237 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 14:00

「もう少し仲良くなったらね。ありがとう、栞菜」

綺麗な切り返し。
ありがとう、なんて言われたら、その後の言葉は続かない。

「そう? ぜんぜんいいのにー」
「栞菜、それは私が言うようなセリフ」
「あ、そっか」

たしなめるように言うと、てへへ、と笑ってみせる栞菜。
まったく…憎めない笑顔だなぁ。
ほら、その子も、一緒に笑ってるし。
でも、

「でも、愛理、舞美ちゃんに逢いたかったんでしょ?」

え?

238 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 14:00

ふっとした一言に、あからさまに反応してしまった。
たぶん、今の私は笑みを消して、栞菜とその子を驚いた目で交互に見てる。
だから気づいた。

言われた瞬間、その子はちょっとだけ瞳を揺らしたんだ。
困惑したように、ちょっと戸惑うように。
さっきまでの彼女からすると、大きな変化。
だから、あたしでも見逃さなかった。
そこに表れた感情をいうなら、『しまった』。

あたしに、逢いたかった?
どうして?

239 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 14:01

「だって愛理、舞美ちゃんの事いろいろ調べてたみたいだし?」
「それは…」

口ごもる姿は、本当に困っているみたいで。
でも、栞菜はわかってなくて、きょときょとしながらその子に問いかけてる。

自分のことを調べられたりするって、なんか不思議な感じだし、
あんまりいい感じはしない。
そういう感覚をわかっているから、その子もバツが悪いのかも。
本人目の前にして言われたら尚のこと。

気になる。
なんであたしなんかを調べていたのか。
どうしてあたしに会いたかったのか。
初対面にも近いんだし、すごく気になる。

でも、なんとなく、気まずそうにしている姿を見たらなんにも言えなくて…。
ただ、

240 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 14:02

「いいじゃん、ほら、こうやってお話することができたんだし、ね?栞菜」

そうやって受け流す事しかできなかったんだ。

自分でも時々気の利かなさに呆れる。
今だって、もう少しなんかいい言い方があったはずなのに。
とっさの言葉なんて、引き出しの少ないあたしにはそうそう浮かばないんだ。

「えー? まーそーなんだけどさぁー」
「じゃあ、その話はおしまい」
「うーん」

まだ唸るみたいにしてる栞菜だけど、
これ以上は可哀想に思えたから。

241 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 14:02

ふっとその子に視線を向けると、じっと私の顔を見つめていた。
少しだけ驚いたみたいに、まっすぐに。
でも、ちょっと、…色の無い瞳で。

その射抜くような視線に、少しだけドキっとしたんだ。
心臓が、どくんって緊張にも似た感じに一度鳴って…、

「あ〜、だからさ、えっと、愛理もまた気軽に話しかけてね」

気づいたら、愛理、って。

自然と口をついて出てたんだ。

沈黙に耐えられなくて、出てきた言葉みたいに。

242 名前:転校生 投稿日:2008/01/06(日) 14:02

「…ありがとうございます、矢島先輩」

あ…笑った。

その子…愛理は笑顔で私にそういった。
嬉しそうに、本当に嬉しそうに。

その笑顔は、年相応の初めて見る笑顔だった気がする。
無邪気な、なんの含みも無い…そんな笑顔。

でも、だからこそ疑問が残ったんだ。
自分より年下なのに、どうしてこの子は…こんなに大人びているんだろう。
今の笑顔と、いつも笑顔、いったいどっちがこの子の笑顔なの?って。

不思議な子…。
もっともっと、知りたくなる、本当に不思議な子。

ただ、この時視界の端で、あたしと愛理を
無表情で交互に見つめている栞菜が映ったのに、気づくことはなかった。

243 名前:tsukise 投稿日:2008/01/06(日) 14:03
>>218-242
今回更新はここまでです。
矢島さんが、なぜなに少女な今回でした。

>>215 名無飼育さん
長編スタートにご感想ありがとうございます(平伏
やじすず、スローペースで進むと思いますが、
ひっそりと見守っていただければ幸いです(平伏

>>216 名無飼育さん
楽しみというご感想、作者には励みです。
ありがとうございます(平伏

>>217 名無し読者さん
ご感想ありがとうございます(平伏
鈴木さん、そうですね、不思議な感じですね。
どうぞ、続けて読んでくだされば幸いです(平伏

244 名前:名無し 投稿日:2008/01/06(日) 19:22
お疲れ様です!
やっと二人の再会ですね!!
続き、楽しみにしてます。
245 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/06(日) 21:37
更新おつ栞菜です。
ほんわかしてて良いですねぇ。
次も楽しみにしてます!
246 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:56

愛理と知り合ったからって、突然何かが変わるわけでもなく、
あたしはあたしの日常を送っていた。

ただ、知り合った分、どこか安心感みたいなものが生まれたのも事実。
もうそこまで知りたい、会いたいって思わなくなったのもそのせいかも。
いつでも会える、いつでも知り合える、そういう安心感。

今も放課後のグラウンドで、必死に汗を流してる。
ただ走る事に集中して。

247 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:56

「ハァッ、ハァッ」
「お疲れ、舞美」
「うん…っ」

大会メニューを消化して、一度休憩に入る。
いつものように、傍らにはえりがいて、ボードを向けてくれて。

「タイム、一気に縮まってきたんじゃない?」
「うん、良かったよ」
「今朝の迷いとか、ふっきれた?」
「だから別に迷いとかなかったんだってば」
「そう? なんか考え事してるみたいに見えたんだけど?」

そんなことないんだけどなぁ…。
うーん、もしそう見えたのなら…愛理のことかな?
言ったら『なにそれーアオハル?』なんてバカにされそうだし、
言わないけれど。

248 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:56

「よしっ! じゃーもう一本!」
「すとーっぷ!」
「えっ?」

立ち上がろうとしたあたしを、強引に引き戻したのはえり。
いつもは感じられないはずのえりの腕力に思わずよろめいて尻餅。

「まだ休憩して5分でしょ? 15分は身体を休めなきゃダメ」
「えー? 十分休んだよー」
「の割には、簡単に尻餅ついてたし」
「いやいや、いきなり引っ張られたから…」
「何を言ってもムダ。いいから休みな…ってか、水分補給した?」
「あ」
「ほらぁ〜」

なんかえり、甲斐甲斐しい奥さんみたいだよ…。
ばさっと首にかけていたタオルをあたしの頭に落としたりして、
流れ出る汗をせっせと拭いてくれてるし。

249 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:56

「いいよ、えり、自分でやるって」
「言ってやった試しとかないじゃん、舞美」
「そ、そうだっけ?」
「いっつも汗ダッラダラ流して歩いてるのよく見るもん」
「あ、あはは…」

汗に関しては、何も言えない。
しょうがないじゃん…、勝手に流れ出るんだし。
ってか、みんなどうやって汗のコントロールしてるのか一度訊きたい。
根性とか努力があれば止まるものなの?
汗腺を自由にできたらいいのに。

「とりあえず、顔洗ってきたら? さっぱりするし」
「うん、そうする」

素直にマネージャーの助言は受けよう。
えりがアドバイスして外れたことは、そうないし。

きゅっと首にタオルをかけなおすと、立ち上がる。
なんだかんだで身体が重い感覚がして、
やっばりえりの言うとおりだと実感したっけ。

250 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:57





「ぷはーっ!」

ざぶざぶと顔を洗って、思いっきり顔を上げる。
まるでカバの水遊びみたく、あたり一面に水が飛ぶけど構わずに。

日に日に気温が上がっていくこの時期は、
水道水の冷たい水が一段と心地よくって、何度も洗ってしまうんだよね。
人肌の水が肌にはいいってよく言うけど、そんなの気にしない。
すーっと汗が引いていく感じが好きなんだ。

251 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:57

「む〜〜」

肩にかけていたタオルで、今度はがしがし顔を拭く。
部活で使ってるタオルは、とっても柔らかい。
えり達、マネージャーのみんなに感謝だね。

ふと深呼吸すれば、聞こえるのは吹奏楽部のロングトーンの音。
新入部員も、そろそろ部活動に慣れ始める時期だし、
はずれた音は、そんなにしなくなってきてる。
なんか成長、って感じ。

遠くでそれを聞きながら、グラウンドへ戻っていく。
来るときとは違う道を通るのは何気ない気分転換。
他の部を見ると、とっても新鮮なんだよね。
だから、裏道をちょっと遠回り。

252 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:57

「スケール1、ゆっくりついてきてー」
「はいっ」

歩く中、聞こえる声に頬が緩む。
いいよね、先輩が後輩を引っ張っていく感じの声。

「そこ、違うよ」
「すいませんっ」

こうやって注意してくれるのも愛情愛情。
あたしにも、こんな時期あったよなぁ。

「だから、何様って言ってんだよ」

………、や、こんな注意はなかったけど。

253 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:57

「へらへらしないでよ、補欠なんだし真面目にしてよ」
「聞いてんの? 栞菜」

って、あれ?
栞菜?

そういえば、栞菜の姿をグラウンドで見なかった。
てか、声はあたしのすぐ近くでする。
こんな裏道で練習する部なんてない。


…………、もしかして…?


嫌な予感を感じながら、おそるおそる声のする方へ向かう。
そこに…。

254 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:58

「へらへらなんてしてない。あたし、ちゃんと練習してる」
「何言ってんの? いつも練習サボって高等部の先輩んとこに
行ってんじゃん」
「そうだよ。みんな知ってんだからね?矢島先輩に
迷惑ばっかかけてるじゃん」
「それは……」

栞菜がいた。
ううん、栞菜だけじゃない、あれは中等部の部員。
3人がちょうど栞菜と対峙するみたいに向き合って、
なんか、ちょっと、不穏な空気。

255 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:58

「矢島先輩が優しいからって、甘えすぎだよ」
「そうだよ、先輩の邪魔ばっかりして、やる気ないんじゃない」

あたしの名前が出た途端に、栞菜は小さくなっていくのがわかる。
それをいいことに、一斉に畳み掛けるようにしてる。

これって……、よくない。

まさか自分の部で、こんなことがあるなんて知らなかった。
しかも身近な存在が、巻き込まれているなんてことも。

「聞いてんの? シカトだったらムカつくんだけど」
「補欠のくせに」
「ちょっと、なんとか言いなさいよ」

肩口を小突くように栞菜に迫っていく三人。

マズイ…かも。
これ以上は、ちょっと度が過ぎてない?

256 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:58

「矢島先輩だって、あんたの事なんてウザイって思ってるよ絶対」
「っ! そんなことない!!」
「っ!? な、なによっ」

それは突然のことだった。
栞菜が、掴みかかるように3人のうち1人に掴みかかったんだ。
意外と腕力のある栞菜の力に、思わずよろめいてるその子。
でも、栞菜は手を止めない。

「舞美ちゃんは、そんな人じゃないっ! ちゃんとダメな事は
口で言ってくれる! そんな風に思うんだったらちゃんと言ってくれるもん!」
「や、やめてよっ! 離して!」
「撤回して! 舞美ちゃんのこと、悪く言わないで!」
「ちょっ! 離して…! 離してってば!!」
「あっ!!

ドン、と振りほどくように、強く押される栞菜の身体。
勢いで掴みかかっていた分、反動は大きくて。
踏ん張りもきかずに、後ろから倒れこんで…

257 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:58


危ない―――ッ!!


思ったのと、飛び出したのはほぼ同時だった。
肩にかかっていたタオルを落としながらも、一直線に栞菜へ。

こんなときに役に立つ俊足。
二、三度地を蹴ればトップスピード。

「栞菜ッ!」

そのまま両手を広げて、肩から転びかけている栞菜へ。

腕を掴んでしまえば早かった。
思いっきり自分の方へと引き寄せ、
あたしより幾分小さな身体を胸に受け止める。

258 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:59

「あ…っ!」

でも、倒れこもうとしている瞬間を捕まえるという
引き上げるには無理な体勢が災いして…

「っ!!」


ドン――――!!


一緒に派手に転倒。
それでも、栞菜だけは必死に庇う。

結果、地面に強く叩きつけられるあたしの身体。
そして―――、


「――――ッ!?」


全身を一瞬駆け巡る鋭い痛み。
最初に走ったのは、右足。そこから身体を一周。
もつれるように絡んで、固い地面に押し付けられたせいだ。

259 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:59

「痛たた…」
「え…っ? ま、舞美…ちゃん…?」


自分の身体に衝撃がこないことに気づいた栞菜が
恐る恐る閉じていた瞼を開けて、放心したような声を上げた。
ちょうど抱きしめる形になっていたから、その表情は見えなかったけど
すごく驚いてるに違いない。

そう、目の前で呆然としている3人と同じように。

260 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:59

「や、矢島先輩…っ!?」
「どうして…っ!?」

戸惑った声を遠くに聞く。
でもその子たちと向き合う前に、そっと腕の中にいる栞菜を覗き込む。
無事を確認しながら。
見た感じ、大丈夫そうだけど…。

「栞菜? 平気? どっか痛めてない?」

気づいた栞菜は、目をぱちぱちさせながら、顔をあげた。

「舞美ちゃん…、う、うん…舞美ちゃんが庇ってくれたから、どこも…」
「そっか、良かった」

うん、無事ならいい。
安心した。
ぽん、と頭を撫でるけど、動揺してる栞菜はそっとあたしを見上げたまま
何も言葉が続かないみたいだった。
まかりなりにも、栞菜だって陸上部員。
どこか痛めたりして、練習に支障が出たりなんかしたらもったいない。

261 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 18:59

「立てる?」
「う、うん…」

そっと、身体を支えるようにして立ち上がる。
よろめく栞菜だけど、あたしの手をぎゅっと一度掴むと
しっかり自分の足で立ち上がった。

それを確認して、向き直る。
原因を作った3人に。

「あ…、あの…」

まさかあたしが出てくるなんて思わなかったんだろうな、
その子達は、一気に顔色を変えてたじろいでる。
そりゃそうだよね、こんな場面、一番先輩には見られたくないだろうし。
内心、すっごくビクビクしてるのかもしれない。

262 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:00

こんなとき、あたしはどうしていいのかよくわからない。
元来、人を怒ったりするのとか苦手だし、
だからといって放っておけるような性分でもなくて。
ただ、まず行動を起こして考える、一番困ったタイプなんだと思う。

今も、何を言っていいのかわかってない。
でも。

でも、伝えなきゃ。
ちゃんと、間違ってるって思ってることは。
説教なんてできないけれど、思った事はちゃんと伝えたい。

263 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:00

「こんなこと、無意味なことだよ」

正面からまっすぐ3人を見据える。

1つだけ許せなかったんだ
喧嘩ならまだよかった。
お互いの意見がぶつかるんだし、ちゃんと言いたい事を言い合えるんだから。
でも、こんな一方的なのは、間違ってる。

たとえ栞菜に非がある内容だったかもしれなくても。
何人かで一気に言うのは違うって思うんだ。

「立ち聞きするつもりなんてなかったけど、ごめん」
「あ…いえ…」
「でも、栞菜はそんな子じゃない」

こういう言い方は、自分でもマズイってわかってた。
でも、知って欲しかった。
栞菜は、そんな子じゃないんだって。

264 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:00

不器用だから、誤解される。ただそれだけ。
仲良くなりたい、それだけなのに、自分をアピールする方法がわからないから、
どうしても『自分』を無条件に受け入れてくれる人に頼ってしまう。
だから誤解されるんだ。
でも、知れば。

「栞菜、とっても努力家だよ?」
「先輩…」

複雑な表情のその子たち。
こんな状態で何言っても無駄だろうけど。
でも、聞いて欲しい。

「補欠だからって、ただウチら高等部員のところに遊びに来てるわけじゃない」
「でも…っ」
「知ってる? 最近、栞菜のフォームがあたしに似てきたの」
「え…っ?」

驚いた声は、その子と、栞菜から。
ぱちぱち目を瞬かせて、あたしを見上げてるし。

265 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:00

気づかないと思った?
あたし、これでも一年でのレギュラーってプレッシャーを受けながら
練習してるんだよ?
必死に、先輩を追いかけて。
これって、みんなや栞菜を含めた後輩の姿に似てるでしょ?
だから気づいた。

「栞菜、ウチらレギュラーのフォームとか、いろいろ研究してる。
色んなものを盗もうと必死になってる。全然そんな風に見えないかもだけど、
息の入りとか、春に比べて全然良くなってる」
「舞美…ちゃん…」

泣きそうな声。
栞菜からは初めて聞くかも。
きっと今、色んな力がぬけてるんだ。
体重があたしに傾けられているもん。

それを、あたしは、しっかり支えた。

266 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:01

「ちゃんと見てあげて? 人の悪いところのほうが目についちゃうのは
仕方ないけど、それと同じくらい色んないいところも見てあげて?」
「先輩…」
「じゃなきゃ…、いつか越されちゃうよ? うかうかしてると
レギュラーなんてあっという間に変わっちゃう」

努力しても無理な事ってある。
でも、その努力は、絶対に無駄じゃない。
そう、あたしは信じてる。
だから、こんなことする時間があるなら、もっと。

「こんな時間、無意味でしょ? だからもう、これでおしまい。いい?」
「………で、でもっ」
「それでもまだ、言いたい事あるなら。…今度は一対一で言いな?」
「あ…」
「ぶつかる事、あたしはダメなんて言わない。でも、
考えなきゃいけないことってあるよね?」

ぐっと詰まるその子たち。
あたしなりのルールの押し付けかもしれないけれど、
でも、間違ってることは間違ってるって、誰かが言わなきゃ。
自分たちがわかっていないなら、第三者が。

267 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:01

「説教っぽくなってごめんね? でも、わかって欲しいから。
言ったらみんなはわかってくれる子だって思うから」

最後はちょっと苦笑い。
やっぱりあたしの意見の押し付けだって気づいたから。
こんなところにしゃしゃり出て、ちゃんとまとめたりも出来なくて。
ちょっと、悪かったかなって自分でも思うもん。

「みんな、ごめん」
「栞菜?」

そこまで黙って聞いていた栞菜が、ゆっくりあたしから離れて頭を下げた。
膝に頭がつくんじゃないかってぐらいまで。

「あたし、がんばるから。がんばってみんなに認めてもらえるように
努力するから」
「有原さん…」

さっきの今で、やっぱり複雑に顔を見合わせるその子たちだけど、
もう最初の勢いはなくって。

268 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:01

「あたしらも…、やりすぎた感じはするけど…、わかって欲しかったから」
「うん、ごめん。あたし、真面目に練習はするから」
「それが聞ければ…うん…まぁ…」

真剣な色をした栞菜の目に押されたのか、
その子たちは、しぶしぶながら頷いた。

きっと今はまだ納得できないと思う。
でも、納得するのは時間の問題。
あたしは知ってる。
栞菜のタイムが、少しずつだけど着実に縮まっていっているのを。
結果が出れば、みんな何も言わない。

補欠だから、なんてタカをくくっているといつか痛い目にあう。
だから、がんばって欲しい。
こんな無意味な時間を作るよりも、自分を磨いて。

269 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:01

「さっ! 練習に戻ろっ! 休憩時間長く取りすぎだぞ!」
「あ……は、はいっ」
「ほら、行った行った!」

パン、と手を叩いて、ハッパをかける。
気持ちの切り替え、ちゃんとしなきゃ。

その子たちも、もう何も言わずにグラウンドに駆け出した。
その背中を少し苦笑しながら見つめたっけ。

270 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:02


「………舞美ちゃん」


呼ばれて振り返れば、困ったみたいな、ちょっと泣きそうな、
そんな目をしてる栞菜。

なんだか、その目を見てると自分がしたこと
あんまり良くなかったような気になってくる。

「栞菜、ごめん、なんか、あたし余計な事したかも」

でも、言い終わらないうちに、栞菜はブンブンと思い切り首を振った。
肩口で揺れる髪が大きく乱れるぐらい。

271 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:02

「そんなことないっ、舞美ちゃん、そんなことないよっ?」
「栞菜…」
「舞美ちゃんが来てくれなかったら、あたし多分酷い目に遭ってた。
ううん、あたしも酷い事、みんなにしてた」

いつもはハキハキしている栞菜が、今はとても小さく見える。
きっと栞菜には、こういう経験があまりなかったんだと思う。
だから言葉の打ち返し方とか、全然わからなくって、翻弄されて。

あたしが通りかからなかったら、なんて思っただけで
少しだけぞっとした。

怪我だけで済むなら、治せばいいだけ。
でも、心に辛いものを持ってしまっていたのなら、
きっともう陸上なんてできなかっただろうし、
ずっとずっと、重い気持ちを引きずっていたと思う。

多分、それはあの子達も。
そういう思いだけはしてほしくない。
少なくとも、あたしの目の届く範囲の中だけでは。

272 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:02

「栞菜…」
「ありがとう、舞美ちゃん」
「いいんだよ、そんなの。ほら、それより栞菜も早く戻んな」
「舞美ちゃん…」

ちょっとウルウルしてる目。
黒目がちな瞳をしてるから、きらきらしてて綺麗に映る。

「大丈夫? 戻れる…?」
「うんっ、大丈夫! だって…」

そこでキラっと目の奥が光った気がした。
それは今朝感じた、あの感覚。

あっ、やばいかも!…なんて思ったときには、やっぱり遅かった。
わかっていたのに、遅かった。

にやっと一度笑った栞菜が、トン、と軽やかにステップを踏むみたいに
あたしに近づいてきて、サラっと唇を頬に押し付けてきたんだ。

273 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:02

「舞美ちゃんがいてくれるんだもん♪ あはっ、またまたご馳走様っ!」
「かっ、かっ、かっ、栞菜っ!!」
「あはははっ」

やられた頬を押さえて叫ぶけど、
やっぱり栞菜はもう脱兎のごとくその場を去っていて。
残されたあたしは、ため息ひとつ。

まったく…栞菜は相変わらず…。
でも、憎めないのは、人徳、かも?
そんな風に思っちゃう。

「さ、あたしも戻るかぁー」

うーん、と一度伸びをして、一歩を踏み出す。

その瞬間。

274 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:03


―――――ッ!!


右足に、鋭い痛み。
電気が走ったような。
思わず顔をしかめてしまうぐらい。

待って。
え?

「………、捻った?」

そのまま右足は鈍い痛みを少し続け、それから消える。

……………。

まぁ、このぐらいなら、明日には…。

275 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:03


考える必要なんてない。
大会まで日がないんだ。
ただ一生懸命がんばるだけ。
大会まで、がんばるだけ。

それだけ自分に言い聞かせて、
胸に広がった黒いシミのようなモヤモヤしたものを振り切ったんだ。

276 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:03





その後のタイムは散々だった。
久しぶりにえりに、こってりしぼられる程に。
『休憩中になにやってたのよ? ずっと全力疾走でもしてたの?』
なんて言われて、ただ苦笑いするしかなかったっけ。

原因は、やっぱり痛めていた右足首。
時間が経つにつれて、ジンジンと痛みを伴ってきてるんだ。
ふっと視線を向けて驚いた。
だって、さっきまではなんともなかったのに、
痣のような濃い色を浮かばせながら、
どんどん腫れ上がっていたんだから。

277 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:03

折れてる?
ううん、それはない。
それだと、歩く事だってままならないんだ。
きっと、筋を痛めた。
踏ん張りがきかないのはそのせい。

「うーん…」

さするようにして感触を確かめる。
自分の身体なんだからそれだけでわかる、結構酷い状態。

まいった…。
この時期に、こんな怪我をするなんて。
すべて自分のミス。
後先考えずに行動するから、ときどきこうやって後から後悔してる。

278 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:03

でも、あのときはどうしようもなかった。
どうしても、気持ちを抑える事ができなかったんだから。
だから、足を痛めたことを後悔しても、自分のしたことは後悔してない。

「でも…困ったなぁ…」

大会まで1週間を切ってる。
しかも、明日には最終調整で部員全員のタイムテストがある。
まずはそれをクリアしなきゃ、この状態で大会なんて難しい。

「少し…残って練習しようかな…」

この状態に慣れておきたい。
せめて大会が終わる瞬間までは。
ゆっくり立ち上がろうとして、

279 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:04

「よっと…」

瞬間、激痛。

「――――ッ!!」

声にならない声が、思わずこぼれる。
呻くようにしてうずくまれば、額から落ちる脂汗。

痛い。
重心を傾ければものすごく。
とてもじゃないけど…このまま居残り練習を続けるなんて無理だ。
逆に別の場所も痛めてしまいそう。

「今日は…もう帰ろう…」

苦痛に顔が歪んでしまう。
こんな姿、みんなに見せられない。
特にえりになんて見つかったら…―――

280 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:04

「あれ? 舞美、今日は居残り練習しないんだ?」
「っ!?」

えり…!?

「わっ、なに? そんなお化けでもみるような顔して…」
「あ、ごめん、違うよ? ちょっと考え事しててびっくりして」
「舞美が考え事? 今朝といい、明日は嵐だね」
「ひどいなぁ、あたしだって悩み事のひとつやふたつぐらいあるし」
「そうなの?どうせ今日の晩御飯はなんだろーとかでしょ?」
「ちょっとー」

もー、なんて笑って見せるけど、内心、冷や汗タラタラだった。
なんてタイミングよく現れるんだ、えりは…。
たぶん痛めている足には気づかれてない。
気づかれてたら、こんな笑い話なんてきっとしないと思うから。

281 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:04

「で? どうしたの? 今日は。いつもあと2、3本走りこみして帰るのに」
「あ、うん、なんだろ、ちょっと用事かできたりできなかったり」
「どっちよ」

舞美、言葉ヘン、なんて言われて苦笑。
元来、嘘とかつけない性格なんだ。
咄嗟に訊かれても難しい。
でも、心配とかかけたくないし、なんとか…。

「や、今日はどうしても外せない用事があるの、だから」
「ふーん…」

探るような視線に、ぐっと咽喉の奥で唸る。
心の奥まで見抜かれそうな、そんな目でジっと見つめてくるから。
まるでヘビに睨まれたカエル状態。
ちょっとした威圧感があるのは、あたしのことを知り尽くしているから。
ホントに用事とかあるのか真意を測っているんだ、きっと。

282 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:04

「うぅぅ…」
「んー、ま、いいでしょ。その大事な用事とやらのせいで
朝から舞美がおかしかったのかもしれないし」
「あ…」

ふいっと逸らされる視線に呪縛が解ける。
しょうがないなぁって感じでため息をついてるのをみると
やっぱり、あたしの嘘がバレてるような気がして気が引けたけど。

でも、やっぱり足には気づいてない。
これだけ観察するように見られて言われないってことは、
全然気にも、とめてない。
そのことにホっとした。

283 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:04

「ちゃんと帰る前に汗は落とすんだよ? 風邪なんて引いたら
承知しないし」
「う、うんっ、わかってる」
「じゃ、続きはまた明日だね」
「ありがとう、えり」
「じゃあ、あたしもこれで帰るわ」
「うんっ」

やれやれ、なんてもう一度ため息をついて去っていくえり。

ごめんね、えり。
いろいろ気を遣わせて。
でも、その分がんばるから。
こんな怪我なんてハンデだったんだって思えるぐらいがんばるから。

小さくなっていく背中に、ぺこんと頭を一度下げて、
ただただ、あたしは心の中で謝っていたっけ。
あたしのことを大事に思ってくれる親友に。

284 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:05





着替えも済ませて、荷物片手に部室を後にする。
えりと鉢合わせないように時間をずらしたりして慎重に。

他の部員は居残り練習をしているか、とっくに帰ってしまったかの
どちらかだから、心配することもなかったけど。
えりだけは例外。
さっきみたいに、すっごいタイミングで会うこともあるから。
さすがに30分もずらせば大丈夫だったみたい。

285 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:05

「ふぅ…」

桜並木をひょこひょこと歩きながら、考える。
誰が見てるとも知れないから、右足をできるだけ自然に踏み込みつつ。

なんにしても一番の強敵は、えりだ。
いつも一緒にいる分、感づいたりするのも時間の問題かもしれない。
気づいたら…きっと相当怒られるだろうなぁ…。
怒られるだけならいいけど、大会直前だったりしたら…。
絶対それだけは避けたい。
どうしても、大会には出たいんだ。
今までの努力とか、そういうのもあるけど…一番の理由は…。

286 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:05

「あっ、舞美ちゃんっ」
「えっ?」

名前を呼ばれて、ぷつんと思考が途絶える。
顔を上げれば、その先にいたのは栞菜………と、愛理?
栞菜はなんか嬉しそうにその場で弾んでるし。
その隣で、愛理は静かにあたしを見ているだけ。
てか、高等部の正門に立ってでなにやってんの?

「どうしたー? なんかあった?」

訊きながら近づいていく。

287 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:05

「舞美ちゃんを待ってたんだよー、一緒に帰ろう思って」
「えー? どういう風の吹き回し?」
「なに言ってんだよー、いつも一緒に帰ろう?って言ってるのに
居残り練習するからーって今まで断ってたの舞美ちゃんじゃん」
「あれ? そうだっけ?」
「さっきさ、えりかちゃんが帰ってくの見たから、舞美ちゃんも
帰るかな〜っと思って待ってたの」
「あぁ」

そっか、そうだよね、
いつもあたし居残り練習にえりをつき合わせてるもんね。

「じゃ、帰ろ? 日が長くなったって言っても暗くなっちゃう」
「あ、待って、舞美ちゃん」
「え?」

すっと前を横切って校門を出ようとしたあたしを、
栞菜がどこか真剣味を帯びた声で引き止める。
振り返れば、同じくらい真剣な表情。
隣に立つ愛理が少し心配そうに見つめるほどに。

288 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:05

「どうした?」

引き止めてから続かない言葉に、優しく問いかけてみる。
ちょっと顔を覗きこむようにすれば、一度躊躇するように
唇を噛み締めて…、それから意を決したようにぱっと顔を上げてきた。
まっすぐに。

「舞美ちゃん、ほんっとごめんなさい!」
「え?」
「さっきの…、ちゃんともう一度謝っておきたかったの…」
「あぁ」

なんて義理堅い。
いつもの栞菜からはちょっと想像できない。
でも、…ちょっと嬉しいかもしれない。
なんだか、あたしがやったこと、無駄じゃなかったかもって。
そう思えるから。

289 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:06

「でもさ、嬉しかったよ? 舞美ちゃんがちゃんとあたしのことを
見ててくれてたんだってわかって」
「や、そうでもないと思うけどね」
「ううん、なんかますます舞美ちゃんが好きになっちゃった」
「現金だなぁ」
「ほんとにそう思ってるんだってばっ」
「はいはい、ありがと、栞菜」

言うと、ちょっとくねっとしながら嬉しそうに笑う栞菜。
そうしていればとっても可愛い美少女って感じなのに。
なんて、本人には言わないけど。
これが栞菜の個性だしね、うん。

290 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:06

「でも気にすんなー。あたしも余計な事したなぁーって思ってるし」
「そんなことないっ、舞美ちゃんはあたしの為にしてくれたんだから」
「まぁ、終わった事だし。その代わり、練習がんばるんだぞ?」
「ありがとう…、舞美ちゃん」

くしゃくしゃっと頭をなでてやると、くすぐったそうにしながらも、
やっと栞菜は笑顔になったんだ。
その笑顔に、あたしも嬉しくなる。

「ほら、帰ろ? 愛理もずっと待ってたんでしょ?」
「うんっ、じゃあ、明日からがんばるってことで今日はマックに寄り道してこ!」
「まったく栞菜ってば…買い食いはよくないのに…」

やれやれ。
この調子だと明日からも、心配の種はなくならないか。

291 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:06

「ほら、愛理も帰ろ?」
「………………」
「愛理?」

ぱっと振り返って愛理を見れば、
どことなく難しい顔をしてあたしを見てる?
なんで?

