女神サマによろしくっ!
- 1 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:43
- + 1 +
また朝が来る。変わり映えのない朝。当たり前の夜が明けていく。
ああ、頭が重いっ…今日は、ええと、…な〜んだ、月曜日だから予備校は休みじゃん。
だったら、もう惰眠を貪ってやる〜〜〜っ!
うっすらと開けかけた瞼をもう一度ぴたっと閉じる。
ああ、至福の時…休みの日の二度寝ほど楽しいことはない。
僕は腹の上のタオルケットをたぐり寄せ、とろとろとまどろんだ。
- 2 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:43
- *** *** ***
思えば。僕の人生は面白くないことばかりだった。何をやっても上手く行かない。
自分では結構出来ると思ったことが実は大したことなかったなんて、日常茶飯事だ。
たとえば、夏休みの科学工夫作品。
僕は夏休みが始まる前から材料を揃えて、設計図を引き、真剣に取り組んだ。
電池とモーターで進む船だ。最初に段ボール紙で作った試作品は、モーターの部分から水中に沈んでいった。
次にスーパーのトレイを使ってみたが、これも安定しない。挙げ句、カッターナイフで冷蔵庫を買い換えた時に
付いてきた発泡スチロールを切って船体を作った。
スチロールカッターなんて洒落た物をまだ知らなかった頃。
親は僕が部屋に籠もって何かやっていても気にも留めなかった。
たくさん切り傷を作り、両面テープと瞬間接着剤を使いまくり、僕の傑作は完成した。
風呂場の湯船でそれが気持ちよく走った時の感動っ!
喜び勇んで、新学期に学校に持ち込んだ。
…が。
- 3 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:44
-
クラスメイトたちの興味は、ある男子の持ってきた『本物そっくりに動くクワガタ模型』に向けられていた。
僕の船になど誰も見向きもしない。聞くところによるとそのクワガタは、奴ではなくほとんど父親が作ったものだと言うではないか。
そんなの、詐欺だっ! ひとりで作った僕の方がずっと偉いっ!!
…いくら心で叫んだところで現実は虚しいだけだった。
結局、奴のクワガタは作品展に出展され、全国大会に進み、取材まで来て、新聞の地方欄に小さく載った。
僕の船は教室の隅の棚でいつか埃を被っていく。
理不尽な世の中を7歳にして悟ってしまった僕は、とてもそれを家に持ち帰る気にはなれず、
とうとうある日の放課後、誰にも気付かれないように焼却炉に突っ込んだ。
- 4 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:45
-
宿泊学習の前日に発熱する、運動会は毎年のように雨で順延。
初恋の女子に書いたラブレターは黒板に貼り付けられ、クラスの笑い物になる。
珍しく上出来だったテストは、回答欄を途中からひとつずつ間違えて書いてあった。
「要領が悪い」を絵に描いたような僕に、さすがの放任主義な親も心配になったらしい。
小学校3年になった頃、僕を中学受験用の塾に押し込んだ。
先手必勝、高校受験や大学受験で躓くよりも、中学で潜り込んで楽をさせようと言う計算だったようだ。
そして、僕にとっては信じられないくらいの幸運が訪れる。
なんとこの界隈で一番出来のいいと言われている中高一貫教育の私立「西の杜」に補欠合格したのだ。
あのときは12歳にして、今までの人生の挫折を全部クリアしてしまった気分になった。
ラベンダー色の制服。
あれを来ているだけですれ違う奴らが羨望の眼差しで見てくる。ああ、なんたる快感っ!!
本当に最高な晴れ晴れしい気分だった。
- 5 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:46
-
…しかし、なのだ。
世の中、それほど上手く行くわけない。
「西の杜」は言うなれば、地域の学校から選りすぐった秀才たちをひとまとめにした学校だ。
受験をクリアしても、そのあとには地獄が待っていた。何しろ、授業の進み方が全然違う。
僕が教科書を広げた頃には、黒板が一面埋まっている。
焦って板書しようとしても、追いつかない。焦る、でも…周囲のクラスメイトは難なくこなしていく。
そして、夏休み明けの2学期になる頃には、とうとう授業中の先生の言葉がイスパニア語に聞こえてきた。
いや、僕にはイスパニア語は分からない。
でも、英語でもフランス語でもドイツ語でもない、未知の言葉に聞こえたのは確かだった。
ついに、担任が親を学校に呼び出す。僕はその年の終わり、地元の公立中学に転校することになった。
- 6 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:47
-
――あああああああああっっっっ!!!!!!
せっかくの惰眠が〜至福の時が〜、とんでもない回想シーンになってしまった。
このまま行くと、この先、高校受験から、大学受験失敗、二浪中の日常まで全部思いだしてしまいそうだ。
僕は暗記が苦手なくせに、どうでもいいことばかり、よく覚えているのだ。
ううっ! 起きるぞっ!! もうっ、こんな生活うんざりだっ!!
僕はがばっと、勢いよく起きあがった。
- 7 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:47
-
*** *** ***
「…あれ…?」
瞼を開くと目の前の窓から、溢れる日差し。
この不景気に子だくさんな僕の親。5人もいる弟妹のせいで受験勉強もままならないと、浪人した年からひとり暮らししてる。
ワンルームのバストイレ付きは駅から30分の立地条件なのに6万5千円(税抜き・管理費が別に2千円取られる)。
この辺は物価が高いのだ。
ちゅん、ちゅん…。ありきたりなスズメの鳴き声。朝っぱらから、ご苦労さんなことだ。
そして、カーテンから視線を落とす。なにやら海坊主が歩いたような足跡が転々とベッドまで続いている。
ハッとして自分の姿を改める。
…えええええっ!? どうしてっ! 何にも着てないんだよっ!
どうでもいいけど、普通トランクスくらいはいてるはずなのに。
腰の辺りがやけにスースーする。
…スースー…?
「……」
僕は身体を硬直させ、ごくりと唾を飲み込んだ。
- 8 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:48
-
…ちょっと、待てっ…!?
一枚しかないタオルケット。それは自分の腹の上に掛かっているが、右側からも引っ張られているような気がする。
それと同時に、規則正しい、寝息のような音が…音が…っ!?
そろそろと、振り向く。
本当に、首を90度右に曲げることがこんなに大変だと思ったのは、寝違えた時以来かも知れない。
「…え…っ…」
声が、掠れる。
じっとりと気温が上がり始めた8月の部屋の中で、僕の体温だけがさあああああっと引いていく。
手のひらに冷たい汗が滲んだ。
そこには…タオルケットにくるまっている「物体」が転がっていたから。
- 9 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:49
-
茶色い髪、結構長い。さらさらのいわゆるシャンプーの宣伝に出てくるみたいなまっすぐな髪。
向こうを向いているから顔は分からないけど、まあ、95%女だろう。…って、どうしてっ!?
ひとり暮らしの僕の部屋に女がいるんだよっ! しかも、僕は素っ裸でっ!!
そりゃ、女の方はどうか、分からないけど…何せ、肩まできっちりとタオルケット掛けてるからなあ…。
「…う…んっ…っ…」
げげっ!
僕が血の気をなくした顔で呆然と眺めていると、目の前の物体が寝返りを打ちやがった。
そして、こちらに顔を向ける。
- 10 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:50
-
…うわっ、すげ〜っ!! びっじ〜んっ!!
髪が綺麗で振り向くとがっかり、っていう女子は掃いて捨てるほどいるけど、そうじゃない。
白くて透き通った肌。
綺麗なかたちの眉、閉じた瞼からびっちり生えそろったまつげ。
そして、小さくてぽてっとした口元…ノーメークのはずなのに、赤に近い桜色だ。
そのパーツを乗せた卵形の綺麗な輪郭が、頬の辺りでぴくぴくっと動いた。
…ひいいいいいいいいいいっっっ!!!!
ぱちっと、瞼が開いた。しっかりした視線でこちらを見つめている。
濡れている瞳は黒目がちで、人形みたいだ。
目を開いたら、もっともっと美人になった。
彼女は、そのままぱちぱちっと何度か瞬きをする。
そのたびに長いまつげが揺れて、ゾクゾクしてしまった。
- 11 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:52
-
「あ〜、おはよう。もう、大丈夫なの?」
しどけなく髪をかき上げながら、彼女はそう言った。
僕はとてもこの台詞が自分に向けられた物とは思えなくて、思わず振り向いてしまった。
でも、背後に誰かいるわけはない。彼女の言葉は間違いなく僕への質問だった。
「…え…?」
…ダイジョウブ? 誰が? 何のことだ…?
頭をたくさんの疑問符が駆けめぐる。
目覚めたら隣りに女がいたと言うだけで、すごい衝撃なのに、
コレがまた美人で、それでもって…ああああ、どうしたらいいんだっ! 思い出せないっ!!
- 12 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:53
-
「…なによう〜、覚えてないの? 嫌あねえ…」
ずずずっ…。彼女は身を起こす。
それに従って、彼女の身体に掛かっていたタオルケットが重力に従って、するすると落ちていく。
「……っ!!!」
僕は、目の前に現れた「それ」に釘付けになっていた。
げげんっ! …嘘だっ! 嘘だろっ!!
何なんだよ〜これっ…!!
「何驚いてるの? 変な人」
きょとんとして、首をすくめる。
ええいっ! 待てっっ!!
「変なの」はあんたの方じゃないかっ!!
何なんだよ〜、どうして僕の部屋のベッドの上でそんな格好してるんだよっ!!
酸欠金魚のように、口をぱくぱくとさせている僕をじーっと見つめる瞳。
何だか余りの大きさと清らかさに吸い込まれてしまいそうな色。とても生身の人間とは思えない。
- 13 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:54
-
「う〜〜〜〜んっ! よく寝た〜」
両腕を上げて、ぐぐっと伸びをする。それに従って揺れるのは…何も身につけていない彼女の上半身…。
そう、陳腐な言い方になってしまうが、文字通り「お椀型」の理想的なかたちのふたつのふくらみが隠すことなく僕の目に晒されている。
サクランボ色の頂や裾野もばっちり…。
すげー、ここまで来ると芸術作品かも知れないっ!
ソニンちゃんのおっぱいはちょっと作り物っぽいと思うこともある。
でも、目の前のこれは…本当にたわわなのに清らか。
ああ、何を言ってるんだっ!!もうっ、僕っ、気がどうかしちゃってるっ!!
