プリンセスはお年ごろ!? 〜シャイネリア王国継世騒動顛末期〜
1 名前:さるぶん 投稿日:2009/07/03(金) 22:59
Milky Wayのお話です。

 【仕様】
  ・エロありです。
  ・おはスタでの3人をイメージしてお読みください。
  ・異世界ファンタジーです。
  ・ミステリも入ってます。
  ・Buono!も出ます。

よろしかったらどうぞ。
2 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:00
 
3 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:00



 夢をみた

 俺は少年で、仲間と連れ立って、草むらを歩いている

 めざすは村外れの森

 そこへ入ることは大人たちから禁じられているが、タブーをやぶる
興奮に誰もがわれを忘れている

――みろよ!

 小さく、さけぶやつがいる

 俺たちは茂みと木立に分かれて身を潜めながら、獣道をゆく一団を
やりすごす

 籠を持つ女性、水を蒔く女性、馬を引く女性、ほかにも幾人かの女性
が歩いていて、馬の上に、ひときわ美しい女性がいる

――姫様だ

 この森は彼女の保養地となっていて、ときおり訪れては侍女との行楽
を楽しんでいると、俺は知っている

 また、それが嘘だということも
4 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:00
 お忍びの行楽とは、建前にすぎず、その実、そんなことは名ばかりの、
ただの逢瀬なのだと

 隣国の王子と、姫は密会している

 父王に、それは反対されてまでのことである

 支度のためにだけ呼ばれた侍女が用を済ませると、姫は、待ちわび
たように体を重ねていて、俺たちは、それを盗み見てやろうとしている

 誰かが、ひとり股間をまさぐりはじめるが、姫の一行はゆっくりとした
動きで進んでいく

――距離を詰めすぎるな、感づかれる

 俺たちは十分に注意して進むが、目的を忘れ、一時の快楽に逃げ
込んだ仲間が、1人、また1人と脱落していく

 ふと、ふり返ると、少年たちが下半身をむき出しにした状態で倒れて
いて、それが点々と続いている

 仲間が半分にまで減るころ、獣道が、少し開けたところに出る

 逢瀬のためだけに建てられたという小屋があるはずの場所だが、刈り
揃えられたような芝生が、ただ広がっているだけ

 侍女たちは真ん中あたりになにか敷くと、姫を馬から降ろし、その服を
一枚、また一枚と、剥いでいく

――だめだ、たまんねぇ…
5 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:01
 露になっていく姫の肌に、半分だった仲間は、またぞろ減っていく

 最後の一枚になるころ、残っているのは俺だけで、穿き物の前が、
はちきれそうに膨れている

 姫の肌がすべて晒されると、ついぞそれは破け去って、年には見合
わない大きさの性器が飛び出してくる

 俺は姫様の体を目に焼き付けながら、股間へ懸命に手を伸ばすが、
どうやってもなにも感じない

 苦しくなって、その場に倒れ込むと、痛いくらいに屹立したそれが
射精してもいないのに跳ね回る

 俺は楽になりたくて懸命に腰を振るが、中空へと挿入されるそれは
乾いた音を立てて腹へ打ち付けられるばかり

 その音を聞きながら、俺は姫様へ向かって這い出していく…
 
 
 
6 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:01



「プリンセスはお年ごろ!? 〜シャイネリア王国継世騒動顛末期〜」
 
 
7 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:01



 へんな夢だった。

 布団から起き上がると、オレは眠い目をこすりながら、制服に袖を通
した。

 大あくびした口へ、ベタに食パンなんぞはさんで家を出ると、遅刻ギリ
ギリで教室へと滑り込む。

 仲間も時間割りも、これといって変わったようすなどなかったが、1つ
だけいつもとちがうことがあった。

 朝からずっと、前かがみだったのだ。

――お年ごろか?

 なんて友人にからかわれていたから、余計にオレは授業中も休み
時間も夢のことが頭から離れなかった。

 彼らとはとりあえず何でも話し合える仲だったから、夢の内容を聞か
せてみた。

 すると、

――ずいぶん凝った夢だな。きっと溜まってんだよ。…まAVでも借り
て帰れ、な?
8 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:02
 なんて軽く言われてしまう。

 季節は冬。

 盛んな年頃のガキが詰め込まれた学校の教室は、いっそ蒸し暑いぐ
らいだったが、さすがに下校となると話はべつで、半ズボンの小学生じ
ゃあるまいし、身がすくむのが当然だった。

 だがオレはマフラーを巻くまでもなく、股間から熱を発し続けていたか
ら、とても暖かかった。

 いっそ風邪かと思うが、頭は正常で、せきも鼻水もない。

 いまのオレにできることといったら、精々が、まわりにバレないように
ズボンのポケットを持って、パタパタと熱を逃がすことぐらいだった。

 家に帰ると、メールが入る。

 それは両親からで、今日は遅いから、なにか買って食べてくれとの
こと。

 友人に言われたものの、さすがにビデオ屋には寄らず、オレはまっす
ぐ帰ってきたわけだが、こうなれば、いっそ大音量でAVでも見てやるか
なんてことを思い、ビデオラックの奥からDVDを引っぱりだす。

 だが、プレイヤーへディスクを落として臨戦態勢に入ってみても、どう
にも気分が乗ってこない。

 普段とはちがった刺激が必要なのかとも思い、一体だけ持っていた
”鍋島ぽろり”の美少女フィギュアを机に立ててみるが、ぶっかけなん
てもの、やってみたことすらない。
9 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:02
 なにをしても一向に収まらず、いつまでも、あのイメージが頭から消え
ていかない。

 もう、ふて寝するしかない。

 そう思い制服のまま布団へ飛び込んだが、仕事で遅い両親のことを
思い出し、先に風呂掃除をしておかなければと思った。

 作業を終え、お湯をつくっていると、急に入りたくなってくる。

 いつものように水を張って、後から焚くという手順にしようと思ったが、
すぐに入りたくて、蛇口から直接、お湯を出すことにした。

 シャワーでかけ湯をし、また数センチしか溜まっていない湯船に飛び
込むと、あれこれエロいことを考えたり、あるいは、それを頭から追い出
したりして、我ながらフシダラなのかストイックなのか、よくわからない
境地に達していた。

 だんだん湯けむりで前が見えなくなってくる。

 湯船は深くなり、体が軽くなると、こんどはまぶたが重くなってきた。

 胸の辺りまで湯に浸かったあたりで、およそ閉じかけていた視界は
すべて消えていた。
 
 
 
10 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:02
 
11 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:02



――!!

 どこかから落ちたような感じがして、目を覚ました。

 音という音が聞こえず、頭のてっぺんからつま先まで、みょうに熱い。

 天地さえ怪しくなって、必死でもがいていると、何かへりのようなとこ
ろへ掴まることができた。

 体を安定させようと、腕に力を入れると、頭からすっと冷えるような感
じがある。

 力をかけ続けていくと、いっきに腰のあたりまで冷えて、耳から温か
いものが抜けていく感じがした。

 視界もだんだんと確保されてきているはずだったが、あたりは真っ白
でなにも見えない。

 まるで霧がかかったような――と、そこまで考えて、思い出した。

 風呂に入っていて、そのまま寝てしまったのだ。

 あたりが真っ白なのも、充満した湯気のせいで、お湯を出しっぱなし
にしていたためなのだ。つまり――。

 ここは風呂場だ。
12 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:03
 そう考えると生きた心地がして、ようやく自分が蒸せていることに気
づく。

 頭まで浸かって、お湯を飲んだせいにちがいなかった。

「――だれ!?」

 女の声がした。

 気管から異物を吐き出そうと、必死になりながら振り向くと、湯気に
は人影らしきものが浮かび上がっている。

 母が帰ってきたのかと思うが、声が若すぎた。

「あ、わかった!……もう、いつのまに入ってきてたの?」

 甘えたような声になって、影が近づいてくる。

「…ねぇ、どこにいるの? なにも見えないよ」

 声は、お湯の温度が高すぎるとか、蒸せるのはそのせいだかといっ
て非難しつつ、その手を伸ばしてきた。

――コハルさま?

 指先が鼻を掠めようかというところで、べつの声がする。

 洗面所からと思われた。
13 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:03
「…ん?」

 指は引っ込み、人影が視界の端へ移動すると、なにかが引かれた。

 空気の移動する感じがあって、あたりから急激に熱と煙が奪われて
いく。

 ドアが開いたのだろう。

「キッカ?」

――はい、コハルさま。いまお呼びになられましたですが、なにかご用
ですか?

「…ううん。大丈夫だけど」

 コハルと呼ばれた人影は、じゃあ、中にいるのはだれ?といって、こち
らをふり向いた。

 そう。

 あたりの湯気は、ふり向いたことを――つまり相手の目鼻立ちが確認
できる程にまで減っていた。

 温かい空気は上に、冷たい空気は下に溜まる――なんて理科の実験
を思い出すまでもなく、人影のヴェールが、いままさに足元から暴かれ
ようとしていた。
14 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:03
 軽く内股になった足、きれいなヒザ小僧、すらっと伸びた太もも、その
どれもが白く透き通っていた。

 それの白さは、湯気のせいなんかじゃない。

 だって声の主が両手で懸命に空気をかき混ぜているから、湯気は
従うべき法則など忘れて、上から下から、みんな飛んでしまっていたの
だ。

 オレは思わず、蒸せることを忘れていた。

 か細い身ごろの真ん中に、わずかな膨らみがあって、その頂上には、
ピンク色のつぼみが2つ。

「…Aカップ?」

 オレはおもわず呟くと、折り曲げた腰を伸ばし、鎖骨、首筋、そして
顎、口唇とたどっていき、最後に2つの黒い点を見た。

 すこし垂れた、大きな目だった。

「えぇ…かっぷ?」

 人影――いや、素っ裸の少女は、オウム返しにそう言うと、おそらく、
いままさに晴れたばかりの視界の中、その黒目を上下へと動かした。

「…いっ!」
15 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:04
 動きが一点で止まる。

 オレはそこにあるものを見て、風呂に入っていたのだと確信した。

 ”アレ”がむき出しになっていたのだ。

「…ぃや」

「…はい?」

「…ぁっ!」

 局部のお見合いパーティが開かれた。

 少女は内股になると、左手で胸を隠して、さけんだ。

「いやぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!!」

 右手を振りかぶった少女が、風を切ってそれを振り下ろすと、オレは
フルスイングのビンタに意識を飛ばされながら、沈みゆく湯船の熱さを
またぞろ感じていた。
 
 
 
16 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:04
 
17 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:04



「――きろ!起きろったら!」

 頭に怒声がひびく。

 オレは目覚めて起き上がると、すぐに自分のアゴを探した。

 あの一撃で、ぜったいに外れたと思ったのだ。

「…ぁぉ、おれのぁぉはろこら?」

「なにを言ってる!気でも狂ったか!」

 声のするほうを見ると、今度は湯気もなく、すぐに確認ができた。

 青い髪の少女が、高いところから、ものすごい形相でこちらを睨んで
いたのだ。

「おまえ、一体何者だ!どうしてあんなところにいた!」

 いきなり胸倉をつかまれる。

 そのまま怪力で体ごと持っていかれて……と思ったら、するりと布だ
け剥がれていく。

「…ふえっ!?」
18 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:04
 少女は手にした布と、何も纏っていないオレの体とを交互に見て、ま
さかといった顔をする。

「く、くくく、くせものーーーっ!!」

 布を放り投げた。

 それで顔をふさがれたオレは、続けざまに、回し蹴りと思われる強打
を顔面で受け止めた。

「――うぶすっ!」

 吹っ飛びながら、今度は、首ごとなくなったかと思う。

「ど、どうしたですぅ!?」

 オレはベッドからずり落ちながら顔を上げると、栗色の髪の少女が息
を切らせて立っていた。

 声からして、さっきのうちの1人だろう。

「…トロ子!? な、なんでもないんだ」

 青い髪の少女は、顔を真っ赤にしている。

「そうですか。サーヤが悲鳴を上げるなんて、とんだ一大事だと思い、
あわててきたですぅ」

「…す、すまないな」
19 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:04
 オレはその隙に、息も絶え絶え、布を巻きつけた。

「こっちからも質問がある。お前らは、誰なんだ。一体ここは……どこな
んだよ」

 見ると、レンガのような、あるいは掘り出した岩を成形したような素材
で造られた壁に三方を囲まれていた。

 残る一方には鉄格子がハマっていて、中世のお城の――そう、まる
で地下牢のようだった。

「おまえこそ、ウチの質問に答えろ!」

 サーヤと呼ばれた少女が間合いを詰め、腰に下げていた剣を抜き取
った。

 避ける間もなく、それを鼻先へ突きつけられる。

「やめるですぅ、相手は丸腰なのですっ!」

「…あぁ、たしかに丸腰だな。素っ裸にされて、まったく酷いもんだぜ」

 オレは実際のところ、ガタガタと歯の根が震えていたが、やれやれ…
と強がってみせた。

「それは初めから――つまり、あたなが裸なのは、ずっとそうだったか
らですぅ」

「そうだぞ!お前は、いきなり素っ裸であらわれて…。よりにもよって
姫様のにゅ…にゅにゅ入浴中に!」
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:05
 顔を赤くして、またも剣を振り回す。

「…でも、この方は武器もなにも持っていない。おまけに、魔法使いと
いったふうにも感じられないですぅ」

 …魔法使い? は?

「だから敵さんとも思えなかったですし、儀式の最中でしたから、殺さな
いでおいたですぅ」

「しかしだなぁ…」

「おいおい…殺すって、なんだよ!よくわからないが、不法侵入ってなら
警察とか、もっと他にいろいろあるだろ。しかも、姫様に儀式って――」

 一体…なんの話だ?

 オレは2人についていけず、こいつら、頭がおかしいのではないかと
思いはじめていた。

「とりあえず、ここへ連れてきて、ベッドに寝かせて、そのまま小一時間
ほど考えたですけど、やはり殿方の裸とあっては、人目に晒しておくわ
けにはいかないと、そう思ったですぅ」

 それで、とりあえず布を巻きつけた、と。

 …って、じゃあなにか? オレはこのメガネっ子に、小一時間も裸を見
られてたってわけか?
21 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:05
 オレは思わず、布をたぐり寄せた。

「じゃあ、どうする。殺さないなら、裁判にでも掛けるか?元老院がごっ
そりいなくなってるいま、その権利があるのはウチとおまえ、それから
姫様ぐらいだぞ」

「そうなるかもです。…とにかく、姫さまは、いまお召し物の真っ最中。
話はそのあとです」

 そういって、オレは立たされ、そのままの格好で連れ出された。

「…おい、なんだよ。オレは何をされるんだ」

「あなたは、本当になにもわかってないみたいです。とにかく、来れば
わかるですぅ」

 廊下をしばらく歩くと、やたらとデカい、重々しい扉が現れた。

 中へ入ると、抜けるような天井の大きな部屋に、赤絨毯の道があっ
て、扉とその先にある一段高いところの玉座とをつないでいた。

 オレは裸足だったので、絨毯の上を歩こうとするが、

「おまえはこっちだ!」

 とサーヤに腕を引かれる。

 あくまで捕虜扱いなんだからな!――と。

 部屋の隅にひざまずかされ、そのまま待たされる。
22 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:05
 オレたち3人しか部屋にはおらず、なにが始まるのかと思っている
と、居住まいを正して、サーヤがさけんだ。

「姫様のおなーりー!」

 それに合わせて、絨毯の反対側にいたキッカが、ひょいと片手を持ち
上げる。

 すると、それが合図だったのか、さっきオレたちが入ってきた巨大な
扉が、またぞろ音を立てて開いた。

(…おい、頭が高いぞ)

 そういって小突かれるが、扉からは、誰も入ってこない。

「…はて?」

 キッカが台座の方をふり向く。

 すると、わきに掛かった、絨毯と同じ色、同じ素材で、大きくドレープ
したカーテンの袖から、ひょっこり少女があらわれた。

「こーんにちわー!」

 湯気の中で見た、あの少女だった。

 こんどはちゃんと桃色の同系色をいくつか白地にあしらった、豪華な
ドレスを着ている。

 少女は、るんるんとスキップして近づくと、玉座にちょこんと腰掛けた。
23 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:06
「…姫さま!」

 キッカが台座を登った。

(…段取りどおりやってくれないと、困るですぅ)

 小声だったが、ホールの音響がよすぎて、こちらへ丸聞こえだった。

 2人が えー!とか、忘れちゃったよ!とか、いつまでもやっていて、
サーヤはイライラした様子でオレのほうを見たあと、軽く舌打ちして
台座をかけ上る。

 しばらく3人でごちゃごちゃやって、ようやく落ち着いた。

 玉座の左側にキッカ、姫様と呼ばれた少女はそのままで、サーヤが
姫様のまん前のすこし離れた場所へオレを連れていった。

 そして玉座の少女は、威厳たっぷりに胸を張り、アゴを持ち上げて言
った。

「わが名は、《クァーシュミ・クォ・ハル・ド・シャイネリア》。この輝かしき
三年王国 シャイネリアの王女である!」

 場内が、しーん…となった。

(…姫さま、三年ではなくて、千年ですぅ)

 またもや丸ぎこえだった。

「あ、そうだったっけ、エヘヘ…」
24 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:06
 横で、はぁ…と、サーヤがため息をつく。

 少女は舌を出し、ヘラヘラしていた。

「ク…ァゥ…スミ…コ…ゥ…ォ…ハル…?…それが?…名前!?」

 なん度か言い直したが、どうしても、まちがえてしまう。

 頭の中へカタカナでイメージすることならできるが、いざ口に出そうと
すると詰まってしまう。

「そうだよ、あたしの名前」

 そういって、少女は早口ことばのように何度も自分の名前をくり返し
ては得意げになった。

「…で、どこが名前なんだよ」

「名前は、名前だよ。だから、ぜんぶ」

「いや、そうじゃなくて…」

 答えたのは、キッカだった。

「”クァーシュミ”は”革命的な女性”の意味で、次期女王、あるいは
王妃だけがつけることを許された名、”シャイネリア”は、このあたりに
古くからあることばで”きらりと光るもの”を意味するですぅ。そして、
王女様のご尊名こそが”クォ”――なのですぅ」
25 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:06
「”クォ”が名前?…なんか変じゃないか?…じゃあ”ハル・ド”っての
は?」

「それも名前の一部ですが、正確には”長女”の意味ですぅ。…という
か、それは”ハル”の部分で、じっさい”ド”には意味がないのですぅ」

「つまり――”長女のクォ”だから”クォ・ハル”っていうのか…。変だな
ぁ…いや…じつに変だ…」

「えー?そうかなぁ」

 ”クォ・ハル”は口を尖らせた。

「そうだよ、うちの学校じゃイジられて大変だぜ、おまえ変な名前だな
って」

「…いじ…られ?」

「あぁ。呼びづらいし。…あだ名でもつけたくなる感じっていうか、まぁ、
とにかくお前の名前はヘン…」

「――オイ!」

 サーヤが怒鳴った。

「わが王女に向かって…無礼だぞ!」

 肩をふるわせて、またもや剣を抜き出した。

「サーヤ!」
26 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:06
「宮中での抜刀は控えるですぅ!」

 ”クォ・ハル”は立ち上がると、台座を一歩、駆け下りる。

「あぶないじゃん、やめなよ」

「…しかし!」

 サーヤは、胸に手を当てて答えた。

「おことばですが、王女、近頃は王室に対する民衆の風当たりも決し
てよいとはいえません。われわれとしては今まで以上の規律をもって
…」

 朗々と語るサーヤだが、いつものことなのか、”クォ・ハル”は途中
まではちゃんと聞いていたものの、あくびをして玉座へもどってしまう。

「だって、このひと敵じゃないんでしょ? なら楽しければそれでいいじゃ
ん。…ね?」

 ことば通り”クォ・ハル”はじつに楽しそうに言って、その場をお開きに
してまった。

 サーヤはオレを処刑するだなんだと息巻いていたが、聞き入れられ
ることはなかった。

 そして”クォ・ハル”はオレの出身地についての話を聞きたいとねだっ
たが、キッカから公務のあとにしてくださいといわれ、しょげていた。
27 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:07
 謁見室を出されると、また別の部屋へ通された。

 見知らぬ女がやって来て、身分について証すこと、いかにして風呂
に侵入したか説明することを求められ、オレは自分の知っていることを
話した。

 そして、また部屋を出されると、オレは再びあの牢獄のようなところ
へ戻されるのかと思ったが、さらにちがう部屋へ通された。

「姫が、おまえを国賓待遇であつかえとさ。…ったく、ウチは気に入ら
ないね!」

 そういうと、ベッドの上に衣服をおいて、サーヤは出て行こうとした。

「…ちょっと待ってくれ!本当に、ここはどこなんだよ」

「どこって――シャイネリアさ。おまえが どこから来たのかは知らない
けど、このあたりじゃ、いちばん大きな国だよ」

 そして、少し哀れむような目をして、こんどこそ出て行った。

 オレは1人残されて、途方に暮れる。

 部屋を見ると、先ほどのように四方がむき出しの壁といった具合で
はなくて、家財も一通り揃えられているようだった。

 ベッドも足が見えないようになっていて、きれいな真新しいシーツが
敷かれていた。

 だが、どう見ても、ニッポンじゃない。
28 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:07
 なにかのドッキリなのか?