「どうしたの?」

訊き返すと、一度だけ愛理は前を弾んで歩いていく栞菜の方を見て。
それからまた、難しい顔であたしを見た。
というか、どこか真剣に…、ううん、深刻そうに…。

首を傾げるようにしたら、愛理は一歩あたしに踏み込んで。

292 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:06

「足、痛めてませんか?」

ポソっと、小声で耳打ちしてきたんだ。

ドキっとした。
ズバリ言い当てられたことに。

同じ陸上部で付き合いの長い栞菜だってまったく気づかないのに、
どうして、愛理がって。
それにあたし、結構上手くやってた。
自然に歩くようにして、自然にしゃべって…。

でも、愛理は全部わかっていた。
ほら、今もちょっと心配顔で右足をじっと見つめてる。

293 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:07

「栞菜から聞きました。先輩、栞菜を庇ったんだって。
そのとき、もしかしたら…痛めたんじゃないんですか…?」

思わず苦笑。
あたし、出来てるようで、ちゃんと出来てないんだなぁって。

でも、心配かけるわけにはいかない。
これから大会だってあるんだし、こうやって愛理以外にも
見抜かれちゃいけないんだ。

だから、気づいた愛理にだけ。

「みんなには内緒ね」

しーって、人差し指を唇に添えて笑って見せた。

勘のよさそうな愛理ならそれだけでわかってくれるはず。
あたしが、このまま大会を目差す事。
誰にも気づかれないように、これから大会まですごす事。
止めても…、無駄な事。

294 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:07

一瞬、何か言いたげに口を開きかけた愛理だけど、
ぐっと言葉を飲み込んで、もう一度あたしを首をかしげるように
見上げてきた。
ハの字に下がった眉が、心配してるのをアピってる。
なんか、その姿は不謹慎ながらも可愛いって思ってしまったっけ。

「だーいじょーぶ。そんな痛まないから」

うそ。
結構痛む。
でも、これ以上、愛理にそんな顔をさせたくなくて。

そしたら愛理は、やっぱりあの顔のままで。
でも何かを思い出したように、ごそごそと一度カバンの中を漁り、

「……無理は、しないでくださいね?」

ひとつの紙袋を差し出してきたんだ。
両手で軽く持てるその袋の表面には、
いつも持ち歩いているんだろうか?『湿布』の文字。

295 名前:隠し事 投稿日:2008/01/13(日) 19:07

「たまたま持ってたんです、どうぞ?」
「いいの?」
「はい、役に立つなら」

まるで心を読んだような言葉に苦笑。
でも、ありがたい。いろんなことが。

きっと、愛理は誰にも言わないだろう。
あたしの気持ちを汲んで。
そのさりげない優しさに、ちょっと嬉しい気持ちになったんだ。

「ありがとう」

そっと耳元でささやけば、はにかんで頷いてくれる。

「おーい、二人ともはやくー!」
「今いくよー! 行こ、愛理」
「はい」

その愛理のためにも、大会に向けてがんばろうって、
気持ちを引き締めたっけ。

296 名前:tsukise 投稿日:2008/01/13(日) 19:08

>>246-295
今回更新はここまでです。
別名で栞菜編ってな感じてございました、はい(平伏

>>244 名無しさん
レスありがとうございます(平伏
そうですね、二人がやっとスタートラインに立ったような
感覚でございます(平伏
どうぞ、続きもまた追いかけてくだされば幸いです(平伏

>>245 名無飼育さん
そうですね、ふんわりした二人の穏やかな空気を
お伝えできればよいと思っております。
まだ波乱の待っている二人ですが、またどうぞ
続けて読んでくださればありがたいです(平伏

297 名前:名無し 投稿日:2008/01/14(月) 04:52
更新おつかれさまです。
舞美は大丈夫なんでしょうか…。
愛理、いい子ですねぇ。
また次回更新も楽しみにお待ちしてます!
298 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/14(月) 05:20
舞美いいやつだな舞美…
299 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/01/16(水) 00:03
読んでると心が温もります。
青春ですねー(*´Д`)
300 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:05

翌日の放課後まで、自分がどんな風に過ごしていたのか
ほとんど覚えていない。
ただ、ずっと右足を自然に動かすことに必死で。
きっと、話しかけてきた友達への受け答えなんて全然的外れだったと思う。
隣のクラスから遊びに来てた桃ちゃんは、ずっとツッコミばっかりいれてきてたし。

それほどまでに慎重にすごして、やっと待っていた放課後になったんだ。
陸上部の大会選抜メンバーの最終タイムテスト。
うちの部は、平気で大会前にレギュラーを変えてくる。
補欠の枠をギリギリまで使って大会申請なんてしていて。
だからこそ、選ばれていたメンバーも安心できないもので。
下克上がいつ起きるかドキドキしてるんだ。

そのテストをクリアするのが一番の課題。
この右足を抱えながらも、それでも。

301 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:05

愛理からもらった湿布は、すごく重宝した。
帰ってシャワーを浴びてすぐにつけたりして。
じんわり奥まで伝わってくるような感覚に、
疎いあたしでも、かなり効いているのが判ったぐらい。
すごくありがたかった。
でも、それを、学校でつけるわけにはいかなくて。
びっこをひかないように歩くのに、すごく神経を遣った気がする。

そして。
やっとその時がきた。

グラウンドには、陸上部全員が集まるという
一種異様な光景を映していて。
他の運動部も、チラチラこっちを見たりしてる。
毎年この時期の恒例行事だったりするから、
足を止めてみていく一般の生徒もいるんだよね。
かなり緊張するけど、顧問の大谷先生は
『こんな緊張に負けてたら大会なんて出られない』なんて
もっともな意見を言ってたっけ。

302 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:06

「よーし、みんな集まったー? そろそろ始めるけど
ウォーミングアップは十分?」

ふらりふらりと歩いてきた大谷先生が、ボード片手に言う。
そのボードに書かれているのは昨日までのタイムの記録。

「よし、じゃあ、マネージャーたちは測定の準備ー」
「はい」

えりがふいにこっちを見て、ウインクをしてくれた。
期待してる、そんな感じに。
それをどこか複雑な笑顔で見送ったっけ。

ごめんね、えり。
もしかしたら、えりの期待を裏切るかもしれない。
でも、今出来る精一杯のことをする。
こんなの、ハンデなんだって、はねのけたい。

303 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:06

「じゃー、高等部ー、100mから行くよー」

ぞろぞろと種目に参加する部員がライン上に集まっていく。

3年生はどこか鬼気迫る感じだったり…、
逆に1年生は緊張感を漂わせる子もいるけれど、
ほとんどが、別の世界で起こる練習のような感じで。

下克上なんてありえない、そんな雰囲気。
そのことに、ちょっとだけ残念な気持ちになった。
確かに今年でラストチャンスの3年生。
でも、だからといって最初から勝負することを放棄するのは
逆に失礼な気がするんだ。

でも、そんなあたしの気持ちとは関係なく種目はスタートする。

304 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:06

「位置についてー、よーい…」

パン!

実際の感覚に慣れるために、うちの部ではピストルを使う。
そのためだけに校長にも許可を取った、なんて大谷先生も言ってたっけ。

でも、それはとても効果的で。
ほら、音にビックリする部員なんて一人もいない。
みんなが好スタート。
気持ちはズレた場所にあったも、身体は自然と反応するものなんだ。

100mなんてあっという間。
当然というか、3年生が次々と競り合うように前を行き、
追いかけるように下級生が走っていく。

レベルが違う。
ううん、意気込みが違う分、勝負はついていた。

305 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:07

一着に入ったのは3年生の現レギュラー。
次いで入ったのも3年生。
順当な着順。
きっと、この後も変わらない着順となっていくだろう予感を
決定付けた気がする。

案の定というか、その後の200m、800mも2着に補欠メンバーが
入る事はあっても、現レギュラーが降格することはなかったんだ。
それが反対にあたしへのプレッシャーになっていく。

1年生で、ただひとりのレギュラー。
今まで色んなプレッシャーがあったけど。
今回に限っては、押しつぶされそうなぐらい苦しい。

もし…。
もし、ここで、あたしがレギュラーをはずされたりたら…。
ありえないことじゃない。

306 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:07

「よし、じゃー次、1500m、入ってー」

心臓がバクバクする。
いつも以上に。
痛む足が呼応するようにドクドクしてる気がする。

それを一切無視して、ライン上に立つ。

うちの部の長距離の選手は少ない。
今もあたしの隣に立つのは5人だけ。
逆に言えば、その分期待されているのも確か。
毎年、大会で好成績を残す名門校として知られているのが物語っている。

その歴史に泥をつけたくない。
そんな思いがまたプレッシャーになってくる。
元来、一度考えていくと楽なほうに考えられない性分なんだ。
もし…けれど…でも…、そんな否定的な気持ちが生まれると止まらない。

307 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:07

落ち着け…。
大丈夫。
今出来る事の精一杯をするだけ。
足のことは今は忘れて…冷静に…。

「位置についてー、よーい…」

大谷先生の声に神経を集中する。

大丈夫…大丈夫…。
そう言い聞かせて。

パン!

ピストルの合図で、一歩目を踏み出す。
けど、

「―――ッ!!」

蹴りだした右足に激痛。
カクンと反射的に折れ曲がる膝を、すんでの所で耐える。
たったその僅かな時間でも、あたしたちには致命傷。

308 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:08

「舞…っ!!」

ひっ、と息を飲み込むようなえりの悲鳴が一瞬聞こえた。
マネージャーは公平でなければならないから、声援なんてできない。
でも、えりはあたしをじっと見ていたんだ。

それが逆にあたしの焦りを呼んだ。

やってしまった。
完全に出遅れた。

「くっ」

ロスを取り返すように、強く地を蹴っていく。
けれど、その決定的な瞬間を不意にするほど、他の部員は甘くない。
我先にとすでに突き離しにかかっていく。

309 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:08

「ハッ、ハッ…」

落ち着いて。
まだ序盤。
ここでじれて前に行ったら、それこそ自滅。
自分のスタミナがどれくらいか知らないわけじゃないんだから。

まだ勝機は十分ある。
後方待機で、じっくり待つんだ。
つかず離れず、先頭集団をマークして。

冷静になろうと、息を整えて一度だけ瞼を閉じる。

タン、タン、タン。

聞こえるのはシューズが砂を蹴っていく音。
そして、みんなの息遣い。
その中に、あたしの呼吸を混じらせて。

310 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:08

よし。
行こう。

もう一度瞼を開くと、いつもの自分。
焦りはもうない。
ただ、自分の走りをするだけ。
痛む足は相変わらずだけれど、走れないわけじゃない。
自分のペースで、さぁ、前に。

「残り1000ー」

一周200mのグラウンドを、半分のところからスタートした。
だからあと5周。

トップ集団との差は、50mほど。
たった50m、でも、そのスピードはトップギアに入っている人もいるから
なかなか縮まらない。

でも、もう焦りはなかった。
ペースを乱さず、自分のリズムで。
そうすれば、チャンスは絶対にやってくる。
あたしのギアチェンジは一度きり。
それを、そのチャンスの瞬間にかける。

311 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:08

「はい、残り800ー」

この頃になれば、一年生は息が上がっていく。
先頭集団に食いついていた子も、ずるずるとペースを落とし、
一気に後方のあたしの所まで下がってくる。
それをぶつからないように慎重にかわす。

その瞬間…足が痛む。
ピキっと鋭く一度、そしてジンジンと圧迫感を伴って。

とっさに歪みそうになる顔をなんとかこらえて、身体を移動。
きっとちょっとした身体の揺れにも、痛みが反応してしまうんだ。
庇うように歩いたつもりはないけど、いつのまにか変に体重を
かけていたからかもしれない。

それにあわせて、乱れる呼吸。

312 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:09

落ち着け。
まだだ…まだこんなものじゃない。
あたしは、こんなことぐらいでダメになるほうじゃない。
頭の中をクリアに。
ただ走る事だけに集中して。

いい聞かせるように、一度大きく呼吸を吐き出して前を見据える。

最初のような差はなくなってきている。
そのことが、あたしの中でほんの少しの安心感を与えてくれて
冷静さを取り戻せたっけ。

「残り400ー、そろそろペース上げてけよー」

大谷先生の激が飛ぶ。
それを合図に、先頭集団が一気に加速。
ギアチェンジを始めたんだ。

313 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:09

でも、あたしはまだ動かない。
トップスピードに入るのは300から。
ロングスパートで追いつける距離にみんないる。
だから、まだ溜めて。

5mまでに縮まっていた差が、また開いていく。
今は10mぐらい。
でも、そこまで。
それ以上は離されることなく、一定の間隔を保つ。

そして。
300のラインに差し掛かる。

その瞬間、点火。
慣れ親しんだスタートラインに、身体が自然と反応する。
踏み出す足は、歩幅を大きく変えて。
振り出す腕は大きく後方に突き出し。
息を短く、ハイペースに。

314 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:09

――― さぁ、行こう。

まるで誰かが背を押したような感覚。
一気にスパートがかかる。

「ハッ、ハッ、ハッ」

縮まる先頭との距離。
もう目と鼻の先まで背中が見えてる。

かわしていく先輩達は、あたしの姿に苦しい表情と
少しの笑みを見せていて。
ほんのちょっとだけ、自分の立っている位置がどんな場所なのかを
実感した気になった。

激痛は断続的にやってくる。
もう足の感覚がほとんどないほど。
でも、そんな昨日今日の痛みで、
ずっと続けてきたあたしの走りが変わるわけなかったんだ。

315 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:10

「残り200ー!」

ラスト一周。
前を走っているのは、2人の3年の先輩だけ。
あたしとレギュラーの座を何度も争った先輩たちだ。

ペースが落ちない。
姿勢も崩れない。
息の入りだって、あたしとまったく一緒。
ただ僅かな差は、体格だけ。
3年間以上ずっと続けて、それだけに適した身体。

まだ自分の能力をもてあましているあたしとは違う。
自分の実力がどれくらいのものなのか、もう知っている。
その人たちに、今食らいついていく。

カーブに差し掛かる瞬間に、外目へ身体をずらす。
直線上に並んで、2番手につけていた先輩をかわすように。
並んでしまえばあとは早く、突き離すように前へ。

316 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:10

でも、その瞬間、腕がぶつかった。

「…ッ!」

故意じゃない。
フォームのせい。
その先輩は、明らかにペースオーバーしていて。
腕がいつのまにか横へ横へと振りあがっていたんだ。

ガツンとぶつかり、一瞬動揺が胸に広がる。
集中していた意識が途絶える。

やばい…!

意識が途切れれば乱れるのも早かった。
今まで無視できた痛みが全身に走り出し、
呼吸も程なく乱れ始める。

自然と顎が上がって、酸素を必死に求め始めて。

317 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:10

このままじゃ…、ラストまでもたない。

真っ暗になっていく意識。
諦めにも似た気持ちが胸に広がっていくのがわかる。

ここまでかもしれない…。

そう思った瞬間だった。

視界の端で何かを見た。
よく見る何か。
白い…それは昨日もあたしが使っていた…。

「っ!?」

ふっと視線を向ければ、タオル。
それも昨日使った。
そうだ、昨日裏道で落としてしまったタオル。
あの後思い出して戻ったときには、そこにはなかったけれど。

318 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:10

それがどうして?

でも、そこにあったのはタオルだけじゃない。
タオルをもつ小さな手。
きゅっと、抱えるように。
大事なものを閉じ込めるように。

頭の中が絶望でいっぱいだったから気づかなかった。
目の前しか見えてなかった。
ちょっと視野を広げてみれば、たくさんの景色、いろんな色。

そして、そのタオルを持つその手の主。

それは………愛理だった。
ちょっと苦い表情をしながら、真剣な表情を崩さず
まっすぐに…本当にまっすぐ、あたしを見つめている。

319 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:10

そうか…昨日、あのとき、あの場所、……愛理はいたんだ。

そこまで考えて合点がいった。
タイミングよく持っていた湿布薬。
あれはタイミング良くとかじゃなくって。
きっとあの後、愛理が保健室に行ってくれたんだ。
あたしのために。

―――…… あたのために。

静かに胸の中で反復される言葉。
あたしのために用意してくれた。
あたしが、走れるようにするために。
もしかしたら、はじめから愛理はわかっていたのかもしれない。
どんな状態でも、あたしは大会を目指すこと。

だから。

320 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:11

―――…あぁ、そういうことだったんだ。

納得してしまえば、胸に広がるのは熱い想い。
愛理は、すべてを承知であたしをここに送り出した。
それは愛理なりの励まし。
がんばれというエール。
不器用なエール。

―――…あはっ。

思わず笑みがこぼれた。
並んでいた先輩が、ぎょっとするぐらい。

でも、嬉しかった。
昨日今日知り合った、ただの先輩だろうあたしのために
いろいろ思ってくれたことが。

321 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:11

あぁ…身体が軽くなっていく。
足の痛みなんて、気にならないぐらい。
すーっと咽喉元を通り過ぎていくのは、冷たくも心地よい空気。

いける。
がんばれる。
全然、こんなの平気。

思ったのと、ギアがガチャンと変わるのは同時だった。
一回こっきりしかできないはずのあたしが、もう一度変速する。

ロングスパートに入っているあたしが、もう一度ギアチェンジ。
それは無敵の合図。

誰もあたしの前を走らせない。
滅多に思わない衝動が、身体を突き動かしていく。

322 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:12

タン、タン、タン、と。
リズムは変わらない。
変わったのは意識だけ。
それだけなのに、こんなに身体が軽くなるなんて。
なんて素敵な魔法。
自分の知らないところで誰かが応援してくれる人がいるって、自覚するだけで。

気づけばもう、ゴールは目の前。
ただ一人の背中を追いかけて残り50mのラインに立つ。

広がっていた差はもうない。
かわせる。
間違いなく。
いける。

聞こえるのは前を走る先輩の呼吸とあたしの呼吸。
明らかに苦しげに息を吐く音は、最後の力を振り絞る合図になって。

323 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:12

ゴール手前、5mで――― トップに立つ。

立ってしまえば早かった。
ぐん、と伸びる全身。
まるでバネで出来たような柔らかさがそこにあって。

一気に突き離し………ゴール。

パン、パン、っと2回ピストルの音が知らせてくれる到達点。

それを遠くに聞きながら、あたしは…やっぱり空を見上げた。

324 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:12





「それじゃあ、1500mは矢島。2着、3着が候補メンバーで登録しておくからなー」

全員の記録測定が終わって告げられた言葉に、一気に力が抜けた。
見れば えりが嬉しそうに頬を緩めてて、でも、立場から堪えようとしていて
ものすっごい変顔になっていたっけ。

そんな中、くるっと首を回す。
一般生徒が眺めていたグラウンドの端を。
たくさんの生徒が応援や野次にきていたけれど、
終わった今は、もうまばらになってきていて、ちらほら帰る姿がある。

そこに……あたしの探している姿はなかった。

気のせい…だったのかな?
…それにしては、すっごいリアルな愛理の姿だった。

325 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:12

「じゃあ、かいさーん! 汗は十分落とすようにー」

はっとすれば、大谷先生がひらひらボードを振りながら解散の合図。

いけない、またぼーっとして…。
そんなだから怪我とかもしちゃったんだ。
気を引き締めないと。
大会に選抜されたんだから、今日以上に最新の注意を払って…。
特に えりにはホント注…

「舞美ー」
「うわっ」
「わっ、なにっ?」
「あ、ううん、考え事してて気づかなかった」
「またぁ?」
「あ、あはは…」

あきれる声だけで、軽く笑うしかできない。
こうやって えりと喋るたびにボロがでないかビクビクしてるから。

326 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:12

「えっと、なに?」
「あー、うん、さっきまで見てて思ったんだけど、舞美、フォーム変えた?」
「えっ? そんなことないよ…?」
「そう…? なんか重心がちょっと右に寄ってる感じがしたんだけど…」
「そ、そんなことない。ちょっと、ホラ、先輩をかわすときにさ、
腕、ぶつけたじゃん? 多分、そのせい、うん」
「そう…? まぁ、最後のスピードには驚いたけど」
「なんか、力出てきたの」
「怖っ、そのままどっかにぶつかんないでよ?」
「大丈夫だって。じゃあ、着替えてくるね」
「うん……」

まだ何か言いたげだった えりをすり抜けるようにして部室の方へと
戻っていく。
なんか、背中にあたる視線が少し痛かった気がするけれど。

327 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:13





痛めた足を引きずって、そのままみんながいる部室に入れるわけもなく。
あたしは、誰もいないのを確認しつつ部室棟の屋上への階段を上がる。
きっとみんな、なんだかんだで30分は部室にいる。
その後、ゆっくり着替えよう。
みんないなければ、愛理からもらった湿布薬も貼れるし、
さっさと帰れば誰にも見つからないから。

大きな扉を開ければ、夏の風を含んだ蒸し暑い空気が
一気にあたしを包み込む。
顔だけでも洗ってくればよかったなぁ、なんて思うけど、仕方ない。
持っていたハンドタオルで汗を拭う。
それから、近くのフェンス際に腰掛けた。

いつもは、色んな生徒がいたりするけれど、
さすがに放課後になってまでここにくる生徒は少なくて、
今はあたし一人の貸切状態。

だからかな、気が緩んでた。

328 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:13

「痛たた…」

きゅっと、足首を触るとそれだけでジンジン痛み出す。
さっきまでなんともなかったのに、まるで思い出したかのように。

慎重にシューズを脱いで、靴下を下げていく。
現れるのは、昨日と変わらない濃い痣を残した姿。
さっき無茶しちゃったし…また腫れてきてるみたい…。

「せめてテーピングとかして固定できれば…」

なんて思うけど、すぐに打ち消す。
テーピングの技術をあたしは持っているけれど、
もって生まれた不器用加減で、自分に施すとグチャグチャになるんだ。
見かねた えりがいつもやってくれて。
でも、今回ばかりは、えりにお世話になることもできない。

329 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:13

「はぁ…、大会が終わるまでの我慢、かな」

言いながらゆっくり立ち上がり、裸足のままそっとアスファルトに
右足を下ろしてみた。
ゆっくり、そっと。
なのに、

「痛ッ」

かかとがついただけで痛みが走る。
思わず顔をしかめてしゃがみこんでしまうぐらい。

……きっと、右足のことで頭がいっぱいになっていたからかもしれない。
あたしは気づかなかった。
静かに屋上の扉が開いて、人が近づいていることに。
知られてはいけない人に、知られてしまったことに。

330 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:13

「なんかおかしいと思って来てみたら…やっぱり」

びくん、と身体が跳ね上がった。
それから振り返ると、すぐそこに…

「えり…!」

仁王立ちしたえり。
めったに見ない怖い顔であたしを見てる。

いつのまに…っ。
思うけど後の祭。

バレた。
ぜんぶ。
こんな右足をさらけ出した状態で、もう言い訳なんてできない。

331 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:13

「バカ…っ、なんで黙ってたのよ…!」
「そんな、たいしたことじゃないし、全然、大丈…」
「バカ! 走れなくなったらどうしたのよ!!」

ぐっと、言葉に詰まる。
こんな怒ったえりは初めてだったから。

それにまったくの正論。
あたしは、陸上の選手で。
走る事が大前提の選手で…。

「診せて」
「…ごめん」
「謝るぐらいなら、なんで無茶するの」

言いながら、えりはあたしの前に膝をついて、
そっと両手で足を包み込んだ。

332 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:14

「痛…っ!」
「痛くて当たり前。こんなに腫らして…馬鹿」

でも、言葉とは裏腹に、あたしに触れる手は優しかった。
痛いところをちゃんと確認して、別のところまで痛めてないか
慎重に探して。

「えり…」
「……これ、結構酷いよ」

呟くえりは、やっぱり厳しい表情を崩さない。
ただ、触れていた手を離し、何かを考え込むそぶり。

瞬間、嫌な予感がした。
えりに見つかった時から危惧していたことが頭をよぎって。

「舞美」
「えっ、なに…?」

すっと、立ち上がるえりは無表情。

333 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:14


そう…―――


「今回の大会は、諦めよう」


危惧していたことは、今、現実に。


「……………え?」


何を言ったのか判らなかった。
ううん、きっと音は入ってきてる。
でも、頭の中に入ってこなくて、理解できなかった。
受け付けなかった。

334 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:14

「レギュラー、先輩に譲ろう。大谷先生に言いにいこう」
「ちょっ、ちょっと待ってっ!」

トントン拍子に進んでいく話に、やっと我に返る。

レギュラーを譲る…?
それって、あたしは走れないってことで…。
大会には出られないってことで…。

一気に頭の中に映像が流れる。

335 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:14

一年でレギュラーを言い渡された瞬間。
毎日走った心臓破りの坂。
グラウンドの土を蹴る音。
えりの笑顔。
好タイム。
栞菜が、
愛理が、
右足、
激痛、
ゴール、
空。

「っ!!」

大きく首を振る。
次いでえりを見上げるけれど、その表情には何も読み取れない。

336 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:15

「やだ…! えり、やだよ…!」

裾を握って訴える。
でも、えりはどこまでも頑なだった。
ぎゅっと目を閉じて、首を左右に振るだけ。

「お願い…! 大会が終わったら、ちゃんと治療を受けるから…!!」
「だめだよ」
「えり!!」
「舞美!!」

逆に強く呼ばれて、身が縮む。
袖をつかんでいた手は、ぐっと両手で手首から掴まれて。
追いかけてきたのは、真剣な眼差し。

337 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:15

「あたしはマネージャーとして見過ごせない」
「でも…!」
「舞美には来年もある! 再来年だって!
もしかしたら、もっともっと走り続けるかもしれない!」
「…っ」
「なのに、こんなところで足を壊して走れなくなるほうがもっと辛い!」

正論が続く。
考えればわかる。
言ってる事は正しい。ぜんぶ。
年に一度の大会だけど、でも、あたしの道は毎日ずっと続いていく。

これから先も、きっとあたしはどんな形であっても走り続けるだろう。
その時に、今日のこの決断を間違ったものにしてほしくない、
そういうえりの言葉が痛いほど伝わってくる。

338 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:15

でも、正しいから…。
正しい事を言われているからこそ、辛くって。
納得できなくって。

「えりぃ…っ…くっ…」
「舞美…」

悔しくて。
言葉がもう出てこなくて。
情けなく、ただ涙と嗚咽が漏れる。
一気に爆発した感情が、あたしの自由を奪っていく。
うなだれたら最後、ずるずるとえりから落ちていく。
全身の力がなくなっていく。

339 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:15

大会で一番になりたかったわけじゃない。
もちろん、一番になれれば嬉しかったと思う。
でも、違うの。
あたしは、あたしの限界が知りたかった。
今出来ることの限界を。

自分が限界だと思わなければ、どこまでも続く自分の道。
だけど、『今』の最高がどのくらいなのか、それが知りたかったんだ。
それを知れば、超えていく目標が見えるから。
漠然とした目標なんかじゃなくって、
未来の自分を追いかける目標が。

それが、今、手のひらの隙間から零れ落ちていく。
希望が、砂のように、さらさらと。

心が…砕け散っていく。

340 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:16

「うぅ…っ、っく…っ、ひっく…っ」
「舞美」

そっと触れたのは暖かな手のひら。
あたしの両手を包み、それから肩…頭に触れて。
そのままぐっと後頭部を引き寄せられると、自然な動きで抱きしめられた。
頭を丸ごと抱えるように。

それが合図だった。
もう、平常ではいられない。
もうあたしの心は…、維持できない。

341 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:16

「っ…! ―――――ッ! ――――ッ!」

言葉なんて出なかった。
ただ、音が出るだけ。
それはきっと、あたしの奥底で苦しみを叫ぶ獣の声。

ぼろぼろとこぼれる熱い涙は、えりの上着を存分にぬらして。
それでも飽き足らず、アスファルトの上へ広がり散っていく。

いっそあたしの身体が溶けるまで流れ出てしまえばいい。
なにもかもなくなってしまえばいいんだ。

そんな自暴自棄になってしまう心。

それでも、かろうじて心を保っていられたのは…。

342 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:16

「舞美…舞美ぃ…っ…」

一緒に泣いてくれる、優しい子がいたから。
あたしの名前を呼んで、繋ぎとめてくれる優しい子がいたから。

ごめんね、えり。
えりだって、ずっと期待してくれていたのに。
あたし、こんなに脆くなってしまって。
でも、今だけ。
今だけだから。

また…、がんばるから。
また…走るから。
だから今だけは、こんなあたしを許して。
どうしようもなく馬鹿なあたしを。

343 名前:レギュラー 投稿日:2008/01/18(金) 20:16

足の痛みは、今になって激しく暴れだす。
あたしを、とことん痛めつけていく。

それを今はただ…受け入れるしかなかった。
すべては、安易な自分への罰だと思ったから。


そしてあたしは この日…――― レギュラーをはずされた。

344 名前:tsukise 投稿日:2008/01/18(金) 20:17
>>300-343
今回更新はここまでです。
矢島さんも苦しいけど梅田さんも苦しいんです。

>>297 名無しさん
矢島さん、今回はこんな感じとなりましたが、
また邁進してほしいですよね。
鈴木さん、そうですね、とてもよい子です♪

>>298 名無飼育さん
矢島さん、いいやつですよね〜まっすぐな感じです。

>>299 名無し飼育さん
ありがとうございます。そうですね、青春って感じで
書いてるほうも和んでしまいます♪

345 名前:名無し飼育さん 投稿日:2008/01/18(金) 20:30
舞美の気持ちが痛いほど伝わってきました・゚・(ノД`)・゚・
心を鬼にする梅さんの優しさも・゚・(ノД`)・゚・
346 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/19(土) 00:55
つД`)梅さんGJ
347 名前:名無し 投稿日:2008/01/19(土) 10:41
更新お疲れ様です。
舞美…辛いですね…。
梅さんの優しさにじーんときました。
次回もお待ちしています。
348 名前:シュン 投稿日:2008/01/20(日) 01:39
更新お疲れ様です。
本気でやっているからこそダメになった時はどうしようもなく辛いんですよね。
でも伝えるほうも同じくらい苦しいはず・・
読んでてすごく切なくなりました。
349 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:22
次の日から大会まで、あたしは療養を言い渡され、
練習に参加する事も、見学することも禁止された。

見学ぐらい…って思ったけれど、
えりが強く大谷先生に進言したんだ。
『矢島さんは見てるだけでは終わらない人です』なんて。
………そんなことない、と言い切れないところが痛い。

まだ目が腫れぼったい気がする。
ちょっと頭もクラクラしてるし。

あんなに泣いたのは、いつ以来だろう。
声を上げて、えりじゃなきゃあんな姿見せられなかった。
思い返すと恥ずかしいけど、それよりも…。

心がからっぽだ。
ぽかんと空洞が出来たみたいに。

350 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:22
部屋のフローリングに寝転がって、ただ四角い窓から空を見上げる。

こんなに…、何もなくなっちゃうなんて。
走る事ができないだけで、なにをしていいのかわからなくなるなんて。

寝転がったまま、右足をすっと上げる。
足首には、ぐるぐる巻きにされた包帯。
それがあの日の出来事は現実だったんだって思い知らす。

「あたし…、はずされたんだぁ…ほんとに」

でも、不思議と心は穏やか。
これで良かったんだって、今なら納得できるから。

「先輩…がんばってるかなぁ…」

今頃大会が始まっている頃だ。

この大会に向けて、がんばってた姿をあたしは知ってる。
あたしと同じくらい一生懸命に練習して、
この日のために頑張ってきてたの知ってるもん。

えりも…きっと今頃、走り回ってる。

351 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:22

…行って、みようかな?

迷惑になるかもだけど…でも。

「あーもー! あたしらしくない!行けばいいじゃん!」

うだうだ考えてもしょうがない。
行って迷惑だったら帰ればいいだけ。
そうだよ、うん。
応援するぐらい誰だって許してくれる………多分。
ちゃ、ちゃんと治療してるし、うん。

「よしっ、そうときまったら行こう!」

決まれば早かった。
松葉杖を手繰り寄せて、慣れない足元をなんとか固定して
持つものもとりあえず、この暑さだし、ハンドタオルだけは忘れずに
キャップを被って、家を出た。

352 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:23
一歩外に出れば、もうそこは夏。
まだ夏というには早い月だけれど、肌に張り付く熱気は
すでにじめじめを通り越して、じりじりしてきてるもん。

その中を、一歩、また一歩とゆっくり歩く。
片方の松葉杖ってどうにも使いづらい。
間違えて痛めている足で踏み込んじゃう時もあるし。
いまさらいってもどうにもなんないんだけど。

会場の競技場までは、徒歩でいける。
河川敷の道を歩いて15分もすれば見える場所なんだ。
こんなときにはとてもありがたいなぁ、なんて思ってしまったっけ。

ふと見れば、川の中で遊んでいる子供たち。
そうだよね、この暑さだったら、水は気持ちいいかもしれない。
昔は、よくこの近くでも魚が取れて、あたしも近所の子と取りに来た。
今は、色んな問題があって魚の姿はみかけなくなったけれど。

353 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:23
「それにしても…暑い…」

自然と額に浮いてくる汗を恨めしく思ってしまう。
キャミソールだから涼しいはずなのに、何故かあんまりそうでもなくて。
生まれ持った汗っかきの体質が恨めしい。

「うーん…」

唸りながら、やっぱり涼しそうな川に視線を向けて歩く。

と。

そこに見知った姿をみかけた。

河川敷の草原。
ちょこんと座り込むようにして…、女の子がじっと川を見てる。

354 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:23
あれ…愛理だ。

どうしたんだろう、こんなところで?
なんか…沈んでる?

