Love Song 3 〜 StrayHeart 〜
1 名前:匿名 投稿日:2006/12/04(月) 23:30

“3”とはありますが、続いてるような、そうでもないような。

初めて完結させずにスレッドをたてさせていただきます。
手持ちの分で、現行スレに収まらないのは明らかなので新しく。
ローカルで書き進めてはいるものの、一向にペースが上がらない自分を叱咤する意味でも。

読んでくださる方がいたら、気長におつきあいくだされば幸いです。

2 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:32

街を歩くと寒さが実感できるようになってきた。
もう冬だな、なんて話しながら歩いていた、バイト帰りの冬の夜だった。
三つ年上の先輩に少しばかり酒をつきあった為、バイト先に置いていた脚代わりの愛車が気になっていた。
だからだろう。駅の目前まで来たその場所で、それに先に気がついたのは先輩だった。

「コータ、あれあれ」
「はい? なんすか、先輩」

叩かれた肩と掛けられた声に注意を向けたその先。
それはそんなに珍しい光景でもなかった。と思う。
多分、今一緒にいる先輩と同じように、酔っぱらっているだろう外国人が、女の子二人を囲むように絡んでいるだけ。
そう。ただそれだけだった。
自分一人なら面倒だし、まず何かをしようなんて思わない。
ただ、今は、自分一人じゃないだけだ。
ああ、ツイてない。
3 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:32

「助けよう。なっ?」

予想通り、さも楽しげな口調で言われた。
でも、知ってる。経験上。
この場合「助けよう」ではなく「助けろ」だってことを。
小さな言葉の違いが、行動に移るところでは大きな差になる。

「ってことだから」
「……え〜っと?」

なにがどういうことなんですか。
ったく調子いいったらありゃしないんだ、この人は。

「いってきたまえ。コータくん」
「……はい」

そういうことなんだ。やっぱり。
日頃世話になってるし、いい先輩なんだけど……こういうところはどうなんだろうと思う。
仕方なく渋々と歩きだし、ごつい外国人達に近づいてみる。
先輩……こんなん相手にオレだけっすか。
4 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:33

「あのー」

とりあえず声を掛けてみると、振り返った外国人――メッチャごつい黒人だ――が睨みながら何かを言ってきた。
ただでさえ英語なんて解らないのに、早口なもんだから余計にさっぱりだ。
でも、怒ってるらしいことだけはもの凄く伝わってくる。
めちゃめちゃ関わり合いになりたくない。そう思わせるだけの顔をしていた。

「いやがってるみたいだし、やめた方がいいんじゃないっすかね?」

おそるおそるそう話しかけると、もう一人の方――目つきの悪い白人、蛇の入れ墨……――までこっちを向いて捲したててきた。
だから、なに言ってるのか解んないんだよ。

「そっちの子達、今のうちに――」
「さ、こっちへ」

感づかれないように外人の凝視を受け止めながら、後ろの女の子に声を掛けようとした。その瞬間。
いつの間にか横手から近づいてきていた先輩が“救助”に成功した。
それに気がついた外人達は、ますます激しく捲したてていて、今にも先輩とオレに掴みかかってきそうになっている。

「じゃ、しばらく足止めよろしく」

そうきた。なんてこってた。
先輩、あんた鬼だよ。

「……りょーかいでぇす」

この時オレは、入院費って高いんだろうか。
そんなことを考えていた気がする。
で、気づいたんだけど、オレ、保険とか入って無いな。
5 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:33

幸いにして入院費も生命保険も必要にはならなかった。
完全によけることに専念したお陰で、それほど殴られないうちに先輩が戻ってきてくれた。
怖ろしいことに、ブーツの爪先で、白人の胃袋あたりを思いっきり蹴り上げるという乱入劇だった。

「それ、逃げろ!」

そう言うなり先輩は、オレのケツをぽんと叩いて走り出した。
言われるまでもない。
一瞬遅れてオレも全力で先輩の後を追った。
後ろで黒人がなにか言ってるのが聞こえたけれど、構う余裕なんてのは、勿論あるわけがない。
解っているのは白人の方が悶絶してたことと、捕まったらタダじゃすまないだろうってことだけだ。

酔っている割に、やたらと速いスピードで走る先輩に遅れないように、結構必死になって見慣れた背中を追った。
息を切らしながらバイト先であるレンタルビデオショップに戻ってくると、明かりの消えた店の前に、女の子が二人、所在なさげに立っていた。

 ――あぁ、なるほど
6 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:34

走る速度を落として振り返り、あいつらが追ってこないことを確認してから、ゆっくりと息を整えて歩きながらそっちへ目をやった。
一人はそこそこ背が高く、綺麗な黒髪を二つ結びにした、いかにも“女の子”してる感じの子。
その子の前に、少し小さく華奢な感じで、明るめの茶髪を後ろでまとめた、少しラフな感じの子が後ろを庇うように立っていた。
形は違うけれど、どちらも同じように深めに帽子を被り、後ろの子はメガネ、手前の子は薄いサングラスをしているのがどこかヘンだと感じた。
だけど、それよりも。
このオレの前でしゃがみ込んでいるこの人をなんとか……いや、でも……まぁ、いいか。

「あ〜……怪我とかは?」
「え? ない、ですけど。あたしたちよりも……」

背の高いメガネの方の子が、オレの前――彼女達との間――へ視線を落として言った。
なにか甘い、いかにも女の子だなって、そんな声と話し方だった。
その視線の先、オレの足元でアスファルトに腰を下ろしてへたっている先輩は、少し青い顔で、ぜえぜえと落ち着かない呼吸を繰り返している。

「……酔って走ったから」
「あぁ……」

その子は納得したのか、それともよく解らないでいるのか、ちょっと曖昧な返事を返してきた。
まぁ、大丈夫ならいいと、そんな感じなんだろうと思う。
7 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:34

「あっ、でも……」
「ん? あぁ」

視線を上げて気がついたのか、オレの顔を見ながら、何か言いたげにしている。
そうされて、改めて痛みを覚えた唇に舌這わせると、鈍い鉄の味がした。
親指の先で拭ってみると、しっかり血がこびりついたけれど……。

「ん。大丈夫。大したことないっしょ」
「そうなんですか?」
「あんた――」
「あのっ――」

額面通り受け止めたような口調に、なにか言葉を足そうとしたときに、華奢な茶髪のサングラスをした方の子が口を開いた。
ちょっと怖い……くらいの勢いというか、そんな感じで。

「へ?」
「やっ、あの……いいです。なんでもない」
「は?」

その子のおかしな様子に、なにか聞いてやるべきかなと、そう思った時、オレの目の前に突然“壁”ができた。
青い顔で息を乱していたハズの先輩が、不意に立ち上がったからだ。

「君らはこの辺の子なの? こんな時間だし、送っていくよ」
8 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:35

見事な復活ぶりを呆れ笑いで見ていると、二人は小声で何かを話しているようだった。
二人の関係は友達同士、のように見えるけれど、主導権というか、主に決断を下すのは小さな子の方らしい。
先に話しかけてきたのは背の高い子の方だったから、少し意外に感じたけれど、二人の口調――意志の強さのようなもの――を、思うと納得なのかもしれない。

「でもまぁ、その前に。少し休んでからにしよっか」

そう言いながら、ポケットから取り出した鍵で従業員用の出入り口を開けだした。
二人が決めかねているうちに、だ。
なんていうか、先輩のこういう物の運び方にはいつも驚かされる。
自分のペースを崩さずに、かといって、相手のことを無視している風でもなく、物事をさらっと進められる。
今もそうだ。
二人の女の子も、戸惑うような素振りではあるけれども、さっさと店内へ入っていく先輩に流されそうだ。

「えっと……」

背の高い方の子が、確認するように――助けを求められたんじゃないと、思う――オレを振り返った。
小さく肩をすくめて開きっぱなしのドアを指し示し、苦笑いをながらこう言ってやった。

「どーぞ」

警戒するみたいに中をのぞき込み、そっと消えていく後ろ姿を見送ったオレは、もう一度、腐れ外人が追ってきてやしないか確かめる為に辺りの様子を窺った。
ここは駅へ向かう最短距離から一本はずれた通りだけあって、辺りは人気もなく残り火のような喧騒も少し距離を感じる。
微かに酒気の残るため息をついたオレは、ひょいと肩をすくめて店内へ滑り込んだ。
9 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:35

古いビデオや真新しいDVD、新旧入り混じったCD等に囲まれた空間を抜け、ロッカールームも兼ねているとはいえ無駄に広い『事務室』に入った。
この空間、以前は何かの応接室も兼ねていたとかで、不釣り合いなほどに大きなソファーが置いてある。
先輩がここを引き受けた時に、簡易キッチンとの壁を取り払い広げた空間に様々な物を揃えたんだそうだ。
要はあのヒトがくつろぐために、居心地がいい空間を作り出したってことだ。

そして、その場が今……いや、別に“異常”だというんじゃないけど“おかしい”と感じた。
そこは妙になごやかだった。
わずか数分で打ち解けたんですか? って話だ。
悪いヒトじゃないのは解っていたが、改めて、この先輩の特性に感心した、その時、オレに気がついた先輩が陽気な声を掛けてきた。

「コータぁ、なにしてたんだよ。さ、ボクはコーヒーな。彼女たちには紅茶がいいかな?」

誰に言ってんです……。
言葉半ばから彼女らに向き合い、伸ばした指先は、カップやら雑多な品の収まっているラックの向こう、簡易な流しに置かれた電磁コンロのヤカンを指し示していた。
前言撤回だ。
オレ以外にはという注釈をつけるのを忘れていた。
そう思いながらも言われたとおりに動き、せっせと深夜の茶会の準備をする。
天井まで届くラック越しに、聞こえてくる会話に耳を澄ませながらだけど。
話を聞いている感じ、どうやら彼女達は、オレとそう変わらない歳っぽい。
簡単にいえば、キャラキャラしてるんだ。
そして背の高い方が「れいな」と、華奢な方が「さゆ」と話しているから、二人はそんな名前なんだろう。
10 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:36

 ――……ん?

名前にどこか聞き覚えがあるのは気のせいだろうか。
自慢じゃないが、知り合いといえる女の子は相当少ない方だ。
勿論、その中には無い名前だった。
しばらく考えて、一つ思い当たる節を見つけた。

 ――んなバカな

自分の考えを笑い飛ばそうとした時、流れる会話の中にモーニング娘。という言葉を拾った。
思わず顔を出し、のぞき込んだオレに、二人は驚いたように会話を止め、先輩はにやりと笑いながらこう言った。

「お? 反応した。もしかしてコータ。気づいてもいなかったろ」
「ぅ……」
「良かった。知ってはくれてたんだぁ」

言葉に詰まるオレに、背の高い方の子――道重さゆみ――がからかいを滲ませる。

「うそぉ、ホントに気づいてなかったんだ……」

マジで驚いたって、華奢な方の子――田中れいな――の表情と口ぶり。
気がついてみれば、二人とも帽子もサングラスもしておらず、まともに見るその顔は、間違いなく映像として見たことのあるものだった。
11 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:37

「お〜……肝を抜かれるってのはこんなんかな。コータく〜ん? おまえ、ファンだったっけ?」
「なにコータさん?」
「岸本孝太。二人も“孝太”でいいよ。で、ボクは川崎慎哉、二十歳ね」
「それはさっき聞いたの」
「うっ、しげちゃん冷たい」
「私は道重さゆみで〜す。さゆでいいよ。で、こっちは田中れいな。れいなでいいの。
 あれ……孝太くん、固まっちゃってる。孝太くん?」
「ボクはスルーなのね……お〜いっ、コータ?」

その先輩の声で我に返った。
三人の視線はオレに注がれていて、居心地悪く「あぁ」なんて意味のない吐息のようなものを洩らしてしまった。

「ま、とりあえずだ。コータ、コーヒーはさ?」
「あ、はい。もうちょいです」

取り繕うように背を向けて、コーヒーと紅茶のマグカップに湯を注ぎ、スティックシュガーとポーションのクリームを用意した。

「あ、手伝います」
「あぁ、どーも」

その時、位置的に手前に座っていたハズの田中さんが立ち上がり、ラックのこちら側へ歩いてきた。
オレがぎこちない礼をすると、彼女は「いくつですか?」と、ささやくように聞いていた。
一瞬、なにを聞かれたのか解らなかったオレに、おかしそうに声を出して笑いながら「歳」と言葉を重ねてきた。
12 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:37

「あぁ、十七」
「一個上なんだ。絵里と同じかぁ」
「絵里……」
「ん? 亀井絵里。孝太くん、知って、ます……よね」
「……あ、うん。知ってる」

そう。知ってる。
オレは“亀井絵里”を知っていた。
ある方向に落ちていきそうな心を、無理矢理引き摺り戻して、何食わぬ顔を装った。

「それ、痛くないんですか?」
「これ? ……少しだけ」
「うぁ……ホントごめんなさいっ。ありがとうございました」

僅かにのぞかせた本音に、彼女は心底すまなそうに言った。
殴られた後は、内側で少し腫れて熱を持っていたけれど、こんなもんで済めば上々だと思う。

「ん……別に。だけど……」
「はい?」
「あ、よくあんなゴツイのにつかまって、田中さんたちは平気そうにしてられたな」
「平気じゃないですっ。メチャメチャビビッてましたもん。ただ、負けたくないっていうか……普通にみせてた。
 あと、田中さんとかこそばゆいんでれいなで。あっちもさゆみでいいから」

つたない丁寧語が自然にタメ口に変わって、警戒心が薄れているのを感じる。
その口調や、少し負けん気の強い年相応の顔つきは、見ていて心地よかった。
13 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:38

「そっか。オレも」
「え?」
「だってコワイじゃん。あんなイカツいの」
「ぜんっぜん気がつかなかったですっ。ふつうに慣れてるんだと思いました」
「慣れてない。あんなんとやり慣れてたら、今頃……」

そう言いながら、自身の首をカクリと力なく折ってみせる。
すると一拍分の間をおいて、彼女は「シャレになってない」と、からりとした笑顔をみせた。

「まーだー?」

おやつを待ちきれない子供のような口調が、二人の笑いを止めた。
彼女に一つ、肩をすくめてみせてから「できましたよ」と、返事を投げる。

「なぁにをぼそぼそ話してたのかね? 田中ちゃん。コータくん」

“田中ちゃん”と“コータくん”、こうまで聞こえ方が違うと、いっそ清々しい。
前者には薄皮に包まれた優しさが、後者には見えない毒が吹きつけられていた。

「なんもないっす。会ったばっかで、しかもアイドル相手になにができるっつーんです」
「アイドルとかカンケーないっちゃろ」
14 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:39

意外な所からあがった抗議の声だった。
いや、それよりも……“ないっちゃろ”か。

「……ちゃろ?」
「れいなぁ……」
「――!?」

三者三様な反応だった。
ただ驚き、やや呆れ、ああしまった、と……。
言葉にすればそんなものだろうか。

「博多? だったっけ?」
「え……?」
「言葉」
「あ……はぁ。福岡ですけど」
「そっか」
「な、なん――」
「あっ、別に」
「はい?」
「あ、そうじゃない。いいなって、思っただけ」
「え?」
「ねえ? いいっすよね」
「おほ? そうね。うん」
「さゆみの方が可愛いけど」

噛み合わなげな会話に傍観者を装っていた人たちにへと話を振ってみれば、なんとも微妙な答えが返ってくる。
これじゃあなんか、この“空気”を作ったのがオレみたいじゃないか……柄にもないこと言わなきゃよかった。

「おかしく……ない?」

そんな事を考えていて、危うく聞き逃しそうになった程の抑えられた声。
問いかけの意味に少しだけ驚いて、僅かに視線を廻らせてみれば、そこは勝ち気そうな彼女ではない、別の女の子がいた。
15 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:40

「……いや、全然」

当たり前のように返した言葉を、不思議そうに、吟味するような、そんな表情。

「そうそう。自然でいいじゃん。田中ちゃん」
「れいなはれいなでいいんだよ。さゆみと違ってカントリーガールなんだから」
「さゆのが田舎やろ」

ほわんと微笑みながら、さりげない毒を吐くさゆみにぼそりと呟いたれいなは、もう一度、口の中で、消化した言葉を繰り返した。

「……おかしくない」
「ん、おかしくない」

同じようにそう返してやると、れいなは満足げに、それでいて照れくさそうに笑った。
その笑顔はごく自然で、オレはまた「いいな」と思った。
そうして、あったかいコーヒーを口にしながら、とりとめのない会話を交わしていた。

二人のカップが空になった頃だった。

「ねー、れいなぁ……時間、いいの?」

まったく危機感を感じさせない口調でさゆみが問いかけた。
言われて気がついたように、ケータイの時間に目を遣ったれいなが慌てて立ち上がる。

「へ? ああっ!? ダメに決まっとろ、帰んなきゃ!」
16 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:40

急に慌ただしくなった空間で、一人のんびりとした先輩が思いついたように口を開いた。

「そういえば。駅から近いの?」
「やっ、えっと、まぁまぁです」
「じゃ、ボクは後、片づけとくから。よしっ、コータくん」
「はいはい。解ってます。近くまで送ってく」
「あ、でも……」
「急ぐんでしょ。行こう」

手っ取り早く話をまとめ二人を急かすと、嫌も応もないらしく荷物を手に取り帰り支度。
腰を上げない先輩に、二人は「ありがとうございました」と頭を下げ、歩きだしたオレの後についてきた。

「またいつでもおいで〜」

ひらひらと手を振る先輩を残し、店の外へ出た。
すっかりアルコールの抜けた身体に夜風が痛いくらいだった。
立ち止まって待っているオレを、ちらちらと見ながら立っている二人。

「あの……どっち行くのかな」
「あっ、えっと……駅は?」
「そっか。こっちだ」
17 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:40

なるほど。ここがどこだか解らなかったんだ。
納得したオレが先に歩きだし、数分で駅の見えるところまで来ると、代わってれいなが先に立って歩きだした。
オレにとって緩衝材的な先輩がいないと、なかなか会話らしい会話にもならずにいて。
かといって、向こうの二人もなにを話していいのか思い浮かばないようで、こちらを気にしながらも黙々と歩いていた。

どれくらい歩いたろう。
前を歩く二人が足を止めて振り返った。

「ん?」
「あの……れいなのうち、ここやけん」

指さした先に見えるマンションは……想像したよりもデカくはなかった。
が、エントランスの向こうに警備室らしきものが見える。
なるほど、オレみたいなのはそうそう気軽に入れないんだろう。

「あっ、そうなんだ。えっと……さゆみ、ちゃんは?」
「れいなのトコにお泊まり」
「なるほど。……じゃあオレは帰るから」
「あ、あのっ」

さて、なにか期待しても仕方がないと、軽く手をあげて帰ろうとした。
その手の動きを止めるタイミングで声を掛けられた。
18 名前:前奏 投稿日:2006/12/04(月) 23:41

「ん?」
「あっ、え〜っと……この辺なんですか?」
「へ?」
「うち」
「あぁ……そうでもない」

というよりも、逆方向だって話だ。
この駅のこっちの方なんて来たこともなかった。
が、別に、あえてこれを言う必要もないので、短くそう答えておいた。

「そう……ですか」
「じゃあ。あっ、先輩も言ってたけど、暇だったらまた遊びに来てよ」

最後にと、愛想程度の意味で、二人に言った。

「映画見放題?」
「そうだね」
「やったぁ♪ 時間があったら行くね」
「れいなも。また行きます」

そんな程度の話をして別れた。
きっともう、二度と会うこともないんだろうなって、そう思っていた。
この場だけの会話で、互いの世界に戻れば、無かったも同然になる。
そんなもんだって思っていた。
19 名前:匿名 投稿日:2006/12/04(月) 23:43

とりあえずこんな出だしで。
名前しか出てない人もいますけど、今日はここまで。

では続きは近いうちに……多分(^^;)
20 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/06(水) 22:25
新作キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!

ごっちんや梨華ちゃんはでてくるのかなぁ。
21 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:04



22 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:05

なんでもいいから約束をしたいな

約束って次があるってことだもんね

キモチって見えないし、伝えるのもくみ取るのも難しい
だから目に見えるカタチって、キモチが伝わってあったかく感じるんだろうなぁ

そうやって繋がれるから、解って欲しいって頑張って、解ろうって頑張れるんだよ

哀しいよりも、楽しいほうがいい
不幸せじゃなく幸せを歌いたい
23 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:06

「絵里っ」
「ん〜?」

控え室で帰り支度をしている途中、後ろからかけられた声に鏡越しの返事をした。
らしくもなく話を進めてこないれいなを、支度の手を休めて振り返ってみる。

「ん?」
「ああ、っと……ちょっと付き合わん?」
「んん? いいけど、どっか行くの?」

オフの日だったらともかく、仕事の後で遊びに行きたがるなんて、れいなには珍しいなって思った。
そんな感情が面に出ていたのか、説明するみたいにれいなが付け足してきた。

「ちょっと観たい映画があるけん」
「えーが……ふうん。いいよ。行こっ。さゆは?」
「今日は用があるって言われた」

そうぼやくみたいに言って振り向いたれいなの視線を追うと、ちょうどこっちを見ていたさゆと目があう。
さゆは口を「いってらっしゃい」かな? って、ぱくぱくさせながら、楽しそうに手を振っていた。

 ――なんだろ? なんかヘン

映画行くの、久々だったこともあって、にこにこしながら「どこ行くの? 何観るの?」って聞いてみた。
でもれいなは「あっち行ってから決める」、なんておかしなこと言ってる。
テキパキと支度を急ぐれいなを横目に見て、あたしも支度を――自分なりにだけど――急いだ。
24 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:07

あたしよりもだいぶ早く支度を終えていたれいなに、急げというような強さで手を引かれる。
扉のところから、残っているメンバーに向けて「お疲れ様でした」ってかけた声が、綺麗にユニゾンになった。
『うぇ』って顔をするれいなに笑いかけると、「にやにやキモイ」なんてつっこまれた。
キモくないもん……れーな生意気。

先を行くれいなについて歩くと、どうやら駅へ向かってるっぽい。
ふうん、電車で行くんだ。
どこ行くのかぐらい教えてくれてもいいのに、なんて思いながら駅の構内に入ると、さっさとキップを買っていたれいなが「はい」って。
あたしの分のキップも買ってくれていた。
ちょうどいいタイミングでやってきた電車に乗ること二十数分。
黙って吊革につかまっていたれいながクイっとあたしの袖口を引っ張った。
どうやら降りるらしいけど……こんな駅に映画館なんてないんじゃないのかな。

「あっ」
「なん?」

ふいに思い出して、出てしまった声にれいなが振り向いた。
そうそう、そういえば。

「ここ、れいなんちの駅じゃん」
「別にうちン駅じゃなか」
「そうじゃなくってぇ」

呆れたように返ってきた言葉に、少し考えてから、もっと何か言おうと言葉を探した。
けれど、さっさと歩き出すれいなにそれどころじゃあなくなってしまった。

「あっ、待ってよぅ」

れいなの方から誘ってきたくせに、あたしの相手をするのが面倒だとでもいうように、ずんずんと歩いていってしまう。
なんかすっごい不満だけど仕方なく、そんなれいなの背中に追いつこうとに小走りになる。

「もぉ……れいなバーカ」

聞こえないようにぼやいてみた。
25 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:08

れいなの数歩後ろを歩きながら、街の景色に目をやるけれど、それは全く記憶にない街並み。
ってことは、れいなの家に行くわけでもないんだ。
まぁ、当たり前か。
なぁんてこと思っていたら、前のれいなが立ち止まり「ここ」って、なんだか微妙な笑い顔。
それはいたずらっ子みたいな笑顔だなって思った。

「……んー?」

映画館というにはほど遠い……ん? 結構近いのかな。
ともかく、そこは映画館じゃなくって、レンタルビデオ屋さんだった。

「映画館じゃないじゃん」
「誰も映画館行くだなんて言っとらんもん」
「むー」
「これだって“映画”やけん」

そう言うと自動ドアをくぐり抜けていっちゃうれいな。
それはつっけんどんに思われるけど……あ、実際につっけんどんな時も多いんだけど。
この場合はそうじゃないって、これまでの付き合いから知っている。

「いらっしゃいませ」

れいなに続いて入ったそこは、よく駅の周囲にあるチェーンのそれとは比べるまでもないくらいの大きさしかなかった。
けどカウンターにいる店員の人は、仕込まれたマニュアルからは感じられない、好印象を与えるのに十分な笑顔を見せてくれていた。
26 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:08

「ども…です」

その店員さんにれいなが挨拶をした。

 ――え? えっ? なにがどう……?

そう二人を見比べていると、店員さんの笑顔の質が変わったみたいになる。
相好を崩すっていうんだろうか。

「お〜っ。っと、おつかれさん。今日は?」

一瞬、すっごい大きなリアクションをしたと思ったら、声をひそめるように普通を装って続けた。
なんなんだろ、なんか……変わった人だって思った。
こーゆー人なのかなってれいなの方を見てみると、微妙な顔で笑ってた。

「あれ? どしたの?」
「あの……いや、相変わらずだなって」
「そう? あっはは、気にしない気にしない」
「はあ……」
「ところで、そちらは?」
「あぁ、あのメン……同期の」

れいながこっちへ手を伸ばしてグッとあたしの事を引き寄せた。
どうやらあたしに挨拶をしろってことみたいだ。

「亀井絵里です〜」

一応周りを気にしながらだけど、それでも愛想よく言ってみた。

「おぉ! 川崎慎哉です。ようこそ〜♪」
「どうも〜♪」

のってみた。
れいなの友達はみんなこうなんだろうか、って、イヤな想像を振り払いながら。
27 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:09

「で、今日は?」
「あの〜、ちょっとまたDVD見せてもらえたらなって」
「へ? ここで見るの?」
「だって、借りてくの悪いし」

てっきり借りてれいなんちで見るんだと思ってた。
そのままを口に出したら、れいながぼそぼそ否定してきた。

 ――そーなんだ……どっちでもいいけど

「別に持って帰ってくれてもいいんだけどね。裏でもいいし。好きなの選んでよ。っと……コータぁ」

店員さん……川崎さんが、ビデオやらDVDやらのパッケージが並ぶ棚の向こうへ声を掛けた。
そっちの方を見てみると棚の奥からヒョッコリっと、空箱らしい物を抱え込んだ男の人が姿を現した。

「なんすか?」

川崎さんとは違って、こっちの……こうた? って人はブアイソーっぽい。
なんとなく怒ったようにも見える顔は、パッとみ付き合いたくなさそーな印象。

「田中ちゃん、お友達も一緒。ちょっと見てくから。お前、また付いててやって」
「はい」
「無愛想だな。挨拶ぐらいしたらどうよ?」
「あっ……、あぁ、ども」
「ども、よろしく」
「いや、別に」

お辞儀するれいなにも返ってくるのは短い言葉。
やっぱブアイソなんだ。
でも、なんだ……なんかおかしいぞ?
なにか……んー?
28 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:10

「じゃ、テキトーに選んでよ」

川崎さんにそう言われて、ひとまず頭を占める疑問は横に置いておくことにしよっと。
ざっと見渡してから、人のいない通路を選んで、並んでいるパッケージに目をやりながら歩き出した。

「あ、絵里。こちら孝太クン。岸本孝太クン。絵里と同い年だって」
「へぇ〜。よろしくぅ♪」
「あっ……ども。……オレ、これ戻さなきゃならないから」

そう言って別の棚へ歩いていってしまった。
やっぱブアイソ。
だけど……なんか、頭の奥で引っかかってるんだよなぁ。

「いつもはもっと普通に話してたんだけどな……」
「そーなの?」

独り言みたいに話すれいなに聞き返すと、その時を思い出してるんだろうか、少しおデコんとこにシワを寄せてる。
ってゆーか、れいな、そんなちょこちょこ来てるんだ。
でも、こっちはこっちで、パッケージをとってはひっくり返してみたりしながら、やっぱりなにか引っかかってるのが気になる。

 岸本孝太……岸本……孝太……コータ……岸本…………

聞き覚えが……あるような、ないような。
この業界じゃない、よね。どこだろう?
えっと……デビュー前かな。
デビュー前……学校? ……学校ぉ!?
29 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:10

「あ〜っ!」
「なっ、なんっ?」
「え? なに?」
「なにって絵里が……はぁ!?」

なんだか怒ってるれいなはおいといて、まず確認しなきゃ。
そう考えて、一本向こうの通路へ歩き出す。

「ちょお、絵里っ」

後ろから聞こえるれいなの抑えた声も、今は気にしてらんない。
気がついたところから、三本目の通路で見つけたそのヒトは、手に持っていた最後のパッケージをラックに収めたところだったみたい。
そっちへ近づいていきながら話しかけようとしたら、ちょうどのタイミングで振り向かれてしまった。

「あっ……」
「っ――、な、なに?」
「えーっと、岸本クン? 岸本孝太クン」
「はっ?」

まず間違いないと思ったんだけど、冷たいリアクション。ちょっと自信がなくなってきた。
自分を指さして、それをそのまま岸本クンへ向けて。そして問いかけと断定の間くらいの調子で聞いてみる。

「クラスメイト、だった」
「……覚えてたのか」
「やっぱりー! 絶対そうだと思った。すぐ解ったもん!」
「ウソつけ。ほとんど話したこともなかったよ」
「うあ……そうだった? あは、あははは」

心の中で胸をなで下ろした。やっぱ間違いじゃなかったじゃん。
にしても、そっか、よく考えてみれば、確かにあんま話したことなかったな。
逆に、だからこそ、イメージで残ってるのかもしれない。
30 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:11

「絵里のこと、覚えてた?」
「……まあ」
「なら言ってくれればよかったのに〜」
「いや、覚えてないなら、それでもいいかなと思ったから」
「なにそれぇ――」

色々言い返してやろうとしたとき「絵里?」って後ろから声がした。
忘れるところだった。れいなと来てたんだ。

「あっ、れーなぁ。このヒト、クラスメイトだよぉ」
「はあっ?」
「中学んとき、同じクラスだったの。三年だったよね?」

そう岸本クンに確認すると、「一年と三年」と返ってきた。
一年……は、覚えてなかった。
ちょっとイヤな汗が流れた気がするけど、気にしないことにしよっ。

「なのぉ」
「絵里、覚えとらんかったやろ」
「……そぉんなことないよぉ。それより聞いてよ。なんで言ってくれなかったの? って聞いたら、なんて言ったと思うっ?」
「なんて?」
「『覚えてないならいい』だって。ヒドくない?」
「ちょっと悪い。亀井、声デカい。目立つからこっち来て。れいなも」

急に腕を捕まれて引っ張られた。
こっちを気にもせずに、ずんずん歩いてカウンターの方へ。

「おつー。そのままいていいから、ついててやんな」
「うっす」

さっきの川崎さんが、笑いながらぷらぷら手を振ると、岸本クンが短く答えた。
表情は見えないけど、きっとぶすっとしてるんだろうと思う。
あたしもれいなもちょっと騒いじゃったから、周りを気にして、ただ黙ってついて行くだけだった。
31 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:11

「その辺、テキトーに座って」

倉庫みたいなトコに繋がるのかと思ったら、驚いたことに、普通に暮らせそうな感じがする部屋。
あ、ちょっとせまい気はするけど。あとTV……モニター? が3つもあるのはそれらしいのかな。

「ごめん」
「へぇ〜、すっご……」

れいなは慣れてるようで、謝りながらもおとなしくソファーに座ったけれど、あたしにとっては物珍しいトコ。
開いたドアの向こうにDVDやビデオの中身が埋まった棚が見えるのもすごいし、その隣にこんなくつろぎ空間があるのも珍しい。

「亀井、頼むから座ってて」
「……はぁい」
「ふう……で、何が観たいの?」

渋々とれいなの隣の腰を下ろしたあたしは、ハーフコートを脱ぎながら、れいなと二人でいくつか映画のタイトルを並べ上げた。
どうも手元にあるかどうかをチェックしてるみたいで、カタカタとパソコンを操作をしながら時々「レンタル中」とか呟いてる。
しばらくそうした後、棚が並ぶ方へ歩いていくと、数枚のDVDを抜き出して戻ってきた。

「どれにする?」

ソファーの前にある横長のテーブルに、透明なパッケージのDVDが並べられる。
一応、選択肢を預けようとれいなをみると、少し考えて「これ」と一枚指さした。

「はいよ」

岸本クンはその一枚をヒョイってつまみ上げて、慣れた手つきで妙に大きなプレイヤーにセットすると、大きな棚の向こうへ歩いていってしまった。
32 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:12

しばらくすると、この部屋にある一番大きなモニターに映画のオープニングが流れ出して、それに意識がいったとき、テーブルがコトリと鳴った。
気がつくと岸本クンが戻ってきていて、テーブルの上にはあったかそうな紅茶が置かれている。

「ありがとー」
「ありがと」
「いや、別に。じゃ、オレ仕事あるから」

岸本クンはそれだけ言うと、もう振り向きもせずにさっさと行ってしまった。
それを見送ったあたしは「やっぱブアイソー」と、もう一度、口の中でだけで呟いてみる。

「クラスメイトだったんだ」

それが聞こえたのか、れいなが画面の方を見つめたままで、質問だか独り言だか決めかねるような口調で言った。

「ねー。ビックリしたぁ」
「前からあんな感じやったと?」
「んー……そう、だったなぁ」
「仲、よくなかった?」
「……全然。ほとんどしゃべったこともなかったと思う」
「ふうん」

それだけ言うと、画面に集中してるのかれいなは静かになっちゃたから、あたしも黙って映画を観ることにした。
33 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:13

ろくに身じろぎもしないで画面に見入ってるっぽいれいなに対して、あたしの方は集中できなくてさっぱりだった。
れいなだけじゃなく、あたしの好みにも合いそうな映画だったのに、気分が波立って落ち着かない。
そんな状態のままで、映画はいつしかエンドロールが流れる頃になっていた。
そして立ち上がったれいながDVDを入れ替えて、立て続けに二本目に突入。
こんどのヤツは、あたしが選んだのだった。れいなってば、気をつかったのかな。
序盤からテンポ良く盛り上げられたアクションは、結構な迫力であたしの目を画面に釘付けにさせてくれた。
二時間に満たないだけに時間が、あっという間過ぎた頃に、そっと伸ばした手で掴んだカップを口元で傾ける。
……どうやらいつの間にか飲み干しちゃってたみたい。

「紅茶のおかわりはいかが?」
「うひゃっ!?」

耳元で聞こえた声にビクッと身体を震わせて振り向くと、笑顔の川崎さんが立っていた。

「あ、でも、そろそろ――」
「あぁ! 電車……まだあるの?」
「あれ? 帰るの? 電車で?」
「帰るよぉ」
「ないよ」
「ないの?」
「うん……五分前だね」
「なんでぇ!」
「それはボクに言われてもなぁ」
「どんなに遅くても終電の時間がリミットなのにぃ」

やばっ……なんの連絡もしてないのに。怒られるよぉ……。
慌てて立ち上がったけれど、電車がないんじゃどうしようもない。
34 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:13

タクシーしかないかって考えたら、座ったままのれいなが「泊まれば?」って一言。

「だって今からそんな連絡したって怒られるもんっ」
「……したら、コータに送らせよっか」
「はい?」
「単車、あ、バイクね。場所にもよるけどタクシーよりは速いよ。メットの予備ならあるし」
「でも仕事中じゃなかと?」

当たり前の疑問をれいなが言葉にしてくれた。
そうそう、仕事終わるまで待ってるんだったら、タクシー呼んでもらった方が早いと思う。

「もうチョイだしね。ボク一人でもいいっしょ」
「んー……」

考えてみるけれど、それが一番いいっぽい。
ってゆーか、そうしてくれたら助かる。

「決まりね。ちょっと待ってて」

表情に出ちゃってたんだろうか、川崎さんはそう言うなり歩いていってしまった。
入れ違いに入って来た岸本クンは、なんにも言わずにお店のロゴが入ったエプロンをはずして、ロッカーの中から着替えを引っ張り出してる。
それを黙ってみていると、急にこっちを向いた岸本クンににらまれた。

「なにしてんの?」
「はい?」
「上着着ろよ。帰るんだろ?」
「あ、あぁ、うん。うん」
35 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:14

大慌てでソファーの背もたれに掛けておいたコートを着込み、その下のバッグを肩に掛けた。
テーブルに置いてあったケータイを掴み、忘れ物はないか、ちょっと考えてから岸本クンに声をかけた。

「岸本クン。できたよぉ」
「ほいっ、これかぶって。アゴヒモ締める」

こっちも見ずに放り投げられたヘルメットを受け取って、ちょっと窮屈なのを我慢しながらそれをかぶった。
ふと気がつくとれいながおかしそうに笑ってる。ちょっとムカつく。

「行くぞ」
「へ? はぁい」

さっさと行ってしまう岸本クンを追いかけようとして、思い出したようにれいなを振り返った。

「じゃ、またね」
「あ、うん。気をつけて」

さっき笑ってたれいながちょっと心配そうな顔つきでそんなこと言うから、あたしはヘルメット越しに笑ってみせた。
「また明日〜」って手を振ると、後ろから「時間ないんだろ」って急かされた。
そうだった。そうだけど、もうちょっと言い方ってものが……。
聞こえないようにぶつぶつ言いながら、後について表に出ると、予想以上の冷たい風。

「さむぅい」

聞こえなかったのか、聞こえないふりをしてるのか、止まる気も話に乗る気もないみたい。
36 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:15

「さむいね。岸本クン」
「…………」
「さむくないの? ……こーた」
「あっ?」
「あ、反応した。ごめん。岸本クン、聞いてないのかと思った」
「はぁ……。いいよ、別に『こーた』でも」
「えへへへ……なら、あたしのことも“絵里”でいいよ」
「……はいはい」

“やりきれない”って感じの態度でひらひら手を振ってそう言うと、きし……こーたは手に持っていたマフラーを、あたしに放ってよこした。

「首もと、それでしっかり隠しときな」
「え? だって……」

有無を言わせない様子で、こーたはさっさと歩いていく。
お店の裏手に隠すみたいに停めてあるバイクは、どっか変わってて……あ、そうマフラーだっけ? がヘンなとこにもついてる。
おまけになんか古めかしくって、正直どうなんだろうって感じがする。

「なに?」
「ん? いえ、なんでも」
「ボロいってんだろ」
「やっ、あは、あははは」

バレてる。そんなに顔に出やすいのかな……。
キーを取り出してエンジンをかけながら、岸本クン、いや、こーたが話し出した。

「いーんだよ。古くたって。この形は、世界中でコイツだけなんだから。……貴重なんだぞ」
「ふうん。なんだかワカンナイけど……でもフツーに“HONDA”って書いてあるじゃん」
「そうじゃなくって……もういいや。急ぐんだろ。ホントはもうチョイ暖めたいんだけど……乗って」
37 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:15

なんだかブツブツいいながら、一息にバイクにまたがってから、自分の後ろを叩いてみせた。
そうだった。とにかく少しでも早く帰らないとだったんだ。慌てて後ろにまたがった。

「そうだよぅ、そう。急いでね」
「もうチョイ前、荷物しっかり掴んどいて」
「はぁい」
「じゃ、あ……今、どこ住んでんの?」
「あっ……」

すっかり同級生気分で忘れてた。たいして話したこともないのに。
一応住所と、おおざっぱな目印になりそうな場所を教えると、こーたは「オレの腰んトコ掴んどいて」と言うなり、滑るように進み出した。
その瞬間こそ、ちょっとビックリしたけれど、意外なほどに静かな運転で、次第にあたりに気を配るだけの余裕がでてきた。
そう、周りに目をやって、またビックリした。すっごく。
景色が流れていくスピード、どれくらいのスピードで走ってるんだろうって。
でも、全然、怖いとかそういうことはなかったのは不思議だった。
時々、よくこんなトコ通れるなって思うような細い道を走ったり、一度なんてどこかの駐車場みたいなところも通ったみたいだった。
気がついてみれば、辺りの景色に見覚えのあるところに来ていて、ヘルメット越しに「その先、左っ」って大きな声を出すと、伝わったらしい手の動き。

「ストーップ!」

そのまままっすぐに少し進んだとき、声と、背中を叩く手でそれを知らせた。
……ちょっと行き過ぎた。
あたしがバイクから降りると、こーたも降りてきて、二人してヘルメットを外す。
38 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:16

「あそこ、絵里んち。お世話様でした」

ヘルメットを渡しながら、そうお辞儀をすると、こーたはなんだかしかめっ面で、「平気なのか?」って聞いてきた。
あんま平気じゃないけど、平気だよって、そう伝えようと口を開きかけたとき、後ろから「絵里?」って声が聞こえた。

 ……お母さんの声。

近寄ってくるお母さんは、やっぱりちょっと怒ってる感じがして、どうしようって思ってたら、こーたが一歩前に出た。

「すいませんでした」

 ――え?

あたしも、お母さんも、驚いて動きを止めていると、深々と頭を下げたこーたが続けて口を開いた。

「岸本孝太です。亀井さんと、中学のクラスメイトで……」

えっ、ちょっとちょっとって、こーたの袖を引っ張るけれど、軽くいなされて無視された。

「今日、たまたま会ったから、懐かしくて……遅くまで引き留めちゃいました。すいませんっ」
「……絵里。今度からはちゃんと連絡しなさいね。それと岸本さん? 送ってくださってありがとうございました」

お母さんは勢いを殺されたみたいに、小さくため息をつくとそう言った。
こーたがもう一度頭を下げて、そしてバイクを押して歩いていく。

「さ、入りなさい」

背中を押されて、家に入るとき、お母さんが「変わった子ね」って笑ってた。
首に巻き付けたままだったマフラーに気がついて、いつ返しに行こうか考えながら、あたしもそう思った。
39 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:16



40 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:17

結局、そのマフラーは、一週間の間あたしのバッグの中の住人になっていた。
色々と忙しい中で、ぽっかりと空いた時間。
これはチャンスだと思って、れいなとさゆを誘ったけれど、二人とも用事があるって言われてしまった。
仕方なく、一人であまり乗り慣れていない電車で、あのお店に向かった。

一度道を間違えて行き過ぎちゃったけど、なんとかお店の前まで来てみると、記憶にある背中と重なる姿が見えた。
なにかウインドウのディスプレイに手を入れてるみたいで、その背中にそぉっと近づいていくことにした。
想像する結果に笑いをこらえながら、ゆっくり手を伸ばしていく。

「あっ……」
「……っ!?」

目が合ってしまって、手を伸ばしたままで硬直すること数秒。
先に自由になったのはこーただった。

「な、なに……してんだよ」
「え? えっと、なに、してるんでしょう」
「亀井……」

 ――あっ!

「ちがーう」
「は?」
「“絵里”でしょ。こーた」
「っ……」
「キャメイかエリザベスでもいーけど?」
「なにしようとしてたんだよ。“亀井”」
「……三択ですぅ。じゃなきゃココで大声出してやるっ」
「なにしようとしてたんだよ、絵里」

むー。即決したなっ。
まぁ、エリザベスを選ばれても微妙に困るし、許したげよう。
41 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:18

「なんにも。ただ肩を叩こうとしてただけだもん」
「…………」
「だもん」
「はいはい。で、今日もなんか観に?」
「……なんにも」
「はっ?」

なんか、こーたの顔をみてたら急に気が変わった。
向こうも気にしてない――まさか忘れてるんじゃないと思うけど――みたいだから、このマフラーは人質にさせてもらっちゃおっと。

「ただ昔のクラスメイトに会いに来てみたの」
「オレ、仕事中だけど」

ほんっとブアイソだ。

「いいっ……じゃあ帰る」
「って、おいっ」
「なに?」
「っ……せっかく来たんだから寄ってけよ」
「そーだなぁ……ん。やっぱいい。今日は帰る」

なんだか解んないけど、妙にわくわくしてる、そう感じてながら、口から出たのはそんな言葉だった。
でも間違ってない。こーたの顔を見て、そう思う。

「そっか」
「うん。あっ!」
「なに?」

ふいに思いついた。人質の有効な利用法。
42 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:19

「今度、どっか遊び連れてって」
「……ヤダ」
「なんでよぉ!」
「なんでオレが」
「人質がいるから」
「はぁ? なんだそれ」
「こないだのマフラー」
「あっ? あぁ」
「返して欲しければ、絵里を遊びに連れて行くのだ」
「……はぁ」
「イヤなのぉ!?」
「解ったよ。そのうちな」
「うん♪」
「……ってか、そっちの方が忙しいんじゃないの?」
「時間があったら電話するから」
「はいはい」
「よぉし。じゃあ」
「はいよ。またな」

ふむぅ、“また”って言われるの、なんかいいなぁ。
“さよなら”とか“バイバイ”って、少し寂しいもんね。
今度会おうよって、不確かだけど約束するみたいでさぁ。

「……うへへ♪」
「やな笑い方すんなぁ」
「なにおぅ」
「ひどいぞ、今の笑い方」
「なんだとぉ。……あっ」
「今度はなに」
「忘れてた。ケータイ、教えて。番号、アドレスも♪」
「イヤだ」
「えぇーっ!」
「嘘だよ。そんなデカイ声出すなって……」
「こーたのバカ」

愚痴るように呟いて、自分のケータイに手早く『こーた』と打ち込む。
ぐーっと腕を伸ばして、その表示画面をこーたに見せた。
43 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:19

「はい。いれて?」
「はいはい」

まるであたしにアドレスを教えるのがイヤだとでもいうように、受け取ったこーたがゆっくりボタンを押していく。
それをつま先立ちでのぞき込みながら「あってる?」、「早くー」なんて言っていたら、ペシンと頭をハタかれた。

「うるさい」
「アイドルに手をあげたなぁ!」
「……自分でアイドル言うな。ほれ」

ポイと放るように返されたケータイは、確かに新しいアドレスが打ち込まれていた。
落としてしまわないように、しっかり抱えたそれをポケットに押し込んで、なんだかちょっと嬉しがる自分を隠すみたいにこーたから顔を背けた。

「ふんっ。仕方ないから、また来てあげるよ」
「いや、別――」
「じゃあまたね」

何を言おうとしたのか解ったから、言い切る前に邪魔してやった。
まったく失礼でブアイソーでとっつきづらい……でも、なんかおもしろいやつ。
離れていくあたしのことを、見ててくれたりすると嬉しいかも。
なんて恥ずかしいことを考えてしまって、帽子の下で赤面しちゃいそうな帰り道だった。
44 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:19



45 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:20

初めて顔を出した日から、約一ヶ月がたって、いつのまにかあたしたちは、暇をみてはソコへ顔を出すようになった。
まるで子供が作る“秘密基地”みたいに、あたしたちだけのたまり場になっていた。
勿論、スケジュールの都合や個人的な予定、家までの距離とかあるから、いつも三人一緒じゃないんだけど。
一々聞いたりしないから解んないけど、たぶん、駅が同じれいなが一番来てるだろうし、割と家まで距離があるさゆはあまり来れてないだろう。

そして今日、あたしたちは三人揃ってお邪魔してるわけだ。
けれど。
けれど……二人はすでに別の世界へ旅立ってしまったのだ!
だから仕方なく、あたしはとてもいい気分でココに座っている。

「ねーねー、ビデオ屋さんって忙しい?」
「千八十円になります」
「すっごい疲れたりする?」
「はい、千八十円ちょうどですね」
「……休みとかあるの?」
「ありがとうございました〜」
「あれ、そーいえば高校は?」
「…………」
「ねぇってば」
「…………」
「こーたぁ」
「……はぁ」
「あー! ため息ついたなぁ。絵里の話聞いてんの?」
「聞いてる。ってか、声でかいよ」
「イイじゃん、お客さん帰ったでしょ?」
「帰ったけど。けど、なんでココにいんだよ。狭いだろうに」
「なんでって……ピッタリしててちょうどいいよ。それに一人じゃ退屈だもん」
「他の二人は?」
「寝てる」
「はっ?」
「すやすやと」
「…………」
「熟睡」
「…………」
「うへへへ♪」
「――あっ!?」
「なぁにぃ?」
46 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:21

こーたはぼそぼそと続けられていた会話をとめて、急にあたしに目線をあわせるみたいにしゃがみ込んできた。
きゃー、ちゅうされちゃうっ。……みたいな?
あたしわってば、なんかおかしくって、どうでも良くなってきてた。

「亀井……お前、顔赤いぞ」
「なんでよぉ」
「オレが聞いてんだよ。熱あんじゃないのか?」
「しらなぁぃー」
「あれ? おいっ、まさか酒? ……飲んだのか?」
「わかんなぁぃー」
「おいって、困るぞ、そんなの……」
「んはははぁ〜♪」

あたひが覚えてるのはその辺までだった。
ワケワカンないけど楽しくて、笑いながら寝ちゃうような、夢ンなかで笑っているような。
ほんな感覚。
47 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:21



48 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:21

はっとして身体を起こした、なんだろう……なんで?
大きなソファーの背もたれが倒されていて、シングルベッド程度の寝床と化していた。
向かいのそれにはれいなとさゆが、くっつくように丸まって、厚手の毛布にくるまっている。
それで気がついたあたしも、同じように毛布を抱え込んでいた。

「ん? えっと、ここは……あぁ!」

だんだん思い出してきた。
こーたの――正しくは川崎さ……シンちゃんのだけど――ビデオ屋さんに、れいなとさゆと来て、ん〜。
DVD観ながら、なんだっけ。
あ、そうだ。持ってきたお菓子つまんでたら飲み物が足りなくなっちゃって?
思い出してきたぞ。さゆが冷蔵庫開けて、ちょっと濃そうだけどグレープジュースみたいなペットボトル持ち出してきて。
グラスに注いでみたけど、やっぱ濃くて甘くて原液みたいで、だからミネラルウォーターで割ったんだ。
で……みんなで暑いね、なんて話してて……あれ?

