Love Song 2 〜Chain of Love〜
- 1 名前:匿名 投稿日:2006/06/14(水) 20:38
- 倉庫の続き。
作中では四年ほども前になります。
読んでくださる方がいるのなら、レスは嬉しく思います。
- 2 名前:匿名 投稿日:2006/06/14(水) 20:38
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- 3 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:40
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2003年9月、今年も夏が過ぎようとしてる。
心が張り裂けそうに痛かったけど、それでも最高って思える恋をしたあの夏。
あれから2年……この夏で18歳になるんだ。
- 4 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:41
-
今日の仕事はハロモニの収録で終わり。
この収録以外では、以前ほど頻繁に会う機会がなくなった娘。のメンバーや裕ちゃん達。
お互いにそう感じているからかな、空き時間の時や、収録後なんかは自然と一つの楽屋に集まることが多かった。
今日は収録が押したせいもあって、すぐに年少組が帰って、それからもしばらく話し込んでしまった。
そのせいもあり、帰りのタクシーに乗ったときには、もうかなり夜も更けてきていた。
エアコンから吹き付ける風に気怠さを感じて、運転手さんに車の窓を開けてもらった。
過ぎていく夏を惜しむような、真昼の暑さが残った空気。
人の手のはいっていない外気、街の風に微かに混じる夏の匂いが心地良かった。
夜の街を走っていく車の中に入り込んでくる風。
その中に微かな川の匂いを感じて、ふと思いたった。
「あ、すいません。ココでいいです」
そう言ってタクシーを降りた。
もう自分の家まで歩いても十分程度の距離。
だけど少し違う方向へ歩いていけば川縁の自然を感じられる道へ出る。
そのつもりでタクシーを降りたのだから当然だけど、足はそちらへ向かって進んでいて。
- 5 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:41
-
数分の後、月明かりに照らされる川面を横目に歩きながら、少し昔を懐かしく思い出していた。
──あのベランダからも、こんな風に川を見たことがあったっけ。
楽しかった……優しい気持ちになれるような素敵な思い出。
その思い出の中、ふとしたキッカケで小さな痛みが浮かび上がってきて。
アスファルトで舗装された道の切れ目にある柵に体を預けて、その痛みが流れていくのを待った。
──あー……まだちょっと痛いんだねぇ。
もうすっかり吹っ切っていた。
……ハズだったけれど、なにかの弾みでぶり返すこともある痛み。
夏の日射しに照らされた――感じられるか微妙なくらい――微かに温かさが残る木の柵にもたれ、俯き加減に流れる川を見ていた。
「もう18になるんだからねー……そろそろ素敵な恋を探してもいい頃だよね」
そう、その思い出を知っていてくれる人からは、何度も言われていたこと。
あの2人のためにも、そうした方がイイのは自分でも解かっていたから。
──でもさー、そんなの探して見つかるもんじゃないし。
- 6 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:43
-
そんな事を考えていた時だった。
カンッ! カラン、コロコロ……
「おっとぉ!?」
何処からか足元に、硬質な何かが飛んできた。
不意に考えを中断させられた、その原因を、睨むような視線で探した。
サングラス越しに飛んで来たらしい方向を見据えたとき、その原因“らしい”人影が近づいてくるのが見えた。
「あっ、すいません大丈夫でした?
まさかこんな時間誰かいると思わなかったから……」
そう言って下げていた頭を上げたのは、二十代前半くらいの男の人だった。
メガネの向こうの瞳に、どっかで会った事があるような感じにさせられる。
でも、向こうが知らないんだから気のせいなんだろう。
そんなことを考えていたけど、目の前の男の人はまだ謝ってる。
- 7 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:44
-
「苛ついて……つい思いっ切り蹴っ飛ばしちゃって……」
足元に転がる空き缶を指差して、そんな言い訳してる。
こっちが誰なんだか気づいてない、普通の男の人。
その人を見ていたら、何故だか悪戯心が湧いてきて。
「………」
「あの……大丈夫…です?」
「大丈夫じゃない」
「えっ?」
「大丈夫じゃないから……なんかオゴってよ」
「はい?」
「悪いと思ってるんでしょ?」
「あ、あぁ。うん、それは思ってる……」
メチャクチャなこと言ってるって思ってるんだろう。
なにか不思議な生き物でも見るような、それとも“困ったなぁ”とでも思っているような。
そんな表情でサングラスのこっち側を透かし見るように見つめながら話してくる。
その表情は確かな記憶の中にある表情と、とてもよく似通っていた。
「あたしさー、お腹減ったな。喉も渇いたし。
10分待ってあげるから、なんでもイイよ、なんか買ってきてくれない?」
「………」
「イヤ?」
「……解かった」
「いってらっしゃーい」
──……ホントに行っちゃった。
- 8 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:45
-
まさか言うこと聞くとは思ってなかった。
「なんだろ、変な人捕まえちゃったかな」
そんなことを口にしながら……待っている自分も自分だよね、なんて考える。
バッグから携帯を取り出して、時間を確認。
──23:17
あらら、もうこんな時間だったんだ。
──こりゃ帰ってこないかな
なんて考えながらも、メールチェックしながら待とうとしている自分。
うざったいチェーンメールをバシバシ消していきながら、目にとまった一件のメール。
何時の間に届いていたんだろう、その送信元の名前を見るだけで笑顔になれる。
そんな人からのメール。
ごっつぁん、もう家に着いたかな?
今度は一緒にごはんしようね〜
なっち♪
少し前まで会っていたのに、こういった気遣い──本人は自然なんだけど──をしてくれる人。
読んでいるだけで優しい気持ちになってきて、早速返事を書く。
まだ外だよー
ちょっと面白いことがあってさ
今、ちょっとアレだけど
今度会ったら直接話すからね
お楽しみにー!
送信ボタンを押して、もう一度時間を確認してみた。
──23:30
微妙な時間。
やっぱり帰ろうかと思った時、近づいてくる足音が聞こえた。
- 9 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:46
-
その方向に目をやると、さっきの男の人が走ってくるところだった。
「ハァ、ハァ……フゥ…………はい」
乱れた息を整えながら差し出されたのは、大きく膨らんだコンビニのビニール袋。
手渡された袋の中を覗き込んでみる。
おにぎり、サンドイッチ、ペットボトルのお茶、スポーツドリンクetc.
ケーキやおせんべまで入っている。
「プッ……アハハ……フフフッ」
「足りない?」
思わず笑い出してしまったら、そんな一言。
もう我慢できなかった。
込み上げてくるままにひとしきり大爆笑。
笑いが収まるまでの間その男の人は、なんともいえない微妙な表情で立ち尽くしていた。
「なんで戻ってきたの?」
そう聞いた。
聞かれたことが、さも意外なことであるかのように返事が返ってくる。
「君が買ってきて欲しいって……」
「普通そんなの聞かないでしょ……変な人だねぇ」
「………」
怒るかと思いながらもそう言ったけど。
その人はなにも言わずに小さく苦笑いを浮かべるだけだった。
- 10 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:48
-
「で、大丈夫?」
最初はなにを聞かれたのか解からなかった。
でも、少し考えて質問の意図を理解して正直に話した。
「だって……当たってないし」
「………」
言われた男の人は、安心したような、気が抜けたような。
そんな表情を浮かべた後、力が抜けたみたいにしゃがみ込んでしまった。
「あんなの当たってないに決まってるよぉ」
「………」
「にしても随分イッパイ買ってきたねぇ」
「………」
「こんなに食べたら太るじゃん」
「………」
「夜食べると太るんだよ?」
「………」
一方的に話してるのはこっちばかりで。
その人は何か言いたそうだけれど口を開かないで聞いているだけだった。
「ちょっと来て」
そう言って、その人の腕を掴んで立ち上がらせ、そのまま歩き出した。
川縁にベンチがあったから、そこまで。
先にベンチの端に座って真ん中にコンビニ袋を広げる。
「なにいつまでも立ってんの?」
「は?」
「そこ座ってよ。食べよ」
「あっ……あぁ、うん」
こうしてさっき会ったばかりのこの人と。
質素で小さな一風変わった食事会が始まった。
- 11 名前:前奏 投稿日:2006/06/14(水) 20:48
-
- 12 名前:匿名 投稿日:2006/06/14(水) 20:50
- ひとまずここまでです。
あぁ……三年前だよ_| ̄|○
なにをボーっとしてたのか。
小さくへこみながら、また次回。
- 13 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/14(水) 23:10
- 前作から読ませて頂いています
今回も楽しみにしてますね
- 14 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/15(木) 10:00
- 待ちに待った続編ですねぇ
更新楽しみに待ってます
- 15 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/15(木) 19:00
- 前作から見ていましたが、続編だ〜♪w
こんなにうれしい事はないです。
続き楽しみに待っています☆
- 16 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/16(金) 22:07
- 前作も読ませてもらいました。
今回も楽しみにしています。
- 17 名前:匿名 投稿日:2006/06/17(土) 21:11
- おぉ。予想外。
読んでくださる皆様、ありがとうございます。
>>13 名無飼育さん
読者第一号ありがとうございます(笑)
>>14 名無飼育さん
待ちに待った……いかん、涙が(/_;)
>>15 名無飼育さん
そんなに喜んでいただけるとは……どこでがっかりされるか戦々恐々です(汗)
16 名無飼育さん
楽しんでいただけるように……努力します(^^;)
- 18 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:11
-
- 19 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:12
-
情けなくも打ちひしがれていたあの夜
惨めな自分を表すかのような空き缶
自虐的な思いを込めて振り抜いた足
そんな自分に降りてきた蜘蛛の糸
言えばきっと笑うだろうけど……
君に初めて会ったとき、何故かそこに天使がいたって思ったんだ。
- 20 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:12
-
- 21 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:13
-
その日の夕方。
俺は幸せな気分で会社を後にした。
課長に残業を押し付けられそうだったトコロを上手く逃げおおせて。
彼女との待ち合わせ場所までの電車に飛び乗ったんだ。
待ち合わせの彼女は、大学時代に知り合ったサークル一の美女。
自慢じゃあないが、周囲の連中からはお似合いのカップルだなんて言われたもんだった。
同じ時間を共有し、同じ季節を過ごし、楽しい年月を経て。
2人共に無事卒業し、それぞれ違う職場になっても、互いの時間を尊重しながら付き合ってきた。
そんな彼女とのデート。
馴れ合っていた感覚もなく、楽しい時間を過ごすことを想像して待ち合わせの場所で待っていた。
よくあることで、今日も彼女は少し遅れてきて。
それでも笑顔で「ごめんね」なんて一言で食事に向かった。
食事を終えた、その場でのことだった。
彼女はなにか話しづらそうにしていたんだ。
俺はてっきり長い付き合いであったことから、そういった言葉を出そうとしているものかと思った。
- 22 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:14
-
これは先だって俺から言ってやらなきゃいけないセリフだなんて思ったもんだ。
が、それよりも先に、彼女が迷った末に──その割にはあっさりと──出した言葉は真逆のものだった。
付き合いの長さの割には至極あっさりと口にした言葉で。
曰く『もう逢うのはヤメにしましょ』だそうだ。
混乱・困惑・動揺……なにをいってるんだ、この娘は。
勿論そんな事を言い出す理由を問い質した。
曰く『貴方のことがわからないの』だって。
言うだけ言って、それでも沈痛な表情をしていたけれど……。
その去り際もあっさりしたもんだった。
曰く『お互いに良い人見つけようね』だ……はぁ。
1人取り残されたレストランで、今までの時間なんか振り返ってみた。
おっかしいなぁ……悪い思い出なんかなかったはずなのに。
フラフラとレストランを出て、アテもなく歩いていた。
気がつくと川縁の道を歩いていて。
暗い川面に映る月を見ていたら、なんだか無性にざわついた気分になってきた。
──あっさりした振られ方だったな。
3年以上も付き合った彼女のセリフがアレだったことに、悲しみ、驚き、憤っていた。
そんな複雑な感情を、転がっている空き缶へ向けて爆発させた。
力一杯振り抜いた足は的確に缶を捉えて。
空き缶は軽い音と共に、微妙に歪んだ放物線を描きながら夜の闇に飲まれていった。
- 23 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:15
-
その瞬間、夜の帳の向こうで小さな悲鳴が聞こえた。
──えっ!?
まさか、誰かに当たったのかと焦った俺は、小走りに空き缶の消えていった方へ向かった。
川縁に点在する街灯から外れたところで、帽子を被りサングラスをかけたホットパンツの女の子が立っていた。
──天使だ……
何故そう感じたのか。
月の光を受けた長い髪が不思議な煌めきを放っているように見えた。
が、よくは解からなかったけれど、どうもその天使はこっちを睨んでいるような感じで。
──うっわ……当たったかな?
「あっ、すいません大丈夫でした?
まさかこんな時間誰かいると思わなかったから……」
いいわけがましいとは思ったけれど、とりあえず謝る。
が、この眼前の女の子はなんの反応も見せない。
相変わらずサングラス越しにこっちの様子を窺っているような、睨まれているような。
「苛ついてて……つい思いっ切り蹴っ飛ばしちゃって……」
「………」
「あの……大丈夫…です?」
不思議な感覚だった。
この明らかに年下だと思える少女。
この娘が作り出す空気が、この空間を支配しているような。
──気圧されてる?
謝罪する側、される側。
そんな事ではなく、この娘の方がこの場の上位者だって気分で。
その感覚は、次の瞬間に彼女が口を開いたことによって確定的なものとなった。
- 24 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:15
-
「大丈夫じゃない」
「えっ?」
「大丈夫じゃないから……なんかオゴって」
「はい?」
「悪いと思ってるんでしょ?」
「あ、あぁ。うん、それは……」
「あたしさー、お腹減ったな。喉も渇いたし。
10分待ってあげるから、なんでもイイよ、なんか買ってきてくれない?」
「………」
「イヤ?」
「……解かった」
「いってらっしゃーい」
俺は苦情をもらすわけでなく、反論することもなく。
黙って言われたとおりにしようとしていた。
──こんな言われっぱなしの人間じゃなかったハズなんだけどな。
この時はそう思っていた。
まだ理解していないだけだったんだ。
魅力的な声、サングラス越しの笑顔、その口元、帽子からこぼれる髪。
その全てに惹きつけられていたことに。
不思議に思う気持ちのままで適当なコンビニへ飛び込んで、カゴを掴んで品物を見て歩く。
──ナニが好きだろうなぁ……。
おそらくまだ少女と言ってもいい年頃かもしれない。
そんな娘の好みなんてサッパリ解からない。
思いつくままに品物をカゴへ放り込んでいく。
歩みを止めることもなく、次々と品物を選びながら、壁の時計へ目をやった。
──PM11:22
確か彼女は10分といったと思う。
時間がない。
最後とばかりにデザートを数個掴んでレジへ向かった。
──俺、なにしてんだろう……。
自身の行動に多少の疑問符を浮かべながらコンビニを出て、元いた川縁へと走る。
- 25 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:16
-
悪戯されたとか、そういった考えが浮かばなかったのは何故だったろう?
絶対に彼女が待っていると思えたのは?
それでも元いた場所に戻った時に、やはり彼女は待っていて。
「ハァ、ハァ……フゥ…………はい」
多少息が上がったままで差し出したコンビニの袋。
彼女はその袋を受け取り、中を覗き込んで。
「プッ……アハハ……フフフッ」
「足りない?」
何故だか急に笑い出した彼女に、ごく普通に聞いた。
それが余計にツボに嵌ったように、笑い続ける。
俺はその笑いの理由も解からずに、ただ憮然として笑いが収まるのを待つしかなかった。
ひとしきり笑った彼女は不意に真顔になって口を開いた。
「なんで戻ってきたの?」
「君が買ってきて欲しいって……」
聞かれたことに、思った通りに答えた。
その答えが余程意外だったらしく、彼女は珍しいものでも見たような口振りで言ってきた。
「普通そんなの聞かないでしょ……変な人だねぇ」
「………」
なるほど、それはそうだ。
自分でもそう思っていた位だから。
彼女の言うとおり、今の自分の方がおかしいんだろう。
そう考えたら苦笑いするしかなかった。
おかしいついでに質問してみた。
「で、大丈夫?」
「だって……当たってないし」
「………」
彼女は少し考えるような、小首を傾げる仕草を見せた後、当然のように言った。
俺はそうだろうと思いながらも、安堵からか力が抜けたようにしゃがみ込んでしまった。
- 26 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:17
-
「あんなの当たらないに決まってるじゃん」
「………」
「にしても随分イッパイ買ってきたねぇ」
「………」
「こんなに食べたら太るじゃん」
「………」
「夜食べると太るんだよ?」
「………」
しゃがみ込んだままで見上げている俺に、次々と彼女の言葉が降りかかる。
言葉の切れ目になにか言おうと思ったが、黙って彼女の言葉を聞いていたかった。
「ちょっと来て」
彼女の声に聞き入っていた俺は、なにを言われたのか解かっていなかった。
不意に腕を掴まれ立ち上がらされ、そのままの姿勢で歩き出した。
腕に当たる柔らかさを、心地良いと思ってしまうのは悲しい性ってものだろうか。
しばらく歩いた後、腕は解かれ彼女は勢いよくベンチの端に座った。
帽子から出ている長い髪がフワッと広がり、その柔らかな動きに目を奪われていた僕に、袋を広げてこう言った。
「なにいつまでも立ってんの?」
「は?」
「そこ座ってよ。食べよ」
「あっ……あぁ、うん」
たいして腹など減ってはいなかったけれど、それでも間を繋ぐように口を動かしていた。
彼女は黙々と食べ、飲み、その間を縫うように俺に話しかけてきた。
- 27 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:18
-
「こんな時間に、こんなトコロでなにしてたの?」
「あ、え〜……」
「なに? デートでもしてた?」
「……まぁ、そんなトコ」
少し考えてから、そう言った。
デートといえばデートだったような気はする。
ただ最後のデートだっただけで。
「なによ、なんか失敗でもした?」
どうやら表情に出てしまっていたらしい。
彼女は口元を緩めながらそう聞いてきた。
──楽しんでるな……。
「失敗……したのかもなぁ」
「浮気がバレたとか、大事な約束を忘れたとか」
「そんなんじゃない……それに、もう終わったから良いんだ」
「え? あっ……」
俺の言葉の意味に気づいた彼女は、茶化そうとしていた自分を恥じるような、そんな事を感じさせた。
「君は……」
「んぁ? あたし?」
「なにをしてたんだ?」
「あたし……あたしもそうかな、もう2年前だけど」
「………」
──2年って……からかわれているだけなのかな
「なんて顔してんの。食べなよ」
「あっ、あぁ」
「あなたって、なにしてる人?」
「某外資系のサラリーマン」
「ガイシケイ? ふ〜ん………どんな仕事してんの?」
「どんなって……輸入雑貨とか扱ったり、そんな感じ。そっちは学生?」
「ブー。なにしてる風に見える?」
- 28 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:20
-
無邪気な表情で聞いてくる彼女は、独特の幼さを感じさせて。
けれど不思議と……どこかしら老成した部分も感じさせる。
「……さぁ?」
「うっわ、ノリ悪〜い」
「ごめん」
「あんま喋らない人?」
そう聞かれて初めて気がついた。
こんな無口な人間じゃなかったハズなのに。
知らぬ間に無口を装っているのか、それともこの子の前だと話せなくなっているのか。
自分でもハッキリしないままに口を開いた。
「……そうでも」
「むー……まぁイイや。この辺の人?」
「いや、そうでも。そっちは」
「あたし? 結構近所だよ。仕事の帰りなんかたまに……あっ」
「……働いてるんだ」
「……うん」
その迂闊さが可愛らしくて少し笑顔で聞いたら、彼女は如何にも「しまった!」って表情で小さく頷いた。
「なにしてるの?」
「それは内緒かなぁ」
「ふ〜ん」
「なにニヤニヤしてんの」
「いや、別に……可愛いじゃん、とか」
「……ありがと」
そんな会話が続いた、一時の落ち込みようからは想像も出来ない楽しい時間だった。
が、しかし楽しい時間は長く続かないもので。
不意に携帯に目をやった彼女は、口に入れていたケーキを慌てて飲み込みこう言った。
「いやっ、もうこんな時間じゃん!?」
「1時……だね」
「あたし明日早かったんだよー……帰んなきゃ」
「………」
この時間が終わることを残念に思っている自分がいたが、何故かその事を口に出すのを躊躇った。
- 29 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:21
-
「ごちそうさまっ、あたし帰るね」
「あっ……」
「ん?」
「また……会えないかな?」
「……そうだなぁ」
少し考えている様子の彼女に、俺は慌てて鞄の中から取りだしたメモに携帯の番号とアドレスを書き記した。
「コレ……」
「………」
無言でメモを受け取る彼女。
その顔が微笑んでいるように見えたのは気のせいなのか、そうじゃないのか……。
「おにーさん、さ」
「え?」
「コンタクトの方がカッコイイと思うよ。うん、あたしの見立て、間違いないね」
「…………」
「それに髪も。こうして……」
少し背伸びして俺の髪に手を伸ばす彼女は。
至近に感じる彼女は、天使で……そして女だった。
「んっ。ほら、いーじゃんいーじゃん」
そう独り言みたいに呟いて、一歩後退りニッコリと笑った。
「さってと。気が向いたらメールするね、じゃあ!」
手渡したメモをチラッと眺めてから、そう言い残して走り出す彼女。
夜の川縁を遠ざかっていく、その後ろ姿を見ながら、大事な事を忘れていたことに気がついた。
「あっ! お〜いっ!!」
大声で呼び止めた俺に、立ち止まる彼女。
振り向き小首を傾げてこっちを見ている。
「あのさ……名前! 俺、藤原。藤原真人! 君は?」
「あたし? ……今度会ったら教えたげるよっ」
そう言って大きく手を振り走っていった。
また会えるって思って良いのかな。
別れと出会いと……そんな一日の、これが最後の一幕だった。
- 30 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:21
-
- 31 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:22
-
突然の衝撃的な別れと、同じように突然の、不思議と心癒される出会い。
そんな夜から一週間が過ぎていた。
俺は慣れない髪型とコンタクトを気にしながら、日々を期待と落胆で過ごしていた。
それにあの夜から、携帯を手放さなくなり、暇さえあればメールのチェックをするようになっていた。
俺の期待を嘲笑うかのように、舞い込んでくるメールは鬱陶しい出会い系ばかりで。
微かな期待を込めて、あの川縁の道を歩いてみたりもしたが、そう世の中は甘くなく。
当然の如く彼女の姿を見つけることなど出来なかった。
こうして瞬く間に過ぎた一週間。
何処を探すアテなどもないのに、それでも何処かを探したいと思う気持ち。
その気持ちとは裏腹に、今日も仕事で外回りをしている現実。
そんな鬱々とした思いを抱えた夕方、帰社する途中の事だった。
ふと目をやった横断歩道の向こう、その一シーン。
そのシーンに釘付けになった俺は、携帯を取り出しメールを送った。
直帰します
簡単にそれだけ。
青に変わった信号に、走り出す俺。
その先にあるのは萎びた雰囲気を持つ喫茶店。
少し中の様子を窺ってからその扉を開いた。
「いらしゃいませ」
白髪のマスターらしい人物が静かな声で言う。
大きめの観葉植物で仕切るように置かれたテーブル席が3卓と、4〜5人が座れる程度のカウンター席。
テーブルは2卓が埋まっていて、カウンターは全て空いていた。
俺は入り口寄りのカウンターに腰をおろし、据え置かれたメニューからブレンドを一つ頼んだ。
- 32 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:24
-
注文を受けたマスターの手慣れた動きよりも、静かに差し出される素晴らしい香りのコーヒーよりも。
俺の注意は背中越しのテーブル席に集中していた。
その席には“彼女”が座っていた。
あの夜とは違うサングラスをし、帽子は被っていなかったが間違いない。
そう大きい声ではなかった為、ハッキリとは聞き取れないけれど、その声も。
あの夜の彼女のモノに間違いなかった。
──声。
そう、彼女は1人じゃなく……向かいには男が座っていた。
漏れ聞こえてくる会話、その雰囲気は、かなり親しそうなモノで。
彼女を見つけた喜びに浸る暇もなく、そのそばに座っている男の姿に動揺していた。
「……でねっ……」
「はははっ……なん……」
「だからさ…………だよね」
「そっか……な? ……だろ」
切れ切れに聞こえてくる会話はとても楽しげで、彼女がどんな表情で話しているのか、気になって仕方がなかった。
ともすれば振り向いてしまいそうになる自分を、なんとか抑制しつつコーヒーに口をつけた。
「今夜にでも…………のね」
「……俺にも……」
「え〜っ!? …………い、ダメ!」
「なんだ……」
きっと当たり前の気持ちで飲めば、極上の味と香りを楽しめそうなコーヒーだった。
ただ、今の俺にとっては何を飲んでも同じだったろう。
とても鼻腔を抜けていく芳香や舌を包む渋味を味わっている余裕はなかった。
- 33 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:25
-
テーブルで交わされる会話は盛り上がりを増しているようで。
抑えられた声の中、背後から伝わる空気だけでも、そうと感じられるほどだった。
その雰囲気を背中に感じながら、次第に打ちのめされた気分になってくる。
「…ごと………るね」
「あっ…………行こうか?」
「イイよぉ………もん」
「………俺も…るわ」
背後で交わされる会話の空気が変わり、ガタガタと動き出す音が聞こえた。
横目で様子を窺うと、2人が席を立ち、店を出ようとしているところだった。
慌てて席を立ち、会計を済ませようとすると、もう一組の客が声を上げていた。
彼女の連れの男が会計をしている途中のマスターと一言交わしていて。
男に会釈したマスターはテーブル席へ向かった。
その間にも彼女は振り向きもせず表へ歩き出していた。
どれほど焦れてもその後ろ姿を追っていくことは出来なくて。
俺は硝子越しに遠ざかっていく彼女の後ろ姿を、唇を噛み締めながら見ていることしか出来なかった。
遠ざかる後ろ姿を見て、強い焦燥感に嘖まれながら、やっと会計を済ませて店を飛び出した。
彼女の去った方向へ人混みを縫うように走っても、既に彼女の姿を捉えることは出来なくて。
走り続けて息が切れ始めた頃になってやっと……。
もう見つけられるはずがないという現実を、ビルの壁にもたれながら受け入れた。
- 34 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:26
-
自分でも情けなくなるほどに肩を落とし家に帰り着いた。
投げやりに荷物を放り出して、自分の体ほどもあるお気に入りのクッションに倒れ込むように突っ伏した。
「……ハァ」
大きく一つ溜息をついて、意味もなく寝返りを打つように床を転がってみる。
「気持ち悪ぃ」
涼しくなってきているとはいえ、汗をかいた肌にシャツがつく感触は不愉快過ぎた。
──何もしたくない
そんな気怠さを抱えたまま、仕方無しにシャワーを浴びるために動き出した。
汗と一緒に、抱えていた気怠さまでも流れたらしく、僅かばかりでも立ち直ってバスルームを出た。
部屋に戻った俺は、放り出した携帯がメールの着信があったことを告げているのに気がついた。
「どうせ……」
半ば諦めながらも、微かな期待を持って開いたメール。
「……やっぱりかよ」
瞬間、切れかかった俺は携帯を掴んだ腕を振り上げ、それを叩きつけそうになった。
- 35 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:26
-
〜〜♪
その時、再びメールの着信を告げるメロディが鳴った。
振り下ろしかけた腕を止め、鳴り続ける携帯を睨みつける。
「………?」
誰と判断のつけられないタイトルのメール。
今度ジャンクメールだったら、後のことなんか構わずに叩きつける。
そう決めて──それでも僅かな期待はあったんだろう──恐る恐るメールを開いた。
さて、私は誰でしょう?
1 ただの悪戯好きな性格の悪い女の子
2 ごちそうしてもらったとびっきり可愛い女の子
3 出会い系で会った可愛い女の子
さてだ〜れだ?
正解者にはご褒美が用意してあるよ(^^)
「……ハッ…ハハハッ……」
自分でも良く判らないまま、笑いだけが込み上げてくる。
ひとしきり笑い、後になって感情が追いついてきた。
──彼女だ
先走る気持ちを抑えながら、あえて素っ気ない風を装って「2」とだけ返信した。
- 36 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:27
-
俺が送り返してから一分に満たない時間で、再び返ってくるメール。
せいか〜い♪
でも、なにその横着なメールは!
せっかくイイ物あげようと思ったのに!
あげるのやめようかなっ(-.-#)
開いたメールに、思わず浮かぶ微笑み。
これを打ち込んでいた彼女の様子が思い浮かぶようだった。
緩む顔を引き締めようと、無駄な努力をしながら更に返信する。
ごめん、許して<(_ _)>
出来るだけ早く返事をしたかったんだ。
君から貰えるなら、なんだって嬉しいから。
許して!
送信。
そして携帯を見つめながら待つ。
- 37 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:28
-
──おぉ、早い早い。
余程手慣れているんだろう。
俺が送る時間よりも滅茶苦茶短い時間で返ってくるメール。
素直でよろしい!
優しい私は許してあげちゃうよ
じゃあねぇ、イイ物あげるから今から出られる?
望外の喜びだった。
何とかそういう方向に持っていきたいと思っていたのだから。
急く気持ちから、幾度も打ち直してメールを送った。
OK。
何処へでも出向かせてもらうよ。
何処へ行けばいいのかな?
たったこれだけを打つのに結構な時間を掛けてしまい、急いで送信ボタンを押した。
そしてまた、間もなく返ってくるメール。
あの時のベンチ、覚えてる?
あそこで待ってるから
できるだけ早く来るように!