…そう、裸。少なくとも上半身は裸。下半身の方はとても恐ろしくて確認することも出来ない。
こんな美しい女があられもない格好で間近にいれば欲情しそうなもんだけど、もうそれどころの騒ぎではなかった。
- 14 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:55
-
「あっ…、あの〜〜〜〜〜っ…?」
…とりあえず、あんた誰? そう聞こうとしたが、声にならない。
そんな間抜けすぎる僕を、彼女はまたじーっと見つめて、それからきょろきょろと辺りを見渡した。
「えっと、シャワー借りていい?」
「あっ…、ああ…そう。ガラス戸の向こうがそう」
うん、分かってる、と言うように、頷く。
それから、ちょっと眉をひそめてこちらを見た。
「あの〜…悪いんだけど。ちょっと、向こう向いていてよ。じろじろ見ないで、恥ずかしいからっ…」
「あっ、うわっ…ごっ、ごめんっ!!!」
その声は全然恥ずかしがっている風でもなかったが、一応言われた通りに回れ右する。
だって、あんまりにも綺麗だったから、エロ本のグラビアでだって、これだけ綺麗なおっぱいはおいそれと出てこない。
もう、吸い寄せられるように見つめていたのだ。
- 15 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:55
-
ずずずずっ…。
微かな振動、ベッドを降りるきしみ。足音。ぱたん、とガラス戸が閉まったところで、恐る恐る向き直った。
「うっそ、…だろ〜!?」
そこには、彼女の残したひとり分のくぼみがしっかりとかたち取られている。
そっと手を伸ばしてシーツに触れてみると、体温が残っていて暖かい。
がばっと、鼻を押しつけて匂ってみる。変態だなと自分でも哀しくなったが、そこに感じたのはふんわりとした花の香りだった。
「…うわ…」
思わずむらむらと来てしまう。一応、頬をつねってみたが夢でもないようだ。
朝、起きたら隣りに見たこともない美人が寝ていた。しかも裸で。
…これは…あのっ?…そうだよなあ、そう言うことなんだよなあ…。
でも、昨日の夜の記憶が戻ってこない僕は、何が何だかさっぱり分からない。
耳を澄ますと、微かにシャワーの音がする。この部屋でシャワーの音を聞くなんて、すげー久しぶり。
半年ほど付き合った彼女とGW明けに別れてから、女を連れ込んだことなんてなかったし。
「やったん…だろうなあ…」
当たり前すぎる考察を一応、口にしてみた。
虚しいだけだった。
- 16 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:56
-
*** *** ***
やがて水音が止まって。しばらくしてガラス戸が静かに開く。
その姿に、またぎょっとした。
「…えっ!? えええええっ…!? あのっ…」
人差し指で指し示した先、…立っていたのは先ほどの彼女。
でも、…彼女がまとっていたのは、どう見ても高校の制服…。
思わず立ち上がってから、ハッとする。やべ〜、全裸だった。丸見えじゃん…ひ〜。
慌ててタオルケットで一応、前を隠して、もう一度顔を上げる。
ああ、どうして、彼女がこんなに平然としてるのに僕が慌ててるんだよ〜。情けね〜…。
- 17 名前:Uターン 投稿日:2007/08/14(火) 23:57
-
「私、帰るから。じゃあね」
涼しい瞳でそれだけ言うと、彼女は髪を翻して背中を向けた。そして、すたすたとそのまま出て行ってしまう。
「あっ…の〜〜〜〜〜っ…?」
玄関が開いて、閉まる。ぼん、と言う金属の板が打ち付けられる重い音。それと共に彼女は部屋から消えていた。
僕の卒業した高校より、レベルが数ランク上の公立高校の制服を着たその姿に、情けないけど全然心当たりがなかった。
つづく
- 18 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/15(水) 04:48
- 「僕」吉
「私」石
だといいなーなんて密かに期待。
- 19 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:41
- + 2 +
一体、何が起こったんだ。どうしたらいいんだ、どうするべきなのか。
彼女が去った部屋で、しばらくは呆然と直立不動で動けずにいた。
そのあと…僕がしたことと言えば、情けないことだが、財布の中身を確かめることだった。
「援交」という耳慣れた言葉が脳裏に浮かんだのだ。
毎日のようにニュースで「不祥事」とか言って、警察の職員とかが免職になったと報道されているアレだ。
そりゃ、女には不自由していた。何しろ彼女が途切れてんだから。だけど…。
まさか、僕は。
- 20 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:41
-
酔った勢いで、こともあろうが女子高生を買ってしまったんじゃないだろうか?
相場なんて分からない、あんなの基準があるわけではないし。
もしかして、財布の中から万札がごっそりなくなっていたら…。
しかし、財布の中はそのまんま。昨日飲み会で使ったはずの分もなくなってない。
しこたま飲んで潰れて、それで誰かに建て替えさせたのか?
そういや、昨日は見境がなくなるほど飲みまくった。
「ううううっ〜〜〜〜〜〜…!」
ああっ、それを思いだしたら、また頭がぐるんぐるんと回り始めた。
げろげろ、「二日酔い」だ〜今日が休みだからって飲み過ぎたな、さすがに。
そのまま、もう一度ベッドに倒れ込む。
次に目覚めたら、全てが悪夢であって欲しい。
悪酔いが見せた幻覚として、全部片づけてしまいたかった。
- 21 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:42
-
*** *** ***
翌日。まだすっきりしない頭を抱えつつも、真面目な僕は予備校へ向かう。
何しろ、今年は3度目の正直の浪人だ。年子の妹は今年現役合格して、僕を追い抜きやがった。
しかもその次の妹も高2になっている。こんなところでいつまでも足踏みしてるわけにはいかないのだ。
悪夢で済ませようとしたあの出来事は今朝も現実として僕の前に横たわっていた。
朝、目覚めて瞼を開いた時、僕が最初に見たのは長い髪の絡まった自分の手だったのだから。
ひえええっ、と思って、慌ててタオルケットをどけてみる。
まあ、ごっそりと言うわけではないが…拾い集めると10本。
30センチの定規では計りきれない長さの髪の毛が発見された。
「…ひいいいいいっ…!」
朝っぱらから脱力。もう、どうしたらいいんだ。だいたい、あの女はどこのどいつなんだ!?
あんな美人、僕は知らないぞっ! 見たこともないぞっ!!
あんなにあっさりしていたんだから、もう二度と会うこともないかも知れない。
でも…。
未練がましく、その発見した髪の毛をセロテープで丁寧に壁に貼り付けた。
- 22 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:43
-
むっとする残暑の街並みから、避暑地のようにクーラーの効きまくった建物に入る。
そこにはもう講義を受けるたくさんの生徒たちが集まっていた。
うげ、どうしてそんなに日焼けしてるんだ、目の前の男子。お前、受験生だろう?
なにバカンスを楽しんでるんだ?
現役3年生みたいだけど、その分じゃあ、来年もここに通うことになるぞっ!!
ああ、あっちの女子も水着のヒモのあとがうなじの下に…。
そんな風に情けなく人間ウォッチングをしていると、ふいに声を掛けられた。
- 23 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:44
-
「いよっ、元気ィ〜!?」
こともあろうに後ろから、肩に顎をかくんと乗せてくる。ひげ面のただですら暑苦しい男。
僕の腐れ縁とも言える大谷だ。
高校から一緒のこの男は僕と共に2浪目。
去年、1浪だった頃にはたくさんいた仲間もすっかりいなくなってしまった。
気付けば、このむさ苦しい男とふたりで取り残されたのだ。
僕を見限って去っていった女も今では花の女子大生。
どうせ、サークルとかで青春を謳歌しているんだろう。ちっ、嫌な女っ!
- 24 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:45
-
「暑苦しい〜、離れろよっ!」
…と。ふと、思いだした。
「なあ、大谷。僕の飲み代って、誰が立て替えてくれてんだ? 僕、払った覚えがないんだけど…」
そーだ、そーだ。昨日は高校からの仲間との飲み会だった。
メンバーの誰かの誕生会という名目だったと思う。
何せ、今年で二十歳。オトナの祝いと称して、ただの飲み会を繰り返してる。
もちろん、ほとんどの奴らは進学して、お気楽な生活を送っている。
サークルやら合コンやら、本当に楽しそうだ。
どこどこの女子大の女は腰軽でお持ち帰りオッケーだったとか、どこの女はブスばっかだったとか、言いたい放題だ。
聞いてるだけで口惜しい。
いいよな、ブスだって何だって、暗い部屋でイイコトすりゃ同じじゃん。
女なんて、顔を隠せば似たり寄ったり。
- 25 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:45
-
「…ふに?」
大谷はむさ苦しい顔をしかめて、考えてる。
コイツも昨日は丸一日、惰眠を貪っていたクチか。
顔にしまりがない。困ったもんだ。
奴は一頻り、醜い百面相をしてから、ぽんっ、と手を打った。
「あああっ! そうだっ! …おいおいっ、思いだしたぞっ!!」
「…っわわっ…、何だよっ、てめえ…」
いきなり灯りがばばっと点いたようにわめき出す男を制する。
ぎょえ〜、そこいらじゅうの奴らが振り向いてるっ!
僕たちは何だか、ただですら目立つらしいのだ。
そりゃ、ほとんどが1浪の奴ら、夕方からは現役の3年生も通って来るという予備校だ。
だんだん「浮いている」という単語が背中に貼り付いている気がしてきた今日この頃。
- 26 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:46
-
「お前さっ! あの美人、どうしたんだよっ!? あの現役女子高生っ!!」
「――へ…?」
僕が呆然としていると、奴は後ろから技を掛けてくる。ぐぎぎぎっと背骨がのけぞる奴だ。
「ぎゃあああっ! 何するんだっ! 離せっ…!!」
しかし、大谷の締め付けはすごい。
このまま窒息してしまったらどうするんだと言うくらいだ。
しかも男臭くてキモい。どうせならふくよかなお姉ちゃんに締められたいもんだ。
「離して欲しけりゃ、話せっ!!
ほらっ、次の店がなかなかリザーブ出来なくて、時間待ちで入ったショップで、隣にいたあの子だよっ!
お前、絡んでいただろっ…、で、次の店に着いたらいなくなってるしさっ。
正直に言えよっ!!あれから、どうしたんだっ!
あの子は誰なんだっ!! …いつの間に…!」
「…っんなことっ! 僕が知るかっ…!?」
- 27 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:47
-
――はっと、した。
それは、大谷も同じだったらしい。
僕たちは身体を密着させたまま、ひとつの場所を見つめていた。
…あの子、だ。
水色のチェックのひだスカート。白い開襟のシャツ。
襟の見返しのところと半袖の折り返しがスカートと共布になっていて、胸にレモン色のバッチを付けている。
昨日の朝、僕が見たのと同じ格好だ。理想的なカーブを描いた横顔。
茶色くなびくロングの髪、膝上15センチのところからすんなりと伸びた足。学校指定の水色のソックス。
長い渡り廊下の突き当たり。
50メートル以上向こうの通路を事務室に向かってまっすぐに突っ切って歩いていく。
彼女の周りにキラキラと金色の光の輪が広がっていくみたいで。
本当に、すげー美人。特級の女だ。
そうじゃなかったら、こんなに遠くからでもはっと気付くことはないだろう。
- 28 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:48
-
「…ここの、生徒だったのか…?」
んな、馬鹿な。あれほどの女をどうして今まで見落としているんだっ!?
信じられねえ、いくら悩める受験生であっても、女のランク付けは必須条件だ。
何しろ、いい女と一緒に受ける講義は張り合いが出る。
だから、4月から必死でチェックをいれて、夏期講習には出来るだけレベルの高いクラスに申し込むようにした…
もちろん、女の子のレベルだ。
そんなことにかまけていたら、今年も危ないってっ!?
…馬鹿言っちゃ、いけない。そういう「楽しみ」がなくてこの長いトンネルをどうやって抜けられるというのだ。
正直2年目は辛い。ささやかな幸せにすがるしかない。
現役生だって、ちゃあんと頭にインプットされてる。
でも、遠目に見るあの美女は僕のデーターのどれをも塗り替えるような水準だった。
「…は、話をすりゃあ…!」
大谷も僕同様に驚いている。
どうでもいいが、首に回された腕が苦しい。
このままじゃ、本当に締められてしまうっ…!!
- 29 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:49
-
「――違いますよ、先輩方」
…と、後ろから、大谷ではない第三者の声が響いてきた。
僕たちは声の方向を振り向く。ついでにぺちぺちと大谷の腕を払った。
可愛い女の子にしがみつかれるのは気持ちいいが、こう言うのは頂けない。
するとそこには、僕たちの後輩・1浪中の男子生徒が立っていた。
小柄で黒縁眼鏡、マッシュルーム・カット…いかにも、いかにもと言う感じだ。
何だろう、あの小脇に抱えているB5版のハローページみたいな本は。
色とりどりの付箋が貼ってある。
彼は僕たちの顔をにこにこと嬉しそうに眺める。そして、アンチョコなんて見ずに、朗々と読み上げた。
「あの子はここの生徒じゃないです。隣りの栄進光予備校の生徒で、まだ現役の県立山ノ上高校3年生。
名前は石川梨華さん…身長は157センチで体重は49.5キロ…ちなみにスリーサイズは…」
「うわわわわわああっっ!!」
ハッとして振り向く。げええっ、もういないじゃないかっ!!
ウチの生徒じゃなければ、大変だ。
どうしてここまで来たのかは知らないが、もう二度と会えなくなるかも知れない。
そりゃ、顔を合わせるのは怖かった。衝撃な出逢いだったのだ。
向こうだって僕のことをどんな風に捉えているのか分からない。
あれ、下手したら警察沙汰だし…。
――でも。
- 30 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:50
-
「あっ!おっ、おいっ!!どうしたんだっ、今井っ!!