 ――四時!? 朝の!?

ふと壁に掛かった時計が目について、心臓がジャンプしたみたいだった。
なにか、とてもイヤな汗が流れるのを感じたけれど……いや、まずは落ち着こう。
そうよ絵里、落ち着いて、考えるの。まずは……部屋の中を見回してて気がついた。

「こーた……?」

いない。まさかあたしたちを放って帰っちゃったんだろうか。
二人を起こさないように、静かに立ちあがってまた気がついた。

「クツ、脱いである……ん〜」
49 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:22

まぁ、今はとりあえずこーたの方だ。
ビデオやDVDが収められてるラックの方は、一応ドアが閉まってて様子がわからない……お店のフロアは電気が消されてるみたいだ。
よしっ、棚の向こう、簡易キッチンに向かおうとすると、そっちの方から音がしてる。
シュー、シューってお湯が沸くような、そんな音。
でも、棚の向こうに回り込んで、まず目についたのは鍋やヤカンじゃなくて。

「こーた?」

パイプ椅子に深く腰を下ろして革のジャケットをだらしなく掛けている後ろ姿。
その向こうに電磁コンロで湯気を立てているヤカン。
ちょっと無理な姿勢で顔をのぞき込むと、間違いない。すうすうと寝息を立てている。
普段のぶっきらぼうさとのギャップを考えると……ちょっと可愛いかも♪
あっと、いやいや、そうじゃなく。

「えっと、これはぁ……?」

室内は寒くない程度に暖房が入ってる。
でも、起きたときに、エアコンがついてたような独特の不快感がなかった。
空気が乾いてなかったってこと?

「……なるほど」

そこで“名探偵キャメイ”は思考をまとめて納得した。
ふむと考えて、物音を立てないように気をつけながら、食器棚を漁っていく。
探し当てた二つのカップ、それにインスタントコーヒーのカン。
裏にある説明書きにさっと目を通して、適量をカップに移す。
そっとこーたの前を横切る形でヤカンに手を伸ばした。

「っ!? ――あつぅっ!」
50 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:22

想像よりも熱くなっていた取っ手に触れて思わず声が出ちゃった。
その声で飛び起きたこーたが立ち上がると、自然と不自然な姿勢になるあたし。

「ぁっ……?」
「あ、へへ。おはよ」
「っ――!?」
「ん?」

起き抜けでボーっとしてるこーたは椅子を蹴倒しながらあたしから距離を取るみたいに離れた。
ムカつく……そーじゃないや、ちょっとショック。

「なぁんでぇ?」
「あっ、いや……コーヒー?」
「うん。入れたげようかと思ったの」
「自分でや――っぅ!」
「あーぁ、だから言ったのに」

ヤカンに伸ばした手を、顔をしかめながら慌てて引っ込めるこーたに言ってやった。

「なにを? 言った? はぁ……さっきの、これか。手ぇ、平気なのか?」
「ぜぇんぜんヘーキ」
「そっか」

椅子を起こし疲れたように腰を下ろして、首を伸ばしてコキコキ言わせてるこーたの側にあった手ぬぐいを使って、まだ熱いだろうヤカンからお湯を注いだ。
黙ってみているこーたは何を考えてるのか――もしかしたら何も考えてないのかもしれないけど――よく解らない感じがする。
51 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:23

「砂糖は?」
「いらない」
「クリームは?」
「いらない」
「むー、かっこつけぇ」

あたしの好意をことごとく拒絶するとは。
そんな思いを込めてじっとり睨んだのが通じたのか、少し慌てて弁解するみたいにこーたが言った。

「違ぇよ。いつもは使う。でも今はいらない」
「なんで?」
「目を覚ましたいから」
「……ふうん」

そういうもんかと納得して、自分の分だけクリームたっぷりカフェオレ風。角砂糖を二つ放り込んでかき回した。
ふと小さな窓に目をやると、もう表は日が昇りだしているようで、明るくなってきていた。
横に立てかけてあったパイプ椅子を引き寄せて、自分も腰を下ろしてからゆっくり一口含んでみる。

「まぁまぁかな」
「薄い」

あたしの一言なんてなかったようにこーたが呟いて、自分のカップにコーヒーの粉を足しかき混ぜた。

「誰が幸薄だっ」
「言ってない」
「むぅ」
「訳解んねぇよ」
52 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:23

噛み合わない会話を切り上げて、すました顔を作ってカップに口を付けた。
こーたも同じように、コーヒーを一口すすってから、両手でカップを包み込むようにして話しかけてきた。

「で、酒は抜けた?」
「ん? ……あ、やっぱお酒だったんだ、あれ」
「はぁ、知らずに飲んだのか」
「ってゆーか、なんでペットボトルに入ってんの」
「先輩のだよ。落としてボトルにヒビ入ったから移し替えたらしいけど……残ってないってどういうことだ」
「……さぁ?」
「で?」
「で?」

何を聞かれたのか解らなくて、言葉をそのまま返した。

「酒、大丈夫なのか?」
「ん? 平気だ……と思うけど」
「なんだよ、それ」
「だって、初めてだもん。ワカンナイじゃん?」
「あぁ? ……そ、そうなのか」

なんか言葉に詰まるってか、あきれてる? そんな感じのこーた。
れいなもさゆも、あんなに飲んじゃったのは初めてなんじゃないのか。知らないけど。
ん? れいな……?
53 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:24

「あーっ!」
「なにっ?」
「れいなんトコ、電話もしてない! やばいよぉ、無断外泊じゃん…」
「はぁ……」
「なにぃ?」
「あのさ……」

絵里がこんなに焦ってるってゆーのに、こーたは疲れたようなため息なんか漏らしてる。
ちょっとふて腐れて口を開くと、ホントにあきれたって声、話し方でおもむろに話し出した。

「電話、したぞ?」
「はぁ? え?」
「電話、したって言ってんだよ」
「誰が? こーた? ありえなぁい」
「なんでがオレが。オレがしたって話とおる訳ねぇだろ」
「じゃあ誰よぉ、れいな起きたの?」
「…………」

言葉もなくあたしを指さした。
あた……絵里!?

「ウソだぁ」
「ホントだって」
「マジで?」
「マヂで。オレが電話させたんだ。亀井に」
「絵里? ちゃんとした?」
「ちょっと危なかったけど、なんとか」
「よかったぁー。……でも全然覚えてない」
「プッ、ハハハ」
54 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:24

あっ……初めて声だして笑ったの見たかも。
ちょっとビックリ、ついそのまま口から出ちゃった。

「笑えるんだ……」
「人のこと、なんだと思ってんだ」
「こーた」
「は?」
「こーたでしょ」
「そ、うだけど」
「じゃあいいでしょ?」
「……よくワカンね」
「あははは、いいんだよぅ」

なんだか渋いものでも口に入れたようなヘンな笑い方をしてるこーたに、カメラに向けるようなイッパイの笑顔でそう言った。
こーたは一瞬、ドキッとするような記憶のどこかに残る真面目な顔であたしを見たけれど、すぐにいつもの仏頂面に戻って横を向いてしまう。
あたしはその顔を、記憶のどこかにあるものと摺り合わせようとするけれど、なかなかうまい具合にはいかないもんだった。
そうしてると「なんて顔してんだよ」とか言ってるこーたの声が聞こえた。
でもあたしはそれどころじゃあなくて……なんか思い出しそう。

「あぁーっ!」

突然聞こえた大きな悲鳴に、繋がりかけた記憶が吹き飛んでしまった。
れいな……ヒドイよぉ。
55 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:25

「起きたみたいだな」
「れいなムカつく」
「なんの八つ当たりだ、それ」
「もう……」

やれやれって感じで立ち上がって肩をすくめてみせるこーたが、残ったコーヒーを一息に飲み干してれいなたちの方へ歩き出す。
しかたなくあたしも、カップを空けて、後に続いて立ち上がった。

慌ててるれいなに、こーたが事情を話してると、そのうちにさゆも目を覚ました。
二人はこーたの話を聞き終えて、安堵した表情のれいなが口を開こうとする瞬間。
ボーッとしてたハズのさゆが自分のバッグを掴んで立ち上がり、小走りに洗面所へ向かった。

「あれ……どうした?」

驚いた顔で呟いたこーたに、れいなが「いつものことだから」って、へらっと笑いながら言った。
よくわからない風なこーたに、あたしがかいつまんで教えてあげようと口を開きかけたとき、「れいなも行ってくる」と歩いていった。

「寝起きのさゆは可愛くないんだって」
「はぁ?」
「普段のさゆは世界で一番可愛いけど、寝起きだったり寝不足だったりすると、少し可愛くなくなるんだって」
「……そう」
「絵里の方が可愛いのにね」
「は?」
「さゆより。絵里の方が可愛いでしょ?」
「あ〜……」
「絵里のアホぉ、孝太クン困っとろぉが」

さっさと出てきてそんなことを言うれいなは、顔を洗って薄くメイクをしてきたようだ。
もう少しで満足いく答えを引き出せそうだったのに……。
56 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:25

「アホぉじゃないもん。れーなばーか」
「絵里、ずっと起きてたの?」
「……さっき起きた」

無視して話を進めるれいなに、唇をつきだして不平を訴えたけど、相手にもされずさらっと流されたので、仕方なしにそう言った。
れいなはあたしを見て「ふうん」と鼻をならすみたいな返事をよこして、ふいにこーたに話しかけた。

「あ、れいなもコーヒー欲しい」
「ん? あ、はいよ」
「それ飲んだら帰るんで」
「そう? そうだな」

少し考えたこーたは、そう言うとコーヒーを用意しに歩いていった。
こーたがコーヒーを入れてる間に戻ってきたさゆは、心なしか満足そうに微笑んでいて、悪意のかけらもない口調でこう言った。

「いい香りがする」
「コーヒー入れてもらってる。さゆももらう?」
「うん」

ちょうどいいタイミングで戻ってきたこーたは、トレイに四つのカップを載せていた。

「あぁ、済んだ? 飲むだろ?」
「いただく〜」
「ありがと」

テーブルに置かれた三つのカップはクリームがたっぷり入って綺麗な茶褐色。
こーたに「ありがとぉ」と言って、口を付けると……さっきよりもおいしく感じた。
57 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:26

「むぅー」
「絵里、なに唸っとぉ」
「絵里がいれたのよりもおいしい」
「はぁ? だって絵里、いつもそんなことしないじゃん」
「そーだけど……」
「別に普通だよ」

なんでもないみたいに言うこーたが、なんとなく昔の“岸本クン”を思い出させた。
確か前にもこんな感じのことがあった……と思う。
なんだったろうって、思い出そうとするよりも、今、この感覚は学校にいた頃みたいで懐かしく楽しい。

 ――そっか、こーたの態度

昔と変わらない、このこーたの態度が芸能人の亀井絵里とは違う部分で、時間を過ごせている気にさせてくれるんだ。
自分の気持ちに気がついたとき、れいながカップを置いて立ち上がった。

「じゃ、お邪魔しました。寝ちゃってごめんなさい」
「あ、さゆも帰る。お邪魔でした〜」
「待ってよぉ、じゃあ絵里も帰る」
「ぁ……あいよ。またね」

大きなあくびをしたこーたを三人で笑って、もう一度「お邪魔しました」って揃って言って裏口へ向かった。
れいな、さゆと表へ出て、あたしも出ようとしたとき、ふと思い出してこーたを振り返った。

「そーだ。こーたっ」
「あん?」
「約束、忘れちゃヤダよ? それと……加湿器役お疲れさま♪」
「ぅ……いいから、はやく帰れよ」

改めて言われたことが恥ずかしかったんだろう、こーたは怒ったみたいにシッシと手を振った。
あたしはクスクス笑いながら、後でれいなたちにも話して聞かせてあげようって思った。
58 名前:幸せのうた 投稿日:2006/12/10(日) 21:26



59 名前:匿名 投稿日:2006/12/10(日) 21:33

あぁ、一カ所空レス入れ忘れたorz
久々なんでどうも……一レス毎も多いかな。
もうちょっと考えていこう。
もう三スレッド目なのにうまくならないですね。

ということで、なんか反省しきり。
第一楽章『幸せのうた』です。
前回更新で名前だけしか出なかった人。
とりあえず主なところは出ました。
あとは……さて。

>>20
一番レスありがとうございます。
読んでもらえてると解るのはありがたいものですね。
さて……出ますかね?
いや、聞いてどうするって話ですが。


ではまた近いうちに。
60 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/11(月) 00:09
更新乙です

今回のヒロインは田中さんと思いきや亀井さん何でしょうか…?
次回更新楽しみに待ってます
61 名前:亀かめカメ 投稿日:2006/12/13(水) 02:55
ん〜カメちゃんいいですねぇ
これからの展開も楽しみにしてます
62 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/14(木) 13:49
更新お疲れ様です
えりりん可愛いなぁ〜
たまらんです♪
更新待ってます
63 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:14



64 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:15

「ほらほら、田中ちゃん。出てる出てるっ。へぇ〜」
「……そーですね」
「絵里はぁ? 絵里も出てるよ」
「いや、別にカメちゃんはいいよ」
「なんでぇ〜っ? 絵里もちゃんと気にして観てよぉ」

 ……誰かこの二人を何とかしてください。

思わずそんなコトを口にしてしまいそうな、げんなりした気分だった。

予定の時間よりも大幅に早く終わった仕事に、絵里と二人で遊びに来た例の場所。
そしていつものように、裏から通されたこの部屋で、最近では自分で探すことまで許されるようになったDVDを観ていた。
そこまではなんの問題もない。
それどころかとってもありがたい話っていうものなのは解ってる。
が、ちょうど一本見終わった頃に、「ちょっと休憩」なんてにこにこしながら姿を現した川崎さん……あ〜“シンちゃん”。
ちなみに、これ――シンちゃん――は、前回来たときにさゆがそう呼んでからって、れいなたちもそう呼ぶことを強要された。

 ――絵里はノリノリでそう呼んでるけど、れなはなんとなく照れる

で、自分でコーヒーをいれて向かいのソファーに座り込んだシンちゃんに、なにを思ったのか絵里がウチらのDVDを見せ始めた。
その最新のDVDに大きく食いついたシンちゃんが、ことあるごとにみせる大きなアクションに一々反応する絵里がいて。
最初の十数分こそ、ここはこうだった、このときはああだった、なんて話にノッていたけど、さすがに……。
さゆみたいに毒もはけないし、絵里みたいにノッてもいけんれいなは、「はぁ」とか「いや」とか、そんな相づちをうつばかりになっていた。
65 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:16

「田中ちゃん、格好いいなぁ……」

呟かれたあまりにまっすぐで気恥ずかしくなりそうな言葉に、そらしていた目をそちらへやると、愛ちゃんや絵里と『ラストキッス』を歌っている自分がいた。
れいな的に、すっごく気合いも入ってたし、頑張った曲だったから、それを褒められるのは照れくさいけど素直に嬉しかった。

「絵里も歌ってるんですけどぉ」
「え? ごめん、聞こえない」
「もういいよぉ……」

からかい続けるシンちゃんに、絵里は頬をふくらませて歩いていってしまった。

「あ〜あ……すねちゃった。あんまりいじめるから」
「いやぁ、カメちゃんみてるとねぇ。いじりたくなるのさ」
「ヒドッ」
「あはは。おっ……やっぱうまいよね〜。っと、ごめん」
「ありがとうございます。って、なんでれいな謝られたと?」

ちょうど愛ちゃんメインでれいながハモをしていたところ。
なんで謝られたんだか解らなくて、まんま聞いてみた。

「だってさ、プロだものね。なんかさ」
「ふーん? あぁ、そっか。なんか解った。でも、褒めてくれるのはありがとう」
「そう? ならよかった」

あ、なんとなく解ってきた気がする。
この人がこう、明るいっていうか、テンションあげてるのは、元々そうなのかもしれないけど、それだけじゃないみたい。
ヘンに気ぃ使いなとこがあるんだ。
でも、そのくせヤバイくらい真っ直ぐものを言うこともある。
やっぱヘンな人なのかもしれない。
それに比べて……
66 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:16

「あの……」
「ん?」
「孝太クンって、いつも……ずっとああな人?」
「ああというと……人当たりの悪さ?」

人の悪い微笑みをみせながら、ズバリそのまま口に出された。
れいなはそこまで言っとらんのに……言えないし。

「あー、そんなような」
「ふむ」
「なんか、れいな好かれとらんみたいやけん……」
「んー、それはなに、誰かと比べてるのかな?」
「……知らんっ」
「まぁいいけど。でも、好かれてないってことはないよ」
「なんで?」
「なんでって……元々あんなもんだよ。コータは」
「その元々が解らんもん」
「基本、無愛想だよね。あんまり笑わないし。付き合いもいい方じゃないし」
「……言いたい放題ですね」
「しょうがないよ。ホントのことだもの」

へらへら笑いながら当たり前のように言う。
あんまりそうポンポン悪口言われると、なんか言い返したくなってくる。
67 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:16

「でも――」
「でもいいヤツだよ」
「え?」
「かなり不器用だけど、なによりバカみたいに正直だよ。ちゃんと付き合ってみればその“バカ”も面白いしね」
「…………」
「どうしたの?」

ふいに顔をのぞき込まれて、ちょっとビックリして腰を引いた。
なんだろう……ニコニコした、人当たりのいい笑顔なのに……この笑顔が怖いと思うなんて。

「あの……仲良いんですね。いや、違くて……なんていうんだろう……信用……あ〜っと」

うまく聞きたいことを言い表せる言葉が見つからない。
つらつらと喋りながら、自分のボキャブラリーの足りなさにイライラしてきたとき、シンちゃんがくしゃっと笑って話し出した。

「ここさ。この店。高校卒業したときに親から継いだ……みたいな形なのね。詳しいことは面倒くさいから省くけどさ」
「…………」

話が見えなくて黙り込んでいると、「それでもいい」って感じでシンちゃんは笑って話を続けた。
68 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:17

「まぁ、その少し前からバイトみたいに手伝ってたから。もう勝手は解ってたし、バイトを二人くらい雇えばいいやって思ってた」
「はぁ」
「そんときに道でコケてたコータと会ったのね。裏に停まってるアレ、知ってるでしょ? 古いの」
「あ、はい」
「タチ悪い車に目ぇつけられたらしくて、あおられ続けてコケたらしいのね」
「…………」
「そん時のヤツの顔ったらなかったね……泣き出しそうな顔でさ。で、なんかほっとけなくて、知ってる解体屋教えてやってさ」
「…………」
「ボクも酔狂だったと思うんだけど、二人掛かりで丸一日、くず鉄の山から見つけたよ。壊しちまったパーツ」
「丸一日……」
「コータのヤツ、すっごい嬉しそうな顔で『ありがとうございます、ありがとうございます』って、油まみれのまま人に抱きついてきやがってねー……」
「……想像つかん」
「余計に汚されたんで、思わずグーで顔殴ってやった」
「えーっ! ヒドっ!」
「そんでアイツ雇うことに決めた」
「…………」
「色々あって、高校やめて一人で暮らし始めて、金がいるっていうから、他には雇わないでアイツだけに決めた。
 したらコータのヤツ、めちゃめちゃ働くのよ。もう一人必要か、なんて話はしてなかったんだけどね」
「へぇ……」
「そんな感じ」

急に、話しすぎたとでもいうように打ち切られた話。
いまいち掴みきれないけど、なんか解ったような気もする。
二人の関係、シンちゃんのこと、孝太クンのこと。
69 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:17

「で、田中ちゃんはコータのどこが好きなのかな?」
「え? それは……はぁ!?」

まるで今までの話の続きみたいに、さらっと出された言葉に、ごく普通に口にしてしまいそうになった。
そんなれいなの反応を楽しむみたいに、ニコニコ見ているシンちゃんは「わっかりやす」と声を殺してお腹を抱えていた。

「な、なんで……?」
「だいたいそうだろうなって思ってた。残りは今、カマをかけて解った」

してやったりとみえる憎たらしい笑顔。
でも何も言えない。
自分でもそうだろうって思い始めてたから。

 ――好き、なんだ

「いやいや、仕方ないや。応援しちゃうから頑張れよぉ」

改めて、心の中でカタチになってしまった想いに気がついたとき、かけられた言葉のなにかが引っかかった。

「なんて?」
「ん? 応援するよって?」
「その前。仕方ないってどういう意味?」
「意味……?」

考え込むように額に指を当ててポーズを取る。
なんかバカにされてるような気になってくる。
70 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:18

「や、ないな。意味なんて。言葉のアヤってもんでしょ」

そう言うと、またいつものへらへらにこにこした笑いに戻ってしまう。
からかわれてるんだろうか。

「れいなのことからかってるやろ」
「……ばれた?」
「うっわっ、マジムカつく……」
「ウソウソ、ごめん、冗談だって。あ、応援するのはホントだからさ」

途中から急に真面目な――でも笑顔だけど――風にそう言った。
なぜだかそれは、ちゃんと向き合ってるって、そんな気にさせられる笑顔だった。

「頑張んないとカメちゃんに負けちゃうぞ」
「うっ……」
「なになに? 絵里がどーしたの?」

言葉に詰まったところに、ちょうど良く……悪くなのか、絵里が戻ってきた。
危うく聞かれるところだったって胸をなで下ろすような気持ちと、聞かれてしまってたらどうなってたろうって気持ちと。
なんか混ざり合って心がザラザラした感じがする。
71 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:18

「なぁんだろうねー」
「なにぃ? シンちゃん教えろぉー」
「さて、お仕事に戻りますかね」
「待てー」

諦めずに問いただす絵里をあしらいながら、シンちゃんはフロアの方へ戻っていく。
声を抑えてはいるけれど絵里も諦める気はないようで、後をついて行ってしまった。

 ――やれやれ

自分がノリが悪いとか、そんな風には思わないけれど、いつでもあのノリでいられる絵里やさゆとは、少しだけ違うのは解っていた。
そんな意味の“やれやれ”な気分にさせられた時、終わりが近づいているうちらのライブDVDに気がついて、リモコンを手に停止ボタンを押した。
一人で自分のライブを観るなんて、練習や反省のときで十分だ。

「なんだ、消しちゃうのか」
72 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:19

テーブルに戻そうとしたリモコンが、手の中からゴツッと鈍い音を立てて落ちた。
なんでこんなに動揺してるのか解らないけれど、この動揺はとりあえず知られたくない感じがした。
リモコンのことはおいといて、ひとまず普通に振り向くと、孝太クンは向かいに腰を下ろしたところだった。

「――?」

そのとき、孝太クンの向こう、フロアに繋がる壁のトコで、シンちゃんがグッと親指を立てているのに気がついた。
にやにやしながら……バカっ。もう……。
なんか複雑だったけど、とりあえず「イーッ」って声に出さないで返しておく。
シンちゃんが引っ込んだのを確認して、孝太クンにばれないように、すぐに表情を戻し、さりげなく聞こえるように話しかけた。

「休憩?」
「そう。先輩が休んだら、オレも休むんだって」
「休まなかったら?」
「……オレも休まないだけ」

少し考えて、ヒョイと肩を動かして孝太クンは言う。
やっぱ好かれてないんじゃないだろうかと思ってしまう。

「今のさ」
「え?」
「今のライブ」
「うん」
「一番最近の、だっけ?」
「あ、うん。そう。DVDで、一番新しいヤツ」
「その前のは……あぁ、調べれば解るか」

そう言うと、すたすたと歩いていってパソコンをいじって、なにやら一人で頷いてる。
それを終えた……と思ったら、れいなの後ろを通りすぎていってしまった。
73 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:19

すぐに戻ってきた孝太クンは一枚のDVDを持っていて、確認するみたいにそれをれいなにひらひらと見せた。

「どぉぞ」
「ども」

短いやりとりの後、画面に映りだしたのは娘。のライブ映像で、さっきまで観ていたヤツの一つ前にやったツアーだった。
やっぱり向かいに座った孝太クンは、流れる映像に不釣り合いなくらいのマジメな横顔で観ている。

 ――なに考えてんだろ?

座り込んだ膝の上で手を重ねて、ジッと画面を見つめているその横顔からは、どういうつもりでいるのか全く伝わってこないし、さっぱり解らない。
話しかけてもいいのか、どうしようか……

「……いな」
「え?」

話しかけるタイミングを計っていたら、なにか呟くような声が聞こえてきた。

「あー……いや、すごい」
「なにが?」
「いや、なんでもない」
「……そう」

会話が続かない。
だけどきっかけはできたような気がして、それを逃がさないように話題を探した。
74 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:20

「あのっ」
「うん?」
「あっ……絵里とどっかいきよぉと?」
「はっ? なんで?」

気のせいかもしれないけど、シブい顔をされてしまった。
こんなこと、しかもこんなにまっすぐ聞くつもりなんてなかったのに。
テンパったれいなは、慌てて言い訳するみたいに口を開いた。

「あの、前に絵里が話してた――」
「どこも行ってない」

そんなれいなの言葉を止めるみたいに、短く、ちょっと怒ってるみたいな言い方だった。

「え?」
「そんな話はしたけど」

思わず口から出た言葉に、さっきよりは優しい……でも、どこかつまらなさそうに付け足してきた。

「そうなんだ……」
「それが…なに?」

ちょっとなにかが違った話し方だって感じた。
もしかしたら気にしてくれてるんだろうかって、そんな期待をしてしまいそうになる。
ちょっと迷ったけど、チャンスかもしれないって……

「やあ、あの……れいなもっ」
「え?」
「れいなも…バイク、乗りたいっ」
「んん」
75 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:20

一つ、唸るみたいな声を出した後、少し俯いて考えているみたいだった。
陰になってみえない表情は、すぐに蛍光灯の灯りに照らされて……笑顔に変わってた。
なんだか困ったような、呆れてるような笑顔の中に、テレてるようなものも混ざってると思うのは、自分の気持ちのせいなんだろうか。

「時間があえば。ここ火曜休みだから。後、コケても構わなければ」
「……えっ? あ、ははっ。大丈夫。信じる」
「ならいいよ」
「やった! でも、ほっとしたぁ」
「なにが?」
「やっ、れいな、なんか好かれとらん思ってたもん」
「は? オレ?」

自分を指さして、さも意外なことを言われたって顔してる孝太クン。
こっちこそ、意外に感じるようなくだけた感じがする表情だった。

「初めて会ったとき……あの助けてもらったとき。そうでもなかった」
「で?」
「それから後は、ずっと。なんかあんま喋らんし、人のほう見んし、避けられとぉ思った」
「そんなつもりないんだけど……」
「シャイなんだ」
「っ――んなことねえっ」
「なんだ、そうなんだ」
「ったく……」

まだ何か言ってるけど、その表情はれいなから見ても照れ隠しだって解っちゃうようなものだった。
ちょっとだけシンちゃんに感謝しながら、渋い顔で笑ってる孝太クンを見ていた。
76 名前:間奏1 田中れいな 投稿日:2006/12/15(金) 23:20



77 名前:匿名 投稿日:2006/12/15(金) 23:29

ひとまずこれだけ。
読んでくれる方、ありがとうございます。
レスしてくれる方、もっとありがとうございます(笑)

>>60
田中さんがよかったですか?
三人のうち、二人はさして変わらないくらい出番があると思います。
でも亀井さんかな、一応(^^;)

>>61
これでもかってくらい亀井さん推してそうなお名前ですね(笑)
書こうと思って一度は止めかけてた本作ですが、喜んでいただけるならよかったです。

>>62
亀井さんは可愛いですね♪
拙いですが、少しでもそれを表現できればいいなぁとは思ってます(^^;)


えっと、前のを知ってる方はなんとなく「またか」と思うかもしれませんが。
今回も、基本、週に一回〜二週に一回程度を目安に頑張って更新していこうと思います。
更新分よりは進んでいるとはいえ、書き進めながらなので、
どこかで破綻するかもしれませんが、よろしくおつきあいください。
78 名前:亀かめカメ 投稿日:2006/12/17(日) 07:22
ピコピコピコ〜♪
更新おっつぅ〜です。
なんと今回はれいなさんですかぁ〜!!
これからの2人に期待大しちゃいます
個人的にはフレェ〜フレェ〜かめちゃんです。
でもれいなにも頑張ってほしいかも・・・・・
79 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/20(水) 12:38
更新乙です。
自分、亀ちゃん推しなんですが
次はさゆかなぁーとかいろいろ期待してます!!
次回も楽しみに待ってます☆
80 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:19



81 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:20

キミの望みを叶えてあげたい
たいしたことはできないけれど、それがボクの望みに叶うことでもあるから

難しいことじゃない
ただそばにいて、互いに笑えればいい
それがどんな立ち位置だったとしても、それは小さなことなんだ

たとえば、ボクがそうであることで、それでキミが心安まるのなら
そう……
82 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:20



83 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:21

平日の昼間。
……まぁ、仕方がないとはいえ、呆れるくらい暇になることがままある。
今がまさにそうだ。カウンターの中に置いたパイプ椅子に腰を下ろして表を見ているだけ。
外は寒そうだけど、こっちは暖房のおかげで眠気が……。

 ――ん? おーおー、寒そうにマフラーぐるぐる巻きであんなに深く帽子……?

ふと気がついてみれば、なんだか見たことがある小さな人影だった。
どうやらそれは間違いじゃあないらしく、そのマフラーちゃんは自動ドアをくぐって中へ入ってきた。
店内をきょろきょろ見回した挙動不審なマフラーちゃんは、安心したように口元からマフラーをずらして一息ついた。

「はぁ〜。シンちゃん、おはようございまーす」
「オハヨ、田中ちゃん。どしたん、こんな昼前から」
「や、ライブ終わったけん、ちょっと寄ってみたです」
「お? もしかしたらボクに会いたくなったんだね? そうか、やっとボクの魅力に――」
「ないです」

バッサリだよ。
田中ちゃんったら、清々しいくらいにバッサリだよ……。

「なんてこったい。こんなにキミを愛しているっていうのに……」
「ヘンなドラマでも見よぉね? 韓流のとか」
「ボクの思いがどれほどに――」
「もういいってば」
「はい」

瞬殺だよ……また最後まで言わせてもらえなかったよ。
肩を落としてうなだれると、小気味いい笑い声が聞こえてくる。
84 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:21

「あははっ。今日は…一人?」
「ん。昼過ぎまでは一人のことが多いんだよ。……残念だったねぇ、田中ちゃん」
「べ、別に残念とかないからっ」
「そう? するとやっぱりボクのことを…あっ、もういいか」
「…………」
「そんなほとほと呆れたって顔しないで」

参った。
田中ちゃんは「どうしてこうなんだろう」とでも言いたげに、哀れむような目で大きなため息をついた。
やばい、哀れまれてる。いやいや、軽い冗談なのに……冗談?

「もういいです」
「そんな諦めないで。もっと真面目に相手してよ」
「れいなのセリフですっ」
「怒った田中ちゃんも可愛いよねぇ」
「……アホっ」

あっ、本気で呆れてるっぽい。
俯いて大きく息をついた田中ちゃんからそう感じた。
そろそろいい加減にしておいた方がいいみたいだ。

「さて。で、今日はどうしたの? 仕事は?」
「……これから」
「そうなんだ? だとすると?」
「あの……こないだのお礼、言ってなかったんで」
「お礼? なんだっけ……」
「孝太クンと話すタイミング、作ってくれた」
「あぁ、そんなコト。少しはうまくいったみたいだったけど。どうなの?」
「どうって……?」
「付き合うことになったとか、そういうのは?」
「なっ、そんなん……」

驚いたように言葉に詰まる田中ちゃんは妙に子供っぽくて愛らしかった。
子供じゃないんだからそんな驚くことも……って、十六って子供か。
いや、今時の十六なんだから……親父みたいだからやめよう。
85 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:22

「ないんだ。ふぅん……」
「なんでそんな顔しちょっと?」

どんな顔に見えたんだろうかと思うけれど、イヤな予感を感じてるような田中ちゃんを見ればなんとなく解る。
きっとこういうことを言いそうな顔に見えたんだろう。

「押し倒しちゃえば?」
「バッ……」

言葉にならず絶句って感じかな。
田中ちゃんは見た目よりも真面目なんだと、改めて解った瞬間だった。

「あれ、田中ちゃん、顔が赤いけど」
「うっさいっ、アホ!」
「田中ちゃんヒドイ……」

強く短く罵倒されて、少しへこんだふり。
が、どうも相手に拾う意思がないと感じたので、ふりはやめて改めて話し出す。

「実際さ」

口調が改まったことに気がついたんだろう、横を向いていた田中ちゃんが向き直った。

「なんとかしたいんでしょ?」
「なんとかって……」
「だから。付き合いたいんでしょ?」
「う…うん、そう。だと思う」
「こないだはそれっぽい話は?」
「まだそんなん……でもちょっとどんな人か解ったけん」

照れくさそうに話す田中ちゃんはおかしくなるくらいに素直で、こういう面があるってことをもっと表に出せばいいのに、と思わされてしまう。
TVで見る田中ちゃんっては、場合によってはトンガって見えてしまうようだから、尚更そう思うんだろう。
86 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:22

「まぁ解るけどね。でも、身近にライバルがいるんだよ。現実的には同じ駅って強みはあるけど、きっとカメちゃんの方が近いんだから……」
「ん……」
「どうしてもなんて言うつもりはないけどさ、頑張んなきゃ」
「ありがと」

怒ったような複雑な笑顔で神妙な台詞を口にする田中ちゃんは、色々な経験をしているからだろう大人びた表情を見せる。
だけどその中に、ちらりと十六歳なりの顔が覗いていることを感じた。
ふと自分が十六の頃を思い返して、周りにいた女の子たちを思い返してみて。
つくづくこの子が……この子たちが置かれている環境の希有なことに気づかされた。

「ふうん……」
「な、なん……それ」
「田中ちゃんは素直で可愛いな。おにーさんはそういう子は大好きなのさ」
「か、可愛くないっ」

それは照れ隠し……とも、少し違う。
どこか心情が溢れたようにも感じる、そんな言葉だった。

「なんでさ?」
「れいなはさゆや絵里みたいにはなれんもん」
「へぇ。田中ちゃんはあの子たちみたいになりたいの?」
「だって……そうじゃないけど。でも……」
「まぁ、しげちゃんもカメちゃんも、可愛らしい女の子だよね」
「シンちゃんだって、ああいう女の子の方が可愛いって――」
「いーやっ」
「え?」
「確かに二人とも可愛いよ。それはそう。でも二人と違うからって田中ちゃんが可愛らしくないってことはないでしょ?
 しげちゃんとカメちゃんだって違うよ。田中ちゃんが同じであることの方がヘンだと思うね」
「…………」

俯いて、なにか考え込むようにしている田中ちゃんの小さな頭、ふわふわした髪、それに細い肩。
87 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:23

「田中ちゃんは可愛いよ」

口をついて出たのは何度も口にした台詞、今回は心までオマケに付けて。
チラリと上目遣いでボクを見上げた田中ちゃんは、ほんのわずかな違いを感じ取りでもしたのか、目線が微かに揺らいでいた。

「……また、冗談やろ」
「……うん」

それが田中ちゃんの願いなら、ボクはこう答える。
揺らぎを呼び起こしてしまった台詞は回収しちゃわなければいけない。

「夕方にはコータも来るよ。仕事終わってからでも寄ってくれれば……時間取らせてあげるからさ」
「……アホぉ」
「ありがとう」
「ホメちょらん」
「時間は大丈夫?」
「あっ、そろそろ」
「はい、いってらっしゃい」
「なんかヘン」
「じゃあ『いってらっしゃい、あなた♪』」
「シンちゃんウザイ」

そう言って笑った田中ちゃんは、すっかりいつもの田中ちゃんだった。
少し子供っぽくて、少し背伸びした、十六歳の田中ちゃんなりの、いい表情になっていた。

「ありがと。いってきますっ!」

静かな店によく通る元気な声でそう言うと、少しおどけた敬礼をして走っていった。
後に残ったのは、応援するはずのボクが逆に励まされたような、なんだか奇妙な感覚だった。

「なんだかなぁ……参ったな」
88 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:23



89 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:24

「コータ」
「はい?」

返却されたDVDを受け取り、お客さんを送り出すと、慌ただしい時間が終わりを告げる。
店内に残ったお客さんに聞こえないように抑えた声で、たまったDVDを整理しているコータに話しかけた。

「お前さんさ、カメちゃんとどうなってんの?」
「はぁ? ……別にどうも」
「“どうも”ってこたぁないだろ。デート、誘われてるんだろ?」
「デート? ただ……遊びに付き合うって話ししただけですよ」

とぼけてるのか本心なのか、いまいち判断しかねる声音と表情だ。
別にそれがどうだっていうことでもないし、深く追求するほどには問題じゃあなかった。

「で?」
「で? って?」
「まだ行ってないの?」
「行ってないですね」
「お前の問題?」
「……いえ。事前にいえば、融通がきくって話しくらい覚えてますから」
「ふうん」

コトリと、微妙なタイミングでカウンターにパッケージが置かれた。
90 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:25

「ありがとうございます。こちら新作になりますので一泊二日でよろしいでしょうか」

受け取ったパッケージをレジに通してコータに廻す。

「はい。七百八十円になります」

コータから受け取ったDVD入りのバッグをお客さんに渡し、会計を済ませる。

「はい、千円お預かりです。……二百二十円お返しになります。ありがとうございました」

出て行くお客さんを見送って、再びコータに話しかけた。

「お前の休みじゃないなら、カメちゃんが……あぁ、コンサート、やってたっけ」
「さぁ。メールはよくきますけど」
「……お前さん、カメちゃんのこと好き?」
「…………」
「黙秘かよ。なら聞き方を変えてやる。あの三人で誰が一番好きなのかね?」
「…………」
「これも黙秘なのか。まぁいいや」
「いいなら聞かないでくださいよ」
「うるさい」
「横暴ですね」
「悪いか?」
「いえ。慣れてますから」
「じゃあいいじゃん」
「……はい」
「で?」
「そう省かないでくださいよ」
「カメちゃんはどうなのよ」
「……さぁ」
「なんだそりゃ」
「なんだと思います?」
「知らないよ……」
91 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:25

つくづく。
この男は……ため息をつくボクを不思議そうに見てくるこの男は。
どうして田中ちゃんもカメちゃんもコレがいいんだろうか。
ともかくだ。
まだ田中ちゃんにもメがありそうだってことは解った。

「はぁ……ちょっと一服してくるわ。ひとまずよろしく」
「はい」

手が空いてきたことだしと、話しを切り上げて裏で一休みしてタバコに火をつけた。
はき出す煙とため息が混じり、訳が解らなくなる。
ただ困惑しただけの会話だった。

「どうしたもんだろうねぇ……」

そんなボヤきにも似たつぶやきを漏らしたときだった。
裏口の方向から微かに聞こえてくる音。コンコンと金属製の扉を叩く音だった。
タバコをもみ消して渋々腰を上げたけれど、ある可能性に気がついて早足で扉へ向かう。
もう一度、コンコンと遠慮がちに叩かれた扉を、ゆっくりと押し開けば、そこにはやはり“可能性”の彼女、たち。

「お疲れさま。今日は二人?」
「あっ、うん」
「こんばんわぁ」

後ろからひょっこりと顔を出したカメちゃんは、隠れてでもいたような風だったけれど。
田中ちゃんの方が小さいって、忘れてるんじゃないだろうか。

「ほい、カメちゃんお疲れさま」
「忙しい?」
「ちょっと落ち着いたトコかなぁ。一服してた」
「表からのぞいたから知ってたんだけどね」
「……はい、入った入った」
92 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:26

いつものように二人を裏に通し、お茶の準備を始める。

「カメちゃんはお茶。田中ちゃんは紅茶でいいのかな?」
「あ、自分で――」
「うっさーいっ。座ってなさい」
「はぁい」

脱いだコートを横に置いて座りかけたカメちゃんが腰を上げたのを、軽く一喝してお茶をいれていく。
ティーカップと湯飲み、急須に、なぜか最近置くようになったセンベイを開けてテーブルに運んだ。

「お嬢さま方、お疲れ様でした」

仰々しく畏まってカップと湯飲みをそれぞれの前に置き、意味もなく場にそぐわないお辞儀をしてみせた。

「おほほほ、くるしゅうない♪」
「ありがと。……絵里、マコっちゃんみたいんなっとる」
「えっ、ウソウソ!? それはヤダぁ」
「君ら、なにげにひどいこと言ってんね……」

軽いツッコミを入れると、二人は視線を合わせて「だってねぇ」と綺麗なユニゾンを披露してみせてくれた。
ボクは小川ちゃんに軽い憐憫を覚えたけれど、それは脇においといて二人の向かいに腰を下ろした。

「ん?」
「どーしたの?」

ある変化に気がついたボクが洩らした音にカメちゃんが反応した。
ジッと田中ちゃんを見つめて変化の理由を探して……「髪、切った?」と呟いてみる。
居心地悪そうに見つめられていた田中ちゃんが、大きく目を見開いたことで確信した。

「あたり? やっぱねぇ――」
「すっご……なんで気づいたの?」
「ふっふっふ……愛だよ愛」
「やだぁ、キショイ」
「また……アホやん」
93 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:27

二人にツッコまれる。アホはともかく……

「キショイ言うなっ」
「なぁんで絵里だけぇ!?」

軽く素早く頭をはたくと、たちまち不平の声が上がった。

「うっさい! アホは許せるけどキショイは許せん」
「ヒイキだっ!」
「贔屓じゃなくって区別ですぅ」
「むぅー」

唇をとがらせてにらみ合うボクとカメちゃんの間を取りなすように、フロアの方から「先輩」と声が聞こえてきた。
苦笑いを浮かべながらヒラヒラ手を振り「いってらっしゃーい」と纏める田中ちゃんに、涙を拭う振りをしながら手を振る。
「イーッ」と口を引き結んだカメちゃんには、ベロを出して対抗しておくのも忘れない。

表情を戻しながらフロアに出ると、カウンターの端にパッケージが積み重ねられていた。
コータに「お願いします」と言われるまでもなく、手早くチェックしたそれらを裏に廻って拾い抜いて戻ってきた。
唐突に忙しくなった数十分が過ぎると、店内の人影は急激に減り出す。

「コータ、休んできな。で、代わりにカメちゃん呼んできてくれる」
「はい。……はっ?」
「お前さんの過去の悪行を聞き出すから」

訝しげにボクを見るコータに、真顔で言ってやる。
するとコータは「はいはい」と呆れたように肩をすくめて裏へ廻っていった。
94 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:28

すぐに入れ替わるようにして、コソコソと中腰のカメちゃんがカウンターの向こうには見えないように気をつけながらやってきた。
カウンターに背を預けるようにして、膝を抱えてしゃがみ込んでるカメちゃんが見上げてくる。

「お呼びでしょうかぁ?」
「お呼びでございます」

ふにゃっとした笑顔には抑えめの営業スマイルで返す。

「アイツさ、中学んときどんなだった?」
「んー? こーた?」
「そう。今と変わらない?」
「んっとねー……よく解んない」
「なんでさ、同級生だったんでしょ?」
「一年と三年のとき」
「二年間一緒だったら解るじゃない」
「だってぇ……三年のときは、絵里あんま学校行けてないもん」

この角度からわずかに見えている表情は、ボクには理解できない淋しさがあるようだった。
自分で選んだとはいえ、そういうこともあるんだろうって、その程度しか考えられないけど。
95 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:28

「あぁ……一年ときは?」
「覚えてなかったの」
「へ?」
「後で一年のときの文集とか見てみたのね。それで『あぁ、そうだった』って」
「んー?」
「たぶん、友達少なかったと思う。それと、あんまり学校きてなかった」
「ふん?」
「それだけしか思い出せないの。なんでそんなに休んでるんだろーって。フリョーには見えないのに……って。
 話したこともなかったと思う。ただそんな印象だけ、後になって思い出したの」
「もしかしたら……」
「うん? なに? なんか知ってるの?」
「いや……関係ないかもしれないけど」
「なに?」
「う〜ん……」
「おしえてっ」

口を滑らせた迂闊さを悔やみながら、どうしたものかと頭を働かせる。
カメちゃんは適当に言い逃れるのを許してくれそうな表情じゃあない。
かといって……ベラベラ話して廻っていい話でもない。

「家庭の事情っていうか……」
「?」

見上げたままで小首をかしげるカメちゃんには、うまく伝わりきっていないようだった。
仕方なく、もう少しだけ言葉を足していくことにした。
96 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:30

「だから……親御さんがひどく不仲だったらしいってこと」
「え……?」
「アイツが高校入ると、それを待っていたみたいに別れたそうだよ」
「…………」
「だから、その頃からもう……ね」
「…………」
「カメちゃん……」

フロアに向けていた目でチラリと見やると、まるで自分のことのように哀しげに、泣き出してしまいそうな顔をしているように見えた。
抱えた膝に顔を隠すように埋めたカメちゃんの頭に、そっと伸ばした手を当てて、ポンポンと二つ、なだめるように弾ませた。

「なんでカメちゃんが泣くのさ」
「んぅ……」

くぐもった声が微かに聞こえる。
興味本位で話を聞きたがった自分に対する自責もあってのことだろうか。
困ったな……そんな。

「ボクが言うことじゃないけど、よくある話しだよ。アイツだけが特別可哀想なんじゃない」
「だ、だけど……」
「アイツだってそう思ってるんだよ。だからボクには話してくれたし、そのときには終わった話だって、そういう顔してた」
「ん……」
「カメちゃんはさ……コータのこと好きかい?」
「…………」

言葉にはされなかったけれど、膝の上でわずかに頭が上下した。
ボクはこの子にはなにもしてやれない。
ただ泣かせたいわけでもない。それだけは確かだった。
97 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:31