あんまり遅いと帰っちゃうぞ(^^)
じゃあ、急いでね〜
そのメールを見て、慌てて時計を見る。
──20:18
タクシー、電車、バイク、車……頭の中で最も早く着けそうなものをチョイスする。
──この時間、あの場所ならバイクか。
急いで身支度を整え、ヘルメットと携帯を掴み、財布をポケットにねじ込んで家を出た。
また彼女に会える。
頭の中はその一点だけで、他のことは全て吹き飛んでしまっていた。
- 38 名前:タイムマシーン 投稿日:2006/06/17(土) 21:28
-
- 39 名前:匿名 投稿日:2006/06/17(土) 21:31
- 第一楽章『タイムマシーン』でした。
このやり方、曲を知ってる人にしてみればネタバレ要素ガッツリなんですけど。
まぁ、前作からそうですし、それも“味”ってことで(笑)
ではまた近いうちに。
- 40 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/19(月) 19:21
- 初めて読みました。
おっと、前作があるんですね(^^;
早速チェックします。
- 41 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/19(月) 22:31
- おぉ、続きがきた〜!!
『タイムマシーン』ですか、なるほど…(笑)
これからも、頑張ってください♪
- 42 名前:匿名 投稿日:2006/06/24(土) 19:27
- >>40 名無飼育さん
レスありがとうございます。
前作、一応。読まずとも、こっちは解ると思いますが。
もしお気に召しましたら、こちらでも構いませんので反応を(笑)
>>41 名無飼育さん
レスありがとうございます。
基本、週一くらいでのせていくのです。
……曲、ご存じなようで(^^;)
では、続きです。
- 43 名前:間奏1 藤原真人 投稿日:2006/06/24(土) 19:28
-
- 44 名前:間奏1 藤原真人 投稿日:2006/06/24(土) 19:28
-
待ち合わせ……というか、開演の時間に、万が一にも遅れちゃならないと思い、車はヤメにして電車を乗り継いでやってきた。
初めての場所だけれど、誰かに道を聞くまでもなく、容易く目的の場所まで辿り着きそうだった。
──アレだな、なんていうか……現地集合の団体旅行みたいな?
最寄りの駅を降りて、辺りを見廻したときチラホラと見えた“それらしき”人達。
電車の中でも感じてたんだけど……微妙に独特の雰囲気を醸し出している人達、ね。
それらしき人達の後を、追うようにして歩いていくと、少しずつ流れる人の“質”が絞り込まれたものになっていく。
それは今までに自分が知っているものとは…なんというか……少しばかり異質なカラーだったけれど。
──なるほどねぇ…まぁ、楽しそうだからいいんだろうな
そんな人の流れから少し距離を置きながらも歩いていくと、受け取ったチケットの為に用意された大きな建物が視界に入ってきた。
眼前に姿を現したのは統一感のある色調でまとめられた綺麗なホール。
歩きながら周囲を見渡し、どうも彼女の姿がないらしいことを──溜息混じりに──確認して少し考える。
腕時計に目を遣り、人溜まりから距離を置き、広い玄関口を見渡せる位置でシャツのポケットにしまい込んでいたチケットを取り出して眺める。
「……なんだかなぁ」
取り出したチケットの表に大きく印刷されている文字。
──ハロープロジェクト……知らないんだよなぁ
今時の若い娘はこういうのも好きなものなのか、等々、取り留めのないことを考えながら待ち合わせの相手が来るのを待っていた。
いつの間にか入り口付近を埋めていた人混みがホールの中へ吸い込まれるように流れ始めている。
- 45 名前:間奏1 藤原真人 投稿日:2006/06/24(土) 19:29
-
一向に姿が見えない彼女に、さてどうしたもんかと考えていたら、ポケットがメールの着信を告げるメロディを奏でた。
ジーンズから引っぱり出して、開いた携帯の液晶をみると、待望の待ち人から届けられたメールだった。
ごめんねー
先に入ってて!
会場の中で会えるから
ね♪
携帯を見つめたままで一つ溜息をついた。
──来る気はあるんだ
その溜息は落胆してのものなのか、それとも安心してのものなのか。
自分でもハッキリしない、微妙な感情から出てしまったものだった。
──逢えないわけじゃない……んだよな
自分を納得させるように心の中で呟いて、ホールへ吸い込まれていく人の流れに近づいていった。
小さな違和感を残しながらも、初めての場所で初めての──この類のモノは──ライブ。
拭いきれない違和感と同時に、湧き上がる微かな昂揚感。
そして小さな不安を抱えたままでチケットと照らし合わせるように席へ向かった。
- 46 名前:間奏1 藤原真人 投稿日:2006/06/24(土) 19:30
-
あてがわれた席に座りしばらく経つとあることに気がついた。
どうもこの一角だけ、他の空間とは違う雰囲気を感じるようだった。
他の場所が、やたらと……固定された客層であり、カラフルなライト──サイリウム?──を持っている人が目立つ。
それに対して、この一角は妙に落ちついているというか、こういったイベントであることを感じさせない空気だった。
──なんだろう? 逆に慣れた空気のような気もするんだけど
どうにも落ち着かない気分のままで、ともかく席に座って彼女が姿を現すのを待っていた。
が、待ち合わせの彼女はいつまで待っても隣の席を埋めることはなくて。
遂に幕が上がる時間になっても俺の隣の席──何故か両隣二つとも──は空いたままだった。
──どうなってんだよ……
開演と同時に異様な盛り上がりをみせる会場とは逆に、俺のテンションは底を打っていた。
次々と入れ替わる舞台上のアイドル達を眺め、様々な曲を聴きながらも、気分は沈みきったままで。
へこんだ気持ちのまま、もう席を立ってしまおうかなどと考えた時、会場のバカデカいモニターに映し出された文字が目についた。
──……?
どこか、何かが引っ掛かった。
- 47 名前:間奏1 藤原真人 投稿日:2006/06/24(土) 19:30
-
何に引っ掛かったか考えている中、場内にアップテンポなイントロが響き渡る。
それと同時に、舞台袖から俯きぎみに走り出してくる人影。
華やかなスポットに照らし出されて姿を現した人影は、舞台の中央まで走り出ると、天を仰ぐようにその顔を上げた。
──あ……
舞台の中央で曲にあわせて身体を動かしているその娘は、どこか衣装とは不釣り合いなサングラスをしていた。
やがてイントロが終わりに近づき、その娘は歌い出しにあわせるようにサングラスに手を掛け宙に投げる。
俺は浮かせ掛けていた腰をストンとおろし、ただ呆然とその一部始終を見ているだけしかできなかった。
想いを寄せていたのがバリバリのアイドルだった事にも気がつかずにいたマヌケだったなんて……。
引き込まれるように見つめていた彼女の姿は、いつのまにか終わりに近づいていた楽曲にあわせるように舞台袖へ移動していった。
途中、幾度かこの辺りを見ているような気はしたが、こっちはそれどころじゃあなくて。
まず考えようと一つ大きく息を吐いて、座席に深く身体を沈めた。
- 48 名前:間奏1 藤原真人 投稿日:2006/06/24(土) 19:31
-
混乱した頭で様々なことを考えようと努力をしたが、浮かび上がる川縁での彼女の姿が邪魔をする。
そんな中、ふと気がつくと至近でこちらを見下ろす女性が声を掛けてきていることに気がついた。
「あの……」
「あ、はい。……なんですか」
「失礼ですが……藤原さん…でしょうか?」
少し困ったように、遠慮がちな口調で聞いてくるその女性は、俺よりも少し歳上であろうと思われた。
どこかで会ったような気はするけれど、まさかこんなトコロに知人はいない……ハズだ。
「え? はい。そうですけど……あなたは? どうして俺の事?」
「良かった。すいませんけど一緒に来ていただけませんか?」
軽い動揺を隠しながらその言葉を認めると、安心したように破顔して手を差し伸べてきた。
「はい? 急にそんな事言われても……」
「あっ、私じゃなく……アナタの連れに頼まれたんです。真希ちゃんに」
「っ……い、行きます」
嫌も応もなかった。
俺にとって今、この場で、他には選択肢なんて残っていないんだから。
「どうぞ」
そう言って、先を歩く彼女に着いて歩きながら周囲を見廻すと、いつの間にかライブは終わり人気も減り始めていた。
- 49 名前:間奏1 藤原真人 投稿日:2006/06/24(土) 19:31
-
妙に静かな通路に出て、硬質な床の上を歩きながら、先を歩く背に問い掛けてみた。
「あなたは…もしかして、マキ…さんの?」
「姉です」
「彼女は……その…“後藤真希”さんなんですよね」
立ち止まり振り向いた女性は、さも意外そうな表情で口を開いた。
その表情は、俺の質問の意味をキチンと理解してのものだと解る。
「ご存じなかった……んですか?」
「はぁ…そういうの、疎いもんで」
俺の言葉を吟味するような間があいた後、前へ向き直り歩きながら話しかけてきた。
「……あの子が何考えてそうしたのかは解らないですけど」
「………」
「身内贔屓とか、そんなのじゃあなく……」
「あっ……解る、つもりです」
そうやってポツポツと言葉を交わしていると、前を歩く女性は足を止め振り返った。
「この扉の向こうです。少し待つかもしれませんけど」
「………」
女性が道をあけるように身体を寄せた先には金属製の重々しい扉。
その扉に手をやり、グッと力を込めて押し開ける。
ふと気がついて女性に目を遣ると、微かに笑みを浮かべて会釈をされた。
「あっ…ありがとうございました」
俺が礼を言うと、その女性はもう一度、小さく会釈をして背を向けた。
1人になり、開いた扉の隙間に身体をすべり込ませるようにくぐり抜けると、どうやらそこは地下駐車場のようだった。
人気の感じられないコンクリート壁の静かな駐車場。
そこをウロウロと歩きまわりながら、この先のことを考えていた。
- 50 名前:間奏1 藤原真人 投稿日:2006/06/24(土) 19:32
-
- 51 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:33
-
- 52 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:33
-
あなたの微笑みが、暗闇の中にいたあたしの光になった……
あなたの微笑みが優しくて、眩しくって。
あなたに出会えた小さな偶然が……
もう一度、恋をしようって思える勇気になったんだよ。
- 53 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:33
-
- 54 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:34
-
今から2年くらい前。
ごとーは失った恋のかけがえのなさに打ち拉がれていたんだ。
でも……。
誰かに話したら自惚れてるって笑われそうだけど。
でも……。
一緒にいられる大切な時間を惜しんだせいで、余計に苦しめてしまったあの人の為にも。
もしかしたら…ううん、きっとあたしよりも辛い立場で、もっと苦しんだだろう彼女の為にも。
あたしのコトを想って、心配してくれて、あったかい手を差し伸べてくれた人達の為にも。
壊れちゃった──自分でそう選んだにしろ──恋に立ち止まって、泣いてばかりはいられない。
心の奥の方に“それ”を抱え込んでいても、笑ってみせなきゃいけないって。
──2年…かぁ。
自分でもよくひきずってるなって、そう思う。
そりゃあさ、いつまでもあの朝みたいな、動くこともできないような痛みではないにしろね。
2人を見てもヘーキなくらい……うん、ホントに。
2人と一緒にいても、ちゃんと笑えるくらい立ち直ってたんだ。
──でもさー……。
何故だか不意に思い出しちゃうこともあって。
ワケもなく、締め付けられるように心の奥の方がギュってなる。
そんな夜に、あの人はごとーの世界に入ってきたんだ。
同じように、先の見えなくなった“明日”にしょげかえってた人。
- 55 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:35
-
今なら解る。
きっとあれは神様がくれた“出会い”だったんだよね。
痛みを抱えた2人が……そう、ちょっとした偶然で出逢った。
それはきっと小さな、ほんの小さな偶然だけど。
ごとーにとっては全然小さくなんかない……とってもステキな偶然だったんだ。
- 56 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:35
-
そんな想いに深く囚われていた時、肩に何かが触れるのを感じた。
「ひゃっ!」
「うわっ!?」
あまりにビックリして出てしまった奇声と一緒に振り返る。
振り返る動きに重なる、少し低いもう一つの声
「あっ……」
「…ども」
振り向いた先、至近距離にある困ったような、驚いたような、はにかんだ笑顔。
前とは違う、メガネをしていない、少し変わった髪。
一瞬、心臓が跳ねるような感覚と一緒に言葉を無くしてしまった。
「待たせた…かな? そうでもない?」
「…………」
「あれ? 怒ってる? そんなに待たせてないと思うんだけど……」
「〜っ…ビックリした!」
「え? あっ…ごめんなさい」
「もっと早く声かけてよー」
声をかけられたことよりも、振り向いた時の距離の近さに驚いて。
その驚きから、半ば八つ当たりに近い文句を言いつのる。
- 57 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:36
-
「……いや、何度か呼んだんだけど」
「うそぉ!?」
「…ホント」
申し訳なさそうに言う目の前のこの人──藤原さん──は、なにか妙な気持ちにさせる人。
不思議とあたしの心を、どこか懐かしく安らがせて。
それでいて心の奥へ、大切に仕舞いこんだおもちゃ箱を引っぱり出すような、そんな心地にさせる人。
「…ごめんなさい」
「………プッ、アハハ」
「なによー!?」
「素直な反応がさ、いいなって」
「むー」
それがなんなのか、ホントは自分で気がついてた。
でも……それでも、それはただのキッカケに過ぎないんだからって。
自分でそうだって思い込もうとしていた。
──だってそうじゃないと……
「さぁ、約束を果たしてくれないかな」
「んぁ? なんだったっけ?」
「今度会ったら…って、そう言ったろ? 名前、教えてくれるって」
言われるまですっかり忘れてた。
まだ名前すら教えてなかったんだってこと。
……どーしよう。
- 58 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:36
-
今ココで、全部喋っちゃうのか、それとも……。
決めかねたままで、かけていたサングラスを外して口を開いた。
「マキ」
「うん…マキちゃんね。……で?」
そう口に出してしまってから、藤原さんの表情を見て思った。
間違いなく“あたし”のコトを知らない。
少なくとも解ってはいない。
そう確信した。
「“ちゃん”はいらないよぉ。ただ“マキ”。そう呼んで」
「…そっか、うん。……オッケー、マキね」
ふと気がついた藤原さんの笑顔は、どこか少しだけ寂しそうな笑顔で。
だけど一所懸命に“前を向いて”いる人の笑顔だった。
古い傷がシクシクって痛み出したごとーには、その笑顔がちょっとだけ眩しい。
でも……
- 59 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:37
-
「藤原さん、だったよね?」
「なんだ、覚えててくれたんだ」
覚えていないわけなんて無いのに。
わざとあやふやな記憶を辿るような素振りをしてみせる。
藤原さんはホッとしたって顔してまた笑った。
そんな笑顔を見せられて、改めて心に湧き上がる想い。
「覚えてるよー。変な人だって思ったもん」
「し、失礼なキミは……あの時はさ、あんなタイミングだったし…覚えてないかなって」
今までのとは少し違う笑顔。
苦笑いを浮かべながら説明…釈明? するみたいに頭をかいてる。
なんかチョット可愛いなぁって思う。
「藤原さん、あの時さー…ずいぶん慌ててたよね」
あの夜、別れ際の様子を思い返して、おかしくなって。
そんなあたしの言葉に、どうしちゃったんだか考え込むような藤原さん。
「……あのさ。“藤原さん”っての、やめない?」
「んー……じゃあなんて呼んだらいいの?」
「真人でどう?」
「……じゃ真人さんで」
「…ま、いっか」
なんだか少し不服そうな顔だけど、一応納得らしい藤…真人さん。
- 60 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:38
-
「でさ。あの時はなんであんなに慌ててたの?」
「ぐっ……、そんな事気にしなくてもいいじゃん。ね?」
「気になるよー。なんで? ねぇ、なんでー?」
「なんでって……また会いたかったし、それに……」
語尾はゴニョゴニョと掠れて聞き取れなかったけど、今はその前の一言だけで十分だった。
“会いたかった”……そう言ってもらえるだけで。
「なーにー? ご…あたしのコト好きになっちゃったりした?」
「ん。そうだなぁ…なっちゃったかもな」
「………」
茶化すみたいな感じで聞いて……照れ笑いでもされたりしたら良いなって。
そんなつもりだったのにさぁ。
──なっちゃったりした……の?
「……黙るなよ。言ったこっちまで赤面すんじゃんか」
「あっ、あー……」
「言われ慣れたりしてないんだ。顔、赤いよ?」
「あ、赤くないよっ。それに真人さんふられたばっかでしょ、なに言って……」
「もうイイじゃん。そんなこと……」
──あっ……
一瞬だけ、見てしまったのは、哀しげに曇った表情。
すぐに笑顔に変わったけど、それは見せないように作ったモノなんだろう。
自分に置き換えればすぐ解ることだった。
ほいほいと口にしていいコトじゃないに決まってる。
- 61 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:38
-
「…ごめんなさい」
「別に謝んなくても……それとも俺の事好きになり始めたりしてる?」
からかったお返しだって解ってて。
それでも頬が熱を持つのを止められなかった。
照れ臭くって……身体ごと、顔を逸らすように背を向けた。
「う、自惚れてんの」
「……希望だよ」
口元を隠して、聞こえないように言ったつもりなんだろうけど……。
──ごめんなさい…聞こえちゃった。
どうしようもなく赤くなる頬と、ドキドキいってる胸を押さえてコッソリと深呼吸。
「あ〜っと、俺から連絡したりしたら迷惑だったりする?」
「んぁ? ……べ、別にメイワクとかってないけどさ……」
「そか。なら良かった……あっ!」
「ん?」
「もイッコ思い出した。そういえば…なにくれるの?」
「あー、えっとね……」
言われるまで忘れていた、今日呼び出した本当の理由。
言いながらバッグを開いて中を探る。
- 62 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:39
-
「ジャーン♪ これでーす」
「……なに、それ?」
あたしが取り出したのは、ごく普通の、ぺらっぺらの封筒。
なんだか解らなくて、どうリアクションを取って良いの、って表情の真人さん。
「はい♪」
「はい…あ、ありがとう。開けても良いのかな?」
「うーん……どうしよ?」
「どうしよっか…って俺が聞いてんじゃ?」
「アハハ、そうだよねぇ。んーと……開けたい?」
「ま、そりゃね」
「じゃ、イッコだけ約束してくれる?」
「…良いけど?」
「それ、絶対付き合ってね。何があっても、最後まで」
真人さんの手にある封筒を指差して一言ずつ、区切りながらハッキリと言った。
そんなあたしと、手の中の封筒を見比べながら、真人さんも神妙な顔してキッパリと言いきってくれた。
「いいよ。約束する」
それだけ言って封を開くかと思ったら、そのままでポケットにしまい込んだ。
てっきり開けるものだと思って心の準備をしてたのに。意外。
- 63 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:39
-
「中、見ないの?」
「後の楽しみに取っとく」
「ぷっ…アハハ、なにそれ」
「いや………いいや、なんでもない」
あきらかに何かを言いかけてやめた、そんな感じで。
意識的に眼を逸らされた。
──これは追求しなきゃでしょ
「なに? なんか言いかけた」
「だからぁ…………」
勢い込んで口を開いたけど、その勢いはあっという間にしぼんでしまったみたいで。
聞き取れたのは最初だけ、肝心な部分はサッパリだった。
「聞こえなーい」
「っ……あ〜……だから、勿体ないなってさ」
「んー?」
何が? って、そういう意味を込めて首を傾げてみる。
指先で鼻の頭を擦るようにして表情を隠しながら、照れ臭そうに真人さんは話し出した。
「これは帰ってからでも見られるだろ?」
封筒を収めたポケットを叩きながら、ひとつ間をおくように笑ってる。
あたしは黙って言葉の続きを待つ。
- 64 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:40
-
「今、目の前に、一緒にいるんだから、キミと…あっ、マキと話してたほうが良いな、と」
「……ぼっ」
「なんだそりゃ」
照れくさくてだした、意味のない言葉に軽く突っ込まれて。
2人して声に出して笑いあって。
「そんなことヘーキで言えちゃう人なんだ」
「言うかっ、こんなこと。すっげー恥ずかしいっ。それに…自分が言えっつったんじゃん」
「こないだ会った時も思ったんだけどさー…真人さんってば変な人だよね」
「はぁ? そうかな? う〜ん……」
「……ほんっと、変な人」
そう言われて浮かべる微妙な表情、仕草から伝わってくるもの。
それは都合のいい解釈なのかもしれないけど、きっと、多分、“好き”ってキモチ。
あたしからもそれを感じてくれるだろうか?
──……伝わってるかなぁ?
今、精一杯の“好き”ってキモチ……。
なにげない会話の中で、行き来する言葉に込めるたくさんの“好き”。
- 65 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:40
-
- 66 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:40
-
ハローのライブ、だんだんと近づいてくる出番の少し前。
裕ちゃん達と同じソロ組にあてがわれた控え室から離れて、人気のない階段にしゃがみ込み、こみ上げる感情を抑えてこんでいた。
抱え込んだ膝に顔を埋めるようにして、眼を閉じて、出番と同時に来る“その時”を思っていた。
遠くに聞こえるガヤガヤとした喧騒の中、いつになく乱れた心をなんとかしなくっちゃって。
「ごっつぁん……?」
そんな時、控え目に掛けられた声に顔を上げ視線を廻らせると、歳の差を感じさせない無邪気な笑顔が飛び込んできた。
「なっち…どーしたの?」
「どうしたのって……そりゃこっちのセリフだよぉ。なにしてんのさ、こんなトコで」
「んー? せーしんしゅーちゅー…かな」
ちょっとビックリしたような顔で聞き返してきたなっちに、軽く笑いながらそう答えた。
したらなっちは急にマジメな顔して、目線の高さをあわせるみたいにしゃがみこんで、あたしの手に手を重ねて聞いてくる。
「なした? なんかあった?」
短い言葉の中に、一杯に詰まったなっちの温かさ。
それは“あの頃”と全然変わらずに、すっごく優しくて包み込んでくれるみたいな気持ちにさせられる。
- 67 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:41
-
「……これからあるのかもしんない」
小さく…言葉になって零れ落ちるごとーの弱気。
なっちといると……すぐこうなっちゃうんだ。
ごとーより強くて、ごとーより優しいなっちの前に出ると、自分を隠しているカラが崩れていっちゃう。
「言ってみそ?」
柔らかな笑顔で茶化すみたいな言い方だけど、その目が心配そうに揺らめいてるように見えた。
──もぉ…
「今日さー……来てるんだ」
「──…確認したの?」
ただそれだけの短い言葉に、なっちは一瞬だけ不思議そうな表情をした。
けれど、それがなんの話なのか、すぐに思い至ったみたいで、マジメな顔でそう聞き返してきた。
「してない。でも呼んだから、来てるよ。絶対に。そーゆー人だもん」
「……そっか。で?」
言い切った言葉を疑うこともしないで、短く聞かれた。
何を聞かれているのか解っているあたしはワザとまわりくどい答えを返す。
- 68 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:42
-
「頑張るよ。今までで一番の自分を見せたいんだもん」
──もしかしたら…今日で最後ってコトもあり得るしさ
「ん……ごっつぁんがそう思うんなら」
「それだけ?」
「他にも聞いてほしいの?」
「……ううん」
「だったらさ…なっちから言ってあげられるコトなんて一個だけっしょ」
「………」
「がんばれ」
「……うん」
それはまるで勇気をくれる呪文のように心に染み込んで拡がっていく。
あの日のように……不思議な力をくれる言葉だった。
- 69 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:43
-
「勿論さ、ごっつぁんが頑張ってるのなんて解ってるんだけどね。
でもさ…なっちはコレくらいしか言ってあげられないから」
「………」
「だからさ……がんばれっ」
「………」
「どした?」
「ううん。いつもさ、ごとーはなっちにメイワクかけてばっかだ」
「そんなことないよぉ」
「あるよっ」
「う〜ん」
「だからね、えっと……ありがとーございますっ」
「……どういたしまして。さっ、そろそろ出番なんじゃないかい?」
「あっ、うん」
そう言いながら先に立ち上がったなっちに促されるような形で腰を上げた。
一つ伸びをしてなっちに向き直ると、少しだけ低いトコロで視線が交わった。
いつもの笑顔で一歩後ずさりしたなっちは、少し暗い踊り場から照明の強い通路へ出ていて、静かに手を差し出してくれた。
その姿に引き寄せられるみたいに歩み寄って腕を伸ばすと、温かくて柔らかな感覚に包まれる掌。
その掌から伝わってくる温かさは、一歩踏み出す力になるんだ。
しばらく歩いて娘。の楽屋の前で足を止めたなっちに並んで、互いに目配せするみたいに見つめ合って笑った。
「じゃあ行ってくるね」
「頑張れ、後藤真希」
そう言って小さな柔らかい手で背中を押してくれた。
身体一杯に想いを満たしてゆっくりとステージに向かって歩いていく。
- 70 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:43
-
明るい照明に照らし出された通路を抜け薄暗い舞台袖の区画に入ると、待ちかねたようにスタッフさんに迎えられた。
もはや聞き慣れたものとなっている細かな手順を聞くとはなしに耳にしながら胸の中にあるモノにそっと手を触れる。
──これが全てなのかな
いつの間にか話を終えたらしいスタッフさんが離れていき、一人で煌めくライトに彩られたステージに目を遣った。
最初で最後になるってコトもあり得るんだ。
だからこそ最高の自分を見せておきたい。
あの人が“マキ”を好きになってくれても、“後藤真希”を受け入れてくれるとは限らないんだから。
最初から言ってしまっていれば楽だったのかもしれないのにね。
- 71 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:44
-
思い出す。
初めて好きになった人は、あたしじゃなくて“後藤真希”を好きだったってこと。
それは“マキ”にとって哀しいことで……そう気づいちゃった時には終わりが見えていた。
- 72 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:44
-
思い出す。
二度目に好きになった人は、最初からそんな境を感じさせなかった人。
だから一層深く想ってしまって……でも心に他の人を棲まわせていた人。
だから──勿論、二人のためでもあったけど──終わりが怖くて逃げたんだ。
- 73 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:44
-
考える。
今度は……あの人はどうなんだろう?
そう思うと……どうしようもなく怖くなるんだ。
- 74 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:45
-
あやうく沈みかけた思いから引き戻したのは大きな歓声だった。
いよいよ近づいてきた出番──運命の時ってヤツかな──に、小さく身震いした。
曲が終わりに差し掛かり、客席に挨拶をしながら下手にはけていく姿を見ながら大きく深呼吸をした。
僅かな静寂の後、ホールに響き渡る大観衆のコール。
出番を促すスタッフの声。
「よしっ」
小さく声に出して走り出す。
胸の中から取りだしたサングラスをかけて。
- 75 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:45
-
コールに応えるて手を振りながらライトの下に出ると、微かな違和感が客席から伝わってくる。
それを気に留めながらも2階席の一角に目を遣り、ポツンと空いた席の中央にその人がいることを確かめた。
──やっぱりちゃんと待っててくれた
そしてイントロが終わりに近づき、その時を迎える。
客席から伝わる違和感の元であり、今日の……これからの鍵でもあるサングラスを外し、解き放たれるようにと放り投げた。
宙を舞ったサングラスがステージに落ちる軽い音が聞こえる。
──あぁ、解る。集中できてる感じ。
鋭敏に研ぎ澄まされた感覚が捉えたその音と、まったく同時にくる歌い出しのタイミング。
熱く昂ぶる身体の中で、心は不自然なほどに落ちついていた。
叩き込んだ振り付けは意識するまでもなく身体を動かして、その最中に流れる視線はしっかりとある一点を掴まえる。
その人は身動ぎすらしていないかのように変わらぬ姿勢でステージを見つめていた。
- 76 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:45
-
会場を埋めるたくさんのファンの中で。
今、この瞬間だけは、たった一人のために。
喉を震わす一音一音を大切に、伸ばした指先までも意識して、最高のパフォーマンスをあの人のために。
一際大きくなる歓声と共に曲も終わりを迎える。
続けて流れ出す曲のイントロにあわせて羽織っていた衣装を一枚脱いで、大きく回すように放り投げる。
薄く汗をかいた肌に感じる空気が、より“今”の空間を認識させる。
思いっ切り歌い、踊る時間は、いつもよりも早く流れるかのように感じた。
──あっという間だったなぁ……
熱く盛りあがる会場を見渡し、大きく頭を下げて手を振りながらスポットライトの外へと走っていく。
その途中で見つめた先には、全く同じ姿勢でいるあの人。
舞台袖でスタッフさんから受け取ったタオルで汗を拭いながら控え室へ向かった。
- 77 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:46
-
途中、入れ替わりに出番を迎える娘。達のたまり場になっちの姿を見つけた。
向こうも気がついたみたいで、にっこり微笑みながら列を抜けてきて、飛びつくように抱きつかれた。
「見てたよぉ。サイコーだった…きっとその人もそう思ってくれるんじゃないかな」
抱きしめられたままで耳元をくすぐる声。
ポンと優しく頭をひとつ叩いてすっと身体を離し、たくさんの物をくれる笑顔でこういった。
「がんばったの……すっごい伝わってきたよ」
そういって先を歩くメンバーと離れた距離を埋めるために、小走りで去っていく後ろ姿を見つめていた。
「…ありがと」
小さくなった背中に大きな感謝を込めて、そっと呟いて控え室へ歩き出した。
- 78 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:46
-
汗を拭いながら控え室へ戻ると、幸い──と、いっていいのか──室内には誰もいなかった。
汗をすったタオルをテーブルに放り出して、バッグの中の携帯を取り出す。
開いた携帯のメモリを呼び出して通話ボタンを押した。
Pi
「……あ、もしもし。お姉ちゃん? …うん。……そう……よろしくね」
Pi
簡単に用件だけを確認して電話を切った。
「はぁ〜……終わった」
“やるだけのことはやった”、そんな妙にスッキリとした気持ちと“こんなやりかたしかなかったの?”って、今でも残る疑問。
だけど心のどこかで“きっと解ってくれる”って、そう思える不確かな確信が咲いたりしぼんだり。
あの人だったら……あの人は……フワフワと風に流されるような考えはとりとめもなくて。
それでもこの先にある、いつかのような“温もり”に思いをやってその時を待った。
- 79 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:47
-
やがてライブの全てが終わりスタッフさん達は撤収の準備に追われ、ハロプロのメンバー達はそれぞれに帰り支度をしていた。
慌ただしい空気の中、一人そっと抜け出して目的の場所へ急ぐ。
狭い通路を忙しなく行き来しているスタッフさん達に会釈をしながら走っていた。
次第に人気が少なくなり、階段を駆け下りた頃には、耳鳴りのような喧騒すらも遠ざかっていた。
重い鉄製の扉を身体ごと押しこむように開けて、少し照明の弱い駐車スペースに出た。
辺りを見廻し、人気のないことに少し不安になって「お〜い?」なんて小さな声を出してみた。
その時、死角になっていた柱の向こうで誰かが立ち上がるのが眼に入った。
「ふじ…真人さん?」
名字で呼びそうになったのを言い直し、そう声を掛けると、姿を見せたのはお目当ての人。
- 80 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:47
-
「あっ、あの…さ」
想像していたよりも真剣な表情に、少し言い淀んだ時、向こうから口を開いてきた。
「マキ?」
「あ、うん」
あまりに簡単な一言に、同じように短く返した。
「マキ…後藤真希?」
「…うん」
真人さんの真剣な表情は変わらないままで、口調も硬さが消えていない。
不安からか早くなる鼓動を抑えるように、なんとか声を絞り出した。
「一つだけ聞いていいかな?」
「なに?」
「からかわれてたのかな?」
「え?」
一瞬、何を言われたのか解らなかった。
- 81 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:50
-
「なんの――」
「芸能人だって気がつかないで舞い上がって……」
「え…?」
「好きになって浮かれてる俺をっ──」
「好き?」
自嘲気味に話す真人さんの言葉を遮るみたいに小さな声でおうむ返しに呟いた。
今までの会話で動揺していた心に、聞こえてきた言葉を疑ってしまったから。
その呟きは真人さんの耳にも届いたようで、訝しげに言葉を止めて眉根を寄せた。
- 82 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:50
-
「え?」
「好き?」
「あっ……」
「…好き?」
真っ直ぐに、真人さんの眼を見つめたままで繰り返す。
- 83 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:51
-
「好き?」
「…好き」
返ってきたその言葉を聞いた瞬間、今までの躊躇いが嘘のように身体が動いていた。
飛びつくように真人さんの首に手を廻し、背伸びして耳元でささやいた。
- 84 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:51
-
「あたしも好き♪」
恐る恐る背中に廻された手が、その言葉に応えるように強さを増していって。
ギュって抱きしめられた感覚が、幸せだった短い時間を思い起こさせた。
「マキも…後藤真希も……好きだ」
それは身震いするような感覚。
忘れかけていた喜び。
もう一度手を伸ばすことができた喜びだった。
- 85 名前:神様はいじわるじゃない 投稿日:2006/06/24(土) 19:51
-
- 86 名前:匿名 投稿日:2006/06/24(土) 19:54
- 第二楽章『神様はいじわるじゃない』でした。
娘。たちの前に、初めて好きになったアイドルさんです(笑)
同時期にもう一組好きでしたけど。
では、また近いうちに。
- 87 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/26(月) 19:40
- こんばんは!!!!