 そう考えてみても、仕掛けられる意味がわからないし、仕掛けるやつ
らの見当もつかない、そもそも、こんなドッキリがあり得るのか。

 いまの3人にしたって、テレビじゃ見ない顔だったし、無名の役者
――しかも、中学生ぐらいのやつが芝居を打っているにしては巧すぎる。

 見ると、窓があって、あたりの景色を一望できた。

 右手には深々と緑をたたえた山々がその峰を連ね、左手には城下町
が存在していた。

 しかし、どこを見ても、車が走っていない。

 ひとはいるが、視力のいいオレでも、いわゆる意味での”洋服”なんて
見つけられなかった。

 これがハリウッド映画「トゥルーマンショー」のコスプレ(西洋時代劇)
版だとしたらどうか。

 こんな”見渡す限りセット”なんていう大仕掛け、ありえるだろうか。

 もしあったとして、じゃあ、なぜ、このオレに。

 タイムトリップについても考えたが、”シャイネリア王国”なんて名前、
ぜんぜん聞いたこともなく、歴史に疎い自分を憎んだが、ここが異世界
だとしたらどうか。

 なにかの拍子で、迷い込んでしまったとしたら。
29 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/03(金) 23:07
 しかし、映画同様、にわかには信じがたかった。

 言語の問題、人種の問題、そもそも、どうやって行き来するのかとい
った問題など、わからないことが多すぎたのだ。

 オレは頭がこんがらがってきた。

 ”国賓扱い”ということだから、肝心の生命の危機だけは、なんとか
回避できたようだ。

 そう考えると、安心感からか、眠気が襲ってきた。

 続きは、明日考えればいい。

 いまこそ、ふて寝するときだった。

 温かいベッドが、ありがたい。

 眠りしな、風呂場で見た”クォ・ハル”の裸が、ふと、まぶたの裏に浮
かんでは消えていった。
 
 
 
30 名前:さるぶん 投稿日:2009/07/03(金) 23:09
こちらの板では初めましてですね。
ほいくといい黒板といい、どうも辺境が好きみたいですw
更新は不定期ということでお願いします。
31 名前:みゃー017 投稿日:2009/07/06(月) 04:07
黒板へいらっしゃいませ!
・・・とは言え、私もこの板では初カキコだったりしますが;

ファンタジーにエロと言う僕の好きなジャンルと要素が交わる上、
私の好きなMilkyWayと言うことで期待しています♪
無理せず、御自分のペースで更新してください。
32 名前:さるぶん 投稿日:2009/07/10(金) 13:14



――翌日。

 ひと晩寝たせいか、夕べより、いくぶん頭が晴れていた。

 昨日入ってきた情報が、寝ているあいだに整理されたのだろう。

 夢とはそういうもので、だからポール・マッカートニーは寝ているあい
だにつくった曲を「イエスタデイ」なんて名づけたのだ。

 彼もその前の晩、ごちゃごちゃして、かつ理解に苦しむような情報を、
頭の中へむりやり詰め込まれたにちがいなかった。

 オレはポールに親しみを覚えつつ、ドアを開けた。

「じゃーん!」

 ”クォ・ハル”がいた。

「来ちゃった!」

 鼻と鼻がぶつかりそうな距離だったので、オレはあわてた。

「き、来ちゃった!じゃないよ、ポール…」

 …じゃなかった。
33 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:15
「コ…ゥォ…ハル…だっけ?…あれ?」

 うまく口に出せない。

「ちがうよ、”クォ・ハル”だよ」

「そう、そう…クゥォ…ハレ…ん?」

 ダメだ。

 どうしても舌がまわらない。

 オレは滑舌が悪かった記憶なんかないのだが、これは異世界へ来た
せいだろうか?

「…そんなに、あたしの名前ってヘンかな」

 ”クォ・ハル”は悲しそうな顔をしている。

 それを見て、オレはどうにかしなくてはと思い、ない頭をしぼって考え
た。

 ここがどこにせよ、長居するつもりなど毛頭なかったが、少なくとも、
しばらくはこいつらの世話にならなければいけないのかもしれない。

 「国賓扱い」なんて受けながら、同時に、「処刑」だ「裁判」だという物
騒なことばが飛び出すような環境である、敵対的な人物には見えず、
王女であるというこの少女とは交流を持っておいても損はなさそうだ。
34 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:15
 名前の呼びづらさについてだが、なにか別の、もっと呼びやすいもの
に変えてしまえばいいのではないかと思った。

「なぁ…代わりに”コハル”って呼ぶのはどうだ?」

「…コハル?」

「そう。”クォ・ハル”を言いやすくして”コハル”。オレの住んでいた国で
は”天気のいい穏やかな一日”っていう意味があるんだぜ」

 それに自分で口にしてみて思ったのだが、オレの耳にははじめから
そう聞こえていた気がする。

 どうだ?…と水を向けると、”コハル”は飛び跳ねた。

「いいなー、それ!それがいいよ!」

 そういって、タレ目で無邪気そうに笑う様子はとてもカワイかったのだ
が、いつまでも入り口で立ち話というわけにもいかず、オレは切り出した。

「一体、どうしたんだよ?」

「そう、そういえばね、キミが”ニッポン”っていうところから来たって聞い
て、そこのこと教えてもらいないなーと思って。入っていい?」

 昨日、取調べられたときの書類でも見たのだろうか、コハルは”ニッ
ポン”を知っていた。
35 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:15
「あぁ、いいよ」

 コハルを引き入れると、オレはどうしていいかわからなくなった。

 まるで、彼女を部屋に入れたみたいな気分になったからだ。

 しかし、ここはオレの家じゃないし、お茶も出せない……ってか、そも
そもコハルは彼女じゃない。

 まったく…自分が嫌になる。

 たった一度裸を見ただけで、もうコハルを彼女にした気になっていた
のだから。

「どこ行こうとしてたの?」

 コハルはベッドに腰掛けていた。

 これはつまり――いま入り口で鉢合わせしたのが、オレの出ていく
タイミングだったことを言っているのだ。

「知りたかったんだよ、自分がこれからどうなっちまうのか」

 オレは、コハルについての色々な疑問――つまり、知らない男に素っ
裸を見られておきながら、なんでもない様子でいること、それから本当の
本当に、そのナントカ王国ってのの姫さまなのかってこと。

 そういった諸々の事がらを、あれこれと問いただしたい気持ちで一杯
だったが、ものごとには順序ってものがあった。

「ふぅん…。なーんだ、そのことか。それなら、だいじょうぶだよ」
36 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:15
「なんで」

「なんとなく」

 コハルはあっけらかんと言った。

「いや、なんとなく……って、それじゃあ困るんだよ。そもそもの話、
おまえたちは誰なんだ。なぜ日本語をしゃべってる?」

 今朝、すっきりした頭で思ったことの一つが、これだった。

 コハルは不思議そうな顔をする。

「ニホン語?…”ニッポン”と似てる…つまりキミの国のことばなんだね。
ちがうよ、これはシャイナ語。いまキミもしゃべってる」

「は?…オレは日本語をしゃべってるし、おまえだって――」

 ちょっと待て。

 お互いが、どっちも自分の母国語を話していると思っている?――だ
としたら、ますます厄介なことになる。

 オレは考えごとをしたくて、ベッドに腰をおろした。

 これが作り事なのではなくて、本当に異世界――か、そのようなもの
だとしたとき、どちらか一方にことばが偏っているのなら、それは相手の
側なんじゃないのか。
37 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:16
 シャイナ語とかいうことばを話すシャイネリアという国、それがある世界
へやって来たのだから、オレもいっしょになってそれを話している、とか。

 そうではなく、これがもし現実なら、日本語を互いにしゃべっていて何
ら不思議はない。

 あなたは異世界へ来ましたよ――って設定の、大掛かりなドッキリっ
てことになるからだ。

 いや、まてよ、シャイナ語なんていうもの、ここが仮に異世界だったと
したところで、コハルが適当にでっち上げただけって可能性も……

 そこで思考が中断した。

 ベッドのきしみを感じて、ふり向くと、すぐ隣にコハルがいた。

「…ねぇ」

 こちらへ身を寄せている。

「…”Aカップ?”って聞いたでしょ」

「は?…ど、どうした」

 たしかに、つい昨日、言っちまったが…聞こえてたのかよ。

 コハルは吐息交じりに言った。
38 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:16
「…よくわからないけど、それって、おっぱいのことだよね」

「お、おっぱ…?」

「…コハル、小さいんだよね。知ってるもん。キッカとか、服の上からで
もわかるぐらい大きいのに…。ねぇ…ちっちゃいのってダメかな」

 そういって、コハルは自分の胸に手を当てた。

 うつむいて、パジャマなのだろう、暖かそうだが薄い生地の上から、
小さなふくらみを両手で包むようにしている。

「ダ、ダメっていうか…なんて…いうか…その…べつに…そんな小さか
ねーよ…」

 オレは、まるで金縛りにでもかかったようになっていて、口以外が動
かない。

「…じゃあ、おっきい…?」

 声がどんどん小さくなっていき、コハルは明らかに気に病んでいる
ようすだった。

 裸を見られても、なんでもない様子に思えたのは、ただの演技だった
のか。

 オレは、またもやコハルを傷つけてしまうようなことは避けたいと思っ
たが、とはいえ嘘も言いたくない。
39 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:16
「コハルのおっぱい…見たでしょ。どうだった?」

 オレは昨日のこと――風呂場で見た、コハルの胸のことを、はっきり
と思い出していた。

 小さいが、きれいな形のふくらみ。

 返答できずにいると、コハルは言う。

「…でもね、コハル、実際には見たことがないの」

「な、なにが…?」

「…ほかの女のひとの胸のことだよ。キッカは侍女もしてるから、よく
お風呂に入れてくれるんだけど、コハルだけ裸で、キッカはいっつも服
を着たままなんだ。おかしいと思わない?」

「そ、そういうものなんじゃねーの?」

 ”この国では”、あるいは”この世界では”という意味だったが、テンパ
ってうまくことばにならない。

「キッカ以外のも、見たことないのかよ」

 言いながら目をやると、コハルは背筋を伸ばしていて、心なしかオレ
は身動きが楽になったような気がする。

「うん。だって、おかあさんはコハルが生まれたとき、もういなかったし」

――そうなのか。

「ごめん、なんか余計なこと聞いちゃったな…」
40 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:17
「なんで?」

「なんでって…、ふつう死んだ母さんの話なんてしたら、感傷に浸っち
まうっていうか、思い出したくない過去とか、思い出しちまうっつーか…」

「そっか…コハルのこと心配してくれてたんだね。ありがと。でも、ぜん
ぜん平気だよ。だって、コハル、おかあさんのこと、もっと知りたいし話
したいのに、誰に聞いても、ぜんぜん答えてくれないの。お城にいる
ひと、みーんなに聞いたんだから」

 たしかに、コハルはあまり感傷に浸っているとはいえそうになかった。

 我ながらヘタレだな…と思いつつ、こちらで話を膨らませていくことに
する。

「城には女のひと、ほかにいないのか」

「いるよ。たとえば、サーヤとか」

「ん、サーヤ? そう、あの子!――なんなんだよ、あいつ」

 さんざん暴行を受けたことを、オレは思い出していた。

「サーヤは、あたしの親衛隊のリーダーなんだ」

「強いのか?」

「うん。…でも、男のひとには勝てないかな」

「じゃあ、なんで男が隊長をやらないんだ?」
41 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:17
「…そういえば、なんでだろ」

 オレはふき出した。

「おまえ、王女のくせに、なんにも知らねーのな」

「あー、またバカにした!」

「またって、なにが」

「…Aカップ」

「あぁ…それか。だって、小さいのは事実だ…」

 言ってしまってから、気づいた。

「…やっぱり、小さかったんだ」

 コハルは、うつむいてしまう。

 そして、今度はしなだれかかってきて、オレは、また魔法にでもかか
ったように身動きが取れなくなる。

「…おっぱい、おっきい子のほうが好き?…キッカのこと…好きなっちゃ
うかな?…それとも…あたしじゃサーヤにも勝てない?」

 オレのふとももに手を置いて、コハルは体重をかけてきた。

 肩と肩がぶつかり、キスしそうな距離まで顔が近づいて……
42 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:17
――ドンドンドンドン!

(姫さまっ!いるですか?)

 大きな音でノックされた。

 コハルはトローンとした目を見開くと、身を引いた。

「…ご、ごめんなさいっ、あたし!」

 キッカが入ってくる。

「やっぱり、ここにいたですかっ!さがしましたですっ!」

 息が上がっていた。

 ここまで走ってきたようだった。

「キッカ…」

「姫さま、朝の沐浴の時間は、とっくに過ぎてるですっ!勝手にいなく
ならないでくださいですっ!」

 口調がややきびしめで、そのせいか、コハルはうつむいたまま顔を
上げようとしない。

「…まぁ、まぁ、風呂に入らなかったぐらいで、そう怒らなくても」
43 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/10(金) 13:18
 昨日と今日で立場が逆転していたが、コハルの手前、オレは明るく
ふるまってみせた。

「ダメなものは、ダメなんですっ!ほら、いきますですっ!」

 そういうと、コハルの手を引いて、出て行ってしまった。

 1人残されたオレは、ただ呆然としていた。
 
 
 
44 名前:さるぶん 投稿日:2009/07/10(金) 13:30
更新です

小春って顔がしゅっとしてるので
アゴを上げて正面から撮られたとき、すごくノーブルな感じがします
タレ目で優しそう≒アホっぽいというイメージはすでにあると思うので
最終的にはそっち(ノーブルなほう)へ持っていければなと思います

>>31
この板にももっと光が当たって欲しいですね
まぁ当たらないからこその”黒(影)板”なのかもしれませんがw
45 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:32



 その後、ひとりの女がやってきて、言付けを置いていった。

 キッカからのもので、食堂で、食事を済ませてこいとのことだった。

 オレは今しがたコハルが取った行動――つまり、自分の胸の小ささ
を恥じたかと思えば、こんどは急に積極的なアプローチをしてきてみた
り、そのくせ顔と顔が近づいて顔を赤くしたり、といった態度の意味を
測りかねていた。

 気晴らしに、偵察がてら外へ出るのもいいかもしれない。

 そう思い、オレは廊下へ出たが、言付けの中には肝心の”食堂の
場所”が含まれていなかったから、結果としてしばらく城内を散歩した
ことになる。

 中世の西洋に建っていた城のもののように見える廊下を進んでいく
と、中庭へ面した辺りで、男たちのかけ声がした。

 そこでは兵士たちが軍事演習のようなものを行っていて、熱の入り
ようから、ただならぬ感じがした。

 つまり。

 この国にとって戦争はすぐ身近に存在しているものなのだということ
を、これは示していた。

 すると、本当にドッキリじゃないのか?
46 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:32
 ”今朝、すっきりした頭で思ったこと”の、もう一つがこれだった。

 サーヤのように剣を常備しているやつがいる国というのは、つねに
戦いに備える必要がある国なのであって、そのことを確認しておきた
かったのだ。

 もちろん、日本の侍のように”抜かないことに真を見出す”なんて話に
なると、余計、ややこしくなるし、それにしたって、これが壮大なドッキリ
である可能性は100万分の1でも残っているのだが。

 食堂は、しばらく歩くとみつかった。

 いざ見つけてみると、なんてことはなかったのだ。

 ものというのは、あるべき場所にあるもので、”もっとも腹を減らして
いるやつ”といったら”部活終わりの高2のやつ”か”訓練後の兵隊”だ。

 つまり食堂は中庭に面したところにあった。

 中へ入ると、サーヤがいて、1人でメシを食っていた。

「おまえは、いじめられっ子のOLか」

 そう言うと、ふり向くまでもなく、サーヤはハァ…?といってうなり声
を出した。

「その『OL』っていうのが何なのかは知らないが、『いじめ』っていう
ことばは、この国にもあるぞ」

 そしてウチは断じてちがう!といって、ムシャムシャ続きを食べている。
47 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:32
「じゃあ、なんでひとりぼっちなんだよ」

「知るか、アイツらに聞いてくれよ」

 見ると、ほかにも食事をしているやつはいたのだが、誰もがサーヤか
ら離れたところへ座っていた。

「こっちは訓練したてでハラが減ってるんだ、それどころじゃない!」

 オレは苦笑した。

「…コハルでも悩んでるっていうのに、お前って、幸せそうなやつだな」

 そういうと、スプーンを持つ手が止まった。

「…『幸せそう』ってのは褒められてるんだろうな? この国じゃ、それ
以外の使い方はしないから。なのに、おまえのその笑い方…」

 表へでろ!といって、サーヤは立ち上がり、剣を抜いた。

 食堂の隅へ固まっていた男たちが、ざわざわする。

「いや、待てよ!なにも、そこまで怒ることないだろ!」

「『そこまで』?…ってことは、やっぱりバカにしてたんだな!」

「ちがうよ!オレの国じゃ、それで怒るやつはいないってことだよ!」
48 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:33
「知るかっ!ここはシャイネリアだっ!おまえの国なんか、見たことも
聞いたこともないっ!」