もう講義の時間っ…!」
大谷が慌てて声を掛けてくる。
でもその頃には僕はもう、ダッシュで走り出していた。
「悪いっ! …代返頼むなっ!!」
振り向きもせずに、そう叫んだ。
…彼女に、会いたかった。
会って、どうするのか考えてない。
でも…もう一度、会って話がしたかった。
- 31 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:51
-
*** *** ***
「え〜…、ええと…」
とりあえず、事務室を覗いてみたが、もう彼女の姿などどこにもなかった。
…と、予鈴が鳴り響く。急ぎ足になる生徒たちが次々に教室の方へ吸い込まれていく。
人気のまばらになった吹き抜けのエントランス、その視界の一番遠くに回転ドアから出て行く背中が見えた。
――いたっ!!
僕は息が上がった身体を追い立てるように走り出す。
だだだっと、ドアまで進み、閉まりかけた間から身体を滑り込ませる。
建物の外に出ると、きょろきょろと周りを見渡した。
- 32 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:52
-
「…梨華ちゃんっ!!」
思わず大声で叫んでしまう。ど
ういうことなんだ、何て逃げ足が早いんだ。
…って、彼女は何も僕から逃げていた訳じゃないが…。
「…っちっくしょう〜〜〜っ! どこへいっちまったんだよ〜!!」
膝に手を置いて、がくっと腰を折る。
だれた身体をいきなりフル回転させたら、どっと疲れが来た。
ああ、信じらんねえ…いくら運動不足とはいえ、こんなでいいのかっ!
僕はまだ誕生日が来てないから、ばりばりの10代なのにっ!!
じりじりと脳天に突き刺さる日差し。
ああ、最悪…。
- 33 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:53
-
「…あの?」
ふっと、目の前に影が出来る。
のろのろと顔を上げた。
そこには、間違いなく昨日の朝に見た彼女が立っていた。
「…あ…」
もう、どこにもいないと思ったのに。
ふと見ると、手には定期を持っている。
あ、そうか、すぐそこの地下鉄に乗ろうとしていたのか。
あっという間に見えなくなったと思ったら、階段を下りていたんだ。
- 34 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:53
-
「何か、…ご用でしょうか?」
彼女はいわく付きのはずの僕を前にしても何もひるむこともなく、黒目がちの目でしっかりとこちらを見つめる。
瞬きするとまつげが揺れる。ほんっと、コレ、天然物なのかなあ…?
疑いたくなるほど整っている。
でも間近で見ても化粧っ気のない綺麗な肌や唇を見ていると、とても顔に手を加えたようには思えない。
「あ…ええとっ…その…」
うわ。見つめられたらそれだけで血圧が上がってしまいそうだ。
こんな第一級の美人、彼女にしたことはもちろん、こんなに近寄って話をしたこともない。
どうして、世の中にこんなに綺麗な子がいるのか不思議でたまらない。しかも山ノ上高校だろ?
もう東大・京大に現役で10数人入ってしまうと言う有名な進学校だ。
公立なんだから、金を積んだって入れねえ。本当の秀才だ。
- 35 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:54
-
彼女は、話の続けられない僕をじーっと見ていた。
表情を崩すことなく。
それから、ちらっと自分の腕時計に目をやる。
そしてすっと片腕を伸ばすと、僕の肩をぽんぽんと叩いた。
「…え?」
ハッとしてまじまじと見つめてしまうと。
彼女は穏やかな表情のまま、ふんわりと微笑んだ。
「こんなところで突っ立ってたら、ひからびちゃうでしょ?
ちょっと、その辺に座ってお話ししませんか?」
- 36 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:55
-
*** *** ***
どうしたもんかと思っていたら、彼女の方が先導して、少し歩いたファーストフードに入った。
すたすたと歩いていって、勝手に自分の分の飲み物を頼んでいる。
アイスコーヒーだ。さっさと会計を済ませると、僕のために場所を空けてくれた。
「…ええと…」
メニューを見ながら悩んでしまう。
ひとり暮らしだし、朝飯なんて食ってない。
でも、いきなりこんなところで…そう思ってると、隣から声がする。
「どうせ、朝ご飯抜いたんでしょ?モーニングセットでも食べておかないと体に悪いわ。
ホットケーキとチーズバーガーどっちがいいの?ほら、サラダも付けた方がいいわよ?」
気がつくと、僕のトレイの上は山盛りになっていた。
ついでに千円札を出したのにいくらも戻ってこない。
サンキューセットとかで売っている店じゃね〜のかっ!!
…まあ、並べられた物を「やめます」とも言えず、重いトレイを手によろよろとテーブルに着いた。
- 37 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:56
-
「…で、話って…?」
ぷす。
ストローを取り出して、紙コップに刺して。一口飲むと彼女は口火を切った。
ちらと時計を見る。でも焦っている風でもない。
「え…、あのっ…、その、時間っ?」
目の前で時計を見られると気になる。何か予定でも入っていたのだろうか?
こんなところで引っかかっていていいのか。
呼び止めておいたくせに、今になって気になってしまう。
やってから後悔する、いつものことだ。
「あ、…いいの、別に」
彼女は首をすくめると、ほらほら食べなさいよと身振りで僕を促した。
「夏期講習に遅れちゃうかなって…いいよ、もう間に合わないから。
午前中、さぼっちゃう」
「は…?」
僕が話が読めないで困っているのに気付いたのか、彼女が説明してくれる。
- 38 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:57
-
「今日はここに、この前の模試の結果を貰いに来たの。
何だか間違えてデーターが流れちゃったんだって。送ってもらうのも面倒だし、丁度途中だし?
ホントはこの先の駅で降りて、栄進光に通ってるのよ」
「…はあ」
安っぽい味のハンバーガーにかぶりつきながら、頷く。
さっきのオタクくんの情報は正しいらしい。
っていうか、あいつ、身長体重の次はスリーサイズまで知っていたぞっ!
どういうことだっ…、聞きそびれた(少し口惜しい)。
にしても、学校がすごければ、予備校もランクが違う。
栄進光なんて受けに行って落ちたんだ。
今時の少子化で予備校に入るのに試験があるなんて嫌になる。
- 39 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:58
-
「…で、話って、何?」
テーブルに肘をついて、小首を傾げる。
美人は何をしても美しいと言うが、何気ない仕草ですら思わず息を飲んで見つめてしまう。
さっきから、彼女を目の前にして、言葉らしい言葉が出てこない。
「え…、えとっ…。あの、その…。このたびは…その、とんだことを…」
あああああっ! 情けねえっ!!
打ち合わせのない記者会見のようにしどろもどろだ。
たくさんのマイクやカメラを前にしたらコレでも致し方ないが、僕の目の前にいるのは彼女ひとりだ。
しかも涼しげな落ち着いた感じで座っている。焦っているのはこっちだけ。
「…え?」
彼女は、昨日の朝のこと何て、知らないと言う感じで平然としている。
- 40 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 12:59
-
どういうことなんだっ! 仮にも女の子がっ!
しかも高校生がっ…ひとり暮らしの男の部屋に素っ裸で寝ていてっ!!
こっちはこんなに焦っているのに、どうしてあんたは平然としてるんだっ!!
心臓がどくどくと血液を排出する。すごい鼓動。身体からにじみ出る汗。
「あのっ…、だからっ! 僕っ…一昨日の晩、君に…」
何をしたのかは覚えていない。
でも何かしたはずだ、確かに取り返しのつかないことを。
そうじゃなかったら、あんな朝を迎えるわけがない。
「…ああ」
それなのに。彼女はまだ、平然としている。大きく頷くと、言葉を続けた。
「何だ、あんなこと。気にしていたの? いいじゃない、別に」
「…そんな…」
- 41 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 13:00
-
こんな風にきっぱりと言い切られてしまうと、どうしていいのか分からない。
はいそうですね、と引き下がればいいのか、彼女もそれを望んでいるのか?
でもっ…押しも押されもしない、優等生高校の生徒、こんなにあっさりとしているのか?
今時の女子高生はこんなにすごいのかっ!?
「話それだけ? だったら、もう行くわよ。
どうでもいいけど、それは全部食べなさいよ?
健康の基本はきちんとした食生活。ひとり暮らしだったら、そのくらいきちんとしなさいよね」
そう言うと、彼女はさっさと立ち上がった。
自分のトレイを持って歩き出そうとする。
僕はハッとして顔を上げた。
「――あっ…! ちょっとっ!! …待てよっ!」
必死に叫んだので、狭い店内に僕の声が響いてしまった。
驚いて振り向く彼女の他に、店中の客と店員がこちらを向く。
そうだ、店に入った時から、異常なほどに注目されていた。
ちらちらと途切れなく視線が四方八方から飛んでくる。
僕の人生で今までなかった事だ。
要するに、彼女といるからこんな風になるのだ。
端から見ればカップルに見えないこともないのだろうから、
こんな美人に連れ添った僕には好奇と羨望と嫉妬の視線が突き刺さる。
- 42 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 13:01
-
「…えっと、あの…」
どうにか、どうにかしなければ。
言葉を必死で思い浮かべる。
どうにかして、この気持ちを、彼女に伝えなくては。
「君はいいかも知れないけど。僕の方は…その、そう言うの良くないと思うわけで…」
「…え?」
またもや、的を射ない僕の言葉に、彼女が不思議そうに反応する。
ああ、綺麗だ、ひとこと呟く言葉までがキラキラしていて。
周りの空気をしゃらんしゃらんと奏でている。
「そのっ…出来ることなら、…ええと、何というか、双方が納得出来るような…」
どうしていいのかは分からない。
でも、彼女を傷つけてしまったのだとしたら、それは償わなくてはならないと思う。
このまま、精算せずに終えるのはすごく後味が悪い。
方法は分からないけど、どうにか、ごめんなさいの気持ちを表したかった。
- 43 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 13:02
-
「…はあ…」
彼女は、僕の前にもう一度、座った。
テーブルにトレイを置き直す。
それから、吸い込まれそうな瞳でじ〜っと僕を食い入るように見つめてから、ふっと顔を崩した。
「もしかして。私と、付き合いたいの? …ナンパしてるの?」
「…へ?」
どーしてそう言う展開になるのかっ!
よく分からないけど、よく分からないままで、僕はどどっと体中から汗の噴き出てくるのを感じていた。
そりゃ、こんな美人が彼女だったらすげー事だと思う。
でもあるはずのないことだ。望むなんて、あまりにも図々しいし。
床屋に行ってないから、伸びかけのぼさぼさの髪。
かき上げながら、額の汗も拭う。
その間も彼女の視線が僕に向かっているのをぴりぴりと感じ取っていた。
あああ、どうしたらいいんだあっ!!
- 44 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 13:02
-
「…いいよ?」
「……!?」
驚いて顔を上げると、彼女のにこにこと微笑む顔があった。
すごい色っぽい。艶やかで、華やかで。なめらかで。
もうどうやって表現したらいいのか分からない。
あまり間近で見ると、緊張して言葉がなくなってしまう。
「付き合ってあげる。私、あなたの彼女になるわ」
目の前にいるはずの彼女の発する言葉が、僕の耳に届くまで…ものすごく時間がかかった。
つづく
- 45 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 13:06
- >>18
狼用に書いてたものなんで、
主人公は一般人なのでした。
- 46 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/15(水) 21:10
- 久々期待
なんかドキドキしてしまった
- 47 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/15(水) 21:27
- 面白そう。
続き期待してます
- 48 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:44
- + 3 +
ざわざわざわ。
本日の講義が終わった構内は、出入り口へ進む人の波で溢れかえっている。
「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」とか言う交通標語を唱えながら、
僕はのろのろとその列の一番後ろからくっついていった。
- 49 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:45
-
今日さぼった世界史の講義では、よりによって抜き打ちの小テストが行われたという。
いつもは出席も満足に取らないのに、まるで僕のことを嘲笑うかのような展開。
よって、昼休み、講師に呼び出されてとくとくと小言を言われた。
いつもながらに要領の悪い僕。
それを頭の隅っこ100分の1くらいの場所で後悔しながら、あとの99%の場所では全然違うことを考えていた。
- 50 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:47
-
何を考えていたって? そりゃ決まっているだろう。
今日の午前中にファーストフードでチーズバーガーを頬張りながら聞いた、あの問題発言のことだ。
『付き合ってあげる。私、あなたの彼女になるわ』
僕をまっすぐに見つめて、彼女は親愛に満ちた目でそう言った。
え? そんなの僕の勝手な思いこみだってっ!?
そりゃあさ、全部が全部、本心じゃないかも知れねえぜ?