しかもその手には、あのタオル。
あたしが落としてしまった、あの白いタオルを握っている。

なんとなく放っておけない気持ちになって、

「おーーーい、あいりーーー」
「えっ?」

おっきく呼びかけた。
驚いたのは愛理のほう。
そりゃそうかも。
あんな大声で名前呼ばれたら、誰でも驚く…ってか、
色んな人がこっち見てるし…。ちょっとマズったかも。

355 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:23
「あ…矢島先輩」
「なにやってんのさ、そんなところで」
「あ、いえ。ちょっとお散歩を」

くるっと立ち上がって振り返るけど、
なんか、散歩って雰囲気じゃない気がした。
でも、笑顔を浮かべている愛理にそれ以上突っ込んで訊けなかったんだ。

「てか、やっぱそのタオル、愛理が持っててくれたんだ?」
「あ…」

バツが悪そうに後ろに隠すけれど、違うよ?というように
手を振って見せて笑いかけてやる。
うん、別に怒ってなんかないし。

「いいの、それは。なんかさ、この間、タイム測定のとき、
愛理がそれ持って応援してくれてる気がしてさ。
きのせいかなって思ってたんだ。ほら、あたし、そそっかしいから
よく間違えちゃって」

たはは、と頭を掻くようにすると、やっと愛理は笑ってくれた。
可笑しそうに、でも、上品に。
花のように笑う子だなぁっていつも思う。
ふわっとした笑顔、そんな感じ。

356 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:23
「あの、それで矢島先輩はどうしたんですか?こんなところで」
「あー、うん、これから大会見に行こうと思って」
「えっ?」

愛理って実は喜怒哀楽はハッキリしているほうなのかも。
よく観察すればわかる。
今、実はすっごく驚いてるんだってことも。

多分、見たくもないだろうこの時期の大会なのに…、
それが本音なのかもしれない。
でも。

あたしも目指してた大会は、色んな人が目指してた。
その中に自分の姿はないけれど、気持ちはそこにある。
先輩や、えりや、みんなが連れてってくれてる。
だから、そのカタチは見届けてみたいんだ。

「みんな、がんばってるし。あたしもさ、ほら、がんばってたじゃん?」
「先輩…」

口下手なあたしはこんな風にしか伝えられないけれど、
愛理には、なにか感じ取るものがあったのかもしれない。
また柔らかく笑ってくれて。

357 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:24

「ちゃんと…見届けたいなんて…、…強い、ですね」

そんな風に言う。

そうなのかな?
えりに言わせれば、あたしはバカらしいから。
多分、今もそのバカが出たんだと思うけど。
でも、なんとなく、愛理のその言葉は嬉しかった。

――― もう少しあたしが愛理のことを知っていたら、
このとき、柔らかくただ笑っていたんじゃなくって、
胸に広がる別の想いに気づけてたのに、と…。
別の言葉をかけてやれたのに…と。
後々、後悔することになるけど、このときはまったく知る由もなかったっけ。

「一緒に、行ってもいいですか?」
「うん、もちろん」

358 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:24




夏の暑さでユラユラ揺れている河川敷の道を二人並んで歩く。
愛理は気を遣ってくれているみたいで、
松葉杖のあたしが車や人に当たらないように車道側を歩いてくれて。
そのさりげない心遣いに感謝したっけ。

ちょうどいいし、愛理のことも聞いてみようか。
いきなり突っ込んだことを聞くのもなんだし、当たり障りのないことから。

うーん…、ちょうど今は競技場に向かってるし…あ、そうだ。

「愛理はさ、スポーツとかしないの?」
「私は…、あまりスポーツとか得意じゃないので」
「なんにも?」
「特には。あ、バレエを少しだけやってましたけど」
「バレエ? アタック〜って方じゃないやつ?」
「??? あたっくぅー?」
「知らない? 熱血スポ根アニメの金字塔!アタックナンバーT!」
「うー…んと…」
「あ、いいのいいの、知らないなら知らないで」

359 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:24
変なこと吹き込んで愛理のご両親に怒られたら困るし。
なんか愛理ってお嬢様ってイメージが拭えないもん。
毎週、再再放送を楽しみに中学生の頃、部活後ガーッと
家まで走って帰ってたあたしとは違いそうだし。
えりに、そんだけの体力がまだ残ってんの!?なんて驚かれたのを覚えてる。
ってか、海外にはそういうアニメとかないのかも?

「えっと、じゃあ、クラシックバレエの方?」
「そうですね」
「へぇーっ、すごい! じゃあ、身体とか柔らかいんだ?」
「そんな、人並みですよ?」

テレたみたいに笑う愛理。
またまた謙遜しちゃってー。
と、えりにするみたいにバシバシ肩を叩きそうになって慌てて手を止める。
危ない危ない。
相手は愛理なんだ。
ふっとんでったらどうする。

360 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:25

「あー、でもバレエをする愛理かぁ〜、可愛いんだろうなぁ〜」
「えっ?」
「や、ほら、だってさぁ〜、あたしみたいに人にぶつかって怪我ばっか
しそうな子よりも、ちゃんとさ、愛理なら綺麗にクルクルっと踊れそうじゃん?
衣装とかも愛理なら白とか似合いそうだし、うん、可愛いよ絶対!」
「あ…、ありがとう…ございます…」

小さくなっていく愛理は、どんどん顔を赤らめて。
なんかそういうところを見ると、最初のあの不思議な雰囲気が
嘘だったんじゃないかって思うぐらい普通の女の子。
そうだよね、愛理だっていろんなことに感動して笑って怒ってする
女の子だよね………って、愛理が怒る所なんて想像できないけど。

361 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:25

「矢島先輩は、陸上のほかに何かスポーツは?」
「あたし? あー、あたしはねぇ…今は陸上1本だけど、
前はフットサルとかやってたなぁ」
「フットサル、似合いそうですね、先輩」
「そっかなぁ? よく擦り傷が絶えなかったなぁ」

想像してくすくす笑う愛理。
まぁ、きっと、その想像通りの姿をあたしはしてたと思うけど。
昔は今より全然背も小さくて、真っ黒に日焼けしていて。
日が暮れるまで遊びまわってたし。

362 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:25

「あとは近所のお兄さんと野球とかサッカーとか、夏は水泳もしたし
ドッジボールとか…」
「あ、あの、矢島先輩」
「えっ?」
「通り過ぎます、会場」
「あ、ほんとだ」

話すのに夢中になっていたあたしは、危うく会場を素通りするところだった。
危ない危ない。
夢中になると周りが見えなくなるときが時々あるんだよね。
気をつけなきゃ。

「よしっ、じゃあ、入ろう」
「はい」

横断歩道を注意深く渡って、会場の中に足を踏み入れた。

363 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:25

瞬間、伝わってきたのはたくさんの熱気。
色んな応援の声。
地区大会だからといって、こじんまりした感じはそこにはなくって。
選手の一挙一動がドラマになってるんだ。

この空気が好き。
自分が会場の一部になる感覚。
溶け込む事は今日は出来ないけれど、風は変わらない。
それだけでも来てよかったって思う。

「先輩、パンフもらってきました」
「あ、ありがとう、ごめんね、なんかいろいろしてもらっちゃって」
「いいんです、私も先輩とこれて楽しいですから」
「ありがと」

いい子だなぁ、愛理は。
手が自由だったら、頭のひとつも撫でてあげたいけど、今は無理だね。

364 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:25

「えーと…今は800m女子…が、終わったのか。あ、じゃあ」
「1500m、ですね」
「間に合ってよかったぁ」
「そこに座りましょう」

テキパキとあたしの身体を支えてベンチに座らせてくれる。
その愛理に感謝しつつ、会場をぐるっと見渡した。

すでにトラックに集合している選手たち。
この暑さに、汗を浮かせながらみんなウォーミングアップのように
その場に弾んだりしていて。
すでに臨戦態勢ってところかも。

その中に…うちの学校のユニフォームを見つけた。
前から2列目。
コースは内寄り。
もまれさえしなければ、ロスの少ないコースだ。

365 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:26
「がんばって…」

ぐっと両手を組んで祈る。

この日のためにがんばった。
まだ先には大きな全国大会がある。
タイムによるけれど上位2位までに入れば確実。
できれば、そのキップをとってほしい。


「位置についてー」


スターターがピストルを構える。
緊張の一瞬。

ごくりと咽喉が鳴ってしまう。

そして、

「よーい」

366 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:26


パン!


スタート。
一斉にトラックを駆け出す選手たち。
見慣れたユニフォームも。

出遅れた様子はない。
ちゃんと、先頭についている。
フォームも乱れがない。
いつもの先輩の姿だ。

でもすぐに気づく違和感。

ハイペースだ。

先頭を走る選手が、思いのほかピッチを上げてる。
カーブに来ると減速するのは自然の流れなのに、
尚止まらない。

自然と、バラつきが出てくる列。

その中で、先輩は先頭についていこうとペースを上げていた。

367 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:26

まずい…かも。
オーバーペースは後々に響く。
ハイペースなら尚の事。
前崩れをして、後続がラストスパートにかかったらスタミナがもたない。

「大丈夫、でしょうか?」
「う…ん…」

愛理にもわかるのか、不安げに見つめている。
それに曖昧に答えて、じっと体制を考える。

先輩だってバカじゃない。
きっと何かを考えている。

400mがすぎる。
ペースはまだ落ちない。

368 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:26
かなり縦長の展開。
先頭集団に先輩を含めた3人が走り、
そこから10m離れたところに中団。
後方には、このハイペースを見越した選手がスローで3人足を溜めている。
曲者は、この3人。
中には去年の大会選抜された選手がいるし。
どこで仕掛けるか、それだけが注目されている。

ふと思う。
自分なら、どう走った?
この展開で。

自分なら…。

きっと自分なら後方につけた。
マークするわけじゃない。
自分の足を信じているから。
どれだけ離されていても、自分にはロングスパートがある、だから。

369 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:27

…! あ、そうかっ!

そこで気づく1つのこと。

あたしにはロングスパートがある。
けれど、それはあたしに限っての事。
先輩は。
タイム測定でも、なかなかラスト抜けなかった先輩には。

「…いけるかもしれない」
「え…?」
「あの先輩はね、何度もギアチェンジをするんだ」
「ギアチェンジ…」
「そう、びっくりするぐらい息が長いの。多分、ロングスパートをかける
後方の選手とある程度の距離を持って突き放すつもりなんだ」
「なるほど…」

ただ、誤算はこのハイペース。
多分先輩と同じ型の選手が他にもいたんだ。
だから前に、前に、と先頭を譲らずに、ここまできてしまって。

370 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:27

1000mを通過する。
徐々に上がり始めるピッチ。
中団に構えていた選手たちが、焦れたように前にとりついてくる。

これは間違い。
ここまできたら、最後に前崩れを起こすのを待つしかないのに。
ペース配分を間違えれば、すぐにスタミナがなくなる。
結果、600mで失速していく何人かの先行集団についてた選手たち。

それより怖いのは、ペースを乱さず徐々に前との差をつめていってる
後方の選手。
1人は失速している。
でも残りの二人は、どんどん上がってきてる。
ギアがトップへと移ろうとしてる。

371 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:27

「ラストーー!!」

会場の声援が飛ぶ。
ラスト200mを迎えて、一気に加速していく。

先輩は、ここで何度目かのギアチェンジ。
息が上がり始めてる。

ここで先頭に立つ。
前を行っていた2人はオーバーペースに泣いて沈んでいく。

このまま押し切ればゴールは見える。

けれど、後ろから迫ってくる2つの影。
それは着実に。

372 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:27

「あ…っ」

思わず声があがる。

並ばれた…っ!
でも、まだ。
先輩は歯を食いしばってもう一度変速。
ここにすべてを賭けるように。

三者一体、横並びの一線。
どこに軍配が上がってもおかしくない。

見ているこっちが辛い。
そらされる顎が苦しそうに息を吐いてるのが判るから。

がんばって…!がんばって…!
心の中で強く願う。
祈るように握った両手が痛いぐらい。

373 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:27

タン、タン、タン。

リズムが聞こえる。
色んな選手に混ざっていても、先輩だけのリズムが。
乱れてきていても、まだ前にしっかり踏み出そうとする音。

もう少し…! あと少しだから…!

足がもつれそうになってる。
50mはもう切った。
あとは直線勝負。
だからがんばって…!

でも、最後の最後、10mを切ったときに、あたしには聞こえた。
プツン、という大きな音。
糸が切れるような、そんな音。

それは…先輩の限界を知らせる音。

374 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:27


パン!パン!


2回鳴るピストル。

白いテープを最初に切ったのは、他校の3年生。
スタンドの後輩部員の歓声が大きく聞こえる。
そして嬉しそうに抱き合う姿もそこにはあった。

うちの学校の先輩は3位。
2位につけていたけれど、最後にかわされて3位。
でも、悔しい気持ちはあたしにはない。
だって、あたしは知ってる。
先輩の自己ベストを1.2秒も更新してることを。

375 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:28

「やったーーーっ!!」

見れば抱き合ってる先輩と部員たち。
あたしがいれば、一緒になってもみくちゃになってたと思う。
それだけ嬉しい。
今すぐにでもジャンプして飛びつきたいぐらい嬉しい。
………愛理の手前、しないけど。
というか、した後のえりの鬼の形相が目に浮かぶ。

「レギュラーの先輩、とても嬉しそうですね」
「えっ、あ、うんっ」

突然言われて顔を向ければ、じっと見つめられてて戸惑う。
綺麗な目があたしを吸い込むように見ていたから。
でも、それよりも今はあたしも本当に嬉しくて。
この気持ちを愛理にも伝えたくて。

376 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:28

「先輩ねっ、なんと1.2秒も自己ベストを更新したんだよ!
1.2秒だよ1.2秒! 1秒縮めるだけでもすっごく大変なのに!
しかもさ、こんな大会のプレッシャーの中でなんてホントすごくて!」

もう子供みたいに必死になって訴えかけてた。
でも、愛理は困る事もあきれる事もしないで、うんうん頷いてくれて。
だから止まらなかった。
いつも以上に噛みながら、必死になって伝えてた。

「あたしも、絶対あんな風に輝いてみせるんだ」

最後に出たのはそんな言葉。

レギュラーをはずされた事、未練がないといえば嘘になる。
でも、先輩のがんばりは心から祝福できるし、
今の自分はきっと、来年へと繋げるための神様がくれた
努力の時間だと思うから。
だから、いい。
今は、ここから応援するだけでいいんだ。

377 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:28

どんな風に映ったんだろう。
そんなあたしを、愛理は変わらずに優しい眼差しで
見つめてくれていたんだ。
ううん、どこかまぶしいものを見るように目を細めて。

「来年は、あそこに立てますよ、きっと…」

純粋にそういってくれたのが判った。
なんの含みもなく。
だから、あたしも

「うんっ! もちろん!」

力いっぱい頷いて、愛理に笑い返したんだ。

途端に愛理は、ぐっと顎を引いて見せて。
何故か視線をそらすと、もごもごと口ごもった。
ほんのり頬が染まっている気がする…。
もしかして、暑さに…バテた?
愛理、細いし、白いし、夏の暑さとか弱そうだから…。

378 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:28

「どうしたの? 疲れた?」

ちょっと不安になってたずねてみるけれど、
愛理は小さく両手を振るようにして見せて、

「いいえ。矢島先輩って綺麗に笑う人だなって思って」

なんていう。
今度はあたしが赤くなる番。

えっ、なんていうか、そんなまっすぐに言われると恥ずかしい。
外国の人って表現がストレートだって言うけれどホントなんだね。
新しい発見と一緒に、なんか、ちょっと、身体が熱くなるかも。

「そ、そうかなぁ、恥ずかしい。えりには子供みたいっていわれるんだけど」
「それだけ魅力的なんですよ、矢島先輩」

また、そんな。
どこのキザな人なんだって思うけど、
愛理が言うからかな、全然そんな鼻につく感じはしない。
それがまた恥ずかしい気持ちになって。

379 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:29

「テレるじゃんー」
「あはっ」

肩を押し付けるようにしてじゃれてみた。
愛理も嫌がるそぶりはなくって、ただ笑ってくれたっけ。

と。

その笑顔が消える。
じっと一点を見つめたまま。

はっとしたような表情。
どこか緊張したように。
あまりにも急に変わったその顔に、あたしは次いで視線の先を追った。
そこには、

「えり?」

向こうもこっちに気づいたみたいで、ボード片手にじっと見つめて動かない。
というか、視線はあたしの隣に固まったまま。
そう、愛理に。

380 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:29

あぁ、そうか、えりは愛理に逢うのは初めてだった。
紹介したほうがいいんだろうけど、こんな場所で、
こんな時にするものなのか悩んで。

……元来あたしは、人の心の動きには鈍感だ。
それも自分に向けられるものには特に。

もし、このとき、あたしにテレパスの力があったのなら、
色んなことがわかったと思う。
そして、どうすればよかったのかとかも。

でも残念ながら、あたしにそんな力なんて当然なくって。

381 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:29

「おーーーい、えりーー!がんばれーー!」

ぶんぶん手をふって場違いな声援を送っていたんだ。
隣の愛理の表情がどんどん曇っていくのにも気づかずに。
もちろん、手を振ったえりの表情も。

それでもえりは、一度うつむくようにして、それから笑顔を向けてくれた。
おまけはあたしに負けないぐらい、ぶんぶん手を振ったお返し。

「おー!舞美の分もがんばってるよーー!!」

なんて空気が読めないってすばらしい事なんだろう?
後になって考えれば、どこまでも酷いヤツ。
あたしってヤツは。
身近な人をたくさん傷つけていることにも気づかないなんて。
それだけあたしは、子供だったんだ。
どれだけ身長だけ伸びていっても、心は人一倍幼かったんだ。

382 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:29

「えりもマネージャーだし、はりきってるみたいだねー……って愛理?」

ふと、視線を戻せば複雑な表情で、部員の元に戻っていくえりを
見つめている愛理。
ちょっと、辛そうに見えるのは気のせい…?

「矢島先輩……気づいてないんですね…」
「え?なに?」

気づいてない?
あたしが?
なにに?

くるだろう続きの言葉を待ってみるけれど、
愛理からその先が告げられることはなかった。
ただ、やっぱりあの辛そうな表情で、部員を一周見渡してため息をついて。
ぽつりと…一言だけ漏らしたんだ。

383 名前:選手 投稿日:2008/01/24(木) 08:29

「……いいなぁ…」
「え? なんか言った?」

聞き取れずに聞き返すけど、愛理は首を振って、すっくと立ちあがる。

「私…、今日はこれで失礼します」
「え? 急に?」
「すみません」
「あ…っ、愛理っ」

ぺこんとお辞儀ひとつを残して駆け出すようにその場を去っていく愛理。
追いかけようと立ち上がるけど、慣れない松葉杖のせいで
思うように動けず結局その場に尻餅をついてしまう。

「どうして…愛理…」

どこまでも鈍感なあたしは、ただ途方にくれるように
愛理の背中を見送るしかなかったっけ。

384 名前:tsukise 投稿日:2008/01/24(木) 08:30
>>349-383
今回更新はここまでです。
鈍感クイーンやじさんって感じですかねw

>>345 名無し飼育さん
ひた隠しにしてがんばっていただけに辛いですよね。
心を鬼にする梅さん、本当に思っているからこそのことで
その優しさには感謝ですよね。

>>346 名無飼育さん
梅さんの叱咤、本当にそのとおりでございますよね。

>>347 名無しさん
矢島さん、辛いところですが、またがんばってほしいですね。
梅さん、いつも見ていた彼女だけにこういう優しさもアリですよね。

>>348 シュンさん
そうですね、全力だったからこそこれ以上なく辛くて、
でも、それをずっとずっと見守っていたからこそ伝えるほうも
すごく辛くて…。そんな二人だからこそ、また前へ進んでくれると
信じたいですよね。
385 名前:名無し 投稿日:2008/01/25(金) 05:40
更新お疲れ様です。
舞美は本当に鈍感ですねぇ。
梅さんと愛理、複雑だなぁ。。。
386 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/01/28(月) 13:11
なんかキュンキュンします胸が。
みんな切ないですね…
387 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:10

愛理のことを知りたい―――。

そう強く思い始めたのと、いろいろなものが見え始めたのは同時だった。

いろいろなものが、本当にいろいろなものが見えてきて。

あたしは、どれだけ何も知らないでいたのか思い知ったんだ―――。

388 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:10





「舞美ー ! お友達よー」
「はーい!」

日曜日の昼下がり、自室でくつろいでいたところにお母さんの声が聞こえた。

友達?
誰だろう。

まだ慣れない松葉杖を使いながら、玄関へと向かっていく。
その先にいたのは、

「やっほー、舞美ちゃん」
「元気してるー?」
「チッサーに舞ちゃん」

昔から一緒に遊んだりしてた二人。
あたしが高校に上がる頃には、なかなか時間がとれなくなってしまって、
外で遊んだりとかはできなくなっちゃったんだけど。

389 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:11

それでも、こうやって二人はちょくちょく家に来ては遊びに誘ってくれる。
最近では変なイタズラに凝ってるのか、あたしで遊んでる気がするけど。

「あー、ごめん、あたし今、足、こんななんだ」
「知ってるよー。だからさ、散歩でもしないかなーって」
「散歩?」
「うん、河川敷とか気持ちいいよ?涼しいし、どうせ舞美ちゃん
足がそんなだからって家に閉じこもってんじゃないかなーって思って」
「あー…」

確かに。
どこに行くにも松葉杖が一緒っていうのがめんどくさくて
部活も参加できないから出無精になってしまってるかも。
なんか、よくないよね。
ちゃんと太陽の光浴びなきゃ。

390 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:11

「よしっ! 散歩、行こっか!」
「そうこなくっちゃ。ちょうどさ! あそこの近くに美味しいアイス売りが
来てるんだってさっ。食べたくない?」
「奢ってー、舞美ちゃーん。美味しいって評判なんだよ〜」
「それが目的かー」
「あははっ」

まったく、二人は憎めない。
可愛い妹が二人できたみたいな感じで、あたしもなんか
ついつい二人につられちゃうんだよね。

「お母さーん、あたしちょっと散歩に行ってくるー」
「気をつけていくのよ? 車に気をつけて、知らない人には
ついてっちゃダメよ?」
「あたし、そんな子供じゃないよー」

391 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:11

いつまでも子ども扱いするお母さんに、ちょっと頬を膨らませる。
でも、その声を聞きながら、舞ちゃんとチッサーは、

「舞美ちゃんなら危ないよね、車とか突進していきそう」
「そうそう。自転車でバス停に突っ込むぐらいだもんね」
「しっかりしてて、どって抜けてるんだよねぇ、ホント」

この子達は…まったく…。

「二人とも、聞こえてるし。アイス没収するよ?」
「あははっ、ほら、早くー」
「舞美ちゃん、置いてくよー」
「もー」

二人に背を押されるるようにして、そのまま家を出た。
真夏といっても過言じゃないぐらいの強い日差しの中へと。

392 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:11





気の早いセミの音が聞こえる。
水音が涼しげに聞こえるこの河川敷でも大量に。
今年の夏も、一段と猛威を奮いそうで、今からゾっとするなぁ。

二人が紹介してくれたアイス屋さんは、噂に違わず美味しかった。
3人で、2つずつ食べてしまうぐらい。
ひんやりした感触って、この時期にはすっごく嬉しいんだよね。
ついつい体重も気にせず食べちゃったし、夕飯は少なくしなきゃ。

それからお腹いっぱいになったあたしたちは、
河川敷の広場で、チッサーの持っていたゴムボールを使って遊び中。
言っても、足の不自由なあたしは木陰から見守るだけだけど。

393 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:12

「いっくぞー! それー!!」
「わっ、ちょっと千聖、手加減してよー」
「ごめんごめん」

楽しそうだなぁ、二人とも。
本当に姉妹みたいに仲がよくって。
見ていると、こっちまで元気になる。

ふっと木の葉の間から空を見上げてみる。
晴天の空から零れ落ちる光が葉の隙間から輝きを覗かせてる。
すーっと風が吹くと心地よく、なんだかこのまま眠ってしまいそう。
鼓膜を奮わせるセミの合唱さえなければ。

くるっと首を回せば、河川敷の上の道路を色んな人たちが行きかっている。
ガードレールなんてないし、みんな散歩にマラソンにと、自由に行き来していて、
のどかな風景かもしれない。

394 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:12

と。

そこに見知った顔が通った。
思わず二度見してしまったその人物は…、

「………愛理?」

ひょこひょことした足取りで遠くから歩いてきてる。
瞬時にこの間のことが頭をよぎった。

あのとき、ちょっと寂しそうにしていたような気がする。
もしそれがあたしが原因だったのなら、謝りたいとは思っていたけれど。
まさかこんなところで見つけるなんて。

ふっと声をかけようとして………、止まった。

誰か、愛理の隣にいる。

395 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:12

女の子…。
愛理より幾分背は低くて、ふっくらした頬と唇が特徴的かもしれない。
愛理が何か楽しそうに喋っているのを、笑顔で聞いている。
なんとなく…声をかけるのが躊躇われる雰囲気…かも。

そう…身振り手振りをしながら話す愛理は、とても楽しそうだったから。
あたしが見たこともないような笑顔をしていたから…。

その姿を見て…、なんとなく、胸がちくんとした。
初めて見る、その姿に…そう、理由のわからない痛みが、
何故か…胸を突いたんだ。

隣の子は、そんな愛理を優しく見つめながら、うんうん頷いてる。
それだけで、二人の仲の良さを見せ付けられたような気がして。
ちょっと複雑だった。

って、なんでよ。
愛理だって、仲の良い友達とかいてもおかしくないじゃん。
いいことだよ、帰国子女ってだけで浮いちゃうところだってあるんだし
あんな風に、優しい子が側にいれば心強いんだし。

396 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:12

「…って、なんであたしは言い訳してんのさ」
「えー舞美ちゃんー? なにー?」
「あ、なんでもない。ごめんごめん」

離れた場所でキャッチボールをしている舞ちゃんに手を振る。
こんな離れていても聞こえたなんて、どんだけ大きな声を出したんだあたしは。

もう一度、愛理のほうを向く。
まだ話す事に夢中になっている愛理は、こっちにまったく気づかない。
そのままあたしの頭上を通り過ぎようとしている。

学校以外では…あんな風に…話すんだ。
新しい発見かも。
それは素直にちょっと嬉しかった。

397 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:13

と。
そのほんの一瞬、舞ちゃんたちから目を離した隙のことだった。
本当に、一瞬の。

「いっくよーっ! うりゃっ!!」
「あっ! ちょっと、バカ千聖! 力強く投げすぎだってばぁっ!」
「ごめーん!」

キャッチボールをしていた二人。

たまたま千聖の投げたボールは大きく舞ちゃんの頭上を越えて
河川敷の上へと飛んでいったんだ。

「いいよ、うちが取ってくるっ」
「早くしてよねっ」

駆け出す千聖は、舞ちゃんの横をすり抜けて。
芝生の坂を駆け上がり、道路へ。

コロコロと転がるボールを追いかける千聖。
そして、手に取ったそのときだった。

398 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:13

黒い大きな影が、千聖を飲み込まんとすごい勢いで近づいていたんだ。

別に意識をとられていたあたしは気づかなかった。
気づいたのは、千聖を視線で追っていた…舞ちゃん。

「危ない!! 千聖っ!!!」

その声にハっと我に返って、あたしは視線を二人に戻したんだ。
けれど、そこにいるはずの二人はいない。

首を回す。
声のした方。
そこには舞ちゃん。
駆け出してる、河川敷の上へ。

上!?
上で何が!?
千聖を呼んでいた…。

追いかけるように視線を上へ。
そして、その姿を確認するより早く。

399 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:13

ガコン!!! キキキーーーーーー!!

鈍い何かがぶつかる音が響き、続けるように引きつる音。
耳がちぎれそうな音。
これは、車のブレーキ音!?

「いやぁぁぁっ!! 千聖っ!!」

舞ちゃん!?

慌てて立ち上がって、駆け出す。
声の方向へと。

なに!? 嫌な予感がする…っ。
転びそうになるのをなんとかこらえながら、芝生の上を駆け上がる。
そして、道路に出た瞬間…―――― 動けなくなった。

400 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:13

「舞美ちゃんっ! 千聖が…千聖がぁっ!」
「あ…ぁ…」

ぐったりと横たわっている千聖と、それを涙をボロボロ零しながら
掻き抱いている舞ちゃん。
車は近くで止まっていて、容易にぶつかったんだと想像できた。
運転手も気が動転してるのか、ハンドルを握ったまま動かない。

「チッサー!!」

側に膝をついて呼びかけてもピクリともしない千聖。
一気に焦燥感にかられてしまう。

どこかぶつけた…!?
出血は!?
車の人は男の人でオロオロしてるだけ。
どうすればいい? 動かして大丈夫?

あぁ、わかんない…っ。

401 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:14

「舞美ちゃんっ、どうしたらいいの!?」
「待って…っ、えっとこういう時は…」

そうだ、授業でやった。
えっと、処置と連絡だ…!

「処置しなきゃ…!? え、待って、先に救急車!?」

「先に救急車!」

えっ?

突然の第三者の声に驚く。

振り返れば、こちらへと駆けて向かってきている―――愛理。
後ろにはあの女の子を連れて。

402 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:14

「ナッキー、携帯で救急車お願い!」
「わかった!」
「運転手さんっ、車を脇に!」
「あ、は、はいっ」

テキパキした言葉に、あたしはただオロオロしてた。
どうしていいのか本当にわからなくて。

こういうの、テレビで見たときは、なんでみんな出来ないんだろうって
そう思ったけど、いざ自分がその立場になってみてわかる心境。
頭が真っ白になって、心臓の音がうるさいぐらいに耳に届いて。
全然冷静でなんかいられない。
知り合いだったら尚のこと。

どうなるんだろうって?
このまま目が覚めなかったら、とか、
頭を強く打ったみたいだし、最悪の状態になったら
あたしは千聖のお母さんになんていえばいいんだろう、とか。
そんなことしか情けないけど浮かばなくって。

403 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:14

「矢島先輩!」
「…あ……う…」
「矢…、舞美ちゃんッ!!」
「っ!? あっ、な、なにっ?」

強く名前を呼ばれて、ハっと我に返る。
追いかけてきたのは、はじめてみる愛理の真剣なまなざし。

「ハンカチかタオル、持ってない!?」
「えっ?」
「この子、膝をすりむいてる。傷口止血しなきゃ」
「あ…っ、う、うん、タオルなら持ってる」
「じゃあ傷口を直接押さえてっ。そんなに出血してないから
しばらく押さえれば止まると思う」
「わかった!」

慣れたような指示に、素直に従う。
なんとなくだけど、愛理なら…愛理ならこの場をなんとかしてくれるって
そんな理由もわからない確信に似た気持ちがあったんだ。

404 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:14

「愛理、10分で着くって」
「どこ?」
「…あそこに行くと思う」
「……わかった。ありがと、ナッキー」
「ううん」

二人のやりとりの意味は判らない。
けれど、救急車がこっちに向かってることはわかった。

きっと困った目を向けていたのかもしれない。
気づいた愛理が、一度口元を緩めてあたしを見つめたから。

405 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:14

「舞美ちゃん、これから救急車でこの子を運ぶね」
「え、あ、うん」
「近くの総合病院なんだけど、舞美ちゃんとお友達は
救急車に同乗してきて?」
「え? 愛理たちは?」
「定員オーバーだし、私達は、タクシーで先に向かうから」

言ってる側で、背後からタクシーが近づいていることに気づく。
手際がよすぎな気もするけれど、今の行動力をみていたら、
納得できる気もした。

それから愛理は、運転手に警察への事情説明を任せて
その場を去っていったんだ。
あたしと舞ちゃんは、言われたとおり、そのすぐあとにきた救急車に乗り
不安を抱いたまま、病院へと向かっていった。

406 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:15






病院に着くと、愛理とあの女の子はすでにタクシーで先に着いていた。
何か数人の病院の先生と喋ってる。
状況説明とか、してくれてるのかも。

チッサーは、そのままストレッチャーに乗せられたまま
救急処置室へとつれられていった。
あたしと、舞ちゃんはさすがに入れない。

407 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:15

「お連れさんはロビーでお待ちください」

看護師さんが事務的に告げて扉を閉められる。
なんだか真っ白な世界が閉じられていく感じで
不安な気持ちに拍車がかかってしまったっけ。

「舞美ちゃん…千聖…大丈夫だよね?」
「舞ちゃん…」

あたしの腕を強く掴んで、舞ちゃんは顔をこわばらせている。
本当に不安な時ほど、ぐっと強く堪える子だから、
今もギリギリの気持ちを必死に止めてるんだ。
そんな子に、安易な事はいえない。

でも、あたしは言わずにはいられなかった。

408 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:15

「大丈夫だよ、ぜったい」

ぜったい、の言葉に力をこめる。
自分に言い聞かせてるんじゃない。
あたしは、そう信じてるから。
チッサーは、こんなことぐらいで参るよう子じゃない。

「そうだよね、千聖なら大丈夫だよね」

大きく頷く舞ちゃんは、不安を振り切るみたいにきゅっと一度瞼を閉じた。
次いで深呼吸。
小さな身体に溜まった緊張をなんとかして飛ばそうとしてる。
あたしは優しく、その背を撫でてやったっけ。

「舞美ちゃん」
「あ…」

呼ばれて振り返れば、愛理とあの子。
部屋に視線を向けたまま、こちらに近づいてきて。

409 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:15

「見たところ外傷は膝の擦り傷だけだったから大丈夫だと思う。
ただ、頭を強く打ったかもしれないから、きっとこれからCT検査に入るかも」
「そ、そうなんだ?」
「今のうちに、ご家族に連絡したほうがいいかもしれない」
「あ、そうだね」

冷静な言葉が並んで、ちょっとたじろぐ。
愛理から、こんなスラスラと状況を説明されるなんて思ってなかったし、
こんなにスムーズに病院にまでこれたことにまだ驚いてるから。
なんか、この場に本当に自分がいるのか実感がわかないってのが本音。

「携帯なら、玄関横の休憩室で使えるわ」
「あ、ありがとう」

愛理の後ろから言われる。

本当に誰だろう…?
愛理と喋っていたし、友達とかなんだろうけど…。
なんとなく、大人びた雰囲気がしていて…、とっつきにくい感じかも。

410 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:15

と。
それよりチッサーのお母さんに連絡しなきゃ。

「舞ちゃん、行こ。ジュースでも飲んで落ち着こう?」
「………千聖が出てくるかもしれないし」

動きたくない。
目が訴えてた。
でも、舞ちゃんを一人で待たせるわけにはいかないし…。

「大丈夫。まだ時間が少しかかるし、今のうちにあなたも少し休まなきゃ」
「愛理…」

一歩前に出た愛理は笑顔で話しかけた。
舞ちゃんは、ちょっと考え込むみたいにしながら愛理を見つめる。
真意を測りかねるみたいに。

411 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:16

「友達が出てきたときに、あなたが元気なかったら逆に心配されちゃうよ?」

愛理はあくまでも優しく言葉をつなげた。
子供をあやす感じじゃなくって、友達に話しかけるみたいに、自然に。
だからかな、舞ちゃんは一度チッサーのいる処置室を振り返って、
それから、

「うん」

素直に頷いたんだ。

「ありがと、愛理」

そっと、告げてあたしは舞ちゃんの手を引きながら玄関口へと向かった。
最後まで愛理は、舞ちゃんの不安な眼差しに笑顔で頷いていたっけ。

412 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:16





「……はい、待ってます」

チッサーのお母さんに連絡すると、悲鳴にも似た声をあげていた。
状況説明とか、ちゃんとしたいんだけど、あたしも何がどうなっているのか
まだよくわかってないから、ただ病院の場所だけを教えるしかできなくて。
すぐ行きます、という声だけを聞いて携帯を切ったんだ。

「…舞ちゃん? 大丈夫?」

携帯をかけている間、舞ちゃんは椅子に座ってコーラを飲んでいる。
でも、中身が全然減ってなくって…、顔色もよくない。

413 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:16

当然かもしれない。
あんなに仲良く毎日一緒に遊んでたんだ。
その友達が突然こんなことになったら、どうしていいのかわからないもん。
あたしだって、自分に置き換えればわかるその気持ち。

だから、そっと隣に座って、肩を優しく引き寄せてやった。
もたれ掛かってくる重さは少ない。
まるで心細さが比例しているみたいに。

「大丈夫だよ、舞ちゃん。チッサーはすぐよくなる」
「………うん」

泣きそうな声。
今にもわめきたいのを我慢するみたいな。
思わずあたしは頭をわしゃわしゃっとなでてしまった。

414 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:16

「舞美ちゃん」
「うん?」
「髪型が崩れる」
「気にすんな」
「気になるし」
「髪形ぐらい、なんとかなる」
「ならないから」

そこで目が合う。
しばらくの沈黙。
それから、どちらともなく噴出したっけ。

「舞美ちゃん?」
「うん?」
「ありがとう、いてくれて」
「気にすんな。それに、愛理に感謝しないと」
「愛理? さっきの子?」
「うん。いい子だよ?」
「うん…」

曖昧に頷く舞ちゃんの頭をもう一度撫でてやった。
415 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:17

愛理は…本当にいい子、だと思う。
まだつかめない部分が多いから、なんともいえないんだけど。

「よっし、そろそろ戻ろっか」
「あ、先に行ってて? あたし、これ飲んだらすぐ行く」
「一緒にいようか?」
「ううん、大丈夫。チッサーが気づいた時、誰もいなかったらかわいそうだし」
「そっか。うん、じゃあ、先に行ってるよ?」
「うん」

返事を返す舞ちゃんには笑顔が戻っていた。
うん、あたしもそれに安心する。
こういう時こそ、笑顔を持っていてほしいから。

416 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:17





ロビーを処置室のほうへと歩いていく。
CTがどうとか愛理は言ってた。
時間がかかるって。

多分、入り口のところで待つことになるだろうけど、
チッサーのお母さんが来たときのためにも待っていよう。

そう思って、処置室に続く通路に差し掛かったそのとき。

愛理を見つけた。
お医者さんの誰かと喋ってる。

別に聞き耳を立てるわけじゃないけれど、なんとなく
入り込めない空気を感じて足が止まって話に耳を向けていた。

417 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:17

「友達か?」
「うん」
「突然電話がかかってきた時は驚いたぞ」
「そう、ごめんなさい」
「手続きはお父さんの方でしておくから」
「はい」

聞こえた声に違和感を感じる。

あれが愛理のお父さん…?