 オレは、そのことばを聞いて、はっとした。

 確かに、日本でも、「幸せなやつ」といわれて、怒るやつはいるかも
しれない。

 意味として、「バカだから不幸に気づかない」ってことになるからだ。

 しかし、サーヤはいま自分がバカじゃないと反論しただけじゃなくて、
「幸せそう」の使い方について聞いてきたわけだ。

 これも含めて台本というなら、わかる。

 言語の解釈の問題に触れるような、これは、かなり込み入った話な
のであって、サーヤのような中高生ぐらいの、しかも体育会系のやつ
の口から出てくるには、かなり不自然なものだった。

 だが、それもこれも台本に書かれているなら、辻褄は合うのだ。

 しかし肝心のネタフリをした側であるオレは、台本なんか読んでない。

 つまり、オレがそうしているように、サーヤはいま自分のこころに従っ
てしゃべり、素直にリアクションしているとしか思えなかった。

「…ごめん」
49 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:34
 頭をさげた。

「オレが悪かった。すまない」

「…お、おう。わかれば…いいんだよ」

 サーヤは戸惑いながらも剣を収めた。

 オレはいよいよ、これがドッキリでもなんでもなく、本当に異世界での
できごとなんだと思いはじめていた。

「でもさ、おまえって、ほんと変わったやつだよな」

 サーヤは食べ終わると、こちらへ向き直って笑った。

 ぶっきらぼうそうに見えるが、その笑顔は至ってふつうの、地球でい
えば15〜6歳の少女のものだった。

 それを、ちょっとカワイイと思ってしまったオレがいる。

 だから、口のはしに食べかすがついているのは、ご愛嬌だ。

「おまえのこと、本当なら、すぐに裁判にでもかけてやりたかったんだけ
どさ、なんか憎み切れないっていうか。…まぁ、どの道、いまはムリなん
だけどな」

「裁判って、昨日言ってた、元老院がどうのっていう話か?」
50 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:34
「そうさ。元老院以外にも、そういう仕組みはあって、姫様に関しての
ことは、まずウチらで話し合ってみて――あぁ、ウチらってのは、トロ子
とウチ、それから姫様のことな。

この3人で話し合ってみて、解決しなかったら、元老院に持っていく。
それでもダメなら、ようやくそこで裁判所ってのが基本なんだ」

 なるほど、オレが王女の風呂場に侵入するなんていう暴挙をやって
おきながら、すぐさま裁かれなかったのには、そんな理由があったって
わけか。

 オレは今朝、目覚めてすぐにコハルとあんなことがあってのぼせて
いたから、それでようやく危機感を叩き起こされた思いだった。

 確認をとると、

「そうだよ。ウチは処刑しろ!って言ったんだけど、姫様がかわいそう
の一点ばりでさ、それで”国賓扱い”ってわけさ。それにしても、あの
姫様に好かれるなんて、大したもんだよ」

 オレは昨日、謁見室で口上を打ったサーヤが、コハルに”大あくび”
されていたのを思い出した。

 また、コハルに手を焼いているのは、いつもそばにいるキッカでさえ
同じなのだという。
51 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:35
「おまえがいま、こうして城内をウロウロできるのも、姫様のお陰なん
だぜ。ウチとトロ子は部屋に縛り付けておくべきだって、主張してたん
だから」

「じゃあ、オレは元老院が戻っても、裁かれるわけじゃないのか?」

 これはあくまで”よそ者”のオレの考えに過ぎない。

 サーヤは味方についてくれたようだったが、オレのしでかしたことは、
ふつうの国家だと防衛に関わることであり、いかにコハルが王女とは
いえ、彼女たち3人だけで処理できるようなケースではないような気が
したのだ。

 つまり、俺のしでかしたことは、さっき言っていた”基本”から外れた
”例外的”なケースなんじゃないかと。

「わからないな。ウチはさっきまで、お前のこと大っ嫌いだったけど、今
はちがう。…でも、トロ子がなんていうか、それは分からない」

 確かに。

 いまの話を聞く限りでは、キッカはオレの処刑に反対していなかった
し、部屋を出さないことに賛成していた。

 いまオレを生かしているのは、サーヤの心変わりと、それからコハル
の贔屓だった。
52 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:36
「元老院は、いつ帰ってくる?」

「明日だよ」

「秘密にしておくことは、できないのか?」

 まるで命乞いをしているみたいだったが、そもそも、オレからしてみれ
ば、この状況は不可抗力的なもの。

 これぐらいしたって、恥じ入ることはないはずだ。

「ウチら3人で決めるっていっても、基本的には、すべてトロ子が取り
仕切ってるんだ。姫様が単独でどこかへ外遊するってときも、何をする
ためにどこへいくか、あいつがすべて決めてる。だから、ウチだけでは
なんとも…」

 サーヤは言いながら、表情が暗くなっていった。

「おい、待てよ。コハルはともかく、お前ら2人には平等な権限がある
んじゃないのか」

「権限は平等でも、能力はちがうだろ。ウチは武術で選ばれた人間だ
し、頭はあんまよくないし…」

 そこまで言うと、大きくため息をついてしまった。

「そもそも…ウチ、なんで選ばれたんだろ」
53 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:37
 気に病んでいるのか、うつむいてしまう。

「軍隊でも、仲間はずれにされてばっかだし、姫様は言うこと聞いてく
れないし。そもそも姫様の身の回りに危険なんかないしさ…」

 オレは、「ここにほら!侵入者が一名いるじゃないか」と言おうとした
が、今度こそ斬り殺されそうだったので止めておいた。

 サーヤは窓越しに見える中庭を見て、ため息をつく。

「訓練にしたってさ、ただ混ぜてもらってるってだけで、実際に戦争が
起こったとしても、ウチは姫様のそばを離れられないわけだし」

 その通りだろう。

 王と姫といえば、国の中枢。

 それは何に代えても守らなければならないものだから、戦争に負け
て逃げ落ちるときぐらいしか、サーヤの出番は考えられなかった。
 
 この国は、戦争の可能性があるとはいえ、日常的には平和な国だ。

 日ごろすべきことなんか皆無だろうし、政治的な仕事もキッカに任せ
るしかないという。

 そうなれば、サーヤは確かに、こうして仲間にハブられながら、ただ
訓練をくり返すだけの毎日を送っていることになるのだ。
54 名前:ななしいくさん 投稿日:2009/07/13(月) 10:38
 昨日のように、あくびをされるぐらいしつこく、おまけに肩肘を張って
コハルに進言しているのも、そういった意識から来る行動なのだろう。

「…ほんと、なんでだろな」

 飲みさしていたコップを両手で握りしめると、サーヤは、その水面を
じっと見つめている。

 オレは何かことばを掛けなくてはと思った。

 さっきの話にもあったように、いずれにせよ、オレが裁かれずにいる
のは元老院の不在もそうだが、サーヤたちが大目に見てくれていた
からだ。

 少しかもしれないが、オレは恩返しとして――そして正直なところ、
保身の気持ちもあって、サーヤを元気付けたかった。

 だが、なにもことばが浮かんでこなかった。

「…まぁ、とにかく、そうなってるんだよ」

 ぎこちなく笑って立ち上がると、あとはトロ子に聞いてくれといって
出て行ってしまった。

 オレは、またもや1人で呆然とするより他なかった。
 
 
 
55 名前:さるぶん 投稿日:2009/07/13(月) 10:38
更新です。
56 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/14(火) 23:35
wktk
57 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:03



 昼食を終え、部屋へ戻ると、キッカが待っていた。

「ちょっと、いいですか」

 返事を待たず、中へ入ってしまう。

「あなたの調書を読みましたです。本当に、どうやってお城に侵入した
のか記憶がないですか?」

「あぁ。取調べで話したとおりさ」

 家で風呂に入ってて、意識がなくなって、気づいたらあそこにいた
――ただ、それだけのこと。

「なら…」

 キッカは意を決したように、言った。

「お話しておきたいことがあるです」

 オレはおもわず身を固くした。

 理由は2つある。
58 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:03
 1つは、さっきのサーヤとの話を思い出し、この子が自分にとっての
敵対者かもしれないと思ったから。

 2つは、その表情から重要な話が始まるのだと思ったから。

 オレは曲がりなりにも国賓であり、いまこの部屋のあるじでもあるの
だから、努めてゆっくりとソファへ腰をおろし、前の席にキッカを座らせた。

「今朝の一件、つまり、わたしが姫さまを追いかけてきて、怒鳴りつけ
たこと、不思議に思ってるんじゃありませんですか?」

 オレはうなづいた。

「沐浴ぐらい、しなくたって大丈夫。あなたの言うことは、確かにもっと
もだと思うです。しかし…」

 キッカは、まだ何か迷っているような様子をみせた。

「まずは……わたしのことから、お話しようと思うです」

 キッカが生まれたのは、この近くの村だった。

 城へ雇われたのは、もともと侍女としてで、姫の召しかえや食事など、
身の回りの世話をするためだった。

 それが、いつのまにかコハルの王族としての政務について、いろいろ
と関わっていく立場になったという。
59 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:04
「この理由のうち、1つはお話できないですが、もう1つのほうは、わた
しの知っている限りでお話できる…いえ…しようと思うです」

 キッカが雇われたのは、13歳のときで、いまから4年前のこと。

 そのとき、コハルは12歳だったという。

 サーヤは? と聞くと、

「わたしと同い年です」

 つまり、いまの年齢は、キッカとサーヤが17才、コハルは1つ下の
16才ということになる。

「姫さまは、はやくにお母さまを亡くされていて、その代わりに何人もの
乳母を雇ったですが、どれも長く続かなかったと聞かされました」

 王族の乳母ということで、彼女らはどれも年上だったから、すべての
執務を取り仕切る立場にいる元老院のものたちは、いっそ同い年ぐら
いの子の方がいいのではないかと思い、見立てをおこなった。

 結果、雇われたのが、このキッカだった。

「なぜそれまでの乳母が辞めていったのかなど、姫さまに関する質問
の類は一切、禁止する。それが雇い入れるための条件の1つでした」
60 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:04
 この条件はほかにいくつもあって、大抵はよくあるものに過ぎなかっ
たが、珍しいものも含まれていた。

「それは姫さまのお召し換えに関するもの、そして、ご入浴に関するも
のでした」

 オレは今朝、コハルから聞かされたことを話してみた。

 コハルの背中を流すとき、キッカはいつも服を着たままであるという
ことについてだ。

 もちろん服を脱がなくても、濡れないように流すことはできるはずだし、
その場合、”脱がないのがおかしい”とは言わないから、その点に違和
感があり、それも伝えた。

 するとキッカは頷き、”条件”をそらんじてみせた。

――侍女は、決して姫の前で肌を晒してはならない

――姫には毎日、”支給された水”を使ってつくったお湯で沐浴をさせ
なければならない

 1つでも、そして1度でも破られた場合、即座に、城を去ってもらう。

「さきほどの”禁止された質問”には、その”特別な水”についてのもの
も含まれていたです」
61 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:04
 つまりは、つべこべ言わずに、言われたとおり働けってことだ。

 実際のところ、キッカはその通りにした。

 オレがいま疑問に思っているように、”なぜ沐浴ぐらいのことで大騒ぎ
になるのか?”といった点が分からないまま、毎日、毎日、コハルの体
を流しつづけた。

「それでも待遇はよいものでしたから、基本的な生活をする上での不満
はありませんでした」

 キッカがいましているのも、肌をまったく露出しない、いかにも侍女と
いった格好ではあったが、ほつれや汚れといったある種のみすぼらしさ
の類は、一切感じさせないものだった。

「とはいえ、その”毎日”には、病気の日も含まれているほど、掟は
厳しいものでしたから、姫さまが嫌がることもありました。あんまり強く
拒否されると、わたしも許してしまおうと思うことがありました…」

 しかし、その度に、もう1つの禁止事項を思い出して、考えを改めたと
いう。

――これまでの乳母が辞めたあと、どこへいったか尋ねてはならない。

「…それって」

 オレは思わず声をあげていた。
62 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:04
「…はい。ですから、わたしは嫌がる姫さまを、無理やりにでもお風呂
へ連れていかなければならなかったのです」

 尋ねてはならない――そう忠告されるということは、誰もが尋ねたく
なることが、そこには隠されているということ。

 それが仕事をしくじった、王国の中枢の秘密に近づいたものの顛末
だということ。

 そこには存在の危機が、いや――”死”の匂いさえした。

 とはいえ、キッカの努力の甲斐もあって、これまで一度たりとも沐浴
が欠かされたことはなかったのだ。

 そう――あくまで、これまでは。

「今朝、いつものようにお風呂をつくっておき、姫さまを起こそうと寝室へ
向かってみて、おどろいたです」

 ベッドがもぬけの殻だったのだ。

 コハルはこのときすでに、オレの部屋の前にいた。

「姫さまはこれまで、お風呂を欠かすより以前に、お部屋にいらっしゃ
らないということすらなかったですから、わたしはすっかり動転してしま
いました。姫さまは沐浴を嫌がって、お城から逃げ出したのではないか
と、そう思ったです」
63 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:05
 それで、まずキッカは城を飛び出したが、冬の寒風に吹かれているうち
に頭が冷えてきて、まず城の中をさがさなければと思い直した。

 昨日までと今日のちがいを思い出し、それがオレの存在であると気づ
いたキッカは、コハルが”ニッポン”について興味を持っていたことを思い
出した。

「それで、コハルからしばらく遅れてやってきた、ってわけだ」

「はいです。…それでも不幸中の幸いでした」

 キッカに掟を課したのは、質問すら許さないという、厳しい相手だ。

 コハルが逃げ出したということが知れただけで、どんな処罰が待って
いるか。

「…そっか。オレのせいだな」

「どうしてです?」

「だって、オレがコハルに”ニッポン”のこと吹き込んだりしたから」

「そんなことないです。それは不可抗力というものです」

 キッカは、前のめりになっていた。
64 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:05
「わたしの上司に当たる元老院は、今日、出払ってしまっていて、姫さ
まが逃げ出したとしても、すぐにバレたりはしなかったと思うです」

 どうなんだろう。

 この一連の発言は、オレを庇ってくれていると思っていいんだろうか。

 キッカはそれ以来、すっかり押し黙ってしまった。

「そういえばさ」

 オレはいいタイミングだと思い、サーヤと話したことについて切り出そ
うと思った。

 まず、サーヤから、どこまで聞いたのかを伝えた。

 続けて、

「オレのしでかした不始末というか、無作法というか、つまり、コハルの
沐浴の習慣をさたまげたことや、その…なんだ…裸を見ちまったことと
か、そういうのって、重い裁きの対象になるだろ」

「はい。姫さまと、それから掟を守るのが、わたしたちの役目。あなたに
は申し訳ない気持ちもあったですが、あの後、元老院が戻ってきたら、
あなたの処遇について討議を申し立てるつもりだったです」
65 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:05
 そうだったのか…。

 元老院が帰ってきていて、かつ、その討議が掛けられていたら、オレ
はすでに死んでいたはずだった。

 昨日は、サーヤのほうが厳しくて、キッカのほうが優しい、何でも大目
に見てくれそうなタイプの子に見えたのだが、どうやら逆だったようだ。

 おまけにキッカはまだ、オレを元老院に報告しないとは、ひと言もいっ
ていない。

 たまたま元老院がいないから、その間はオレが安全だと言っているに
過ぎないのだ。

 やはり近く、オレは裁かれる運命にあるのだろうか…。

「…ごめんなさいです」

 突然、キッカが言った。

 押し殺したような、小さな声だった。

「わたし自分の保身のことばかり考えていたです」

 歯噛みして、スカートのすそを、きつく握りしめている。
66 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:06
 オレははじめ、その態度に戸惑ったが、考えてみると、もっともなこと
かもしれなかった。

 夜が明けて、オレがここにいることが――あるいは下手をすればコハ
ルが沐浴から逃げ出したことが元老院に知れてしまえば、厳しい彼ら
のことだ、どこの馬の骨か分からないオレになど、重い罰を与えるのは
明白と思われた。

 だが、そうなった場合、キッカも無事ではすまない。

 要するにキッカが今ここに来ている理由の少なくとも1つには、自分
の命を守るために、一度は死んでしまったって構わないとさえ思って
いたオレに対して、口止めを行うというのがあったのだ。

「今朝、あなたには取り乱しているところを見られてしまいました。その
理由が、沐浴を欠かしそうになったことだとも知られてしまいました。で
すから、いずれ元老院にはすべてが伝わってしまうだろうと思ったです」

 くり返すように、ふつう、風呂ぐらいのことでは、あそこまで怒ったりし
ない。

 だから、オレが色々と嗅ぎまわるんじゃないかと思ったのだそうだ。

「姫さまに手を焼いていることもあって、あなたを部屋に留めて置けな
い以上、下手に城内を探られてしまうかもしれない。なら、いっそその
前に――と、そう思ったです」
67 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:06
 そうだったのだ。

 オレが部屋から出られるのは、コハルのわがままのおかげで、その
わがままが通るのは、機嫌を損ねて沐浴をサボられると、キッカが困っ
てしまうから。

 そして、不信に思ったオレが、キッカや、おそらく同じ戒律が課せられ
ているであろうほかの侍女たちに質問をぶつけたとしたら…。

 そのときは、確かに、おなじ結果になっていただろうし、オレはそれ
以上のことを知ろうとして、あちこちかぎ回っていたかも知れない。

 おまけに元老院に掴まったオレが、そこでゲロしちまったとしたら…。

 そうなる前に、キッカがうまく手を打った。

 お互いの命がつながるように。

 オレたちのあいだには、そういう力関係が働いていた。

 そのことを、いまのオレは知っているから、自分が元老院に突き出さ
れたりしないと分かっているし、その点で、焦って部屋を抜け出す必要
もないのだった。

「やっぱり、いま話しながら整理してみて、余計に思ったです。わたしは
酷いことを考えていたです…」
68 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:07
 キッカはオレを都合よく動かそうとしたこと、それから自分自身の行動
が大きくブレてしまったこと、そういった諸々の事どもを自分で責めてい
るように思えた。

「いいよ、気にするなって。オレが同じ立場でも、やっぱ、そうしてたと
思うし」

 そうだ。

 コハルもサーヤもとりあえず味方についてくれている。

 分からないことだらけの状況に変わりなどなかったが、そのことが却
って心の余裕というか、開き直りを生んだのかもしれなかった。

「…あなたは」

 顔を上げると、キッカは照れたように言った。

「とっても優しいです」

 そのあと、オレたちは打ち解けたようになった。

「でも――さ」

 オレは、ふと思った。
69 名前:名無飼育さん 投稿日:2009/07/22(水) 16:08
「生まれまで話してくれる必要は、なかったんじゃないか?」

「それは…なんとなく…です」

 はにかむキッカ。

 それから、オレたちは、シャイネリアのこと、お互いの生まれ故郷の
ことを話した。

 いまの会話は、オレとキッカが運命共同体になったことを示していた
から、どこか打ち解けた部分があったんだと思う。

 それはとても楽しい時間だったが、キッカはオレが訊ねたことのすべ
てに答えてくれたわけじゃなかった。

 まだまだ、この国について知らなければならないことがあるのだと、
それは教えていた。
 
 
 
 
 