けどさ、冗談であんな事が言えるかい?
そんな風に他人を貶めるような性格の悪い女には見えなかった。
…あ、でも、…そう言う可能性もやっぱあるか。
膨らみかけた期待が、次の瞬間にはぷしゅーっと音を立ててしぼんでいく。
そんな風にいて今日1日の講義は少しも頭に入らないまま、終了した。
- 51 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:48
-
僕が2限目から講義室に戻ってくると、もちろん大谷が聞きたいことがたくさんあるという表情でやって来た。
でも僕と目を合わせた瞬間、彼は同情に満ちた表情になる。
「…そうか、そうか。いいぞ、何も言わなくていいっ…、今夜は俺の胸で思う存分泣いていいぞ」
…っんなことっ!!
金積まれたって嫌だかんなっ、と思う様なおぞましいことを言いつつ、大谷は僕の肩をぽんぽんと叩いた。
同情はされる相手によっては、とても虚しいものだと改めて悟る。
でもな〜、ほおんと。
「やっぱり、嘘ぴょ〜んっ!」とどっきりカメラが出てくるのが妥当なセンだと思う。
いくら僕でも「はい、そうですか」と納得出来る状況ではないのだ。
あの、衝撃の告白の後、彼女は「やっぱ、行くわ」と、さっさと席を立って行っちまったし。
- 52 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:49
-
「あれ…?」
何だか、いつもよりも進みが悪いなと思いつつ、背伸びする。
出口付近。
なにやら人並みが変な風に迂回する部分がある。
みんな壁際の「何か」をじーっと見つめながら、のろのろと大回りに通り過ぎていくのだ。
まさかまた、捨て犬でも放置されているんじゃないだろうなっ!?
この予備校は住宅地の側にあるせいか、やたらと動物が捨てられている。
神社や寺じゃないんだから、やめて欲しいものだ。
僕もああいうのには弱いが、アパート暮らしでは飼えるはずもない。
「…あっ…?」
- 53 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:50
-
その方向を見ないで通り過ぎようとして、でもやっぱ好奇心には勝てなくて、ちらっと覗いてしまった。
すると、そこにいたのは、犬や猫じゃない。
れっきとした人間だった。
どういうことか、普通の人間のはずなのに、彼女の周りにはキラキラと光の粒が浮遊している。
それくらい存在感があるのだ。
すれ違う生徒たちの視線に晒されても何ともないように微笑んで、やがて僕の存在を確認すると手にしていた文庫本をぱたんと閉じた。
「…ああ、良かった。よく考えたら、名前も連絡先も聞いてなくって」
確かに僕を見つめて、にっこりと微笑む制服の女子高生。
数時間前に爆弾宣言をしてくれた彼女が、綺麗な髪をさらさらと揺らしながら言った。
- 54 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:52
-
*** *** ***
「どっ…どどど、どうしてっ! こんなところに来るんだよっ!?」
あんな風に人目に晒されて、僕の方はもう塩をかけられたナメクジ状態だった。
突如として現れた美女に男たちだけでなく女どもまでが、じろじろと視線を送っていく。
よくもまあ、あんな状況で平然としていられるもんだ。
もしかして、心臓にはびっしりと毛が生えているのだろうか。
そりゃあさ、そっちはあれしきのこと、慣れっこなのかも知れない。
でも僕はな、そこら辺に転がってる十人並みの男なの。
ま〜、中の中くらいにしときたいけど、間違っても周囲から注目されるような存在じゃない。
もう、背中にズブズブと突き刺さる無数の視線も構わず、僕は彼女を近くの公園まで引っ張り出した。
少しは人間の数が減って、ホッとする。
- 55 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:52
-
「…どうして、って?」
ありきたりのベンチに浅く腰掛けて、綺麗な生足の膝をぴったりとくっつけている。
すっと斜めに流した足先までが計算されたように絵になっていた。
突っ立ったままの僕をじーっと見つめて、何かを思うような瞳を揺らされたら、それだけで手のひらにじっとりと汗をかいてしまう。
もしかして、ものすごいカロリー消費量なんじゃないだろうか?
「だって。私、あなたの彼女なんでしょ?だったら、会いに来たっていいじゃないの。…違うの?」
どっしゃ〜〜〜〜〜っ!!
そんなぶっ飛んでしまいそうなことをさらりと言い放ち、更に彼女はカバンの中から、水色のスケジュール帳を取り出す。
透明なカバーには白い小花がたくさん飛んでいて、何とも女の子らしい。
備え付けのペンを取ると、またこちらを見た。
- 56 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:53
-
「はい、名前。それから住所と携帯の番号と、メルアドと…生年月日?とりあえず、個人情報を教えてちょうだい」
「――は…!?」
まるで駐車違反で免許証の提示を求める婦人警官みたいだ(ちなみに僕はまだ免許なんて洒落たものは持ってないので、
あまりいいたとえになってないかも知れないが)。
僕がもたついていると、それをなんと受け取ったのか、彼女はすっと手帳を差し出した。
…自分で書け、と言うことなのだろうか?
必要以上に汗ばんだ手をTシャツの裾でごしごしして、それから恐る恐る受け取る。
水色のラインが横に走った普通のメモページ。ここにも小花が浮き模様で入っている。
- 57 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:54
-
どどど…どうしよう。
ペン先を紙の上に置くまでにもものすごく躊躇してしまう。
僕はノートに似合わない汚い字で「今井」「春海」と書いた。
それからアパートの住所、携帯の番号、…メアドは覚えてなかったから、仕方なく携帯を出して、アルファベットの部分を確認した。
最後に生年月日を書くと、それを突き返す。
彼女は当たり前のように受け取って、頷きながら確認した。
「…ええと。今井くんって、呼ぶのと、春海くん、って呼ぶのとどっちがいい?
あら、本当に年上なんだ、2才違いなんだね」
そう言いながら、さらさらと自分も何か書き込んでいる。
やがて、顔を上げると、ノートを一枚ぴりぴりと破いた。もとから切取線が入っているのだ。
- 58 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:55
-
「はい、じゃあ、私の分。石川梨華。山ノ上高校の3年生ね」
両手で受け取って、それを見る。
うわっ…なんて頭の良さそうな字っ!!
近頃の女子はヘタウマ文字って言うのを書くんじゃないのか?あのちんまくて角張っている奴。
でもっ…ここに並んでいるのは、まるで硬筆のお手本のような見事な文字で。
隙がないのに、どこか女の子らしい。
ああああ、僕っ! どうしちゃったんだっ!!
書き文字見て、こんな風に感動するなんて、雅な平安貴族じゃあるまいしっ!
それにそれに、ケータイの番号だぜっ、いいのか、こんな不用意に教えちまって。
もしも僕がタチの悪いストーカーだったらどうするつもりなんだろう。
- 59 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:57
-
「…じゃ、行こうか?」
彼女は元のように手帳をカバンに収めると、すっと立ち上がった。
「…は、…へ…?」
行く? …行くってどこに行くんだっ!?まさかっ!!
…あのっ、僕の部屋に行くのかっ! 昨日の今日でまた、あのっ…!?
どうしよう、受験生なのにっ! こんなおいしい生活をしていて、僕は堕落しなくて済むのかっ――…!!!
ぼおんぼおんと、身体の中で花火がはじけ飛ぶ。
こんな事があっていいのだろうか!?
盆と正月とクリスマスとバレンタインが一緒に来ちまったっ…!!!
「どうしたの〜、早くお出でよ。何突っ立ってんのよ?」
――あれ?
- 60 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:57
-
ふと見ると、彼女は僕のアパートとは反対の方向にすたすたと歩き出している。
僕が付いてこないので、立ち止まって振り向いた。
「あ…あのっ…?」
違うんですけど、そっち。方向が逆なんですけど?
もしかして。人間って、誰にでも欠点があると言うけど、完ぺきに見える彼女は実は方向音痴だったりするのかな?
「――あれ?」
彼女は僕がボーっとしてるので、ちょっと変だなと思ったらしい。
首をすくめると、自分の進行方向の先をまっすぐに指さした。
- 61 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:58
-
「もしかして、春海くん、この辺の地理に暗い?
あのね、私の家、この街道をずーっと行ったところにあるの。40分か50分くらいかな?
これからは天気のいい日は自転車を持ってきてね。歩くのはちょっと辛いでしょ」
「へ…?」
まだ、彼女の言おうとしている言葉の意味が分からない。
僕の飲み込めないでいる顔をちょっと呆れた目で見つめて、もう一度首をすくめる。
まっすぐな髪の毛が彼女の動きにあわせてさらさらと流れるのも気持ちいい。
「彼氏って、彼女を家まで送ってくれるんでしょ? …そうじゃないの?」
そこまで言うと、一度言葉を切って、う〜んと悩んでる。
- 62 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 22:59
-
「もしかして…、あの、私と歩くの嫌? 早く家に帰りたいの…?」
「えっ…、ええっ!? 違うっ!! 違いますっっ!!! …お供させて頂きますってっ…!!!」
慌てて後を追いかける。
なんかよく分からない。
でも、彼女は「一緒に帰ろう」と言っているのだ。
言葉になってないけど、そう言うことなんだと気付いた。
さらば、ヨコシマな考えっ! …あああ、僕って馬鹿っ!
こんな清らかな女の子に何を妄想してるんだっ!!
そりゃさ、期待しちまうけどっ…でもっ…、多少の「お預け」があった方が感動が広がるのかも知れないしっ!?
真っ赤な夕日に照らされた、極上の微笑み。何をしゃべったか何て良く覚えていない。
でも彼女が僕のことを気に入って、一緒にいていいって思ってくれてるんだ。
それが、本当に嬉しかった。
- 63 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:00
-
*** *** ***
「…おかしい、絶対におかしい」
「そうですよ〜、何でそんなことになるんですかっ!?」
明くる日。
全くの骨抜きになって、ふにゃふにゃしている僕は、昼飯の時間に予備校の食堂で大谷とあのオタクくん・小杉とにしつこく尋問を受けた。
ふたりと向き合って、きつねそばをすすりながらあれこれ話をしている時も、四方八方からちりちりとした視線を感じている。
…そうなのだ。
僕が昨日、誰もが振り返るような美人を伴って予備校の玄関から消えたという話は、あっという間に広まっていた。
ひたすらに勉学に励んでいるはずの予備校生たちが全くどうしたことか。
ワイドショー並みの噂話に興じているなんて。
予備校の建物に入った時も、講義室に入った時も、周囲の空気がどよめくのを感じていた。
それを繰り返されれば、さすがの僕も思い違いじゃないと気付く。
何で彼女がわざわざ僕を訪ねてきたのかっ!?
その事実を確かめるため、ふたりの目はらんらんと輝いていたのだ。
はっきり言って、男ふたりにじーっと見つめられて、今にも違う方向に走りそうな気がしないでもない。
だが、危なくなるとしても、このふたりだけは避けたいぞ。僕にだって、選ぶ権利はあると思う。
- 64 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:01
-
…かいつまんで、説明する。
でも、この際、アパートで…のくだりは秘密にすることにした。
だって、そうだろっ!?
そう言うことは男女の秘密のことなんだから。
誰彼となく話していいものではない。
だから、あの飲み会の夜に意気投合して、彼女も僕に興味を持ってくれたのだと、ちょっと曖昧にまとめた。
だが、敵もさるもの。付け焼き刃な言いぐさでは到底納得してくれない。
「そんな馬鹿なことっ!!信じられませんよっ、たとえ先輩だって。
…ああ、こんな情報じゃ高く売れやしないっ…!!!」
携帯を握りしめた小杉は、純朴そうなその外見に似合わず、何とも計算高いことを言った。
「…情報…!?」
その台詞にはこっちが驚いてしまう。
僕と彼女が付き合っているとしても、どうしてその情報が高く売れるんだっ!?
彼女は芸能人じゃないんだぞ、一般人なんだぞっ!!
- 65 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:02
-
僕が、余りの馬鹿馬鹿しさにあきれかえると、それに負けないくらいのリアクションを小杉はしてくれた。
「分かってませんねえ…先輩、それで本当に地元の人間ですか?
石川一家のこと、本当にっ! ご存じないんですかっ!?」
「…はにゃ?」
小杉のいきなりの剣幕に、びっくりして視線を泳がすと、大谷もやはりあきれかえった顔で僕を見ていた。
「お前って…やっぱ、馬鹿だわ」
何だと〜〜〜〜〜〜っ!!