前作も見てました!!!!
また見る事が出来るなんて感激デス><
- 88 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/06/28(水) 20:17
- 二人は、これからどーなるんだろう wktk
>初めて好きになったアイドルさん
ぬぅ 同世代の予感(ノ∀`)
- 89 名前:匿名 投稿日:2006/07/01(土) 04:58
- >>87 名無飼育さん
前作から、ありがとうございます。
こんなんで感激していただけるなんて、こちらこそ感激です。
よろしくお願いします。
>>88 名無飼育さん
二人は……どうなるんでしょう。
ご存じですか(笑) では近いのかもしれませんね(^^)
さて、少量ですが更新です。
- 90 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 04:59
-
- 91 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 04:59
-
あの日、止まっていた心の時計がまた動き出したあの日。
あれから一週間と少しがすぎて。
あたしは今、なっちのマンションにきてる。
なっちも忙しかったし、あたしも忙しかったから、少し遅くなっちゃったけど。
あの日の事をなっちにだけは話したかったから。
なっちの作ってくれた晩御飯を食べて、片づけだけは手伝って。
ちょっとリラックスしてティータイムなんかしながら全て話した。
- 92 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:00
-
「ふ〜ん。で、うまくいったワケなんだ」
「うん。なんかね、やっぱりごとーの思った通りの人だったんだよ」
「なぁに言っちゃってんのさ。あん時はすっごい落ち方だったクセにさぁ」
「うっ…あは、あははは。まぁそれはイイじゃん」
「まったくぅ……」
呆れたみたいに言いながらソファーに身体を沈めるなっち。
声は笑っているし、表情も明るく見えたけど、なにか違う気がした。
「うん?」
「ん? …なんでもないよぉ」
「ヘンなの」
「あっ、そうだ。アレないの? ホラ…写真とか、プリクラとか」
なんとなく誤魔化されたような気もするけど、気にしすぎただけなのかもしれない。
なにかあるのならなっちから話してくれるって思うし。
- 93 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:02
-
「ん〜…なんかね、すっごいイヤがるんだよねー。プリクラ撮るの」
「そうなの? なんだろねぇ…恥ずかしいのかな」
「そうみたい。あ、でもね、写メ撮ってあるの」
「どれどれ、見してみそ」
「えっとねー…あ、これこれ」
「……なんかあんまり顔が判んないんだけど」
「あ、んっとね…待ち合わせの時の。待ってくれてるトコなの」
「ふ〜ん……あれ?」
「なに?」
「……なんか、似てない?」
「そーだね…ちょっとね」
「……ヘアスタイルもこんなだったね」
「…そーだね」
「ごっつぁん…?」
──そんな心配そうな顔しないでよ、なっち
「だいじょーぶだよっ。そんなに時間とれなくっても、ほんのちょっとの時間でも逢ってる。
逢いに来てくれるし…やさしい……いい人。ちゃんと想ってくれてるの、解るくらいなんだよ?」
「そう──」
「あ、明日も少しだけど逢える予定だし」
「っ……。したら、なっち惚気られちゃってるんじゃんっ。もぉ〜、うりうり」
沈みかけた雰囲気を振り払うように、笑顔でそんなこと言いながら、肩をぶつけてくる。
そんななっちをみてこっちも笑顔で……はしゃぎ笑いあった。
──そう、明日も逢えるんだから
ごとー達、ちゃんと付き合ってるから。
藤原真人さん……あの日から2人は付き合いだしたんだから。
- 94 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:02
-
- 95 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:05
-
翌日。
いつもの川縁のベンチに座って携帯にチラっと目をやる。
──21:18
後12分……初めて約束の時間よりも前にこれた。
いっつも自分で決めた時間なのに間に合わなくって遅れてきてばかりで。
仕事だから仕方ないよって、笑ってそう言ってくれる真人さんだけど、いっつもごめんねって思ってた。
携帯をバッグに押し込んで、両手をベンチにつき、ぶらりと足を遊ばせる。
揺れる靴先に合わせて思いついたままに歌いだした。
なんの力みもなく口ずさみながら、視線だけは一方向から逸らさずにいた。
思い浮かんで口ずさみだしたその歌は、結局最後まで歌い終えることはなかった。
真っ直ぐに見つめる先に小さな人影。
少しずつ近づいてくるそれは、なんでか真人さんだって確信があった。
それが事実だって気がついていても、あたしは足を遊ばせたまま、その場から動かずにいて。
近づいてくる影を見ながら、自然と浮かんでくる笑みを押し殺していた。
急に足を止めた人影は、ちょっとの時間立ち止まってすぐに早足になり、ついには走り出した。
「あはっ♪」
- 96 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:06
-
その姿はあたしの歌を止めるのに充分すぎて、入れ替わるみたいに小さく笑いをもらしていた。
あっという間に距離を詰めた人影は、どうしてだか気恥ずかしげな顔で問い掛けてきた。
「ごめん、遅れた?」
「プッ…あはは♪」
「遅れて…ないよなぁ、俺」
笑われた理由も解らないまま、困ったような顔で「なんだよ」なんて声が聞こえてきた。
笑いの発作が治まって、改めて一つ咳払いなんかして口を開いた。
「遅れてないよ。あたしの方が早かっただけ」
「そっか。晩飯、もう済んでる?」
「んーん。まだ」
「どっか行こっか。この時間なら、まだやってるトコあるし」
腕時計に目を落とし、確認した時間を考えて近場の店を思い出すみたいに聞かれる。
- 97 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:07
-
その時、急に閃いた考えをそのまま口にした。
「あっ、はい! はい! じゃあ、ごとー作りまーす」
「あん?」
「近くで買い物してさー、真人さんトコで作ったげる」
「………」
そんなあたしの考えを、思いっ切り疑わしげな顔で迎えてくれた。
「なにその顔っ。結構出来るんだからねー」
「あぁ…じゃあ買い物ね、うん。行こっか」
「ビックリさせたげるんだからね」
「う〜ん…期待してる」
最初の「う〜ん」がすごくひっかかるんだけど、まぁいっか。
そう思いなおして真人さんの腕をとって歩き出した。
- 98 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:08
-
大通りに出るとタクシーを拾おうとする真人さんを止めて、手を引いて歩く。
「タクシーは買い物してからね。10分位だもん、今は歩いたっていーでしょ?」
「そりゃ別に……」
なにか不思議そうなその表情。
それはきっと芸能人だからってことなんだろうと思う。
みんなそんなんじゃないんだよ? って言おうとしたけど、そう口に出すのもなにかイヤだった。
だから足を止めないままで、繋いだ手にホンの少しだけ思いを込めてみる。
気持ちのカケラでも伝わるとイイなって、ちらっと振り向くと「なに?」って顔をして、すぐに優しい笑顔を向けてくれた。
──あぁ…そういうトコ……
些細なことかもしれないけど、そのやりとりは心を浮き立たせてくれた。
繋いだ手の温かさを確かめながら歩くと、派手な灯りの建物が目について足を止めた。
- 99 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:10
-
「ね、ちょっと寄ってかない?」
「……イヤじゃないけどなぁ」
「またそんなびみょーな?」
「プリクラ撮りたいとか言わない?」
「ゆーかも?」
「じゃあヤダ」
「えー!? なんでそんなイヤがるのかなぁ……」
「ヤなもんはヤなのさ。ほれ、買い物買い物」
ちょっとぶっきらぼうに言うと、あたしを引き摺りかねない断固とした足取りで歩き出した。
──なんでだろ…そんなに恥ずかしがることなのかな
- 100 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:11
-
しばらく問い詰めたけれど、ハッキリとした答えなんか返ってこないウチに、一通りのものが揃っているお店が見えた。
納得はしないけど、意味のない会話は打ち切ることにして話を変えた。
「ね? まだやってた」
「そーね。胃腸薬も売ってる?」
「………」
「え〜っと…ごめんなさい」
ジッと睨みつけてやると、わざとらしくしょげる素振りで謝られる。
そんなやりとりをしながら、自動ドアを抜けて足を止めた。
急に足を止めたあたしを少し不思議そうに見つめる真人さんに目線で訴えかけてみた。
「ん? ……あっ、なるほど」
納得したように頷きながら、買い物カゴを取りあげて「コレね?」とカゴを指差して見せた。
あたしは嬉しさを噛み殺しながらなんでもないフリをして言う。
「やっぱ男の人が持つもんでしょ♪」
「あ、そーゆーのは男女の不平等に繋がるか──」
「うるさいっ、行くよ」
心にもないと解る反論の言葉を遮って、カゴの縁を掴み真人さんごと引っ張って歩き出した。
- 101 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:12
-
「なにが食べたい?」
「そーだな…何が出来るの?」
「色々出来ますーっ」
「んじゃね……」
店内を歩き、綺麗に並んだ食材を見て歩きながら聞くと、決めかねてるみたいで色々なところに目を遣っていた。
あたしが決めちゃえば良いのかもしれないけど、食べたいものをを作ってあげたいって、そう思うよね。
ふと気がつくと、真人さんの視線が一点で止まっている。
その先を追うと……。
──タマゴ?
パックされた卵が並べられている棚。
- 102 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:13
-
「タマゴ、好きなの?」
「あっ? んー……特別好きって事ないかな」
「でもずーっと見てる」
「……オムライス、作れる?」
「へ? あ、うん。そんな難しくないじゃん」
「ならそれが良いかな」
「ふーん…うん。じゃあオムライスね。サラダと…ミネストローネとかどう?」
卵のパックをカゴに入れながら、そうと決まればって感じで、並べる言葉に──正しくはそのひとつに──敏感な反応が返ってきた。
「いや、サラダは別にいいかな」
「なんでさー。ダメだよ、野菜も食べないと。キライなの?」
「キライじゃない。でも好きでもない」
「じゃあ食べなきゃダメ」
ちょうど良いタイミングで辿り着いた青果売り場で、目についた野菜をカゴに入れていく。
キャベツ、レタス、キュウリにプチトマト、タマネギにピーマンに……。
「うぁ、ピーマンは──」
「………」
「っ…いただきまぁす」
はい、ごとーの勝ち♪
次々と必要な食材をカゴに放り込みながら思った。
こういったデート感覚の買い物は久しぶりで、心の中はなんとも表しづらい気持ちでいて。
それでも嬉しかったし…楽しかったのは間違いない感情だった。
- 103 名前:間奏2 後藤真希 投稿日:2006/07/01(土) 05:16
-
- 104 名前:匿名 投稿日:2006/07/01(土) 05:17
- 今日はここまで(^^;)
ではまた、です。
- 105 名前:亜希 投稿日:2006/07/08(土) 18:14
- 今、前作から全部読んできました♪
めっちゃ小説書くのお上手ですね!
続き楽しみにしてます
- 106 名前:匿名 投稿日:2006/07/10(月) 06:16
- >>105 亜希さん
レスありがとうございます。
めっちゃ……いえいえ、そんなこっぱずかしい。
めっちゃお上手になれたらどんなにいいか(笑)
さて、続きです。
- 107 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:17
-
- 108 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:17
-
どうすればいいんだろう
いったいどうすれば……
どうすればよかった?
どうして欲しかった?
ただ笑ってそばにいれば……
そうすればよかった?
なにも解らないままで
痛みを抱えたままで
転んで膝をすりむいて、それでも平気なふりをする子供のように?
- 109 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:17
-
- 110 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:18
-
玄関の前、ノブに手を掛けた状態で後ろを振り返ってみた。
そこにはサングラス越しに覗き見える表情がニコニコとした様子のマキ……真希がいる。
「どーしたの?」
「いや…散らかってるけど」
「ここまで来てなに言ってんの。ほら、早く早く」
「ほいほい」
急かされて渋りながらもドアを開け、扉を押さえながら身体を寄せて真希を招き入れた。
「お邪魔しまーす」
自分のバッグを片手に、脱いだ靴を揃えながら、俺にではなく部屋に向かってそう言い、そろりと先へ進んでいく。
「ふ〜ん」とか「へぇ〜」とか呟きながら興味深げに四方へ目を遣っているのは微妙に照れくさかった。
「べつに散らかってないじゃん」
「そう? そりゃどーも」
「キッチン…こっちね。へぇ、1LDKだ」
「安いからだよ……最寄り駅から20分も離れりゃさ」
「別になんにも言ってないよ? あたしなんて自宅だし」
「へぇ」
「さて。始めるよー。邪魔だからあっち座ってて」
「邪魔って……うわっ!?」
なにか手伝って──ろくなことは出来ないけど──やろうしたのを邪険にされ、一言言いかけた途端だった。
真希はあまり使われずシンクの脇に鎮座していた包丁を掴むと、フルフルと振るい俺を追い払った。
- 111 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:19
-
スゴスゴとリビングに逃げ込んだ俺は、カーペットに無造作に投げ出してあったクッションに座り込み、所在なく頭に手をやった。
最近変えたばかりの髪型が、今一つ馴染んでいなくて眉間に皺が寄るのが自覚出来た。
そうやって表情を変えれば、コンタクトの方を意識してしまう。
――まぁ良いか。
キッチンから聞こえてくる軽快な音色は、そんな事を忘れさせてくれる音楽のようだった。
使い慣れないであろう包丁なのに、リズム良くまな板を叩く音。
熱したフライパンが油を焼く音。
そうしたリズムを耳にする限りでは、真希は一般的な同世代よりも料理が上手なんじゃないだろうか。
それは耳から染み入り、体内を刺激したらしく、急激に空腹を訴えだした。
キッチンの様子を気にしながらも、腹をさすり大人しく待っていた。
- 112 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:20
-
しばらく待つとプラスティックのボウルとガラスの小皿を手にした真希が歩いてくる。
その表情を不満で一杯にして。
「ねぇ…ガラスのサラダボウルとか見あたらないよー」
「いや、そりゃ見あたらないでしょ。置いてないもん、そんなの」
「えー!? ……しょーがないなぁ」
「それでいいっしょ。無いもん」
「………」
無言で頬を膨らませ、納得いかない様子の真希を宥めるようにボウルを受け取り、キッチンへ目を遣った。
「もう出来たの? 全部?」
「出来たよ? そんな難しいものじゃないもん」
「そっか。じゃ運ぶわ」
「いーの! 座ってて」
「ってもさ──」
「黙って座ってる!」
「は〜い…」
有無を言わさぬ様子に黙って腰を下ろした。
座ってキッチンを見ていると、間もなく2枚の皿を掲げた真希が踊るような足取りでテーブルの向かいに腰を下ろした。
「じゃーん♪」
「おぉ!」
リクエストしたのはオムライス。
テーブルに置かれたそれは驚くほどに綺麗に仕上がっていた。
安物の皿には不釣り合いに見えるほどに。
- 113 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:21
-
「どう? どう?」
「いや、驚いた…」
「でしょー?」
「……あまりのデカさに」
そう、このオムライスはデカかった。
皿が大きくないという理由もあるにしろ、一杯まで皿を占領している。
「あー、やぁ、だってさ、たくさん食べてもらおうと思って」
「おー、食べる食べる」
「どーぞ召し上がれー♪」
「いただきまっす」
大きくスプーンでガッツリ掬い上げたそれを一気に口に放り込んだ。
何故か両手を握りしめ、期待6・不安4って感じの表情を浮かべ俺を見つめる真希。
口一杯に頬張ったそれを嚥下するまでジッと見つめられ、感想の言葉を待っているようだった。
- 114 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:22
-
「んまっ――、はぁ……うまいわ!」
「まじ? おいしい?」
ふんわりと柔らかな笑みを顔一杯に広げて、とても嬉しそうに返してくる。
「マジ。おいしい。……ん、サラダもうまっ」
「ピーマンよけちゃダメだよ」
ニッコリと釘を刺された。
フォークの先でそっと弾いたのを見逃さなかったらしい。
向かい合って笑いながら食べる食事は久しぶりで、空腹のみならず様々なものを満たしてくれる。
精神や身体の疲労を癒してくれる。そして残るのは小さな空虚感。
──空虚…?
頭に浮かんだ言葉に噛み付いた。
そんなものはもう感じていない。
今、目の前にいるこの娘、真希がいてくれさえすればそれでいい。
その気持ちには欠片ほどの傷も曇りもない、かけがえのない宝物だった。
- 115 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:23
-
「……っ」
「──?」
「おーい?」
「あっ、なに? ワルい、聞いてなかった」
「さげちゃう──」
知らない間に俯いていた顔を、心持ち上げて聞き返した。
訝しげに見つめてくる大きな瞳が一瞬見開かれふにゃりと弧を描いた。
「ぷっ、あはは……」
「な、なん──」
前触れもなく笑いだした真希は、俺の問い掛けを目で遮る。
そして笑顔のままでスッと顔を寄せてきた。
「あは♪」
「……はぁ?」
- 116 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:24
-
不意にされたキスは僅かに唇を逸れ、彼女は悪戯な笑顔で、俺は素っ頓狂な声を上げるしかなかった。
「な…なに!?」
「ほへ」
ペロッと舌を出しながら口から出たのは……「これ」?
よく見ればその舌先に小さな米粒。
「………」
「取ったげたんだよ」
「……あっ」
「キスされたと思った?」
「あー…うん」
「あははっ…さて、さげちゃおっと」
- 117 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:25
-
真希は悪戯っ子めいた表情でそういうと、そそくさと空いた食器を手に立ち上がった。
――っていうか、キスだろ、そりゃ……。
手伝おうかと立ち上がりかけると、またもや強い意志を込めた目で押し止められる。
上げ掛けた腰を下ろすとニッコリと満足そうな表情でキッチンへ消えていった。
「……ふぅ」
ふっくらとした唇の触れた辺りに手を伸ばす。
馬鹿みたいだと自覚しながらも、初めての時のようにドキっとした感触が消えない。
「ねー…コーヒーしかないよ」
話せばきっと笑われるだろう夢想から、引き戻すのは鈴を振るような声。
慌てて緩んだ表情を取り繕いながら答える。
「他に何が要るの?」
「気分によって紅茶とか日本茶とかさー…飲みたくなんない?」
「特になんないけど」
「えー? なるでしょ、ふつー」
- 118 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:26
-
マグカップを二つ持って戻ってくる表情は俺の発言に呆れているものらしい。
カップをテーブルに置いた真希は──
真希は……
「あははっ…今度のはキスだねぇ♪」
屈んだ姿勢から、またも素敵な不意打ちをもらった。
甘く柔らかな感触は俺から言葉を奪ってしまったようで、そんな俺をからかうみたいに真希の指先が耳元へ触れる。
「なんでー? …真っ赤んなってるよ」
「あ〜……」
「ねぇねぇ、なんで?」
「……うっさいっ」
「あはははっ、可愛いーの。はい、飲も♪」
テーブルに置いたマグカップを、改めて手渡されて……気がついた。
「うちにこんなのあったかな……?」
「それ買ったの、さっき」
- 119 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:26
-
何でもないことのように素っ気なさを装った真希の言葉。
ペアになったマグカップ……。
「今度来る時には食器も買ってくるね」
そう話す真希の顔が、とても嬉しそうに見えるのは自惚れなんだろうか。
そうじゃあないと、そう思いたい……本気で、心からそう願った。
そんなつまらない独りよがりに落ちていきそうな思考を掬い上げてくれたのは肩に触れた温もりだった。
気がついて横を見れば、クッションごと移動してきたらしい真希が擦り寄るように腰を据えていた。
「やっぱこーでしょ」
「なにがよ」
「TV見たいわけでもないけどー…リラックスタイムはこーゆーもんでしょ?」
「さぁ?」
「ま──、…まぁいいじゃん?」
「そーね」
気の抜けたような返事を返しながら思い出してみた。
前の……そう、前の彼女とは、あまりベタベタした記憶はなかった。
特別自分で望まなかったし、アイツもそうだったと思う。
だからそれが自然な状態だっただけに、今この状況は、とてもこそばゆいような気持ちにさせられた。
触れ合っていた肩は微妙な動きで離れ、替わって抱え込むみたいに腕を抱かれ、小首を傾げるような仕草で肩に頭をのせてきた。
この姿勢では表情が窺えないけれど、見つめ合いたいと望んだ俺の目は、艶のある柔らかそうな髪に吸い寄せられていた。
- 120 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:27
-
「なーに見てんの?」
見つめられていることに気がついたんだろう。
真希がついと上を向き自然に目を合わせてそう言った。
「なんだろ?」
「なにさ?」
「さぁ?」
少なくなってくる言葉の代わりの“何か”を求めて見つめ合っていた。
「………」
「………」
消えた言葉が“何か”の印なのは誰もが知っているんだろうか。
どちらからともなく埋めていく空間を何かの儀式のように大切にした。
しっとりした唇は薄い化粧と微かな珈琲の香りがする。
- 121 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:28
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薄紙一枚の甘やかな触れ合いを破ったのは俺で。
媚薬めいた匂いに思考が融け、抑制なんて言葉は見失っていた。
「っ!? んんっ」
驚いたような小さな呻きも口内で消え、なんら押し止める役には立たない。
口内を侵していきながら肩に廻していた手を強くし、空いた手で服の上から柔らかなふくらみをまさぐった。
「んっ…ちょ、ちょっと……待ってっ」
──止まらない
お腹から服の下にすべり込ませた手は滑らかな肌を楽しみながら上を目指していく。
「ま、待ってってば……っ!? お願いだから……」
服の下、胸へ伸びていた手と交差するように押し当てられた小さな両手に力が入る。
──止まらない
「…お願い…だから……ぇっ…待ってよぉ」
一瞬空いた僅かな隙間にすべり込むように入ってきた手が俺を打った。
小さな衝撃に止められた行為は、同時に理性も呼び戻した。
──なにやってんだ、俺
- 122 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:29
-
消え去った衝動の後、戻った理性で目にした真希はポロポロと大粒の涙を流していた。
我に返って気づく自分の性急な衝動の代償。
「ぅ……」
涙を零しながら必死に声を抑えようと小刻みに震えてすらいる姿。
「あっ…ご、ごめんっ…こんなつもりじゃなかった──」
「ちがっ……違うの」
「こんな…こんなに急ぐつもりなんてなかったんだっ」
例え言い訳にしか聞こえなくても、ただ謝ることしか出来ない俺と、嗚咽の間に小さく「違う」と繰り返す真希。
──違う? なにが?
纏まらない思考は答えに辿り着くことなどないんだろう。
「ごめんなさい…あたしっ──、帰る」
止まらない涙を拭いながら立ち上がった真希はそう告げると、バッグを掴んで走り去っていった。
その後ろ姿を追いかけることも出来ず、ただ何もない空間に手を彷徨わせていた。
- 123 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:30
-
「ごめんなさい…? なんで……悪いのは俺だろ」
彼女の言葉の意味がまるで解らなかった。
最後になにか言いかけた……何を言おうとしたんだろう。
考えてみても、思い浮かぶほどに彼女のことを知らない自分に愕然とした。
そして「違う」、「ごめんなさい」…この言葉が頭の中で、いつまでもいつまでもループし続けていた。
──これで終わりに……?
最悪の方向に流れかける思考を強引に断ち切り、携帯を掴んだ。
が、電話には出てももらえず、メールも返信はなかった。
- 124 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:30
-
眠れない夜が明けても連絡は取れないままで、仕事を終えてあの川縁のベンチに座り込み、意味があるのか解らない時間を過ごしていた。
昼間の暑気を吹き払ってくれる川風を感じながら、一時間が過ぎ、二時間が過ぎる頃重い腰を上げて呟く。
「来るわけないか……だぁーっ、クソが!」
自分のしたこと、していることに対する苛立ちと悔いと嘲りを川面に吐き捨てベンチを蹴りつける。
それでも晴れない鬱々とした気持ちを抱え込み、その気分同様に重い足取りで家路についた。
その翌日も、また翌日も彼女から連絡が来ることも、あの川縁で出会えることもなかった。
もう二度と連絡を取れることも、会えることもないんだろうかと思い始めたのはあれから四日目だった。
- 125 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:31
-
連日の睡眠不足のせいだろうか、異常に深い眠りだと自覚が出来た夢の中。
俺の携帯の着信音が鳴っていた。
ただ、それがどこで鳴っているのか、自分がどこにいるのか、そういったことは解らない、不可思議な状態だった。
夢とはいえ理不尽な空間の中、その音色が小さな希望のような気がして携帯を探して廻った。
いつまで探しても見つからないのに鳴り止むことのない着信音。
遮二無二動き回る中、なにも無いはずの空間で何かに足を取られて派手に転んだ。
舌打ちして何かを確認しようと振り返ると、俺の携帯のストラップだけが見えていた。
なんら不思議に思うこともなく、飛びつくように掴んだストラップは、見えもしない地面に埋め込まれているように動かない。
バーベルでも持ち上げるように腰を落とし、息を深く吸い込んで、全ての力を爆発させるように一気に引き抜いた。
そう抜けたんだ。
ストラップの先には、当たり前だけど携帯がぶら下がっていて、確かにその携帯が着信を告げていた。
今にも鳴り止んでしまうんじゃないかと、慌てて通話のボタンを押した瞬間だった。
携帯の埋まっていた場所から亀裂が拡がり、拡がる漆黒の闇はあっという間に俺を飲み込んだ。
落ちていく……最悪の浮遊感を感じながら、何処かで真希の声が聞こえたような気がした。
- 126 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:32
-
どこともしれない深淵に落ちていく。
当然のように最悪の目覚めだった。
びっしょりと汗を掻き、跳ね起きて気がついた。
腹の立つことに、手の中にしっかりと携帯を握りしめていた。
「こんなモン持ってるからあんな夢みたのか……」
かなりの不快さもあって放りだした携帯が枕元へ沈む間、なにか引っかかりを覚えた。
今、放りだした携帯を拾い上げる。
「着信…?」
急いで着信履歴を確認すると……真希からのものだった。
時間は……
「十分前…?」
夢じゃなかった。
間違いじゃないことを確認するように、もう一度液晶を見つめ、一息ついて真希へとコールする。
一回、二回……五回、六回……そして失望に繋がる機械的な反応。
「なんでだっ!」
期待が大きかった分、失望も大きく、留守電にメッセージを残すことすら出来なかった。
幾秒かの時が過ぎ、やっと気がついた。
握りしめたままの携帯。
その携帯のバックライトが明滅していることに。
そっと開いた液晶にメールが届いていることを知らせるサイン。
送信者名は……“マキ”。
- 127 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:33
-
おそらく通話中に送られてきたものだろうそれを、恐る恐る開いてみる。
今日、休みだよね。
夜九時にあそこで待ってる。
あまりに素っ気ないメール。
ただこれだけの文を打つのに掛けた時間は彼女の気持ちの表れなんだろうか。
その逡巡は彼女のどんな気持ちを表しているのか。
それがどうであれ、迷う必要なんて無かった。
もう一度会えるのなら、まだチャンスはあるって事だから。
出逢ってそれほど経ってはいないけれど……いや、そんなことは関係なく、どうしても手放したくない。
真希じゃなければ、他の誰かだったら一生独りでいる方を選ぶ。
そう思うほどに惹かれ、想っている事に、この数日間で気づかされたんだから。
- 128 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:34
-
告げられた時刻まで、まだ30分程あるけれど、あの川縁のベンチの横、木柵に身体を預けて待っていた。
柵の上で組んだ腕に顎をのせ、月の浮かぶ川面を眺めていると、自然と落ちついた気持ちになる。
真希が来てくれたなら言いたいこと、言わなければいけないことが心の奥から湧き上がってくるようだった。
幾つも、幾つも、伝えたい言葉、伝えたい想い。
小さな不安はないわけじゃないけれど、それでも好きだから。
どこまでも際限など無いくらいに膨らんでいく想いに全てを預けていた。
「真人…さん?」
身体を充たす想いを、数倍にもしてくれる声。
振り向いた視界に映る姿。
「真希…」
「あっ…は、早いね」
- 129 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:34
-
ぎこちない表情でポツポツと紡がれる言葉。
それでも俺が言いたいことは決まっている。
「好きだ…例え嫌われても……どうにもなんないくらいに好きだ」
そんな俺を見る真希の顔は、それまでのぎこちないものから呆気にとられるようなものへ移り変わって。
そしてくしゃっと壊れそうな笑顔になり、それを隠そうとするみたいに真希は俯いてしまった。
「真希?」
「………った」
「え?」
俯いたままで零れ落ちる言葉は、僅かに俺の耳を振るわせただけでしかなくて。
問い返しながら近づいて少しだけ膝を屈めた。
- 130 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:36
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「こっちの方こそ…怒ってるんだと思った」
「はっ? だって…何度も連絡したじゃ──」
「出づらかったのっ……なんか怖くって」
「………はぁ〜」
一気に脱力して頭を抱えながらしゃがみ込んだ。
直後、頭上から降ってきた言葉は、まさにおっかなびっくりだとか、恐る恐るって表現が似合いそうな色をおびていた。
「…怒った? それとも…呆れてる?」
「どっちでもない。でもすっげー呆れてるし、ちょっと怒ってる」
「なにそれ…」
「いや、どうでもいいじゃん。どっちも自分に対してだからさ」
「あ〜……えへへ」
少し考えて、納得しておこうと決めたんだろう。
そんな表情を見せた後、みているこっちが呆れるくらいに表情を緩め笑いだした。
- 131 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:36
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「な、なに。なにかおかしいこと言ったっけ?」
「だってさー……“どうにもなんないくらいに好き”だなんてさー……」
「うっ、ぁ……」
改めて言い直されるとメチャメチャ恥ずかしい台詞で、意味もなさない呻きが口から洩れてしまった。
真希はというと、にへらと締まりのない表情のままで、さっきの俺の台詞を口の中でリフレインしているようだった。
「あぁ〜っ、好きだよ! 悪いか! 今まで生きてきた中で一番好きだっ!!」
半ば自棄になって言い捨てた。
急に声を大きくした俺を驚いて見つめる真希は、何故だか一瞬淋しそうにも見える表情で一言呟いた。
──違った? なにが? 聞き違えた…?