70 名前:さるぶん 投稿日:2009/07/22(水) 16:09
更新です

>>1にミステリ要素があると書きましたが
「ニッポン」が「日本」ではなく架空の国家だった――
なんてしょーもないオチはありませんのでご安心をw

>>56
次回の更新もotsm(おたのしみに)
71 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:52




 次の日の午後。

 城中が、にわかに騒がしくなった。

 窓の外を見ると、向こうの山あいから城前へと延々続いている大通り
を行進してくる一団がある。

 沿道にもひとが集まっていて、どこか物々しい雰囲気だ。

 夕べ帰ってくる予定だった元老院が、一日遅れで戻ってきたのかとも
思ったが、名前から察するに、それは国政の中枢にこそ関わっているが、
庶民によって認知されている存在とは言いがたいはずだった。

 よって、沿道に人が集まったりするのは、不自然なことだ。

 オレは詳しく知りたくなって、部屋を出るが、誰か捕まえようにも、あた
りに人影がない。

 物音さえ、遠くでばかり立っているのだ。

 これは昨日、城の中を歩いたときに分かったことだが、オレのいる部屋
は城の南側に独立した塔の中ごろにあって、

最初にオレが捕らえられていた地下牢や謁見室、また食堂、中庭といっ
た場所は、東西南北に立つそれぞれの塔から連絡できる中央の大きな
建物にあった。
72 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:53
 そちらへ出て行ってみると、今朝とは打って変わって、またぞろ別の
世界へ迷い込んだのではないかと思うほど、活気に満ち溢れていた。

 オレは、すぐさま引き返した。

 というのも、今朝、キッカと話したとき、

『――あなたが姫さまの沐浴に入り込んでしまったことは、わたしたち
3人の権限で、元老院には黙っておきます。その代わり、なるべくこの
塔から出ないでくださいです』

と、言いつけられていたからだ。

 なぜかというと、

『――これは”禁止された質問”の端々に抵触してしまうので、わたし
にはよく理由がわかりません。ですが、この塔には、基本的に女性し
か入ってはいけないことになっているです』

 父王や元老院のものたちなど、男性でも、足を踏み入れることはあっ
たが、基本として、姫の身の回りの世話や、外部との連絡は女性がす
ることになっている。

 だから、サーヤのような武術の心得のある女性がそばに必要だった
し、昨日の取調べも、今朝、キッカの伝言を持ってきたのも女性だった
というわけだ。

『――本当は、あなたの部屋も、ほかの塔に設定するべきなのですが、
それでも、ここにお泊めしたのは、城中にあなたの存在を知られたくな
かったから、そして、姫さまがどうしてもと仰ったからです』
73 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:53
 また、サーヤは部屋を、是非とも塔の一番下にするべきだといったが、
オレを国賓待遇で扱えというコハルの一存で、妥協案をさぐることとなっ
た。

 結果、あいだをとってオレは”中ごろ”に泊まり、一昨日、サーヤから
「ウチは納得いかない!」と八つ当たりされることにもなった、というわけ
だ。

 昨日、コハルが沐浴をサボってオレの部屋へ来たあと、オレを食堂へ
行かせるかどうかでも3人は揉めていたらしいが、そのときも部屋の問題
とおなじように、コハルの、「閉じ込めておくなんてかわいそうだよ!」の
ひと言で決まってしまった。

『――本当は、このとき、あなたを処刑してしまうつもりでいたですから、
食事すらさせるつもりはなかったです』

 キッカは、そんな笑えない秘密を明かしてくれたりもした。

 つまり――。

 オレは考えた。

 コハルの身の回りというのは、その活動領域はむろんのこと、キッカ
たち侍女と、サーヤたち親衛隊の女性、そして直接的なものに限って
は、これまたキッカが、王族としてのコハルの振る舞いを決定できると
いう、ほぼ独立した組織として機能しているのだった。

 考えてみると、この国に来て丸一日は経っているはずだったが、オレ
はまだ女性としか口を利いていなかった。
74 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:54
 本当の意味で”シャイネリア王国に来た”とはまだ言えないのかもし
れない…。

 行列を見ながら、オレはそんなことを思っていた。
75 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:54
 
76 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:55




 先の行列がなんであったか、それはすぐに判明した。

 王の一行である。

 塔の中をうろうろしていると、キッカに出くわしたので、聞いてみた。

 彼女によると、元老院と共に、王は隣国へ政治的な交渉ごとをしに
行っていて、その帰りなのだという。

 キッカははっきりと口にしなかったが、中庭のようすから考えて、それ
は一歩間違えば、戦争に発展しかねない性質のものであると思われ
た。

 こうなってしまうと、尚のこと、この国について知りたくなってくる。

 その後、立て続けに質問をしようとしたが、キッカはオレを置いてどこ
かへ行ってしまう。

 とても忙しそうにしていたが、その理由も、すぐに分かった。

 部屋にいて、外のようすを眺めていると、街が活気づき始めた。

 先ほどの行列が途切れたあと、しばらくのあいだ街は静かになってい
たのだが、いまや王城の前広場には、大勢の人が詰め掛けていた。
77 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:56
 この世界の太陽がやはり東から昇るのだとしたとき、いまオレのいる
塔は南に建っているから、それは南東の景色に当たると思われた。

 昼を前にして、透き通った池の水や庭園の深い緑、王宮の白亜の壁
やその金色の窓飾りといったものが、太陽の光に照らされて燦々と輝い
ている。

 広場が一杯になったころ、テラスに王が現れた。

 コハルの父だ。

 群集が、一斉に歓声を上げる。

 昨日、眼下に車一台見つけられなかったオレの眼力でも、父王の
ようすは分かった。

 ゆったりとした身ぶりと口ぶりで、なにかを訴えている。

 オレは窓を明けて、耳を澄ませるが、風が吹いていること、王の声が
低いこともあって、よく聞き取れない。

一瞬、王が何か言ったことに聴衆がしずまり返ったが、なぜなのかは
分からなかった。

 テラスのようすに注視してみると、王の脇で物々しい護衛に混じって
コハルが立っているのが分かった。

 両脇に、キッカとサーヤもいる。

 しばらくして、その場は跳ねた。
78 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:57
 オレは塔の下まで降りていって、コハルたちの帰りを待った。

「見てくれてたんだねっ!」

 まっ先に駆け寄ってきたのは、コハルだった。

「キミに見てほしくって、ドレスを新調したんだよ?」

 見ると、いかにも王族といった威厳のある、重々しいドレスで、胸元
や裾には、光る不思議な石のようなものがあしらわれていた。

「こうしておけば、遠くからでも、コハルがいるって、わかるでしょ?」

 確かに、式の途中、コハルが聴衆に語りかける場面もあったのだが、
王よりも誰よりも、目立っていた。

「そんなもんなくたって、わかったよ」

 オレは目がいいからな――と言おうとしたら、

「ほんとに!? コハルのこと、そんなに見てくれてたんだっ!」

 と勘違いされてしまった。

 ぴょんぴょん飛び跳ねるコハルを見てると、…まぁ、悪い気はしないの
だが。

 柄にもなくニヤけているとキッカが遅れてやってきて、くたびれた様子
79 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:58
「もう大変だったです…。式の直前になって、姫さまが急にドレスを新調
すると言い出したので、侍女ともども、てんてこまいでしたです」

「そうそう、ウチまで駆り出されて。…ほんっと、いい迷惑だぜ」

 サーヤもやってきて、あたりには、式を手伝ったり、迎えに出たりした
使用人たちが、大勢あつまっていた。

「さ――まだまだ、あるですよ」

 腕まくりすると、キッカは言った。

「あなたにも、手伝ってもらいたいです」

「…オレに?」

 言われるままに後を付いていくと、塔を出てしまった。

「おいおい、塔から出ていいのか?」

「大丈夫です。一般表敬の日ですから、城内は市民で溢れ返っている
です」

 見ると、城の中は、今朝までの物々しい雰囲気が一変して、おだや
かな活気で満ち溢れていた。

「こっちです」

 どこか通路を入っていくと、暗がりがあって、その先に光が見えてくる。
80 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:58
 そこに開けた場所があって、真ん中に玉座、そこにはコハルが座って
いた。

「…ここって」

「はいです。このあいだお通しした謁見室の、台座部分の”そで”に当た
るところです」

 例のドレープカーテンのすその辺りから中を覗くと、このあいだオレが
ひざまずかされていたところには、たくさんの子どもたちがいた。

「姫さまは、威厳ある王さまとはちがって、その親しみやすい雰囲気から
子どもたちに愛されてるです」

 コハルは子どもが何か口上を述べたり、手を振ったりするのに笑顔で
応えていて、謁見室には、とても和やかな雰囲気が漂っていた。

 お城の反対側では、父王が大人向けの――つまり有力者たる市民と
の会合をおこなっているらしく、それは元老院の主催したもの。

 こちらはコハルの主催だったが、企画したのはキッカだということで、
コハルの政務担当という肩書きは、伊達じゃなかったわけだ。

「ほーら、押すんじゃないぞ!」

 気づけば握手会のようなものが始まっていて、さすがに武装を解いた
サーヤが、列を崩してしまいそうな子どもたちの対応に追われていた。

 見ると、子ども相手ということもあってか、ホールにいる王室側の人間
は、コハルの住む塔のものたちだけ。
81 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:59
 男は、やはりオレ以外にいなかった。

「今日は、いつもより大目に招待してあるですから、何かあったときの
ことを考えて、担当のものが1人でも多くいたほうがいいと思ったです」

 なるほど、それでオレを呼んだってわけか。

 サーヤの笑い声がしたので、そちらを見ると、

「あたちも、将来、おねーたんみたいに、お姫様をお守りちたい!」

 とか言われて笑っている。

 昨日の昼に落ち込だぶんを、少しは取り戻せたようだった。

 オレはホール全体を見渡しながら思う。

 いま国は戦争がどうのという大変な状態にあるわけだが、それは大人
と政治のはなし。

 国民――とくに子ども相手には、つねに平静を装っておかなければい
けないのなのだなぁ…と。

 いつもより多めに招いたというのも、こういうときだからこそ、ということ
なのだろう。

 こうして見ると、さっきの庭園での式も含めて、コハルは本当にお姫様
なのだなぁと思う。

 そして、だからこそ――とも、思う。
82 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 16:59
 この国のことを、ちゃんと知らなければいけない。

 本当の王国、本当のお姫さまならば、オレのように、どこの馬の骨か
分からない男が関わるのは、お互いに危険であるはずなのだ。

 せめて、もう少し外側のことを知らなければ。

 オレがいま知っているのは、ほぼあの塔の中のことに限られていた
から、異世界からの旅人として、あるいは捕虜(?)として、それは当然
のことと思われた。

 城を出るにせよ、なんにせよ、いますぐに命の危険が迫っているので
はない以上、情報収集は最優先されるべきものだ。

 そして、オレのこの願いは、なんとも意外な方向から叶えられることに
なる。
 
 
 
83 名前:さるぶん 投稿日:2010/05/23(日) 17:01
おひさしぶりです
1年ぶりの更新になってしまいました

プロットを練り直していたこと
小春の脱・黒髪にダメージを受けていたことで書けずにいたのですが
あれはきらりちゃんだと思って開き直ることにしました
84 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/23(日) 18:40
あとブログやってます
また長期間放置してしまったときの生存確認などはこっちでお願いします
ttp://d.hatena.ne.jp/salbun/ (カテゴリ「ハロプロ小説」)
85 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:18



 昼下がりのこと。

――やはり食堂にも出さない方がいいだろう。

 謁見のあと、すこし遅めの昼食を取ることになったのだが、午後にな
ってしまうと、城内は一気に静けさを取り戻していたため、キッカとサー
ヤは、そのように結論付けていた。

 少しして、部屋へ、食事が運ばれてくる。

 オレはそれを一緒にくっついてきたコハルと並んで食べていたのだ
が、気がかりのせいで、外ばかり見ていた。

「おいしかった?」

 オレが口を拭くのを見て、コハルはニコニコしている。

「え?…あぁ、うまかったよ」

「これはね、城下町から取り寄せたものなんだ」

「へぇ…」

 考え事をしていて、オレはろくにコハルのほうを見ていない。
86 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:18
「コハルのお気に入りのお店でね、キミにも食べてもらいたくって、いつ
もと同じものを持ってきてもらったの。だから、すこし量が足りなかった
でしょう?」

「あぁ…」

「――やっぱり!?」

 コハルは大声になった。

「…ど、どうした? 急に」

「じゃあさ!じゃあさ!おなかいっぱいになるまで食べに行こうよ!」

 コハルは、オレの返事も聞かずに部屋を飛び出すと、しばらくして戻っ
てきた。

「じゃーん!」

 服装が変わっていた。

「…なんだよ、それ」

 先ほどまでは、絹のような、自然の光でも映える、見るからに柔らか
くて、上等そうな素材のワンピースを着ていたが、今度は、かなりゴワ
ゴワの、はっきりいって貧乏臭い恰好をしていた。

「変装だよ」
87 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:19
 そして、ファッションのポイントは、ツヤ消しを髪に塗って、わざと汚く
見せてるところなんだ――といって、得意げになった。

「変装? ツヤ消し?…なんのために」

「コハルって、バレないためにだよ」

「…なんで、バレちゃいけないんだ?」

 オレは純粋に思った。

 この城には、顔を知られて困るやつなんて、いないだろうに…。

「なんで…って、えーっと、うんっと…」

 と、しばらく頭を悩ませていたコハルだったが、

「もうっ!そんなこといいから、はやくいこっ!」

 といって、オレの腕を取った。

 部屋を出ると、オレのほうをふり返って、しーっ!と指を立て、忍び足
で進んでいく。

 足元を見ると、コハルは、かかとのない靴を履いていた。

 色もかなりくすんでいて、いままで気づかなかったが、おそらく、さっ
き履き替えたものと思われた。
88 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:19
 コハルは、一度だけ、侍女たちの使う勝手口のようなところで立ち止
まったが、出入りするものが途絶えた隙に、そこをぱっと横切ってしまう
と、あとはいっきに城の外へ出た。

「…お、おい、いいのかよ? 勝手に」

「へーきだよ、よくやってるもん」

 コハルは、さりげなく肝を冷やすようなことを言って、城壁を乗り越え
ていく。

 通りへ出ると、なに臆することなくずんずん進んでいき、追いかける
オレの方が、あたりをキョロキョロしてしまった。

「…おまえ、王女なのに、見つかったらどうするんだよ」

「大丈夫だよ。自然にふるまってれば、誰も気にしたりしないよ。その
ために変装したんだもん」

 そうか――この恰好は、庶民に紛れるためのものだったのだ。

 確かに、流れていく景色を見ていると、コハルの恰好は、商店の軒先
で掛け声を上げたり、路地裏で洗濯をしたり、道端でおしゃべりをしたり
している街の女たちと、よく似たものに仕上がっていた。

 それにしたって、肌ツヤや気品ある目鼻立ちといったものは隠しようが
なく、そこはかとない王家の佇まいが感じられはしたのだが、こちらに
注視しているひとたちも、ただ変わったやつが歩いてるなぁ…ぐらいにし
か思っていないようだった。
89 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:19
 そもそもの話、庶民とは、王族の顔をあまり知らないものなのかもしれ
ないし、コハルが浮き立って見えてしまうのは、変身前を知っているオレ
の気のせいとも思われた。

 そのままついていくと、コハルは雑貨や服が売られた店の前で立ち
止まっては、あれがカワイイ、これもカワイイとやっている。

 中には、顔なじみになってさえいる店も多く、そこから子一時間ほど
引っぱりまわされたあげく、ようやく目的地らしき場所へきた。

「ここだよ!」

 コハルが指さしたので見てみると、看板には、【パパン家のキッチン】
と書かれていた。

「さ、入ろ!」

 店の中は、少ない客席ながらも、温かそうな雰囲気がした。

「いらっしゃい、お嬢ちゃん」

 奥から、店主と思しき年配の男性がでてきた。

「そちらは彼氏かい?」

 そう言って、コップに入った水らしきものを置く。

 気さくな感じだ。

「そんなー、やめてくださいよ」

 コハルは顔を赤くしているが、オレはべつのことを考えていた。
90 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:20
 人いきれから抜け出し、ようやく、ものごとを落ち着いて考えられる
ようになったので、国が戦争だなんだといっている時に、こいつはなん
て呑気なんだろう…と思っていたのだ。

 店主がメニューを置いて引っ込むと、コハルは、…どうしよう、恋人に
見えるのかな?ともじもじしている。

 オレもじつは今朝のドレス姿や、昨日の部屋でのできごとを思い出し、
すこしドキドキしていたのだが、あんまり意識するのもどうかと思い、ちょ
っとぶっきらぼうにした。

「…それより、おまえ、ちゃんと金は持ってるんだろうな」

「え? うん大丈夫だよ」

 ちゃんとポケットに入れたし――そういって注文をすると、運ばれてき
た料理を前にして、コハルは言った。

「お城に運んでもらっているのだと、毒見とか、そういうので時間が掛か
っちゃって、いっつも冷めてるんだ…」

 だから、こうして、できたてを店で食べるのが一番なのだという。

「いっただきまーす!」

 コハルは、さっきまで恋人だなんだといってモジモジしていたことなん
か忘れて、湯気と香りに目を輝かせている。

 オレは、ニッポンではこう食べるんだといって、「いただきます」の合掌
を教えたりしながら、そのパンケーキみたいな料理をいっしょに楽しんだ。
91 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:20
 ただ、お城でずいぶん食べてしまっていたので、食が進まず、残りを
コハルに預けると、オレは店内を観察していた。

――ガシャン!