あれ…でも…もっと…もっとこう…お父さんなら…。
なにか別の言葉は…でないんだろうか…?
なんだろう、すべてが事務的に聞こえてしまうんだけど…。

418 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:17

一番感じた違和感は、愛理が硬い表情のまま、
まったくお父さんと目を合わせないこと。
意識的にするような感じじゃなくって、とっても自然に。
無関心。
そう、すべてが無関心に見えた。
そこに張り詰めた空気なんてものはまったくなく、
ゆるやかな空気がそこに停滞してるだけ。
どこか淀んだ…、ゆるやかな空気が。

「あなたが…矢島さんだったのね?」
「え?」

ぱっと振り返れば、あの女の子。
愛理と楽しそうにしゃべっていた…、たった愛理の一言で
何もかもわかっているかのように行動を起こした、あの子。

419 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:17

「やっぱり」
「え、あの、なんで?」
「愛理がいつもしゃべってたから」

愛理が?
いつもあたしの事を?
いったいどんな…?

っていうか、この子もやっぱり愛理って呼ぶんだ。
栞菜だって呼んだりするけれど、なんとなく…感覚が違って。
少しだけ、胸の奥がもやっとした。
理由もわからないけど、少しだけ。

愛理…。
あたし、愛理のこと、知らないことだらけだ。
今だって…愛理のお父さんだなんて、全然わかんなくて…。

420 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:18

「愛理のお父さん、ここの外科部長なの」

見抜かれたような声に、びくっとした。
知りたかったんでしょ?とでも言うような視線で
交互にあたしと愛理の方をみたりして。
なんともいえない感じになる。

でも、その言葉で合点がいった。
愛理のあの処置の早さ。
身近に医療に長けた人がいるから、
だから咄嗟のときでも、身体が覚えていて。
それが家族なら尚の事。

「あんまり…今、折り合いがよくないみたいだけど」
「え…?」

折り合いが…よくない?
喧嘩してるとか?
でも、そんな感じには見えない。
もしかして、あたしが感じたあの独特の空気が?

421 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:18

「あの、さ。折り合いが良くないって?」

恐る恐る訊いてみる。
そしたら、まじまじと顔を覗きこまれた。
まるで、心の奥まで見透かすようなどこか冷たい眼差し。
ぐっと、心臓を掴まれたみたいで動けなくなる。

「あなたは……愛理の大切な人?」
「え…? 大切って…」

どういう意味なのかわからなかった。
友達として、一番仲がいいってことなのか、それとも?
戸惑いが隠せない。
そんな風に考えた事、一度だってないから…。

422 名前:発端 投稿日:2008/01/28(月) 21:18

目の前の子もそれを感じ取ったんだろう。
あからさまに興味をなくしたように視線をはずして、

「じゃあ、私から教えてあげられることはなにもないわ」

突き放すようにいったんだ。

それがまるで、境界線を引かれたようでズキンと胸が痛んだ。

あなたと私は、違う世界にいる。
そして、愛理も。
そんな風に現実を突きつけられたような気がして…。

見れば愛理はもう、お父さんと離れていて。
背を向けたままうつむき加減に、ただじっと視線を落としている。
じっと…動かず、頭を斜めにして。
その姿が、いつもの愛理より小さく見えて…瞼に焼きついた。

初めて見る、小さな愛理が…そう、瞼に焼き付いて離れなかった。

423 名前:tsukise 投稿日:2008/01/28(月) 21:19
>>387-422
今回更新はここまでです。
容量の関係上、板移転をさせていただきます。
大変、申し訳ありません。

>>385 名無しさん
矢島さんは、リアルにこんな感じがしますよねw
周りが苦労する感じで、梅田さんと鈴木さんは
大変かもしれないですね。

>>386 名無飼育さん
書いてるほうも、なんだか胸がキュッとなります、はいw
色んなことが複雑になっていて、ちょっと切ないですよね。
矢島さんの行動ひとつなんですけどね…。
なんかキュンキュンします胸が。

424 名前:無名 投稿日:2008/01/28(月) 23:16
切ない風景すら美しい色に感じられる描写に心酔しています。
更新を心から楽しみにしています。
425 名前:名無し 投稿日:2008/01/29(火) 04:56
更新お疲れ様です。
nkskちゃん、クールですね。
彼女がこれからどんなふうにからむのか
楽しみにしてます。
426 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:53

チッサーが入院して、2日が経った。

あの日、検査の結果、頭を地面にぶつけたみたいだけれど特に異常はなくて、
ただ車に身体をぶつけた衝撃で、肩とか腰を痛めてしまって。
様子を見るために一週間入院って形になったんだ。

おばさんは、わんわん泣いてチッサーに抱きついていたっけ。
舞ちゃんも、それにもらい泣きしちゃって、病室には
ものすごい大音量の泣き声が合唱していたのを覚えている。

でも、ホントに異常がなくってよかったよ。
何かあったら、あたしも気が気でなかったと思う。

あの時、何にもあたしは出来なかったから。
愛理がいなきゃ、オロオロしてるだけだったもん。
本当に愛理には感謝してもしたりないぐらい。
一緒にいたお友達には、迷惑をかけてしまって申し訳なかったけれど。

427 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:53

「おーい、舞美ー」
「え? あー、えり」

放課後になって、よっこいしょと松葉杖で立ち上がった瞬間、
えりに呼び止められた。
振り返れば、ちょっと怖い顔をしてズンズンこっちに向かってきてる。
な、なに…?

「アーンタ、病院には行ったの?」
「へ…?」
「へ…?じゃないわよ。昨日、予約してたでしょ?なのにすっぽかして」
「えっ?そうだっけ?」
「そうだよ、せっかく大谷先生が予約してくれてたのにー。来ないからって
学校に連絡があったみたいよ?」
「うわーっ、やっちゃったっ!?」

すっかり忘れてたっ!
もう、チッサーのことで頭がいっぱいだったから…。

428 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:53

「まったく、舞美らしいっていうか…、とりあえず今日もう一度予約を
してくれたんだって。だからこれから行くよ」
「えっ? 行くよって…えりも?」
「大谷先生がお目付け役って行ってきてって」
「あ、あはは…」

信用ないなぁ…。
まぁ、すっぽかした後だったら仕方ないんだけど。

「じゃ、行くよ」
「……はい」

ずるずると腕を引きずられるようにして教室を後にする。
なんかイタズラが見つかって怒られる子供の気分。
何人かのクラスメートが『えりかちゃんのかかあ天下ぁー?』なんて
言ってた気がする。
そんなんじゃないのに…。

429 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:54





着いた病院は、なんのことはない、チッサーの入院している総合病院だった。
なんか、つくづく縁のある病院なのかもしれない。

「安静にしてれば、すぐに松葉杖はいらなくなるって。
よかったじゃん、舞美」
「うん。早く練習に加わりたいしね」
「そうだよー、やっぱ舞美がいないとピリっとしないもん」
「褒めてもなんもでないよ」
「本心だってば」

でも、確かに練習には早く復帰したい。
一日休むと三日は感覚が戻らないものなんだ。
レギュラーからはずされたことで、リズムもちょっと狂ってる気がするし。
なんとなく、気に病まないようにしようとしてくれてるえりの心遣いが
ありがたかった。
430 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:54

「じゃ、清算も終わったし、そろそろ帰るよ」
「うん。 ………って、あれ…?」

とてとてとロビーを歩いていく先に、見知った顔を見つけた。
その人は真っ白な白衣をまとって、何か手にもったファイルを見てる。
この間チラっと見ただけだけど、あれは……。

「おや…、君は…」
「あ…、こんにちは…」

少し頭を下げる。
やっぱりというか、その相手は愛理のお父さん。
この間の印象が強すぎて、パっと見ただけでもすぐにわかった。
向こうもあたしのことを覚えていたみたいで、こちらに向けて会釈してくれて。

431 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:54

「足を痛めているのだね。捻挫かい?」
「あ、はい。ちょっと陸上で捻ってしまったみたいで」
「陸上かぁ。うん、なんだか君に似合いそうな競技だ」
「そうですか?」
「うん。とてもバネがありそうな体系だ」

言いながら、愛理のお父さんは笑顔。
その笑顔に驚いた。
この間の姿では想像もつかないぐらい気さくな笑顔だったから。

もっと難しい人なんだと思ってた。
だって、愛理のあの冷たい表情とかみたから、
そう、大きな病院のお医者さん特有の、なんというか、
ちょっと近寄りがたい雰囲気を持った人なんじゃないかって思ってて。

でも、やっぱりというか、お医者さん特有の…探るような感覚は
ずっとしている。

432 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:54

「舞美…どなた?」
「あ…」

くいくいっと、制服の袖口をひっぱられて。
振り返れば、ちょっとオドオドしてるえり。
そうだ、えりは知らないんだった。

「あ、えっと、こちら愛理の…えっと、大会のとき一緒にいた子の
お父さんで、この病院の外科部長さん」
「愛理…、大会のとき…、ああ、あの子の…」

思い出したえりは、ちょっとだけ複雑そうにお父さんを見た。
その意味がわからないあたしは、能天気に今度はえりを紹介する。

「えっと、こっちは、部活のマネージャーの梅田えりかさんです」
「そう、付き添いなんだね。はじめまして、鈴木です」
「あ…、えっと、梅田…です」

差し出された手に、戸惑いながらえりも手を重ねる。
なんだか、不思議な光景かも。

433 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:55

「君たちは、もう診察は終わったのかい?」
「あ、はい、ついさっき」
「そうか。じゃあ軽くお茶でもどうかな?ごちそうするよ」
「えっ? そんな、悪いですっ」
「いや、少しね、愛理のことも訊きたいんだよ」
「あ……」

不意に揺れる瞳は、どことなく愛理に似ていた。
不安定で、灰色に濁っていて。
少しだけ…くたびれた感じ。

愛理にも感じた、あの胸が痛むような感覚。
それを目の前のお父さんからもしたんだ。

愛理のことを訊きたい……、
それは父親としてどうなんだろうと思う。
親子なんだし、話す機会はいっぱいあるはずで。
それを人づてにって…なんか、考えさせられる。
でも。
なんだか放っておけない気持ちにもさせられて。

434 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:55

「ここの喫茶店、ケーキセットが美味しいんだ。私も目がなくてね」
「えっ? 甘党…なんですか?」
「恥ずかしいけれど、ケーキが大好きなんだよ」
「……、あ、あははっ」

テレたように笑うお父さんに、失礼ながらもちょっと噴出してしまった。
堅い外見に似合わない好みだから、すっごい意外で。

「えり、少しだけいい?」
「う、うん…」
「じゃあ、少しだけ」
「ありがとう」

戸惑うえりに確認して、あたしはお父さんの勧める喫茶店へと向かった。
なんとなく、話を聞いてみたくなったんだ。
不思議な、この人から。
なにより、お父さんから見た、愛理のことを。

435 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:55





喫茶店のケーキは、甘党のお父さんが気に入るだけあって
とっても美味しかった。
チョコレートが食べれなかったりするあたしだけど、
スポンジとか、すごいしっとりしてるし、卵の加減とか、
あたし好みな感じで。

えりも、イチゴをはじきながらだけどすごく満足そうに食べてた。
あれから全然一言も喋ってくれないから、勝手に決めた事
怒ってるのかとおもったけど、元来の人見知りが発動してしまってるだけみたい。

436 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:55

「ほんと美味しいです」
「それはよかった」

先に食べ終わったお父さんは、コーヒーを飲みながら笑っている。
なんか、こうしてみれば優しいお父さんって感じ。

「学校での愛理は、どんな感じなんだろう?」

こんな言葉も、娘を心配するお父さんって感じだし。
この間の空気は、気のせいだったんじゃないかと思っちゃう。

「愛理は…、あ、鈴木さんは元気でやってますよ?
友達もできたみたいだし、笑い話とか結構しますし、
頼れる子っていうか、なんか一緒にいて楽しい子です。
って言っても、あたし、まだそんなに一緒にいるわけじゃ
ないんですけどね」

ちょっと苦笑いしながら言うけれど、
愛理のお父さんは変わらず優しい眼差しで見てくれて。
テレ隠しに、ケーキの最後を口に放り込んだ。

437 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:56

「それは安心したよ。…あの子には、本当に悪い事をしたと思ってる」
「…え?」

それまでの穏やかな笑みに、暗い影が差す。
とても深い何か、あたしが踏み込んじゃいけない何かが
そこにあるように気がした。

でもあたしは、やっぱりそこまで大人じゃなくって。
ううん、ただのおせっかいで。

「悪い事、ですか?」

つい訊きかえしてしまっていた。
知りたかった。
愛理のこと。
時々見せる、沈んだ表情。
昨日のあの冷たい横顔の意味。
ぜんぶ。

隣でえりは、『ちょっと…』なんて服の袖をまたひっぱっていたけれど。
どうしても知りたいんだ。

438 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:56

愛理のお父さんは、じっとあたしの目を見つめて。
それからふっと小さく笑った。
そこに何を感じ取ったのかは判らない。
でも、うちのお父さんを思わせるその眼差しは好意的なものだった。
それから…とつとつと話し始めたんだ。
聞きたかった、愛理のことを。

「うん…、あの子の母親が2年前に亡くなってね…」

え…っ?
いきなりの切り出し方に戸惑う。
愛理のお母さん、亡くなってたの…?

それだけでも衝撃。
なのに言葉は続く。

439 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:56

「一年という短い期間で再婚して…」

今のお母さんは…本当のお母さんじゃない…?
しかも、そんな、たった一年でって…。

「そして、私の仕事の都合で日本へくる事になって…」

愛理の意思は関係なく、こっちに…。
慣れた土地を離れて、誰も頼れる人のいないこっちに…。
愛理のことだ、たくさん友達もいたことだろう…。
それだけでも、どれだけのものを落としてきたか…。

「きっと、あの子は私を恨んでいるだろうね」

自嘲気味に笑う愛理のお父さんは、とても小さかった。
外科部長という肩書きも、今はちっぽけなものに思える。

440 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:56

ただ感じたのは苦しさ。
なんとなく、親としての気持ちがわかる気がするから。
愛理のお父さんは自分のしたこと、ちゃんと理解してる。
でも、きっと、理解したところで変わらなかった現実。
だから、『ここ』まできた。

大人の事情とか、あたしにはよくわからない。
愛理のお父さんには愛理のお父さんなりの考えがあって。
良かれと思ってやってきたことだって思ったけど…。
それが愛理に伝わらないのは…とても寂しい事で。
なんだか考えがまとまらない。

ただ安易なことも言えず、あたしはテーブルの上のジュースに
視線をおとすしかなかった。

441 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:56

「あぁ、すまないね。この話をしたこと、愛理には内緒にしておいてね」
「あ……はい…」

重苦しい空気を感じた愛理のお父さんは、きさくに笑って見せた。
ここらへんが、あたしみたいな子供との違い。
とっさの機転、ちゃんと利かせたりして。

『お知らせします――― 外科の鈴木先生、お電話がかかっております。
 内線2994番までご連絡ください』

あ…。

「おっと、すまない。仕事のようだね。どうぞ、ゆっくりしていって。
…なんて病院ではくつろげないだろうけどね」
「あ、いえ、ありがとうございます」

カタン、と椅子から立ち上がる愛理のお父さん。
それから喫茶店をあとにしようとして、何かを思い出したみたいに振り返った。
追いかけてきたのは、また優しそうな笑顔。

442 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:57

「いつまでも、あの子のいい友達でいてやってくださいね」
「あ…はい…」

そのまま、歩き出す。
けれど、背を向ける瞬間、もうそこには今までの姿はなくって医者の顔。
どこか冷淡さを感じる、そんな。
この間の表情と、それがダブる。

お医者さんだもん、その切り替えとか大事だと思うけれど。
ちょっとだけ…ほんの少しだけ寂しい気持ちになった。

443 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:57

だって、あの顔は…愛理にも向けられていた。
状況が状況だししょうがないことかもしれなかったけれど、
それでも、娘の姿を見て、ああもできるものなんだろうか?
…あたしにはわからない。

でも、あのときの受け答えをする愛理からして、
きっと、あれが、日常だったんだろう。

なんだか…。

なんだか、無性に………愛理に逢いたくなった。

444 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:57





「まいみー」
「うーん?」
「足、順調だって。よかったね」
「うん…」
「早くて一ヶ月なんて、超人的だし」
「うんー」

帰り道。
えりから色々話しかけられるんだけど、正直あたしは上の空。
ずっとさっきまでのことが頭の中をぐるぐるしてて。

445 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:57

知らなかった愛理のこと。
ひとつ知ることが出来たのは、ちょっと嬉しかった。
けれど、その内容は、とてもショックなものだったから。

お母さんが亡くなって。
お父さんは再婚して。
こっちにやってきて…。
慣れないことだらけで。

考えればキリがない。

ただ、なんか、余計放っておけない気持ちになって。
でも、どうしていいのかなんてわかんなくて。
ジレンマみたいな、複雑な気持ちがこみ上げてきたんだ。

あたしに…なにか出来ないかな…、なんて、思う。

446 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:57

そんなふうに考え込んでいるあたしに、えりは一度大きくため息。

「さっきの、気にしてんの?」
「え? あ、うーん…」
「あんまり関わんないほうがいいよ」
「え?」

突然の突き放す物言いに、ぱっと振り返る。
えりにしては、ちょっと冷たい感じがしたから。
追いかけてきたのは、興味なさげな眼差し。
苛立ちさえ見えるのは気のせい?

「えり…?」
「だってさ、舞美があの子の全部を背負えるわけじゃないんでしょ?」
「それは…」

確かにそうかもしれない。
あたしがどれだけがんばっても、出来る事なんてたかがしれてる。
それに…本人が望まなければ、ただのおせっかい…。

わかる…わかってるけど…。

447 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:58

「あーもーっ! こんなときはなんか食べて帰ろっ!」
「えっ?」

突然、がーっと頭をかきむしったえりは、きゅっとあたしの腕を取る。

「なんか、悩んだりするの、舞美らしくない!美味しいもの食べに行こうっ!」
「ちょっ、えり、さっき軽く食べたところじゃん」
「あんなんで舞美のおなかは満たされたワケ?満ーたされたワケっ?」
「なに、そのキャラ」

ぷっと吹き出すと、えりは『テンションを上げてくれるキャラなのよ!』なんて
モデル歩きなんかしてるし。

448 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:58

「ほらっ、回転寿司とか! 季節限定ものとか入ったらしいしさ」
「うーん…、まぁ、そのぐらいなら…」
「そうときまったら、行くわよ!」
「だから、なに、そのキャラ」

ぐいぐい前へと、腕をひっぱっていくえりにまた笑う。
こうやって元気をくれるえりには感謝。
悩みだすと、ぐるぐるしちゃうあたしの悪いクセをよく知ってるから、
こうやって吹っ切ってくれて。

ちょっと感謝しながら、お店に向かったっけ。

449 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:58





「はー、食べたねー、ってか、舞美エビばっか食べすぎだから」
「えー、えりだってイクラとか美味しそうに食べてたじゃん」

ゆうに1時間はお店に入って食べまくったあたしたち。
ケーキを食べたばっかなのにたった二人で、どんだけ食べたんだってぐらい。
早食いのあたしでも、一時間いればかなり食べた気がする。

「でも、一種類だけ10皿とか食べないから」
「あははっ、まだまだいけたよ」
「ありえないし」

ツッコミを入れられてテレ笑い。
なんか、美味しいものってどんどん手に取っちゃうんだよね。

450 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:58

それからパンパンに張ったおなかを押さえながら二人して笑う。
回転寿司って、意外といろんな種類があったりするから
ついつい食べ過ぎちゃう。
今月のお小遣い、結構ピンチになるぐらい食べちゃったかも。

でも、食欲が満たされたからかな、すっごく気持ちは晴れてて。
病院でのこと、すこしだけ吹っ切れる感じになったかも。
大事な事だってわかってるけど、今だけ、少し。

「なんか舞美って男前だよねー」
「なに急にー、でも、えりのほうがしっかりしてるし」
「確かに。ちょっとした時とか、舞美ってすごい女の子だしね」
「なにそれー」

結構、周りからはサバサバしてるって言われるけれど、
こうやって逆に女の子だよねって強調されると嬉しいけれど恥ずかしい。
えりぐらいなものだよ、あたしが女の子って言ってくれるのって。

451 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:59

「なんかねー、そんな舞美のこと、好きかも」
「えー?」
「好きだぞー」

そこでしなだれかかるみたいに、あたしにもたれかかってくるえり。
なんか、千鳥足になっててあたしまでふらついたりして酔っ払いみたい。

「あははっ、ありがと。あたしもえりのこと好きだぞー、とか言って」

一緒にだらしなく歩きながら、えりの背をぽんぽんたたく。

けれど…。

452 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:59

「そうじゃないよ」

「え? なに?」

突然立ち止まって離れたえりに、いつもの調子で振り返って聞き返す。
けれど、えりは動かない。
とごか真剣な表情であたしを見つめてる。
いつになく、とても真剣に。
その異様な空気に、あたしも浮かべていた笑みがすっと消えていく。

「そうじゃない。舞美の言ってる『好き』じゃないの」
「えり…?」

あたしの言う『好き』じゃない…?
それって一体…?

453 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:59

よく意味が判らない。
ただ、えりが何か、とっても重要な事を言おうとしているのは判った。
何か、すごく重いものを、吐き出そうとしていることは。
だから、じっと、先の言葉を待ったんだ。

そしたら。

一度大きく深呼吸して、まっすぐあたしを見つめて、


「ウチは…、舞美が本気で好きなの。友達でなくって一人の女の子として」


―――― 告白、されたんだ。


454 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 07:59

いくら鈍感だと馬鹿にされるあたしでも、
ここまでストレートに言われて判らないわけじゃない。
ちゃんと、意味の判る、その年齢にはもう手が届いていたから。

「え…? えり…、あ…、あたし…は…」

頭が理解した瞬間、動揺した。
言葉なんてぜんぜん浮かんでこない。
情けなく、漏れる言葉は意味なんてなくって。

455 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 08:00

親友からの突然の告白は、あたしを混乱させるには十分すぎた。

好き?
えりが、あたしを?
その好きは、友達の好きじゃなくって。
一人の女の子としてあたしを…。
それって…、恋愛…感情…って、こと、なんだよね…?
ずっと?
いつから?
あたしをそんな風にみてたのはいつから?
そんなえりに、あたしは…あたしは、どうすればいい?

456 名前:親友 投稿日:2008/02/02(土) 08:00

「ごめんね、どうしても伝えたかったの。それだけ。じゃ、今日はありがと!」
「あっ! え、えり…っ!」

反応の薄いあたしに、今度はえりまで動揺して。
挨拶もそこそこに駅まで駆け出していったんだ。

残されたあたしは、引き止めるようにあげた手を宙をにさまよわせながら
ただ、雑踏の中に消えていくえりの姿を見つめるしか出来なかった。

457 名前:tsukise 投稿日:2008/02/02(土) 08:01

>>426-456
今回更新はここまでです。
梅さんも辛いのです…。

>>424 無名さん
嬉しいご感想をありがとうございます。
長編の更新が続く事になりますが、
どうぞ、またフラリと立ち寄って読んでくだされば幸いです。

>>425 名無しさん
nkskさん、そうですね、ちょっと不思議な感じですね。
これからもちょこちょこ出てくることになりそうなので、
お付き合いくだされば幸いです。

458 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/02(土) 11:12
更新お疲れ様です!
今回で話がガーッと進みましたね。
次も楽しみにしてます。
459 名前:名無し 投稿日:2008/02/02(土) 17:42
お疲れ様です。
梅さん…!辛い立場ですね…。
愛理を含めた三人の今後、期待してます。

460 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/03(日) 01:05
つД`) 梅さんガンバレ
461 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:32

どうしたらいいんだろう…?

頭の中をぐるぐるするのは、そんなことばかり。
全然、他の事が考えられない。
映像の再生みたいに脳裏に焼きついて離れないのは、
昨日の別れ際にふと見せた、苦しげなえりの顔と告げられた言葉。

『舞美が本気で好きなの。友達でなくって一人の女の子として』

……そんな風に、えりがあたしを見てるなんて、思いもしなかった。

だって、えりは、ずっとずっと一緒にいてくれて…。
気づけば側で励ましてくれて。
辛いときには、必ず隣にいてくれて…。

それに、間違った事をしたとき、絶対にえりは許さなかった。
…足のこともそう。
どんな些細なことも見逃さずに。
思えばどれだけ、その存在に助けられてたか知れないほど。
でもそれは親友としてだって…そう思ってたから…。

462 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:32

そのえりが、あたしを好きだと言った。

ねぇ、あたしは?

あたしは、えりをどう思ってる?

そんなの…………わかんないよ………。

繰り返される問いかけは、ただ混乱を呼ぶだけで、
答えなんてまったく出ない。

そんな状態で、まともに顔を合わせて話せるわけもなくって、
次の日になっても、曖昧な時間がずっと過ぎていってた。
教室でも、えりも同じ気持ちなのか、話しかけてくる事もなくって、
ただ…もどかしそうに見つめてくるだけ。
その視線の意味、判っているだけに辛い。

463 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:33

答え……欲しいんだよね?
あたしの、答えが。
えりのこと、どう思っているのか。

でも…あたしには、まだわかんない。
こういうこと、まだ、わかんない…。

結局その日はえりと話す事もないまま時は過ぎていった。
それは放課後の部活の時間になっても同じ。

ただ、あたしはまだ足が完治してないこともあって、
参加することも見学することもできないから、
同じ空気を吸うことはなかったけれど。
部室に顔を出しただけで、居心地が悪くなったっけ。
なんとなくだけど…あたしの中のえりの存在を確かめることになって。

464 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:33

いつも隣にいるはずの人がいない。
支えてベストコンディションにしてくれる人がいない。
それって、実はとっても心苦しいものだって気づかせたんだ。

一緒に笑って、バカやって、でも一緒にがんばって…、
そういう大切な人、失って初めて気づいたんだ。

でも…。

でも、それがえりの言う『好き』って感情に繋がるかって思えば…

………わからない。

465 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:33

「はぁ……」
「おはようございまーす!」
「あ、おはよう、って栞菜?」

部室に入ってため息をこぼした瞬間、入ってきたのは栞菜。

おはようございますってなんか変だけど、うちの部では
いつでも新しい気持ちでいるためにって、放課後でもこの挨拶なんだよね。

「舞美ちゃん、来てたんだぁ? って…なんか、お疲れ?」

今ホームルームが終わったのかな?
肩にカバンをかけてシューズを片手に持って。
あたしの様子をうかがうように目をパチパチさせて顔を覗きこんでる。

466 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:33

「元気ない?」
「うー…ん、まぁ、ね」
「舞美ちゃんもかぁ…」
「うん?も? 栞菜はなんかあったの?」
「それがさー、聞いてよー」

言い終わらないうちに、栞菜は自分のロッカーの前に
カバンとシューズを放り投げて部室の真ん中にある長椅子にドスンと座る。
ちょいちょいっと隣を目で合図して…座れってこと?
とりあえず、話を聞くために腰掛ける。

「あたし、フラれたの」
「えぇっ!?」

開口一番の言葉にのけぞる。

467 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:33

「舞美ちゃん、驚きすぎ」
「あ、ごめん」

いや、でも、そんなフラれたって。
告白したってことでしょ?
なんていうかさ、その…

「栞菜に好きな人がいたのにびっくりして…」
「ちょっとぉー、あたしにだって好きな人の一人や二人や三人や四人ぐらい」
「多すぎだし」

そっかぁ…、なんか驚いたけど…そうだよね、
好きな人がいてもおかしくないよね…。
栞菜だって女の子だし、そういうことに興味があって当然。

でも、同性のあたしから見ても、栞菜は可愛い女の子。
その栞菜が失恋するって…結構意外だよね…。
性格だってサッパリしてて明るいし、人懐っこいところとかもあるし…。

468 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:34

「絶対いけると思ったんたんだけどなぁ〜」

天井を仰ぎ見るみたいにして、残念そうなため息をこぼしてる。
なんか、本当にショックだったみたい?

「そんなに自信あったんだ?」
「そりゃー、自信なきゃ告ったりしないよー」
「そう、なんだ…?」

そういうもの?
自信があるから告白ってするものなの?
てか、上手くいくって確信とか、どうやってわかるんだろう?

「もう、すっごい仲良くって、ハグとかしたりしたし」
「ハグって…」

そういうコミュニケーションで?
まぁ、そんな友達でもハグとか過剰にはしないもんね…。
あたしも、そこまでしないし。
仲がいい、えりだって、そこまでは…。

469 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:34

「あ〜あ、愛理なら絶対OKしてくれるって思ってた」
「え…?」

愛理?
愛理って…、あの愛理だよね…?

待って、栞菜が告白したのって…愛理?

突然意外な名前が出て、素で驚いてしまう。
栞菜が好きだったのが愛理、それだけなのに、
敏感に反応している自分がいたんだ。

そんなあたしを見てとった栞菜が、
『意外?』と訊くように、眉を上げて一度あたしに視線を向けた。

「愛理、すっごいいい子なんだよ?でもさ、好きな人、いるんだって」
「へぇ…」

まぁ、中学生なんだもんね。
好きな人とかいても、もうおかしくない歳か…。

470 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:34

ただちょっと、愛理に好きな人がいたっていうのがまた意外で。
なんていうか、そういうの、あんまり興味ないほうに見えたから。

そこでふと浮かんだのは、この間一緒に歩いていた子。
救急車の手配とか、愛理が全部言わなくても判ってる風だった。
なにより、あんな笑顔で話す愛理なんて…見たことなかったし…。

もしかしたら…彼女なのかもしれない。
愛理の好きな子って。

…って、なに詮索してんだ。
こんなの愛理に失礼だ。
あたしだって変な詮索されても困るもん。

ぶんぶん頭を振って、気持ちを切り替える。
こんなのよくないから。
人のことより自分はどうなんだって、そんな風に戒める自分がいるし。

471 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:34

そう…そうなんだよね。
ホント、自分はどうなんだって…感じ…。

栞菜は愛理に告白して、愛理は……それを断った。

どんなに仲が良くたって、人を想う気持ちのすれ違いはどうにもならない。
重なる事のない想いを、捻じ曲げることなんて出来ないし、
そうしたところで、お互いがいつか苦しむから。
きっと、それを判ってるから…愛理は答えをだした。

ふと、自分に置き換える。
もちろん、それはえりのこと。
曖昧な気持ちにしているあたしは…卑怯じゃない?