「ならアイツのこと、憐れまないでやってよ。みんな色々あるんだって。ね?」
「……ん」

さっきよりも大きく頷き、小さな返事が返ってきた。
ボクは何も言わず……なにも言えず、弾ませた手で、カメちゃんの頭をそっと撫でていた。
三組ばかりの返却を受け付けてなお、そうして俯いていたカメちゃんが、四組目の返却を終えたとき、ついと顔を上げた。

「あのね……」
「……ん」

フロアへ目線を向けたまま返事をしたボクに構うことなく、カメちゃんはゆっくり、ポツポツと話し出した。
98 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:31

「三年生のとき、体育祭があったの」
「うん」
「絵里ねぇ、走るの速いんだよ、けっこー」
「そう」
「でもね、そのとき『これで最後なんだ』って、あんまり参加できなくなってた学校生活も終わるんだって。
 そう思ったら、すっごい緊張して、ドキドキして、脚がいうこときかない感じで……怖くなった」
「…………」
「どんどん順番は近づいてくるし、心臓痛くなったかもしんない」
「うん」
「そのとき、聞こえたの」
「…………」
「すっごい大きな声で、太鼓の音に負けないような声だった」
「応援だ?」
「うん。トラックの内側、真ん中で、台に乗って、詰め襟の制服きてて……うちの学校ブレザーだったのに」
「へぇ」
「ハチマキして、タスキ? かけて。『フレー、フレー、かっめっいっ』って」
「…………」
「それまで、そんなの気がつかなかったのに……それみてたらドキドキしなくなったの」
「それが」
「こーただった」
「うん」
「『よぉーし』って『絶対勝ってやる』って思った。最後だし。応援してくれるし」
「だね」
「スタートのとき、少し出遅れちゃって。あっ、負けちゃうって……」
「うん」
「追いかける背中の向こうに、応援してくれる制服がみえて『絶対追い抜いてやる!』って……」
「で?」
「ぎっりぎりだったけど……勝っちゃった」
「すげー」
「えへへ……中学生活で最高の記念になっちゃった」
99 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:32

昔をその目に見ているような、素敵で哀しい笑顔を浮かべたカメちゃん。
そのカメちゃんに確認するように聞いてみた。

「その後、コータとは?」
「ほとんど会えなかったし、ろくに会話もしてなかった」
「そっか」
「でも……ずっと気になってたの。学校行くたびに目で探すけど、こーた来てなくて」
「きっと一番キツかったんだよ」
「うん。そのまま卒業になっちゃって……こーたのウチ、誰もいなくなっちゃってた」
「その頃、ボクと会ったんだね、きっと」
「そうなんだ?」
「ん。それからココに、ね」
「へぇ……」

妙にしんみりして、切ない空気を吹き飛ばすように、裏から姿を現したコータがいつもの仏頂面で口を開いた。

「なに話してんすか?」
「言ったろ。お前さんの悪行を聞き出してたんだよ」
「色々バラしちゃったぞ、こーた」

ボクが悪く笑ってみせると、カメちゃんも便乗してそう笑った。
100 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:33

一瞬、渋い顔をしたコータは、「やれやれ」とぼやくように呟いてから「オレのこと、そんな知らないじゃん」とカメちゃんの頭をはたいた。

「いったぁい……アイドルの頭を――」
「自分でアイドル言うな」
「そりゃもっともだ」

結果が解っていて、からかうようにそう言うと、予想通り、口をアヒルのようにしたカメちゃんは「もぉいーよぉ」と中腰のままで裏へと消えていった。
ボクは笑いながら、コータは呆れたようにその姿を見送ると、並んで立ったカウンターの中で、コータが口を開いた。

「で、なに話してたんですか?」
「気になるのかね?」
「……別に」
「コータ。お前さん、嘘つきじゃあないけど正直でもないねぇ」

そう笑ってやると「嘘つかなきゃいいじゃないですか」とふて腐れてのたもうた。

 ――ほんと、面白いヤツだよ、お前

こんな日々、時間は穏やかに流れていった。
春先のある日、ふいに「休みが欲しい」とコータに言われるその日までは。
101 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:33



102 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:33

「先輩、来週の木曜なんですけど……」

準備をコータに任せてあった日の開店後、たまたま早く目が覚めてやることもなく出てきていれば、この台詞だった。

「うん?」
「休み、もらえないですか?」
「ほ?」

これは珍しいこともあるものだって、言われたそのときはそう思った。
だから軽く言ったんだ。

「いいよ」
「すいません……」
「珍しいな」
「……ちょっと」
「ほぉ〜」
「……なんですか」
「いや、なんでもないよ〜」
「先輩、なんかムカっとします」
「デートだな?」
「違いますよ」
「デートだ……田中ちゃんか?」
「っ……なんで」
「……カメちゃんなのか」
「…………」
「いいなぁ、デート」
「だからっ、別にデートじゃないって言ってんですよ」
「まぁ、いいけどさ」

何か言いたげにしているコータにニヤリと笑ってみせた。
ますますもの言いたげなコータだったが、小さく首を振ると諦めたように「どうも」と頭を下げてきた。
こんなかわいげはあるんだよなぁ。
103 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:34

後のボクは思う。
このとき「ノー」と言っていたら、どうなったんだろうと。
ボクらはどうなったんだろうって。
104 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:34



105 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:34

コータが休んだ日の昼下がりだった。
ウインドウ越しに田中ちゃんらしい人影を見た。
店の中をのぞき込んでいるようで、ボクが気がついたことは解っていない様子だった。
きょろきょろと動く田中ちゃんの目線が、時間をかけながらこっちまで移動してくるのを見計らって小さく手招きをしてみた。
やっと気がついた田中ちゃんが、少し考える風にしながらも自動ドアをくぐって中へ入ってきた。

「どしたん? 今日はこれから……っていうには遅いか」
「ん。予定よりもだいぶ早く終わったから」
「…………?」
「な、なに?」

なんだろう……なにか様子がおかしい。そう感じて、つい見入ってしまった。
田中ちゃんは腰を退くようにしながら笑ってみせたけれど、その笑顔はいつもの田中ちゃんの快活な笑顔とは違う気がしてならない。

「どうした?」
「シンちゃんこそ」
「いや、うん。……いいや」
「……ヘンなシンちゃん」
「ヘンだのキショイだのアホだの、さんざんな言われようだなぁ」
「仕方なくない? その通りやけん」
「えぇー!? まぁいいや。こっちきて座らない?」
「いいんだ」

そう呆れ笑いの田中ちゃん。
その田中ちゃんのために、バックヤードとの間、ちょうど表からは死角になる位置にパイプ椅子を広げた。
106 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:35

「ども」
「今日はなにしてたの?」
「今日? トレカの撮影だけ」
「で、こんな早く終わっちゃったんだ?」
「うん」
「他の子らは?」
「絵里もさゆも、予定があるってさっさと帰った」
「あらま」
「で、田中ちゃんはボクに会いに来てくれたんだ?」
「別に――」
「じゃなく、コータに会いに来たんでしょ」
「っ――」
「田中ちゃんは可愛いね」
「またそうやってれいなンことバカにしよる」
「してないってば。ほんとにそう思ってるよ」
「もうよか」

話しの流れを切るような言葉に話題を変えることを決めざるを得なくなった。
あまりしたい話じゃあないけれど、田中ちゃんもそのために来たんだろうから。

「コータさ……」
「え?」
「今日休みなんだわ」
「……そっか」
「せっかくきてくれたのに、悪いね」
「そんなん……シンちゃんが謝ることじゃなかやん」
「そうだけどさ」
107 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:36

そうでもなくはない。
きっとボクが“出てくれ”と言えば、コータは休みは諦めて出てきたろう。
ましてや……
そんなもの間違った責任感だと知っていても、田中ちゃんにとっては少しでも……なんてね。

「シンちゃんには色々……お世話になってばっかやもん」
「んにゃぁ」
「ぷっ…なんて声出しとっと。可愛くない猫みたい」
「……あぁ、田中ちゃんの“猫”は可愛かったね」
「あっ……」

昼の番組――録画してまで観るようになった――でやっていた、コスプレのような衣装を思い出した。
すぐに田中ちゃんも思い当たったらしく、照れくさく困ったように言葉に詰まってしまった。
そうなってしまえば、もうからかわずにはいられない。余計な一言を付け足した。

「あはは、“萌えー”だよ“萌えー”」
「……うっさいっ、もう……アホぉ」

居心地悪そうにそっぽを向いて、でもチラチラと様子を窺うように見てくる田中ちゃんは、少しだけ頬や耳を朱く染めていた。
正直キツかったりするんだよね。そんな仕草をされたりするのも。
108 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:36

「田中ちゃんさ」
「うん?」
「頑張りな」
「……うん」
「退いちゃダメだよ」
「おー」
「負けんなっ!」
「おーっ!」
「……田中ちゃん」
「ん?」
「声デカイよ」
「……アホぉ」

誤魔化すように笑うと、田中ちゃんも笑ってくれた。
それはまだ、素敵な笑顔とは違うかもしれないけど、きっと素敵な笑顔になる。
そんな笑顔が見たいから、応援するよ。
109 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:37



110 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:37

よく晴れた火曜日だった。
平日に休みってのは、なかなかどうして遊びに困るものなんだよね。
散らかった部屋を片づけたり、洗濯なんぞしてみる午前中。
なんか主婦みたいだって思ってしまう二十歳ってのはどうなんだろう。
けれど友人もなかなか捕まらない。
やることもなく外へ出て、とりあえず昼飯なんか食って、二駅ほど電車に揺られ大型のショッピングモールを歩いてみたりする。
いや、別に悪くはないけど……まぁ、なにか物足りないでしょ。

時間をつぶすように入ったゲームセンターも、特別好みじゃなければそう喜んで居られる場所でもない。
さてどうしたもんかと出口へ向かった足が不意に止まった。
視線の先には、最近ますます多様化しているクレーンゲームの中で、今更といえなくもないぬいぐるみたちが詰まったケース。

「ふむ?」

雑多に転がっているぬいぐるみの一体に目がいったんだ。
さほど目を引くこともないぬいぐるみだったけれど、まぁ、可愛らしいことは可愛らしい。
百円を入れたのですらただの気まぐれだった。
なのに、もとより無理な位置にあったそれを取るために五百円玉までつっこんだ。
少しずつぬいぐるみの向きを、位置を動かしていき、三枚目の五百円玉でようやっと落とした。
と、同時に後ろからまばらな拍手が聞こえた。
おそるおそる振り返ってみれば、こんな時間になんで居るんだよって気もする女子高生が三人、笑いながら拍手をしていた。

「どもども♪」

両手で持ったぬいぐるみを優勝トロフィーのように掲げ、笑顔を浮かべながらその場から逃げ出したのは、まぁ上出来だったろうか。
屋外の淀みない空気の下で改めて見るそれは、なかなかに可愛らしい猫のぬいぐるみだった。
それを手で遊ばせながら、なんとなく小さな満足を感じる自分をおかしく思ったりした。
111 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:37

ようやっと陽が傾いてきた頃、店で時間でもつぶすかと歩き出した。
その足を止めるようにメールの着信を告げる音声が聞こえてきた。
ポケットから引っ張り出した携帯を開いてみると、田中ちゃんからのメールが届いていた。


 今日、休み?
あの 暇?

 れいな


危うく吹き出してしまうところだった。
なにを遠慮しているのか、初めてのメールでもないのに、この妙に緊張感の伝わってくる文章。
少し考えて、ちゃかちゃかと打ち込んだメールを送信した。
この後どうするか、ひとまず様子をみようと手近な喫茶店へ入ろうとしたが、それほどの間もなく返事が届いたようだった。


 もう少しで終わるから
今から行ってもいい?

 れいな


色々と都合がいいだろうと店の方で待ち合わせることにして連絡を終えた。
軽く買い物をしてから電車に乗り込み、店に着いてから一時間ほども過ぎただろうか。
いつものように裏口のドアが軽くノックされた。
112 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:38

「や、田中ちゃん」
「あっ、ごめん」

 ――ごめん……?

なんとなくだけど今日ここに来た理由がわかった気がした。
ぎこちない笑顔、普段の田中ちゃんからはありえない第一声。
ボクは笑顔を作って田中ちゃんを招き入れた。

「そんな挨拶誰に教わったのさ。ほい、入って入って」
「ん……」

沈んでる様子を隠そうとはしているけれど、あまりうまくいっていない。
そんな感じ。気にくわないな。

「今日はわりあい暖かかったねぇ」
「うん」
「……なに突っ立ってんの? 座れば?」
「ありがと」

促されてからやっと上着を脱ぎ、バッグを降ろし、トスッと腰を下ろした田中ちゃん。
そんな姿を確認して、背を向けて聞こえないように小さなため息をつきお茶の支度を始めた。

「いつものでいいかな?」

そう声をかけると、とても弱く、聞き逃してしまいそうな肯定の声。
湯を通してカップを軽く温めながら、有線のスイッチを入れて音を絞った。

 ――なにもないよりはマシだろ

113 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:39

二つのカップと甘そうなクッキーをトレイで運んでいくと、最初に腰を下ろしたままの姿勢でいる田中ちゃんの姿。
カップとクッキーを置いて向かい側に座ると、顔を上げた田中ちゃんが「ありがと」と笑った。
こんな笑顔は違っている。そう思った。

「元気ないね、どした?」
「そう? そんなこと――」
「なくないでしょ。隠すことないと思うんだけどなぁ」
「別に隠しとらっ……ん」

弱音を吐きそうになる自分を叱咤しているように結ばれた唇が、注意して見ないと気がつかないほどに小さくふるえてる。
頼ってくれてるから来てくれたんだろうに、意固地になって弱さを隠したがるのは幼さなんだろうか。
相手を気遣って、自分の中だけで処理しようとする……なんて思うのは都合が良すぎるんだろうね。

「ま、話す気がないなら聞かないけどさ。色んなもんため込んでると……」
「……?」
「ボンッ!」

不意に上げた声量にビクリと身体をハネさせた田中ちゃんは、キツくもタレてるようにも見える目を少しばかり見開いている。
数秒間をおいて、何か言おうとしたらしく口を開きかけた田中ちゃんが、頬に手をあてて「んんっ」と一つ喉を鳴らした。
それがなにかを決めたような、そんな仕草に見えたボクはちょっとだけ嬉しく感じながら田中ちゃんの言葉を待った。

「大丈夫やけん」
「うん?」
「心配?」
「あぁ。うん。ちょっと」
「れいなンこと愛しとぉね」

なるほど、そうきたか。
田中ちゃんそうありたいのならば。
ならばボクはただ居ればいいんだ。
114 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:39

「バレた?」
「……っ!?」
「おや? 田中ちゃん? 朱くなってるように見えるけど、どうかした?」
「どうもせんっ!」
「ふっふっふ……まだまだですな」
「ワケわからんっ」

猫の目のようにコロコロと移り変わる表情だなって思った。
野性を感じさせるしなやかさや、気まぐれな甘え。
時々たまらなくさせられる表情を見せつけられる。

「あっ」
「え?」
「思い出した」
「なにを?」

ボクは立ち上がって買い物袋の中からそれを取り出した。
田中ちゃんには見えないように背中に隠して近づいていく。

「なにってば」

イヤな予感でもしたんだろう、ちょっと座り位置をずらして離れる田中ちゃんの横に座って……

「これをあげよう」

ついと差し出したそれをマジマジと見つめる田中ちゃん。
一瞬、怯えたように腰を退いたけれど、よくよく見て次第に表情が柔らかくなっていく。
115 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:40

「お気に召さない?」
「やぁ、可愛いけど……れいな?」
「今日、暇でさぁ。買い物帰りにゲーセンで、ふと目に付いたんだよねぇ」
「あぁ、掴むヤツ」
「そうそう」
「へぇ〜」
「田中ちゃんのこと思い出したのね」

ぬいぐるみの猫を受け取った田中ちゃんは、しげしげとそれを眺めて「ふうん」と呟いた。
それを手の上で遊ばせながら、なにか思い出したようにずいと近づいてきた。

「なんで猫?」
「いや……可愛くて、田中ちゃんぽいでしょ」
「そっ……いくら使ったと?」

若干朱くなった頬を誤魔化すような口ぶりで田中ちゃんが聞いてくる。

「え? えぇっと、二百円だったかな」
「なんかウソっぽい」
「……五百円」
「…………」
「……千六百円です」
「千六百円っ!?」
「……そう」
「はぁ〜……」

心底呆れたかのような田中ちゃんの深いため息。
クッと顔を上げ、間近に睨むような目を向けてきたかと思うと、怒ったような口調で話し出した。
116 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:41

「シンちゃんのアホっ。無駄遣い。なんでそんなんしよぉね」
「いや、でもさ……」
「バカっ!」
「バカって……」
「……でもありがと」

ちょっとやられた……
怒りながら照れて、ぼそっと告げられたお礼は、独特の甘酸っぱさを伴っていた。
そんな無防備な顔をするもんじゃないって、言ってやりたくなるような表情だった。

「田中ちゃん……」
「な、なに?」
「……いや、ごめん、なんでもない」
「なになに?」

やばいやばい。
危うく自分の役目を違えるところだった。
楽しげな様子で詰め寄ってくる田中ちゃんはただ無邪気だ。

「……言わない」
「なんで?」
「うっさぁーい。さて、なんか観よっか」
「うっわ、めっちゃ普通に話し変えとぉ」
「なにか観たいのある?」
「ない」

逃げるように立ち上がって動き出しかけたところを、バッサリですな……とりつく島が沈没したようだ。
ソファーの背もたれに寄りかかって、コータのように肩をすくめた。
117 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:42

「田中ちゃん……泣きたくなるくらいバッサリ切るね」
「仕方なか。こんな性格やけん」
「仕方なかって……別に悪くないよ?」
「……でも、あんま可愛くない」
「またそう言う……」

困ったもんだと呟きながら、田中ちゃんの後ろに回り込んでソファー越しに手を伸ばした。
それを目で追っていた田中ちゃんは、自分の両側から伸びてきた手に、なにをされるのか気がついたらしく慌ててバタバタと身体を起こそうとした。

「うわっ、ちょっと!? 待って! 待って! 待って!」

それよりも一瞬早く、田中ちゃんを逃がさないように、でも力は入れず包み込むようにして手を廻した。
硬直したみたいに動きを止めて、されるがままでいる田中ちゃんから伝わってくるのは極度に緊張した気配。
触れてもいないのに、田中ちゃんの左胸で早鐘を打っている鼓動まで感じられそうだった。

「大丈夫、なんもしないから。田中ちゃん?」
「…………」

呼びかけに応えるような深い呼吸が一つ。
それを了承とみなして話を進める。

「田中ちゃんは可愛いんだよ。それは田中ちゃんにしかない可愛さなのさ」
「そんなの……」
118 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:43

「信用してないなあっ?」
「シンちゃんの言うことなんて信用できんもん」
「言ったなっ」
「やぁ、ちょおっ、待ってって――ひゃあ!?」

アタマにきたから抱きしめて、髪に顔を埋めるようにして頭にチュウしてやった。
田中ちゃんはビックリしてジタバタ暴れたけれど、そんなもんお構いなしに。

「唐突にこんなことしちゃいたくなるくらいには可愛いってことで」

そう言って笑いながら田中ちゃんを解放してあげた。
耳まで真っ赤にした田中ちゃんは、キスされた頭を押さえながら振り返ると、脇に置いてあったジャンパーを投げつけてきた。

「バカッ、もおっ……バカ!」

ボクがしっかりキャッチしたジャンパーを返しながら隣に座ると、顔を背けてまだブツブツ言っていた。
その表情が、仕草がおかしくって可愛らしくって、思わず吹き出しそうになると、その気配を察知したのか強い目でにらまれた。

「あっ、ごめん」
「もういいっ」

笑いを堪えながら謝ってはみたけれど、バレバレすぎて田中ちゃんまで笑いだしそうになっている。
二人揃って吹き出しそうになって、二人揃って笑いを堪えている。
119 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:43

そんなおかしな時間が途切れると、田中ちゃんが「はぁ〜」とおおきく息をつくようなため息のような声をもらした。
ボクが首を廻らすよりも早く、肩口にコトンと軽い感覚がくる。

「田中ちゃん?」
「……シンちゃん」
「うん?」

言葉が続かない。
肩に寄りかかった小さな頭の重さで動けずにいるボクからは表情まではうかがえない。
少し前に切った田中ちゃんの髪がボクの頬にかかって、くすぐったいけれど甘い香りに墜ちていきそうになる。
弱まっていく思考の中で「どうしたんだろう」、そう思っていると、ぼそっとささやくような声で「ゴメンね」と辛うじて聞き取れた。

それがなにを指しているのかはなんとなく伝わってきた。
様子の違う田中ちゃんの声だから、それはそういうことなのだろうと解った。

けれど、それをボクに聞かせたかったのか。
ボクになにかを言って欲しいのか。
それを決めかねるボクは、なにも言わず、ただ静かに、肩に感じる重さを大切にしていた。
120 名前:友達でいいから 投稿日:2006/12/23(土) 20:43



121 名前:匿名 投稿日:2006/12/23(土) 20:52

……ずれたorz
なんでずれたんだろう……コピペなのに。

第二楽章『友達でいいから』でした。
女性ヴォーカルの曲なんですけどね。まぁ。


>>78
毎度ありがとうございます。
「でも」と仰るとおり、二人とも温かく見守ってあげてください(笑)

>>79
亀井さん推しですか。ええ、亀井さんは可愛いですね♪
というわけで(?)、道重さんは出てきませんが(笑)
彼女にもきっと、そのうちいいシーンが……ある、かも、しれません(^^;;;

ではまた来週or再来週……いや、年越しちゃう前にもう一回、金曜かな。
ではでは。
122 名前:亀かめカメ 投稿日:2006/12/26(火) 04:47
ムムム・・・
ニンともカンとも言えない状況ですな
それでも自分はカメレナの2人を応援するのであります
あっ、でもやっぱりカメちゃんの活躍を心待ちにしてるのです
123 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/12/28(木) 16:16
更新乙です。
みんなそれぞれ切ないですね…
甘酸っぱくて胸がキュンキュンします♪

124 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 20:56



125 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 20:56

さゆみたち三人が新しい出会いをしてから三ヶ月くらいかな。
前から思っていたことだけど、一つ気がついたことがある。
さゆみは枠の外の人になってたことに。
別にそれ自体は全然気にすることじゃなくて。
あの二人だって好みじゃないし。さゆみにはもっと素敵な王子様が待ってるんだから。
それよりも問題なのは、絵里もれいなも、シンちゃんも孝太くんも、みんなの気持ちが向き合ってないんじゃないかってことだった。
絵里もれいなも、勿論さゆみも、仕事……歌やテレビ・ラジオの収録に取材とかはともかく、ツアーがあるのはどうしようもない。
レッスンやリハで時間を取られて、そして色々な地方を廻る。
そうしている時間はとても充実しているけど、れいなも絵里も……特に絵里の方がだけど、なかなかあそこに行けないってボヤいてたりする。
あまりハッキリ言わないけど、れいなもそう思ってるってことは感じてる。
ハッキリとじゃないけど……二人が孝太くんのことを好きじゃないかなって感じてる。
だから……男の人二人はともかく、さゆみにとって絵里もれいなも大切な友達で仲間で。
だからどっちにも悲しい思いはしてほしくないし、二人が一緒に幸せな思いでいられたらって思う。
126 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 20:57
そんなことを考えてたら、目の前に座っていた絵里がふて腐れたように口をとがらせていた。

「さゆぅ……聞いてないじゃ〜ん」
「あっ、ごめぇん。なんだっけ?」
「だからぁ……こないだね、早く終わったじゃん。あの日さ、こーたとデートしちゃった♪」
「……ふうん」
「でね、バイクの後ろ乗せてもらってぇ、なんだっけ……ツ、ツーリング? 行ったの〜」
「どこ行ったの?」
「んっとね、横浜行って、あ、ベイブリッジ行ったの。そこがまたすごくってさ。でね。
 んー……なんとか丘公園って見晴らしのいい公園行ってぇ。あっ、そう。すごいきれーだったの。
 エキゾチックっていうの? 横浜ぁって感じで。そこからベイブリッジも見えたよ。遠くから見た方が綺麗だよね〜。
で、中華街に行ってちゃんとしたお店に入ろうとしたらね、『そんな金ない』とか言われちゃってさぁ。
絵里が出すからいいよって言ったら『イヤだ』ってふて腐れちゃってさ……。
結局、あのハロモニでやったじゃん。おっきな肉まん。あれ買って歩きながら食べたの。すっごい美味しかったけどさあ」
「……それで?」
「ズーラシアって動物園あるじゃん。あそこに行きたいって言ったら、『そんなに時間ないだろ』って。
 横浜だと思ってたら、結構離れてるんだって……で、代わりにペアナイトチケットでシーパラダイス付き合わせちゃった♪」
「……すっごい嬉しそう」

 ――ウソだ

「えー? そう? ……別に、そんなこともないけどさぁ」
「絵里?」
「んー?」
「……あ、なんでもない」
「なぁに? 言ってよぉ」
「違うの、ただ……うまくいくといいね」
「えへへ、ありがとー。あ、ちょっとトイレ行ってくるね」
「うん」
127 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 20:57

立ち上がる絵里を見ながら、れいながいたらどうなんだろうって考えた。
絵里に対してとかってことじゃなく、れいなはどうなんだろうってことを。

「もお〜、なんでさゆみがこんな心配してるんだろ……」
「なんの話?」

こんがらがってきた頭の中で、ぼやくみたいに口から出てしまった言葉に低い声で聞き返された。
気がついてみればお店のフロアの方から孝太くんが入ってきたところだった。

「ナイショ」
「なんだ」
「なの」
「亀井は?」
「お手洗い」
「そか」

口数は少ないけど、割と普通にやりとりするくらいには仲良くなった孝太くん。
シンちゃんに言わせれば、『このくらい喋れば上等』なんだそうだ。

「ちょっと、いい?」
「ん?」

そう言ってさゆみがテーブル越しに顔を寄せると、近づいた分だけを腰を退かれた。
こういう人だって解ってても、ちょっとムッとしたりする。

「あの……」
「なに? 内緒話なの?」

孝太くんには珍しく、少しおどけたような話し方。
なにか気になったけど、軽く頷いて話を続けた。
128 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 20:58

「もういいや。聞いちゃえ。……絵里とどうなってるの?」
「なにそれ。どうって……」
「付き合ってるんじゃないの?」
「ただバイク乗せてやっただけだけど」
「だって……ああ〜ん、もう」
「なんだ?」
「そうじゃなくって――」
「なに〜?」

少し大きくなってしまった声に、お手洗いから出てきた絵里の声が重なった。
肝心なことはなにも聞けてなくてモヤモヤしたままだったけど、仕方ないからいつもみたいに笑って返事を返す。

「なんでもないの」
「こーた?」

戻ってきた絵里の確認するみたいな声。
余計なこと話したりしないかちょっと焦ったけど、孝太くんは「なんでもないの」って、さゆみのマネするみたいに同じ言葉を口にしただけだった。
絵里は「似てないぞっ」なんて笑ったけど、すぐに不満そうな顔になってさゆみの横に座った。

「なに話してたのさー?」
「別に、世間話?」
「むー……あやしいっ」
「あやしくないよぉ。絵里と違ってさゆみはメンクイなんだからね」
「悪かったな」
「そんなことないよぉ。こーただってカッコイイもん」

まるで自分のことみたいに嬉しそうにそう言いきった絵里に、二つの声が重なった。

「どこが」
129 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 20:58

一瞬、静まりかえったこの場所に、三人揃って吹き出して笑う声が響いた。
しばらくそうやって笑いあった後、思い出したみたいに「そうだ」って孝太くんが立ち上がった。

「なんか飲む?」
「え? んっと……絵里は?」
「そーだなぁ……オレンジジュース」
「ないよ。んなもん」
「えーっ? ないのぉ?」
「俺に買ってこさせようとしてる?」
「買ってきて♪」
「イヤだ」
「なにおー!?」
「自分で買ってくれば?」

聞いてるこっちがバカみたいに思えてきちゃうようなやりとり。
まぁ絵里が、だけど。
放っておいてもよかったけど、それもどうかと思って話に割り込んだ。

「じゃあさゆみが行ってきたげる」
「えー? そう?」
「……解った。行ってくりゃいいんだろ」
「さっすが、こーた♪」
「さゆみもオレンジ?」
「うん。絵里と一緒で」
「いってらっしゃ〜い」
「……はいはい」

ぶんぶんと音がしそうな勢いで手を振る絵里に、呆れたみたい呟いた孝太くんが裏口へ歩いていった。
それを見送った絵里がニンマリって感じで笑うと「こうなると思った」って楽しそうに言った。

「さゆみも。結局そうなんだろうなって思った」
「ブアイソーだけど、こーたいい人だもん」
「……それはそうみたいだね」
「取っちゃやだよ?」
130 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 20:59

冗談の中に、ほんの少しだけそんな気持ちをにじませて絵里が言った。
その表情は言葉と同じほどの割合の心配も感じられたから、さゆみも冗談めかした言葉に少しだけ気持ちを混ぜて返した。

「取らないよぉ。くれるって言ってもいらない」
「なんだとぉ! それはそれでなんか……」
「はいはい」

子供をあやすみたいにそう言いながら、絵里の頭をぽんぽんと叩いた。
絵里の方が一つ年上なんだけど、あまりそんなことを感じさせない絵里は可愛らしかったりするから。

「もおー、絵里の方が年上なのにっ」
「はいはい」
「ぶー」

頭に思い浮かべたとおりの台詞を口にしながらふて腐れたふりをする絵里に、もう一度そう言いながらぽんぽんってする。
すると今度はホントにふて腐れちゃった絵里が不平を鳴らしながらそっぽを向いてしまった。
こんなのもよくあることで、二人で――三人でもそうだけど――いるときのいつもの、普段通りのやりとりだった。

「もお、ホントやだ。絵里のが上なのに、さゆってばお姉ちゃんみたいなんだもん」
「なんでよぉ、いいじゃん別に」
「やだよぉ。あっ、さゆがじゃなくて。絵里がね。もっと大人になりたいよぉ」
「えー! いいよぉ、絵里は今のまんまで」
「よくないって……」

頬に両手をあてながらふにゃっとした顔で言う絵里は、どうやら本当にそう思ってるらしい。
こうしてふにゃりとした顔でジタバタするのは絵里の癖みたいなもので、それは本当に困ったり焦ったり、考えちゃったりするときの絵里だった。
131 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 20:59

「いいじゃん。絵里は絵里で可愛いもん」
「えー……だって……そっかなぁ」

ぶつぶつ言いながらも照れたように身体をくねくねさせてる絵里。
素直なのはいいことだと思うし、実際そんな絵里が好きだった。
でも……

「さゆみの方が可愛いけど」
「ん?」
「絵里も可愛いけど、さゆみの方が可愛いから」
「むー、さゆ“も”可愛いけど、絵里の方が可愛いでしょ?」
「絵里“も”可愛いけど、さゆみの方が可愛いの」
「またやってんの」

延々と続きそうな言い合いに割って入ったきた二本のオレンジジュース。
絵里とさゆみの間に浮かぶ二本のペットボトルを辿ると、そこには顔を歪めるみたいな苦笑いの孝太くん。

「絵里の方が可愛いでしょ、こーた」
「…………」

満面の笑みで、さも「そうだね」と言われるのが当たり前だというように見上げる絵里を、無言でペシっと叩いて孝太くんがジュースをおしつけた。
放り投げられたペットボトルを落とさないように慌てて受け止めた絵里は、しっかりと掴んだオレンジに口をつけて「んー」と唸るような声。
コンビニの袋を手に離れていく孝太くんを見つめている絵里は、なにを考えてるのかおでこのトコにシワを寄せてる。

「どうしたの?」
「んー、なにが?」
「なんだろ、なんかさ」
「どうもしないよぉ」
「そう?」
「ん」
「ならいいけど」
「なんの話?」

クシャクシャと空になったコンビニの袋を丸めながら孝太くんが戻ってきた。
132 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 21:00

絵里はちらっとこっちに視線を流してから、なんでもないように柔らかな笑顔で「ありがと」と言った。
お礼を言われた意味が解らなくて不思議そうな顔をした孝太くんに、絵里が手の中のペットボトルを指さして「これ」と笑う。

「あぁ、別に」
「ぶあいそ」

なんでもないことだって感じで短く答えた孝太くんに、絵里が同じように短く言い放った。
でもこれは口調とは裏腹に、絵里の甘えみたいなものだって、そんな感じがしたから、ちょっとからかうように口を挟んでみる。

「絵里、なんか楽しそうだね」
「えっ? そぉんなことないよぉ……もっとイッパイ話した方がいいって、さゆも思わない?」
「どーだろ?」
「こんなんですよ、オレは」
「しょうがないよね」
「さゆ〜」
「しーらないっ」
「ま、好きに言っててよ。オレ、仕事戻るから」

そう締めるように言った孝太くんは、背を向けて歩いて行く途中で手に持っていた丸めた袋を、ゴミ箱に落としてお店に戻っていった。
絵里は見えなくなったその背中に向かってイーッてしてみせてまたオレンジを一口飲み込んだ。
絵里がふっと気が抜けたみたいな、「ほう」ってため息を一つ、俯いたはずみのようにもらした。

「絵里」
「……んー?」
「あ、ううん。なんでもない」
133 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 21:00

何を言いたいかよく解らなくなってきちゃって、言いかけた言葉を飲み込んだ。
それを誤魔化すように手にしていたオレンジジュースの残りも一息に飲み干した。
絵里はそんなさゆみのことをじっと見ていたかと思えば、さっきのことを思い出したのか呆れたように口を開いた。

「またぁ……」
「オレンジ」
「うん?」
「美味しいね」
「……そうだね」
「ね」
「……あげないぞっ」

それが今、手の中で空になったオレンジジュースのことなのか、それともそうじゃあないのか。
それは別にどっちでもいいって思った。
ただ、さゆみはみていようって決めた。

大事な仲間だから。
大事な友達だから。
134 名前:間奏2 道重さゆみ 投稿日:2006/12/28(木) 21:00



135 名前:匿名 投稿日:2006/12/28(木) 21:07

全二回に比べて、あまり話が動いてないような気がしますか。
……気のせい気のせい。

>>122
いつもありがとうござます。
今回はどちらでもない方向からですが、どうなんでしょうね。
亀井さんは頑張れる娘です。

>>123
レスいただきましてありがとうございます。
こんなドラマでもやらないかな……みたいな。
でもやったらやったでやきもきしそうな。


えー、ではこの辺で。
読んでくださるみなさまがよい2007年を迎えられますように。
(中途半端でなにを言うか……)
よいお年を。
136 名前:亀かめカメ 投稿日:2006/12/30(土) 22:10
更新お疲れ様です
今回は違った目線からのお話ですね。
お見事です!
来年まで楽しみにして年を越そうと思います
では、よいお年をm(__)m
137 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:39



138 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:39

見つけた
この世界に入って見失っちゃったもの
なくしてしちゃった想い
まだ形にはならなかった心

あの日心に浮かんできた淡い気持ち
なにかあるたびに目で追っていた姿
いつからか見失って……
諦めるように忘れていた

見つけた 春に咲く桜よりも早く
雲みたいにふわふわした想いだったけど
今度はしっかりした形になっていくのが解る
言葉で伝えきれない想いがもどかしくなる
これは……

これはきっと二度目の初恋なんだ
139 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:39



140 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:40

予定通り、早く終わってくれた仕事にウキウキしながら帰り支度。
いち早く楽屋を出て、歩きながら打ち込んだメールを送信した。
まだかまだかって携帯を睨みながら歩いてると、局を出るところでやっと返信がきた。


 今着いた
 一番奥の方に座って待ってる


解っているのに思わずスクロールさせちゃうほど、素っ気ない文章にビックリさせられちゃう。
まぁ、初めて送ったメールにきた返信も、たったの二行だったからこんなもんだろうって思ってたけど。
しばらく表通りを歩いてから裏道みたいな細い路地におれた。
両手を広げれば壁に触れそうな道を、自然と弾むような足取りになって抜けていくと、少しだけ開けた通りに出る。
そこを右に行けばすぐに目的の場所に着く。
待ち合わせの場所、ちょっと隠れ家的なカフェレストラン。
ウインドウ越しにちらっと中をのぞき見たけど、奥の方までは確認できなかった。
帽子を深めに被り直してガラスのドアを両手で押し開けて店内にはいると、すぐに素敵な笑顔のウエイトレスさんが近寄ってきた。
あたしはつま先立ちで奥を見ながら待ち合わせだって言おうとしたら、そのウエイトレスさんは微笑みながら「待ち合わせですか?」って先回り。

「はい」
「ではご注文がお決まりでしたらお呼びください」

離れていくウエイトレスさんにお辞儀をして奥へ脚を進めた。
煉瓦の上にプランターで飾られた間仕切りを回り込んでいくと、すぐに待ち合わせの相手が眼に入った。
141 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:41

「こーたっ♪」

驚いたみたいに慌てて振り返るその顔は……ホントに驚いた顔だった。

「なにそんなにビックリしてんの?」
「……声デカイ。自分の立場とか解ってる?」
「あぁ、そんなこと。ヘーキだよぉ、結構」
「そう……なのか」
「そうなのだ」
「……とりあえず座れよ」
「あ、うん」
「ったく……こんなトコ待ち合わせにして……解りづらい」

勧められて腰を下ろすと、いきなり文句を言われた。
でも、本気で怒ったり、機嫌悪くしてるんじゃないってことくらいは解る。
だからこれは、こーたと絵里のコミュニケーションの一つなんだ。

「だってー、ここのチーズケーキ美味しいんだよ?」
「はいはい」
「なんかね、すっごい濃くて柔らかくてクリーミィなの」
「はいはい」
「こーたも食べよっ」
「オレはいいよ」
「なにおーっ」
「いやホントに」
「むー」
「呼ぶぞ。すいませんっ」

これ以上付き合う気はないらしくって、こーたは話を打ち切って手をあげた。
注文を取りに来たさっきのウエイトレスさんに、あたしのチーズケーキセットと、こーたのコーヒーのおかわりを頼んだ。
142 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:42

すぐに運ばれてきたコーヒーに、こーたが口をつけるのを見ていると、居心地悪そうにしているところがなんだか楽しい。
五分くらいできたチーズケーキをさっそく一口。

「んんーー……っん」
「なに?」
「おいっしいーのっ」
「ふはっ」
「なんで笑うのぉ」
「すっげーうまそうに食うのな」
「……いいじゃん」
「別に悪いなんて言ってない」
「ふーんだ。あ、そぉだ。んっ」

口にくわえたフォークで大きく一口分、ケーキを切り分けて、カツってお皿にあたって音がするまで刺す。
浮かせたフォークにしっかりと刺さっているそれをこーたに差し出した。

「なに?」
「あーん♪」
「バッ――、いいよ、そんなん」
「あーーん♪」
「イヤだ」
「…あーんっ!」
「…………」
「大きな声出すよ」
「……困るのはそっちだろ」
「絵里は困んないよ? はい、あーん♪」
「…………」

渋々口を開けたこーたに「もっと、あーんして」と、笑いを堪えながら言うと、諦めたみたいに大きく口を開けてくれた。
意外に綺麗な歯並びしてる、なぁんて思いながら、落とさないようにケーキを口の中へ放り込んだ。
もぐもぐと味わうこーたを見つめて、なんか少し幸せな気分になる。
143 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:43

「おいしーでしょ?」
「……うん」
「ほらぁ〜」
「解ったって。だから早く食っちゃえよ。どっか行くんだろ?」
「んぐ……んー、こーたさあ、横浜行ったことある?」

口の中のケーキを飲み下してなにげなく聞こえるように言った。
こーたはなにか感じたのか、それともただ思い出そうとしてるのか、ちょっと考えるような仕草をしてから口を開いた。

「あるけど」
「連れてって」
「拒否権は」
「…………」
「解ったって」

えっへへー、少し解ってきた。
あんましグイグイ言うよりも、ジトっと遠回しに見つめたりする方が効くみたいだって。
そんなこと考えながらこーたを見ると、半分くらいまで減ったコーヒーに目をおとしていた。
なんだろう、こーたの癖なのかな。よくそうしてる気がする。
お店での休憩をとるときにも、こうやってカップに目をおとしてることが結構あったかもしれない。

「ん?」
「あぅ」
「何見てんだよ」
「……えへへ」
「別に可愛くないぞ」
「またまたぁ」
「ったく……早く食っちゃえってば」
「はぁい」
144 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:44

ちょっと惜しいけど、残りのチーズケーキを大急ぎでパクついて、少しになった紅茶を一息に飲み干した。
こーたはちょっと笑って、同じように残ったコーヒーを一気に飲み込むと、伝票を持って先に立って歩き出した。

「行くか」
「ん? おごってくれちゃうの、こーた」
「これくらいならな」
「んふふ♪」

含み笑いを洩らしたあたしに、なにか言いたそうにしていたこーただけど、考え直したのかそのまま前を向いて歩き出した。
表に出てお店の脇へ歩いていったコータの後に着いていくと、来るときには気がつかなかったこーたのバイクが停めてあった。
例の古めかしく見えるアレ。
でも、こーたが大事にしてるアレ。

「ほら。二度目だからウダウダ言わなくても解るだろ」

手渡されたヘルメットをかぶってあごのトコでしっかり留める。
少しサングラスみたいに色のついた視界の中で、こーたがエンジンの様子を見るみたいに軽くヴォンヴォンって鳴らしてた。

「乗って」
「おー!」
「テンション高ぇよ」
「いいじゃん、楽しいんだもん」
「そーですか。落ちんなよ、行くぞ」
「うん」

言うと同時にこーたの腰に回した手に力を込めて、少し大きな背中にギュッとしがみついた。
軽快に走り出したバイクは、一度乗せてもらったからか前よりも慣れた感じがして、明るい日差しの下で流れていく街並みを見るのはとっても楽しかった。
どれくらいだろう、一時間を少しくらい過ぎたとき、遠くにベイブリッジが見えてきた。
ふと見てみれば、なんか橋を渡ってベイブリッジの方へ近づいていく。
145 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:44

「わっ……」

みるみる近づいてくるベイブリッジは、近くまできすぎるとなんだか解らないものに見えてくる。
不意に止まったバイクは少し斜めに傾いて、そっちに気を取られてたあたしは危うく転げ落ちそうになった。

「あっぶなっ……急に止まんないでよぉ」
「ここ。目的地の一つだよ。こんなとこでどうよ?」

ヘルメットを取ってこーたが言った。
言われてバイクから降りたあたしはまじまじと周囲を、そして上の方へ目をやった。

「ここ?」
「ここ。行くぞ」
「あっ、待ってよぉ」

あたしの手から取ったヘルメットと、自分のヘルメットをバイクにくくりつけたこーたが歩き出した。
慌ててその背中を追って歩くと、ガラス張りの大きなビルに入っていく。

「スカイタワーって言うらしい」
「ふうん……」

エレベーターで上へあがっていくと、どんどんと周りの景色が変わっていく。
港や海を見下ろす風景はなかなか素敵なものだった。
最上階についたエレベーターを降りて、どんどん歩いていくこーたについて歩く。

「周り見てみ」
「んー?」

言われたとおり窓側へ寄ってみると真下に海が見えた。
海の上を歩いてるみたいで……あ、海の上なんだけど。
いざこうやって見下ろすと、それはそれでまた違った感覚が湧き上がってくる。
146 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:45

「うわっ、うわうわうわ……」
「上、ベイブリッジだってさ」
「へぇ……って、ワカンナイよっ。裏側じゃん」
「そりゃ下なんだから当たり前だろ」
「そーだけど……でさ、これ、どこまで歩くの?」
「ずっと向こう」
「遠いね」
「そうでもないさ」

見晴らしのよさはともかく、結構な距離を歩いてみれば、そこはラウンジみたいな場所になっていた。
そういえば“スカイラウンジ”って書いてあったっけ。

「望遠鏡、タダだってさ」
「うっそ!? そうなの? すごーいっ」

平日の昼間だからか、見た限りほとんど人がいないこの場所は、まるでデートのために貸し切られたみたいで、少しぐらいはしゃいでも平気そうだった。
パタパタと靴を鳴らして望遠鏡に飛びつくと、その向こうは横浜方面だったらしい。

「こーたこーた! すごいの、ランドマークタワーだよ。あれ、なんだっけ、スイカ切ったみたいなの」

望遠鏡を覗きながら後ろ手にこーたを呼んだ。
見てないから当たり前だけど、見えない後ろの方から「インターコンチネンタルホテル」って声がした。

「観覧車! 乗りたい!」

振り向いてすぐ後ろまできていたこーたにねだると「休みだぞ」って一言。

「なんで!?」
「オレに言われても」
「ウソでしょ?」
「ホント」
「またまたぁ」
「よく見てみ。動いてないだろ」
「……やーん」

そう言われて改めて望遠鏡の世界を確認したとき、あたしの口から洩れたのはそんな言葉だった。
147 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:45
呆れた目でこっちを見ていたこーたが、やれやれって仕草で口を開いた。

「じゃあ次行こう」
「どこ行くの?」
「……内緒」
「こーた……イジワル」

ぶつぶつ呟きながらこーたの後についてバイクのところまで戻った。
次の場所ってトコへ向かうバイクに揺られながら、ベイブリッジっても上を通らなきゃなんでもないなってことを思った。
それでも異国情緒? あふれる港町を、風を感じながら走っていくのは心地よい経験だったことに違いはない。
横浜あたりに入ってから、なんだか坂を上ってばかりいる気がする……そう思ったら急にスピードが落ちて、ゆっくりとバイクがとめられた。

「ほい。到着」
「……公園?」
「観光スポットだそうだ」
「ほえ? ふむ……」
「なんだよ? ほれ行くぞ」

さっさと歩いていっちゃうこーたの背を追いかけながら“観光”ってトコがひっかかるけど、まぁ許してやろう。
そう考え直して、ぶら下がるみたいにこーたの肩にしがみついた。

「待てっ♪」
「うおっ!? なにしてんだよっ」
「いーじゃん。カタイこと言わないで」
「歩きにくいっつーの」
「ぶー」

そんなイヤがんなくてもいいじゃん、って文句を言ったけど、お構いなしに歩いていくこーた。
仕方なしにその後を、後ろ手を組んで口をとがらせながら歩いた。

「なに下向いてんだよ」

立ち止まったこーたのクツが眼に入る。
148 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:46

「おーい」

少し困ったような口調になってるのが解る。

「亀井ってば」

“亀井”じゃないって言ってるのに。

「……絵里。前向いてくれってば」

何度目か、呼んでくれた名前は、今度もまた照れくささでイッパイな声だった。
それがおかしくって、あたしは小刻みに身体を揺らしながらゆっくりと顔を上げた。

「ぅぁ……」

こんな近くにくるまで気がつかなかったなんて……ビックリしてうめくみたいな声しか出せなかった。
目の前が一面の花々で埋め尽くされていた。
そしてその向こうに歴史を感じさせるような洋館。

「どっかよその国みたい……」
「もう少し後なら、桜も咲くし、夏前にはバラがすごいんだって。気に入ったか?」
「……あ、うん」
「そうでもないみたいだけど」
「えっ? そんなことないよぉ。ただ、ビックリしちゃって」
「オレがこんなトコ知ってるのが?」
「……あはっ、それもあるかな」

そんなこと考えてたわけじゃないけど、それも気にならないこともない。
あたし以外の誰かときたのかなって、やっぱりそういうことも考えたりしちゃうわけで。
149 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:46