 突然、どこかでガラスの砕ける音がした。

 店内が、一気にしずまり返る。

「…ごえんなさい!」

 ウェイターらしき少女が謝ると、奥から店主が出てきた。

 見ると、砕けたのは食器で、なんども、なんども、「ごえんなさい」と
いって謝っていることから、少女が、それを落としたらしかった。

「困りましたね…」

 出てきた店主が肩をすくめ、常連なのだろう、客のひとりが、これで、
今月は10枚目だぞとか、新記録だな、などといって冷やかした。

 少女は顔を真っ赤にして、誰にともなく頭を下げながら、破片を拾い
集めている。

「あの子は?」

 料理に夢中だったコハルも、さすがに顔を上げて、一部始終を目撃
していた。

「ここで働いてる子だよ。コハルが来るようになってからは、ずっといる」
92 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:20
「じゃあ、『ごえんなさい』って、いまの謝り方…あれは方言か?」

「ううん、ちがうと思うけど…」

 どうやら、たんに少女の滑舌が悪いだけらしい。

 見ると、どこか抜けていそうな感じの子で、舌足らずなことといい、
リスのようにすばしこく動いているはずなのに、ひとつ、ひとつの仕草
にムダが多いことといい、この感じは…

「ぶりっこだな」

 おもわず呟いていた。

 見ると、横でコハルが首をかしげていて、オレは、しまったと思う。

 初対面のとき、コハルの胸に対して見たまんま「Aカップ」と言ってし
まい、あとで傷つけていたからだ。

「な、なんでもないよ」

「でも、いま『ぶりっこ』っていったよね。シャイナ語じゃないと思う。なに
かキミの国のことばで、意味があるんでしょ?」

 オレは困ってしまった。

 ”ぶりっこ”が意味するのは”カワイイ女の子”だが、そこには皮肉の
ニュアンスが込められている。

 むろん、その点は避けたとしても、コハルの目の前でべつの子のこと
を”カワイイ”と言うのが、すごく躊躇われたのだ。
93 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:21
「…まぁ、いいじゃないか。ほら、冷めちまうぞ」

「ふーん、ヘンなの」

 そういって、コハルはまた食事に戻った。

 そして、みんな食べ終えてしまうと、しばらく雑談をして、席を立つ。

「…あれ?」

 コハルが声を上げた。

 しきりに体中をさぐっている。

「…おい、まさか」

 その”まさか”だった。

「財布なくしちゃった…エヘヘ」

 そう言って、舌を出している。

 見ると、たしかにここへ入れたんだよと、コハルが訴えるポケットに
は、底の方に穴が空いていた。

 ぼろの上着は、庶民の真似をして蚤の市で購入したものだということ
だから、もともと小さな穴が空いていたのだろう。

 キッカに頼めばつくろってもらえたが、それを着てお城を抜け出している
ことは、秘密にしたかった。
94 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:21
 その結果、ほころびは広がっていき、ついこの一時間ほどのあいだに、
どこかで限界を迎えた――ということか。

 いずれにせよ、財布を持ってきたというのは事実らしかった。

「…どうしよう」

 さすがのコハルも不安そうにしていたが、オレは素直に話すのがいち
ばんだと思い、王族であることは伏せて、あとの事情を説明した。

 もちろん上着も見せたが、オレがボロでも財布を持っていただろうと
信用できるのは、コハルが王族であることを知っているからで、ここの
店主も同じように考えてくれるとは限らなかった。

 しかし、

「困りましたね…。あなたはいつも来てくれているので、信用はしましょう。
しかし、うちも人助けでやってるんじゃない。お代はちゃんと頂かないと…」

 そこで、どちらか一方を残して財布を捜しにいくことになった。

 オレは当然、財布のデザインを知らないし土地勘がまったくないから、
コハルが行くものと思っていた。

 だが、

「へっ、兄ちゃん。女に金払わせて、今度は探し物まで、高みの見物
かい」

 と野次が飛び、黙っていられなくなった。
95 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:22
「るせーっ!…ようし、オレが見つけてくる!」

 そう啖呵を切ると、男らしいじゃねぇか!と、べつの野次が味方につ
いてくれた。

 見ると、コハルは、まんざらでもない顔をしている。

「どうだかなぁ…。近頃は、不景気だからよ、とっくに誰かがネコババし
ちまってるだろうぜ」

「そしたら、犯人つかまえて、警察に突き出してやる!」

 ”警察”なんてもの、この国にあるのかどうかすら分からなかったが、
野次馬とにらみ合いながら、落とした場所、そのデザインなどをコハル
と確認し合っていると、店主の顔色が、見る見るうちに青くなった。

「…それを落としたのは、ついさっきのことですか?」

 2人で顔を見合わせて、そうだとうなづくと、もう2度、3度、落とした
場所のことを聞かれ、律儀に答えた。

 そして急に、お代のことはいい、もう忘れてくれといわれたのだ。

「いや、オレ行ってきますよ」

 コハルの手前、オレはさっきの野次に引っ込みが付かなくなっていた
のだ。

 だがコハルを見ると、さっきより不安げなようすで、変に揉めても、誰
のためにもならないと思い、店主のことばに従うことにした。
96 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/25(火) 16:22
 オレたちはお詫びと、それからお礼をいって、店を後にした。

 2人とも、帰りの道すがら、釈然としない思いでいっぱいだった。
 
 
 
97 名前:さるぶん 投稿日:2010/05/25(火) 16:25
更新です
98 名前:さるぶん 投稿日:2010/05/26(水) 09:52



 謎が解けたのは、翌日のこと。

 王に遅れること半日、元老院が隣の国から戻ってきたという知らせを
受けて、オレの頭の中は、今後の身の振りかたについてで一杯になっ
ていた。

 コハルの財布については、どうせ王族なのだから、ポケットに入れて
持ち歩けるぐらいの額、大した痛手ではないのだろうと思っていた。

 つまり、飯屋でのことはとうに忘れていたのだ。

 それでも、オレは思い出すきっかけを得た。

 今日も今日とで考え事をしていると、コハルが部屋を訪ねてきた。

「昨日は楽しかったね! こんどは、どこいこっか?」

 そういって、持って来た地図を広げると、ここがいい、あそこがいいと、
やりはじめる。

「ねぇ〜、いっしょに考えてよ!」

 コハルはベッドの上で、ぽんぽん飛び跳ねて、ダダっこのようだ。

「…ん、じゃあ、こことか」

 オレは見もせずに、テキトーに地図の一点を指さした。
99 名前:さるぶん 投稿日:2010/05/26(水) 09:52
「”ここ”じゃわかんない。どこ?」

「”ここ”ったら ここだっての、ほら、この”ヲップーン”ってとこだよ」

「えー!ヲップーン村?…それって国の外だよ」

 オレはさすがに見当違いすぎると思い、ちゃんと地図を見た。

 すると、たしかに【シャイネリア王国】として括られた箇所の、だいぶ
外れに【ヲップーン村】は位置していた。

 また地図は観光ガイドにもなっているらしく、【ヲップーン花の名産地】
と書き添えられていた。

「…でも、ちょっと行ってみたいかも。それとコハル、生まれてからいち
ども、この【ナーサン峠】を越えたことがないの」

 コハルは地図を見ながら、これまで自分が遊びに行ったことのある
場所、または政務として訪れたことのある場所を教えてくれたが、その
話を聞いている途中に、はたと気づいたことがある。

「…なぁ、コハル。ここに書かれてる文字、なんていうんだ?」

「え…?なんで、そんなこと聞くの?」

「いいから」

「うん…これは、いま話してるのと同じシャイナの文字だよ」

――やっぱり。
100 名前:さるぶん 投稿日:2010/05/26(水) 09:52
 オレは聞く・話すだけじゃなく識字までできるようになっていたのだ。

 そういえば昨日も、コハルが読み上げるまでもなく【パパン家のキッ
チン】の看板が理解できたのだった。

「この城に、図書館はあるか?」

「あるけど…どうして?」

「どこにある?」

「…まさかいくの?」

 コハルは顔を真っ青にすると、

「本なんて、だーいっ嫌い!」

といって布団にもぐりこんでしまう。

「コハル、ぜーったいに行かないからね!」

 そういってオレに向かって、顔→舌の順で出してみせた。

 もう完全にガキんちょなんだが、かまっているヒマなどなくて、オレは
場所を聞き出すと部屋を出た。

 行きしなに、キッカと出会う。

 図書館へ行くというと、案内を買って出てくれた。
101 名前:さるぶん 投稿日:2010/05/26(水) 09:53
「ここです」

 ドアを開けると、こじんまりとしたものだったが、たくさんの本が並ん
でいる。

 オレは、ちらと後ろを振り返ったが、なにも言わずに中へ入った。

 行かないといったくせに、コハルはちゃっかり後をついて来ていたの
だ。

 中へは結局、入ってこない。

「本当に、嫌いなんだな…」

 呆れていると、キッカも気づいていたらしく、

「姫さまは、ぜったいに本をお読みにならないです。朝の沐浴のあとは、
ご機嫌がよろしいときもあって、お与えしてある課題のものを、すこしは
読まれているようですが…」

 それでも年に一冊読み終われば、いい方だという。

「じゃあ、ここにある本なんて、ほとんど読んでないか」

 オレは図書館――というより、図書室というべき、その内部を見渡し
た。

 ニッポンでいうところの児童図書室ぐらいの広さ、そして冊数といった
感じだ。

「なにを、ご所望ですか?」
102 名前:さるぶん 投稿日:2010/05/26(水) 09:53
 キッカはレファレンスまでやってくれるらしい。

 現実の図書館にもこんな子がいたらなぁ…と思ったが、恥ずかしい
ので口には出さなかった。

「いや、その、具体的に何というわけじゃないんだ。…ただ、現状を
どうにかするきっかけになればと思って…」

 そういいながら、いろいろと手に取って見たが、どれもピンとこない。

「…そこの、すみっこのやつ、おもしろかったよ」

 入り口から、顔だけつっこんで、コハルが指さした。

 取り上げて開くと、絵ばかりのやつだった。

 ほかのも見てみるが、似たようなのばかり。

「ダメだ…」

 オレは肩を落とした。

 絵本が悪いわけではないのだ。

 異世界という”情報が不確かな場所”にいるのだから、見る側の感性
が問われる絵よりも、文字というずっと確かな情報が欲しかったのだ。

 昨日の外出や、さきほどの地図を広げたときのことを考えると、とくに
読めない文字があるわけではなかったから、大人向けのものだって問
題なく読めるはず。

 それを伝えるとキッカは、

「なら、本館のほうへ行くといいです」

「本館?…じゃあ、ここは」
103 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:54
「姫さま専用の図書室です」

「どうりで…お子ちゃま向けの本ばっかなわけだ」

「コハル、お子ちゃまじゃないよ!」

 そういうが、入り口の”へり”のところへしがみついたままだ。

「それに」

 キッカは、ちょっと不適な笑みを浮かべた。

「本館には便利なサービスがございますです」
 
 
 
 
104 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:54
 
105 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:54



 本館へいくためには、この塔を抜けなければいけない。

 オレは出入りを控えなければいけない身だったが、キッカは、しばらく
どこかへ消えると、一着のローブを持ってきた。

「これを着るといいです」

「…これは?」

「元老院のひとたちが必ず身につけているものです。顔が隠れるので、
ちょうどいいです」

「でも、どうやって…」

「それは」

 といって、指を一本、口の前に立てると、東塔――つまり元老院の
人間が急な会議などで寝泊りすることのある場所の、その備え付け
の洗濯場から拝借してきたのだという。

「洗ってないやつですので、ちょっと臭うかもです」

「それは、かまわないけど…いいのかよ」

 心配だったのだ。

 オレのために、キッカはあれこれと手を尽くしてくれるが、どれも規則
を犯していそうなものばかり。
106 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:54
「元老院のやり方には、以前から、反感をおぼえていたですし、あなた
は姫さまから好かれています。悪い人には、とても見えないです。それ
に…」

 躊躇いながらも、ローブを着せてくれる。

「誰にもいえなかった秘密を、あなたは聞いてくれたです…」

 ここで働く侍女のすべてに対して申し渡されていた”質問禁止”は、
”先代の辞めていった後先”についてのものだけで、”沐浴について
のもの”は、それをキッカがひとりで行うと決められていたため、ほか
に聞かされているものはいないのだった。

 つまりキッカには他人と共有できた秘密と、そうでない秘密があっ
たのだ。

「そうでしたから、すごく…うれ…」

 キッカはそのあと、何か口にしたようだったが、とても小さな声だった
ことと、オレがフードをかぶせられてしまったことで、よく聞き取れなか
った。

 2人並んで塔を出る。

 ふと限られた視界の中でうしろをふり返ると、コハルが恨めしそうな
顔で、こちらを見ているのが目に入った。
 
 本館への道すがら、オレは城内のようすを目に焼き付けた。

 元老院が帰ってきたということで、なにか動きがあるかとも思ったが、
最初に徘徊したときと同じ、いたって日常の風景という感じだった。

 途中、おなじローブを来たやつとすれ違ったときは冷や冷やしたが、
あとはキッカの道案内どおり、なんの問題もなくたどり着いた。
107 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:55
 中へ入ると、何千冊という、先ほどの部屋とは比べものにならない
量の本が、所狭しと並べられていた。

「すげえ…」

 オレはおもわず声をあげ、手近にあった棚から見ていった。

「こんなものコハルが見たら、卒倒するだろうな」

 オレが手にしていたのは、シャイネリア周辺の生態系について書か
れたもので、挿し絵こそ入っていたが、分厚さが半端じゃなかった。

「その類の本なら、もっといいのがあるです」

 キッカは踏み台を持ってくると、それに乗って、同じ書棚の高いとこ
ろのやつをとろうとした。

 それでも、まだ足りなくて、背伸びしたスカートの裾から、ちらりと足
が見えた。

「オレが取ってやるよ」

 そう言って台に上りながら、オレはドキドキしていた。

 侍女ということもあって、キッカはこれまで肌を一切露出させない服装
ばかりしていたから、足首だけなのに、オレは見てはいけないものを見
てしまったような気がしていたのだ。

「前に来たときは、もっと下にあったですのに」
108 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:55
 台は、ギリで2人乗れるぐらいの大きさだった。

「どれ?」

「えっと…これです」

 キッカは狭い足場でバランスを取ろうとして、懸命に爪先立ちしてい
るので、オレの顔には息が掛かる。

 それで、オレは妙な気持ちになるのとくすぐったいのとでバランスを
崩してしまった。

「うわっ…」

 足首が変な方向に曲がりそうになりながら、オレはなんとか書棚を
支えにして持ち直すが、落っこちそうになったキッカを支えようとして、
思わず胸をさわってしまった。

「いやっ…」

 予想通りの大きさだった。

「ご…ごめんっ!」

「大丈夫…です。その…不可抗力です」

 そういいながらも、台を降りるとき放すと危なくなるから、オレは胸
の脇の辺りをずっと支えていて、真っ赤になったキッカの顔がすぐそば
にあった。
109 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:55
「い、一冊ずつさがすのは大変ですぅ…」

 そういって、キッカはオレを部屋の中央、広場のようになっているとこ
ろへ連れて行った。

「え、なに?」

「魔法で検索をするです」

「ま、魔法!?」

 オレは、キッカの胸の感触が忘れられず、テンパってしまっていた。

 頭の中を、エロい妄想ばかりが駆けめぐっていき、それを打ち消そう
として咄嗟に思い出したのが、コハルのAカップだった。

「さっきから、なに考えてるですか?」

「…べ、べつになんでもないよ!」

 オレは頭の中で、コハルごめんっ!と謝りながら、キッカに誘導され
て、広場の中央に立った。

「動いてはいけないです」

 すると、オーロラ状の光が降りてきて、オレの体をすり抜けていった。

「これは直前に考えていたことを読み取って、蔵書と照らし合わせてく
れる、すぐれものの検索システムなのです」
110 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:56
「ちょ…直前に考えていたこと?」

 オレはしまったと思ったが、遅かった。

 目の前に煙のようなものが現れて、宙に文字を形作った。

 【「巨乳 貧乳」に関わる書籍はありません】

 と表示されてしまった。

「きょ、巨乳…ですぅ!?」

「…あのっ、これは、そのっ」

 ついキッカの胸を見てしまう。

「…はてっ?…はてはてっ!?」

 キッカは自分で自分の胸を抱きしめると、うつむいて真っ赤になった。

 一方のオレは青くなったが、周囲から集まる視線をフードが遮ってくれ
ることに対し、神へ感謝したい気持ちで一杯だった。
111 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:56
 
112 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:56
 その後、ちゃんと検索をし、引っかかったものを両手に抱えて、図書
館を出た。

「そ、それにしても、すげー魔法だったな」

「はいです…」

 キッカの胸は、今度は抱え込んだ沢山の本で隠れていた。

「この国における魔法は、いま見たような公共的なものをのぞけば、
ほぼ独占的に元老院にのみ生成・使用が許されていますので、わた
しも見るたびにおどろくです」

 相変わらず流暢に説明しながらも、こっちをまったく見てくれない。

 怒らせてしまったかもしれないなと、オレは思った。

 とはいえ、借りてきた本の中には、識字できるオレにも難しくて読め
ないものが多く、キッカは調べものを手伝うといってくれた。

 部屋へ向かう途中で、いちど勝手口へ向かう。

「昼食の時間ですから、その指示を出さなくちゃならないです」

 到着してみると、誰もいない。

「はて?…すでに支度にかかっていても、おかしくない時間ですのに」

 キッカは、侍女たちの部屋を見てくるといって、出て行った。
113 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:57
 オレは外へ出てみることにした。

 意外と、すぐそこにいるかもしれないと思ったからだ。

 抱えた本を、そばの流しのところへ半分だけ置いて片手を空けると、
勝手口のドアノブを開けようとして、手を伸ばした。

 そのときだった。

「――ごえんくださ…」

 押そうとした取っ手が、掴むよりさきに逃げていった。

 オレはバランスを崩して倒れ込み、いきなり目の前に現れたひとに
圧し掛かってしまった。

「…ひゃあ!」

 気付くと、昨日、飯屋で見た少女を組み敷いていた。

「あっ!!」

 後ろから声がするのでふり向くと、コハルとキッカが立っていた。

「あの…これはですね」

 オレは千ものいいわけを思いついたが、口に出すべきものは
一つもなかった。

 少女は目をつぶり、真っ赤にした顔をそむけて唇を結んでいる。
114 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:58

 オレは、もちろん、そのまま身動きが取れなくなってしまった。
 
 
 
115 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:58
 
116 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:58



「――貴様っ、姫様というものがありながらっ!」

 剣を抜こうとしたサーヤを、あわててキッカが止めに入る。

「やめるですっ!」

「そうだ!オレの話もすこしは聞けって!」

「話などないっ!まっ昼間から勝手口で…そ、そそそんな…ハレンチ
なことをするやつとはっ!」

 サーヤは鼻息と興奮が収まらないので、鞘ごと剣を取り上げられて
しまう。

「だいだい、いつの間に、オレとコハルは、『姫様というものがありなが
ら』なんて言われる関係になったんだ」

――それじゃまるで”許婚”みたいじゃないか。

 そこまでは、さすがに口に出せず、ちらっとコハルの方を見るが、怒っ
てるとも楽しんでいるとも取れる表情をしていた。

 となりには、飯屋の少女がいて、うつむいている。

「おまえっ、あれだけのことをしておきながら、責任取らない気でいたの
か!」
117 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:59
「『あれだけ』ってなんだよ!」

「そ…それは…」

 顔を真っ赤にして、オレが入浴中にコハルの裸を見たことだという。

「えー? いちど見ただけで結婚するんなら、コハルは100回もキッカの
お嫁さんになっちゃうよ」

 コハルは呆気なく”結婚”なんていう。

「…けけけけっこん!?」

 サーヤは茹で上がったようになって、ベッドに倒れこんでしまう。

「――はい、みなさん。よろしいですか」

 ぱんぱん!と手を打ち、キッカが場を仕切りなおす。

「いまのは姫さまから見たときのお話でした。お次は、どなたから伺い
ましょう」

 一瞬、手を上げようかとも思ったが、ふとキッカのほうを見ると、冷た
い目でこちらを見ており、オレは咳払いでごまかすと、目一杯、紳士に
言った。

「彼女だろ、アウェーなんだし」

 みんなの目線が、飯屋の少女にあつまる。
118 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:59
「えっ…」

 ぽっ…と顔を赤らめて言った。

「…えっちぃのは、よくないとおもいます」

「――ほら!やっぱ野獣だったんだ!」

 サーヤが起き上がってきた。

「あの、そういう意味じゃらくって…」

 オレとサーヤとで一悶着を終えると、少女は、やっぱり舌足らずに語り
だした。

「わたしの名前は、アイリといいます。お店で働きはじめて、ちょうろ5年
になります」

 隣国のハンネルカからやってきたのも、そのころで、アイリは、シャイ
ネリアでは、ずっと同じ店で働いていたことになる。

「もともとお店は、いまみたいじゃらくって、人気が出はじめたのは、わた
しが働きはじめたあと、お姫さまの注文が入るようにらってからでした」

 さしずめ、店はコハルの贔屓があってブレイクしたことになるが、その
ため、昼どきの忙しいときに出前があると、いくら苦しくても城からのもの
なら必ず応えていたという。