栞菜と愛理のように、ハッキリと答えを出す事は出来ないけれど、
あたしもちゃんと自分の気持ちを見つめる事はできるかもしれない。

472 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:35

えりのこと、考えてみよう?
もし、えりが……あたしの隣で歩くことになったら…とか。

きっと、今までと変わらない気もする。
部活でも一緒だし、登校する時も一緒だし、
帰りも重なる事が多いし…クラスも一緒。

でも、決定的に違うことも………絶対にある。

友達と…恋人。
その違い、うっすらだけど、あたしにだって判るから。
似ているようで、全然違う立場。
それは、一歩大きく踏み出す関係。
赤と青ほど違う関係。

473 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:35

その関係に……あたしはえりとなれる?

………わかんない。
えりと、そういうの…全然考えたこと…なかったから。
想像だって難しい。
もともと、こういう話は苦手なんだ、きっと。

「舞美ちゃん?」
「え? あ、ごめん、ぼーっとしてた?」

呼ばれて我に返ると栞菜が顔を覗きこむようにして心配そうにしてた。
ちょっと苦笑い。

「うん…っていうか、なんか深刻そうな顔してた」
「あ、あはは…、やだなぁ」
「なにか、あった?」
「ううん、なんでもないよ、大丈夫」

そうは言うものの、思考はすぐにえりのことに飛んでしまう。
このままの状態を続けるなんて、苦しすぎるから。
元のあたし達に戻りたいって…、そう思うし…。

474 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:35

「うー……ん…」
「なんか、悩める美少女だね、舞美ちゃん」
「えー? ふざけないでよー」
「ふざけてないってー」

なに言ってんだか。
バシバシッと栞菜の肩を叩いて笑うけれど、
気にした様子もなくって、ううん、反対に…なんだか、
キラキラした目で、あたしとの距離を詰めてきてる。

「ちょ…、栞菜?」
「舞美ちゃん、綺麗」
「な、なに、急に…」

じりじりとにじり寄ってくる感じで、長椅子の端に自然と追い込まれていく。
え…、や、なんか、ちょっと…雰囲気がヤバくない?これ…。
栞菜から、いつもの元気さとは違う笑みが見て取れるし…、
なんていうか、それが、ちょっと妖しい感じで…焦ってる自分がいる。

475 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:35

「ねぇ、気づいてないの? あたし、舞美ちゃんのこと大好きなんだよ?」
「も、も〜、冗談ばっかりー」

栞菜の肩口に手を置いて、押し戻すように力をこめる。
でも、逆にその手を取られて距離を一気に詰められる。
待って…、なんか…、ホントにヤバい…?

「本気だよ、舞美ちゃんが気づいてないだけで、あたし、
愛理と同じくらい舞美ちゃんが好き」

ストレートに告げられて、一瞬言葉に詰まる。
ぐっと、咽喉の奥で唸ってしまって…、動けない。

なんで…、こんな、栞菜まで…っ。
身じろぎをして逃れようとするけれど、栞菜はジリジリと迫ってくる。
もう椅子の端まで来てるから動けなくって…、
その手も、からめとるみたいに握られていて…。

476 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:35

「舞美ちゃん…」

迫ってくるのは栞菜の顔。
ぐっと肩を押され倒されると、あたしに覆いかぶさる感じで追いかけてくる。
待って…身動きが…っ。

「ちょっ、やーだーやーだー」

どうしようもない状況に、困ったみたいに笑いながら首を振るけど
栞菜はまったく動じてない。
そのままがっちり腕を固められれば、もう自由が利かなくて。

「栞菜…っ」

顔を向ければ、不思議な色をもった栞菜の瞳とかち合う。
ユラユラ揺らいでいて、黒目がちな独特な雰囲気をたたえているそれは
奥が見えなくて…、吸い込まれる感じで。

477 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:36

いけない…っ、これは、よくない…っ。

ばっと顔を背けるけれど、栞菜はそれを許さなくって。
ゆっくりと…唇を寄せてきたんだ。

動け…ない……っ。

もう、どうしていいのかわからなくて、ただぎゅっと視界を閉じた。
聞こえるのは栞菜の息遣い。
ギシ、と鈍い音を立てる長いす。
遠くに、かすかな運動部の掛け声。

「舞美…ちゃん…」

がちんと固まった身体。
そして…そのまま…栞菜のぬくもりが…―――

478 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:36

バタン!!

「何やってんの! アンタたち!!」

「うわっ!!」

心臓が跳ね上がる。
と、同時に身体も跳ね上がって。
乗っかっていた栞菜は、バランスを崩してその場にこけてしまった。

声の主に視線を向けると。

「え…、えり?」

そう、入り口で、ぜーはーぜーはーと荒い息をしながら
すごい形相をしているえりがいた。
いつも綺麗にしているストレートの髪がグシャグシャになってて…
かなり怖い。

479 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:36

「栞菜!!」
「うひゃっ」

バン、バン、と苛立ちを含んだ足音を立てながら部室に入ってくるえりに
栞菜は素っ頓狂な声を上げてあたしから離れていく。

「練習に中々来ないと思って来てみたら、なんてことしてんのよ!」
「え〜? 愛の告白?」
「バカ言ってんじゃないの!」
「あははっ」

栞菜ってば…ぜんっぜん懲りてない。
悪びれた様子もなく、今だって笑いながら、
あたしを挟んでえりと対曲線上に逃げてる。

「大体アンタ、今日は外周でしょうが!さっさと行きなさい!」
「えりかちゃん怖〜い」
「さっさと行く!!」
「はいはい。 舞美ちゃん、続きはまたの機会にね〜」
「栞菜!!」
「あははっ、じゃ〜ね〜」

そのまま部室を飛び出していく栞菜。

480 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:37


………呆然。


何が起こったのかわかんない。

ただ、あたしに背を向けるようにして、肩で息をしているえりが
妙にリアルに映ったっけ。

「えっと…えり…?」

とりあえず、恐る恐る声をかけてみる。
そしたら…、ばっとあのすごい形相のまま振り返って。

「舞美も舞美だよ!!」

怒鳴り散らされた。

481 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:37

え、でも待って。
あたしって被害者じゃない?

「や、あれは、栞菜が突然…」
「そうさせたの、舞美にも原因があるからじゃない」
「え、えり…?」
「あたしが来なかったら、栞菜と…!」
「そんなことないから…っ、あれは栞菜の冗談だって、きっと」

落ち着かせるように笑ってみせるけれど、
逆にえりは、どんどん険しい表情に変わっていく。

「だいたい舞美は鈍感すぎる…!」

苛立ちが見えた。
普段は、そんな風に見せないのに、今は激しい感情が見え隠れしている。

「鈍感すぎるって…」
「舞美、気づいてないでしょ?自分が色んな人から好意を寄せられてるって」

言葉をかぶせるように言われてたじろぐ。

482 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:37

「そ、そんないないって…」
「いるんだって!今の栞菜もそうだったじゃん! あの、愛理って子だって…」
「え…? 愛理?」

思わず反応すると、えりは苦い表情をして言葉をとめた。
そこから先の言葉は飲み込まれていく。

何か…マズいことをした…?
どうしていいのかわからなくて、ただえりの背中を見つめる。
そしたら、えりはゆっくりと瞬きとため息を一度して、あたしを捉えたんだ。
苦しそうな、どこかジレンマを感じているような、そんな眼差しで。

「フラフラ…しないでよ…っ、じゃなきゃ、ウチ、抑えられない…!」

え……?

そこで、たじろぐ。
だって、えりが、ゆっりとあたしに歩を進めてきて…。

まるでさっきの栞菜と一緒。
一歩、一歩と距離を詰めるえりは、有無を言わさないような
何か強い意志を持って迫ってきているんだ。

483 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:37

「え、えり…っ」

ガタン、と、立ち上がって後ろに下がるけど、
さっきまで後退していたあたしは、すぐに壁際に追い込まれる。

えりは止まらない。
ただあたしの目をまっすぐ見つめたまま、手を伸ばしてきてる。

栞菜と違って、その強い意志の前に、あたしは、一歩も動けなくなる。

指先が、頬に張り付いた髪に触れ…
輪郭を辿るように撫で上げ…
そして、唇をなぞらえて。

「舞美…」

吐息混じりに呼ばれた名前に、魔法がかかったように身体が固まる。

484 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:38

すぐそこには、えり。
鼻をくすぐる、えりのシャンプーの香りにくらくらしてくる。
独特の雰囲気を持った瞳から目がそらせられない。

ヤバイって…っ。
マズイよ、こういうの…っ。
判ってる。
頭ではわかってるのに、動けない。


そして次の瞬間 ―――――


「…っ」


――――― 柔らかな弾力が、唇いっぱいに広がる。


キス――― されたんだ。


485 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:38

誰に? えりに?
あたしが? えりに?

理解不能になっていく、あたしの脳。
散り散りになる神経たち。
でも、唇に広がる熱は離れない。
まだ、あたしを捕まえて、離れない。

ビリビリと全身には電流が走って、身動きできない。
金縛りをかけられたみたいに、まったく。

そのまま回されたのは腕。
いつもは細いと思っていたえりの腕が、いま力強く…ゆっくり
あたしの背に回されて、唇を重ねたまま抱きすくめられる。

486 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:38

「まいみ…」
「っ…!」

何度も、何度も奪われる唇に、頭の芯がしびれて…
だんだん…何も考えられなくなっていく…。

しっかり…しなきゃ、いけないのに…。
こんなのいけないって、えりから離れなきゃいけないのに…。

なんだか…頭が…ぼぅっとして…わけが…わかんなく…


487 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:39


ガタン!!!


「っ!!??」
「誰っ!?」


突然破られた静寂。

ばっと離れるえりは、そのまますごい勢いで音のした入り口扉に振り返る。
あたしも、ならうようにそちらを見て――


―――――…愕然とした。


488 名前:両面価値感情 投稿日:2008/02/09(土) 07:39


そこには―――


「あ………」

目を見開き、何が起こったのかわからないというような表情で
じっとあたしを…えりの向こう側にいるあたしを見つめている…

「あ…愛理…?」


そう、愛理が、いたから。


489 名前:tsukise 投稿日:2008/02/09(土) 07:39
>>461-488
今回更新はここまでです。
あちらを立てればこちらが立たない矢島さんです(ニガ

>>458 名無飼育さん
レスありがとうございます。
そうですね、ガーッとこれからも進むかとw
どうぞ、また続けて追いかけてくだされば幸いです。

>>459 名無しさん
梅さん…そうですね、少し辛い立場かもしれないですね。
鈴木さんと矢島さんと梅田さん、この三人はこれからも
ちょっと辛いかもです(平伏

>>460 名無飼育さん
本当に梅田さんにはがんばって欲しいものでございますね(平伏
まだ少し苦難は続きそうですが(平伏

490 名前:名無し 投稿日:2008/02/09(土) 16:54
お疲れ様です。
うあああっ、すごい展開ですね。
続きが気になります!
作者様頑張って下さい!

491 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/11(月) 23:04
更新お疲れ様です。
愛理は切ない役が似合うなぁ・・・
次回も楽しみにしてます。
492 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:05

ぼんやりと陽の傾くベンチに座ってグラウンドを見つめる。
色んな部活が練習をしているけれど、全然視界に入ってこないのに。

入ってくるのは…、――― さっきまでの部室の映像だけ。
ずっと再生フィルムが巻き戻っては、そこばっかりを繰り返してるんだ。

オレンジ色に染まった部室。
栞菜の告白。
えりの告白。
強い力で引き寄せられて。
唇を…押さえつけられて…。
そして…――― 愛理の驚いた顔。

493 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:06





『愛理…!』
『…っ』

名前を呼んだだけで、びくんと大きく震えた愛理の身体。
定まらない視点は、あたしとえりと部室の中をぐるっと回って。
それから……、やっと自分を取り戻す。

『ごめんなさい…、あの、私、栞菜を探しに来てて…』

でも、動揺しているのは明らかで、
俯くみたいにして前髪で表情を隠したまま、
言葉をただ並べていってる。

494 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:06

違う…っ、違うの愛理。
そうじゃない。
今、愛理が思ってるような、そんなんじゃないんだよ…っ。
伝えなきゃっ。
このまま、誤解されたままなのは嫌だ。

『ち、違…! 違う…の…!』

でも情けないかな、カラカラに渇いた咽喉からは、
ちゃんとした声なんかでなくって、ただ首を大きく振って
一歩前に出るしかできない。

『でも栞菜、いないみたいだし、ごめんなさい…!』
『あっ!』

まるで…。
まるで近づいたあたしから逃げるみたいに、愛理はそれだけ告げて、
部室を飛び出して行ってしまった。
逃げる…みたいに…。

495 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:06

消える瞬間見えた、唇を噛み締める姿に酷く胸が痛むのを感じた。
ナイフを胸に突きたてられたような、そんな痛みを。
引き裂かれるって、きっとこんな感じ。

でも、そんなあたしをハっとさせたのは、その愛理の後ろに、
………あの子がいたから。

そう、病院で愛理の傍らにいた、あの女の子。

『愛理…!』

肩を押しのけるようにして飛び出していく愛理に呼びかけて、
それでも去っていく姿に慌てて追いかけようとし、
ただ一度…、あたしに振り返ったんだ。

その視線に、――― 身体が硬直した。

496 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:06

まるで……… あたしを射るような目だったから。
鋭く細められて、その瞳の奥に怒りの感情を滲ませて。
その目を…あたしは逸らせられなかった。

二人が去った後、訪れた重い沈黙を破ったのは えり。
あたしに背を向けたまま、それでもハッキリ届く声で告げたんだ。

『ウチ、本気だから。謝んないよ?』

うっと言葉に詰まる。
どう返事していいのかわかんなくて。
そんなあたしの、戸惑いとか困った空気とかを感じ取ったえりは、
一度だけ、ふっとため息をついて…

『返事…いつかちゃんと聞かせて? 舞美の口から、ちゃんと』

あたしの…口から…。

『じゃあ……、部活、戻るね』

それだけ伝えると、静かに部室を出て行ったんだ。
扉の向こうで聞こえる運動部の声が、まるで別世界に感じたっけ。

497 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:07





その後の事は、断片的にしか覚えてない。
多分、部に顔を出す事もできず、ぼんやりとここまで来たんだと思う。

「返事なんて…、わかんないよぉ…そんなの…」

膝を引き寄せて、そこに額をつけるとうずくまる。

胸に迫るのは、どうしようって…、そんな気持ちだけで…。
なんか、なんかもう、頭ん中、ぐちゃぐちゃ。
あたし……ボロボロだ…。

498 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:07

えりの告白…、愛理の泣き出しそうだった顔…、
あの子の怒りに満ちた目…、そして、あたしの気持ち…。
混ざり合うそのすべては、どろっとした黒い塊になって
あたしの胸に苦しみだけを落としていく。

抜け出せない泥の中で もがくのはあたし。
誰も助けてなんてくれない。
答えを出さなきゃいけないのはあたしだから。

どうして愛理があんな表情をしていたのか、
あたしには…よく判っていない…。
でも、何か…、大切な何かを見落としてしまいそうになってる。
それだけは判るんだ。

499 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:07

けれど…えりの気持ちを無碍にもできない。
きっと…えりはたくさん悩んだだろうから。
親友に…好意を持ってしまって。

あたしにはわかる。
えりは、とっても繊細で、人の気持ちにも敏感に反応して、
時々物怖じして、心を閉じ込めてしまう。
だから。

そんなえりを、守ってあげたいっていつも思ってた。
でも…あぁ…。

わかんない…。
えりの心とあたしの心、それは重なるものなの?
答え、ハッキリ出さなくて良かったの?
そして…あの時、愛理を追いかけなくて良かったの?

500 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:07

「もう…やだ…」

ぐっと、膝を抱えると、ズキンと一度痛む足。

苛立ちが………増してくる。

「………!! もうっ!!」

気持ちを振り切りたくて、バっと立ち上がった。
途端に、右足に鋭い痛みが走るけど、構わずに。

「…っ!!」

気づいたら ―――― 走り出してた。

グラウンドを駆けて、正門から飛び出し、ずっとずっと先に。
足元しか見ず。
ぶつかりそうになる人たちをすんででかわしながら。

501 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:08

ズキン、ズキン、と痛みは膨れ上がっていく。
でも、足を止めない。
止まらない。
気持ちが加速して、一気に爆発してるんだ。

痛めつけるなら、痛めつけてくれていいよ。
どうせなら、とことんやっちゃってよ…!
あたしのこと、潰しちゃってよ…!

痛みに顔が歪む。
足の痛みじゃない。
胸の奥の切り裂かれそうになる痛みに。

久しぶりの全力疾走に、身体はすぐに悲鳴をあげ、脳が酸素を欲しがる。

こんなとき、助けてくれたのはえりだった。
でも、今は…頼れない。
こんなとき、心配してくれたのは愛理だった。
でも…、今は、いない。

502 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:08

「はぁ…っ…!はぁっ!はぁっ!」

足がもつれる。
とうに麻痺した痛覚は、キーンとする音を耳の奥に響かせて、
ちかちかと視界を点滅させ…、そしてついに―――

「あっ!!」

ズサッ!!

――― あたしの自由を、奪い取ったんだ。

503 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:08

「……痛…ッ」

激しく転倒。
それも河川敷の砂利道で。
最悪な…状態。

「う…ぁ…っ」

こすりつけた膝小僧が痛む。
右足も全体が痛い。
心臓は張り裂けそうな鼓動を打ちつけ、
全身から噴出すのは大量の汗。
そして…、瞳からは…――― 涙。

504 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:08

「うぅ…っ、なんでよ…っ、なんでこんな…っ」

意味を持たない言葉が、嗚咽と一緒にこぼれ出る。
ずっと押さえつけていた心が、今 鎖を引きちぎって暴れだす。
あたしにしては珍しい、激情が…暴れだす。

頭を使うのは得意じゃない。
人の気持ちを感じとるのだって、空回りする。
そんなあたしが、こんなときどうしたらいいのかなんてわかんない。

ただ、自分を痛めつけるしかできなくて。
えりや、愛理の痛み、全然それにはかなわないだろうけど、
こうすることしかできなくて。

あたし―――― バカだから。

505 名前:混迷 投稿日:2008/02/12(火) 21:09

心に ぽつっと浮かんだ言葉に、泣きながら笑ったっけ。
そう、どうしようもない自分を責めつつ、ただ…笑った。
泣きたくなるのは、足の痛みのせいって、そう言い聞かせて。

ちゃんと…考えるから。
もう少し…バカなあたしでいさせて…?
だれにともなく心の中でつぶやく。

そんなあたしを、暑さを潜めつつ西日がゆらゆらと照らし続けていた…。
506 名前:tsukise 投稿日:2008/02/12(火) 21:09

>>492-505
今回更新はここまでです。
矢島さんでも悩むときは悩むものですよね、はい(ぉ

>>490 名無しさん
ありがとうございます。
苦しい立場の矢島さんですが、ちょっと次回より
展開が早くなりそうですが、またお付き合いくだされば幸いです。

>>491 名無飼育さん
鈴木さん、結構辛い立場が続く役どころで申し訳ないです(ニガ
まだちょっと受難が続きそうな展開ですが、
また立ち寄って読んでくだされば幸いです(平伏

507 名前:無名 投稿日:2008/02/13(水) 00:17
ピュアですね、みんなの心が。
誰も、自分ではそう思っていないのでしょうけれど。

アノ子寄りの私としては、成り行きが気になるところです。
続きを楽しみにしております。
508 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/13(水) 01:15
アノ子寄りたけどたぶんダメなんだろうな
ハァー今から切ないw
509 名前:名無し 投稿日:2008/02/14(木) 04:41
更新お疲れ様です。
舞美…辛いですね…。
みんな幸せになって欲しいです…。
510 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/02/16(土) 14:03
なんなんだこの胸が締め付けられる感じ…
正座して待ってます。
511 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:45

ぐるぐるする、頭の中が…。
ううん、ぐるぐるするのは頭の中だけじゃなくって目の前も。

「うーーーーー…」

昨日、あの後ひとしきり泣いて、
帰宅したのはもう辺りが真っ暗になってからのこと。
初夏とはいえ、肌寒い中、汗も落とさずにフラフラしていたあたしは、
………見事に風邪をひいた。

「まったく…、こんな時期に風邪をひくなんて、おかしな子ね」
「だって…」
「まぁ、今日は一日寝ていなさい? 熱だって8度を超えてるんだから」
「はぁい…」

ぺたっと、熱さましのシートを額に貼ってお母さんは部屋を出て行った。
残されたあたしは、ベッドに潜り込んでただぼんやりと天井を見上げる。

512 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:46

あたしってほんとバカ…。
後先考えずに全力疾走とかしちゃって。
すぐ治るはずだった足も、また痛めたりして…。

でも、何かせずにはいられなくなって…。
痛めつけることしか考えつかなくって…。

「ごめんね…」

なんかもう、誰にとか、何にとか謝ってるのかわかんないけど、
口から出たのはそんな言葉。

今は少し休もう。
色んなことが重なって、もうわけわかんないんだから…。
起きたら…また……がんばろう…。

513 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:46




ゆっくり瞼を落とせば、睡魔が襲ってくる。
身体がフワフワしていく。

でも、浮かんで消えるものは、あたしを苦しめるものばかり。

西日が見える部室の中。
えりの切ない声と、責めるような目。
逃げる栞菜がおどけたみたいに笑って。
扉の前では愛理が泣いて。
息苦しさに心臓が悲鳴を上げて。
砂利にこすり付けて痛む膝小僧が酷い状態になって。
足が、動かなくなって、…視界が暗転。

514 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:46

そんな闇にもがくのは、ひとりぼっちのあたし。
誰も助けてくれなくて。
泥の中に放り込まれたみたいに、必死にもがいて。

簡単に眠りに逃げさせてやらない。
そんな風に、誰かが意地悪してるみたい。

苦しい…。
辛い…。

でも、夢には終わりがある。
どれだけ辛くたって、…楽しくたって、絶対に。
あたしの、こんな苦しい夢にも…もちろん。




515 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:46

「ん…」

目を開く。
最初に映ったのは、変わらない部屋の天井。

「今…何時…?」

ふっと、ベッドの脇においてある目覚まし時計に手を伸ばす。
指されていたのは9時。
ちょうど1時間ぐらい眠っていたみたい。
少しだけ身体が軽くなって、頭もクリアになってる。

「ふぅ…、なんだかなぁ…」

くしゃっと前髪をかきあげて、ため息をつく。

どうしようもない現実に、参ってる。
でも、考えなきゃ。
じゃなきゃ、どこにも動けなくなっちゃうから。

516 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:46

と。
そのとき、ほのかに匂い立つものが目に付いた。
時計で隠れていたけれど、それはりんご。
きっとお母さんが持ってきてくれたんだ。
こういうときにはいつも出してくれて、ありがたいかも。

もぞもぞと起き上がって、手を伸ばす。
ウサギみたいにしてるのはお母さんの趣味。
昔っからなんだよね。

しゃくしゃく、と、噛み砕く。
ほんのり口の中に広がっていく甘さに、
少しだけ……ほっとした気がしたっけ。

517 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:47





食べたお皿をさげようと、ぼーっとしながら階段をおりて、
リビングの扉を開ける。
そこから聞こえてきたのは、ちょっとうるさいぐらいのTVの音。

朝の報道番組かな?
ちょっと硬い感じの男の人で、まくしたてるみたいな声がしてる。

「あぁ、舞美」
「え? なに?あ、果物ありがと。ここにお皿置いとくよ?」
「それよりも、大変なのよ?」

あたしの姿を見つけると、洗い物をしていたお母さんが
ちょっと怖い顔で呼びかけてきた。
あんまりみない、こんなお母さん。
どうしたの?

518 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:47

「この事件、知ってる?」
「え…?」

手が濡れているから、顎でくいっとTVをさしてる。
つられるように目を向けて…。

『――― この事件に関しまして、被害者家族らは病院側を
告訴する方針で一致団結する構えをみせており―――』

うん?
どういうこと…?
最初から見てないからよくわからない。

ゆっくりソファーに座って改めてTVを見る。
こういうニュースってずっと流されるものだし。

なんとなく重いニュースな気がしてフラつく頭が、
少しだけ覚醒してくるのを感じた。

519 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:47

『―――それにしても驚きましたねぇ、患者を助けるべき立場の人間が
私利私欲でこのような投薬を繰り返していたとは――ー』

コメンテーターとしてスタジオに呼ばれている人たちが
色んなことを話し出す。

『――― 患者への薬の無断投与は大変リスクが多く、
死に至るケースも多々報告されております。なのに
このような事件がなくならないというのは、どういったことでしょう―――』

話が見えない。
ただ、どこかの病院で使っちゃいけない薬を使って、
大変なことが起こったんだってことは、なんとなく伝わってくる。

「ねぇ、お母さん、どういうこ……」

たずねかけて、止まった。
視線の先のTVの中に、見知った場所が映ったから。

520 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:47

『――― こちらの総合病院では日常茶飯事のように、
輸入された認可のない薬が投与され続けていたようですね―――』

ちょっと待って…・
え…?
ここ…、この病院、知ってる。

ついこの間、あたしもお世話になった場所…。
そこには今…確か…。

『――― えぇ、薬剤につきまして、予期せぬ副作用等で患者になんらかの
被害が表れた場合は、罪に問われないというものがありまして―――』
『――― 一部関係者の話では、アメリカの投資家がこの病院と接触し
権利買収などの話が上がっていると聞きましたが―――』
『――― おそらく内々で何かが動いているのでしょう―――』
『――― 警察当局も、動き出すでしょうね―――』

TVの話は、だんだん難しい方向に進んでいってる。
そういうのは苦手だ。
よくわからない。
でも。

521 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:48

目の前の簡単に理解できることに、今あたしは愕然としている。
あの病院では、今よくないことが起きている。
そして、あの病院…、今TVに映ってる病院は…

「舞美、この病院って千聖ちゃんがいるところじゃないの?」
「…………」

お母さんの呼びかけに何も言えない。

自分の記憶の正しさが恨めしい。
この病院、忘れたくても忘れられない。
愛理と、愛理のお父さんのことがあるから。
それに…その日から、あたしの周りは変わり始めたから。

522 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:48

「あたし…、………ちょっと行ってくる!」
「えぇ? そんな格好で何言ってるの舞美…!」
「着替えてくる!!」
「ちょっと! 待ちなさい!舞美!」

お母さんの怒鳴り声が聞こえるけれど、
その一切を無視して部屋に駆け上がる。
どの服なんて選んでる暇なんかない。
熱とか、風邪とか、そんなのはもう吹き飛んだ。
なにか、大変なことが起こってる気がするから…、だから。

だから、行かなきゃ…っ。
チッサーを任せたのはあたしだし…っ。

『――― あ、只今より病院関係者らが、会見を開く模様です―――』
『――― えー、この度の件につきましてですが、一切事実無根であり
また不測の結果、患者様に対しましては大変申し訳なく―――』

背後で聞こえる音なんて、もうどうでも良かった。

523 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:48

もし、チッサーに何かあったら…。
それに…… ――― 愛理が…何か巻き込まれていたりしたら…。
そのことしか頭にない。
可能性は否定できない。
だっておじさんが働いてる場所なんだし。

「行ってきます!!」
「舞美!!」

バタンと強く扉を閉めて、駆け出す。
病院へ、一直線に。
足の痛みとか、風邪引いてるとかなんて、この際どうでもよかった。
あたしのことなんて、今どうでも良かったんだ。

524 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:48





「わ……」

思わず声が出た。
目の前に広がる光景に。

病院の入り口に集まる人・人・人。
大きなカメラとか抱えてたり、
TVで見たことのあるレポーターの人がいたり…、
要はマスコミの人で、ごった返してる状態。

「どうしよう…」

これじゃあ入れない。
チラっと見ると、患者さんの家族の人なんだろうな、
入り口から入ろうとする所をマスコミの人に呼び止められて
コメントとか求められてる。

あたし、あんまりそういうの好きじゃないんだよね…。
うーん…。

525 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:48

「…………あなた…、矢島さん?」
「えっ? あ…っ」

ふいに名前を呼ばれて振り返れば、
白のトップスにジーンズを履いた、あの子…
愛理の隣にいた子が驚いたみたいにあたしを見つめていたんだ。

「どうしてここに?」
「え…あ…、えっと、ここに友達が入院してて…」
「友達が…。………そう」

そこで途絶える会話。
じっと見つめてくる彼女は、何かを推し量っているみたいに見える。
けれど、チラリとマスコミの人たちを不機嫌そうに見やって、

「こっち」
「え?」
「いいから、ついてきて」
「あ…」

すたすたとあたしの前を歩き出したんだ。
ちょっと早足に。

526 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:49

「ま、待って…っ」

それを見失わないように追いかける。

通されたのは、正面からでは絶対判らない裏口。
非常扉としても使われているみたいで、消火栓とかごちゃごちゃしてる。

「スタッフ用に今使われているのはここなの」
「あ…、そう、なんだ。ありがと、助かっちゃった」
「別に…。自分の家みたいなものだから」
「え?」

自分の家?
それってどういう?

あたしの疑問とか感じとったんだろうな、
彼女は大げさにため息をついて、

「ここの院長の名前、中島っていうの。
で、あたしも中島……、中島早貴っていうの」
「あ…じゃあ」

うんざりしたように、頷いた。

527 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:49

そっか…。
院長先生の娘さん…。
だから、あの時…チッサーが大変な目に遭ったとき、
すぐにここを紹介してくれたんだ…。
それに、ここで働く愛理のおじさんのことを考えると、
愛理と仲がいいのも頷けた。

なんて不思議なめぐり合わせ。
助けてくれたことに、感謝してもしたりないぐらい。
今は、大変かもしれないけれど。

「なんにしても助かったよ。ありがと、友達のところに行かなきゃ」

早々にそれだけ言って走り出そうとするけれど、

「あ、待って」
「え?」

タイミングよく呼び止められる。
振り返れば、何かを考え込むみたいに視線をさまよわせていて。

……なに? 
なんか、あたし、マズった?

けど、彼女は、何か思い立ったみたいに言葉をつなげたんだ。

528 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:49

「その後でいいから、少し時間作ってもらえない?」

時間を…?
チッサーにあったあとにってことだよね?

「あ、うん…いいけど…」
「屋上にいるわ、一番奥のエレベーターで来て」

あたしの返事に即答で言葉を返して一歩踏み込まれる。
伸ばされたのは指先。
あたしの顔に向かって。

ビクっとして身をすくめるけれど、彼女の指先は、
そのまま額に伸ばされて…

529 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:50

ベリッ

「あいたっ」
「つけっぱなしよ?」
「あ…」

そういえば、額に貼り付けていた熱さましのシートを忘れてた。
うぁー…、今まで気づかなかったなんて、恥ずかしい。

彼女は、少しだけおかしそうに目を細めて、
そのまま歩いていってしまった。
あたしは、その背中に「ありがとっ」と告げるしかなかったっけ。

530 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:50




チッサーは、思ったより全然元気だった。
外の騒ぎも気にしてない様子で、スイカなんて頬張ったりしてて、
ドキドキしてたあたしがなんだか拍子抜けしてしまったっけ。

とりあえず、一緒にいたおばさんへの挨拶もそこそこに
さっきの子との約束のためにエレベーターに乗り込む。

何か、大事な話なのかもしれない。
そう思わずにはいられないぐらい、
彼女はすごく真剣な表情をしていたから。

いったい…どんな…話…?