「浮気だ!」
「…なにがだよ」
「絵里以外のオンナと来たのね!」
「不合格。棒読みすぎ」
「なんだとぉ」
「……あれで走り回ってるからな。情報も入ってくるし、色々なところにも行ってんだよ」
「ふうん」

咲き誇るような花々と、若々しい蕾たちに囲まれた庭園のような場所を歩いていくと、展望台みたいなところに出た。
高台にあるこの公園からは、今通ってきたベイブリッジも、その周辺の港や船たちも見下ろせた。

「すっごいぃ……ホントに港が見えるんだね」
「だな」

景色に見入ってたあたしの横に、並ぶように手すりに身体をもたれさせたこーがが言った。
吹きつける風に目を細めているこーたの横顔は、あたしにとってこの風景よりも大切なものだって……そんな気持ちがふいに浮かび上がってきた。
身体に満ちてあふれていきそうな“スキ”って気持ち。
そのとき、頬に何かが当たるのを感じた。

「ん?」
「お?」

二人揃って上を向いて「雨だ」って綺麗にハモった。
前触れもなく急に降り出した雨は、そうしてる間にも地面を黒く濡らしていく。
そしてザーッと激しく大きな雨粒が身体を濡らしだした。
150 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:47

「わっわっ! 雨っ!」
「バカっ、解ってるよ。こっちこいっ」

こーたがあたしの腕を掴んで強く引き寄せて走り出した。
ちょっとビックリしたけれど、引かれるままについて走って、すぐに屋根のあるテラスになっている場所で雨宿り。
少しドキドキしてるのは、雨のせいでも走ったせいでもなくて、ちょっと痛いぐらいに強く掴まれている腕のせいだ。
それを感じたわけでもないんだろうけど、急に腕を放したこーたが横を向いてしまった。
なんとなく惜しいような、寂しいような、なんかそんな感じ。

「はぁ……ちょっと座ろ」
「あん? あぁ、座れば」
「じゃなくってぇ。座ろ?」
「解ったよ」

すぐそばにあったベンチに座ったあたしから、一人分ほども離れて座るこーたは前を向いたままで。
こーたを見つめてるあたしと目を合わさないようにしてるみたいに頑なな姿勢。
あたしは気づかれないように、そっとその距離を詰めて、雨のカーテンの向こうに港を見ながら一人で小さな満足感にひたることにした。
するとこーたがピクリと身体を震わせた。
バレたかなって思ったとき、近づいてくる人の姿に気がついた。
誰もいなかった園内に見えた人影は、一つの傘を差した髪の白くなった老夫婦だった。
それは寄り添って歩く、とても仲の良さそうな二人の姿で、近づいてくる奥さんだろう女性がこっちに気がついたみたいだった。

「まさかバレたんじゃないよな?」
「絵里たちのことなんてしらないよ。きっと」
151 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:47

小声でそんな会話を交わしていると、二人はそのまま近づいてきて、すぐそばのベンチに腰を下ろした。
優しげな笑顔で会釈をされると、お祖母ちゃんをみてるみたいで思わず「こんちにわ」って挨拶を返していた。

「こんにちわ」
「おい、邪魔をしちゃあいけないよ」

挨拶を返してくれた奥さんに、旦那さんが窘めるように話しかけた。

「あっ、全然いいですよぉ」
「申し訳ないですねぇ」
「そんなこと……」

謝ってきた旦那さんにこーたが当惑したように口を開いた。
すると奥さんの方は、また笑顔になって話しかけてきた。

「急な通り雨ねぇ」
「そーですね。少し濡れちゃいました」
「あらあら、タオル持ってますからお拭きなさいな」
「あっ、ヘーキですよぉ。ホンのちょっとだから」
「風邪ひいちゃわないかしら」
「平気ですよ。なんとかは風邪ひかないって言うじゃないっすか」
「バカじゃないもん。こーたのバカ」
「うふふ、仲がいいのね」
「別に、そうでもないっすけど」
「お付き合いしてるんですか?」
「いやっ――」
「そーなんですぅ。そう見えますか?」
152 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:48

否定しようとしたらしく口を開きかけたこーたを遮るようにして話に割り込んだ。
旦那さんはニッコリと笑って「ええ」と言ってくれた。

「よくお似合いだなと思ったんですよ」
「そ、そぉですか? んふふ……だって、こーた♪」
「…………」

目を細めて話す奥さんの言葉に、思わずにやけてしまいながらこーたに肩を寄せた。
こーたは居心地悪そうに、それでも避けこそしなかったけれど仏頂面で黙り込んでしまった。

「ほら、彼が困っているじゃないか」
「あら照れてらっしゃるのよ」
「そうなの? こーた」
「……知らねー」

言葉に詰まった末に出したこーたの声にあたしも、二人も、声に出して笑ってしまった。
しばらくそんな会話をした後、弱くなった雨にテラスを離れていく二人を見送って、あたしはこーたの様子を窺った。
そっぽ向いたこーた表情は見えないけれど、もしかしたらホントにふて腐れちゃったんじゃないかって心配になったから。

「こーた……怒った?」
「……あ?」
「黙っちゃうし、そっぽ向いてるし……」
「んー……別にそんなんじゃない」
「ホントに?」

まだこっちを見ようともしないこーたに問い返す。
落ち着かなげにそわそわと指を動かしてるこーたは、思い切ったようにすごい勢いでこっちを向いてくれた。
153 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:49

「な、なに……?」
「亀井さぁ、なんであんなこと言うんだよ」
「なんのこと?」
「その……付き合ってるとかって」
「だってぇ」
「だってじゃねぇよ」
「こーた、もしかして照れてたの?」
「バッ……違うっ」
「照れてたんだ……んふふ。可愛いの」
「違うっつってんだよっ」
「うへへ…うりうりぃ♪」

肩をぶつけてからかってやると、急に避けるみたいにしてこーたが立ち上がった。
危なく倒れ込みそうになるところをなんとか踏みとどまってバランスを取る。

「雨もやんだし、腹減ったな。なんか食おう」

言われて気がついてみれば、ホントに通り雨だったようで、すっかりやんでしまった空は青空を取り戻してた。
それよりも……だ。

「ごまかしたぁ!」
「食わないのか」
「あぁん、食べるよぉ」
「なに食いたい?」
「中華街!」
「こっからすぐだしな。行くか」
「うんっ」

丘を下ってすぐのところにバイクを停めて、川を一本渡るともう中華街がすぐそこにある。
ホントにこんな近くに、これだけ色彩の違う場所があるなんて、東京ではそう見られないことだって改めて思う。
朱雀門って書いてある、いかにも中華街的な門をくぐると、世界はすっかりチャイナタウンに様変わりをしていた。
154 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:49

「ねっねっ、なに食べる? 絵里は個室かなんかでフルコースとかいいと思うんだけどなぁ」
「……バカ」
「えー!? なんでよぉ」
「そんな高いトコで食えないっつーの。そんな金無いし」
「じゃあ絵里がだすから。ね? 行こうよー」
「……イヤだ」
「なんでよぉ。せっかく中華街きたんだもん、いいじゃん」
「絶対にイヤだ」
「ぶー」
「そんな風にされても……」

あたしがふて腐れてみせると、こーたは顔をしかめてぼそぼそ呟いていた。
聞き取りづらかったけれど、それはなんとなく意味が解って、男の子ってそういうものなのかって思わされた。
だからあたしは笑顔を作って、こう提案してみることにした。

「じゃあさ、絵里おまんじゅう食べたいな」
「まんじゅう? 中華まんとか肉まんっていう、あの?」
「そー」
「そんなんじゃなくても、普通のトコでならいいんだけど」
「ううん、肉まん買って、食べ歩きたい」
「……いいけど」
「じゃあ決まりね。行こっ」
「おっ、おい……」

こーたの腕を引っ張って、しばらく歩くと目的のお店が見えてきた。やっぱり間違いじゃなかった。
前に見た覚えがあったから、多分そうだって思ってたんだ。
“横浜大世界”
番組で取り上げたことのあるところだから覚えていたんだ。
でも、今日はここじゃなくて、ここからなら教えてもらった場所が解るって話。
ガキさんにお勧めされたおっきな豚まん屋さん。
155 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:50

「これ」
「デカッ」
「買って♪」
「……了解」

お店の前は結構な人だかりが出来ていて、さすがにあたしは入っていくのが怖かったから、こーたにお願いした。
こーたは買うか買うまいかしてるのかでお店を取り巻いている人垣をかきわけて姿が見えなくなってしまった。
少し離れた場所で見てるあたしからは、どうなってるのか全く解らなかったけど、待つこと十分くらいだろうか。
少し疲れたような顔をしたこーたが、両手で大事そうに紙の包みを抱えて人混みから抜け出てきた。

「お疲れー」
「すっげぇのな。ほれ」
「ありがとぉ」

受け取ったそれは間違いなく、あの豚まん。
それを顔の前にかざすと完全にこーたの顔が見えなくなる。

「ほらほら」
「なに? まんじゅうのデカさを言ってるのか、亀井の顔が小さいって言いたいのか、どっちだよ」
「えー……両方、かな?」
「なに照れてんだか」
「えへへ」

おっきな豚まんに一口かぶりついて歩き出すこーたを、小走りで追いかけていく。
横に並んだこーたの顔をみて、ようやく歩くスピードを落としてあたしも一口かぶりついた。
156 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:50

豚まんを食べながら中華街を歩いて、買いもしないのに色々な雑貨を見てはしゃいだ。
あるお店で綺麗なストラップが目に付いた。

「七宝焼開運ストラップ、かぁ……これくらいならいいよね」

こーたに聞いてみようかと見上げたら、ここに気がつかないで先を歩いてしまっていた。
もう、って思ったけれど、確認しなくてもいいだろうと、色違いをお揃いで二つ買うことにした。
手早く支払いを済ませて、二つを別の包みに入れてもらい、急いでこーたの後を追いかける。
少し先で気がついたらしいこーたが、走っていくあたしを見つけて苦笑いしていた。

「こーた早いよぉ」
「そっちが遅いんだって。なんか買ったの?」
「うん」
「なに?」
「ナイショ」
「……やれやれだ」
「なにがよぅ」
「んにゃ、行こう。前歩けよ」
「え? なんで」
「……後ろ歩かせてたらどこ行くか解らねーからな」
「んー……あっ、うん」
「なに笑ってんだよ。さくさく歩け」
「はいはぁい」

こーたの後ろ姿を見ながら歩くのもいいけど、後ろで見ててもらえるっていうのもいいなって思う。
ホントは並んで、腕なんか組んで、横顔を見ながら歩きたいんだけどな。
きっと今、こーたがあたしを見たら、また「なに笑ってんだよ」とか言われるに違いないなぁ。
表情を引き締めるのに苦労してるなんて……
157 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:51

背中を意識して歩きながら、このお店、次のお店って見て歩く。
なかなか見ないような派手な色彩のものだったり、中華街だなって感じられる様々な品々に手を伸ばしてみる。
そんなときだった。
愛らしいパンダの箸置きを手にしていたあたしの後ろで「あれ、どっかで見たこと無い?」って声が聞こえたのは。
それに気がついたあたしは一瞬身体をこわばらせて、逃げようかどうしようか決めかねていた。

「おい」

いつの間にそこにいたのか、すぐ後ろ、声との間に割り込むようにこーたの声が聞こえた。

「振り向くな。バレてるみたいだから……なんでもないふりして歩け」
「でも、こーたは……」
「ちょっと邪魔してく。バイク停めたトコ、解るよな?」
「……うん」
「よし。どっかで曲がるまでは振り向くなよ」

あたしは小さく頷いて、手にしていたパンダを置いて立ち上がった。
後ろで話しかけてくるような声が聞こえたけれど、気がつかないふりをして歩き出した。
すぐ手前にある路地へ折れて、チラリと後ろを振り返る。

追いかけてくるような人は誰も来てないみたいだった。
それに少しだけ安心しながら人混みを縫うように小走りで角を曲がっていく。
動き回りすぎて少し迷ったけれど、なんとか最初に通ってきた朱雀門まで戻ってこれた。
ちょっとずれてしまった帽子を被り直して後ろを振り返って考える。
158 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:51

「もど……ってもしょうがない、か」

そう諦めてトボトボとバイクを停めてある場所に向かって歩き出した。
さほど時間もかからないで見つけたバイクは、同じように停めてあったハズの何台かが無くなっていてポツンとして見えた。
辺りを見回してもこーたらしい人影はなくて、持ち主のいないあのバイクがなぜだか寂しそうだった。
独り同士で寄り添うみたいにバイクに身体をあずけてみた。
風にさらされていたバイクは少し冷たいけれど、そうしているうちにだんだんと冷たさも薄らいでくる。

「こんなこと、これからもずっとあるのかなぁ」

これからも……もしもあたしといてくれたら、こーたはずっとこんなことを気にしてかなきゃいけないんだろうな。
それってきっと、とても大変なことなんだろう。
もし付き合ってバレちゃったらどうなっちゃうんだろうとか、よくないことばかりが頭に浮かんでくる。

 ――でも……

だけど……それでもやっぱりこーたといたい。
もう縁がないと思ってて、それでもこうしてまた会えた。
そして昔よりも強い想いに気づいちゃったから……一緒にいたいよぉ。
あの公園で会ったおばあさんたちみたいに、髪が白くなっても寄り添って歩けるような。
そんなこと望むのは間違ってるのかな……
159 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:52

「寝てんのか?」

深く思いに沈み込んでいたあたしに降ってきた声は、いつものようにぶっきらぼうだけどあったかい。
バイクにあずけてた身体を起こして顔を上げると、真顔で見つめてくるこーたと目があった。

「だいじょーぶ?」
「なにが? 亀井の方こそ大丈夫か? 疲れてんじゃねえの」
「……ううん、へーき」
「そっか。疲れてんなら帰った方がいいと思ったんだけど……」
「やだっ」
「やだって……そりゃまだ日も落ちてないから構わないけどな。どっか行きたかったのか?」
「え? えっとぉー……あっ、あそこ行きたい! あの……動物園、あったじゃん」
「動物園? どこだ? ……野毛山のことか?」
「のげやま……? 知らない。そーじゃなくって」
「違うのか。どこだ? あ、もしかしてズーラシアか?」
「それだっ! そう。行きたいっ」
「ズーラシアねぇ……今日はよそう」
「えー! なんでよぉ」
「結構遠いんだぞ? 入ってもほとんど見れない」
「……そーなの?」
「詳しくは知らないけど、動物園って夕方までだろ」
「あー…そっかぁ。じゃあイルカ見に行こっ?」
「イルカ? あぁ、八景島か。ならそうすぐでもないけど時間もなんとかなるかな」
「レッツゴー♪」
「……はいはい」

いかにも渋々行きますよって感じを見せつけながら、でも少し笑顔でこーたがそう言ってヘルメットを掴んだ。
後ろに跨って走り出すバイクに揺られながら、次第に日が落ちて景色が朱に染まっていく。
時間が無くなっていくのは残念だけど、これはこれで素敵な風景だなって思った。
春も早い時期だしそう日が長いわけでもなくて、夕焼けはあっという間に朱から暗い蒼に移り変わっていく。
それでもこーたが言ったとおり、まだ夕日の名残が見えているうちに八景島にバイクを滑り込ませることができた。
ちょうどいいって言うべきなのか、時計が五時を廻っていたおかげでナイトチケットでアクアミュージアムに入ることが出来たからよしとしよう。
160 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:52

パンフを手に先を歩くこーたは、真っ直ぐにアクアミュージアムへ向かいながら振り向いてきた。
一瞬、シャツの裾を掴んでるのがマズかったかなって気にしたけれど、こーたの口から出たのは全く違うことだった。

「ところで水族館だけで良かったのか?」
「んー? なにが」
「アトラクションとかあるじゃん」
「……ホラ、時間ナイでしょ」
「まぁ、そうだけど」
「また今度連れてきてよ、ねっ? うん、そうすればいいんだよ」
「……?」
「な、なぁに?」
「もしかして、絶叫系ダメなのか?」
「なっ、な、なに、なに言ってんの。んなわけないじゃん」

声が裏返るのを隠しきれない。
そう。元々得意じゃないんだけど、特にここはイヤな思い出があるの。
前に番組できて……あ、思い出しただけでクラクラしそうになる。
あんなのもう、絶対乗らないんだから……

「ほお……」
「なに笑ってんのぉ?」
「イヤ、覚えておく」
「やだ、ちょっと待って、ホントにダメなんだってばぁ」
「解った解った」
「う〜……」

口では「解った」なんて言ってるけど、顔は全然そんなこと思ってないって顔してる。
珍しくニヤニヤ笑いながら前へ向き直って歩いていくこーた。
しゃくに障るけど、なんかちょっと嬉しい。あ、でもやっぱり絶叫マシンは怖いよぉ。
161 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:53

シーパークに入ってからアクアミュージアムまで、結構長く歩く道のりも、そんな話をしながらだと意外と早くついちゃうもんだった。
あまり時間がないってこともあって、中に入ってもそんなにゆっくり見てはいられないけど。
それでも気持ちよさそうに寝ているシロクマや、ヒョコヒョコ歩くペンギンには、きゃあきゃあ声を上げて見入ってしまうだけの可愛らしさがある。
そして天井まであるみたいな大きな水槽に囲まれた通りを抜けると、すっごいきたかったトコ、アクアチューブってトコに繋がる。
前にきたときは、ココは見てる時間なんて無かったから。
絶対またきたいって思ってたんだぁ。

「…うわ……きゃ――もごぉ」

いよいよ海の中を上がっていくようなエレベーターにきたとき、あたしの口から零れ出そうになった歓声が強引に押しとどめられた。
あたしの口を塞ぐ手を目で辿ると、こーたが困った顔で見つめてきていた。

「頼むから騒ぐな。結構人がいるんだから、目についちゃうだろ」
「…………」

周りを気にして小声でささやくこーたに、押さえられた口元で自由のきかないまま小さく頷いた。
妙に胸がドキドキするのは息苦しさのせいじゃなくて、間近にあるこーたの顔のせいだ。
まだ口元を押さえている手を通して、このドキドキがこーたに伝わっちゃうんじゃないかって気にさせられるくらい。

「んんー」

手のひらに吐息を吹きかけるように息苦しさをアピールしたら、やっと手を離してくれて大きく息をつけた。
気まずそうなこーたになんでもないよって笑ってみせると、なにか言おうとするみたいだったのに途中でやめて、あたしの頭をポンポンとそっと叩いた。
それはなんだかくすぐったいけれど、悪くない気分だった。
残り時間が少なくなってきてることもあって、早足でミズクラゲやタツノオトシゴなんかを見て、屋上には何故かフラミンゴなんかがいて驚いた。
可愛かったけど結構大きいのにあたしはビックリした。こーたはビックリしなかった。なんかムカつく。
162 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:53

「可愛いよね、こーた」
「そーだな」

人の少なくなってきた水槽の前でなめらかに踊るように泳ぐイルカに釘付けになる。
ふいに首を巡らす――首、あるのかな?――ように水槽のガラス側へ顔を向けたイルカと目があった。

「ほらっ、こっち見てる!」
「そうか? 気のせいだろ」
「絵里のこと覚えてるのかもしれない!」
「はぁ? 来たことあんの?」
「うん……ロケで少し」

言葉の後半は、こーたに顔を寄せてささやくようにナイショ話。
同じように小さな声でココにロケにきたときのことを簡単に話してあげた。
……ブルーフォールで死ぬかと思ったほど怖かったことはナイショにしておいたけど。

「ふうん」
「あんま見ない?」
「仕事あるし。見たことはあるけど」
「そっか……でもあるんだ」
「……なに嬉しそうな顔してんだよ」
「んー? そっか。そりゃさ……や、頑張ろっと」
「なんだよ。見てるって言ってないぞ。見たことはあるって言ったんだよ」
「いいからいいから♪」
「っ……」

どれくらいかは解らないけど、見てくれてるってことだけは解った。
勿論、毎回見てくれてるなんて思わないけど、ただ見てくれることもあるって解っただけで充分だ。
いつもが手を抜いてるなんてワケじゃないけど、それなら、より頑張ろうって思えた。
そうしている間に閉館の時間になって、必然的に足は駐車場へ向かうことになる。
ロケできたときと違って夜の八景島は、その夜景や島の中、様々なイルミネーションで飾られて、すごくロマンティックなムードになっていた。
163 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:54

「こーたぁ」
「お? どーした、疲れた?」
「んーん。そうじゃなくて」
「なに?」
「あのね……んっと……」
「どうかしたか?」

前を歩いてたこーたが立ち止まって振り向いた。
灯りに照らされて少し影になってるその顔は、どこか心配げに見えた。
ハッキリ言おうとしたけど、それも恥ずかしくって。
そうじゃないよって、そう言いたかったけれど、それもなにか違う気がした。

「やっぱいい」
「なんだよそりゃ」
「……えへへ」
「ヘンなヤツ」
「なにおぅ」
「帰るぞ」
「……はい? えっ、帰るの?」

前を向いて歩き出したこーたの声に、一瞬、自分の耳を疑った。
帰るには早いんじゃないかって。
164 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:54

そう聞き返したら、あたしの反応はあらかじめ予想済みだったみたいで、当たり前そうに振り向いてこう言ってきた。

「帰るさ」
「なんでっ」
「前んとき遅い時間だったろ? また遅くまで引っ張り回してたんじゃ心配するだろ」
「だって、こないだは送ってくれただけだし、今日は絵里が頼んだんだし……」
「普通の親はそう思わねぇよ」
「普――あっ、……でもぉ」
「でももなにもない。オレの気が済まないんだからダメ」
「えー……」
「ほれ、行くぞ」
「……ぁい」

なにを言っても無駄らしいって感じて、すっごい哀しいけど言うことを聞くことにした。
これ以上粘っても、さっさと歩いていっちゃいそうで、しぶしぶ後について歩きながらそっと手を伸ばす。
シャツの裾をキュッと掴んで、ほんの少しの安心感に代えさせてもらって歩く。
こーたはそれに気がついたみたいだけど、なにも言わないで歩くスピードを落としてくれた。
そうやって一緒にいられる時間を惜しむみたいにゆっくり歩いて、少し薄暗い駐車場で慣れてきたヘルメットを渡された。

数分後、あたしはこーたの背中にしがみついて夜の街へ向かって走り出す。
一時間くらい前に見た夜景より闇が深くなって、いっそう目を引くハズのイルミネーションが寂しいモノに感じられた。
最初に乗せてもらったときは気がつかなかったけれど、やっぱり夜だからなんだろうか、こーたの背中が少しだけ緊張しているみたいだった。
そう感じたあたしは、こーたの腰に回した手に力を込めた。強すぎないように気をつけて。
今、考えている全部が伝わればいいのに。
そう思いながら。
165 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:55

過ぎていく時間とともに、否応なく家への距離も縮まっていく。
もう自分でもどこを走っているのか解るくらいに近くまできていた。
やがて前に送ってもらったときと同じ場所で、こーたはゆっくりとスピードを落としてバイクをとめた。
二人で夜風に顔をさらしながら、家までの短い距離を歩きだそうとしていた。
ちらりと横を伺っても、こーたはバイクを押して家の前まで送ってくれるつもりみたいだった。

「こーた。ココでいいよ」
「あん? ……どうせもうすぐだろ」
「すぐだから。いいよ」
「……ちゃんと送ってく」
「いいってば。その代わりじゃないけどさあ……」
「ん?」

不思議そうな顔で短く答えたこーたに、あたしは黙って行動で応えた。
高鳴る鼓動を押さえようと努力して、少しだけ上を向いて静かに目を閉じて待つ。

「……亀井」

驚いたようなこーたの声が聞こえた。
166 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:55

あたしは目を閉じたままで、ほんのちょっと踵を浮かせて待っていた。

こーたが息をのむ音が聞こえたような気がした。

あたしは待っていた。

こーたのクツが地を摺る音が聞こえた。
顔の前に気配を感じる。
小さく息をのんだ。
くしゃりと帽子越しに伝わる手の感覚。

「亀井……」

すぐそばで聞こえた声に目を開けると、こーたは困ったような顔であたしを見つめていた。
頭に置かれたあったかい手が帽子越しになでるように動かされた。

「こーた……?」
「いや、その……送ってくよ」
「……うん」

一瞬、とってもイヤな言葉を聞かされるのかもしれないって身体を硬くしたけれど、こーたの口から出た言葉はそうじゃなかった。
こーたがなにを思ってそうしたのかまでは、あたしには感じ取れないし解らなかったけれど。
その声は、いつも通りの無愛想なモノだったけど、今までと変わらないあったかさも感じられた。
嫌われてるのかもって想像は、心臓に針を刺されるくらい痛いモノだけど、そうじゃあなかったから。

だから……
だから今は、それだけでいいって。
そう自分を納得させて家までの道をこーたと歩いた。
167 名前:桜の時 投稿日:2007/01/07(日) 21:55



168 名前:匿名 ◆TokDD0paCo 投稿日:2007/01/07(日) 22:00

というわけで、あけましておめでとうございます。
新年一回目の更新『桜の時』です。

これを読んでくださる方はいかがお過ごしでしょう。
作者めは発熱で完全にダウンなお正月でした(^^;)

>>136
いつもありがとうございます。
やはり読んでいただけると思うと励みになるものです(^^)
さて、亀井さん、こうなってますがいかがですか?


では、また来週末辺りに。
169 名前:亀かめカメ 投稿日:2007/01/10(水) 00:25
おぉぉぉ〜!!!
いい感じじゃないッスか!
大人のような子供のようなとういうカメちゃんが
目に浮かんできました。
続きを楽しみにしてマース
170 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/01/19(金) 17:25
亀ちゃんかわいすぎ!!
なんかこちらが照れてしまいます。
続き楽しみです!
171 名前:匿名@携帯 投稿日:2007/01/29(月) 21:14
すいません。諸事情によりネットに繋げない作者です。
もう少し今の状況が続きそうなので……

長文更新はつらい現状です。

ですので……なんというか、その場凌ぎ的なショートショートを一つ。

172 名前:LoveSong after - ずっと 好きでいいですか? - 投稿日:2007/01/29(月) 21:21



173 名前:LoveSong after - ずっと 好きでいいですか? - 投稿日:2007/01/29(月) 21:22

きっかけは些細なことだったの。
よくあるスケジュールの変更が、翌日丸一日がポッカリ空くという事態を作ってくれて。
だけどその日は彼は仕事で、急なことで休みも取れないって言われてしまった。
それは仕方がないことだって解っているけど。
ちょっと甘えるみたいに拗ねてみせたのがいけなかったんです。

「ちょっとくらい無理してほしいなぁ、なぁんて思ってたらどうする?」
「そう思ってたとしたら? 叶えてあげたいけどね。でもごめんとしか言えないよ、やっぱり」

まるで用意されてた答えみたいにさらっと言われて、そんなつもりじゃないってことだって勿論解ってたのに。
解ってたのに、それでもつい言い返すような言葉を口にしちゃって。

「うん、ごめん。明日はホントにどうしようもないから。友達と買い物とかして楽しんでよ。
 そんな気にならなければゆっくりしててくれてもいいし。夜まで待ってくれれば食事とかには行けるけどね」

苦笑しながら受け流してくれる余裕が悔しくて、時々するケンカ――一方的に拗ねてるだけなんだけど――と同じパターンになってしまった。
今にして思えば……というか、いつも後になって思えば、なんであのときあんなこと言っちゃったんだろうって、そう思うんだけど、そのときはつい……

翌朝も、ベッドで背中を向けてるわたしに出掛けに声を掛けてくれたのに、寝たふりで送り出すという子供じみたマネをしてしまった。
一人残された朝日が差し込む部屋の中で、「ホントに行っちゃった……」なんてまだ拗ねた独り言を口にしたりして。
だからといって言われたように買い物に、とか表へ出る気分にもなれなくて、ウジウジしたままで一人の時間を過ごしていた。

観るものもないのにテレビをつけて、ポチポチとチャンネルのボタンを押してみて、結局つまらなくて電源を切る。
することがないけれど、お腹もすかないけれど、気が紛れるかもしれないとご飯を作ってみる。
時間をかけて作っただけあって、なかなか見栄えのする食卓になった。
けれど一人で食べるご飯はやっぱり味気なくて、休日に一人でいる淋しさが前日から引きずっている後悔を強くしただけ。
結局食べきれない料理を眺めることになって、ちょっともったいないけれどほとんどを片づけてしまった。
174 名前:LoveSong after - ずっと 好きでいいですか? - 投稿日:2007/01/29(月) 21:24

そして今、後かたづけも終えて、いよいよやることがなくなって。
部屋中に聞こえそうな大きなため息をついてソファーに腰を下ろした。
抱え込んだ膝にあごをのせてまた後悔。
やることもなくて身体を動かさずにいると余計なことばかりを考えてしまう。
そうはいってもなにかを考えれば考えるほど、思い浮かぶのは今ここにいない彼のことばかりになっていく。
出会った頃ののこととか、付き合いだした頃のこととか。
あんなこともあったなぁって思い出し笑いをしてみたり、初めてケンカしたときのことを思い出しちゃってまたへこんで。
落ち込んだ気分になるほど、より強く彼のことを考えてしまう。
ずっと、深く、彼のことを想って、彼のことだけを想う時間が過ぎていく。

ふと気がつくと玄関で鍵が開く音が聞こえてきた。
そのとき初めて部屋の中が真っ暗になるほど時間が過ぎていること気がついた。
ドアが開いて遠慮がちな「ただいま」って声。
いないかな? って、そう思ってても、わたしに向けての“ただいま”。
その声がどれだけ大切な、どれほど愛おしいものだったかってことを、一人で過ごす時間が教えてくれたから。
大切なあなたへ、「おかえりなさい」ってそっと口の中で呟く。
部屋の灯りがつけられて、一拍おいてわたしに気がついたらしい。

「ただいま」

改めて、今度は本当にわたしだけに向けられた声。
抱えていた膝を解いて、きちんと向き直って、ちゃんと届くように声を出す。

「おかえりなさい、拓己」

少し安心したような笑顔が返ってきて、途轍もない申し訳なさで一杯にさせられる。
そんなわたしには気づかないままで、「よかった」って独り言めいた小さな声が聞こえた。

「ホント、ごめん。次の休みはなんとか合わせるからさ」

 ――違うの

そうじゃない。

「……ごめんなさい」

ソファーから降りてフローリングの上に正座をして、心の底からの言葉。
困った顔で見ていた拓己がわたしのすぐ前で同じように正座をして向き合う。

「別に気にしてない。今度はどこかへ出かけよう?」

そう言って優しく微笑みかけてくれる。
その笑顔が、言葉が、すっごく嬉しい。
でもそのままじゃダメなの。
何度も同じことばかり繰り返さないように、自分への反省の意味で、ちゃんと思ったことを伝えなきゃ。

175 名前:LoveSong after - ずっと 好きでいいですか? - 投稿日:2007/01/29(月) 21:26

「あのね」
「うん?」
「もしも……」
「うん」
「もしもだよ?」
「はい」
「拓己がね」
「僕が?」
「拓己が、わたしのことをキライにになったり――」
「ならないよ」

即答。
どうしようもなく、油断するとにやけちゃいそうなくらい嬉しい。
ちょっと笑って誤魔化して、話したかった言葉を続けることにする。

「だからぁ、もしも。もしもの話っ」
「ならないけどね」
「もう……続けさせて?」
「はいはい。どうぞ」
「もしも拓己がわたしのこと嫌いになったり、誰か他の人を好きになったりしたとするでしょ?」
「ならないけどね……ごめん。続けていいよ」

あくまでもその部分で譲る気はないって、そう言葉にしてもらえるのはすごく心を揺さぶられる。
でも、今はちゃんと伝えたいの、って意味を込めて見つめると、すぐに気づいてくれて話を戻した。

「んんっ。それで、いつか拓己が誰かと結婚とかして、わたしも誰かとしなくちゃいけないかもしれないでしょ?
 そしたら二人はもう会えなくって……きっと離ればなれになっちゃう、よね」
「……そうかもね」
「それでもね……」
「……なにさ?」
「それでも……わたしは拓己のこと、ずっと好きでいていい?」
「え……?」

なんで? って、そんな表情。
別に理解してもらおうとか、そういうことじゃなくて。
わたしの再確認のための言葉だから無理もないけど。

「ずっと片想いだった……あっ、そうじゃなくて、ね? 気がつかなかったから」

なにか言いかけた拓己を遮るように、慌てて言葉を足した。
なにを言ってくれるのかは解るから。
もう少しだけ続けさせてください。

「あの頃はずっと片想いで、でもすごく好きで。今はもっと好きなんだけどね。
 あんっ、そうじゃないの。だから……どんどん好きって気持ちが大きくなってきててね」

少し前までのからかいたそうな眼が真面目な眼差しに変わってる。
すごく好きな瞳に正面から見つめられて、幸せだな、なんて思いながらも話を続ける。

「きっと、こそ先も、わたしまだまだ拓己のこと好きになっちゃう。
 でもわたしって、こうだから……昨日みたいに子供っぽい、つまらないこと言っちゃうかもしれないから」

176 名前:LoveSong after - ずっと 好きでいいですか? - 投稿日:2007/01/29(月) 21:27

正面から見つめ合ってるからよく解る。
気にしなくてもいいのにって、拓己の眼が訴えかけてくる。

「いつか、もしかしたらそうなる日がくるかもしれないって考えちゃったの。でもっ……でも、やっぱりすごく好きなの。
 だからね? もしもそうなっちゃっても……勝手に好きでいることだけは許してね」

ちゃんと話し終えることができて、小さく息をついた。
それを待っていたんだろう拓己が口を開いた。

「……許さないよ」
「え……?」
「そんなこと考えるなんて」
「でも――」
「前に約束したよね」
「約束?」
「嘘はつかないって約束」
「あっ……うん。した。してくれた」

ちょっと話が読めない。
嘘とか本当とかって話は関係ないようなって、そう思ってるわたしに拓己が言葉を重ねてくれた。

「新しく約束をするよ」
「新しく……?」
「僕はずっと梨華の髪を切るよ。そりゃあ仕事のときは仕方ないけど。プライベートでは僕が。ずっと僕が切る。
 これからもずっと……梨華が僕から離れていかない限り、いつまでもずっと」
「それ……?」
「いつか、ちゃんとそういう話をする日がくるかもしれないけど。僕がそういう約束をしたいんだ。勝手だけどね」

どうにもならない……
抑えきれなくて溢れる涙で拓己の顔がちゃんと見えなかった。
嬉しくて、嬉しくて、どうしようもないほど嬉しくって。
どんな表情でいるのか焼き付けておきたいのに、その表情が滲んで、ぼやけて、覚えておけないよぅ。
我慢しきれなくて、子供みたいにしゃくりあげるわたしを、優しく包むように抱きしめてくれて。
耳元で「ダメかな?」って静かに問いかけてくれる。
わたしはちゃんと言葉を返したいけれど、とめどなく溢れる感情が邪魔をしてうまく話せなくて。
でもダメなわけなんてないって、それだけは解ってほしくって、ただ何度も首を振った。
泣きやまないわたしの背中をポンポンと温かくあやしてくれる手。
この手の、腕の、胸の中が……

世界で一番大切な場所……ずっと、いつまでも……好きです。

177 名前:LoveSong after - ずっと 好きでいいですか? - 投稿日:2007/01/29(月) 21:28



178 名前:匿名@携帯 投稿日:2007/01/29(月) 21:32

生きてますよと自己保全がわりに。
倉庫の続き、しかも短いですが。

179 名前:匿名@携帯 投稿日:2007/01/29(月) 21:39

あ、レスくださっている方、ありがとうございます。
ちゃんと終わらせますので、なにとぞお見捨てなきようm(_ _)m
大変励みにさせていただいております。

なるべく早く、復帰できたときに、きちんと返レスさせてください。

では、また。

180 名前:亀かめカメ 投稿日:2007/02/01(木) 02:30
携帯からご苦労様ですぅ〜
ずっと待ってますから大丈夫ですよぉ〜
181 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/02/17(土) 18:35
更新お疲れ様です。
ごっちんの続きも読みたいと思ったり…
待ってますよ〜
182 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:19

今日は店が休業の日だった。
なのにオレは今、店にいる。休日出勤ってことになるんだろう。
本来だったら昨日届くはずの商品が、発送側の都合で今日になり、それを受け取るためだった。
時間通りに届いた荷を引き取って、それらの整理とPCへの登録作業を終えた頃、なにも入れてやらなかった胃が抗議の声を上げた。

「んだよ、もうこんな時間かよ」

壁に掛けられた時計の針が六時をまわろうとしていた。
春になり日も延びてきているけれど、そろそろ“夜”だと言える街になっている頃だろう。
そんな時、開け放してあった扉の向こうで、外界との境界がギシリと鳴った。

「こんにちわ……?」
「こーたっ?」
「こんにちわ〜」

様子を窺うような声。
形ばかりの疑問系の声。
どこにも偏りをみせない声。
三者三様の声が次々と閉ざされた空間へ滑り込んできた。

183 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:22

「なんだ……?」
「なんだ?」

オレがはき出した当たり前の疑問に、いっそ爽やかなくらい綺麗なオウム返しで応じたのは亀井だった。
不自然に見つめ合う形になったオレと亀井、その亀井の後ろから「あれ? 聞いて…ない?」と、れいなが入ってきた。

「なにを?」
「や、だって……」
「ほら、またいたずらしたんだよぉ」

話が噛み合わずに困惑しているれいなに並んで、やられたって顔が頭一つ近く上にあるさゆみが言った。

「慎哉さん?」
「そう。電話したらここにいるからって言われた」
「慎哉さんが?」
「や、孝太クンが」
「オレ? が、いるって?」
「そう。シンちゃんがそう言ってて」
「で……どうかした?」

話していたれいなに、そう聞き返すと、いつの間にか後ろに廻っていた亀井が、オレの首に腕を廻していた。
三流レスラーのヘッドロックみたいな粗雑さで、体重をかけながら「遊びにきてあげたの」ってにへらにへら笑ってる。

184 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:23

「重いっ」
「絵里は重くないっ」
「れいなよりは重いよね」

子供みたいにじゃれついてくる亀井を硬直させるさゆみの言葉。
その隙に亀井の手から逃れて、一歩分の距離をおく。

「そりゃあれーなみたいに細くないけどさぁ……」

ぶちぶちと言い訳めいた呟きを洩らす亀井を放置して、PCの電源を落としたらグイと襟首を引っ張られた。

「聞けーっ」
「うっさい。ハラ減ってるから帰ろうと思ってたんだけど……」
「絵里がきたのに帰るの!?」
「いや、勝手にきたんじゃん」
「ヒドクナーイっ?」
「……なにしにきたんだって」
「あのっ、三人でどっか行こうって話してたら、絵里が孝太クンたちもって」

オレが出した不機嫌な声を本気に受け取ったのか、れいなが言い訳めいた説明をしてくれた。
別に本気で怒ったわけなんてないけれど、それを説明するのも面倒……というか、なにか違った。

185 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:24

「よく解んないけど……特に用があったんじゃないんだな?」
「うん。シンちゃんに電話してみたら、孝太クンはこっちにきてるって。連絡しておくから行ってみればって」
「聞いてないけど……まぁいいか」
「あ、でも……。っと、いいの?」
「きてるんだし、いいんでしょ。もう座ってるし」

指さした方向ではツインテールを揺らして、なにやらリズムをとっているさゆみが座っている。
それを見たれいなは少しだけ肩を落として「ごめんなさい」なんて台詞を口にした。

「別に。怒ってないし、気分悪くもないから。ただハラ減ったから。なんか買ってくるんで好きにやってて」

後半はその場にいる全員に向けてそう言った。
もう放っておいても平気なくらいに、この場所に慣れている娘たちだから。

186 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:25

「買いに行くって、お弁当とか?」
「……そう、かな。それが?」
「じゃあ、れな行ってくる」
「あ?」
「ついでに色々買ってくるけん」
「でも――」
「お菓子とか、さゆ、食べるもんね?」

オレが何か言うよりも早く、れいながそう問いかけると、ソファーの背に身を乗り出したさゆみが振り返った。
嬉しそうに、それはそれは素敵な笑顔で「ありがとう」と言った。
どうやら自分で行こうとは思わないらしい。まぁ、たいしたことじゃない。

「なら行ってくる」
「あっ、れいな。ちょっと待って」

その笑顔のままで声を上げたさゆみが、ちょうど隣に座った亀井の耳元になにかをささやいたようだった。
しばらくそうしていた二人が離れると、なぜだか亀井も笑顔になっていた。
例の、へらへらというか、にやにやというか、ちょっと微妙な笑い方で。

「絵里も行くから」
「あっ……うん」

オレとれいなは一瞬目を合わせて、なんだろう? と、考えあったと思う。

187 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:26

間違いなく座るつもり満々だった亀井は、すっかり買い物に出る気になったようで、財布だけを持って動き出した。
そんな亀井に腕を取られ、小柄なれいなは連れ去られるように出て行ってしまった。

「いってらっしゃーい♪」
「……なんだ」
「まぁまぁ、座って座って」

笑顔で手を振ったさゆみに言ったわけではない呟きに、反応したような言葉で促される。
なんかおかしな思いを抱きながら、とりあえず向かいに腰を下ろした。
正面で先程の笑顔を保ったまま座っているさゆみが、どこか緊張したような声音で口を開いた。

「ちょっと話してもいい?」
「いいけど。なに?」
「絵里とさぁ、同級生だったんでしょ? 二年間」
「そうだけど」
「そのとき絵里のことさぁ、ん〜……どうだった?」
「どう? 一年の時はほとんど口も聞いたこと無かったし、三年の時は……オレも亀井もあんまりガッコ行ってなかった」
「ふうん」
「それが?」
「そうじゃなくってさぁ。その……どう想ってたかってことなんだけど」
「……それ、聞いてどうすんの」
「解んないけど……聞いてから考える。あっ、でも多分なんにもしない」

188 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:27

「はぁ?」
「だってぇ、そういうのって誰かになにか言われてどうこうっていうんじゃないんでしょ」
「ないんでしょ、って言われても、オレは知らないよ」

振られた話に顔をしかめてそう返すと、さゆみは「そうなの?」と聞き返した。
あまり得意ではない話題に肩をすくめてみせると、なぜだか嬉しそうな笑顔になった。

「もう一回聞いてもイイ?」
「なに?」
「絵里と付き合ってるんじゃないの?」
「付き合う……」
「……?」
「どうだろう。付き合ってるっていうのとは、まだ違う。と、思ってる」

本心だった。まぎれもなく。
なぜさゆみに話したのか、自分でもよく解らないけど。

「そうなんだ。でも絵里は付き合ってるつもりみたいだよ。さゆみが見てもそうだって思うし」
「そう、かな。そうなのか……」
「あんまりこういうこと言いたくないけど……絵里のこと、傷つけちゃダメだよ」
「なっ……」
「絵里のこと、キライじゃないんでしょ」

そう聞いてきたさゆみは、いつものふわふわした笑顔だけれど、その瞳だけは笑っていない。
亀井のことを心配している、そんな眼をしていた。

189 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:35

ウソはつけないって、そう感じた。
勿論、ウソをつくつもりも、そんな理由もなかったけれど。

「キライじゃない。……スキだよ」
「なんだ――」
「初めて会ったの、中学の入学式だった。日の光の下で、黒くて肩まで掛かる髪がすっげぇ綺麗に光ってたっけ」
「さゆみの髪だって綺麗だよ」

さゆみの出した茶化すような台詞に、いったん話をとめて、ついと肩を上げた笑った。
向こうも特にこだわる様子もなくて、それはさゆみなりの相づちみたいなものなんだろうと理解して話を続ける。

「これ、女の子にも解るのかな? ああいう……昔の亀井みたいなの。黒髪のロングでストレートって、お嬢さまって感じ」
「ああ、なんか、男の子ってそういうの、解るかも」
「なんてんだろう……惹きつけられたんだ」
「…………」
「まぁ、でも、普通の女の子だったけどな」
「そうだね」

笑いながら話すオレがなにを言いたいのか理解したんだろう、さゆみも納得したように笑っていた。
オレが想像していたよりも、意外と大人なのかもしれないと思わされた。
だからこんなことを話す気になったのかもしれない。

190 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:36

「でも……それでも、亀井が楽しそうに笑う顔がすっげぇ印象的でさ」
「さゆみも。笑ってる絵里がいいの」
「ほら、オレはさ……なんでもうまくないからな」
「ん?」
「自分でアイツんこと笑わせてやろうなんて無理だと思ってた」
「そんなのやってみなきゃ解んないのに」
「そうか? とにかく、オレは、ただ見てるしかできなかった」
「かっこわる〜い」

毒に包んであるけれど、その中に見え隠れする肯定が優しかった。
おもしろい娘だなって笑いそうになった。

「オレはそんなもん」
「あははっ」
「なんていうんだろう……初恋ってヤツだったと思う」
「……そっか」
「ちゃんと考えてんだよ。これでも」
「ならいっか」

さゆみは話を打ち切るかのように笑ってそう言った。
オレも自分から、この話を続けたいとは思わなかったから、意図して終わりだというように立ち上がることにした。

「あー……なんか飲む?」
「うん。あっ、でも……れいなと絵里、もう帰って――」

ちょうど良い、というのか。
さゆみの言葉が終わるよりも早く、裏口のドアが閉まる重い音が聞こえた。

191 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:37

「たっだいまぁ〜」

騒々しいほどのテンションで、大きなコンビニの袋を片手に持った亀井が戻ってきた。
すぐ後ろにはれいなも、同じようにコンビニの袋を持ってついてきている。

「ほらっ、こーた。好きなの食べろぉ。可愛い絵里ちゃんがこーたのために選んだんだよ♪」

これでもかと言わんがばかりの笑顔で、テーブルの上に次々と置かれるコンビニ弁当。
あっという間にテーブル一面に弁当が並んだ。

「……六個? 四人しかいないのに?」
「いち、にぃ、さん、よんごぉろく」

亀井は自分、れいな、さゆみと指さしながら一つずつ数を数えて、オレのところで三つの数を重ねた。
なにを言ってやろうかと考えるオレよりも早く、呆れたようにさゆみが口を挟んだ。

「いくらなんでも、三つも食べるわけないじゃん」
「こーたなら食べるもん」
「無理」
「えー……じゃあ、持って帰ればいいじゃん」
「はいはい。先に好きなの選んで。グラス取ってくっから」

グラスを揃えて席に戻ってみれば、オレの前に置かれているのは『牛カルビ弁当』に『カツカレー弁当』、『スタミナ弁当』。
人にどんだけ食わせるんだって話だ。

192 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:38

そうして亀井たちが弁当を一つ食べている間に、二つの弁当を空にして、一口グラスを傾けて一息ついた。
一歩退いたような距離で座っているオレは、ふと気がついて亀井たちの話に割り込んだ。

「れいな……食欲ないのか?」
「え? あっ、う〜ん。なんか、食べられると思ったっちゃけど……」
「どうしたの、れーな」
「なんか気持ちわるいかも」
「平気? 横になる? 絵里どくから」
「あっ、いい。平気やけん」

よくよくれいなの様子を見てみれば、少し顔色も悪いようにも見えた。

「帰るか? 平気ならバイクで送ってくけど」
「や、大丈夫だから……」
「……送ってく。悪いけど、二人は待ってて」
「あっ、なら絵里たちも帰る。ねえ、さゆ」
「うん。そうしよっか」
「ん、そっか」
「でも、せっかく――」
「いいからっ」

体調を崩した自分のせいでって、気にしてるのか、れいなが言い募ろうとするのを、遮るように言葉を強くした。
立ち上がりかけたれいなは動きを止めて、力が抜けたみたいに座り込んだ。