 しかし、最近はめっきり楽になっていた。
119 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:59
「ご存知だとはおをいますが…それに…お城のおかたを前にしていう
のも、本当にごえんなさいなんですけど…いまこの国は、あまり景気
がよくないです」

 オレは驚いた。

 こんな年下らしい子が、景気について語っていることに。

 また、ちょっと足らない子なのかと思われたアイリだが、それはしゃ
べり方についてだけの問題であるらしいことに。

 もっと言えば、昨日、飯屋で野次馬が、コハルの落とした財布に
ついて言った、『近頃は、不景気だからよ、とっくに誰かがネコババし
ちまってるだろうぜ』というのが、ただの煽りではなかったことに。

「…そうなのか?」

 答えたのはキッカだ。

「はいです…。昨日まで、王さまが出ていらしたハンネルカへの外遊も、
そのことに関係しているです」

 アイリは”パパン家のキッチン”の売り上げも落ちていたという。

「…というか、お客さんは、むしろ、ちょっとずつ増えてたんです。姫さま
がごひいきにしてくらさってるというのが口コミにらって。…けれど、
材料費とか、あたしにはよく分かららいんですけど、そういうのが高くな
って、それれ…」
120 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:59
「ウチも聞いたことがあるな。あそこの店は、突き出しに水を出すだろ?
あれが評判を取って、客足を伸ばしてたっていうが、実際、かなり響い
ていたって話だぜ」

「…は? 水が?」

 オレは、またぞろ驚いていた。

「どうしてだ?…水っていったら、あの水だろ? ニッポンじゃ、タダに
近いぐらいの値段だし、ぶっちゃけ捨てるほどあるぜ」

「このシャイネリアでは、水が貴重なのです。お城で――つまりは、この
国全体でということですけど、水浴びが1日に1度以上、許されているの
は、王さまと姫さまの、たった2人だけです」

 見ると、コハルがぽかーんとしている。

 知らなかったらしい。

「ウチだって、訓練のあとは、布でカラダを拭くぐらいしかできなくて、き
もち悪いったらないんだぜ」

 サーヤ、キッカのところでも、2日に1度といったありさまらしく、まして
や侍女や庶民ともなれば、数日に一度入れればいいほうなのかもしれ
ない。

「…オレ、昨日と、今朝も入ったんだけど」

「それは、姫さまが、あなたを国賓待遇で処したからです」
121 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 09:59
 オレは背筋が凍る思いをした。

 かなり無意識で流していたからだ。

「それで、そのあとはどうしたのですか?」

 キッカが先をうながす。

「はい。それで、あちらのお方がおっしゃったように、うちではお水を出す
こと、それから王室の御用達であること、この2つが大事なんらっていっ
て、主人は、お店の方針を変えたりしませんでした」

「ムリして、店をつづけてたんだな」

 サーヤが同情するようにして言った。

 オレは昨日、突き出しの水を飲んだだろうか?

「それれ――」

 アイリは言った。

「お店は潰れてしまいました」

 その場にいた全員がおどろいた。

「は?」

 中でも、オレとコハルは顔を見合わせていた。
122 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 10:00
「…つい昨日までやってただろ?」

「そうだよ。コハルが行ったときも、ちゃんとお水でてきたよ!」

 この発言に、キッカのメガネが光ったのをオレは感じたが、とりあえず、
この場では見逃してくれたようだ。

「はい…。らから、わたしもビックリしてるんです。住み込みで働いてる
んですけど、今朝、起きたら、とつぜん主人が、『店をたたむ』って…」

「今日いきなり…ですか?」

「らんの予告もありませんでした。それれ…」

 アイリは、ふところから何か取り出した。

「…あっ、それコハルの財布!」

「主人から預かってきました。お返しします」

 アイリは、コハルに財布を渡した。

 オレはそれを見届けると、キッカを見た。

 どういうことなのか、いい加減に説明しろ――そういう顔をしているの
が、ありありと分かった。

 ほかに一名、顔中をはてなマークにしているやつもいたので、オレは
観念して、すべて話してしまうことにした。
123 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 10:00
「――なるほど、そういうことだったのか」

「姫さま、なんてことを!」

 サーヤとキッカは思い思いの感想を口にし、コハルは反省して小さく
なっていた。

「でも、どうしてキミが財布を?」

「はい。今日伺ったのは、それをご説明するのが、いちばんの目的だっ
たんです――」

 そういって、アイリは語りだした。

 あの日、オレとコハルが帰ったあと、主人は早々に店を仕舞った。

 不思議に思ったアイリはあれこれ訊ねたが、お前はいいから洗い物
でもしてしまいなさいと言われ、従うしかなかった。

 夜遅くのこと。

 二階の寝床で、ふいに目を覚ますと、下で主人が誰かと言い争いを
しているのに気づいた。

 小声だったが、確かに、アイリは聞き取れたという。

――お前は、一体、どこまで私たちに迷惑をかければ気が済むんだ。

――そう堅いこというなよ、兄貴。どうせ、この国も長くねえんだ。せい
ぜい楽して稼いだって、罰は当たらねーよ。
124 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 10:00
 アイリは”兄貴”ということばに耳を疑った。

 主人に兄弟がいるという話は、聞いたことがなかったからだ。

――この国にやってきてからというもの、父さんと母さんが、どれだけ
苦労してこの店を切り盛りしてきたか、おまえ忘れたのか?

――忘れちゃいねーよ。だがな、あいつらが、お前ばかり贔屓して、
オレのことなんか歯牙にも掛けちゃいなかったことだって、よーく覚え
てる。

 そのあと、どさっという音がした。

――取っときなよ。

 音の感じから、テーブルになにか置いたようだった。

――おまえ、これが誰の持ちものなのか、分かってて擦ったのか。

――知らねーよ。ただ俺の縄張りには見かけない顔だったし、身なり
のわりにいい財布持ってたから、お前には似合わねーよと思って頂い
ただけさ。

 アイリは言わないが、オレは、もしやコハルの正体が見破られていた
のではと思った。

 そのあと声の主は、なぜそんなことを聞くのかと訝しがったが、

――そんなことは、どうでもいい。…とにかく、この財布は持ち主に返す。
125 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 10:01
――なんでだよ。いつもみたいに、いらない、いらない、って言いながら、
ちゃっかり溜め込んどけばいいだろ。隠し場所だって知ってるんだぜ。

 そういって声の主は、部屋を物色し始めた。

 アイリは、それが気になって廊下へ出ると、こっそりと下を覗いた。

 しかし物陰になって、よく見えない。

 あと少しと思っていると、木の床を踏み鳴らしてしまった。

――誰だ!

 声の主は警戒したが、

――家鳴りだろうよ。

 主人が言った。

――この店もだいぶ古いからな。おまえは知らないだろうが、これを父
さんと母さんが建てたのは…

――だーっ、もういいよ。顔を合わせれば昔話ばかりしやがって…。

 そういうと声の主は出て行った。

 アイリはそのまま部屋へ戻ると、かび臭いベッドへもぐりこんだ。

「次の朝でした。主人は店をたたむ、おまえには暇を出すといった
あと、これをお城へ届けてくれと言って、お財布と、それからわたし
には働いた10倍ものお給料をくれました」
126 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 10:01
 アイリはふところから、裸のままの紙幣を出した。

「出前するとき、いつも勝手口へまわっていたので、今日もそっちへ
まわろうと思いました」

「そこで、ちょうど外へ出ようとしたオレとぶつかった――ってわけだ」

「はい」

 オレはコハルに例のぼろの上着を持ってこさせて、財布と合わせて
みたが、穴の大きさと合わなかった。

 コハルが落としたのでもなければ、確かに、これは擦られたものだと
いうことになる。

 みんな、それぞれに考え込んでいるようだったが、口を開いたのは、
コハルだった。

「でも、今日は、出前頼んでおいたんだよ?」

「はい。それも、お断りしらくっちゃと思っていました。お店があんなで
すから、いくらお城からの注文でもムリです…」

 オレがアイリを押し倒したとき、コハルがそれを見ていたのは、そろ
そろ出前が届く頃合だからといって、下に来ていたからだった。

 侍女たちが仕事をしていなかったのも、出前を頼んでいたからだった
というわけ。

「じゃあ、本当に下心があったわけじゃないんだな」
127 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 10:01
 サーヤが、渋々といった感じで認めた。

「…あ、当たり前だろ!」

 オレは怒ってみせたが、すぐに冷静になった。

「行くところ。あるのかよ」

 アイリが受け取った法外な給料は、知ってはいけないことを知って
しまったことに対しての、口止め料のようなものではなかったか。

 仮に、主人が夜中にアイリに聞き耳を立てられていたことを知って
いたとしても、まだ子どもだから、兄弟が擦りをやって生計を立てて
いるということをネタに強請りを仕掛けてくる、そのようには思わなかっ
た。

 しかし、念には念をということもある。

 あるいは、本当に、これまでの労をねぎらって――ということだった
かも知れないが。

「行く当ては、ありません。しばらくは、このお金で寝床をさがして、
また働けるお店をさがします」

「でも、不景気なんだろ? おまけに、厄介ごとに巻き込まれて、街を
歩くのも危ないんじゃないのか?」

「それは…」

「なぁ、キッカ。この城に住まわせてやることは、できないのか?」
128 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 10:02
 オレの言い出したことに、サーヤたちは驚いていたが、キッカは予測
していたんだろう、とくに変わったようすもなく思案している。

「オレとちがって女の子だし、口だって固いよな?」

「…は、はい」

 アイリは、戸惑いながらも請合った。

 これは口先だけじゃないはずだった。

 くり返すように、街には犯罪がらみでアイリに弱みを握られている可
能性の高いやつが、少なくとも1人いる。

 そいつはアイリの存在を知らないが、それはいつまで続くのか分か
らない。

 城を出て行けば、アイリは、そいつに出くわさないよう怯えながら
暮らし、あの夜に見聞きしたことは黙って、墓場まで持っていかなけ
ればいけないのだ。

 オレは、それをみんなに伝えた。

「この塔についての規則なんて、アイリにとっては秘密が1つ2つ
増えるだけだろ?」

「たしかに。フワフワしてるけど、こいつは信用できそうだな」

 そう言ったサーヤをはじめ、みんな頷いてくれた。

「わかりましたです。この塔には、余分な部屋がいくつかあるですし、
当面の住人もひとり増えたところだったです。つまり」

 そういって、オレの方を見た。
129 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/05/26(水) 10:02
「侍女がひとり、必要になっていたところでしたから、下働きすることを
条件に、一室、提供しようと思うです。ただし…この塔の使用に関する
ことですから、あとのお2方の同意が必要ですが」

 サーヤは、すでに賛成していた。

 残すは、コハルだけだ。

「え…べつに、いいけど…」

 そういって遠慮がちにオレを見たあと、アイリと目が合ったコハルは、
つまらなさそうにそっぽを向いてしまう。

「じゃあ決まりです。ただし、あなたのことも含めて、元老院から、妙な
探りを入れられても困ります。その点は、くれぐれも注意するです。いい
ですね?」

 オレとアイリは、顔を見合わせた。

「よろしくな、アイリ」

「はい」

 その笑顔を見て、オレはうれしくなった。

 オレは、この国に来てはじめて、自分の決定がみんなを動かしたとい
うその事実に、誇らしさを感じていた。
 
 
 
130 名前:さるぶん 投稿日:2010/05/26(水) 10:02
更新です。
131 名前:さるぶん 投稿日:2010/06/05(土) 09:37



 アイリは、はっきりいって”役立たず”だった。

 ハンネルカに住んでいたころ――つまり幼いころのことだが、
ずっと働き詰めだったというわりに、「パパン家のキッチン」での印象
どおり侍女としての振る舞いにもムダが多かった。

 手足の長いペンギンのように、ひょこひょこと動くものだから、見てい
るぶんには楽しいが、よく観察すると、ほかの侍女に対して足手まとい
なことばかりしている。

 これで例の、「ごえんなさい」という謝罪――というか、何というのだ
ろう、自分が役立たずであることへの自覚のようなものがなかったと
したら、いくらオレがフォローしたところで、ほかの侍女たちからいじめ
を受けていたと思われる。

 一度など、酷かった。

 日ごろから、いくら注意しても”ナシのつぶて”という感じだったコハ
ルとはちがい、アイリは何でも素直に言うことを聞いた――従えるか
どうかはともかくとして――から、叱りやすかったのだろう。

 キッカは侍女を束ねる立場として、よくアイリの仕事にチェックを入れ
ていたのだが、どうにも作業が進まないのに業を煮やし、ほかの侍女
たちと引き離してしまった。

 どこへ向かったかというと、オレの部屋。
132 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:37
 そう――アイリは、オレの専属メイドのようになっていたのだ。

 ”国賓扱い”といったって、塔に軟禁されているわけだから、家財道
具のほかに物なんて何もない。

 ただオレがいて、最低限の衣服があって、そこに毎日、コハルがちょ
こんとくっついているだけという、至ってシンプルな部屋だ。

 アイリは、この部屋を、丸一日かけて掃除する。

 これは、ほかの侍女が1人で、3部屋掃除するだけの時間だった。

 あまりに作業が進まないので、掃除してもらってるこっちのほうが気
を使ってしまいぐらいだった。

 その日も、昼間に、なにか別の仕事が立て込んでいたらしく、夕方に
掃除をし始めたアイリは、案の定終えることができなくて、

「また明日にしましょーね」

 といって、なんと”その日の掃除”を”次の日の朝”に持ち越すことを
宣言して去っていった。

 オレは公務が1つもなかったため、いつまでも部屋に居残っていた
コハルと顔を見合わせて苦笑した。

 次の朝。
133 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:37
 ここのところコハルは毎日のように朝イチで押しかけてきていたのだ
が、その日は、なにか用事でもあるらしく来ていなかった。

「おあようございまーす」

 オレは今日こそゆっくり眠れると思っていると、セリフとは逆に却って
眠たくなるような声をあげて、メイド服の”めざまし”ニワトリ少女がやっ
てきた。

「お掃除しましょーね」

 アイリは夕べ、棚のうえから掃除を始めて、床へ下り、もう一度棚へ
戻ってから、ようやくベッドメイクに取り掛かろうとしたところで帰ってい
ったから、今日は、その続きから始めるつもりらしかった。

「さ、起きてくださーい。昨日は、お姫さまといっしょに、ずーっとベッド
の上にいらっしゃったので、ぜんぜんお掃除できませんでしたからね」

 事実は逆で、アイリがなんども同じところを掃除するので、オレたちは
ベッドの上に”避難”していたのだった。

「さ、朝ですよー!」

 そういって、アイリはオレの布団をひっぺがした。

「…あれ?」

 オレは眠い目をこすっていると、モヤが掛かった視界の中で、アイリ
が何かに興味を示していることに気づいた。
134 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:38
「こんなところに、なにか入ってますよ」

 そういって、オレの足のほうへ手を伸ばした。

 …いや。

 アイリは、オレの”アレ”を摘んでいたのだ。

「すごく固いですねえ」

 当たり前だ。

 オレは”朝立ち”していたのだから。

「…ちょ、なにっ、やめろって」

「らめですよ、わたしはお掃除しなきゃいけないんです。そんなところに
いっぱい溜め込んでちゃお体にわるいですよーだ」

「…なん、なんだよ、そのセリフは!」

 オレは驚きと興奮ですでに晴れ晴れとした視界を確保していたのだ
が、へんな体勢で寝ていたので右手が痺れているのに気づかなかった。

 それでアイリの手先から逃げようとして体を起こすとき、そっちの腕で
重心をとってしまい、ヘロヘロになって倒れこんだ。

 そこへ、ドアが開く。

「なにやってるの!?」
135 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:38
 見ると、コハルが立っていた。

「…いやっ、これは!」

 オレは自分の体勢が、コハルの目には無抵抗でされるがままになって
いるように見えるだろうと思った。

「お掃除してるんですよー」

「お掃除?」

「そう、このなにか固いものを、お掃除するんですよ」

「だから…その言い方やめろって!」

 オレは下手すると、寝巻きのズボンまで脱がされそうな勢いだったの
で、仕方なしに痺れてないほうの手でアイリを突き飛ばすと、ようやく
開放された。

 アイリは押された右肩から くるんっ!と半回転してベッドに突っ伏す
と、そのまま すかー すかー と息を立てはじめた。

「寝てる…のか?」

 オレとコハルは近寄ってゆすってみるが、まったく反応がない。

 アイリは、そのまま とうとうと眠り続け、半日が経ったころ、ちょうど
1300回目の すかー を飲み込んで、がばっと起きだした。

「あの…わたし…」

 アイリは口のよこにヨダレを垂らしながら、あたりをキョロキョロしてい
る。
136 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:38
「なにか…また失敗しちゃいましたか…」

 アイリのまわりには、オレ、コハル、それから、いつまで経っても現れ
ないことを心配して駆けつけたキッカがいた。

 その後、ヨダレを拭くことも忘れ、アイリが切々と語って聞かせてくれ
た話によると、徹夜で仕事をしていて、寝ていなかったらしい。

 今朝、アイリが早くからここにいたのは、「前日の掃除が終わらなかっ
たから」だが、その「昨日の掃除が終わらなかったことの理由」である
ところの「午前中に立て込んでいた仕事」とやらも放置したままであった
らしく、昨晩は、夜の間じゅうずっとそれをやっていたんだとか。

 つまりは一睡もしていなかった、と。

「ご、ごえんなさい…わたし、なにも覚えてないんです」

 そう言って申し訳なさそうにするアイリだが、キッカが怖い顔で何を
していたか説明を求めてきたので、オレは渋々教えた。

 するとアイリは、

「…え、えっちぃのは、いくないとおもいますっ!」

 といって手近にあったマクラを投げてきた。

 オレは、こっちのセリフだ!――と言いたいのを飲み込んで、それを
顔から引き剥がした。

「まぁ、まぁ、不可抗力ってことで…」
137 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:39
 キッカの呆れたような目と、状況をうまく飲み込めていないかのような
コハルのピュアな目線が顔中に突き刺さってオレは痛かったが、何と
か場をとりなすことができた。
 
 
 
138 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:39
 
139 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:39



 キッカといっしょにアイリが出て行くと、部屋にはオレとコハルだけが
残った。

 本を出してきて、オレは調べものに取り掛かる。

 先日の話し合いで、ふと話題になった財政事情を含め、オレにはいろ
いろとシャイネリアについて知りたいことがあったため、あれから重ねて、
キッカには本を取り寄せてもらっていた。