531 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:50

屋上への扉は、かなりサビついていて、
体重をかけなければ開けられないぐらい重かった。

「わっ」

一瞬、風にあおられる。
バサバサッとシャツがなびいて身体がフラついてしまうほど。

そんな風の強いこの場所に、彼女は………いた。

ちょうど屋上の端のほう。
手すりにもたれかかるようにして下を見下ろしてる。
小さな身体だから、ちょっと危なげにも見えるけど、
その手に持った飲み物のカップを時々飲んでいる姿に息をついた。

とにかく話してみたいことには、全然わからない。
…行こう。

一歩一歩近づけば、気配に気づいた彼女が振り返る。
あたしと同じように、服をはためかせながら。

無表情の彼女に、ちょっと躊躇するけれど、
笑みを浮かべて近づいていく。

532 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:50

「チッサー、元気そうで良かったよ」
「そう。 ………今日は彼女さんと一緒じゃないんだ?」
「え? あ、えり…? えりはそんなんじゃないよ…」
「あんな関係、なのに?」

探る視線に、一度詰まった。
そういえば、彼女はあの時怒りをあらわにしていた。
鋭い目で、あたしをとらえて。

きっと、愛理のこと、心配で…。
どんな形であれ、傷つけたあたしを許せなくて…。
なんだか居たたまれない気持ちになってしまう。
でも、ちゃんと訂正するところはしなきゃ。

「あれは違う…。あたしの意思じゃなかった…」
「………、ま、いいけど」

そっけなく答えられる。
でも、感謝するところはちゃんとしないと。
彼女のおかげで入ってこれた。
そこはちゃんと。

533 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:50

「あの、ありがと、中に入れてくれて。ちょっと心配だったんだよね」

でも、彼女からの返事は。
一気に心が凍る言葉だった。
その場の空気を、変えるには十分すぎるくらいの。

どこまでも冷たい目で。
じっと、遠く一点を見つめて。
…灰色に…濁った色で。

「…変な薬が投与されてないか?」


「………え?」


真っ白になる。
何を言われたのか、わかんなくなる。
でも、そのままでいるのを許さなかったのは、
振り向きざまに向けられた、突き刺すような目。

534 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:51

「知ってるんでしょ? この騒ぎ」

射抜かれるような、その眼差しで言われれば、もう誤魔化せない。

「………うん」

最初に心配したのは、情けないけどそういうこと。
チッサーに何かあったらどうしよう、とか。
マスコミに振り回されて。

そんなドラマみたいな話、実際には…

「あれ、本当よ」
「へ…っ?」

そんな、まさか。

あまりにサラっと言われたから、間抜けな声が出る。
だいたい彼女はこの病院の関係者も関係者で…。
なのにどうして、あたしみたいな部外者にそんなこと…。

535 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:51

でも、彼女の言葉は止まらない。
どこか冷めた目で、下のマスコミを見下ろして、
次々と事実を突きつけてくる。

「合意のない新薬投与で、患者が亡くなってるわ。
それも一人二人なんかじゃない。もっと、もっとたくさん」
「ちょ、ちょっと待ってっ。なんでそんなこと、あなたが…っ」

両手をばたばた振って話に割り込む。
そうやってでも止めなければ、延々と続きそうな吐露。
叩けばいくらでも出る、なんて言葉があるけど、
きっと、今のこれは、そんな感じ。

でも、そんなことを、どうして、今ここで言うの?
その意図が全然わからない。

でも。
続けられた言葉に。
すべての点と線がつながっていったんだ。

536 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:51

「新薬を持ってきた人、知ってるの、私」

その一言から。

「いったい、誰が、そんな…」

声が震える。
聞いちゃいけないのに、聞いてしまった罪悪感のように。
ううん、その先の言葉をうすうす気づいているからの緊張してるのかも。

「知ってる? あの新薬、アメリカからもってこられたの」
「アメリカ…」

どくんどくんと、嫌な心臓の音がする。
そんなあたしを一瞥して、彼女は静かに言葉をつなげた。

537 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:51

「…一人の救急救命医が医療の先端をいくシアトルにいました…」
「?」
「その人は、毎日毎日運ばれてくる患者にあらゆる処置をし、
賞賛をうけるドクターとして、その筋では有名な人となりました。
その人は、いろいろな新薬を試す事で、いろいろな人を助けたのです。
その大きな罪を知りながら、目の前の命を諦めたくない一心で」

彼女の言おうとしていることがいまいち判らない。
けれど、そう、とても重大な告白をしていることだけは
その深刻な眼差しで判る。

「そして、…先月、日本のとある病院にヘッドハンティングされ帰国。
帰国したのは、その人だけじゃない。アメリカでしか認可されていない
新薬と一緒に」

待って…。
何か…何かがひっかかる。

アメリカ…アメリカから先月帰国…。
薬…、お医者さん…。
ねぇ、それって、あたしが知ってる誰かに似てない…?
やっぱり…

538 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:52

「その病院の院長は違法としりながら、人命救助を最優先とし、
合意無くその新薬が投与されるのをを黙認してきました。
その罪を逆手にとって、自分の病院がアメリカの大手企業に
のっとられそうになりながらも、ずっと」

その病院って…。

すべてが繋がろうとしていた。
いろんな見えなかったものが。

「ねぇ…、もしかして…」

声をかければ、彼女一度瞼を伏せて。
それから、ため息と一緒に目を開いた。
その先にあるのは…、眼下に見下ろされる埋め尽くされた人・人・人。

539 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:52

「そして、今、その病院にメスがいれられました」

ならうように彼女の隣に立つ。
そっと、彼女を見つめれば灰色に濁った瞳。
どこかで見た、その瞳。
誰かがしていた、その、瞳…。
それは……、その人は…―――

「その病院は、…ここ。そして、そのドクターは…愛理のお父さん」


――――― 愛理だ。


信じたくない。
愛理のことを思っていたおじさん。
そんな人が、人を危険にさらすようなことをするなんて。
助けたいって思いながら、人を危険に晒す。

矛盾してる…あぁ、わかんない。どうして…。

540 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:52

でも、おじさんに時々感じた冷たさを拭えない。
お医者さん独特の、あの特異な雰囲気を。
もしそれが、本当のおじさんの姿だったら?
判らない…。

頭が混乱してくる。

この先、どうなるの?
逮捕ととか、されちゃうの?
そうなったら、この病院は?
チッサーは大丈夫?
それに…この子は? 愛理は?

でも、そんな思考を遮ったのは、彼女だった。
あたしの動揺なんかを見て取ったみたいに。

「…でも」

そこで、ふっと一度視線を落として。

541 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:52

「今の状況じゃ、捕まる事はないと思うわ」

他人事みたいに言う。

「え…? どうして?」

こんなに大きな騒ぎになっているのに?
警察だって動くって、TVで言ってた。

「この手を専門とする国際弁護士で固めた弁護士団がついてるし」
「あ…」

まるで何かのドラマみたいな話。
あたしにはスケールが大きすぎてよくわからない。
けれど、あたしのような人間には知りえない何かが
動いているんだってことだけはわかった気がする。

542 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:53

「それになにより…」
「なにより…?」
「証拠がまったくない」

えっ?

「まったく…?」
「えぇ。カルテも、投与記録も、関わった人達すらもわからない」

そこまで言って彼女は、うなだれるように
「こういう事件ならお約束だけど」と、つぶやいた。

不正を知っていながらも、正す事のできないジレンマがそこに見えた。
どうしようもできない自分に、苛立ちさえも感じているように。
いつも冷たい表情しか見ていなかったから、なんとなく
彼女の胸の内の苦しさを垣間見た気がする。

543 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:53

そこで思い出すのは…
もう一人の巻き込まれてしまった子、――― 愛理。

あの日…、この病院に初めて入った日、
愛理は…お父さんと目も合わせようとしなかった。
なんにもない、無感情がそこにあって。

でも、もし愛理が今目の前で苦しむ彼女と同じ気持ちだったら?
いつものあの不思議な空気に…何かを忍ばせていたのだとしたら?
それより、なにより…

「愛理は…このこと…」
「とっくに知ってる」

恐る恐る訊ねると、ハッキリと言われる。
当たり前でしょ? とでも言わんばかり口調に言葉に詰まった。
けれど、

544 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:53

「その新薬のせいで、愛理のお母さんはなくなったらしいし」
「え…っ?」

続けて口を出た話に、耳を疑った。
愛理のお母さんが亡くなったことと、新薬と…どんな関係が?
そんなあたしを見てとって、彼女は一度だけこちらに視線を向けた。
それから、

「詳しくは知らない。愛理はあんまり自分のこと話さないから」

どこか、寂しそうに告げた。

なんとなく…わかる。
愛理は、自分のことを話さないっていうの。
本当に辛い事とか、絶対に言わないタイプな気がするから。
どうしようもなくなって、動けなくなっても、絶対に…。

545 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:53

「愛理…」

なんて…、なんて重いものを持っていたんだろう…。

今になってわかる、愛理の重圧。
あの時折見せる冷たい表情に隠されていた、いろんなもの。

中学生の女の子に、支えきれるわけないものを、
たくさん、本当にたくさん愛理は背負ってきてた。
いっぱい傷ついて、痛めつけて。
でも、誰にも…助けを求める事も出来なくて。
だから、自分の中に、抑え込むしか出来なくて。

それで一番大事な、何かをなくしてたんだ。
多分それは、誰もがあたりまえに出来るはずの笑顔。

あたりまえのことがあたりまえに出来ないなんて…、
どんなに辛い事なんだろう?

しゃんとした背中は、ただの虚勢。
大人びた眼差しは、くたびれた日常を映し出し。
俯いた瞳に何度も涙を隠して。

546 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:54

そんな愛理に…あたしはなんにも知らないからって…。

胸がきしむ。
張り詰めそうな痛みを伴って。
あたしって、とことんバカだ。

「愛理が心配?」

どこか突き放すような口調で言われる。
顔をむけると、同じくらい冷ややかな視線。
試すような…それでいて、どこかあたしのことを観察するような、そんな。

言われて、一瞬止まった。

そうだ、この子は全部を知っていた。
愛理の全部を。
苦しさも、きっと、ほんの少しの楽しさも、全部。

そのことになぜか、ちょっと、背中がチリっとして。
思わず、ぐっと咽喉を詰まらせてしまう。

547 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:54

「当たり前だよ。だって、ぜんぜん、あたし、そういうの知らなかったから…」

でも情けないかな、出てくる言葉は、しどろもどろで、
嘘を見抜かれて怒られる子供が、必死になって言い訳する気分。
もちろん、目の前の彼女もそんなあたしの気持ちを見落とさない。

「知ってたら、なにか変わった?」
「それは…」

―――… きっと変わらなかった。

どれだけ頑張っても、人間にできることなんて、ましてや、
愛理にとっては、ただの先輩だろうあたしなんかに、
出来る事なんてほとんどない。
むしろ迷惑だったかも。

でも。

「でも、力になれることなら、なんでもしたと思う」

きっと、あなたのように…、とは言えなかった。

それは最後の強がり。
立場の違いをわかっていても、心は強く持っていたいから。

548 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:54

あたしにだって、絶対何か出来る事はある。
専門的なこととか、法律がどうとか、そんなのはよくわかんない。
でも、きっと、…そう…、

―――…あの寂しい背中を、ほんの少し支える事は出来る。

疲れきっているのに、それでもまだ頑張ろうとする背中を。
あんな細くて、すぐに折れてしまいそうな身体を。
そして、くじけそうになって、いろんなところを痛めながらも
また、何度も気持ちを奮い立たせようとしていただろう心を。

そう、たった一人で辛い道を歩かせたりなんかしなかった。

あたしの言葉は、どんな風に映っただろう?
ただの理想論にしか聞こえない?
それとも、懺悔?

でも、彼女には、そのどちらでもなかった。

一度大きく息を吐いて…初めて…微笑みかけてくれたから。
しょうがないなぁって、そんな風に。

549 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:54

「強いなぁ…矢島さん」

転がり出たのはそんな言葉。
あたしより、たくさんの事を乗り越えてきただろう彼女のその言葉には
深く、重い何かがこめられている気がした。

零れでた本音。
まさにそんな感じ。

「そんな事ない。全然、こんなときどうしたらいいのかわからないんだもん」
「でも、誰かのために全力になれるってすごいと思う」

含みなく言われる言葉。
それが彼女への見方を変えた瞬間かもしれない。

彼女だって、愛理のためにいろいろしてきたはず。
数少ない事情を知っている友人として、どれだけ心強い味方だったろう。
その彼女が、まるで自分を責めるようにあたしなんかと比較してる。
なんにもできないあたしなんかと。

550 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:55

「ほんと…すごいと思う」

遠い目は、どこか…愛理に似ていた。

立場の似ている二人は、似ているがゆえに、
前に進めないことがあったのかもしれない。
その歯がゆさを、彼女は十分わかっているんだ。
出来る事と、出来ない事、したいことと、許されない事。
彼女の立場が、彼女を助けて…そして、苦しめてるんだ。

まだ、愛理と同じ、中学生。
まだ…。

「あなたもだよ?」
「え?」

いてもたってもいられなくなって。
気づいたら、ぽん、と頭をなでていた。

驚いた彼女は、一度だけ首をすくめて。
幼いまなざしであたしを見上げてきた。
年相応の姿に、やっとあたしは笑みがこぼれる。

551 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:55

「辛い立場なのに、あたしにいろいろ教えてくれてありがと。
……あなたも愛理の事、大切に思ってるんだよね?」

今度は彼女が言葉に詰まる番。

鈍感、鈍感って言われるあたしだけど、
ここまでされたらわかる。
彼女は愛理の事が。
じゃなきゃ、こんなに愛理のために一生懸命になんてならない。

「そういうの、愛理もすっごい心強かったと思う」

本当にそう思う。
彼女の存在が、きっと愛理を強くしていた。
しっかり自分を持たなきゃって、力になってた。

552 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:55

「あたしなんか…ぜんぜん…、愛理の力になれてなんかない。
ううん、誰のためにもなってない。自己満足だよ、ぜんぶ…」

どうして…

「そんなことない。あなたがいるだけで助かってる人、いっぱいいる。
あたしだって、あなたが来なかったら、チッサーを助けられなかった。
ほんとにありがとう」
「そんな…」
「あなたがいてくれて本当に良かった」

はっとする彼女は、あたしに何を思ったのか。

ただ、きゅっと唇を噛み締めて、泣きそうながらも
笑顔を向けてくれた、それが答えなんだと思う。

どうしてみんな、自分を責めることしかできないんだろう。
あたしだってそうかもしれないけど、
それでも、たくさんがんばっている人が
尽きせぬ思いをするのは、胸が痛むんだ。

人は努力した分、ぜったい報われる。
そう、あたしは、信じてる。

553 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:55

「愛理が憧れるの…なんか判る気がするなぁ…」
「え? なに?」
「ううん、なんでもない」

ぐっと一度唇を噛み締めてうつむき、それから大きく首を振る。
そうやって何かをふっきるようにした後、
彼女はあたしを真正面から見つめてた。
まっすぐ、真剣な眼差しで初めて。

「あのね、今、愛理、危ない事してるの」
「危ない事…?」
「証拠となるものを、必死で探してる」
「え…っ?」

証拠…。
それが意味するものは、もうあたしにだってわかっていた。
愛理は、自分のお父さんを…。

それほどまでに追い詰められてた愛理。
きっと、一歩見誤れば大変なことが起こる。

554 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:56

「助けてあげて? あたしじゃ…もうダメみたいだから」

すっと差し出されたのは小さなメモ。
受け取って広げると、クセのない文字で住所が書かれていた。
『鈴木宅』という文字で、それが愛理の自宅の住所だと気づく。

「今の愛理、お父さんへの憎しみだけで行動してる。
そんなの、よくないと思うから、だから、お願い」
「憎しみ…」
「本当は…、昨日、愛理、あなたにこのこと相談しようとしてたみたい。
勇気がないから途中までついてきてって言われて行ったんだけど
あんなことがあったから…」
「そう、だったんだ…」

託されたバトン。
それはとても重いものだった。
でも、放棄なんてしない。
彼女の想いは簡単に振り払う事なんてできないものだから。
あたしだって…助けたいと思うし。

555 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:56

あたしは、スーパーマンでもなんでもない。
世界を変えることなんて出来ないし、
難しい政治の絡む問題を解くことだって出来ない。
でも。

でも、ほんの身近な人間の力になることは出来るかもしれない。
奇しくも、きっと今がその時なんだ。
だから。
やれることを精一杯。

さぁ、差し出されたバトンを。

「任せて。愛理に無茶な事、絶対させないから」

力強く頷いて、今受け取る。

目の前の彼女は、そんなあたしに泣きそうな笑顔で一つ息を吐いて
頷き返してくれた。
何か…、重い何かを今おろしたような、くたびれたその笑顔。
そこで思う彼女のこと。

愛理だけじゃない。
巻き込まれているのは、彼女も同じ。

556 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:56

「ねぇ、あなたは…大丈夫?」

気づいたら、恐る恐るたずねていた。

そう、きっと、辛い立場なのは彼女だって一緒。
だから…。
愛理もそうだけど、あたしで出来る事なら…。

でも、その子は首を振ると、今度は上品に笑って見せた。

「優しすぎるのも問題だよ?矢島さん」
「え?」
「誤解されちゃうってこと」

言って、唇を人差し指ではじくようにすると
茶目っ気たっぷりな笑顔を向けてきた。
意地悪そうな感じだけど、とても可笑しそう。

557 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:56

誤解って…、あ、唇…キス?

そういえば彼女にも、えりとのアレ、見られてたんだっけ。
うぁー…なんかバツが悪いなぁ…。

「たはは…」

頭をかいて、苦笑するしかない。
弁明のしようもないんだもん。

それを見て、やっぱり彼女はどこか上品に笑ったんだ。
温かなその笑顔に、どこか癒されるような感じがしたっけ。

558 名前:動因 投稿日:2008/02/20(水) 21:57

「あたしは大丈夫。だから、愛理をお願い」

いろんなことを知りすぎた彼女だからこそ見せる表情。
人一倍シビアに物事を考えたりするけど、
人一倍人との関わりを大事にしてる。
そんな気がした。

「うん…、うん!」

だから。
そんな彼女からの頼みだから。
絶対に愛理を孤独になんてしたくないって、
強く、強く胸に誓ったんだ。

559 名前:tsukise 投稿日:2008/02/20(水) 21:57
>>511-558
今回更新はここまでです。
大量更新で申し訳ないですが…。
一気にいきたいところですね、はい

>>507 無名さん
嬉しいご感想をありがとうございます(平伏
そうですね、それぞれみんなが一生懸命な感じで
がんばって欲しいものでございます(平伏
どうぞ、また続けて読んでくだされば幸いです。

>>508 :名無飼育さん
ご期待に添えない展開になるかもということで
心苦しいものですが、またフラっと立ち寄って
下されば幸いです。

>>509 名無しさん
そうですね、少し矢島さんは大変な状況かもですね。
みんな幸せになって欲しいと作者も思うところで
ございますが…。ご感想ありがとうございます(平伏

>>510 名無飼育さん
作者としては励みになるご感想でございます(平伏
どうぞ、これからの彼女たちも一緒に見守って頂ければ
幸いでございます(平伏
560 名前:名無し 投稿日:2008/02/21(木) 04:58
更新お疲れ様です。
愛理…大変だったのですね…。
中島さんがいい感じです!
次回もお待ちしてます。
561 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:34

何度もメモと、住所を確認する。
そして見つけた1つの家…。
表札を確認して…ちょっと、たじろいだっけ。

目の前のその家は、明らかに近隣の住宅と違っていて。
なんというか…一言で言うなら…豪邸。
職業とか、いろんなことを考えたら当然のことなんだろうけど
セキュリティーとか、すごく有名な会社の警告シールがあったりして
なんとなく、自分が場違いな気になってしまう。

「とりあえず…、話、しなきゃ、だよね」

ごくん、と一度生唾を飲み込んで、インターホンに手を伸ばす。
いてくれればいいんだけど…。
さすがに、学校に行く事は…できないだろうし、
出かけることもできないだろうし…、いて欲しい。

562 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:35

キーンコーン

……………、応答はない。

まさかいない?
でも、そんな、こんな日に限って出かけるなんてないはず…。

インターホンのカメラを一度みやる。
もしかして、あたしが相手だから家の人が不審がって、
出るな、とか言ってたり?
…というか、こんな日は誰が来ても出てくれないものなのかも…?

どうしよう…。
うーん…、もう一度だけ鳴らしてダメなら………、って、あっ。

ガチャン。

「……矢島…先輩?」
「愛理」

門の奥、重そうな扉を開けて出てきたのは、愛理だった。
ちょっと驚いたように、目を丸くしてあたしを見てる。
そりゃそうだよね、住んでる場所とか知らないはずの先輩なんだし。

563 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:35

「一人…ですか?」
「え?」

そりゃ、見ての通り、一人、だけど?
マスコミさんとか連れてきたと思ってるのかな?
そんなことしないのに。

「あの…、あのお友達さん…は?」
「友達?」
「昨日…、陸上部の部室で…」

あぁ、愛理まで……。
いや、確かに、あんなところ見られたら思われて当然だけど。

「愛理まで…。あれは誤解、全然そんなんじゃないから」
「……………」

なんともいえない表情で、考え込むようにうつむく愛理。
そのままこちらを伺うみたいに、

「今日は…どうしたんですか?」

そんな風に訊いてきた。

564 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:35

まぁ、そうだよね、思いがけない場所にいる思いがけない人。
不審に思って当然。
しかも、昨日、あんなことがあったばかりだし…。
今だって、色んな外からの刺激に敏感になっているのかもしれない。

でも、あたしには愛理に逢わないといけない理由があった。
どうしても逢って話さなきゃいけない理由が。
もちろん、中島さんの頼みも十分ある。
でも、一番の理由は…、ここに来た一番の理由は、

「愛理が心配だったの」

そのことだけだった。
心配だったから、本当に。
なんかもう、自分のことなんてどうでもよくなるぐらい。

そんなあたしの言葉に、愛理はどう思ったんだろう。
一瞬苦しそうに顔をゆがめて何かを言いかけ…、
でも、続くだろう言葉を飲み込んで…。

…その姿に、ちょっとした葛藤が見えた気がした。

565 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:36

「…どうぞ、入ってください」

開かれた大きな扉。
そして、門も。

「ありがとう」

なるべく明るくお礼を言って、中に一歩踏み込んだ。
ずっと愛理は、目を合わせてくれなかったけれど。

なんとなくこのとき…『舞美ちゃん』と呼んでくれていた名前が、
『矢島先輩』に戻っていたことに、寂しさみたいなものを感じてしまったっけ。

566 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:36





通されたリビングは、整然としていて重厚感を漂わせていた。
お父さんの仕事を考えると、こういうのが当たり前なのかもしれないけど、
なんとなく、居心地が悪い感じ。
無駄なものを一切置いてなくって…。
ちょっと…無機質な感じで…。

「座ってください。紅茶にしますか?それともコーヒー?」
「あ、おかまいなく」
「いいんです。じゃあ、紅茶で」

キッチンへと消えていく愛理が…、浮き立って見えた。
家に馴染まない、そんな風に。

近くのソファーに腰掛けると、余計静寂に押しつぶされそうな、
そんな感覚に襲われた。
ただ、カチャカチャと食器の音が聞こえるだけ。

567 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:36

愛理は……、いつもこんな生活をしていたのかな…?

一人で家を出て、
一人で帰宅して…、
一人でご飯を食べて、
一人で…眠る。

それって…、なんだか…。

「お待たせしました」
「あ、ううん、ごめんね、突然来ちゃって」
「いえ」

湯気の立つ綺麗なカップを差し出されて、ちょっと恐縮する。
香りたつ紅茶は、アールグレイの優しい匂いなのに。
そっと手にとって一口、咽喉を通すけれど、ぜんぜん落ち着かなかった。

568 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:36

「えっと、あの、愛理は、一人なの?」
「はい。今は私一人です」
「お母さんは?」

言ってから、しまった、と思った。
愛理のお母さんは、本当のお母さんじゃないんだった。
それなのに…っ。

「…仕事です。あの人も看護師で病院の人だから」

少し…胸が痛んだ。
愛理の口から、仮にも母親を「あの人」という言葉で告げられたから。
何か、そう、確執のようなものが一瞬見えた気がした。
母親だなんて…認めていない…、みたいな。

569 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:37

「あ、えっと、その…」
「矢島先輩」
「あ、な、なに?」
「本当は何しにきたんですか?」

ぐっと、詰まる。
どうやら愛理は世間話に付き合う気はないらしい。
まあ、そう、だよね…。
突然こんな押しかけられて、もう、何を話すのか判っているのに
知らないふりなんてできないものだよね。

うん、わかった。
あたしも…、そんな話をするためにここに来たんじゃない。
大切な気持ちを受け取って、今、ここにいるんだから。

大きくひとつ深呼吸。
今から…愛理の心を乱すだろうことに覚悟を決める。

570 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:37

「………中島さんに逢ったの」

たった…、たったその一言なのに。
愛理は、すべてを理解したようだった。
ちょっと視線をそらして、深いため息をこぼしたから。

あたしがここに来た理由。
薄々感づいていただろうけれど、それは確信に。

「そうですか」

そのまま無感情に、持っていたトレイを下げようと立ち上がる。

ま、待って…。
なんだか、今のタイミングを逃してはいけない気がした。

引き止めないと。
きっと、今言わないと、愛理は何事もなかったように
あたしとの関係も、流してしまう。
何事もなかったように、『独り』で、歩いていってしまう。

571 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:37

「愛理…っ、自分が何してるかわかってるの?」

追いかけるように立ち上がって、問いかける。

言わずにいられなかった。
辛い言葉だとわかっていても。
このまま流すわけには、いかなかったから。

愛理は、ぴくんと身体を震わせると足を止めて。
一度目を閉じ…、――― 観念したようにポケットから何かを取り出した。

「それは…?」

小さいそれは…、USBメモリー?

「この中に全部…父のしてたことの全部が入ってる」

ごくん、と咽喉が鳴った。

572 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:37

だって、そんな…、もうそこまでしてるなんて。
てっきり、模索しているところだと思ってた。
いくらなんでも、本当のお父さんだし、そこまでできないって、
そう思ってた。

なのに、愛理は…

――――― 愛理は本気だった。

「愛理…っ」
「こうするしかないの…!」

言葉は続かなかった。
愛理が、背を向けて強く言い放ったから。

573 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:38

「お父さん…お母さんが死んで笑わなくなった。あたしのことも見てくれなくなった。
お母さん、治らないって言われてる病気だったけど、
お父さん、必死に治そうとしていろんな手を尽くしてて、あの頃はいっぱい笑ってたのに。
あたしのためだからって、悪いことするようになった。そんなの全然望んでないのに。
あたしのためにって、新しいお母さんを連れてきた。そんなのいらないのに。
あたしは、あたしはただ、お父さんが笑って一緒にいてくれればそれでよかったのに。
なのに、お父さん、ぜんぜんわかってない。どんどん悪い事してる。
あたしのためにって、あたしを守らなきゃって、…あたしのせいにして…っ」

初めて見る愛理。
弾けた感情が、ここぞとばかりに素顔を覗かせてる。
心の奥に沈ませていた気持ちが、今滲み出して…溢れかえる。

あたしはそれをどこか胸が詰まる思いで見つめてた。
小さな身体を。
小さな…叫びを。

574 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:38

これが愛理。
たぶん、そうなんだ。
いつも見落としてしまう愛理の歳。
本当は支えきれないものを、ぐっと歯を噛み締めて耐えてきた。
いつ、こうやって爆発してもおかしくなかったのに。

そして今。
言いたくても言えなかったことを、今、一生懸命伝えてる。
堪えてたもの、全部吐き出してる。

でもね、愛理。
それじゃダメなんだよ?
その気持ち、伝えるのはあたしじゃない。
あたしじゃないんだ。

575 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:38

「それ、ちゃんとお父さんに言わなきゃ」
「え…?」

振り向く愛理に、一度頷く。

「お父さんに嫌だって、ちゃんと言わないと伝わらないよ」
「舞…美……ちゃん…」

視線が揺らぐ。
思いもよらなかった言葉なんだろう。
でも、そう思うんだ。

与えられて選ぶのを拒むのなら、その気持ち、ちゃんと届けなきゃ。

言い訳なんてしなくていい。
ただ、ありのままの今の気持ちをぶつければ、それでいい。
それが出来なかった愛理なんだから、
きっと…それだけでお父さんに、何か伝わる。

576 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:38

「だから、愛理…」

そのメモリーは…。

つなげようとした言葉は、大きく首を振る愛理に遮られる。

強い意志がそこにあった。
どうしても突き崩せない正義が、そこに。

いろいろなものを見てきたんだろう。
もしかしたら、あたしが知らない、もっと暗い現実を見たのかもしれない。
あの子…中島さんのように。

だから、どうしても…正す必要が、あるのかもしれない。

577 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:38

「私が…私がやらなきゃ、ダメだから」

まっすぐあたしを見て…愛理は、そう言い切った。

その小さな身体に、強い決心を抱いて。
でも、臆病にも、身体をかすかに震わせて。

自分の決断に、まだ迷ってる。
誰だって、結果が出るまで自分の判断が正しかったかなんてわからない。
間違った結果が出て、後悔することだってある。
でも、今、悩みぬいて出した結論を信じたい。
だから、怯えながらも自分を奮い立たせて。

あたしも…。
あたしも愛理が出した結論を大切にしてあげたい。
だから。

578 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:39

「わかった。うん、愛理、わかったから」

メモリーを握る両手に、あたしのそれを重ねる。
初めてあたしに向けられたSOSを、ちゃんと受け取る。
誰も、何もしてやれなかったSOSを。

愛理は、そんなあたしにやっぱり不安な眼差しを向けて。
ううん、きっと不安なんて見せないようにしてるんだ。
ちょっと見ただけじゃ、みんなわからない。
まっすぐな眼差しだから。

でも、その奥にあるもの、あたしはもう知ってる。
愛理の心の苦しさ、知ってる。

だから、一度力強く頷いたんだ。

いいんだよって。
愛理の思った通りに、していいんだよって。
あたし、ちゃんと見守るから。
最後まで、一緒にいるからって。
そんな気持ちをこめて。

579 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:39

「舞美ちゃん…。…うん」

解けた心の鎖は、一気に色んな感情をつれてくる。
でもその中は苦しいものだけじゃない。
だって、今の愛理は…笑顔だったから。
自分を信じるように目が輝きを取り戻してるから。

もう、大丈夫だね。
くしゃっと頭をなでれば、ちょっと照れくさそうにうつむいて。

580 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:39

「あ…の……、あのね…舞美ちゃん…」
「うん?」

何か言いにくそうに話を切り出してきた。

「あの……、訊きたい事、あるんだ…」
「うん、なに?」

何をそんなに困った顔をしているんだろう?
訊きにくいこと?
それとも、あたしが答えにくいこと?

「愛理?」

しばらく、もごもごと言いあぐねいて、
身体を少し揺らしていたけれど、名前を呼ばれてやっと言葉をつなげる。
息ひとつをつきながら。

581 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:39

「舞美ちゃんは…、どうしてここまでしてくれるの?」
「え…っ?」

言葉に詰まる。

どうして?
…どうしてだろう?
そういえば、どうしてあたしはこんなに必死になってるんだろう?