193 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:40

「今、バイク出してくるから」

それだけ言い残して歩き出した。

表へ出て、建物の裏に停めてあるバイクに火を入れて、裏口のドア前まで押して歩く。
エンジンを暖めておいて中へ戻ると、テーブルの上は片づけられ、三人とも帰り支度を終えていた。

「悪ぃ、じゃあ行ける?」
「……うん」
「じゃあ、これ、かぶって」

手渡したヘルメットをもそもそとかぶるれいな。
外へ出て、軽く様子を見るようにエンジンを吹かし、れいなたちに向き直った。

「行くか」
「うん。じゃあれいなのことよろしくね」
「ヘンなことしちゃダメだからね」

くだらないことを言う亀井を軽くはたいてからバイクに跨り、れいなにポンポンと後ろを叩いてみせる。
ゆっくりとれいなが後ろに乗ったのを確認して、「じゃあ」と挨拶すると、こちらを気にしながらも二人は駅に向かって歩き出した。
それを見送ったれいなが、迷うみたいにオレとの間、僅かなシートの部分に手を置いているのを見て、あぁと心の中でため息を洩らす。
約束していたのに、こんな形で実現させることになるなんて思ってなかった。

194 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:42

なにもせずにいた自分に舌打ちしてから、れいなの手を自分の腰に廻させて「もう少ししっかり掴まって」とヘルメットを寄せた。
返事の代わりだろうか、腰に廻した手の分だけ空いた隙間を埋めて座り直したのを合図にバイクを走らせた。

バイクでなら後ろに気を回してゆっくり走っても、ほんの数分の距離で着いたれいなのマンションの前。
少し傾けて停めたバイクから降りるれいなは、足もとがおぼつかないのかと思うほど力なく見えた。

「大丈夫?」

ヘルメットを受け取りながら問いかける。

「あ、うん……ごめん」
「別に謝るようなことじゃないから」
「でも……ごめん」

どこか頑なに謝ってくるれいなは、やっぱり調子が悪いように見えた。
色々と気になるのは当たり前だけど、とりあえず今日は早く休ませた方がいいんだろう。
そう考えて、あまり意義を感じないやりとりを終わらせるように口を開いた。

「解ったから。早く帰って休んだ方がいいだろ」
「……うん」
「……ほら、入らないと帰らねぇぞ」
「ふは……じゃあ」
「ん」

掠れた笑い声のれいなが背を向けて歩いていく。
オレはその姿が建物の中に吸い込まれて見えなくなるまで、その場でジッと見つめていた。

195 名前:間奏3 岸本孝太 投稿日:2007/03/09(金) 20:43



196 名前:匿名 投稿日:2007/03/09(金) 20:48

とりあえず。
ゆっくりとでも進めればいいかなと。

次は早めに。

落ち着いて返レスできる環境ではないですが、ありがたく受け取らせてはいただいてもおります。
読んでくださっている方へ感謝です。

197 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:38



198 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:39
そばに……
こんなに近くにキミがいる

肩を抱けるほど、指を繋げるほど

なのにとどかない
心には触れられない

とても曖昧な隔たり
ひどく残酷な距離

199 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:40

仕事中、ふとしたタイミングで思いだしたようにコータが話しかけてきた。

「先輩、昨日……」
「昨日? ……おぉ、どうかした?」

言われて思いだした。
昨日の夕方、田中ちゃんから電話をもらった時のこと。
まだコータがいるだろうはずの時間だったから、あえて連絡も入れずにいたんだ。

「どーかした、じゃないですよ……」
「ん? 些細なことを気にするもんじゃないよ」
「ったく……。まぁ、それはいいですけどね」
「ならいいじゃん」
「それは、ですよ。れいなが具合悪くなって、ちょっと焦りましたよ」
「具合? どうした?」
「今朝になってメールがきてましたけど、ただ気持ち悪くなっただけだそうですけどね」
「そう……」

ボクの気のなさそうに聞こえるであろう返事に軽く眉を上げて、なにか言いたげだけど、もういいって感じで会話を終えたコータ。
が、なかなかどうして、こっちとしては十二分に気にしているわけで。
心配なさそうな様子だとはいえ……気にせずにはいられなかったりする。

200 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:41

それっきり、なにを考えてるのか、コータも喋らない、ボクも喋らない、ただ淡々と仕事をしていて。
空いた時間にコータを休ませて、しばらくしてコータが戻ってくると、入れ替わりに自分がバックヤードに入る。
さて、と煙草に火をつけて、深い一服をして携帯に手を伸ばした。


 具合悪くなったって?
どう? もう仕事は終わった? 平気かな?
おにーさん心配しちゃってます
至急連絡請う


冗談めかしてそんなメールを送った。
勿論、心配なのは本気だけど、あまりあからさまにそれを書き記すと、また田中ちゃんのことだから変に気を遣いかねない。
しばらく待つと田中ちゃんからのメールが返ってきた。


 もうウチにいる
 具合は、ごめん、ぜんぜん平気だから
心配しないで大丈夫

 れいな


う〜ん……簡素な文で、全然らしくない。
家にいるならと、コミュニケーションの手段を切り替えることにした。
数回のコールの後、聞こえてきた「もしもし」って声は、やっぱりどこか違う風にボクの耳に響いた。

201 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:42

「田中ちゃん?」
『うん』
「元気ないじゃん」
『別に……そんなことないっちゃけど』
「嘘はよくないなぁ、田中ちゃん。らしくない、……んにゃ、逆に“らしい”のかな」
『ウソなんかついてなかっ』
「……じゃあそれでもいいや。それでもいいからさ、昨日、なにがあったのか話してごらん」
『はっ? ……なんのことだか解ら――』
「それは嘘かな。コータになんか言われた? じゃないか。んー……なんだろうな」
『ホントに、なにも……たいしたことじゃないから』
「ほう。なにかはあったワケだね」
『…………』
「沈黙は雄弁だねぇ」
『今度話す』
「ん?」
『今度、時間が取れるときに話したい』
「……そっか」
『うん』
「じゃあ、また電話でもメールでも。ね」
『うん。都合ついたらするから』
「じゃあ」

202 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:43

話し終えた携帯をテーブルに置き、深いため息と同時に杞憂の欠片をはき出した。
杞憂は杞憂でしかなかったと笑えたならどんなに……どんなに良かったか。
田中ちゃんの具合の悪さは、身体のでこそなかったものの、“病”には違いない。
それも、なかなかやっかいな。
そんなやっかいな病気を、ボクが面倒をみる。みてあげたい。
でも、心のどこかでイヤなささやきも聞こえてくる。

 放っときゃいいじゃん

 ――んなわけにいかないっつーの

 振られちまえばチャンスだぞ

 ――したら田中ちゃんが泣くだろうに

意地っ張りが過ぎるくらい頑張っちゃう田中ちゃんが好きで、だからなにかをしてあげたいって思う。
子供みたいに笑える田中ちゃんが好きで、それを泣かせる方向に力なんて入れられっこない。
今、田中ちゃんを笑顔にしてやれるのは、残念なことにボクじゃないんだから。
そうしてあげられるのがボクだったら、どんなに良かったことかと考えるけれど、その気持ちに取り憑かれるようにはなりたくない。
それじゃ田中ちゃんはホントに笑えはしなくなってしまうだろうから。

203 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:44



204 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:45

田中ちゃんから連絡がきたのは、あの電話から二週間もすぎた頃だった。
朝方に、寝ぼけ眼で受けた電話で、田中ちゃんの声は元気なものに聞こえたと感じた。
その電話によると、翌週の火曜、うちの店が休みの日の夕方ということだった。
だったらと、ボクが店までくれば、その方がゆっくり話せるだろうということになった。

そしてその日の夕方。
店のディスプレイをいじりながら待っていると、約束の時間よりも十分早く、携帯がメールの着信を告げた。


 きたよ。
裏で待ってる

れいな


いそいそと裏手へ廻って鍵を開けると、そこには笑顔の田中ちゃんがスニーカーを踏みならして待っていた。
「よっ」と右手を挙げて挨拶をした田中ちゃんは、入れ替わるように持ち上げた左手にコンビニの袋を提げていた。

「おみやげ」
「おみやげぇ?」
「や、お腹減ってるかなとか思ったけん」
「あっ、うん……ありがと」
「お茶とコーヒーも入ってるからね」

田中ちゃんはそう言って、ボクをすり抜けて中へ入っていった。

205 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:46

無理に笑っているようには見えない……と、思う。
なんだろう……この感覚は。

「シンちゃん」
「あ? はいはい」

明るい声に惹かれてソファーの向かいに座ると、そこにはおにぎりやサンドイッチ、500mlペットのお茶、缶コーヒーが並んでいた。
好きなの選んで、という田中ちゃんの声に、さほど食欲があるわけでもなかったけれど、なんとなく、手近にあったサンドイッチに手を伸ばした。

「さて……なに話そう」
「なにって……」
「そっか。こないだのコト」
「ん、まぁ」

いつになく、主導権を握られている会話にぎこちなさや、居心地の悪さを感じている。
それはそのまま、ボクが“違う”のではなくて、田中ちゃんが“違う”から……なんだろう。

「シンちゃんは知っとお? 孝太クンの……孝太クンが付き合ってた子とか」
「まぁ、知らないこともないけど」

これはちょっと、意外な変化球から入ってこられたもんだ。
やっぱり今日の田中ちゃんはどこか違うようだった。

206 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:47

「例えばどんな子?」
「ボクが知ってるのは、同じようなバイク好きな娘だったけど……」
「……けど?」
「多分、ちゃんと付き合いだして一ヶ月と一緒にいなかった」
「……?」
「ほら、コータはああいうヤツだから。相手の娘も悪い娘じゃなかったんだけど、合わなかったんだろうね。
 それにね……どっちかっていうと、向こうが気に入って、なんとなく……みたいな感じだったから」
「それで?」
「それしか知らない」
「役にたたんね、シンちゃんってば」
「いや、多分、それ以外にないんだよ」
「はぁ? なん――」
「だって四六時中一緒にいるんだよ? それくらい解るさ」
「そう……?」
「まず間違いないね」

田中ちゃんはなにか考え込むような素振りで俯いて、やがて恐る恐るといった感じで顔を上げた。

「他に……」
「うん?」
「他に、例えば……初めて好きになった人とか、知ってたりは」
「さすがにその頃は知らないし……、ほら、アイツそういう話、好かないじゃない」
「……り」
「え?」

207 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:48

ぼそっと、舌先から零れるような言葉は、わずかにボクの耳に届かなくて。
聞き逃したささやきを重ねて求めたボクに、田中ちゃんは笑顔でこう言い足した。

「初恋の人、絵里だって。孝太クンの」
「そ…そう、なんだ」
「そう」
「それ、どうして?」
「こないだ、聞いたけん。……本人の口から」
「直接、聞いたの?」
「絵里と二人で買い物に出て……戻ってきたとき、さゆと話してる声が聞こえて……、
 それに気がついたのは絵里が先で、そこのドア越しに、二人で聞いちゃった」
「そう……」
「だから、そういうコト」
「そういうことって……」
「だからっ、もう終わりってコト」

振り切るように言い捨てた田中ちゃんは、話の途中から少しずつ、少しずつ、自分を保つ鎧に生じさせていた亀裂が限界に近づいているように見えていた。
微かに震えている小さな唇が、ボクにそう気がつかせてくれた。

「それで、田中ちゃんはいいの?」
「え……?」

208 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:49

「自分の気持ち、伝えてもいないんでしょ? 言いもしないで終わりにしちゃっていいの?」
「だって……」
「言わなきゃ駄目だよ。ちゃんと言って、それでも駄目だったら、その時にまた考えれ――」
「やけんっ」

聞きたくない、と、重ねられた言葉の強さがそう告げていた。
言葉を遮ったその一瞬、垣間見えた表情は苛立ちだったのか、それとも諦念だったのか。
ボクに読み取れなかった表情はすぐに気丈な、と形容してもいい笑顔に変わった。

「絵里は孝太クンが好きで、その絵里が孝太クンの初恋やったら……」
「…………」
「それでいいっちゃろ」

いっそ清々しさすら感じる告白だった。
その笑顔は潔さとはかけ離れた、著しく純度の低い笑顔。
やるせないほど悲壮な意志を込めた言葉。
見ているこっちが泣きだしてしまいそうになるほどの表情で。

「――っ」

伸ばしそうになった手を、危ういところで押しとどめて、踏みとどまろうという意識の分だけ、強く拳を握りしめた。
まだ……まだ、今は駄目だって、その存在が心の奥に残っているから、まだ許される時期じゃない。

209 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:50

「シンちゃん……?」
「うぁ!?」
「……どうかしたと?」
「いや、ごめん、なんでもない」
「シンちゃんは……れなと一緒にいて楽しい?」
「え? ……なんで?」
「楽しい?」

田中ちゃんの目が……潤んだ眼差しが強くボクを惹きつける。
それはおそらく意識の外でのことだと思うけれど、抗いがたいほどに蠱惑的だった。

「楽しいよ。そりゃあ……ね。じゃなきゃ――」
「なら……そばにいてくれる?」

それはきっと寂しさを埋める為の温もりを欲しているだけだと、ボクでなくても誰にだって解る言葉だろう。
それがそういうことだと解っていて……解っていても、田中ちゃんがそれを望むなら。
いや、そうやって自分に言い訳を与えて、理由をつけて、納得させようとしている。

「いるよ」
「いつでも?」
「田中ちゃんがボクのことをキライで、そばにいて欲しくないって思わない限り」

これは告白じゃない。
欺瞞に満ちた偽りの言葉だった。
自分を騙して、田中ちゃんを欺いて。
そして田中ちゃんもそれを感じていながら、それでもそれを無抵抗に呑むのだろう。

210 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:50

「シンちゃんは優しいんだ」
「今頃気づいた?」
「……自分で言うと?」
「ほら、そういうキャラだから」

やっと“笑った”田中ちゃんの目から、つうと一滴、こぼれ落ちた涙。
その涙の成分に、ほんの少しでも田中ちゃんが楽になれるものがあればいいと願った。

211 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:51



212 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:57

それから数日後、笑顔の戻った――少なくとも表面的には――田中ちゃんが、しげちゃんと二人、ふらりと店に現れた。
例によって二人はバックヤードで、持ち込んできた菓子だのをつまみながら新作の映画を観ている。
こっちはこっちで仕事をしながらも、後ろを気にしていて、どうも微妙な空気で時間を過ごしていた。
客足がひけてきて、特に話すこともない――とも言い難いんだけれど――中で、自分が休憩に入る理由をつけるためにコータを先に休ませる。

しかし一人になればなったで、余計なことまで考え出してしまう。
あれ以来、コータとそういった話を出来ずにいること。
もしもコータが少しでも迷っているのなら、自分の言動でヤブヘビをつついてしまい、田中ちゃんにとって最悪の結果を出すことになる。
そんなことになったら悔やんでも悔やみきれないことになってしまうから。
とにかく今は、自分のことよりも田中ちゃんの気持ちを第一に考えていたい。
ともすれば、田中ちゃんの不幸が自分の幸せに繋がるとも考えられるけれど、その田中ちゃんの想いに答えが見つかるまでは。
それまでは自分の気持ちの行き先は保留しておくと決めたんだから、それを最後まで貫くべきだと。
くだらないと言えばそうかもしれないけれど、自分に課したルールなどというものはそんなものだろうと納得させるしかない。

213 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:58

そんな物思いの中で、戻ってきたコータの姿に時計へ目をやると、休憩のお約束、三十分を少々すぎていた。
ちょうど途切れている仕事に、コータへ手をあげて挨拶をしてバックヤードへ転がり込んだ。
妙に落ち着いた空気を醸し出しつつソファーでくつろいでいるしげちゃん。
が、一人。……一人?

「あれ? 田中ちゃんは?」
「さっきコンビニ行ってくるって出て行ったよ。まだ戻ってこないの」
「そう。一人で行ったんだ」
「うん。さゆも行こうかなって思ったけど、一人でいいって」
「ふーん」

冷蔵庫から取り出したペットボトルの水を開け、一口含んでソファーへ腰を下ろした。
それをジッと見ているしげちゃんは、なにか話があるかのようで、そんな空気を感じたボクは先だって話しかけてみた。

「なに見惚れてんの?」
「ゼッタイなぁい」

軽いとっかかりはほわんとした笑顔で切り捨てられる。
その見事な切れ味に心の中で喝采を送りながら言葉を継いだ。

214 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:58

「きっつ……。で、なに?」
「んっと、シンちゃんなら知ってるかなぁと思ったから」
「なにをさ」
「絵里たちがどーなってるのか」
「うっわ、難しい質問するねぇ」
「解んない?」
「多分しげちゃんが知ってる以上のことは、ほとんどない、と思うかな」
「なぁんだ……使えなーい」
「ヒドッ! ヒドイよ、しげちゃん」
「うざぁい」
「相変わらずバッサリだね……」
「んー……」

人を笑顔で切り捨てたことなんて何事でもないと、人差し指で唇をなぞりながら吐息を漏らして何かを考えている。
ボクの存在すら無いものみたいに物思いに集中しているしげちゃんが、ふいに何かを思いついた様子でニコリと笑顔を浮かべた。

「シンちゃんはさぁ、れいなと進んだ?」
「なっ、な、なにがどう進むっていうのかなぁ」
「進んでないの?」
「別に、なにが進むっていうのさ。田中ちゃんはボクじゃないでしょ」
「そう、だけどぉ」
「もういいでしょ、この話は。あんま、誰に聞かれたい話じゃないしさ」

215 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 16:59

前例は聞かされたばかりだから。
田中ちゃんの小さな身体に今以上に問題を抱えさせるのは、個人的心情としてどうにも愉快なことじゃない。

「ん。解った。信用しとぉ」

含みを持たせてるんだろう、田中ちゃんの口調をマネてそう言ったしげちゃん。
まだ幼さも残した顔で、いやに大人びたニュアンスを漂わせる“表情”をしてみせる。
ボクはそれに応えられるだけの答えであるという意味あいを匂わせて、一言だけ、努めて自分らしくあるようにと言った。

「努力しま〜す」

納得したという印だろうか、僅かに首を傾げて微笑んでみせるしげちゃんは歳相応に見えた。
それからしばらく、さして意味もない――まぁ、彼女にとっては違うのだろう――話を続けて、そろそろ仕事に戻ろうかという頃、裏口のドアが鳴った。
ちょっと遅いなと思っていた田中ちゃんがようやく戻ってきたところだった。

「あれ? シンちゃん休み入ってたと?」
「ん。お帰り。ずいぶん遅かったじゃん」
「ホント、どこのコンビニ行ってたの?」
「すぐそこのコンビニ行ったんけど、探してた雑誌売ってなかったけん、駅前の本屋まで行ってきた」

216 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:00

しげちゃんの、そしてボクのからかうような言葉に、少し照れたようにくしゃりと笑った田中ちゃんが言った。
が、そんな田中ちゃんは両手になにも持ってはいなくて。

「で、結局無かったんだ?」
「は? あ、うん。無かった」
「そっか、残念だ」
「うん」
「こっちも残念だ」
「え?」
「もう戻らなきゃ、仕事」
「あっ……、うん」

その田中ちゃんの言葉が、表情が、少し残念そうに見えたのは自分に対する甘えだろうか。
このところ少しばかり自分に抑制を強いているから、苦労して築いた堰にやや綻びがきているのかもしれない。

「じゃ、田中ちゃん、しげちゃんも、ごゆっくりね」

田中ちゃんと一緒にいて、これ以上綻びが大きくなる前に、自分を立て直すべく仕事に戻った。
田中ちゃんを支える役目のボクが、自分からパンクしてしまう前に……時間が必要だと思ったから。

217 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:08



218 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:10

そんな不安定な時間をすごしていた翌週のことだった。
田中ちゃんから“お誘い”の電話がきたのは。
その連絡があったのは午後の四時頃だったと思う。
やたらと“暇だったら”と強調していたのが妙におかしく思えて、携帯の向こうに聞こえないように笑った。
それにしても、仕事が早く終わったんだったら、コータを誘ってみればいいだろうに。
それとも、断られた……のかな。
店の裏手にある狭いスペースに押し込んだ車に寄りかかってそんなことを考えていた。
すると角から――店の表側から繋がる――差し込む西日の中、小さな影が姿を現した。

「やっ。シンちゃん」
「早いね」

軽く手をあげて走り寄ってくる田中ちゃんに笑って手をあげ返す。
軽い足取りで距離を詰めた田中ちゃんは、小さくジャンプしてその手に自分の手を合わせてハイタッチ。

「元気だねぇ」
「なんで? 元気に決まっとろー」

少し前の思い煩う様子なんか全く感じさせない、かといって無理をしているようにも見えない。
これはどういったことなのか考えながら、それを表に出さないように会話を続ける。

219 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:11

「で、どうするの? 行きたいトコってどこさ」
「あの、なんだろ……」
「ん? なにさ」
「だから、ほら……シンちゃん…」
「ボク? なんて?」
「ウチっ」

急かしたわけじゃないけれど、そう感じたのか、田中ちゃんは半ば逆ギレのような返事を返してきた。
ウチって……

「ウチ? 家? ボクの家?」
「や、だってホラ、ココでしか会ったことなかったし、表だと落ち着かないし、だから、その……」
「いや……」
「ダメ?」
「ダメなことないけど……」

ただビックリして……会話にもならないような言葉を洩らしていた。
けれど田中ちゃんは、そんなボクを見て顔を綻ばせる。

「よかった」
「けど……」
「けど?」
「いや、ごめん、なんでもない」
「? じゃ、いこっ」

ボクの態度を不思議がりはしたけれど、気にしないことにしたのかそう言った田中ちゃん。
そんな田中ちゃんを助手席に座らせて、ボクのアパートまで十数分の道程を、なんとも納得しがたい気持ちですごした。

220 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:12

三階建てのアパート――マンションとまでいかないのは仕方がない――のすぐ下にある駐車場に車を停めて、表から助手席のドアを開く。
車から降りてきた田中ちゃんは、日の暮れかけている空を見るようにアパートを見上げてポツリとこぼした。

「普通っちゃね」
「普通って、なにを期待したんだか」
「もっといいトコに住んでるのかと思った」
「ハッキリ言うね」

思わず笑い出すほど鮮やかな言いようだった。
さすがに放言がすぎたと考えたのか、申し訳なさを感じさせない笑顔で「ごめん」と言ってきた。
まぁ“いいトコ”とは言えないのも事実だから、こっちとしても笑うしかない。

「さぁ、お城にはほど遠いけど、どうぞ」
「れなもお姫様やないけん」

二人で階段を上りながら、その言葉に意味があるのかと考えてしまうのは、深読みしすぎなんだろうか。
諦めてしまって……叶わないと決めてしまった想いが“じゃない”ということだって考えるのは。

「考えすぎだなぁ」
「なに?」

思わず口にしてしまったヒトリゴトが、後ろを着いてくる田中ちゃんにも聞こえてしまったらしい。

221 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:12

田中ちゃんもさして気にならなかったようで「ふうん」と呟いただけだった。

「どうぞ」

ドアを開けて道を譲ると、田中ちゃんは「お邪魔しまぁす」と様子を窺いながら奥へ進んでいく。

「あっ、2LDK!?」
「2DKだよ」

田中ちゃんの大きな勘違いを笑いながら訂正する。

「たいした違いじゃなかっ」

口の中では「ずいぶん違うと思うけどね」と突っ込む。
しかし田中ちゃんが違わないなら、まぁいいのかとも思う。

「そこ、座ってて。なんか飲むでしょ?」
「あっ、お構いなく」
「プッ……なんで急にかしこまってんの」
「だっ、や、別にかしこまっちょらんもん」
「……もしかして、緊張してる?」

微妙におかしな田中ちゃんの様子にそう聞いてみると、返事が返ってこない。
どうやらホントに緊張しているらしい。

222 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:16

「店にいるときと全然違――、あぁ、そういえば、初めて会ったときはちょっと今みたいだったかな。
 あれ? ってことは、もしかしてボク……、大丈夫だよ。襲ったりしないから」

その妙な緊張を解くつもりで投げかけたつまらない言葉に、田中ちゃんは少しぎこちなく笑ってこう言った。

「……大丈夫ったい」

大丈夫……なに?
まるで訳が解らなかった。

「シンちゃん?」
「え?」
「ボーっとしちょぉ」
「おぉ、飲み物飲み物」
「あははっ」

なんの作為も意識もない、多分ただ素直な笑い声を背中に聞いて、少し落ち着いた気持ちになる。
グラスに氷を落としてペットボトルのお茶を注ぎ、ストローをさしたものを両手に田中ちゃんのもとへ戻る。
置いたグラスに「ありがと」と、手を伸ばし、ストローをくわえる田中ちゃんの唇。
暖かくなってきて、少しばかり露出の増えてきている細い首筋。

223 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:17

「ヤッバイなぁ……」
「なにがヤバイと?」
「うぉっ、いや、なんでもないから。お気になさらず」
「シンちゃん、なんかおかしー」

おかしいのはどっちだよ、と言ってみたら、その先の話はどう進んでいくんだろう。
脳細胞がフル回転でいくつかのパターンをはじき出す。
出てくる答えは愚にもつかない妄想か、それともそうなってはうまくない、そんな展開ばかりだった。

「シンちゃん、休みなのに予定とかなかったと?」
「ん? 田中ちゃんの為に空けておいたんだよ」

いつもの自分のペースに持っていくための、軽いうわべだけを装った言葉だった。
今日の……このところの田中ちゃんは、コータの話を聞いたせいだとは解っていても、それでも少し様子が違っていたから。

「ホント?」
「え……?」
「なんでもなかっ」
「田中ちゃん……?」
「シンちゃんちにはDVDとか置いてないの?」
「え? あ、少しはあるけど。やっぱ店にいた方が良かったんじゃない?」
「なんでもいいけん、観よっ?」
「あ〜、うん。そうだね」

駄目だ。まったくもってうまくない。

224 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:19

田中ちゃんの変化に――一時的なものか、そうでないかも含めて――まるでついていけてない。
適当な映画のDVDをセットしながら、そんなことを考えていた。
再生ボタンを押して元いた場所に戻ろうと振り向く、……と、瞬間、身体が硬直した。

「シンちゃん、そこにいたら観れん」

恥ずかしがっている自分を隠すためか、いつもよりも若干ぶっきらぼうに出される言葉。
ボクは「あぁ」だか「うん」だか解らないような、呻きにも似た返事をしながら、脚の向く方向を迷わせていた。

「……ここ、座ればいいっちゃろ」

そういう田中ちゃんは、さっきまでボクがいた場所へ、田中ちゃんの身体ほどもあるクッションごと移動していて。
ボクが使っていたクッションは、その田中ちゃんの横に置かれたままだった。

「そ、う……だねぇ」
「映画、始まる」

互いにぎこちなさを隠せない言葉を交わしながら、数歩分の距離を縮めた。
踏み込む術がない――知ってはいても――ボクの肩から拳二つ分の距離でクッションに身体をあずける田中ちゃん。
その目線は頑ななほど正面の映画に注がれている。本当に“観て”いるのかどうかは別としてもだ。

225 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:23

ボクも田中ちゃんの気配に気をやりながら、それでも目線は流れる映像へやっている。

「シンちゃん……」

ごく小さな、掠れて消えてしまいそうな声が、確かに耳元で聞こえた。
同時に肩口に掛かるあたたかな重さ。
それは甘美で、心地よいけれど、なにかの罰かと思わせるほど酷な重さだった。
身体を……僅かに首を廻すことすら出来ずにいるボクの耳元で、もう一度、名前を呼ばれた。
麻痺したように動けない。もし動いてしまったら、どうなってしまうのか。

「シンちゃんは…優しすぎったい」

自分で解りはじめていた

「れなは……弱虫やけん」

縛めになっていた言葉が、まるで魔法のように、呪縛を解く鍵になり始めていることに

「だから……ずるい」

これ以上は……

「シンちゃん……」

限界だった

「んっ」

半ば意識の外で動いた身体は、壊れそうなほど華奢な身体を包み込んでいた。
壊れないように、壊さないように、そっと、そっと。

「れなもそばにいるけん……」

腕の中で身動ぎもしない田中ちゃんを、しっかりと、その身体に跡など残ってしまわぬように、そっと抱きしめた。

226 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:24

「一緒にいよ」

きつく抱きしめて窮屈な姿勢のままで、コマ送りのようにゆっくりと、田中ちゃんが顔を上げた。
目を閉じたその顔は、雨に濡れた子猫が温もりを求めているだけのものかもしれないけれど。
それでもいいと、確かなものを必要としていた。

「田中ちゃん……」

唇を重ねるだけの子供じみたキスだけど。
儚いほどに形をなさない関係に、ほんの少し、だけど確かな形を見せてくれた。

ボクは痺れる頭で考えた。
ずっとこのままであればいいと。

ボクは崩れそうな心で思った。
でもそのときがくればそうするんだと。

227 名前:君はせつない残酷 投稿日:2007/03/10(土) 17:24



228 名前:匿名 投稿日:2007/03/10(土) 17:26

次回は来週末か再来週末に。

229 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/16(金) 20:43
や、や、やばーい!!!
顔がにやけてしまいますね
あとはえりりんだけ☆
楽しみに待ってます
230 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:21



231 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:22

あの日、ボクを壊したあの日から二週間がすぎた。
ボクらはまるで当たり前の恋人のように、互いに笑顔を見せあっていた。
田中ちゃんは、それまでの時間なんてなかったかのようにボクの部屋へ遊びにきた。
ボクらはそれが普通のことであるかのように、待ち合わせをし、二人で買い物をしたりもした。
あくまでも、一つ引いたラインから踏み越すことだけは避けながら、お互いを気遣うように……それでも笑顔で時間を過ごしていた。

田中ちゃんはコータのことを忘れるためにボクと付き合ってるんだろうと思う。

ボクはといえば、それでも実際にはまだ迷っていたから。
田中ちゃんがそうと決めたのなら、傷を癒す薬になってあげればいいと、そう思う気持ち。
ちゃんとこーたに想いを伝えて、――それがカメちゃんを傷つくとしても――“結果”を出すべきなんじゃないかという考え。
答えを出せないままに時間は過ぎ、ボクらは、二人でいる日々を積み重ねていた。
迷いながらも、田中ちゃんを笑顔にしてあげたいと思い、そのためにできることはなんでもした。
道化であると理解していながらも、心に一枚、ピエロの衣を被って楽しい時間を作り上げていた。

232 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:23

ただもう一つ。
自分でも解らなくなっていたことがある。
田中ちゃんのために作る時間。
それは本当にそうなんだろうかということ。
田中ちゃんのためだって、そう言い訳をつけて、その裏で自分のためではないと言い切れるんだろうか。
ボクは田中ちゃんのことが好きで、彼女といられることを喜んでいる自分がいるのは否定できない。
ならば、二人で過ごす時間は誰のためなんだろうと。
一人でいる時間に考えると、自分がとんでもなく利己的で、偽善者にすぎないんじゃないのかという思いに囚われる。
ボクは……間違っているのかもしれない。

233 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:24

「先輩?」
「……え?」
「なにボーっとしてんですか。きましたよ」
「お客さん……誰?」

カウンターには誰の姿もない。
ボクは込み入った思索から覚めきらない頭で呟いていた。

「表。久しぶりなんじゃないっすか」

言われて外へ目を向けると田中ちゃんと、そしてカメちゃんがブンブンと手を振って存在をアピールしていた。
ようやく“今”に戻った意識で苦笑しながら裏手を指さして、コータに「お前さん、休憩ね」と二人を出迎えにいかせる。
ヒョイと肩をすくめて裏へ歩いていくコータを見送り、今さっきの田中ちゃんの姿を思い返す。

234 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:25

カメちゃんと同じように、笑顔で大きく手を振っていた田中ちゃん。
ボクといるときだけならばともかく、コータの前でああやって、何事もなかったように振る舞える田中ちゃん。
本当にもう吹っ切れたんだろうか……。
ボクや、カメちゃんに気を遣っているだけなんじゃ?
どうしてもそんなことを考えてしまう。

「なにしてんだろうなぁ……参ったな」
「なにブツブツ言ってんですか」

口に出した呟きに、あるとは思わずにいた返事が飛んできた。
首を巡らせてみれば、どこか懐かしい表情のコータが戻ってきたところだった。

「あれ? 早……くないのか」
「三十分すぎてますよ」
「ん……?」

思いだした。
なんとなくだけど、口調や表情が初めて会った頃と似ているんだ。
どこか尖った部分を抑えきれずにいるようで、それでいてそんな自分を疎んじているような。
そう思い至ったとき、その思考に割り込むようにコータの声が耳に届く。

235 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:26

「先輩」
「あん?」
「れいなと付き合ってるんすか」

それは質問ではなく確認だと思える口調だった。
一瞬、動揺を表情に出してしまいそうになる自分を、危ういところで立て直し平静を装う。
コータに限って、とは思うけれど、自分から墓穴を掘ることなんてないように、注意して言葉を選んだ。

「誰がそんなこと言ったのかな?」
「れいなが、言ってましたよ」
「ふうん……田中ちゃんが、なんだって?」

一つの可能性として頭に浮かんではいたけれど、それでもボクはまだ、別の“道”があるのではと思って手探りしている。
コータは一瞬、眉を寄せてなにか考えるような表情をした後、すぐに表情を戻して口の中で転がすように話し出した。

236 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:27

「なんか、一応言っとこうと思って……って言ってましたけど」
「そう」
「そう、って……」
「それでなに? お前さんはボクになにを言わせたいのかね」
「いや、別に……なにって――」
「田中ちゃんがそう言うんなら、そういうことなんじゃないかな」
「…………」
「これでいいか?」
「いいもなにも……」

その言い様が姑息な回り道だとは解っていたけれど、状況やタイミングを考えるとそうとしか口にはできなかった。
そんなボクの口調が疳に障ったのか、それともなにか思うところでもあるのか、コータはそう呟くと話を打ち切ることを示すようにフロアへ目を向けた。
ちらりと窺い見るコータの横顔は、いつも通り、愛想のいいとは言えない表情だけど、特に変わったところは感じられない。
どうとも判断のつかないボクは、コータの肩を一つ叩いて立ち位置を入れ替わり裏へ向かった。

237 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:29

「お疲れさま〜」

気の抜けるようなカメちゃんの声に迎えられ、ボクが「やっ」と軽く手をあげて挨拶を返した。
すると田中ちゃんも、はにかんだような、迷っているような、どこか曖昧さを感じさせる笑みで迎えてくれた。

「田中ちゃん、コータになに言ったの?」
「えっ? なにって……」
「れーなから言ったんだって、そうなの?」
「はっ? 田中ちゃんから? あ〜……」

答えはカメちゃんから返ってきた。
ボクはその言い様に、どう言って返すべきか迷っていた。

「そう。れなが言ったって、さっきそう言ったじゃん」
「そうだけどさぁ」
「…………」
「シンちゃん、休憩っちゃろ? 座れば」

まだ話し足りなさそうなカメちゃんとの、その話題から逃げるためにか、ボクにそう言ってきた。
それに対して、ボクよりも先に反応したのはカメちゃんだった。
まさにニッコリというのが最適な、そんな表情で立ち上がって「じゃあ絵里はお邪魔ですから」などと言い出した。

238 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:30

「なに?」
「だってホラ、隣同士で座るでしょ、フツー」
「絵里っ!」
「ふむ……」

カメちゃんには悪いけど、確かにちょっと邪魔なんだよね。
少し“話し”がしたいからね、田中ちゃんと、二人で。

「カメちゃん、ちょっとおいで」
「んー?」

訝しげなカメちゃんを呼び寄せ、耳元で内緒話。
しばらくすると、カメちゃんはヘラっと笑いだし、「しょーがないなぁ」なんて言いながらボクの肩を叩く。

「じゃ、よろしく」
「はいはぁい。行ってきまーす」

にこやかにそう言ったカメちゃんは、財布一つを手に表へ出て行った。
出て行き際、田中ちゃんになにかささやいて。
ボクはすぐ手前のソファーに腰を下ろし、向かいで困ったように頬を朱くしている田中ちゃんに問いかけた。

239 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:31

「カメちゃん、なに言ってったの?」
「っ――、あの……頑張れって。シンちゃんこそ、絵里になに言ったと?」
「いや、休憩時間の三十分、田中ちゃんと二人っきりになりたいなって」
「なっ、……バカぁ、もぉ」
「そりゃあね、賢くはないけどさぁ。まぁ、そんなことはいいから」

目を細めて笑う田中ちゃんに、わざとらしく一つ、咳払いをしてみせて話題を変えた。
そう時間もないし、コータが顔を出さないとも限らない。手短にいかなきゃ。

「それよりも。コータになに言ったのさ」
「は? なにって……?」
「付き合ってるって、言ったって、コータに聞かされたけど」
「だって……」

田中ちゃんは少しばかり動揺しているようにみえた。
それは本心の表れからくるものなんだろうと、そう思う。

240 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:32

「なんでそんなこと……」
「なんでって……れなたち、付き合ってるっちゃろ?」
「そう……かも、しれないけど。だからってなにも――」
「シンちゃんはっ」
「……?」
「孝太クンに話したらマズイことでもあると?」
「ボクは……ボクのことじゃなくて、田中ちゃんが――」
「シンちゃんっ!」

一つ、声のトーンを上げた田中ちゃんは、まるで溺れかけている人間のような必死さで、ボクの名を呼んだ。
そしてボクは気がついたんだ。
ボクはきっと、田中ちゃんにとって、すがるべき“ワラ”だったんだろうと。
気持ちのやり場に、自分の中のジレンマに、どうしようもなくなった。彼女の中でやり場を失った気持ちに溺れかけた。
唯一の、頼りない、すがるべきワラ。

「シンちゃんのこと、好きだよ」

 ――嘘だ

そう感じながら、ボクは“壊れて”いく。
彼女が自身でそう思い込もうとしている言葉だと、そう感じていながら、ボクは……
その言葉に引かれている。

241 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:33

「そ…う、……コータに、言ってやればいいのに」
「……なんで、そんなこと言いよっと?」

か細い声で、ともすれば聞き逃してしまいそうになるほど弱い声で、そう話す田中ちゃんは、その身体と同じくらい、折れてしまいそうだった。

「孝太クンのことは、もういいって、それじゃダメなん?」
「そうじゃないよ。そうじゃない。ダメじゃない……けど、それじゃ田中ちゃんが――」
「れなはそれでいい。そう決めたけん」
「田中ちゃん……」
「だから、そばにいてくれん……?」
「……解った。ちゃんと、付き合おう」

それは最大限、自制心を振り絞っての言葉。
最小限、田中ちゃんを傷つけないための偽りの言葉。

「約束?」
「そうだね、約束だ」

242 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:34

いつか、こんな関係に限界がくるから。
そのときには、ボクは田中ちゃんが傷つかなくても済むように振る舞おう。
この約束は、自分の中でするそんな約束でもあった。
そう改めて心を決めたとき、遠慮がちにドアがノックされた。

「……ふぅ。カメちゃん?」
「ただいまぁ……」

ビックリするほど遠慮がちにドアから顔だけ出したカメちゃんに、最初に堪えきれなくなったのは田中ちゃんだった。

「――ぷっ、…あっはは」
「な、なに? どーしたの?」
「いや、いいね、カメちゃん」
「なに、なに、なぁに? ねえ、絵里邪魔じゃなかった?」

そのカメちゃんの言葉がツボにはまったらしく、お腹を抱えて大笑いしだした。
飾りなんてまるでない、純然とした無垢な笑顔。
少し斜に構えたような素振りもしたりする田中ちゃんが、ふとしたときに見せる“らしさ”。
それがこの娘の本質だと、そう思うから……だからボクは、そのコアな部分を大事にしてほしいと願う。

243 名前:間奏4 川崎慎哉 投稿日:2007/03/17(土) 17:36



244 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:46



245 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:47

解ってる
誰に対しても、誰のためにもならないことだってぐらい
でも、それじゃどうしても収まらない

こんなままではいられないから
こんなままでは卑怯だから
だから……

だから今日……

246 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:47



247 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:48

激しく鳴り続けるチャイムに辟易し、ショボつく目蓋をこすり枕元の時計を掴んだ。
合わない焦点に手こずりながらも文字盤の針が指し示す数字に呆れた。

「んだよ、こんな時間に……」

そうぼやいて再び枕に頭を沈め、うるさい訪問者をやり過ごしてしまうことに決めた。
が、いつまで経ってもチャイムが鳴りやむことはなく、訪問者は失せる気配もない。

「うるせぇ……」

掠れた声で絞り出した苦情とともに立ち上がり、しぶしぶ玄関へ歩み寄り、チャイムに急かされながらドアを開ける。
開けたドアの向こうに見えた人影に、つい勢いでドアを閉め直した。
オレ以外の手で、すぐさま開き直されたドアの向こうに、先程と同じ人影が見えた。

「なんで閉めんのっ」

間違いない。
不満たらたらにアヒルのような口で不満を訴えてくる。

248 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:49

「なんでここにいんだ……亀井」
「やぁ、はははぁ……よいしょっと」
「笑ってもごまかされないぞ」

笑いながら、じりじりと部屋の中へ入り込み、振り向いてドアを閉めた亀井に言う。
言われた亀井は気にした様子もなく、「まあまあ」などと言いながら、しげしげとオレと、その後ろに広がる部屋へ目をやった。

「寝てたの?」
「そう見えるか?」
「ひどいカッコ」
「うっさい」
「あがっていい?」
「イヤだ」
「おじゃましまぁす」
「なら聞くなよ……」

何のための会話だったのか、まるで意味をなさい亀井の行動に深いため息をつく。

「えっと……部屋はここだけ?」

部屋にあがって、ざっと見回した亀井がそう確認してくる。

249 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:50

「狭くて悪かったな」
「あぁん、そんなこと言ってないじゃん」
「なにしにきた? ってか、なんでここを?」
「こーた、今日は午後からでしょ? 絵里もなのぉ。だからきちゃった?」

なんできたのかはともかく、なんでここをって質問は聞くまでもないことだろう。
亀井と繋がる知り合いで、家を知ってるのなんて先輩しかいなかったんだから。

「きちゃった、じゃねぇよ……何時だか解ってんのか」
「七時……ちょっと過ぎたよ?」
「……はぁ」
「だって……こーたの顔見たくなっちゃったんだもん。しょーがないじゃん。……うへへ」

あまりに曲解のしようもない、真っ直ぐな言葉を口にした後、気恥ずかしいのかフニャフニャと身もだえしながら笑う。
照れるくらいならそんなセリフ口にするなよって、そう思うけれど、こっちだって言われ慣れてるわけもない。
向こうと同じか、それ以上に気恥ずかしくなって、つい顔を背けてしまう。

「座っていー?」
「……どうぞ」

250 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:51

ものすごく興味津々だってことを隠そうともせず、部屋中を見回しながら、シングルベッドと小さなローテーブルの隙間に腰をおろした。
苦笑いでそれを見ていたオレは寝不足の頭を覚ますために、備え付けられた小さな冷蔵庫を開けて缶コーヒーと、お茶のペットボトルを取り出した。

「ほいっ」
「ん? うわわっ!?」

放り投げたペットボトルを危ういところで受け止めた亀井は、手にしたそれを見て「ありがと」と笑う。
軽い音で空けたコーヒーを、一息で半ばまで飲み干したオレに、亀井が不思議そうに、少しだけ困ったような顔で聞いてきた。

「こーた、なんか油? みたいなのついてる」
「は?」

亀井は受け取ったペットボトルを指さしている。
近づいて見たその汚れで、ようやく思いだした。

「あ……」

缶コーヒーをテーブルに置き、自分の両手を見る。
一応タオルで拭いた記憶はあったけど、そこには確かに黒々とした油が、落ちきらずに残っていた。

「これだ……」

251 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:52

その両掌を広げて見せると、亀井は顔をしかめて身を退いた。

「なぁんでそんなに汚れてんの?」
「あー……昨日、仕事から帰ってきて、ずっとバイクいじってた」
「ふうん。……そのまま!? 手?」

話を聞いた亀井が、一拍おいて気がついて、驚いた顔でそう言った。

「いや、一応拭いたんだけど……落ちてなかったみたいだな」
「やぁ、だって、えぇ? そのまま寝ちゃったの?」
「風呂入ろうと思ったんだけど、疲れてたから……つい」
「ついって……あぁ!?」

なにか気がついたらしく、腰を上げた亀井が振り返って、人のベッドを探りだした。

「おい、なにして――」
「ほらぁ!」
「はぁ?」

人の話を遮って、亀井が叫びにも近い声にを上げてベッドを指し示した。
そこには白い――洗ってはいるから、一応――シーツや枕を蔽うタオルケットに、転々とついている黒い汚れ。

252 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:53

「あっ……」
「あ〜あっ……はがして洗っちゃわないとじゃん」
「ん……後でやるわ」

汚れた部分を触らないように、指先でシーツをつまんだ亀井の後ろ姿に話しかけた。

「絵里がやっ…っ――」

振り向いて言いかけた亀井が一瞬硬直したように動きを止める。
身体ごと振り返ったその動きは、予想外に二人の距離を縮めていた。
ぶつからなかったのが不思議なくらいのその距離で、互いの息がかかるほどのその距離で、動揺から立ち直ったのはオレの方だった。

「バッ…急に振り向くなよ」
「え、ぁ……う、うん」

その亀井の言葉を最後に気まずい沈黙が訪れた。
距離をとり、半ばまで背を向けるようにして座り込んだオレと、変わらずテーブルに挟まれた隙間でベッドに背中をあずけている亀井。
静かな部屋の中、どちらとも言葉を失し、どちらとも動くことにすら気を遣っているかのような、そんなぎこちなさを感じていた。

253 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:54

「あの…さ、こーた」

少し俯き気味に、目元までかかる前髪の間から見つめてくる視線。
普段オレに接してくる亀井は、仲のいい友達のような……そりゃあ過分に好かれている気はしていても、それでもだ。
それでも今までは、どこか同姓の友達のような感覚でいたのかもしれない。
そう思い込もうとしていたのかもしれない。
それが……

「絵里…あたしね、ホントにこーたのこと、好きだよ」
「え……?」
「だってほら、ちゃんと言ってなかったじゃん?」
「なんだよ、急に……」
「……なんかぁ、今、そーゆー雰囲気だったでしょ」

おどけた調子になって話す亀井は、なんだかおかしな感じを受ける。
なにか透き通るような、不思議な……澄んだ感じ。

254 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:55

「んん?」
「……ん?」
「どしたの、ボーッとして」
「そうか? 寝足りないかな」
「あ〜…ごめん」

とっさにごまかした言葉を真剣に受け取ったんだろう、亀井はしおらしく小さくなってそんなことを言ってみせる。
真っ直ぐ育てられたんだろうなって、そう思わされて、心があたたかいものに触れたようになるのが解る。
だからこそ、このままでいいかなって、そう思わされる。

「そんな顔すんな、似合わね」
「だってぇ」
「いいよ、そんなん謝らなくて」
「…………」
「な? 手ぇ洗ってくる」

この話はこれで終わり、そういう意味を込めて笑って立ち上がった。
亀井は微妙な顔をしていたけれど、それでも了解したというように笑顔を作ってみせた。

255 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 17:56

流しで――今度はしっかりと――洗い、なんとか汚れを落とした手をタオルで拭いながら亀井の元へ歩く。
そんなオレをずっと見ていたのか、目があってふにゃりと笑う亀井。

「ほい……これならいいだろ」

そんな亀井に気恥ずかしさも手伝って、ぶっきらぼうな言葉でペットボトルの汚れを拭ってやった。
ビックリしたように姿勢を正した亀井が「そんなんじゃない」とか「そうじゃないのに」とか、立て続けに言葉を並べている。

「解ってるから。飲まなきゃ戻すぞ」
「あぁ、飲むぅ、いただきますっ」

慌ててペットボトルに手を伸ばす亀井を見て、オレも残ったコーヒーを口に含んだ。
そうしてやっと落ち着いた状況になり、楽しげに話をする亀井に相づちをうつ。
話の要所で身振り手振りを交えて、時には笑い、時には拗ねたように話す亀井は、くるくるとその表情を変えて。
オレはスライドでも見てるかのように、そうやって次々と色を変える亀井を見ていた。

256 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:03



257 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:05

いつの間にかそれに気を取られすぎたのかもしれない。
気がつくと目の前で、確かめるように亀井が手を左右に動かしていた。

「もおっ、やっぱ聞いてないじゃ〜ん」
「あっ?」
「いいよもうっ」
「なに? なんだっけ」
「ほんと、いい。いいの」

ふて腐れて横を向き、投げやりな口調でそう言う亀井。
オレはいくらかの罪悪感もあって、話の続きを聞こうとしたけれど、亀井は脇に置いてあったバッグを引き寄せる。

「あっ、悪かったって」
「ううん、そうじゃなくて。あ、そうだけど。違うの」

どこか途惑うように笑った亀井が腰を上げながらそう話す。
オレにはその言葉が、なにを否定し、なにを肯定しているのか、とっさには判断がつかなかった。
ふと視界の隅に入った時計に目をやって、やっと亀井の挙動の怪しさが繋がった。

「……時間」

いつの間にか時計の針は十一時になり、すでに朝とは言えない時間になっていた。
それはお互いに仕事へ出なければならない時間ということだった。

258 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:06

「そっちは何時?」
「え? 大丈夫だよ、まだ時間あるから」
「……?」
「な、なに? あっ、絵里ちゃんに惚れ直したりしちゃった?」

 ――大丈夫?