馬鹿って言う奴は自分が馬鹿なんだっ!昔からそう言うだろうが、ボケっ!!
味付けのイマイチな油揚げを噛みしめつつ怒りを露わにすると、目の前のふたりは親密にアイコンタクトを取り合い、大袈裟にため息を付いた。
- 66 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:03
-
『石川夫妻』――その伝説となったカリスマ夫婦の話を、迂闊ながら僕は全く知らなかった。
あのひげ面むさい男・大谷でさえ、最低限の情報は持っていたのに。
知る人ぞ知る、海を目の前に背後を山にした理想的な住宅地。
その小高い丘の一角にまるで清里か軽井沢から持ってきたようなカントリーで少女趣味な雑貨屋がある。
ベージュの外壁に濃いめのグリーンの窓枠。屋根もグリーン。
窓にも戸口にも敷地内にも咲き乱れる四季の花々。
『Apricot Green』…その店主こそが石川氏なのだという。
モデル張りの長身で美形の男性(実際に今でもショーモデルとかやっているらしい)が梨華ちゃんの父親。
いつまでも可愛らしく、夫の愛を一身に受けているのが梨華ちゃんの母親。
多分、彼女の両親なんだから、それなりにイケメンなんだろうな。
その夫妻に3人の子供がいることまでは、大谷も知っていた。
梨華ちゃんは3人兄弟の真ん中で上にお姉さんと下に弟がいる。
ちょっと想像しただけでかなりすごそうだけど、実際にもファミリーで買い物とかしてるのに遭遇すると、みんな初めはドラマの撮影でもしているのかと思うのだそうだ。
- 67 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:04
-
「…もっと、詳しくお話ししましょうか? ええっ、いいんですよ、それくらいのことっ!!
もちろんこれからも先輩と仲良くさせて頂くと言うことで特別におまけしますっ!」
そう言って、また分厚いノートを小杉が取り出したので、それは丁重にお断りした。
何だか、こんな風に裏からこそこそ調べるなんて嫌だった。彼女に知れたら幻滅されそうだし。
彼女をきちんと知る前に、こんな風に情報で偶像を創りあげるのはちょっと違うなとか思った。
「そうですかぁ……」
明らかに「交換条件」の提示をもくろんでいたらしい小杉は黒縁眼鏡の奥で恨めしそうに僕を見た。
でも、すぐに気を取り戻したらしく、ごそごそと黒くて大きながま口みたいなかたちをしたカバンを探る。
「じゃあ、これっ! 特別にお見せしますっ…ああっ、駄目ですよっ! 触っちゃっ…!!」
そんな風にもったいぶりながら彼がテーブルの上に出したのは、パウチした二枚の写真だった。
バストアップのかなりはっきりと写っているもの。一瞬、芸能人の生写真かと思ったが、その一対の男女は見たことのない顔。
僕は訳が分からずに、首をひねった。
- 68 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:05
-
「これが、石川透さん。そして、奥様の千夏さん…あああ、だから〜っ!
触っちゃ駄目だって言ってるでしょうっ! 見るだけにして下さいっ、御利益がなくなりますっ!!」
「…御利益?」
また、訳の分からないことを言い出す奴だ。
…それにしても、コレが梨華ちゃんのご両親か〜、うわわ、本当にTVタレントになれるレベルだなあ。
梨華ちゃんはどちらかというとお母さん似になるんだろうか?
この人たちはウチの親と同じくらいの年齢のはずなのに、どうしてこんなに若々しいんだろっ!?
「んもう〜、先輩は常識なさ過ぎっ! どうして、そんな風にボケボケしてるんですかっ!!」
小杉は演技じみた感じで額に手を当てる。このオーバーリアクションが何とも変だ。
- 69 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:06
-
「このカードはねっ! 今や老若男女を問わず、誰もがあがめ奉る究極のレアアイテムなんですよっ!
あのねえ、素敵な彼女が欲しい男は千夏さんカード、格好いい彼氏の欲しい女性は透さんカード。
肌身離さず持っていれば、必ず願いが叶うと言われてます。
ついでに、お店で売っているオリジナルブレンドの紅茶を毎晩飲んで寝るといいとか〜、…ああああっ!
何ですかっ、その不審の目はっ!! 本当に効力あるんですからねっ!
馬鹿にすると罰が当たりますよっ!!」
この箔押しカードは本当に貴重品なんですからねっ!! …最後にそう言って、そそくさとしまう。
けどなあ、だいたい小杉なんかが肌身離さず持ち歩いている事からして、怪しい気がする。
とても「御利益」があったとは思えないぞっ!
それに、男用と女用と両方持ってるって、どうよ!? お前、実は両刀遣い…っ!?
そして、予鈴が鳴る。貴重な休息の時間は何とも無駄に過ぎてしまった。
- 70 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:07
- *** *** ***
「あ〜、春海くんっ!」
僕が息を切らしながら公園の車止めを通り抜けると、彼女はもう先に来ていて、携帯でなにやら操作をしていた。
メールでも送っているんだろうか?
僕の姿を確かめると、カバンにそれをしまった。
携帯もスケルトンの水色だ。
「ごめんっ…、待ったっ!?」
予備校のタイムテーブルの都合で、彼女の方が講習の終わる時間が30分ほど早い。
栄進光予備校はNOVAの様に駅の目の前。
地下鉄に乗って、僕が定時で上がってくるのに余裕で間に合うのだ。
昨日、あんな風に注目を浴びてしまってすくんだから、今日は直接公園に行って貰うことにした。
- 71 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:08
-
僕を待っていた彼女は、今日も制服姿だ。
夏休みなのに…と、昨日聞いたら、なにやら学校の規定で予備校とかに通う時には
通学と同じように制服を着用するように義務づけられているのだという。
良くは分からないが、浪人生に混じって服装とかが乱れるのを防止する為らしい。
誰でも制服の時は悪いことがやりにくい。ことに天下の山ノ上高校だったらなおさらだろう。
「ううん…でも、遅かったね?」
梨華ちゃんは時計を見ながら、でも責め立てる風でもなくあっさりと言った。
「あ、うんっ。…ちょっとね」
ふたり連れだって歩き始めるのは、昨日と同じ彼女の家への道のり。
涼しい風の吹き始める夕方の散歩はなかなか快感だ。
受験生には時間のロスとも思えることなのに、昨日はそのあと、ことのほか勉強がはかどった。
今までどうしても解けなかった応用問題が、すらすらと答えられる。あれには自分でも驚いた。
…でも。
- 72 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:09
-
隣りの彼女をちらっと盗み見ながら、若干の不安を抱えた自分を感じる。
どうして、彼女は僕なんかを選んだんだろう?
やはり、この前の夜のことを気にしてるのか?
そうでもなければ説明が付かない。
ただですら、信じられなくて狐につままれた気分。
しかも…さらに不安になるようなことを、さっき戻りがけに小杉に教えられたのだ。
「これは、僕たちの仲間内でもすごく謎とされているんですが…梨華ちゃんって、今まで特定の彼氏がいたことないんですよ?
あれだけの上玉ですから、みんな落としたいとあの手この手で応酬したらしいんですが…み〜んな、まとめて玉砕。
箸にも棒にも掛からない状態だったらしいんですよ。
先輩っ…今に後ろから刺されますよ? くれぐれも、夜道には注意して下さいね」
つづく
- 73 名前:Uターン 投稿日:2007/08/15(水) 23:16
- >>46
ありがとうございます。
そう言ってもらえると嬉しいです。
>>47
ありがとうございます。
期待にそえるよう頑張ります。
- 74 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:03
- + 4 +
男と付き合った経験のない、清らかな崇高な少女。
ちょっと近寄りがたいほどの潔癖さを備えている。
声を掛けるのもためらわれるほどの、白百合のような気品。
……。
あ〜、我ながら陳腐な表現。
やはり、僕はゲーテにはなれないらしい(…最初から、無理だって?)。
小杉の話を聞いてしまったので、何だか妙にうなじの辺りがスースーするが、まあ、それはそれで…。
ともかく、僕はナイトなので、美しい姫君を無事にお城…もとい家まで送り届ける任務を遂行しようと心に誓った。
- 75 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:06
- *** *** ***
「へえ、梨華ちゃんは理系なんだ」
何しろ、一昨日会ったばかりで彼女のことを何も知らない。
あ、一昨日は一瞬だったけど(ついでにものすごいものまで拝んだが)。
質問攻めにする…というのも品がないが、まあ、長い長い道のりを黙って歩くわけにもいかず、当たり障りのない会話をすることにした。
まあ、受験生の話題と言えば受験のことだろう。
文系か理系か、志望学部、そして受験科目…そんな辺りから接点を見いだしていくしかない。
自分に関係がないような分野でも、友達や知り合いに近い人間がいれば、何となく知識があるし。
「…もしかして、医学部とか…?」
うわっ! 言ってしまってから、しまったと思う。
この一瞬で、ばばばっと想像してしまったぞっ!
彼女が白衣姿で診察室の机の前に座っているのをっ!!
あああああ、何てはまっているんだっ、最高だっ…でもって、
お医者さんごっことかしちゃったり…うわわわ、何考えてんだよ〜、僕はっ!
「え…?」
隣をすたすたと歩いていた彼女は、不思議そうに僕を見上げた。
何言っているの? この人…というお顔。
- 76 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:08
-
少しの沈黙が流れる。
その間、僕は白衣の裾からするりと見える組んだ足の映像を、自分の中から追い出すことに専念していた。
だってさ〜、すげー似合うぞっ! 梨華ちゃんが女医さんになってるの。
「じゃあ、…今度は私を診察してネ」とか言って…とか言って…
うわわわわわわ、鼻血っ! 鼻血がそこまでっ!! ひ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!
「お医者さんはお医者さんだけど…、あの、獣医の方なんだけど」
盛り上がる僕に対し、どこまでも冷静な彼女の声。
そよそよと頬を撫でる夕暮れの風が僕を日常に引き戻す。
「は…、はぁ。そっか…」
しゅうううううん、ちょっとがっかり。
でもま、白衣は白衣に違いないだろう。
だがなあ、女医さんの方がやっぱ好みだよな〜…って。そんなこと、誰も聞いてませんって。
- 77 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:08
-
梨華ちゃんはそんな僕をまじまじと見つめてる。
本当に吸い込まれそうな瞳とはこんなものを指すんだろう。
びっちりと綺麗に生えそろったまつげに囲まれた目は艶々と濡れている。
「黒目がちの目」とはよく使われる表現だけど、本物はやっぱすごい。
今の僕にとっては心まで見透かされるブラックホールのように思えてしまう。
「じゅ、獣医学科に入るのって、すげ〜大変なんじゃなかったっけ?」
さすがに僕の周りには獣医を目指している奴なんていなかった。
と言うか、僕は文系だから、全然畑が違う。
哀しいかな、いくら同じ受験生でも志望する学部が違うとちんぷんかんぷん。
でも、僕は負けない。
小学校の頃に学校の図書室で見た「じゅういさんになるには?」と言う本の内容を頑張って思いだしていた。
人間、必死になれば何でも出来るのだ。
- 78 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:10
-
「確か、獣医学科ってすごく少ないんだよね、しかも国立がほとんどで。
全国で15だか16だかそのくらいだったよな〜、しかも医学部と同じで6年制なんだろっ、
もちろんそのあと国家試験もあるし…」
うんうん、「動物のお医者さん」でも言っていたぞ、獣医さんになるのはすごく大変だって。
実習も多いし、生体実験なんかになると研究室に泊まり込んだりするんだって。
生半可な気持ちで希望出来る道ではないだろう。まあ、彼女なら出来そうな気もするけど。
「うん…、まあ。そうね」
梨華ちゃんは何でもないようにさらりと答える。
歩くたびに髪の毛がさらさらと流れて、もう、ひとつの映像のように美しい。
こんなすごいものを間近で見てしまっていいのだろうか。
何だか人生の全ての運を使い果たしてしまいそうな気がする。
ちょいとオーバーかも知れないが、全く持って目の保養だ。
- 79 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:11
-
一応、ナイトだから…僕が車道側を歩く。
だから彼女の横顔の向こうには、ガードレールがあって、その向こうに広々とした風景が広がっている。
一番向こうは海。今、僕たちは線路を越えるように作られた高架の部分を歩いていた。
道路がだんだん上り坂になり、また下り坂になる。下を電車が通り過ぎていく。
「でも、どうして…。動物が好きなの?」
――まさか、チョビを観たから感化されて…とか、彼女に限ってそんなことはないだろう。
じゃあ、何だ…?