目の前には、じっとあたしを見つめている愛理。
ちょっと緊張したように、小首を傾げながら言葉を待ってる。

なんか、ちょっとクラっとした。

愛理が、なんか、すごく女の子で。
小動物みたいで。
素直に……可愛いって思った。

582 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:40

「あたし…」

咽喉の奥がカラカラになってる。
すごく身体が熱っぽい。

ゆっくり、愛理の肩に触れれば、ちょっと戸惑ったような姿。
その姿を見つめながらあたしは…


―――― その場にくず折れた。


「舞美ちゃんっ!?」

驚いたのは愛理。
ううん、あたしも驚いてる。
身体が突然重くなって、立っているのが辛くなって…。
だらしなく愛理を巻き込みながら、その場に倒れたんだから。

583 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:40

「……っ、ひどい熱…っ」

あたしの身体を引き戻しながら、額に触れた愛理は息を飲んだみたいだった。

そうだ…、あたし、風邪ひいてたんだっけ…。
なんか思い出した途端に、辛さがこみ上げてくる。

でもまだ、こんなところでうずくまるわけにはいかない。
大変なのは、あたしじゃないんだから。

「大丈夫。ちょっとクラっとしただけだから」
「うそっ」
「ほんと、大丈夫。すぐよくなるから」
「だめだよ…、舞美ちゃん、だめだって」

泣き出しそうな顔をしながら愛理が首をふる。
その愛理に笑顔を向けながらアピってみせる。

584 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:40

こんなの全然辛くない。
愛理が、そんな顔をするほうが辛い。

なんかさ、あたし、愛理のそういう顔に弱いみたい。

「心配すんなー」
「舞美ちゃん…」

ぽん、と頭をなでる。

きっと、何を言ってもダメだって伝わったんだろうな。
愛理は困った顔をしながら…あきらめたように笑ってくれたから。

585 名前:心奥 投稿日:2008/02/24(日) 09:40

そう、辛いのはあたしじゃない。
これからの愛理の方が、もっと辛い。

だからさ、今はあたしに支えさせて?
大切な人が自分の周りで苦しんでいるの、放っておけないんだ。
苦しみを、少しだけ、あたしに流してよ。

そんなことを思いながら、ただ笑顔を向けていたっけ。


始まりの…鐘を頭のどこかで聞きながら。

586 名前:tsukise 投稿日:2008/02/24(日) 09:41

>>561-585
今回更新はここまでです。
もう、佳境ですね、はい。

>>560 名無しさん
中島さんも鈴木さんも、いろいろ大変なようです。
矢島さんががんばってくれるとよいのですが。
どうぞ、またお付き合いくだされば幸いです。
587 名前:名無し 投稿日:2008/02/25(月) 17:37
更新お疲れ様です。
愛理…辛いですね…、
舞美のが心強いですね。
作者様に最後までお付き合いいたします!
588 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/03(月) 22:51
切ないけど、あったかいですね・・・
この世界観好きです。
次回も楽しみにしてます。
589 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:33

誰も傷つかずに生きる事なんてできない。
そうやって傷つかない生き方じゃ、
手に入れられないものが絶対あるんだ。

同じように…誰も傷つけずに生きる事もできないんだと思う。
でも、そうやって手に入れたものは、絶対に価値ある大切なもの。
傷つけた分、幸せになることを約束する、価値あるもの。

あたしは…そう、思うんだ。

590 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:33





「ごめん、えり」

放課後の部室で、深々とえりに頭を下げる。
固く目を閉じて。
そうするしかできない。

「舞美……」

聞こえたのは、ため息。
頭の上から、長く深く吐き出される。

真っ暗な視界の中で聞くそれは、プレッシャー。
でも自分の言葉を訂正はしない。
それは、意味のないことだから。
しては…いけないことだから。

591 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:33

「理由、訊いていい?」

視界を開く。
そこには、優しい笑みのえり。

思えば、この笑顔にたくさん救われてた。
辛いとき、苦しいとき、いつだってえりがいてくれた。
すごく感謝してる。
えりがいなきゃ、あたし、走り続けることも出来なかったと思う。

えりのこと、好きだよ? すっごく。
でもね、違うんだ。

あたし、気づいたの。
本当に大切な気持ちをあげたい相手。
本当に大切な気持ちを受け止めてほしい相手。
そして…欲しい相手。


それは………えりじゃない。

592 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:34

「守ってあげたい子、いるんだ」

たった一人で戦い続けた女の子。
深く傷ついて、その傷も治らないうちにまた傷ついて。
そのうちに痛みに慣れすぎて、
立ち止まる事が出来なくなってしまった女の子。

意外と頑固。
でも、きっと泣き虫。
不器用で、まっすぐで、ひたむき。
そのすべてが愛しい、――― あたしの大切な…。

「宝石みたいに大切なの」

キラキラ輝いて。
あたしを夢中にさせたの。
だから、追いかけたい。
これからも、ずっとずっと。

593 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:34

「舞美…」

えりにはどう映ったんだろう。
じっとあたしを正面から見据えて、動かない。
あたしも、その視線を逸らさない。
この気持ちを、理解してほしいと思うから。
だから。

「そ…っか…」

一度瞼を伏せるようにして、えりは俯いた。
その頬に笑顔をのせて。
寂しそうな…でも、何かに納得するような、そんな笑顔をのせて。

「うん、わかった。舞美の気持ち、わかった」
「えり…」
「行ってあげなよ。今、大変なんでしょ?」
「……うん。ありがとう…、えり」

きっと、ここで『ごめん』と繰り返すのは間違ってる。
えりを余計傷つける。
あたしにだって、それぐらいはわかる。
だから。

594 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:34

「行くね」
「うん。がんばれ」
「ありがと…!」

それだけ言って駆け出す。

うしろは振り返らない。

それは、えりの辛い顔を見たくないからじゃなくって、
早く、あの子に会いたいから。

酷いヤツって思われるかもしれないけれど、
それだけあの子を想っている事、えりに判って欲しかった。
背中を向けることで、止められない気持ちが ちゃんとそこにあること
判ってほしかったんだ。

595 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:35

……………
………


「ウチも、たいがいお人好しだよね…。舞美のそんな姿見たら、
絶対に負けないって思ってた気持ち、なくなっちゃったじゃん…」

「えーりーかー ちゃんっ」

「栞菜…?」

「フラれちゃったね」

「…まぁね」

「フラれちゃった者同士、仲良くしようよ?」

「はぁ…、なんでウチの周りには、こんなタイプが寄ってくるんだろ」

「いーじゃん、ね?ね?」

「ホラ、馬鹿言ってないで、練習行くよ」

「つれないなぁー、えりかちゃんも好きなのにー」

「はいはいありがと。テンション上がるわ」

「もー、本気だってばぁー」

「ホラ、さっさと行く!」

「ぶーぶー」

596 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:35





街の中を全力で駆け抜けていく。

「昨日、捜査員が家宅捜索に乗り出す意向を ―――」

その流れる街の景色の中で、聞こえた音。

「厚生労働省の内部関係者との贈収賄の容疑 で―――」

きっとトップニュース。
電気屋に並べられたテレビのほとんどのチャンネルが、
同じ言葉を繰り返し伝えているから。

決定的だったのは。

597 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:35

「―――― 本日中に逮捕される見通しで ―――」

その一言。

あの子が…、愛理が、決断したことを知らせる一言だ。

それが今、あたしの足を前へ前へと踏み出させる。

大会でも感じなかった息苦しさ。
胸が詰まって、足ももつれて、今にも転んでしまいそうな感じ。
気を抜けば、街行く人と正面衝突。大惨事。
でも、止められない。

痛む足なんて、この際どうでもよかった。
ここで、足が砕け散ってしまっても、かまわない。
だから一秒でも早く。

愛理が苦しんでるから。
絶対、一人で苦しんでるって、確信を持って言えるから。

598 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:35

不器用な子。
素直に感情を出す方法を忘れた、本当に不器用な。
辛いって、叫べばいいのに。
今も、きっと、言葉を飲み込んで。
一人で…いる。

だったら、あたしがそばに。
守ってあげたいと、えりに言った言葉は偽りじゃないから。

せめて、あたしが、愛理の笑える場所を守ってあげないと。

599 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:36





愛理の家の周りは、思ったより閑散としていた。
ポツポツと、カメラを持った人とかがいるけれど、
大きな騒ぎにはなっていなくて。

多分、病院の方にいっぱい人がいるから…。
愛理のお父さんのことが伝わっていないのかもしれない。

でも、そのまま静かに時間がすぎていくなんて思えない。

「はぁ、はぁ…」

息を整えるようにして、チャイムの前に立つ。
それだけで、周りにいた人たちは、訝しげにあたしを見てきて。
ううん、家のほうを、好奇に満ちた目で見つめたりしてる。

少しだけ、胸が苦しくなるのを感じながら…静かにチャイムを押した。

600 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:36

「………君は…」
「あの、あたし…」

ガチャン、と重い扉を開けて出てきたのは、意外にもおじさんだった。
ちょっと驚いたみたいに、一度あたしを確認して、
それからくるっと視界を周りに回し…苦笑いを1つ。

「さ、入りなさい」
「あ…、こんな時にすいません…ありがとうございます」

口早に告げて、門を少しだけ開く。
その隙間に滑り込むみたいにして中へ入る。

何回か、カシャンという機械的な音が背後で聞こえたけれど
おじさんは怯むこともせずに、自然なしぐさで中へと導いてくれた。
もう…、色々なことを、受け入れたように。

601 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:36





「舞美ちゃん…」

リビングへ通されると、すぐに驚いたような愛理と顔を合わせる。

頼りない顔だった。
少し泣き出しそうな…、それを必死に隠そうとするような。

ただ、あたしを見て、少しだけ頬を緩めたみたいだった。
それだけでも、ここに来たこと…良かったかなって思える。

602 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:36

「愛理…、大丈夫?」
「…うん」

そっと近づけば、迷いのない目。

こうなること、覚悟してた。
どんなに辛い事になったって、
この道を選んだ事、後悔なんてしてない。

そんな心が透けて見える。
愛理のまっすぐな心が。

「ちゃんと…話しておかなければならないね」

並んで立つあたしたちに、おじさんがくたびれた笑顔を向けた。
そのままそっと窓に近づくと、薄くカーテンを開いて外の様子を窺って。

603 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:37

「あの分では、もうすぐここにたくさんの人たちが押し寄せてくるかもしれない」
「……………」

焦ったような、そんな口調はない。
ただ、何かを悟ったように目を細めてる。
こうなることを…おじさん自身、自覚していたように。

「すまないな…愛理」
「……………」

振り返って告げたおじさんに愛理は何もこたえず、ただじっと見つめてる。
きゅっと唇を噛み締めるみたいにして。

泣き出しそうなのをこらえてる。
今にも喚きだしてしまいそうになるのを、ぐっと押しとどめてる。

そんな愛理に一度困ったように笑って、おじさんは とつとつと語り始めた。
重い重い何かを吐き出していくような、深いため息を一度ついて。

604 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:37

「はじめは…母さんの医療費のためだったんだが…、
一度手を染めてしまうと、もう、戻れなくなっていた」
「戻…れなく…?」
「流されてしまったんだよ。いろんなものに」

きっと、おじさんにはおじさんの事情があって。
けど、今のあたしや愛理には理解できないのかもしれない。
人を助けるために、悪い事をする。
その深い意味を。

していけないことは、男の人も女の人も、大人も子供もみんな一緒。
その信念があたしの根底にはある。
だから、おじさんのこと…今は、納得できなかった。
愛理も…多分。
だから。

605 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:37

「愛理のためでもあると思っていたんだ」

その言葉をつげられて、キっと愛理はおじさんを睨み付けた。
唇を噛むようにして、一度あふれ出る感情をとめながら。

「あたしのせいに…しないで…っ」
「あぁ……、そうだな…」

おじさんは、寂しそうに、それでも笑った。
それから何かを近くの戸棚から取り出して、愛理に差し出す。
小さな…、カードが2枚?

「これ…なに?」
「これだけあれば…不自由なく暮らしていけるだろう」

そのカードは、どうやら…口座のカードみたいだった。
受け取った愛理は、無表情に見つめている。

606 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:38

「…どういう…こと?」
「母さんの事で、お前には何もしてやれなかったからな…、
欲しいとねだったものさえ、買ってやれなかった」
「いつの…話をいってるのよ…っ」

そういうことじゃないんだというように、
愛理は固く瞼を閉じて、搾り出すように言い放った。

「こんなの…こんなの貰ったって嬉しくない…っ。
なんで…なんでわかんないのお父さん…!?」
「だが、必要なものだ。……私も、お義母さんも…いなくなるのだから」
「……っ」

暗にそれは、一人で生きていけという突き放す言葉だった。
もちろん愛理も意味をわかっているからこそ、何もいえない。

607 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:38

「お金がすべてではないとわかってはいる。しかし、お金が
なかったからこそ、失ったものがたくさんあった。
愛理、お前なら、わかるだろう?」

なんて身勝手な投げかけ。
それはおじさんのエゴ。
お金があれば、なんて短絡的すぎる。

頭の後ろがかーっと熱くなってくる。
とめられない衝動に、咽喉まで言葉がこみ上げて。

でも、それを吐き出さなかったのは、
本当に吐き出すべき人が、そこにいたから。
まっすぐな目を、おじさんに向けて。

608 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:38

「そんなのわかんない…! お母さんのこと言ってるなら
お父さんは間違ってる!!お母さん、病気で辛そうなときもあったけど、
お父さんがいないことの方がもっと辛そうだった!」
「それは…」
「お金を求めてしまったから…お金があったから
失ったものもたくさんあった…! ねぇ、違う!?」
「愛理……」

今度はおじさんが言葉を詰まらせる番。
ううん、言葉を…失う番。

一度荒ぶる気持ちを落ち着かせるみたいに、
愛理は肩で大きく深呼吸をした。

色んな想いとか、投げつけたいのを押さえ込んで。

酷い言葉を言ってしまいそうになるのを堪えて。

そして…。

609 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:38

「お父さん、答えて。……病院の不正に、関与、したんだよね?」

静かに、問いかけた。

認めて欲しい。
もう。

そんな想いが滲んで見える。

もう、認めて。
すべてを認めて、罪をちゃんと見つめて欲しい。

愛理の気持ち…、それをおじさんは…

「愛理…」

深い深い息をついて…

「……ああ。 認めるよ」

やっと…受け入れた。

610 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:39


あぁ…。


全身の力が抜けそうになる。
こみ上げてくるのは、重い感覚、倦怠感。
きっと、愛理も。

判っていたことなのに。
正したところで、残るのは苦い感覚だけだってこと。
悟っていたことなのに。
認めたところで、辛い気持ちはなくならないってこと。

それでも、正す必要があった。
愛理が…愛理でいるために。
おじさんがおじさんでいてほしいために。

611 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:39

ふと耳に伝わってくるのは、サイレン。
あれは…パトカー。
どんどんこっちに近づいてきてる。

「時間…かな」

おじさんは苦笑いをしながら、愛理とあたしを交互に見た。
愛理は何も言わない。
ただ、眉を下げて見つめるだけ。

「家から出てはいけないよ? 誰が来ても扉を開けてもいけない」
「おじさん…」
「矢島さん、だったね。……愛理をお願いしてもいいかな?」
「………はい…」

あたしの返事に、おじさんは優しく笑って。
それからネクタイは締めずに、シャツの上から背広を羽織る。
向けられた背中は、しゃんとしたもので、迷いなど何もない感じだった。

612 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:39

ピンポーン

止まったサイレンの後、一度鳴ったチャイムに
おじさんはインターフォンではなく、そのまま扉に向かって消えていく。
動けないあたしたちは、ただ聞こえる声だけに耳を傾けていた。

「……わかりました…、同行します」

おじさんの声。
やっぱりそこには、動揺も迷いもない。

待って…。
そのまま、行っちゃうの…?

ちゃんと愛理、話してない。
罪を認める言葉だけしかしてない。
そんなの…、そんなのダメだと思う。

613 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:39

「愛理…っ」
「……………」
「愛理、おじさん、行っちゃう…!」
「……うん」

呆然としている愛理は、ぼんやりこたえる。
灰色に濁った目で。
何も見えない目で。
でも、それじゃダメなんだ。

「言いたい事、言わなくていいの!?」
「もう、言ったよ…。お父さん、認めた」
「違うっ、そうじゃなくて! 聞きたいことじゃないっ。
おじさんに言いたい事あるんじゃないの!?」

罪を認める言葉なんて、本当は聞きたくなかったはず。
そんなのじゃない。
今、愛理に必要なのは、そんなのじゃないでしょ?

614 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:39

「それは…」
「気持ち、愛理の気持ち、ちゃんと伝えた?ちゃんと」
「…それは…」

言葉を濁す愛理には、苦渋の色が見えた。

伝えてない。
本当にぶつけたい言葉を。
それは、きっと後悔を呼ぶと思う。
だから。

「行こっ! あたしが守るから…!」
「舞美ちゃん…」
「ほらっ!」

強引だけど、あたしは愛理を連れ出した。
まだ間に合う。
車のエンジンは止まってる。
騒がしい声はたくさんするけれど、そんなの気にしてたら、
愛理の心が潰れてしまう。
今、伝えなきゃ絶対に、潰れてしまう。

615 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:40

バタンと大きな音を立てて扉を開ける。

開けた視界には、たくさんの人たち。
どこから沸いてきたのか、たくさんの…マスコミの人たち。
眩しいフラッシュをおじさんに浴びせて、それだけでは飽き足らず
不躾な質問を次々と投げつけてる。
その姿に息を飲んだのは愛理。

ちょっとだけ後悔した。
愛理にそんなおじさんの姿を見せた事。
でも…、このままおじさんを行かせるわけにも行かなかった。

「おじさん!!」

あたしの声は届かない。
色んな音にかき消されていく。

このままじゃ行っちゃう。
ちゃんと…ちゃんと、繋がらないまま。
そんなのは、悲しすぎる、絶対。
だから。

616 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:40

「愛理…! 愛理なら、絶対おじさん気づいてくれる」
「でも…」
「だって、愛理のお父さんじゃない」
「……っ」

『愛理のお父さん』
そう、それだけは変わらない事実。
その言葉の深さ、愛理は知ってる。
だから。

きゅっと、苦しそうに人ごみを見つめて…。
そして…、短く息を吸い込んで呼んだんだ。
たった一人の肉親の名前を。

「お父さん…!」

決して大きくはない愛理の呼びかけに、おじさんは振り返った。
取り囲む警察の人の動きを止めて。

617 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:40

搾り出した声は、ちゃんとおじさんに届いていた。
色んなカメラのフラッシュに紛れてしまいそうな、
心無い人たちの声にもかき消えそうな声だったけど、ちゃんと。

そう、ちゃんと届いていんだ、 ずっと。
ただ、すれ違って見えなくなってしまっていただけ。
さぁ、だから、今、この瞬間に、つなげて?
おじさんは、ずっと待っててくれてた。
愛理、ほら。

「お父…さん…」

零れ落ちそうになる涙を必死にこらえる愛理。
それは全部、愛理の想いの大きさ。
受け止めきれないたくさんのもの。
それを、今、言葉に変える。

618 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:40

「ばか…、お父さんのばかぁっ!」

届けられた言葉は、色んな気持ちの結晶。
いくつものカケラを集めて出来上がった、愛理の心の。

砕けてしまったものを、拾い集めて、今届けられたんだ。

おじさんは、優しい笑顔で……それを受け取った。
少し寂しそうな笑顔だったけど、一度ゆっくり頷いて。

あたしには、愛理とおじさんのような家族の形はわからない。
なんでも本気でぶつかり合うのがあたしの家族だったから。
でも。

でも、きっと、今のおじさんは…、お父さん、なんだと思う。
医者なんかじゃなくて、男の人でもなくって、
愛理の、お父さん。
今の表情は、きっと。

619 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:41

警察の人にもう一度促されてパトカーに乗り込むおじさんは、
もう愛理に振り返らなかった。
ただ、よくテレビで見るような背中を丸めてうつむく姿はなくって、
しゃんと背を伸ばして、まっすぐ前を見つめている背中がそこにはあった。
愛理に……ちゃんと見えるように。

間違った事をおじさんはした。
それは確かに、人から褒められるようなことじゃないと思う。

でも、そこまでの過程に色んなものがあった。
あたしや、愛理にはまだ理解できないことが。
そこにおじさんなりの信じた何かがあったのなら。
いつか…愛理と正面から向き合って話し合って欲しいと…、心から願ったっけ。

620 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:41

「鈴木さんのお嬢さんですか?」

あ…っ。

愛理のおじさんが車で去った瞬間、声をかけてきたのは
手にマイクを持った女の人。
好奇の目で、まだ涙に濡れる愛理に迫ってきてる。

「この件についてどう思いますか?」
「普段のお父さんはどんな人ですか?」
「お父さんに何か伝えたい事はありますか?」
「話ではお嬢さんが告発したという意見がありますが?」
「被害者家族をどう思いますか?」
「いつごろから気づいていたんですか?」

動けない愛理に、次々と浴びせられる言葉。

ひどい。
これはひどい…っ。

思ったらもう、身体が動いていた。

621 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:41

「行くよ…!」
「あ……」

ぐっと、愛理の腕を掴んでそのまま家の中へひっぱっていく。
糸の切れた人形のように、愛理はフラフラとついてくるだけだった。
もう、気力も尽きたように。


バタン!!


すべてをシャットアウトするように、重い扉を閉める。
すぐ背には、眩しい明かりや うるさいぐらいの呼びかけが続いていたけど。

「中に戻ろう」
「……ぅ…ん…」

促すようにリビングへ。

入ってすぐ、あたしは全部のカーテンを閉める。
鳴り続ける電話の線も抜く。
こんな風に、いかにもな事したくないけれど、今は愛理を守らなきゃ。
心が空っぽになってしまった愛理を、あたしが。

622 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:41





「愛理」

まだ迫る喧騒を追い出して、ようやく、ゆっくり名前を呼んだ。

背を向けている愛理から反応はない。
ううん、こらえてる。
まだ、こらえてる。

「愛理……」

だから…そっと、その背に触れた。
小さく震える肩に、優しく。

がんばったね。
いっぱいいっぱい、がんばったね。
辛い事、投げ出さずに、ずっと。

言葉ではいえないけれど、胸の中で告げながら。

623 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:42

次の瞬間。

「っ!!」

愛理は振り返り、あたしに飛びついた。
ううん、しがみつくみたいに肩口に顔をうずめて。
服を握る手は、白くなるほど強く。
全身は、もうこらえ切れなかった感情が一気に爆発して揺れている。

「愛理…」
「うっ…っ、ひっく、うぁぁぁっ、―――っ」

出たのは押さえつけられていた声。

愛理は、泣いていた。
子供のように、大きな声をあげて。
くしゃくしゃに顔を歪ませて。

やっと。
やっと、重荷をすべて投げ捨てて、今。

624 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:42

「愛理…うん…、えらかったよ」
「舞美ちゃん…っ、舞美、ちゃん…っ!!」

胸に顔をうずめる愛理は、ただあたしの名前を呼び続ける。
飛びそうになる意識を、あたしの名前を呼ぶことでつなぎとめてる。

そんな愛理を受けとめるように、あたしは優しく髪をなでた。
何度も、何度も。
子供をあやすように。

泣きたいだけ、泣けばいいと思う。
今、それを愛理は許されたんだから。
今まで出来なかったけど、今、していいんだよ。

もう、がんばんなくて、いいんだよ。
一人で、がんばんなくて。

625 名前:帰趣 投稿日:2008/03/06(木) 13:42

多分、これから辛い事が、まだまだ愛理には待ってる。
でも、今だけはすべてを忘れて…泣いてほしい。
その涙をぜんぶ、あたしが受け止めるから。

ぐっと、身体を抱けば、愛理も背に手を回して抱きしめ返してくる。
あたしを捕まえるみたいに。

だからあたしも、愛理の身体を離さないように、ぎゅっと強く抱きしめた。
離したくない小さなぬくもりを、大切に、本当に大切に。

ふっと、小窓に視線を向けると…

―― そこには雲ひとつない空がただ広がっていた。

涙色に濡れて。

それでも、透き通った空が。


626 名前:tsukise 投稿日:2008/03/06(木) 13:42
>>589-625
今回更新はここまでです。
駆け足更新ですが、もうすぐゴールとなりそうです。

>>587 名無しさん
そうですね。鈴木さん…少し苦しいですね。
矢島さんがいい具合に支えてくれればよいのですが…。
レスをありがとうございます。励みとなっております(平伏

>>588 名無飼育さん
好きというお言葉、作者として大変嬉しく思います。
結構辛い展開が続いているところでございますが
どうぞ、またお付き合いくだされば幸いです(平伏

627 名前:名無し 投稿日:2008/03/06(木) 17:52
更新お疲れ様です!
愛理〜!良かったです!!
舞美の気持ちが凄い真っ直ぐで
自分を重ねて読んでました!
次回も待ってます!!
628 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:23

空が、綺麗。
遠に、夏の積乱雲を覗かせて。
すべてをスッキリ澄み渡らせるように、ホント綺麗。

………わかってたんだ。

なんとなく、ぜんぶ。

みんな解決したら、


―――…サヨナラが待っていることを。


629 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:23





「今日も休みだったんだ…?」
「あんなことがあったし判るんだけど」

テスト期間中に入って、部活のない放課後、
下駄箱前にいた栞菜に呼び止められて。
告げられたのは、愛理がずっと学校を休んでいる事。

あの日以来ずっと休んでいるみたいで、
栞菜の黒目がちの瞳が、心配そうに揺れている。

そうだよね…、栞菜、愛理のこと好きなんだもんね。
思いながら、あたしの心もざわついた。

愛理のことだから、ここで押しつぶされるような、
そんな子じゃないと思う。
ちゃんと一歩目の出し方、判ってると思う。

でも、もし体調とか悪くして出れない状態とかだったりしたら…。
今、おじさんもおばさんも…大変なんだし…。

630 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:23

「うん、わかった、あたし、ちょっと家に寄ってみるよ」
「えっ? 舞美ちゃん、愛理の家知ってんの?」
「あ…。あはは…、ま、まぁ…」

そうだ、栞菜には知らせてなかったんだ。
一気に好奇の目であたしに にじり寄ってくる。

ま、まずい…。
なんか、これは非常にまずい。
愛理に何か良くない事が起こりそうな予感。

「ねぇ〜、舞美ちゃん」
「あ、じゃっ、あたし行くからっ!」
「あっ! 待ってよーっ!」

全力ダッシュ。
まだ足は痛むけれど、今の栞菜を振り切るのが先。

631 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:23

最初は栞菜も追いかけるように走ってたけど、
だてに『韋駄天娘』なんて呼ばれてないあたしは、
見事、学校の正門でさよならする。

危ない…。
なんとなく、あたしにも愛理にも良くないことが起こる予感が
たっぷりしたもん。

ごめんね栞菜。
また教えるから。

…………気が向いたら。

632 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:24





気の早いセミたちの声がする。
じっとしてるだけでも、ポツポツと汗が落ちたりして。
この時期は、いつもあたしは辛い。

そんな中、伸びていく自分の影を見つめながら愛理の家を目指す。
この道を曲がれば、住宅街。
その中で一番大きな家が、愛理の家だ。

633 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:24

「…………え?」

角を曲がって、違和感に気づく。
もちろん、この間までいたマスコミの人たちはもういない。
でもその違和感じゃなくって。

愛理の家の前。
大きなトラックが止まってる。
ううん、それだけじゃない。
たくさんの荷物が、その周りに広げられてて。
男の人たちがそれを順番にトラックに積み込んでいってる。

それはまるで…。

あ…。

混乱する頭を整理しようとしたとき、見知った影が家から出てきた。

634 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:24

「愛理」
「あ…舞美ちゃん」

振り返った愛理は、どこか困ったみたいに眉をハの字にした。
ううん、実際困ったんだと思う。
思いがけず現れたあたしに。

「愛理…これ、一体…」
「うん…私、引っ越すことになって…」

そこで、ちらりとあたしの後ろに視線を向ける愛理。
追うと、近所の人かな?あたしたちを怪訝な目で見つめて
それから足早に去っていった。

あ……。
そうか…。
この間の事で…

「とりあえず、入って?」
「あ…うん…」

寂しげに揺れる背中は、ゆっくりあたしを家の中へと導いた。

635 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:24





何もない…部屋だった。
この間まであった家具がすべて…なくなっていて。
その中に立つ愛理は、作り物めいてみえたっけ。

「これから…どうするの?」

まるで何かのドラマみたいな言葉。
でも、突然の事に困惑している頭じゃ、
そんな言葉しか浮かばなくって。

「うん…、お母さんの方のおばあちゃんの家に行く事になったの」

愛理も、そんなあたしを見て取って、眉を下げたまま静かに笑った。

冷房をつけっぱなしにしている部屋なのに、
自分の汗が頬を流れていくのが判る。
でも、拭うことも忘れて、愛理をじっと見つめてしまう。

636 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:25

「ど、どこ…?」
「…アメリカ」
「えっ!?」

今、なんて…?
アメリカ…?
アメリカって、あの自由の女神の?
大統領の?
言葉は英語の?
首都がワシントンD.C.の?

どうでもいいことしか浮かばない。
それだけ衝撃が強くって。

だって…。
アメリカなんて…。
もしかしたら…、もう、あたしは愛理に……。

637 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:25

「ありがとう、舞美ちゃん」

何にも言えないでいるあたしに、愛理は瞬きをゆっくりして話し始めた。

その頬に浮かぶ静かな笑顔は、別れを否応なく予感させる。
でも、わかっているのに、どうすることもできない。

……あたしには、どうすることもできない。

「すごく感謝してる、舞美ちゃんには」
「そんな…あたし、なんにも…」
「ううん」

首を振る愛理は、一度目を伏せて。
それから首をかしげるように、覗き込んできた。
まっすぐな瞳が、キラキラしてる。

638 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:25

「私、すごく大切なこと、舞美ちゃんからいっぱい教えてもらった。
一人じゃどうしようもないことも、なんでもない風に助けてくれた…。
きっと、私ひとりだったら…間違ったこと、いっぱいやってた」

抱えるものが大きすぎて。
誰にも助けを求められなかった愛理。
あたしなんてバカだから、その重大さとか全然わかってなくって。
ただ、力になってあげたいって思っただけで。

いろいろ強引なこともして、愛理を困らせたと思う。
おせっかいにもほどがあるって、あたし自身も思ったりしたもん。
それでも……、今向けられている笑顔は本物だと信じたい。

――― あたし、愛理のために、何かできた。

告げてくれたその言葉を…信じたい。

639 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:25

「知ってた?私、舞美ちゃんのこと、好きだっだんだよ?」
「え…っ」

突然の告白に驚いて目をパチパチしてしまうけれど、
愛理は穏やかな笑顔を崩さない。

「初めて舞美ちゃんを見たのは、夏の入り口」
「夏の…?」

瞼を伏せる愛理は、きっと思い出の中にいる。
あたしとの出会いの日に。
初めて…日に。

「あの頃、私、ぜんぶから逃げ出したかった」
「ぜんぶから…」
「いろんなこと、いっぱいありすぎて、頭の中ぐちゃぐちゃだった」

深く、うなだれるようにつかれるため息。
その重さを知っているあたしは、じっと愛理をみつめるしかできない。
過去の愛理じゃない、今の愛理を。

640 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:26

「家を飛び出して、どこにも行くあてなんてないのに、走って…走り続けて、
そこでふっと立ち止まったの。そしたら、……舞美ちゃんがいた」
「あたし…?」

うん、と頷く愛理は、とてもまぶしそうにあたしを見上げる。
大切なものを見つめるみたいに。

「舞美ちゃん、走ってた。まっすぐに、ずっとずっとまっすぐに。
それがすっごく綺麗で、かっこよくって…目が離せなかったの」

走ってた…。
あたし、走ってた…。

引っかかる。
何かが頭の中で。

そう、あたしはいつも走ってた。
部活で、どんな日だって休むことなく。
夏に差し掛かる頃も、もちろん…。

それを愛理は見つめていた。
見つめられて…いた。

641 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:26

「あ…っ」

唐突に、記憶の扉が開かれる。

夏の入り口。
グラウンドで走るあたし。
タイムが縮まって。
えりと喜んで。
汗を拭うみたいにタオルを肩にかけた。

そうだ…、そのとき、あたしは見つけた。
自分を見つめる瞳を。
不思議な笑みを浮かべる女の子を。

何か一言二言つぶやいたその子は、暑さに揺れるアスファルトの中で
とても涼しげに映って…白い肌と華奢な身体が、印象強くて…。

642 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:26

「あたし…思い出した。愛理、校門からあたしを見てた…!」
「覚えてて、くれたんだ?」

ちょっと目を丸くして、それから嬉しそうに笑う愛理。
なんで今まで忘れていたんだろう。
こんなにも、あたしの中に大きく膨らんでいった女の子のことを。

そうだ…そのときから、あたしは愛理に…惹かれていたのかもしれない。

「私、その時から…、舞美ちゃんのこと、好きになってた」
「え…っ」
「みんなの中心で笑って、正義感が強くって、曲がった事が嫌いで、
でも優しくて、人の痛みを…自分のことみたいに真剣に考えて…
本当に辛いとき、すぐに気づいてくれて…大好きになってってた」
「愛理…」

あたしは、そんな大層な人間じゃない。
全然周りの事にも鈍感だし、いろいろ迷惑だってかけるし、
おせっかいだっていっぱいしてる。
でも、ほんの少しでも…せめて自分の近くにいる人だけでも
助けてあげたいって思ってる、ちっぽけな子なんだ。

それでも愛理は、好きだといった。
こんなあたしを。
それは、どこかあたしの胸の奥を温かくしてくれる。

643 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:26

「ありがとう…そんな風にいってくれて」
「ううん。聞いて欲しかったの、………最後に」

最後に。
そのたった一言が、重くあたしの中にのしかかる。
覆る事のない現実を突きつけられた気がして。

どうやっても、変わらない。
わかってる。
もう、そこまで子供じゃないあたしは、どうにもならないことの区別も知ってる。
でも、黙って納得できるほど大人でもなくって。
もどかしい思いが、あふれかえりそうになるんだ。

「あたし……、あたしは…」

言葉がでない。
なんて答えていいのかわからない。

644 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:27

今ここで、あたしの気持ちを伝えて、どうなる?
混乱、させるだけじゃない?
苦しい気持ちを押し付けるだけじゃない?

もう判ってる自分の気持ち。
そう、愛理のこと、あたしは…。
でも、それは愛理にハッキリと伝えるぐらいカタチになってる?
何があっても、どれだけ距離があっても揺らがない意思になってる?

自問自答すればするほど、迷いが生まれる。

愛理と、あたしの想いは重なってる?
気持ちを、今、重ねて…いいの?

645 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:27

「舞美ちゃん」
「え…?」

呼ばれて顔を上げれば、やっぱり穏やかに笑っている愛理。
でも、ちょっとだけ、寂しそうに見えるのは気のせいなんかじゃない。
だって。

「いいから」
「愛理…?」
「深く、考えてくれなくて、いいから」

もう会えなくなるから。
だから、別に答えはいらない。
これで、最後かもしれないから。
だから、忘れてくれていい。

滲んで見える愛理の揺れる心。

胸が締め付けられる。
ぎゅっと、鷲づかみされたみたいに。
でも…、動けない。

646 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:27

「……あのね、舞美ちゃん、お願いがあるの」
「え…?」

空気を変えるみたいに、愛理はパっと明るい表情を見せて、
あたしに笑いかけた。

「また、足が治ったら走って?」
「愛理…」
「私、舞美ちゃんの走ってる姿、大好き」

好き、という言葉が出るだけで胸が痛む。
愛理が悲しそうに笑うから。

ぜんぜんそんな風に見せないようにしてるけど、
あたしにはわかるんだ。
愛理、すごく寂しそうにしてる。

647 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:27

もう、見れないかもしれない、あたしの走る姿。

あたしも愛理とは、もう逢えないかもしれない。

これで最後かもしれない。

次に逢える保障なんて、どこにもないんだから。

それを判っているから、あたしたちは…希望だけを口にする。
過去だけを綺麗につむぎだす。

愛理の希望のカタチ。
寂しい希望のカタチ。
過去から未来に繋がるなんてわからない…カタチ。

いつから…。
いつからあたしは物分りがよくなってしまったんだろう?
少し前のあたしなら、何も考えずに思ったこと、言えた。
『愛理もあたしの姿見ててよ』、そんな風に言えた。

648 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:28

でも…。
でも、今は、言葉が出てこない。
すべてが愛理に届かない気がして。
愛理の…これからの重荷になりそうな気がして。

別れを強く意識している自分に嫌気がさす。

でも、あたしはまだ高校生で、愛理は中学生で。
したいこと、やりたいことを通すための責任の重さ、
そういうの、まだわかってない。
だから…ダメなんだ…。
ダメなんだよ。

今ここで、愛理を連れ出してしまえたら、どんなに楽なんだろう。
思ったところで、あたしにはできない…。

649 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:28

「愛理…、あたし…」
「……はい」
「ぁ……」

遮るように差し出されたのは、綺麗な手のひら。
静かに…まっすぐに…。

泣きたくなる。
ダメな自分に。
握りたくなんかない。
この手を。

子供じみた気持ちだってわかってる。
でもやっぱり聞き分けのいい子になんてなれない。
そんなあたしに…、愛理は言ったんだ。

650 名前:愛理 投稿日:2008/03/09(日) 16:28

「舞美ちゃん…、また…いつか…」

―――…逢えるから、という言葉は続かなかった。

でも、それはほんの少し、あたしの気持ちを温かくする。
ほんの少しだけど、心を優しくしてくれる。

「うん…、愛理…、また…」

―――… 逢おう。

その言葉も、飲み込んで、

あたしは…愛理の手を握った。


……………色んな後悔とか、そんなのを抱きしめながら。

651 名前:tsukise 投稿日:2008/03/09(日) 16:28

>>628-650
今回更新はここまでです。
矢島さんが悩みまくりですね、はいw

>>627 名無しさん
矢島さんのまっすぐな感じが伝わったのなら幸いです。
作者として、重ねてみて頂けたとのご感想は
大変嬉しいもので、ありがとうございます。
どうぞ、また続けて読んでくだされば幸いです。
652 名前:名無し 投稿日:2008/03/09(日) 17:42
更新お疲れ様です。
愛理ぃぃ!!(泣
舞美の葛藤に苦しくなりました(泣
不器用すぎる二人を見守ってます!!
653 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/09(日) 21:18
せ、切ない・・・(;´Д`)
654 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/10(月) 22:50
二人の想いが重なってほしいと切に願います。
655 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:15

なくす事を躊躇ったり。
手にする事を躊躇ったり。
そういう歩き方じゃ、いつかきっと後悔する。

いつだって気づくのが遅いあたしは、失いそうになって気づくんだ。
その、なくす事・手にする事の最後のチャンスの時を。

だから……。

『かっこ悪いぐらい頑張ろう』って。
そんな風に何度だって心を奮い立たせるんだ。

いつも―――。

――― ギリギリのときに。

656 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:15





ピンポーン

ふいに鳴る家のチャイム。

誰だろう。
休日の今日に限って家には誰もいないのに。
ひとまず、ぼんやりつけていたテレビを消して玄関口へと向かう。

「は〜い」

ガチャン

その開いた扉の先には……意外な人がいたんだ。

「えっ? あれっ? あなた、中島さん?」

そう、彼女はあの病院の。

657 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:16

あの事件以降、ずっと会えなかった。
いろんな対応とかに追われている病院だし、
その関係者だから当然なのかもしれないけれど。
久しぶりに見る彼女は、幾分ふっくらしていた頬を落としていた。

でも、それよりも、身なりがすごい。
走ってきたのか髪は乱れていて、
横に流していた前髪が、ぶわっと額全体に流れてしまっている。
息も乱れていて、全身汗だく。

何をそんなに急いで…?