その言葉に引っかかりを覚えたオレは亀井の表情を窺うように見つめていた。
見つめられていると解っている亀井は、えらくワザとらしくおどけたセリフを口にする。

「何時に、何処だよ?」
「……十一時半にダンスレッスン」
「電車? 間に合うのか?」
「……あははぁ」

 ――間に合わないってことか

259 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:07

「っとに……アホ。そっちに、そこにヘルメットあるから取って。すぐ出るぞ」

慌ただしくそう言ってバイクの鍵を掴み、スウェットのままで外へ飛び出して階段を駆け下りる。
大急ぎでエンジンをかけながら暖気をしていると、バッグとヘルメットを手にした亀井が部屋から出てきた。

「降りてきて、ヘルメット被って待ってろ」
「え? あっ、うん」

亀井とすれ違いに部屋へ戻り、スウェットをジーンズに履き替えて昨晩放り出してあったシャツを羽織り、ヘルメットを掴んで部屋を出る。
階下でポツンとバイクの横に立っている亀井の元へ走り降り、被ったヘルメットのシールドを上げて「行くぞ」と声をかける。
だいぶ慣れてきたんだろう様子で、後ろに跨った亀井がヘルメットを寄せて「ごめん」と呟いた。
かろうじて聞き取れたそれへ、カツンとヘルメットをぶつけて返してやった。

バイクを走らせながら、いつもよりも少しだけ、強く身体を寄せるようにしがみついてくる亀井のことを意識していた。

260 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:08



261 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:08

時折ポッカリと店内に客が少なくなることがある。
そんな時だった。
ふと目をやった店の外に、見覚えのある姿の二人連れ。
向こうでも、こっちが気がついたって解ったようで、目立たないように小さく手を振っていた。

「先輩?」
「……え?」
「なにボーっとしてんですか。きましたよ」
「お客さん……誰?」

本当になにか考え込んでいたみたいだった先輩は、まるで見当違いな返事をしてきた。
珍しいなと思いながらも、外でバタバタしてる二人――まぁ主に亀井の方だけど――を指さした。

「表。久しぶりなんじゃないっすか」

そこでやっと外へ目をやって、その存在に気がついたみたいに先輩の背中が笑ってた。
振り向いた先輩が「お前さん、休憩ね」と、いつもの口調で苦笑しながらオレをカウンターの裏へ押しやった。
それに肩をすくめて返して裏へ歩いていく。

262 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:09

裏口の鍵を開けてドアを開くと、待ちかねた声で「遅ぉい」と亀井が肩からぶつかってきた。
押し退けられるように道を空けると、さっさと中へ入っていく亀井。
それを呆れ混じりの苦笑いで見ていたら、「仲いいっちゃね」と、同じように苦笑混じりの声が聞こえた。

「いや、別に、そうでもないから」

そんなオレの反論を、乾いた笑いで跳ね返したれいなが後から入ってくる。
いつものようにソファーに座り、いつものようにコンビニで仕込んできた菓子だの飲み物だのをテーブルに広げる二人。
もうすっかり見慣れたいつもの光景だった。
いつもよりも少しだけ大人しく感じたれいなが、ありふれた会話の中でポツリとその言葉を口にするまでは。

「そういえばここって、やっぱシンちゃんの趣味入っとぉね」
「は……?」
「そーなの?」
「なんで――」
「シンちゃんの部屋と似た感じ」

一瞬、なにを言ったのか、その言葉を理解するのに時間がかかった。
れいなが先輩の部屋を、なんで知っているのかと。

263 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:10

「れーな?」
「先輩の部屋? 行ったことあんの?」
「……うん。何度か。ほら……一応、付き合ってるけん」
「れーな……」
「そうなんだ……?」

なんと言ったらいいのか、それにふさわしい言葉を口にしたつもりだったけど、なんと言うべきなのか解らない。
それほどに驚いた……驚いた?
ちょっとそんな表現は違うのかもしれない。

「ん……話したことなかったっけ」
「なんでっ? いつから?」
「あ、あ〜……少し前から」
「知らなかったぁ」
「言ってんもん」
「そう、なんだぁ。ふうん……なんかビックリしちゃったよぉ、もぉ」
「そんなの絵里が驚くかどうかなんて知らんもん」

それにふて腐れたように「ふうん」と洩らした亀井だったけれど、それっきりどちらというでもなく別の話題に変わっていった。
勿論、オレもいつも通り、特に意図して話題を戻すこともない。
と、いうよりも、ただ口を開くことができずにいただけだった。
二人が交わす会話に頷いてみせたり、形ばかりの相づちをうちながらその場を過ごした。

264 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:11

そうやって実はあるけれど意味のない休憩時間を終えてカウンターに戻った。
カウンターでは、まだオレに気がついてないらしい先輩がなにかブツブツ呟いていた。

「なにしてんだろうなぁ……参ったな」
「なにブツブツ言ってんですか」
「あれ? 早……くないのか」

少し混乱した感情が声に出てしまったかもしれない。
そうと意識しながら、それを抑えるために気を遣いながら言葉を口にしていた。

「三十分すぎてますよ」
「ん……?」
「先輩」
「あん?」
「れいなと付き合ってるんすか」

聞いてどうしようなんてワケじゃなかったが、なんとなく……
そうなんとなく、口をついて出てしまった。

「誰がそんなこと言ったのかな?」

今更この話題を打ち切るのもヘンだろうと、仕方なく話を続けた。

265 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:12

「れいなが、言ってましたよ」
「ふうん……田中ちゃんが、なんだって?」

なにかおかしいと感じたのは気のせいなのか、どこかになにかが引っかかる。
オレも、先輩も、こんなハズじゃなかったのに、なにか手探りでいるような曖昧さを感じる。

「なんか、一応言っとこうと思って……って言ってましたけど」
「そう」
「そう、って……」
「それでなに? お前さんはボクになにを言わせたいのかね」
「いや、別に……なにって――」
「田中ちゃんがそう言うんなら、そういうことなんじゃないかな」
「…………」
「これでいいか?」
「いいもなにも……」

そう呟くと話を打ち切ることを示すようにフロアへ目を向けた。
先輩も、もう特にその話を続ける気もないようで、オレの肩をポンと叩いて裏へ歩いていった。
オレはその後ろ姿を見ながら、どこか……心の奥が……ざわついていた。

266 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:13



267 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:20

それが唐突なことだって、誰でもがそう思うのかもしれない。
けれど自分の中で、もう今しかないって感じが抑えきれないのは事実だから。
ポケットに押し込んであった携帯を取りだして、あまり使ったことのない――携帯そのものがそうだけど――番号を呼び出した。
液晶に表示された見慣れていない番号。そう、見慣れていなかった。
それがどういうことなのか、今になって気がつく。
恋愛だのは得意じゃないけれど、それぐらいは解る。

 ――亀井に甘えてたんだ

好かれていると解って、いつでも向こうから近づいてきてくれるって。
そんなのはおかしいってことくらい知っているのに。

だから……

一つため息をはき出して通話ボタンを押した。
もう日付も変わって一時間ほどだし、寝ているかもしれないと思いながら携帯を耳に押し当てた。
聞こえてくるコール音。
四回繰り返されたその音がプツリと途切れる。

268 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:21

「オレ。孝太だけど……寝てたか?」
『ううん、まだ。どうしたの、こーた?』

確かに、寝てたんじゃないらしい、明瞭で、“らしい”声。

「今、時間いい?」
『うん? うん、別に、だいじょぶ』
「そっか。悪い、ちょっとだけ、出てこられないか? 今、近くまできてんだけど」
『うそっ、なんで? ドコぉ?』
「そっから一本脇に入って五分ぐらいんとこ、小さい公園あんの、解る?」
『んん〜? ……あぁ! うん、知ってるよぉ。えぇ、でも、あっ、どーして?』
「……ちょっと、話したいことと、頼みたいことあって」
『え? えへへ♪ ちょっと待ってね』

嬉しそうに笑った亀井の気配が電話の向こうから消えた。
なにしてんだろうと思いながらしばらく待つと、少し抑えた感じで『いく』と声が聞こえた。

「悪い。なら通りの前で待ってる」
『うんっ』

そこまでで切った携帯をポケットにねじ込んで、ホッとしながらもしんどさ混じりのため息をついた。
すっかり熱の抜けたバイクのタンクをなぞるように撫でる。
こいつに傾ける時間を亀井に充ててやれば良かったのかもしれない。そう思う。

269 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:22

電話を切ってから十五分ほど過ぎただろう頃、街灯の明かりの下、薄暗い通りの向こうに人影が見えてきた。
すぐそばにある自販機で缶コーヒーとお茶を買った。
二本の缶を片手に顔を上げると、思ったよりも遙かに早く、その人影が近づいてきていた。

膝下までのジーンズに白いTシャツ。さすがに寒いと思ったのか淡い緑のブラウスを羽織った姿が走ってくる。
転ばないかと気にしてしまうほどの速さで二人の距離を縮めてくる。

「こっそり抜け出してきちゃった♪」

オレの前、数歩の距離で急停止して、直後に一声。
ニッコリ笑ったかと思うと、両膝に手をあてて俯き気味に、ハアハアと乱れた呼吸を整えている。

「にしたって、走ってくることないだろ」
「っ…ハァ、……だって、あんま待たせたら…ふぅ、……帰っちゃうかと思って」
「帰んねーよ」

んなわけないだろ、って、そう思いながら亀井に近づいて、冷えたお茶を差し出した。

「飲む?」

目の前に出された缶と、そしてオレを見比べるように交互に見て、少し苦しそうにしていた表情が緩んだ。

270 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:23

「ありがとぉ」
「おう。……ちょっと、中で座んないか?」

そう話す間にお茶に口を付けていた亀井が、こくんと喉を鳴らして頷いた。

暗い夜の世界で小さな公園は隠れ家のように薄明かりに照らされている。
弱い照明の一つ、そのすぐ下に三人ほどが座れそうなベンチが固定されていた。
先に立って歩くオレの後ろで、数歩遅れてついてくる亀井の気配。
誰かが手入れしてるんだろうか、ベンチは小綺麗に見えて、オレはその端へ腰を下ろした。
すぐ後ろにいた亀井は、チラリとオレを見下ろしてから、同じようにベンチに座った。
指二本分ほどの距離に。

「…………」
「なによぉ」

自分では解らなかったが、どうやらオレは、咎めるような目つきをしていたらしい。
亀井の拗ねた表情と口調がそう教えてくれた。そんなつもりはなかったんだけど。

「別に……」
「ふうん。ならいーけどぉ」

そう話す亀井の横顔は、直前までの表情とはまるで違う、なんていうか、悪戯に成功した子供みたいに笑っていた。
どうやらオレはからかわれたらしい。
不思議と悪い気分じゃない。が、今日はそんな状況じゃあいられない。

271 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:24

「あのな」
「うん?」
「……話したいことあるって言ったろ?」
「あ〜、うん」

口にしたものの、なにをどう切り出したらいいのか、自分の中で膨れあがってる気持ちを、どう亀井に伝えるのか。
そんな迷いを亀井はどう取ったのか、並んで座っているオレを、「ん?」と首をかしげてのぞき込む。

「いや……そうだ。亀井さぁ、なんていうか、初めてオレのこと気にしたのっていつ?」
「え? ……正直に言っていい?」
「あぁ」
「一年の時は、あんまり覚えてなかった。あっ、違うの。なんてゆーのかなぁ、んー……」

そう言いながら、考え込むように口元に指を添えている亀井は困っているように見えた。
オレに気を遣ってるのか、そうでないのかは解らなかったけど、どうにも出てきそうにない答えに言葉を挟むことにした。

「じゃあ三年の時だ」
「あっ、うん。そう。最初はね、なんか絵里以外にも――あっ、ほら絵里もうこの仕事してたから」
「ん。知ってる」

短い言葉で続けてくれと促す。

272 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:26

「うん。絵里以外にもね、あんまり学校こない人がいるんだなって。きっかけはそれだけだったんだけどぉ」
「家庭の事情」
「うん……」
「ん? 知ってんのか」
「あっ。シンちゃんに、聞いちゃった……」

眉をハの字にして、本当に申し訳なく思ってるんだろう表情。
そんなこと気にすることでもないのにと笑い出しそうになる。

「別に。気にするこっちゃないから」
「でもぉ……」
「なら、ちゃんと話すさ」
「え?」
「だいたい中学に入った頃からかな、理由は知らない。でも、うちの両親は仲たがいしだしたんだ。
 まぁ、物心ついた頃から、仲良くしてるトコなんて見たこと無かったんだけどな」
「こーた……?」
「それでも一年の頃は、まだマシだった。二年になる頃……なった後だったかな、親父はほとんど帰ってこなくなって。
 母さんもどこかおかしくなってた。やたらとオレにあたるようになって。家のこともなにもしなくなった。無気力ってのかな」
「…………」
「そんな顔すんなよ。昔話だからさ」
「……ん」

273 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:35

「三年になる頃には、身体の方までおかしくなってきちゃってな、……入院だって。親父はもうドコにいるかも解らねえし。
 母さんの方の祖父ちゃんが助けてくれなかったら、どうにもならなかっただろうと思うよ。
だから学校も休みがちになっちまってなぁ。それで中学卒業したら、祖父ちゃんトコに引き取られたんだ」
「そう……」
「それから……まぁ、きっかけがあって、そこを出て一人暮らし始めて、で、今に至るって感じ」
「きっかけって?」

亀井にしてみれば、なにげなく、頭に浮かんだ疑問だったんだろう。
ただその話をすると……、そう思うと少し躊躇していた。

「まぁ、なんていうか……母さんが死んだから」
「あっ……ご、ごめ」
「ちょ、待って。泣くことないっての」
「でも、だって……ごめんなさい」

やはり言わなければ良かったか。
謝りながら、ぽろぽろと涙をこぼす亀井を見てそう思った。
けれど、ちゃんと話しておきたかったのも本当だったから。

「泣かしたくてこんな話したわけじゃないんだっての」
「わかってるけど……」
「ただ、ちゃんと話したかっただけなんだから、頼むから泣くなよ」
「ごめん……」
「ホントにいいから。さっきの、続けてくれよ」

そう頼んだ。本心から。
頷いた亀井は、指先で涙を拭い、両手で顔を覆って俯いて、「うー」と唸るような声で切り替えたようだった。
顔を上げた亀井は、泣いてしまったことを恥ずかしがるように笑い、改めて話し出した。

274 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:36

「……ん。えっと、そう。こーたも学校こないんだって、そう気がついてから、結構気にしてたの。
 それでね、仲良い子にちょっと聞いてみたり、結構ちらちら見てたりもしたんだよ」

照れくさそうに亀井が「知らなかったでしょ?」と笑う。
まったくだ。オレだって亀井のことを見ていたのに、まるで気がつかなかった。

「そうなんだ」
「えへへ。それでね、あっ、こーた。体育祭って、覚えてる?」
「体育祭? 三年の?」
「そう。あれが、絵里にとっての……“好き”って始まりだったの」

そう話す亀井は横を向いてしまって、「ハズカシぃ」なんて言いながら、手で顔を扇いでる。
街灯の明かりでも、茶色の髪から覗く耳が朱くなっているのが解った。

275 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:37

「亀井のこと、応援したんだ」

ぼそりと、呟いた言葉に、亀井が「えっ?」と顔を上げて見つめてきた。
オレは気恥ずかしさから顔をそらし、小さな砂場を見つめながら繰り返した。

「亀井が走ってるの、応援したんだ」
「覚えてたんだ……?」

口に手をあて驚いたように亀井が言った。

「そりゃ覚えてるさ」

 ――覚えてるに決まってる

いない間に押しつけられた役割に、ただ一つだけ一生懸命になった瞬間だったんだから。
忘れるわけなんてない。

「一年の時から、ずっと亀井のこと……好きだったんだから」

276 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:38

多分、今まで一度も言ってなかった言葉を、今、始めて口にした。
もっと早く、ずっと前に言っていれば良かった。
愛された記憶なんて無かったから、それがどういうことなのか解らなかった。
“好き”だってハッキリ気がついてれば……。

「こーた……初めて、言った」

半ば呆然としたように、亀井はそう言った。
両手で押さえた口元から、こぼれ落ちるみたいに聞こえてきた声だった。

「ん。多分、入学式で初めて会ったときから、ずっと好きだったんだと思う」
「やだ、なんか恥ずかしいじゃん……もぉ」

もじもじしながらそう話す亀井は、本当に嬉しそうにしてくれていた。
今まで言ってやれなかった自分を悔やみながら、それでもやっぱり言わない方が良かったのかとも思う。

「だから……亀井に頼みがあるんだ」
「絵里」
「え?」
「“亀井”じゃなくて“絵里”だもん」

笑いの中に拗ねたような調子を含んだ声。
その言葉を聞いたオレは、湧き上がる感情を抑える努力をしなければならなかった。
それまで以上に。

277 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:39

オレは腰を上げて亀井の前に立ち、正面からその目を見つめた。
突然立ち上がったオレを、不思議そうに見上げる亀井の目。
数秒見つめ合い、話し出そうとしたその瞬間、亀井の瞳が揺らいだ気がした。

「亀井に言わなきゃならないことがあるんだ」
「“絵里”。……いいよそんなの」
「そうもいかない。聞いてくれよ」
「やだっ」
「頼むよ」
「やだってば」
「亀井っ」

つい声が大きくなってしまった。
亀井はビクッと身体を震わせる。

「聞けって……」
「やだよ……だって、絶対やなこと言うもん……」

オレの表情からなにかを感じ取ったのか、亀井は駄々っ子みたいにそう言った。

278 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:40

「オレ、亀井のこと“絵里”って呼んでやれない」
「聞かないっ。絶対やだもんっ」

ぶんぶんと首を振り、オレの言葉から逃げようと俯く亀井の肩を掴んだ。

「オレ、そういうのよく解んないけど……亀井が初恋だったよ」
「今は……? もうキライんなっちゃった……?」

俯いたままでそう聞いてくる亀井の声が、少し鼻にかかってる。
心が痛んだ。だけどきっと亀井の方が痛いんだと思う。
けど、好きだって気持ちよりも強い同情で一緒にいるなんて、亀井のことを卑しめるようでできない。

「今でも、嫌いなわけない。好きだと思う」
「なら、いいじゃんかぁ」

泣かせてるのはオレで、傷つけてるのもオレで。
初めて好きになった娘だからこそ、こんな気持ちで一緒にはいられない。

279 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:41

「ダメだよ」
「………ゃだ」
「他に気になる娘がいるって、気がついちまったのに、一緒にいるなんて卑怯だろ」

俯いて、落ちた肩が小さく揺れていた。
足もとの土が、ぽつぽつと濡れていた。
こんなつもりじゃなかった。そう思っていると、スンと鼻をならして絞り出すような声が聞こえた。

「……え…絵里はぁ、それでもいいよ」
「っ――。いいわけないっ。そんなの……ずるいだろ」
「……へへっ、ずるくてもいいよ。こーたがいれば」

涙で濡れた顔を上げて、力のない声で亀井が言う。
自分がどれほど亀井を傷つけているのか、改めて気づかされる。

「ごめん、できない」
「そっか……そうだよね。……じゃあさぁ、その人に、フラれるまで待ってるから」

そんな言葉を口にする亀井は笑顔だった。
どう見たって無理に作っている笑顔で、今にも崩れてしまいそうな笑顔で。
その笑顔に応えてやれたらどんなにいいか……

280 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:42

「できない……許せないなら殴ってくれてもいい。だけど、ごめん」
「なに言ってんの……?」

笑顔が……壊れた。
泣きながら浮かべた表情は憤り。
それでいいと思った。怒ってくれる方がどれだけ楽か、と。

「できるわけないじゃん……」
「え……?」

そう言って立ち上がった亀井がオレの胸に手をあてて、もう一度、掠れて消えてしまいそうな声で繰り返す。

「できるわけないじゃん……」

何度も、何度も、同じ言葉を繰り返す。
オレのシャツを掴み、胸に額を押し当てて、泣きながら、同じ言葉を。
オレにはもう、なにも言えなかった。
亀井にかけてやれる言葉が見つからない。
だらりと力なく下げた両手。
今のオレには亀井を支えてやれる腕はない。
好きだけど、好きだから、手を差し伸べることはできなかった。

281 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:43

「こーたぁ……」

亀井が視線を上げてオレを見る。
少し背伸びをして、近づいた耳元でささやく。

そして再び俯いて、オレの胸にあてた手をグッと伸ばし、なにか勢いでもつけるように自分から身体を離した。
俯いたままでいる亀井の表情は見えない。
そのまま振り向いた亀井が離れていく。
逃げるように走る亀井の後ろ姿は、オレが応援したあの頃のままだと、場違いに思った。

残ったのは胸元についた涙の跡。
強く握られたシャツのしわ。
そして耳元で響く最後の言葉。

 ――『大好き』

そしてオレは最低だった……

282 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:44



283 名前:泣いたままでlisten to me 投稿日:2007/03/17(土) 18:45



284 名前:匿名 投稿日:2007/03/17(土) 18:52

今日はここまでです。
個人的には色々な意味で「がんばった」感じの回。
結構気に入ってたりします(苦笑)

レスくださる方には感謝を。
でもまだ当分終わりません。
半分くらいな手応え。

次回は一週空けて再来週になりそうですが、よろしくお付き合いをお願いします。

285 名前:亀かめカメ 投稿日:2007/03/18(日) 01:56
お疲れ様です
カメちゃん派閥としては何と言ったらえぇものか・・・・
でも内容はかなりスバラシイ作品です。
続きをハラハラドキドキ的な感覚で待ってます
286 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/03/19(月) 23:59
あわわわわ〜
大変なことになってますね
ちなみに自分も亀ちゃん派閥です
続き待ってます
287 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:36



288 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:38

「あぁ〜ん、すっかり寝坊しちゃったぁ」

ちゃんと起こしてくれなかったお母さんを恨めしく思いながら、決して速くない脚で一生懸命走っていた。
うっすらと汗がにじむ頃、やっと着いたスタジオ、駆けてきた勢いのままで控え室に飛び込んだ。

「おはようございまーすっ」
「遅いっ! しげさん遅いよ。ちゃっちゃと着替えて」
「すいませぇん」

タイミングの悪いことに、入り口のそばにいた吉澤さんに早々と叱らてしまった。
……三十分も遅れちゃったから仕方がないんだけど。

叱られた私をそれぞれの表情で迎えてくれるメンバーに挨拶をしながら、奥で手を振ってるれいなのトコへ歩いていく。

「どーした? 寝坊?」
「うん。遅れそうなときはお母さんが起こしてくれるんだけど……」

バッグから取り出したレッスン用のジャージに着替えながら答える。

「あははっ、仕方ないっちゃね」
「ツイてなーい」
「今日は珍しかね」
「え?」
「絵里も遅刻しとる」
「あっ、いないと思ったら……まだきてないんだ?」
「ん。ケータイに電話したけど出よらんし」
「そうなの? 移動中だったりするんじゃないの?」
「そっかも。まさかまだ寝てたりせんやろし」

そう笑うれいなに笑顔を返したけれど、いくらなんでもそんなことはないだろうと思う。
もちろん、れいなだってそんなことは解ってて言ってる。

289 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:39

「電話してみようかな」

脱いだ服をバッグに押し込んで、替わりに取り出した携帯を開いて呟いた。
ちょうどそのとき、部屋の扉が開いて、振り付けのレッスンを見てくれる先生が入ってきた。
先生はパンパンと手を叩いてレッスンの始まりを告げた。
吉澤さんがちょっと苦い顔をして、先生となにかを話している。
しばらくして先生が出て行くと、吉澤さんがメンバー全員に聞こえるように話し出した。

「じゃ、時間だから行くよ。カメが遅れてるけど、個人練習から入るんでー。とりあえず始めるよ」

一息に言い切った吉澤さんが先に立って控え室を出て行くと、ドアのそばにいた新垣さんが後に続いた。
そして一人、また一人と控え室から出て行き、れいなも困ったように眉を寄せて腰を上げた。

「仕方ないけん行こっか」
「そーだね。もうすぐくるだろうし。うん。行こっ」

手にしていた携帯をバッグに戻して、待っててくれたれいなの手を握って部屋を出た。

レッスン場に入ると、二人の先生が打ち合わせをしている時間に柔軟をすませて、各個人で振り付けのおさらいを始める。
なかなか姿を現さない絵里のことを考えていたら、散漫な動きが目についてしまったみたいで先生が近づいてきた。
一つ一つの動きを注意されながら、仕方なく絵里のことは頭の隅に置くことにする。
そうして一時間ほども過ぎた頃、全体でのフォーメイションを合わせなければならない時間になり、それでもまだ姿を現さない絵里に、先生たちは苛立っていた。
仕方なく、絵里の代わりに先生が一人入って進めるという話になって、みんながそれぞれの位置についたとき、慌ただしく扉が開いた。

290 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:40

「ごめんなさいっ、遅くなりました」

入ってくるなりそう言って頭を下げているのは絵里。
とりあえず、事故とかじゃなくて良かったと、ホッと一安心して見ていると、絵里は先生たちに叱られながら、ただひたすら何度も頭を下げていた。
しばらくお説教をされた絵里が、もう一度頭を下げて自分の位置に歩いていく。
途中、すれ違いざまに藤本さんがなにか話しかけたみたいで、極まり悪そうに笑った絵里がペシッと頭を叩かれていた。
自分の立ち位置について、きょろきょろと周りを見回した絵里と目があった。
絵里は、さっき藤本さんにして見せたのと同じ、大幅に遅れたことを恥じらうような笑顔を見せて正面に向き直った。
それからは、絵里が遅れていたことで少し合わなかったり時間がかかったことはあったけれど、一通りのレッスンを最後までこなせた。

多少押してしまった時間に、汗を流す間もなく次のスチール撮影に向かわなくちゃならないことになった。
落ち着いて話す間もなく着替えをすませると、マネージャーさんに追い立てられるようにバスに乗り込んだ。
先にバスに乗っていた絵里は、一番後ろの席で荷物と吉澤さんに挟まれるようにして座ってた。
ちょっと話したいと思ったけど、この状況だとそれもできなさそう。
しょーがないかって諦めて、手前の空いてる席に座り込んだ。

撮影スタジオにつくと休む間もなく、メイクをすませ、衣装へ着替えを終えた順に撮影に入らされる。
こういうとき、いつも決まって遅いのは紺野さんと、そしてさゆみと、絵里だった。
少し離れたところでお菓子をつまみつまみ話し、紺野さんを待っていたらしいまこっちゃんが呼ばれていって。
後を追うように「じゃあお先に行くね」と紺野さんも控え室から出て行った。

291 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:41

「……絵里さぁ」
「んー?」

衣装に着替えた後も、どこか気にするようにメイクを直していた絵里は鏡を見つめたままで。
そんな絵里の背中へ鏡越しの表情を窺うように言葉を続けた。

「ずいぶんハデに遅刻したよね」
「えー? あはは。ねえ。さすがにバスん中で怒られちゃったよぉ」
「みたいだね。どうしたの? 寝坊? れいながケータイにかけたけど出なかったって言ってたし、心配しちゃった」
「うあー……ごめん。ホラ、慌てて出てきたじゃん。うちに忘れてきちゃってさ。ホント、ごめ〜ん」

こうやって話しをしながら、どこか違うって感じがしていた。
なんか上辺だけで言葉が滑っている、ちゃんと言葉を交わしてないみたい。

「絵里……なんかあった?」
「へっ? なにがぁ? べつにな――」

ぎこちない言葉で絵里が振り向きかけた瞬間、控え室のドアが遠慮がちにノックされた。
その間の悪さにじれったい気持ちになりながらも扉の向こうまで聞こえるように返事を返した。
静かに開けられた扉からスタッフさんが顔を出し、「お二人ともお願いします」とだけ告げて、慌ただしい足音が遠ざかっていった。

292 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:42

「……行こっか」
「うん」

なんとなく気まずい雰囲気の中、そう呟いて立ち上がった絵里を追いかけた。
スタジオへ向かいながら、前を歩く絵里が、振り向くこともなく「なんでもないからね」と言った。
それは別に、答えが返ってくるとは思ってない言葉のような気がしたから、あえてなにも言わず黙って歩き続けた。

撮影が終わって控え室へ戻ってみると、中には絵里一人だけしかいなかった。
パッと見て荷物が減っているようだから、早めに終わった何人かは先に帰ったのかもしれない。
絵里は私が戻ってきたのをみると、あからさまに帰り支度を急ぎだしたようだった。
近づいていく私を見ようともしないで、手早くファスナーを閉めたバッグを抱えて立ち上がりかけた絵里に話しかけた。

「絵里、ちょっと話そう」
「えぇ? あの、絵里急ぐからさぁ」
「ちょっとだから。座って」
「う……」

ものすごく渋々と、それでも座り直してくれた絵里の隣へ座って話しを始める。

293 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:43

「絵里さぁ……どうしたの?」
「なにが? なんにもないよ」
「教えてよ〜。今日の絵里おかしいもん」
「ホントに、なーんにもないんだってば」
「……なら電話して聞いてみるよ?」
「だ、なにを、誰に聞くの?」

バッグから携帯を取り出して、カマをかけてみたのが当たったみたい。
こういうところは絵里は一番解りやすい。

「絵里のママ」
「いいよ、別に」

違ったの。
だとすると……

「孝太くん」
「――っ、お母さんとこだって言ったじゃん!」
「いいでしょ、どこだって」
「だって、でも、さゆ知ってんの? こーたの番号」

ハッキリした。そっか、孝太くんなんだ。
それで遅れてくるって……まさか泊まったとか、そういうこと?
だったら別にいいんだけど……よくないのかな。

「それくらい知ってるの」
「ぅ〜……」
「するよ? 電話」

絵里の様子を窺いながら、開いた携帯のボタンを適当に押してみる。

294 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:45

「ダメぇ!」
「どーして?」

絵里の反応がやっぱりおかしい。
照れてるとか、そんなんじゃないみたい。

「だって……もうなんでもなくなっちゃったから」
「え? なんでもって、ケンカでもしたの?」
「ケンカなんかしてないよ。ケンカなんて……」

思ったよりも深刻なことになってる。そんな絵里の表情。
まるでヒビが入ったガラスを手で押さえて、壊れ落ちるのを防いでるみたいな。

「どういう……どうしちゃったの?」
「えへへ……フラレちゃいました」
「ええっ!? そっ――」
「でもホラ、しょーがないじゃん? こういうのって」
「だって……」
「んー、じゃあさ、ちゃんと話しちゃおっかな。さゆには」

295 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:46

無理におちゃらけた声で、ぎこちなさをありありと感じさせる笑顔の絵里がそう言った。
それは昨日の夜のことだと絵里は話し出した。。
夜遅くにかかってきた電話に、イヤな予感がしたらしい。
孝太くんから連絡があること自体が珍しいことなんだって、泣きそうに笑っていた。
それでも、最初のうちは勘違いだったかもって、そんな話しをしていたそう。
だけど急に……そう急にダメだって、聞きたくないって。

「初めて“好き”って言ってくれたのにさぁ……それが最後んなっちゃったよぉ」
「絵里……」
「でさ、もうね、絵里カラカラになるんじゃないかってくらい泣いちゃった。
 でもー、あっ、目が赤くて腫れぼったくなっちゃってさ、ヘンに心配かけたくなかったから……」

一生懸命腫れを抑えて、だから遅れてきた。そういうことらしい。
孝太くんはそういう結論を出した。それを責めるつもりはないけど……

「それで、絵里はいいの?」
「よくないよっ! ……でもしょうがないじゃん」

揺れた感情に大きくなった絵里の声。けれど次の瞬間にはささやくような声に変わった。
自分でもどうしたらいいのか、気持ちの整理なんてついてないんじゃないのかと思う。

296 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:47

「うるっさいなぁ」

急に聞こえてきた声。
絵里のでもさゆみのでもない、不機嫌そうな声。
驚いている絵里の目線を追って振り向いた先、同期の先輩がソファーの背もたれ越しに身体を起こしていた。

「ふっ、藤本さん。いたんですか!?」
「せっかく気持ちよく寝てたのにさ。なんか辛気くさい話してんだもん」
「ごめんなさい……」

二人きりだと思っていた私は驚いて、なんとも言えずにいると、絵里の申し訳なさそうな声が聞こえた。
聞いてたんだったら……そんな言い方……、あんまりなその言い方に藤本さんの気持ちが読めなかった。

「藤本さん――」
「さゆっ」

怪しむような口調になってしまった声に、絵里が腕を引っ張って止めようとする。
解ってるけど解らない……まさか本気で苛立ってるとも思えないし。

「ふじ――」
「亀井ちゃん」

出しかけた私の声を抑えつける。そんな力を持った不思議な声だった。
二度、三度とまばたきをして、カシカシ頭をかきながら絵里の名前を呼んだ藤本さん。

「亀井ちゃんはさー、どうしたいワケ?」

少し低い鼻声で短くそう言った藤本さんが、ソファーの背もたれに上半身をあずけて、私と、その後ろの絵里を見つめていた。

297 名前:間奏5 道重さゆみ 投稿日:2007/03/31(土) 23:48



298 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/03/31(土) 23:57



299 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/03/31(土) 23:58

何度もありがとうって言われたけど
こんなに胸が痛くなるありがとうは生まれて初めてだった
これまでにもチクリとすることはあったけれど
それとは違う、まるで逆の痛みだった

幸せにする
正直な気持ち

幸せになって
正直な気持ち

キミが幸せに歩いていって、ボクはそれを見送る

嬉しい、哀しい
ただ言えるのは、笑顔のキミでいて欲しい

それだけだった

300 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/03/31(土) 23:59



301 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/03/31(土) 23:59

あの日、ちゃんと付き合うと、そう口にしたあの日。
あれから田中ちゃんは二度しか店にきていない。
そのときもカメちゃんと二人で、そしてしげちゃんも連れて三人できていた。
それが田中ちゃんなりの気遣いであり、けじめの付け方なんだって解ったのは、昨日のことだった。

店じまいを終えて、コータを先に帰らせた後、一服してからさぁ帰ろうとしたそのとき。
狙ったように鳴りだした携帯に舌打ちしながら液晶をのぞき込んだ。


 着信 田中ちゃん


ボクの中にこみ上げた不機嫌さは、まばたき一つの間に困惑にすり替わっていた。
「こんな時間に……?」と呟いて、我に返るや慌てて通話ボタンを押した。

「はい」
『シンちゃん?』
「そりゃあシンちゃんだけど。どうしたの、こんな時間に」
『もう終わった? お店』
「終わったよ。今帰ろうかと思ってたトコ。どした?」
『あの……』
「ん? なに、なんかあった?」
『そーじゃなくて、なんにもないっちゃけど』
「うん?」
『なんにもない。なんにもないけん……』

302 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:00

どうにも要領を得ない田中ちゃんの話。
こんな時間にわざわざかけてくるくらいだから、用件があるんだろうと思うんだけど、それらしい話にならない。

「だから……どうしたのさ?」
『だから、その……あっ、シンちゃん疲れとらん?』
「ん? いや、そんなでも」
『したら……行ってもいい?』
「へっ!? 行ってもって、ここへ? 今から?」
『ダメ?』
「ダメじゃないけど……」
『じゃあ今から行く』
「……うん。なら待ってるよ」
『じゃあ』

切り際の笑いを含んだ声が耳に心地よかった。
それにしても……よく解らないことばかりだった。
最近の、というよりも厳密にはあの日以降の田中ちゃんは、ボクにつかみ所を与えてくれない。
出会った頃の田中ちゃんの方が、今よりも解りやすかったくらいだ。
それが田中ちゃんの変化なのか、それともボクが変わったのか、どっちなのか解らないけれど……

 ――まぁ、そんなことを考えても仕方がない。

それが今出せる次善の結論だった。

303 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:01

つまるところボクは田中ちゃんにとって、待ち合わせの時間をつぶす相手なんだろう。
待ち人がくればそれでいい。ただ笑顔で離れていくだけ。
なかなか相手がこなければ、それまでの時間を少しでも笑顔で過ごさせてあげる。
そして待ち人がこないのなら、いつか諦めて、次の待ち合わせまで一緒にいよう。
ただそれだけの話なんだと思う。

そんな結論を心の中で纏めたとき、ちょうど計ったようにドアをノックする音が聞こえてきた。
どこか控えめな、表向きには見せない田中ちゃんのようなノックに頬が緩むのが解る。

「いらっしゃい。ずいぶん早――、どしたの?」
「――っ、ハッ〜……。ちょ、ちょっと……走ってきたけん」

膝に置いた左手で身体を支えて、俯いて荒い呼吸を繰り返しながら、右手を力なく掲げて“待って”のサイン。
幾度か深い呼吸を繰り返してから顔を上げた田中ちゃんが、もう一度、確かめるような深呼吸をした。
蛍光灯の灯りに照らされる田中ちゃんは、口元にはにかんだような笑みを浮かべ、額にはうっすらと汗がにじんでいた。
ボクはそれに驚きながら、冷蔵庫からペットボトルを取り出して田中ちゃんの目の前に浮かせて見せた。

「ほい」
「……サンキュ♪」

304 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:02

快活に喉を鳴らせる田中ちゃんを笑いながらソファーに腰を下ろして待った。
そうしているうちにもペットボトルを半ばまで空けた田中ちゃんが、踊るような足つきでポスンと音を立ててソファーに座り込む。
向かいで揺れたミニスカの裾にドキリとさせられたボクは思わず顔をそらした。

「どうかした?」
「いや、なんでもないから。お気になさらずに」
「なんでそんな言葉遣いね」

おかしそうに田中ちゃんが笑顔になる。
何故だかそれが胸にしみる。
おかしなことに、ここしばらく眠っていた感覚が息づくように。

「へんなの。なにニヤニヤしとぉ」
「え? そう? なんだろうね」

それに気がついてなかったボクは慌てて取り繕うような言葉を口にした。
そしてそう話してから、今は無理に取り繕う必要もないのだということを思い出す。
そうだった。
ボクは田中ちゃんのことが好きで、“好きだということになっている”のだから、それを隠す必要はない。
例えどれほど短い時間だったとしても、今だけは無理をすることなんてないんだって。

305 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:03

「シンちゃん?」
「――うん?」
「もしかしてウソついた?」

 ――っ!?

「へっ!? な、なに……」
「だってさっきからおかしかもん」

まさかそんな、気づかれるようなことなんてなかったはず。
今バレるのは……マズイ。それじゃあ田中ちゃんに余計な感情の揺らぎを与えてしまうことになりかねない。

「別に……なにもウソなんて」
「信じれん」
「そう言われても……」
「ウソなんかつかんでもいいんだよ?」

それまでの懐疑心ありありの表情が、くるりと変わって不確かな心を映したような表情になる。
少し首を傾げて下からのぞき込んでくる、揺れる瞳と長い睫毛に魂ごと持って行かれるようだった。

306 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:04

「……ボクは――」
「疲れてるんならそう言ってくれた方がっ……れいなは嬉しい」

田中ちゃんは恥ずかしそうにそう言った。
ボクの言葉を包むように話し出した声が、急に失速して語尾が掠れていく。
けれど確かに耳に届いた声。

ボクは危うくこの表情を失ってしまうところだった。
きっと今、田中ちゃんに話してしまっていたら、この子は失望するだろう。
いや、怒るかもしれないね。
同情なんかされたくないって、子供だと思ってバカにしてるのかって。
だけどそうじゃなくて……

「シンちゃん?」

小さな問いかけに我に返る。
正面から真っ直ぐに見つめてくる田中ちゃんの少しきつめの目が頼りなげに見えた。

「あ、ごめんっ。ちょっとだけ、疲れてるのかも。だけどホラ、田中ちゃんといる方が嬉しいし」

本心を混ぜ込んだウソ。
気が咎めないといえばそれもウソになるけれど、これが最善だって思うから。
今の“二人”にとってはこれが。

307 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:05

「やっぱりっ! そうやったられいな帰った方が――」
「いやいやいや、平気だから。気にしないで。っていうか、なんか用があったとかじゃないの?」
「あっ……用っていうか」
「ん?」
「や、えっと……ちょっと言いたいことがあったけん」
「言いたい、こと?」
「そう……」
「な、なに?」

平静を装おうとしながら、微かに言葉がつまるのを自覚する。
もしかしてそういうことなのかな、と考えると、なかなか覚悟がいることだった。

「…………」
「……どうぞ?」

言い淀む田中ちゃんに、目一杯の努力で話を促した。
一度目をそらして俯いた田中ちゃんが、「ふう」と息をつく。

308 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:05

「ありがと」
「……はい?」
「だから、その……ありがとっ」
「……うん」

なにを言われているのか解らないままで返事だけをしてみた。
いや、なにか感謝をされていることは解ってはいたけれど、なんなのかはサッパリ解らない。
ついと持ち上げられた右の手がテーブル越しに、膝の上で汲まれたボクの手に伸びる。

「ありがとう」

三度目のありがとう。
それで初めて触れられた手を意識した。
遠慮がちに、指を重ねる感覚。

「あっ、と。その、なんで?」
「え? うーんと、だって言いたかったんやもん」
「うん? うん。そうなんだ? ……どういたしまして?」

ボクは重ねられた指先をするりと返し、軽く掲げながらそう笑ってみせた。
感謝されることに納得をすることはないけれど、納得してみせるべきだと思うから。
掲げられた華奢な手で、きゅっと少しだけ力を入れてきた田中ちゃんがくすぐったそうに微笑んだ。
田中ちゃんの気持ちが嬉しくて、それだけで不思議なほどに満たされて、ボクらはどちらからともなく笑いあえた。
そんな夜だった。

309 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:06



310 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:14

数日後の朝、せっかくの休みだってのに珍しい人からの電話で起こされた。
とうよりも、この娘から連絡がくるのは初めて、だった。
携帯に表示されたその名前に、一瞬誰だっけかと考えてしまうくらい。


 着信 しげちゃん


鳴り続ける着信音に我に返って通話ボタンを押した。

「はーい?」
『もしもーし、さゆみですけど』
「はいはい。しげちゃんから電話くれるなんて、まさか雪とか降ってないよね?」
『面白くなーい。ってゆーかそんな暇ないの』
「ヒドイね。で、どうしたのさ」
『昨日はお店やってた?』
「そりゃまぁ、もちろん」
『孝太くんは?』
「へ?」
『昨日、いた?』
「いたけど?」
『いたんだ……』

なんだろう?
孝太が、なんだってのかな?