- 132 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:37
-
一瞬の陰り、一瞬の不安……そして一瞬のキス。
──やられた…
「油断してるからだよ♪」
「っ……じゃあなにか、油断してたらまたキスするつもりなのか」
「そーだね。するかもよぉ」
「また襲っちゃうかもしれないぞ?」
「また逃げちゃうかもしれないよ?」
「……参りました」
「あははっ、もー逃げないよ」
「そ、そう?」
「うん。だから……よろしく♪」
「あ〜…よろしくってことで」
ふわっとした笑顔で差し出された右手。
──なにがよろしくなんだろう
チラチラと不埒な想像なんかしてしまいがちな脳内のもう一人の自分を、総動員した理性で抑え込んで。
小さく柔らかな手を、そっと…それでも思いを込めた強さで包み込んだ。
- 133 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:37
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- 134 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:37
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「………だろ? だから…って聞いてないだろ。人の話」
「んぁ? いやいや、聞いてたよー」
「嘘くさっ! なにボーっとしてた? 疲れてたりする?」
「ホントになんでもないってば」
「調子悪かったりしないか?」
「だーかーらー…真人、のこと見てただけ」
「………」
「……どしたの?」
「あぁ…初めて呼び捨てにされた」
「イヤ?」
「んにゃ。嫌じゃない。そっちの方がいいな」
「…ならよかった♪」
にっと笑顔を見せながら真希はそう言った。
そう、悪い気分じゃない。
二人の仲がより近くなったと思えるんだから。
- 135 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:38
-
あの夜、仲直り──もともと仲違いしたとも言えなかったのかもしれないけど──した翌日。
彼女のよく行くという、割と混み合っていないファミレスで向かい合って座っていた。
彼女の一日を追体験するように聞かされるのは日課のようになっている事で。
逢えない日は電話で、一時間でも二時間でも話していて、俺はそれに些細な疑問を投げたり、相槌を打ったりする。
人から見ればなんて他愛のないことだろうと、そう思われるのかもしれないけれど、俺にしてみれば満ち足りた時間だった。
そんな中で珍しく、自分の意見を長々と披露していみれば、彼女はぽわっとした顔で聞いてないときている。
「で、なにを見てたのかね?」
「んー…髪」
「髪? なに?」
「……やっぱさー、前の方がイイよね。それ、似合ってないかも」
「はっ? こうしろって──」
「あの時はそー思ったの! でも…前の方が合ってるよ。うん。メガネも似合ってたしね」
- 136 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:39
-
出逢ったばかりの頃──今だってそう長く付き合っているとは言えないけど──、彼女の意見で変えてみた髪型だったのに。
どうにも彼女の考えていることがよく解らなかった。
「……まぁ、どっちでもいいんだけどな」
「なにそれ?」
簡単に答えを出した俺に笑いながら言う真希。
そう、別に大したことじゃない。
特別拘りがあったワケでもないし、なんとなく惰性で変えずにいた髪型を変えて、そして元に戻すだけのことだ。
「だって、あんまり拘ってないから。変えてみたのも気分が変わっていいかなとも思ったけど。別に」
「あはっ、そーゆートコ。なんかいいよねぇ」
「そう?」
「うん。なんかいいの」
「そりゃど−も……あ、時間平気?」
「んー…もうちょっと」
「そう?」
「あっ、やっぱそろそろ帰ろうかな」
一度出した言葉を引っ込めた。
その事自体は気にしないけれど、その表情が引っ掛かって。
僅かな不自然さが気になって問い質す。
「俺の方を気にした?」
「別にぃ」
「明日何時からさ?」
「えっと…九時入り」
「ホントに?」
「ホントに」
お互いに、笑っちゃうくらい真摯な顔を作ってのやりとり。
それで納得して、笑いながら伝票を掴み立ち上がった。
「よし。なら帰ろうか。送ってく」
「なに笑うかなー…」
俺が笑ったことへ不満そうにボヤく真希の声を背に、支払いを済ませて表へ出る。
- 137 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:40
-
九月も半ばを過ぎた深夜だってのに、都市部は熱気が留まり続けている。
「あつー…こんなんかぶりたくないけど、しゃーない。ホイ」
ボヤきながら真希にヘルメットを放った。
両手でしっかり受け止めたそれを、ペチペチと叩きながら真希がボヤく。
「用意してくれたの嬉しいけどさー…暑いよぉ、これ」
「半帽なんかで、もしも転んだら危ないっしょ? 顔でも擦ったらどうすんの」
「転ばないでしょ?」
「転ぶつもりなんてないけど。でもダメ」
「んむぅー」
「“んむぅー”じゃない。ほれかぶって乗る」
跨ったバイクの後ろをバンバン叩いて急かした。
まだブツブツ言いながらも、言われたとおりに後ろに乗った真希が、俺の腰に腕を廻すのを待って軽くエンジンをふかした。
すぐにも走り出すだろうと腰に廻された真希の腕に力が入る。
「……?」
待っても走り出さないでいる俺を肩越しに覗き込む真希のキョトンとした目が可愛かった。
- 138 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:41
-
フルフェイスのバイザーを上げて、カツンとヘルメット同士がぶつかる距離でぼそりと呟いた。
「いやさ…こう……背中に当たる感触が──」
最後まで言い終える前に鈍い音を立ててヘルメットがぶつかってきた。
一瞬、首から上があり得ない角度に曲がったと思うほどの衝撃で。
「エッチ! このエロ真人! 早く行けー!」
「ほほ〜い」
まともに動くか確かめるように、首をクイクイ動かしながらゆっくりと走り出した。
いざ走り出すとそれなりに気を遣っているため、感触を楽しむほどのゆとりはなかったけれど。
それでも真希を後ろに乗せて走るのは楽しい行為の一つだった。
背中の感触云々は別にしても……だ。
- 139 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:42
-
が、楽しければ楽しいだけ、それを体感する時間は短く感じるもので、彼女の自宅の側までの道程はあっという間だった。
深夜といっていい時刻、近隣への迷惑を考えて少し離れた場所でエンジンを切り、クソ重い400ccのバイクを押して歩く。
「別にココまででいいのに」
「いーや、家に入るまでは送るっ」
「ふーん…ありがと。でもソレ重いんでしょ?」
「いや…そうでも。持ち上げるわけじゃないし」
「あははっ、そりゃそーだろうけどさ」
「あ〜…嫌だったり?」
「ん? しないしない。だってさー……ホラ」
ヒラヒラと手を振った真希は、そう言いながらバッグから探り出したハンカチを俺の額にあててきた。
「こんな汗かいちゃってさ」
「あ、ぅ……」
「ね」
「“ね”って言われてもなぁ」
「んー、そーゆーこと」
よく解らない納得のされかただったが、その独特のふにゃっとした笑顔からは拒否の色は見えない。
なら良いんだと納得しながら、笑顔の残り火を映す横顔に見惚れながら歩いていた。
「じゃあ…ありがと」
「え? あ、あぁ」
腕にかかる重さも忘れて吸い込まれるように横顔を見つめているうちに、いつの間にか真希の家の前まで来てしまっていた。
- 140 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:43
-
「どしたの?」
「や〜、なんでもないって」
「? ……みんないるけど寄っていく?」
「!?」
突然の誘いに鼓動が小さく跳ねた気がした。
悪戯な笑顔を浮かべる真希の表情をみて、またからかわれたことに気がついた。
「ったく……また今度。明るいうちにご挨拶するよ」
「なぁんだ、残念」
立ち直っての反撃も軽く受け流された。
どうにも、この年下の彼女に押されっぱなしな自分を自覚する。
「じゃ、また」
「うん、気をつけて。……転んだりしないでよぉ」
道路の中央でバイクの向きを変える俺の背中に、笑いながらもごく微量の心配を含んだ声。
「はいはーい。じゃあ」
「うん」
家の中へ消えていく背を見送りながら、四肢に力を込めて歩き出した。
一人になって押して歩くバイクがやたらと重く感じ、途中から走り出したとはいえ家についた頃にはグッタリとなりクッションに倒れ込んだ。
- 141 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:43
-
「うぁー、腕張ってら…って、あれ?」
倒れ込んだはずみに零れ落ちた携帯が着信を告げていた。
「メール…?」
きっと家に着くタイミングを計っていたんだろう、数分前に届いた真希からのメール。
こんなことしてないで早く寝なきゃ駄目だろうなどと思いながらも、顔が緩むのを自覚はしていた。
明日のコト話すの忘れてたっ!
多分明日はもうチョット遅くなるかも……(T_T)
どーしよー?
開いたメールを読んで呟く。
「“どーしよー”言われてもなぁ……」
少し考えて、ゆっくりとした手つきでボタンを押していく。
何時でも、とにかく電話待ってる。
終わったら電話するように!
寝てなきゃ出ていくから(笑)
これを読んだ真希の表情を想像しながら送信ボタンを押した。
きっと最後の一行で笑いながら、少しだけ口を尖らせるんだろう。
冷蔵庫を開けて缶ビール取り出すと、プルトップに指をかけるよりも早く、抑えられたメロディが真希からの返信を知らせてくれる。
- 142 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:44
-
「相変わらず早いな…三歳、いや四歳か? それだけ違うだけでも俺等の頃とは違う感じだもんな」
意味もなくそんな独り言をもらしながら軽快な音と共に開けたビールを一口。
喉を抜けていく感覚を楽しみながらメールを開いた。
寝るなー!
起きてて!!
早く終わるように頑張るからねー
じゃあ明日、真希ちゃんからの電話をいい子で待っててね(^3^)/〜☆
「……ぷっ、はははっ」
あまりに予想通りのリアクションに、つい堪えきれず吹き出してしまった。
その姿が目に浮かんで、身体の奥、心の奥から涌き上がってくるものを改めて自覚させられる。
「投げキッスつきだよ……参ったなぁ」
そう…参った。
こんな気持ちになるなんて……。
初めて会った時から惹かれてるのは解ってた。
でも、だけど……こんなに好きになるなんて。
そんな想いを身体に満たして、アルコールの混じり合った心地良い疲労感に任せて眼を閉じた。
そうして眼を閉じていると、より一層…身体一杯に溢れそうなほど拡がる想い。
閉じた瞼に笑顔を思い浮かべ、幸せな気持ちで眠りに落ちていった。
- 143 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:45
-
そして翌朝。
心地よい目覚めだった。
熱いシャワーで覚醒し、快調に仕事をこなし早々と帰宅し、簡単に食事を済ませ、ザッと一日の汗を流した。
アルコールを欲する身体を理性で抑え込んで充電器に置いた携帯に目を遣っていた。
「十一時過ぎた……」
昨晩告げられたとおり、真希からの連絡はなかなかこなかった。
なにをするでもなく、常に携帯の側から離れずにいる自分をおかしく思いながらも、それをやめようとは思わずに呟く。
「…未成年をいつまで働かせてんだよ、ったく……ってボヤいてみたところで電話は鳴らない」
〜♪
時には現実でも漫画のようなこともあるらしい。
まるで計ったように、ボヤき終えた途端に鳴りだした携帯はディスプレイに真希と表示されていた。
すぐに出ればいいものを、露骨さを隠そうと数コール待っている自分が情けない。
Pi
「もしもし?」
「あー、真希だけど。もしかして寝てた?」
「寝る時間じゃないでしょ、まだ」
「ならすぐ出てよぉ…もう終わるんだけど……今日はもう遅い…よね?」
その声はただ一つの答えを期待しているように聞こえる。
そして当然、俺の答えは一つしか用意してないんだから。
- 144 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:45
-
「疲れてない?」
「あー…ちょっとだけ。でも平気」
「そっか。なら今から行く。こないだのファミレス?」
「うんっ!」
「したら支度して出るから。あそこでコーヒーでも飲みながら待ってるわ」
「なるべく急いでいくからねっ」
「いいよ、んな急がなくても」
「んー…わかった。でも急ぐ」
「なんだそれ」
笑いながらそう言うと、一拍遅れて電話の向こうでも可愛い笑い声。
ただそれだけなのに、なんでこんなに嬉しく感じるんだろう。
「…じゃあ」
「うん。後でね」
Pi
電話を切ってホッと一つ息をついた。
たったこれだけの短いやりとりで、待っていた時間分が報われた。
そんな気持ちで支度に取りかかった。
- 145 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:46
-
数十分後、昨日と同じファミレスで、昨日と同じ席に座り、昨日と同じコーヒーを飲んで待っていた。
灰皿が一度替えられ、二杯目のコーヒーが半ばまで量を減らした頃、何気なく滑らせた視線が一台のタクシーでとまる。
道路の向こう側で開いたドアから降りて運転手に小さく頭を下げる姿。
赤信号を見上げながら小さく足踏みしている姿。
小走りに横断歩道を渡り近づいてくる姿。
そんな一挙手一投足を見つめすぎて、気がついたらウインドウ越しに手が届くほどの距離で。
ぼーっと見ていた俺の注意を促すようにコンコンとガラスを叩き覗き込むような姿勢で「おーい」と口を動かしながら手を振る真希。
我に返った俺は笑顔になって「早く入んなよ」と声に出さずに口だけを動かした。
ニッコリ笑って姿を消した真希がウエイトレスの案内を断り向かいの席に腰を下ろした。
「早かったじゃん」
「運転手さんに急いでもらったからねぇ。んっ、ちょうだい」
ふにゃっと笑いながら、さらっと可愛いことを言い、返事も待たずに溶けて小さくなった氷ごと一息に水を飲み干した。
その無防備な首筋のラインに俺はまた見惚れてしまう。
- 146 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:47
-
「ほーっ……なに見てんの?」
「いや、なんでもありまっせ〜ん」
「ヘンなの…」
こうして深夜のデートは始まりを告げて。
いつものように彼女の話に耳を傾け、その一つ一つの表情、仕草に魅入られる。
軽く食事を摂りながら話していて、しばらくして真希が席を外している時のことだった。
空いた器を下げに来たウエイトレスが食器を手にしたはずみに、脇に置かれていた真希の携帯をひっかけ、テーブルの下へ落とした。
「あっ、申し訳ありません」
「あぁ、いいですよ。俺が拾いますから」
食器を置き、落とした携帯を拾おうとしたウエイトレスを制して自分でテーブルの下へ手を伸ばした。
重ねて謝るウエイトレスに大丈夫と伝えてさがってもらった。
- 147 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:48
-
拾い上げた携帯を見ると、ストラップに紛れて小さなキーホルダーのようなものがついてることに気がついた。
銀色に鈍く光るそれは開閉が出来るようで、落ちたはずみで僅かに隙間ができていた。
「あぁ、落としたはずみで……ん?」
プランと揺れた勢いで、大きく開ききったそれは、内側に写真が貼られていた。
「プリクラ? こんなとこにまで……」
- 148 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:48
-
呟きと共に浮かびかけた微笑みが途中で強張るのが自分で解った。
なにげなく眺めるだけだった視線はプリクラの中、真希ではない誰かに集中していった。
写真の中の男は、腕を組み擦り寄るような真希を横目で見ながら少し困ったような、それでいて楽しげな表情をしていた。
きっと、これが彼女と別れたヤツなんだろう。
鮮明ではないながらも、そこに写っている真希は幸せそうな顔で。
──それはいい……
そう、それは問題じゃあない。
全くなにも感じないといえば嘘になるだろう。
自分以外の誰かが彼女の隣にいて、そしてその事実が真希のこの表情の理由なんだとしたら。
それは悔しいことだったけれど、あくまでも過去の話なんだから。
が、俺が目を逸らせずにいるのはそんなことじゃなく。
- 149 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:49
-
「こいつ……」
思わず口から溢れた呟き。
そこに写っている男の顔つき、そして髪型。
どこか見慣れた気すらする顔つき。
そして髪……それは俺が真希に勧められた髪型。
「こうした方がいいよ」と、彼女が梳った髪型。
──なんだってんだ……
その事実。
そして時として感じた小さな違和感。
それが意味するもの。
「そんなこと……」
あるわけがないと、言い切れるだけの根拠をもてないでいた。
そう言い切れるほどに深く、長く付き合っているわけでもない。
彼女の…真希のなにを知っていると言われれば、それも答えは出ないだろう。
浮かび上がった疑念に心を縛られながら、どこか表層でこの事実を隠してしまわなければと、そう考える部分があった。
それは身体に反映して、開いてしまったそれを元に戻し、テーブルの端にコトリと置いた。
- 150 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:49
-
「ただいまー」
程なくして戻ってきた真希は、なんの屈託もない笑顔を見せて座った。
その笑顔すら信じることが出来なくなってきているのは何故だろう。
「ん? どーかした?」
「……え?」
「ぼーっとしてるじゃん」
「いや、別に……」
「疲れてる? ……あんまりいられなかったけど帰ろっか」
「いや、別に──あっ、とりあえず…出ようか」
口調が硬くなるのを自覚していてもどうすることもできない。
「そーだねぇ…うん、たまにはね」
なにも考えず口をついた言葉に疲れているとでも思ったのか、特別疑問を抱くこともなく真希は頷いて席を立った。
- 151 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:50
-
特にどうしようという考えがあってファミレスを出たわけじゃあない。
しかしこのまま帰ろうと思ってエンジンを回したわけでもない。
背中にしがみつく感覚を意識しながら走り出した。
半ば無意識に傾けたバイクの向く先は、やはりあの場所だった。
真希もなにかを察したらしく口を開くこともないまま、あのベンチの前まで僅かな距離を歩いた。
「座んなよ」
「え? あ…うん」
少し困ったような顔をした真希はベンチに腰掛け、肩に掛けていたバッグとヘルメットを膝の上に置くようにベンチの端に座った。
「あー…っと、座んないの?」
下から見上げるように問い掛けられる。
「いいよ。それより聞きたいことがあるんだ」
「な、なにぃ? なんか怖いよぉ…」
その言葉の通り、真希は少し強張った表情になり、それを隠すように戯けた色をまとった口調になる。
俺は一つ深い呼吸をして自分が落ちついているかどうかを確かめた。
──大丈夫、きっとただの笑い話「なんでもないよっ」て、それで済むんだ
- 152 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:51
-
「ちょっと携帯見せてくれる?」
「? …別にいーけど……はい」
「さんきゅ」
「なんで?」
受け取った携帯を何操作することもなく、手に握ったまま話を続けた。
「さっきさ、ファミレスで」
「うん?」
「真希が席を外した時に…携帯が落ちてさ」
「…うん」
「落ちたはずみだろうな、これが緩んでさ……」
左手に持った携帯にぶら下がっている銀色のそれを指差しながら続ける。
真希は「あっ」っと、小さく洩らし、僅かに表情を硬くこわばらせた。
- 153 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:52
-
「中…見た?」
「持ち上げたら開いたんだ」
言い訳めいているが、それが答えにはなるだろう。
俺の答えを聞いた真希は一瞬みせた苦しげな表情を、すぐに苦笑いに作り替え明るい声で話し出した。
「あー…やなもんみられちゃったねぇ……それさ──」
「前の男…?」
遮るようにして続きを奪った俺の言葉に、真希はほんの少し眉をしかめた。
「そう……外すの忘れてたんだよねー」
「別に無理に外すこと無いよ」
意図していない言葉。
感情がそのまま口から溢れたような。
- 154 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:53
-
「え?」
「好きなんだろ? こいつのこと」
──違うっ、こんなことを言うために……
「なっ……」
真希は驚いて言葉を失っているようで。
俺の口は更に言葉を吐き出す。
「好きなんだったら外す必要なんてないだろ? ずっと付けておけばいいさ」
「ちが──」
「違わねーよっ!」
- 155 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:54
-
跳ね上がる声の大きさに真希は身体を震わす。
──言う必要なんてない、そうじゃなくって……
「なんだ、俺をこいつみたいにするのは楽しい?」
「あっ……」
「どっか似てる……だよな」
「それは──」
「俺にこいつみたいしてっ、俺を通して見てたってわけだ! 今まで一緒にいたのは誰なんだよっ!?」
「………」
「真希は誰と一緒にいたんだっ!?」
「………」
- 156 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:54
-
たたみかける言葉に押されるように頭を垂れて外される視線。
その姿は、俺には今の言葉が事実であるようにしか映らなかった。
──それが真実…だったのか……
「ふられたって言ってたっけな……失恋の痛手からこうした?」
「………」
「相手の気持ちはどうなる? 自分が楽しきゃ構わないってか?」
「………」
「なにか? 俺は騙されてるのに気づいても、そいつの代わりに……なってりゃいいのか?」
「……ちがうの」
微かに耳を振るわせた真希の声に、昂ぶった気持ちが急激に萎えていく。
「違わない……ひでぇよ」
「………」
「男はふられても痛くないって、そんな風に思う?」
自分のものとは思えないほど冷たい声。
それはきっと諦めの色を映し出したから。
ジャリっと音を立てて数歩分の距離を詰める。
真希はビクッと反応したけれど、硬直したように動かず、視線を合わせてもこなかった。
- 157 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:55
-
──なんで……
「なんで……?」
真希の膝の上に置かれていたヘルメット──真希の為のヘルメット──をついと持ち上げて見つめる。
ほんの少し顔を上げて、それを気にしたようだったけれど、目が合うことはなかった。
「これももう要らないな……」
小さく呟いて腕を振り上げ……思いっ切り地面へ叩きつけた。
真希の口から小さな悲鳴のようなものが聞こえた気がしたが……もうどうでもいいことだった。
「サヨナラ……」
最後まで合わせられることの無かった視線。
これでもう終わりだった……真希にというよりも、自分に対して思った。
──サイアクだ……
- 158 名前:月が揺れる空の下で 投稿日:2006/07/10(月) 06:55
-
- 159 名前:匿名 投稿日:2006/07/10(月) 06:57
- 以上、『月が揺れる空の下で』でした。
今日はここまでです。
え〜……また一週間“ほど”を目安に(笑)
ではまた。
- 160 名前:41 投稿日:2006/07/11(火) 03:45
- 更新乙です♪
真希と真人の今後の展開がめちゃくちゃ気になりますね。
一週間お待ちしております(笑)
- 161 名前:みっくす 投稿日:2006/07/11(火) 13:12
- 更新お疲れ様です。
いい感じの二人だったんですけどねぇ。
そういう恋愛をしてみたくなったのにぃ。
どうなっちゃうのかな。
- 162 名前:亜希 投稿日:2006/07/11(火) 18:03
- 更新お疲れ様です
この後の続きがすごく気になるっ!