 おかげで、テーブルの上には、本の山が出来ている。

 いつもはキッカが手伝ってくれるから別だが、今日は1人きりで、その
高さが妙にプレッシャーとなっていた。

「ねぇ、ねぇ。本なんかやめて、おでかけしようよー」

 オレから離れたところで、コハルは毛布にくるまっている。

 本嫌いが、相変わらず出ているところなのだ。

「ダメだ」

「どうして?」

「じっとしていられないからだよ」

「コハルだって、おんなじだよ。いっしょに、おでかけしたいもん!」

「…あのなぁ」

 オレは調べ物の手を止めて、向き直った。
140 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:39
「お前だって、こないだの話、聞いてただろ? この国の状態のこと」

「うん」

「オレだって、べつに学者じゃないから、役に立てるかどうかは分かん
ねーけど、なにかこの国のためになることをしたいんだよ。それに…」

 この国を出ていった後のこと、元の世界に帰るための方法――そう
いったこともオレは考えていたが、コハルの前で口にするのは躊躇わ
れた。

「コハルだって、考えてるよ!」

「はぁ? どこがだよ。毎朝、バカみたいに水使って、無意味にドレス
まで作って、国が戦争かってときに小遣いもらって遊び歩いて」

「…コハル、バカじゃないよ」

 しまった。

 さすがに言い過ぎた。

「コハルだって、この国のこと知りたい。お母さんのこととか、色々と、
みんなに聞きたい。でも、キッカも侍女の子たちも、塔の外にいるひと
たちも、みんな何も教えてくれない…」

 コハルは鼻の辺りまで毛布にくるまってしまう。

「おまえ…」
141 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:40
 そうだったのだ。

 この国――いや、コハルのまわりは秘密主義といってもいいような
状態にある。

 沐浴をサボったぐらいで、身の回りに裁判だ処刑だなんてことばが
飛び出すようだから、コハルの元に情報が届かないのも無理はない。

「コハル、少ないけどお小遣いもらってるし、それを使えば、城下町の
人のところにもお金が届くと思って、もらったら溜めないでおくことにし
てる。

ドレスを作るのもご飯を頼むのもおなじ理由からだし、みんなの顔が
見たいから、お城を抜け出したりする。そういうの、全部いけないこと
なのかな…」

 コハルは自分なりに、ちゃんと考えていたのだ。

 だから、オレみたいな”外部”を知っているやつのことが気になるし、
”ニッポン”についてしつこく聞きたがる。

「…いけなくはねーよ。ていうか…ぶっちゃけ、偉いと思うよ」

「ほんとに?」

 コハルは顔を上げた。

「あぁ。お前が、そこまで考えてるなんて、オレ鈍感だったかもしれな
いな。でも…」

 だからこそ、オレも色々知りたいんだ――そういうと、コハルも分かっ
てくれたようだ。
142 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:40
「でも、コハルには、教えてあげられることなんか何もないよ…」

「そんなことないだろ。例えば、小遣いは誰からもらってるのかとか、
沐浴で使うお湯って、どっから運んでくるのかとか」

「…お小遣いは、キッカからもらってるよ。お湯は、毎朝、元老院のお
使いのひとが運んでくるの」

「元老院の? やっぱ、あのローブ着てるのか?」

「ううん。わからない。いつも、コハルが寝てるあいだにくるから」

「じゃあ、使ったお湯は? 捨てるのか?」

 オレはニッポンでも稀にそうするように、洗濯とかに使いまわしてい
るのではと思った。

「それ、コハルも気になって聞いてみたことあるんだけど、キッカはよく
分からないって。質問が禁止されてるから」

「そっか…。ほかに、塔の外のやつに質問するタイミングはないのか」

 しつこく聞いていれば、誰かしら、ぽろっと漏らすんじゃないかと思っ
たのだ。

「ないよ。塔の外のひとは、お父さんも含めて、みんな午前にしかこな
いんだけど、たまにしか来ないし、人数も少ないし、一方的に用事を
済ませると帰っちゃうの」
143 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:40
「午前にしかこない?」

「うん。お湯を引き取りにくるひとも、そうだよ。そのひとは、ちゃんと
ローブを着てて、お湯がたしかに使われたかどうか調べていくんだ」

 そこで未使用だと分かると、沐浴をサボったとバレるってわけか。

「…まてよ。なんで、お湯が使われたかどうか分かるんだ?」

 それには、コハルは首をかしげた。

 考えてみれば、量なんて、使ったまま全部もどしてしまえば見た目
には減ったかどうかなんて分からないはず。

「おまたせしましたです!」

 キッカが仕事を終えてきた。

「今日は、なにを調べるですか」

 オレはいましていた話を、キッカにも聞かせてみた。

「お湯…ですか。わたしに分かることといえば、お湯を作るのに掛かっ
ている費用ぐらいです」

 コハルがらみの政務を担当するため、国の財政には多少首を突っ
込んでいる。

「あのお湯には、国の予算の3分の1の額が当てられているです」

「…さ、3分の1!?」
144 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:41
 いかに水が貴重でも、それは破格だった。

「はいです。あくまで、わたしの見立てにすぎないですし、書類上の
ことにすぎないとも思うですが…。たしかに、多すぎるです」

 とはいえ、お湯についての質問は禁止されている。

「ほかには?」

「お湯は、元老院から、毎朝、決まった量が支給されるです。それと、
さきほどおっしゃった使用済みかどうかの検査についてですが、なに
か薬品のようなものを入れて、反応を確かめているのを見たことがある
です」

 オレは思案した。

 貴重な水資源、莫大な予算を掛けたお湯、沐浴の義務化、徹底した
秘密主義、コハルの出自の謎、元老院の存在、彼らにだけ使用が許さ
れた魔法…。

「そのお湯、まだ残ってるか?」

「はいです。沐浴はさっき終えたばかりですから、今日のぶんは、まだ
…」

 オレは部屋を飛び出した。

 2人を引き連れて風呂場へと向かう。

「なにするです?」
145 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:41
「飲むんだよ」

「…の、飲むですか?」

「やめとけよ!」

 騒がしくなったのを聞きつけたサーヤが、追って合流していた。

「そうだよ。コハルの使ったお湯なんて、汚いよ!」

 コハルは心配そうに言うが、オレは確信めいたものを感じていた。

 異世界へ来てすぐ、なんの手ごたえもなしに認識・操作できるように
なっていた言語のこと。

 この国へ来て、オレが最初にしたことは何だったか。

 それは、お湯を飲んでしまったことだ。

「だから、これを飲めば、なにか変わるかもしれない。例えば、コハル
の本当の名前…」

「クォ・ハル」

「そう…それが、うまく発音できるようになったとしたら?」

 この国へ来たとき、オレは”シャイナ語”なんてまったくできなかった
はずだ。
146 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:41
 それが水を飲むことで、変わったのだとしたら、この水には魔法が掛
けられていることになる。

 少なくとも、元老院という、国の中で唯一魔法を管理することが許さ
れた機関が支給し、回収するこの水には、なにか秘密がある可能性が
あった。

「いくぞ…」

 オレは数杯の桶に戻された、まだ温かい状態の水を、両手で掬って
飲んだ。

 ノドの奥に、不思議な感覚が広がる。

「どうです?」

「…おいしくなかったら、吐き出していいよ?」

 2人が、息を呑んだ。

「クォ・ハル」

 オレは確かに言った。

「すごい!あれだけつかえてたのに!」

 コハルが手を叩いた。

「確かに、トロ子の発音もきれいだと思ってたけど、それと同じか、それ
以上だぜ!」
147 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:41
 サーヤも興奮している。

「やっぱり、これは魔法が掛けられた水だったんだ」

 それを頭まで浸かって、お湯を飲み込む――しかも、コハルにビンタを
食らって、二度までも浴槽に沈んで、それでオレは魔法に掛かった。

「ちょっと待ってください…。まだわからないです。あなたが、たんに、この
国のことばに慣れただけかもしれないです」

「そっか…」

 オレたちは、みんな黙ってしまった。

「誰かほかに、うまく喋れないやついないのか。そいつで試してみよう
ぜ」

 サーヤが漏らした。

 すると、誰からともなく、みんなの視線が1人の少女にあつまり始め
た。

「…?」

 見ると、入り口にアイリが立っていた。

「…ご、ごえんなさい!」

 箒などを持っているようすから掃除しにきたらしかったが、真剣な目
で見られているので、また何か自分が失敗をやらかしたと思ったらしい。
148 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:42
 下げていた頭を上げさせて、事情を説明すると、

「わ、わたし…ですか?」

 アイリは首をふった。

「えっと…べつに…お姫さまの水がきたらいとか、そういうのじゃらくっ
て…あの…その…」

「わかってるよ。魔法が怖いってんだろ? それは大丈夫さ。いま飲ん
だこいつがピンピンしてるんだから」

 そういってサーヤはオレの背中をバンバン叩く。

 アイリは実験台――といっては可哀想だが、それにうってつけだった
のだ。

 うまく言葉がしゃべれず、オレとはちがって、この国に来て長い。

 彼女の滑舌が改善されたなら、これは本物の魔法薬だということに
なる。

 渋るアイリに、サーヤがムリヤリ飲ませようとする。

「…ひゃあ、やえてください!」

「いいから、おとなしくしろ!このブリッコめ!」

 オレはそのことばにおどろいた。
149 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:43
 この国でオレが”ブリッコ”ということばを使ったのは、コハルの前で
だけだ。

 そのとき、コハルは意味を知らないようだった。

 つまり、それは、この国に”ブリッコ”ということばがないことを意味し
ていた。

 見ると、コハルは、あたしじゃないよ…とわざとらしく首を振っている
が、こいつがサーヤに教えたことはまちがいなかった。

「…ふごっ…ゃうぇて…くら…ふごがふっ…さぃ!…」

 肩を掴んで、ムリやり流し込まれるようすは、まるでノドに棒でも突っ
込まれているみたいでかわいそうだったが、背に腹は代えられない。

「…はぁ、はぁ」

「ほら、『ごめんなさい』って、言ってみろ」

「…ご」

『「ご」?』

「…ご」

『「ご」??』

「ごめんなさい…」
150 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:45
 言えた!

「やっぱり、この水は魔法の水だったんだ!」

 ほかに何をしゃべらせても、例のみょうな舌足らずが直っていた。

 ほかの水には、そんな効果ないんだろと聞くと、

「はい。水に渇きを癒す以外の効果があるという話は、聞いたことがな
いです」

 それでも一応、文献に当たってみる必要はありそうだったが、ほぼ
確定だろう。

 問題は、なぜ、こんな水――つまり、少なくとも、言語に対する一定
の効果を持った魔法がかけられた水で、コハルが沐浴をさせられてい
たのかということだった。

「キッカ。コハルの沐浴には、この水が指定されていたってことだった
よな」

「はい」

「これ以外の水を使ったってことは、なかったのか?」

 もしあったのなら、コハルになにか異変が出ていたのではないかと
思ったのだ。

「それは、ありませんです」
151 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:45
「じゃあ水の問題じゃなくて、あとは沐浴の仕方の問題だ。つまり」

 沐浴をしなかった日があるかどうか、だ。

 オレは前に打ち明け話をされたとき、”オレが転移してきた次の日
以外、一度だって、コハルは沐浴を欠かしたことはない”というキッカ
の話を思い出していた。

 それを告げると。

「あの日、変わったことといえば、姫さまが沐浴の時間にお部屋にいら
っしゃらなかったということだけ。ほかに変わったことはなかったです」

「そうか…」

 オレはふと、コハルを見た。

 その”変化”というのが実在したとして、コハルがオレに”迫った”という
ことが、それに当たるんじゃないかと思ったからだ。

 普段のようすを見ていると、コハルは特に性に開放的だという印象は
ない。

 なのに、あの日のコハルは…。

「どうしたの?」

 オレは、じーっと見てしまっていたらしい。
152 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:46
 コハルは、なにか顔についてる?といって首をかしげている。

「…な、なんでもないよ」

 オレは結局、そのことを言い出せずにいた。

 その後、オレたちは、コハルにしばらく沐浴させないで置いてみるか
とか、さまざまなアイデアを出し合ったが、どれも適切なものとは思え
なかった。
 
 
 
153 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:46
 
154 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:47



 数日後。

 あれから、調べ物ばかりする日が続いていた。

 アイリは、すっかりサーヤに対して恐れをなすようになっていて、ブリ
ッコちゃん、ブリッコちゃんといいながら追いまわされるのに対し、逃げ
まどうようになっていた。

 不思議なもので、それが却って仕事の能率が上げてもいたのだから
世の中分からない。

 オレは苦笑しつつ、それを見守りながらも、自分の存在をアイリに
重ねていた。

 タダで居座るわけにはいかないなと、調べ物に熱を入れていたのだ。

 このとき、もしオレが周囲の動きに対して鈍感になっていたのなら、
それはそのことが理由だったのかもしれない。

 このころ、コハルは、オレに近寄らなくなっていた。

 以前にも増して山積みになった本のせいもあったろうが、いつだった
かの図書室のときのように、入り口のところへ立って、中をつまらなさ
そうに見ていた。

 顔だけ出して、あの子は、いつまでお城にいるのか?と、しきりに
アイリについて煙たがるような発言をくり返していたから、コハルの中
で、彼女の存在が大きくなっていっているとわかった。
155 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:47
 そのうち、いっそ友達にでもなるんじゃないか――なんて、オレは
のん気にキッカと話してさえいた。

 だが、そうしたコハルの変化に、まったく別の意味があったと、オレ
はあとで気づくことになる。
 
 
 
156 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:47
 
157 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:47



「この中に侵入者がいる!」

 男の声がしたのは、部屋のすぐ外だった。

 すぐさま、オレはキッカと顔を見合わせた。

 本を借りてくるにせよ、なんにせよ、オレは、ほとんど部屋を出ること
がなかったから、これまで時折やってくるコハルの父王や元老院の
使いたちに見つかることもなかったのだ。

 それを確認すると、キッカはうなづく。

「おかしいことは、他にもあるです。いまはもう午後3時。こんな時間に、
男性が塔の中へ入ってくるなんて、ありえないです」

 ドアの外では、多くの足音と、姫様!と呼ぶ声がする。

「やつらは、オレを探してるんじゃないのか?」

「分からないです」

 ドアをすこし開けて、外のようすを伺うと、武装した男たちと、元老院
のローブが見えた。

 サーヤたち――つまりコハルの親衛隊も駆り出されていたが、誰も
が塔の上にあるコハルの部屋を目指していた。
158 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:48
「…あれは!魔法使いです」

 キッカが指さした先には、1人、老練そうな男がいた。

 元老院のフードを被り、手にはオーブのようなものを持って、ゆっくり
と歩きながら、辺りを伺っている。

「あれは見たことがあるです。確か、魔力を検知するための道具です」

 図書館の検索システムの不具合を調べるときに、使っていたのだと
いう。

――この妖気、姫様ではないぞ…

 あちこちで鳴っている足音や物音に混じることなく、その掠れたような
低い声は、ドアのすき間から、オレたちの方へそっと忍び寄るようにして
聞こえてくる。

 男はローブのフードを剥ぎ、何かを感じようとして鼻を啜ったり、指先を
探るように中空へ遊ばせたりしていたが、集団の流れに逆行して、下へ
降りていってしまった。

 すると、行き違いでサーヤが上がってきて、集団をそっと抜け出して、
こちらへやってきた。

「お前は、そこに隠れてろ。あとは、ウチがなんとかする!」

「でも、いずれバレるぞ!」

「やつらが追ってるのは、お前じゃない!」
159 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:48
「は? じゃあ誰なんだよ。侵入者って」

「わからない。ただ、女らしい」

「…女?」

 オレは、まっさきにアイリの顔を思い浮かべていた。

 それが表情に出たのだろう。

「あぁ。ウチも、さっきから、あのブリッコのことを探してるんだが、見つ
からないんだ。もう捕まったって話も出てる」

 それきり、サーヤは用心しろと言い置いて、集団に戻っていった。

 キッカも部屋を出ると、こちらへひとが寄り付かないよう、あれこれと
工作をしてくれていた。

 オレは、ただ部屋の中でじっと待つことしかできず、歯噛みした。

 しばらくして、騒動は収まった。

 オレはせめてもと思い、隠れていたクローゼットを抜け出すと、ちょ
うどサーヤが入ってきた。

「無事だったか…。いまトロ子は元老院に連れられて、姫様といっしょ
に王様の元へ向かった」

「どうなったんだ? 侵入者は? キッカは何をされるんだ?」
160 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/05(土) 09:48
「落ち着け。捕まったのは、あのブリッコだ…」

「アイリが!? どうして…」

「ウチにも、よくわからないよ。とにかく諮問会議が開かれてて、事実
関係を確かめるために、この塔の責任者としてトロ子が召喚された」

 サーヤはほかに不審者がいないか、この塔を中心に城内を見回る
よう申し付けられたのだという。

「とにかく、いまは事態を見守るしかない…」
 
 
 
161 名前:さるぶん 投稿日:2010/06/05(土) 09:48
更新です
162 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:20



 詳細が分かったのは、すぐだった。

 サーヤと部屋で待機していると、開放されたキッカがコハルを連れて
戻ってきた。

「無事だったのか!」

 お互いに手を取り合って喜んだのも束の間で、キッカが声を上げた。

「アイリちゃんが殺されてしまうです!」

「なんだって!?」

「わたしが知ることのできた話だと、アイリちゃんは魔女です。その力を
恐れた元老院が、いますぐ処刑すると言い出して…」

「…魔女って、どういうことだよ」

 この国には魔法がある。

 それは知っていた。

 しかし、それは元老院だけが管理することを許されたもの、つまり他
に魔法使いはいないはずなんじゃ…。
163 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:20
「魔法は、生まれながらに備わっているものですが、遺伝するものでは
ないとされるです。見つかり次第、王の権限で元老院ないし、その直属
の組織へ強制的に所属させられ、自由を奪われてしまうです」

「自由を奪うって…アイリは殺されるんだろ?」

「はい。本当なら殺されたりはしないはずなのです…だって」

 自分も魔女だから――。

 キッカはそう言った。

「私も近くの村で生まれて、魔力があることを知りました。でも、あまり
大きな力ではなかったですから、村中に知れ渡るにはずいぶん時間
が掛かったです」

 その噂が城へ――つまり元老院へ届いたのが13歳のとき。

 キッカが城へ雇われたのは、そのためでもあった。

 いつだったか、自分が城に雇われた理由のうち、1つは喋れないと
キッカはいっていた。

 それが、このことだったのだ。

 自分が魔女であると公表することをキッカは禁じられており、たった
1人だけ「この塔」に置かれた。
164 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:20
 なぜだ…。

 なぜキッカだけが。

「城へ連れてこられたあと、そうやって身柄を拘束されたひとを、沢山
知ってるです。でも、殺されてしまったひとなんか一人も知らないです」

 キッカは震えていた。

 オレはとりあえずソファに座らせると、体をさすってやった。

 反対側で、コハルもそうしている。

 なにかトラウマでもあるのだろうか。

 「アイリという知り合い」が殺されるかもしれないという恐怖で震えて
いるのだとは思うが、そもそも、怯え方の質がちがうようにも思えた。

「…ちょっと待ってくれ、ウチ頭が混乱してる」

 サーヤは、さっきから部屋中を歩き回っている。

 オレだって同じだ。

 この国へ来てからというもの、”分かったこと”よりも”分からないこと”
の方が増えている気がする。

 おまけに、さっきまで顔を見てしゃべっていたやつが急に殺されると
か、じつは魔女でしたなどと言われて、すぐに納得できる方がどうかし
ていた。
165 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:20
「アイリの処刑は、いつなんだ?」