「あの、中島さ…」
「行こう!」
「えっ? なに?」

突然、行こうってどこに?
でも、尋常じゃない彼女の必死の形相に訊くのが躊躇われる。
告げたのは、やっぱり彼女の方からだった。
けほっ、けほっ、と何度か咳き込んで、それから。

658 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:16

「愛理、今日発つの! もう空港にいる…! だから、行こう!」
「え…っ」

愛理が…今日…。

言われて一瞬頭が真っ白になった。
それから浮かんだのは、この間の別れ。

愛理はあたしに感謝の気持ちを述べてた。
そして、好きだった、とも。
あの時、あたしは曖昧に差し出された手を握り返すことしかできなくて。
答えてあげることもできなくって。
ただ、心にぽっかりとできた空虚に、何も考えられなくなっていたんだ。

そんなあたしが、今から愛理に?
会ってどうする?
また、握手?

659 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:16

「矢島さん! はやく!」
「でも、あたし…愛理になんにもしてあげられない…」
「それは違う…っ」
「え?」

顔を上げれば、優しい笑顔を向けている彼女。
人柄が滲み出るような、とっても優しい。
その彼女が、言葉をつなげる。

「あなたは、いるだけで愛理の力になってた。きっと愛理もそう思ってる」

いるだけで…力に…。
そういえば…愛理もそんなことを言ってた。

言われて気づく、ううん、気づき始める。

いるだけで力になること、そういうの、あたしもあるんじゃない?

660 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:17

例えば部活。
えりがいるだけで、安心して走れる。
それは、とっても心強いマネージャーだし、親友だと思っているから。
栞菜がいるだけで、元気になる。
それは、栞菜が周りの事を感じ取ってくれる頼れる子だから。

そして…愛理は…。

愛理は…いるだけで、勇気になった。
この子のために、がんばろうって…そう思えた。
愛理は、いるだけで強さをくれた。
あの、しゃんと伸びた背中、まっすぐな眼差しを感じるだけで
あたしだって強くならなきゃって、そう思った。

そして愛理は…、そう、気づけば愛理はあたしの原動力になってた。
いつからか、愛理のために何かしたいって、
愛理が喜んでくれるならって、愛理が笑ってくれるならって、
そう『願う』ようになってた。
…愛理に、夢中になってた。

これって…、ねぇ、これってさ、そういうことなんじゃない?

661 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:17

そっと胸に問いかければ、
今までのもやもやが嘘みたいに晴れ渡っていく。

そうだ…そうなんだ。
あたしは…あたしは、愛理のことが本当に。

焦燥感を感じたのは、あたしの一部になり始めてた
愛理の場所が、すっぽり抜け落ちてしまうんじゃないかって
そんな風に感じたからだ。
大切なものを失くしてしまう、そんな想いに駆られたからだ。

「矢島さん? あなたも、もう気づいてるんでしょ?」

最後に結論を促されて……やっと、あたしは頷いた。

頭で理解できていなかったけれど、もう、あたしの心は気づいていたんだ。
それを、こんなときにわかるなんて、あたしってホント鈍感。

この間愛理が望んだ言葉、ちゃんと今なら言える。

662 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:17

「愛理、一人で発とうとしてる。だから、行こう?」
「一人で…」

どうしてあたしはこうもバカなんだろう。

なんであの時、ちゃんと伝えなかった?
こうやって愛理がまた一人で歩いていくの、わかってたはずじゃない。

勝手に一人で悲劇のヒロインなんか気取っちゃったりして。
伝えたい事、ちゃんと伝えないで。

遠く離れるからなんだっていうのよ。
一生逢えないわけじゃない。
力強く言ってやればよかったんだよ。
『また逢おう』って。

責任とか、そんなの、今のあたしにはどうだっていい。
そんなのに縛られて、本当にしたいことが出来ないって、
それこそ物分りのいい子を演じてるだけじゃんか。

663 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:17

「きっと、あなたが行けば愛理は喜ぶ」
「愛理…。………うん、うんっ、行こう!」

一人で、たった一人でなんて行かせない。
そんな寂しいサヨナラ、愛理にはさせたくない。

後悔、したくないし、させたくない。

だからせめて、…せめて背中にあたしがいるんだって、わかってほしい。
今なら伝えられる気持ちを、もっていってほしい。

「車、大通りの止めてるから、早く!」
「うん!!」

とるものもとりあえず、家を飛び出す。
夏の光線は、あざ笑うように降り注いでくるけれど、
そんなの構やしない。
今はただ、愛理の元へ。

664 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:18





転がるように空港のロビーに駆け込む。
汗が一気に冷まされて、身震いをしてしまうけど今はどうでもいい。
愛理を探さなきゃ。

「こっち! 矢島さん!」
「うんっ!」

あたしと同じくらい汗を落としている彼女が、前を走り出す。
その後を追いかけながら、こみ上げてくるのは またあの焦燥感。

なんでちゃんとあの時言わなかったんだろう。
こうやって、必死に追いかけるぐらいなら。

判ってたはずじゃない。
あたし、諦めが悪いんだって。
絶対、追いかけちゃうって…判ってたはずなのに…。

それだけ、愛理のこと、好きになってたくせに。

665 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:18

認めてしまえば、あとは楽だった。
もう後ろなんて振り返らない。
前だけ向いて。
過去とか、未来とか、そんな難しいものなんて考えない。
今だけ。
今だけを見つめて。

「もう5分しかない…っ、愛理…っ」

聞こえたのはギリギリの時間を告げる声。

ふと思う。
もし、あたしなんかを呼びにきたりしなければ、
彼女はゆっくり愛理と話せたはず。

彼女だって、愛理を想っているんだ。
いっぱい、いろんなこと話したかったと思う。
辛い事とかいろいろ喋ったり、ちゃんとした時間、持ちたかったはず。

でも、それをしなかったのは……本当に愛理を想っているから。
すべて、愛理のために。

そんな彼女に、あたしは失礼なこと考えてたんだ。
気持ち、伝えずに、
愛理にも失礼な事を。

666 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:18

「矢島さん! この先のエスカレーターを上ったゲート!」
「わかった!」

もう息も絶え絶えの彼女は、場所だけを告げて足を止めた。

その先に愛理がいる。
ここまでしてくれた彼女に、ちゃんと応えたい。
ちゃんと…愛理に気持ちを告げる。
それがきっと、恩返し。

「ありがと」

すれ違う瞬間、ぽん、と一度だけ軽く背を叩いた。
苦しそうに膝に手をついて息を途切れさせる彼女の姿を
見ることは出来なかったけれど、それでも、優しい息を吐き出したのを感じる。
きっと…笑顔で見送ってくれたんだ。

本当にありがとう。
どれだけあたしは助けられてきたことか。
彼女だけじゃない。
いろんな人に。

その気持ち、裏切りたくないから。
だから走る。
愛理に向かって。

667 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:19

言われたエスカレーターを駆け上がる。
この先に愛理が…。

「ど…、どこ…っ」

見渡せば、出国準備をしてゲートへと向かっていってる人たち。

大柄な外国人の中、
小さな背中を捜す。

そして…。

「あ…!」

―――――― 見つけた。

小さな背中を。
でも、しゃんと伸びた背中を。

668 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:19

「愛理!!」

必死に声を張り上げた。
周りの人が何事かと振り返るけれど、気にもとめずに。

もちろん…、その声は――――― 愛理に届いていた。

「舞…美……ちゃん?」

びっくりした目が、あたしの姿を見つけて大きく見開かれる。

どうしてここに?
だって、この間…。
そんな気持ちが見えるみたいだ。

それでも、次々とゲートに向かう人たちに気づくと、
頭を軽く下げながら、列から離れる。

669 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:19

「愛理…、良かった…」

ゆっくり歩み寄るけど、やっぱり愛理は驚いた顔のまま。
あたしの額の汗とか、張り付いた前髪とか、
肩で息してる姿とか、そんなのをくるっと見渡して、
本当にあたしなのか確かめてる。

でも、そのまま視線をあたしの後ろに向けて、何かに気づいたみたいだった。
追いかけるように振り返れば、彼女、中島さんの姿。
エスカレーターを上ってきて、あたしと同じぐらいすごい姿で荒い息をしてる。
愛理と目があえば、にっこり笑ってみせたりなんかして。

「ナッキー…、そっか…だから…」

何かに合点いった愛理は、一度瞼を閉じて口元だけで笑う。
しょうがないなぁって、そんな風に。
受けた中島さんは、ゆっくり頷くと背を向けるようにして、
またエスカレーターを下っていってしまった。

670 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:20

「来て…くれたんだ?」
「…うん」

愛理は、あの日のように笑顔を向けた。
すべてを達観したような、あの。
でも、もう動揺なんてしたりしない。
覚悟は出来た。

「これ、愛理に」
「…? なに?」

来るまでに書いたもの。
メモ用紙に殴り書きしたものだけど、
それは大切なあたしと愛理をつないでくれるだろう連絡手段。

「住所と電話番号。あと携帯番号も」
「いいの?」
「うん。いつでも連絡して? あ、夜中とかは困るけど」
「あはっ、ありがとう」

じっとメモを見つめて嬉しそうに笑う愛理。
なんか、その姿を見れただけでも、良かったって思う。

671 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:20

「私も、覚えてないから向こうからお手紙するね」
「うん、…待ってる」

言って、愛理をもう一度ちゃんと見つめる。

難しいね、言葉って。
本当は、こんなこと言いたくて来たんじゃないのに。
どうしてかな、ちゃんと言葉が出てこない。

愛理がいるのに。
今、あたしの目の前に。

ただ、どこか感慨深くその姿を見てしまうんだ。

とても短い間に、いろんなことがあったから…。
そう、たくさん、本当にたくさんいろんなことが。
その一つ一つを思い返そうとしても難しいぐらい。

でも、鮮明に思い出せるのは…―――出会ったあの夏の入り口。

672 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:20

水みたいな子だと思った。
透明で、深くて、穏やかな、そんな子だと。
でも、色んなものを抱えていた愛理。
そんな愛理だったからこそ、あたしはいつのまにか夢中になってた。

追いかけたくなって、一緒に笑いたくなって、
そして、…守ってあげたくなった。
SOSを出さなかったから、だから、気づいた分、助けてあげたいって。

嬉しかった。
あたしなんかを頼ってくれて。
あたしなんかを…想ってくれて。

たくさんの気持ちを差し出してくれて、
そして、あたしも受け止めて。
たくさん、本当にたくさんつながっていった。

そして…。

そして、今、愛理は……あたしの手を離れていく。

一人で、第一歩を踏み出そうとしてる。

それは…認めてあげなきゃ。
愛理が進んでいくための、大事な一歩だから。

673 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:21

でもさ?

でもさ、やっぱり寂しいよ、愛理。

あたし、やっと気づいたんだ。
全然方向違いの道を歩いて、いろんな石に躓いて、やっと。
絶対に揺るがない気持ち。
すごく待たせてしまったけど、今伝えられる。

あたし、愛理が…。

674 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:21

「舞美ちゃんの、そのネックレス、綺麗だね」
「え?」

何気なく言われて。
そっと指をひっかけて確かめると、
プラチナに誕生石をつけたシンプルなネックレス。
随分昔、ショップで見つけて気に入って、
それ以来、ずっとつけているものだ。
気持ちの問題だけど、ずっと、あたしを守ってくれていたような、
そんなもの。

だから、――― 迷わなかった。

「え…、舞美ちゃん?」

すいっと首からはずすと、自然な仕草で愛理に手を伸ばす。
戸惑っていた愛理だけど、あたしの表情に何かを見て取って。
穏やかに微笑むと、頭を少しだけ前に倒して目を閉じた。

675 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:21

愛理が、幸せでいますように。

そっと首の後ろで止め具をとめる瞬間に、心で願う。
あたしを守ってくれていたキミ、今度は愛理をお願い。
そんなふうに。

離れる瞬間見えたのは静かに、穏やかに瞼を閉じている愛理。
一度長く深いため息をついたりして。
睫毛がどこか艶っぽく、さわさわと動いてる。

素直に――― 綺麗だと思った。

そう、愛理は時々、こんな表情をしていた。
大人びて、でも透明。
色んな混迷した事象に巻き込まれていても、それでも心は強く。
誰から揺らされても、信念を決して曲げない。
それがたとえ…大好きな人であっても。

676 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:22

「愛理…」

その名前を噛み締めるみたいに呼んでみる。

追いかけてくるのは、澄んだまなざし。
そこに冷たい影は、もうない。

それに安心して、微笑んでみせると、
愛理は目を伏せるようにして、ゆっくり一度吐息をこぼしてみせた。
どこか熱っぽく。

そしてもう一度、あたしを見上げる。
今度は、物憂げに。

その瞳が…吸い込まれてしまいそうなぐらい深くて。
はっとするぐらい、綺麗にうつって。

ふいに視線を落とせば、薄い唇。
その唇が、ゆっくりと開かれて…

「 ―――――― 」

音もなく、

…名前を呼ばれた。

677 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:22

胸がどくんと波打つのがわかる。
どくどくと。
愛理から呼ばれた、ただそれだけで。

「あい…り……」

自然と咽喉を鳴らしてしまう。
こみ上げてくるのは、衝動的な感情。
今まで思ったこともない、衝動的な。

触れたい、愛理に。
残したい、あたしのカタチを。
覚えておいて欲しい、あたしの全部を。
覚えていたい…愛理の全部を。

思ったら止まらなかった。

678 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:22


両肩に手を置いたまま、ゆっくり愛理に顔を寄せて…、


……………小さなぬくもりを唇に。


愛理も……あたしを拒んだりしなかった。


679 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:23

――――― ときめくようなキスだった。

不器用なあたし達は、ぎこちなく…
ただ擦るように重ねることしかできなかったけど…。
それでも…、…ううん…、
それだけで、十分だった。

だって、薄いはずの愛理の唇は、びっくりするぐらい柔らかで、
じんわり帯びた熱があたしにまで伝わってきてる。
驚きの中でえりと重ねた、あの日とは大違い。

だからかな…、心が…満たされていくんだ。
愛理で、いっぱいになっていくのが判る…。
身体中の細胞が沸騰しそう。
それぐらい、愛理があたしに溶け込んでいく。

こんな往来の多い中、誰が見てるともしれないのに。
それでも触れずにはいられなかった。

680 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:23

これが人を好きになるってこと。
世界が、あたしたちだけのシナリオで動いて。
すべての人たちは色褪せる。

やっと気づいたそのことに、あたしは少し感動したんだ。
こんなにときめいて、心溶かして、色づいていく。

愛理を好きになった事、あたしは悔やまない。
これから別々の場所で歩くけど、この瞬間は何にも代えられない宝物だから。

681 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:23

「愛理…」
「ん」

唇が離れると、愛理は恥ずかしそうに頬を染めて、
それでも、はにかんであたしを見つめてくれたんだ。
たぶん、あたしも同じ顔だと思う。
ドキドキする胸が…、緩んでいく頬が、その証拠。

「あたしも…これ」
「え?」

きゅっと、右手の薬指から輝きを外し、そっと両手で大切に差し出される。
手のひらに乗ったそれは、翼を象った綺麗なプラチナリング。
あたしでもわかるぐらい、それはちょっとした高価なもの。

682 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:23

「昔、お母さんと買ったの。ずっと私を見守ってくれてた」
「そんな大事なもの、ダメだよ」
「いいの。お母さんとの思い出はたくさんあるし、それに…」

そこで一度言葉を区切って、また愛理は目を伏せた。
頬を染めて、やっぱりちょっと熱い息をこぼして。
差し出したリングを両手で包み込むと胸元に閉じ込めて…。
まるで何かを祈るようなカタチ。

「舞美ちゃんに持ってて欲しい。忘れないで欲しいの、私のこと」

首をかしげるように見上げられれば、何もいえない。
潤んだ目が、じっとあたしだけを見つめているだけで
胸の奥が、かぁって熱くなってくるんだ。

もう、あたしの胸は高鳴りっぱなしで。
人がいなければ、腕の中に閉じ込めてしまいたいぐらい。
キスしておきながら言うもんじゃないけれど。
それぐらい、今の愛理は破滅的に可愛かった。

683 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:24

「あたりまえじゃん、忘れないよ絶対」
「ホント?」
「もちろん」

ゆっくり両手を開いて差し出されるリング。
ちょっと不安そうな色を残した愛理が、じっと見つめる中、
そっと、あたしは指先で愛理のカタチを受け取った。

ほっとしたのか、愛理は眉を少し下げて本当に嬉しそうに笑った。
あたしも、一緒に笑う。
こんな愛理を見つける事ができたことに。

これがきっと本当の愛理。
柔らかい笑顔で、心ほどいて、嬉しい事を嬉しいといって。

それを伝える一番の人に、あたしを選んでくれた。
だから、あたしは、ただそれに応えよう。
まっすぐに、変わらずに。

684 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:24

「あ…」

愛理が視線を電光掲示板に向ける。
追いかけて気づく。
あたしたちのタイムリミット。

「行かなきゃ、だね」
「うん」

さっきとは別の意味で、眉が下がる愛理。
その姿も愛しく思ってしまう。
そうやってくれるのは、あたしのこと、想ってくれてるからだよね?って。
離れたくないから、なんだよね?なんて。
うぬぼれでもいい。
そう思っていたいんだ。

685 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:24

「いつか、逢いにいくから、ぜったい」
「舞美ちゃん……。うん…、うん、待ってる」

驚いたみたいに一度あたしを見て。
でも、真剣な色を見て取った愛理は、小さく笑った。

そうだよ?
絶対に逢いに行くよ?
だって、これでさよならなんて、らしくないじゃん。

あたしたちには時間がたくさんある。
大切に積み重ねていける時間が。
だから難しい事は考えないでさ。

「また、逢お?」
「…うん」

頷くと同時に愛理は荷物を持ち、ゲートへと向かい始める。
その背中は、ほんの少しの寂しさと不安をにじませて。

686 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:24

でも、あの背中。
初めて逢ったときのあの背中だ。
振り返らない。
前を向いて歩いていく、その背中。

ちょっとでも揺らいでしまうものなら、今ここで抱きしめてしまえたのに。
まっすぐ。
どこまでもまっすぐに歩き出すんだ。

だから、あたしは。

「愛理…! 負けんな!」

背中を押してやるしか出来ない。
きっと、それ以上は愛理も望まない。

687 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:25

「うん、大丈夫」

振り返らない。
その理由は、もうわかってる。
あたしも…、あたしもだから。

滲んでいく視界。
震える唇。

「愛理!」

ゲートをくぐり、エスカレーターを下ろうとしたところでもう一度名前を呼ぶ。

ためらう背中は。
最後に、と。
本当の愛理をさらけ出し。

688 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:25

「舞美ちゃん…!」

くしゃくしゃの笑顔で振り返った。
鼻の頭を真っ赤にして、眉だって下げて。
ぽろぽろと涙で頬をぬらして。

そして。

「大好きだよ」

伝えてくれた。
あたしを強くしてくれる、魔法の言葉を。
最後の最後に、欲しかった言葉を。

689 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:26

さぁ。
あたしも。
いえなかった本当の気持ちを。

子供でいいじゃないか。
大人みたいにかっこ良く気持ちを隠してさよならなんて
そんなの出来なくていいじゃないか。

かっこ悪くたって、それが『あたし』なんだから。
もう、自分の心を縛るなんて、それこそできない。

「あたしも…」

ほら、ちゃんと。

「あたしも大好きだよ…!」

…………言えた。

やっと。

苦しかった胸のうち。
それをちゃんと愛理に。

690 名前:time to color 投稿日:2008/03/11(火) 21:26

ぐわっと熱い涙がこみ上げてくる。
でも、必死に袖でぬぐって顔をあげる。

愛理がいるから。
まだ、そこにいるから。

ステップに足を踏み出して消えていこうとする姿。
でも、ずっとこっちを見てる。
まるであたしの姿を瞼に焼き付けるように。

そして…最後に笑顔をのせて…


―――― 旅立っていったんだ。


691 名前:tsukise 投稿日:2008/03/11(火) 21:27
>>655-690
今回更新はここまでです。
大量更新で申し訳ない限りで(汗
次回Upでラストとなります(平伏

>>652 名無しさん
いつもレスを頂きましてありがとうございます(平伏
不器用な二人の姿、きっとこれからもそうでしょうが
どうぞ、見守ってくだされば幸いです(平伏

>>653 名無飼育さん
そうですね…二人があまりにも不器用すぎて
書いている方も苦しい気持ちになってしまいます、はい(ニガ
また続けて見守ってくださればありがたい限りです。

>>654 名無飼育さん
二人の想い、不器用ながらもゆっくり近づくカタチですが
どうそ、見守ってあげてくださいませ(平伏

692 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/11(火) 21:53
大量更新嬉しいです!
いやー素敵なシーンですね。
二人の顔が浮かんできます。
693 名前:38k 投稿日:2008/03/11(火) 21:54
初めまして。実は最初からロムっていましたが…次回で最後ですか…この物語が好きなので残念です(´・ω・`)
不器用だからこそ二人の関係がもどかしかったんですがなんとかまとまったようで良かったです
次回も楽しみに待っています!!
694 名前:シュン 投稿日:2008/03/12(水) 00:44
更新お疲れ様です。
お互いの気持ちがつながった上での別れは、未来に希望が持てるような気がします。
まわりなんか気にしていられないほどの恋をしたくなりました。
695 名前:名無し 投稿日:2008/03/12(水) 04:41
お疲れ様です!
良かったです〜!!舞美…頑張りましたね…。
このスレが大好きなので終わるのが残念ですが、
作者様に最後までお供させていただきます!
696 名前:tsukise 投稿日:2008/03/12(水) 21:39

今回ラストアップということで、
作者のネタバレを避けるために
皆様へのレスを最初にさせて頂きます。
ご理解くだされば幸いです。

>>692 名無飼育さん
嬉しいレスをありがとうございます(平伏
二人を思い浮かべながら読んでくださるのは
作者冥利につきるものです。
どうぞ、最後もお付き合いくだされば幸いです。

>>693 38kさん
物語の最初からお付き合いくださっていたということで
嬉しく思います、ありがとうございます(平伏
不器用ながらもゆっくり進んでいく二人のラスト
見守って頂ければ幸いです(平伏

>>694 シュンさん
嬉しいご感想をありがとうございます(平伏
二人の繋がった気持ちが、希望の持てる方へゆくと本当によいですよね。
こんな二人のまっすぐな恋愛の結末にもまたお付き合いくだされば幸いです。

>>695 名無しさん
嬉しいレスをありがとうございます(平伏
矢島さん、そうですね。まっすぐな彼女の頑張りのおかげですね。
彼女たちの最後の姿、どうぞお付き合いくださいませ(平伏
697 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:40


――――― 季節は巡って、空高く肥ゆる秋。


その日の目覚めは、…清々しいものだった。
いつもの朝が、まったく違う色をして、あたしを起こしてくれて。

それは……、今、手の中にあるエアメールが昨日届いていたから。
愛理からの、初めての手紙が。


698 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:40





「舞美ー、時間よー」
「あ、はーい!」

お母さんの声にそっと封を切ったエアメールをカバンに押し込むと、家を飛び出す。
秋の風をそっと忍ばせた空気の中へ。
文面はもう、飽きるぐらい読んだから頭の中に入ってるんだ。

699 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:41


――― 『お元気ですか?私は、ようやく生活も落ち着き毎日楽しく過ごしています』


えりとの待ち合わせは校門前。

「おはよー、舞美」
「えり、おはよ」
「今日、現国の小テストがあるって」
「え、マジで!?」
「稲葉先生が言ってた」
「えー、どうしよ」
「…でも嘘なんだよっ」
「どっちよ!」
「だって稲葉先生の言う事だもん、話半分で聞かなきゃ」
「またー、そんなこといってー」
「あはっ」

いつもの変わらない笑顔であたしを迎えてくれる。
季節が変わっても。

700 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:41


――― 『お父さんとは手紙でしか会えないけれど、大丈夫そう』


授業中に、うとうとしてしまうことが多いあたしは、
いつだってタイミング悪く先生に見つかって。

「矢島」
「うわぁ、はいぃぃっ!ごちそうさまですぅっ!」
「バカ舞美…」

背後でうなだれるえりにマズったって思いながら、

「そうか、先生の授業は食べ終わったか。
じゃあ、しばらくそこで立ってろ」
「すみません〜〜〜っ」

こうやって立たされたり、まるでコメディな日を過ごしたり。
愛理が見たらお笑いだよね、ほんと。

701 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:41


―――『少しずつ、少しずつだけど、私の周りはあわただしくなっていて』


放課後の部活では、またレギュラーを目指して邁進する日々。
心臓破りの坂を駆け上がっては、グラウンドを走り回る。
走り込みだって、みんなよりたくさん本数をこなして、
毎日を精一杯生きてる。

「舞美、オーバーペース」
「いいの、がんばりたいの、今日は」
「なんでまた」
「今日は、いいことあったから」
「舞美のいいことねぇ…、お弁当のおかずに好きなのが出たとか?」
「ちがーう。がんばってるって、書いてあったの」
「はぁ?」
「いいから、えり、ほら、タイム計って」
「しょうがないなぁ…。栞菜が待ってるのに」
「ごめんね、あと一本だけだから」
「はいはい」

なんとなくだけど、あたしの周りも、ほんの少しだけ…変わりつつあるみたい。

702 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:42


―――『ちょっとだけ弱気になったりするけれど』


「あいたっ」
「ほらぁ、まだ足が完全じゃないんだからぁ」
「ううん、大丈夫。このぐらいがいいリハビリだよ」
「はぁ…舞美って言い出したら聞かないんだから…」

気持ちは強く持っていたい。
どんなときも。
それがあたしだし…


703 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:42



―――『舞美ちゃんがくれた輝きが、いつもがんばる勇気をくれます』



そんなあたしを必要としてくれる声がするから。



704 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:42


―――『伝えたいこと、たくさんあるのですが、どうしてかな、
     なかなか上手く書けません。だから、一言だけ』


「スパーーーー!」

えりの声に一瞬の力をこめる。
ラストのキレを、この場所で。

全身のバネが収縮しては、跳ねる。

そして…――――― ゴールへ。


705 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:43



―――『舞美ちゃんに、今すぐにでも逢いたいです』



…………、

文面を見た瞬間、あたしもだよ…なんて呟いたっけ。



706 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:43




―――『お手紙、また書きます。
     体に気をつけて過ごしてください。    愛理』




707 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:43





いつものように見上げれば、広がっている青い空。


この空の向こう側で、愛理はがんばってる。
毎日を精一杯生きてる。
だからあたしも…精一杯、あたしの道を走るんだ。

「………そら、きれー」

………ふと思い出されたのは、
小さく、でもしっかりした字で書かれた追伸。


708 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:43






――― 『P.S 来年の春になったらそちらに帰ります』






709 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:44

…春なんて、あっという間だね。
きっと、一季が目まぐるしく変わっていったから。

めぐる季節の中、愛理と出会って、
笑って、怒って、泣いて、そして…別れて。
それだけでも、昨日の事のように思い出せるもん。

だから、冬を越すなんて一瞬だよ。

その頃には、愛理はどんな成長をしているんだろう?
身長とか抜かされてしまってたりして?
声とか、ぐんと大人っぽく変わっているかもしれない。
髪だって、そのまま伸ばされていたらあたしに追いついちゃうかも?

710 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:44

でもさ、変わらないだろうって思えるもの、あたし知ってる。

それは、あのまっすぐな眼差し。
まっすぐな背中。
そして、…まっすぐな心。

それだけは、絶対に変わったりしないんだって断言できる。
芯の強い愛理だからこそ、絶対に。

711 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:45



――― 『また逢いましょう』


瞼を閉じれば、桜の季節に歩く制服姿が見える。
それはとてもリアルに。

突き抜けるような紺碧の空の手前に、さくら色。
穏やかな風の中、きっと、笑顔でやってくる。

そして、あたしも、笑顔を向ける。
未来につながっていくだろう笑顔を。

712 名前:Epilogue −The first letter− 投稿日:2008/03/12(水) 21:45

「待ってるよ、愛理」

つぶやいて、もう一度空を見つめる。
瑠璃色に輝く空を。


…その、どこまでも澄み渡った空の向こう側に、この声が届く気がした。


ずっとずっと遠くまで。





――――― END

713 名前:tsukise 投稿日:2008/03/12(水) 21:45

>>697-712
今回更新はここまでです。
と、同時に『TIME TO COLOR』完結でございます。

またどこかで連載を始めることがありましたら、
フラリと立ち寄って読んでくだされば幸いです。

お付き合いくださいました皆様、ありがとうございました。

714 名前:38k 投稿日:2008/03/12(水) 22:58
お疲れ様です!!その後の話を読んでみたい気もする気が早い読者ですが…
またどこかで書いてくださる日を心待ちしています。
715 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/12(水) 23:13
読んでて胸があったかくなった
この話に出会えて良かった
作者さん、ありがとう!
716 名前:シュン 投稿日:2008/03/13(木) 01:05
更新お疲れ様です。
そして完結おめでとうございます。
どんなに遠くにいても同じ空を見ていれば頑張れる・・
そう思える恋の力は偉大です。
二人の成長を見続けてきて心が切なく、そして温かくもなりました。
次回作も楽しみに待ってます。
ありがとうございました。
717 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/03/13(木) 01:24
いつまでも応援したくなる二人ですね。
またいつかほんの少しでも二人のその後が聞けたらなと思います。
再会したときの喜びとか。できればこの温かな二人の話をもっと見たいです。
作者さん、更新お疲れ様でした。
そして、素敵な恋の物語、ありがとうございました。
718 名前:名無し 投稿日:2008/03/13(木) 04:58
脱稿お疲れ様です!
未来の2人が幸せになりそうな終わり方で
清々しい気持ちになれました…。
また続きがあるなら読みたい作品です。
次回作でも素敵なものが見れるのを楽しみにしてます。
ありがとうございました。
719 名前:tsukise 投稿日:2008/04/12(土) 11:21
頂きましたご感想、大変ありがたく思います。

>>714 38kさん
二人のお話を見守って頂きありがとありがとうございました。
その後の二人、きっと今と同じく思いあって進んでいくことでしょう。
またどちらかで見かけられましたら、お付き合いくだされば幸いです。

>>715 名無飼育さん
出会えてよかった、というご感想、作者として
大変嬉しいものでございます、ありがとうございます。
こちらこそ、お話にお付き合いくださいまして感謝しております。

>>716 シュンさん
完結に嬉しいご感想をありがとうございます。
二人の不器用ながらもまっすぐ進んでいく恋のカタチを、
ずっと見守ってくださいまして、作者として嬉しい限りです。
次回作、またお暇つぶしな感覚でお付き合い下されば幸いです。

>>717 名無飼育さん
二人の苦しくも頑張り通した恋の姿に嬉しいご感想を頂きまして
ありがとうございます。その後の二人の姿、きっと再会しても
前向きに進んでいくことでしょうね。どうぞ、また見かけましたらば
そっと見守ってくだされば幸いです。

>>718 名無しさん
連載当初よりお付き合いいただきましてありがとうございました。
未来の二人の姿、そうですね、きっとひたむきに邁進していく
ことかと思います。どうぞ、また二人の姿を見かけましたときには
まったりとお付き合いくだされば幸いです。


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