あっさりして見えるけど、実はとても動物好きで家にはハムスターのゲージが10個もあるとか、
インコを100羽飼っているとか、庭には犬が5匹もいるとか…
何だかそんなことまで考えてしまう。さすがに呆れられたら大変だから、想像に留めておくけど。
「う〜んっ…そうだなあ」
あんまりこの手の質問もされないのだろうか。
彼女は初めて聞かれたみたいに、言葉を考えている。
小首を傾げたその姿がまた素敵だ。ちょっとアンニュイで。
- 80 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:13
-
「ウチね、お姉ちゃんが気管支が弱くて。
よくぜいぜいになったりしていたのよ。
だから、動物とか全然飼えなくて、お友達の家がとても羨ましかったの。
それなら獣医さんになれば、毎日たくさんの動物を触れるかなって思って…、そう言うのってすごく楽しそうでしょう?」
「…は、はあ…」
う〜ん、失礼だけど、ちょっと意外。こんな答えが返ってくるとは思わなかった。
彼女はもしかすると想像しているのとはちょっと違う女の子なのかも知れない。
あんまりに完成されていて隙がないように見えるけど、実は全然違う一面があるんじゃないだろうか?
「今も、バイトしてるの。早朝と夕方、犬の散歩の。どの子もみんな可愛いのよ、私が行くととても喜んでくれるの」
ふふっと、ちょっとだけ声を立てて笑う。
あ、…メッチャ可愛いかも。何だかドキドキする。
こうして彼女の意外な一面を知ることが出来るのは楽しい。
いいのかな、こんなことしていて。すげ〜、役得。
- 81 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:15
-
彼女は嬉しそうな色を瞳に残して、僕に聞いてきた。
「…春海くんは? 行きたいの、経済学部の経営学科なんでしょ?」
「え…?」
今度はこっちが驚く番だ。
んなこと、言ったっけ、僕。
確か話してなかった気がする。どうして知ってるんだろ…?
僕が、怪訝そうな顔をしているのが分かったんだろう。
彼女は、あれ? と言う表情になって、それからカバンを開けてごそごそと何かを取り出した。
「あ、ごめ〜ん。あのね、荷物の中にこんなの、紛れていて…ついつい、見ちゃいました。返すね?」
そう言って取り出す。
コンピューターが打ち出した紙切れ、A4版にびっちりと…、びっちりと…!?
「うぎゃああああああっ! …どどどどっ、どうしてっ!!」
- 82 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:16
-
思わずひったくっていた。
だってさ〜、これ、この前返ってきた模試の結果じゃん。
もうぼろぼろで…一浪の頃はもうちょっと判定も良かったはずなのに、今回はAとBがひとつもないっ!
あるのは「志望校を再考することをおすすめします」ばかりだ。
プリントアウトされた冷静な明朝体にそう言われると、とても寒い気がする…。
「よく分からないんだけど、いつの間にか入ってたの…あの夜、かな」
どっき〜〜〜〜〜んっ!
そのことを思い出すと、心臓が飛び出そうだ。
未だに回復する記憶のない夜。
彼女は覚えているのかっ、僕が…そのっ、何をどんな風にしたのかとか。
あああ、どんなに濃厚な夜だったのか、フラッシュバックでもいいから見えたらいいのに…そんな風に考えてしまう自分も惨めだ。
「あっ…、ああ、そう、…そうか…っ」
もう、あっちこっちがほころびだらけです。
冷や汗たらたらですっ…うわああああああ、どうしたらいいんだ、僕っ。
今、この置かれている状況はこの上なくすげ〜、ハッピーだと思うんだけど?
でもさあ、…なあ…。
- 83 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:18
-
「あの…、春海くん?」
申し訳なさそうに、彼女が僕の顔をのぞき込む。
だから、そんなに見つめないでくれよっ…、いやらしい内側まで暴露しそうですごく怖い。
「ごめん、フェアじゃないよね?
その模試、私も受けたんだけど…良かったら見せようか、結果。そうすればおあいこだよ?」
――いや、それは遠慮するっ…。これ以上、落ち込んでどうするんだ。
彼女の光り輝くような素晴らしい結果を想像しつつ、僕はぶんぶんと首を横に振った。
- 84 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:18
- *** *** ***
長い長い幹線道路をずーっと進むと、やがて駅に出る。
そこは、彼女の家から一番近い駅のひとつだ。
彼女が使うのは地下鉄だから、その駅はもう少し歩いたところにあるんだけど。
山を切り拓いて作った住宅地。緑を残したゆとりある設計で、ごみごみしてない。
何十年もここにあるみたいにしっくりと景観と溶け合っている。
駅の周りにはデパートや銀行の建物が並んでいて賑わっている。
そして、駅前には乗り降りの客をターゲットにした、ワゴンのショップがたくさん出ていた。
「今日は、売り切れてないかな?」
梨華ちゃんが時計を見ながら言う。
ここのソフトクリーム屋のチーズケーキソフトが目玉商品なんだそうだ。
一度食べたら忘れられない味で、わざわざここまで足を運んで買い求める客も後を絶たないとか。
ソフトクリームだけにお持ち帰りは出来ず、この場で食べるしかないのもレアなものになる一因だろう。
- 85 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:19
-
昨日もここまで来て、彼女が「食べようか?」と言った。
でもいざ、買いに行ってみると非情にも「あとひとつです」と言われる。
ここでもまた、僕の情けない人生の断片がかいま見れたのだ。
すげ〜落ち込んだ。
もちろん彼女はひとつしかないソフトクリームをひとりで食べるなんて酷いことはせず、また明日ねと言ったのだ。
ソフトクリームなんて、ものすごく食べたいものでもない。
でも…梨華ちゃんがこうして気を遣ってくれるなら、食べてもいいかなと思う。
そんな感じで、ショップの前に歩み寄ろうとした時。
駅からどばばっと人並みが押し寄せてきて、僕たちの前に長い長い河を作ってしまった。
「…あ…」
その流れが切れるまで、ふたりで呆然と立ちつくしていたが。
やがて、僕はとあるものを目にしてしまった。
- 86 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:21
-
西の杜学園の…制服。しかもカップルだ。
制服の着衣モデルのように並んで歩いている。
前にもちらっと言ったかも知れないが。僕は西の杜をわずか1年足らずでやめている。
まあ、やめると言っても、中学は義務教育だから、普通の公立中学に移っただけのことだが。
でも、せっかく受かっておきながら、通い続けられなかった情けなさは今でもあの制服を見るたびに思い出す。
…ああ、いやだなあ…。
そんな風に暗くなりながら、隣りの梨華ちゃんを見る。
…すると意外なことに。
彼女も僕と同じものをみて、凍り付いた表情をしていた。
- 87 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:21
-
それを見なかった振りをして。ふたり分のソフトクリームを買って、その辺のベンチに座る。
こうしてほっと一息つくと、ほんっとにこの辺は高校生カップルが多い。
ソフトクリームを舐めているのだって、ほとんどが高校生の男女ふたり組だ。
もしかして、カップル限定販売なのかと思ってしまうほど。
「ぼっ…僕さあ…」
心の中にあるもやもやしたものを吹っ切るように、努めて明るく言った。
「中学の頃っ、1年だけ『西の杜』に通ってたりするんだよな〜っ…なんか、あの制服っ、懐かしくてさ」
別に自慢している訳じゃない。
だって、梨華ちゃんは山ノ上高校の生徒だ。
しかも校内での成績もトップクラスらしい。
私立なら西の杜、公立なら山ノ上、と言うのが伝統的な進学校。
ちょっとひねた考え方かも知れないが、6年間も私立に通うなら、公立で同等の教育を受けた方が親孝行だ。
- 88 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:23
-
そりゃ、西の杜をやめたことは僕の20年の人生の汚点になるだろう。
しかも、それからも成績は振るわず、山ノ上なんて受ける気力、全然なかったし。
でもさ〜、いつまでもこだわっていても仕方ないと思う。
ほら、見てみろ。
あっちにいるカップルもこっちにいるカップルも…みんなみんな、僕と梨華ちゃんに注目している。
まあ、ほとんどの視線は梨華ちゃんに注がれていると言ってもいいが。
道を歩いている時だって、僕はずっと夢心地だった。想像すら出来なかったことだ。
こんなに可梨華い彼女とふたりで歩けるなんて。
ベンチに座って、ソフトクリームを舐められるなんて。
- 89 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:24
-
他力本願と言えばそこまでだが、すごく勇気が湧いてきた。
梨華ちゃんと一緒にいるだけで、何だか僕まで変わっていける気がする。
頭の中がすっきりして、勉強もはかどる。
たった2日では「睡眠学習枕」の効果も試せないんじゃないかと思うが、でもでも、ちょっと違ってきているんだ。
「ふうん…そっか」
梨華ちゃんにとって、僕の話は大したことのない内容なのだろうか。
でも、駄目ねえともすごいねえとも言われず、ただ淡々とされていた方が楽だった。
でも、次の瞬間。彼女の身体がぴくっと跳ねた。
「…あ、じゃあ、もしかして…?」
何に気付いたのだろう、彼女は小さく叫ぶ。
「春海くん、私より2学年上だから…もしかして中等部で、ウチのお姉ちゃんのひとつ後輩だったんじゃない?
知らない? 何だか有名だったらしいけど」
「…へ…?」
いきなり「知らない?」と聞かれても…覚えがなかった。
- 90 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:26
-
西の杜に入学して。余裕があったのは1週間のガイダンスの期間だけだった。
授業が始まってみると、いきなり落ちこぼれてしまう。
夜中までかかっても終わらないほどの宿題が出る。
他のクラスメイトもさぞ大変な思いをしているのだろうと思ったら、そうでもないのだ。
帰宅部なんて、僕だけ。
他の奴らは部活で汗を流している。
体育の授業ですら、頑張りすぎると他の授業に響く気がするのに。
すごい奴なんかは、朝練をして、昼練をして、その上放課後もフルで活動してる。
良く、本当に勉強の出来る奴は何をやらせても出来る、と言うがその通りだった。
周囲に気を配る暇もなく、必死に勉強したが追いつかない。
そして、いつの間にか努力をすることまで面倒くさくなっていた。
だって、少しぐらい頑張ったところで、結果なんて出ないんだから。
僕が頑張っていい点数を取っても、他の奴らはもっと高得点なのだ。
- 91 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:27
-
…梨華ちゃんのお姉さんだったら、石川…う〜ん、駄目だ。全然覚えてない。
「ごめん、…分からないや」
僕が言うと、梨華ちゃんはきょとんとした顔でこちらを見た。
「知らないの? …本当に?」
ふうん、そっか〜とソフトクリームを舐める彼女が、何だか少し表情を変えた気がした。
僕の気のせいだったのかも知れないけど。
てろん、と指に溶けかけたクリームが流れてハッとする。
夕暮れとは言っても、まだまだ夏の盛り、やわらかいソフトクリームなんてすぐに溶けてしまう。
僕はどろどろになりかけた表面をひと舐めして、そして、ふと気付いた。
「え〜、梨華ちゃんのお姉さんは西の杜の生徒だったんだ?」
彼女が公立の中高なのだから、兄弟もそうだと思っていた。違うんだ。
- 92 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:28
-
「うん、…お姉ちゃんはもうとっくに卒業したけど。今、弟が高等部の2年にいるの」
…へ? 何だ、それは。ちょっと、おかしいぞ。
何でもないように彼女は言うが。お姉さんも弟くんも、西の杜!?
で、どうして彼女だけ公立なんだ!?