「今晩です」

 早すぎる…。

「場所は?」

「街の外れの処刑場です」

 迷っているヒマはない。

 オレたちは決断を迫られていた。

 1つ――アイリを見殺しにするかどうか。

 2つ――助けるのだとして、どうするのか。

「助けにいくなら、メンバーはオレだ」

「ダメ、あぶないよ!」

 コハルが食らいついた。

「落ち着け、コハル。オレは元老院に顔を知られていないから、いろい
ろと行動しやすいし、アイリを逃がしてやるのにも便利だ。それに…」

 オレはもともとこの国の人間じゃない――。
166 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:21
 そう言おうとして躊躇った。

 短い間だったが、コハルたちと過ごした時間は、とても楽しかった
からだ。

 「死刑囚を逃がす」というのは、たぶんこの国における大罪の1つ
であり、「王女の風呂場を覘く」のとはわけがちがう。

 この作戦を決行すれば、俺の存在は元老院に知られてしまうかも
知れず、そうすればもうこの国には居られないだろう。

 みんなとももう会えなくなる…。

「おい…迷ってるヒマはないみたいだぜ」

 サーヤが窓の外を指さした。

 城前からつづく通りを、フード付きのローブをかぶせられた誰かが兵士
に両脇を抱えられて歩いている。

「もう処刑するつもりなんだ!」

 オレは咄嗟に、あのローブを着ていた。

「どうするの?」

「止めにいくんだよ!」

 急いで塔を出ると、サーヤとキッカが付いてきた。
167 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:21
 通りに出ると、あちらこちらに、何かばら撒かれているのが分かる。

 拾ってみると、アイリの人相書きだった。

「死刑囚が出ると、見せしめのために、決まってこうするです」

 オレたちは塔を出る前に、話をまとめていた。

 オレが元老院の一員であると装うこと、コハルが王に掛け合って、
いままさに決定を覆させたのだという嘘をでっちあげること、それを
急いで伝えに来たのだということ。

 そして抵抗されたら、オレがアイリを連れて国外へ逃亡すること。

 コハルは実際、父王のところへ交渉に行っていた。

 失敗したとき、報告が上へいくのを防ぐ目的もあった。

「おい、大丈夫なのか…」

 サーヤが心配そうにいう。

「処刑がすぐってだけで珍しいのに、王さまと元老院が下したはずの
結論がすぐにひっくり返るなんて、なんかおかしいぞ」

 処刑は今晩――という情報。

 これは最高会議で決定したもので、そこにはキッカも出ていた。
168 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:21
 なのに、いまはまだ昼。

「確かに、とても引っかかるです…」

「オレには、よくわかんねーよ。でも、こうするしかないだろ」

 まもなくして追いつくと、オレたちは予定通り芝居を打った。

 連中は最初、信じられないようすでいたが、ローブの効果か、アイリ
をこちらへ引き渡した。

 フードをはがすと、そこには、まったく見知らぬ女がいた。

「はて? 誰です?」

「どういうことだ!」

「し、知りませんよ!オレたちは、ただこいつを処刑しろと…」

 兵士たちは、そそくさと帰っていく。

 オレたちは顔を見合わせた。
 
 
 
169 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:22
 
170 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:22
 その晩のこと。

 昼間の騒動は、上官へ報告にいった兵士をコハルが呼び止め、とり
あえず事なきを得た。

 というのも、あの女はアイリの変わりに殺されるところだったのであり、
要はダミーだったのだ。

 事実、あのビラには魔女のことなど一言も書かれていなかった。

 上としても、捜索に人手が要ったため、内密に処理することはムリだ
と思ったのだろうが、とりあえず”誰かが処刑された”という既成事実
さえつくれればそれでいいと判断した。

 よって、こちらとしては兵士に懐柔してウソの報告をさせるのは簡単
だった。

「もしかすると、アイリちゃんは地下へ連れて行かれたかもです」

 キッカは自分が魔女であるとわかったとき、お城へ来てすぐ、地下の
ある部屋へ連れて行かれたという。

「そこで適正が測られて、勤務先が決まるです」

 じっと床の一点を見つめながら話していた。

「その検査ってのは、なんなんだ?」

「わからないです…」
171 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:22
 キッカの落ち込んだようすも気になったが、それでも行ってみるし
かなかった。

 オレたちのしたことは、コハルの威光もあってとりあえず漏れずに
済んでいるが、明日になれば、昼間の兵士たちが、もういちど上官へ
報告に行く可能性があった。

 あの一件の前に出しておいた、コハルから王への恩赦の願い出も、
あっけなく却下されていた。

「でも、あそこには見張りが付いてるですし、ローブは一着しかないで
す」

「オレがいく。場所を教えてくれ」

 何度も、何度も説明を聞いて、オレは道順と部屋の様子を頭に叩き
込んだ。

 塔の入り口には見張りがいるので、昼間の内に窓から抜け出すこと
にした。

 ありったけのシーツを持ってきて、ロープ状に結び、一方をベッドの
足に結ぶ。

 オレは窓を開け、もう一方を放り投げると、窓枠に足をかけた。

「気をつけてくださいです」

「姫様のことは、ウチたちにまかせろ!」
172 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:22
 サーヤとキッカの顔を、オレはゆっくりと見た。

 もう、ここへは戻ってこられないだろうと思っていた。

「行っちゃいやだよ…」

 コハルが泣きそうな顔で、オレの服を掴む。

「だって、失敗しても成功しても、お城のみんなにバレちゃうんでしょ?
そしたら、もういっしょに居られない…」

「放してくれ。オレはいかなきゃならないんだ。塔へアイリを引き入れた
のはオレ…。オレがこなければ、こんなことにはならなかった。オレに
は行く義務がある」

「でも…キミが来てくれたから、コハル…すごく…」

 手を振り解こうとするが、きかなかった。

「キミがいなくなったら、町へは誰といけばいいの? 冷たいごはんを、
また1人で食べるの…?」

 ついに泣き出してしまったコハルの肩に、そっと手を置く。

「また、いつか会えるかもしれないだろ。それに、お前は王女だ。バカ
じゃないって、自分でそう言ったろ?」
173 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:22
 コハルは引き付けを起こし、ノドの辺りを震わせていたが、ひとつ頷い
たきり、必死になってそれをガマンしはじめた。

 キッカが、そっと手を解く。

「これを持ってけ」

 サーヤが剣をよこす。

「ウチが使ってたやつ。餞別代わりだ」

 オレは目顔でありがとうを言うと、それを体に括りつけ、ロープを掴ん
で一気に下まで降りた。

 城を抜け出すルートは、コハルが使っていたものを選んだ。

 城壁を越えるとき、遠くでコハルの泣き声がしたが、オレはふり返ら
なかった。
 
 
 
174 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:23
 
175 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:23
 城門は、夜になると下りてしまう。

 行動を起こすなら昼間のうちだった。

 オレはずた袋の中へ隠していたローブを取り出すと、頃合をみて
着替え、城の中へと入っていった。

 そこから、しばらく身を潜める。

 日が落ちると、音も立てず、行動を開始する。

 中庭のあるほうを左手に見ながら進んでいくと、右手に例の謁見室
があり、それをやり過ごすと地下へ続く階段がある。

 これを降りていくと、壁には点々と松明がかがってあり、1つ、2つと
数えていくと地下の階が現れた。

 ここで予定通り地下牢をチェックするが、案の定、アイリはいなかった。

 キッカの教えを守って、さらに降りていくと、数が15に至ったところで、
さらに下層へとたどり着く。

 衛兵が立っていて、オレは元老院の威厳を意識しながら歩いた。

 相手が敬礼をする。
176 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:23
 キッカによれば、魔法使いはみな城へ集められて、その適正を見ら
れるという。

 結果として、これは各地に配属され、キッカの場合は、コハルのいる
南塔に入った。

 昼間の話によると、ほかにも同時期に連れてこられたやつがいて、
これは王族が大病をしたときの薬を作るとかで、この地下の部屋に閉じ
込められているらしい。

 部屋へ入ると、声を掛けられた。

「姫様の薬が切れましたか?」

 そうだと精一杯、低い声を出していうと、男が席を立った。

 何か、引き出しのようなところを探っている。

「それにしても、おかしいですね。いつもより、切れるのが早くはありま
せんか」

 オレは、その間に、部屋の中を観察する。

 奥に1つ、扉があることに気づいた。

「侍女がお湯をこぼしてしまったのだ」
177 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:23
 そう答えながら、扉へ近づく。

「そうでしたか。でも、それなら報告が入っているはずですが?」

 男は探し物を続けながら、探るようにこちらを見ている。

「薬には巨大な費用が投じられています。もし遺失などがあれば、すぐ
に報告を入れるよう、侍女たちには申し付けているはずですが――
おい、ちょっと、なにを」

 オレは覗き穴から中を確認した。

 すると骨組みだけのベッドの上に、アイリが縛られて投げ出されて
いた。

「おまえ誰だ? 聞いたことがない声だぞ」

 元老院は、つねにフードを被っている。

 そのぶん彼らの個体識別は、声で成されているのかもしれなかった。

「顔を見せろ!」

 そういってフードを剥ぎ取られると同時に、オレは懐に隠しておいた
剣をノド元に突きつけた。

「お…おい。よせ…」

 相手はバンザイになり、じりじりと後ずさっていく。
178 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:24
 昼間、渡されてから分かったことだが、サーヤの剣は、男のオレでも
重いと感じた。

 それでも、精一杯、扱いなれてるふうを装う。

「鍵をよこせ」

 躊躇っているので、睨みつけながら、柄を握り直す。

 従わないと切りかかるぞ――。

 脅しをかける意味があった。

 相手は、それ見て軽く恐怖の声を漏らすが、なかなか動かない。

 オレは焦った。

 握り直したのは、腕が疲れているせいでもあったからだ。

 地下へ降りてからずっと、ローブの中で片手で持ち上げた状態の
ため、腕が痺れている。

 あと5秒、もつかどうか。

 4…
179 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:24
 3…

 2…

 1…

「そこの壁にかかってる…」

「取ってこい」

 相手が部屋の奥へ遠ざかった。

 オレは、ようやく腕を下ろした。

 扉を開けさせて、アイリを連れてこさせる。

 引き渡しが完了すると、オレは再度、剣を向け、意識が朦朧としたま
まのアイリを連れて、後ずさっていく。

「アイリ、しっかりしろ」

「はい…助けに…きて…くれたんですね…」

 アイリは、オレの腰に手をまわしてきた。

「あぁ。でも、いまは走るんだ。上に向かって」
180 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:24
 オレは階段をいくつか上ったところで、もういちど、ようやく意識がはっ
きりしてきたアイリに同じことを言いつけた。

 背中を押すと、アイリは弱々しく駆け出す。

「逃げられると思うなよ!」

 じりじりと迫ってきていた男の胸倉を、オレは蹴飛ばした。

 同時に、ふり返ってアイリを追い駆ける。

――魔女が逃げたぞーっ!

 男の叫びは、通路に大きく響いた。

 地上に届いていないことを願うばかりだった。

 アイリが地下牢の階をすり抜けると、脇から、おどろいた見張りが顔
を出した。

 オレはうなり声を上げながら、剣を突き出す。

 見張りの男が、あわてて横へと退くと、その隙に地上へと駆け上が
っていく。

 階下からオレたちを追う声がいくつも聞こえるが、思ったほど響いて
いなかった。
181 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:24
「はやく!」

 オレは待っていたアイリの手をとると、城門の兵士へ向かっていった。

 いきなり剣を持って現れた人影に、兵士は驚いていたが、あたふたし
ている間に床へ突っ伏した。

 剣を抜く隙を与えず、オレが兜を叩き割ったからだ。

 やぶれかぶれの戦法だったが、相手の油断が、功を奏したのだ。

 それでも兵士は意識が残っているようで、うめき声を漏らしている。

 オレは腰から鍵を外すと、アイリに渡した。

「どっちですか?」

 鍵は二本あって、一本が大扉、もう一本が小扉のもの。

「小さい方だ」

 騒ぎを聞きつけた兵士が、どこからともなく現れる。

 オレは再度、剣を構えた。

「まだかっ!」
182 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:25
「…ま、待ってくださいっ!」

 アイリが鍵を取り落とす。

「どっちか、わからない!」

 兵士が数人に増えていた。

――曲者ーっ!

 1人が切りかかってくる。

 オレはそれを精一杯に受け止めて、鼻先で火花が散るのを見た。

 お互いによろけていると、アイリが叫ぶ。

「開きました!」

 オレは足元に転がっていた、さきほど割れた兜の破片を拾い上げ
ると投げつけた。

 相手の頬の辺りに当たってひるむ隙に、外へ飛び出す。

 あとは一直線に走るだけだった。
183 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:25
 月明かりの中、オレたちは自分の足が踏む土の音と、次第に遠のい
ていく兵士の怒声を聞きながら、シャイネリアの城下町を抜け出した。
184 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:25
 
185 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:26



 アイリの足は遅かった。

 オレたちは確保していた距離をぐんぐん詰められていたが、兵士たち
の多くが鎧を身にまとっていたこともあって、森へ逃げ込んだ。

 地形が入り組んでいるぶん、動きの軽さで勝負できると思ったのだ。

 すると案の定、追っ手の気配はすぐに消えた。

 暗かったことも幸いしていたのだと思う。

 見ると、アイリは過呼吸を起こしていた。

 大きな木の根元に腰をおろすと、背中を預けさせた。

 生まれてこの方、こんなに走ったことなどなかったのだろう。

 オレは最初あわてたが、背中をさすりながら口に手を持っていって
やると、次第に発作はおさまった。

「…私、死んじゃうかとおもいました」

 捕まっていたことと、発作のこと。

 2つのことを言っているのだろう。

「大丈夫。もう安心していい」
186 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:26
 そういって、震えるアイリの手を握ってやった。

 しかし、早くもオレは不安になっていた。

 この先、どうすればいいか分からなかったからだ。

 城を出たあとのことは、ずっと考えていた。

 しかし地図の上だけでものを考えるのには限界があった。

 実際、頭の中に入っていたイメージは、一歩、町を抜け出した途端に、
吹き飛んでしまっていた。

 城前からずっと伸びている【ライカバラ街道】は、さらに延びて【ナーサ
ン峠】へとつながり、隣国の【ハンネルカ】への道となっているはずだっ
た。

 しかし、ここまで逃げてきただけで、いくつもの分かれ道が確認できた。

 情報収集の必要がある。

 オレはアイリを寝かしつけながら、明日、町へ戻って見ようと思って
いた。
187 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:26
 
188 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:26



 翌日の午後、オレは町にいた。

 アイリの顔は人相書きでバレてしまうと思ったから、不安で仕方なか
ったが、あそこへ置いてきた。

 街にいる兵士の数は、前に出歩いたときよりも増えている。

 オレはローブを着てこなかった。

 城を抜け出すとき、敵に顔を見られていたはずだったが、暗がりでの
出来事だったこと、その数が2人に過ぎなかったこと、そのうちの1人
が地下の非戦闘員だったからだ。

 また元老院のそれは威厳がありすぎて、かえって目立ってしまうと思
われたのだ。

 オレはまず地図をさがすことにする。

 支払いには、アイリが飯屋のあるじから受け取っていた金を使うつも
りだった。

 店を見つけ、もっとも詳しく描かれているものを買うと、食糧も手に入
れておかなくてはと思う。

 あれこれ用を足して歩いていると、にわかに辺りが騒がしくなった。
189 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:27
 オレは顔がバレたのかと思って警戒するが、ちがったようだ。

 人々は、どこかへ集まっていく。

 ついていくと、王城前の広場へ出た。

 辺りの会話に聞き耳を立ててみると、王から何か発表があるのだと
いう。

――急なことだな。

――ああ。以前の演説で、王様がなにか途中まで話して、止めてしま
ったことがあったろ。あのときの続きをするんじゃないか。

 そういう声もあった。

 オレは確かにそんなことがあったのを思い出していた。

 肝心の「何を言いかけた」のかは距離が遠かったこと、風で遮られて
いたことから分からなかったのだ。

 しばらくしてテラスへ王様が現れると、辺りが静かになった。

――よく集まってくれた。今日はみなに話しておきたいことがある。

 塔の中から聞いていたときとはちがって、今度は、はっきりと聞き取
れた。

――私は先日、隣国のハンネルカに赴き、ある交渉を行ってきた。
190 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:27
 高いところから話しているのに、まるで地面から響き上がってくるよう
な明朗な声だった。

――近頃、この国の経済状態がよくないことは、みなも知っていると思
う。そこで、私は娘のクォ・ハルを隣国へ嫁がせることにした。

 大きなどよめきが起こった。

――その見返りとして、豊かな水資源を持つハンネルカから、生活水
を提供してもらうよう契約を取り付けた。

 オレはおどろくより他なかった。

 コハルが嫁に行く?

 無邪気で、食べ物が大好きで、なによりも本を読むことが大嫌いな、
あのコハルが?

――まってください!

 顔を上げると、テラスにコハルが姿を現した。

 ドレスではなくて、部屋着を身につけていた。

――わたし、お嫁になんかいきたくありません!
191 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:27
 そういって父王にすがり付く。

 父王は初め、わが子の肩を抱こうとしていたが、体を1つ震わせると、
振り払った。

 護衛のものたちが駆け寄って、コハルを連れて行こうとするが、コハ
ルはそれを振り切って、自らの足でテラスを走り去った。

 王はそのあと、取り繕うようにしてなにか言っていたが、威厳のかけ
らも感じさせなかった。

 オレの、そして人々の動揺も収まらない中、しばらくして正面の城門
から誰かが駆けてきた。

 見ると、コハルで、スカートの裾をまくりあげながら、裸足でこちらへ
向かってくる。

 オレは群集を抜け出して、路上へ出ると、併走しながら呼びかけた。

「――コハルっ!」

 立ち止まると、こちらを見て、コハルは目を輝かせた。

「いっしょに逃げて!」

 駆け寄ってくると、そういってオレの手を取る。
192 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:28
 オレは同時に、城の中からの声を聞いた。

「いけーっ!」

 数名の兵士に追われながら、サーヤが駆けてくる。

 堀に架かる橋のところへ敵を集めて、剣で応戦しながら足止めをして
くれていた。

 顔を見合わせると、オレたちはいっそう速度を上げた。

 呆然とする市民の目に晒されながら庭園を抜け、路上に散った人々
のあいだをすり抜けると、一気に城下町を抜け出す。

 オレは昨日、いまと同じ道をかけたことを思った。

 二度ながら、シャイネリアに楯突いたのだ。

 群集の中で、今しがた、かなり顔を見られてもいた。

 ふり返ると、満面の笑みを浮かべるコハル。

 その手を強く握りながら、オレは、もう二度とシャイネリアの土は踏め
ないことを悟っていた。
193 名前:名無飼育さん 投稿日:2010/06/12(土) 12:28



                       (第一章 シャイネリア脱出編 了)
194 名前:さるぶん 投稿日:2010/06/12(土) 12:28
更新です
195 名前:名無飼育さん 投稿日:2011/09/11(日) 21:33
続き待ってる。

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