一週間後まで待てるかな?w
- 163 名前:匿名 投稿日:2006/07/15(土) 22:10
- >>160 41さん
毎度ありがとうございます。
ご愛読していただけるように精進精進です。
>>161 みっくすさん
レスありがとうございます。
こういうの、ですか。したら教えてください。ネタn(ry
>>162 亜希さん
毎度ありがとうございます。
気になっていただけるのは喜ばしくてウハウハです。
ということで。
一週間まで、少し残ってますが更新です。
- 164 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:11
-
- 165 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:12
-
喉が渇いて開けた冷蔵庫の中は、ほぼ空っぽに近い状態で。
ミネラルウォーターも、お茶も、なにも入っていないことに開けてから気がついた。
仕方がないと、夜も遅い時間だったけれど近所のコンビニに買い出しに出ようとして。
ジーンズに脚を通し、Tシャツの上に薄手のブラウスを重ねて、帽子をかぶり財布を手に部屋を出た。
エレベーターで一階まで降り、エントランスの灯りの向こう、ガラス一枚を隔てた灯りの下に見つけた人影に一瞬身を固くした。
オレンジに照らす街灯の下、植え込みのブロックに腰掛けて俯いている背中に見覚えがあった。
目を凝らして見つめ、それが間違えではないと解って足早に表へ出た。
ロックされていた扉が開いたことにも気がつかずにいるらしい肩にそっと手を伸ばす。
「ごっつぁん…?」
なにか膝に置いた荷物の上にもたれていた顔をゆっくり上げ、振り向いたその表情に違和感を覚えた。
普段からあまり表情を露わにしないこともある彼女だけれど、それとは違うんだってなんとなく感じられる。
なんていうんだろう……疲れ果てて今にも倒れてしまいそうな。
どこか記憶の片隅に残っている表情。
「……梨華ちゃん」
「どうしたの?」
その表情に疑念を感じながらも、とりあえず様子を見るみたいに、“いつも”をよそおって話しかけた。
「んー…ちょっと」
「うちに来てくれたんだ? あがってくんでしょ?」
「……あっ」
「ほら、行こう? ね。久しぶりだもん」
なにか言いかけたごっつぁんを引き摺るように、絡ませた腕に力を込めて歩き出した。
エレベーターに乗り部屋へ戻るまで、二人とも口を開かずに。
- 166 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:14
-
「適当に座ってて。今お茶入れるね。ホットしかないけど、いい?」
「あ…うん」
部屋へ入ってソファーを勧めると、ごっつぁんは糸が切れてしまったみたいに力なく座り込んだ。
お茶の用意をしながら、いつもとは違うごっつぁんに何をどう切り出すのがいいのか考えてみたけど、どうしたらいいのか解らなくて。
そんな時、ソファーの向こうに身を沈めていたごっつぁんの声が聞こえた気がした。
「呼んだ?」
顔だけ覗かせて声を掛けてみたけど返事はなかった。
まさか寝てしまったわけでもないだろうと思って、手早く紅茶を注いだカップ二つを手に持って戻った。
「ごっつぁん?」
「……ん」
「紅茶、入ったよ」
「ありがとぉ…」
もぞもぞと身を起こしてはいるけれど、その声からも表情からも何も伝わらない、“力”を持たない感じだった。
- 167 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:14
-
「ごっ──」
「梨華ちゃん…」
紅茶を飲みながらも持たせることができない“間”を、どうにかしようと出しかけた言葉に重なる声。
じっとカップに目を落としながら出された声は、どこか儚げな成分を含んでいた。
「…なぁに?」
「梨華ちゃんはさー…最近どお?」
「どう…って?」
「あー……拓巳さんとさ」
「え? あ、うん…普通に、逢ってるよ」
「そっかー…」
「ごっつぁん…どうしたの?」
「んん……」
その時になって気がついた。
というより、思い出したっていう方が正解かな。
ごっつぁんの表情、どこかで記憶に引っ掛かっている感じがしていた表情。
- 168 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:15
-
「あの…わたしでいいんなら、聞かせてくれないかなぁ?」
「………」
「なにがあったの?」
「………」
わたしはごっつぁんがどうするのかを待っていて。
ごっつぁんは俯いたままで、話すかどうかを迷っているような感じだった。
「なにかあったからきてくれたんだよね」
「………」
「なにかあって……どうしようもなくて、だからきてくれたんでしょ?」
「………」
少しだけ、わたしの言葉に反応してくれたように、小さく身体が揺れたのが解った。
だからわたしは待つことにしたの。
そうやってどれ位の時間が過ぎたんだろう……
やがてごっつぁんの口からポツリと言葉が零れた。
「おこらせちゃった…」
まるでごっつぁん自身が壊れてしまうんじゃないかと思えるほど“痛み”を包み込んだ言葉。
口に出してしまっていながら、そう感じられるほどの言葉なのに、それでも核心にある痛みは隠そうとしていて。
それでも隠しきれない痛みをわたしに感じさせる、そんな言葉だった。
- 169 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:16
-
それはきっと大事そうに抱えていた──今もすぐ横に置いてある──ものに関係があるんだと思う。
でも、わたしにはそれをどう聞いてあげればいいのか、どう言ってあげればいいのか言葉にならなくて。
ただじっと、ごっつぁんの言葉の続きを待っていてあげるだけしかできなかった。
カップに手を伸ばすこともなく、冷めていく紅茶を見つめているごっつぁんの横顔。
日頃、どこか無表情なところがあるけれど、そういうのじゃあなくて。
その表情、そしてさっきの言葉、それが教えてくれるものに気がついたわたしは話題を変えるように一言だけ。
「お風呂、入って」
「えっ…」
「その間に買い物してくるから。ね? 汗流してすっきりしよっ」
そんな気分ではないのだろうけれど、ごっつぁんの手をとり、無理に立たせてバスルームへ連れていった。
「着替え、用意しておくからね」
「ん…」
困ったみたいに弱々しく笑うごっつぁんをバスルームへ押し込んで着替えをとりに向かった。
適当な服を選びながら自分に出来ることを考えた。
- 170 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:16
-
きっと……なにかがあって……それが、あのヘルメットってことなのだろう。
そういうことなんだろうって……。
勿論、経緯だとか、それがなにか、誰か……そんなことは解らないけれど。
それはわたしには関係ない……というよりも、どうでもいいことだから。
抜き出した着替えを持ってバスルームに戻り、一応ノックをしてから脱衣所に入って。
着替えを置いて声を掛けようとして気がついたの……。
曇りガラスの向こう、流れる水音の中に聞こえる微かな音に。
聞いてしまったことが悪いことをしたような、そんな気になってしまう。
聞かれることを拒むみたいに強く流れるシャワーの音の間に、押し殺した嗚咽が混じっていた。
初めて耳にした、ごっつぁんのそんな声、まるで自分のコトのように胸の奥が痛い。
鼻の奥がツンとするのを堪えながら、そっとバスルームの扉を閉めた。
- 171 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:16
-
逃げるみたいにコンビニでへ向かい、必要そうなものだけの簡単な買い物を済ませて戻ってくると、ごっつぁんは元の場所に座っていた。
頭からバスタオルをかぶって…まるで顔を見せまいとしているみたいに。
「ただいま。はい、飲むよね?」
目の前のテーブルに、返事も待たずにペットボトルを置くと、小さな声で「ありがと」って返事が聞こえてきた。
残った買い物を冷蔵庫にしまい込んで、ふと気がついて寝室へ足を運ぶ。
ドレッサーの前に置いてあったそれを手にごっつぁんのトコロへ戻った。
「ごめんね。髪、乾かしちゃわないとだよね」
「あー、ん……」
「…わたしやってあげるね」
ソファーを隔てた後ろに立って、ドライヤーのスイッチを入れて、気をつけながら濡れた髪を乾かしていく。
ごっつぁんは黙ってされるままでいる。
わたしも何も話さずに長くて綺麗なごっつぁんの髪に風をあてていた。
丁寧に…丁寧に、柔らかな髪を梳りながら。
こうやって乾いていく髪のように、ほんの少しでもごっつぁんの痛みが和らげばいいと願う。
- 172 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:17
-
「梨華ちゃん?」
そんな中、ともすればドライヤーの音に消されてしまいそうなか細い声が聞こえてきた。
「んー?」
わたしは作業に没頭している風を装って返事を返す。
「梨華ちゃんはさー…ケンカしたことある? 拓巳さんと」
「んー…それは……あるよ」
そういうことなんだ、って、そう思った。
一瞬、どうするべきなのか迷ったけれど、素直に、ありのままを口にすることを選ぶ。
「そーだよね。…例えば?」
「そうだなぁ……ホント、大したことじゃないんだけど、口きかなくなったり?」
「…拓巳さんも?」
「ううん。わたしだけ」
その時のことを思い返しながら、そう口にして苦笑い。
ごっつぁんは次の言葉を探しているのか、それとも別のことを考えてるのか、身動ぎもせずに黙り込んでいる。
わたしは静かに、言葉を選びながら話を続ける。
- 173 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:17
-
「拓巳さんがご機嫌とるみたいに話してくるんだけど、わたしだけ怒ってるの。
結局、わたしはそうやってあやされる? みたいにされてるうちにどーでもよくなっちゃうの」
「………」
「でもね、すごくたまにだけど、拓巳さんが怒ることもあるんだよ? はいオッケー」
「…拓巳さんが?」
綺麗に整うところまできた髪に、ドライヤーを止めてそう言うと、一拍分の間をおいて返ってくるごっつぁんの声。
「そう。大きな声で怒鳴ったりとか、そういうんじゃないの。でも怒ってるのは判るの。
ちょっとした表情とか、仕草とか“あ、怒った”って感じる…判るの。
そんなハッキリした違いじゃないから、気がつかないこともあるのかもしれないんだけどね」
笑いながら誤魔化すような言葉に、ごっつぁんは少しだけ考えるように髪を揺らせて。
それからおずおずと──と表現するのが正しいんだと思う──口を開いた。
「そんなとき…梨華ちゃんはどうした?」
「“ごめんなさい”って…言えばいいんだよ」
なんでもないことのように口にしたわたしの言葉に、少しだけごっつぁんが顔を上げてくれた。
それからゆっくりと小さく首を振って、まるでもう全部諦めているように弱々しい声で呟いた。
「聞いてもくれなかったもん」
ダメだよ、って口にしそうになる。
それほどに打ち拉がれた、自分を卑下してしまってるみたいに感じる口調。
「じゃあ聞いてもらえるように考えよう? わたし考えるよっ。役に立たないかもしれないけど…一緒に考えさせてほしい」
「梨華ちゃん…」
ソファーを回り込んで、目の前に膝をついて、一息に言い切ったわたしの言葉に、驚いたように顔を上げたごっつぁん。
そしてまた項垂れて、両手で顔を覆って。
数秒の間をおいて、また顔を上げて…ぽつりぽつりと話し出した。
- 174 名前:間奏3 石川梨華 投稿日:2006/07/15(土) 22:18
-
- 175 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:19
-
- 176 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:19
-
嘘だったんだ
自分にたいして、真人にたいして
どこが…どれが…いつまでが……
それは自分でもわかんないの
でも間違いなく嘘をついた
自分の心にまでも
自分を守るように
せっかく見つけた大事なものを守るために、ついた嘘で苦しませて……
なんてバカだったんだろう
なんでもっと……
- 177 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:19
-
- 178 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:20
-
なかなか最後まで撮り終わらない収録に、心の中でイライラしつつもニッコリ笑顔を浮かべていた。
それでも、やっと終わりの声がかかると、不自然に見えないように精一杯の努力をしながらも大急ぎで帰り支度。
待ち合わせのファミレスへ向かうタクシーに飛び乗った時は、予定よりも十五分オーバーだった。
窓の外で流れる景色に目を遣りながら、それが全く目に入らずにソワソワしていると運転手さんが声を掛けてきた。
「あ、お客さん、お急ぎですか?」
「え? あー…そーゆーワケじゃないんですけどぉ。あ、でもちょっと急いでます」
「そうですか。もうじきですんでね」
「あー、はい」
──そんな急いでるように見えたのかな
そう思うとちょっとおかしくなった。
しばらくするとタクシーは見慣れた通りに出て、もうファミレスの前に着くってトコ、その手前で信号に引っ掛かった。
「あっ、ココで降ります!」
そう言って運転手さんにお金を渡すと横断歩道の向こうで信号が点滅しだした。
「あっ」
「はい?」
「あー、いえ、なんでもないです」
「……はい、ありがとうございました」
おつりを受け取った時にはもう赤信号になっていて、ペコリとお辞儀をして走り去るタクシーを見ながらタイミングの悪さに焦れていた。
赤になったばかりの信号は、「いつになったら変わるの?」って思うほど、憎たらしくも赤く光っていて。
今までそんなコトしたことなかったし、しても意味もないのは解ってるのに、足踏みなんかしちゃったりする。
やがて信号は待ちわびた青い光に変わって、その瞬間だけは短距離走のランナーみたいな気分で走り出した。
- 179 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:20
-
横断歩道を渡ってすぐ、ウインドウの向こうにそれらしい人影を見つけた。
──真人…
近づいてみると真人ってば、窓の外を見ているみたいだけど、どこかボ−っとしているみたいな感じ。
ちゃんとこっち見てよって、そんなコト考えながら、軽く握った拳でウインドウをノックした。
「おーい♪」
聞こえないだろうって判ってるけど、そう声を出して目の前で手を振ると、カメラの焦点が合うような感じで目があった。
したら真人ってば、なんとなく呆れたみたいに笑ってなにか口をパクパクさせる。
多分「早く入れ」みたいなこと言ったんだと思う。
返事の代わりにニッと笑顔を浮かべてお店の入り口に向かった。
「早かったじゃん」
「運転手さんに急いでもらったからねぇ。んっ、ちょうだい」
挨拶もそこそこに、テーブルに置いてある溶けかけた氷の浮かぶ汗をかいたグラスを手にとって一息に飲み干した。
空いたグラスをテーブルに置くと、なんかジッと見つめられていることに気がついた。
「ほーっ……なに見てんの?」
「いや、なんでもありまっせ〜ん」
「ヘンなの…」
なんかよく解らなかったけど…まぁいいやって、向かいの席に座ってメニューを開いた。
カリカリにクリスピーなピザなんかつまみながら、今日の仕事の話──グチったりするわけじゃなくね──をしたりする。
真人はニコニコしながら時々相づちうつみたいに口を挟んでくれて。
そーやってこっちの話を引き出すみたいな“間”が心地良い。
──ホント、こんなトコとか、似てるよね……
- 180 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:21
-
ちょっとトイレに立って席に戻る時、鏡に映る自分を見て思った。
“笑えてる”じゃんって。
鏡に映るごとーは、きっとあの頃のような顔をしているんだろうって、何故だか確信に近いものがあった。
──うん、楽しい…心から笑えてるよ。
真人が誰に似ているとか、そんなの関係がないって言い切れる。
そりゃあキッカケであることは違うなんて言えないし…それほどに“想った”人だったから。
一瞬、またそんなことを考えるけど、それはシャボン玉みたいに弱く、すぐになくなってしまうキモチ。
割れたシャボンの中から、しっかりとした強い想いが出てくるようになったことを自覚したのはいつからだったかな。
ハッキリとした境目なんて解らないけど……それは間違いなく、いつからか自分の中にしっかりと根付いていたんだ。
- 181 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:21
-
「ただいまー」
席に戻ってそう声を掛けた。
でも真人ってば、なんだか自分の世界に入っちゃってるみたいに無反応。
ちょっとかがみ込むようにして言葉を続けた。
「ん? どーかした?」
「……え?」
「ぼーっとしてるじゃん」
「いや、別に……」
「疲れてる? ……あんまりいられなかったけど帰ろっか」
「いや、別に──あっ、とりあえず…出ようか」
なんだろう?
なんか違う。
ほんの少しだけどピリっとした感覚があった。
真人から取り繕ったようななにかを感じたけれど、そのなにかを話す気があるなら話してくれるだろうって思いなおした。
「そーだねぇ…うん、たまにはね」
- 182 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:22
-
あたしが席を離れてる間になにがあったのか、真人は思いに沈んでいるようで、ただ黙ったままバイクに跨った。
遅れて後ろに座って真人のお腹の辺りに手を廻すと、何も言わず静かに走り出した。
しばらく流れていく街並みに目を向けていたけれど、どうやら帰るわけでもないらしい。
たまたま気が向いて違う道を選んだんじゃなければだけど。
そんな事を思っているうちに気がついた。
そして気がついた時には、すぅっとすべり込むように細い脇道へ入って。
やがてスピードが落ちていき、ゆっくりとバイクが停められた。
ヘルメットをハンドルに引っかけて、一つ息をついた真人は振り向きもせずに歩き出した。
ちょっと迷ってからシートに置きかけたヘルメットを抱えて後をついて歩く。
前を歩く真人の背中は、どこかイヤな緊張感でピリピリしてるみたいに見えた。
「座んなよ」
「え? あ…うん」
不意に立ち止まってそう言ってきた真人に、つんのめりそうになりながらベンチと真人を見比べて。
一瞬どうしようって思ったけれど、黙ってベンチに腰を下ろした。
少し考えてから、肩に掛けていたバッグと抱えていたヘルメットを膝の上に置いて、一人分のスペースが空くように座り直した。
- 183 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:22
-
「あー…っと、座んないの?」
「いや、それより聞きたいことがあるんだ」
下から見上げるように声を掛けると、微妙に目を逸らしてそう言われた。
なんでだろう…イヤな感覚が抑えきれない。
なんで目も合わせてくれないんだろう?
なんでそんな表情をしているんだろう?
なんで……
そんな不安を隠すように、わざとふざけるみたいな口調を作る。
「な、なにぃ? なんか怖いよぉ…」
真人は深呼吸でもするみたいに深く長い呼吸をして、唐突に目を合わせて口を開いた。
「ちょっと携帯見せてくれる?」
「? …別にいーけど……はい」
「さんきゅ」
「なんで?」
真人は手渡した携帯を開くこともなく、そのことの意味が解らないままで携帯を手に持ったまま話を続けた。
- 184 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:24
-
「さっきさ、ファミレスで」
「うん?」
「真希が席を外した時に…携帯が落ちてさ」
「…うん」
「落ちたはずみだろうな、これが緩んでさ……」
そう言いながら携帯にぶら下がっているストラップを指差して。
そこでやっと気がついた。
──写真…
どうして今まで気がつかなかったんだろう。
ドキドキと叫ぶ心臓の音が聞こえる。
クセになるほど触れていた“それ”なのに、いつからかまるで気にしなくなっていた。
動揺を悟られないように一所懸命、普段通りに聞こえるように声を出した。
「中…見た?」
「持ち上げたら開いたんだ」
真人のその声も、表情も、ガラスみたいに壊れてしまいそうで…そして冷たかった。
──誤解、してるんだ
声の冷たさに感じた痛みを一生懸命我慢して、笑顔を作って、意図して明るい声で話し出した。
「あー…やなもんみられちゃったねぇ……それさ──」
「前の男…?」
話を遮るように重ねられた言葉。
それはなんとなくだけど、とてもイヤな言葉に聞こえた。
事実を指摘されているだけなんだけど、その口調は鋭く尖っている。
- 185 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:24
-
「そう……外すの忘れてたんだー」
「別に無理に外すこと無いよ」
「え?」
一瞬なにを言われたのか理解できなかった。
勿論、ちゃんと耳には入っていたんだけど…“なんで”とか“外せ”って、そう言われるんだと思っていたから。
「好きなんだろ? こいつのこと」
──え?
「なっ……」
“違うよ”って心が叫んでいる。
考えていた以上に深刻な事態に焦って、動揺していて、上手く言葉にならなくて。
「好きなんだったら外す必要なんてないだろ? ずっと付けておけばいいさ」
「ちが──」
「違わねーよっ!」
急に跳ね上がった声の大きさに、思わず目を閉じ身体がすくんでしまった。
再び開いた目に映るのは、声の調子からは信じられないほどに哀しい表情。
- 186 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:25
-
「なんだ、俺をこいつみたいにするのは楽しい?」
「あっ……」
ココまできてやっと理解した。
真人が怒鳴るほどの理由。
それを怒っているというよりも哀しんでいる理由。
──そう、じゃないのに
「どっか似てる……だよな」
「それは──」
「俺にこいつみたいしてっ、俺を通して見てたってわけだ! 今まで一緒にいたのは誰なんだよっ!?」
「………」
なにも言えなかった。
そんなつもりじゃあないけど、そんなことだったんだから。
そんなごとーになにも言えるワケなんてなかった。
「真希は誰と一緒にいたんだっ!?」
「………」
投げかけてくる言葉が痛かった。
この痛みはごとーのしたことが真人に与えてしまった痛みで。
それがそのまま返ってくるように、自分を苦しめて。
いつしか目を見ることもできなくて、言葉に押し潰されるみたいに地面を見つめていた。
- 187 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:25
-
「ふられたって言ってたっけな……失恋の痛手からこうした?」
「………」
──違うよっ
「相手の気持ちはどうなる? 自分が楽しきゃ構わないってか?」
「………」
──違うの
「なにか? 俺は騙されてるのに気づいても、そいつの代わりに……なってりゃいいのか?」
「……ちがうの」
そう口にはしたけれど……
──違わない
違う…でも違わない。
出会えた嬉しさに、一緒にいられる喜びに浮かれて、そんなことも解らなくなってた。
ごとーのしたことは確かにそんなことだった。
- 188 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:26
-
「違わない……ひでぇよ」
「………」
「男はふられても痛くないって思う?」
──そんな……
きっとそういうことって女も男もないんだ。
そんなの当たり前だ。
それなのにごとーはなにをしたの?
それは自分勝手な……真人の言うとおりの“ヒドイ”ことだった。
ジャリって砂がこすれる音が聞こえて、見つめる地面の中に真人の靴先が映る。
一瞬、身体が強張るような感覚を覚えて。
顔を上げて全て最初から説明したいって、そう思ったけれど身体がいうことをきいてくれなかった。
──なんで……
「なんで……?」
絞り出すような声と同時に伸びてきた手が、膝の上に置かれていたヘルメットを掴んだ。
離れていくヘルメットを視線で追ったけど、それも途中まで。目を合わせることが怖くて顔を上げることができなかったから。
- 189 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:26
-
「これももう要らないな……」
その意味することに思いがいって、口を開きかけたその目の前で振り下ろされる腕。
──やめてっ
そう叫びたかった。
でもごとーの口からもれたのは言葉にもなってないような悲鳴だけ。
鈍い音が聞こえると、それが自分のしたことに対する痛みのように心が軋んだ。
一度、跳ね返ったヘルメットがカツンって地面を鳴らして。
コロコロと哀しい音が耳に響いた。
「サヨナラ……」
そして聞こえてくる最後の言葉。
鋭利な刃物のような決定的で致命傷を与えられる言葉。
それでも、それだから、動かない…動けない……。
最後に一目見ることもできないでいる自分。
- 190 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:27
-
離れていく足音。
遠ざかるエンジン音。
届かないキモチ。
弱く小さくなっていく心の奥の灯火。
──なんでこうなっちゃたんだろう
こんなに好きで……好きになれて。
離れてもすぐに逢いたくなって。
すごく必要で……大切にしたい関係だったのに。
こんなに好きな人にヒドイことをしたのはごとー。
大切にしようとした関係を壊してしまったのもごとー。
“過去”に囚われて“今”をおろそかにしちゃった。
そんな当たり前のことに今頃気づくなんて……
──ナンテバカダッタンダロウ
そんな時、耳についた音にハッと顔を上げ走り出した。
「もしかしたら」って思った。
路地を抜けた向こう、大通りに聞こえたエンジンの音。
- 191 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:28
-
「っ……そんなワケないよね」
大通りに出るまでもなく、その音は通り過ぎて、離れていく。
僅かに見える大通りに背を向けて、呆けたようにふらふらとベンチのトコロへ戻った。
立ち上がったはずみに放りだしてしまったバッグに気がついて、伸ばした手に引っかけるように拾い上げて汚れを払った。
その時になってやっと気づいたんだ。
置き去られて、打ち捨てられた“痛み”に。
ゆっくりと……たった数歩の距離を歩いて、哀しく転がった“それ”に手を伸ばした。
「ごめんね。あんたのせいじゃないのにね……」
哀れむように、滑らかなその表面に手を滑らせると、ある部分で指が引っ掛かった。
手の上で転がすみたいに向きを変えて街灯の明かりにさらしてみると、真っさらだった表面にヒドイ傷が刻まれていた。
- 192 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:28
-
「っ……ふっ、ぅ……」
何故だか堪えなきゃいけないって思った……けれど。
身体の中から込み上げる淋しさが、哀しさが、意志の力に逆らって流れ出ようとする。
「ふぅ…っ……ぁ」
無理矢理に、小さな呼吸を重ねて、必死で溢れようとするものを抑えつけた。
自分のせいで……報いなんだから泣くべきじゃないって、そう思った。
でも…それでも。
傷をなぞるその指先が。
腕にかかるその重さが。
真人をどれだけ傷つけたのかを否応なく教えてくれた。
その傷がごとーを押し潰す。
「お前のせいだ」って。
「お前が悪いんだ」って。
どうしようもなく涙が溢れてきた……
一粒…一雫…堰を切ってしまった涙は抑えようがなかった……
ごめんなさい…ごめんなさい……
- 193 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:28
-
- 194 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:29
-
なにをしているんだろう?
そう思ってはいても座り込んだ身体を動かせずにいた。
どうしても家へは帰れずにいて、通りがかったタクシーをつかまえてはみたものの、行く宛なんてなかった。
運転手さんに行く先を聞かれて。
一瞬出かかったなっちの住所を飲み込んだ。
これ以上迷惑かけたくなかった。
もう心配させたくなかった。
だから今は会えないって、そう思ったんだ。
そして「お客さん?」って急かすような声に、気がついたらこの場所を告げていた。
タクシーを降りたけれど、部屋にいるかどうかも判らなくって、繋がるはずのインターフォンを押すことさえ躊躇って。
結局なにもできずに植え込みのブロックに腰を下ろして、ただ考えていたんだ。
先に言ってしまえばこうはならなかったのかなって。
そんなこと考えても意味ないって解ってるのに。
答えのだせない問題をいつまでも、ぐるぐると頭の中で考え続けていた。
- 195 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:29
-
「ごっつぁん…?」
不思議と驚きもなにもなく。
かけられた声と、肩に置かれた手の感覚に、ゆっくりと顔を上げていた。
──あぁ…
「……梨華ちゃん」
「どうしたの?」
なんだろう…何故だかとってもホッとした気持ちになった。
なにも言ってないんだから当たり前だけど、ごく普通に話しかけてくる梨華ちゃん。
そのお陰なのか、意識しないところで、当たり前のように普通に、乾いた唇が言葉を作った。
「んー…ちょっと」
「うちに来てくれたんだ? あがってくんでしょ?」
「……あっ」
「ほら、行こう? ね。久しぶりだもん」
力の入らない身体を引き寄せるように腕を絡ませる梨華ちゃんの手を借りて立ち上がると、返事もしないうちに招き入れられた。
うまく頭がまわらない……なんだかフワフワしたままで、思考を取りまとめようとするとあの人の“影”がちらつく。
- 196 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:30
-
「適当に座ってて。今お茶入れるね。ホットしかないけど、いい?」
「あ…うん」
考えることを拒んだ、そんな状態のままにいつの間にか通された部屋で、勧められるままに座り込んだ。
しっかりとヘルメットを抱えていたことに気がついて、それをすぐ横に、壊れ物みたいにそっと置いた。
するとあの傷が目について…またズキって胸が痛んだ。
「まさと…」
痛んだキモチが言葉になって。
出してしまった言葉がより痛みを呼び起こした。
胸に抱え込んだ膝に顔を埋めて、ただジッと痛みが退いていくのを待った。
- 197 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:30
-
「ごっつぁん?」
そうやってジッとしていると、コトリとテーブルが鳴り、抑えた声でそっと呼びかけられた。
「……ん」
「紅茶、入ったよ」
「ありがとぉ…」
そう言いながら身を起こしてはみたけれど、せっかく用意してもらった紅茶にも手を伸ばす気にはなれなくて。
立ちのぼる湯気を見つめながら何気なしに口を開いた。
「ごっ──」
「梨華ちゃん…」
「…なぁに?」
口を開いたタイミングに、梨華ちゃんの声が重なった。
けれどそんなことを気にする様子もなく、梨華ちゃんは促す。
- 198 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:30
-
「梨華ちゃんはさー…最近どお?」
「どう…って?」
「あー……拓巳さんとさ」
「え? あ、うん…普通に、逢ってるよ」
なんの含みもなく、ただ自分の痛みを紛らわす為に出した言葉だった。
梨華ちゃんにしてみれば、答えにくい質問だったかなって、言ってから気がついた。
少し困ったみたいな笑顔になって、それでも普通に答えを返してくれた。
「そっかー…」
「ごっつぁん…どうしたの?」
「んん……」
心配げに眉を寄せて控え目に聞いてくる梨華ちゃん。
ココにきて、ココまで口を開いておきながら、まだ迷ってる。
というか、どうしたらいいのかが解らないでいた。
そもそもここへ来てしまった理由も、自分がどうしたいのかも解らなかったから。
- 199 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:31
-
「あの…わたしでいいんなら聞かせてくれないかなぁ?」
「………」
「なにがあったの?」
「………」
「なにかあったからきてくれたんだよね」
「………」
「なにかあって……どうしようもなくて、だからきてくれたんでしょ?」
「………」
決して無理に聞き出そうとか、そんな感じは全然感じられない。
梨華ちゃんらしい、器用じゃないけど真っ直ぐな言葉。
マジメで頑ななトコロもあるけれど、彼女なりの精一杯で思いやってくれてるのが解る声。
俯いたままで、サビついたネジを回すみたいにギシギシと、自分の中の時間を巻き戻していく。
それは同時に痛みすらも巻き戻していくことだけれど、全てはごとーのしてしまったことだから。
「おこらせちゃった…」
『違わねーよっ!』
怒らせてしまった…傷つけてしまった。
傷を抱えた者同士だって知っていたのに…解っていたのに。
- 200 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:31
-
つい洩らした独白のような弱音に、言葉の続きを待ってるのか、梨華ちゃんは何も言わずにいる。
言葉の続きを探して、話すべき言葉を探しあぐねていると、不意に話題を変えるみたいに梨華ちゃんが口を開いた。
「お風呂、入って」
「えっ…」
「その間に買い物してくるから。ね? 汗流してすっきりしよっ」
動こうとしないでいるごとーの腕を取って立ち上がらせて、背中を押してバスルームに押し込まれた。
扉を閉め際、ひょいって顔を覗かせて、一言残していった。
「着替え、用意しておくからね」
「ん…」
否定するでも肯定するでもなく、ただ考えること全部が面倒な感じだった。
緩慢な動きで服を脱ぎ、ここに入ってしまったからシャワーを浴びる。
ただそれだけ。
- 201 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:32
-
頭から浴びる少し熱めのシャワーは、その気がなくても意識をハッキリしたものにするみたいで。
忘れたい現実に戻ってきた意識は胸に押し込めていた涙の堰を切ってしまったみたいで。
ダメだって解ると、とっさに手を伸ばしてシャワーの勢いを強くして。
声をあげて、泣いた…水音に紛らせて。
温かく身体を包むシャワーの中で…崩れるみたいに膝をついて、両手で顔を覆って泣いた。
- 202 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:32
-
「げほっ! っぁ、ゲホッ! ……っ!」
泣いて、泣いて、大きく息をついた時、流れ込んだお湯でむせ返って。
「はぁ……」
それがきっかけになって、ホンの少しだけ感情が戻ってきたみたいだった。
「……けほっ」
一つ、なごりのように小さな咳をして、手を伸ばしてお湯の勢いを弱めていく。
キュッて音をたててお湯が止まり、少しの間滴る水滴の音が響く。
それさえも止まってしまうと、あっという間に訪れる静寂。
それこそ怖いくらいの……。
- 203 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:33
-
逃げるようにして再びお湯を弾けさせ、その行為が正しいんだって理由を作る為にボディソープに手を伸ばした。
「なにやってんだろ…」
そんな疑念を頭に浮かべながら身体を洗い、髪を洗う。
外目にはさっぱりした身体をバスタオルで拭い、置かれていた着替えを身につけてバスルームを後にした。
部屋はどこも静かで梨華ちゃんは外へ出ているらしかった。
さっき何を話したっけと記憶を辿る。
「買い物…って言った……かな」
答えは浮かんできたけれど、それもどうでもいいって思った。
頭の中に浮かぶ様々な思いや、切り取られたシーン。
汗と同時に流れ落ちた気力、考えるだけの力もなくなっちゃったみたい。
元いた場所に座り込んで……なにも出来ずに座り込んで。
ただ時間だけが過ぎていく……
- 204 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:33
-
「ただいま。はい、飲むよね?」
目の前のテーブルに置かれた汗をかいたペットボトル。
いつの間にか戻ってきたのか、頭からかぶっていたタオルの向こうに梨華ちゃんの脚が見えた。
「ありがと」
俯いたままの掠れた声は梨華ちゃんの耳に届いたみたいで、微笑んだような気配の後、スッと離れていった。
遠ざかった足音はすぐに戻ってきて、すぐ後ろでとまったのが解った。
「ごめんね。髪、乾かしちゃわないとだよね」
「あー、ん……」
「…わたしやってあげるね」
そんな言葉の後、ふわりと持ち上げられたタオル。
唸るような音が聞こえてもてあそばれる髪。
しばらくして気がついた。
梨華ちゃんなりに気遣ってくれているってこと。
当たり前の態度の中にある優しさ。
ドライヤーの風をあてながら丁寧に髪を梳かれる感触。
なんでだろう……少しだけ、ほんの少しだけだけど心まで落ちつく気がした。
- 205 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:34
-
「梨華ちゃん?」
特に何を話そうって思ったワケじゃなく、聞こえなければそれでいいって。
そんなつもりで振り返りもせずに出した声。
自分のじゃないみたいに掠れた声。
「んー?」
ごとーの存在そのものみたいな弱い声は梨華ちゃんの耳に届いたようだった。
梨華ちゃんは子犬みたいに鼻にかかった返事で続きを促した。
「梨華ちゃんはさー…ケンカしたことある? 拓巳さんと」
どうしてそんなことを聞いたのか自分でも解らない。
それが当たり前みたいに口から出てしまった言葉。
「んー…それは……あるよ」
少し考えて、それでもハッキリと答えた梨華ちゃんの声は、ほんの僅かに幸せの色を滲ませていた。
でもだからといって、それを妬ましいとか、そんなことは全然無くって。
逆に自分の事みたいに良かったって思えた。
そして、一度開いてしまった口は自分のものじゃないみたいに言葉を溢れさせていく。
心のどこかで「聞け、聞け」ってそそのかして、まだなんとかなるって希望にすがりつこうとしているんだ。
- 206 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:34
-
「そーだよね。…例えば?」
「そうだなぁ……ホント、大したことじゃないんだけど、口きかなくなったり?」
「…拓巳さんも?」
「ううん。わたしだけ」
その時のことを思い返してるのかなぁ、苦笑いするみたいな感じがした。
なんとなくだけど、あの頃よりも大人になったのかもねって、そう思った。
それに比べてごとーはなにやってるんだろう……
「拓巳さんがご機嫌とるみたいに話してくるんだけど、わたしだけ怒ってるの。
結局、わたしはそうやってあやされる? みたいにされてるうちにどーでもよくなっちゃうの」
「………」
「でもね、すごくたまにだけど、拓巳さんが怒ることもあるんだよ? はいオッケー」
それは想像出来ないことだった……
勿論、拓巳さんだって怒ることもあるのは解っているけれど、少なくともごとーはそんな拓巳さんを見たことがない。
今にして思えば、困らせてばかりいたような気すらする。
そして気がついた……今も同じだって……成長してないって、自分がイヤになる。
- 207 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:35
-
「…拓巳さんが?」
ドライヤーの音が消えて、静かになってしまった部屋の中。
それでもまだ振り向くことも出来ないままに言葉を続けた。
「そう。大きな声で怒鳴ったりとか、そういうんじゃないの。でも怒ってるのは判るの。
ちょっとした表情とか、仕草とか“あ、怒った”って感じる…判るの。
そんなハッキリした違いじゃないから、気がつかないこともあるのかもしれないんだけどね」
笑いに紛れさせた言葉。
ごとーが一番聞こうとしていた部分。
でも聞きたくないって思っている部分。
どうしてだろう……頭の芯がズキズキする。
痺れたような感覚の中、言葉だけが溢れだした。
- 208 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:36
-
「そんなとき…梨華ちゃんはどうした?」
「“ごめんなさい”って…言えばいいんだよ」
きっと予想していたんだろうって思うほど、よどみのない答え。
あまりになんでもないことのような言葉に、顔を上げてその表情に触れてみたいと思った。
だけど……上げかけた顔を止めて、ゆっくりと、小さく首を振った。
「聞いてもくれなかったもん」
口をついて出た声は、我ながら情けないほどに弱々しいものだった。
でも、それが似合ってる……なんて弱い自分、なんてイヤな自分。
「じゃあ聞いてもらえるように考えよう? わたし考えるよっ。役に立たないかもしれないけど…一緒に考えさせてほしい」
急に立ち上がって回り込んできた梨華ちゃんは、ごとーの前に膝立ちになって、しっかりと目を合わせて一息に言い切った。
「梨華ちゃん…」
- 209 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:36
-
驚いた……梨華ちゃんの声、梨華ちゃんの少しだけ潤んだ目、その光の強さに。
そして、その中にある真剣さや優しさに。
──なんでぇ……
いつの間にか梨華ちゃんは、ごとーよりもなっちに近づいている。
並んで歩いていると思った梨華ちゃんは、一つの時間を過ぎて何歩分も大人になってたんだ。
ごとーが立ち止まって……進んだつもりになって足踏みしているうちに。
つい溢れて落ちそうになる涙を、両手で顔を覆うように隠して。
ふぅっと大きく深呼吸をして、ゆっくり…ゆっくり、自分を立ち直らせる努力をした。
- 210 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:37
-
「ごとーが悪かったんだ……」
説明なのか、告白なのか、それとも懺悔なのか……どれでもないのかもしれない。
ただ一人で抱えていられなかっただけなのかもしれない。
「偶然…たまたまタクシー降りただけだった……空き缶が飛んできてさー…」
「空き缶?」
「そぉ、向こうは…なんかふられたらしくって……ムシャクシャしてたんだと思う。
ごとーの足元に空き缶が、…近づいてきて、その時にさー……思っちゃったんだ」
「なんて?」
「なんか似てるって……」
「………」
「拓巳さんに」
「うん…」
そう小さな相槌をくれた梨華ちゃんは、なんだか哀しそうに見える笑顔を浮かべていた。
- 211 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:37
-
「向こうが謝ってきてね…そんでなんとなく話しだしたんだ。
顔つきが少し似てるのもあったんだけどね……きっと雰囲気が似てたんだと思う」
「雰囲気?」
「そう……ふられたあの人の……なんだろう、哀しさかな?