僕のように途中で転校したと言うこともないだろう。
山ノ上トップの成績だったら、西の杜だって余裕のはずなのに。…でも、まさか。
「あのぉ…、梨華ちゃん」
やっぱ、ちょっと言いにくいから、声が小さくなる。
「もしかして、受験に失敗したとか…?」
そう言う奴も確かにいた。中等部を受けたが落ちて、公立の中学に進んだ。
でもその悔しさがバネになる。
必死で勉強して、高等部に入学する奴もいたし、梨華ちゃんのように山ノ上に進学する奴もいた。
もしも…もしも。
こんなに完ぺきに見える彼女にもそんな過去があるのだとしたら。
僕たちは似たもの同士なのかも知れないっ! だからっ…だから、惹かれあうのかっ!?
- 93 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:29
-
しかし、僕のそんな淡い期待は、彼女の言葉に打ち消されてしまった。
「え…? 何言ってるの。西の杜になんて、最初から行く気もなかったもの…」
ぺろぺろぺろ。
ソフトクリームを全部食べ終えて。
彼女はほふっとため息を付いた。
「お姉ちゃんが西の杜に合格した時に、パパとママがものすごく難しそうな顔をして。
夜中までずっと話し合っている時期があったの。やっぱり、ひとり行けば、3人とも…って考えるよね?
でもウチは自営業だし、そんなにゆとりもなかったんだと思う。
塾やお稽古ごとだって、結構な出費だもんね」
…梨華ちゃんとお姉さんは3歳違い。
と言うことは、お姉さんが西の杜に合格した時、梨華ちゃんはまだ小学校の3年生だったことになる。
そんなに小さな女の子が、両親の悩みを感じ取っていたなんてすごすぎる。
- 94 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:30
-
しかも彼女は。弟はきっと西の杜に入った方がいいと思ったという。
だったら、自分は公立に行こう。公立に行って、国立に行けば、親は少しは楽になる。
難しい顔をしなくてすむと。
「弟はね、バレーが好きで、部活やりたがっていたの。
西の杜のバレー部は全国レベルだもんね。私はそう言うのないし、だから、いいかなと思った」
特にすごいことをした、と言う感じでもない。
梨華ちゃんはなるようになったという風に、淡々と語った。
- 95 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:31
-
「ううう……っ」
ああ、対して。僕の情けなさと言ったら、何だろう。
さんざん金を使わせた挙げ句に、西の杜を首になって、そのあとも進学のための塾や予備校に通ったが、全然身にならなかった。
今では堂々の二浪。
あとがない状態なのに、この悲惨な模試の結果。
もう夏休みには受験の勝敗が見えてくる、とか言うのに…。
「春海くん?」
頭を抱えてうずくまってしまった僕の頭上から、天の声が降ってくる。
梨華ちゃんはソプラノの滑らかな声だ。天の神様が導いてくださるような高貴な。
「私、犬の散歩のバイトがあるから、帰るね。春海くんもお気を付けて。…じゃ、また明日」
のろのろと顔を上げる。目の前の彼女は夕日の後光をバックに、静かに微笑んでいた。
- 96 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:32
- *** *** ***
僕、少し本気を出した方がいいかも知れない。
マジにそんな気がして。ちょっと勉強に身が入るようになったと思う。
そんな単純に行くのかと、誰かに突っ込まれそうだけど。
そんなわけで、昼飯をかきこんだあと、午後の講義の部屋に行って参考書を広げていると。
ひげ面の大谷がきょろきょろしながら入ってきた。
「おおう、今井…っ!」
何だ何だ? すげ〜、神妙な顔をしていると思ったら、僕のことを探していたのか。
全く、そんなに慌てて、なんだって言うんだ…!?
- 97 名前:Uターン 投稿日:2007/08/16(木) 14:34
-
「なんかさ、知らね〜男が玄関のとこでお前を待ってるんだよ。
連れて来いって言うからさ…なんだ、あいつ」
「ふに?」
いいところなんだけどな、一体なんだろ? 別に面会の予定もないんだけどなあ。
ぐるぐると首をひねってしまう。でも、何も浮かんでこない。
う〜んっ、…誰だあ???
まあ、昼休みもまだたっぷりあるし…行ってみるか。僕は席を立つって、正面玄関に向かった。
つづく
- 98 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:29
- + 5 +
玄関先で待っているという男はすぐに分かった。
本物かどうか怪しい大理石の大きな柱に、もたれ掛かっている奴がいる。
「今時、染めるのが当然のようだけどさ、あえて黒いままにしてあります」と言った髪。
でも真ん中で何気なく分けてあるように見えて、あれはかなり計算されている。
確かジャニーズのグループの誰かにこんな頭をした奴がいたぞ。
色とりどりの細い縞のシャツ、中から覗くクリーム色のTシャツもブランドモノだ。
多分、ジーンズもリーバイスの古着だろう。
いかにもインテリっぽいのに、それなりに身長があるのはどういうことだ!?
うわ、無駄に高いぞ。モデル並みだ。ついでに足も長い。
ノンフレームの眼鏡、その奥の視線が辿るのは…英語だらけの新聞っ!?
もしかして、コレが英字新聞という奴かっ!? と言うか本物の「ニューヨーク・タイムズ」??
…は、新聞だったよな、雑誌じゃなかったっけ?
そんなこともよく分からない。あああ、見出しまで英語(当たり前)。
- 99 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:31
-
「あの〜?」
イヤホンをして、新聞に夢中だから、僕の来た事なんて気付くはずもない。
だいたい呼び出しておいてなんたることだ。
普通、人待ち顔にきょろきょろしてないか? コイツ、馬鹿?
…いや、難しい新聞を読んでいるんだから、頭はいいのかも。
声を掛けると、彼は初めて気付いたように顔を上げた。
「あ、これはこれは…今井さん、ですよね?」
カチン。
いきなり携帯を開いて何かを見ている。
画面と僕とを目を細めて見比べると、ふうっとため息を付いた。
「何だ、写真写りが悪いのかと思ったのに。素材からして、イマイチだったか」
――はあ!?
いきなりなんだよ、コイツはっ!!
僕を見た瞬間から、ばちばちと電波が飛んできてる。
痛いぞ、刺すような視線というのは知ってるが、これはもうしびれるほどの視線だ。
傷害罪で訴えることが出来るくらい痛いぞ。
- 100 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:32
-
僕が思わず画面をのぞき込もうとすると、男の方がくるんとこちらに返して見せてくれた。
…何じゃコレ、僕の顔じゃん。隠し撮りなのか?
それにしても間抜けな顔…もうちょっとまともな顔を取れないのかっ!!
…と怒ったところでもともとの素材との関わりも多分にあるため、あまり大きな事は言えないと考え直す。
でも失礼だぞっ!!
せめて「全然似てませんね、本物の方が数段マシです」とか、言えんのかっ!?
「――あ、いや。失礼」
彼はあからさまに鼻で笑いながら、携帯をマナーモードにするとポケットに収めた。
それから改めてこちらを見る。
- 101 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:33
-
「申し遅れまして…私はこのような者です」
すっと眼鏡を抑えてから、今度は胸のポケットから名刺入れを取り出す。
蓋を開けて、一枚差し出した。
水色のシンプルな紙片。
濃紺のインクで『私設・梨華さんを愛でる会・山ノ上OB支部長』と書いてある。
何じゃコレ?
下の方にホームページのアドレスと、相川俊二とか言うこの男の名前らしき文字もある。
僕が受け取ろうとした瞬間、彼は故意にすっと引っ込めた。
「あなたなどには、この名刺を受け取る権利も資格もありませんよ? ふてぶてしい…」
なっ、何だとっ〜〜〜!! 一体コイツ、何者?
あ、そうか『私設・梨華さんを愛でる会』の…って、何だよ、一体それはっ!!
梨華さんって…梨華ちゃんのことだろうなあ。そうとしか考えられないけど、何だか変だ。
- 102 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:34
-
「私はこの春に山ノ上高校を卒業しましてね。…あ、もちろん主席ですからね、主席。
天武賞も貰いました。え? 天武賞をご存じない。あなたの高校にはそんなものはなかったんですね?
文武に優れた生徒に贈られる特別な賞なんですよ。
ま、私は生徒会長を務めましたし、妥当な線だったのでしょうね…ふふ。
今はさる東京の有名な私立大学で、学んでおります。
あ、大丈夫、あなたに何て、キャンパスでお目に掛かるようなことはないような学校ですから、ご心配なく…」
とか言いつつ。
しっかり見えていたぞ、「橋」の文字。
現役で入るのはかなり難度が高いんじゃないだろうか? いや、僕は浪人してても無理だけど。
「……」
だから、何なんだよっ! うざいなっ!
人の貴重な昼休みを無駄にさせないで欲しい。そっちは夏休みだろう?
でも受験生にとっては天王山の夏だ。わざわざ呼び出しておいて、何が言いたいというんだ!?
- 103 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:35
-
「おお、私としたことが。失敬、失敬」
彼はまた、いやらしい目で僕を見て、忍び笑いを漏らす。
何がそんなにおかしいんだ、非常に失礼だと思うぞっ!!
「私は高校時代、梨華さんとは個人的に、大変親しくさせて頂いておりまして。
生徒会でご一緒させて頂いていたんですよ。
私が会長を2期務めた間、彼女は書記と副会長でサポートしてくださいました。
それはそれは、他の女子にはないほどの知的さと優美さで…生徒会室はいつも花園のようでしたね…
梨華さんという大輪の花が咲き誇るオアシスで…ふふ」
へ〜、梨華ちゃんは生徒会だったのか。すげ〜、山ノ上で生徒会なんて。
まあ彼女ならすごく似合いそうだ。いいなあ、ちょっと壇上の彼女を拝んでみたかったな。
僕が素直にその情報に感激していたので、男は満足げに微笑んだ。
しかし、それも一瞬のこと。
急に何かを思い出したように、ぴくぴくっと眉を震わせる。
- 104 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:36
-
「本当にっ! 非常に親密でした。
生徒会室にふたりきりになったことだって、何度もあります。
あの清らかで崇高な微笑みはいつも私だけのものでした。…そうですっ!
私たちは誰が見ても赤い糸で結ばれた運命のふたりだったのですっ!
それをそれを…どういうことなんですかっ。会員から情報が入ったんですよっ!
あなたのせいでっ!この数日、サイトの掲示板は荒れ放題、もう書き込みがありすぎてレスなんて返せませんよっ!!!」
だ〜か〜ら〜…何なんだろうな、こいつ。うざいぞ。
一体何を考えているんだ。
それに、梨華ちゃんと親密って…彼女は男と付き合ったことがないって、小杉の情報で…。
- 105 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:37
-
「一体どんな男が、梨華さんを…と、わざわざこんなところまで来てしまったじゃないですかっ!
あなた、梨華さんに一体何をしたんですかっ!
彼女は言いましたよ、私に。
『今は受験で男の人なんて考えていられないの、ごめんなさい』って…。
と言うことは、言うことはっ!
晴れて彼女が大学に進学した暁には、私と…そういう約束だったんですっ!!
それをそれを…あなたときたら、何とも情けないっ!!
大学には2年続けて滑り続け、しかも『栄進光』ならともかく『千率』なんてうだつの上がらない予備校に通っていらっしゃる。
どう見ても梨華さんと釣り合う男とは思えません。
うわわ、ほらっ! こんな空気の悪い場所に長くいたら、私はじんましんが…っ!!!」
ずざざざざっっ!!
彼はすごいスピードで30メートルほど遠ざかった。
しかし、炎天下であっても、そのインテリ眼鏡の下で僕を睨み付けてる。
「ひっ…、ひと目見てっ! 分かりましたからねっ!!」
本気で身体がかゆいらしい。身体をよじってそれに耐えている。何とも情けない感じだ。
- 106 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:39
-
「あなたなどっ、梨華さんの相手にふさわしくありませんっ!
あなたがどんな卑怯な手段を用いて梨華さんを脅したか、そんなの会員たちの情報からすぐに明らかになりますっ!
会の運営委員会に訴えますからねっ! 私たちの梨華さんは永遠なのですっ!
そして、相手としてふさわしいのは私を始め選ばれた会員だけですっ!!」
道の真ん中で大演説をするから、まばらではあるが通りを行く全ての人が注目している。
わめいている彼を見て、それから視線の先にいる僕を。
何だ何だと言う感じで。
騒ぎに巻き込まれたこっちはいい迷惑だ。
…それに、梨華ちゃんが僕にふさわしくないことぐらい、最初から分かってる。
場違い男に言われるまでもない。大騒ぎをされても、全然痛くもかゆくもない。
「私はっ! 認めないですからねっ!!