311 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:14

「どうしたのさ」
『あの……普通に、仕事してたの?』
「普通? んー、普通ってや普通だったろうけど。まぁいつもよりも喋らない気はしたかも」
『それだけ?』
「他に? そうだなぁ……ああっ、休憩とらなかったね」
『…………』
「しげちゃん?」
『ううん、そうなんだ』
「なに、なんの話よ」
『二人が別れたって話』
「二人って……コータと――」
『絵里。ふられたって』
「そう…なんだ」

そういうことなのか。
それが一番最初に形になった気持ちだった。
後から後からぼんやりとした気持ち、触れれば痛みを伴いそうな気持ち、ずっと手にしていたい気持ち。
互いに押し合い、形を変えていく気持ちの中で、一番強い気持ちだけに集中していく。

312 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:16

『それだけ?』
「そうだね。カメちゃんは可哀想だし、コータに言ってやりたいこともなくはないんだけど」
『ふうん』
「しげちゃんは、そのためにボクに電話してきたの? コータに、じゃなく」
『……さあ』
「ふーん。まぁさ、そっちのことは見てるしかないんじゃない。ボクも、しげちゃんも。カメちゃんはどうなの?」
『どう? そーだなぁ……昨日遅れてきたけど、それ以外は割と普通』
「そっか。ならボクはなにもしないよ。できもしないし、そんな立場でもない」
『そーだけどさぁ。シンちゃんはいいの?』
「なんか、怖いね、しげちゃん」

ボクは電話の向こう、きっと気持ちを悟らせない表情で見つめてくるだろうしげちゃんに笑いながらそう洩らした。
カメちゃんや田中ちゃん、コータも。
渦中にいる人間には見えない部分を見ているようで、それでいて彼女はなにもしないでいる。
言い方は悪いけど、部外者で、傍観者、それでも二人を気にしながら余計なことはしないらしい。
怒ることもなく、同情しているのでもないようで、感情的にならずにいるのは自分のことではないからなのか。
そうじゃない気はするけれど、今のボクからはそこまでは解らない。

『わかったの。ならいい』
「そう? じゃあボクはもう一眠りするからさ」
『……うん。じゃあ』

電源まで切った携帯をベッドの脇に落とし、大きく息をついて枕に頭を落とした。
眼を閉じてみても、もう一度眠れるような状態じゃないことも解っている。
ただなににも妨げられない状態で、きちんと整理しておく時間が必要だった。

313 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:17



314 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:18

その後、ボクが身体を起こしたのは昼を過ぎた頃だった。
締め切った窓から差し込む暑さにじっとりと汗をかいて――汗をかいたのは出した結論に、かもしれないけど――、その不快さからベッドを離れた。
汗を流すためにシャワーを浴びて、冷えた缶ビールを一口流し込んで一息ついたとき、まだ眠ったままにしてある携帯を思いだした。
どうやら電源を落としてある間に着信があったようで、少し申し訳なく思いながらメール作成画面を開いた。


 ごめん。バッテリー、充電忘れてた。
連絡くれたみたいだけど、なんかあった?
仕事中だと思うんでメールで。
急ぎだったらいつでも電話して。今度は出るから(^^;)


打ち込んだメールにざっと目を通し、送信ボタンを押してまたビールに口をつけた。
直後、テーブルに置いた携帯が騒ぎ出す。
缶を傾けながら取り上げた携帯には田中ちゃんと表示されていた。

315 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:18

「はい、もしもーし」
『あ、シンちゃん? れいな。なんしてた?』
「や、風呂入ってた」
『今? そうじゃなくて……あ、いい。今夜大丈夫?』
「へ?」
『バカぁ……ってか、まさか忘れてる?』
「……いや、覚えてるに決まってるじゃん」

忘れてた。こないだ約束したんだった。
朝の電話ですっかり意識から飛んでしまっていた。

『なんかすっごい嘘くさいっちゃけど?』
「いやいやいやいや、ないから。大丈夫。全然」
『……信じとく。さゆも一緒していい?』
「しげちゃん? ……したら店の方にしよっか。しげちゃんは田中ちゃんちに泊まるとかなんでしょ?」
『あ、うん。そお。じゃあ、終わったら、お店の方に行くけん』
「ん。待ってる。仕事中でしょ? 頑張ってねー」
『へへっ、ありがとっ。じゃあ!』
「うん」

切った電話を見つめて少し考える。
テーブルに置いた缶を掴んでシンクに逆さに流した。

「一応車で行っとく方がいいだろうしね」

そう呟いて、代わりにペットボトルのお茶を引っ張り出した。

316 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:19

それから数時間後、ボクは一人エアコンの音と微かな街のざわめきが聞こえる空間で、ソファーにだらしなく腰を下ろしていた。
なにもせずにただぼんやりとした時間を過ごしているうちに、危うくノックの音すらも聞き逃すところだった。

「きたよ♪」
「いらっしゃーい」
「こんばんわ」

このときになってボクは気づいたんだ。
田中ちゃんは知らないんだってことを。

「あっ、どうぞどうぞ」

狭い通路で壁に張り付くように田中ちゃんを先に通し、後についていこうとするしげちゃんを掴まえた。
田中ちゃんが見えなくなったのを確認して、出来る限り絞った声で手短に「知らないの?」と、ささやいた。
しげちゃんはなにも言わず、ただ一度無表情なままに、こくんと頷いただけだった。
するりと離れていく腕と、その背中を見送りながら、それがどういうことなのかを考える。
もっとも身近なしげちゃんがそうするのだから、それには意味があるはずだった。

317 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:20

「シンちゃーん?」
「ん? はいはい」

田中ちゃんの呼びかけに応えて動きだしかけたそのとき、不意にそれがなんなのか解った気がした。
しげちゃんが……カメちゃんとしげちゃんの二人が、田中ちゃんに言わずにいる理由。
だからボクは、笑っていることを選ぶ。
田中ちゃんとしげちゃんが向かい合って座っているソファーで、ボクは田中ちゃんを見つめながらその隣に座る。
少し意外そうに、5センチ分だけ座る場所を移した田中ちゃんと目があった。

「なに?」
「ううん」

さも当然だという口調で訊いたボクに、慌ててブンブン首を振る。

318 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:21

「田中ちゃんは可愛いね」
「ま、またそーやって、れなんことからかってばっかで!」
「からかってないよー? 可愛いって――」
「もうっ、うるさい! バカぁ!」

赤い耳朶の田中ちゃんが、ドンッと肩からぶつかってきて、ボクの言葉の邪魔をする。
長くて細い髪が鼻先を掠めて、優しい匂いを残していった。

「エアコン強くしなーい? なんかすっごいアツい感じぃ」

黙って向かいで見ていたしげちゃんが、拗ねた風を装って田中ちゃんをからかう。
からかわれた田中ちゃんは、ボクに対するそれよりも、遠慮のない口調でやり合いはじめる。
少し騒がしいけれど、あったかくて穏やかな時間だった。

残り少ない時間だとは思っていた。
こんなに心地好い時間は、もしかしたら最後かもしれないとも考えてもいた。
それでも、そのときがくるのはやはり唐突なんだと思った。

319 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:30

携帯の着メロが鳴る。
ボクのはメロディですらない。
しげちゃんはその音に気がついても反応すらしない。
喋っている途中だった田中ちゃんだけが、身体を捩るように横に置いてあったバッグに手を伸ばした。

「ちょっとゴメン」

そう笑った田中ちゃんがバッグから携帯を取りだして、一瞬身体を震わせたような気がした。
鳴り続ける携帯を掴んだまま、それに出る様子もなく、じっと見つめている。

「出ないの?」

そう呟いたボクをチラリと見て、田中ちゃんは逃げるみたいにしげちゃんに目をやった。
着メロが止まる。けれど田中ちゃんは動かずにいる。
誰も口を開かなかった。
エアコンが唸る音しか聞こえない部屋の中で、もう一度同じメロディが鳴り出す。

「誰から? 気にしないで出た方がいいよ」

もう一度、ボクがそう呟く。
尖らないように優しく。絶対に傷なんかつけないように、そっと。

「……うん。ちょっと」

そう言って立ち上がった田中ちゃんが通路の方へ歩いていく。
ドアの向こうへは出ずに、携帯を開いて話し出した。

320 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:31

「もしもし?」

「あっ、うん。解るけど……」

「今? えっと……ううん。違う。家じゃないけど」

「時間? ちょっと……」

「えっ、でも、無理やけん――」

「そんなこと――、やっ、ちょ、ちょっと!」

「無理っ――、あっ……」

さして長くもない時間を話した後、田中ちゃんの携帯を握ってた手がぶらりと下がった。
背中しか見えないけれど、様子が変わっていることは解る。

「れーなぁ、誰からだったの?」
「あっ、あの……孝太クン、から」
「ふーん。孝太くんが、なんだって?」
「やっ、なんか、よくわからんっちゃけど……」

口調にも、表情にも、ありありと動揺と困惑が浮き出ているように見える。
ぽすんと座り直した田中ちゃんは、手にした携帯のストラップを揺らして口ごもっていた。

321 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:31

「けど?」
「その……」

向き合っているしげちゃんに答えながら、迷っている風な田中ちゃんがボクの様子を窺っているのが横目に解った。
ボクが少しだけ首を廻すと、田中ちゃんの困り顔が眼に入ってくる。
少し俯き気味の田中ちゃんは僅かに目をそらした。

「どしたの? 大丈夫だよ」

口にしてしまってから失言だと気づいた。
自身の感情に揺れている田中ちゃんは気がつかなかったけれど。

「あっ、うん。なんかぁ、話があるんで出てこれないかって、そう言ってたけど……」
「ふーん。けど?」
「え? だって、今ここに……シンちゃんとおるし。あっ、ホラ、さゆだって今夜うちに泊まるし」
「さゆみだったら別にいーよ?」
「はあ?」

あまりにもあっさりとそう言ったしげちゃんに、よほど意外だったのか田中ちゃんが大きな声を上げた。
しげちゃんは少しだけ笑顔でそんな田中ちゃんを見ている。

322 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:32

「いいって、さゆ、どーすると?」
「どうする? そしたら帰るけど?」
「だって約束してたやん」
「してたけどー。でも、なんか孝太くん、急ぎっぽくない?」
「……知らんけど」
「知らなくないでしょ。なんて言ってたの?」

もう一度、田中ちゃんがちらりとボクへ視線を向けてきた。
遠慮っていうのか、「いい?」と、気を遣っているように見える眼だった。

「なんて言ってたの?」

笑顔と真顔のまん中をとるような、微妙な口調と表情を作るのに苦心していた。

「あの……きてくれなくても待ってるって。そんなん冗談に決まってるけん。ねえ?」

力のない笑顔でそう話す田中ちゃんは、きっと自分でもそんなことは信じていない。
そう解っていながら、どうにも整理がつかなくて、そんな言葉を口にしているようだった。

323 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:34

「コータはそんな冗談言わないタイプだからなあ」
「そうかもしれんけど、だって先に約束してたんだから、無理だって、言った……」
「……行ってもいいよ?」
「なっ――」
「あ、ほら、今こうしてるけど、またいつだって会えるわけだしさ。なにか急ぎの用事だったりするんじゃないのかな。
 だったら……ボクは我慢してもイイしさ。ホントに待ってやがるかもしれないよ? アイツ、馬鹿だから」

この状況で心にもない言葉を口にするのは、自分の中でバランスを取るのがとても難しい。
重い言葉にはしたくない。けれどおちゃらけすぎても余計な疑いを招きかねない。
極力普通でいるのが一番いいハズだったから。

「シンちゃん……なんで」
「なんでって、そんなヘンなこと言ってないと思うけど……」
「そう、かな。そっか」
「そうでしょ? うん、だからさ。行っといでよ。あ、アレだ。
 もしすぐ済むようだったら戻ってくればいいし。なんなら待ってるからさ」
「そーだね。行ってくればいいじゃん」

しばらく黙って様子を見ていたしげちゃんが付け足すみたいにそう言った。
田中ちゃんはまだ迷っているようだったけど、気持ちが揺れているのがありありと解る。

324 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:35

「れいな」
「ん?」
「行ってきなよ」
「え……?」

しげちゃんの様子が少し変わった。
どこがどうと言い切れないけれど、ふんわりとした口調の中に明確な意志が込められているような。
ボクよりも遙かに付き合いの長い田中ちゃんにも、当たり前だけれどそれが解るんだろう。

「シンちゃんでも、さゆみでもない。れいなが決めることだよ」
「あっ、うん……」

そう返事を返した田中ちゃんは、しげちゃんが口にした言葉の意味に気づかない。
田中ちゃんが悪いわけではなく、その揺れてる気持ちが邪魔をしているからなんだと思う。
それでもまだ決めかねるようにそわそわと手を動かしている田中ちゃん。
ボクは道を開くように立ち上がって、田中ちゃんを見つめたままで、もう一度繰り返した。

「行っていいんだよ」

田中ちゃんはなにも言わずにボクを見上げている。
腰を上げた僕で天秤が傾くように、揺れる心に結論が出た、ボクにはそう見える。
そして静かに立ち上がって、小さなか細い声で「行く」とだけささやいた。

325 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:36

携帯を押し込んだバッグを肩にかけて、ソファーを回り込んだ田中ちゃんの後について歩く。
表へ通じるドアの前で立ち止まった田中ちゃんが振り返ってボクを見つめてきた。
なにも余計なことは言わないように、少しだけ歯を食いしばって我慢して。
堪えきったところでなんとか笑ってみせて、そっと手を差し出した。
最後に握手をして、それで別れようと、そう思った。

田中ちゃんは差し出された手をジッと見つめている。
そしておずおずと上げた手で……両の手で、かき抱くように両手で包み込んだ。

「ありがとう」

かろうじて空気を震わせた声。感謝の言葉。
それが田中ちゃんなりの、最後の儀式なんだろうと思うと胸が苦しくなる。
これ以上引き留めて、耐えきれなくなる前に、空いた手を持ち上げて、ふわふわと柔らかな田中ちゃんの髪を撫でた。
田中ちゃんも解ってくれたんだろう、顔を上げて静かに手を離した。
離れていく手の、指の、爪の先の感覚までもが愛しかった。

「じゃあ」
「うん」

それが最後の言葉だった。
お互いに多くを語ることもなく、静かに後をひくこともない別れだった。
田中ちゃんの小さな姿が離れていく。
その背中が見えなくなるまで、夏の空気を感じていた。

326 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:37



327 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:40

深い、今まで生きていた中で最も深い息をついて店の中に戻った。
そこには変わらぬ姿勢でソファーに腰掛けているしげちゃんがいて、穏やかな笑顔でボクを捉まえた。

「おつかれさまぁ」
「……ども」

ポッカリ空いたソファーに腰を下ろすと、入れ替わりに立ち上がったしげちゃんが冷蔵庫からなにかを取り出して、ひょいとボクに放り投げてきた。
受け取ったそれは、ごくありきたりのドコにでも売っていそうなジュースだった。

「自分のために買ったんだけど……おごってあげるの」
「ははは、ありがと」

力なくお礼を言って、開けたジュースに口をつけた。
そうだろうと思ってはいたけれど、堪えきれずに顔に出てしまうほどめちゃくちゃに甘かった。

328 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:41

「すっごい甘い」
「苦いよりはいいと思ったから」

慰めるように笑うしげちゃんの言い様に驚かされた。
ホントにこの娘は、どこまで気がついてるんだろうかと。

「参ったなぁ……」
「シンちゃんはあれで良かったの?」
「んー……そうだねえ。しげちゃんはどう思う?」
「ズルしちゃダメだよ」
「はあー、まったく。なに、なんで解った?」
「だって一番近くにいてぇ、ずっと見てたから? なんとなく」
「そっか。なんか一番お姉さんじゃん」
「ふふっ、さゆみお姉さんが“よしよし”ってしたげよっか?」
「はぁ?」
「泣いてもいいよ?」

329 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:42

からかう笑顔の中で、黒い瞳だけが笑っていなかった。
ほんの少しだけ、それにすがりたくなる自分がイヤになる。

「いいね。抱っこして泣かせてもらっちゃおうか」
「そこまで甘えさせてはあげられないの」

今度は瞳も笑っていた。
さっきよりも優しい笑顔で。

「しゃーない。頑張るよ」
「きっといいことあると思うよ?」

全くもって見事な慰めの言葉だった。
ボクはやっぱり力なく笑って。
しげちゃんは仕方なさそうに笑っていた。

ボクは短い約束を終えて、大好きな田中ちゃんを手放した。

330 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:42



331 名前:たまには泣いてもいいですか? 投稿日:2007/04/01(日) 00:43



332 名前:匿名 投稿日:2007/04/01(日) 00:48

今日はここまで。
レスをくださる方へ感謝を。
ちゃんと頑張ろうと思えてきます。

次回はまた隔週くらいな辺りで。
ローカルのストック分がだいぶ心許無くなってきました(苦笑)

ではまた。

333 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/05(木) 22:15
更新お疲れさまです。
これからどう進んでいくのか...
楽しみにまってます!
334 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:01



335 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:02

「あっ……」
『もしもし?』
「れいな? オレ、孝太だけど」
『あっ、うん。解るけど……』
「今なにしてる、かな。家?」
『今? えっと……ううん。違う。家じゃないけど』
「そっか。少しでいいから時間とれないかな?」
『時間? ちょっと……』
「どうしても、用があるんだ。どうしても今日、頼む。
 れいなのマンションの裏手に小さな公園があるから。そこで待ってる」
『えっ、でも、無理やけん――』
「きてくれるまで待ってるから」
『そんなこと――、やっ、ちょ、ちょっと!』
「ずっと待ってる。じゃあ」
『無理っ――、あっ……』

一方的に電話を切った。
半ば無理矢理に押しつけた約束だけど、きっと来てくれる、そう思っていた。
見上げれば木々の隙間から彼女の住んでいるマンションが見える。
そのはるか上、少し黒い雲の陰に微かに月が見えていた。

336 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:03

初めて会ったあの夜にも今日のような月が出ていただろうか。
少し考えてから思い出せないと諦めた。
空を見上げることも、月を見ることも、もう何年もしていないことに気がついたからだった。
それどころか、自分が以前、意識して月を……空を見上げていたかどうかすら思い出せない。

なにかに追われていたんだろうか。
よく解らないけれどそうじゃない気はする。
ただ……覚えていたくなかったのかもしれない。
忘れたかったのか。
そこまで考えて、きっと逃げていたんだってことが事実なんだと結論づけた。
それまでの自分と比べて、今の自分は何かが変わったんだろうか。
それとも……

どうであるにしろ自分では解らないだろうと考えることをやめた。
今、考えなければならないのはそんなことじゃない。
亀井を泣かせてまでも、そうするべきだと思ったことを。
きっと来てくれるハズのれいなに伝えなきゃならない。
自分の気持ちを。

337 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:03

妙に焦って昂ぶる気持ちを少しでも落ちつけようと、もう一度空に浮かぶ月を見上げた。
月を覆っていた雲が流れていく。
入れ替わるように、より厚く黒い雲が増えてきているようだった。
雨になるかもしれない。
そう思いはしたけれど、どうでもいいことでもあった。
ズブ濡れになろうが、今の自分にとっては、なにが変わるものでもなかったから。

 ――れいなには良くないか

ちらりとそんな風にも思うけれど、この場所であるということを考えれば許容範囲内だと考えるしかない。
流れる雲の合間に月が見え隠れしていた。

電話を切ってからどれくらい経ったろう。
数分ではきかない。
けれど一時間は過ぎてはいないだろうと思う。
薄暗い静かな空間にタンタンと早いリズムで足音が入り込んできた。
ヒール……いや、ブーツで走っているような少し硬質な音。
まだ少し離れているところで足音が止まった。
なにか確かめるような時間をおいた後、再び鳴りだした足音が近づいてくる。
猫の額ほどの小さな公園を囲む垣根の向こうに小さな横顔が見えた。

「れいな……」

338 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:04

口の中で呟いたその言葉が聞こえたわけではないだろうけれど、まるで反応したみたいにれいながこっちへ向き直った。
驚いたような、安心したような、どこか途惑うような表情で、走る脚をゆるめ、入り口まで来たところで立ち止まる。
そして荒くなった息を整えるためにか、深い呼吸を二度ほど繰り返したれいながゆっくりと距離を埋めていく。

「来たじゃん」

ぼそりと洩らした言葉に口元だけの笑顔が返された。
六歩分ほどの距離で立ち止まったれいなが、なにか口を開きかけてやめた。
オレも切り出す言葉を探していた。

「よっ」
「うん」

持たない間を繋ぐためだけに出された声に、救われたとでもいうような声が返ってくる。

「あ……あの、用ってなん?」

一度口を開いて少し楽になったのか、れいなの方から言葉を継いできた。

339 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:05

「……座んない?」

砂場とすべり台、そしてあと一つしかない遊具、二つ並んだブランコを指差してそう言った。
迷う素振りは見せたけれど、それでも僅かに頭を上下させて頷くと、れいなはブランコに腰を下ろした。
小さく揺れたブランコに座ったれいなが、鎖に腕を絡ませて訝しげに見上げてくる。

「座らんと?」
「あっ、あぁ……。いや、オレはこのままで」

一瞬だけ、れいなの表情が変わったと感じた。
けれどオレにはそれがなにを意味する表情なのかまでは解らなかった。

「……あのさ」
「え? あ、なん?」
「いや……」

話しかけて一度言葉を止めて、ブランコに座ってるれいなを回り込むように後ろへ歩く。
見上げたままで首を廻し、それでは追いつかず身体ごと、座り直すようにオレの行動を目で追うれいな。
れいなが腕を絡めている鎖の少し上を掴んで、少しだけ体重をかける。
ギシリと鳴った鎖へ目をやったれいな。
その流れた目の動きが、クイとあごが上がったその曲線が。
どうにもならないもどかしさを揺さぶって溶かしていく気がした。

340 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:06

「好きなんだ」

鎖を、オレの手を見たれいなの目が、ゆっくりとオレの目へ戻ってくる。
聞こえなかったわけじゃない。
ただなにを言われたのか解らなかった。
そんな表情で、そんな目で、オレを真っ直ぐに見つめていた。

341 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:06

「あっ、え? ……今なん――」
「好きなんだ」

同じ言葉を、少しだけ声に力を強めてもう一度繰り返した。
言葉の間に割り込ませた言葉だけど、れいなはもう一度それを聞き返そうとはしなかった。
なにも言わず、なにも言えず、少しだけ目を見開いて、ゆっくりと立ち上がったれいなが正面から向き合った。

「あ、あの……え?」
「れいなのことが、好きだ」

三度目の言葉。
それを受けて、ようやくなにを言われていたのか理解した。
けれど、れいなにとってあまりに唐突で、そして信じられるような言葉ではなかったと、そんな表情だと思った。

「れいなんこと……、あっ、でも、え? だって……絵里と、絵里のこと……」

342 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:08

「話してきた。亀井と一緒にはいられないって」

れいなの表情が凍りついた。
そんなことを望んでいなかったであろうことは解る。
でも……

「亀井に……亀井が好いてくれてるっぽいのは解るけど……」
「絵里のこと好いとったんやなか? 初恋やったって――」

口をすべらせた。
そんな感じだった。
途中で言葉を止めたけれど、少しばかり遅かった。

「知ってたんだ?」

知られたくない話だとは言わないけれど、それでもなぜか苦い笑いが浮かんだかもしれない。
ただれいながオレへ答えを返すのに、二人以外の要素を含んだ判断をしてほしくはなかったのかと、この瞬間そんな気がする。

「……うん」
「確かに……うん。たぶん、亀井が初恋ってヤツだったんだと思うし。
 あんまよく解んないけど、そうだったんだと思う」
「もう……そうじゃ、なかった?」

自分の言葉にたいしてなのか、それともオレの答えにたいしてなのか。
れいなの問いかけは、それを口にするのを怖がるような、忌避しているような感じがした。

343 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:09

「ハッキリしないのって卑怯だと思うから、ちゃんと言うけど……
 初めてそうやって気になったのは本当だし、それは今でも変わってない、んだと思う」
「…………」
「亀井にも話したんだ。イヤになったとか、嫌いになったとか、そんなことじゃない。
 ただ、亀井よりも気になる相手がいるのに、アイツと一緒にいるのって、アイツに申し訳ないって思った」
「…………」
「解んないけどさ、アイツがオレのこと見てくれてるのに、オレは他の娘を気にしてる。
 それでもなんて、そんなの卑怯だよ。だからハッキリさせなきゃいけないんだって思って……そう話した」

怒ってるように、困ってるように、眉根を寄せた複雑な表情で。
それでも言葉を挟むことはせず、静かに聞いてくれているれいなに話を続ける。

344 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:10

「ずっとよく解らずにいたんだ。れいなたちと初めて会って。それから亀井にもまた会えて。
 やっぱりアイツのことは気になったし、それは好きってことなのかもしれない」
「…………」
「でも、それよりももっと気になって……。うまく言えないけど……
 れいなのことが気になって仕方なかったんだ」
「……なんで?」
「解んないよ。そんなの。ただ、会えれば会えたで意識しちまうし、言いたいこともろくに言えなくなるし。
 いなけりゃいないで、なにしてんだろうとか気にしちまうし……」
「……初めて」
「え?」
「こんな喋る孝太クン初めてやけん……」
「そうかな」
「れいなもよくワカラン」
「うん」
「ただ……」

解らない、と。
そう言ったれいなの顔つきからは、さっきまで感じていた困惑や逡巡といった色が薄れているように見えた。
それがどういうことなのか、考える余裕もなくれいなが言葉を続けようとした。
口を開きかけたれいなが顔をしかめるように左目を閉じて、またすぐに開く。
空を見上げたれいなにつられてオレも空を見上げると、頬にポツリとなにかが当たった。
雨だ、そう認識する間にもポツリポツリと雨粒が落ちてくる。

345 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:11

「ただ、れいなは絵里んことも大切――」

雨粒に意識を持っていかれている間に、れいなが口にしようとした台詞。
視線を戻した先にあるれいなの表情。
オレは意識とは違うところで身体が動いていた。

「――ゃ!?」

れいなの台詞が遮られたままに消えていく。
身体を竦ませ硬直したままでいるれいなの口元がなにかを形作るのが解った。

「……孝太、クン」

胸元に感じた微かな感触ではなく、もう一度、今度は聴覚で感じ取れた言葉はそんな台詞だった。
なにも言わず、強く抱きしめるオレの腕の中で、れいなが何度も名前を呼んでいる。
華奢な身体を丸ごと包み込むように、肩から背中へ廻した腕に力を込めて。
弱々しく洩らしたれいなの吐息に気がつかなければ、そのまま壊してしまいかねないほどに夢中だった。
ほんの少しゆるめた腕の中で、れいなが僅かに身じろぎをした。

346 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:12

「オレ、れいなのこと好きだ」

洒落た台詞なんて知らないオレはバカみたいに同じ台詞を繰り返すことしかできなくて。
ただ何度も、好きだと繰り返した。
少しずつ強くなっていく雨から庇うようにれいなを抱きしめながら。

「孝太クン…孝太クン……」

何度も俺の名を呼ぶれいなが腕の中で小さく震えていた。
わけも解らないままに胸が苦しくなったオレは、壊してしまわないように気をつけながらも抱きしめる腕に力を込めた。
互いに同じ言葉ばかりを交わし合う中で、一つだけ違うことがあった。
包み込んでいた肩から下、窮屈な姿勢のままでれいなの腕がそっと動いていた。
細く弱い腕を背中に感じながら、オレはれいなを抱きしめていて。
そしてオレたちはうす暗い公園で雨に打たれ続けていた。

347 名前:間奏6 岸本孝太 投稿日:2007/04/15(日) 21:12



348 名前:匿名 投稿日:2007/04/15(日) 21:21

短いですが今回はここまでで。
『いいところで』みたいに感じでくだされば本望ですが、拙いのも判っているので多くは望めませんしね(笑)

戯言はさておき。
読んでくださっている数名の方に変わらぬ感謝を。
そのくせ次回も隔週、もしくはもう一週くらいで。

よろしくお付き合いください。

349 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/25(水) 23:45
更新お疲れさまです
続きが気になってしょうがないっ
気長に待ってるので頑張ってください!
350 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/04/29(日) 14:28
あぁこの先どうなるんだ
気になって眠れません
351 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:36



352 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:38

たぶんきっと、意識してのそれは
二ヶ月ちょっと……三ヶ月にも届かない
そうか、たったそれだけだったんだ

たったそれだけの時間
ふとした笑顔にドキッとしたり
眠れない夜を過ごしたり
ただ一言、なんでもない言葉で嬉しくなったり

その短い時間は、特別な時間だった
ずっと続く時間にできなかったのは自分のせいだ
望んだハズの関係をつくれなかった
臆病な自分のせい
一番大事な条件を忘れていた自分の

十七年で最も悔やんだ恋愛
一番ブルーな気持ちになった恋
青より深い青

藍色の……インディゴブルーな恋

353 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:39



354 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:40

雨が降ってるんだ。
人気のない歩道を歩きながら。今頃になってそんなことを意識した。
それまで雨が降っていたことなんて忘れていたみたいにそう思った。
そうか、さっきから視界が滲んで、髪を、顔を濡らしてるのはそういうことか。
たいして意味のないことに気がついて、意味のないことを考えて。
なにかを考え出すと、少し前の一幕が頭の中でむくむくと膨れあがってくる。

 ――孝太クンはなんていったっけ

頭の中イッパイに、少ししかめっ面みたいにも見える苦笑いを浮かべる孝太クンの表情。
確か……そう。

 『好きだ』

そう言ってくれた……。
すぐにはそう言ってくれたことにすら気がつかなかったけれど、確かにそう言ってくれたっけ。

 『れいなのことが、好きだ』

れいなんことを、孝太クンが、好きだ、そう言ってくれた。
絵里じゃなく、れいなを……抱きしめてくれた。
まだ身体に、雨で流されることもなく、少し強い腕の感覚が残ってるみたいに。
ギュって包み込まれたその強さが、嘘じゃないって教えてくれた。

355 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:41

夢の中を一歩一歩確かめるみたいにおぼつかなく歩きながら、駅から一本脇の道を無意識に選んでいた。
雨に濡れた髪がだらしなく額に張りついてる。
髪を伝って雨の滴がうっとおしく流れ落ちてくる。
額にかかる髪をはらおうと腕を上げかけて、肩の辺りにまだ残ってるように感じたのは抱きしめてくれた腕の名残。
実際には腕を上げることすら面倒だったのかもしれない。

ずっとそうだった。

頑張ってます。
そう言うし、そうしてきたつもりだった。
本当にそうしてきた。
けどきっと違う。
もっと、もっとできたことがあったんだ。
自分ではできているつもりでも、きっともっと。

 ――そんな自分がこんな結果にしたんだ

自分で勝手に傷ついたと思い込んで。
シンちゃんを傷つけて。
絵里も傷つけて。

そして……

孝太クンまで傷つけた。

356 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:42

雨に濡れたままで歩道を歩いて。
遠回りになるけれど、商店街の裏手を回って。
見慣れた扉に手を伸ばした。
軽く廻して引いてみたけれど、れいなのことを拒んでるみたいに固く閉ざされたまま。
雨に濡れてすべりかけたけれど、そのせいじゃなく。
ドアには施錠がしてあった。

 ――いない……?

どこかに出かけた……それとも。
そんな普通にしっかりした考えができたわけじゃない。
それでも一つ、二つといつもするようにドアをノックした。
しばらく待ってみても中から誰かが出てきてくれることはない。

もう一度、一回、二回と同じ動作を繰り返した。
カチャリと鍵の開けられる音を期待して。
重々しいドアから見慣れた笑顔が出てくることを期待して。

357 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:43

けれどいくら待ってもそんな期待が現実のものになることはなくて。
ドアへ寄りかかるように額をぶつけ、微かな痛みと冷たさを感じている自分に吐息みたいなため息を吐き出した。

「なんで、おらんと……」

誰かへ擬人化したつもりじゃあなかったけれど。
ただ、ドアに触れそうなほどの距離で声にもならないような声を出していた。

「田中ちゃん……?」

そう誰かが呼んだ気がした。
その声が聞こえなかったわけじゃない。
ただ弱くなっていた心が、それが本物じゃないと思わせていた。
ドアに額を押しつけて、起きたまま寝返りを打つみたいに身体を半回転させて。
背中をドアに預けて身体を支える。

「田中ちゃん」

もう一度、誰かがれいなのことを呼んだ。
雨が膜をはったアスファルトと自分のスニーカー、それだけしか見えていなかった目を動かしていくと、どこかで見たことがある柄のスニーカーが記憶を揺さぶった。
それがいつの記憶だったのか思い出そうとするよりも早く、三度目の声が聞こえてきた。

358 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:44

「田中ちゃん」

もう少しだけ、動かした目の先に少し腰を落としてのぞき込んでくる人がいることに気がついた。
滲む視界に苦労しながら焦点を合わせていき、その姿を認識するのと同時に力が抜けていくみたいな感じで膝が折れた。
身体イッパイに膨らんでいた混乱が、聞き覚えのある声のおかげで弱まって、そのせいで張り詰めていた気持ちがプツンと切れたからだと思う。
体育座りみたいにお尻から落ちて、パシャッと水音すら聞こえたようだったけれど、もう濡れネズミみたいになってる状態では今さら関係なかった。

「なっ、ちょっと!?」

頭の上で声が聞こえる。
なんか慌ててるみたいだって感じた。
肩の辺りを少し痛いくらいの力で掴まれて、そして脱力していた身体を支え上げられた。
その痛みは数十分前に見た、少しだけ淋しそうな顔を思い出させて、けれど不思議なあったかさを伴っていた。
ふわりと両足が地につくのが解って、そう意識したとき間近にやたらと心配そうな顔が目に入った。

「シンちゃん……」

そんな顔しなくていいのにと、そう伝えたい気持ちが力の抜けたままの声帯を震わせた。。
それが声になっていたかは解らないけれど、見つめてくる表情が少しだけ和らいだ気がする。

359 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:44

「とりあえず入って」

返事も待たず肩を抱えられて開かれたドアの中、開かれることを望んだ場所へ入っていって。
ボスンと座らされたソファーの上で、離れていく背中をぼんやりと見ていた。
すぐに戻ってきたシンちゃんは、さほど大きくはないタオルを二枚ほど手にしていて、そしてそのタオルでれいなの髪を拭いはじめた。
シンちゃんはなにも言わず、ただ手持ちのタオルでできる限りの水分を拭おうとして、れいなもジッとしたままで、黙ってされるがままでいて。
あっという間に重くなってしまったタオルを放り出したシンちゃんが、テーブルの上にあったティッシュでれいなの顔を拭いてくれた、その手がピクンと震えたみたいだった。

「田中ちゃん……どうして?」

その言葉がなにを指しているのか解らなかった。
俯き気味だった顔を少しだけ上げて、言葉の意味を確かめるようにシンちゃんの表情に目を向けた。
けれど、うまく真意を確かめることができなかった。
だいぶ拭ってもらったとはいっても、まだ視界が滲んではっきりしなかったから。
だから「なん?」って、そう口にしようとしたけれど、それよりも早く、シンちゃんが言葉を重ねてきた。

360 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:45

「コータとなにかあった?」
「……え?」
「なにかあった?」

重ねられる言葉に僅かだけれど意識が集中していく。
なにを訊かれてるのか理解したときには口が言葉を吐き出していた。

「なんもな――」
「じゃあなんで泣いてるのさ」

形になろうとした言葉をシンちゃんの声が遮った。
それは本当を言おうとしないことを責めているのでもなく、言葉の裏を追及しているのでもない。
ただ静かに、純粋に、一つのことを思っての言葉かもしれないって思えた。
そして……その言葉を聞いて、初めて気がついた。

 ――泣いて…たんだ

雨のせいじゃなく。
身体の中から零れる感情のせいだったんだと。

361 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 00:46

「泣いとらん」
「……そう」

あっさりと返ってきた言葉に、何か言いかけるよりも早く、シンちゃんが手にしていたティッシュが目元へ、鼻先へ押し当てられた。

「とにかく。風邪ひいちゃうから。家まで送っていくからね。今車出してくるから」
「…帰らん」
「え?」
「今日は家には帰りたくないけん……」
「でも――」
「シンちゃんち……連れてってくれんね」
「そっ…でも、ご両親が心配するよ」
「ちゃんと電話するけん」

なにを言われても引く気なんてなかった。
それでもどうしても拒まれたらそのときはって、そう思ったから。
シンちゃんはれいなから目をそらして、少し考えるような素振りを見せてから小さなため息をついた。

「解った」

そう一言。
少しだけ、困って仕方がなくてって風にも感じたけれど、それでもそう言ってくれた。

362 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:00

車を回してきたシンちゃんのされるがままに、アパートまでのそれほど長くもない道程を、まんじりともせずに過ごした。
シンちゃんはなにも言わず、車を急がせることだけに意識を向けてるみたいで、れいなもそれに口を挟むことはしなかった。
口を開くことでどうなるのかが怖かったからかもしれない。
ほんの少しだけ開いた窓からは、夏の終わりと雨降りの生ぬるく湿った空気の匂いがした。
フロントガラスに弾ける雨粒を見ながら無言の時間を過ごして、部屋へと通されてからやっとシンちゃんが口を開いた。

「お風呂入れるようにするから、少しそこで座って待っててね」

そう言って離れていくシンちゃんの背中に目をやりながら、れいなはそれを“見て”はいなかった。
とにかく頭の中がぐちゃぐちゃになったままで、それでも考えなきゃいけないことがたくさんあって。
なのに考えることを邪魔するみたいに次から次へと断片的な情景が浮かんでくる。

「……かちゃん」

363 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:01

切れ切れになる思考を、なんとかまとめようと意識を割いていた、その方向を引き寄せる声。
重く鈍い思考を努力して切り替えて、向けられた声の方へ意識を戻すと、心配そうな顔をしたシンちゃんがのぞき込むように見つめていた。

「あっ……」
「田中ちゃん? 大丈夫?」
「え? うん」

形だけの返事だってシンちゃんには解ってしまっているみたいで、その表情は安心からはほど遠いままだった。
少し眉根を寄せたままで、開きかけた口が一度閉じられて、そして多分別の言葉を選ぶように話しだした。

「まずちゃんとあったまってきて。それからだね」

そう言って腰を上げたシンちゃんが「おいで」と手の差し伸べてきた。
なにも考えず、反射的にその手を掴み、バスルームへ連れて行かれた。
扉一枚隔てた向こうでお湯の流れてる音が聞こえる。
まだ寒いといえる時期ではなかったけれど、雨に濡れた身体は意識とは別のところでそれを求めていたみたいだった。

「着替え、なにか用意するからね。脱いだものは全部そこに放り込んでおいてくれればいいから」

364 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:02

声は出さず、指し示された洗濯機に目をやっていたら、「ちゃんとあったまってね」と念を押すようにしてシンちゃんが出て行った。
思わず引き留めそうになったけれど、引き留めてどうしようというんだろうか。
そんな判断ができたわけじゃないけれど、れいなの身体はそうは動いてくれなかった。
しばらくその場で立ちつくしていたけれど、どうとも決めかねた末に言われた言葉通りにすることにした。
きっと……もう考えることすらも面倒だったから。

綺麗なバスルームで、ただ日頃染みついた動作のまま身体を洗って、一杯までお湯がはられたバスタブに脚を差し入れた。
少し痺れるような心地よさを感じて、こんな状況でもそんなことを感じる自分の身体にため息をついた。
ゆっくりとバスタブに身体を沈め、溢れていくお湯の音を聞き、膝を抱えて座り込む。

 ――あったかい……

身体を満たしていた混乱を少しずつ溶かしていくみたいな温かさだった。
ほうと長く深いため息をついて、もう一度、泡のように浮かんでくる断片に意識を向けていった。

ホントは考えたくなんかなかったけど、考えなければいけないことだった。
早く忘れてしまえばそれだけ楽になるんだろうけど、忘れてはいけないことだった。
逃げてたら同じことばかり繰り返してしまうってことくらい知っていたから。

365 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:03

今日の、あの電話を受けた瞬間からの全てを思い返して。
ちゃんと自分で受け止めて……そしてまた世界が歪んで見えて、泣いてるんだということを自覚した。
広くはない空間に自分の嗚咽が反響してる。
泣けばいいなんて思わないし、そんなつもりじゃないけれど、泣いてる自分が嫌いで膝の間に顔を沈めた。

 ――泣いちゃダメだ

泣いていいのは自分じゃない。
泣いて許されるのは自分じゃない。
そう自分に言い聞かせて。
顔を沈めたバスタブの中で、溜め込んでいた想いがブクブクと泡になって浮かんで弾けていく。

366 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:03



367 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:04

そっと覗いた脱衣所は、当たり前だけど誰もいなくて、大小のタオルが二枚。
どこかで買ってきたらしい下着――ブラはなかったけど――とシャツと、そして真新しいスウェットが揃えられていた。
慌てて買ってきたんだろうシンちゃんの様子を想像したら、また余計な迷惑をかけたんだって申し訳なくなった。
丁寧に水滴を吸い取ってくれたタオルをたたんで置き、下着とシャツと、とりあえずスウェットは下だけ履くことにして、上は手に持ったままでバスルームを出た。

何度かきたことがあるシンちゃんの部屋。
静かなキッチンの向こうに、やはり静かなカウンターで仕切られたリビング代わりのダイニングがあって。
自分の浅い呼吸が聞こえ、人がいる気配もない。
開き戸一枚向こうに和室があって、そこではシンちゃんが寝起きしている部屋なはずだった。

368 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:05

戸を軽くノックする。
くるべきはずだと思っていた返事がこない。
そっと、静かに開いた向こうには、人の気配どころか誰かがいたような跡すらなかった。
治まりかけていた疼きが甦ってくる。
鼓動が速くなるのが解る。
ドクンドクンと身体の中から響く音に急きたてられるまま足を踏み入れ、誰もいないことを確かめると部屋を飛び出した。
リビングへ戻りキッチンを覗き、さして多くない家中のドアを開いていく。

「シンちゃん……」

口に出してしまってからどれほどそれを求めているのかに気づかされた。
一度形になってしまったその想いはただひたすらに身体へ命令を出す。

『シンちゃんに会いたい』

後のことなんて考えられなかった。
今……すぐそばにいてほしかった。

玄関で濡れた靴の跡を見つけた。
追いつめられた頭の隅で、お前は置いていかれたんだと、そんな声が聞こえてきた。

369 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:06

グショグショに濡れたスニーカーに素足を突っ込んで、その不快さを気にする余裕もなく部屋を飛び出して。
自分のものじゃないみたいに重い脚で、おぼつかない足取りで階段を駆け下りて、広くもない空間を見渡して表へ走り出る。
薄暗い歩道に人影はなくて、どちらへ向かうか迷う余裕もなかった。
とにかくあの笑顔を見たかった。
雨で濡れるアスファルトに足を取られないように、それでも夢中になって走り回った。
見慣れない街を、見慣れない道を、見知った笑顔だけを探して。

アパートの周囲を走り、手近な路地を一本、また一本と走っていくけれど求める姿が見つからない。
濡れた靴の後を見つけてしまったときの気持ち――置いていかれた――がどんどんと大きなものに変わっていく。
身体を壊して溢れ出てしまいそうに大きくなっていく。
迷子になった子供みたいに、たった一つの存在がほしかった。

けれど疲労の残る身体は思うほどに動いてくれなくて。
元々走るのが速い方だなんて言うつもりもないけれど、それでも自分で思う半分くらいでしか走れていない気すらする。
そして……雨に濡れたアスファルトはもつれだした脚からあっという間にバランスを奪い去っていった。
気がついたときには突っ伏すみたいに歩道に転がって、水たまりの上をすべっていた。

370 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:07

自分の口から洩れているのがうめき声だって解るのに時間がかかった。
そう認識してしまうと、途端に身体の節々が悲鳴を上げる。
両手を地について、なんとか身体を起こしたとき、視界に誰かの脚が入り込んできた。
すがるように上げた視線は冷ややかな目に跳ね返されて、倒れ込んだ酔っぱらいにでも会ったように大袈裟に距離を取って離れていった。
一瞬でも期待した自分がバカみたいで、そんな偶然があるわけがないって思い知らされる。
濡れたスウェットが余計に身体を重くして、立ち上がりかけた身体がよろめいた。

 ――倒れる

頭の中でそう思って、鈍い感覚でバランスを取ろうとした身体が、ちょっとだけ軽くなったような気がした。
“気がした”だけだと思っていた身体はいつまで経ってもアスファルトへ崩れ落ちることはなかった。

371 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:07

「なにしてんの!」

求めていた声は、初めて聞く“怒り”の色を多く含んでいた。
支えられた腕が熱い。
強く掴まれた腕の、熱く感じるその部分だけが今のれいなの全てだった。

「田中ちゃん……」

引き寄せられた身体ごと、シンちゃんへ首を廻らせたとき聞こえてきた声は、何故だかおかしなくらいに弱々しく聞こえた。
少し朦朧とする頭の中で、こんなシンちゃんの声も初めて聞くかも、なんて場違いなことを思う。
思い出すシンちゃんの声はいつも明るくて、いつもれいなに元気を分けてくれるみたいだったのに。
そんなシンちゃんにこんな声を出させてるのはれいななんだろうかって、そんなことを考えたらすごく心が痛んだ。

372 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:08

「ごめん……ごめんね、シンちゃん」
「え……? なに――、いや、それよりなんで……」
「なんで……?」
「なんでうちで待ってなかったの」
「……お風呂上がったら、誰もおらんくて……」
「あぁ、言っていかなかったのはごめんね。でも――」
「あっ、れな置いてかれたんだって……」
「……田中ちゃん。ボクは田中ちゃんを置いていったりしないよ。
 そういう意味で、そんなことしたりはしない。絶対にね」

すごくマジメな顔をしたシンちゃんは、一言一言をしっかりれいなに伝えようって、そんな風に話してくれてるように思えた。
それからニッて笑って……笑ってみせてくれて、いつもの口調に戻ってこう言った。

「少しは安心してくれた?」
「……ごめん」
「はい、そこっ。それくらいで謝らない」

それはとてもシンちゃんらしい気の廻し方。
なにがあったか訊こうとするんじゃなく、まず落ち込んでいるれいなんことを気遣って、少しでも紛らわそうとしてくれる。
そうしてくれるんだから笑ってみせなきゃならない。
まだ今は、うまく笑える自信なんてなかったけど、なんとか笑顔を作ってみた。

373 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:09

「うん」

そうシンちゃんが頷いた。
うまく、かどうかは解らないけど、努力した意味はあったみたいだった。

「さ、帰ろう?」

そう言ってれいなを背負ってくれたシンちゃんが歩き出して、そしてその場所が思ったよりも近かったんだって気づいた。
部屋へ戻ってやっと降ろされたれいなに向かってシンちゃんが少しだけ強い調子で口を開いた。

「後でちゃんと電話するんだよ? や、まぁそれよりも、まずはもう一度お風呂入って、それからにしよう」

そう言って先に立って歩き出そうとする背中を見つめると、数十分前の感覚が全身を包むように戻ってくる。
ふと気がつくと黙って動かずにいるれいなのことを、向き直ったシンちゃんが見下ろしていた。

「田中ちゃん? 行こう」
「シンちゃん……どこも行かん?」

ちゃんと届いているか確かめたくて、口にした言葉を追って少しだけ顔を上げた。
見上げるシンちゃんの表情は、色が抜け落ちたみたいになんの感情も伝わってこない。
ただ真っ直ぐにれいなんことを見つめていて、そしてその眼を逸らさないままで、深い呼吸をしてから口を開いた。

「どこにも行かないよ。だから、お願いだからちゃんと温まって」
「……うん」

374 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:10

全部が本心だなんて思わないけれど、心配してくれるのだけは確かだって思えた。
だから差し伸べてくれる手を掴んで、ひかれるままに付いて歩く。
脱衣所の扉を開けて、場所を空けるために横へ動いてくれたシンちゃんを見つめて、今の気持ちを正しく伝えられる言葉を探した。
けれどどう言葉を飾っても、どう言い回しを換えても、それをうまく伝えられるとは思えなかった。

「田中ちゃん?」
「あの……」
「どうかしたの?」
「ここで……」
「うん?」
「ここで待っててくれん?」
「え?」
「なんでもいいけん、ただいてくれれば……」
「…………」

正直に気持ちのそのままを口にすることしかできなくて。
そんなれいなをなにも言わずに見つめてたシンちゃんが、ふっと表情を緩めて言ってくれた。

「田中ちゃんがそうしてほしいなら、ここにいるよ。そうだっ、なんならここから話しかけてよっか?」
「……うん」

なにかスイッチが入ったみたいにいつものシンちゃんに戻った喋り方だって感じて。
その声のせいでこみ上げてきた感情を抑えるために、軽く食いしばった口元から短い返事をした。

375 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:11

温め直してくれたバスタブの中に身体を沈めたれいなに、二枚の扉越しでも変わらないシンちゃんの声が届いてくる。
“ここにいるよ”って教えてくれるようにシンちゃんは話し続けてくれた。
シンちゃん自身のことを、どんな子供だったかってことを、どうやって今のシンちゃんがあるのかってことを。
れいなが返事なんてしなくてもいいように、それを求めない話し方で、ゆっくりと、時間をかけて話してくれた。
れいながあったまる時間を作ってくれるみたいにゆっくりと。
れいなが心の奥に抱えたものが和らぐ時間をくれるみたいに優しく。

376 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:21



377 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:22

そんなあったかくて優しい時間が過ぎて、少しだけ暑かったけれどシンちゃんが揃えてくれた衣類を着込んで。
小さな一人がけのソファーに座らされたれいなを、大きなビーズクッションの上に座り込んだシンちゃんが正面から見つめていた。
どちらも口を開かずにいて、時折テーブルに置かれたグラスの中で氷が鳴る音だけが過ぎていく時間を表していた。
シンちゃんはきっと、れいながなにかしら打ち明けるのを待っていてくれて。
そしてれいなはなにをどこから、どうやって切り出していいのか決めかねていた。
どこまで話すかなんてことは考えるまでもないことだったから。
きっかけを……話の切り口だけを探していて、溶けては形を変える氷に眼をやっていた。

「田中ちゃん?」

静かにささやきかけるみたいに名前を呼ばれた。
その声に上げた視線の先には、不思議なくらいに透明に感じる笑顔を浮かべたシンちゃんがいた。

378 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:23

「田中ちゃんがどうなってどうするのか、それはボクには解らないけどさ。でもこれだけは言えるからね」
「……?」

シンちゃんがなにを言おうとしてるのか全くつかみどころがなくて、なにも言葉を返せないままにその笑顔に惹き込まれていた。

「ボクは田中ちゃんを肯定するよ。そりゃあ間違ってると思えばそれはキチンと話すかもしれないけどさ。
 でも……んー。……それでも、なんだろう、ボクは田中ちゃんの味方であることを選ぶよ」