それがね……梨華ちゃんを想う拓巳さんと、どっか似てみえたんだ……」
「…うん」
そう頷きかけてくれる梨華ちゃんは、優しい微笑みから泣き顔に、崩れていってしまいそうだった。
大丈夫だから、って、そんな思いで茶化すように──ウマくできてるかは判らないけど──声を出した。
「そんな顔しないでよ、梨華ちゃん」
「ん…ごめん。続けて?」
「うん。あの人はごとーのこと知らなかったの」
「知らなかったって…“後藤真希”だって?」
「そう。ただの、一人の女の子として、好意を持ってくれた……
でも、ごとーには、そうじゃない部分もあって……だから賭けをしたの」
「賭け?」
「なんにも言わないでコンサートに呼んだの。ただチケットを渡して……最後まで観てって。
ごとーのことを知ってもらって、きっと色々あるかもしれないけど……」
「それでも好きって言って欲しいよね……。それでその人は?」
「うん。ごとーでいいって。……ごとーがいいって、言ってくれた。すっごい嬉しかったー」
「うん」
- 212 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:38
-
こうやって思い返せば、その分、一緒についてくる。
あの瞬間のドキドキする気持ち、好きだって言ってくれた喜び、抱きしめられた腕の温もり。
そして……心がバラバラになりそうな痛みだったり、息をするのも苦しくなるような罪悪感だったり。
でも、それだって、真人に感じさせた痛みの、苦しさの、どれほどにもならないだろうって思った。
「それなのに、その時ごとーは……まだどこかで拓巳さんの影も見てたんだ」
「………」
「拓巳さんみたく、ヘアスタイル変えさせたりして……バカみたいでしょ。
でも、逢えば逢うほど違うのが判って……そんなの当たり前だよね」
ほんと、バカみたいな話。
バカみたいな自分。
- 213 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:38
-
こんなくだらない話を聞いている梨華ちゃんは、まるで自分が感じてるみたいに苦しげな表情をしている。
「そうだね…」
「……知れば知るほど好きになっていったの。だから…言い訳にしかなんないけど…元の、あの人らしくいて欲しいって言った。
あの時……ちゃんと話せばよかったのかもしれない……今日…あれ、見られちゃって……」
そういってバッグに目線を遣ると、それだけで梨華ちゃんは判ってくれたみたいで。
バッグの中に収まっているはずの“それ”を見ているように呟いた。
「外してなかったんだ……」
「ごめんね」
「ううん。わたしでもそうだったって、思うもの」
「別に意識して外さなかったワケじゃない、と思うんだ……」
「うん。なんとなくだけど…解る気がする」
「それで、すっごい哀しそうな顔で『誰といたんだ?』って……なにも言えなかった。
違うけど、違わないでしょ……全部ホントだもん……全部…ぅ」
堪えきれなくて、溢れた涙が手の甲に落ちた。
その上に、そっと重ねられた、手があったかかった。
涙のカーテン越しに見えた梨華ちゃんの顔は、ごとーを鏡に映したみたいにポロポロと涙を流してた。
- 214 名前:walking proud 投稿日:2006/07/15(土) 22:39
-
- 215 名前:匿名 投稿日:2006/07/15(土) 22:41
- 今日はここまでです。
今日は、と言っても、もう残りもほとんどないですけど(笑)
次回で、終わりかな。
やはり一週間“あたり”を予定して(^^;;;
ではでは。
- 216 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/07/16(日) 00:40
- 更新乙デス。
うわぁ、何か切ないデス……
- 217 名前:41 投稿日:2006/07/16(日) 02:51
- 更新乙でした♪
次が、もう最終回ですか・・・
正直、終わってほしくないです(笑)
このドラマを見続けていたい気持ちが強いですね。
一週間“あたり”をお待ちしております(笑)
- 218 名前:亜希 投稿日:2006/07/16(日) 16:50
- 読みながら泣いてしまった。゚゚(´Д`。)°゚。
次回で終わりとかorz
41さんと同じで、終わってほしくないですw
- 219 名前:匿名 投稿日:2006/07/22(土) 21:47
- >>216 名無飼育さん
レスいただきまして、ありがとうございます。
>>217 41さん
毎度ありがとうございます。
終わって……それはどうもです(^^;)
まぁ、終わらなければ次もこないということで。
>>218 亜希さん
毎度ありがとうございます。
あや……□ヾ(^^) 涙を拭いて。
「さあ、もう大丈夫、僕はここにいるよ、おいで、踊ろう」(違)
……最後でボケてしまった。
さて、最後です。
- 220 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:47
-
- 221 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:48
-
「おはよー」
「あっ…おはようございます」
この挨拶から始まって、なにかヘンだなって思うことばかりだった。
──“あっ”ってなにさ、“あっ”って……
そりゃ普段から、すごく仲がいいって方じゃないけど、それにしても。
なんだろう……?
なにか様子がおかしいって、そんな気がしてならなかった。
なにか知ってたり気がついたりしてないかと思って、カオリやよっちゃんに聞いてみたけれど、別に思い当たる節はないらしい。
- 222 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:48
-
収録の合間、隣に腰を下ろした裕ちゃんに聞いたときのことだった。
「なんやろぉな。ん〜……」
そう言うと、少し考えるふうに眼を閉じて、カシカシと頭をかいて。
で、なにか思いついたみたいにパッと目を開けてこう言った。
「抱えきれんよぉなことなら、誰かに相談するんとちがう?」
「ん〜……」
「気になるんやったら、聞いてみたらいいやん。その方がなっちらしいわ」
「らしいってどーゆー意味さ」
言葉の裏になにか感じて、頬を膨らませて不平をならした。
すると裕ちゃんは「んな顔しいな」って頬をつつき、笑いだした。
「自分で気になったこと、ほっとくタイプちゃうやん。昔っからそうやったやんか。
ただそれが自分だけやなくなってきて……いいんとちゃう」
ニヤって笑ってそれだけ言うと、ひらひらと手を振りながら行ってしまった。
大人の余裕みたいな、そんな表情で、いつまでも変わらず接しながら、なにかを教えてくれているようだった。
だから、仕事終わりの帰り際、鞄を抱えた梨華ちゃんを掴まえて、喫茶店へ連れ込むことにしたの。
- 223 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:49
-
そして今。
目の前で、眉をハの字にして、困ったように俯いている梨華ちゃん。
「なんかなっちに……か、メンバーみんなに? 隠してることない?」
「いえ……」
「そりゃあなっちはもうじき卒業して、娘。じゃあなくなっちゃうけど。
でも、その後だって梨華ちゃんとは仲間だと思うし、なっちじゃ頼りになんかなんないかもしんないけどさ」
「そんなことっ……思ってないです」
「そ? じゃあどうしちゃったのさ。なんか散漫っぽいよ?」
「あの……」
「ん?」
「安倍さんは、この後空いてますか?」
そう少し顔を寄せて話す梨華ちゃんは、ちょっと表情が変わったようだった。
それまで、困ってるのか、迷ってるのか、昔の梨華ちゃんに戻ったような顔つきから、なにかを決意した表情に。
- 224 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:50
-
なっちも今までの、どこか冗談交じりに聞こうとしていた態度を改めて、同じように顔を寄せて返事を返した。
「大丈夫だけど、どうしたの?」
「っ……」
「……梨華ちゃん?」
「………」
決めたのだろうけど、それでも迷いがあるのか、梨華ちゃんは口ごもっている。
きっと話してくれるって、そう信じて梨華ちゃんが口を開くのを待った。
「………」
「………あの」
「うん?」
「昨日の夜、ごっつぁんがウチにきたんです」
「ごっつぁん? ――あっ」
それで解った。
きっとあのことだって。
なんでなっちに連絡くれなかったのかは解らないけど、きっとそうだ。
- 225 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:50
-
「――? 安倍さん、なにか聞いてたんですか?」
「聞いてたっていうか……あの、カレのこと?」
「そうだと、思います。怒らせちゃったんだって、そう言ってました。安倍さんは詳しく知ってるんですか?」
「そんなでもないけど……ごっつぁんは?」
「今日は一緒に出て、別の仕事だから別れましたけど」
「そっか……」
「……今日も、仕事終わったらウチにきます」
なっちの考えを見透かしたみたいに、梨華ちゃんは先回りして教えてくれた。
それは真剣な顔つきで、ほんとにごっつぁんのことを心配してるんだなって思う。
「安倍さん、ごっつぁんに言ってあげてください。諦めないでって」
「うん。役に立てるかなんて解んないけど、なっちも行くよ」
- 226 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:51
-
そして二人でタクシーに乗り、梨華ちゃんのマンションに向かった。
そこでごっつぁんを待つ間に、梨華ちゃんが知っている限りの事情を聞かせてくれて。
梨華ちゃんがお茶の支度をするといってキッチンへ立った後、一人で色々なことを考えていた。
しばらくして誰かの来訪を告げる音色が響き、インターフォンで受け答えをする梨華ちゃんがこっちに目線を流してくる。
それに指を口に当てて合図をすると、一言二言話したあとインターフォンを置いた梨華ちゃんが戻ってきた。
「……安倍さん、あの──」
躊躇うようにしていた梨華ちゃんが、何か言いかけた時、玄関のベルが鳴った。
出しかけた言葉を飲み込んだ梨華ちゃんが玄関へ迎えに出ると、二人の話す声が聞こえてきた。
- 227 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:52
-
「っ!? ……なっち」
背中を押されながら入ってきたごっつぁんが、驚きながら梨華ちゃんを振り返った。
その表情は見えなかったけど、梨華ちゃんの済まなそうな顔を見れば大体は解る。
「なっちが強引に聞いてきたの。梨華ちゃんのせいじゃないんだからね」
「……梨華ちゃん、これ、昨日は色々ありがと」
なっちが言うまでもなく、梨華ちゃんがそうした気持ちはごっつぁんだって解るに決まってる。
だから、ただそれだけ言って小さな紙袋を梨華ちゃんに手渡して、項垂れるみたいに腰を下ろした。
梨華ちゃんがなっちに会釈してキッチンへ戻るのを見届けてから言葉を選ぶように切り出した。
「久しぶり、でもないか」
「……うん」
「あのさ……なっちはなんの役にも立てなかったのかな?」
「え?」
さも意外そうに、俯いていた顔を上げて小さな声をもらすごっつぁん。
- 228 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:52
-
「そりゃあなにも出来ないけど、拓巳さんとの時だって、結局……」
「ちがっ、違うよっ」
「でもね。その人のこと、ごっつぁんが楽しそうに話してたの、すっごい嬉しかった」
「なっち……」
「ごっつぁん良かったぁ、って。前みたいに笑えてるんだね、って。
それが感じられてホントに良かったって、そう思ったんだよ?」
「もう終わっ──」
「それでいいの?」
ごっつぁんの口から、その言葉を聞きたくなかった……言わせたくなかった。
だから言葉を打ち消すように、強く、声を重ねた。
「だって……電話にも出てくれない。メールの返信もこない。知ってるよね?
当たり前だよ。あんなヒドイことしちゃったんだもん……嫌われちゃったんだよ」
「そんなの判んないっしょ。会って、ちゃんと話してみないと判んないよ?」
「もういいってば」
「諦めちゃうの?」
「だから──」
「拓巳さんの時とは違うって、なっちは思うよ?」
「………」
「自分の心を抑えて……諦める必要なんてないんじゃないのかなぁ?」
「あの時、なっちが言ってくれたんじゃん……もうやめた方が、ってさ」
少し苛立ったようなごっつぁんの声。
思い出す……自分の言ったこと、自分のしたことを。
- 229 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:53
-
「そう言った。でも、なっち今でも解んないだよ」
「……なにが?」
「あの時、確かにそう思ったの。その後がどうなるかなんて解らないけれど……
壊れちゃいそうなごっつぁんを見てられなかったから」
「………」
「梨華ちゃんや拓巳さんの為には、その方が良かったのかも……でも。
ごっつぁんの為に、本当にあれで良かったのか、今でも解んないの」
「なっち?」
「なっちが余計なこと言わなければ、もしかしたら……」
「違うよぉ、そんなことない。あれは……ごとーが間違えてたんだよ」
「今度は……あの時とは違うと思わないの? 諦めちゃって平気なの?」
「……自分が悪いんだもん」
霞んで消えていってしまいそうな、儚げな笑顔だった。
なにか言わなきゃって、そう思って口を開きかけた時だった。
「ダメだよっ!」
- 230 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:54
-
急に掛けられた声に振り向くと、キッチンから出てきた梨華ちゃんの姿。
「諦めちゃ……ダメだよ」
「梨華ちゃん……」
「だってごっつぁん、そんな顔してるじゃん! そんな顔して……諦めるなんて、そんなのおかしいよ」
今までなにも言わずに聞いていたんだろう梨華ちゃんは、涙でくしゃくしゃになった顔でそう叫んでいた。
この娘だって悪くない、ごっつぁんだって、ちょっと間違えちゃっただけで悪いワケじゃない。
きっと心の奥にある自分を責める気持ちに、いてもたってもいられなかったんだろう梨華ちゃんに近づいて、宥めるように抱きしめた。
「梨華ちゃん…。解るから、ね? 大丈夫だから」
- 231 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:54
-
静かに、子供をあやすようにポンポンと背中を叩いていると、なっちよりも少し上にある唇が、ほぅって小さく息を吐いた。
少し落ちついた梨華ちゃんは、大きな声を出したことを恥じるような表情で、スンと鼻を啜って話し出した。
「あ、安倍さん……わたしが言えることじゃないのなんて解ってますけど、でも……
でも……ごめんなさい。…お茶、入れ直してきます。氷、溶けちゃった」
言いかけた言葉を、グッと飲み込んで、またキッチンに戻っていった。
少し小さく見えるその背中を見つめて、どうにもやるせない気持ちにさせられた。
――“言えない”ことなんてないよ、きっと
そして、二人に……自分に言い聞かせるように「大丈夫」って口の中で呟いた。
- 232 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:55
-
たてる足音さえ邪魔であるように、静かに、膝を抱えて顔を隠しているごっつぁんの隣りに腰を下ろした。
なにも言わずに、ただその頼りなく丸められた背中に手を廻して、消えてしまわないように掌に力を込めた。
そうしていると、梨華ちゃんがトレイにグラスを二つ載せて戻ってきた。
それを黙ってジッと見ていると、静かにグラスをテーブルに置いて、ちらっとごっつぁんに目を遣って。
そしてなにか訴えるようになっちを見つめてきて……またキッチンの方へ歩いていった。
──心配なんだよね
なにも言わなかったけど、これだけは解る。
泣いてる姿を見られないように、顔を隠し、声を殺して泣いている、この小さな背中をなんとかしてあげたい。
なっちも、梨華ちゃんも、ただそれだけなんだよね。
- 233 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:55
-
「なっち?」
抱き寄せた身体越しのくぐもった声。
鼻にかかった声は弱々しくはあったけれど、それまでよりもほんの少しだけ“力”を感じる声だった。
「んん?」
「どーしたらいいの?」
「…そーだねぇ。……ごっつぁんはどうしたいのさ」
伏せたままで聞き取りづらいけれど、伝わってくる“ごっつぁんの声”に、あえて曖昧な答えを返す。
きっと、他人の口から出された答えじゃ、違うって思うから。
ちゃんと、その答えはごっつぁんが出さなければ意味がないんだって、そう思う。
- 234 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:56
-
「……ぃ」
「うん?」
「逢いたいよ……」
「そっか」
「逢いたい…逢いたいよぉ」
涙で濡れた顔を上げて、聞こえてきたその声は。
今までよりも鮮明に聞こえてきたその声は。
ただ純粋にごっつぁんの心を映しだしてるんだなって感じた。
だからなっちは言ってあげるんだ。
「なら逢わなきゃ嘘だよ」
「……うん」
「なんとかしよ?」
「……うん」
この迷子になった子供みたいな泣き顔を、いつもの笑顔にしてあげたいって、心からそう思う。
もう一度キッカケを……ほんの少しでいいから、二人の時計を巻き戻せるだけのなにかを。
そのわずかな糸口でも見つけてあげたい……。
- 235 名前:間奏4 安倍なつみ 投稿日:2006/07/22(土) 21:56
-
- 236 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 21:57
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- 237 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 21:57
-
去年の今頃……なにをしていたっけ
あれは確か……
そうだ、二人で買い物をして、色々と準備を整えて
楽しい夜を過ごしたっけ……
今になってこんなことを思い出すなんて
煌びやかな光の残る夜の街を、タクシーの中に一人で
急に懐かしく浮かび上がる思い出は……
少しあったかくて、それでいて情けない話
もう戻れない……戻る必要もない
ただの昔話
- 238 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 21:58
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- 239 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 21:58
-
『サヨナラ……』
自分で口にした言葉なのに、こんなに胸が痛むのはどうしてなんだろう。
「出逢えただけで奇跡みたいなもんだ」、なんてことを声に出してみても、なんの意味もないことだった。
──苦しい
彼女からくる電話にも出ないクセに。
彼女からのメールも読まないクセに。
自分でそうすることを決めたクセに。
それなのに……苦しい。
あの一言を残して彼女から逃げた──そう、逃げたんだ──、あの後。
それこそ逃げるように部屋にこもって、かといってなにをするでもない、無為な時間を過ごした。
一睡もできないままに、惰性で仕事へ行き、身の入りようがない仕事ぶりを叱責されながら夜を迎えた。
- 240 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 21:59
-
そんなどうしようもない、クソッタレな夜に鳴り響く携帯。
液晶に表示される愛しい名前は遅効性の毒のように、じわじわと心も身体も蝕んでいくようだった。
「勘弁してくれ……」
自身を浸蝕する想いに電話に出ることも出来ず、かといって着信を拒否することも出来ずにいる。
ただ鳴り響く携帯を……表示されるその名前を見つめているだけだった。
そうしているうちに、電話に出ることも出来ない俺に代わって、無機質な声が気持ちを代弁してくれるんだろう。
- 241 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 21:59
-
そんなことが二度、三度と繰り返され、同じ表示を繰り返していた液晶が、気持ちを理解したように表示を替えた。
登録してあるアドレスからではない、覚えのない番号だった。
訝しく思いながらも通話ボタンを押したのは、ただの気まぐれで、出ずに放っておくつもりだったはずなのに。
Pi
「……はい?」
『藤原、真人さんですか?』
聞き覚えのない声。
でも、どこかで引っかかる。
惹きつけられる声だった。
- 242 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 21:59
-
「はい……あなたは?」
『安倍なつみといいます。解りますか?』
「………」
『後藤真希の友達だといえば解りますか?』
「……あぁ」
──安倍なつみ…なっち
さほど興味はなくとも、聞き覚えくらいはある。
不思議とそれほどの驚きはなかった。
普通に考えればあり得ないことだけど、今までのことだって充分にそうだったのだから。
- 243 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:00
-
『それなら用件も解っていただけますか?』
「さぁ……解らないですね」
『もう一度会ってあげてください。それで話を聞いてあげてください』
「……それだけですか?」
『え? …お願いできますか』
「はい」と言うと思ったような期待に満ちた声だった。
だけど、また会うと言えるくらいなら電話に出ずにいることもなかったんだ。
「必要ないと思います」
『そんなっ──』
「少なくともこっちにはないですから」
期待に反した言葉に落胆し、その分大きくなった声に、冷水を掛けるように。
出来る限り冷淡な声で。
抱え込んだ感情に投げ込まれた石、それによって跳ねた雫の一つすらもこぼれて伝わらないように。
- 244 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:00
-
『解りますけど……でも、誤解なんですよっ』
「そうでしょうか。別に誤解でも、そうじゃなくても、もう構わないですから」
『っ……ごめんなさい。ちょっと待ってください……』
そう言い残して急に静かになった。
──いったい何だってんだ
人の事なんだから放っておけばいいだろうに。
そう思う半面、電話越しに伝わってくる声の、その真剣さみたいなものを感じたのも事実だった。
この電話だって、今この瞬間にも切ってしまえばいい。
そう考えていながらも、それも出来ないでいる。
──こんなんじゃなかった……
自分はこんなんじゃあなかったはずだ。
彼女に出逢うまでは……こんなんじゃあなかった。
- 245 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:01
-
『もしもし?』
「……はい」
『……お願いします』
「………」
『ごっつぁんに会ってあげてください』
「………」
『お願いですから……』
「なんで……」
『え?』
「なんでですか……他人事でしょう? なんでそんなに」
『話したら会ってあげてくれますか?』
「……どうですかね」
『あの子が……ごっつぁんが、どんな想いでいたのか知ってるから……』
「………」
『ごっつぁんが、どれほどの想いでその恋を終わらせたのか、そばでみてたから……』
「………」
『そのごっつぁんが、あんな顔して…笑ってたの。嬉しそうに、笑ってた……』
「………」
- 246 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:02
-
黙って聞いていたその真剣な声が、少し途切れがちになったようだった。
途切れる声の隙間に、聞こえてくる微かな音が、電話の向こうで泣いているってことを知らせてくれる。
『ぜんぶ、藤原さんのおかげだって…思うから』
「………」
『ずっと、そんな風に……笑って、いてほしいんです』
「………」
『だから──』
「明日……」
『えっ?』
「明日の夜、最後に会ったあの席で待ってます。そう伝えてください」
『……ありがとうございます。あの──』
- 247 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:02
-
Pi
これ以上、何かを言われる前に電話を切った。
ありがとうなんて言われる資格はない……。
あの時間を許せないでいる自分に、彼女を想って泣いてあげられる人から感謝の言葉なんて……
──今の俺には受けられない
考えて、考えて、眠れぬ夜を考えつくして出た結論。
それは理論や熟考からではない……ただ身体に満ちている感情が、押し出すようにして表れたものだった。
- 248 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:02
-
そして翌朝。
丸二日、ほとんど寝ていないのに、不思議としんどさなど感じなかった。
前日よりもしんどくなっていいはずなのに、滞ることもなく仕事を終えて、約束の場所へ向かった。
もう二度と行くことがないと思っていたあのファミレスへ。
- 249 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:03
-
今まで使っていた時よりも、若干早い時間のせいか、店内は少し混みあっているようだった。
が、幸いにも“あの”席は空いているようで、近寄ってくるウエイトレスに「あそこ、良いですか」と指差す。
一瞬怪訝そうな顔をされたが、空いてる席も多くはなかったのでさしたる問題ではないのだろう、希望通りの席に通された。
しばらく待って、置かれたコーヒーに口を付けて、胃を刺激する感覚に初めて気がついた。
今日は食事を摂っていなかったことに。
かといって、何かを頼もうという気にもなれず、キリキリと痛む胃に神経をやらないように、この後のことを考え出した。
──彼女は何を話したがるんだろう
そんなことを考えながら、相応の時間が過ぎ、店内の人気が減りだした頃。
頼んであった三杯目のコーヒーと一緒に彼女が姿を現した。
初めて会った、あの時と同じ服だと思った。
同じようにサングラスをかけて……まったく違う声で挨拶をしてきた。
「…ひさしぶり」
- 250 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:03
-
たった二日だ。
だけど…それでも、その真希の言い様は、的を射てるように感じた。
「……そうだね」
だから、素直にその気持ちのままで言葉を返すと、真希はふっと弱く笑って小さく頷いた。
注文を取ろうとしたウエイトレスに「後で」とだけ告げた真希は、静かに向かいに腰を下ろした。
「はぁ……」
「………」
気持ちを落ち着けようとするみたいに深く吸った息を、少し俯いてゆっくりと吐き出した真希。
そして意を決したように顔を上げ、正面から俺の目を見て、強い意志の力で作ったような微笑みをみせ、ポツリと一言口にした。
「ちゃんと、全部聞いてくれる?」
「……聞かせてもらう」
「うん」
そして、改めて深呼吸を一つしてから、ゆっくりと話し出した。
- 251 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:04
-
「あたし、ごとーまきは一昨年の春、一人の男の人と知り合ったの。大切な友達をとおして。
その人はとっても優しくて、人の気持ちを思いやってくれる人だなって思った。
なんで? って、不思議に思うくらい、すぐに好きになってた。」
「………」
「でも……だけど、ごと−じゃない、別の女の子……ごとーの大切な友達を想ってる人」
「っ……」
何か言おうと開きかけた口が、彼女の表情を見て言葉を止めざるを得なかった。
真希のその目が「ちゃんと聞いて」と訴えかけていたから。
「それが解ってて…色々あったけど付き合ってもらえるようになった」
「………」
「多分、ごとーのことも好きになってくれてたんだと思う。うぬぼれかもしれないけどねぇ」
「………」
そう言って笑う真希は、とても儚げで、弱々しく、今にも霞んで消えていってしまいそうだった。
- 252 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:05
-
「でも、心の奥に、大事に抱えた……鍵を掛けてしまい込んだ想いがあるのも解ってた」
「………」
「だから……その人から離れたの。やっぱ好きな人には幸せになってもらいたいじゃん」
「………」
「ごとーがそう出来れば良かったんだけどさ……ごとーは違ったから」
「………」
「それが二年くらい前」
「………」
「初めて会った時、覚えてる? あの川辺のベンチのトコで」
「……あぁ」
「あの時、なぜだか急に思い出しちゃって……あそこにいたら……」
「………」
「真人と出逢ったの」
「………」
「顔つきも少し似てたけど、それよりも……どっかが凄く似てるって思った」
「………」
「それから、逢えば逢うほど、似てる部分を感じて……ごめんね」
「っ……もう、いいよ」
「真人にあの人を重ねてた……本当にごめんなさい」
「………」
「でも、真人はあの人じゃあないから……」
「………」
「深く知れば知るほど、あの人じゃあないって解った」
「………」
「それで気づいたの」
「……なにに?」
目線と、短い言葉で問い掛ける。
それに一つ頷いて、それから小さく首を振って、真希は話を続けた。
- 253 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:05
-
「真人“が”好きだったんだって」
「………」
「二年も、忘れてた、塞いでた気持ち。誰かをこんなに好きになるって」
「………」
「真人が優しかったから……また人を好きになれたって思うよ」
「………」
「ありがとぉ」
「え?」
「だから、ごめんなさい」
「な、なに──」
「真人を傷つけて、ごめんなさい……」
今にも壊れてしまいそうな表情で、そう告げた真希は、席を立ち去っていった。
その表情に気がついて、とっさに伸ばした俺の手は、彼女の腕に届かずに虚しく空を切り、何もない空間を彷徨っただけだった。
痺れたように動かない身体を、無理矢理に引きずって家に帰った。
ただ、ボロ雑巾のようになった自身という存在を、捨てるように倒れ込んだことだけは覚えていた……。
- 254 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:05
-
- 255 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:06
-
翌朝。
いや、正確には、もう朝ではなかったのだけれど。
目を覚ました時、外に陽の光はなかった。
「金曜……仕事、…休んじまったか」
一番に頭に浮かんできた“そのこと”を打ち消すように、意図的に口に出して呟いた。
が、そう意図したことが忘れてなどいないということだと、嘲笑うように頭の中は昨日の光景で埋め尽くされていく。
──なんてこった
前よりもひどくなっている。
無断欠勤をした仕事のことなんてどうでもいいくらいに。
身体中、心の隅々まで、一つの存在が埋め尽くしているみたいだった。
- 256 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:06
-
──真希
苛々する……のとは少し違う。
心がざわついて、落ち着かない。
心の向きを無理にねじ曲げて、仕事を休んだことの言い訳を考える。
──なにも考えられない
思考が纏まらない。
ねじ曲げた方向がブーメランみたいに戻ってくるのが解る。
──でも、どうしようもない
一旦、考えることを諦めて、壁に掛かった時計に目を遣った。
時間は……八時を少し過ぎたところだった。
──もういいじゃないか
無理矢理にそう思うようにして、気持ちを落ちつかせる意味も込めて熱いコーヒーをいれることにした。
- 257 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:07
-
が、コーヒーが満ちるよりも早く、携帯が着信を告げる音色を響かせた。
もしかしてとの期待は一瞬だけで、ディスプレイに表示されるのは数字の羅列に過ぎなかった。
「はい?」
『安倍です。ごっつぁんになにを言ったんですかっ?』
──安倍? あぁ……
「なにって……なにも言わせてもくれなかったですよ」
『なにも……?』
「一方的に謝られて……話すだけ話して……」
──伸ばした手は届かなかった
『あの子、また……』
「……また?」
『あっ……ううん』
「どういうことです?」
電話の向こうで言い淀んだ安倍さんに、少し強めに問い掛けた。
- 258 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:08
-
『……多分、前もそうだったんだと思うの』
深くしまい込んだ記憶を掘り起こすような、そんな空気を纏った声だった。
『その時は、確かになっちもその方がいいって思った……だけどっ』
初めて聞いた時と同じ、自分以外の誰かを思い遣る、そんな強さと優しさを持った声。
- 259 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:08
-
『今、どこにいます?』
「え? ……家ですけど」
『テレビつけてください。10チャンネルで』
「? ……はい」
──ミュージックステーション?