ぜっっっっったいにっ、あなたの悪行を暴いてやるっ!
ちくしょっ〜〜〜〜〜っ!!!」
よっぽどじんましんが酷かったのか、あっという間に彼は消えていた。
ぽつんと千率予備校の玄関に取り残された僕。
頭上から照りつける日差しで、足元にくっきりとした短い影が出来ていた。
- 107 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:45
- *** *** ***
「あ、…ああ。相川先輩ね」
夕方、公園で落ち合った梨華ちゃんにちょっと聞いてみた。
もちろん、彼が僕に会いに来て、訳の分からない暴言を吐いたことは言わない。
ただ、相川なんとか、と言う人間を梨華ちゃんが本当に知っているのかを確認したかったのだ。
「今年の春の卒業生よ? それが何か?」
きっぱりとそう言いきられてしまい、それ以上のことが聞けなくなった。
彼女があの男に告白されて、申し訳なさそうに断った、と言うのも本当なのだろうか?
だいたい、あのファンクラブもどきのような会が本当に存在するのか?
まあ、少なくとも僕の顔を映してあいつに送った奴がどっかにいるのだ。
小杉に聞いてみれば一発なんだろうけど、それはまた奴に情報を提供するようなものだ。
これ以上情けない立場には陥りたくなかった。
僕があの怪しげなファンクラブもどきに追われていることが分かれば、それこそ小杉は大喜びでネタ集めに奔走するだろうし。
- 108 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:45
-
…なんか、面白くない。
こうして梨華ちゃんと歩いていれば、通りすがる全ての人間たちの視線を感じることになる。
徒歩の奴らはもちろん、時には車に乗っている奴まで徐行運転する。
時速60キロで走っていても光り輝くオーラは回避出来ないらしい。
みんな、まず梨華ちゃんをちらちらと眺める。
その目には色々なものが浮かんでいるが、誰もが彼女を特上の美人だと認めていることは間違いない。
そして、次の瞬間。
視線は、僕に移る。
え…? 何? この男?
口に出して言わなくても、そんな声が聞こえてきそうだった。
確かに僕は梨華ちゃんの相手としてあまりにもふさわしくないと思う。
今日の昼、僕を呼び出したあの失礼インテリ男の方が、口惜しいけどずっとずっとお似合いだ。
僕にとっては失礼極まりない男であったが、まさか梨華ちゃんの前で同じような態度でいるわけではないだろう。
男は好きな女の前では、必死で取り繕うはずだ。彼だって、いっぱしの紳士になりうるはずだ。
- 109 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:50
-
「な、何でもないけど…ええと」
100%信じているわけではない。あの男が言ったことを。
でも少しは信じてしまっていた。
今日は、何だか会話を続けることが出来ない。
僕が梨華ちゃんに対して、すごく後ろめたい気持ちを抱いているからだ。
本当は聞いてみたいことがある。問いただしたいことがある。
梨華ちゃんは、どうして僕と付き合うと言い出したんだろう。
いい加減な成り行きではない、ビデオ録画のように鮮明に思い出すことも出来る。
あのとき、彼女は確かに言った。
きっぱりと「あなたの彼女になるわ」と。
そうなのだ、僕たちはただ単に並んで歩いてるだけじゃない。
彼女の中でも僕はきちんと「彼氏」の位置にいるのだ。
どうしてなのだ、全然説明が付かない。
- 110 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:51
-
どうして、僕を選んだのか、僕がいいと思ったのか…聞いてみたい気もする。
何となく、と言うのなら、あのインテリ男の方が最適だっただろう。
そのほうが周りの人たちだって納得する。
こんなにあからさまに驚いた視線を投げてこないだろう。
…でも、それは出来なかった。それだけはしたくなかった。
だって、もし。
彼女が「あらそうね」と言って、ふたりの関係を解消してしまったら、この夢心地の時間を二度と味わうことが出来なくなるのだ。
自分でもとんでもない幸運だとは思う。
でも一生に一度くらい、こんな時間を過ごしたっていいじゃないか。
「…春海くん?」
今までは会話をリードしてきた僕がいきなり黙りこくってしまったから。
梨華ちゃんは不思議に思っているのだろう? 僕の顔をのぞき込んでくる。
斜め下から見上げてくる瞳、やっぱり綺麗だ。
僕の思いこみか、何だか心配そうに、不安そうに見えるのもこの上なく可愛い。
- 111 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:52
-
大丈夫なんだよ、何でもないんだよ。
ちょっとした…うん、ちょっとだけ自信を喪失しただけで。でも、大丈夫だから。
…あれ。
その時、僕たちの歩く歩道をあちら側からカップルが歩いて来るのに気付いた。
こちらが「にわかカップル」なのに比べて、あっちはとても親密だ。
言葉にするといちゃいちゃ、そしてべったべたと言った感じ。
身体をすり寄せたり、頬を近づけたり、この暑いのにすげーなーと思うくらい仲が良さそうだった。
ついつい、そっちを見てしまう。
向こうもだんだん距離が近づいて、僕たちの存在に気付いたらしい。
まずは彼女がこっちを見た。
梨華ちゃんの顔を一瞬見て、それから僕の方を見る。
そして、あからさまに驚いて、隣りの彼氏に耳打ちする。
すると、男の方もこちらを見た。やはり、見るのは梨華ちゃんだ。
ヒョエ〜と言う感じでなめ回すようにじろじろ見ている。
何だよ、いやらしい、いい加減にしろよ。
僕もむかついたが、隣にいる赤毛の彼女はもっとむかついたらしい。
ぎゅーぎゅーと彼氏を引っ張って、僕たちの隣をすり抜けていった。
- 112 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:52
-
「……」
あ〜あ、馬鹿な男。きっとこのあと一悶着あるだろうな。
あの女嫉妬深そうだし…でも、気持ちは分かる。
どんなに仲のいい彼女がいたって、こんなアイドル並みに可愛い子が目の前に現れたら、見つめてしまうのが男の本能だ。
こう言うのはよりよい子孫を残すために、神が与えてくれた感情なのだから仕方ない。
そんなことを僕が考えている間、梨華ちゃんは振り返って遠ざかっていくそのカップルを不思議そうに眺めていた。
そして、しばらくすると元の通りに前を向いて歩き出す。
「…あ、そうか」
何かに気付いたように、彼女は顔を上げた。
「なっ、何っ…!?」
思わず、どっきーんとしてしまう。何に気付いたと言うのだろう。何にっ!?
そ、そんな嬉しそうに笑わないでくれよっ!! すげー可愛いんだよ、その顔っ!!
もしかしてどこかであいつらの隠しカメラが作動しているかも知れない。
今の僕はどこをどう見ても、鼻の下を伸ばしきった変な男だ。
- 113 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:53
-
「私、春海くんの彼女なのに、どっか違うなと思ってたの。何か、足りないなって…」
「えっ…ええええっ!? そっ、そうっ!?」
心臓がばくばくする。気付いたって、気付いたって、本当に何に気付いたんだっ!
もしや、僕が彼氏としてふさわしくないと言うことに突然気付いたんだろうか?
出来るだけ顔色を変えないように努力するが、それでも背筋を冷たい汗が流れていく。
目の前には長く伸びたふたつの影。
梨華ちゃんのと、もうちょっと長い僕のと。
白い歩道。幾何学模様に組み合わされた上を歩く。
黙ったままその影を見つめていると、梨華ちゃんの影がふっと僕に寄ってきた。
……?
ちょこん、と。
滑らかなものが僕の指に触れた。
一度離れて、もう一度、今度は少し長い時間。
何だろうって思って、思わずそっちを見てしまった。
梨華ちゃんは前を見てる。その場所を見てない。
自分の指先が触れる僕の指先を。
- 114 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:53
-
「…あのっ…」
言いにくそうに、押し殺したような声で、梨華ちゃんが言う。かすれてる響き。
「なななななっ…何っ!?」
たかだか、指先が触れただけじゃないか。たったそれだけのことなのに。
僕はもう心臓が飛び出しそうになっていた。
この真夏の夕暮れ。ムッとした外気の中で泳ぐ手。
それなのに、梨華ちゃんの指はひんやりしている。
もしかして、美人は汗をかかないのか?
脇の下とかも臭くなかったりするのかっ!?
…いや、そんなことはないはず。人間なんだから。
「恋人同士って、あんな風に手を繋いだり、腕を組んだりするんだよね? どうしてなんだろう、ああやってもっと仲良くなるのかしら?」
――梨華ちゃん?
あのっ…もっともっと仲良くなれる方法がありますっ。
と言うか僕たちの間にはそういう関係があったわけで…いや、覚えてないんだけど、あの状況で絶対なかったわけではないんだし。
- 115 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:54
-
思い出す。彼女がすごい格好で僕の隣で目覚めて。
そのあとシャワー浴びて出て行って。そしたら、初めてハッと我に返った。
慌ててバスルームに駆け込んだら。そこには彼女の残り香と…洗濯機の上のポールに下げられた僕の服があった。
そうなのだ、前の晩に着てた服が一式。Tシャツとジーパンと、それから…あの、下着まで。靴下も。
全部きれいに洗って脱水して、シワを綺麗に伸ばして干してあった。
記憶もないが、もしも無意識の世界であったとしても、僕ではあんな風に洗濯物を綺麗に干すことが出来ない。
彼女がやってくれたのだと思う。
そんな…見ず知らずの男の部屋で一夜過ごしただけではなく、洗濯までしてくれたのかっ!!
一体、何者なんだっ! …いや、普通の高校生のはずだが。でもっ…、でもっ!!
だからっ! …今になって、そんな、無邪気なことを言い出さないでくれよ。
でも嬉しいぞっ!
閉ざされた部屋で人知れず親密になるのもそりゃ男としては最高に嬉しいが、
こんな綺麗な女の子が、自分にくっついてくれるところを他の男共に見せびらかすのは快感かも知れない。
あああああ、梨華ちゃんっ!
君はもしかして、僕の夢を全部叶えてくれるんじゃないだろうか?
もしかしたら、彼女のお陰で、僕は生まれ変われるんじゃないだろうか?
今までの冴えない男とはおさらばして、新しいドキドキわくわくの新しい人生がっ…!!
「…手、繋いでいい?」
うっわ〜〜〜〜〜。その恥ずかしそうにはにかむ仕草っ! メッチャ可愛いんだよぉ〜!!
一瞬だけ、僕を見上げて、それですぐに視線を落とす。
制服のスカートが彼女の歩みにあわせてふわんふわんと揺れて。
細かくもなく、粗くもないプリーツが、彼女の周りで踊ってる。
すんなり伸びた長い足。本当にきめ細やかで・・・きれいで。
きっと触るとすべすべしているんだろうな…。
- 116 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:55
-
ぴとっ。
本当は音はしなかったけど、僕の胸にはそうやって響いてきた。
確かな意志を持って、彼女の指先が触れる。
どどど、どうしよう。手を繋ぎたいんだってっ!
…で、でもさっ…汗くさいよ、すげ〜。
いいのか? …いいのかっ…こんなでっ!
思いっきりグーに結んでいた手を、少し開く。
パーじゃないけど…半開きという感じで。指と指の間に隙間を作る。
そしたら、そこに彼女の指が絡みついてきた。
- 117 名前:Uターン 投稿日:2007/08/17(金) 19:56
-
うっ、おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ……っ!!!!!
全身の細胞が、ばちばちばちっと弾けた気がした。
梨華ちゃんの滑らかでひんやりした指が、軽く僕の指に絡みつく。
何だか、すごく…控えめで。
でも、すごい感動する。
もう、言葉も出ない。
「…ふふっ…」
小さく肩を揺らす。わずかにこぼれる笑い声。
梨華ちゃんの横顔がとても綺麗だった。
夕日のせいではなくピンク色に染まった頬は食べちゃいたいくらい可愛くて、
もうっ…もうっ…多分、僕の方が真っ赤になっていたと思う。
手を繋いでいるために少しふたりの距離が近くなる。
ふわっと風が通りすぎると、梨華ちゃんの髪が舞い上がって、僕の腕にさらさらと触れる。
微妙なふれあいが、たまらなかった。
つづく
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