少し時間をかけて、考え考え話してくれたシンちゃんがくしゃりと笑った。
さっきまでの不思議な笑顔ではなく、いつもそばにあったシンちゃんらしい笑顔。
その笑顔と、そしてかけてくれた言葉はどんなものにも代え難いくらいにあったかくて。
そのあったかさはれいなの中で言葉を塞いでいたなにかを取り去るのに充分だった。

379 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:23

堰を切った言葉は全て解放してしまうまで止まることはなかった。
話してるうちに昂ぶってきて、言葉は途切れ途切れになり、鼻声にもなって聞き取りづらかったりもしただろうけど。
数時間前にあの扉を出て、そして小さな公園で孝太クンと会ったところから。
孝太クンに言われた言葉も、そのときのれいなの気持ちも。
孝太クンに抱きしめられたことも、れいなが泣いてしまったことも。
れいなが孝太クンになにを言ったのかも、それに孝太クンがどんな対応をしてくれたのかも。
全部を、何一つ隠すことなく。
全部話し終えた頃にはグラスの氷も溶けきってしまっていたけれど、それでもシンちゃんは言葉を挟まないで、最後まで聞いてくれた。
“そのとき”の気持ちがぶり返してきて、身体から溢れる感情が涙になって零れて、くしゃくしゃになってるだろう顔の前に四角い箱が差し出された。
一瞬キョトンとしたけれど、それがなんであるか理解すると、半ば条件反射みたいに数枚のティッシュを引き抜いて顔を覆った。
こんなときにってイヤになるけれど、きっとヒドイことになってる顔を見られたくないとも思ってしまう。

「シンちゃん……見よらんで」

380 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:24

「ん……」

目の前、テーブルの上にコトンと箱を置いたシンちゃんは、小さく頷くと背中を見せてクッションの上に座り込んだ。
何枚もティッシュを使って、ようやく少しは落ち着いてきた顔を上げると、少しだけ俯いて、少しだけ丸まった背中に気がついて、胸の奥の方がズキンと痛くなった。
今までの、今の、感謝とか謝罪とか、なにかを話さなきゃいけないって思って。
とにかく「ありがとう」って、そう口にしようとしたとき、見落としそうなくらいに小さく背中が揺れた。

「田中ちゃんさぁ」

むこうを向いたままで、窺えない表情が怖かった。
自分のしたことを責められるような気がして。
背中越しの声は間接的に聞こえて、その響きが怖さを増してるみたいだった。

「コータのこと嫌わないでやってね」

予想とは違って……と言うよりも想像もしていないような言葉だった。
全て知ってそれでもれいなを責めるんでもなく、自分の気持ちを話すわけでもなく。
まずれいなたちの、二人のことを気遣ってくれる。

381 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:25

「不器用で無愛想で……あんなヤツだけどさ、悪いヤツじゃないんだよ?」
「シンちゃん……、解っとぉ……そんなん知ってるけん……」

そんなこと解ってる。
解ってるからこそあれほど好きになったんだから。
悪いのはれいなの方だ……進む道を間違えちゃったれいなの。

「孝太クンにも絵里にもヒドイことした……シンちゃんにもメーワクばっかで」
「そーゆーことじゃないってば。自分だけが悪いみたいに言ったら、それこそコータにもカメちゃんにも悪いよ?
 それにボク。言ったでしょ? ボクは田中ちゃんの味方だって。仕方ないよ、田中ちゃんが好きなんだから」

なんでもないことみたいにそう話すシンちゃんの声はいつもみたいに笑ってた。
なんでだろう。身体が震える。
聞き慣れているハズの声がこんなにもあったかい。

 田中ちゃんが好きなんだから……

心の底から揺さぶられているみたいに。
シンちゃんの顔を見てから、ずっと言えずにいた想いが自然と形にできる気がした……

382 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:26

「れなは……、ここにいても、いいと? シンちゃんの……、そばに、いてもいいと?」

やっとの思いで口にした言葉。
今のれいなの正直な想い。
今のれいなが口にしてもいいのか、ずっと迷っていた気持ち。
シンちゃんの背中が小さく揺らいで、膝立ちになって振り向いた眼が真っ直ぐにれいなを見つめていた。
さっきの言葉を聞かせてもらって、それでもやっぱり今のれいなじゃ、そう思ったときにシンちゃんの手がすっと上げられた。

「ボクは田中ちゃんが好きだよ。田中ちゃんはそれで後悔しないの?」

差し伸べられた手を見つめていて、シンちゃんが口にした言葉の意味を理解して。
なんの躊躇いもなく、ただ一言だけを。

「せん」

383 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:27

「しないんだ?」

ふはっ、って、楽しげにシンちゃんが笑った。
れいなにはその笑いの意味が解らない。でも……

「後悔なんてせん。本気で好きになった人よりも、もっと……シンちゃんのこと、好いとぉ」

一生懸命に気持ちを伝えるだけだった。
差し伸べられた手に自分の手を伸ばしながら。

「やっぱ田中ちゃんは可愛いねえ」

お決まりみたいに何度も口にしたくすぐったい台詞。
今までとは少し違うように聞こえる台詞。
その違いがれいなのキモチの問題なのか、シンちゃんのキモチの問題なのかは解らない。
でも伸ばした手を迎える入れるように掴んでくれたシンちゃんの手は本当だった。
いつでも待っていてくれたその手は……今でもやっぱりあったかくれいなのことを包み込んでくれた。

384 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:27



385 名前:INDIGO BLUE LOVE 投稿日:2007/05/06(日) 01:28



386 名前:匿名 投稿日:2007/05/06(日) 01:35

こんな感じで如何でしょうか。
自分の能力の無さが恨めしいですね。
もっともっと……はぁ。
頑張りますorz

レスをくださる方、ありがとうございます。
ですが次の予定が見えてきません(汗)
書いてはいますが…なるべく早めに、としか。
見捨てないでくださると喜ぶことでしょう(^^;)

ではまた。

387 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/14(月) 23:32
れいなとくっつくかと思いきや...
続き待ってます
388 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/05/24(木) 01:26
展開にドキドキしながら待ってる
389 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/06/10(日) 20:45
待ってます
390 名前:匿名 投稿日:2007/06/13(水) 16:45
……今週末に少しはあげます。
一ヶ月とか……もう、すみませんやらありがとうございますやらで(平身低頭)
391 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:32



392 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:32

「コータ」
「はい?」
「ちょっと話、いいか?」
「……構いませんけど」

空気がピリっと張るのが解った。
朝からいつもと違うのも解っていたし、それは勿論無理ないことだとも思っていた。
だから……だけど、仕事が終わるまでタイミングを見計らって、もう帰ろうとしていたコータに声をかけないわけにはいかなかったから。
いつも通りといってもいい、無愛想なコータの顔を見て、なぜだか昨晩の田中ちゃんが思い浮かんできたのは何故だろう……

393 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:33

 …………

394 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:34

「――田中ちゃんが好きなんだから」

初めて口にしたそのセリフは、自分で考えていたよりもあっさりとこの小さな世界に生を受けた。
こうも自然に言葉にできたのは、背中を意識しつつも壁を見つめたままだったからかもしれない。
はっきり口にすることはないだろうと、そんな機会は訪れない方がいいんだと、そう思っていた気持ち。
けれど……それを形にできたことがどうしようもないほどに嬉しい自分を自覚してもいた。

「れなは……、ここにいても、いいと? シンちゃんの……、そばに、いてもいいと?」

背中越しに聞こえる田中ちゃんの声が震えていた。
それはきっと、さっきの独白にも似た話のせいじゃなく、許しを請うかのような懺悔にも似た告白のせい。
その声の震えは僕の背中を突き抜けて、即効性のある媚薬みたいに身体の全てを侵蝕していった。
振り向いたボクの目に映る田中ちゃんはあまりに小さくて、消え入りそうに俯いたままでいる。
だからボクはそっと手を差し伸べる。
それはけして慰めなんかのためじゃなく、狂おしいほどの愛おしさ。
それでもボクは自分に、そして田中ちゃんに、最後の分岐点を残すだけの理性をかき集めた。

「ボクは田中ちゃんが好きだよ。田中ちゃんはそれで後悔しないの?」

差し伸べれた手を見た田中ちゃんが躊躇も逡巡もなく、「せん」と、ただ一言だけを。
それは“バカにするな”と、どこかふて腐れているようにも見えて。
「しないんだ?」と返しながら、笑いを噛み殺すことができずにいた。
本気なんだね、って、そう解らせてくれる、子供の率直さと大人の挑発をまとった田中ちゃんらしさ。

395 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:35

「後悔なんてせん。本気で好きになった人よりも、もっと……シンちゃんのこと、好いとぉ」

重ねられた言葉は、より純粋で、どこまでも真っ直ぐで、信じられないくらいの速さで二人の中の岐路を選択してしまった。
口にした言葉に背中を押されるようにして、言葉とは対称的な勢いで、おずおずと小さな手が差し上げられる。

「やっぱ田中ちゃんは可愛いねえ」

なにげなく口にしたのは半ば口癖にも近い言葉。
けれど、その言葉が田中ちゃんのなにかを刺激したようで、細い指先がピクリと震えた。
ボクは手を伸ばし田中ちゃんの手を包むように握り、大切に、壊してしまわないようにそっと引き寄せた。

「田中ちゃんの眼にはさ、ボクはどう映ってるのかな?」
「どう……?」
「田中ちゃんから見て、ボクってどんなヤツ?」

繋いだ手を二人の間で遊ばせながら、より解りやすいようにと言いまわしを変えた。
田中ちゃんは自分の意志によらずふらふら踊る手に気を取られながら、「あぁ」と一声洩らして少し考えている。
考えている、というよりも迷っているのかな、とも思える。

「やっぱ可愛いや。正直に言ってみて?」

苦笑混じりにそう言うと、少しだけ眉間にシワを寄せた田中ちゃんが口を開いた。

「れいなにとってシンちゃんは……ヘラヘラしてて、いっつもれいなんことからかってばっかりで、
 なんかテキトーなことばっか言うし、ちょっといい加減に見えるし……」
「うっわ、ヒドイ言われようだね」
「でも……」

さらに言い募ろうとした田中ちゃんを、眼と、握った手で制して。
そして田中ちゃんを押しとどめた手を、導くように手繰り寄せて自分の左胸に押し当てた。

396 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:36

「解る?」
「え? あ……」
「田中ちゃんが『好いとぉ』なんて言ってくれちゃうから……、
 そんな田中ちゃんと一緒にいるから、こんななちゃうんだな、これが」

らしく聞こえるような口調、顔に貼り付けた表情とは裏腹に、バクバクと心臓が早鐘をつく。
押し当てた掌から伝わってるだろう、田中ちゃんはすごく驚いたって顔をしている。

「笑うのもなかなか大変だよね」

きっとボクの顔には苦笑といえる表情が浮かんでいると、田中ちゃんにはみえていることだろう。
口元に同じ種類の笑みを浮かべた田中ちゃんが「アホぉ」、と掠れそうにささやいた。
正座して向かい合い二人して苦笑い、その笑顔に込められた実感に、苦笑を強めたボクの手、空いた右手を自分の左手で掴んで。
おや? っと思う時間もなく、自分の左胸に押し当てた。

「れなも、ドキドキしよるけん……おあいこ」
「――ぁあ、えっと、うん」

掌にひどく凶悪な熱とやわらかさを感じる緩やかなふくらみ。
伝わってくる田中ちゃんの鼓動が、よりいっそうボクの鼓動を激しくさせる。
いっそこのまま、そんな熱病じみた思いに駆り立てられて、突き動かされる一歩手前で気がついた。
ボクの手を押さえる田中ちゃんの小さな手が震えていることに。
怯え……ではないのは解る。そんな顔つきじゃあなかった。
だとすると、その理由はなんなんだろう。
その答えがボクの中で形になるよりも早く、田中ちゃんが俯いていた顔を上げた。
頬を染めて……どころか、顔中を、と言ってもいいほど真っ赤な顔をしていたけれど、ボクを見上げる瞳にはまだ消えない自責と。
全身から感じさせる羞じらいと、そしてなによりも自分の進む方向を決めた強さがあった。

397 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:37

「田中ちゃん」
「……うん?」

なんということでもなく、どうということでもなく、ただ、ボクの口から出たのは田中ちゃんの名前。
お互いの胸に手を当てたままで、ボクがなにかを話すのを促すような返事。

「田中ちゃん?」
「なん?」
「田中ちゃん」
「…………」

ただそう呼び続けるボクを少しだけ不思議そうに見る田中ちゃん。
あえて意図を探るでも問いただすでもなく、真っ直ぐに見つめてくる田中ちゃんが静かに眼を閉じた。
僅かに顔を上げた祈りにも似た表情が、どうしようもなく愛おしくて、そしてどうしようもなく心を急きたてる。
ついと膝立ちになって身体を寄せて、なにに彩られることもない田中ちゃんの色をしたくちびるに惹かれて。
互いのくちびるが触れあうそのギリギリで踏みとどまった心が田中ちゃんを抱き寄せた。
先へ先へと進ませようとするその気持ちに流されてしまいたくなくて、ボクはバカみたいに一つのことだけを繰り返した。

「田中ちゃん」
「……シンちゃん?」

少し反った背中へ手を廻して、支えるように抱いた姿勢のままで。
その耳元で吐息のような声でささやかれて、心ごと、身体まで麻痺したような感覚に囚われる。
身体を重ねれば済むのかもしれない。
けれど勢いだけで踏み込んでしまって、どこかに歪みを作ってしまいたくなかった。
もしも田中ちゃんが望むとしても、正しい意味で一緒にいるのだとしたら、そうであるべきじゃないと思ったから。

398 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:50

「田中ちゃん」
「……うん」
「田中ちゃん」
「うん」

だからボクはそう繰り返し、田中ちゃんはささやくような返事を繰り返してくれる。
何度も、何度でも、互いにそれしか言葉を知らないとでもいうかのように。
そんな中で背中に感じる温もり。
遠慮がちに廻された田中ちゃんの手は控えめなそれとは相反するくらいに熱を帯びているようだった。
その手と、顔を埋めた首筋から匂う甘さにボクは言葉すら失う。

どれほど抱き合っていたろう。
香水やシャンプーなんかじゃない、田中ちゃんの香りに包まれて、あれほど急いていた想いもいつの間にか不思議な充足感に変わっていた。

「田中ちゃん?」
「……ぅん?」

同じ言葉のやりとり。
でも互いにその中にある違いに気がついていた。
ボクは言葉の中に意志を込めて、田中ちゃんもそれをくみ取り促してくれている。

「明日、ちゃんと話してくるから」

それだけでなんのことだか解ったんだろう、田中ちゃんが身じろぎをして、細い髪がボクの鼻先をくすぐった。

「田中ちゃんが話してきたように、ボクもちゃんとしたいから」
「……れいなも行ってよかと?」
「ううん……わかるけど、二人で話したいかな」
「そか。……うん」

小さな声、そして肩にのせられたあごが揺れて、理解を示してくれたことが伝わってきた。
惜しむようにそっと身体を離すと目があった田中ちゃんがくしゃりとはにかんでくれる。
その表情や仕草の一つ一つが大切で、壊してしまいそうな衝動に流されなかったことに顔を綻ばせた。

399 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:52

「なんかおかしい?」
「ううん。やっぱ田中ちゃんは可愛いよ、うん」
「……バカぁ」

今までに何度も言ったセリフ、そして何度も返された言葉だけれど、そのどれよりも。
身震いしそうなほどに甘く響いて、薬毒のように身体に染みてくる罵倒だった。
クスクス笑うボクを軽くにらんだ田中ちゃんが「なん?」と、少しだけ強い口調で問いつめる。
それすらも可愛いと思ってしまうボクは、自分がどれほど田中ちゃんに惹かれているのかを思い知らされた。
緩みっぱなしな頬を引き締める無駄な努力をしながら、軽く咳払いをして話題を変えた。

「さ、田中ちゃんは家に電話しないとね。連絡無しだなんて許されないよ?」
「わ、わかっとぉ」
「じゃ、ボクは布団の用意だけしてきちゃうから、電話しとくよーに」

急に現実に引き戻されて少し渋い表情の田中ちゃんにそう言って隣の部屋へと足を運んだ。
一人になって思う、そばに誰かがいるということの重み、そして明日のことを。
今までの二人の関係の中で、気が重くなるようなシリアスな話になることは間違いない。
けれど、それでもボクは信じていた。
自分とコータの関係を、コータ自身の性根のようなものを。
そして全てを話した田中ちゃんの気持ちが伝わっていることを。

ため息一つでそんな気持ちを吐き出して、そっと隣の様子を窺うと、ちょうど電話を切った田中ちゃんが「ほう」と息をついたところだった。
きっとそれなりに理由をつけて“嘘”をついたんだろうその後ろ姿が一仕事終えた風な装いに見えた。

「田中ちゃん」
「……電話、したけんね」
「うん。よくできました」
「子供じゃなか」

笑って茶化したボクにプイと拗ねてみせる田中ちゃん。
なにがどうと言い切れるワケじゃないけれど、いい傾向だなって、そう思えた。

400 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:53

「お腹、すいてたりしない?」
「……あんまり。なんか色々ありすぎてよくわからんちゃ」
「そっか。じゃあ……寝る?」
「あっ……うん」

発した言葉に言外のニュアンスを含ませたつもりはなかったけれど、田中ちゃんには意識させてしまう言葉だったらしい。
かといって他に言い様も思い浮かばないんだから仕方がない。
そんな風に意識をされるとこっちとしても辛いところだったりするんだけどね。

「なにもしないから」
「そ、そんな心配しとらんもん」
「そう? ホントはものすごく“なにか”しちゃいたいんだけどね」
「なっ――、っ……し」
「ん?」
「その……シンちゃん」
「うん?」

幾度もしたからかいにわたわたと言葉を詰まらせ動揺する田中ちゃんはいつもの田中ちゃんだった。
けれど……その一瞬後に言葉を選ぶように頬を染める田中ちゃんは、ボクの知らない田中ちゃんだった。

「シンちゃんが、その、……んなら、れなはよかとよ」
「田中ちゃん……?」

その、肝心な部分は聞き取れないほどの声量だったけれど、ボクに伝えたい内容は伝わってきた。
それはとても嬉しいし、差し出されたその手を取ってしまいたいのも間違いない。

「その、……したいっちゃろ?」

言い切ったその表情はとても、なんというか、とても切なくさせられた。

401 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:55

「田中ちゃん?」
「……?」
「そんなに急がないで」
「え?」

そりゃあまだ子供だから、なんて言うつもりはないし、実際には子供じゃあない面だってある。
そんなことは理解してるし知ってもいる。
でも今……

「意味のない考えかもしれないし、つまんない意地なのかもしれないけど……
 でもボクは、今から…これから、田中ちゃんとゆっくり歩いていきたいな」
「……シンちゃん」
「田中ちゃんと、二人で、ゆっくり歩いていきたいよ」

自覚してしまったやるせなさ、それごと押し包むように田中ちゃんを抱きしめた。
なにも言わず腕の中に収まった小さな田中ちゃん、その細く綺麗な髪に問いかける。

「こんな考え、イヤかな?」

腕の中の明るい色をした髪がふるふると揺れた。
ボクの胸に額を押しつけて、意地になったように上げない顔はどんな表情をしてるんだろう。

「泣かないでよ」
「……ぃとらん」
「そっか」

田中ちゃんが顔を見せてくれるまで。
そう決めて、あやすでもなくただ田中ちゃんの身体を包む腕を解かずにいた。
しばらくして静かに顔を上げた田中ちゃんは少しだけ赤い目で「バカ」と呟いて、恥ずかしそうに目を逸らせた。

402 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:56

「寝よっか。いっぱい泣いて疲れたっしょ?」

腰を上げて田中ちゃんへ手を差し出しからかいを滲ませてそう言った。

「そんな泣いとらん」

少しくちびるをとがらせて言った田中ちゃんがボクの手を握った。
引き寄せるようにして立ち上がらせた田中ちゃんを連れて、寝床をととのえた扉を開く。

「粗末な寝床ですがどーぞ」
「…………」

どうにも微妙な表情をされたようだった。
やっぱりベッドがお好みだったろうか? そんなことを考えていると、ぺたんと田中ちゃんが布団の上へ座り込んだ。

「田中ちゃん……?」

かけた声にチラリと振り返った田中ちゃんは、やはりどこか微妙な顔を見せるとすぐにまた背を向けてしまう。
自分の座った布団と、そして間を空けて並んでいる布団とに目をやって、無言のままでもそもそと動き出した。
僕の見ている前で……見られていることを意識しているようなそそくさとした動作で、すっと布団を引っ張り寄せた。
一度大きく引き寄せて、距離を測るように一拍分の間をおいて、もう一度、少しだけ引き寄せて納得したらしい。
ジッと見ていたボクの方へ顔だけ向けて、ニッと強ばった笑みを見せて、そしてポンポンと布団を叩いた。

「電気消して、寝よ」

そう言って布団に入って毛布を頭までかぶった田中ちゃんを、気の抜けた表情で見ていたボクは一つ息をついてそれに倣った。
電気を消して障子越しの月明かりの中で、布団へもぐり込もうとしたそのときに気がついた。
毛布の脇からチラリと飛び出している細い腕に。
そして微妙な“間”のせいで心配げに鼻まで下ろされた毛布から覗うような目が見つめていることに。
ボクはそれには気がつかない振りで毛布をかぶって、なにも言わず天井を見つめたままで同じように手を出して田中ちゃんの手を握った。
田中ちゃんはなにも言わなかったけれど、少しだけ強く握りかえされた手の温かさで気持ちは伝わってきた。

「……あったかいっちゃね」

ぼそりと呟くような声が聞こえた。
あったかい、とか、そうだね、とか、返す言葉に迷ったけれど、同じことを感じていたって、それだけで充分だったから。
代わりに田中ちゃんと重ねた手に少しだけ想いを込めて、ボクの口から出たのはただ「おやすみ」とだけだった。

403 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:57

 …………

404 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:58

「田中ちゃん……」

その一言でコータの身体がピクリと揺らいだ。
自分だったらどうだろう。
そう考えてしまうのは間違いだろうか。

「れいな、どうしました?」

それは半ば予想通りの反応だった。
昨晩田中ちゃんが話したとおりなら、その後のことはコータには解っていただろうから。

「うちに泊まった」

あえてそうした言葉を選んだ。
コータにどう聞こえるかも承知の上で、それでもこういった言い方を選んだ。

「……、ったく」

くしゃりと髪をもてあそんだコータが吐き捨てるように呟く。
俯いて見えない表情でどんな言葉を続けるのか。

「どうよ」
「どうよって……」
「とりあえず話とかなきゃと思ってね」
「そのまんまですよ」

そう洩らすコータが顔を上げる。
苦い薬でも押し込まれたような表情だった。
そしてその表情があまりに見事にボクの思っていた通りの表情だったせいで、抑えきれなかった感情が口元に零れてしまう。

「なに笑ってんすか。ったく……泣かしたら先輩でもぶっ飛ばしますよ」

やれやれ、か、それとも……いや、やはり“ったく”という表現が適当な、そんな顔で腹を叩かれた。
キツイだろうけれど、だからこそそれを飲み込むんだろうと、そう思っていて。
やっぱりその通りに不器用な笑顔を見せるコータは、ボクの知っている、ボクの信じていたコータだった。

「殴られないようにするよ」

先に泣かせたのはお前だろと、そう言ってやろうとしたけれど、もう意味のないことだと思って言葉を換えた。
今はこれで……、これぐらいしかないんだと、そう思うから。
後のことはコータ自身の問題としか言えないんだから。
ボクはボク以外の四人、それぞれの笑顔を思い浮かべながらそう考えていた。

405 名前:間奏7 川崎慎哉 投稿日:2007/06/16(土) 19:59



406 名前:匿名 投稿日:2007/06/16(土) 20:03

ここまでです。
待っていてくださる方、レスをくださる方、ほんとにありがとうございます。
いつとは言い切れませんが次回はこんなには空かない……と(^^;)

ではまた。
407 名前:TA(ry 投稿日:2007/06/16(土) 23:32
名前面倒なんで省略でw
いや〜…まさかなぁ〜って展開ですね…
なんかモヤモヤ感がいっぱいですwww
自分もこんな作品買いてみたいなぁ〜と思いました。
続き、楽しみにしておきます♪♪
408 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/02(月) 20:13
2と合わせてこちらも期待大
409 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/14(土) 20:31

まだ待ってるよ〜

410 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/08/10(金) 00:04
待ってます
411 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/07(金) 08:35
待ちます
412 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/01(木) 22:46
生きていますよね!死んでいませんよね!
待っています。
413 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/17(土) 23:30
クリスマス待ってる
414 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:23



415 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:24

代われるんなら代わってあげたい
そんなコトを思える立場じゃないくせにそう思っちゃう
だけどどんなに願っても代わってなんてあげられないから
だから、そばにいよう
一人でいるよりは少しでも気が紛れるように

そしてらしくあれるような元気の素になれたらいいな
迷ってくれたのは今になれば解るから
だからきっと苦しんだんだよね

そんな顔しないでって言いたい
でも言ってもきっと思い出させちゃうだけだから
言ってあげたい
でも言えない
ちょっと苦しいなあ

でも……
それでも一緒にいると嬉しい
例えそれが自分の望む距離じゃなくっても
ただそばにいられれば
416 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:24



417 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:25

いつもどおり仕事のある朝。
いつもどおり始まるはずの朝、ちょっとだけ早起きして家を出た。

今日は新しい始まりだって決めたから、お母さんにも頼らないで早起きして、特別じゃないけれど気を配ったおしゃれをして。
向かった先は仕事場とは違う、あまり綺麗とは言えない小さなアパート。
錆びついた階段をリズムを刻むように鳴らして部屋の前に立つ。
三度目の扉は前の二回からは少しだけ間が空いていて、その間に起きた変化に大きく深呼吸をして覚悟を決める。
チャイムを鳴らすために伸ばそうとした腕が、自分で見てもぎこちなくって少しおかしくなった。
指先がボタンに触れる。
押すかどうしようか、迷いを振り切るようにグッと押し込んだ。
しばらく反応を待っていると部屋の中から物音が聞こえてきて、ドア越しに人の気配を感じた。

 ――ドキドキする…

ドアが開けられるまでの短い時間が胸を痛くするような緊張を。

「は――、い……」
「おはよ」

用意していた挨拶は思っていたよりもすっと言葉にできて、少し高いところにある顔がびっくりしてる。
何日かぶりに見る顔。
別にそれまでだって毎日会ってたりしたわけじゃないのに、すごく久しぶりだってそんな気がする。
418 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:26

「こーた、おはよ」
「あっ、え? おはよ、う」
「まだ時間あるでしょ? ちょっと上がるね」

驚いて固まってるこーたの横からするりと部屋の中へすべり込む。
バッグをおいて振り返ると、まだ玄関で背中を向けてるこーた。

「こーた」
「え?」

初めて気がついたみたいにこーたが振り返った。
それへ笑顔を向けてバッグとは別に持っていた荷物を掲げてみせる。

「まだ時間あるよね? ご飯持ってきたげたよ」
「ご飯……?」
「朝ご飯。前に送ってもらったお礼にお母さんが持っていきなさいって。
 こーたってばどうせ食べてないんだろうなあって思ったから。きちゃいましたぁ」
「って……」

これはついてもいい嘘だって自分に言いきかせる。
買ってきた料理をタッパーに詰め替えたものだけど、こうでも言わなきゃ理由がつかなかったから。
こーたにも、それに自分自身にも。

まだ立ったままのこーたへ手招きをして、「まぁ座って座って」なんて軽い口調で。
こーたはやり場に困ったみたいに半端に上げた手を、くしゃりと寝癖の付いた髪へやって、それからため息なんてついて向かいに座った。

「亀井…さ――」
「ほらあ、まだあったかいんだよ? どーせ朝食べてないんでしょ。ちゃんと食べないとダメだぞっ」
「…それはそうだけど」
「ほら食べて食べて」
「わかったって……」

なにか言いたそうな、言おうとしているこーたを強引に押し切った。
419 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:27

こーたがなにを言いたいのかは知ってるつもりだし、それは今あえて聞く必要なんてなかったから。
言葉を遮るためだけに言葉を口にする。

「どおどお? おいしくない?」
「あ、うまいけど」
「でしょー? おいしいんだよ」
「ああ」

とても美味しそうには見えない顔でお弁当を食べているこーただけど、それでも食べてくれているんだからここへきて良かったと思える。
ちらちらとこっちを気にしながらも、話しかけてくることはなくモソモソと端を口に運んでいるこーたが可笑しくて、ちょっとだけ気持ちが軽くなった。

「なに?」
「っ――、別に。なんで……、いや。あ〜、亀井は」
「ん?」
「食わないのかよ」
「あれえ? 気にしてくれてんの?」
「そうじゃ、ない、いや、けど……」
「こーたが食べてるじゃん?」
「え? ああ」
「で、あたしはそれを見てるのがいいのっ」
「…そう」

困ったように「なんだよそれ」なんて、前にも増して口数が少ないこーただけど。
ゼロから…、ううん。マイナスから始まると思えばこれは悪くないって気がする。
420 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:28

「じゃあ絵里そろそろ行くね」

もそもそとお弁当をつついているこーたを見ていた。
もっともっとって、そう思うけれど仕事に行かないわけにもいかない。
踏ん切りをつけるみたいに軽く勢いをつけてそう言った。

「はっ?」
「仕事。行ってきます!」

なにか言われるよりも先に立ち上がって、カバンを肩にヒョイとおどけた敬礼をしてみせる。
呆けたように見上げるこーたへ、目一杯の笑顔で。

「え? あっ……」
「こーたももうちょっとしたら行くんでしょ?」
「行くけど……」
「じゃ、そういうことで」

なんとも言い難いって顔で見ているこーたへ手を振って、それ以上なにかを聞かれるよりも先に部屋を出た。
一息に階段を駆け下りて通りへ出たところ立ち止まって。
緊張と安堵と、喜びと悲しみと、噛み合わないハズのものが入り混じった気持ちを吐き出した。
大きな吐息にのせて。
421 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:28



422 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:29

「……おー。そっか、いらっしゃい」

ほんの少しだけ驚いたって顔をしたけど、すぐにあのへらっとした笑顔でそう迎えられた。
なにも言わずに来たのに、こうして来ることが当たり前みたい思われていたのかなって、そんな感じ。

「ども。シンちゃん、お久しぶり」
「なにその中途半端に堅苦しい感じは」
「いやだってえ……」
「色々あったから、って?」

崩さない笑顔のままで絵里が口ごもった言葉を形にされた。
なんか見透かされてるのが悔しくて。
でも助けられたって気持ちも本当で。
だから返す言葉は少し投げやりなものになってしまった。

「そーだけど」
「でもこうして来たじゃん」
「え?」

なにを言われたのか、というか、その言葉がなにを指すのかが一瞬理解できなくって。
反射的に問い返すような声が洩れたあたしにシンちゃんがニコリと笑いかけた。

「そういうことなんでしょ?」

今度はハッキリと伝わってきた。
シンちゃんの気持ちが。伝えようとしていた言葉が。

「うん」

だからあたしはキチンと言葉にしてそう返した。
自分のことみたいに嬉しそうに「なら入って入って」って道を空けてくれるシンちゃん。
開けた目の先には何度も通ったちょっと狭い通路があって。
そしてその奥にはあの居心地の良かった空間がある。
423 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:30

視線を逸らすみたいに俯いて、一度だけやや深い呼吸をした。
背中に感じた感覚に目を上げると「大丈夫」って声が聞こえる。
急かすようにしてるんじゃなく支えるように添えられた手もそう言ってるみたいだった。

「コータはカウンターに入ってるから」
「…うん」

足を踏み入れた場所は以前ほど落ち着く場所じゃあなかった。
けれど、またそういう場所にはしたいと思う。
そうじゃなければここにいる意味がなくなってしまうから。

「なんか飲む? っても……」
「あ、ヘーキだよ。色々買ってきたもん。シンちゃんもなんか取ってね」

いつものソファーで脇に置いてあったコンビニの袋を差し出す。
シンちゃんはなにか考えるみたいにその袋をのぞき込んで、大して選んだ様子もなく缶コーヒーを一本手に取った。

「あんま余計なことは言わない方がいいかもしんないから簡単に」
「ん?」
「普通が一番いいと思うよ。ボクはね」
「んー…、うん、わかってる。と思う」
「そっか。ならいいんだけど」
「ありがとーね。シンちゃん」

シンちゃんが絵里に気を遣ってくれるのは解ってる。
多分、その理由も、今なら解る。
そうやって言ってくれることすら気を配ってるんだろうって、そう思う。
だから素直に感謝できる。
シンちゃんはふざけた風に笑うだけだけど。
424 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:30

「さて。コーヒーのお代はアレでいいの?」

そう指差した先はお店のフロアの方で、“アレ”っていうのはこーたのことなんだろう。
アレ扱いされるこーたの少し不服そうな表情が思い浮かんで少しだけおかしかった。

「それともなにか話したいことでもある?」

それはまた茶化した言い方だったけど、手を差し伸べてくれるってシンちゃんの気遣い。
少し考えて、「ちょっとだけ話したい、かなあ」と素直に口にしてみた。

「ほいほい。なんなりと」

相変わらずの口調で向かいに腰を下ろしたシンちゃんが軽い音を立ててコーヒーを開ける。
一口コーヒーを飲んだシンちゃんが、間を取るみたいにゆらゆらと缶を揺らしてからそっとテーブルに置く。
それが「どうぞ」って意味みたいに思えて話をはじめる。

「あー、ほら、……どうしてた、とか?」
「すっげーわかりにくい話だね」

言われてから思い出した。
ここに来るということ自体が久しぶりなんだから言葉足らずだったってことに。
慌てて言葉を足そうとしてシンちゃんが笑ってることに気がつく。
笑っているというか、ほくそ笑んでるっていうべきなのかな。
425 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:31

「もー、ホントやだあ……」
「うそうそ、ごめんってば。ちゃんと答えるから」

力が抜けて落とした肩へ申し訳なさそうな笑い声がかけられた。
最初から解っていたくせにそうやって返すのはシンちゃんらしいけれど、今の絵里にはそんな余裕がなかったから。

「どっから話すべきかな。っていうかそんなに変わってはいないんだけどね」
「そーなの?」
「その……、あれだよ、田中ちゃんと……」

ああ……
シンちゃんが言いづらそうにするのは無理ないけど、それはもう大丈夫だから。

「れいなにフラれたってこと?」
「まあ、うん。それ自体は最初からうまくいくって思ってなかったみたいだし。本人はね」
「……うん」
「だからそれでへこむとかってことはなかったんだけどね」
「でもショックだよ…、きっと」
「そうかもしれないけど。それよりも、その後のことをどう考えていいか、じゃないかと思うんだ」
「シンちゃんの…こと、だよね?」
「それだけじゃないけどね」

少し渋い顔で短くそう言ったシンちゃんは複雑そうだった。
それはそうだろうって、絵里もそれくらい解る。
絵里だってそうだったんだから……
426 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:32

「表には出さないけどね。そりゃあアイツもあれで複雑なヤツだし」
「それは…どーいうこと?」
「知ってるよね、あいつの初めて好きになった相手」
「あっ、…でも」
「そうだけど。男ってさ、バカだからなあ」

なにを言いたいんだろう。
どうにもよく解らなかった。
慰められてるんだろうか、それともまたからかわれてるのか。
シンちゃんの様子からはなんとも――少なくとも絵里には――判断がつかなかった。

「ん〜、だからね。難しい話だけどさあ」
「うん」
「あんまり追い込まないでやって?」
「え……?」
「でも見限らないでやって」
「……あ、はい」
「ボクから言えるのはそんなもんだなあ」
「あっ、ありがと」

もう一つ真意が掴みきれないままでお礼を言うと、シンちゃんは右手をにぎにぎして立ち上がった。
さっき言ったように、この話はこれで終わりだってことなんだろう、多分こーたと替わる為にフロアの方へ歩いていった。

その後ろ姿を目で追うと、すぐに壁に隠れて見えなくなってしまう。
でもなんとなく解る。
陰になった向こうでシンちゃんとこーたが向かい合って話す。
きっとこーたはいつものブアイソーな顔で――それとも少し落ち込んだ顔かもしれないけど――二言三言交わすだろう。
そして動き出したこーたは……その角から……姿を現した。
427 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:32

「…………」
「おっす」

さすがに何度もアパートに押しかけていたからか、ここに来たからって顔に出すほど驚くほどじゃないらしい。
態度の方は相変わらずだけど、アパートで行った日から何度目かになる今日まで、最初のあのとき以来特別に様子を窺うようなことは訊かれない。
だからなにかが変わるってものでもないけれど。

「……ああ」
「お疲れー。まあ座りなよ」
「言われなくても座るけど」
「憎ったらしいなあ、もー。もっとアイソよくしないと差し入れあげないぞ」
「……いや、別に」

チラリと視線を流して袋を目にとめたこーたは、ふいと横を向いてしまった。

「や、あげるってば、こーた。こーたぁ、ホラ、ね」
「わかったって。もらうからっ」

無理矢理押しつけた缶コーヒーを受け取ったこーたが、テーブルの上に乗りだしていた絵里を追い払うように手を振った。
言葉には出さなかったけど、その仕草はこういうことなんだろう。

 ――そばに寄るなって

428 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:34

それは解っていたつもりだけど、あからさまに拒絶されたって感じは傷口をえぐられたみたいに痛い。
けれど精一杯でそれを押し込めて、なんとか笑ってみせないと。

「ほ、らあ…、飲んで飲んで」
「あ…、ああ」

こーたは気づきもしない様子で――というよりもそもそも絵里の方を見てない――横を向いてコーヒーに口をつけていた。
アパートで会ったとき一度も目を合わせようとしなかったこーたを思い出す。
場所が違えば何かが変わるかもなんて考えは気のせいでしかなかった。

「忙しい?」
「…それなりに。そっちはそうでもなさそうだな」

顔こそこっちへ向いているけれど、頑なに目を合わせないまま。
そんなこーたの目と、見ているのか見ていないのか解らない視線の先を意識したままで言葉を探す。

「なーに言っちゃってんの。絵里は忙しいよ? いつも忙しいですよ」
「その割に――、」
「なーに?」
「なんでもない」

まただ。
新しい始まりに決めたあの日、こーたの部屋でこーたの言葉を遮ったアレ以来、核心に触れそうになると話を止めてしまう。
当たり障りのない話なら付き合う程度に言葉を交わしてはくれるけど、まるで避けているみたいに“そこ”へは近づこうとしない。
それがどういうことなのかが解らないあたしはそれに倣うしかなかった。

「そっか。あっ、お腹すかない? パンとかあるけど」
「いいよ。そんなに……」
「……? そう? うん、わかった」

なにか言いかけたこーたは途中で言葉を止めると、思い出したみたいにコーヒーに口をつけて一緒に飲み込んでしまった。
そして絵里はといえば、やっぱりそれを追及することもできずにへらへら笑いながら“そこ”を避ける。
二人でそんなことをしながらでも、普通でいられる日がくれば、なんて思っていたのかもしれない。
けど違った。
そうじゃなかった。
429 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:35

「亀井、さ……」
「え? なに?」

とくんって一つ鼓動が跳ねた気がした。
こーたの瞳に自分が映っているのが見えたせいだ。
跳ねた鼓動が不安に変わる。
体温が一度くらい下がったみたいに感じる。
一度揺れた瞳がもう一度絵里を映して、こーたが言葉を探しあてた。

「なんで?」
「え?」
「どうして……」
「や、やだな…どうしたの、こーた」
「どうしてそんな普通に笑ってられんだよ」

そこには踏み込まない。
二人とも避けて歩いてるなんてただの勘違いだった。
あたしが避けていたそれを、こーたはずっと見続けていたんだ。

「オレ、亀井のことフッただろ?」
「そうだね。ヒドイよね、こーたってば。こんな可愛い初恋の人がいるのにねー」
「ふざけないでちゃんと聞けよっ」

苛立ちを滲ませたこーたの声が少しだけ大きくなる。
あたしは声の抑揚にすら過剰に反応する心臓が恨めしくなる。
逃げちゃいたい。けどそうしたら全てが消えてしまう。
430 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:37

「……うん」
「オレ…、亀井のことフッただろ?」
「うん」

逃げない。
ちゃんと笑えてるかどうかは解らないけど。
でも向かい合わないといけないなら。

「しかも亀井の友達だぞ」
「…れいなは友達じゃないよ。あ、友達でもあるけど、……仲間だよ」
「そうじゃないっ。そんなことじゃなくて……」

こーたは少し哀しそうな目をしていた。
れいなとのことを思い出したのかもしれない。
そんなこーたの顔……、見たくなんかないよ。

「誰にとか、誰ととか、あたしにはそんなの関係ないもん」
「そりゃそうかもしれないけど…、オレ……」
「うん。……すっごい哀しかった。ウソだって思いたかった。
 こーたってばあたしのことからかってタチが悪いよって、思いたかった」
「…ごめ――」
「謝らなくたっていい。こーたがそうするしかなかったのはわかったし。
 後でちゃんと考えたらこーたらしいって思ったもん」
「な、なんだよそれ」
「だってさ。ちゃんと向き合おうとしたのは一人だってことでしょ。
 フタマタとか…、キープとかってしちゃうヒト、いっぱいいるんでしょ」
「そんなの――」

431 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:37

「こーたはしないよ」

それだけはハッキリと、胸をはって言ってあげられる。
こーたは絶対にそんなことしない。
一緒にいた時間は長くはなかったけど、見ていた姿に嘘はなかったはずだから。

この場所で共有した時間も。
送ってくれたバイクのシートも。
たった一度のデートも。
そして教室で椅子に座って見ていた制服の背中も。

「バカだ……」
「バカでもいいじゃん」

呟くみたいに言ったこーたに笑いかける。
こーたはまた視線を逸らすために横を向いてしまって、それからはなにも喋らなくなってしまった。
バカでもいいんだ。絵里には他にしてあげられることなんてなにもないから。
ヤな記憶を蒸し返しちゃったかもしれないけど、少し自分の気持ちを伝えられたのは良かったのかなって思えた。
そしてこうやって話せたことで、こーたが少しでも前に向いてくれるかもしれないって思えば、それがなによりも嬉しかった。
432 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:37



433 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:38

「どしたの?」

広くはない部屋の中、自分の声が届かないような。
そんなおかしな感覚を感覚にさせられる表情だった。

いつものように数日おいて押し掛けてきた部屋で、あのとき以来のお弁当を広げた後のことだった。
こーたは普段と同じ、少しムスッとしたように見える顔で、なにを考えてるのかはよく解らない。
そんな表情が差し出したお弁当を見て変わった、ように見えた。

「悪いけど、…いらない」
「なんで? おなか空いてない?」
「そうじゃなくて……」
「じゃあ置いとくから後で…、あっ、お店に持っていって食べて」

自分の言葉が空回りしているみたい。
イヤな感覚ばかりが膨らんでいく。
いつかのように……

「だからっ、……そうじゃなくて」
「な、なによお」
「この前、オレ、訊いたよな」

それがなにを指しているのかはすぐに解った。
けれど答えたくない。
答えたら先へ進んでしまうから。
絵里の希望とは違う方へ向かって。
でも答えなくても同じことだって、すぐに気づかされる。
お弁当を見つめたままでこーたが話しだしたから。

434 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:39

「なんで来るんだって」
「ちゃんと答えたじゃん」
「途中までな。そういうことじゃないんだ」
「そういうことだよ」

精一杯の抵抗。
なにに逆らえばいいのかもハッキリしないままの。
そんなあたしを諭すような目でこーたが見つめてきた。
どこか、とても苦しそうな目で。

「オレが訊いてるのはそんなことじゃないって、わかってるんだろ……?」
「…わかんないよ」
「もう一度訊くよ。なんで会いに来るんだよ」
「別におかしいことじゃないじゃん」
「オレはそうは思わない」
「おかしくないよ。だって……絵里たちクラスメイトだったんだよ」
「…昔の話だろ」
「っ――、だけど…、今でも友達ではあるでしょ?」
「友達は弁当なんて持ってこないよ」
「そっ……、前は、食べてくれたじゃん」
「理由があったから…、な」

例えば。
夢の中でどこかへ墜ちる、その瞬間のように。
瞬時に鼓動が跳ね上がる。
そんな風に感じている。
435 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:39

「じゃあ次からもう持ってこないよ。ね?」
「そうじゃない。なんで……」
「別にほら、深い意味なんかなかったんだよ? ただ…なにかしたかっただけ」
「だからなんでっ……、オレ亀井のことフッたろ。そう言った」
「わかってるよお。何度も言わないでよ。思い出しちゃうじゃんかあ」
「っ……ごめん」
「あたしも覚えてるよ」

こーたの目が「なにを?」ってそう言ってる。
そう、覚えてる。こーたが口にした言葉は。

「あのときこーたは一緒にいられないって言ったよね」
「ああ、言った」
「れいな、の事が気になって、だから一緒にいられないってことだったんでしょ?」
「……ああ」
「でもれいなは……」
「先輩なら信用できる」
「絵里もそう思う」

こーた少し哀しそうで、だからこそあたしは胸が痛んだ。
そんな顔させたいんじゃないのに……、そんな顔をさせたくないから。
だから……

「だからまたここに来たの」
「なん…」
「ほら、一人はやっぱさみしいじゃん? 絵里でもさあ、なんか気を紛らわせるくらいの相手にはなるかなって」

あたしはうまく笑えてるかなあ?
少しだけひきつっているようにも感じられるけれど、目の前にいるこーたの存在がそう認識する余裕もなくしてしまう。
こーたはなんとも言い難いって顔をして、言うべき言葉を探してるみたいに見える。
436 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:40

「それともこーたは一人でいたい?」
「そうじゃない、けど……」

ゆっくりとそう話したこーたは俯いて。
なんだかとても苦しんでいるようだった。
そこから立ち直る力に、絵里ではなれないのかなって……

「亀井さ」
「なに?」
「もう、…来ないでくれよ」
「……なんでよお。いいじゃん別に」
「ヤなんだよ」

掠れそうな、少ししわがれた声だと思った。
場違いかもしれないけど、大丈夫かなって。
そんなことを思った自分がおかしいくらいに。

「亀井といると……」
「あっ、別にね、一緒にいるっていってもほら、好きだからとか、好きになってほしいとかっ
 そんなんじゃないんだよ? 別にこーたにどうしてほしいとか――」
「亀井っ」

掠れた、でも強い声。
あたしの言葉を遮って、吐き出すみたいに出された声。

「こーた…」
「亀井といると…思い出すから」
「え……?」
「だから、もう来るなよ」

しわがれた声は茨みたいに棘を持っていた。
心が痛いよ、こーた。

「ただ、顔見るのもダメなの? なにも望まない、そばにいるだけ」
「勘弁してくれよ」

とても小さな弱々しい声。
けれどその声はイヤになるくらいハッキリと耳に届いて。
そしていつまでも残って離れない。
それが最後の声だった。
437 名前:セシル 投稿日:2007/11/25(日) 15:40



438 名前:匿名 投稿日:2007/11/25(日) 15:50

……すいませんでした。
生きてます。
ちゃんと終わらせますから、はい。

>>407-413
まだ待っててもらえてるでしょうか。
心底申し訳なく、それと同じくらい感謝しております。
439 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/11/26(月) 23:32
まだ待ってますよ。
って言うかよく戻ってきてくれました。
440 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/31(月) 16:52
本年もお疲れ様でした。
来年もよろしいお願いします。
お待ちしています。
441 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/05/20(火) 21:05
待ってますよ
442 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/11/22(土) 04:49
もうすぐ一年が過ぎてしまいますね
まだ待っています

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