あまりよくは知らない歌手が歌い終え、コマーシャルに入るところだった。
「これが……?」
『ごっつぁんが出てます』
「………」
『多分、次辺り、出番だと思う』
「……あっ」
- 260 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:08
-
コマーシャルがあけて、パンと画面に映し出されたMCの二人と、彼女……真希。
薄く笑いながら受け答えをしている彼女の、その綺麗なブラウンの髪が。
小さな頭から背中にかかる艶のある髪が……肩の辺りでバッサリと切りそろえられていた。
『どう思いますか?』
「……え?」
『ごっつぁんのこと。……どう思いますか?』
「………」
何一つ、責めるような素振りなどない安倍さんの言葉。
だからこそ逆に、心の中まで切り込まれているような感覚を覚える。
淡々と……時に柔らかな笑顔を見せながら画面に映っている真希。
その短く揃えられた髪を呆然と見ていた。
- 261 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:09
-
『ごっつぁんのこと……キライですか?』
「………」
『そんなに許せないんですか?』
「………」
『………』
「安倍さん」
『…はい』
「彼女…何時に仕事終わるか解りませんか?」
『藤原さん…』
「もう一度……どうなるにしても、ちゃんと話したいんです」
『調べてみます。少し時間かかるかもしれないけど、折り返し電話しますから』
「お願いします」
『じゃあ』
「あっ」
『はい?』
「ありがとうございました」
『い〜え、なんも。……じゃあ』
そう締めくくられた電話の切り際に、微かに微笑むような気配が混じる。
その時、少しだけ、真希を羨ましいと思った。
- 262 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:09
-
そうして電話を待ちながら、ちらちらと画面に映る真希を探していた。
時折画面に入ってくる後ろの席の彼女は、その表情に全く色を感じさせない。
なにを考えて、なにを想っているのか……ただ無表情に、どこを見るでもないような視線を投げていた。
そうしているうちに、番組はエンディングを迎え、舐めるように出演者を移っていく映像の中に、また真希の姿を映し出してくれる。
笑顔を見せてはいるけれど、それがどこか“違う”と感じるのは俺だけなんだろうか。
どこか弱々しく、どこか哀しそうにみえるのは……。
──どうしようってんだ?
自分は……どうしようというのか。
もう一度逢って、なにを話そうというんだろう。
切り落とされた髪は自分なのではないのか。
髪を切るという行為で、決別を済ませたんじゃあないのか。
- 263 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:10
-
心の中の、もう一人の自分が囁きかけてくる。
『もういいんじゃなかったのか』
──そう、もう…いい、んだ
『逢う必要なんてないだろう』
──逢う必要なんて…ない
『お前は裏切られたんだよ』
──裏切られた…本当に……? あれは……
無用なループを繰り返しそうな自問自答の中で、なにかに手が届きそうな……
その瞬間、鳴り響いたメロディに、掴みかけたなにかは蜃気楼のように姿を消してしまう。
なにが惜しいのかすら解らないままに落胆しながら電話に手を伸ばした。
- 264 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:10
-
「はい?」
『安倍ですけど』
「あぁ。はい、わざわざすいません……解りましたか?」
『それが……Mステ、ミュージックステーションで終わりだったみたいなんですけど……』
「? …けど?」
『もうずいぶん前に帰らせたって…あ、マネージャーさんに聞いたんですけど』
「え? いま……十時過ぎ!?」
『はい?』
「いや。えっと……」
知らぬ間に、流れていた時間に驚かされた。
それにしても、とっくに帰ってるって……?
- 265 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:10
-
『携帯、繋がらないんです。電源切ってるんじゃないかと思うんですけど……』
「家にはいないんですか?」
『ええ…お母さんがでたんですけど、まだ帰ってないし、なにも聞いてないみたいで。
ヘンな心配かけちゃうとあれだから、あまり深くも聞けなかったんで』
「そうですか……」
『あの……?』
「ありがとうございました。ちょっと出てきますから」
『えっ……?』
「“散歩”、ですよ」
『…あっ……よろしくお願いします』
自分が、どこまでその気でそんなことを口にしたのか、自分でも解っていなかった。
けれど……
けれど“散歩”に行こうと思ったのは事実だったから。
携帯と財布だけをポケットにねじ込み、ヘルメットを抱えて、シャツを一枚羽織り部屋を出た。
- 266 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:11
-
エンジンの吹け具合を確かめるように走らせながら思う。
これだけ明確に目的地が決まっていて、そのくせどうしたいのかがハッキリ決まっていない。
そんな今一つ煮え切らない中で、気がついたことが一つあった。
身体が勝手にアクセルを開けたがっている。
頭で考えていることや、心の表層とは違う結論を、身体が表していた。
これはきっと、心の奥底と繋がっている部分。
──焦れてる…?
その瞬間だった。
右曲がりのカーブ、いつの間にか出し過ぎていたスピードに、グリップがついていかなかった。
ずるずる滑り出した後輪に、アクセルとブレーキを必死にあわせた。
- 267 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:11
-
「……っ!?」
どうやら運が良かったらしい。
歩道に乗り上げる衝撃と同時に、前輪がガードレールの支柱にぶつかり、跳ねるようにして止まった。
派手にクラクションを鳴らして通り過ぎていく車を見ながら、大きく安堵の息を吐き出した。
「はぁ……」
傷のついた車体の脇に座り込み、乱れた息を整えながら、なんでこうなったのかを考える。
無意識にアクセルを開けていたのは何故だったのか。
こんな何の変哲もないカーブで転けるほど、なにをそんなに焦っていたのか。
「……ふぅ」
その答えなんて既に出ているのに。
心が認めて浮かび上がらせた答えを、頭が無理に拒もうとしているだけだった。
- 268 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:12
-
──解ってる
「解ってるんだよなぁ……」
愚痴でもこぼすように、口に出して呟いてみる。
そしてゆっくりと立ち上がり、擦れ、汚れたジーンズをはたいて、少しずつ身体を動かし、具合を確認する。
「ツイてるんだ、ツイてないんだか……」
一部がボロ切れのようになったジーンズとシャツのお陰で、ちょっとした擦り傷程度で済んでいるようだった。
一声気合いを入れて起こしたバイクを確認すると、こちらも似たり寄ったり。
至る所に傷こそ付いているものの、走れなくなるような問題はなさそうだった。
「かかれよ…」
小さく呟いて、恐る恐るエンジンを回した。
一度、二度、空回るような音が響き、三度目で満足いく手応えが返ってきた。
「よしっ!」
自分の感情と重なるように息を吹き返したバイクに跨り、今までよりも明確になった目的地を目指して走り出した。
- 269 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:13
-
一時の焦躁が嘘のように、妙に落ちついた気持ちで走ること十数分。
いつも使っていた脇道が見えてきたけれど、今日だけはそこは使うことはない。
だいぶ遠回りになってしまうけど、一つ先の脇道までバイクを走らせて、川縁の細い道に突き当たるところでエンジンを切った。
さすがに十一時ほどにもなると、こんな道を歩いている人間もいるもんじゃあない。
月明かりがあるとはいえ辺りは暗く、ろくに手入れもされていない街灯がポツリポツリとあるだけなのだから。
でもきっと、そんなところだから彼女はいるんだろう。
今はそう……解る気がする。
何度か見かけたことのある自販機で、適当に選んだ缶コーヒーを買い、一息に飲み干した。
一息ついて、空になった缶コーヒー手の中で遊ばせながら、静かに、ゆっくりと歩き出す。
自分を埋める感情を…浮かび上がる言葉を整理しながら、一歩ずつゆっくりと歩く。
- 270 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:13
-
そうやってゆっくりと歩いていくと、数個先の街灯の下に、今まで歩いてきた中にはなかった情景が目に入ってきた。
遠目にハッキリとは識別が出来ないけれど、間違いないと解る。
込み上げる感情を抑えるように、今までにも増して静かに歩を進めた。
頃合いを見計らって、手の中で遊ばせていた空き缶を地に置くと、数歩後退って小さく呟いた。
「…頼んだ」
大きく三歩踏み込んで、一気に右足を振り抜いた。
足の甲に感じる硬質な感触は、上手く飛んでいくだろうと確信させてくれた。
僅かな間をおいて、響く空き缶の音。
そして、聞き覚えのある愛らしい声。
奇妙に昂揚した感覚を覚えながらも、小走りに距離を詰めながら声を掛けた。
- 271 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:14
-
「すいません大丈夫でしたか? こんな時間に人がいると思わなかったから」
確かこんなことを言ったはずだった。
ベンチに腰掛けていた彼女は、ジッと見つめていた空き缶から顔を上げて、驚いたように俺の事を見ていた。
そんな真希を見つめながら、何も言わずにベンチに──微妙な距離を意識して──座り込んだ。
ビクッと身体を震わせた真希は、何も言わずに避けるように背を向けてしまった。
「………」
「………」
「………」
「……なんで」
沈黙に耐えきれず、先に口を開いたのは真希の方だった。
背を向けたままで、口の中で消えていきそうな小さな声だった。
- 272 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:14
-
「なにが?」
「なんで来たの?」
「さぁ。……あぁ、テレビ、観たよ。生放送の」
「………」
「………」
「……怒ってるんでしょ」
「そう思う?」
「……うん」
「どうだろう……とにかくちゃんと話したかったんだ」
「………」
言葉は返ってこなかったけど、少しこっちへ向き直るようにした真希の横顔は、なにかに怯えているように見えた。
本当ならば、正面から目を見て話しをしたいけれど、今はまだこれでもいいと思い直す。
- 273 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:14
-
「あんな一方的なのは納得出来ない」
「……ごめんなさい」
「それを責めるつもりなんてない。ただ…聞きたいだけなんだ」
「なにを…?」
俺の言葉の中になにかを感じたのか、真希はほんの少しだけこちらに顔を傾けて問い返してきた。
こんな話、きっと嫌な話に決まっているけれど、聞かなきゃどうにもならないんだ。
「あの日…あのライブで、真希のことを“知った”日。
あの時、あの駐車場で、好きだって言ったのは……“誰”に言ったんだ?」
「っ……」
想像通り、一瞬引きつったその表情は、とても辛そうなものだった。
だけど……聞きたい。
聞かなけりゃ……
- 274 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:15
-
「ハッキリ言ってくれて構わない。聞かせてほしい」
「……わかんない」
「“俺”に対してじゃあない。そう思うべき?」
「…ホントに、わかんないの……」
強く首を振りながら、困惑したように言う真希。
きっと“解らない”ってのは本当なんだろう。
でも、気づいてない……その“解らない”って答えの裏側には、肯定の姿があるって。
- 275 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:15
-
「もう一つ。俺の部屋に来てくれたあの日。食事を作ってくれたあの夜……」
項垂れていた彼女の、そのか細い肩が小さく揺れたのが解った。
聞かずに済ませることが出来るなら、俺だってそうしたかった。
けれど、聞きたくない答えでも……知りたい。
「……拒まれたのは“その”せいだった……?」
「………ぅ」
「え?」
小さく何か呟いた。
- 276 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:16
-
真希の肩は小刻みに揺れ続けている。
そしてその声も。
──泣いて…いる
「ちがうの……」
「……真希」
零れる涙を手の甲で拭いながら、今度はハッキリと言った。
違うと……。
- 277 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:16
-
「ちがっ…こわかっ……怖かった」
──怖かった…?
「な、なに…が? 俺が?」
その問いに、ぶんぶんと激しく、否定の意を表すように真希は首を振る。
俺は困惑して、その様子を見つめながら、黙って真希の言葉の続きを待った。
- 278 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:17
-
「真人に…っ、まだ話してないこと、が…あるの……」
「…聞かせて」
しゃくりあげながら、途切れ途切れの真希の言葉。
俺は心の中で、希望と絶望の天秤を揺らしながら、その話がどちらへ荷重をかけるのかを怖れた。
「あの人…た、拓巳さん……とのこと。……はぁ」
しゃくりげていた呼吸を整える為か、それとも何某かの覚悟を決める為なのか。
真希は深くゆっくりと溜息のような呼吸を一度、それから俯いた顔の前であわせた指先を見つめながら話し出した。
- 279 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:17
-
「…前に話したこと……」
「あぁ」
「……付き合うようになれて、しばらくした頃…だった。拓巳さんを通して、あの娘が……
自分で、…勝手にそう思って……ごとーだけを見てほしくって……」
「………」
「でも……、っぅ…だけど、……そんなの意味なかった……
ただ、あの人も自分も…苦しくなるだけでしかなくて」
「………」
それは血を吐くように苦しげな告白だった。
というよりも、彼女の“懺悔”であったのかもしれない。
その華奢な身体に、長い間抱え込んで解き放ってやることができなかった心の欠片。
彼女が…真希がどう苦しんでいたのが、今この場にいる俺にも伝わってくるほどの咽び声だった。
- 280 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:18
-
「だ、だからぁ…っ、こわかった……」
「……え?」
「また、……そうなるかも、しれないって…思って」
「そ、そんなの……全然、違う話じゃないか」
「わかってるっ」
自分の気持ちに困惑するように首を振りながら真希が叫んだ。
それは、そんな考え方は、あまりにも……そう、強迫観念、というものだろう。
けれど、逆に考えれば、それほどに追いつめられなければならない気持ちってものは、どれほどのものだったんだろう。
真希は頭を抱え込むように髪に指をすべり込ませて、一転して囁くように小さな声で言葉を重ねた。
「……そんなのわかってる」
- 281 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:19
-
「でも…こわかったの」
「そんなこと……」
「また、同じに……したくなかったのぉ」
「………」
「苦しめて…苦しんで……」
「………」
「き、嫌われたくなくて……好きって、気持ちで…縛りつけるみたいな」
「………」
「そんなの……」
自分の傷を抉るように話す声に堪えきれなくなった俺は、彼女の言葉の途中で、痺れたように重くなっていた腰を上げた。
抱え込んでいた気持ちの、言葉の重さに疲れた顔をした真希は、小さく肩を震わせながら俺を見ていた。
「そんなこと……もういい」
話しながら一歩二歩と歩き、上体を傾けて蹴り飛ばした空き缶に手を伸ばした。
少しヘコんだ空き缶を拾い上げ、真希へ向き直って言葉を続ける。
「もう過ぎた話、だろ」
- 282 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:20
-
「……そう、だね」
打ち拉がれたように肩を落とし、諦めきった表情で俯き肯定の言葉を返す真希。
彼女は俺の言葉の一面に気を向けて、先に続く言葉を想像したんだろう。
──そう、それは過ぎた話だ
- 283 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:20
-
「もう一つ、いいかな」
「……ん」
スンと鼻を鳴らせて、細い指で涙を拭いながら、真希が短く応える。
昔のことはいい。だったらあれは……?
「俺と初めて会ったとき、覚えてる?
「お、覚えてるよ。……忘れるわけない」
「あの日から、ちょうど一週間、かな。夕方、キミを見かけたんだ」
「……?」
赤い目をした真希が俺を見つめているのが解る。
俺は目を合わさずに話を続けた。
- 284 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:21
-
「名前はなんてったかな、雰囲気のいい喫茶店に入ってった。
誰かと待ち合わせだったみたいで……声もかけられなかった」
「あっ……あれは――」
「あれが、そいつ?」
答えを知りたがる自分が、急かす心が彼女の言葉を遮った。
「ううん、違うよ。信じてもらえないかもしれないけど、違う」
そう話す真希の表情はとても淋しそうに見えた。
その言葉にどう返したらいいのか詰まった俺を、違うように解釈したらしい真希が話を続けた。
「あの人は……ごとーなんだよ」
- 285 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:21
-
「……え?」
比喩的な表現だとは解ったけれど、それがなにをどう現しているのかまでは繋がらなかった。
「あの人は、ごとーが好きになっちゃった人の親友で、ごとーの大切な仲間で、大切な友達を好きになっちゃった人」
「それって……」
「間違っちゃったもん同士、友達になったの。でもね、別にくっついたりしたんじゃないよ?
……って説明しても、ははっ……もう、関係ないんだよね」
「そう、だな。……関係ない」
――そう、そんなことはもう関係ない
- 286 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:22
-
昔のことも関係ない。
真希の言葉を信じて、新しく始めればいい。
過ぎてしまったのは真希と彼の話だ。
俺は……新しい始まりの為の、ほんのちょっとしたきっかけを作ろう。
- 287 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:23
-
手にした缶を押しつけるように地に下ろし、数歩先に見える真希の足元へと蹴り出した。
軽く跳ねてころころと転がった空き缶は、僅かにいびつな動きをみせながらも彼女の靴に当たって止まる。
力なく俯いていた視界に、それが入ったんだろう。
少し身体を起こした真希は、不思議なものでも見るような目で足元の缶を見つめていた。
「これが始まりだった」
そう口にすると、空き缶を見つめる真希の表情に追憶の色が浮かびあがるのが解った。
そんな表情を見せられた俺は、心の何処か奥の方の、とても大切な部分が刺すように痛むのを自覚する。
- 288 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:23
-
──だったら素直にそれに従えばいい
まるで神聖な誓いの儀式であるように、彼女の眼前にそっと手を差し伸べる。
それに気がついた真希が、そっと、俺の顔色を窺うように視線を上げる。
俺はその目をまっすぐに見つめ、ゆっくりと口を開いた。
- 289 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:24
-
「真希……“俺”と付き合ってくれないかな」
「………」
聞こえてきた言葉に驚いたように、忙しなく視線を彷徨わせる真希。
余計な誤解をさせないように、俺は言葉を選びながらゆっくりと続ける。
「最初から、やり直そう。っと……ゴトウマキが好きです」
「……だって」
真希は自分の耳にした言葉が信じられないって顔で、どうしていいのか解らなさそうに頼りなげに口を開く。
俺はただ、精一杯シャンとした顔を作り、間違っても怒っているなどと受け取られないように努めて、優しく響くように気をつけて言葉を続ける。
- 290 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:25
-
「イヤかな?」
「……でも」
真希はふるふると首を振って、それでも躊躇いがちに何かを伝えてこようと口を開きかける。
「手っ」
「…え?」
言葉を遮るために、短く出した言葉。
聞き取れなかったのか、何のことだか解らなかったのか、問い返してくる真希。
「イエス? ノー?」
「あっ……」
答えを急かすように、伸ばした手を小さく揺すり、どちらか二択の返事を求めた。
- 291 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:25
-
「あの…あたし……」
「これまであったこととか……もうそんなんどうでもいい。今、真希はどうしたいのかが知りたい。
もしも嫌ならば、それは仕方がない。でも、だけど……少しでも、もう一度って“ある”んだったら……」
そこまで口にして真希の答えを待った。
俺の手を見つめる真希の動きに、彼女の迷いが表れている。
膝に置いたバッグの上で、組んでいた手を浮かせて、伸ばしかけた手を強く握る真希。
その躊躇うように浮かせ、握りしめられた手が小さく震えていた。
- 292 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:26
-
「……!? あっ!」
吸い寄せられるようにして細い手首を握りしめていた。
互いの距離を埋めたくて華奢な身体を引き寄せていた。
小さく声をあげた真希の顔を、より近い距離で見つめながら、もう一度だけ、答えを乞う。
「嫌なら振り解けばいい。そうじゃなけりゃ……」
「ヤ…じゃない……イヤじゃないよぉ」
治まりかけていた嗚咽に邪魔されながら、途切れ途切れにそれだけ言った真希が、一息で残った僅かな距離を埋めた。
ありったけの力でしがみついてくる真希は、顔を隠すみたいに俺の胸に額をあてながら、泣き声の隙間に言葉を絞り出した。
- 293 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:27
-
「いいの? ……あたし、好きでいいの?」
「ずっと、そうでいてくれればいいな」
真希は言葉の代わりに、胸に押しあてた頭を擦り付けるように頷いた。
「ごめんね…ありがとぉ。……大好き」
「俺も。一時メチャクチャなくらいに腹立ったけど……それって、それだけ好きってことだってこと。
意固地にならないで認めちゃえば、こんな……泣かせなくても良かったのにって」
「………」
「もしかしたら、喧嘩もするかもしれないけど……それでもずっと真希がいいな」
「…うん、あたしも」
「ずっと…出来るだけ一緒にいよう」
「うん……あっ」
「なに?」
- 294 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:27
-
何かに気がついたような真希の声に、少しだけ身体を離して問い返した。
真希は背中に廻していた手を俺の胸に当てて、笑いを抑えるような声で呟いた。
「……汗のニオイ」
「うぁっ、ごめん」
慌てて離れようとした俺を、真希の腕が引き止める。
「なに?」って真希をみてみると、ふにゃっとした独特の笑顔が返ってきた。
「気になんない」
そう言って、柔らかな腕を首に絡めて、飛びつくみたいに抱きつかれた。
俺は少し考えて、彼女の腰に腕を廻して、遠慮がちに抱きしめた。
「ならいいか……」
「あはっ…いいよ♪」
「ははっ……」
- 295 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:27
-
………
……
…
- 296 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:27
-
- 297 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:28
-
俺は、凍てつくほどに冷えて、固く閉ざされたシャッターを前に、打ち拉がれた気分で肩を落としていた。
よりによってこんな日に……今日、何度目かの溜息を、白く形に見えるほど寒々しい街に吐き出した。
「はぁ……やばい。どうしよう……」
大体こんな忙しい時期に、こんなイベントがある方が悪いんだ。
などと思っていても埒もないことだった。
冷たいシャッターに背を預け、数時間前を思い返した。
- 298 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:28
-
そもそも、あのハゲ課長に肩を叩かれた時、嫌な予感がしたんだ。
「可愛いあの娘が待っていますから」……キッパリそう言えたらこんなことにはならなかっただろうに……。
あの日の無断欠勤を根に持たれ、ことあるごとに残業を押しつけられていた俺だけど。
なんの言い訳も出来ない、自業自得なだけに逆らえるはずもない。
日頃面倒を見てくれて、ちょくちょく助けてくれる先輩も、今日、この夜だけは、さすがに手伝ってはくれなかった。
済まなそうに手を合わせて「ごめんね。今日は彼と約束があるから」だそうだ。
そして「頑張って終わらせて、彼女のトコ行ってあげなね」と、言い残して帰って行った。
終業のチャイムに肩を落としてノートパソコンに向かい合って、泣きたい気持ちになった。
それに輪をかけて、離れた席で、ハゲ頭がこっちを窺っているのを見て、更に暗鬱な気持ちになった。
──これじゃあ電話もできやしねぇ
俺に出来ることは、精一杯早く、目の前の仕事を片づけることだけだったんだ。
- 299 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:28
-
「後は任せたからな」と言って、課長が会社を後にした時には、既に八時をまわっていた。
足音が遠ざかって、聞こえなくなったのを待って、大慌てで携帯を取り出して彼女へかけた。
その間もキーを叩く手は休めずにだ。
『今…ドコっ?』
開口一番この言葉だ。
何処も此処も……嘘をついてもすぐバレるのは目に見えていた。
仕方なく正直に話すことにしたんだ。
「……会社」
『なんでー?』
あぁ、怒ってる。
声が怒ってるよ。
- 300 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:29
-
「ごめん。課長に捕まって……」
『ごとーだって一所懸命仕事終わらせてきたのにぃ……』
「いや、だから……ごめん、もう少しで片付くから」
『特別な日なんだよ……?』
そうだろうね。
女の子には、こういう日はえらく大切なんだ。
解ってはいるんだけど……。
「うん。だからものすげぇ急いでやってるんだってば」
『……早く帰ってきて』
幾分、声のトーンは柔らかくなったけれど、それでも微妙に責められているような気分は抜けなかった。
だから俺は、電話の向こうにも伝わるように、想いを込めて言った。
「ホントにごめん。なるべく急ぐから……大好きだよ」
『……うん』
電話の向こうで照れている彼女の顔が目に浮かぶようだった。
が、かくいう俺も、顔が熱くなるのを自覚はしていたんだけれど。
電話の切り際に、何かもう一言二言忘れているような気がしたが、目の前の仕事をやっつける方を優先すべきだろう。
そう考えて黙々と仕事に取り組むこと一時間と少々。
くそう、時間かかった……
やっと会社を出て、通りかかったタクシーに飛び乗って、そこでやっと気がついたんだ。
──しまった……
- 301 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:30
-
しばらく冷然と立ち塞がるシャッターを眺めていたり、無駄だと解っていながらもシャッターを叩いたりして……今に至る。
腕時計に目を遣り、やるせない気持ちのままで、タクシーを拾いなおして帰路についた。
ラジオから流れる、まるで気持ちを逆なでするような曲に小さく舌打ちをした。
「雨は、夜更け過ぎに……何に変わるんだったっけ?」
運転手がちらりとこちらを窺うのが視界の隅に見えたけれど、何かを言われる前に窓の外に目を向けた。
──雪でも降ってくれれば、多少は……なぁ
街を彩る煌びやかなイルミネーションが心に痛く染み込んでくる。
目的の品は手に入らないのに、派手に飾り付けられた街並みは、人の気持ちなんてお構いなしに輝いていた。
そんな通りを抜けて、俺の気持ち同様に暗くなっている道を走り、小さなマンションの前で車を降りた。
見上げた窓、その部屋の暗さに落ち込みようが激しくなる。
「帰っちゃったり……した」
階段を駆け上がり、鍵を開けて、そっとドアを開く。
下から見上げた通り、部屋の中は暗く人の気配がない。
「ただいま……」
待つ人が居なくなったかも入れない部屋に向かって、恐る恐る声をかける。
- 302 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:31
-
「うわっ!?」
部屋に上がった瞬間に、何かが弾けるような音に驚かされた。
同時に部屋の明かりが灯り、音の正体が目の前で複雑な表情を浮かべていた。
「あっ…待っててくれたんだ」
「おそーい」
ぷうっと頬を膨らませ、鳴らせたクラッカーを投げつけられた。
俺はとっさに胸元で受け取ったそれをしげしげと眺め、ぽいっと放り投げてから深々と頭を下げた。
「ごめんなさいっ」
「もういいよ……まだ二十四日だし」
大袈裟なほどの勢いで謝られて、逆に困惑したように許しをくれる真希。
が、俺はもう一つ、大事なことを謝っているんだった。
- 303 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:31
-
「いや、その……プレゼント、頼んどいた店が閉まっちゃってて……」
弱々しくなっていく言葉尻にあわせて、真希を窺い見る。
呆れたように一つ息をついた真希は、声のトーンを一つ下げて重々しく口を開いた。
「目ぇ閉じて」
「……はい」
素直に言うことを聞く以外に何が出来ただろう。
何の反論もせず、言われた通りに目を瞑った。
- 304 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:32
-
「じゃあ歯食いしばってね」
「……はい」
──マジですか?
そう思いつつも、一発叩かれて機嫌を直してくれるならと、覚悟を決めてみる。
そんなに強くはこないだろうなんて甘いことを考えながらも、食いしばった歯がギリっと軋む気がした。
「いくよぉ?」
まさかグーで? とか若干身を固くして、その瞬間を待つ。
目を閉じた向こうで、手を振りかぶるような気配を感じた。
- 305 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:32
-
──えぇ…?
「へへへ……簡単に引っ掛かりすぎだねぇ」
柔らかく笑う声に目を開く。
俺が喰らった打撃は、予想していたよりも遥かに甘い。
そして温かくて柔らかい唇だった。
- 306 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:32
-
「……やられた」
「そんな怒るわけないじゃん」
「………」
「イブの夜、一緒に過ごせればそれでイイの」
「……はい」
「じゃ、座って。色々準備したの。温め直すからっ」
「あっ、ちょっと待って」
「え? な――」
- 307 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:33
-
呼び止められて振り返った真希の開きかけたくちびるに、そっと触れるように自身のくちびるを合わせた。
閉じたくちびるを合わせながら、真希は驚いたように目を見開いている。
硬直している背中にそっと手を廻して、一つ先のキスをした。
「……おかえしされちゃった」
静かに身体を離すと、真希はそう言って背を向けた。
- 308 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:33
-
また伸びてきた髪から微かにのぞく耳朶が赤く染まっているのに気がついた。
コートと上着を脱ぎながら愛おしい背中を見つめ、自然と浮かびあがる笑顔で考える。
──ずっと…いつまでもこうしていたい
大晦日も正月も、春も夏も秋も、今年は一緒にいられなかった彼女の誕生日も。
ずっとそばで──まぁ、仕事で無理なことも解っているけど──笑いあいたい。
ずっとずっと、いつまでも、何度でも、特別なキスをしよう?
- 309 名前:Hard Days, Holy Night. 投稿日:2006/07/22(土) 22:33
-
- 310 名前:匿名 投稿日:2006/07/22(土) 22:40
- 『Love Song 2 〜Chain of Love〜』
これで終了とさせていただきます。
最後まで読んでくださった方へ感謝を。
少しいいわけを(^^;)
もともとはあるところでの連載(少しずつ書いては送る)でしたので……
えらく季節ハズレな話になりました。
夏に出しても、冬に出しても微妙に季節ハズレ。
かといって、さすがに冬まで引っ張るのは(汗)
ですので、そのあたりはご容赦ください。脳内補完でよろしくお願いします。
えー……では。
またいつか。なにか載せるかもしれません。
その際はよろしくお願いします(笑)
- 311 名前:41改めTACCHI 投稿日:2006/07/23(日) 01:53
-
おつかれさまでしたm(_ _)m
僕は、あるところで小説を書いている者です(笑)
最初、この小説が始まり前作も読んでいたのでとても
嬉しかったです。しかも、僕の気になっていたごっちんのその後を
書いてくれるなんて、ホント嬉しかった。
そして、話の毎回のクオリティの高さに感動と驚きでいっぱいでした。
最終回ですが…塩水が目から流れ出ました(笑)
僕も、こんな作品が書けるように頑張ります!!
ありがとうございました、そしてお疲れさまでしたm(_ _)m
あ、後日談とか書かれないんですか?(笑)
- 312 名前:亜希 投稿日:2006/07/23(日) 18:28
- お疲れ様でした
読んでて涙が止まらない・・・・
やっぱりハッピーエンドが一番ですよね
前作はごっちんかわいそうな役でしたけど
今回は梨華ちゃんに負けないくらいの幸せ者でよかった
大きい壁を乗り越えた二人はきっと幸せになれますよね?
そう信じたいです
またいつか・・・作者さんの作品が見たいです!
- 313 名前:名無しごっちん(88) 投稿日:2006/07/23(日) 22:33
- 完結おつかれさまでした。
感想を書きたいのですが、ネタバレしちゃいそーなんで一言。
最初ドキドキ、中盤ハラハラ、最後ほわっとしました。(なんじゃそりゃ)
なんか続きが読みたくなる作品でした。
- 314 名前:匿名 投稿日:2006/08/11(金) 21:14
- スレッド整理……もう少しここを埋めたい感じでしょうか。
SSサイズぐらいでなんとか考えようかな。
>>311 TACCHIさん
最後までお付き合いいただけて感謝です。
もうお解りかとも思いますが、そういうことで。
お名前に記憶があったので……
あそこ、だいぶ前に知ってはいたのですが、マークして忘れていました(^^;)
どうぞよろしくお願いします。
>>312 亜希さん
最後までお付き合いいただけて感謝です。
ええ、二人は幸せにやっていますよ(笑)
またなにか書く……というか、載せることがあったら、よろしくお願いします。
>>313 名無しごっちんさん
最後までお付き合いいただけて感謝です。
個人的にはネタバレ等、あまり気にしないのですが(爆)
普通にIE等で読まれている方は、やはり難しいのでしょうね。
もし後日談でも書けましたら、その際はよろしくお願いします。
前のヤツの後日談だったら、作者フリーにあるんですが……皆様はあそこも見てるのかな。
- 315 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/15(火) 18:39
- >>314
作者フリー見てるよ
こっちの後日談書いてほしいなー
- 316 名前:匿名 投稿日:2006/08/18(金) 22:55
- おぉ、読んでくださってますか。どもです。
なんかまぁ、色々あるようですが、それはそれ、これはこれ(笑)
パッと何かが降りてきたらチャッチャと書きたいと思います。
- 317 名前:匿名 投稿日:2006/08/21(月) 18:21
- ↑と書きはしたものの、どう続くのか思い浮かびません(^^;)
他のメンバー向きの話は降りてくるんですけどねえ……ごっちんごっちん……
- 318 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/22(火) 19:16
- >>317
wがんばれ
- 319 名前:ダイコン 投稿日:2006/08/23(水) 00:07
-
段々と夏も終わりに近づいていく夜。
チャイムの音に開けたドアの向こうで、両手に買い物袋を下げた真希が笑っていた。
「あっ、早い」
「そ? お腹減らしてるかなぁと思ってさ」
「ありがと。そりゃ減ってるけど、がっつくほどでもないかな」
「そーなの? じゃあそれなりに作るから、いい子にしててね」
「はいはい」
そそくさとキッチンへ向かう真希を見送りながら、ひっくり返ったパンプスを揃えた。
買い物袋を床に広げ、なにやら人の冷蔵庫へポンポンとしまい込んでいる真希に背中に問いかける。
「なにをそんなに買ったワケ?」
「や〜、色々とねぇ。こないだきたときカップラーメンなんて食べてたじゃん」
「まぁそういうこともある」
「良くないよ。ふせっせーっだよ」
「不摂生ねぇ……そうだけどさ。二人で食べるときはともかく、一人んときは面倒になってきてさ」
「あはっ、ダメじゃん。男の人ってのは……しょーがないねぇ」
- 320 名前:ダイコン 投稿日:2006/08/23(水) 00:07
-
昔はそうでもなかったハズなんだけど、どうにも甘えるクセがついてきてしまっている。
もちろん、やれないわけじゃない。実際、俺が作って二人で食べるということもある。
が、一人のときには面倒に感じてしまうだけの話だった。
「いくつか仕込んどいて、チンすれば簡単にできるよーなの、冷凍庫に入れといたげるからね」
「ういっす。お世話になります」
「はいはい、じゃあ美味しいもの作るから、向こうで座って待っててね」
押されるようにリビングに追いやられ、感謝しながらも苦笑い。
聞こえてくる鼻歌と、トントン、ジュウジュウ、気持ちのいい音が聞こえてくる。
一人で座っているけれど、聞こえてくるそれだけで二人でいる楽しげな気分にさせてくれた。
よほど色々作ったんだろうか、それなりの時間が過ぎた頃、大きなトレイを持った真希がリビングへ入ってきた。
「凍らせるものはあっちで冷ましてるトコだからね。今日はこんな感じ」
そう言いながら、トントンとテーブルに並べられていく料理。
山盛りのご飯、ぶり大根、大根と鶏肉の、なんだろう、少し辛そうな噌煮込みかな、おまけに大根サラダ。
あさりとニラの入った和え物? おぉ、みそ汁まで大根……。
- 321 名前:ダイコン 投稿日:2006/08/23(水) 00:08
-
「…………」
「どうしたの?」
「妙に大根ずいてるのね」
「……あはは、安かったからさ、つい」
なるほど、買い物上手なワケね。
並べられた品々を見て、そこで急に思いだしたことがある。
少し前にテレビで見たことを。
「大根……真希」
「え?」
「ダイコンマキ。思いだした」
「……な、なんで知ってんのっ!? だってライブでしかやってないし、きてないじゃん!」
慌てて早口になり、微妙にドモリながら真希が言う。
そうか、知らないと思ってたのか。
- 322 名前:ダイコン 投稿日:2006/08/23(水) 00:09
-
「行ってないけど。ホラ、スカパー入ったじゃん?」
「あっ……」
どうやら思いだしたらしい。
しかも彼女の希望もあってのアンテナ設置だったのだ。
よほどあの姿を見られたことが恥ずかしいのか、おかしいくらいに頬を赤らめてわたわたと挙動不審な動作を繰り返す。
こうなると、日頃からかわれたり悪戯をされることが多いだけにやりかえしたくなるってものだ。
「大根、ダイコンね……ぷぷっ」
ワザとらしく呟いてみては楽しんでいると解るように笑ってみせる。
- 323 名前:ダイコン 投稿日:2006/08/23(水) 00:09
-
「もういいってば! あ〜、ほんとヤっ。暑くなってきちゃった」
朱に染まった頬を隠すように手を当ててみては両手でパタパタと扇ぐ仕草。
そんな真希をニヤニヤと見つめている俺を見て、更に恥ずかしくなったらしく顔を覆ってしまった。
「あははっ、可愛いんでやんの」
「もうっ! バカぁ、早く食べなさぁい!」
ついに堪えきれなくなったんだろう、投げやりな言葉でごまかしてきた。
いい加減こっちも楽しんだし、そろそろ違う楽しみに切り換えさせてもらうことにした。
「ほーい。いただきまっす。……あっ、うまっ♪」
ダイコン……美味しく頂きました。
- 324 名前:匿名 投稿日:2006/08/23(水) 00:13
- 急に思い出しました。ダイコンマキ(苦笑)
んー、ショートショートですね(^^;)
もしご存じでない方は『ダイコンマキ』で検索してみてください。
どっかに画像も転がってると思います。
またなにか降りてきたらいいな。
>>318 名無飼育さん
頑張ってみましたがこんなもんでした(汗)
また頑張ってみようと思います_| ̄|○
- 325 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/23(水) 18:18
- 更新乙です
だいこんマキ・・・w
生でもスパかーでも見れた私は幸せだったなー
気が向いたときまた書いてくださいね
待ってます
- 326 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/08/25(金) 02:10
- 今さらここの小説読みました!
気づくのおせー
まじでいいっす作者さん!
これからも更新期待していいですか?
ごっちんが幸せそうなら何でもいいですw
楽しみにしてます!
- 327 名前:匿名 投稿日:2006/08/25(金) 23:36
- 更新じゃないんですが、ちょっと確認しにきたのです。
だもんでレスだけ(^^;)
>>325 名無飼育さん
おー、当たったんですね。すごい。
なんか風の噂ではスタンディングは結構な修羅場だったとか。大丈夫でしたか?(笑)
気だけは常に向いているので、神が(ネタが)降りてき次第で。
>>326 名無飼育さん
読んでくださって、レスまでしていただけるのは、いつでもありがたいことです(笑)
幸せそうならですか……
きっと不幸にしようとすると、また無駄に長い話になるので、幸せな話にはなると思います(^^;)
次回なにか書くのは、ここか、別にスレッドお借りするかどちらかで。
ではでは。
- 328 名前:TACCHI 投稿日:2006/09/13(水) 04:05
- 更新されてることに今さっき気づいて慌てて読みましたw
教えてくれないんだもんなぁ〜wwwあそこで、教えてくれてもいいのに(汗)w
今度の話もいい感じですね♪
あそこでも、こんな話しいっぱい書いてくださいねw
あと、梨華ちゃんと拓巳さんの話しも書いてくれたら幸いです(^^;)
- 329 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/16(土) 19:11
- ごっちんの誕生日には何か書いてほしいです
- 330 名前:匿名 投稿日:2006/09/17(日) 03:38
- なにかレスがついててビックリ。
>>328 TACCHIさん
いえ、あそこで告知するようなものでもないので(^^;;;
石川さんたちの方は……はて。
>>329 名無飼育さん
もうじきですねえ。
なんとかしたいとは思います(^^;;;
- 331 名前:匿名 投稿日:2006/09/23(土) 22:06
-
「そんな顔しなさんなって」
「っても眠ーい」
「はいはい。これ背負って」
「んもー。せっかく休みなのに朝早くに起こされて、荷物まで持つのー?」
「どうせバイクなんだからいいだろ? ほれ。いくぞ」
よく寝ていた真希を無理矢理起こして連れ出したのは午前八時を半ば過ぎた頃だった。
前日から内緒で用意していた荷物を背負わせて、しっかりと整備したバイクに乗せて走り出す。
目的地までは多少遠回りになっても、混まずにスイスイと走っていける道を選んでいく。
時折後ろを振り返り、間違っても寝てやしないだろうな、なんてからかうように話をしながらの道程だった。
「なーに? 公園……?」
「そう。今日の目的地」
「……ふーん」
せっかくの休みに朝早く起こされて……って言いたそうだけど、これからだから。
真希に背負わせていた荷物を手に園内を奥へ奥へと歩いていく。
朝も早い園内は人気も少なくて、チラホラと見える人影も、まず真希の事なんて知らないであろう年配の人ばかりだった。
だからこのこの場所を選んだんだけどな。
- 332 名前:匿名 投稿日:2006/09/23(土) 22:06
-
しばらくの間、大きな池に沿った園路を歩いていくと少しばかり木々が深くなってくる。
そこであえて園路から外れて木々の間を縫うように木立の中へ踏み込んでいく。
後でなにか言いたげにしている真希を、時折振り返ってはなだめるように笑ってみせて。
しばらく歩いたところでふいに木々が開けた場所に出た。
「今日はここでゆっくりすごそう」
「……こんなトコあったんだ」
真希にとって都心から僅かな距離で、これくらい落ち着いた雰囲気に浸れる場所はそうはないだろう。
ここにしたってこの時間、この場所だからこそこうしてゆっくりしていられる条件が揃うんだから。
木々の隙間から見える大きな池に野鳥の姿が見え、木々の隙間から木漏れ日が差し込む。
穏やかな風が過ぎていく空間に大きなレジャーシートを広げて、その上に柔らかなタオルケットを重ね敷いた。
「ほい、座った座った」
「うん」
「たまにはいいっしょ。こんなのも」
「いーね。んー……。なんか癒されるよねえ」
ポスッと腰を下ろした真希が大きく伸びをして深呼吸を一つ。
隣に座った俺は後ろ手に体重をかけて木々の隙間から空を見上げた。
そう広い空じゃあないけれど、そこから見える空は人工物のない自然な空。
真希を同じ姿勢で空を見上げながら「青空だね」と呟いた。
しばらくそうやってポツリポツリと言葉を交わして静かな時間を共有していた。
- 333 名前:匿名 投稿日:2006/09/23(土) 22:07
-
「さて。ちょっとここにいてくれる?」
「んぁ? なに、どこいくの?」
「ちょっと荷物を取りに」
「……へえ?」
「いいからいいから。すぐ戻ってくるから」
不思議そうな真希を残して歩いてきた道を小走りに戻っていく。
公園の入り口にある建物の中で、頼んで置いた荷物を受け取って、帰りは少し慎重に急いで歩く。
カサリと踏みしめた草の音で、寝ころんで待っていた真希が身体を起こした。
「うわっ、どーしたのそれ」
「そろそろお腹減ってきたっしょ?」
「うん。そりゃそーだけど。にしてもさ、こんなとこでピザ頼めるの?」
「お任せあれ」
事務所の人に頼み込んで無理矢理頼んでもらったデリバリーを片手に小洒落たポーズを取ってみせる。
クスクス笑う真希の横に座って、ピザとサラダ、ポテトにドリンクまで広げてささやかな朝食会。
- 334 名前:匿名 投稿日:2006/09/23(土) 22:08
-
空腹が満ちていくのに合わせて二人の口も滑らかに動くようになり、くだらない話で盛り上がっては声を上げて笑いあった。
すっかり空になったデリバリーのパッケージを片づけて、もう一つ、少し小さな箱を差し出す。
「あっ! ケーキ!?」
ちょっとテンションの上がった真希に笑いながらも、頷いて蓋を開けてみせた。
二人だけだから大きくはないけれど、なかなか凝った造りの美味そうなケーキだろうと思う。
真希の表情を見れば、彼女もそう思ってくれてるであろうコトは解る反応だった。
風を遮る位置に移って、立てたロウソクに火を付けた。
嬉しそうに笑う真希に、下手くそながらも歌を歌い出すと、クスリと笑いながら合わせて手を叩きだした。
「♪ ハッピーバースデイ トゥ ユー」
歌の終わりに合わせて、笑いを堪えながらも一息に火を吹き消した真希。
俺も顔が赤くなりそうなのを我慢して、テンション上げめで拍手をした。
「おめでとっ!」
「へへへ♪ ありがと。なんか嬉しーね、やっぱさ」
照れ臭そうに話す真希にケーキを切り分けて、想像以上に美味だったケーキに舌鼓を打ちますます笑顔になった。
すっかり満ち足りた気分になってもらえたようで、また大きく伸びをした真希が息をつきながらゴロリと寝転がる。
それを見た俺も同じように横に寝ころんで、二人並んで空を見上げる。
- 335 名前:匿名 投稿日:2006/09/23(土) 22:09
-
すっかりくつろいで、風の音、鳥の鳴き声、木の葉の揺れる音に耳を澄ませていると、ふいに右の手にやわらかい感触に包まれた。
なにも言わず、黙ったままで軽く手を握った。
しばらくそうしていると、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきた。
ここまでリラックスしてもらえるなら、それはそれで気分がいいもんだ。
夕方には真希の家でパーティがあるらしいからゆっくり休んで、そしてそのときにプレゼントを渡そう。
部屋の机に仕舞ってある小さな箱を脳裏に思い浮かべて。
それを渡した真希の反応を想像して頬が緩むのを意識した。
初めて一緒にいられる真希の誕生日。
いつまでも、ずっと覚えていられるような、そんな素晴らしい日になるかなって、そう思える始まりだった。
- 336 名前:匿名 投稿日:2006/09/23(土) 22:11
- ごっちん21歳おめでと記念。
間に合ったぁ……。
けど、間に合わせただけな感じがバリバリ出てますね(^^;;;
まぁ、書くって言った分は書いたんで、こんなとこで。
ではでは。
- 337 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/24(日) 18:31
- 更新お疲れ様です
ごっちん21歳かぁ・・・早いものですよね
- 338 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/09/25(月) 21:57
- 更新おつかれさまです。
もう21歳なんですね。
最後の1スレを読んでると、非常に続きが読みたくなりますね。
- 339 名前:名無飼育さん 投稿日:2006/11/14(火) 18:53
- また更新してほしいなー
- 340 名前:匿名 投稿日:2006/11/18(土) 22:34
- >>337
レスありがとうございます。
すっかり大人になっちゃっいましてねぇ。
でも、かっこかわいい方がいいなぁ……とか。
>>338
レスありがとうございます。
最後の一レス……実家でのくだりとか、箱の中身でしょうか。
設定はあったんですけど、思いのほか長くなりそうだし、間に合う気もしなかったので(^^;;;
今さら誕生日について……書けないですよねぇ(苦笑)
>>339
レスありがとうございます。
この続きを、ですか? 無いとは言いませんが。
手元に構想があるわけでなし(^^;;;
このシリーズの続きは準備中ですけど。
どうなるにしろ、またいずれそのうちに(^^)
- 341 名前:『いつかの未来に夢を見る』 投稿日:2007/06/26(火) 21:48
-
「ほんと、びっくりだよねえ」
「そうだね」
「あのつーじーがだよ、あのちっちゃいのが春には……、びっくりよ」
「うんうん」
そう返事こそしても俺は会ったこともないしなあ。
あのって……まあテレビで見た限り、そう言いたくなるのも無理はないだろう印象だっけ。
「……おーい」
「なに?」
「なんかてきとーに聞き流そうとしてない?」
「いや、別にんなこたあないけどね」
「けど?」
「俺に言われてもなあ。いわば写真でしか知らない真希の友達の話を聞かされてるだけだし」
「そうだけどさあ…」
不服そうに呟く真希が頬をふくらませる。
子供っぽい仕草を見たのは久しぶりのような気がする。
けれどこういった様子を見せてくれるのは甘えてくれてるからなのかと思えば嬉しくもある。
- 342 名前:『いつかの未来に夢を見る』 投稿日:2007/06/26(火) 21:50
-
「ねっ、ねっ」
くるりと変えた表情で、子犬がじゃれついてくるときのような関心を惹く声。
この表情は…なんだったろう、何度か見た記憶のある種類の表情だけど。
「真人さ」
「…なんだよ」
「こども、嫌いだっけ?」
「……な、なんでよ」
「いいからっ。好き? 嫌い?」
「き、きら――」
「嫌いなのお!?」
「ばっ、違う。嫌いじゃないけど、って」
「あー、そっか。よかった」
「よかったって……。ど、どうしてよ?」
「やー、ほら、やっぱ欲しい? とかさあ」
な、なんだこの会話は。
ものすごく心拍数が跳ね上がるんだけど。
- 343 名前:『いつかの未来に夢を見る』 投稿日:2007/06/26(火) 21:52
-
「仮定、だよね?」
「かてい? 家庭に入ってほしーの?」
「いや、待て。そうじゃなくって。あの……そうっ、例えばの話だよね?」
「あー、そうだよ。なんだ、ちょっと焦っちゃったじゃんかあ。
仕事辞めて欲しいなんて言われたら困っちゃうもんね」
「真希が好きでしてるんだから、それを辞めてくれなんて言うつもりはないよ」
っていうか、焦ったのはこっちだよ。
まさか、そんな……ねえ。
「でもダメだからね」
「え?」
「赤ちゃん」
「そんなの――、あ、当たり前だろ。だって――」
「まだ、ね」
「……はい?」
「いつか、そのときにはー、元気な赤ちゃんバンバン産んでみせるからねぇ」
肩をぶつけるように寄せてあどけなくすら見える笑顔で真希はそう言った。
な、なんだよ、そのときって。バンバンって……。
あれ? もしかして、もう俺の将来決まってる?
そんな未来を想像してみて思う……悪くないなあ、ってね。
- 344 名前:匿名 投稿日:2007/06/26(火) 21:57
-
……勘弁してって方もおられるかもしれませんが。
そこはほら、夢想みたいなものですから。
ということで。
こちらのスレではまたいつか。
- 345 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/07/19(木) 18:41
- 更新お疲れ様です!
ずっと待ってましたよ〜
つーじーに引き続き飯田さんも・・ですからね
ホントびっくりです
- 346 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/12(水) 19:08
- 9月23日…書いてほしいなー
- 347 名前:『Smile for the Moon』 投稿日:2007/09/23(日) 23:30
-
「あれ? ウソ、来てたの!?」
「お疲れさまでした」
派手に汗をかき頬を紅潮させた彼女が、後ろ手に閉めた扉の前で目を見開いた。
そりゃ来るさ。
自分の誕生日ならともかく、真希の誕生日なんだから。
来たことを意外がられ、ちょっとしかめた顔のままでそう話すとへにゃりと力の抜けた微笑みを返された。
この笑顔がたまらなく好ましいものだって知っていてされるんじゃないだろうか。
そう勘繰るほど、絶妙なタイミングでこうして真希は笑う。
けれど……
その笑顔だけで、わざわざお母さんにお願いしてまで、こうして別室を用意しておいてもらった甲斐があるってものだ。
- 348 名前:『Smile for the Moon』 投稿日:2007/09/23(日) 23:31
-
去年はスケジュールが空いたおかげでゆっくり過ごせたけれど、今年はそうはいかなかった。
それでも去年のあったかい時間を忘れられずにいた俺は、こうして場所と、そして時間をもらったんだ。
「ほら、去年一緒にいられたろ?」
「ん? うん。いい誕生日だったねえ」
相変わらずふにゃりと笑う真希は解っているんだろうか。
なかなかこんなことを言うのは照れ臭いんだけど、誕生日プレゼントみたいなものだと頑張っていることを。
「今年はこうやってツアーしてんだろ?」
「してるねえ。これはこれでいい誕生日だけどね……」
どうも解っていて会話を続けているような気がしてくる。
そんな表情に……見える、かな。
- 349 名前:『Smile for the Moon』 投稿日:2007/09/23(日) 23:32
-
「その前とかさ、とても行けるようなトコじゃなかったわけ」
「あー、どこだっけ、地方が多かったもんね」
「今年は横浜だしなあ。いや、ってか明日休みだしどこにでも行けたけどさ」
「あらぁ、やだ、ごとーってば愛されちゃってる?」
「チャカすなよチクショウ」
ヘラっとからかうような言葉の中に、喜んでいるような感じを混ぜるのは卑怯だ。
けれど計算じゃないところがまた厄介で、そしてどうしようもなく可愛いからまた卑怯だと思う。
「えへへ、ごめーん」
「いいよ、もう。……ちょっと手」
「ん?」
「出して」
「ほい」
ひょいと差し伸べられた手を軽く受け止めて。
少しだけ引き寄せた真希へ差し出したプレゼント。
- 350 名前:『Smile for the Moon』 投稿日:2007/09/23(日) 23:32
-
「お? ちゃんと用意してくれるのねえ。ありがと」
受け取った花束をしげしげと眺める真希は少し何とも言えない表情をしている。
やがてくるりと回した花束の中に収められた数枚の紙に気がつく。
「あれ? これなに?」
「二つ目のプレゼント」
「ら…レイク、レイクオブドリーム、かな。ムーン、ってなにこれ?」
「月。夢の湖ってとこの証書。2エーカー」
「へっ!? 証書って……もしかして土地!?」
「そう」
「月って……住めるの?」
「……いつかね」
そう笑って見せると、少し考えた真希が笑う。
俺をどうしようもなくさせる例の表情で。
「そっかー。そしたらいつか二人で住んじゃったりするんだ」
「しよっか」
「あはっ、どんな家がいーかな」
邪気の欠片も感じさせない笑顔でそう話す真希は、不意になにかを思いだしたように話を変える。
- 351 名前:『Smile for the Moon』 投稿日:2007/09/23(日) 23:33
-
「そう言えばさあ、この花って……」
「誕生花、だけど」
「あ、うん。そう」
「花言葉、知ってたりする?」
「えー、あ、うん」
ああ、やっぱり知っていたのか。
だからこその複雑な表情だったんだろう。
右手に花束を持った真希、その空いた左手を掴んで強引に引き寄せた。
わっと小さな声で俺の胸に収まった真希。
「ち、ちょ――、汗ぇ」
「そんなん知らね」
「どしたの急に」
「これ、花言葉の意味」
- 352 名前:『Smile for the Moon』 投稿日:2007/09/23(日) 23:33
-
「……あ〜、えっと。……嫉妬?」
抱き締められたままの窮屈な姿勢で、確かめるような問い掛け。
「そ。俺の気持ち」
「なんに、だろ」
「まあ……色々、かな」
「……って言われても」
「こうやって処理してると思って」
「……そっか」
「誕生日おめでとう」
「…ありがと」
抱き締めた腕の中で、どこか嬉しそうに聞こえる笑い声。
胸に押し当てられたその顔は見えないけれど。
俺にはその表情が見える気がした。
- 353 名前:『Smile for the Moon』 投稿日:2007/09/23(日) 23:34
-
HappyBirthday.
- 354 名前:匿名 ◆TokDD0paCo 投稿日:2007/09/23(日) 23:36
-
三ヶ月ぶりの更新です。
二十二歳になりましたね。
色々なことがありますけど、幸せであってください。
- 355 名前:匿名 ◆TokDD0paCo 投稿日:2007/09/23(日) 23:37
-
あ……もう一つも近々なんとか。
読んでくださる方には感謝をm(_ _)m
- 356 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/09/26(水) 20:48
- うおー!!更新キテタ!!
頼んだ甲斐があったのかな?w
もう一つ…期待してます
- 357 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/10/03(水) 22:40
- 久しぶりに黒板覗いたら上にあったのでびっくりです。
更新してくれたんですね、ありがとうございます。
ごっちん、誕生日おめでとう!
- 358 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/23(日) 12:00
- さすがにもうこないかな
- 359 名前:名無飼育さん 投稿日:2007/12/23(日) 20:47
- そうと決まったものでもない
- 360 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/05/20(火) 21:05
- こちらも待ってます
- 361 名前:名無飼育さん 投稿日:2008/09/25(木) 19:39
- 9月23日も無かったね
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